80年代に甦った鬼女伝説


 口裂け女
 2002.11.02


A君は、学校の帰り道で女の人に呼び止められました。
その女の人はA君に『私、きれい?』聞いてきました。
彼女は大きなマスクをしていましたが、すっきりとした目鼻立ちから美人だと分かったので、A君は『きれい』と答えました。
すると女の人はマスクを外してこう言いました。
『これでも、きれい?』
マスクの下の女の人の口は、耳にまで達するほど大きく裂けていました・・・・・・

 これが80年代初頭の日本に、流行り病のように広まっていった口裂け女の話の典型例ではないかと思います。実際に似たような話を耳にされた方も多いのではないでしょうか。ただ、一口に似たような話といっても他の都市伝説同様、ひょっとすると他の都市伝説以上にかもしれませんが、口裂け女の話にはおびただしい数の細部が異なる別バージョンがあります。
とりあえず、以下ではそういう情報を整理してみます。

1、出没開始時期

昭和54年(1979年)の夏ごろ?岐阜県美濃加茂市あたりで最初に目撃されたといわれる。
なお、直接的な関連性はなさそうだが、それよりはるか以前の江戸時代にも口裂け女の話がある。
寛政の頃、江戸新宿麹町十二丁目の大黒屋長助の下人、権助が口裂け女を目撃している。
大雨の夜、権助が歩いていると、前のほうをずぶぬれになりながら歩いている女がいた。気の毒に思って傘に入れてあげようとすると、その女は『口耳の際まで裂けて髪掻っ捌きたる化け物』だったそうだ。権助はその後精神に異常をきたし、間もなく死んでいる。

2、服装など外見的特徴

色白で痩身の美人とされることが多い。
身長は155cmくらいという情報がある。
白くて大きなマスクをしている場合がほとんど。
まれに茶色いマスクをしているという情報が見られる。そのマスクは、もとは白かったのだが、裂けた口の端から流れる血で染まって茶色くなったのだという。
服装は赤い服、赤いコート、赤いマント、赤い頭巾など、赤系統の服を着ているという情報が多い。中には、白いパンタロンや緑色のネッカチーフ、黒いベールなどを身に付けていることもある。
赤いセリカに乗っており、年齢が確認されている例では20歳

3、凶器

包丁、ナイフ、斧、かみそりなどがあるがが一般的。これらを隠し持っていて、道で人に声をかけ、満足のいく答えが帰ってこないとその相手に襲い掛かる。

4、口が裂けた理由

口裂け女は三人姉妹の末の妹とされることが多く、口が裂けた理由はこの三人姉妹と言う部分と関係していることが多い。まず、三人姉妹は(もともと美人だったのだがさらに)きれいになりたくて整形手術をするのだが二人は成功し、末妹だけは失敗し、結果口が裂けてしまったという整形手術失敗説
さらに三人姉妹の一番上の姉は整形手術に失敗し口が裂け、二番目の姉は交通事故で口が裂け、それをうけ末の妹が発狂し、自分の指で口を引き裂いたとする説、あるいは1人だけ元の美しい顔のままの妹の口を一番上の姉が鎌で裂いたり、さほど美人ではない姉が美貌の妹を妬んで裂いたと言う姉の嫉妬説がある。
こうして生まれた「口裂け女」であるが、姉妹説を取る話の中には、三人のうちの二人はすでに警察に捕まっており、末の妹だけが凶行を繰り返しているのだと言う説明がつくことがある(五人いて三人警察に捕まったと言う話もある)。
他には草刈をしていて、誤って草刈鎌で自分の口を裂いたと言う自傷事故説
熱いコーヒーによるやけどが原因という火傷説
さらに難産で医者のメスが口を切ったという医療事故説も。この場合、シチュエーションがちょっと分かりづらいが、口を切られたのは母親の方である。すると、口裂け女は子持ちと言うことになり、若い女性のイメージとはちょっと結びつきにくい。

