「ああ勘違い」は成立するか?


 お風呂と大使館
2004.08.09

 
 現在、性風俗店の一業種としてソープランドと呼ばれるものがあります。このソープランドは、1980年代の中ごろまでは「トルコ風呂」と呼ばれていました。なぜソープランドという風に改称されたかと言えば、トルコ風呂と言う名称が、トルコ、およびトルコ国民の名誉を著しく傷つける非常に失礼なものだったからです。考えてみればごく当たり前のことで、どこかの国で、ちょっといかがわしい感じの店が「ニッポン」などと言われていれば、大抵の日本人は不快な感じを抱くでしょう。トルコの人たちが当然抱くであろうそのような感情に配慮しての改称だったわけで、最近いささか度が過ぎている感のあるいわゆる「言葉狩り」とは、根本的に性格を異にした改称でした。そもそもなぜ「トルコ風呂」だったのかについては、当サイト内にこれをまとめた別項がすでに存在しているので、その中の文章を再掲しておきます。

 『なぜ「トルコ」なのか。どうやら、風俗としての「トルコ風呂」が誕生する以前から、トルコ風呂と呼ばれる大衆浴場が存在していたようだ。本場トルコで言うところの「ハマム」のことで、昭和26(1951)年、東京銀座にあった「東京温泉」の中で開業した。ただし、トルコのハマムでは同性が接客を行うのに対し、日本版トルコ風呂は当初から利用客は男性限定、接客は女性が行うものだった。やがて売防法施行(昭和33年)となり、公認の売春宿がなくなったことから、密室で女性と二人きりになるトルコ風呂の、性的なサービスがエスカレートしていったものらしい。』

 トルコ風呂の起源らしきものが分かったところで、今回話題にするのは、トルコ風呂からソープランドへの改称にまつわる一連の噂話です。この改称の時期に何があったのかについては、一般には以下のような流れで説明されることが多いと思います。

 昭和59年(1984)年、トルコから日本の留学生だったヌスレット・サンジャクリ氏は、日本の「トルコ風呂」の存在を知ります。もちろんこのトルコ風呂は、本来のハマムなどではなく、特殊浴場=後に言うところのソープランドでした。サンジャクリ氏本人に近いところから出たと思われる情報によると、氏がふるさとのハマムを懐かしんで日本版のトルコ風呂に入り、その実態を知ってショックを受けたのが発端だということです。サンジャクリ氏は日本に対して失望感をいだき、一時は帰国も考えたようですが、この悪弊を取り除くべく運動を起こし、当時の渡部恒三厚生相に改称を請願しました。そしてこの一件はマスコミの報じるところとなったのですが、実のところこの改称は、サンジャクリ氏の要請を受けた行政指導の結果ではありませんでした。もちろん、サンジャクリ氏の活動が実を結んだものには違いないのでしょうが、マスコミ報道などから業界団体が自主的に動いて実現したもので、自主規制とか自粛と言うべき内容のものでした。より詳細には、どうやら一番最初に改称へと動いたのが横浜の特殊浴場組合で、その後同様の動きが全国に波及していったようです。

 言ってみればこれがトルコ風呂改称にまつわる公式情報と言うことになります。差別用語や禁止用語についてまとめた本の「トルコ風呂」の項を見る限りでは、上記の話と大同小異の経緯が紹介されています。ところが、この話はこれだけで済むものではなく、世の中には理解の混乱を招くような、ややこしい未確認情報が少なからず存在しているようなのです。例えばこんな話。

 昔、「大使館」という名前のトルコ風呂が存在していた。そのため、電話帳には「トルコ(風呂)・大使館」と本物の「トルコ大使館」が二つ並んで掲載される事になった。問題はその後だ。トルコ共和国の出先機関である本物のトルコ大使館に、本来トルコ風呂・「大使館」につながるべき間違い電話が大量にかかってくるようになったのである。
 この事態に腹を立てた本物のトルコ大使館は、外務大臣に対して特殊浴場の通称を変えさせるように要請したと言う。


 この「大使館」という屋号のトルコ風呂があった場所はハッキリせず、以前に掲示板で話題になった時に確認(ネット検索)された限りでは、渋谷、あるいは横浜にあったと言う事にされています。私がネット以外の媒体を調べたところでは、このパターンの話そのものが未確認です。ちなみに、この種の店の屋号については、昔から豪奢な感じの名前を付けるのがある種の慣習になっているようで、大使館と言う名前そのものはありふれた名前の部類に入るものなのではないかと思います。実際、全国には現在でもこういう名前を掲げて経営しているソープランドもあります。なお、この経緯を知ったことでサンジャクリ氏が厚生相への抗議を決意した、という結ばれ方をする事もあるようです。

 また、次のようなパターンも。

 あるとき、新任のトルコ大使館員の身の上に起こった話。彼が空港から大使館に向かおうとした時、一台のタクシーを捕まえた。行き先を聞かれた彼は「トルコ大使館」と答えたのだが、車が着いたのは、「大使館」という名前の特殊浴場だった。
 自国の名前がいかがわしい店の通称として用いられている事を知った彼は激怒し、然るべき筋にこの件で抗議した。トルコ風呂改称の影では、このような出来事が起こっていたのである。


 そして、こんな新聞記事。

情報提供:ブローカーさん
★トルコの大使館

「大使館」。こんな看板をかかげていた東京・歌舞伎町のトルコぶろが、つい最近「古城」と名を変えた。デラックスなムードの中で大使気分を満喫してもらおうという狙いだったが、思わぬところからクレームがついたのだ。

