伝説のアルバイト


 死体洗い
 2002.11.02


 死体洗いのアルバイトの話は、このサイトに来られる方の大多数がご存知なのではないでしょうか。この話の内容は、『医学部の学生が実習で使う解剖用遺体を洗うと言う高額のアルバイトがある』というものです。この種の話は大江健三郎著の「死者の奢り」(1957年)ですでに見られます。作中、この小説の主人公は死体洗いのアルバイトをしています。都市伝説が先か、小説が先かとは断定できませんが、少なくともこの時期には死体洗いのバイトの話は存在していたわけで、小説が伝説の伝播に一役買っていたようです。

 このようにずいぶんと昔から存在し続けている息の長い話ですが、実は昔からストーリー展開にあまり目立った変化はないようです。同じように古い話として『ダルマ』がありますが、こちらは骨子こそ変わらないものの、様々なバリエーションを生み出しながら今に至っています。『死体洗い』の話は、『ダルマ』とは対照的な経過を見せているのです。

 手を変え品を変え(?)人々の関心をひく『ダルマ』の話と違い、大筋にこれと言った目立った変化のない『死体洗い』の話が、時代を経ても未だに生き残っているのは、一つにはこの話に不思議な説得力があるせいなのではないでしょうか。舞台となるのは大学医学部(の地下ホルマリンプール)。外部からは中の正確な様子を窺い知ることの出来ないある種のブラックボックスのような場所でありながら、そこで行われるであろうことは部外者でもある程度推測できるため、実際には内情に特別詳しいわけでもないのにわかったつもりになり、想像力をたくましくして、勝手な妄想を思い浮かべてしまうからではないでしょうか。かく言う私も、このサイトでこの話を『都市伝説』として取り扱いつつも、どこかで「もしかしたら本当にそういう話があるのではないか」と期待してしまう部分があります。

 実はもう一つ『死体洗い』の話に関して特徴的なのは、「反証に対する反証」が話の中に盛り込まれることがある点です。そのため、この話に関しては虚実入り乱れた様々な情報が乱れ飛び、混沌とした状況を作り上げていると言えます。今回は少し趣向を変えて、この話の検証をしていきたいと思います。


1、医学部の地下にホルマリンプールはあるのか?
 ある意味いきなり核心部分のような疑問ですが、まずはここから検証してみようと思います。とは言え、近所の大学の医学部に忍び込んで検証するわけにも行かないので、大学時代の知人の話をここに掲載しておきます。彼は医学部生で(と言っても卒業するのに6年かかる学科ではなかったようですが)解剖実習の経験もある人でした。話を聞く限りでは一から全て解剖をしたと言うわけではなさそうでしたが、腕の神経線維や、大脳のスケッチをした話を聞かされたことがありました。スケッチの対象はもちろん献体された遺体の一部分なのでしょうが、どうも「ホルマリンプール」から持ってきた雰囲気ではない様です。そもそも地下にそういうものがあるとは思えない、と言っていました。地下部分にはボイラー室や、コンピュータのサーバや、配電関係の部屋があるのではないかとのことでした。医学部生だからといって全てを知っている訳ではないでしょうが、少なくとも彼の証言からは地下のホルマリンプールの存在は想定しにくい印象を受けました。しかし、死体洗い伝説の中にはこう言った疑問や不自然さに対する理由付けをしているものがあります。
「遺体を安置しておく場所という性格上、不用意に人を入れるのが望ましくないため、部外秘にされている。」
 なんとなく苦しいような気もしますが。


2、ホルマリンに関する疑問
 次に遺体の保存に使われるホルマリンについて検証してみます。一般にホルマリンと呼ばれているものは、ホルムアルデヒドという薬品の水溶液の事です。法的には確か37%水溶液を『ホルマリン』の名称で呼んでいるという話だったと思います。薬局などで売られているホルマリンは、この法で規定されたものですが、都市伝説の場合はそこまで厳密な定義は必要ではなく、「ホルマリンと言う防腐効果のある薬品」程度の理解で十分でしょう。
 ホルマリンは、理科室の解剖標本の保存用にも利用されているように、強い防腐効果のある薬品です。しかし、それを解剖用遺体に利用するのは問題があります。ホルマリン漬けにした生物体と言うのは、確かに腐敗はしませんが、非常にもろくなってしまい、うかつに触ろうものならグズグズに崩れてしまうのだそうです。医学関係者や葬儀屋さんなどは、遺体の保存処理の事をエンバーミングと呼びますが、ホルマリン漬けは数あるエンバーミングの手段としてはさほど高度なものではない様です。ホルマリンは、本当に腐敗を止めるためだけにしか使えないと考えても良いかもしれません。
 強い防腐効果のあるホルマリンですが、裏を返せば強力な毒性を持っているということにもつながります。すでに述べたようにホルマリンとはホルムアルデヒドの水溶液の事ですが、ホルムアルデヒドと言う名前をご存知の方も多いでしょう。シックハウス症候群と言う『病気』がありますが、建材に使用されているホルムアルデヒドはこのシックハウス症候群の症状を引き起こします。この他には発ガン性を指摘されたりもしています。建材に使用されている微量のホルムアルデヒドですら体の不調を引き起こしうるのですから、かなり有害な物質だと言うのは実感として理解できるのではないでしょうか。ホルムアルデヒドはとにかく気化しやすい薬品で、例えば地下の密室に原液で満たされたプールなどを作ったら、人間などはそこに入り込んだだけで重篤な状態に陥ってしまいます。

