その昔、エベレスト征服を目指す高名な登山家がいた。彼は「なぜエベレストに登るのか」と問われた時に、こう答えたという。
"Because it is there."(そこに山があるから)
時は流れ、現代の酷道マニヤたちは、「なぜ酷道を目指すのか」と問われれば、「そこに道が無いから」とでも答えるのだろうか。出来の悪い冗句のようだが、マニヤの心理と彼らが背負った業のようなものを過不足無く伝える受け答えのような気がする。
さて私の酷道履歴はと言うと、とても酷道畑を先行している先輩諸氏に誇れるようなものではない。過去には一度、伝説の温見峠を目指して157号線を走った事もあるが、不可抗力(冬季閉鎖)のために肝心の酷道区間に入れず、お義理で金沢から勝山まで走ったに過ぎない。そろそろ本格的な酷道を走りハクを付けたい。そんな想いから今回白羽の矢を立てたのが、国道421号線だ。
国道421号線。古くは八風街道と呼ばれた近江と伊勢を結ぶ峠越えの道だ。起点は三重県桑名市、終点は滋賀県近江八幡市である。公式データによると、そのコース上の石榑(いしぐれ)峠に不通区間が存在する事になっているため、総延長の正確な数字は把握していない。およそ40km強であろう。
421号線の酷道区間とは、とりもなおさずこの「不通区間」の事をさす。「不通」とは言うものの道が存在しないわけではない。2トン以上の大型車両がその区間を走る事ができないために国道としては不適格と判断され、公式には「不通」とされたのだろうと思われる。
桑名市の起点・浅川交差点は、1号線との交点だ。スタート直後は地元の商店街のまん中を走る。
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今回の行程では、「不通区間」も含めた全線を走破している。しかし諸般の事情により、写真は左のスタート地点のものしか用意できなかった。
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桑名の市街地は国道1号線沿いに発達している。1号線に直行する形で始まっている421号線を先に進んで行くと、郊外地へと入り込んでいくわけだ。弁天橋西交差点あたりまでは道なりに走っていけば良い。道沿いにはショッピングセンターなどもある区間で、工場風の建物が比較的良く目に付くのが特徴だが、まだまだ田舎道という雰囲気ではない。
くだんの弁天橋西交差点を右折する。ちょうどこのあたりが桑名市と員弁(いなべ)郡東員町との境界になっている。ここから先は東員町だ。421号線は東員の中心部からは少し外れるらしく、住宅地や商業地らしき区域は通らない。道沿いには水田地帯が広がる。これから挑む鈴鹿山脈もかなり間近に見え、非常にのどかな風景である。
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少し前まで東員町の西隣は員弁郡員弁町だった。しかし、2003年12月1日をもって北勢・員弁・大安・藤原という旧員弁郡の4町が合併していなべ市となり、市制を施行している。東員町のみが取り残されるような形になったわけだが、これまで走って来た道のりを思うに、工場などからの収入で比較的財政が潤っていたために直ちに他の町と足並みをそろえる必要がなく、2003年段階での合併を見送ったのかもしれない。
新たに発足したいなべ市は、基本的には農村都市と言って良いだろう。沿道ではやはり、田畑が目に付く。旧員弁町役場を転用したらしい新いなべ市役所の分庁舎を通り過ぎ、員弁警察署東交差点を左折する。道はかなり良く整備されている。
員弁川を渡ったあたりが旧大安町だ。三笠橋を渡った直後にはショッピングセンターがあるため、わりあい開けた印象だ。その先の三岐鉄道の線路を越えたあたりから先は、農村都市いなべの中の郊外地区と呼んでもよさそうだ。
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間もなく、石榑下と言う名前の交差点に差し掛かる。この交差点の名前からも分かるように、ここまで来ると石榑峠は近い。そして、その一つ先、国道306号線との交点となっている石榑北交差点が、酷道421号線の「ポイント・オブ・ノーリターン」となるだろうか。
