かしまさんも田中君も美奈子さんも・・・ 


 夢物語
2002.12.28


 今回も、メールの話に引き続き微妙に時事ネタです。初夢にちなんで夢のおはなし。

ある人が、帰宅の途中に斧をもった男に追い掛け回され、殺されるという夢を見た。数日後、そのときの夢と同じような状況で怪しい男と出会った。このままでは殺されると思い、母親に電話を入れて迎えに来てもらった。すると、その男が「夢と違うことをするんじゃねぇ」と言った。


夢の中にカシマレイコと言う女性が現れる。そして「足が要るか?」と聞いてくる。このとき、「要らない」と答えると、足をとられてしまう。「要る」と答えた場合「カシマさんの”カ”は仮面の”仮”、”シ”は死人の”死”、”マ”は悪魔の”魔”」と言う呪文を唱えれば助かる。この話を聞いた場合、3日以内にカシマレイコが夢に現れると言う。


田中君は仲間たちと一緒にツーリングに出かけたが行方不明になってしまった。
だがあるとき、田中君が友人達の夢の中に現れるようになった。夢の内容はというと、後ろから肩をたたかれるので振り返ってみると、体半分がぐちゃぐちゃになった田中君が立っているというものだった。この夢を見た人は数日のうちに死んでしまったが、このことを知っていた人は肩をたたかれても振り向かず、そのせいか死ぬことはなかったという。


不思議な夢の話がある。
眠りに落ち、気がつくとそこに老婆がいるというのだ。ただ、その状況というのがただ事ではない。その老婆は夢を見た人を追いかけている。追いかけられている人は、その老婆に捕まったら殺されてしまうので、必死で逃げるのだ。
老婆から逃げていく途中、最初の角は右に曲がらなければならない。
その次の角もまた右に曲がらなければならない。
そうしなければ老婆に追い詰められて捕まってしまうからだ。
さらにしばらく行くと、赤の扉と緑の扉がある。ここでは赤の扉を選ばなければならない。

(中略)

さて、この夢の話を聞いた人はそれから数日以内にこの話と同じ夢を見る。もちろん、その夢の中では今の話と同じように行動しなければならない。もし、道を間違えた時、その時が老婆に捕まり殺される時である。
これは夢の中だけの話ではない。夢の中でこの老婆に殺された人は、決して再び目覚めることはない。

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 初夢にちなんだ話、などといいながら揃いも揃って不吉な話です。1番目の話はまだ、恐いながらもちょっと不思議な話という程度ですが、2番目のカシマレイ以降、常識の範疇をはるかに超えた怪談が続いてます。

 なおカシマレイコですが、『かしまさん』と呼ばれることもあります。その場合には傷痍兵の姿をしていることもあります。ただ呼び名や外見は違えど、足を持っていこうとする場合が多いです。また、同じように夢に出てくる、足取り美奈子(美奈子さん)と呼ばれる謎の女性もいます。必ずしも夢の話とは言えませんが、夜寝ていると童謡でおなじみの『サッちゃん』がやって来て足を引っ張る話というのもありますね。足を引っ張られたからどうだという面もありますが、チェーンメール化したサッちゃんの話は、完全に足取り幽霊の話だったので、もしかしたらその影響かもしれません。

 さて、上の4編+美奈子さんの話にはある共通点があります。もちろん、いずれも悪夢の話なのですが、どれも夢の中での出来事が現実を侵蝕する話になっています。しかし、夢にまつわる不思議な話は、こうする以外に話のもって行き所がないのかもしれません。どんな荒唐無稽な話でも、夢の中のことだったら何の不思議もないのですから。色々な創作作品の中に、『夢オチ』という確立されたスタイルが存在し、それでいて安易な決着方法として批判されるのもこのせいでしょう。古今東西の夢の話のほとんどは、ストーリーの表面的な部分の飾りを全て削ぎ落とせば、『不思議な夢を見て、現実に不思議な体験をする』という話でしょう。たまたま私が知っている古い夢の話にこんなものがあります。ただ、多分これよりももっと古い話は、いくらでも存在するでしょう。

 八世紀の初頭・奈良時代に、吉備真備という人物がいました。彼は、遣唐使として中国に渡り、その後日本に色々な学問や技術を持ち帰りました。その中には今話題の陰陽道の基礎となる知識も含まれており、ある意味では陰陽道の祖とも呼ばれています。後の安倍晴明などとは違い、正史では陰陽寮(陰陽道を管轄する役所のようなものだと思ってください)に属していただとか、陰陽師を思わせる記録は残されていませんが、真備に関して数々残されたエピソードが、彼が普通の政治家ではないことを暗示しているようでもあります。彼が歴史の表舞台で、ある種神秘的な人生を歩み始めるスタートの段階で、夢にまつわる不思議な話が残っています。『宇治拾遺物語』のなかのエピソードなのだそうです。

