家族から反対されてこの道に進んだが、私が学校を卒業してからは、父は命がなくなる最期まで、私に協力的であった。私1人では出来ないような力仕事は、70歳を過ぎてからも、頼めば何でも手伝ってくれていた。 父には癌で助からない事は、父が死ぬまで言わずに伏せていたが、毎日身体が見る見る弱っていく自分に気づき始めた頃、「新しい接骨院が出来るのを見てから死にたい!」と病院のベットで私に話すようになった。しかし、私は担当の医師からは完成までの余命はないと伝えられていたので、基礎工事が終わったところの写真を病院に持っていって見てもらっていたりしていた。 入院してから2週間経ち、あっという間に病状が悪化していったが、最後は私の手をにぎりながら、静かに息を引き取った。 |
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この看板の「孝承堂(こうしょうどう)」の意味は、父の名前が「孝(たかし)」であったため、孝(たかし)の意思を継承するという意味で、若田接骨院のサブネームとしてつけることにした。 | |
(移転の為の引越しが終わった時にスタッフみんなで打ち上げをした時の写真) | |