5、好物と弱点、助かる方法について

なんと言っても好物はべっこうあめ。他には、黒砂糖、ボンタンアメ、チュッパチャプス。これらを与えて口裂け女が夢中でなめている隙にできるだけ逃げなければならない。この場合、チュッパチャプスは都合が良い。『三分間お任せキャンディー』なので、安定して時間を稼げるため。
弱点はポマード。ポマードを髪につけておくか、三回繰り返し唱えると口裂け女をひるませることができると言う。また、手のひらに「犬」と書いておいてそれをパッと見せても効果あり。この字は、墨で書くのがいいとも、マジックで書くのがいいとも言われる。
もし声をかけられた場合、右肩をたたかれたら左からゆっくりと、左肩をたたかれたら右肩からゆっくりと振り返れば殺されない。また「田中さんの友達」と言えば大丈夫だし、ポマードを置いている化粧品店、レコード店に逃げ込めればセーフ

6、その他

口裂け女は足が速い。普通に逃げ切るのは難しく、そのためいろいろな弱点が研究(?)されているのだが、その足の速さに関する情報も様々。100mを11秒〜12秒程度、と言うだけでもかなりの速さだが、仮にも女性であることを考えれば一層驚異的な速さである。いずれにせよ、口裂け女がターゲットにする小学生では到底逃げ切ることはできないのだが、6.5秒、中には3秒で走ると言われることもある。100m3秒となれば時速に直して120km/hであり、ターボばあちゃん並みの化け物じみた脚力ともいえる。オートバイよりも速く走ると表現されることもあるが、時速120kmとなればそれも無理からぬことかもしれない。
口裂け女は3という数字が好きで、三鷹、三軒茶屋によく現れると言う。また、口裂け女のねぐらは三軒茶屋の百貨店と言う話もある。チュッパチャプスが好物というのも3との絡みか。
美男子を見ると顔を赤くすると言う情報もあるし、ツイストの「燃えろいい女!」を6回歌うと出ると言う不思議な情報もある。


 おそらくもともとは、実在の変質者・異常者の類いとして話題に上るようになったのでしょう。人口に膾炙されていくうちに、異常な脚力や呪術的な対処法など、化け物じみた属性を持っていくようになったのではないかと考えられます。噂話には尾ひれがつく、というのは一般に良く知られた現象です。

 では、もともとがどんな話だったのか、となるとそれは専門的に口裂け女の話を研究している人たちにも容易には分からない問題なので、ここではっきりとは明言しにくい部分です。ただし、以前『特命リサーチ200X』でなされていた解釈によると、もともとそれに近い『鬼女』の話が存在していたそうで、その話を母体にして口裂け女の話が作り上げられていったのではないかということでした。その元になった話では、すでに女の口は『裂けていた』そうです。ただし、これは実際に裂けていたのではなく、そういう扮装をしていただけでした。

 この『口が裂けていた』という部分が、この話の『口裂け女』に至る拡大・変化に大きな影響を与えたのではないでしょうか。身体の部位でも大きな口というのは、時に強い攻撃性を表す、という考え方があるそうです。例えばホラー映画のクリーチャーやモンスターのデザインをする場合には、かなり意識される部分なのだそうです。実際にそうした怪物は大きな口をしていることが多いような気がします。この話に敏感に反応した小学生ぐらいの子供達に怪獣などの絵を書かせてみても、それらもやはり大口を開けたものが多いのではないでしょうか。ついでなので触れておくと、この話は、ともすると日本中をパニックに陥れたかのように語られることも多いのですが、実際にヒステリックな反応を示したのは主に口裂け女に狙われる小学生達が中心なのだそうです。集団下校をさせる学校もあっただとか、PTAなどによる巡回が行われたなどの話は、子供達の反応があまりにも激しいので、学校や親などが子供達にいらぬ恐怖を与えないように配慮した、といったあたりが真相のようです。数年ほど前に学校の怪談がブームになりましたが、口裂け女の話も昔から変わらず子供達が持っている、怖い話好きな部分に訴えかけるものがあったのでしょう。

 参考までに、他に鋭い鉤詰や角なども攻撃性とそれに対する恐怖心を喚起させるものだそうです。

 実際に肉食の動物達が獲物を狩る場合は、かみ殺すことが多く、人間も含め、動物というものは大きく開かれた口に対して本能的に脅威を覚えるのかもしれません。考えてみれば脚が早いという特徴も、アフリカの草原などに住む肉食動物(捕食者)のイメージに結びつきます。してみると、口裂け女に追われる子供というのは肉食動物に追われる草食動物とも言えるのかも知れません。大きな口を開け、猛烈な速さで襲い掛かってくる存在というのは、人間の本能の中にある原初的な恐怖を具現化したものなのかもしれません。口裂け女につきものの「赤」という色も、攻撃性を強調するために付け足された属性でしょうか。

