10年目の回想


 阪神大震災と流言
2004.11.25

 
 早いもので、あの震災の日から10年の歳月が経とうとしています。

 その時、なぜか目を覚ましていた事を覚えています。早朝にもかかわらず、です。ひょっとすると、動物たちを「前兆行動」に走らせるのと同じ何かが私の中にも存在していて、それが普段よりも2時間近く早い時間の目覚めをもたらしたのかもしれません。そのことは今回の話とは関係ありませんが、すでに白みかかっている東の空をぼんやりと眺めているうちに、部屋の中の調度類がガタガタと揺れ始めました。当時住んでいた愛知県東部の震度は3程度だったと、ぼんやりとながら覚えています。その後、朝のニュース番組で震源は阪神地方、神戸の街を中心にかなりの被害が出ているらしいことを知りました。その時はそれきりになりましたが、いつもと同じように登校してしばらくすると、「未曾有の」と形容するのがピッタリの、甚大な被害が出ているという校内放送がありました。そのような放送からして前代未聞の事でしたから、これはどうやらただ事ではないようだと実感した記憶があります。これが、後に阪神大震災と呼ばれることになる大災害でした。1995年1月17日のことです。

 因果なもので、当時私は受験を1年後に控えた高校2年生。諸般の事情により1日何時間もずっぽりテレビを見ている事はできませんでしたが、その時はほとんどの局が1日24時間震災関連報道一色で、その態勢を数日に渡り続けていたそうです。もちろん、時間の経過とともに少しずつ平常番組も復帰してきましたが、しばらくの間は震災関連の番組が優越的でした。そうした状況の中、2月24日にはさるボランティア団体の幹部が、自らの出演したテレビ番組の中で、「ボランティア活動のために神戸にやってきた女子学生がレイプ被害に遭った」と発言したことがありました。実はこの話は、当時の神戸市内でよく聞かれた噂の一種でした。

 今回は、この強姦魔の噂をはじめ、阪神大震災の被災地を駆け巡ったいくつかの噂について取り上げています。典型的な震災流言中心の話です。震災発生直後は、多くの人が行政やマスコミ初の情報を仕入れることが出来ず、口コミというもっとも原始的なコミュニケーション手段に頼らざるを得ませんでした。数々の噂はそのような状態を背景としながら発生したものです。

 社会心理学の見地から噂・流言を研究しておられる木下富雄氏によると、震災直後のような条件下では、「都市伝説のような手段が目的化した流言はほとんど見られない」とのこと。要するに、入手した情報を即座にでも次の行動にフィードバックさせる必要があるので、楽しみのためにその場限りで消費されていく噂は極限状態には馴染まないということです。これはまったくその通りでしょう。生命の危険や明日への不安を抱えたままで、与太話に花を咲かせることなど出来るでしょうか。それらは単なるノイズでしかありません。その意味で今回紹介する震災流言の多くは、事実という触れ込みで広まりはしたものの、都市伝説に分類できる話ではありません。

■大規模余震・地震再来の噂
 地震災害時に必ず発生するのが、「何月何日に大きな余震が再来する」というものです。阪神大震災でも、このタイプの噂がもっとも多く聞かれたようです。特徴的だったのは、「次の満月の夜に大きな地震がやってくる」というものでしょう。1月17日の夜は満月だったそうです。

 しかし、大地震襲来の噂が発生したのは阪神圏に限って見られた現象ではありません。大きな地震災害があると、地震に対する国民の関心が俄かに高まるため、マスコミも地震に関する情報を盛んに発信するようになります。週刊誌・スポーツ新聞などの中には、どこから掴んできた情報なのか、「近いうちに大地震がやって来る」などということを言い出すものが現れます。そしてこれが、往々にしてパニックを引き起こします。これらの記事もちょっと注意してソースを探ってみると、かなり怪しい情報であることに気づきます。類似の騒動に関する記録を集めていくと、こういう記事の十中八九は、町のアマチュア地震研究家、あるいはどこかの占い師の発言に基づくもののようにさえ思えてきます。「○○で発生した地震を予知していた!」などと過去の実績を強調しながら煽ることでハクを付けられている事もしばしば。

