変わり続ける伝説


 三度、ダルマ
2003.06.28

 
 いろいろと興味の尽きない『ダルマ』の話題も、今回で三度目になるのですね。今回は、これまでにもこの話題を取り上げるたびに触れてきた、『オルレアンのうわさ』との絡みで話をすすめていくので、元祖についても別項でまとめております。よろしかったらどうぞ。それ以外の個々の「ダルマ」話については、もうひとつづつ取り上げるのはやめにします。書いてる本人が頭の中をまとめるという意味も多分に含まれるため、若干腰折れ文かも知れません。

▼オルレアンの『ミニ神話』・日本独特の進化
 オルレアンの噂は、一時フランスの地方都市を揺るがし、中央からも注目される大騒動に発展しましたが、騒乱状態はそれほど長くは続きませんでした。しかし、騒ぎが収まったからといって、すべての噂が完全に潰えたわけではありませんでした。一口に女性誘拐の噂とは言っても、それを話題にした人の関心の所在は十人十色。最初期の少女達がそうだったように、あるいはより露骨な話を好む人もいたでしょうが、若い女性が商品として扱われると言うエロティックなモチーフに関心を示した人もいたでしょうし、性的な部分とは切り離された誘拐と言う犯罪行為に嫌悪感や恐怖感を感じた人もいるでしょう。いつしか付加された、ユダヤ人に対する民族差別的な内容に注目した人もいるでしょう。この噂によって引き起こされた騒動に陰謀の臭いを嗅ぎつけた人、誘拐された女性達が送り込まれたであろう異世界に興味を持った人、いろいろな人がいたに違いありません。女性誘拐事件そのものは、警察や新聞報道により否定され、噂とそれに関連した騒ぎは沈静化しますが、この事件に対する人々の関心までも消し去ることはできませんでした。どうやらオルレアンの人たちは、噂以後もそれぞれ自分が関心を持った分野にまつわる噂話を、細々とながら囁くことがあったようです。ただし、そのように細分化され、蛸壺化された噂が、再び元の大きな物語に収斂していくことはありませんでした。モランは、これら細分化された噂を『ミニ神話』と呼んでいます。日本に持ち込まれたのは、おそらくこれらミニ神話の中のひとつだったのでしょう。ただし、それは単なるミニ神話の輸入版では終りませんでした。そのミニ神話は日本で独自の進化を開始したのか、オリジナルにはなかった要素を獲得します。そう、それが『ダルマ』です。現状では、『試着室』が『ダルマ』に庇を貸して母屋を取られてしまった感じです。

 確かに、試着室で行方をくらまし、誰にも知られぬままいずこかへとフェードアウトしていくと言うモチーフには恐ろしいものがありますし、その恐怖をさらに駄目押しするために付け加えられた要素が、四肢の切断と言えるのでしょう。しかし、なぜその駄目押しが、四肢の切断という方法による必要があったのかについては、謎が残ります。折に触れ『ダルマ』の話題との関連を「噂」されるのが映画『西大后』と、『ダルマ女』として見世物小屋に出演したという経歴の持ち主、中村久子氏の話です。

 中村氏は幼い頃、凍傷が原因となって両手両足を切断しています。もっとも、彼女の場合は本当に付け根からと言うわけではないので、『日本ダルマ』の話のイメージとは少し違うのですが、オリジナルにはなかった『見世物小屋のダルマ女』というモチーフは、あるいは彼女のイメージの借用なのかもしれません。見世物小屋といえば一昔前の日本の親には、子供が悪いことをしていると「サーカスの人買いが来て見世物にされる」という話をしてしつける習慣がありました。そういう意味では、見世物小屋で見世物にされるダルマ女と言うのは非常に日本的なモチーフと言えるのかもしれません。この話にはもともと、「サーカスの人買い」から受け継がれた訓戒が含まれていたような気がします。すなわち、遊び歩く若い女性を戒めるメッセージです。私が子供だった二十年ほど前の時点ですでに、「人買い云々」と言ってしつけが行なわれることはほとんどなかったと思いますが、もしかすると、『ダルマ』第一波が日本に入ってきた当時の若い女性は、幼児期に「サーカスの人買い」というキーワードによってしつけを行なわれた世代であり、当時の「大人」たちは彼女らを、幼児期の記憶を呼び覚ますような『ダルマ』の話によって教化しようとしたのかも知れません。もっとも、現在では時代が移り、若い女性に対するそのような戒めも、すっかり空虚なものとなりました。安全な日本、危険な海外と言う図式もすでに消えてなくなり、第一、見世物とは何なのかを若い人に理解させるのも一苦労です。時を経るにつれ、『ダルマ』の話が持っていた説法的な性格は世の中にそぐわなくなり、やがて失われていったのでしょう。

