進撃の巨人の23巻、ダンジョン飯の5巻、なれる!SEの16巻、と、この週末は読みたかった話の新刊が続々出てすごく幸せ。
やっとさっき「なれる!SE」を読了して、こんな夜更けに読後の満足感と喪失感に浸っている。 ネタバレになるのでどれも直接の感想はなし。だけどどれもとても面白かった。
本を(単行本を)読み終わった後の、充実感と喪失感で満たされた感覚が好きで、嫌いだ。
本の中の登場人物たちと一緒に、彼らの世界を共有している感覚。 バスチアン・バルタザール・ブックスがそうだったように、 塔の時計が10時を打つ音で現実のかび臭さに引き戻されても、 また活字に目を落とせば、ページが続く限り彼らと一緒に居られる喜びに浸れる。
無意識に読み終えたページを親指でなでて、まだ開いていないページの厚みと比べてみて、 まだ 6割はある、ここまで1時間だから、まだ 1時間半はたっぷりこの世界に居られるんだ、 みたいなことを考えるのはスケジュールばっかり気にする職業病かもしれない。
最終巻を読み終えたときの喪失感が嫌いだ。
ページをめくるまで、彼らのつぎの行動は分からない。でも一度知ってしまえば、彼らは二度と違うセリフを言ったりはしない。 最終巻だと思って読み始めるのは少し辛い。これで彼らとの接点が途切れてしまうのだと感じてしまう。 そう思わせるのは作者にとって狙い通りなのだろう。けれど少し作者が恨めしい。
終わったものに固執し続けるのは、あまり健全でないと思う。 けれどひとつの娯楽が終わったからつぎの娯楽に手を伸ばす、というのはちょっと違う気がする。 満ちた腹を抱えて、じっと消化する時間が必要なのだ。
じつはまだ読破していない技術書とか何冊も積んであるのだけどそれはそれ。
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