不思議な街の不思議な話


 つくば
2003.03.09 

 
 最近ワケあって平将門と茨城県がらみの情報を調べることがありました。平将門というと、自然とオカルトめいたエピソードも多くなるわけで、そっち系のソースもあちこちで見かけましたが、その時に見つけたのがつくば市の都市伝説ならびに怪談です。本当に出るわ出るわの状態でした。結構数が多いため、かえって他の話の中に埋没してしまいそうですが、ちょっと興味を惹かれる話もありましたし、せっかくだからここで少し丁寧に拾い上げていこうと思います。ちなみに、ほとんどの話は10年以上前のものとネタ元が古いため、必ずしも現状を反映した話ではないかもしれません。

 まず
猿壁十字路。市内にある一見何の変哲もない十字路のようですが、ここではなぜか交通事故が多発するのだそうです。そして、それについては怪談めいた噂があります。何でもこの十字路には夜になると白い服を着た女の幽霊が現れて、車の通行を邪魔するのだそうです。この話そのものは全国どこにでもありそうな怪談話のようですし、特につくばの地域性が出た話ではなさそうです。一般論になりますが、日本各地には見た感じには分かりにくいけれど、よくよく調査してみると危険な要素が潜んでいる道路というのはちょくちょくあるそうです。目の錯覚が原因だったり、事情は様々ですが。

 続いては学校の怪談的要素が強い話をいくつか。主に筑波大学の構内にある宿舎にまつわる話です。最初に
平砂宿舎群について。この宿舎群、一体何号棟まで存在しているのかはよくわかりませんが、基本的には一番から順に番号が振られているにもかかわらず、二号棟がないのだそうです。これはどういうわけか二号棟を建設しようとすると色々なトラブルが相次いだために、計画が立ち消えになってしまったのだそうです。実際に二号棟が存在していれば成立する余地のない話でしょうから、二号棟は本当にないのでしょうが、そうなった真相はおそらく、全く別のところにあるような気がします。

 さらに平砂宿舎にまつわる話を。ここにはかの有名な
ランニング幽霊が出るのだそうです。生前の未練からなのか、深夜に足音を響かせながら宿舎内を走り回ったこの幽霊は、機転を利かせた学生の一人のおかげで、晴れてゴールテープを切る事が出来、それで満足し成仏できたのか姿をあらわさなくなったようです。気がつけば学校の怪談のスタンダードになった感のあるこの話ですが、筑波大学が始まりなのかもしれません。

 平砂宿舎のトリを飾るのは、
星を見る少女の話です。これは霊などが登場する話とは違って、ある意味で正当な都市伝説といえるかもしれません。平砂宿舎六号棟・四階のある部屋の窓辺で、毎夜星を見上げている少女がいるのに気付いたのは、向かいの男子棟で暮らしていた男子学生でした。彼は毎夜彼女の事を眺めるうち、彼女の事が好きになってしまいした。そしてあるとき、ついに思い切って彼女の部屋を訪ねてみたのでした。ところが、彼女は一向に姿を現しません。部屋にいることは分かっているのにいくらドアをたたいても彼女は出てきません。そこで管理人に頼んで鍵を開けてもらったところ、彼は窓辺で首を吊って死んでいる彼女の姿を見つけました。彼女は、首をくくったままの姿勢、すなわち首を後ろに曲げ、下あごを上に持ち上げられたような姿勢で死んだまま何日間も発見されなかったわけですが、男子学生はその格好を見て彼女のことを星を見るロマンチックな女の子だと思い込んでいたわけです。実際のところ、縊死はあまりきれいな死に方ではないらしく(具体的にどうきれいでないかは自粛しますが)、この男子学生はもしかするとかなり遠くから彼女の様子を見ていたのかもしれません。そうなると恋心は芽生えにくくなりそうです。また、すでに死体になっている以上昼も夜もなく窓辺にたたずんでいたはずで、かなり不自然なのですが、この話はそこに目をつぶってるようです。部屋を訪ねていき、そこから真相が発覚するまでの流れも多少無理は感じられます。ものによっては、この男子学生が後に自殺するパターンもあるようです。

