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三島由紀夫伝

 

――仮面的テクスト解読論序説――

 

小林勇次 著

 

 

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Mishima Yukio

 

His Inner Biography

 

By Kobayashi Yuji

 

T

 

欺瞞や妄想は人間界の絶えざる付きものであるが、特に人文系テクストの作成や解読には未だに妙な欺瞞や妄想が支配しているようである。

自然科学、社会科学、人文科学の順に、つまり認識の対象が外界から人間内部へと向かうにつれて、知的欺瞞ないし妄想は深刻になる。ここで敢えて理系と文系という区別を立てるなら、理系から文系へと分野が移るにつれて認識の対象が万人に開かれた外的なものから秘められた個人的な内的なものへと移行するからである。したがって、後者の分野においてこそ真実の認識や解明における深刻な窒息状況があるのである。この分野においては、ほとんど知的暗黒時代の様相を呈しているのである。これはこの分野のテクストの解読方法の根本に見られる混迷や妄想や欺瞞と無関係ではないのである。もしもこの分野において人間(の内部)の認識、他我認識ができないとなれば、最早かかる認識の可能性は永遠に閉ざされてしまうことになろう。

たとえば自然科学や数学の分野のテクストで嘘をつこうとする自然科学者や数学者はいまい。自然科学論文のテクストは記述の対象が万人に開かれた外的な自然現象に照らして真偽や正否が判断されるから、また数学論文のテクストは普遍的な数学的合理性に照らして真偽や正否が判断されるから、こうしたテクストで嘘偽りを書いても見破られてしまうであろうし、作者自身に何の益もないであろう。

つまり、こうした分野のテクストの真偽や正否を判断するためにテクスト作者個人を関与させるには及ばないのである。テクストの真偽や正否が作者個人には関わらないところで判断できる以上、こうしたテクストで作者は真実や事実を偽ろうとか、誤魔化そうとか、読者を誑かそうとはまずしないわけである。

したがって、こうした分野のテクストにはまず仮面的テクストはないのである。無論ここで言うのは真に学問的な自然科学や数学のテクストの場合であり、たとえば「ソーカル事件」がその幻想と欺瞞の形而上学を明快かつ決定的に暴いたような半可通の「ポストモダン」流の擬似学問的なテクストの場合には、こうした分野と部分的に関わっているようなテクストでも、虚仮威しの欺瞞的な仮面的テクストは生じうる。この点については、近年邦訳されたアラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの『「知」の欺瞞』が精密な論証をしている。しかし、同書は厳正な優れた書であるが、いわば文系の分野の問題をほとんど扱っていないため、現代の「知」あるいはむしろ「痴」の状況をもたらした歴史的経緯に対する認識を欠いている。文系の分野の知的閉塞こそ最も深刻なのである。文系の分野にこそ知的欺瞞と迷妄が支配しやすいからである。

 「ソーカル事件」においては、ソーカルが試しに数学や自然科学用語を多用した「ポストモダン」まがいの戯言の論文をデューク大学出版部発行の人文系評論誌に投稿したところ採用掲載されたという事実が如実に示すように(同誌の編集者は流行や評判に誑かされているだけで、最早何も分からなくなっているのである)、この分野においてはまったくの茶番や戯言のテクストもそうとは認識されず、訳も分からずに真に受けられ、有り難がられるのである。

しかし、作者個人の事柄に関するテクストは作者個人を知らない読者にはテクストの記述内容の真偽を容易に判断しえない。したがって、自己告白のテクストこそ最も真偽の判断が困難なものになりうるのである。作者が正直に語っているか、嘘を語っているか(この問題を無視して人間認識ないし他我認識はありえない)が、テクストのみからでは、要するに言葉のみからでは、判断不能な場合が多いのである。したがって、事実を偽り、隠蔽糊塗し、人を誑かす仮面的テクストは、当事者にしか分からぬ事柄や個人の内面的事柄に関するテクストの場合に最も多く発生するはずである。

したがって、話を明瞭にするために示した以上の対照的な二種類の分野のテクストを解読する方法は、テクストに作者を関与させるべきか否かという点で決定的に異なるのである。一般的には前者の分野のテクストの真偽や正否を判断するのに作者個人を考慮するには及ばないが、後者の分野のテクストの場合には、作者個人を考慮しないかぎり、その真偽や正否を判断することはできないのであり、したがってテクストを解読したり、作者を解明したりすることは不可能なのである。

 

 

仮面的テクストとは何か。

三島文学の主要テクストはほとんど解読されていない(見せかけに誑かされた皮相無邪気な解釈は引きも切らぬが)。したがって三島由紀夫もほとんど解明されていない。それは彼の主要テクストがしばしば仮面的テクストであり、しかも彼はテクストで示した仮面を現実の場でもなぞるような言動(仮面的言動)を見せつけながら、彼の仮面が仮面としてまるで認識されておらず、したがって彼がそうした仮面をかぶる理由も意味もまったく解明されていないからである。また逆に、彼がそうした仮面をかぶる理由や意味をまったく洞察しえていないからこそ、彼の仮面を仮面として認識しえないのである。

仮面(あるいは仮面的テクスト)を仮面(あるいは仮面的テクスト)として認識しえず、しかもその認識しえないことを正当化するような「理論」は畢竟は愚考であり、妄想である。もしそんな「理論」が正当化しうるとしたら他我認識は最初から絶対的に不可能になってしまうが、他我認識は必ずしも不可能ではないのである。他者の仮面(あるいは仮面的テクスト)を看破することは無論他我認識である。

仮面(あるいは仮面的テクスト)を仮面(あるいは仮面的テクスト)と看破できない以上、そうした仮面をかぶる(仮面的テクストを作成する)理由や意味を見いだせなくなるのは当然のことである。実を言えば、大抵の場合、ある言動(あるいはテクスト)を仮面(あるいは仮面的テクスト)と看破して然る後にそうした仮面をかぶる(仮面的テクストを作成する)理由や意味が明らかになるのではなく、これらの洞察はすべてほとんど同時になされるのである。

では、仮面的テクストとは何か。

テクストを解読するうえで最重要の根源的テクスト分類学として、仮面的テクストとそうでないテクストを区別しなければならない(テクストが全体的に仮面的な場合もあれば、部分的に仮面的な場合もある)。これはフィクションのテクストとノンフィクションや歴史文書のテクストとの区別というようなものでは全然ない。フィクションのテクストが仮面的テクストということではないし、またノンフィクションや歴史的文献のテクストが仮面的テクストではないということでもない。どちらの分野のテクストにも仮面的テクストとそうでないテクストがありうるのだ。この点を決して誤解してはならない。

たとえば、作者が己の内なる思想を表現するために架空の人物や状況を設定して小説化したフィクションのテクストは決して仮面的テクストではない。また、ノンフィクションや歴史文書のテクストでも作者が意図的に何らかの事実や真実を曲げたり隠蔽糊塗しているテクストは仮面的テクストである(かかる認識に基づいたテクスト解読なくして歴史認識はありえない)。また自己美化や自己正当化のために己の外なる既成の明示的な「思想や信仰」を信じてもいないのに信じているように見せかけたテクストも仮面的テクストであることは言うまでもない。

但し、フィクションのテクストについて仮面的テクストという場合に関しては微妙な問題がある。一般にフィクションは虚の世界を描き、虚を主とする以上、虚実の区別や穿鑿は必ずしも問題ではなく、実に反したところで何ら仮面的になるわけではない。しかし、外見はフィクションと見せかけながら、その実、欺瞞的な自己正当化のために事実や真実について重要な点を意図的に誤魔化したり隠蔽糊塗して読者を誑かすことを主目的とするテクストは仮面的テクストである。たとえば三島の『仮面の告白』は一面で正にそのような仮面的テクストなのであるが(これについては追い追い解明することにしよう)、それを看破するには作者たる三島をそのテクストに関与させ、考慮しないかぎり不可能なのである。

だがまた、その場合、『仮面の告白』をフィクションのテクストとみなしてよいか否かという問題も生じうるだろうし、また、文学テクストがすべてフィクションのテクストというわけでもなく、ノンフィクションでも文学でありうるのであり、文学やフィクションのジャンルのテクストについて仮面的テクストという場合に関しては微妙複雑な問題がある。

たとえば、「私は猫が好きだ」という言葉(あるいは猫好きのテクスト)を猫嫌いの者が発すれば嘘の言葉(あるいは仮面的テクスト)になるが、猫好きのテクストが完全なフィクションのテクストであるなら、たとえ作者が猫嫌いであろうと仮面的テクストになるわけではない。作者自身について書いているテクストではないからである(この点で『仮面の告白』は微妙なテクストになっているわけである。作中の「私」は作者三島自身か、それともまったくの架空の人物か)。この場合は作者が猫好きであろうと猫嫌いであろうと関係ないわけだが、だからといって作者を考慮しないで何ら差し支えないというわけでは必ずしもないのである。当のテクスト自体には必ずしも明示的に現前していないが作者独自の重要なコノテーションをそのテクストが秘めていることが作者を考慮することで解明されることもありうるからである。

もしも『仮面の告白』がまったくのフィクションならば、作中の同性愛の「告白者」たる同性愛者「私」は作者三島由紀夫ではない。フィクションでなくノンフィクションだとすれば、同性愛者「私」は三島ということになる。ところで、この作中の告白者「私」は遠方からの外見上はいかにも作者三島自身を髣髴させるのであり(とはいえ、身近に現実の三島を見知っていた者、たとえば彼の父親や実在の「園子」にとっては、三島が作中の告白者「私」のような同性愛者でないことはまったく自明で、明白なことであった)、そのため読者はまたこのテクストを作者三島自身の正直な赤裸の告白と思い込むことになる。つまり、作中で同性愛者「私」がしきりに「他者」(作中の他者であって、現実の他者ではない)への発覚を恥じ恐れている「私」自身の明示的な「恥部」たる同性愛の「告白」を三島自身の真実の赤裸な告白のように思い込むことになる。

だが、実は三島は出版社からの長編小説の執筆依頼に対して、「今ぜひ書きたい長編がある」と返答して、嬉々として『仮面の告白』を執筆し、作外の現実の他者である読者に堂々とおおっぴらに公表したのであって、三島自身は作中の同性愛者「私」のような己の同性愛の「他者」への発覚について羞恥や恐れなど何ら感じていなかったのであり、それどころか彼は嬉々として『仮面の告白』を執筆し、公表したのである。作中の同性愛者「私」と作外の現実の三島のこの点における決定的な齟齬は何を意味するか。作中の同性愛者「私」は己の同性愛が「他者」に発覚するのを何よりも恥じ恐れているのに、作者三島はいかにも彼自身を髣髴させるように同性愛者「私」を描きながら、現実の世間には嬉々として同性愛者「私」を公表しているのである。こうした簡単な指摘だけでも容易に分かることは、作中の「私」が己の同性愛が「他者」に発覚することを大いに恥じ恐れているのに対し、作者三島はむしろ嬉々として同性愛を現実社会に公表しているということであり、つまり作中の同性愛者「私」の最大の「恥部」は同性愛だが、『仮面の告白』の作者たる現実の三島にとり同性愛は大した「恥部」ではあるまいということである。作中の同性愛者「私」は言語で構成された観念的な「存在」だが、同性愛者「私」の「告白」の作者たる三島由紀夫は言語外の現実の存在であり、これは彼固有の血肉や体温や内臓や血圧等々を有し、身近な人々にも五感で感じ取れる現実の存在である。無論、言うまでもあるまいが、現実的存在はこうした感官の対象になるが、観念的存在は単に頭の中で思念するだけの観念や概念にすぎず、そんなものは何ら感官の対象にはならないのである。頭の中の観念や概念にすぎない「餅」や「饅頭」や「スプーン」や「鉛筆」は味わうことも触れることも目で見ることもできないのは当たり前である。外界に現実に存在する物すなわち実在物ではないからである。だからカントは実在するもの(realなもの)や実在性(Realität)についてこう言うのだ。

