その昔、花園天皇の治世だったというから今から700年程前の話である。信濃駒ケ岳のふもとにある光善寺で、どこからともなくやってきた一匹の雌の山犬が五匹の子犬を産んだ。寺の和尚も、この山犬の親子の暮らしぶりを見守っていたのだが、子供たちが母犬と区別できないほどに育った頃、母親と四匹の子供は山へと帰っていった。しかしどうしたことなのか、五匹の中でもひときわたくましく利発だった子犬だけが寺に残っていた。何かと親子に目をかけていた和尚は、少し不思議に思ったものの、この一匹が寺に残ったことをたいそう喜び、これを「しっぺい太郎」と名づけて慈しみ育てた。

 同じ頃、遠州の見附宿あたりのこと。村人に人身御供を要求し、これに従わなければ近隣の田畑を荒らして凶作をもたらす神がいた。秋祭りの頃になると、毎年のように村の家の戸口に白羽の矢を立てるのである。矢を立てられた家は娘をこの悪神に差し出さなければならなかった。村人たちは、背に腹はかえられぬと仕方なくこの悪神の要求に従ってはいたが、やはり娘を贄に差し出さなければならなくなった家の者の悲しみは言い様も無いほどだった。
 ある年のこと、この悲劇を見かねた見附天神社の社僧・一実坊弁存は、何か手立ては無いものかと物陰から人身御供の様子を伺っていた。果たして、正体不明の怪物が、白木の箱に入れられた娘を求めて弁存の前に姿を現した。いや、見えたのは怪しげな影だけだったと言った方が正確かも知れない。しかし、その怪物は奇妙な歌を歌っていた。
「今宵今晩この事は 信州信濃の光前寺 しっぺい太郎に知らせるな」
 その直後、人身御供の娘の悲痛な叫び。
 弁存は、怪物の恐れる信濃光前寺のしっぺい太郎を探すため旅に出た。

 旅を続けた弁存は、ついに光善寺のしっぺい太郎の噂を耳にする。が、彼が探し続けた勇士・しっぺい太郎は、あろうことか犬なのだという。これには弁存も落胆したが、太郎を知る人はみな口々に太郎を誉めた。弁存もついに、「せっかく長い道のりをやってきたのだから」と太郎の顔だけでも見ていこうという気分になった。そして、太郎と対面を果たした弁存は、その聡明さと精悍さに感じ入り「これならばあるいは…」と認識を改め、光前寺の和尚にいきさつを話した。和尚も弁存の話に不思議な縁を感じ、怪物退治のために太郎を貸し出してくれた。

 そして、その年の秋祭り。弁存は太郎を白木の箱に入れ、少し離れた場所から様子をうかがっていた。同じく箱を運んできた村人たちも、弁存と同じく何が起こるのか、固唾を飲んで見守っていた。やがて、去年の同じ日に弁存が聞いたあの歌が聞こえてきた。怪物は、ひとしきり箱の周りをうろうろしていたが、やがて箱のふたを取ったようだった。その瞬間、箱の中に潜んでいた太郎は猛然と怪物に体当たりした。がたがたと激しい物音に混じって、二つの声が聞こえてきた。一つは太郎の咆哮だった。もう一つは怪物の叫び声だろう。暗くてはっきりとしたことは何もわからない。弁存と村人たちは、血も凍る思いで暗夜の格闘の成り行きを見守っていたが、やがて二匹の死闘は終わったようだった。しかし、その場に居合わせた者は恐怖のために戦いの結末を見届けに行く事が出来なかった。そして夜が明ける頃、意を決した弁存が昨夜の戦いが行われていたあたりまで行ってみると、血の海に倒れこんだ怪物の躯を見つけた。怪物は、年経た猿の化生だった。しかし、そこに太郎の姿は無かった。

 同じ朝、昨夜が見附の秋祭りの期日であることを知っていた光前寺の和尚は、矢も楯もたまらず寺の山門の前に立っていた。すると、東雲の道を何かが近づいてくるのが見えた。はじめは小さな黒い点だったそれは、寺に近づくにつれて犬の形になっていった。太郎だった。その足取りはよろよろとしておぼつかないようだった。ようやく和尚に抱きすくめられても、太郎には以前と同じく和尚にじゃれ付くだけの力は残されていなかった。全身に深手を負いながら、それでも恩のある和尚のところまで帰って来たのだった。太郎は、和尚に抱かれながら息絶えた。和尚と村人は、光前寺の境内に太郎を手厚く葬った。