石榑北から少し先までは、それでもかなり高規格の道が続いている。酷道アタックを目論んでこの道を走っていると、これが本当に有名な酷道区間に通じる道なのかと、逆の意味で不安になって来るかもしれないが、それは杞憂というものである。と同時に、邪な企みも持たずにここを走っている無辜の民が、「この先も同じように整備された道が続いている」と錯覚し、地獄の道行きに迷い込んでしまわないかとも心配したが、そのあたりについては国土交通省も抜かりない。石榑峠は幅員が狭いため2トン車以上は通行できない旨を標識や電光掲示板などで再三再四アピールしてくる。ただ、車幅制限に関する言及がないのは抜けていると言わざるを得ない。現実問題として2トン車云々ではなく、車幅2m以上の車が石榑峠を越えることは出来ないのだ。
ここから先は、自己責任で走るべき区間である。
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ポイント・オブ・ノーリターンなどと吹いては見たものの、実際にはこの先でもUターンをする程度のスペースはある。坂を登り始めるまでは、引き返すのも楽である。
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やがて421号線は、宇賀川沿いに進路をとる。峠道のあたりではそれほど大きな川ではなく、山間の渓流だ。鈴鹿国定公園、そして東海自然歩道の一部となっている宇賀渓である。風光明媚の地として知られ、宇賀渓キャンプ村も開かれている。酷道であるはずの421号線石榑峠越えが、それでもここまでは並みの峠道の水準を維持してきたのは、ひとえにこのキャンプ場へのアクセスのためだったのだろう。
421号線から枝分かれしていった宇賀渓キャンプ村への道を右手に見ながら坂道を登っていくと、間もなく進むべき道の幅員は、見る見るうちに狭まっていく。いよいよ本格的酷道区間の始まりだ。
九十九折のブラインドカーブが連続する。見通しの悪いカーブの向こうから対向車が飛び出してこないか、気を使いながら坂道を登らなければならない。もちろん酷道のことである。対向車とすれ違うだけの余地は用意されていないので、どちらかが離合可能な場所までバックを続ける事になる。その途中で後続車が現れたら…などと考えるとドキドキものだ。厄介な事に、道中にはただでさえ幅員の狭い道よりもさらに狭い橋がかかっていたりする。出来れば対向車とは出会いたくない区間だ。
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離合可能な場所までバック。言うのは簡単だが、実際には「どちらが道を譲るのか」という意思の疎通がうまくいかず、立ち往生のようになってしまう事もある。
どちらかが停車する必要に迫られた場合は、坂を下っている車が停車する。バックする時には、登りの車がバックするのが不文律。
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宇賀渓前後の区間は頭上を木々に覆われるようで少し薄暗く感じるが、尾根筋目指して進んで行くうちに立ち木の背丈が低くなり、それに伴って開放感も少しずつ戻ってくる。
相変わらず幅員は狭い。法面のコンクリート壁には、ペンキ絵らしいイラストが書かれている。麓に住む小学生の手による絵なのだろうか。デザインそのものは、イラストタッチのクマなどが描かれたかわいらしいものである。しかし長期間に渡って手入れをされていないらしく、表面がかなり汚れている。ここが見捨てられた区間である事を暗示しているようだ。ドライバーの精神に対して、いわく言いがたい圧迫感を加える効果があるような気がする。
壁画は、その後もしばらくの間は続く。ただ、標高690mにある石榑峠最高地点に近づくにつれ、絵のタッチはイラスト調からえらく写実的なものへと切り替わっていく。酷道区間を走るために研ぎ澄まされた神経は無意識のうちに、この壁画の変化にこめられた製作者のメッセージを読み取ろうとしてしまう。果たして、そこにはどのような意味合いが込められているのだろうか。
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尾根筋近くには、かなり展望の良い箇所もある。酷道ドライブの中で一服の清涼剤になりそうな場所だ。そこから少し先に進むと、いよいよコンクリートブロックの登場だ。国道421号線を酷道421号線たらしめている地獄の門である。
このコンクリートブロックは、車幅2m超の車を拒絶する。理屈で考えれば、一般車が2m幅のゲートを通り抜けるのは雑作もないことのように思えるが、運転席からの視点で車の両脇を通り過ぎていく2つのコンクリート塊を眺めていると、脇腹をこすりつけやしないかと冷や汗ものだ。実際、過去には多くの車がそこに車体をこすりつけているらしく、ブロック表面は傷だらけになり、代わりに自動車表面を覆っていたらしき塗装が付着していたりする。耳を澄ませば幾多のドライバーの怨嗟の声が聞こえてきそうな、まさに地獄の門のような構造物である。
