愛の重さにフェンスも曲がる


 恋する南京錠
2005.01.30

 
 もうずいぶんと前の話になりますが、『幸福のEメール』(白水社)の中で、愛知県知多郡美浜町の野間灯台にあるという縁結びの南京錠に関する話が載っているのを見かけました。要するに、カップルがこの灯台までやってきて、近くにあるフェンスに南京錠をかけていくという他愛のないおまじないスポットの話です。『幸福のEメール』では、下のように紹介されています。

 フェンスに錠前をかけて愛の永続を願う場所は、知多半島にもある。愛知県美浜町の野間灯台で、『週刊新潮』(一九九七年十月ニ日号)に写真入りで紹介されている。それによれば、九六年の秋ごろからカップルがたくさん来るようになり、南京錠に愛の言葉を書いて取り付けていくという。記事には「『ずーっと私のコト愛していてネ、裕子』なんてこと書いてあんだよ。恥ずかしげもなく。そんな南京錠が今年になってどんどん増えてる。町が広報誌で宣伝したからなおさら。重みでフェンスが傾き始めたよ」とある。店の前には「錠あります」と書いた看板もでていて、ちょっとした経済効果もあるようだ。

 「裕子」さんはたまたま新潮の記者に見つかったために、10年近く経ってもなお、ネタにされ続けています。

 同じような話を聴いた事があるという人は多いと思います。首都圏の人には湘南平が、阪神地方の人には神戸市諏訪山公園のヴィーナスブリッジが馴染み深いでしょう。そもそも上述の内容も、湘南平のうわさを受けて出てきたものです。湘南平や諏訪山公園以外にも、南京錠を小道具として使う縁結びスポットは全国に何ヶ所かあるようで、把握している限りでは新潟や福井にも似たようなものがあるのだとか。拉致被害者の蓮池夫妻がこういう南京錠スポットの一つに出かけて云々としているサイトもあり、そう言えばそんなこともあったかなあと思い出されます。しかし特に印象深いのは神戸の話で、この南京錠があまりに景観を損なうため、市が4000個の南京錠を撤去した後、錠前をかけるための専用モニュメントを用意したというのです。あまりお膳立てしすぎると政教分離の原則に抵触しそうな気がしますが、その後このモニュメントが有効利用されているのかどうかは、興味をひかれるところです。多分見てくれは立派になったのでしょうが、別に霊験も何も持ち合わせていなさそうな神戸市が設置主体となると、言い方は悪いですが、「たか」が知れてしまってありがたみがなくなるような気がします。このモニュメントも、もう何十年か設置しておけば古狸じみた「らしさ」が備わってくるものなのでしょうか。

 この若者習俗と言うか、一種の都市伝説は、どうやら90年代前半頃には存在していたようで、特にここ10年ほどの間にブームになったもののようです。最初にこの錠前習俗の事を知った段階でいろいろと調べておけば、もう少しはっきりしたことも書けたのかもしれません。今になっていろいろと調べてみる限りでは、それほど歴史の古いものではなさそうな感触です。少なくとも旬が過ぎてしまったのは確実という感のある話題なのですが、このたびうわさの南京錠フェンスの現物を見る機会に恵まれましたので、ネタにしてみました。

 左写真がうわさの、フェンスにかけられた南京錠の写真です。この尺だとゴミみたいなものがまとわりついているようにしか見えませんが、クリックすればポップアップで拡大写真が出るようにしてあります。南京錠の大きさが判別できる程度にまで写真を拡大すると、あまりにも大きくなりすぎるための措置です。ご了承ください。

 最盛期には3000個の錠前がぶら下げられていてフェンスが変形するほどだったということですが、現在は多少落ち着きを取り戻したのか、私の訪問時には目測数百個ほどの錠前がフェンスにかけられていました。ヴィトンのアクセサリーでパドロックなんてのもあるようですが、それにしても南京錠とは何となく恐ろしげに見えてしまいます。これを最初にはじめたのは男性ではなく女性なのではないでしょうか。錠前の書き文字も、女性の手によると思われるものばかりです。ただ、奇観を期待していたのですが、全体的な印象としては意外に普通の場所でした。

 公式ルール(?)の上では一応南京錠をかけるスポットということになっているはずなのですが、実際には原付や自転車にかけるためのチェーンタイプの錠などで愛を誓いに来る剛の者もいるようです。

▲使用法の判らない「恋の鍵塚」。 ▲錠前には何やら書き込まれています。 ▲明らかに南京錠でないものも。

 景観を損なうものとして露骨に邪魔者扱いしていた神戸市の場合とは違い、野間灯台のある美浜町は、南京錠フェンスを新名所として売り出そうとしていたのでしょう。おそらく神戸市に先んじて、「恋の鍵塚」なるものが設置されていました。ただし、使い方に関する説明はありません。一瞬、「恋が成就したら錠前を外してここに奉納してくださいね」の意味なのかと思いましたが、考えてみたらここに来るのはすでにデキてるカップルなわけですから、そういうものでもなさそうです。「二人の仲が終わったらカップルの片割れが責任を持って錠前を外しに来て、思い出をここに捨てていけ」ということなのでしょうか。それとも、フェンスに錠をかける代わり、塚のあたりにぽつねんと錠前を置いておけば良いのでしょうか。設置意図はいろいろ考えられますが、大人の事情で詳しい使い方を説明できないのかもしれません。

