ネットロア考6


 ドラえもんの最終回
2003.05.10 

 
 これまでこのネットロア考シリーズで取り上げてきたのは、都市伝説がチェーンメールの題材として使われてきた事例中心でした。しかし、それとは逆に、もともと存在しなかったチェーンメール完全オリジナルの(作り)話が、聞く人にそれが真実であると思わせるだけの力を持ち、現実のものとして認識されかかった例もいくつか存在しています。 その一例として、今回取り上げるドラえもんの最終回にまつわるチェーンメールがあります。

 このメールは、既出のメールに比べてもかなりの長文となります。奇しくも(あるいは意図したものか)、実在のマンガ一話分をそっくりテキスト化すると、ちょうどこれらのメールのような雰囲気になりそうです。また、一般的な都市伝説同様、このメールには、“類話”が何パターンも存在しているので、原文をそのまま取り上げることはしません。ただ、それだけ多く存在しているバリエーションも、その認知度から
1、のび太が植物人間になる
2、ドラえもんの設計者が実はのび太だった
という二系統の話に大別することが出来ます。これ以外のパターンもあるにはありますが、どちらかと言うとマイナーな話になります。

 まず1のパターン。「のび太が実は植物人間状態で、ドラえもんは昏睡状態ののび太の夢の産物だった」という最終回夢オチ説のようなものは、チェーンメール化以前からすでに存在していました。ドラえもん最終回メールの、ひとつのピークは1999年ごろでしたが、『のび太植物人間説』は、80年代後半から90年代初めの頃の話で、チェーンメール化云々という以前に、そもそもメールというものが一般に認知される以前のものです。もっとも、チェーンメール化した内容は、この原・『のび太植物人間説』をそのままメール化したものではありません。どちらかというと、すでにあった『のび太植物人間説』をモチーフにして、再構築された感じのものです。

 新・『のび太植物人間説』の1パターンは、要約すると次のようなものになります。大事故にあい、一命は取り留めたものの、植物状態になり二度と目を覚まさなくなったのび太。ドラえもんはそんなのび太を見て、彼が最後に行きたいと望んだ場所、すなわち天国へ連れて行く・・・・・・。言うなれば尊厳死のような形のラストです。夢に満ち溢れたドラえもんの物語を、本当に夢オチで終わらせてしまう、原・『のび太植物人間説』パターンに比べればいくらかはスマートですが、結局のところ、あまりにも重過ぎます。

 別の『のび太植物人間説』系最終回としては、やはり事故に遭って数十年間も眠り続けたのび太が、ようやく目を覚ました時に手にしていたのが、事故に遭う前、子供の頃に買った猫型ロボット(ドラえもん)のおもちゃで、その記憶を元にドラえもんとの物語を夢想していたというもの、事故で“恍惚の人”となってしまったのび太が、老境に差し掛かってもなお、ドラえもんと夢の世界をさまよっているものなど、原・『のび太植物人間説』を詳細に語ったような内容のものが存在しています。いわゆる最終回の噂ではありませんが、ドラえもんという話自体、原作者である藤子・F・不二雄氏が植物状態で眠り続ける子供のうわごとに取材して書き上げた物語である、という話もありました。ドラえもんで描かれた夢の世界を、植物状態で見た夢に結び付ける考え方は、なぜ誕生したのかはよくわかりませんが、1999年頃のドラえもん最終回メールが出回った時期には、かなり広範囲に広がっていました。

 いずれにしても、のび太が植物人間というモチーフは、やはりドラえもんという物語の結末としては、あまり好ましい物ではなかったようです。話自体は刺激的で、人々の興味を引く物であり、その結果としてかなり広まったのでしょうから、世間から求められた話であったというのも一面の真理なのかも知れませんが、同時に暗く悲劇的な最終回を嫌った人達も多くいたのでしょう。1999年のドラえもん最終回メール騒動の中で、『のび太植物人間説』に代わる、ある“感動的な”物語が、新しい最終回の形として台頭してきます。それが2の話です。

 この話では、のび太ではなくドラえもんが、ある時急に動かなくなります。原因は電池切れでした。普通なら電池を交換すれば解決できる問題なのですが、電池の交換の際に必要な予備電源は、旧式のドラえもん型ロボットの場合は耳に内蔵されているため、耳を無くした(のび太の)ドラえもんは、これまでの記憶を全て消さない限り電池の交換ができない、という問題が発生します。設計者に解決策を尋ねようにも、どういうわけかドラえもんの設計者は明かされておらず、万策尽きたかのようにも思えました。しかし、成人してロボット開発者となったのび太が、あの日から止まったままのドラえもんを動かすことに成功したところで物語は終わります。ロボット開発者となったのび太は、ドラえもん型のロボットの仕組みを完全に解析することができ、ドラえもんの停止という問題を解決することに成功した=ドラえもん型ロボットの設計をした、というような内容です。なお、参考までに、公式設定では、ネズミにかじられてしまったドラえもんの耳は、単なる飾りであると明言されています。

 2のパターンのメールには、物語本文の前に、アルバイトが小学館の倉庫で発見した未発表原稿をもとにした話であるとか、もっともらしい説明がつくこともあるようですが、本当の出所は、あるドラえもんファンの一個人が、自分のHP上で発表していた自作ストーリーです。この『原作』は、はっきりと自作であることを謳っていて、たまたまこの物語を見た第三者が、これをメールにしたところからチェーンメール化が始まったのでしょう。故意にチェーンメール化を狙ったか否かは不明です。いずれにしても、正当な最終回ではありません。