 まだ宿舎系の話が続きます。
追越宿舎には開かずの間があったのだそうです。これは、かつてこの部屋で、そこに住んでいた学生の彼女が首吊り自殺をしたことに端を発しています。その事件以来、この部屋では毎夜すすり泣くような声が聞こえるようになり、寄り付く人がいない開かずの間になりました。しかし、後に改装され、何も知らない学生が暮らすようになったそうです。ちなみにこの話に限らずここで紹介している話の多くは10年前のソースに拠っております。仮にそういう部屋が実在していたとしても、今では呪いだ祟りだの話も納まって来てそうな気がします。

 続いて一の矢宿舎の二人部屋に現れるという
風化老人という亡霊(?)の話。この老人は自身の肉体も、来ている服もその名の通りボロボロに風化しており、やはりボロボロの古文書を読む姿で現れるのだそうです。つくばという街の性格上、研究者のイメージを引きずった幽霊のようですが、学術都市としての歴史はこの話が聞かれるようになった時期は相当浅かったはずで、このような、場所に執着する妙に風格たっぷりの学者風幽霊が生まれる状況は想定しにくいです。一般的に幽霊が現れるときに求められる用件と照らし合わせてみて、ですが。

 宿舎がらみの話はこれで打ち止めですが、筑波大学でささやかれている怪しい噂をもう一つ。工学系のとある棟に、他と比べてかなり高い、
赤い建物があるのだそうです。その高さのため、飛び降り自殺をする人が多く、自殺の名所化していたのだそうです。この建物の外壁はもともと小豆色で赤っぽい色ではあったのですが、完成から歳月を経ても色あせるどころかさらに赤が鮮やかさを増しているのだとか。その理由としてささやかれているのが、自殺者の血を吸いあげたためだ、というものです。また、ここで活動している人たちは、十階の窓の外を見ると自殺者の姿が見え、時にそれらの霊に誘われることがあるので窓の外は見ないようにするという暗黙の掟まであったとか。

 筑波大学内の話の最後に、目の樹の話を。この話そのものは噂とか都市伝説といった性格のものではありませんが、その不思議というか不気味な外見のために他の話と合わせて、よくある七不思議のうちの一つのような位置付けをされているようです。この目の樹は、校内のゆりの木通りというところにあります。これはその名の通り並木道なのですが、ここに立っている木の幹の多くに、枝打ちした痕が残っていて、それがまるで目玉のように見えるという話です。

 筑波大学がらみの学校の怪談は以上です。学校という施設はその性質上、組織構成員の新陳代謝がさかんな場所です。いろいろな話の言い出しっぺは数年経てばそこから姿を消し、後には責任の所在のはっきりしない話ばかりが残ると言うことは往々にしてあるでしょう。幸か不幸か、そこで生まれた話の多くはかなりの歳月を経ても、そこで生活する人にとっては共通の関心事になりやすく、意外と立ち消えにはなりにくいものです。さらにそのようにして話の伝承に関わった人々も同じく一定期間が過ぎればいなくなってしまいます。そうやって残されていった話の中には、中には相当怪しい話もあるでしょうが、もはや真偽も含めたその話の色々な情報を追うことはほとんど不可能なため、実際的な情報というよりは単なるネタとしてその後も綿々と受け継がれていくわけです。学校の怪談とは、おそらくそういうものなのでしょう。

 最後に私がもっとも強く興味を持った姉さんの壁の話です。この姉さんの壁とは、つくば市内にある公務員住宅712号の壁面のことでした。この壁には『姉さん』と読める奇妙な文字が文字が浮かび上がっていたのです。なぜ姉さんなのか、それについてはこんな話があります。この建物と道路をはさんで反対側にあったファミリーレストランから飛び出してきた子供が、道路の反対側に立っていた姉の所へ行こうとした時、車にはねられ亡くなるとう事故がありました。その後、その子供の無念の思いによるものか、大きな地震があって、そのときこの壁面に亀裂が走り、子供が最後に叫んだという、「姉さん」という言葉が浮き上がったのだそうです。

 この壁は、現在はすでに新しく塗り替えられており、姉さんの文字を見ることは出来ません。当時、色々なメディアで紹介されたため多くの見物人が集まったそうですが、その中には深夜に爆音をひびかせ、大挙して押しかけてくる暴走族もいて住環境が極度に悪化したので、「これ以上人が集まらないように」という理由で塗りつぶしたような面もあるのだそうです。この壁文字、確かに『姉』という字を読むことは出来ますが、『さん』は相当苦しいです。また、あまりじっくり見ていると『姉』も違うような気がしてくるので、第一印象が勝負かもしれません。当時の写真はこちらから探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たちより)。

