この道 : 国道247号線




 国道247号線は、名古屋市熱田区の国道1号線交点からスタートして南下、知多半島へ向かい、半島を伊勢湾岸から三河湾へと走りぬけた後、三河地方に入る。なおも三河湾沿いに延びて、終点豊橋市に至る全長151.1kmの道だ。愛知県内の海岸線総延長の6〜7割程度はなぞっていそうな、海伝いを走る道だ。
 2005年中に、その経路上にある常滑市沖の伊勢湾に、中部国際空港(愛称セントレア)が開港する。おそらくは万博に合わせての開港だろう。この「セントレア」からの旅客を名古屋方面に輸送するため、地元私鉄である名古屋鉄道は線路の工事やダイヤの改正を行い、もともと名古屋と知多方面を結ぶ国道だった247号線も、急ピッチで整備が進められているようである。
 起点は、このコーナーで取り上げるのは実に三度目になる、熱田神宮南交差点だ。247号線とは真逆の方向には、19号線と22号線が延びている、あの交差点である。事実上、名古屋国道網の中枢部ともいえる。
 スタート後間もない名古屋市南区は、工業地帯として発達している。247号線は、物流のためだろうか、片側5車線を基本として整備されている。道沿いには大工場が目立つ他、工場労働者向けにか、食堂から夜のお店まで一通りそろっている感じだ。



 247号線沿道の知多郡美浜町と南知多町が合併して、その名もズバリ「南セントレア市」になる…という話だったのだが、やはりあまりに不評だったため現在再考中。
 名古屋市を抜けて南隣にある東海市に入るまで、それほどの時間はかからない。
 静岡、愛知、岐阜をまとめて東海三県、時にここへ三重県を加えて東海地方と呼ぶのだが、愛知県の一地方自治体にこれを代表させるような名前を付けてよいのかどうかは、常々気にかかっている。この名が付いたのは40年近く前の1969年(昭和44)だというのだから、今さら何を言ったところで詮なきことか。
 東海市で247号線は二手に分かれる。上写真にある新道(いわゆる西知多産業道路)と、昔からの町中を貫通している旧道だ。新道側は、完璧に計画されたらしい工業地区の中を延びていく、高速道路並みの高規格道路だ。今は工業製品の搬出入が中心の物流の道に見えるが、セントレア開港となれば、空港方面への旅客輸送にも転用されるようになるだろう。
 この新道には歩道が存在しない。事実上の自動車専用道路である。



 国道247号線新道に沿ってまっすぐ行けば、中部国際空港につくことをさりげなくアピール。
 自動車専用道路を走る用意がなかったため、旧道の方に路線変更。
 東海市は沿岸部こそ工業化著しいが、内陸部に入り込むと、水田地帯や、古い街並などが残っている。民家など、明治大正頃の建物がかなりの数残っているような雰囲気だ。
 旧道はそんな地区を縫いながら走る。スタート直後のかなり早い時点から247号線の近くには名鉄常滑線も走っていたのだが、このあたりまで来ると道と線路の間を隔てるものが何もなくなってくるため、線路を行く電車の姿も良く見えるようになる。聚楽園駅などは、駅舎が国道に面して立っている。名鉄の電車は独特の形状をしていたりして、鉄道マニアの受けが良いらしい。
 常滑線の駅名で言うと、太田川駅前後からは沿道の家並みも、圧倒的に新しいものに様変わりしてくる。




