ネットロア考9


 さようなら、ひきこさん
 2005.01.09

 
 このシリーズらしきものも、前回のアップから1年以上が経過しました。「怪人アンサー」があのような事になり、ネットロアというものの一つの可能性を見たような気がしますが、そのために興味も薄れ、長らく放置状態となっていました。久しぶりの今回は、アンサーの頃から半歩前進したようなお話。漠然と感じていたことをとりあえず文字にしてみようかという試みです。チェーンメールが物語の都市伝説化に振るう威力については、何度か新聞沙汰になる騒動も起こったことでいい加減わかりましたので、そっち方面の話は抑え目に。

 最近は都市伝説流行りのようで、行き付けの書店のサブカルコーナーにも近刊らしい都市伝説本が何冊か並んでいました。何とはなしにそれらを繰っていると、「アンサー様」と言うページがありました。そのことは事前に聞いていましたが、アンサーも都市伝説として認知され、敬称まで付けられるようになったらしく、大した出世です。その「アンサー様」の次のページを覗いてみると、何の因果か「ヒキコさん」が紹介されていました。

 ひきこさん。出自はおそらく、限りなくアンサーのそれに近いはずで、「作って広める」系の話でしょう。こちらも最近ではそれなりの認知度を誇っているらしく、同じコーナーに並べられている他の都市伝説本を見てみたら、アンサー未掲載の本にまで単独出場を果たしていました。私には両方とも似たようなものに見えるのですが、生まれがミステリアスなためにネタばらしで俗化した感のあるアンサーに水をあける事ができたのか、それとも単なる偶然でそうなったのかは定かではありません。最近では「ヒキコさん」とカタカナ表記が主流のようです。当サイト内では、「ひきこさん」と、昔の名前で出ています。

 しかし、当サイト内に限って言えばアンサー騒動で割を食ったのがひきこさんなのです。こんな狭いサイトで貧乏くじを引いたとてひきこさんは痛くも痒くもないかも知れませんが、ひきこさんの同輩に位置付けていたアンサーの、一応の成り行きを見届けることができたので、とりあえず私の好奇心は満たされ、ひきこさんもほぼ用済み扱いするに至りました。けなげに生きる?ひきこさんの今についてはそれなりの関心を寄せることもできますが(とりあえずはネタばらしの行われたアンサーとの比較についてはやぶさかではありません)、いつぞやのアンサーの時のようにひきこさんの生みの親が名乗り出てたとしも、正直言って今さらそのことに関してあれこれとエネルギーを使おうという気にはなれません。

 えらく酷薄な物言いですが、今だから言うと、もともと私はこの話がそれほど好きではありませんでした。サイトで掲載した理由は、アンサーの回で書いたアンサーの掲載理由と同じです。当時は今ほど掲載話数もなかったため、ボリュームアップ狙いの下心を出した面もあります。

 何が嫌なのかについては当初からあまり自覚的ではなかったのですが、演出過剰でケレン味が強すぎるから嫌だぐらいに思っていました。後に、それは少し違ったらしいことに気づきます。おそらく、より正確に表現するのであれば、その同人誌的雰囲気がとっつきにくかったのです。この話を作った作者氏がひきこさんを好きであろう事は何となくわかります。大体、好きでなければ話を生み出せないし、わざわざあちこちに投稿しようともしないでしょう。しかし、あまりにも好き過ぎて、自分が楽しむためにひきこさんを弄繰り回し、そうしているうちに読者の存在が副次的なものでしかなくなり、読者である自分が置き去りにされているような気がしてくるのです。それを指して、同人誌的と言っています。同人誌には、嗜好が一致する人ならば一緒に楽しめるものの、そうでない人には寒々しくすら感じる独特の空気が備わっています。私はそれを、ひきこさんに感じました。

 一般紙で書く場合、常に読み手のことを意識しなければならりませんが、同人誌のスタンスは、好きだから書くで十分。同じ事が創作都市伝説にも言え、多くの人をリレーしてきたことで最大公約数的に受けのいい要素を選択してきたいわゆる本物(違和感のある言い方ですが)とは違い、かなり受け手を選ぶ内容になっているのです。

 この同人誌的雰囲気は、掲示板に書き込まれる擬似都市伝説の成否を考える上で、意外に重要なポイントになるような気がします。相手の面と向かって話を伝える、従来の口承文芸(これまたなんか堅っ苦しいですが)の場合を考えてみましょう。仮にホラ話で相手の関心を引くのが好きな人がいたとします。名前はM氏。M氏が適当にホラ話を聞かせる相手を見つけました。そこから彼のホラ話が始まります。とりあえずここで考えていただきたいのですが、このM氏は、相手に自分の話を聞いて欲しくてたまらないのです。あるいは相手に楽しんでもらいたい。話は手段ではなく、それ自体が目的化しているわけです。もしM氏が、コミュニケーション能力に致命的な欠陥を持つ人物でもなければ、相手の反応を見ながら話に緩急をつけるはずです。何も明石家さんま氏クラスの天才的話術の持ち主でなくともかまいません。普通の人なら、面と向かって話を聞かされている相手がダレて来ているのを感じたらその流れを変えようとするし、食いついてきているのを感じたらその路線でグイグイと押し込むでしょう。程度の多少はあれ、こういう話術は用いるはずです。

