鵺的妖怪は意外に都市伝説的でもあった


 そろそろくねくね
2005.02.27

 
 「妖怪くねくね」のことは、「のようなもの」も含めれば、メールや掲示板で過去に何度か投稿を受けています。

 別に知らなかったわけではないのです。しかし今までこのサイトで取り上げずに来たのは、伝えられる「くねくね」の話のいずれもが、伝聞調で語られるうわさ=都市伝説ではなく、あくまで一次情報、つまり個人の超常現象体験談だったからです。周縁領域も適当につまみ食いしている関係で、おそらく傍目には放漫にやっているようにしか見えないであろうこのサイトも、実はうわさや迷信の類に限って取り上げるように心がけてはいるのです。今回「くねくね」のことを取り上げるのは、変節というよりは無心に「くねくね」の情報を投稿してくださる方の存在を心苦しく思ってのことです。「くねくねは守備範囲外です」と宣言しても良いのですが、それではそっけないので…といったところです。ただし、「くねくね」の正体に関する考察ではなく、「くねくね」をめぐる動きを遠巻きに眺めるのが中心になります。「くねくね」という妖怪のことを肯定的に受け止め、盛り上げていこうという人たちに興ざめな思いをさせる可能性もありますので、ここまで読んで嫌な予感を感じた方はこちらからお戻りください

 「くねくね」のことを語ったとされる話の中で、もっともよく知られているのが下のパターンでしょう。怪談系のサイトを中心にわりとあちこちで見かけるものですが、初出は2ちゃんねるオカルト板の「洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?Part31」のようです。このスレは長寿シリーズですが、同一シリーズ内でもタイトルが微妙に変更されていることがあるので、ここでは便宜上「洒落恐スレ」としておきます。なお、下に掲載した文章は、この場所への掲載の都合上、オリジナルの体裁に適宜手を加えています。

 これは小さい頃、秋田にある祖母の実家に帰省した時の事である。
 年に一度のお盆にしか訪れる事のない祖母の家に着いた僕は、早速大はしゃぎで兄と外に遊びに行った。都会とは違い、空気が断然うまい。僕は、爽やかな風を浴びながら、兄と田んぼの周りを駆け回った。
 そして、日が登りきり、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風か止んだ。と思ったら、気持ち悪いぐらいの生緩い風が吹いてきた。僕は、『ただでさえ暑いのに、何でこんな暖かい風が吹いてくるんだよ!』と、さっきの爽快感を奪われた事で少し機嫌悪そうに言い放った。
 すると、兄は、さっきから別な方向を見ている。その方向には案山子(かかし)がある。『あの案山子がどうしたの?』と兄に聞くと、兄は『いや、その向こうだ』と言って、ますます目を凝らして見ている。僕も気になり、田んぼのずっと向こうをジーッと見た。すると、確かに見える。何だ…あれは。
 遠くからだからよく分からないが、人ぐらいの大きさの白い物体が、くねくねと動いている。
 しかも周りには田んぼがあるだけ。近くに人がいるわけでもない。僕は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
『あれ、新種の案山子(かかし)じゃない?きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、農家の人か誰かが考えたんだ!多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!』
 兄は、僕のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。風がピタリと止んだのだ。しかし例の白い物体は相変わらずくねくねと動いている。兄は『おい…まだ動いてるぞ…あれは一体何なんだ?』と驚いた口調で言い、気になってしょうがなかったのか、兄は家に戻り、双眼鏡を持って再び現場にきた。兄は、少々ワクワクした様子で、『最初俺が見てみるから、お前は少し待ってろよー!』と言い、はりきって双眼鏡を覗いた。
 すると、急に兄の顔に変化が生じた。みるみる真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには持ってる双眼鏡を落とした。僕は、兄の変貌ぶりを恐れながらも、兄に聞いてみた。『何だったの?』
 兄はゆっくり答えた。
『わカらナいホうガいイ……』
 すでに兄の声では無かった。兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。
 僕は、すぐさま兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。しかし気になる。
 遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。しかし、兄は…。よし、見るしかない。どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる!僕は、落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。
 その時、祖父がすごいあせった様子でこっちに走ってきた。僕が『どうしたの?』と尋ねる前に、すごい勢いで祖父が、『あの白い物体を見てはならん!見たのか!お前、その双眼鏡で見たのか!』と迫ってきた。僕は『いや…まだ…』と少しキョドった感じで答えたら、祖父は『よかった…』と言い、安心した様子でその場に泣き崩れた。僕は、わけの分からないまま、家に戻された。
 帰ると、みんな泣いている。僕の事で?いや、違う。よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。僕は、その兄の姿に、あの白い物体よりもすごい恐怖感を覚えた。
 そして家に帰る日、祖母がこう言った。『兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと、狭いし、世間の事を考えたら数日も持たん…うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ…。』
 僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。以前の兄の姿は、もう、無い。また来年実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。何でこんな事に…ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で…。僕は、必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。
 祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。
 僕は、遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと、双眼鏡で覗いたら、兄は、確かに泣いていた。
 表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初で最後の悲しい笑顔だった。
 そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。『いつか…元に戻るよね…』そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。そして、兄との思い出を回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。
 …その時だった。
 見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまったのだ。
『くねくね』


