怪談好きの人は読まないで


 当代心霊スポット事情考
2003.08.04

 
 夏ともなると、例年テレビや雑誌などの各種メディアで怪談話の特集が組まれるようになります。また、心霊現象を扱ったオカルト系サイトの中には、心霊スポット特集が組まれたり、訪問者同士による掲示板での心霊スポットに関する情報交換が活発化したり、果ては心霊スポット巡りオフのようなものを行なうところもあるようです。都市伝説の情報を求める方の中には、そっち方面の話に興味を持っておられる方も多いようなので、当サイトも何となくこのムーブメントに乗ってみようかなという気になったりもしましたが、今回のコラムは書き上げてみればこういう動きに冷水をぶっかけるような内容になってしまいました。本当に心霊話が好きな方はお読みにならないほうが良いです。

 一般には都市伝説とオカルトの話題をセットで考える方も多く、奇異に感じる方もおられるかもしれませんが、管理人はもともとサイト開設当初から、そういう話題に深く関わる意識がありませんでした。そのためにこれまで公表することの無かった話ですが、これを機に一応私の心霊現象全般に関するスタンスについて記しておこうと思います。私はおよそ霊感と呼ばれるようなものを持ち合わせておりません。従って、霊と呼べるようなものを見た経験は皆無です。ただし、霊感があり、霊が見えると言う人の言葉を否定しようとは思いません。というより、否定するにも肯定するにも、その論拠となるものが決定的に不足していると言ったほうが正確です。なので否定も肯定もしないというのが基本姿勢となりますが、どうしてもそれなりの見解を示さなければならない場面では、「科学的な観点」に寄らざるを得ず、そうなると勢い否定的な意見になるというのが実情です。以上を踏まえ、今回は当代の心霊スポット事情を考えると言うテーマの下、日本各地で口コミによって有名になった心霊スポットについて話をすすめていきます。

 それを売って金にしなければならない心霊スポット地図風の本などでは、すでに手垢にまみれた感のある従来の心霊スポットにいつまでもかかずらっているのではなく、新しいスポットを開拓していかなければならないという矜持があるのか、私でも知っているような有名所(おじゃが池、深泥池、犬鳴峠など)のような殿堂入り物のスポットを除けば、紙面で紹介されているのは先進的な場所が多い様子。これに対し、心霊スポット探訪をテーマにしたサイトをいくつかめぐってみると、既出情報の蓄積も含めて閲覧できるため、今さら感も否めない杉沢村のようなクラシカルなネタも多々見受けられました。ただ、手を変え品を変えの心霊スポットも、基本的にはある程度のフォーマットに従って新着情報が供給されているように思います。フォーマットがどんなものかといえば、トンネル(分けても新旧あるうちの旧トンネル)や峠、郊外の廃墟(かつての旅館・ホテルなど宿泊施設多し)、海川湖沼などの水場、古戦場も根強いようです。

 この中では古戦場の心霊談は多くの場合、(ある意味当然ですが)古い歴史をもったものとなります。そんな古戦場系心霊スポットの中でも「シャレにならない」場所の一つとして有名なのが、田原坂でしょう。明治時代の西南戦争で激戦地となったこの地では、西郷隆盛率いる反乱軍の将兵が多数戦死しており、その亡霊がいまだにこの界隈をさまよっているとか。亡霊と言えば夜に出るのが相場のようなイメージがありますが、例え昼であっても雨の日などにここを通ると、亡霊兵士の行軍の真っ只中に放り出されるとか、本当にシャレにならない物騒な話もあるようです。あとはやはり戦場系心霊スポットの怪談となると、戦国時代由来の話が多くなります。現在進行形の心霊談としてはやや弱いですが、このコンテンツも含め当サイト内で何度か触れた記憶のある柴田勝家の首なし武者行列、古戦場ではないですが武田氏にまつわる花魁渕の話、岐阜県白川郷界隈に現れると言う内ヶ島氏の亡霊武者、私の居住地からほど近い桶狭間の首なし武者の話など、日本各地にかなりの数の怪談・心霊スポットが存在していそうです。個人的にはどうしても桶狭間の首なし武者が「今川義元の亡霊か?」と気になってしまいます。戦勝軍であったとは言え、電撃作戦を実行に移した織田軍は何よりも最優先で義元の首を取りに行ったのでしょうから、今川軍の惨敗に終わったこの戦でもそれほど多くの死者は出てないでしょうし、そうなるとピンポイントで狙い撃ちにされた大将クラスの亡霊かなあと期待してしまいます。肥満した亡霊なら、義元の霊で決まりでしょうかね。話題がそっち方面にそれると際限がなくなりそうなので、この話はこの辺にしておきます。いずれにせよ、血で血を洗う時代に由来している話なので生々しい怨念を感じてしまいます。 ただ戦場といえば、ほんの半世紀ほど前に戦場となっておびただしい数の死者を出し、その記憶もまだ風化しない沖縄の、戦争がらみの怪談が意外におとなしいのが不思議なんですけどね。