 

「純粋悟性概念における実在(Realität)は感覚一般に対応するものである。だからその概念自体が(時間における)存在(Sein)を示している。・・・・・・感覚に対応するのは実在(Realität)(現象的実在realitas phaenomenon)である。・・・・・・ある対象に関するわれわれの概念が何を含みまたどれほど多くのものを含むにせよ、その対象が現実に存在するためには、われわれは概念の外に出なければならない」(『純粋理性批判』)

 

実在や実在性は物が現実に「ある(存在する)」かどうかの問題であって、物が何であるか、つまり物の内容や本質の問題ではない。

 

『仮面の告白』はフィクションとしてもノンフィクションとしても読まれうるかのように書かれているが、実はいずれのテクストとして扱っても決して解読解明できないテクストなのである。いずれか一方のテクストというような単純に分類できるテクストではないからであり、いずれのテクストとしてもおかしな点がいくつもあるからである。ただ三島由紀夫という作者個人にとって虚実を綯い混ぜた欺瞞的な自己正当化を試みた仮面的テクストとしてのみ解読解明しうるテクストなのである。外見上は真実の赤裸な告白と見せかけながら(三島は『仮面の告白』で同性愛の告白者「私」をいかにも彼自身と思わせるように書いているが、それは何ゆえか。それを看破することこそ『仮面の告白』および三島由紀夫を解き明かす決定的な鍵なのである)、その実、作者自身の欺瞞的な自己正当化のために事実や真実について重要な点を意図的に誤魔化したり隠蔽糊塗して読者を誑かすことを主目的とするテクストは仮面的テクストであるが、『仮面の告白』は正にそのような仮面的テクストなのである。三島は『仮面の告白』でどんな仮面をかぶったか。このことはやがて決定的に明らかになるであろう。

 

 

たとえば、晩年の三島由紀夫は『私の信条』のなかでこう書いた。

 

「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。そうすれば、小林多喜二のように殺される可能性も出てくる。思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい。・・・・・・私には文学者イコール弱虫の卑怯者という考えは、やはりどうしてもイヤなのである」

 

要するに晩年の三島は「英雄たらんとする」(その背後には「文学者イコール弱虫の卑怯者という考えは、やはりどうしてもイヤ」だという彼の強い思いがあるのだが、なぜ戦後の彼がそのような思いを抱いたかを見抜けないかぎり、彼の仮面を決定的に看破することはできない)ために「思想や信仰」を掲げたのであって、決してその逆ではない。己を悲劇の「英雄」たらしめんため、己の死を栄光の悲劇的な「英雄的な死」たらしめたいがため、要するに自己美化や自己栄化のためにこそ、出来合いの「思想や信仰」を表明する天皇主義者めいた仮面的テクストを晩年にいろいろと作成し、またそうした仮面的行動や振る舞いを見せつけたのであって、そんな既成の外的な「思想や信仰」のために自裁したわけではさらさらない。「思想や信仰」は「天下泰平」の平時における自死を無理やり「憂国の士」の「壮烈な死」、「英雄的な死」に見せかけるための窮余の一策として利用されているにすぎないのである。

何らの「思想や信仰」も掲げずに、ただ単に自裁するだけでは厭世家の惨めな自殺ととられかねないから、それを何とか「神の死」の戦後社会において「神」の復活を標榜する「憂国の士」の「英雄的な死」に見せかけたいがために、信じてもいない天皇主義をおおっぴらに掲げて自決するという演出を工夫したのである。

自決一週間前の昭和四十五年十一月十八日になされた古林尚との対談で三島はこう述べている。

 

古林 三島美学を完成するためには、どうしても絶対的な権威が必要だということになり、そこに・・・・・・。

三島 天皇陛下が出てくる。(笑)

古林 そこまでくると、私はぜんぜん三島さんの意見に賛成できなくなるんです。問題は文学上の美意識でしょう。なぜ政治的存在であるところの天皇が顔を出さなきゃダメなんですか。

三島 天皇でなくても封建君主だっていいんだけどね。「葉隠」における殿様が必要なんだ。それは、つまり階級史観における殿様とか何とかいうものじゃなくて、ロイヤリティの対象たり得るものですよね。(『三島由紀夫 最後の言葉』)

 

要するに、「ロイヤリティの対象たり得るもの」であれば、「天皇でなくても封建君主だっていい」のであり、とにかく何らかの「ロイヤリティの対象」を奉じて自決するという体裁を整えるために、強引に天皇を持ち出したのである。

まず己を「弱虫の卑怯者」でない「英雄」や「勇者」と思わせたいがために己の壮烈な自刃を「英雄的な死」となさしめようとする自己美化や自己栄化の強烈な欲求があるのであり、爾後に既成の「思想や信仰」が後知恵の模索により必要だと考えた結果持ち出されたのであって、決してその逆ではないのである。その逆を信じさせようとして、プロザイックな天下泰平の戦後社会や自身の生活に次第に倦み疲れ、さらに老いへの嫌悪を募らせた三島は、自己美化や自己栄化のための自死を考え、少年時代に夢見ながら唯一果たせなかった夢だと言う「自分の英雄的な死」(『小説家の休暇』)を思い、平時における自死を何とか「英雄的な死」たらしめんため、出来合いの「思想や信仰」をあたかも戦前から己の内部に抱いていたかのように見せかけた仮面的テクストを晩年近くからいろいろと作成したのであって、彼のこうした詐術に誑かされているようではどうにもならない。三島が晩年に掲げたような明示的な天皇主義者めいた「思想や信仰」など、戦前の幼少年期の三島の理解や関心のまったく埒外にあったし、また戦後の三島は最早そんな幻想に誑かされるほど無邪気でもなかったのである。

前掲の文で三島が「左翼」の小林多喜二を「思想や信仰」ゆえに死んだ「英雄」の一例として持ち出したということは、三島にとっては「英雄」かどうかが大事な問題なのであって、「左翼」だろうと「右翼」だろうと実はどうでもいいということを意味しているのである。彼が晩年に掲げたような政治的な「思想や信仰」など実は彼にとっては決して本当の問題ではないからである。己を「弱虫の卑怯者」でない「英雄」や「勇者」たらしめんとする自己美化こそが彼の真に切実な問題だからである。

つまり、三島にとっては、「英雄たらん」とするためには「思想や信仰」を持っているだけでは全然意味をなさないのであり、「思想や信仰」を持って「小林多喜二のように殺される」か「思想や信仰」を奉じるという形で自決しなければならないのである。「思想や信仰」を抱いているだけでは決して「英雄」たりえないのであり、それでは彼にとってはまったく無意味なのである。死を賭さないかぎり、壮烈な自死を見せつけないかぎり(彼はひっそり自裁する気は毛頭ないのである)、「英雄」や「勇者」にはなれないのだ。要するに、彼にとっては「英雄」と「死」とが分かちがたく結びついているのであって、死なないかぎり(むろん自然死や病死ではだめである)決して「英雄」にはなりえないのである。

だが、むろん三島は晩年に掲げたような「思想や信仰」に殉じて自裁したわけでは毛頭ない。自裁はあらかじめ決まっているのである(己が老いて醜くなるのを彼が何より嫌悪し恐れていたことを考えよ。自己美化や自己栄化以外のことに大して関心のない彼は、戦後十五年にして「私は本質的に、生活を愛していない」(『今年のプラン』)と書いている)。彼にとっては己を悲劇の「英雄」たらしめんとする自己美化や自己栄化が最大の問題なのであり、平時における自死を「英雄的な死」に見せかけるために「思想や信仰」を標榜したにすぎないのである。信じてもいない見せかけの「思想や信仰」を前以て標榜しておいて、然る後に自決すれば、言語表現の背後に隠された事情(これは作者固有の事情であるから、作者を捨象しているかぎり認識不能である)を看破しえない読者の目にはあたかも「思想や信仰」に殉じて自決したように見えることを事前に充分計算していたのである。

三島は神風特攻隊のような悲劇的な「英雄的な死」を最高の美として憧憬賛美し、最後まで特攻隊にこだわったが(実はそこにこそ「弱虫の卑怯者」とか「卑怯な臆病者」という三島の生涯の深甚な恥辱意識と慙愧の念が潜んでいるのである)、特攻隊員たちが彼の晩年に掲げたような天皇主義的な「思想や信仰」を必ずしも奉じて死んだわけでもないことを知っていたのである。

 

「人はあえていうであろう。特攻隊は、いかなる美名におおわれているとはいえ、強いられた死であった。そして学業半ばに青年たちが、国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行ったのだと・・・・・・。それはたしかにそうである」(『葉隠入門』)

 

特攻隊員たちはなにも天皇を「神」と信じて、そうした「思想や信仰」を奉じて突撃したわけでは無論ないことを戦後の三島は充分に認識していたのである。彼らの死は「強いられた死」であり、彼らは「神」の名の下に「国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行った」ことを三島は認識していたのである。つまり、特攻隊と彼が晩年に掲げたような「思想や信仰」とは本質的な内的な結びつきなど何もないことを彼は知っていたのである。別言すれば、特攻隊員各自の内なる「思想や信仰」と三島が晩年に掲げた妙な「皇国思想」めいた「思想や信仰」が必ずしも同じでないことを彼は認識していたのである。

もし死後の魂があるとするならば、「神」の名の下に「国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ」た特攻隊の「英霊」たちがはたして戦後「神」の復活を願ったであろうか。彼らは決して戦後に「神」の復活など願いはしなかったであろう。それが分からぬほど三島が愚かだったわけではあるまい。

ではなぜ三島は晩年に「神」の復活を願うような「思想や信仰」と神風特攻隊をたとえば『英霊の声』などで結びつけたのか。

それは己の死を少年時に憧れ夢見た特攻隊のような悲劇的な「英雄的な死」としての最高に「美しい死」となさしめんがための詐術なのである。戦時には壮絶な特攻死(これを当時ロマン主義的夢想家だった三島は「英雄的な死」「美しい死」「栄光の死」とみなして賛美憧憬していた)は可能であったが(とはいえ、当時何よりも死と兵役を恐れた三島は入隊検査時に仮病を使って必死に兵役免れをした。無論、服役したところで、当時の三島が特攻隊員になれるはずもなかったろう)、平時には最早そのような「英雄的」な「栄光の死」は不可能であるから、特攻隊のような「壮烈勇壮」な死を可能にしてくれる戦時の「状況」の代わりに言葉による「思想や信仰」を掲げ、それと神風特攻隊をたとえば『英霊の声』などで強引に結びつけ、彼ら特攻隊員たち(の「英霊」)にも同じ「思想や信仰」を奉じさせ、かくして平時において自らその「思想や信仰」をおおっぴらに掲げて自決する己を神風特攻隊のような「悲劇の英雄」たらしめんとしたのである。

最後の自己美化として己の死を美化したい三島は自死を美化してくれる言葉を求めたのである。少年時の彼は、「微妙な嘘をついていた詩によって、微妙な嘘のつき方をおぼえた。言葉さえ美しければよいのだ」(『詩を書く少年』)と思っていたのであり、戦後の「天下泰平」の生に次第に飽き、虚しさを募らせた彼は死を思い、そして自分が老いて醜くなるのを何より嫌悪し恐れた彼はついに死を決意し、「ありとあらゆる古い神秘的な荘厳な言葉を並べ立てた死の装飾」(『鏡子の家』)をしてくれるようなものとして、自死を悲劇的な「英雄的な死」として勇壮な美辞麗句(たとえば「七生報国」、「必敵撃滅」、「悠久の大義」等々)で美化し、栄化してくれるようなものとして、天皇主義的な「思想」を標榜することにしたのである。彼が晩年に掲げた「思想」は最初から自死を粉飾するためのものであり、自死を美化するため、むしろ美化してもらうためのものであり、平時における自死のせめてもの「英雄的な死」としての美化や栄化を狙ったものなのである。そしてその背後には「弱虫の卑怯者」とか「卑怯な臆病者」という「汚名」(三島がこれを生涯気にしていたことを見抜けなければどうにもならぬ)を何とか返上したいという三島の深甚な思いが潜んでいるのである。