 吉備真備が遣唐使として中国に渡ったことは前述の通りですが、この国の代表者である遣唐使になれるのは、言ってみればエリート中のエリートでした。遣唐使への登用はそれ相応の業績や知識と教養が必要とされるもので、昨今の特命全権大使なんかよりもさらに狭き門だったわけです。従って、誰しもが簡単になれるものではありませんでした。しかも、これは努力だけではどうにもならないような面がありました。親が高級官僚でもなければ、学問知識の研鑚をすることもままならず、遣唐使になりたくても、そのスタートラインに立つことすら許されない人がほとんどだったわけです。

 しかし、真備の親は、地方のさして位の高くない役人だったそうです。言ってみれば彼も出世競争のスタートラインに立つことすら厳しい状況だったのですが、その彼が後に遣唐使になれたのにはある理由がありました。ここでいよいよ夢の話です。科学が進歩した現在でも、一種の神秘性を持っている『夢』の領域ですから、当時は非常に重要な意味を持つものでした。そのため、夢占いなどというものがありました。これは占い師に自分が見た夢の内容を話し、その内容によって未来を占って貰うというものです。真備はあるとき、この夢占いをやっている占い師のところに行ったのですが、そこにたまたま国司の息子が客としてやって着ていました。国司というのは今風に言えば、政府に任命されて各都道府県にやって来た知事のような者だと思ってください。今の知事は中央で任命されるなどという事はありませんし、国司はもっと大きな権力を握っていたのですが。

 その前の客の様子をうかがっていると、なにやらすばらしい夢を見たようです。占い師がしきりに感嘆の声をあげ、あなたの前途は輝いているというような内容の事を言っていました。やがて、国司の息子は得意満面で表に出てきて、そのまま去っていきました。それと入れ替わるように真備は店の中に入り、前の客の夢の内容を聞きだそうとしました。しかし、占い師はなかなかその内容を語ろうとはしませんでした。それはある意味では当然だったのです。その夢の内容を人に話せば、最前の国司の息子は、約束された輝かしい未来への道を外れてしまうのですから。しかし、真備は粘りに粘ってどうにか占い師を口説き落とし、その夢の内容を買い入れ、そして異例の大出世コースを歩み始めたというわけです。もっとも、後年は没落の憂き目に会ったのですが。

 国司の息子というのは、出世競争においてはかなり恵まれたポジションだったのでしょう。遣唐使の大役を果たし、出世コースに乗るというのが彼本来の運命だったとするならば、もしかしたら彼は問題の吉夢を見るべくして見たのかもしれません。ある意味では予知夢と解釈も出来ます。が、その予知夢を、立身出世への道険しと思われた真備が買い入れただけで、後の栄達の人生を歩んだわけです。

 おおよそこんな感じでしょうか。もしかしたら、吉夢を見やすい人、見にくい人がいて、それは現実世界での境遇によって既定されているのかもしれません。現在の感覚で言えば、夢というのは覚醒時の出来事などに影響されるのですから。しかし、その吉夢を見やすい恵まれた境遇の人が見た夢を、横から掻っ攫えば、恵まれた人の地位までも横取りできる、というのが吉備真備当時の感覚なのです。そう考えると、むしろ夢に現実がついてくるぐらいの勢いです。

 見た目の状況と程度はぜんぜん違いますが、奈良時代のこの頃から現在にいたるまで、夢というのは時に現実に影響を及ぼすものと考えられているのです。科学的な根拠はともかく、少なくとも俗信的なレベルでは。そういえば、今もっともらしく語られている夢診断というのも、実際のところはまだ試行錯誤状態で分からないことが多く、それほど正確とは言えないそうです。ある意味では現代の夢占いなのかもしれません。そう考えると、夢の話というのは、共通するモチーフが云々という以前に、本当にほとんど目立った変化もないままここまで来てしまっている感はあります。都市伝説での夢の話は、伝統的な民話などに瑞兆の夢が多いのに対し、圧倒的に悪夢が多いという特徴はありますが。

 都市伝説に限らず、夢にまつわる民話というものは、これからどのように変化していくのでしょうか。そもそも変化の余地はあるのでしょうか。人間の想像力は、以前に聞いたことがある似たような話に新しい要素を加えて少しづつ変化させていくことは得意でも、見たことも聞いたこともないものを考え出すという、完全な無から有を生み出す作業は不得手なのだそうです。もはやネタは出尽くした感がある夢が現実に影響する種の話ですが、いつか誰かが、聞いたこともないような夢の話を考え出し、夢物語に劇的な変化をもたらす日が来るのでしょうか。