自己存在証明


 ポール・マッカートニー死亡説
 2003.06.08

 
 1966年11月9日、水曜日。ビートルズメンバーのポール・マッカートニーは、自動車事故で死亡した。残されたメンバー達は、人気の凋落を恐れ、ポールの替え玉を立ててこの事実をひた隠しにした・・・・・・。

 今更と言う感じですが、かつて世界中を席巻したポール・マッカートニーの死亡説です。真相は語るに落ちます。ご存知の通り、ポール・マッカートニーは、今もなお音楽活動を続けています。

 私はビートルズ世代でもなければ、ビートルズファンと言うわけでもありません。この噂が世界を駆け巡った時をリアルタイムで生きたわけではないので、あまり詳しいことは分かりませんが、憶測が憶測を呼び、怪しげな噂はまさに百花繚乱。当時、ポールがすでに死亡しているという『証拠』が次々とあげられていきました。中には、『事故』の背後になにやら不穏な陰の存在を思わせる話もありましたし、いくらなんでもそれはないだろうというような、トンデモな噂もあったようです。結局、噂はあくまで噂でしたが、その話の信憑性や完成度となると、玉石混交だったようです。ポール死亡の根拠はいろいろありましたが、その中のいくつかを紹介します。

アルバム『アビイ・ロード』編
1,このアルバムのジャケットは、ビートルズの四人が横断歩道を渡っている写真。四人の中でただ一人、ポールだけが裸足で歩いているが、裸足は死者を意味する。
2,同じくジャケット写真には、フォルクスワーゲンのビートルが映っている。そのナンバープレートは「IF28」。ポールが生きていたら28歳、という意味。ところが、現実にはポールはこのとき27歳。
3,ポールは左利きなのだが、ジャケット写真では右手にタバコを持っている。
4,ビートルズのメンバーは4人なのに、収録曲『カム・トゥゲザー』の歌詞は、“one and one and one is three”。

アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド』編
1,ジャケット写真のポールが頭上にかざしている手は、東洋で死を意味するもの。
2,裏ジャケットの写真で、ポールだけが背中を向けている。頭上には“without you”の文字。
3,『グッド・モーニング・グッド・モーニング』でジョン・レノンが、「彼の命を救うものはなにもない」と言っている。
4,『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』に登場する自動車事故で死ぬ男のは、ポールのことである。

その他
1,『アイ・アム・ザ・ウォルラス』の最後に、シェイクスピアの「リア王」の一節があるが、この場面では、「私の死骸を葬ってくれ」、「おお、こんなに早く死のうとは」などのせりふがある。また、コーラス部分の「ガット・ワン、ガット・ワン〜」を逆回転してみると、「ハハハ、ポールが死んだ」と聞こえる。
2,『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』のラストで、ジョンが“I buried Paul”(私はポールを埋葬した)と言っている。
3,『アイム・ソー・タイアード』の最後の声は、逆回転すると、「ポールは死んだ。さびしい、さびしい、さびしい」と聞こえる。
4,『イエスタデイ』と『ヘイ・ジュード』のポールの声は、機械によって分析すると別人である。

 まだまだ、ポール死亡説の根拠はありますが、ひとつひとつ数え上げればキリがありません。とりあえずはこのくらいにしておきますが、それにしても、よくこれほどいろいろな根拠が見つかったものです。ポールが今も健在である以上、これらの根拠は全て曲解、または妄想の産物と言えます。ノストラダムスの予言ではありませんが、後講釈のように、いろいろな要素をひたすらポールの死へとこじつけてしまっています。言うなれば火のないところに煙が立ってしまったのでしょうが、世の中に存在する、一見客観的に見える事象も、見る人の主観によっていかようにも判断できるということの現れでもあるでしょう。これでは、よほど注意していないと、思わぬ虚報や勘違いに足元をすくわれてしまいそうです。そもそも、ビートルズは、人気の下降を恐れてポールの死を隠そうとしていたはずなのに、何ゆえにそれを暗示するようなメッセージをそこかしこに隠したのでしょうか。そのあたりから破綻している気がします。

 ポール・マッカートニー死亡説は、そもそも、アメリカはイリノイ大学の学生新聞・『ノーザン・スター』に、1969年9月23日付で掲載された記事が発端です。ポールが死んだとされたのは66年、実際にうわさが流れたのは69年なので注意してください。ちなみに同じ69年の5月に、フランスのオルレアンで試着室から女性が消えると言う、いわゆる『オルレアンのうわさ』が流れています。もしかしたら、歴史に名を残す大きな噂の当たり年だったのかもしれません。もっとも、オルレアンの噂に関しては、たまたま詳しい社会学的調査が行なわれただけで、世間一般に広く認知されていると言うわけではないのですが。

 話が横道にそれてしまいました。実はこの学生新聞、知る人ぞ知るインチキ新聞だったそうですが、意外と反響が大きかったようで、その後にもっと権威のあるマスメディアがこの話題を取り上げたため、アメリカ全土に噂が広がり、やがて世界的な関心事となりました。この当時、ビートルズのメンバーはそれぞれソロ活動に入っており、肝心のポールに至ってはスコットランドの農場に引っ込んで、公の場からは姿を消しており、有名人死亡説が発生する状況の黄金パターンに従った形となっていました。