 247号線旧道から見える聚楽園大仏。昭和2年建立。銅像に見えるが、実はコンクリート像カッパー仕立て。座高18.8m。
 するとこのあたりで、横合いから延びてきた国道155号線が、突如として247号線との同道をはじめる。いわゆる重複区間と言うやつだ。247のおにぎりは完全に姿を消してしまうため、何となく155号においしいところを持っていかれたイメージが強い。
 「信濃川」などと名前だけは立派な2級河川を渡ったあたりから、知多市に入る。知多半島の先端部分には知多郡南知多町と言う町もあるが、それとは全く別の自治体だ。
 155号線との合流直後は知多市の市街地になっているのだが、道は間もなく、ちょっとした里山のような地域に入っていく。変化は乏しく、特に見るべきものはないかと思っていたのだが、何もない道すがらでちょっと気になる石碑を見つけた。
 「愛の国道碑 愛知県知事桑原幹根書」と記銘されている。「桑原幹根」氏はおそらく今から二代前の愛知県知事なのだが、先代の治世が長かったため、私の記憶にはない名前だった。
 それにしても、「愛の国道」。国道巡礼者にはたまらない響きだ。多分、「愛知の国道」という以上の意味はないのだろうが、そんなつまらない考え方はこの際よそう。



 うろ覚えながら、場所はこのへんのような気がする。なかなかの珍モニュメント、おしいことをした。
 北畑交差点で新道と合流するも、標識はなおこの道は155号線であると主張している。247号線は全く名前を出してもらえない。200番台以降に空港道路は任せておけないということなのだろうか。
 空港道路を気取るだけあって、このあたりの道は極めて高いレベルで整備されている。ただ、沿道の発展が道の整備に追いついておらず、何もない原野に不釣合いなほど立派な道が敷設されているようにしか見えない。もっとも、道沿いの土地の造成が始まっていたり、国道から分岐する空港直通路の工事が進められていたりしてもいる。もう5年もした頃にもう一度このあたりを走ってみると、かなり様変わりしている事が予想される。
 合流後少し南へ進むと、常滑市の市域に入る。焼き物で有名な街だが、とりあえず「名古屋-セントレアライン」を通り過ぎないことには、窯業の町らしいところはあまり感じられそうにない。




 常滑焼の歴史はかなり古く、中世にはその名を広く知られていた。信楽焼などと並んで、日本六古窯の一つと呼ばれている。市内にある「土管坂」の様子は、愛知県内ならず、他県の人も一度くらいは目にしたことのある光景なのではないか。
 意外なところでは、招き猫の全国シェアの80%が、ここ常滑市で生産されているのだと言う。臨海都市らしく市営の競艇場も供えた街なのだが、その場内には世界最大の招き猫も鎮座しているそうだ。市のマスコットキャラクター「トコタン」までが招き猫と言う念の入れようだ。中部新国際空港の誘致も、これだけ強大な福招きパワーによって成し遂げられたものなのかもしれない。
 空港の副産物的に一気に整備が進んだらしい国道247号線も、常滑市の中心部を行き過ぎたあたりで、良くも悪くもその影響から解放され、並みの3桁国道の姿に戻る。海沿いの区間を走っていると、防潮堤の向こうに、その空港の姿を望む事ができる。
 常滑市南部は、窯業の町の中にあっても漁業で生計を立てているようだ。ここからさらに進むと内陸部に入る。農村地帯になっている。




 かすみの向こうに浮かぶ、海上空港の姿。横長のため、完全にフレームインさせるのは無理。
 田園風景の終わるあたりが、知多郡美浜町野間。
 知多半島には、知多四国八十八ヶ所霊場と呼ばれる八十八のお寺がある。地図があるとよく分かるのだが、特別広い面積を誇るわけではない知多半島にこれだけの数の寺院が集中すると、お寺同士でも過当競争が発生し、実際に知多のお寺の中には檀家の獲得に頭を悩ませるところも少なくないそうだ。
 野間にある野間大坊は、素人目にはそういう悩みとは無縁でいられそうな、有名なお寺である。247号線沿いにも、その所在を示すアーチが存在するほどだ。野間大坊は、先の八十八ヶ所霊場の中では51番目の札所となっている。
 隣接する大御堂寺は50番札所。ここは入浴中に家臣の裏切りにあった源義朝が殺害された場所でもあり、境内には源義朝廟がある。同じ場所では、織田信長の三男・信孝が、元は家臣だった羽柴秀吉の命で切腹させられており、奇妙な因縁があるようだ。
 このあたりの国道沿いでは、民宿が目に付く。野間大坊にやってきた「巡礼者」向けだったり、近くに水族館を擁する南知多ビーチランドなどのレジャースポットがある関係だろう。野間の民宿では、10月から3月にかけてフグが食べられるそうだ。宣伝内容をそのまま書いておくと、本場下関のフグにも引けを取らない味だということ。