三島が特攻隊に寄せる深甚な思い(そこには賛美憧憬のみならず、特に戦後には彼らに対する負い目や後ろめたさもある)は本物だが、晩年に掲げた「思想や信仰」は見せかけの仮面であり、誑かしにすぎない。

 

 

最後の自己美化として悲劇的な「英雄的な死」の方法を模索した三島は、壮烈な特攻死を可能にし、賛美する戦時のような戦闘的な国家動乱の危機的破局的状況を求めていたのであるが、「天下泰平」の平時に最早そのような死に方は叶わず、また国家的「状況」は個人には如何ともしがたいため、国家的「状況」の代わりに現状を危機とみなすような国家的「思想」を掲げ、現状を憂える「憂国の士」として自決するという形で己を「悲劇の英雄」に見せかけようとしたのである。それゆえに晩年の数年間は盛んに自作自演の「憂国の士」として死ぬための真剣な茶番劇を仕組んだのである。三島の晩年の「思想」は戦時のような戦闘的な危機的破局的「状況」の代替であり、すり替えにすぎないのである。

昭和三十五年に三島は岸信介を「小さな小さなニヒリスト」だとし、岸が「何もかも信じていず、いかにも自分では信念の人だと思っているかもしれないが、自分の政治的信条を素朴に信じることのできない性格だ」としているが、また三島は自分自身についても、「私は何かというと、私はニヒリストである。しかし幸いにして、私は小説家であって、政治家ではない」と言っている(『一つの政治的意見』)。彼自身も岸をそう評するように「何もかも信じていず・・・・・・自分の政治的信条を素朴に信じることのできない性格」の「ニヒリスト」なのだが、しかし彼はもっぱら言葉を操り公表する「小説家」なのである。

そして「小説家」の彼はさらにこう言うのだ。

 

「うその言葉を、それと知りながら使うというのは、まぎれもないニヒリズムの兆候である(だから小説家という人種は油断がならないのだ)。催眠術師、魔術師、煽動家、感傷家、悲壮趣味、ヒロイズム、・・・・・・これらはみなニヒリズムの兆候である」(前掲書)

 

これは無論自分のことを言っているのであり、まさしく彼は信じてもいない「うその言葉を、それと知りながら使う」「ニヒリスト」の「小説家」なのである。同年にはまた『憂国』も書いているが、そこで彼は別に二・二六将校の「憂国」の「思想」自体を何ら信奉賛美しているわけでは決してないのであり、ただ勇壮に自刃する青年を悲劇的な「英雄」や「勇者」としてひたすら賛美憧憬しているだけなのである。だから三島はこう言うのだ。

 

「『十日の菊』を書く一年前に、私はすでに二・二六事件外伝ともいうべき『憂国』を書いて、事件から疎外されることによって自刃の道を選ぶほかはなくなる青年将校の側から描いていた。そしてそれは、喜劇でも悲劇でもない、一編の至福の物語であった。(中略)『憂国』の中尉夫妻は、悲境のうちに、自ら知らずして、生の最高の瞬間をとらえ、至福の死を死ぬのであるが、私はかれらの至上の肉体的悦楽と至上の肉体的苦痛が、同一原理の下に統括され、それによって至福の到来を招く状況を、正に、二・二六事件を背景として設定することができた」(『二・二六事件と私』)

 

つまり、「自刃の道を選ぶほかはなくなる青年将校」を描いた『憂国』は三島にとっては「一編の至福の物語」なのであり、二・二六事件の背景となるような「憂国」の国状は「美しい死」を演じるための舞台背景や舞台装置として必要なだけで、そうした国難の状況自体が何ら憂慮されているわけではなく、それどころか「至福の到来を招く状況」ないしそうした「状況」をもたらす社会情勢として願ってもない状況とみなされているのである。だから「憂国」なのに「至福」なのだ。三島は己を「憂国の士」としての「悲劇の英雄」に見せかけたいだけだからである。己の死を「憂国の士」の「美しい死」たらしめんとする自己美化や自己栄化が彼の真の目的であって、国の現状を憂えた結果として死ぬ(これはほとんどナンセンスだが)わけではさらさらないからである。

三十歳代後半あたりから老いへの恐怖や嫌悪を次第に募らせ、厭世的な虚無感や死への傾斜を深めていった「ニヒリスト」の三島は、平時における「ニヒリスト」の空疎な自死を何とか戦時の神風特攻兵士のような「悲劇的」で「英雄的」な「美しい死」として粉飾美化し、栄化せしめんがために、見せかけの妙に武張った「思想」をダシにして「憂国の士」として「英雄的」に自決したように見せかけたいのであり、大いに「憂国」して死にたいのであって、それゆえ彼にとっては「憂国」の国難の状況は願ってもない絶好の状況なのであり、「至福の到来を招く状況」なのである。

戦争のような国難や国家的破局を求める「憂国の士」とはふざけたものであり、「憂国」の状況を待ち望む「憂国の士」など悪い冗談以外の何ものでもないのだが、こんなふざけた「思想」も、晩年近くから三島が盛んに見せつけた明示的な「思想的」な看板や仮面に誑かされてしまう無邪気な人々には真に受けられてしまうのである。

昭和三十六年に三島はこう書いている。

 

「若い不平たらたらなサラリーマンの心には、社長になりたいという欲求と紙一重に、若いままの自分の英雄的な死のイメージが揺曳している。これは永久に太鼓腹や高血圧とは縁のない死にざまで、死が一つの狂おしい祝福であり祭典であるような事態なのである。かつては戦争がそれを可能にしたが、今の身のまわりにはこのような死の可能性は片鱗だに見当らぬ。壮烈な死が決して滑稽ではないような事態を招来するには、自分一人だけではなく、社会全体の破滅が必要なのではあるまいか?」(『魔』)

 

そして、最早戦後の平時の生にまったく倦み疲れ、さらに己の老醜への嫌悪や恐怖を募らせて、近い将来の自殺を確実に射程圏内に入れた晩年にはこう述べている。

 

「私の夢想の果てにあるものは、つねに極端な危機と破局であり、幸福を夢みたことは一度もなかった。私にもっともふさわしい日常生活は日々の世界破滅であり、私がもっとも生きにくく感じ、非日常的に感じるものこそ平和であった」(『太陽と鉄』)

 

三島が晩年に作成した己自身に関するこうしたテクストは(晩年の三島が書いたこれらのテクストを真に受ければ、晩年の彼は「極端な危機と破局」の「世界破滅」を希求する奇妙奇天烈な「憂国の士」ということになる。そうしたテクストが仮面的テクストであることを看破しえないかぎり必然的にそうならざるをえまい)、かつて死と兵役を恐れて仮病を使って必死に兵役逃れした事実を何とか隠蔽糊塗しようとするための欺瞞的な辻褄合わせを図った仮面的テクストなのである。戦時に死と兵役を恐れ、開戦の直前には東文彦に「自分は兵隊にとられないと思うが、もし戦地に赴かなければならないとしたらどうしたらよいだろう。・・・・・・いっそワーッと戦争があって、一年ぐらいで終わってくれるといい」と書き送った三島が、「私の夢想の果てにあるものは、つねに極端な危機と破局であり、幸福を夢みたことは一度もなかった」とは、まやかしの言葉にすぎない。こうした欺瞞的な辻褄合わせは己自身の過去を赤裸に「告白」しているかに見せかけた『仮面の告白』においてまずは徹底的に実践されたのである。

たとえば『太陽と鉄』などのテクストを作者が誰だろうと構わぬものとして匿名の作者の独立したテクストとして読んではならない。そのテクストの作者が三島由紀夫だからこそ、彼が少年時に東文彦に書き送った書簡テクストなどと照合することで重要な解明がなしうるのであり、それを「作者が三島由紀夫であるようなテクストはない」(無論これ自体は間違いではない)などとして、テクストをすべて匿名のままで差し支えないものとして扱う(これは必ずしも妥当ではない)かぎり、こうした解明は決してできないのである。(ちなみに、三島が書いたテクストは「作者が三島《である》テクスト」であって、決して「作者が三島《であるような》テクスト」ではない。前者のテクストと後者のテクストはまったく違うのである。前者のテクストは存在するが、後者のテクストは存在しないのである。だから前者のテクストを「作者が三島《である》テクスト」として解読することが可能になりうるのであり、意味がありうるのである。ここで結論めいたことを言えば、「作者が三島由紀夫《であるような》テクストはない」というテーゼ自体が間違っているわけではない。それは言語の本質上当たり前のことで、大した意味などありはしない。「作者が三島由紀夫《であるような》テクスト」など実際に存在しないのである。但し、そのテーゼから現実に存在するテクスト(たとえば「作者が三島《である》テクスト」)について作者を捨象して差し支えないと演繹ないし結論することは、まったく非論理的なのであり、大間違いなのであって、これはテクスト解読上決定的に重要な意味を持ちうるのである。

もしも「作者が三島由紀夫《であるような》テクスト」があるとしたら、それはテクストのみから作者が三島と分かってしまうことになるのだから、そんなテクストこそ作者を考慮する必要は全然ないわけである。そんなテクストなど決してないからこそ、現実にあるテクスト(たとえば「作者が三島《である》テクスト」)とは別に作者を考慮せねばならぬ場合が生じうるのだ。嘘の告白の場合を考えよ。

自殺を目論んでいた晩年の三島は「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えるに至ったわけだが(無論、そんな考えはまったくの妄想幻想にすぎぬが)、元来は「英雄的」な「壮烈な死」について、「かつては戦争がそれを可能にした」と考え、それを「招来する」ためには「社会全体の破滅が必要」だと考えていたのである。つまり、「英雄たらん」と欲する三島は勇壮に「英雄」らしく死ぬための「状況」を求め、「壮烈な死が決して滑稽ではないよう」に見える「状況」、「壮烈な死」を荘厳化してくれる「状況」として、前大戦のような「社会全体の破滅」の「状況」を、「極端な危機と破局」の「日々の世界破滅」の「状況」を求めていたのであるが、「天下泰平」の平時には最早そうした戦時や乱世のようないわば世界終末的な「世界破滅」の「状況」は望めないため、代わりに「思想」を利用せねばならぬと考えるようになり、死ぬための「思想」、「自刃の思想」、「神秘的な荘厳な言葉を並べ立てた死の装飾」をしてくれる「思想」として、フィクショナルな「神」を奉じる「思想」を唱えることにし、そして数年がかりで「自刃の道を選ぶほかはなくなる」ような自己演出を数年がかりで周到に工夫したのである。

戦争末期には自身を「美の特攻隊」(『私の遍歴時代』)とも夢想していた三島は、「若いままの自分の英雄的な死のイメージ」を神風特攻隊に重ね合わせて思い描き、自己愛と自己美化の夢想に酔い痴れていたのである。とはいえ、昭和二十年二月の入隊検査では死の恐怖や命惜しさから仮病を使って必死に兵役逃れをし、軍医の誤診もあったためか即日帰郷となったのである。だが、母親には「合格して出征し、特攻隊に入りたかった」と言ったという(平岡梓『伜・三島由紀夫』)。

赤紙が来る前は、「死は怖いし、辛いことは性に合わ」ないから「何とか兵役を免れないものか」と思い、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」(『私の十代』)をひしひしと感じていた三島、死と兵役を何より恐れていた(当時彼と同世代のほとんどの若者がそうだったはずである)三島が、「合格して出征し、特攻隊に入りたかった」わけがあるまい。単なる自己美化の夢想としてはそんな願望も一縷はあったかもしれないが、畢竟は仮病を使って兵役を免れたことの取り繕いの虚言である。だからこそ戦後十年ほどしたころには、「私には、悲劇的な勇敢さや、挫折をものともせぬ突進の意欲や、幻滅をおそれぬ情熱や、時代と共に生き時代と共に死のうとする心意気や、そういうものがまるきり欠けていることを告白する」(『空白の役割』)と正直に言うようになるのである。彼と同期の学習院高等科文科卒業生全二十四名中の大半(十六名)が特別幹部候補生や予備学生として陸軍や海軍に志願入隊したが、彼はいずれにも志願しなかったのである。彼が本当に「出征し、特攻隊に入りたかった」なら、当然志願入隊を試みたはずだが、当時の彼はそんな気は毛頭なかったのである。