同じ大使館でもこちらは正真正銘の「駐日トルコ大使館」。トルコ「大使館」がオープンしてからというもの毎夜、大使公邸にあやしげな電話がかかってくる。「いま、すいてますか」「帰りに食事したいんだけど、Aちゃんいる?」「ワタシを使ってほしいの」といった調子。職員は夜もおちおち眠れないありさま。どうやら「104番」に「トルコの大使館」の電話番号を問い合わせたのを、交換嬢が「トルコ大使館」としばしば間違え、大使館の番号を教えるのが真相らしい。たまりかねた大使館ではこの6月、外務省を通じ大使名で正式に電話番号の変更を申し入れていた。

「わが国にはこの種のトルコぶろはありません。まぎらわしい名前が使われては国のイメージにかかわるので」と大使館。「外務省から“圧力”があったから名前を変えたわけではないですよ」とすました顔のトルコぶろ側。まずは国際問題にもならず、メデタシというお話。
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以上、昭和50年(1975年)11月14日付『毎日新聞』(夕刊)「赤でんわ」から。


(中略)

上記記事についてはいくつか「?」な記載もあります。
曖昧な記憶なんですが、「古城」って歌舞伎町セントラルロードとさくら通りを結ぶ路地に面した喫茶店じゃないかな? もう解体されてないけど。
それに「帰りに食事したいんだけど、Aちゃんいる?」なんて、一度顔出せば、名刺ぐらいもらう筈(妻帯者なら帰宅途中で捨てる可能性もありますが)。女の子が「ワタシを使ってほしいの」と電話をするのもおかしな話で、いずれもわざわざ104で電話番号を尋ねるなんて、ちょっと有り得そうにないと思います。


(以上、情報提供:ブローカーさん)

 サンジャクリ氏以前からトルコ大使館が「トルコ風呂」と言う呼称を問題視し、関係当局に改称を働きかけていた事実はあるようです。果たしてその動きは、ここで紹介したような勘違いに腹を立ててのものだったのでしょうか。

 まがりなりにも新聞種になっている最後の話はともかく、前掲2話については、「確かに話としては面白いのだが、果たして現実が話ほどにうまく行くだろうか?」と釈然としない部分があります。当時の電話帳がどうなっていたかの記憶は私にはありませんし、現物も未だ確認できないままなのですが、少なくとも最近の電話帳の感覚で行けば、「トルコ(風呂)・大使館」と「トルコ大使館」が並ぶ事はまずありえないので、おとなしく納得はできません。この話がサンジャクリ氏のエピソードと混交されたらしきパターンもありますが、これは「サンジャクリ氏自身の勘違いが改称運動につながった」という、より信用するに足りそうな既述情報との間に矛盾を生じさせる可能性をもったものでもあります。

 タクシーでの出来事については、この話単体ではさほど不自然を感じる事は無いのですが、似たような話が多く存在し、情報が錯綜していることが疑われる状況にあっては、やはりそのまま鵜呑みにするのは抵抗があります。

 カギを握っていそうなのは、やはり昭和50年11月15日付毎日新聞・夕刊の記事でしょうか。何と言っても新聞情報ですので、噂話・世間話の域を出ないほかの話に比べれば、その信用度はかなり高いと言って良いでしょう。もっとも、すでに指摘されている内容も含め、新聞記事とは言え不自然さを感じる要素はいくつかあります。「トルコ大使館」に間違い電話をかけてしまった客は、本来の用を足せなかったわけで、大使館への間違い電話に近い本数の問い合わせが再度電話番号案内につながっていたとしてもおかしくはなく、それが大使館の業務に差し障るほどの数だったとなれば、交換手側でも再発防止のガイドラインなり何なりを設けそうな気はするのですが…。確証はありませんが、どうも特殊浴場業界に伝わる業界内ジョークのようなものを核に、針小棒大にストーリーを膨らませているような気がしないでもありません。

 そもそも、この新聞記事自体はトルコ風呂改称にかかるものではありません。真っ正直に考えれば、新宿の「大使館」が「古城」に変わったことでトルコ風呂問題は一件落着となり、後に起こるソープランドへの改称に直接影響するものではないということになります。こういう見地に立って考えるのであれば、少なからずの人が目にしたであろう毎日新聞記事の内容が、後の改称運動と結びつき、勘違いされてトルコ大使館伝説が生まれた可能性も考えられます。そうなるとこの話は、一種の誤伝であると言えます。その反面で、新宿の「大使館」が無くなっても、渋谷や横浜にも「大使館」があったため、それが改称につながった可能性も否定できないのですが。

 舞台設定等のディティールを多少いじった程度の似たような話が多く存在しているというのは、言うまでもなく都市伝説に顕著な特徴の一つです。そのことも相まってどうしても、今回紹介した一連の勘違い話が、ちょっとしたエピソードを面白おかしく膨らませた話、あるいは記憶違いに起因する誤伝、場合によってはまったくの事実無根なのではないかと疑ってかかりたくなります。

 最後に、実はこの件については、事実関係の確認にわずらわしい作業が多く、経過がはかばかしくないため、現時点では推論や下種の勘繰りばかりの要領を得ない話になっています。要追加調査です。ここまで呼んでくださった方、中途半端な話で申しわけありません。さしあたって、トルコ大使館宛てにそのような事実があったのかどうか質問のメールも送ってみましたが、こんなしょーもない話には付き合ってくれないだろうなぁ。