 ちなみに、初期の『ダルマ』話に良く見られる、どんでん返しになっている試着室の壁と言うのも日本独自の描写のようです。どんでん返しと言う機構自体は諸外国にも存在しているとは思いますが。確かに、薬物を使い力づくで監禁されるのとはまた違った、より洗練された恐怖の形なのかもしれません。当然の如く、どんでん返しの見た目は普通の壁です。しかし、その壁を一枚隔てた向こうは、非情な犯罪者の場所。薄皮一枚の平穏な日々が、一瞬のうちに暗転し、異界に飲み込まれていく恐怖を表現するために、効果的な舞台装置と言えます。

▼旅
 モランは、オルレアンのうわさを構成する要素のひとつとして、旅に関する話としての側面にも注目していました。旅行と言うと物見遊山的で楽しげですが、旅という言葉には本来ある種の不自由さがつきまとうものです。オリジナルであるオルレアンの噂の、本人の意思とは無関係に平凡な日常から突如として引き剥がされ、何処とも知れない異郷に飛ばされる不自由さは、旅の一つの形と言えるでしょう。

 さて、ダルマの話にももちろん旅の要素が絡んできています。日本人が海外旅行に出かけた先で出会う危険の話なのですから、そもそもこの話と旅とは切っても切れない関係にあるのですが、一部の旅行者の間では、旅という要素が、日本国内で流布している場合とはまた違った意味合いを持って伝わっているようです。

 ここで『ダルマ』の話を、ツアーなどで海外に出かけたり、優雅に世界を周遊するような旅行者とは違う、バックパッカーたちの伝説として注目してみたいと思います。貧乏旅行は、目的地にもよりますが、少なからず冒険旅行的な性格を持ったものです。そのため、バックパッカーたちが集まると、各人がこれまでに旅先で経験した危険・潜り抜けてきた修羅場によって、旅行者としてのランク付けがなされ、それによって集団内部での序列も決まるところがあるようです。そんな場面で、日本人旅行者を待ち受ける危険として語られる物語の代表格が、ダルマの話です。特にベテランが、いかにも自分は旅慣れているという風情を装って語ることが多そうですが、この文脈で語られる場合、ダルマは、要するに新参者をビビらすような内容であることが求められ、日本人が凶悪な犯罪に巻き込まれる話でありさえすればよいのです。こういう状況では、やれセックスだ、民族意識だといった、妙に説明的なディティールにこだわる必要はなく、ひたすらどぎつく、ショッキングな話であることが求められるように思います。あるいは、バックパッカーコミュニティの通過儀礼の中で語られる伝説と言えるのかもしれません。こういう例はかなり限定的だとは思いますが、旅好きの人が、旅先で、やはり旅慣れた人から聞いた話となればそれなりに説得力もあります。このような経路で受け継がれていく『ダルマ』の話は、類話全般の過激化に影響するタイプの話ではないでしょうか。

▼セックス
 もともとエロティシズムと深く結びついたオルレアンの噂でしたが、『ダルマ』と言うそれ自体があまりにも強烈なモチーフは、セックスの話とは決定的な齟齬を生じてしまったのか、初期ダルマにあったエロティシズムを延長、セックスの要素を強調した話と言うのは意外に多くはなさそうです。都内でナンパされてついていくと、手足を切断された挙句、『やるだけ女』にされ、飽きられたら殺されるという話は、以前にかつての老舗都市伝説サイト『UrbanLegends/うわさと都市伝説』の中で見かけたものですが、類似の話はインターネット上でも日記サイトのネタとしてみたことがある程度です。

 そもそも、『オルレアンのうわさ』に潜むエロティシズムとは、思春期の少女の性的な行為に対する憧れという程度の物であり、試着室とは彼女らが性的な行為を経験しつつ、それが自分の意思ではないということの言い訳をするための装置でした。今話題にしている『ダルマ』話は、ナンパされてそれについていくという時点でセックスに対する言い訳の必要性がなくなってしまっていますし、セックスをするのに手足は必要ないという点を露骨に具現化したモチーフを持っていて、『オルレアンのうわさ』の頃とは全く趣を異にしています。女性にセックスのため必要最低限の身体的機能だけを残し、それ以外は徹底的に破壊する内容に、うら寒さを感じる話ではあるのですが、『ダルマ』と言うモチーフとあまりに過激なセックスがつぶしあう方向に働いてしまっているのでしょうか。

