消え行く「日本一のミニ村」・富山村

 北設楽郡富山村(とみやまむら)は、愛知県の北東のはずれにある。2004年3月末現在で人口は219人。一度は200人を割り込み、東京都の青ヶ島村と日本一小さな村の座を競った事もある。現在は、島嶼部を除いて「日本一人口の少ない村」を自称している。ちなみに青ヶ島村は本土から350kmも離れた離島の村だ。
 富山村は、数年前に一度訪ねた事がある。車での旅だった。同じ北設楽郡の東栄町から一旦静岡県の佐久間町に入り、佐久間ダムによってせき止められた佐久間湖伝いの県道を行った。この人造湖の存在のため、東栄町方面から富山へのアクセスは極めて悪い。対向車との離合スペースも満足に確保されていない狭路で、カーブも多い。一応ガードレールは設置されているが、いざとなれば車一台の重量を支えきる事はできまい。アクセルを踏み込む足に少し力をこめれば、それをあっさり突き破って、緑色をしたダム湖の底へ真っ逆さまである。嫌な想像を振り払いながら、ずいぶん長い間の隘路を村へ走ったような記憶がある。
 そうやってたどり着いた富山村は、正しく秘境の趣を呈していた。入り口にはヘリポートと思しきスペースがあった。村営喫茶店・理容店もあった。「噂」の信号機はその当時にはあっただろうか。山村と言われるとわずかの平地に田畑の広がる牧歌的な風景を想像してしまうが、この村にはほとんど平地が無かった。ダム湖に面した山の斜面に集落が開け、何十戸かの家と役場、学校などの公共施設が建っている他は、わずかに茶畑が存在する程度だ。「ゼンリン」が発行している住宅地図で富山村の辺りを見ると、紙面いっぱいびっしりと、木目のような等高線で埋め尽くされている。縞模様が途切れるのは、佐久間湖の湖面だけだ。
 富山村では最近になって同じ北設楽郡の東栄町・豊根村との合併が協議されたが、これは結局物別れに終わり、2004年8月末日をもって協議会を解散している。合併後の本庁は3町村でもっとも人口の多い東栄町に置こうかという話になったのだが、富山村から東栄町までのルートは前述のように、かなり遠い。富山村側は隣接する「豊根村に本庁を」と望んでいた。もとより富山村は長野県と接する北側、静岡県に接する東側以外は隣の豊根村に囲まれる形になっている。そのため、合併話は東栄町が離脱した後も富山豊根両村間の懸案事項となっており、話し合いは継続中となっている。
 愛知県内から「日本一のミニ村」が消える日が来るのか。
 


BACK