しかし、門はあくまでも門でしかない。コンクリートブロックは、最凶区間の幕開けでしかないのだ。ブロックで車幅2m超の車をシャットアウトしただけのことはあり、ここから先の道のりは、ここまで以上の狭路だ。それに加えて、この区間は非常に勾配がきつい。もちろん見通しも悪い。さらに、舗装も悪い。最後のトドメとばかりに、命綱の離合場所も皆無に近い。この区間で対向車に遭遇したらいったいどのように対応すれば良いのか、甚だ疑問である。
車載のカーナビはこの区間が国道でない事を主張しているが、道沿いのガードレールには、ここが国道である事を示す「青い逆三角形に421」のおにぎりマークが記されている。さすがに国土交通省の意図する所がわからなくなってくる。対外的な文書の上では国道の指定を外しているようだが、現地の維持管理はなおざりになっているのだろうか。
生みの親にも見捨てられた国道…。そんな物悲しいフレーズが脳裏をかすめる。
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幸い、2つのコンクリートブロックに挟まれた酷道区間はそれほど長くない。マニヤの間では石榑峠のランドマークとして知られるドコモ東海の電波塔を見ながら、先ほどと同じコンクリートブロックを抜け、最凶区間は終了だ。ちょうどブロックで仕切られているあたりが、三重と滋賀の県境にもなっている。ここから先は滋賀県愛東郡永源寺町である。
なお、この690m地点は峠の南北に位置する釈迦ヶ岳と竜ヶ岳を結ぶ尾根筋となっており、登山者たちの縦走路として利用されている。コンクリートブロックの前後には比較的広めのオープンスペースが用意されており、ハイカーたちがこのあたりを駐車場代わりに利用したりする事もあるのだろうか。
なるほど、酷道の殺伐としたイメージには馴染まないのどかな場所で、ハイカーたちの健全な嗜好にはよくマッチしそうである。さしずめハイカーと酷道マニヤの交差点と言ったところだろうか。
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鈴鹿山脈は概ね、三重県側斜面は急峻、滋賀県側はなだらかな傾向があるようだ。石榑峠も、滋賀県側の道の方が緩やかな坂道になっている。しばらくの間は幅員こそ狭いが、三重県側に比べるとかなり走りやすい道だ。
坂を下っていくと、滋賀県側にもやはりキャンプ場がある。一般の車もこのあたりまでは盛んに入り込んでくるようである。かなり下るまではセンターラインの無い道だ。すれ違えないほどではないが、スピードは落として走ったほうが良い。
永源寺町内の多くの区間は、景観に恵まれている。街道時代からの旧家を思わせるような民家が建ち並ぶ集落あり、町名の由来となった古刹あり、満々と水をたたえる永源寺ダムの湖岸を走る区間ありと、変化に富んでいるので、ドライブをしていても飽きない。
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山道を下りきって少し行ったあたりまでが永源寺町の町域で、そこから先は八日市市となる。しばらくの間は農村地帯のようなところを走っていく。昔は荘園地帯だった場所だろうか。水田の中に村社を思わせる小さな神社があり、お寺があったりする。江戸時代以降に成立した「○○新田」と言うような村落とはどこか違った趣があり、歴史の古い近江国を感じさせる。
名神高速道路の八日市ICを越えて進むと、八日市の中心市街に差し掛かる。こちらは特別に変わったところのない、どこにでもある普通の地方都市のようだ。
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八日市の市街地から続く人口稠密地帯を走っていくと、間もなく近江八幡市に入る。国道8号線との交点・友定町交差点が、421号線の終点となっている。
交点付近の8号線は、旧中山道に沿うような形で走っている。この場所もその昔は武佐宿と呼ばれていて、近隣には宿場町を彷彿とさせる古い建物が多く、道幅もさほど広くは取られていない。
中山道と八風街道の追分は、現在では国道8号線と国道421号線の交点に形を変えながら、この宿場の中に存在し続けている。
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