「かしま」にまつわる基礎知識


 カシマレイコ(前編)
2003.08.13

 
 今回はしばらく前に草稿を書いたものの、あまりにも歯ごたえのあるテーマだったために収拾がつかなくなり、そのままお蔵入りしそうだったネタを申し訳程度に整形した物で、決して誉められた内容ではないですが、放って置くと忘れ去りそうなのでとりあえずアップしておきます。熱帯夜の暑気払い、あるいは暇つぶし程度の流し読みを強く推奨します。

 カシマレイコは、脚のない女性の姿で現れると言う都市伝説怪異です。私が初めてこの名前を聞いたのはゲームソフト『デビルサマナー ソウルハッカーズ』の中でしたが、後になって調べてみるとかなり有名な部類に属する怪談のようで、日本全国に類似の話が流布しています。また、体の一部が欠損した傷痍兵として現れる『かしまさん』もいますが、これもカシマレイコの同族と言って差し支えないでしょう。現代奇談さんでは、カシマレイコ・かしまさんを含め、包括的かつ大々的にかしま系妖怪の調査研究が行なわれています。かしまさんがらみの情報に関しては、これが基本にして究極と言っても過言ではないでしょう。今回の話題もかなりの部分で現代奇談さんの『カシマ包囲網』を参考にしています。興味がおありの方は是非ご一読ください。実は、この遠大な研究を参考にしてしまったがために、今回は軽い(ユルい)読み物でお茶を濁しづらくなった、という面もあります。なお、当サイトで紹介しているカシマレイコの話は下の3パターンです。ただし、事前にお断りしておきますが、下記の話は本当に無数のパターンが存在するカシマレイコの話のほんの一例です。たまたま出現場所がトイレの話が2例含まれていてトイレ怪談の印象を与えてしまうかもしれませんが、決してそういうわけではありません。

1,
赤マント同様に、日本各地の小学校のトイレに現れると言う幽霊で、両足のない女性の姿で現れる。
 やはり赤マントと同じように深夜にトイレに入ってきたものに対して質問をし、それに答えられないと足を抜かれてしまうと言う。その質問の内容は、まず最初に「私の足は何処にありますか」と聞いてくる。この質問に対する答えは「名神高速道路にあります」というもので、次に「誰に聞いたのですか」と質問されるので、「カシマレイコさんに聞きました」と答えれば、幽霊に足をとられることはない。

2,
 夜、トイレに行くと「右足いるか?」という声が聞こえてくることがある。そのとき、問いかけに対して「いる」と答えなければならない。「いらない」と答えると足を抜かれてしまうからだ。正しい応答をすると続いて「左足いるか?」と聞かれる。同様の理由で「いる」と答えなければならない。さらに質問は続き、「この話、誰に聞いた?」と聞かれる。このとき、「カシマさんに聞いた」と言うと危害を加えられないが、きちんと答えないと祟りがあると言う。また、この話を聞いた人は同じ話を、五回、五人に話さなければならない。

3,
 夢の中にカシマレイコと言う女性が現れる。そして「足が要るか?」と聞いてくる。このとき、「要らない」と答えると、足をとられてしまう。「要る」と答えた場合「カシマさんの”カ”は仮面の”仮”、”シ”は死人の”死”、”マ”は悪魔の”魔”」と言う呪文を唱えれば助かる。この話を聞いた場合、3日以内にカシマレイコが夢に現れると言う。


 いずれの話でもカシマレイコは脚に執着を見せていますが、活動の場所は学校、あるいはそれ以外の場所のトイレ、夢の中となっています。実際にはここに例示したものではそのような場所に現れると言うだけの話であって、カシマレイコの活動範囲はかなり広範に渡っていると言えます。なお、前述の『ソウルハッカーズ』に採用されていると思しきカシマレイコの設定は1のものですが、これはどうやら白水社刊の日本の現代伝説シリーズに収録されていた極めてレアなケースを参考にした物のようです。同ゲームのキャラクターデザインを担当した金子一馬氏は、やはり現代伝説シリーズで紹介されていたこれまたマイナーな仙台の歩くマリア像の話も、別の機会にとりあげていたようです。

 近年新たに生を受けた都市伝説怪異(あるいはこの場合は現代妖怪と言った方が通りが良いのかもしれませんが)の中で、もっとも有名なのが口裂け女でしょう。この噂が流れた当時の子供達は、この謎の怪人に対して集団ヒステリーにも似た反応を示しましたし、半ばそれに振り回されるような形で大人社会にも少なからず影響を受けました。そういう意味では口裂け女は押しも押されぬ都市伝説怪異の代表格と言えますが、カシマレイコも口裂け女とはまた違った意味において、優れて現代的な怪異・妖怪であると言えるのではないかと思います。ただ、何が現代的かを端的に言い表すにはこの都市伝説はあまりに巨大過ぎるのもまた事実です。今回はちと長くなりそうなので、まず順を追ってカシマレイコに関する情報を整理していきましょう。

