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東海豪雨 2000年9月11日~12日

開院して5年が過ぎた頃の接骨院は、今のように先生や研修生がたくさんいるわけではなく、女性のパートさんや、学生のアルバイトの方に支えられていた。もっとも長く働いて くれた藤井さん(写真下段中央のしゃがんでいる女性)は、現在は看護士を目指し看護学校に通い勉強中です。もう直ぐ卒業の予定です。主婦であり、母であり、子どもさんも大学生と高校生がいて更に自分が看護を学ぶ事を志し、本当に私もこの頃色々と助けていただきました。

今思えば、患者さんからの信頼が私よりあったのではと思う。現役の学生に決して負けることなく勉強されている事と思います。


接骨院の忘年会直後の写真
(接骨院の忘年会直後の写真。スタッフと私の子ども2人)


観測史上最大という記録的な豪雨でもって、東海地方に甚大な被害をもたらした時の接骨院の様子である。メージャーを持って左手の指を差しているところまで浸水した。したがって院内はベッドがプカプカ浮いた状態まで水位は上がり、医療器械はこの時にほとんどの物が浸水してしまった。


ここまで浸水 医療機器も浸水


これ位のことでへこたれている場合ではない、店舗の上になる空いていた部屋を借りて臨時接骨院を作って暫く治療をしていた。まだ暑い最中であり、扇風機とスポットクーラー1つでやっていた。


臨時接骨院 臨時接骨院のベッド


その後新しい医療機械を入れ替えて、約2週間ほどで元の店舗に戻り治療を再開した。この時は、接骨院のスタッフはもちろんであるが、同じマンションの人たちや、地域の方々に非常に助けられた。地域の人たちの温かみを思い知ることになる。

マンションの1階の方達も浸水しており、2階以上の方も車が浸水してだめになってしまった人が多かった。片付けが終わって落ち着いてから、私がこの時にお世話になったマンションの住人や地域の人を集め、マンションの裏でBBQを行った。随分とそのとき盛り上がり、皆さんに喜んでもらった事をよく覚えている。

隣同士に住んでいても、普段はあまり会話がないことが多い今の時代でも、いざとなって、突然の災害が起これば、みんなが声を掛け合って、みんなが協力し合った、共にガンバリあえることがよくわかった。

そして何もなければ、又もとの生活に戻っていく事も・・・



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