 しっぺい太郎、あるいは早太郎と呼ばれる霊犬の伝説は以上のようなものだ。長野県伊那地方から静岡県遠州地方にかけて、類似した多くの伝説が残されており、その一つ一つは他の類話と微妙に異なっている。ここで紹介したパターンがスタンダードというわけではないので、念のため。


静岡県磐田市 見附天神社にて
 現在、静岡県磐田市の見附天神社で飼われている悉平(しっぺい)太郎三世。磐田市と光前寺のある長野県駒ヶ根市の仲を取り持つ親善大使である。先代・二世も親善大使だったが、代替わりしたようだ。
 おそらく山犬ではないだろうが、ただの愛玩動物とも違うなかなかワイルドな風貌をしている。不用意に近づこうものなら遠慮会釈なく吠え掛かってくるし、さすが気高い霊犬の名を受け継いでいるだけのことはある。
 ただ、そこは親善大使である。不審者は一喝するが、カメラを構えたら目線をくれた。しかも自分の名前も一緒にフレームインするように配慮してくれたらしい。左のショットは、太郎の協力なくしてはありえなかった。
 見附天神社の隣には、太郎を祀る霊犬神社もある。


静岡県磐田郡水窪町 青崩峠付近にて
 静岡県水窪町奥領家地区。青崩峠付近で国道152号線に接続するヒョー越え林道の路傍には、しっぺい太郎の墓と伝えられるものがある。上記の話では太郎は光前寺にたどり着き、育ての親である和尚に看取られながら死んでいるが、しっぺい太郎伝説は、南信から遠州にかけて多くのバージョンが存在する。このしっぺい太郎の墓も、数多く存在する伝説を今に伝える史跡のひとつと言える。
 昔は人の往来も多い街道筋(秋葉街道)だったようだが、現在では少々寂しい場所になっている。静かに眠るのはこういう場所こそ都合が良いのかも知れないが、こんな所で倒れ葬られるよりは、やはりよく懐いていた和尚の下で死なせてやりたいと思うのが人情だろうか。


長野県駒ヶ根市 光前寺にて
 見附天神社と同じく伝説に登場したもう一つの舞台、長野県駒ヶ根市光善寺にある霊犬早太郎の墓。上の話では便宜上「しっぺい太郎」としている霊犬だが、長野県側ではもっぱら「早太郎」と呼ばれる。
 「しっぺい太郎」は、漢字を当てると「悉平太郎」となる。「悉(ことごと)く平らげる」とは怪猿退治の霊犬に相応しく随分と勇ましい名前だが、「しっぺい」という音からは何となく「疾風」という単語を連想するし、「早→疾風→しっぺい」の転訛というか掛詞から生まれた音に、勇ましい字面「悉平」を当てた名前なのだろうか。
 もちろん、それとは逆の「しっぺい→疾風→早」の可能性を否定するものではないし、ここで考察したのとは別の変化を遂げた可能性も多分にある。

 

長野県駒ヶ根市 光前寺にて
 左側は光前寺本堂にある早太郎の木像。右側は同じく光前寺の早太郎石像。光前寺には像や墓の他にも、弁存が早太郎の遺徳を偲んで奉納した大般若心経六百巻が伝えられている。
 さて、上で犬の名前の訛化について触れたが、太郎が倒した怪物もちょっとした「言葉遊び」に縁のある妖怪である可能性がある。
 中国に「カクエン」という猿の妖怪がいる。漢字では「獲猿」とか「攫援」と書く。それぞれ「(獲物を)獲る猿」、「援を攫う」の意味だ。援は媛に通じ、要するに女性のこと。総合すると女性を攫う猿の妖怪といったところか。
 実はこの妖怪、子孫を残すために人間の女をさらい、自分の子供を孕ませると伝えられている。一連の霊犬伝説に登場する怪猿が、人身御供に娘を要求したくだりを連想させる。