Then, when there had been enough of this, I, in my turn, began to make enquiries about matters at home--about the present state of philosophy, and about the youth. I asked whether any of them were remarkable for wisdom or beauty, or both.
Then, when there had been enough of this, I, in my turn, began to make enquiries about matters at home--about the present state of philosophy, and about the youth.
Then は、日本語にしたとき、「そのとき」「それから」「それでは」の3つの違いが生じる。今回は「それから」か。
when there had been enough of this, は when節。以前にも出たが、内容を考えると「〜したとき」より、「〜してから」の方がしっくりくる。
there is enough of this は、there is...; there are... 構文。... には〔名詞〕か〔代名詞〕。ということは、enough は〔名詞〕。名詞enough には、“enough of (代)名詞”で、「(あきあきするほど)充分な名詞)という意味がある。学校で書く文では奨励しないが、ここでは「十分(じゅうぶん)」のことを「充分」と書くことにする。
〔過去完了〕になったものが、there had been enough of this、直訳では「このことがもう十分あった後で」。この事とは、「ポティダイアの戦陣で起こったことについての質問と応答」を指す。
「それから、ポティダイアの戦陣の話が充分なされると」
I, in my turn, began to make enquiries about matters at home--about the present state of philosophy, and about the youth.
in my turn は挿入。turn は「順番」。「今度はソクラテスが質問する順番になった」のだ。
文の構成は、I が主語、began が動詞。
matters at home とは「家でのこと」「故郷(アテネ)での(出来)事」が、真っ先に出てくる。ダッシュ(—)の後で、詳しく言い直しているようだ。後ろの方の about the youth は、「若者について」か「若さについて」のどちらか。
前の方の the present state of philosophy は、「哲学の現在の状態」? が素直。でも、こう日本語にしてしまうと、違和感が生じる。ソクラテスの頃、哲学とは「知を愛し求めること」。state は「国家」「州」ではないか、という考えが一瞬頭をよぎったが、「哲学の現在の国家」は適さないようだ。state は、哲学的な観点からすれば、「有り様(ありよう)」くらいがふさわしそう。「哲学の現在の有り様」。んー、かなり無骨。原義とは離れると思うが、どう訳したかは、暫定日本語訳欄を参照されたし。これからその話が展開されるはずなので、後で修正可能。
上記の内容が、the matters at home なので、この home は、「ソクラテスたちのいつもの領域」「ソクラテスたちの(精神的な)家庭」「ソクラテスたちの得意分野」なのだ。
I asked whether any of them were remarkable for wisdom or beauty, or both.
I が主語、asked が他動詞、whether... が〔目的語〕となる〔名詞節〕。疑問詞を使わない疑問文を〔間接疑問〕として使うときの〔接続詞〕が whether。もとの疑問文は、
Were any of them remarkable for wisdom or beauty, or both? asked の時制の一致を受けているので、単独の発言とすれば、
Are any of them remarkable for wisdom or beauty, or both?
Is this a pen or a pencil? と考え方は同じ。
主語の any of them は何だろう。them は wisdom and beauty とみて、any は、そのうちの「どちらか」か「両方」を選ばせて入れるのか、と考えたが、それでは、例えば、
Beauty is remarkable for beauty. という文が成り立つこととなる。「何でそんな文が出てくるの?」と疑問の向きもあろうが、分からなければこの段落は無視してくれ。純粋に文法的に見れば、ありうる文だが、内容がいかにもおかしい。「美は美ゆえに注目に値する」。まあ、哲学的ではあるが、今回はそんなことを探求するための対話ではない。
them は、先ほどのナレーションで出てきた、the present state of philosophy と the youth のことであろう。any は〔単数扱い〕が原則のはずだが、any of them の them に影響を受けているからか。それとも、any が、the present state と the youth の2つをともに受ける場合があるということか。いずれにしろ、
「哲学の現在の有り様や若さというのは、知によって注目に値するのかか、美によってなのか、それとも両方なのか」くらいでいいのでは。
例のように、I asked の部分は、「ソクラテス:」で表した。
ナレーター(ソクラテス):
これを充分語り終えると、今度は私が質問する番になった。私たちのいつものテーマについて。みんなの哲学の探求の成果や若さについて。
ソクラテス:
知と美ではどちらを重視すべきかね。それとも、両方とも同じくらい重視すべきかね。