 蛇足になりますが、鋭い爪は猛禽類などの強力な武器ですが、攻撃手段としては噛み付きよりは若干マイナーでしょうか。角に至っては、鹿、象、牛、やぎ、羊などほぼ草食動物にしかないような気がします。肉食動物(?)では海棲哺乳類のイッカクくらいしか思い出せません。角で突く、という行為は積極的な攻撃手段というよりはカウンター型の防御手段でしょうか。

 もう一つこの話がここまで大きな広がりを持つに至った原因を挙げるのなら、マスクを取るとその下から大きな口が現れるという部分でしょうか。このくだりには、有名な怪談の「のっぺらぼう」が、肩越しに声をかけられたときには普通にしているのに、振り返ってみて初めて化け物だと分かる、というのに通じるものを感じます(江戸時代の口裂け女の話など、プロットはのっぺらぼうと全く同じなので、わざわざのっぺらぼうの話を持ち出してくる必要もないのかもしれませんが・・・・・・)。

 マスクをしている限りは楚々とした美人が、マスクを外すというきわめて現実的な手段で怪物に変貌するのです。そういう意味で口裂け女はのっぺらぼうの現代版、現代の妖怪談と言えるのかも知れませんし、その日常と非日常の同居する部分が当時の小学生の関心をひいたのかもしれません。

 途中話が横道にそれましたが、口裂け女の話は、もともとは「ちょっと恐い話」程度だったのに尾ひれがついていったものなのではないでしょうか。特徴的なのは、その尾ひれのつき方が、より強く話者達(主に小学生)の恐怖を喚起する方向に特化していったことであると言えるのではないかと思います。子供達の恐いもの見たさの気持ちさえも刺激しながら・・・・・・。

※2004.10.28 追記
 『初出は1979年の岐阜』。口裂け女研究を扱った書籍を見ると、かなりの確率でこの記述が見られると思います。やや語弊のある言い回しで、実際には口裂け女の噂はそれ以前からも存在していました。極端な話となると寛政年間の口裂け女という事になりますが、そこまで遡らずとも、70年代頃には口裂け女はそこそこメジャーな怪異となっていたようです。この70年代の口裂け女については、私の方でかなり過小評価していました。では「初出が79年とはどういう意味なのか」という話になりますが、実のところ口裂け女研究の多く(というよりほとんど全て?)は70年代末から80年代初頭にかけて発生した口裂け女パニックを主眼に行われた物であり、このパニックの直接の契機となった情報をたどって行くと、79年・岐阜にたどり着くようです。

※2004.12.18 追記
  口裂け女のマスコミ登場遍歴を眺めてみると、確認できる初出は「1979年1月26日付 岐阜日日新聞」。ついで「1979年3月23日付 週刊朝日」。そして「1979年6月26日付 週刊朝日」では、「岐阜県八百津町で発生」となります。八百津町は美濃加茂市のとなりです。「別冊宝島92 うわさの本」に収録された朝倉喬司氏のレポートも八百津町起源説の流れを組むもので、現在ではこれが震源地に関する議論の決定版となっています。改めて見るとこれが何となく気になる流れなのですが、たまたま岐阜の地方紙が初出だったために、口裂け女の記事を書きたい(やや軽薄なスタンスの)週刊誌の目がそちらに向かい、全国的に岐阜起源説が認知され、以後岐阜起源の潮流が出来上がってしまったと疑えなくもありません。研究者の初出考証においても、マスコミ記事は重要な指針の一つになりますから、直上ではあんなことを書いているものの、「初出岐阜」の話は、意外と重要な問題なのかもしれません。なお、各記事の内容は未確認です。
 ちなみに都市伝説ネタを扱う際に取り回しの良かった「うわさの本」を不注意で紛失してしまいました。一番ルーツ探しの過程を探りやすかった本でさえ、どのような経緯で筆者が八百津町にたどり着いたのかがわからなくなっています。