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真田邸
江戸時代末期、9代藩主「幸教(ゆきのり)」が母「お貞の方」の隠居所として建てた大名屋敷。
庭は2100坪の四季折々の花菖蒲や桜など色鮮やかに咲く自然豊かな美しさを伝える名園。
城外御殿として 例のない建物となっている。庭は小堀遠州の流れをくむといわれ心字 池があり、幸教によって「水心秋月亭」と名付けられた。敷地面積 約8,000u、建物床面積約860u、部屋数は53室。
長土塀や泉水路、屋敷門や,白壁の蔵などが見られる。
※泉水路は屋敷から屋敷へ水路が引かれ池を造ったり防火の為に武家屋敷に行き渡っている。
真田邸屋敷門 白壁の蔵 泉水路のある庭 長土塀

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真田宝物館
松代真田家12代「真田幸治」氏が昭和41年松代町に真田邸と戦国の世以来4百数十年にわたり受け継がれた膨大な大名家伝承宝物を松代町に寄付し公開している。
松代真田家12代真田幸治氏が昭和41年松代町に真田邸と戦国の世以来4百数十年にわたり受け継がれた膨大な大名家伝承宝物を松代町に寄付し公開している。
宝物は国の重要文化財「青江の太刀」や県宝の武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・徳川家康らからの古文書など、甲冑・武具・服飾・調度・書画・楽器・茶器など2万点にも及ぶ収蔵品を、年に3〜4回入れ替え展示を行っている。
全体的に質素な宝物が多く真田藩主は堅実な生活をしていたようだ。

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文武学校
1853年に完成し松代の文武学校は他藩と違い儒教の教えを排除し近代的学問を目指した学校で文学、東洋西洋医学、軍学、等学問水準は高かったようです。
建物は開校当時の姿をほぼ伝えていて全国的に見ても貴重な史跡です。
「佐久間象山」も一時期師範を務めていた事もある
剣術所 東序主に砲術を学習 文学所所 弓術所

槍術所 文武学校の内部 西序 白壁の外部の塀


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長国寺
長国寺は、1547年、真田幸隆(1513〜1574 武田信玄家臣)が、真田郷(現長野県小県郡真田町)の松尾城内に真田山長谷寺として建立し、 1564年に松尾城外に移され、1622年、上田藩主だった真田信之(1566〜1658)の松代移封にともなって現在地に移転し長国寺と改めた。
【初代松代藩主真田信之霊廟】(国指定重要文化財)
現在の長国寺は、松代藩主の墓所として、国の史跡に指定されており、初代松代藩主および四代藩主の霊廟と歴代藩主の墓があります。
明治五年の火災に見舞われるまでは、初代藩主信之、二代藩主信政、三代藩主幸道、四代藩主信弘の霊廟と、藩主の側室方の霊廟が本堂後方にありましたが、現在は初代藩主の霊廟と、四代藩主の霊廟を残すのみとなっている。
四代藩主信弘の霊廟 初代藩主信之の霊廟 「信之」の御霊屋:重要文化財、破風は「左甚五郎」の絵、天井は「狩野探幽」の絵と言われている


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通信発祥の地
この鐘楼は「真田信之」が上田城より移り松代城主となった1624年に設けたもの。
ここに1000人の足軽を交代で割番役所を置いた。
この鐘は昼夜別なく一時(2時間)毎に時刻を知らせていた。
「佐久間象山」が1849年、オランダの書物をもとに電信機を製作しこの鐘楼と70m先の屋敷に電線を張り電信実験に成功した「日本電信発祥の遺跡」です。
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