平成22年2月22日、姨捨棚田が国選定の重要文化的景勝に選定されました。
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更科紀行
芭蕉は元禄元年(1688年)門人「越人」をともなって、木曽路からこの地を訪れました。『更科紀行』はこの時の紀行文。芭蕉が猿ヶ番場峠を越えて姨捨の月を観賞したのは旧暦八月十五夜の仲秋の名月、当夜の感慨がこの一句に結集しました。月光の中で伝説の姨を連想し、「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」を呼んだものと思われます。
この芭蕉の句碑は「芭蕉翁面影塚」と呼ばれ、明和六年(1769年)八月、上田出身の俳人白雄が建立しました。
長楽寺
観月の名所として古くから知られる天台宗の寺。
紅葉が盛りとなる10月末は特に風情を増す。
松尾芭蕉はじめ多くの文人墨客が訪れ、50もの句碑が立ち並ぶ。信濃三十三観音14番札所であり、境内には百体観音が並ぶ。
棚田貸します制度
国指定の名勝・姨捨の棚田のオーナーになってもらい、棚田の景観保全に役立てようという制度。
料金を支払い、収穫された米を送ってもらう「保全コース」と田植えや稲刈りにも参加できる「体験コース」が有り市内には有名な戸倉上山田温泉があり又近辺には観光地有りレジャ-感覚で年に2~3回訪れている人もいます。

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