 なおこの壁ですが、オカルト系の話題をちょくちょく扱う某紙が、霊能者に霊視してもらったところ、霊的な要因は感じられなかったそうです。子供の事故死の話ですが、例によってディティールはそれぞれ違っているものの(地震の話のないパターンが多そうです)、ほとんど全てこういうことがあったらしいという伝聞の形になってます。事故のあった場所も、それからおそらく時期も、かなり限定された話なのですが、この事故が現実にあったという証拠をつかんでいる人はいないようですから、そもそも事故そのものが起きていない可能性が高そうです。前出の霊能者も、そういう状況を鑑みて霊がらみの現象ではないと言ったのかもしれません。私は、霊能者と言われる人たちはある種のサイコセラピストのように思います。もちろん弱みに付け込んでとんでもない依頼料を吹っかけるようなタイプの霊能者は単なるペテン師だと思いますが。このあたりはムラサキカガミのコラムで触れた内容とも関連しており、原因不明の不幸や災難など、何がしかの悩みを抱えて霊能者のところに訪ねてくる人は、科学的な根拠云々よりも、その道の専門家の言葉にこそ救われそうな気がします。この場合、心の負担を取り払うことが至上のことですから、手段の合理性などはさほど問題ないでしょう。蛇の道は蛇と言いますか、毒を以って毒を制すと言いますか。

 それはさておき、一般につくばという街は、他の都市とは違う一種独特な街として認識されているようです。自然発生的に出来上がった都市ではなく、行政主導で今日の形になった街であり、また存在意義からして、生活の場ではなく学術研究のための場所という意味合いが強く、他の多く都市が持ち合わせていない独特の要素を持ち合わせた不思議な街のようであります。

 以前に北海道の踏切事故の話を扱ったところ、北海道の方からの反響が予想外に多くありました。そこから受けた印象では、この話は舞台こそ北海道に設定されているものの、むしろ北海道の人ほどこの話に対する関心が薄そうな印象を受けました。おそらく実際そこで暮らしている人にとっては、ちょっと現実感が薄い話であるためでしょう。詳しい統計を取ったわけではないので断定的には言えませんが、北海道と直接縁のない部外者がお気楽にする与太話、というのがこの話の正体のようです。

 つくば市ローカルではない、筑波がらみの話として思い出されるのが人面犬の話です。一説によると人面犬は筑波のとある研究所で、バイオテクノロジーによって生み出された人造生命体なのだそうです。人面犬の話に限らず、”つくばの秘密科学研究所”みたいなネタ話もちょくちょく聞く機会があります。と、書いてはみたものの、なんだかこの話も北海道の踏切事故(および耳あて)の話と同様、余所者が勝手に作り出した話のように思えます。

 ところがです。つくば市は研究学術都市の宿命か、総人口に占める学生や研究者といった人たちの割合がかなり高いのだそうです。平成15年の段階で、筑波大学の学生・教員数は、つくば市の人口の約10%を占めているようです。この割合は何らかの形で筑波大学に籍をおく人に限った場合の数字で、その類縁者となればさらに数は多くなるわけです。我が家から程近い愛知県豊田市は、その名の通りトヨタ自動車の企業城下町で、40万近い人口の80%が何らかの形でトヨタ自動車とつながっているといわれています。つくばの場合も、それほど極端な比率ではないにしても、現実にかなりの人口が研究学術の分野とつながりを持っていそうです。

 さて、問題はつくば市内においては決して少数派ではないであろうこれらの人たちです。つくば市内でも、新しく発達した都心部と、古くからある農村部は、生活文化の面で結構隔絶しているらしいのですが、学問研究の分野に携わる人たちは都市部に密集して生活していると思われます。新しく発展した地区というのは、どうしても余所者同士の寄り合い所帯のようになりやすいものです。となるともしかすると、現つくば市民の中にも、自分が暮らしているつくばという街を、身近な異郷を眺めるような感覚で見ている人も少なくないのかもしれません。さらに学生や研究者という人種は、基本的には永続的な定住人口ではありません。毎年のように誰かが去り、代わりに誰かが入ってくるという活発な新陳代謝によって頭数こそ大きく変化はしないでしょうが、5年もすればその顔ぶれはかなりの部分が変わっていそうです。先に説明した学校の怪談の場合と同じような原理で、怪しい話が数々生み出されていくのかもしれません。もともと学校のためにある街、みたいな部分もあるわけですし。