 いずれにせよ、死者が出たから亡霊も出るという非常に分かりやすい論理が成立する戦場系心霊スポットに対し、いまいち根拠がはっきりしないわりに、全国に相当数存在するのがトンネル・廃墟などの建物系スポットです。もちろん、大抵の場所は何らかの事故や悲惨な事件、あるいはもっと古い歴史的因縁によってそこを根城とする亡霊の出自を説明しようとしていますが、正直、「本当にそんなことあったの?」みたいな眉唾物の話も少なからず存在していますし、同じ場所にまつわる全く別種の起源論が存在していたりするわりといい加減な場所も多くあります。もっとも、多くの心霊スポットにおいて、恐怖体験をするのは都市伝説にありがちな「友達の友達」だったり、あるいは存在すらも不確かな見知らぬ赤の他人だったりするわけで、そんな話の起源論なのだから実態が不鮮明なのも当然のことなのですが。

 沖縄の怪談に関連してすでに少し触れましたが、そこで死者が出たということが心霊スポットの必要条件であるならば、実在すら定かではない死者に起源を求めるまでもなく多くの死者が出た場所と言うのはいくらでもあります。こういう文脈で引き合いに出すのは不謹慎だとのそしりを受けるのを覚悟で書きますが、神戸などは先だっての震災で5000人超という国内の自然災害では未曾有の死者を出し、そのほとんどは当然の如く非業の死であっただろうに、震災の死者にまつわる怪談というのは聞いたことがありません。神戸近辺の心霊スポットは、震災の死者とは何ら関連のない、他地域と似たり寄ったりのものばかりです。

 そのことを踏まえて考えると、どうも心霊スポットにまつわる噂は、生きている人間の心情に影響されて発生しているのではないかと思います。いくら最期が無念の想いを抱えての非業の死であったとは言え、自分の肉親や近しい人が亡霊になっているなどと考えて愉快な気分になる人が、そうそういるとも思えません。むしろ多くの人の意識下には、そういう話を持ち出すこと自体がそれこそ不謹慎という意識があり、そのため心霊スポット談と言えど、あまりにリアルな死は忌避されるのはないでしょうか。そう言えば、日本では死亡した父祖の霊はいつまでパーソナリティーや人間性を維持し、いつからそれを失うのかと言う話について聞いたことがありますが、一つの指標となるのは50回忌だとか。途中を随分端折ってしまったので少し補足しておくと、30回忌、50回忌くらいまでは故人の事を知っている生者も存在しているが、それ以降は故人を知っている人でさえもまず鬼籍に入ってしまうので、故人の人となりについて知る人がいなくなり、結果として50回忌程度で弔い挙げが完了すると、それ以降は一個人の霊としてではなく祖霊一般でくくられてしまうようになる、という話でした。同様の理屈で、死後相当期間を経過し、その人の死を身近に感じる人がなくなり、むしろ誰かは良く知らないが昔ここで確かに死人が出たらしいという認識が一般的になると、無責任な風聞の補強材料として誰かの死が利用されるようになるのではないかと思います。もっとも、旧トンネル・廃屋のパターンに関していえば、それだけの年数を経るうちには建物の方に耐用年限がやってきてしまいます。怪談の起源論として使えそうな死が供給されるかどうかは多分に運次第、またその死を気楽に話に反映できるようになるよりも早く建物に寿命がやってきてしまう現存建築物型の心霊スポットは、そういう意味ではハンディを負っているようにさえ思います。ちょっとばかりズルをして、出自を捏造したくなる(?)のも仕方ないのでしょうね。