 PC上で話を創作し、各所の掲示板にドスンと話を置いてくる場合、「相手の反応を見ながら」はできません。あらかじめ読者に好まれそうな要素を想定し、それらちりばめて話を粉飾することはできますが、マーケティングまがいな行為も所詮机上の空論。実際に閲覧者に受けるかどうかは出たとこ勝負になるのです。話が動き出したが最後、途中での軌道修正・微調整は行えません。無理にやろうとすれば、2ちゃんねるで言うところの「自作自演」の形に落ち着くでしょうか。掲示板投下型のネタがいまいち盛り上がりを見せないのは、作者・読者間の一方通行の関係に原因があるのでしょう。読者の反応や傾向を知らずとも傑作を書けるような「作家」は多くないですし、良作家の手でも頻繁に佳作が生み出されるものではありません。波長の合う読者に恵まれなかったテキストの運命は儚いものです。他のログに流されて、気がつけば消えてなくなっています。掲示板のみでの都市伝説化に挑もうとする場合、こういう壁があります。

 その点、2ちゃんねるの「都市伝説を作って広めるスレ」他は、本番投下までに読者の反応を見る事ができるので、都市伝説創作の試みにおいては理にかなったことをしているのでしょう。あそこを見ていると、内容的な齟齬の他にも、自分が生み出した話に対する愛情あふれるが故の作者の独走をたしなめるような意見も結構見受けられます。あのスレで叩きに叩けば、いつの日か良作が生まれるのかもしれません。

 ネット掲示板と言うハードそのものが噂拡大にまったくの無力ということはなさそうです。いつぞやどこかの地域で、例の「ショッピングセンターで女の子が…」という噂が軽いマスヒステリーを起こしかけた時には、新聞のWeb版記事に、「噂の伝播にネット掲示板が絡んでいるらしい」という、警察かマスコミか研究者かの見解が載せられていたこともありました。

 創作都市伝説を生み出そうとする人たちの作品は、それが自覚的なものなのかどうかはわかりませんが、往々にして創作怪談の方に傾斜していきます。考えてみれば、新聞沙汰になるほどの威力を誇ったチェーンメールであっても、その内容に注意して見てみると、ショッピングセンターやペットショップ閉店、偽番組企画、アラブ人の恩返しに代表されるテロ予告、地震予知など、霊やら妖怪が介在しないリアルな噂ばかりなのです。この場ではこれらリアルな噂を便宜上「リアル伝説」とします。対する怪談チックな噂は「オカルト伝説」としましょう。こちらはサッちゃんやカシマの亜種はもちろん、比較的現実との境界が曖昧な「橘あゆみ」の後継種が騒動を起こしたという話すら聞きません。オカルト伝説は与太話扱いで最初からマスコミのフィルターにはじかれている可能性はありますが、口裂け女のような噂でも、影響力が大きければマスコミは取り上げるのですから、やはりオカルト伝説に対する一般の反応はあまり芳しくないのでしょう。当たり前といえば当たり前の話ですが、ネタの方向性によっても伝播力はかなり違います。アンサーにせよひきこさんにせよ創作オカルト伝説であり、これらの行き着いたところを見届けただけでは、「ネットで都市伝説は広まるか?」の検証としては不十分なのでしょう。それはすでにインターネットというハード自体の問題ではなくソフトの問題にまで踏み込んでいるといわれれば正しくその通りなのですが、創作リアル伝説の掲示板伝播の可能性に関しては、まだ考えてみる余地があります。いかんせんリアル伝説は、オカルト伝説ほど識別記号がはっきりしない面があるため、その追跡調査めいたことはやりづらく、二の足を踏んでいるのですが。

 「都市伝説を作って広める」試みに関する話は、いろいろとまとめ作業のわずらわしさを感じ、そして実際にまとめ切れていない自覚はありますが、一応これにておしまいです。今後は長期戦の構えで、折を見てこのコラムに修正を加えていく形になるでしょうか。とりあえずは、「さようなら、ひきこさん」。

 今回の話に若干関係する内容ですが、以下余談。最近ではどうやら「都市伝説」は「オカルト」の下が定位置になりつつあるようです。私が都市伝説に首を突っ込み始めた頃には日常生活で「都市伝説」と言う言葉を口にしても、相手からは「それって何?」くらいの反応が返ってくるような有様でしたが、最近では怪談・奇談・恐怖談の類ということでコンセンサスを得つつある様子。せいぜい5年ほどの間のことですが、隔世の感があります。何にせよ私がこのネタを始めた頃に比べるといささか勝手が変わってきており、不遜な言い方をすれば「言葉に変な癖がつきつつある」とも感じています。そういう使われ方が間違っているとは言いませんが、「都市伝説」の看板を大々的に掲げているとかえって動きにくいと感じることもあり、コンテンツ名からこれを外してみました。