 もっとも、有名人死亡説は普通、姿の見えなくなった時期あるいは、露出が減ってしばらくしてからが死亡した時期になりますから、ずっと以前に本人が死亡していて、その後に替え玉が立てられたというポール・マッカートニー死亡説のパターンは、少し毛色が違っています。この都市伝説では、ポール本人が死亡していることももちろんですが、いつの間にやら替え玉と入れ替わっていると言う部分もまた、人々の関心をひくものであったのでしょう。

 人にはもしかすると、「替え玉あるいは影武者が隠密裏に本人と入れ替わっている」と言う話を好む傾向があるのかもしれません。現実にこのような企てが成功したと言う話はあまり聞きません(そもそも成功したら表面化はしません)が、入れ替わりをテーマにした小説やドラマなどは、結構な数あるのではないでしょうか。さしあたって思いつく範囲では、江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』、隆慶一郎の『影武者徳川家康』、黒澤明の『影武者』などは、入れ替わりの話です。時代物が多いのは影武者と言う言葉からの連想のせいですが、日本の作品ばかり。外国の作品はあまり読まないので詳しいことは分かりかねますが、デュマの『鉄仮面』なんかも、入れ替わりの話のようです。

 考えてると、顔と言うのはもっとも原始的かつ基本的にして、究極的なIDなのかもしれません。双子でもなければ、一つの顔は、一つの人格に固有のものです。もちろん実際には、世の中には血のつながりも何もないのに、容貌の酷似した赤の他人もいるわけですが、一人の人間の活動範囲の中に、そのような相手がいると言うのは極めて稀有な例です。普通は、どこかに自分と同じ顔を持つ人物もいるかもしれない、と思う程度でしょうから、IDとしての顔は、十分実用に耐えうるレベルのものとして、今だに本人照合の一般的な手段になっています。どこに行くにも必ず持ち歩いていくもの、という便利さもあります。

 ところが、もしこれほどの信用を勝ち得ているIDが嘘をつくとしたらどうなるのでしょう。人には、潜在的にそういう不安があるのでしょうか。同じ容貌を持った別人格。慣れてしまえばなんでもなさそうですが、最初はなんとなく違和感を覚え、頼りなさを感じそうです。しかも、ポール・マッカートニーの死亡説に関して言えば、(それが事実であったならば)決して短くない期間、全くの別人をポール本人と認識して接してきたわけです。私には、これまで拠り所にしてきた物が崩壊していく瞬間の寄る辺なさ、奇妙な感覚が、何やらスリリングでさえあり、一種のカタルシスのようにも感じられます。この感覚を、怪談から感じるそれと同質と言ってしまうと語弊がありますが、奇談という分には差し支えないでしょう。もちろん、怪談でないからといって話の魅力が減じるわけでもありません。

 また、ここで視点を変えて。世間的にはポール・マッカートニーと言うことになっている人物が、ただのそっくりさんだったとしたら、現実問題としてどうなっていたのでしょうか。仮に、ポール・マッカートニーが噂の通り1966年の段階で事故死していたとするならば、うわさが流れるまでの3年間、替え玉は本物のポールと比べても遜色のないほどの活躍を続けてきたわけです。作詞作曲などはゴーストライターでも立てておけばやり過ごせるでしょうが、ライブともなれば、そっくりさん自身のパフォーマンスが必要になります。というより、そのための替え玉です。そんな調子で3年間、世間の目から事実を隠し通すことができた彼は、全てが明るみに出たとき、替え玉の任を解かれて元の一般人に戻っていったのでしょうか。実力はあったとしても、ポール・マッカートニー本人でなければお払い箱となっていたのでしょうか。あるいは、ポールの替え玉という以上の価値を見出され、その後も活動を続けていたのでしょうか。必要とされるたは、たまたまポールの持っていた才能だったのか、それとも『ポール・マッカートニー』のネームバリューだったのか。そもそも、人がその人本人であると認識されるための自己存在証明とは何なのか。全ては私の勝手な空想であり、妄想に過ぎない話ですが、ポール・マッカートニー死亡説は、ともすれば本質をしかと見据えることをせずに、うわべばかりで物事を判断しがちな社会に対するアンチテーゼという(やや穿った)解釈もでき、非常に興味深いところです。

 ビートルズは、ポールの死亡説が流れた翌年、1970年に解散しています。ポール・マッカートニーがすでに死んでいるという噂自体は、全く事実無根の物でしたが、当時すでに引き返すことのできないところまで決定的なものになっていたメンバー間の軋轢の中から生まれた、終りへとつながる予兆だったのでしょうか。必然なのか、それとも単なる偶然なのか、実はポールこそが、4人のメンバーの中で、もっともビートルズ存続に心を砕いていました。その後、1980年にジョン・レノンは暗殺され、最近になってジョージ・ハリスンも亡くなり、その一方ですでに死亡したことにされかかったポール・マッカートニーが、現在も精力的に音楽活動を続けているというのは、運命の皮肉かもしれません。