 義朝廟には木刀が供えられている。彼が最期に発したと伝えられる「せめて木刀があったなら」という悲痛な言葉にちなむものだが、遠目には小さな卒塔婆か木簡に見えるような模造品。
 同じ場所に池の禅尼と織田信孝も祀られている。
 野間大坊脇を行き過ぎてしばらく行くと、道が再び海沿いに出る。野間灯台が見えてくるあたりから先は、知多半島マリンレジャーの中心地だ。知多半島最南端の自治体・知多郡南知多町に入るが、この一帯に限って言えば、地元では「内海」の呼び名の方が通りが良い。
 ほんの少し前まで道沿いの宿は民宿メインだったのだが、少し進んだだけで民宿の数は激減し、変わってのっぽなホテルが目に付くようになる。いかにも若者向けらしいこぎれいなホテルや、経済力のある中年を対象にしたらしい高級感を漂わせるホテルなどいろいろだが、不況のあおりで店をたたんだらしいところもちらほら。
 内海と、それに隣接する山海地区は、やはり夏こそ一番賑わうのだろう。オフシーズンは閑散としている。なお、山海地区の山側には、軍人像で一部に有名な大慈山中之院がある。




 縁結びスポットとして知られる野間灯台。
 豊浜地区に入る。レジャーで鳴らしている内海・山海に対し、豊浜は典型的な漁師町だ。247号線沿いでも、○○水産という屋号の会社や店が多く目に付き、「鮮魚」「干物」といった看板も多い。その干物を、今まさに作っているところも目にしたりして、実にうまそうだ。駐車スペースが潤沢に確保されていなさそうなのが玉に瑕だろうか。
 ふと上を見やれば、おびただしい数のトンビが、豊浜の空を飛び交っている。これまた漁師町につき物の風景だ。空から獲物を狙う彼らの気持ちも、分かるような気がする。
 豊浜地区のあたりは道があまり広くはない。そのわりに図体の大きなトラックが通るので、スピードは押さえ目に走ったほうが良いだろう。



 知多半島の突端、師崎(もろざき)に到達。三河湾口に浮かぶ篠島・日間賀島などの島並みが美しい。師崎からは渥美半島の伊良湖や、紀伊半島側の鳥羽に向けてフェリーが出ている。その関係から海産物を商うお土産屋は師崎周辺に多い。篠島・日間賀島に向けての船も出ているが、これはフェリーではなく観光船なので注意。
 ここまで来ると、247号線は南下できるだけ南下したことになる。ここから知多半島付け根の半田市までは、反転北上の道のりが続く。
 同じ半島でも伊勢湾側はかなり観光地化されていたのに対し、その点では三河湾側には特にみるべきものがないといわざるを得ない。海に面したコースなので眺めはそれなりに良い。三河湾の一部・知多湾を挟んで対岸の位置関係にある碧南市の沿岸部を、海上都市のように見晴るかす事ができる。特に、中部電力の火力発電所が良く目立つ。



 北上をはじめた247号線も南知多町内では寂しい限りなのだが、再び美浜町に戻ってきたあたりで、道沿いにはかなり活気が戻ってくる。スーパーや、わりあい古くから残っていそうな街並の中を走る区間だ。
 美浜町内にある名鉄河和線・河和口駅前には、河童の像が立っている。247号線を挟んで改札の目の前にあるため、河和口駅のランドマークとして鉄道マニアに愛されている(?)ようだが、国道マニアがこれを撮影してはいけないという法もあるまい。彼女(らしい)の肩越しに247号線を撮影。
 さらに北へと進むと知多郡武豊町に入る。某ジョッキーのような名前の町だが、「たけとよちょう」と読む。この武豊町もかなり市街化が進んでいる。ここまで産業道路、空港連絡路、観光道路といろいろな側面を見せてきた247号線だが、ここに来てはじめて地に足のついた生活道路の顔を見せてくれたような気がする。