 『死体洗い伝説』で使用されているのはあくまで水溶液であるホルマリンですが、やはりそういう薬品が間近かにある職場と言うのは、かなり危険な職場と言えるでしょう。当サイトにはこれに関して、次のような情報が寄せられました。

 ホルマリンプールについて。私は「ホルマリンプールに沈めてある死体が浮かんで来るのを物干し竿のような棒で突いて沈める」バイトをしたことがあります。大抵病院関係者だけがこのバイトをしている様でした。(現在もこのバイトが残っているかは不明です。)死体は袋に包まれ、現物は見えないのですが、死体は脆いので、突いた時の感覚で「今腕千切れちゃったかな?」等と感じられます。ガスマスクのようなものをつけ、まるで宇宙にでも行くかのような格好でするため、結構ハードな仕事でした。基本的に一晩中を一人でやるため、慣れるまではかなり怖く、すぐにやめていく人も多い様でした。まだ明るい所で出来るマグロ拾い(死体収集)の方がずっとマシなような気がします。

 ホルマリンの毒性に対する防毒マスクと防護服を意味するものなのでしょうか。

 衛生上の問題から何の知識もないアルバイトにこのような仕事を任せることはなく、それなりに知識のある関係者が主体になって作業をすると言う話もありますが、これはひょっとするとホルマリンの毒性に対する問題の事を言っているのかもしれません。
 なお、先だって掲示板の方でご指摘がありましたが、水死体などが浮かび上がってくるのは、基本的には腐敗ガスのせいです。あまりに肥満しているとその限りではないですが、水中の死体は死亡直後こそ水底に沈むものの、やがて腹部などに腐敗によって発生したガスがたまってきて浮かび上がるものなのです。死体が浮かび上がってきてしまっては、ホルマリン漬けの効果が十分ではないと言えるでしょう。


3、倫理的な問題
 医療関係の方は、ほぼ例外なく『死体洗い』のバイトは実在しないと考えておられるようです。理由は色々ですが、その一つとして倫理的な問題があります。卑しくも医療に携わる人間なら、医学の進歩に体をささげてくれた方々に敬意を表し、
その仕事に対して特別な意識を持たない、金銭目当てのアルバイトにその処理を任せることはないのだそうです。
 その理念に関しては、おかしな部分は全くなく、この話の舞台にもっとも近い人たちにはきわめて当たり前の考え方なのかもしれません。ただし、部外者にこのバイトが存在しないことを証明するには、若干説得力に欠けるような気がします。


4、採算性
 慈善事業でやっているわけではない以上、遺体の処理にかける費用は安くあげた方が良いはずです。安く上げるばかりが全てではないにしても、せめてそれなりのコストパフォーマンスを期待したくなるのが人情というものでしょう。それでなくても大学医学部の台所事情はそれほど潤っていないそうです。そこで、解剖用遺体を洗うという仕事に高額な報酬を払うことの採算性について。
 このバイトが高額になる理由は、『死体相手の仕事である』という一点に尽きると思います。しかし、そんな理由で高いバイト料を払うのであれば、実習生自身にこの仕事をさせたほうがはるかに安く上がるはずです。これから死体の解剖をしようという人間が、洗浄作業ごときを厭う理由などないはずですし、本来ならば自分達の実習の準備を自分達でするのが筋というものです。
 また、浮かんでくる死体を沈めるバイトというのも、わざわざお金を払って人を雇うより、最初から浮かんでこないように重りでもつけておいたほうがはるかに効率的で安上がりなはずです。
 また、遺体の保存にホルマリンを使用すると言う点にも疑問が残ります。実際にどういう方法で異体の保存が行われているのかはよく知りませんが(知っていればズバリ核心に触れます(笑))、そのことから発生する様々な手間に対して費用をかけるなら、結局は
冷凍保存でもした方が安上がりなのではないでしょうか。


 以上、簡単ながら検証をして見ましたが、やはり単なる話の域を出ないような気がします。とは言え、この話はまだまだ生き続けて行くのではないでしょうか。

 なお、新薬のための人体実験のように言われる『投薬ボランティア』はどうやら実在するようです。一方、わざと骨折をしてその後の経過を観察すると言う『骨折バイト』に関してはほぼ作り話と断定して差し支えないでしょう。骨折してお金がもらえるのなら、接骨院の存在意義がかなり危うくなってしまうのですから。