 また、心霊スポットは結構な割合で都市近郊に存在しているようです。普段から人が滅多に立ち入らない深山幽谷では、彼岸と此岸の住み分けがはっきりしていて両者の接点が減るということもあるのかもしれません。しかし、どうしてもこの種の心霊スポットの話は、体験型というか自分で行くことも可能な立地であることも求められているように思えてなりません。それでいて都心のあまりに人が多く騒々しい環境も雰囲気がないので好ましくないでしょう(一方で巣鴨プリズンの話なども存在していますが)。理想のマイホームではないけれど理想の心霊スポットには、交通至便で都心からのアクセス良好、それでいて閑静な自然あふれる環境であることが求められているのかもしれません。

 いずれにせよ、最近の心霊スポットは始めに誰かの死ありきのものばかりではなく、恐い話を求める欲求に対する応需のような形で生み出され、その後に後付けで起源を飾られたものも相当数含まれているのではないでしょうか。恐ければよし。実際にその場所に呪わしい過去があったかどうかはさほど重要ではない。戦国時代の出来事に端を発する心霊談・心霊スポットは、同時代の人たちの死者に対する畏怖の念から発生し、それが現在まで受け継がれたものが主でしょうが、現在日本各地に数多存在する心霊スポットには、そういう古参とは性格を異にするものも少なくないに違いありません。言葉は良くないですが、平和ボケして日常に刺激がなくなると、わざわざ刺激的な何かを求めたくなるのでしょうね。その一つの形が心霊スポットなのでしょう。そう言えば、現在各地に伝承されている七不思議と呼ばれるものは自然発生的に生まれたものばかりではなく、やはり平和ボケの時代であったと思われる江戸時代に、町おこし・地元の名物作り(もっと露悪的な言い方をすればネタ作り)の感覚で意図的に選定する流行に乗って誕生したものも多いのだとか。さらに七不思議に関しては、都市部と周辺地域の境界付近で多く発生した、という情報を掲示板で頂いたこともあります。歴史の長さは違いますが、江戸時代も今も、やってることにはそれほど差が無いような気がしますね。

 季節柄頻繁に紹介される全国津々浦々の心霊スポットの数々を見ながら、これらの場所はある種のレジャースポット化しているではないかと思う今日この頃ですが、こういう場所は火遊びのつもりで近づくと大火傷する危険性をあわせ持った場所であるのも事実です。中には色々なペイントが施され、いかにも普段から恐めのお兄さんお姉さん方が出入りしていそうな殺伐とした雰囲気を醸し出しているスポットも少なからずありますが、そういう領域に足を踏み込むのはやはり短慮というものでしょう。2年程前、地元で有名な心霊スポットをヤサにして、そこに物見遊山気分でやって来る人たちをカモっていた賊が逮捕されるという事件がありましたが、やはり軽率に怪しげな建物に近づけばこの事件の被害者の二の舞になる可能性はあるでしょう。以前、日本三大心霊スポットだか何かの触れ込みで、富山県の某廃墟ホテルが紹介されているのをテレビで見たことがありますが、その中でここを訪れた人の中に行方不明者が出たという噂についても触れられていました。強ちありえない話ではないぶん、違った意味で恐怖を感じます。そればかりか、他人の建物に勝手に入り込んでいる時点で、自身も不法侵入という罪を犯して立派な犯罪者となっています。被害者としても加害者としても、警察の世話になるというのは愉快なものではありません。何かの縁でこのコラムを読んでいる諸賢におかれましては、そういう何がいるのかわからない危険な「スポット」に足を踏み入れる軽挙妄動は、厳に慎まれますよう。

参考
柴田勝家の首なし武者行列(自サイト内「奥の細道」より抜粋)
・・・・・・柴田勝家の命日と伝えられる旧暦4月24日になると、足羽川にかかる九十九橋あたりから、福井市近くの街道沿いに首のない武者行列が現れるのだそうだ。それだけでも不気味だが、それを見たことを人に告げると祟り殺されるのだと言う。また、江戸時代にその様子を絵に書いた人がいたのだが、その後その絵の持ち主には不幸が相次ぎ、最後の持ち主は火事で家もろともその絵を失ったということだ。

内ヶ山氏の最期と帰雲城埋蔵金伝説(自サイト内「お城スコープ」へジャンプ)