 これは、この正体不明の存在に「くねくね」という名前が与えられた話でもあります。事実上の「くねくね」初出例と言ってしまっても良いでしょう。投稿日は2003年の3月29日。話を書き込んだのは「洒落恐スレ31」の756氏。この部分だけ切り取るとかなり恐い話に見えるのですが、実は「くねくね」本編のストーリーテリングに入る直前、756氏は「もともと存在していたまったく別の話に触発され、自分の何でもない体験に脚色を加えてひとつの物語を書き上げたのでそれを掲載して良いか?」という旨の書き込みをしています。

別サイトに掲載されてて、このスレの投票所でも結構人気のある
「分からないほうがいい」って話あるじゃないですか。
その話、自分が子供の頃体験した事と、恐ろしく似てたんです。
それで、体験した事自体は全然怖くないのですが、その
「分からないほうがいい」と重ね合わせると、凄い怖かったので、
その体験話を元に「分からないほうがいい」と混ぜて
詳しく書いてみたんですが、載せてもいいでしょうか?


 要するにそれが上の話というわけです。この話の何が怖いと言って、「兄」がおかしくなってしまうことです。756氏自身の体験は全然怖くない体験だったというのですから、兄が発狂したなどという悲劇的事実はないのでしょう。してみると、半分実話半分創作…というより、前掲の話のかなりの部分が創作だったのだと思います。

 一方、その756氏がインスパイアされたという話は、2001年7月7日に「洒落恐スレ6」の212として投稿されたものです。ただし、これは全く別の怪談サイトに投稿された怪奇体験のコピペであって、212氏のオリジナルではありません、コピペ元の掲載日は2000年3月5日となっています。実物を見てみると分かりますが、この段階ですでに、後につながる「くねくね」談の基本フォーマットは完成されています。

 そして、「洒落恐スレ31」756氏の投稿を受けたものなのかどうかは定かではありませんが、後にシリーズ化することになる「くねくね」スレの初代スレが立てられたのが2003年7月9日のこと。このスレでは756氏の話が、投稿者「くねくね」名義で紹介されています。この段階では元ネタに強い創作色がある可能性ついては触れられていません。直後に同スレ15氏の「この話はネタ」という指摘が入りますが、それも何となくスルーされます。このあたりの流れだけ見ると、「ぞぬ」の時のような、よくあるネタスレの雰囲気を連想するのですが、畳み掛けるように「似たようなもの」の情報が連投され、ネタスレが少しずつシリアス路線に方向転換されていく様子が見て取れます。その後も「似たようなもの」の情報が断続的に寄せられ、スレ住人にもある種の真剣さが宿っていきます。

 しかし、この少しずつの断続的な情報提供が厄介なもので、「くねくね」は、「最低限どんな要素をもったものを『くねくね』とするか」というような厳密な定義も無いまま、書き込まれる「似たようなもの」の情報をどんどん取りこみながら成長を続けていきます。一応、現在の「くねくね」スレのテンプレートには下記のような特徴が掲示されていますが…。
  • 白い。又は黒い。
  • 人間では考えられないような格好でくねくねと動く。あるいは踊る。
  • 之が単に視界に入っただけでは害は無い。
  • 之が何であるかを理解すると精神に異常を来たす。
  • 夏の水辺で多く目撃される。
 これは「くねくね」スレの第2弾から用意されたテンプレートの文章です。それらが本当に同じ事物をさした情報なのかどうかは不明ですが、似たようなものだからと、第1弾スレ(およびそれ以前)に上がってきたいろいろな事例を、「くねくね」の目撃例として十把一絡げに処理して造られた「くねくね」像です。当然、情報がごった煮状態になっている可能性があります。

 「くねくね」には目撃例が豊富にあるようでいて、上で紹介した「くねくね」談がいまだにスタンダードであり続けているというのは、今までに寄せられた情報があまりにも細分化され過ぎ、単独では日常に埋没してしまうような話ばかりだということの表れだと思います。いみじくも756氏が「重ね合わせると凄い怖かった」と言っていたように、756氏の投稿を旗頭にして、はじめてそういった雑多の体験談も怪奇体験めいてくるのでしょう。