無論、たとえ「合格して出征し」たところで、当時の三島が「特攻隊に入」れるはずもなかったろうから、当時の彼は己の死についてまったくの安穏な自己美化や自己栄化の夢想を紡いでいたにすぎないのであり、だからこそ死が現実に身近に迫ってきた入隊検査時にはそんな甘い夢想など吹っ飛んで、ただただ圧倒的な臆病風に吹かれて、仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いをしてしまったのである。

後年三島が「人間の生の本能は、生きるか死ぬかという場合に、生に執着することは当然である。ただ人間が美しく生き、美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということを覚悟しなければならない」(『葉隠入門』)と言うのは、この入隊検査時の自らの体験を踏まえてであることは確実である(三島は痛恨の慙愧の思いで当時を振り返っているのである)。入隊検査で三島は死を恐れ「生に執着」したため、「美を裏切る」振る舞いをしてしまったと思っているのであり、最高の自己美化として神風特攻兵士のような「英雄たらん」と夢想した己の美意識や矜持に最も反する醜態を人目にさらしてしまったと思っているのである。

少年時にはラディゲのような「天才」の夭折に憧れていた彼は、戦時には己の悲劇的な「英雄的」な夭逝を空想して甘美な自己愛や自己美化の夢想に耽っていたのである。だから当時の彼は、「どうせ兵隊にとられて、近いうちに死んでしまうのである。それを想像すると時々快さで身がうずく。でも、よく考えると死は怖いし、辛いことは性に合わず、教練だって小隊長にもなれない器だから、何とか兵役を免れないものかと空想」(『十八歳と三十四歳の肖像画』)していたのである。

つまり、己の徴兵がまだしばらく先のことだから、こうした自己愛や自己美化の安穏な甘い夢想に耽っているかぎりは、己の戦死による夭折について「想像すると時々快さで身がうずく」わけだが、その一方、「でも、よく考えると死は怖いし、辛いことは性に合わ」ないから「何とか兵役を免れないものか」と思うわけである。

だから、兵役が実際に身近に迫ってくるほどに、死に対する安穏甘美な夢想は消え去って、死や死を意味する兵役への恐怖心が現実的に圧倒的に募ってきて、入隊検査時にはそのピークに達するわけであり、だからこそ三島はそこで死と兵役への恐怖を圧倒的に募らせ、「生に執着」して、入隊検査時にひいていた風邪を利用して仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いをしてしまったのであるが、『仮面の告白』ではこの場面の心理がまったく逆になっているのである。つまり、兵役と死が現実に間近になった入隊検査の場面の「告白」において、兵役と死への恐怖や生への執着の心理を後退させ、死と軍隊への憧れや志向の心理のみをこれ見よがしに前面に押し出して強調しているのだ。

それが何ゆえであるか、そして死と兵役を何より恐れ忌避した現実の三島には決してありえぬ架空の心理を信じ込ませたいがために三島がいかなる詐術を工夫したかを考えよ。すでに他者の耳目に触れてしまった己の恥辱的な外的言動は最早変えるわけにも誤魔化すわけにもいかないから、外部に表出してしまった己の恥辱的な見苦しい兵役逃れの言動(これこそ三島の人生最大最深の真の「恥部」である)を取り繕うには、まだ他者には知られていないはずの己の心理や性向などの「内部」を誤魔化し工夫して取り繕う以外にはあるまい。己の「内部」に偽物(これこそ彼にとって仮面であり、しかも仮面の「恥部」なのである)をでっち上げて、この「内部」の偽物(の「恥部」)を「告白」という形で外部に表出し、この偽の、架空の、仮面の「内部」の「論理」と「心理」を強引に欺瞞的に駆使して、すでに現実の外部に表出してしまった己の過去の恥辱的な言動を無理やり取り繕うのだ。そしてこの「内部」の偽物の「恥部」を、己の「内部」にかぶった仮面を、絶えず際立たせて読者(現実の他者)の注意をこの仮面の「恥部」に引きつけて、己の真の「恥部」から他者の注意を逸らせようとするのである。

三島は三十歳のときには、「私の十代は、戦争にはじまり、戦争におわった。一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さというものは、今の十代にはわかるまい」(『私の十代』)と兵役や死に対する恐怖を正直に述懐している。また、『十八歳と三十四歳の肖像画』では、戦時に友人に「死ぬ覚悟はあるかい?」と訊かれて、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」と死に対する恐怖や生への未練を率直に綴っている。

このように『仮面の告白』とは別のテクストでは、つまり、仮病を使った兵役逃れについて「告白」していないテクストでは、戦時に死と兵役を恐れ、生に未練があったことを正直に語れるのである。ほとんど誰でもそう思っていることは明らかだからである(とはいえ、戦時にはその思いを公然とは口にしにくかったはずである)。

しかし、仮病を使った兵役逃れの振る舞いについてある程度正直に「告白」している『仮面の告白』では、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島が、死や兵役を恐れ、「生に執着」したことを、そうした正直な内心を、何とかして隠そうとし、誤魔化そうとするのであり、それどころか逆に「生に執着」していないこと、死や軍隊への憧れや志向の気持ちのみを読者に見せつけようとするのである。なぜか。

それは、己が仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いを他者の目にさらしてしまったことによって(むろん仮病か否かは入隊検査時には必ずしも他者に暴露されてはいなかったが、『仮面の告白』には書かれていないが即日帰郷後に友人の「草野」に軍医の誤診で「即日帰郷」になったことを打ち明けたこともあって、やがては肺病でなかったことがばれてしまうと三島は当然思ったはずである。また、だからこそ、学習院初等科以来の付き合いで、彼が肺浸潤など患っていなかったことをよく知っている「草野」には打ち明けざるをえなかったのである)、「弱虫の卑怯者」たることを他者の目に露呈してしまったと慙愧して、何とかして己の兵役逃れの振る舞いを、死や兵役を恐れ、命を惜しんだ「弱虫の卑怯者」の振る舞いではなかったかのように見せかけたいからである。死や兵役を恐れ、「生に執着」したあまり、必死に仮病を使って兵役逃れをしようとした「弱虫の卑怯者」の醜態をさらしてしまったと深甚に慙愧すればこそ、無理やり己の「内部」を変えて、仮面の「内部」をでっち上げ、この仮面の「内部」を「告白」という形で示して、この仮面があたかも「告白」されている真の「恥部」であるかのように思わせて読者の関心をこの仮面の偽の「恥部」に引きつけつつ、仮面の「論理」と「心理」を欺瞞的に利用することにより、己の兵役逃れの行為を、死や兵役を恐れ、「生に執着」したあまりの「卑怯未練」な振る舞いではなかったかのように取り繕おうとするのである。

だから、実際には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島が、『仮面の告白』では仮病を使った兵役逃れについて「告白」する段になると、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出た(当り前だ。アスピリンを嚥んだのだもの)と言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」(ここで三島が己の仮病を使った兵役逃れの実際の言動をかなり「正直」に告白していることに注意すべきである。とはいえ、「仮面」をかぶってとぼけた疑問形の言い方にして、仮病を使った兵役逃れの言動が己の意志や真情から出たものではないかのように、無答責の言動のように「告白」しているのである)、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」などととぼけて、己の兵役逃れの行為が死や兵役を恐れて何とか免れようとした「弱虫の卑怯者」の意図的な意志的な行為ではなかったように見せかけて取り繕うのである。

戦時には何よりも死と兵役を恐れ、「生に執着」していた三島が、入隊検査の場で仮病を使って必死に兵役逃れをし、「即日帰郷を宣告されたとき」に思わず喜びの感情が湧いてきたこと、そして「営門を出ると」一目散に駈け出したこと(このとき三島は父に手を取られるようにして一緒に必死に駈けたのだが、これは『仮面の告白』には「告白」されていない。二十歳の大学生としてはあまりに腑甲斐ないと思ったのであろう)、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」など真っ赤な嘘以外の何ものでもないのである。

言動として外部に表出し、他者に目撃された己の恥辱的な振る舞いは最早どう変えようもない。ではこの恥辱的振る舞いをどう取り繕えばよいか。それには、その振る舞いを己の意図的意志的な行為ではないかのように見せかけることであり、そうすることによりその行為が己の責任ではないかのように、「私のせい」ではないかのように思わせるのである。仮病を使った兵役逃れをした三島の場合は、死や兵役を恐れ、生に未練執着する気持ちや意志から出た行為ではないかのように見せかけることである。そこで、死や軍隊を恐れるどころか、むしろ逆に死や軍隊を希求しているような気持ちや心のみを強調することにより、そんな死や軍隊を希求している気持ちや心を持っている自分が何であんな振る舞いをしたのか「わかりかねた」ととぼけた「告白」(これこそ三島にとっての「仮面の告白」である)をして、己の兵役逃れの振る舞いが死と兵役に対する恐怖心や生への未練から必死になって仮病を使った「弱虫の卑怯者」の行為ではなかったように見せかけ、己の美意識を裏切ったこうした「醜かった」行為に対して己自身を無答責にしようとするのである(そうするために三島が『仮面の告白』でいかなる仮面をかぶり、同性愛者「私」の特異な「心理」と「論理」をいかに利用したか)。だからこそ兵役逃れの「真実」を「告白」する場合には、死や兵役を恐れ、生に未練したことを何とかして隠そうとし、誤魔化そうとするのである。

かくして兵役を免れて戦後社会に生き残った三島は、やがて作家としてある程度の成功を収める一方で、生涯消えることのない恥辱意識や後ろめたさを抱えることになったのである。

三島は自分が戦後に生き残った事情に深甚な恥辱を覚えているために、無理やりにその事情について誤魔化し、隠蔽糊塗し、何とか取り繕おうとするのである。

『仮面の告白』では奇態な「仮面」の「心理」と「論理」を押し立てて、あたかも生に大して未練がなく、同性愛者としてひたすら死や軍隊入隊を希っているかのように強調して、そんな同性愛者の自分が何で死や兵役を免れるような真似をしたのか「わかりかねた」などと欺瞞的なとぼけた言い訳をしたが、自殺を目論んでいた晩年に書いた『太陽と鉄』(ここでも己の真の恥辱を偽の「論理」と「心理」で取り繕っているという意味で第二の「仮面の告白」とも言うべきテクストである)では、今度は強引に「肉体」や「筋肉」を持ち出して、『仮面の告白』とはまた別の奇妙な言い訳を工夫して取り繕おうとするのである。

 

「私は、死への浪曼的衝動を深く抱きながら、その器として、厳格に古典的な肉体を要求し、ふしぎな運命観から、私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備のためだったと信じていた。浪曼的な悲壮な死のためには、強い彫刻的な筋肉が必須のものであり、もし柔弱な贅肉が死に直面するならば、そこには滑稽なそぐわなさがあるばかりだと思われた。十八歳のとき、私は夭折にあこがれながら、自分が夭折にふさわしくないことを感じていた。なぜなら私はドラマティックな死にふさわしい筋肉を欠いていたからである。そして私を戦後へ生きのびさせたものが、実にこのそぐわなさにあったということは、私の浪曼的な矜りを深く傷つけた」(『太陽と鉄』)

 

