〜100万石はそんなにすごいのか?〜
石高を騙る

 大河ドラマ、利家とまつが次回12月15日放送分で最終回を迎えます。個人的に色々物申したいこのドラマですが、ずっと前から一つ気になっていることがあるので、今回はそれにちなんだ話です。

 結構初期の頃、利家が城持ちになったくらいの話だったと思いますが、「目指せ!100万石」とか言うタイトルの回がありました。このドラマ、サブタイトルが「加賀百万石物語」なので、ドラマの脚本という面から見れば、そのあたりを意識してのタイトルでしょう。

 その回、多分まつの発言だったと思いますが「100万石を目指す」みたいなことをいっていました。何しろ「目指せ100万石」の回ですから、そういう発言があったとしてもそれはそれで、別に不自然ではないでしょう。でも、私はどうしてもこのセリフが気にかかります。

 別にとってつけたような感じがひっかかると言うわけではありません。ドラマと言う枠組みを外して、純粋にこの時代の武家の奥方の発言としてどうなんだろう、という点が気になるのです。まあ、今回の大河は歴史再現ドラマと呼ぶには程遠いのも程がある(?)ので、そういう疑問自体がナンセンスと言えなくも無いのですが・・・・・・。

 それはさておき。

 今回の話を読む上でまず大前提になる情報、それが『石高』です。

 チャンバラ主体の時代劇はともかく、戦国期を舞台にした(まあ主に大河ですが)ドラマでは必ずと言って聞かれるこの言葉。

 一体何を意味しているのでしょうか。

 勿体つけても仕方が無いのでぶっちゃけてしまうと、要するに米の計量に使われる単位です。少し乱暴な言い方ですが。もっとなじみのある単位であらわすと一石=150kgです。もっとも、時代劇などで良く見られる石高の使用法は、単純な米の量と言うよりは土地の生産性の方です。今風の表現を用いるのなら、年に何トンかの米を生産できるだけの土地を所有しているということになります。

 戦国武将がこの石高の向上に血道を上げるのには理由があります。

 戦国時代の経済は、貨幣と米を両輪にして動いていました。当時、自分の所有する土地の生産性が高いと言うことには、現代以上の重要な意味があり、生産力の高い土地を領有しているという事は、それだけ経済力も高いと言うことでした。米をたくさん生産することは、多くの金を懐に集めることにつながるのです。いつの世も、お金をたくさん稼ぐことは重要です。

 しかしそうは言っても、米は究極的には食べ物です。米は食べてこその米なのです。そして、戦国時代には米を換金することと同じくらい、食料として米を備蓄しておくことは重要でした。

 戦国時代の合戦と言うと、領主が自家の領民の中から戦闘員を招集する形態が普通です。一般に『殿様』という人種は、専制君主か何かのように思われがちで、殿様の命令に領民は絶対服従するしかないようなイメージをもたれているかもしれません。例えば嫌がる領民を無理やり戦場にかり出し、命がけでタダ働きをさせるかのような。

 実際にはそんなことは出来ません。いや、やっても良い(?)のですが、そんなことをすれば兵の脱走が相次ぎ、とても臨戦態勢を維持することなど出来ません。

 戦時、大名は固定給を払うことこそしませんが、戦闘に参加する兵士の食料は保証します。何しろ雑兵などは、戦場でのほうが普段食べているよりもよいものが食べられるほどの待遇を受けるのです。食い物目当てで戦に参加する者もいたほどだそうです。食うために命がけになることなんてあるのだろうか、と思う人もいるかもしれませんが、当時の戦争は近代戦ほど死亡率は高くは無いのです。戦国時代の戦争は、最終的に敵勢力を戦闘不能状態に追い込めばよく、相手の兵士を殺すことは決してそれほど重要なことではないからです。

 従って自軍の旗色が良い限りはそれなりにちゃんと戦闘をし、不利になればそそくさと逃げる、という事も珍しくありませんでした。雑兵にさほどの忠誠心は無いのです。上級武士は別としても、雑兵などはいい働きをして勝てば食べ物にプラスアルファでそれなりのバックが期待でき、負けた場合もこれと言って失うものも無いわけなのですから結構適当なものです。

