世紀末銅像伝説


 折田先生の像
2005.01.28

 
 以前にどこか(多分2ちゃんねる)で見かけた議論なのですが、「『学校の怪談』とはいうけど、大学の怪談ってあんまり聞かないよね」と言うものがありました。なるほど、自分の大学生時代を顧みても、七不思議だのなんだのと体系だった怪談話の類は聞いた事がありません。考えてみればあたりまえのことで、20歳近くにもなった男女が、霊がどうのと真剣に話し込んでいる姿は、あまりゾッとするものではないのです。当の大学生たちも薄々その自覚があるので、与太話・子供騙しの類として心霊談を話題にするぐらいです。少なくとも私の学生時代はそんな感じ、暇だけは有り余るほどの学生生活の中で、心霊だの超常現象だのの話は刺身のツマ以下の存在でした。

 心霊談は押しなべて子供ウケの良い話と言えますが、大学生ともなるとその興味関心が多岐に向かいますから、相対的に心霊談への関心が薄れていきます。「大学の怪談」の良き語り部となれるのは、「オカルト研究会」にでも所属していそうな、本当にそういう方面に興味がある人に限られるのかもしれません。

 しかし、大学で語り継がれる怪しげなうわさ話が皆無なのかと問われれば、もちろんそんな事はありません。しかしその話の性格に注目してみると、いわゆる学校の怪談ではなく、まさに都市伝説の範疇に属する話が多いということはいえます。大学と言う特殊な社会に根ざしたタイプの話が主であるため、単に都市伝説と言うよりは「大学伝説」とでもした方が間違いが無いのかもしれませんが。今回のお題は、その「大学伝説」のひとつです。縁もゆかりもない人間が持ち出すには相応しくない話題かも知れませんが、今回のお題は「折田先生の像」。

 かなり有名なので、「今さら折田先生かよ」という感想を持つ人も少なからずいると思われる反面、やっぱりいきなり折田先生と言われても誰のことだかわからない人もいると思いますが、折田先生はかの名門・京都大学を設立した偉い人です。そして折田先生の像とは、この折田先生の顕績を讃えて、京都大学の構内に建立されていた像です。言ってみれば、日本全国津々浦々の学校によくある創立者の像のことなのです。この像にどのような伝説的エピソードがあるのかについては、以下のサイトをご覧下さい。時間の許す限り、じっくりお読みになることをお勧めします。私は、笑いながら一気に読みました。

 折田先生を讃える会
 http://euro2002.hp.infoseek.co.jp/orita_top.html

 折田先生(の像)の身に何が起こったかと言えば、要するに不心得者の悪戯で落書きをされてしまった、ということになります。ただし、落書きの程度はあまりにも度を越していたので、あるいは別のオブジェにつくり変えようとしていたのかもしれません。一見すると思わず笑ってしまうような物なのですが、冷徹に判断すれば悪戯の度が過ぎていて、徹底的に汚された像を見ていると痛々しくもあり、面白うてやがて悲しき悪戯ではあります。犯人がつかまっていれば、刑法犯となっていたかも知れません。大学側はまず像の洗浄をし、それ以上の詮索はせずに事態を収めましたが、そのためなのかどうか、同様の悪戯はその後も相次ぐようになります。そして、大学側はそのたびに像を洗いましたが、見張りを立ててまで犯人を挙げようとはしませんでした。学生とは言え大人を相手に、そこまでしたくなかった大学側の胸のうちは、何となく分かるような気がします。

 そして時は流れ、京大内の折田先生の像がある一角で工事が行なわれることになり、その関係からか、折田先生の像は倉庫の奥にしまわれることになりました。

 肝心の像がなくなってしまえば、長らく続いてきた落書きも当然のごとくなくなってしまうかと思いきや、今度は明らかに折田先生の像をモチーフにしたハリボテを自作し、落書きがそうだったのと同じように、夜のうちにかつて折田先生の像があった場所にそのハリボテを設置していくという、奇妙な風潮が発生します。このハリボテは別段犯罪性のあるものでもなく、軽薄に笑いながら見ていられるようなもので、折田先生の像のパロディとしてもなかなか振るっています。このページのサブタイトルが「世紀末銅像伝説」となっているのも、一連のハリボテシリーズの中に私のツボにはまる作品があったためです。

 この「折田先生の像」(後期のものは「折田先生」でも「像」でもありませんが)は、上記HPの内容からもわかるように、卒業から入学の時期にかけ、すでに十数年来続いている伝統です。その全てが同一人物の仕業であるとは考えにくいでしょう。しかし、この伝統へ参加することを意気に感じた(?)その時々の有志が、てんでばらばらに自主製作を続けてきたと考えるにも引っかかる部分はあります。私が把握している範囲では、不思議な事に、毎年毎年折田先生の像として衆目の前にその姿をさらすのは決まって1体のみのよう。伝統が途切れる事もなく、といって1年に2体以上の像がダブる事もないと言うのは、背後で何者かが統制をとっているのではないかと勘繰りたくなります。どこかに胴元と言うか、「折田先生」製作活動を取り仕切る地下組織乃至は秘密結社様の組織が存在しているのでもなければ、コンスタントに新作をリリースし続けるのは難しいような気がするのですが…。まあ、全ては憶測に過ぎません。しかし、いったい誰がこんなことをしているのかなど基本的な部分さえわからないのに、行為だけがいつまでも続いているのは何やら謎めいていて、都市伝説的です。

 とは言え、今回の話でどうにか都市伝説的な方向に絡められるのはせいぜいここまでで、この先は文化人類学なんかで言う儀礼の話になります。「折田先生の像」のような学校儀礼とでも言うべき性格の物は、そこそこいろいろな学校に存在しているのではないかと思います。学校儀礼と言う言葉があまりにもぼんやりしているので、一応定義めいた物を提示しておくと
  • 学生が主体で行っている(学校主催の公式行事ではない)
  • あくまで座興的な内容であり、それを行なうことに実利はない
  • 例年行なわれ、伝統化している
こんなところでしょうか。2番目に関して、最初は何がしかの実際的メリットを意識した上で行なわれていた行為も、やがてその手段が目的化し、行為そのものが形骸化したのが儀礼一般と言ってよいでしょう。その性格上、何かと拘束の多い小中高よりも、自由の利く大学で圧倒的に多い行事でしょうし、学校全体と言うよりもう少し範囲を狭めれば、部活・サークル(特に体育会系)内で顕著なのではないかと思います。「新歓コンパで新入生は○○しなければならない」、なんていう「新人イビリ」などというのは典型的な通過儀礼でしょう。もっとも、その程度では当たり前すぎて面白くないのもまた事実で、「折田先生の像」のような、突き抜けてしまった感じの儀礼の事例を集めてみるのも面白いかなあ、などと思います。

 漫然と書くだけ書いてそのままになってたテキストをたまたま発見し、深い考えもなくアップしただけのものなので尻切れトンボ感は否めませんが、ご了承ください。文中に微妙な「世界の中心で愛を叫ぶ」ネタが織り込まれているあたりから、書かれて以来長い間陽の目を見る事がなかったこのコンテンツの不遇が偲ばれます。

 まあ、やっぱりどこかに「折田先生秘密サークル(仮)」があるんでしょうかね。