 とは言うものの、今回主に紹介した話は、いずれもつくば市内ローカルである必然性のないものばかりです。切断面が冷凍されたり、耳が凍りついて落ちたりという話は、極論すれば北海道の話でなければなりませんが、今回取り上げた話は日本国内どこにでもありそうな、きわめてありふれた話です。せっかく他の凡百の街にはないユニークな性格を持って新しく生まれた街なのですから、人面犬の話のようなハイテクの要素をちりばめた話が多くてもよさそうなのに、と思ってしまいます。つくばの科学技術系都市伝説と言うと、あとは有事の際に出動するという巨大ロボットの話ぐらいしかなさそうです。もちろん、研究施設にまつわる微細な噂は他にも多くありますし、ロボットの話もこれはこれで強烈なインパクトがあるのですけどね。

 何だかんだ言っても、そこで暮らしている人たちは突飛な話よりも先にごくスタンダードな噂を好むのかもしれません。姉さんの壁の話などは、昔話などでよくありそうな、”不思議な自然物の成立にまつわる悲劇的なエピソード”のパターンが適用できそうですし(きっかけとなった事件が同時代的なものなので、悲劇談と言うよりむしろ怪談めいていますが)、目の樹も、その他の怪談話も、はっきり言って普通の話です。つくば市が市に移行したのは1987年、都市としての体裁を整え、多くの人が集まってきた時期もそれとは大差がないようです。当時、もともとそこで暮らしていた人たちの文化は、後から大量に流入してきた人たちによって希釈されてしまったでしょう。つくばに移り住んできた人たちは、ある意味で自分達の文化を0から作り上げる作業を行ってきたのかもしれませんが、その途中で生み出された伝説やら民話やらの内容が、20世紀の最後の何年かという時期にあっても、ずっと昔に成立していたものと大差ないというのが、非常に興味深いところであります。

 つくば市に怪しい話が多い理由の一つとしてよく言われることの中に、この街がきわめて人工的で血の通っていない不自然な街であるため、なんとなく暮らしづらく、そのひずみが奇怪な噂という形で表面化している、というものがあります。実際そこに暮らしている人の中には、生活するために基本的なものはひと通りそろってはいるが、今ひとつ居心地がよくないという感想を持つ人も存在するようです。筑波大学の学生だった私の知人も同じような感想を語っていましたし、大学生のなかには休日ともなれば市内ではなく東京の方まで遊びに行く人も結構多いということでした。こう言った話が、つくば市の”不自然さ”を強調する材料に使われることも間々あるようですが、私はどうもこの”つくば市=不自然な人工物”という図式がステレオタイプに思えて、結構懐疑的です。どうやらつくば市になんとなくなじめないと言う発言をする人の多くは外部から入ってきた人のようですし、新しく住み着いた街になじめないのもある意味では当然のような気がします。そしてなじむ頃には街を出て行ってしまうという図式でしょうか。東京はひどいところだ、というのが東京で暮らす人の共通認識のように言われがちですが、これも東京で数代にわたって暮らし、自分自身がそこで生まれ育った人の感想ではなくて、進学や就職で東京に出てきた人に多い感想らしいです。以前にとあるテレビ番組で見たのですが、東京在住者と言ってもかなりの数は一代の地方出身者で、彼らが東京の住環境の劣悪さに不満を漏らしているのを見て、長年そこで暮らしてきた生粋の江戸っ子は、後から入り込んできた人間が好き勝手に文句を言っている、という印象をもつようです。自分が生まれ育ってきた土地を悪し様に言われるのは、やはり愉快なものではないでしょうから、これが普通の反応というものでしょう。このへんは、外部からの人間が多く集まる共同体にはつきものの現象のようですね。部外者の割合が多いために辛い評価を与えられがちなつくば市ですが、その真価がはっきりするのはまだしばらく先なのではないでしょうか。