これなのだ!
ニコニコしてんの。
たいがいお庭であっけらかんとやっとります。
「マジメにやれ!」と言いたくなるのは
ひとりワタクシのみではなかろう。



しかし本書は中野美代子先生が、
このまったくエロくない中国春画世界に、
絵画と文学、園林術、仙界伝説、時間論、
房中術、煉丹術、……とその驚異的博学を駆使して分け入り、
「ナゼ、中国文化は、エロをエロとして描かナイのか」
とゆう、中国文化に根ざしたふかーいナゾに挑むのであります。

遊郭での情事を多く描く日本の春画が、
借りモノの空間、借りモノの女、借りモノの時間という
刹那的な状況で、限りなく肉体の細部を描きこみ
エロティシズムを喚起してゆくのに対して、
中国の春画は、広大な自邸の中庭、
あまたの妻妾たち、そして子孫を得ることによって手にする永遠の生命、
というように、限りない所有のイコンであることが読みとかれてゆきます。

太湖石、太鼓腹、無表情―これらもまた永遠アイテム。
永遠の相のもとにはエロスなんて存在シナイ。
だから、中国春画のなかの男女は、
永遠にニコニコ笑いながら、ありとあらゆる体位で、
イタシテおるってわけ。

これってコワクないかい?





「蓮の池に張り出した水閣のなかで、
陰陽は宇宙卵のように完全に合一した。
それにしても、男女性器の描写の素朴なこと!
しかし夏の荷風(荷は蓮)の涼やかさが二人を幸せにしている。」
(キャプションより)。

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