チェックアウト後、重い荷物を持って、麻婆豆腐を食べに行った。ガイドブックに載っていた陳麻婆豆腐店は見当たらず、別の店に入った。さすがに本場の四川料理は違う。うまいのだが、辛い事この上ない。初めは、大したことないと思ったのだが、すぐにジンジンきた。汗が頭と顔からどんどん噴き出してくる。目も痛くなる。ビールを飲んで何とか食べる。
Yシャツを2枚調達してから、かなり早目に成都北站に着いて、候車室(待合室)に入って座っていた。外にある手洗い所に行くと、十数本ある水道の蛇口が、すべてふさがっている。顔を洗ったり、歯を磨いたりしているのだ。
かなり広い待合室で、長い時間待った。中国人の仕草を見ていると、なかなか面白い。初めのうちは、人が少ないので、1つの長いすを占領して寝ている人や、大きな荷物を両側に置いて座っている人などがいる。あとからやって来た人が、その人たちに何か言い、場所の取り合いのようなことを始める。
列車内での食料や飲み物を調達するために、席を離れる者もある。人に頼んで、席を確保してもらっている場合には、さらにややこしい話しになる。なかには、本当に小さい子供だけ置いていく夫婦もあった。その幼児の隣に、老人が座ろうとする。幼児は何か言いながら、四川名物の竹の杖で追い払おうとする。老人もムッとして、にらみながら座ろうとする。その争いの間隙を縫って、若者が席を占める。幼児が気付き、杖でたたく。そうこうするうちに、母親が戻ってきて、その様子をかえって頼もしげに見ている。ちょっと注意し、父親が帰ってから誇らしげに報告している。十億余りもの大衆の中で、自己を主張する。他人を押しのけてでも、自分の権利を守る。中国で生きていく上で、非常に大切なことの1つなのだ。そう思った。
午後4時15分に昆明(Kunming)行きの第93次特快列車が出発する。翌日の午後3時4分に到着予定。ほぼ23時間、硬座の硬くて狭い椅子に、座っていなければならない。気合を入れる。
成昆鉄道 第93次特快列車 |
午後7時前に、峨眉(Emei)という駅に停車。中国仏教四大霊場の1つ、峨眉山(Emeishan)に行くには、ここで降りる。3000mをこえる高峰なので、それなりの装備がいる。最低でも4泊必要なので、私たちは行かない。まだ明るいので、あたりを見渡すが、それらしき山は見えない。
峨眉山月歌 E mei shan yue ge | 李 白 Li Bai |
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峨眉山月半輪秋 | E mei shan yue ban lun qiu. |
影入平羌江水流 | Ying ru ping qiang jiang shui liu. |
夜発清渓向三峡 | Ye fa qing xi xiang san xia. |
思君不見下渝州 | Si jun bu jian xia yu zhou. |
火車(列車)の内で新しい日を迎えた。ウトウトするのだが、硬い椅子に座った状態なので、熟睡できない。脚は伸ばせず、苦しい体勢。お尻も痛い。本当に、時間がたつのが遅い。少し寝ても、すぐ起きてしまう。20分も過ぎていない。また少し眠る。目が覚める。この繰り返し。
昨夜、夕食代わりに、ポテトチップスを1袋食べたので、腹も張ってきた。いつもは、朝もっと寝ていたいので、「どうして、夜はこんなに早く明けてしまうのか」と思うのだが、今日ばかりは、夜明けが待ち遠しかった。
夜が明けた。かなりの山道で、鉄橋とトンネルをいくつも通過した。
午後3時過ぎ、列車は無事に、昆明市街地の南の端にある昆明火車站に到着。バス(公共汽車)で北上。市中心部に向かう。東風路(Dongfenglu)が、昆明市を南北に分けているメインストリートだ。東西に走るこの道と交差したところでバスを降り、この道に沿って少し右に。左手に昆明飯店(Kunming fandian)がある。やや年季の入ったホテルだ。宿泊費は、成都の錦江賓館の半額よりわずかに高いくらい。ホテル内のレストランで夕食をとった。炒飯(チャーハン)と湯面(タンメン)とポテト。200円程度。