 実際には、ドラえもんの最終回とされている話は全部で3話あり、いずれもドラえもんが未来に帰る物語です。3編ともそれで本当の完結というわけではなく、掲載雑誌が小学館の学年別学習雑誌であったため、年度末号用に一応の区切りとして執筆されたもののようです。その中でも半ば公式に『最終回』と認められている、名作の誉れ高い有名な話が、単行本第六巻に収録されている『さようなら、ドラえもん』という話です。これはある時期まで本当に最終回となるはずの話でしたが、結果的にドラえもんはその後も続くことになった、というエピソードのある作品です。実際、ドラえもんは7巻以降も続いています。原作者である藤子・F・不二雄氏が亡くなった今、ドラえもんは未完の作品となった、というのが一番正しい表現でしょう。その中で敢えて最終回として挙げるなら『さようなら、ドラえもん』という状態です。ちなみに他2編の最終回は、物語そのものの完成度の差から、次点扱い・単行本にも未収録となっているようです。内容は、時間旅行で昔の人に迷惑をかける人が多くなったために時間旅行に関する法律が改正され、ドラえもんも未来に帰らなければならなくなるというものと、のび太がドラえもんに頼らずとも自立していけるよう、セワシ(のび太の玄孫)と相談の上、ドラえもんが未来に引き上げるというものです。後者は、日本テレビ系列で放映されていた第一期テレビアニメ最終回の原作にもなったようです。『さようなら、ドラえもん』では、一人ジャイアンに立ち向かったのび太は、こちらの最終回では一人で自転車に乗れるように努力し、ドラえもんも未来からそれを見守っているものですから、これもまた、爽やかな最終回にはちがいありません。

 ところで、2の話の解説において、ドラえもんの耳が単なる飾りであるという、物語の根幹と衝突する公式設定について触れていますが、実はこの公式設定というのが曲者です。ドラえもんは、藤子・F・不二雄氏が生み出した物語ですが、作品世界の構築には氏本人以外の人もかなり深く関わっているようです。特に大きな役割を果たしたのが故・方倉陽二氏であり、同氏が考案したドラえもんの設定の中には、原作者である藤子・F・不二雄氏をして「知らなかった」と言わしめるようなものもあったということです。有名なところでは、もともと黄色かったドラえもんが、ネズミに耳をかじられたショックで青ざめてしまい、あの色になったという設定などが、方倉氏の発案だったと記憶しています。(※以前、初期のドラえもんは藤子不二雄A氏も創作に参加していたと書きましたが、実際にはドラえもんは完全に藤子・F・不二雄氏の作品です。)

 また、マンガの作画を、藤子氏以外の人が担当することもありました。ドラえもんの世界は、いつしか生みの親からも一人歩きして、一人の作家の作品という以上に肥大化して行ったのかもしれません。原作者が亡くなっても毎年新作映画が発表される現状の下地は、かなり早いうちから出来上がっていたのです。スパイダーマンやX−MENといったアメリカンコミックの作品は、特定の作者が存在するのではなく、登場キャラクターと世界観が最初に設定されていて、いろいろな作家がそれに沿って物語を展開させていくようなスタイルをとっていますが、ドラえもんという作品は、日本の国民的漫画でありながら、アメリカンコミック的発展を遂げているのかも知れません。

 原作者以外の人間がドラえもんの新作を発表するとなると、何をもって正当なドラえもんとするかは少しあいまいになってきます。当然、公式には何らかの線引きが行われているのでしょうが、出版社などが正規のルートでドラえもんとして発表している作品が正統だと考える人もいれば、藤子不二雄純正の作品でなければドラえもんではないと思う人もいるでしょう。あるいは、それらとは別に、自分なりのドラえもんを持っている人もいるかもしれません。すでに30年余りも子供達と共にあった作品ですから、極論すれば、大勢の人が、それぞれのドラえもんを持っていると言うこともあるでしょう。中にはその思い入れが特に強く、同人誌という形で自分のドラえもんを描いた人もいるかも知れませんし、マンガは書けないまでも小説という形で発表した人もいるかもしれません。チェーンメールとして流出した物語も、そうした自分なりのドラえもんの物語の一つだったはずです。

 面白いことに、現在でもドラえもんの最終回は、細々とながらチェーンメールのネタとして使われています。もちろん古いものが再び出回っているということもありますが、今では、植物人間などの過去の噂のモチーフを引っ張り出して来るのではなく、自分で創作した物語を『発表』するような形になっているようです。私が最近見た中では、映画『ターミネーター』シリーズの世界観をドラえもんに持ち込んだかのような、思わず笑ってしまう物もありましたが、このような創作作品が生み出される契機となったのは、やはり個人のHPから流出したあの創作作品でしょう。この物語は、図らずもチェーンメール化してしまったわけですが、それはある意味で多くの人の共感を呼ぶ物語であったことの証明です。一ファンの創作であっても、有名作品の一部となり得る。この事実と、良くも悪くもたくさんの人の、それぞれの思い入れを背負ったドラえもんという作品の性格があいまって、以降のオリジナル作品発表会のような、ドラえもん最終回メールの一つの方向性を決定したのではないでしょうか。2のメールの影響により、広く知られるようになった「噂」の最終回ですが、単にネット発祥の有名な都市伝説というだけではなく、チェーンメールのエポックメイキングにもなった、面白い例であるように思います。

 なお、やっぱりチェーンメールの実物を見てみたいという人のために。
 ディス イズ リッキーズ ホームページ
 ドラえもんの最終回の項を参照してみてください。本当の最終回も見ることが出来ます。

※追記です。時折、スネ夫に弟がいるという情報を提供してくださる方がいますが、原作にも、ニューヨークに住むスネ夫の弟・『スネツグ』は登場します。全作品中でも数回しか登場していないので、レギュラーメンバーの肉親でありながら、ほとんど幻の存在となっています。