三島が戦後に生き延びた最大の事情は兵役を免れたためであることは誰の目にも明々白々なのに、ここでは彼は「私を戦後へ生きのびさせたもの」は「ドラマティックな死にふさわしい筋肉」の「そぐわなさにあった」とか、「浪曼的な悲壮な死のため」に「必須」の「強い彫刻的な筋肉」などの「肉体的条件」の「不備」にあった、などと寝言のような強弁をするのである。ここでも「私は、死への浪曼的衝動を深く抱き」とか、「私は夭折にあこがれ」とか、しきりに死への憧れのみを強調して、生に執着し、兵役と死を恐れ忌避したことは隠されている。つまり、このテクスト(仮面的テクスト)で作者三島が何を隠しているかを見破ることが肝腎なのであり、それを認識しえずにこのテクストに表現されているもののみを真に受けていくら論じようとほとんどナンセンスなのである。(つまり、この場合、ある表現に隠されているものを看破することがテクスト解読や作者解明のために決定的に重要なのであるが、無論それは当のテクストのみからは不可能なのである。このことを確実に認識しえていないかぎり、いつまでも迷妄の「テクスト論」や「文学論」や「作家論」に振り回されたり、固執してしまうことになろう)

まだ自殺を目論んでおらず、したがって自死の美化や栄化をまったく考えていなかった三十歳のときには、彼は「私には、悲劇的な勇敢さや、挫折をものともせぬ突進の意欲や、幻滅をおそれぬ情熱や、時代と共に生き時代と共に死のうとする心意気や、そういうものがまるきり欠けていることを告白する」(『空白の役割』)と正直に言っていたのである。ここでは別に戦後に生き残った恥辱的屈辱的事情について何ら問題にしているわけではないから、このように正直に「告白」できるのである。

戦時の思春期には「死は怖いし、辛いことは性に合わ」ないから「何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島、入隊検査では仮病を使って必死に兵役逃れをした三島、したがって「私には、悲劇的な勇敢さや、挫折をものともせぬ突進の意欲や、幻滅をおそれぬ情熱や、時代と共に生き時代と共に死のうとする心意気・・・・・・がまるきり欠けていること」を自覚し、正直に告白していた三島が、「私は、死への浪曼的衝動を深く抱きながら、私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは・・・・・・肉体的条件が不備のためだったと信じていた」など、まったくの虚言であり、戯言にすぎない。

戦後の三島が、「私は弱いものがきらいである。・・・・・・肉体の弱さに対しては私自身に対すると同様寛容で、逆に異常な肉体的精力に対して反感を催おすほうであるが、心の弱さだけは、ゆるすことができないのである」(『芥川龍之介について』)と言うのも、自分が「心の弱さ」から入隊検査で「卑怯未練な」ぶざまな醜態をさらしてしまったと深甚に慙愧していればこそである。「肉体の弱さ」はどうでもいいのである。「肉体的」なことは差し当たりはどうしようもない、致し方ないことだからであり、個人の心や精神の問題や責任は問われないことだからである。しかし、「心の弱さだけは、ゆるすことができないのである」。「心の弱さ」から他者の前に醜態をさらし、「弱虫の卑怯者」たることを露呈してしまったと思ったからである。神風特攻隊のような「英雄的」な「美しい死」を賛美憧憬しながら、死と兵役を恐れ、「生に執着」したため、仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いにより決定的に「美を裏切」ってしまったと慙愧したからである。

だから自分が戦後に生き残った事情、要するに戦時に兵役と死を免れた事情を説明するときは、何とかして「心の弱さ」は隠したいのであり、死と兵役を恐れ忌避し、生に執着した気持ちを何とか隠蔽糊塗しようとするのである。自分が戦後に生き延びたのは(要するに戦時に死を免れたのは)「ドラマティックな死にふさわしい筋肉を欠いていたからである」とか、「肉体的条件が不備のためだった」などとして、無理やり「心の弱さ」とは関係のない「筋肉」や「肉体」を持ち出してそれらの「せい」にして(そうするために『仮面の告白』では何を持ち出して何の「せい」にしているか)、自分が戦後に生き延びた(戦時に死を免れた)最大の要因としての兵役逃れの行為を無答責にしようとするのである。かくして仮病を使った兵役逃れの振る舞いに関して、己の「心」を、己の「内部」を、己自身を穿鑿攻撃されまいとするのである。(そうするために『仮面の告白』では何を盾に利用しているか。ありもしない架空の盾、言葉のみででっち上げられた内的仮面を持ち出して、これに読者の、他者の注意や興味や関心を集中させ、この盾となる仮面を矢面に立てて、彼らの穿鑿攻撃の矢を己の真の急所から逸らせようとしているのだ。己の急所以外の、的外れの架空の部分を、「心の弱さ」や「弱虫の卑怯者」と非難されるおそれのないまったくの冗談半分の仮面の部分を、「私のせいでない」部分を、好奇の目でいくら穿鑿されようと、真に傷つきはしないからである。その仮面も「生れながら」の「肉体的」なものとみなされているため、何ら「私のせい」ではない以上、それを他者の穿鑿の矢面に立てていくら攻撃されようと(好奇の穿鑿の対象にはなっても、攻撃や指弾の対象にはなりえまい)、少しも「自負心をめちゃめちゃに」されることはないからである。むしろ己の誑かしの能力に悦に入っていたと思われる。

当時自分が入隊するはずだった隊について、後年、三島自身「あとで聞くと、その隊は、みなフィリッピンへ連れていかれて、数多くの戦死者を出したそうであります」(『わが思春期』)と語っている。三島がたとえ出征したところで、せいぜい一兵卒として比島の屍として果てるしかなかったであろう。

もし自分が兵役逃れをしなかったら、自分も「フィリッピンへ連れていかれて、数多くの戦死者」の一人になっていたであろうと三島は当然思ったはずである。こうして戦後社会に生き延びた三島は、仮病を使った兵役逃れについての恥辱意識とともに、その「数多くの戦死者」に対する後ろめたさや裏切りの意識を生涯抱くに至ったのである。

『英霊の声』では「われらは比島のさる湾に」と語る神風特攻隊の「英霊」を登場させており、晩年には秋山駿との対談で「あれを書いて僕は救われたのです」と言っている。戦時に特攻兵たちと現実的な関わりなど何もなかった三島が(二・二六将校については言わずもがなである)、一面で(とはいえ、実は彼にとってはこれが主眼なのだが)特攻隊の「英霊」の鎮魂歌の意味を帯びた『英霊の声』を「書いて僕は救われたのです」と言うことは一体どういうことであろうか。

要するに三島の内的文脈では特攻隊は彼が入隊検査で裏切り、見捨ててしまったと感じている「数多くの戦死者」の美的代表としての意味を帯びているのである。だからこそ後ろめたさや申し訳なさを感じている「数多くの戦死者」の美的代表としての特攻隊の「英霊」を鎮魂慰撫しているような『英霊の声』を「書いて僕は救われたのです」と言うのである。戦後の三島の「救い」はそこにあるのであり、「神」や「神の復活」など実はまったく関係ないのである。そんなものなど最早ありえぬ「神の死」後の戦後日本社会にありながら三島はそうして「救われた」と言うのである。戦後の三島の真のこだわりやわだかまりが那辺にあったかが分かるであろう。

しかしながら、「神」の名の下に「国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行った」はずの特攻隊の「英霊」たちが戦後「神の復活」など願うわけもないのに、彼ら「英霊」に「神」の栄誉や「神の復活」を希求させているような『英霊の声』を「書いて僕は救われたのです」とは馬鹿馬鹿しくも支離滅裂なことである。

要するに、晩年の三島は、一方では、「天下泰平」の平時において「壮烈な死が決して滑稽ではないよう」に見せかけるため、そして「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えたため、最後の自己栄化を図らんとする自死に際しては無理やり「思想」の看板を掲げねばならなかったのであり、また他方では、戦時に賛美憧憬していた特攻隊のような「悲劇の英雄」めいた形で「美しい死」を死にたかったのである。そこで彼ら特攻隊の「英霊」にも同じ「思想」を無理やり奉じさせたのである。ある意味で「神」を奉じていたであろう二・二六将校と、そうとはかぎらぬ神風特攻隊を、同じ「英霊」という名で一括りして同一の「思想」を奉じさせるのは無理があるのだ。

いずれにせよ、そんな「思想」を奉じさせようとさせまいと、「神の復活」があろうとあるまいと、「神」の栄誉を授けようと授けまいと、「壮烈な死」を遂げる特攻隊に対する三島の賛美憧憬は微塵も変わらぬのであり、何もそんな余計な「神」や「思想」など持ち出して無理やり関連させるまでもなく、三島の内的文脈においてはすでに彼らは充分に美化され、栄化されているのである。「男はなぜ、壮烈な死によってだけ美と関わるのであろうか」(『太陽と鉄』)、また、「われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし『葉隠』が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである」(『葉隠入門』)と言う三島にとり、「美と関わる」のは「壮烈な死によってだけ」なのであり、彼が晩年に標榜したような「思想」など実は何ら関係ないのである。三島が晩年に掲げた「思想」など、人を誑かす表向きの見せかけの看板や仮面にすぎないのである。

 

 

三島は三十歳にしてこう書いている。

 

「大体において、私は少年時代に夢みたことをみんなやってしまった。少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった。唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて。ほかに人生にやることが何があるか」(『小説家の休暇』)

 

戦時の少年時には「英雄たらんと夢みた」三島、戦争末期には神風特攻隊の「勇士」を最高の「悲劇の英雄」とみなして賛美憧憬した三島は、己を彼らになぞらえて自己美化と自己栄化の甘美な夢想に耽っていたのだが、土壇場で死の恐怖から仮病を使って必死に兵役逃れの振る舞いをしてしまったのである。

入隊検査場で軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われて、三島はサッと手を挙げたのである。こうした行為を含む当時の彼の仮病を使った必死の兵役逃れの言動は、同じく徴兵検査を受けるべく検査場にいた若者たちや軍医らに目撃されたのであり、彼らの大部分は戦死したが、一部は戦後社会に生き延びて、三島が作家として世に知られるようになれば、彼のあのときの行為が仮病を使った兵役逃れだとやがて知る者も出て来ることを三島は当然意識したはずである。

最高の自己美化、自己栄化として神風特攻隊のような「英雄たらんと夢みた」三島にとり、死を恐れて仮病を使って必死に兵役逃れをしてしまった己を「弱虫の卑怯者」とか「卑怯な臆病者」とみなしたのは当然であり、そしてその場にいた目撃者たちからそうみなされる以上の恥辱、屈辱、汚辱はないのであり、それ以上に自己嫌悪する過去の「汚点」や「恥部」はないのである。

こうした兵役逃れに関わる彼の人生で最大最深の深甚な「恥部」を抱えた戦後の三島は、三十歳にして作家として名声を博し、「少年時代に夢みたことをみんなやってしまった。少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった」と言うのであるが、しかし「唯一つ、英雄たらんと夢みたこと」だけは成就しえなかったと言うのである。「英雄」どころか、「弱虫の卑怯者」になってしまったのだ。

かくして戦後の三島は「英雄たらん」とする「夢」(この「夢」はすでに恥辱と雪辱の思いに裏打ちされている以上、もはや少年時の甘美な「夢」と同じではなく、そこには苦いものが入り混じっている。この点については、すでに自殺の決意を固めつつあった昭和四十一年正月に書いた『「われら」からの遁走』でこう述べている。「自分の胸の裡には、なお癒やされぬ浪漫的な魂、白く羽搏くものが時折感じられる。それと同時に、たえず苦いアイロニーが私の心を噛んでいる」と。戦後の三島が「なお癒やされぬ浪漫的な魂」を抱きながら、なぜ彼は「それと同時に、たえず苦いアイロニー」を感じざるをえないのかを認識しえずに、三島に対する他我認識はありえないのである)を唯一の見果てぬ「夢」として密かに見つづけていたのであり、この「夢」の成就の願いを秘めつつ、「天下泰平」の戦後社会に次第に倦み、老醜を心の底から嫌悪恐怖し、生の意欲や人生に対する興味を失い、「ニヒリスト」の相貌を深めていった三島は(未知のことや未経験のことを過大に期待する夢想家が、人生経験を重ね、現実を知るにつれて、幻滅を深めてゆくのは当然である)、ついには自殺を考え、最後の自己美化、自己栄化としての「死」を夢想し、積年の「夢」を果たさんと企てたのである。

