チェーンメールの怪しい世界


 100人の地球村
2002.12.28


 今年もまた、年末年始の『おめでとうメール』に制限がかけられるようです。一時的にとは言え大量のメールが集中することで、本来想定していた以上の処理を行わなければならなくなり、その状態が続くことでメールのやり取りが如何ともし難い状態になるためなのですが、意図的にこれと同じ状態を発生させようとするメールがあります。チェーンメールです。

 一般にチェーンメールとは不特定多数に対する送信・転送を繰り返し、ネット上に拡散していくメールの事を言います。全部が全部トラフィックの増大を目的として仕組まれたものではありませんが、中にはやはり、悪意あるメールも含まれているようです。このタイプのメールは、多くの場合は同じ内容のメールを別の誰かに転送するように仕向ける一文が含まれています。

 こんなチェーンメールですから、ネチケットの上ではかなり重大な禁止事項になっているようです。これが今だけの暫定ルールなのか、それとも強力な不文律として確立されていくのかはまだなんとも言えません。ネットとのかかわりが強い人と、そうでもない人の間に、チェーンメールに対するかなり大きな認識の隔たりがあるため、もしかするとしばらくの間綱引きのような状態が続くのかもしれませんが、少なくとも現段階では、チェーンメール化した経緯がどんなものであるにしろ、その行為に参加すること自体は糾弾の対象になるようです。

 もともとネット上のものなのですから、ネット上で色々な議論がなされるのは当然といえば当然なのですが、比較的最近、そんなチェーンメールの一例がネット以外で大きな話題を読んだことがありました。それが今回のお題、『100人の地球村』です。私の初見は朝日新聞の天声人語でしたが、テレビでも放送されて大きな反響を呼び、本まで出版されたあのメールです。

 なお、あらかじめ断っておきますが、今回は私のぼやきのような内容になってしまいました。

 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・
 57人のアジア人
 21人のヨーロッパ人
 14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます

 52人が女性です
 48人が男性です 

 70人が有色人種で
 30人が白人

 70人がキリスト教以外の人で
 30人がキリスト教

 89人が異性愛者で
 11人が同性愛者

 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

 80人は標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めません

 50人は栄養失調に苦しみ
 1人が瀕死の状態にあり
 1人はいま、生まれようとしています

 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
 そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

 もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。


 また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

 もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

 もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

 もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。

 もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

 もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

 もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

 もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。


 昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
 お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
 かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
 誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
 誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
 あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

 このメッセージを人に伝えてください
 そしてその人の一日を照らしてください

 上の文章はかなり広く出回ったと思われるこのメールのうちの、1バージョンです。多分上とは微妙に異なる物を見た方もおられるでしょう。文中に線を入れてありますが、この線で区切られた部分は、それぞれ別の作者によって書かれたものだと考えられています。どういう意図でそれを行ったのかは分かりませんが、メールを受信した誰かが自分で文章を書き加えて、次の誰かに送信したわけです。チェーンメールにおいてこの現象自体は、さほど珍しいことではありません。『噂に尾ひれがつく』を意図的に行ったものでしょう。有名なチェーンメールの中では、ダルマメールにも見られる現象です。

 私が最初に確認したのは、『また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。』ではじまる第2パートまでのものでした。正直に言って、初見の感想は『なんて薄気味の悪いメールだろう』でした。ちなみに、当初は別々の作者によって書かれたという意識はなく読んでいました。そのとき、冒頭部分はともかく第2パートの部分にかなり胡散臭いものを感じたものでした。こんなサイトを運営している関係で、『チェーンメール=害悪』という先入観を持っていたせいもあるのでしょうが、それにしてもこの箇所にはどうしても、持てる者の持たざる者に対する驕りがちらついてしまうのです。

 経済的に恵まれた国が、困窮の極みにある国に対して援助を行うということ自体は必要なことで、これが円滑に行われるようになるのは理想的なことだと思います。しかし、これは口で言うほど簡単なことではありません。例えば発展途上国に古着を送るという話は良く聞きますが、時に「どんなものでも送れば良いや」と思うのか、とりあえず着る事ができる程度の(極論すればゴミ同然の)古着を送る人がいるようです。『この国ではとても着られないようなぼろでも、物資の乏しい国ならばありがたがって着てもらえる』という発想なのかもしれませんが、相手側の国にしてみれば、気持ちには感謝しつつも、やはりボロボロの服など着たくないのです。もしも、贈った側が『いいことをした』などと思っているとしたらとてもやり切れません。送った側に悪意がなかったとしても、私にはこういう発想が傲慢に思えてしまいます。まさしく、小さな親切大きなお世話の世界でしょう。ボランティアだとか助け合いとかはよく言われますが、これには助ける側と助けられる側の相互理解が必要不可欠なのです。