 けれども実物を目にしてみればハッタリを見破るのも容易いはずなのですが、実は週刊誌・スポーツ紙ならではの落とし穴があります。電車の中吊りもしくは一般紙の広告スペースなどに掲げられる週刊誌の広告は、商売のテクニック上とにかく刺激的な見出しの羅列になっている場合が多く、そういうところでは近いうちに大きな地震が襲来するというのは確定事項であるかのごとく書かれています。駅売り・コンビニ売りのスポーツ紙は大見出しが目立つように並べられていますが、これにしても同じ事でしょう。それだけ見ればかなり確度の高い話のように錯覚してしまい、口伝えで広まっていくうちに怪しげな週刊誌ダネになるような話であることが忘れられていきます。そして、こういう思わせぶりな広告戦略が、実際に地震パニックを引き起こした事もあります。阪神大震災の記憶も生々しい1995年7月頃の事です。原因を作ったのはどうやら週刊現代・週刊新潮だったようで、地震の襲来を匂わされた札幌や山形で地震デマが飛び交い、気象庁などの関係各方面への問い合わせが殺到しました。

 週刊誌に登場する怪しげな占い師・予言者の話が出たついでに。まさに大地震の被災地となった神戸でも、「実はこの地震は前もって予言されていた」という噂が時々聞かれたようです。オウム・麻原彰晃やサイババなどの著名な「超能力者」から、街角の占い師、身近な霊能力者まで、「何処其処の誰某が地震を予言していた」という噂がまことしやかに囁かれました。ちなみに、地下鉄サリン事件は震災から2ヵ月後の3月の事です。当時の麻原はまだ自由の身でした。

 話は震災直後の神戸に戻ります。当時被災地では「次に大地震が襲う場所は、ズバリ東京である」という噂も流れていました。根拠などなきに等しい噂話なのですが、たまに根拠らしきものが説明されていても、週刊誌の記事以上に眉唾物でした。その時期大きな地震は、八戸、水戸、神戸とたまたま「戸」の字がつく土地を連続して見舞っていました。従って、次の地震も「戸」のつく場所で起こると言われたのです。かなり苦しいのですが、「江戸=東京」ということです。

 何にせよ、現時点で予測できる可能性があると公言されている地震は東海地震だけです。東海地震にしても、「予測できる可能性がある」という微妙な言い回しは「予測できない可能性もある」というのと同義なのです。大地震直後にはつき物の地震襲来説も、信ずるに値しないものばかりであると考えた方が良いでしょう。

■放火魔
 阪神大震災は6433人の犠牲者を出しました。傷ましい限りですが、その中には生きたまま火にまかれて亡くなった方も少なくないといわれています。地震により建物の多くが倒壊した被災地を襲った火の勢いは残酷なものでした。しかしこの時、被災者の中には奇妙な事実に気がついた人も少なくなかったようです。火災は、地震発生直後に襲ってきたものばかりではありませんでした。むしろ地震からかなり時間が経過してから、あちこちで火の手が上がるようになったのです。このような経緯があって発生したのが、放火魔の噂です。

 関東大震災は昼時の地震であったため火災による被害が甚大化したと言われていますが、早朝の地震に見舞われた神戸の場合は、台所で使われていた火が火災の主原因になったわけではありません。仮に多くの家庭で料理・炊事のために火が使われている時間帯であったとしても、最近のガス調理器は振動に対する安全対策が徹底していますから、大正の震災と同じに考えることは出来ません。神戸の場合、火災発生の原因となったのは、建物の倒壊による電気系統のショートやガス漏れが中心であったと考えられています。こういう原因の場合、火は地震から数時間後、長い場合には数日後でも瓦礫の山から発生して来ます。当然のことながら、何の予備知識も持たなければこのような現象を理解するのはかなり難しい話です。従って、何者かが倒壊した家屋に火を付けているのではないかという憶測が一人歩きをはじめ、やがては放火魔の噂につながったのです。

 「放火魔」の正体はいろいろと囁かれました。「家が潰れてしまったのならいっそ火をつけてしまった方が撤去費用がかからず、保険金がおりるから得になる」と考えた家主が火をつけたというもの。最近ではそういうCMもありましたが、地震による火災は火災保険では対応できませんから、実際にこんな事をしてもメリットはありません。