昆明は雲南(Yunnan)省の省都で、雲貴(Yungui)高原の中部にある。緯度は小さいが、1900mほどの海抜があり、夏でも過ごしやすい高原都市だ。一年を通して温暖で、花と緑の絶えない街で、「春城(Chuncheng)」と呼ばれている。
雲南省は、少数民族の宝庫で、外国の観光客の人気スポットでもある。日本の観光客もレストランに、たくさんいた。
ホテルのとなりにCAAC(中国民航)の售票処がある。朝から出かける。西安でのこともあり、次の目的地に行く交通機関の予約を、まず第1に考える知恵がついた。12日の広州行きの便が空いていて、その券を予約。桂林(Guilin)は、涙をのんで次回に。
「桂林に行かないなんて」という声が聞こえてくるが、観光地を見て周るというより、そこに暮らす人に会い、異なった文化や習慣を体感する、ということが重要なんだ、と納得しておこう。
明日の石林(Shilin)行きのツアーバスの予約をしてから、昆明の街をぶらついた。チェンジマネー(人民元と外貨兌換券との両替を求めてくること)の人と共に、何族かは判らないが、少数民族が寄ってきて、換金やら物を買えやら、カタコト日本語で、話してくる。少数民族は、きれいな民族衣装を身に着けているので、すぐ判る。
東風東路(Dongfeng Donglu)を西に向かって歩く。東路が終わって、東風西路(Dongfeng xilu)に変わる交差点にある百貨大楼まで、足を延ばした。高原らしくさわやかで、人も少なく歩きやすい。中心街の南屏街には、服飾店と電気屋が並んでいる。百貨大楼の中には、友誼商店もあり、くしが折れたので、ここで1つ買う。
帰り道、新華書店が三店ほど並んでいるところがあり、くまなく見てきた。他に、めぼしい娯楽がないのだろうか。本屋はどこの町でも人が多い。そういえば、火車や汽車から外を眺めると、道端や土手に腰掛けて、本を読んでいる若者の姿が、多く見られた。
夕食は、鍋が食べられるというので、実験飯店(Shiyan fandian)に出かける。ここはホテルではなく、レストランだ。宿泊先の昆明飯店から、歩いて数分のところにあるが、考えてみたら怖い名前だ。客が実験台になっているのだろうか。午後5時半まで開店準備中だそうで、隣にある体育館で時間つぶしをする。
体育館の中に入ると、小学生から大学生くらいまでの者が、それぞれのスポーツを一生懸命やっていた。バレーボールの女子は、恐ろしく背の高い選手ぞろいで、びっくり。多い人口に物を言わせて、素質のあるものを選び鍛えるのだろう。この体育場の黒板には、マラソンの記録も書かれているのだが、その中には、男子で2時間12分台のものもあり、レベルは高そう。
南国らしく、スコールがあり、しばらく雨宿りしてから、実験飯店に戻った。中国ではいつものことだが、定刻どおりには始まらない。テーブルもきちんと拭かれていない。目当ての火鍋(huoguo)は、夜はやってないということで、炒飯(chaofan)にした。なかなかいけた。白人の若者が現れ、炒飯だけをたのみ、箸を使って器用に食べ、そそくさと帰っていった。慣れた様子だったので、留学生かもしれない。
夜、ホテルの郵便担当の窓口に、日本への絵葉書を出しに行った。用を済ませて、部屋に戻ろうとしたとき、担当のおばさんに、「グラシアス(Gracias.スペイン語で「ありがとう」)」と言われたと思うが、思わず「麻煩イ尓了(Ma fan ni le.「お手数かけました」「イ尓」は1文字)」と答えてしまった。「デ・ナーダ(De nada.スペイン語で「どういたしまして」)」と答えるべきだったか。いきなり言われても、心の準備が・・・。ちぐはぐな会話だが、これには理由がある。私が、マラドーナ(サッカー選手。メキシコ86ワールドカップでは、イングランド戦で、伝説の「5人抜きシュート」と「神の手ゴール」を決めたスーパースター。この大会でアルゼンチンを優勝に導いた)のTシャツを着ていたのだ。マラドーナはアルゼンチンの英雄。私=アルゼンチン人。アルゼンチンはスペイン語が公用語。私=スペイン語が話せる。これが、おばさんの頭で成立したのだろう。しかし、Tシャツは西安で購入した中国製で、ちゃんと「新球王」と漢字がプリントされているのだが・・・。
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