◆かしまさんとはどんな存在か
 「かしま」の名を持つ都市伝説怪異の中には傷痍兵もいると言うのは前述のとおりです。実際のところ、戦中と戦後間もない時期には戦地で脚や腕を失って帰国した傷痍兵も少なくありませんでした。ザラにいると言うといってよいかどうかは微妙ですが、特別珍しい存在ではなかったようです。戦地で手足を失った彼らには、終戦後に内地に戻っても再就職の口など簡単に見つかるものではありませんでした。基本的に傷痍軍人に対する保障は行なわれてはいますが、国籍の問題などにより欠格と判定され、保障の対象外となった人も少なからず存在していたようです。何らかの理由により国からの金銭的補償を受けられなくても、身寄りのある人ならばまだ、その縁故者に世話をしてもらえるのかもしれません。しかし、そうでない人たちの多くは路上で物乞いをして糊口をしのいだようです。以前に、戦地で片足を失い歩くことすらままならなくなった傷痍軍人が、「ここはお国を何千里」と盛り場で軍歌を歌い、道行く人から金を恵んで貰おうとする場面をドラマか何かで見た記憶がありますが、あまりにも希望のないシーンでありました。戦中であれば、兵士は戦地でひどい目にあえばあうほど忠義の証として周囲から称えられるようなこともありました(周囲の人たちのホンネはまた別にあったように思いますが)。死ねば名誉の戦死、英霊として靖国神社に祀られますし、それこそ手足を失うほどの重傷を負って帰国したとしても、これぞ滅私奉公の精神とばかりに、生ける『軍神』として称えられたと言います。(手足を失う傷を負い、それでも一命を取り留めた兵士が帰国後軍神とされた話を聞いた記憶はありますが、これに関しては本稿作成段階では確実な裏が取れていません。ただし、水木しげる氏が戦地での自身の体験をつづった作品の中には、手足を失った傷痍兵を軍神と称える描写もあるようなので、とりあえず可能性の一つとして仮説を進めていきます)。

 しかし敗戦後、世の中の価値観が180度反転してからは、かつての『軍神』たちを待っていたのは零落の運命でしかありませんでした。終戦から復興、そして新しい社会の創造に向かおうと言う時期、その身に負った傷跡のために否が応にも戦争を引きずり、それ思い出させ、戦後を生きることが出来なかった彼ら『軍神』は、決して好意的に受け入れられる存在ではなく、さりとて露骨な形で糾弾できるものでもなかったようです。周囲の人々から腫れ物に触るような扱いを受け居場所を失った彼らは、次第に社会の周縁へと追いやられていきます。町の場末で道行く人に物乞いをする彼らを悪し様に責める人こそいなかったようですが、反面好意的に接する人たちもまた少なかったのかもしれません。やがて終戦直後の時期には目に付いた彼ら『軍神』も、一人減り二人減り、やがてすっかり目に付くことがなくなりました。あえてその末路を口にする人はいなかったでしょうが、多くの人は闇に葬られていった彼らの顛末を薄々想像していたのではないかと思います。彼ら『軍神』は、戦後の転換期、新しい時代を創るためにある種のスケープゴートにされたのでしょうか。人々が彼らに対して漠然と感じていた負い目は、日常生活の中から『戦争の亡霊』が消えつつあった時期に新たな亡霊を生み出したのかも知れません。

 なおかしまさんを軍神と結び付ける考え方については、前述の現代奇談さんのコンテンツ「かしま包囲網」から着想を得ています。着想を得ていると言うか、私個人としてはかなり腑に落ちる推理であったためこの仮説に賛同し話を進めてきたものです。一般には「鹿島大明神」の名で広く知られている茨城県・鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチは、武道や戦勝をつかさどる軍神であり、敵対した国津系の軍神、諏訪神社の祭神でもあるタケミナカタの両腕をもいでいます。ただし、本稿ではかしまさんの起源を戦後に求めていますが、戦中の段階ですでに原かしまさんというか、かしま的なる物の萌芽も見られるようです。