 外国人による「犯行」も強く疑われ、韓国人放火魔の噂は国会でも話題に上りましたが、これは発言者が国際的非難を浴びる結果を招きました。

 震災では長田区が最大の被害を出したであろう事は部外者であっても察しのつく話ではありますが、「長田区近辺の再開発を計画していた神戸市の職員が、このあたりの古い街並みを手っ取り早く更地にするため火をつけた」というものもあります。「火災による被害の程度が激しかった地域の住民が、被害の小さかった地域の住民に対して腹いせのために放火しにやって来ている」というものも。これら二者は、内容に関しては言うまでもなくまったくの事実無根ながら、神戸市の裏事情を色濃く反映した微妙な噂のようなので、詳しい言及はやめておきます。

 一脈通じる噂として、「消防の対応が遅れたのも再開発がらみの意図的なもの」というのがありますが、これに関しては命がけで仕事をする消防官に対する侮辱ですらあります。未曾有の大災害が消防署の能力限界を越えてしまい、そのために悲痛な思いを味わう事になった方の多さを思うとやりきれない部分もあるのですが。

■強姦魔
 冒頭で少し触れた被災地の強姦魔の噂はマスコミに登場するよりも前の段階で、神戸市内においては驚異的ともいえる認知度を保っていたようです。この噂に関しては、「典型的震災流言」とすると少々語弊があるかもしれません。『流言兵庫』によると、この種の噂は地震があった1月17日から4日後の21日に最初の物が確認されたということですが、当然それよりも前から同種の噂が存在していた可能性は強く疑われます。荒廃しきった神戸の街の風景が、この噂に不思議なリアリティを与えていたようです。

 新聞や週刊誌など影響力のあるメディアは、このレイプの話を一定の距離をおきながら見ていたようで、話の性格もあってか大々的には報道していません。その反面、どうやら実態の怪しい話であることがわかってきても明確な否定報道も行われなかったらしく、未だにこれを事実だと認識している人は、神戸市内外を問わず、結構な数に上ると思われます。

 この噂は被災地の一側面を表すものとして、地元紙はじめ一部全国紙、スポーツ新聞、いくつかの雑誌、そして関西ローカルのテレビ番組でとりあげられました。もっとも、そのスタンスは一様ではなく、「そういう噂がある」と間接的に報じる慎重なものから、ほぼ事実であると断定して報道するものなど、微妙な差はあったようです。共通していたのは、当事者不在の構図、そしてニュースソースでした。一部マスコミがレイプ事件実存のよりどころとしていたのは、『物語の海、揺れる島』によると、当時神戸で行われていたとある電話相談に寄せられたと言う40件近い相談だったようです。同じようなテレフォンカウンセリングはいくつか行われていたものの、レイプにまつわる相談はほとんどなかったようで、約40件と言う数字は突出して多く、この点でかなり特殊なものと言えます。

 各種メディアのニュースソースとなったテレフォンカウンセリングの情報はそのようだったとして、他にこの噂が事実である事を示すデータはあったのでしょうか。何よりも注目すべきは警察発の情報でしょう。震災の年に兵庫県警が検挙した強姦事件は、例年並の56件。県警側でもレイプの噂は頻繁に耳にし、実際に出動もしてみたものの、事件の形跡を掴む事は出来なかったようです。被災地の警察署に限定して強姦事件の件数に着目しても、前年発生件数より微減しています。

 当時、強姦事件の噂を盛んに口にする人はかなりの数に上ったようですが、彼らと「被害者」の間には常に一定の距離感が存在していたようで、ちょうど「友達の友達」のような、感覚的にはかなり近しく感じるものの実際には話者にとって一面識もない人物が被害者であることが普通でした。

 震災当時から、火事場泥棒よろしく被災地を跋扈したと言われる強姦魔の存在を証明する具体的な事実・実証的な根拠は何一つ見つかっていないことを指摘する人たちもいました。震災から10年たった今も状況は変わらず、結論から言ってしまえば、被災地の強姦魔の話は事実無根の流言であるとしてしまって、ほぼ間違いはないでしょう。もっとも、この種の噂には「セカンドレイプ」の問題がつき物で、そのために真偽を100%断定するのが難しい面があるのも事実です。さらに10年経ってしまったためにかえって事実関係の追及が難しくなり、今となっては真偽の判定など望むべくもない状態になっているという見方も出来ます。そう考えると、強姦魔の噂は、時を経て一層複雑怪奇な状態にはまり込んでしまった噂なのかもしれません。