彼は三十六歳のときに「生の充溢感と死との結合は、久しいあいだ私の美学の中心であった」(『日記』)と書いており、要するに特攻兵士のような若々しい生命力に満ち溢れた青年の死ほど悲劇的にも美しいと考えるからこそそう言うのであり、「死」と「悲劇」と「英雄」の三位一体こそ三島の「美学の中心」なのであって、爾余はせいぜいその粉飾にすぎないのである。

三島が二・二六の青年将校や神風特攻隊に魅せられるのも、ただ彼らのように悲劇的に死ぬ若者に自己愛や自己美化の欲求から自らをなぞらえて魅了され、賛美憧憬するということであって、そこに晩年に掲げたような「神」を奉じる「思想や信仰」など何の関わりもないのである。だからこそ「二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだ」(『二・二六事件と私』)としながらも、「至福の到来を招く状況を、正に、二・二六事件を背景として設定することができた」のである。「何か偉大な神」(これも曖昧模糊たる誑かしの表現だが、要するに無理やり「神」という言葉を持ち出して晩年のより明示的な「神」を奉じる「思想」に結びつけようとする試みである)が失われている「状況」なのに、「神」なき「状況」なのに、三島にとっては「至福の到来を招く状況」でありうるのである。「神」の有無など三島美学にとってはどうでもいいことだからである。

つまり、「悲劇の英雄」として「苦痛に充ちた自刃」を遂げることができさえすれば、たとえ「神の死」の「状況」であろうと「至福の到来を招く状況」を「設定する」のに何ら差し支えないのである。三島が真に求めているのは自己愛や自己美化のための悲劇的な英雄的な死であって、決して「神」でも「神の復活」でもないからである。戦後の三島は、「少年時代に夢みたことをみんなやってしまった。少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった」のであり、晩年に掲げたような「神」を奉じる「思想」などかつて一度たりとも抱いたことなどなかったのである。しかし、「唯一つ、英雄たらんと夢みたこと」だけはまだ「成就」していないということなのである。

三十三歳のときには、「おんなじハラキリでも、乃木大将の皺腹より、白虎隊のほうがどんなにきれいかしれない」(『心中論』)と書いている。つまり、三島にとっては、彼の本来的な「美学」や「心情」にとっては、自刃する若者自身の哀切にも悲劇的な美しさこそ唯一最大の関心事なのであって(彼自身もそうした「美しい若者」になりたかったのであり、それは彼の自己愛や自己美化の欲求によるのである)、その自刃が「神」や「神」を奉じる「思想」のための殉死か否かなど決して大した関心事ではないのである(要するに「心情」には後から適当な「思想」を結びつけて如何様にも辻褄を合わせることができるのである)。乃木大将のように「神」の崩御に殉じること自体よりも、悲劇的な死を遂げる若者の姿のほうにはるかに三島の「美学」や「心情」の重心があればこそ、「おんなじハラキリでも、乃木大将の皺腹より、白虎隊のほうがどんなにきれいかしれない」と言うのである。「神」や「神」を奉じる「思想」など彼にとっては実は元来何ら問題ではないからである。

天皇の「人間宣言」による「神の死」後二十年ほど経ってから書いた自殺予言の書『太陽と鉄』では、三島は戦後の「神の死」など何ら悲嘆しておらず、「神の復活」もまったく願っていないのであり(「天皇」や「神」や「神の死」などという言葉は一度たりとも出てこない)、ただ「特攻隊の美」を「超エロティックに美と認められる」として、彼らの「壮烈な英雄的行動」をひたすら賛美憧憬し、「悲劇のうちに包括された」彼らを「幸いにも死んだ人たち」としてしきりに羨み(戦時には彼らの悲劇的な死に心底感動し、憧れながら、自分は仮病を使って兵役逃れして戦後社会に生き延びたことで深甚な恥辱や屈辱や自己嫌悪に苛まれたからこそである)、かつて自分が彼らの「悲劇」に与れなかった悔しさを吐露し(とはいえ実際には彼は入隊検査で軍医に肺浸潤と誤診されて即日帰郷となり、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」(『わが思春期』)だったのであるが)、彼らの「悲劇」を可能にした戦争のような「明日というもののない、大破局」の「状況」が平時の現在にないのを嘆いているだけである。

壮烈な自死をもくろんだ晩年の三島は「自分一人だけではなく、社会全体の破滅」や「明日というもののない、大破局」の「状況」が失われ、到来しないのを憂える「憂国の士」にすぎないのである。

平時に「壮烈な英雄的」な特攻死はもはや不可能なため、代わりに戦時の「神」を奉じる「思想や信仰」を掲げて自刃するという方法を考えたのである。二・二六将校や神風特攻隊員(の「英霊」)に「思想や信仰」らしきものを奉じさせ、自分を彼らになぞらえて彼らと同じ「思想や信仰」らしきものを奉じているように見せかけて死ぬことにしたのである。そこで事前に彼らを大いに美化し、栄化しておくのだ。すると、彼の死を彼らと同じような死とみなして美化し、栄化してくれる無邪気な人々が陸続と出て来てくれるというわけである。

生に倦み疲れ、老醜を忌み嫌悪した晩年の彼は自死を決意したのであり、どうせ死ぬなら一芝居打って派手に死ぬことを目論んだのである。映画『憂国』と同じように、自身の作・演出・主演による自己劇化を企てたのである。

晩年の三島はあくまで「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えて、信じてもいない空想的な「神」を奉じる「思想」を標榜したにすぎないのであって、たとえば「楯の会」の同志とともに自衛隊に決起を促して、万一(無論、万が一にもありえぬことだが)「神の復活」が実現したところで、「神」に対し承詔必謹の精神を持して生き続けることなど毛頭望んでいたわけでも意図していたわけでもないのである。そんなことでは彼の「美学」においては到底「悲劇の英雄」にはなりえないからである。三島にとり「英雄たらん」とは「男らしい」壮烈な死によって「英雄的な死」を遂げることにほかならず、生き続けるかぎり決して「英雄」にはなりえないからである。戦時に死を恐れて必死に兵役逃れをした彼は、戦後は「臆病な卑怯者」の「汚名」をこうむっていると感じていたため、壮烈な自決によって何とかその「汚名」を返上したかったのである。

三島由紀夫が晩年に掲げた「思想や信仰」は仮面以外の何ものでもないのである。

 

U

 

仮面的テクストにおいて隠蔽糊塗されるものは大抵は作者にとって不都合な事柄や恥辱的な事柄である。だから作者が仮面的テクストで己の何を、どんな不都合な事柄を、どんな恥辱を、恥部を、隠蔽糊塗し、取り繕い、欺瞞的に正当化しているか(これらは仮面的テクストが書かれる主な理由の一部である)を見破らないかぎり、そのテクストを決して仮面的テクストと認識することはできない。それを認識しえずにそうしたテクストを決して解読することはできないのである。

 

「思考内容が論理学の規則に従って順次に表われることにより理解できるなら、われわれはその連関を合理的に理解する(話された事柄の理解)。しかし、思考内容を思考する人の気分や願望や懸念から発したと理解するなら、ここで初めて真の心理的ないし感情移入的な理解となる(話し手の理解)。合理的理解は何らの心理的洞察もなしに理解される合理的連関が心の内容だと確認するだけにすぎないが、感情移入的理解はわれわれを精神的連関そのものの内部へと導き入れるのである」(ヤスパース『精神病理学総論』)

 

要するに「気分や願望や懸念」などの「心理的洞察」がテクスト解読に作用を及ぼしうるのは、作者の心理が問題になるようなテクストの場合に限られるのであり、それが問題にならないような、たとえば数学論文などのテクストの場合には、作者に対する「心理的洞察」はテクスト解読に何らの作用も及ぼさない。

また「話された事柄の理解」だけでは必ずしも「話し手の理解」にはなりえない。たとえば「私は猫が好きだ」という言葉(あるいは猫好きのテクスト)は誰でも容易に理解できるが、この「話された事柄の理解」が即「話し手の理解」になりえないのは、最も端的には、その言葉が猫嫌いの話し手(作者)の仮面的発言(仮面的テクスト)という場合があるからであり(だから同じ発言でも発言者によって精神活動は異なりうる)、さらに猫好きの仮面をかぶることの意味や重要性(この解明なくして仮面的人間に対する他我認識はありえない)が、同じ猫嫌いの個々の話し手によっても異なりうるからである。

猫嫌いの者の「私は猫が好きだ」の発言の仮面性を当の発言者を切り離しているかぎり決して看破しえないのであり、もっと複雑なテクストの場合だろうと、この事情に何ら変わりはない。つまり、この場合には、テクストを作者から切り離して独立させてしまえば、テクスト内容の虚実や真偽をまったく認識しえなくなってしまうのである。言葉で表現された人物が実在の存在か架空の存在かを言葉のみから認識することは困難なのである。

ところで、数学的論理的思考も精神活動であり、生の活動であるから、数学論文の理解にしても作者の精神活動や生の活動の理解なのであるが(だからヤスパースが「話し手の理解」と言うとき、彼は人間理解の対象を「心理」や「感情」に限定しすぎているのである)、ただ数学的テクストを理解するのに要するのは作者個人の事柄には関わらない普遍的な数学的論理のみであって、テクストの外部ないし背後の作者(の生)に関する事柄は特に要さないのである。要するに数学的テクストの場合は作者を関与させなくとも何ら解読に差し支えないのである。

ところが周知のようにヴァレリーは作品解釈において作者を捨象し、作者の生を捨象した(これを彼は特に主として自然科学者としてのレオナルド・ダ・ヴィンチ論のなかで説いていることを銘記すべきである)。二十世紀にフランスを中心にして起こった「テクスト論」の主流はこのヴァレリーの前提に基づくものである。

生とは何か。手足を動かし、飲み食いし、人の目に映る外的行動だけが生ではない。論理的思考も感情も妄想も生であり、言葉を操ったり発したりするのも生である。嘘をつくのも生ならば、正直に語るのも生であり、外的行為のみならず、内的行為も生である。要するに肉体的活動のみならず一切の精神活動は生の活動なのである。活動していない精神など決してありえないのであり、精神は生の営みなのである。

したがって作品解釈において作者の生を捨象したヴァレリーは作者の精神も捨象したことになる(彼自身はそんなつもりは毛頭なかったとしても、必然的にそういうことになる)。作者が甲だろうと乙だろうとテクスト解釈に何ら影響しないことになる。作者の猫に対する好悪(これはむろん生の活動である)に関係なく、「私は猫が好きだ」という言葉や猫好きのテクストを解釈することになる。

かくしてヴァレリーの方法ではテクスト解釈が必ずしも作者理解に結びつくとは限らないため、ヴァレリーは「作品の結果としての作者」を標榜しつつ、やがて「作者とは人間ではない」とか、「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」と言わざるをえないわけだが(但し彼は特に後者の発言をダ・ヴィンチ論ではなく文学論のなかで言っていることを銘記すべきである)、これは作者(の生)の捨象を前提とするかぎり、必然的な論理的帰結である。

つまり、前提として作品から作者を切り離した以上、作品から作者(要するに作者の生)を認識しえないと考えたヴァレリーは完全に論理的なのであって、同じ前提に立ちながら作品から作者を認識しうると考える者たちほど非論理的ではなかったわけである。

だが、これでは作者に対する他我認識がまったくできないことになるが、作品から作者をまったく認識しえない作家論とは馬鹿げたものではないか。作家論や作家伝は他我認識以外の何ものでもないからである。