 しかし、兵士型かしまさんとカシマレイコは、似てはいるものの別の個性をもった存在であるともいえます。兵士型のかしまさんが順次カシマレイコに移行して言ったことを裏付けるデータは未確認なので、ここから先は状況証拠をもとにした話になります。さらに時を経るにつれ、今度は戦争を知らず、従って零落した軍神の呪縛からも解放された人たちが増えるにつれ、手足を失った傷痍軍人の話が、旧世代の人たちに皮膚感覚的に訴えかけていた恐怖が薄れていきます。そこで四肢の欠損と言うショッキングなモチーフをひきつぎ、それでいて現実的かつ重要な意味を持ちうる新たな話が台頭してきます。それが女性型かしまさん・カシマレイコだったのではないでしょうか。今回このコラムを書くに当たって現代奇談さんの「かしま議事録」を拝読していた中で、興味を引かれたのが「かしまさんとジェンダー論」の項です。美脚などという言い方もありますが、女性の脚は体の中でも強いセックスアピールをする箇所であり、男女問わず少なからず関心を集める箇所です。脚に対して特に強い執着を持つ人もあるでしょう。カシマレイコの話の中には、悲惨な事故や事件などで脚を失った女性に起源を求めることがあります。場合によっては自分の脚にプライドを持っていた女性が、脚をなくして死亡したあとも妄執を抱いて亡霊となることにも一定のリアリティを持たせことが出来そうですし、脚を失うことに重要で悲劇的な意味をもたせることも出来ます。ただし、ここでカシマレイコの話にはごく稀に腕を失う例も存在することも付記しておきます。

◆脚への執着
 ところで、カシマレイコ(およびかしまさん)がこれほどまでに執着を抱く脚とは、旧来の妖怪たちにとってどのような意味があったものなのでしょうか。今回妙に水木しげる氏に縁のある内容となっていますが、同氏の著書「妖怪画談」と「続・妖怪画談」(いずれも岩波書店刊)、その他いくらか妖怪辞典的な性格を持つ本を数冊つらつらと紐解いていっても、脚を奪うものはおろか、単純に脚にゆかりのある妖怪の記述さえ見つかりませんでした。わずかに脚への関心をにおわせる内容は『手足の神』という項だけでした。実態は今ひとつ見えてこないのですが、これはどうやら一種の手足信仰のような物らしく、香川県の高松市や山形県若美町に手足をかたどったものを納める社か、あるいは祠か、とにかく一種の聖域のような場所があるそうです。手足が累々と積み重ねられたようないかにもの異界と言うわけではなさそうですが。また、怪異・妖怪データベースにアクセスし、脚にまつわる話を検索してみても、これはというものは見つかりませんでした。何件かひっかかった内容は主に、隻眼一本足の妖怪「一本だたら」に関するものでした。これは妖怪とは言っても鍛冶職人の職能神に近い存在で、隻眼と一本足は、片目を瞑って仕事をしているうちに熱で一方の目だけをやられたり、ふいごを踏んでいて片方の足を駄目にしたりする鍛冶職人の職業病を象徴する物だという解釈が一般的です。後は手長・足長と言った妖怪もいますが、これは異民族蔑視に起源を求められそうな妖怪です。いずれにせよ、調べた範囲内ではカシマレイコのように脚を奪うという過激な伝承をもつ妖怪は見つけられませんでした。というより、古い妖怪にはおとなしい連中が多く、稀に人間の体を著しく破壊するものがいても、死体を喰らったりするパターンだったりしました。そもそも、彼ら妖怪が何らかの形で人間を襲うことがあったとしても、それは人間の側が妖怪の領域に踏み込んでしまった場合が主であるように思います。これは古い妖怪談が人間の思い上がりに対する戒め的な内容を持っていたためでしょうか。翻ってカシマレイコですが、トイレに現れるものはともかく、話を聞いた人のところに現れると言うパターンが目立つのが一つの特徴です。はっきり言ってこのパターンでは、被害者がカシマレイコに付け狙われるいわれはなく、故なくして襲われるというのが正しいところでしょう。最近の妖怪は凶暴化しているようですね。もしかすると古株の妖怪たちは、最近の妖怪の無差別に人を襲う凶暴化・凶悪化に首をひねり、若者達に心の闇とやらを見ているのかもしれません。与太はさておき、これは今と昔で妖怪談の性格が変わってきているためではないかと思います。かつては自然や日常の中に存在する不可思議な事象に妖怪を見、それに副産物的に畏怖と畏敬の念を抱いていたのが、最近の話は最初から人を恐がらせることを主たる目的として発生しているため、その主人公たる現代の妖怪たちは人に恐怖を与えるための攻撃性に特化しているのではないかと思います。

 さて話が横道にそれましたが、、私は何故カシマレイコが事ほど左様にそれまで特に注目されることのなかった脚に執着するのに興味を感じてしまいます。もちろん他にも色々な謎はあるのですけどね。以下次回。