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ニコニコしてんの。 たいがいお庭であっけらかんとやっとります。 「マジメにやれ!」と言いたくなるのは ひとりワタクシのみではなかろう。 ◆ しかし本書は中野美代子先生が、 このまったくエロくない中国春画世界に、 絵画と文学、園林術、仙界伝説、時間論、 房中術、煉丹術、……とその驚異的博学を駆使して分け入り、 「ナゼ、中国文化は、エロをエロとして描かナイのか」 とゆう、中国文化に根ざしたふかーいナゾに挑むのであります。 遊郭での情事を多く描く日本の春画が、 借りモノの空間、借りモノの女、借りモノの時間という 刹那的な状況で、限りなく肉体の細部を描きこみ エロティシズムを喚起してゆくのに対して、 中国の春画は、広大な自邸の中庭、 あまたの妻妾たち、そして子孫を得ることによって手にする永遠の生命、 というように、限りない所有のイコンであることが読みとかれてゆきます。 太湖石、太鼓腹、無表情―これらもまた永遠アイテム。 永遠の相のもとにはエロスなんて存在シナイ。 だから、中国春画のなかの男女は、 永遠にニコニコ笑いながら、ありとあらゆる体位で、 イタシテおるってわけ。 これってコワクないかい? ◆ |
「蓮の池に張り出した水閣のなかで、 陰陽は宇宙卵のように完全に合一した。 それにしても、男女性器の描写の素朴なこと! しかし夏の荷風(荷は蓮)の涼やかさが二人を幸せにしている。」 (キャプションより)。 |