 元々今回のコラムを書くきっかけになったのは、関東大震災時の流言についてまとめたことです。その規模については未だ研究の途上にある感が否めませんが、この時は事実無根の流言を信じた人々が多くの朝鮮人を殺害したといわれています。翻って阪神大震災のときには、暴動・掠奪の類は全くと言って良いほど発生せず、被災地へ取材にやってきた各国のプレスは、被災者の冷静で理知的な振る舞いに賞賛と驚嘆の声を上げています。しかしその裏では多くの流言蜚語が飛び交い、そこで暮らす人たちは大なり小なりそのような怪情報に踊らされたと言います。身も心の疲弊した状態で、さらにあらぬ噂のためにエネルギーを消耗するのは本当にナンセンスです。

 しかし、関係当局、そしてマスコミが発表する情報の収集に努めるのがこういう場合のセオリーであるのは事実ですが、並外れた激甚災害が発生してしまうと、そのようなセオリーに従う事さえ難しくなるというのが現実のようです。ライフラインが寸断され、テレビ、新聞、電話、インターネット、あらゆる情報伝達手段を封じられた中で、多くの人が口コミ情報を頼みにしたのは前述の通りです。これは後述する内容ですが、避難生活下での生活保障に関する情報ですら満足に伝達されず、被災者がここに不満を持ったという述懐も多く残されています。これまた古典的に言い伝えられている地震対策ですが、やはり電池で動く携帯ラジオは必要になってくるでしょう。行政も事に当っては的確に対処し、市民との意思の疎通が図れるようゆめゆめ油断のないようにしてもらいたいものです。

 個人的には「いつ来てもおかしくない」東海地震に長年脅かされ続けてきた地域に暮らして来ましたが、いよいよ不安になってきました。なまじ知識を付けたために不安ばかりを増大させてしまう事にならぬよう、現実的に差し迫った問題と考えて対処策を講じるよう自分に言い聞かせつつ、今回の話を締めさせていただきます。


【阪神大震災の諸相】
●生活保障(噂・流言)
 「仮設住宅申し込み開始」という事実無根の流言は、かなり早い段階から飛び交っていた。慌てて申し込み会場とされる場所に走ってみたが、結局何もなく無駄足だったという経験をもつ人も少なくない。「罹災証明本日締め切り」、「無料銭湯サービス」、「市役所で見舞金」、「倒壊住宅無料撤去」等々の噂もあった。行政による配給の形を取る諸々のサービスのために狂奔させられた人は多いようだ。
 市立学校の再開に伴い、その体育館に非難していた人たちが追い出される事になるのではないかと、恐慌状態に陥った騒動もあった。

●動物たちの前兆行動・前兆現象(噂・流言)
 犬・猫の話が多い。特に、猫は自地震前の数日から姿を消していたという。赤い雲、地震雲の話も。

●地震の原因は?(噂・流言)
 オウムの地震兵器(「人為的・作為的に地震を発生させた」と言う噂は関東大震災時の朝鮮人デマでも見られたパターン)他、明石海峡大橋の橋脚が原因、など。

●指輪泥棒(噂・流言)
「左手薬指のない遺体を見かけた。火事場泥棒に、指ごと指輪を盗まれたのだろう。」
 無人の街を跋扈する窃盗団、東南アジア系窃盗団など、窃盗団に関する噂はこれだけの大混乱の中では珍しいものではない。指輪泥棒はそのなかでも特徴的なもの。ただ、さほどよく聞かれた噂という訳ではないようだ。

●実際の死者数(噂・流言)
 震災による死者は、発表されている数よりもかなり多くなるのではないか。この犠牲者数は住民票をもとに算出される(?)のだが、被害の大きかった長田区には、不法滞在の外国人や暴力団など、住民票を持てない人がかなり多かったからだといわれている。

●売り惜しみ・買占め(噂・流言)
 どこそこの店は物資を買占め、値段がつりあがるまで売り惜しみしている。これも定番の噂。もっとも、噂の上を行くあざとい商売を行った店もあるそうだ。