▼中国(民族意識)
 そもそもオルレアンが起源の噂だった『人間ダルマ』なのですから、話の舞台もパリに設定されていました。やがて噂が噂を呼び、女性の消えるブティックの所在地は、世界各地へと拡大していきました。どうやら現在までに、日本人が入り込む可能性のある国・地域ならば、あまねくこの種の話が存在しているといっても過言ではない状況のようです。けれど、その中には当然日本人になじみの場所、疎遠な場所があります。当然の帰結として、時代時代の流行に従った形で、主な女性誘拐の現場はスライドしていきます。当初はいわゆる西側諸国に多かったこの話は、海外旅行がグッと身近になり、安・近・短で頻繁に日本人が出かけるようになった東南アジア・東アジアを主な舞台としていくようになりました。その中でも、特に目立った場所はやはり香港でした。一見華やかで、人気の旅行コースでありながら、かつて域内に全世界屈指の魔窟・九龍城が存在し、香港マフィアなどの犯罪組織が闇で跳梁跋扈する、雑駁な街・香港は、稀に見る残虐性を持つ犯罪でありながら、一向に表面化する気配のないこの奇妙な噂の舞台にはうってつけでした。ところが、最近では、ダルマの話は中国本土(あまり正確な表現ではないかもしれませんが)のものとなりつつあります。中国本土ではないにしろ、国内外のチャイナタウンの話となっている場合もあります。香港はすでに、一国二制度とは言え、中国に返還された訳ですから、あるいは香港を舞台とした怪しげな噂もまた、本国に取り込まれたと言うことになるのかもしれません。しかし、中国返還から二年後の1999年に出回ったあの『達者メール』の影響も大きいのでしょう。

 それまで、この『人間ダルマ』の話は、意外にマスメディアから注目されてはいないようでした。娯楽色の強い雑誌などで、ちょろっと取り上げられることはあったようですが、新聞などのお堅いメディアは、全くと言っていいほど見向きもしませんでした。存在するのはあくまで風聞だけ、実際的な事件の証拠は一切確認できないと言う状況だったのだから無理もありません。そもそもこの噂は、口コミでそれなりに広まっていました。週刊誌などにしても、あらたまった企画として取り上げようにも少々新味がなかったのかも知れません。そんなマスメディアの間隙を縫うような形で、ダルマの話がチェーンメール化しました。電子メールは市民権を得て日の浅い、若いコミュニケーションツールであり、メディアです。特に達者メールが出回った時期、今では老若男女が当たり前のように使っているメールも、まだまだ若い人中心のものでした。すでにこの話を聞き飽きた感があったであろう、少し上の年齢層の人たちと違い、若い人にしてみれば、『日本ダルマ』の話は、新鮮な衝撃を持った話だったはずです。

 思えば、マスメディアに大々的に取り上げられることもなく、そのため口コミでじわじわと広まっていった『日本ダルマ』の話は、伝言ゲームの過程で話が少しづつ変質してしまい、元は同根であるにも関わらず、プロットやディティールの微妙に違った話を大量に生み出してしまいました。複数の人が同種の話を知っていながら、ひとつの話題としては共有しづらく、従って個々の話同士による同類をつぶしあいが発生し、今ひとつリアリティを欠くような部分があったのでしょう。しかし、基本的にプロットの変質が起こりえないチェーンメールであれば、そのような事態は発生しません。ここに、ダルマの話はかつてのいかなる類話にもなかった大きな規模でばら撒かれたのです。不特定多数の人の共通認識となった『達者』はその後のダルマの話のありようにかなり強い影響を与えたと考えられます。