 このあたりまでは「くねくね」スレからのリンクをたどり、検索に一手間かければたどり着けるような情報ですので、知ってる人は知っているというような内容です。

 現在の「くねくね」スレでもいろいろと議論や雑談が交わされていますが、初期とはかなり住人が入れ替わってしまっているのではないかと思います。スレタイが「スリムオバQ」だった頃には、オバQのせいで寂れてしまったと言う話も囁かれていました。「くねくね」の起源説についてきちんと把握している人は、今のスレ住人の中でもそんなに多くはないのではないかと思います。最初の「くねくね」談も、事実・創作は不問で恐さこそが存在意義の洒落恐スレにおさまっているうちは良いのですが、その正体を考察し始めるのは何かが違うような気がします。「くねくね」の実態は、名前がそこそこ売れるようになった反面で、ひどく不明瞭になっているのです。

 ヌエと言う妖怪が今に伝えられています。頭は猿、背は虎、足は狸、尾は狐(異説あり)という継ぎ接ぎされて造られたような妖怪です。私には、どうしても「くねくね」とヌエのイメージがダブって見えてしまいます。平安貴族も「麿は狐のようなもののけを見たでおじゃる」とか、「麿が見たのは虎のような化生でおじゃった」などと各々の怪異情報を持ち寄って、今に伝えられる合成獣のようなヌエ像を作ったのかもしれません。「鵺的」とはまさにつかみ所のないことを現わす形容詞ですが、正体不明、ある意味では正体不定とも言える鵺的存在である「くねくね」の正体について考察するのは、ちょっと無謀なのではないでしょうか。提示される「似たようなもの」の情報をいちいち取りこんで「くねくね」像に微修正を加え、そうやって形成された「くねくね」の正体を追うのは自分の影法師を追うような行為に見えます。

 例えば、「くねくねしていて白くて田んぼの上に現れ、正体を理解すると気が触れる」という「くねくね」のイメージがあったとします。もし、「田んぼの上に現れるのがイイ!」ということになってその部分が注意を引くようになると、「くねくねしていて、田んぼの上に現れる」という二つの要素に「くねくね」のアイデンティティーの重心が置かれるようになり、色は黒かろうが赤かろうが良いということにもなり得ます。やがて黒くてくねくねしたやつの目撃例が挙がってきたとき、「黒という色は重要なんじゃない?」となり、今度はくねくねしていて黒いやつなら出現場所はかえりみられなくなり、必ずしも田んぼの上ではなく、海の上に現れてもいいということになるかもしれません。想定される「くねくね」像に主観的なトレンドがあるとしたら、都市伝説の経年変化に近いものがあります。また、話者個々人によって恣意的にイメージを変えられるのだとしたら、「くねくね」は人の心の中に巣食う妖怪、というえらく抽象的な解釈も可能です。軽く形而上学的なこの理屈を数十倍、数百倍煩雑にすると「くねくね」の正体に気付いた時に発狂することもあるかもしれません。形而上学という単語を聞いただけで脳味噌がむずむずします。

 参考までに、「くねくね」スレの最新版までに上がってきている正体に関する仮説は、「いわゆるドッペルゲンガー」、「東北地方に伝わる『タンモノ様』」、「福島に伝わる『あんちょ』」、「蛇神」、「熱中症の病症」などです。『タンモノ様』や『あんちょ』に関しては、「ネタなんじゃないか」と疑いたくなるほど聞いたことがありません。まあ、ネタにせよなんにせよ、『タンモノ様』はおそらく『反物様』なのでしょう。こういう情報が出てくる背景には、初出の頃には暗に人の形をしているとほのめかされていた「くねくね」が、いつの頃からか、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる一反木綿のような形状をしたものであると認識されるようになったことがあるのだと思います。人型か、それともペラペラクネクネの平面状のものかという差は大きいですし、これらをまとめて「くねくね」としてしまうのはやっぱりかなり無理があるような気がします。結局考えがここに向かってしまいますが、一見してバラバラなこれらの情報を一つに繋ぎとめる概念があるとしたら、それこそまさに「妖怪変化」というものなのでしょう。

 思うに「くねくね」は、恐い話を渇望する人たちによって育てられた妖怪なのです。いちいちルーツをたどる作業に意味を見出さない人によって、実態はあやふやなのに確固としたアイデンティティーを持った妖怪であるかのように錯覚され、その虚像が拡大再生産されていったもののように見えます。おそらく、今「くねくね」を盛り上げている人たちの中には、「くねくね」の来歴を知らない人もかなりいるのに違いありません。そして「くねくね」スレの住人諸氏も含めて、「くねくね」の正体を解明することは最高の目的ではないのでしょう。出所はハッキリせず、楽しむために消費される話。そういう意味で「くねくね」は、都市伝説と同じ構造を内包した妖怪なのかもしれません。その概念に厳密な境界線が存在しないというのも共通しています。はっきり線引きできないから概念と言うのでしょうが。

 もう少しまとめてみようかと思いましたが、考えを文章化するのが意外にわずらわしいので、とりあえずこの状態で公開しておきます。「くねくね」ネタは、一応これにて打ち止め。


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