要するに「私は猫が好きだ」は猫好きの者の言なら真の発言ないし記述だが、猫嫌いの者の言なら偽りの発言ないし記述であり、この場合、発言者(作者)を捨象してしまえば、発言(テクスト)の真偽は認識不可能になってしまうのである。あるいは真偽は不問に付されてしまうのであり、そうせざるをえないのである。だが、「私」が誰か、「私」は猫好きか猫嫌いか、つまり「私」が発言(テクスト)との関係において何者であるかによって、発言(テクスト)の意味は決定的に異なりうるのである。つまり、発言と発言者のいずれか一方から他方が解明されるのではない。両者の統合によって両者が解明されるのであり、あるいは少なくとも解明への道が拓けるのである。

作者が嘘を語っているなら、それが真実であり、現実なのであるから、それを作者が正直に語っているとみなすのは単なる誤解にすぎず、作者に関する真実を何ら認識しえていないことになるが、作者を捨象すれば、作者に関する一切の事実は無視されることになるから、作者が語る言葉の虚実は必然的に判断不能になり、したがって作者を認識できなくなるのである。

 

「われわれが出発点とする前提は、ただ仮想においてのみ捨象されるところの現実的な前提である。それは現実の諸個人であり、彼らの行動である・・・・・・すべての人間史の第一の前提はいうまでもなく生きた人間的個体の生存である。・・・・・・天上から地上に下りるドイツ哲学とはまったく逆に、ここでは地上から天上に上る。すなわち、人間が語り、想像し、表象するものから出発し、あるいは、語られ、思考され、想像され、表象される人間から出発して、具体的な人間にたどり着くのではない。現実に活動している人間から出発し、彼らの現実の生活過程からこの生活過程のイデオロギー的な反射や反響の発展を叙述するのである。・・・・・・意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。・・・・・・こうした見方は無前提ではない。それは現実的な前提から出発し、一瞬たりともこれを離れないのである。・・・・・・日常生活ではどんな商人でも、ある人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別することをしかと心得ているのに、われわれの歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それぞれの時代が己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じている」(マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)

 

作者が「現実にあるところ」を捨象して、作者という「人間が語り、想像し、表象するもの」のみから出発するのは、「天上から地上に下りるドイツ哲学」の誤ったやり方なのである。日常生活において「ある人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別する」ことができるのは、「その人が現実にあるところ」を経験的に知っていればこそであり、「ある人が自称するところ」の言葉(テクスト)のみからは「その人が現実にあるところ」との区別をなしえないのである。

つまり、発言者(作者)を発言(テクスト)から切り離し、発言者(作者)を捨象して、「作者の死」を唱えたりするような、言葉(テクスト)は発言者(作者)と関わりなく絶対不変だとする頑固な確信(単なる妄想だが)に基づいた「理論」に盲従するかぎり、必然的に言葉(テクスト)のみが「第一の前提」とされるから、言葉(テクスト)において「虚構と真実の境はない」という虚妄(そうした妄説を唱える者は己の根拠とする「前提」が絶対的に正しいものと確信しているから虚妄とは思っていまいが)が「論理的」に帰結されるのである。「虚構と真実の境はない」のではない。「作者の死」を唱えて作者を捨象するかぎり、「虚構と真実の境」は認識しえないのである。

「人間が語り、想像し、表象するものから出発し、あるいは、語られ、思考され、想像され、表象される人間から出発」するかぎり、「具体的な人間にたどり着く」ことはできず、「架空の人物を築き上げることになる」のは当然の論理的帰結である。

ところで、「人が現実にあるところ」はその人の外面的な事柄なら容易に知りうるが、その人の内面的な事柄は容易に知りえない。つまり、一般に人の内的生は他者には容易に窺えないから、作者自身の内的生の記述こそ、内面の告白こそ、仮面的テクストの最たるものになりうるのである。だから、一般的には誰でも「ある人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別することをしかと心得ている」と言えるにしても、「人が自称するところ」がその人の内面的事柄なら、事態はそれほど簡単ではなく、人の内面の「現実にあるところ」が容易に窺い知りえない以上、「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別する」のは至難のことでありうるのである。

誰の目にも触れる外的現実なら確かめることが比較的容易であるが、個人の内的な現実は容易に確認しえないため、人が己の内部を語る告白こそ最も真偽の判断が困難なものとなる。いや、外的現実についてさえ、言葉によるあらゆる誤魔化しが横行し、さまざまのデマゴギーがしばしば奏効することを思えば、内的現実を語る言葉の真偽を洞察することは最困難の問題であることが分かるであろう。要するに他我認識の問題、他我問題こそ、最困難、最深遠、最重要の問題なのである。

猫嫌いの者の「私は猫が好きだ」という言葉の仮面性の認識に必要なのは、発言者の猫嫌いという生の単純な一事実のみであって、その他の一切の生の事実は無関係である(但し、たとえば猫好きの仮面によって己に関する不都合な事柄や恥辱的事実を隠蔽糊塗している場合には、発言者に関するそうした事柄や事実も決定的に関係してくる)。この場合は、生の全体が関わるわけではない。テクストに関わるかぎりの作者の生(この含蓄や内実は個々の作者により異なる)のみがテクスト解読に重要なのである。のべつ幕なしの生を考えるなら、両者の関係を認識しえなくなるのは当然である。

もっと複雑なテクストの場合は、作者の生のどの部分がテクストと重要な関係を持つのか容易に分からない。それゆえT.S.エリオットは「シェイクスピアの洗濯勘定書が発見されても大して役に立つまいとわれわれは想定しているが、後に誰か天才が現われて、それを利用する方法を示すかもしれないから、そうしたものを発見する研究調査が徒労だと断定することは控えるべきだ」(『批評の機能』)と言ったのである。「洗濯勘定書」がシェイクスピアの人生の一事実を示す証拠の比喩であることは言うまでもあるまい。問題は「それを利用する方法」なのである。

「私は猫が好きだ」は猫嫌いの者が言うかぎり仮面的発言なのであり、猫好きの者が言うかぎりは仮面的発言ではない。つまり、まったく同一の発言が誰の発言であるかによって虚偽の発言にも真実の発言にもなりうるのだ。ここで発言者を捨象してしまえば、つまり「ただ仮想においてのみ捨象されるところの現実的な前提」を捨象してしまえば、発言の真偽や仮面的か否かは認識不可能になり、さらにはテクストにおいて事実と虚構の区別を認識する道は完全に閉ざされてしまい、両者の区別はないとする確信に満ちた迷妄が蔓延することになるのだ。これでは歴史認識はまったく不可能にならざるをえない。

作者捨象の「テクスト論」が盲信され、正当化されているかぎり、テクストにおける作者の嘘や仮面を看破することは不可能であり、そうなれば、作者がそうした嘘をついたり仮面をかぶったりする理由や意味をまったく解明しえなくなるのは当然至極のことである。

つまり、仮面(仮面的テクスト)とはそれをかぶる(作成する)者にとって仮面(仮面的テクスト)なのであって、同じ言動(テクスト)でも別人の場合なら必ずしも仮面(仮面的テクスト)とは限らないのだから、当人(作者)を捨象したり、切り離したりしているかぎり、仮面(仮面的テクスト)を仮面(仮面的テクスト)と看破することは絶対にできないのである。

あるテクストが作者が誰であるかによって仮面的テクストになる場合とならない場合があるということ、まったく同一のテクストにおいて生ずるこの決定的に重大な違い、これを認識しえないかぎり、あるいはこれを問題にしないかぎり、仮面的テクストの存在とその看破の決定的重要性は鮮明に浮かび上がってこないのであり、いつまでも作者が「己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じ」て、「必然的に架空の人物を築き上げる」ことになり(あらゆるオカルト信仰は基本的にはこのようにして生じる)、かくして他我認識さらには歴史認識への道が永遠に閉ざされてしまうのである。

あるテクストが仮面的か否かを問題にせずして(無論、完全なフィクションのテクストならこれは問題にならないし、ほとんどのフィクションがそうしたものであろう)、テクストから作者を論じるわけにはいかないのである。甲が書いたテクストの作者が甲以外の乙でも丙でも誰でも何らの違いもないなら(言うまでもないことだが、前述したように、一般的に数学や自然科学のテクストなら作者個人を特に考慮しなくとも解読に何ら差し支えない。ここでは作者が誰であるかによって解読に違いが生じるテクストを問題にしているのであるが、作者を捨象しているかぎりこの違いは認識しえないのである。ヴァレリー直伝の「テクスト論」は、テクスト一般について、あるいはテクストのこうした重要な分類学を曖昧にしたままで、作者捨象や「作者の死」を説くのであり、ここにその「理論」の決定的かつ根本的な最大の誤謬と迷妄があるのだ)、そのテクストから作者甲を論じようなどとは矛盾した試みである。

要するに、テクストには作者を関与させなくとも解読に差し支えないものと作者を関与させないかぎり解読しえないものがあるのである。こうしたテクスト解読の方法論の根本的な違いによるテクスト分類学が決定的に重要なのであるが、テクスト一般を論じているような「テクスト論」や、テクストの概念をむやみに拡大してテクスト外の部分まで「テクスト」として論じるようなある種の「テクスト論」(これではテクストとテクスト外のものとの複雑微妙な関係を明らかにしえない。両者の関係が個々のテクストでどうなっているかを認識することがテクスト解読上の最重要の問題になりうるのだから、そんな「テクスト論」は問題をいたずらに紛糾混乱させ、欺瞞的に曖昧にさせるのみであり、認識の方法論として少しも有効ではない)では、かかるテクスト解読法の根本的な違いに基づくテクスト分類学が鮮明化されない以上、その議論にいつまでも曖昧さや混乱や欺瞞や妄想がつきまとうのである。

作品と作者(の生)は無関係だとしながら、作品から作者を論じられると思うのは愚かである。前提として両者を無関係としながら、一方から他方を関係づけられるとみなすくらい不合理なことはあるまい。作者ないし「私」が猫好きの作者ないし「私」か、猫嫌いの作者ないし「私」かによって、猫好きのテクストの解読は決定的に異なりうるのであり、この場合は作者ないし「私」の含蓄(テクストに関わるかぎりの作者ないし「私」の含蓄)を認識していないかぎりテクストの解読も作者の解明も不可能なのである。

嘘をつくことも正直に話すことも生の活動である。偽りの告白をすることも正直な赤裸の告白をすることも生である。人が偽りの告白(仮面の制作)をしているなら、そうすること自体がその人に関する真実であり、現実であって、それを正直な赤裸の告白をしているとみなすのは、「ある人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」ができない単なる誤解、迷妄にすぎず、何ら真実や現実を認識しえていないことになる。仮面を制作する精神活動、生の活動こそ作者なのであって、制作された結果たる仮面が作者なのではない。かかる仮面を作者とみなすことが作品と作者の混同なのである。

ヴァレリーは「第一の前提」であるはずの現実の作者(の生)を捨象して、作品を唯一絶対の前提としたから、彼の言う「作品の結果としての作者」は「必然的に架空の人物」になると考えざるをえなかったのである。作者捨象を前提として猫好きのテクストの虚実や真偽の判断を棚上げにするかぎり、テクストと作者は決して結びつかない。無理やり結びつけようとすれば、「必然的に架空の人物」をでっち上げることになってしまうのである。

要するに、端的には「人が現実にあるところ」を捨象してしまえば「人が自称するところ」の真偽をどう判断しようもないのであり、どっちつかずの宙吊りのふやけた解釈を正当化したり、意味ありげに強弁したりするしかなくなるのである。

ところでヴァレリーは最後まで作者(の生)を捨象する考えを持していたのだろうか。

そうとは思えない。彼はそこまで頑迷固陋ではなかったようである。

なぜなら、彼は最晩年の『カイエ』に、「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている。このことは決定的に重要な点だが、言語学者たちによって取り上げられておらず、したがって展開を与えられてもいない」と書いているからである。

