1985年11月25日
アイオワシティ

 親愛なるドナルド・エヴァンズ、
 あなたのご両親に宛てたぼくの手紙は、アイオワシティの郵便局の窓口で鄭重に拒まれました。腕に錨の刺青をした親切な局員がいうには、モリスタウンはアイオワシティよりずっと大きな町なのに、この手紙は宛先がとても不充分で、だから間違いなく送り返されてきてたいへんな額の手数料を請求される、とのことでした。その前に、町の図書館に行きニュージャージー州の電話帳を調べたのでしたが、ご両親のお名前は見つかりませんでした。
 しかし考えてみると、「ドナルド・エヴァンズがどこにいないか」について、ぼくが知らないで来たわけではありません。手許には、可憐な魔法を秘めた切手が、たとえ複製にしろたくさん並んでいて、あなたの残したそれらの図柄が、あなたのいまいるところを教えてくれます。お蔭で返送手数料の心配なしにお便りできるのを、いまは嬉しく思っている次第です。

1985年12月10日
                                        モリスタウン

 ジョーンは、たくさんの興味ぶかい話をしながら、ぼくを彼女の家に連れて行ってくれました。そこにははじめて見る作品のいくつかと、あなたのスナップ写真が数葉。写真はどれも、画集で見ていた一枚とはまったくちがうあなたを示していました。とくに、マンハッタンのどこかの建物の屋上で撮られたというものは、こちらをじっと見つめていました。
 一九四五年のあなたの誕生から、一九七七年のあなたの死までにかんする情報が、頭の中で一挙にふくれあがって、今夜はなかなか寝つけそうにない。
 いま、このホテルの部屋へ、ニューヨークのウィリアム・カッツ氏から成果を尋ねる電話が入ったところです。あなたへの思いの深さを感じました。彼に会うためにぼくは、近いうちにマンハッタンに戻ることになるでしょう。

1985年12月13日
                                 ワシントン行の列車にて

 あなたが描いた四千枚の切手、それを描くことでつくられていった空想の四十二の国々と、その気候、風物、通貨、言語、そして人々。あなたはそれらを、充分に秩序立てて描いたばかりではなく、あなたにとっての唯一の書物ともいうべき『世界のカタログ』の中に、それらの発行にかんする詳細なデータを付して、封じ込めていった。あなたが描くたびに、その書物はふくらみ、ひとたびあなたが描かなくなると、増殖と飽和の果てで中断された書物は、かえって、世界という吹き曝しの地平をひろげてみせるようです。
 ドナルド・エヴァンズ、あなたの幼年の地は通過しても、ぼくはまだ、あなたの生涯をかけた作品の気圏を通過してはいない。それは完全な空想の世界というよりも、この世界の皮膜という皮膜、縁りという縁りに寄り添った世界であるようにみえます。つまり、世界の不完全性そのものが生み出した世界であるように。
 ドナルド・エヴァンズ、ぼくは葉書のかたちの中に断片化し、破片化していくぼくの言葉を飛び石のように伝って、その気圏へ、強引に突き入っていこうとするのでしょうか。

1985年12月19日
ワシントン

 ドナルド・エヴァンズ、
 水の上にカヌーが浮んでいる。その上に老婦人の黒い影が。
 彼女はふたつの火事を思い出す。
 妊娠していたころに遭った列車事故で、蒸気とともに噴きあがった火。あのときは死んでいく人々のあいだを逃げて、逃げて、やっとの思いで逃げのびたとき、特別な子供が生れる、という予感がした。
 もうひとつの火事。もうひとつは、息子の友人だった織物師のアパートの部屋から立ちあがった火。それはたちまち煙をあげて、三十一歳の息子をつつんだ。
 マートルビーチへ、その水の上へ、お母さんに会いに行くことを考えている。馬鹿げているとお思いでしょうか。アムトラックの時刻表を眺めています。

1985年12月20日
ニューヨーク行の列車にて

 ジョーンが語ったあなたの肖像を書き留めておきます。
 身長五フィート十インチ。目はブルー。幼いころまでは金色で、青年になるにつれてだんだんと茶色になった髪。英国風のハンサム。
 静かで、まじめで、声は柔らかく、会話のときはじっと相手の目を見つめながら、あなただけに話しかけているのですよ、という眼差しで話す。
 この素描に不服があれば、伺いたいところです。
 今日明日とニューヨークに泊って、それからまたワシントンに戻ってきます。

1985年12月21日
ニューヨーク

 ぼくは彼らに、ぼくが書こうとしている本のプランを話しました。それは、少しずつ土地と日付を変えながら、葉書でドナルド・エヴァンズに、短い日記を送りつづける、というものです。葉書にはもちろん、あなたの切手が貼られることでしょう。
 ビルは「素敵なプランだ」といってくれ、「なぜなら」とつづけました。「なぜなら、ドナルドもまた、こんな童話を構想していたからだよ。ある国の女王が世界旅行に出掛ける。そして、見聞した国々の景物について旅先から、ゴプシェという名の留守番の犬に宛てて葉書を書き送るんだよ。女王の名と女王の国の名はおんなじで、Ytekeという。旅する先も、ドナルドの切手の国々さ。」
 ウィリーはビルと対照的に、東方から闖入してきたこの完全な異邦人に対して、ドナルド・エヴァンズの国々を旅する資格があるかを見定めようとするかのように辛辣だった。だから彼がこういってくれたとき、ぼくはほっと息をついたものだった。「マートルビーチのお母さんには、会っておいたほうがいい。彼女はもう八十四歳、そしてだれよりもドナルドを愛した人だからね。」


1986年1月1日
ニューオリンズ

 ミシシッピーの河口域の、見渡すかぎりの水の上、長い長い単線の鉄橋を汽車が渡って、ニューオリンズ駅。
 十歳のとき、あなたは切手を蒐めるだけでは飽きたらずに、とうとう自分でそれをつくりはじめました。見知らぬ現実の国々の名にまぎれながらあふれてきた想像上の国々を、よりいっそうリアルにするためででした。想像を実現するために、あなたは絵具だけではなく、命名の力をつかった。名づけるという行為によって組み立てられる、制度をつかった。王立郵便局の窓口から王権の中心まで、あなたの水彩絵具は、架空の制度の長い長い橋を一挙に渡ってしまったようです。小さな神の、戯れの仕事のように。ただし、あなたの仕事にある、子供じみた熱中と浩然とした大人の冷静とを混同しすぎてはいけないし、たがいを引き離してしまってもいけない、とぼくは思うのです。



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