●水・飲料(噂・流言)
 水の販売をしている店舗、生きている自動販売機の情報も、飲料が安定供給されるようになるまではよくやりとりされた。やはりというか、ガセネタは多かったようである。非喫煙者にはわかりにくい話だが、タバコの残っている自動販売機の情報も、愛煙家の間では盛んにやりとりされたらしい。

●暗殺(噂・流言)
 地震の混乱に乗じて、震災の犠牲者に見せかけて殺人がおこなわれたという噂も多かった。公安が北朝鮮のスパイを暗殺したというものも。

●「救済物資」(噂・流言)
 ダンボール箱に「救援物資」ではなく「救済物資」書かれているものがあった。この箱は暴力団がらみで送られてきた救援物資らしい。
 上の話は噂であるが、パフォーマンスであれ何であれ、暴力団の統率の取れた組織力が、とにかく助けを必要としている被災者からはかなり高い評価を受けた事は事実である。何しろ自衛隊よりも早く現地入りしていたという。この活動が報道され、隠密裏の活動が難しくなって暴力団が撤退せざるを得なくなり、その結果被災者の生活に不都合が生じた事もあったと言われている。

●病気(噂・流言)
 どこそこの避難所にはある病気の感染者がいて、パニックになっているらしい。具体的にHIV感染者と言われた事も。

●遺体発見現場(現象)
 遺体の身元確認の時になって、「なぜこの人がこんな場所で見つかったのだろう?」と首をかしげるようなパターンが多かった。

●便乗値上げ(現象)
 焼いも1本5000円、ソーセージ1本5000円、タクシーによる遺体搬送1体70万円

●地震で倒壊した建物(現象)
 古い建物の方が生き残り、耐震基準設定遺構の建物は軒並み倒壊したようだ。ちなみに、建設省(当時)の調査が壊れた建物に入っても、施主であるゼネコンは頑として調査を拒否し、完全に解体し終わった段階で初めて調査を受け入れることが多々あった。

●新聞拡販競争(現象)
 地元紙神戸新聞は、震災でしばらく身動きが取れなくなった。この間隙を縫うように、全国紙は社名入りの救援物資を避難所などに配っていた。そして、事態が落ち着いてきた頃に新聞の勧誘にやってきたという。100機を超えたとも言われる空を覆い尽くすばかりの取材ヘリ、被災者が泣き出すまで質問を続けるレポーター、続続現地入りするテレビニュースの有名キャスターなど、マスコミが被災者の不興を買ったという話は多い。

●メディア(現象)
 テレビが伝える情報は被災者のための情報ではなく、東京はじめ、被災地以外の住人に向けた情報で、被災者はあまりあてには出来なかった。総じてショー化してしまったテレビに対する被災者の評価は低かったが、例外的にケーブルテレビが健闘している。
 ラジオの方が地域に密着した情報を流し、被災者にとっての頼れるメディアとなった。普段聞きなれているパーソナリティーの声を聞くと安心できたという声もあるようだ。やはり、電池と携帯ラジオは万が一に備えて必須だろうか。
 地元紙はじめ、新聞に対する評価も高い。



 ちょうどこのコラムを書きはじめた頃、テレビは新潟中越地震に関する報道一色になっていました。三十人を超える死者、そして決して少なくないけが人を出し、新幹線の脱線など、相対的な被害規模で見れば阪神大震災とは比べるべくもないものの、かなり大きな地震災害となった事は確かです。最近地震流言づいていて神経過敏になっているのかもしれませんが、こうして震災時流言に関する情報を公開している立場上、不要の混乱(一部では震災に関連した善意系チェーンメールも発生した様子ですが)、そしてそれに起因する人災の発生がないことを願います。何より、被災地の一日も早い復興をお祈りします。



▼参考文献
NEWS WORK取材チーム、1995年、『流言兵庫 阪神大震災で乱れ飛んだ噂の検証』、碩文社
与那原恵、1997年、『物語の海、揺れる島』、小学館
小城英子、1997年、『阪神大震災とマスコミ報道の功罪 記者たちの見た大震災』、明石書店
黒田展之+金沢聡広編著、1999年、『震災の社会学 阪神・淡路大震災と民衆意識』、世界思想社