 もっとも、この話は最初から中国的な性格を強く持っていたのも事実です。一作者の創作である『達者メール』の舞台が中国とされたのは、そのあたりの影響もあるのでしょう。映画『西大后』の話は当サイトでも既出ですが、清の時代から遡ること2000年、その上の漢代、呂大后もよく似た残虐行為を行なっています。『人豚』(人豚は俗称で、正しくは『ジンテイ』と言うようです)の話として知られるその話は、彼女の嫉妬心に端を発した事件です。呂大后は、夫の死後、彼女から夫の寵愛を奪った威夫人を、男達に犯させ、手足を切断し、目をくりぬき、硫黄で耳をつぶし、チン毒で声をつぶし、挙句に便槽の中に放り込みました。豚はかなり悪食で、人糞を食べます。そのため、当時のトイレはその下層に豚を飼っていたのですが、それになぞらえて威夫人を人豚に貶めたのです。呂大后は、自分の息子に人豚となった威夫人の姿を見せていますが、息子はショックのあまり寝込んでしまい、政治に対する意欲まで失ってしまったと言います。ごく初期の頃から、ダルマの話にも威夫人が受けた仕打ちとよく似た描写が付与されることもあり、『達者』は成るべくして成った物なのかもしれません。

 もう一つ中国と言う要素の中で注目すべきは、日本人が中国に対して抱く微妙な感情の発現でしょう。『達者メール』は、中国(奥地)の反日感情について触れていました。胡散臭いメールの言うことですから、事実と異なることは十分あり得ますが、しかし、日本人は、決して少なくない中国人が、日本人に対して悪感情を持っていることを知っています。

 モランは、『オルレアンのうわさ』が、オルレアン市民の反ユダヤ感情を浮かび上がらせた、と分析しています。騒動の最中、普段はユダヤ人に対するあからさまな差別を行なわない人であっても、ユダヤ人が誘拐を行っているという噂に対して、ある程度肯定的なリアクションをしめしたことがあったようです。肯定的というのは言い過ぎかもしれませんが、否定も肯定もしない人はかなりの数に上りました。「あるいはユダヤ人はそういうことを行なっているのかもしれない」と思うことは、結局のところユダヤ人に対する偏見であり、差別に他なりません。日本人には西洋人がユダヤ人に抱く特別な感情を理解しにくい面があります。そこでユダヤ人のポジションに中国人がスライドしてきた話が『達者メール』だったのでしょう。そう考えると、『達者メール』の被害者が男性であったのは、確信犯的に思えてきます。諸々の類話の傾向から、女ダルマにはある種の商品価値が認められますが、男ダルマからはそういうものがほとんど感じられません。『達者メール』は、まがりなりにも猥談的な解釈も可能であった在来種のダルマの話と違い、セックスの要素が完全に削ぎ落とされています。これは、『事件』がもっと深い憎悪から発生した、暗い情念の世界の中の物であることを印象付けるための演出なのでしょうか。オリジナルに比べると民族差別の色合いは薄くなっていた『ダルマ』の話が、思いがけないところで先祖がえりしたものです。

 初期のダルマは、完全に人格を剥奪され、単なる物同然に見世物とされていたのと違い、『達者』は、明確な自我をもっていた点も注目したいところです。日本人は伝統的に自民族周縁主義に走りがちで、西洋諸国こそが世界の主流、自国は周縁の少数派と言う認識が強い国民です。初期『ダルマ』と『達者』の違いは、パリ始め西側の諸外国人からは見世物とされるのもやむなし、しかし、同じアジアの中の中国人が相手ならば反攻をする、そういう構図も見て取れます。もっとも、この話はもともとチェーンメール用(?)に一個人が創作したものですから、作者の思想も強く影響している可能性も多分にありますし、時代が移り、日本人が自民族周縁主義的な思想から脱却しつつあることの表れと見ることも可能です。

 さて、この民族差別的傾向が強まっていった場合、この種の話が究極的に志向する場所は、どうしても朝鮮半島のように思えてなりません。最近の情勢を鑑みるに、日中間よりもさらに強い摩擦が浮き彫りになっていますし、きっかけがあれば、達者は朝鮮半島にスライドしていく可能性が高いのではないでしょうか。『オルレアンのうわさ』において、ユダヤ人はこの噂の最後までエロティシズムにとって代わることがなかったと分析していますが、もしかしたらその後裔が、性的要素を廃した民族差別の物語となることもありえると思います。

※2003.12.10 追記
 室町時代から江戸時代にかけて「起き上がり小法師」とは遊女の事を指し示す隠語だったようです。『ダルマ女』の話は男の性欲と嗜虐性の行きつく先と言うイメージが強く、起き上がり小法師=遊女の発想がそのままダルマ女につながるものとは思えませんが、別角度からのアプローチで『性とダルマ(起き上がり小法師)』という共通のモチーフにたどり着いたあたりは興味深いので、ここに付記しておきます。