 ここでメールの話に戻りますが、たかだか数行の文章でこんなデリケートな問題に触れられても、書き手の意図するところは良く見えてきません。それどころか相手の顔が見えないせいで、かえって不気味なだけです。『このメッセージを読』んでいる私が恵まれている、というのなら確かにそうかもしれません。だからと言ってそれがどうだというのでしょう。そのことから何を感じろというのでしょうか。『あなたは恵まれているのだから、些細なつまづきにくよくよするな』ということなのか、『恵まれているあなたは不幸な境遇にいる誰かのために働かなければならない』と言おうとしているのでしょうか。仮にそうだったとしても、それがたかだか数行のメールで誤謬も無く伝えられるような、薄っぺらなメッセージではないことは前述の通りです。まして書き手自身が優越感に浸り、内輪だけでこの幸せを享受しようと呼びかけているのなら論外ですが。いずれにせよ、うわべだけのこのメッセージでは、書き手の真意が見えてこないのは確かだと思います。

 善意に解釈できないのは悲しいことなのかもしれません。作者の本当の意図もわからないのに少しばかりきついことを書きもしましたが、私がそう感じたのは、チェーンメールという媒体によって広まった話である事が強く影響しています。論理的に内容を検討してたどり着いた結論ではないことにはかなり問題があると思います。ただ、このメールに関する研究・考察はウェブサイトを始めとして色々と行われていて、私の身勝手な感想よりもずっと理知的な内容分析を行っていますが、それによるとこのメールは決して手放しで誉められるような内容ではありません。

 私のように穿った見方をせずに、純粋にこのメールに感動した人が、「これは良い話だから」と言って広まっっていったというのなら仕方がないのかもしれません。しかしそうやってメールを受け取った中の誰かが、ご丁寧に『このメッセージを人に伝えてください そしてその人の一日を照らしてください』などという一文を付け加えたために、どうしても他の愉快犯的なチェーンメールと同様な、俗で胡散臭いメールに見えてしまいます。少し迂闊な善意の第三者がこのメッセージを付け加えたのなら救いはありますが、悪意ある何者かがチェーンメールの自己増殖のためにこの文章を利用したのかも分かりません。事実、このメールの3つのパートは、一見高邁な精神によって語られているようでいて、それぞれ思想は統一が取れていません。第2パート第3パートと進むに連れて、だんだん思想の押し付け傾向が強まり、読む者の精神世界に深く介入してくるような内容になっているのが不気味です。特に第3パートなどは、ある種の状況で語られたとしたら、完全にカルト宗教でしょう。

 繰り返しになりますが、作者の本当の意図までは、私には分かりません。純粋に善意からこのメールを作成し、不幸にして、言葉の力に限界があったため真意が伝わっていないのかもしれません。あるいはやはり偽善的なだけの、ありふれたチェーンメールなのかもしれません。しかし、最大の問題は、これだけ素性の怪しいチェーンメールを、マスコミが『ちょっといい話』として大々的に公表し、本まで出版し、決して少なくない人が盲従的にそういう風潮に乗ってしまったことだと思います。純粋にこのメールに感動した方もおられるでしょうし、今回の私に近い感じ方をした方もおられるでしょう。しかし、人の感じ方はそれぞれであるはずだろうに、そういう議論がほとんど見られなかったことに、なにやら薄ら寒いものを感じました。

 ただ、私もこのメールを最初から胡散臭いメールと決めてかかったため、今回の話のような論旨になったというのは事実です。手放しでいい話だと報道したメディアと、発想こそ逆ですが、結局やっていることは同じです。思い込みが先行し、最近まであまり客観的にこのメールの内容を検証しなかったのは問題だったと思います。今回はメールの内容が巷間で言われているほどすばらしいばかりの内容ではなかったので、結果オーライと言えなくもないですが、これは反省すべき点です。

 近年、メディアリテラシーという言葉を耳にするようになりました。なかなか日本語では表現しにくい概念ですが、要するに情報の有効活用のことです。当然、膨大な情報の中から自分で判断し適切な情報を選別することも含まれます。このコンテンツは都市伝説がらみの話題を取り扱うものなので、話を都市伝説にひきつけましょう。都市伝説の中には、実際にあったことだというふれこみで語られるものが少なくありません。その多くは単に話として面白いだけのもので、深く考えずに信じ込んでしまっても実害のないものだとは思います。しかし、時にそういう話に対して、疑いのまなざしを持ってみるのも、決して無駄にはならないと思います。ましてその話の内容が単なる都市伝説ではない、もっと重大なものであるのなら、なおさらです。

 つらつらと書いてきましたが、今回のコラムは私の暴論だったかもしれません。それでも最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。