 そんなわけで、大名は戦争をするためには、兵士のための食料を用意しなければならないのです。当然、米の生産力の高い大名は多くの兵士を養うことが出来、戦の時には優位に立てるわけです。ところで、その石高による動員可能兵力ですが、大体1万石で250人程度になります。作戦期間やその他諸々の要因にも左右されますし、あくまで目安で実のところはまだ良く分かっていない部分ですが、1万石で200人から300人くらいの兵力を動員できたようです。

 ここで最初の100万石の話に戻るわけですが、この計算で言うと100万石の大名は3万人弱の兵力を動かすことが可能、ということになります。

 では、戦国時代の大名で100万石を領有していたのはどんな顔ぶれなのでしょうか。上洛の途上、桶狭間で討たれた今川義元の当時の領土が約100万石でした。武田信玄公の最大版図が約120万石で、信玄公も自家の領土が100万石を超えた頃には天下を視野に入れた軍事行動を起こすようになりました。ちなみにこの時期の織田家の総石高は、領土が巨大化したために厳密な数字は算出しにくい面があります。ここでは、私見ながら一応300万石強だったとしておきます。
(※2003.11.25:訂正 以前『500万石前後』などと書いていたところ、「おかしいのではないか」とメールでご指摘を頂きました。信玄対信長の直接対決が現実味を帯びていた時期の数字としては明らかにおかしいです。お詫びして訂正します)

 だいぶ話がそれましたが、要するに100万石を領有することができれば、形成が決しかけた天下にも一波乱起こすことが可能なわけです。のちの伊達政宗が100万石に執着し、黒田如水が秀吉から冷遇されたた理由もここにあるのです。

 さて、ここでもう一度まつの発言です。

 目指せ100万石・・・・・・。

 この発言があった当時の感覚で、100万石を領有する大名ともなれば、天下に号令するのは時間の問題と言えるほどの大大名なわけです。

 にもかかわらず「天下に号令する」と言わなかったまつの真意とは?

 普通に考えれば主君である信長をはばかってのことでしょう。もしかしたら、本能寺直前の織田政権の在り様をこの段階で見越しており、100万石をゆうに超える超巨大勢力の一角を担う重鎮となろうと考えたのかもしれません。だとしたら、それはそれでまつの慧眼にはまさに端倪すべからざるものがあると言わざるを得ません。

 しかし。

 私はどうしてもこのドラマを、穿った見方で視聴したくなってしまいます。何しろかなり穿った歴史の解釈をしたドラマのように見えるもので。

 まつが、天下を狙えるポジションでありながらも、あくまで目標を百万石と言う数字にすえた理由として考えられる第三・・・・・・。

それは夫の器量で狙えるのは、そこまでが関の山と踏んだからなのではないでしょうか。

 たしかに百万という数字はきりが良いです。しかし、別の見方をすればなにやら深い意味がある様な気がしてなりません。

 夫の器量を見切り、ギリギリの線で勝負をさせた切れすぎる妻・まつ。

 タイトルもずばり利家とまつ。

 もしかしたらこのドラマ、「利家はあくまで傀儡に過ぎず、真の(影の)主役は隠れ出来人・まつなんだよ」と密かにメッセージを送ろうとしているのかもしれません。

 ・・・・・・と思っていたのですが、なんとなく気になって調べてみたところ、問題の目指せ百万石のセリフは利家のものであることが判明しました。なんだか少しほっとしたような、がっかりしたような複雑な気分です。ここまで読んでくださった方、申し訳ございません。

 言い訳になりますがこのドラマ、まつの活躍ばかりが目立ち利家の印象が薄いんです。さほど傑出した人物とは思えない利家を引き立たせようとして、他の登場人物の描写にひずみを生じさせるぐらいならば、いっそ『功名が辻』よろしくまつを前面に押し出した方が面白いドラマになっていたと思います。

 最後にフォローだかなんだか分かりませんが、江戸時代であれば百万石の加賀藩は、全大名家トップクラスの押しも押されぬ大藩です。

 しかし、実は隠れ百万石が他にもあるのです。あの男の子孫です。

 と、妙な含みを持たせつつ、今宵はここまでにいたしとうござりまする。


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