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『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂の事です。エドガール・モランの同名著書から名前を借りて、当サイトではこの噂のことをそう呼んでいます。この噂に関する主な情報はこの本から得ているので、まずは、この本の内容に沿って噂の概略を。 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところにある、当時人口十数万人の地方都市でした。この街にあるブティックで、女性が消えると言う噂が流れたのは、1969年5月のことでした。最初期のうわさは、若い女性がブティックの地下にあるという試着室に入ると、催眠性のある薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、前後不覚になったところを誘拐され、外国の売春宿に売り飛ばされていく、というものです。当初は1軒だけだとされていた、女性誘拐を行なっているブティックは、次第に数を増やしていき、最終的には全部で6軒のブティックと靴屋が、この事実無根の風聞の対象とされました。実はこの6軒の店舗うち、5軒までがユダヤ人経営の店であり、残る1軒も、噂の少し前、ユダヤ人の前店主から引きつがれた店でした。 モランはこの噂が、思春期の少女にありがちな、性的なものへの恐れと憧れの中から生まれた物だとしています。最初期の噂は、『神話』化し、社会問題となった後期型の噂と違い、いかにも根も葉もない世間話といった趣の話でした。噂を生み出した女学生達自身にしても、この話を現実の出来事と考えていたとは言えないようです。ちなみに、『オルレアンのうわさ』の文中、さかんに『神話』という表現が出てきますが、調査・執筆時期が『都市伝説』という表現が使われるようになる前だったためです。アンチ都市伝説とでも言うべき性格の噂が、『対抗伝説』ではなく『対抗神話』と呼ばれるのも、多分『都市伝説』という後発の観念なり表現の方が一般的になってしまった関係でしょう。 モランは、少女ら以外で最初にこの噂に反応したのは、母親や女教師など、少女達との接点がある大人の女性であったと指摘しています。そのかかわりの構図とは、この噂を否定することで、少女らの性への芽生えを抑圧しようとした、というものです。結果的に、この反応が、それまでほとんど女学生の間にのみ広まっていた無責任な噂話を、より多くの人に広める契機になったようです。 やがて、この噂が広範に広まるにつれ、ある一つの新しい要素が付加されていきます。それが、『誘拐を行なっているのはユダヤ人である』、という民族差別的な内容でした。当初は、どことなく淫靡な雰囲気を醸し出しているだけだった噂が、ユダヤ人という触媒を得たことで、オルレアンの人々にとってより現実的な脅威として認識されるようになり、急速に拡大していきます。そして、噂が暴発寸前にまで広まりつつあった時期、新聞報道などでアンチキャンペーンが行なわれますが、そのことは必ずしも、騒動を終息させる方向には働きませんでした。確かに、「ユダヤ人が女性誘拐を行っている」という噂は勢いを失っていきました。しかし、新聞で取り上げられたことにより、人々の関心はいよいよこの噂に向けられ、試着室の噂本体から派生した、様々な噂もまた、新たにささやかれるようになりました。警察や報道は疑惑の店舗の店主たちとつながっている、などと言った陰謀論や、ユダヤ人の影が色濃く現れた噂だったために、ネオナチなど、反ユダヤ主義者がユダヤ人迫害のために事実無根のデマを流している、などの対抗神話が数多く生まれて行きました。 やがて、猛威を振るった噂騒動も、発生から数週間が経つうち、急速に沈静化へと向かいます。けれど、噂が完全に消滅したかと言えばそうでもありませんでした。『ブティックから女性が消える』と言う、騒動のきっかけとなった巨大な噂それ自体は瓦解しつつも、この噂が持っていた多種多様なモチーフごとに細分化され、それを発展させた、多くの『ミニ神話』という残滓はなおも生き続けます。 『ダルマ』の話は、これらミニ神話の一つが、フランスから遠く離れ、話に対する抗体を持たない日本と言う舞台を得たことで、再び活性化した結果生まれた都市伝説なのです。
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