 この風習が始まって間もない頃には、鈴なりの南京錠の重みでフェンスが倒れてしまうというハプニングもありましたが、それを考えればやはり、「フェンスに鍵をかけるな、塚に納めろ」ということなのでしょう。塚の周りにある錠前の数から察するに、人気の上では苦戦気味のようですが、新たに設置されたフェンスは、どうやら南京錠をかけられることを前提にした以前よりも頑丈な設計になっているようです。これで準備万端遺漏なし。

 ただ、この南京錠フェンスも意外と経済効果は生まなかったようです。「幸福のEメール」によると、灯台近くには南京錠を売る錠前屋まであったというのですが、どうやらここは夜のデートスポットで、昼日中からやってくるカップルが少ないため、必然的に開店時間中にやってくるお客も少なくなってしまったということ。過去形で書いているのは、私が見た限りでは灯台近辺に錠前屋はおろか、営業中の店らしきものが見当たらなかったためです。鍵屋も玉屋もありませんでした。オフシーズンだったためでしょうか。何にせよ、中天で日が煌々と照っている時間帯にここへやって来るのも何となくしまらないですし、真夜中に来れば密航者か密売人みたいで怪しいですから、伊勢湾の向こうに沈む夕陽でも見ながら錠前をかけていくのが一番スマートでしょう。

 一つ興味深いのは、南京錠を集客の道具と捉えた美浜町と、邪魔者と認識した神戸市の間で、この習俗のありように目立った差がなさそうなところです。大阪圏と名古屋圏の人口差を考慮する必要はあるでしょうが、公的な力が押さえつけようが宣伝しようが、口コミで勝手に広まっていくうわさの性質をよく現わしていると思います。

 確実そうな情報を取捨選択していくと、少なくとも野間灯台と湘南平の間では、湘南平のほうが先に南京錠スポットと化していたように見えます。問題は「そもそもなぜ湘南平でそのような伝説が生まれたのか」ということと、「なぜそれが野間灯台に飛び火してきたか」です。世の中に星の数ほどもある「デートスポット」と呼ばれるような場所の中で、なぜ南京錠伝説が生まれそして育った場所は湘南平であり、野間灯台であり、その他冒頭で紹介したようなその他の場所だったのでしょうか。一つ一つ現地を検証していったわけではないので滅多なことは言えませんが、共通点があるとすれば、この伝説のある場所の多くが景色を眺めるタイプのスポットということぐらいです。

 この美浜町内には、「恋の水神社」という、えらく縁結びにご利益のありそうな神社があります。また、入浴中に家臣の裏切りにあって斬殺された源義朝をまつった大御堂寺があります。入浴中でもちろん丸腰だった義朝は、「せめて木刀の一本でもあったならば不覚は取らなかっただろう」と言い残したといい、義朝の無念を偲んでこのお寺にはたくさんの木刀が供えられています。いくらなんでも、恋の水神社の恋愛成就と、大御堂寺の木刀を持ち寄る信仰が習合されて南京錠スポットが生まれたと言うわけでもないでしょうが、義朝廟周辺には千社札より性質の悪そうなサインペンによる落書きが目立ち、それが不思議と錠前の書き文字を思い出させます。霊廟にせよ、南京錠スポットにせよ、人間の猥雑な精神活動がその両方を飲み込んでしまっている感じです。タナトスとエロスが表裏一体に存在するという、あれでしょうか。

 ちなみにこの大御堂寺、羽柴秀吉に処断された織田信長の息子・織田信孝の最期の地でもあります。「報いを待てや 羽柴筑前」の憎悪剥き出しの壮絶な辞世で知られています。愛だの恋だの、今回はあまりに浮ついた話ばかりなので、冷や水をぶっ掛けるようなエピソードも挟んでみました。少しは雰囲気がピリッとしてきたでしょうか。このお寺の詳細についてはこちら(国道247号線レポートと共用)。

 ところで、野間大坊や灯台から一足伸ばして、フェリーで愛知県内もう一つの半島・渥美半島に渡ると、地元で縁切スポットと囁かれる「日出の石門」にたどり着きます。パートナーの愛情をごつい南京錠のように重く感じた方は、日出に出かけてそれとなく別れを切り出してみるのも手かもしれません。縁切スポットもこういう場合には便利です。もしかしたら各地に伝わる縁切伝説も、ありきたりの場所でデートするほど倦怠期だということをアピールし、遠回しに別れ話を切り出したいという需要から生まれたものなのかもしれません。同じ定番デートスポットでも、片や縁結び伝説を生み、片や縁切伝説を生む。一体どこにどんな差があってそうなるのか見当もつきませんが、このコラムはとりあえず、気になっていた場所を訪問できたことで良しとしておきます。