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飯田選手が世界チャンピオンになる。
既に、世界チャンピオンになる前から、「元気が出るテレビ」に出ていた彼は有名人になっていたが、ボクシングに対する評価は当時は賛否両論あり、何としても世界チャンピオンになって、世間の人たちに彼の実力を知ってほしかった。
3度目の挑戦であり、この試合に負ければ世界戦をするチャンスがないと誰もが思っていた、必然的に「引退」の文字を頭に浮かべながらの命がけの挑戦であった。
メディカルトレーナーとして彼についてきた私の、世間からの最終評価を頂く時でもあった。 |
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(世界チャンピオンになったときの写真) |
(STAFFのライセンスカード) |
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試合が終わり、ジャッジが、リングの上で「ニュー世界チャンピオン!イ・イ・ダー サー トー シー」とコールされた瞬間、そのときの緑ジムのスタッフと我々のスタッフの誰もが泣いた。いわゆる号泣である。私もリングの上で彼と抱き合って泣いた。とにかく泣けた。
人前で泣く事は先ずない私が、これ以上泣ける時はないと思うほど泣けた。 |
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試合後の控え室で「痛そうだね~」と 顔を触りながら語っているところ。彼は痛かったと思うが、痛みを感じないくらい最高に幸せなひと時であったと思う。この後すぐに私が自分の車に乗り込ん
で、エンジンをかけてラジオをつけたとき、臨時ニュースで飯田覚士が世界チャンピオンになったことを伝えていたのを鮮明に覚えている。その瞬間、なんだか
自分がチャンピオンになった気分でいたように思う。試合で頑張ったのは私ではなく飯田選手なのに。 |
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もちろん飯田選手にとっても最高の瞬間であったが、私にとって今思えばこの瞬間から、世間から少しずつ認められるようになって、現在の様々な仕事につながっ てきているように思う。この時に私が彼を治療しているところをテレビのドキュメント番組で紹介していただいたのも影響が合ったように思う。
この時に彼がチャンピオンになれていなかったら、今の私は現在とは違うような環境にあるのではないかとも思う。 |
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(初防衛戦前の中日スポーツの新聞記事)
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