 半田市に入る。名古屋市を除けばこれまで走ってきた自治体の中でもかなりの発展を見せている街で、沿道には大きなショッピングセンターがあったり、片側2車線が確保されるようになったり、東海市・知多市・常滑市近辺に比べれば、道の整備だけが先走るのではなく、道と街並の調和が取れているような印象だ。
 既述の通り、半田市は知多半島付け根の東側に位置する街である。知多と渥美の二つの半島に囲まれた内海・三河湾の沿岸をなぞるため、247号線はこの街の中で、進路を直角にまげて東進を開始する。




 半田市内にあるレンガつくり建物。市の売り物らしいが中には入れそうにない。
 衣浦(きぬうら)大橋を通って境川を渡り、高浜市に入る。ここからまでの道は尾張地方、ここから先は三河である。もともとは「森前の渡し」という渡し場が存在していたようだが、今ではこうして橋が架かったので、両岸の移動は極めてスムーズだ。
 しかし、247号線が高浜市内を走る区間はかなり短い。あれよあれよという間に高浜市の隣・碧南市に入り、さらにはそのまた隣の西尾市に入ってしまう。衣浦前後は郊外地・新開地の性格が強いため、249号線もかなりの高規格なのだけれど、先に進むにつれ古くからの街並へと進路を取るようになり、それに合わせて道幅も少々窮屈な雰囲気になってくる。ただ交通量はそれほど多くないため、普通に走るだけならば特に問題となるものでもない。
 西尾市内区間もあまり長くはなく、程なく247号線は幡豆郡一色町へ。「海老せんべい」を名物にする海辺の町というだけあって、道沿いから船溜まりが見えるような場所もある。



 ここまでの247号線は南北方向への移動が主だったのだけれど、一色町まで来ると道は一転して東を目指すようになる。これ以上南には三河湾が広がるばかりで、車でその先の南へと進むことはできない。要はこれまで通り海沿いに進路を曲げることになるわけなのだ。しかし一色から先の吉良町、幡豆町あたりは、地図を一見しただけでは海近くを進む道のように見えるのだけれど、実走してみるとほとんど海の雰囲気を感じることはできない。低いながらも丘陵地に囲まれている関係で、結構内陸路を進んでいるようにさえ思える。
 幡豆町と蒲郡市の境もちょっとした峠になっているのだけれど、こう言った高台に上ってみると、初めて海が近いことに気付かされる。特に蒲郡の入口あたりには競艇場があり、これまた港湾都市らしい雰囲気を醸しだしている。
 247号線は蒲郡の市街地を走るが、街並にこれと言った特徴はない。バイパスの整備も進んでいるが、その進捗度合いは今のところ文字通りの「道半ば」といったところのようだ。
 豊橋市発で伊勢神宮を目指す国道23号線は、蒲郡市内では247号線よりも1本海側を走る。247号線は星越峠を下りきった十能交差点で合流し、そのまま豊橋市西八町交差点までが2路線の重複区間となっている。西八町交差点は、起点・熱田神宮南交差点と同じく国道1号線との交点である。







ロケ地:名古屋市営駐輪場(名古屋港)
今回使用した車
自転車/イオン社製(排気量:乗り手次第?)

国道247号線総括
 私は全区間自転車で移動する結果となったわけだが、150kmという距離は初心ツーリストには少々厳しい長さか。知多半島を走る前半に比べ、後半は景色も単調になってくるのが辛いところ。やはり車での移動が無難。


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