「作品の結果としての作者」が「必然的に架空の人物になる」と考えながら、作品を制作する実在の作者(これは不断に生成変化する生ける存在であるから、その生を捨象すれば必然的にその存在も消失する)を、その生の一切を、捨象することを前提とした作品解釈論をしばらくいろいろ強弁したヴァレリーは、ついに最晩年に至って、「誰かが話していること」、つまり言葉を発する者が「誰か」、作者が「誰か」が「決定的に重要」だと考えたのであり、「作品の結果としての作者」ではなく、作品を制作する実在の作者を「第一の前提」かつ「現実的な前提」と認めることが作品解読(そして作者解明)に「決定的に重要」であることを恐らくある程度は認識したのである。己が「出発点とする前提」として言語だけしか考えようとしない「言語学者たち」には、言を発する者が「誰か」が「決定的に重要」であることを認識しようがないのである。

人間の言動は仮面的でありうるのだから、まったく同一の発言でも発言者により、また、見かけ上同じような行動でも行動者により、その際の精神活動は異なりうる以上、発言(行動)のみから発言者(行動者)の精神(行動)を直接に認識しうるわけではなく、いかなる発言者(行動者)による発言(行動)であるかによって発言(行動)の真意や真相は異なりうるのである。同一の発言にはそれに対応した同一の精神活動や内的生が存在するということこそ、ライルが『心の概念』で執拗に批判した擬似機械論の神話なのである。

したがって、言葉のみからはその言葉を発する者の精神活動を必ずしも認識しうるとは限らないため、当初は作者捨象を唱えていたヴァレリーはやがて「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」と認識せざるをえなかったのであり、作者捨象を前提にしたうえで作品から得られる作者像を「本当の作者」と勘違いする(この勘違いは根深くも蔓延している)ほど愚かではなかったわけである。ヴァレリーはこうした問題を懸案として生涯抱えていたればこそ、最晩年になって、言葉を表出する者が誰であるかが「決定的に重要」だとようやく認識するに至ったのである。

 

「われわれは、必ずというわけではないが通常は、自分が何かを楽しんでいるか否か、あるいは自分の現在の気分について、別に調査するまでもなく知ることができる。そして、われわれが率直に話したり、仮面をかぶったりしなければ、他人もまたそれを知ることができる。しかし、われわれが他人に対してのみならず己自身に対しても率直に話さない場合は、そうした事柄を知るためには他人も己自身も何らかの調査を必要とするであろう」(ライル『心の概念』)

 

しかし、こうした「何らかの調査を必要とする」のは話者が「率直に話さない場合」や仮面をかぶっている場合だけではない。話者が「率直に話したり、仮面をかぶったりしな」い場合もまったく同様に「何らかの調査を必要とする」のである。なぜなら、話者が率直に話しているか否か、仮面をかぶっているか否かが、話された言葉のみからは決して判断しえないからである。話者自身について語られた話なら、話者という現実を無視して、語られた話の虚実は認識しえないのである。話者が正直に語っているかどうか、仮面をかぶっているかどうか、それを見極めずに真実を認識することはできないのである。話者が嘘をついているなら、仮面をかぶっているなら、その嘘をついているという事実や仮面をかぶっているという事実を看破することが決定的に重要なのであり、かかる看破は発言と発言者の双方を統合しないかぎり不可能なのである。

つまり、テクストと作者を統合することにより(この方法論が問題なのであり、これはエリオットの言う「シェイクスピアの洗濯勘定書を利用する方法」とも関わっている)、いずれか一方のみからでは決して認識しえないことを認識する新たな道が開かれるのであって、両者を個々別々に扱っているかぎり、このような認識への道(これは他我認識や歴史認識への道である)は永遠に閉ざされてしまうのである。

 

 

言うまでもないことだが、あらゆるテクストが作者を関与させずに解読しうるものと作者を関与させねば解読しえないものとに必ずしも截然と二分しうるわけではない。作者を関与させる有意性や重要性の度合いが個々のテクストで異なるのである。

無論、自然科学論文などの外界や物界の外的現象を記述するテクストなら、その記述の対象は理論上は作者のみならず他の誰にでも開かれているから、誤魔化しや隠蔽糊塗のしようがなく、その必要もないし、こうしたテクストの信憑性は作者を関与させることなく理論上は読者にも確かめることができ、したがってこうしたテクストで嘘をついたり誑かしたりする作者はまずいまいから、「作者が誰か」がこうしたテクストの解読に決定的な作用を及ぼすことも一般的にはありえない(こうしたテクストの場合は作者の意図は自明なのである)。この分野(むろん数学の分野も同様)は仮面的テクストとは無縁なのだ。

しかし、たとえば作者自身の心理や信仰などの個人的な内的生を記したテクストの場合は、作者の内部が他人には容易に窺い知りえない以上、その記述の真偽も容易に看破されないから、作者は己の内面については嘘をつきうる、つまり己の内面については言葉による仮面をかぶりうる(仮面的テクストや「仮面の告白」が可能になる)のであり、かかるテクストの真偽は作者を切り離しているかぎり認識しえず、かくして「作者が誰か」がここで「決定的に重要」な問題になるのである。(ヴァレリーがダ・ヴィンチの手記のようなテクストをテクスト一般と考えているかぎり、言葉が「何かを意味する前に、誰かが話していること」つまり「作者が誰か」の問題がテクスト解読に「決定的に重要」な意味を持つとは考えにくかったであろう)

自然科学論文のテクストがその記述内容に見合った外的物的現実を有しているからといって、作者の心理や信念や内的個人史を記した告白的テクストがその記述内容に見合った内的心的現実を必ずしも有しているとは限らないのだ。

一般に「理科系秀才」とみなされている者たちが詐欺的言動に長けたつまらぬ教祖に誑かされるのも、見せかけに誤魔化されやすい一般的通弊のためもあるが、外界の事象を扱う自然科学のテクストの場合と同様に、作者の内界に関するテクストの場合にも、その記述内容に見合った現実があると信じがちだからである。彼らが自然科学の分野のみにおいて与えられたテクストを素直に受け入れ(あるいは真に受け)信じているかぎりは、彼らの精神的幼稚さはほとんど露呈しなかったであろう。(要するに、ある言葉を他者に信じ込ませるには、その言葉のみを唯一絶対の前提とさせることである。だから聖書は「初めに言葉あり。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」とか「見ずして信じよ」と説くのである。無論、それらは神の言葉でもイエスの言葉でもなく、聖書作者の言葉である)

 

V

 

三島由紀夫は二十九歳のときにこう書いている。

 

「私は法科大学へ試験を受けて入ったのではなかった。その年に限り内申制度によって、各高等学校の推薦で入ったのである。そこで私は今まで受けた資格試験と言っては、小学校へ入ったときのメンタルテストを別にすれば、高等文官試験だけしか知らないのである」(『学生の分際で小説を書いたの記』)

 

また昭和三十五年にはこう書いた。

 

「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」(『社会料理三島亭』)

 

しかし、三島は学習院初等科卒業時に開成中学校を受験して落ちており、学習院中等科卒業時には第一高等学校を受験して落ち、大学卒業時には日本勧業銀行の採用試験に落ちているのである。こうしたことは彼の生前には彼の両親などほんの一握りの身内にしか知られていなかったから、彼は一般読者向けにはこのように嘘がつけるのであり、こうした仮面的テクストを作成できるのである。彼が「自称するところ」のこうしたテクストは彼の「現実にあるところ」を知っている一部の身内や知人に宛てたものではなく、それを知らない一般の人々に向けることを意識して書かれたものである。これらのテクストが仮面的テクストだと看破しえない一般読者は、これを単純に事実の正直な記述として読んでしまうであろう。

以上は最も単純な仮面的テクストの実例だが、これらのテクストを仮面的テクストと見破ることなしに、テクストのみからテクストを解読しようと、作者三島をいくら解明しようと試みても、まったくの誤読や誤解に陥らざるをえないのであり、しかもそれに気づきもしないということになるのである。しかし、これらのテクストを仮面的テクストと看破することによって、決して「架空の人物」ではない三島の姿(テクストに関わるかぎりの彼の姿)がまさにテクストから浮かび上がってくるのである。かようにテクストと作者の統合により両者が解明されるのであって、一方のみから他方が解明されるわけではないのであり、一方のみからは当の一方の解明さえままならぬのである。要するに、テクストのみからはいくらでも意味ありげな、あるいは無意味な、無数の可能的解釈が生じうるのであり、永遠にむなしく空転せざるをえないのである。そうなれば、たとえば史料テクストからの歴史認識などまったく不可能になってしまうであろう。

人文系のテクストの場合には作者にとってのコノテーションが決定的な問題になりうることがあるのであり、それを無視してテクストのみからさまざまの「可能的解釈」をいくら引き出してもナンセンスな場合がありうるのである。こうしたテクストは一般的には作者個人の考慮を要しない自然科学や数学のテクストとは別なのであり、解読方法が決定的に異なりうるのである。そうしたコノテーションは当のテクスト自体からは表面上隠されているからである。

以上はほとんど比喩的に大雑把に示したにすぎないが、こうしたテクストに現前していない作者の秘められた内部(内的行為ないし内的生)は基本的にはこのようにしてテクストを通じて見いだされるのである。テクストに現前していないことを当のテクストにおいて認識すること(無論これはほとんどの場合不可能だが)、これはテクストを「第一の前提」としたり、作者から独立したものと頑迷に盲信しているかぎり認識不可能であることはもはや言うまでもあるまい。

三島は前掲のテクストで事実を偽り、隠し、取り繕う仮面的テクストを作成しているのであり、そのことは無論三島には自明なことだが、彼の生前には大方の一般読者には明らかなことではないのである。つまり、そのことはテクスト自体に現前しているわけではないのである。しかし、こうしたテクスト自体に現前していないことをまさにテクストにおいて看破し、テクストの解読や作者の解明につながる道もありうるのであって、作者捨象はかかる道をのっけから閉ざしてしまうことになるのである。

作家論とは作家に対する他我認識すなわち作家の精神活動の認識であり、作家伝とは作家の精神活動を含む生の活動の歴史なのであるから、作品を別にして作家の精神活動を含む作家伝は成り立たないのである。ただ、通俗的に作品を除外した形骸的な外的生のみを列挙した伝記も成り立っているように見えるだけにすぎないのである。

かつて小林秀雄がヴァレリーの当初の考え方に盲従してドストエフスキーの作品と生活を切り離して論じたことを想起せよ。あたかもその頃に正宗白鳥と「思想と実生活」論争を展開したわけだが、小林は不得要領な強弁や支離滅裂な詭弁を並べ立て、結局何らの進展もない尻切れ蜻蛉の論争に終わったが、この問題については後述しよう。その後彼が実朝や西行やゴッホやモーツァルトや宣長をどう論じたか、あるいはむしろどう論じざるをえなかったかを考えてみるべきである。そうした後年の著作では小林は作品から作者の心情や精神や心の動きなどの「生の活動」「生活」「生」を考察しているのであり、要するに当然のことながら作品と作者(の「生」)を関係づけているわけであり、作品と作者(の「生」)を分離するなどということは最早してはいないのである。とはいえ、結局、彼は件の問題をついに解決しえなかったことは、最晩年に正宗白鳥について書いたお茶を濁したような文章からも明らかである。

なぜなら、畢竟するに後年の小林秀雄も仮面的テクストを明確に認識していない以上、いわば「猫好きのテクスト」から作者を猫好きと断じているようなものだからであり、それは要するに三島の『仮面の告白』や彼の晩年の「皇国思想」めいたテクストから彼を同性愛者とか天皇主義者とみなすようなほとんどすべての相も変わらぬ三島由紀夫論と五十歩百歩だからである。何度も言うように「猫好きのテクスト」からそのまま作者を猫好きと断じることは必ずしもできないのであり、「人間が語り、想像し、表象するもの」たるテクストから出発し、そのテクストで「語られ、思考され、想像され、表象される人間」をそのまま作者とみなすわけにはいかないのである。「われわれの歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない」。テクストの全称命題として「作者の死」を唱える作者捨象のテクスト論であるかぎり、それがどんな屁理屈をでっち上げようと、そうしたありふれた認識にも達し」えない幻想や迷妄の事態は畢竟寸毫も変わることがないばかりか、いっそう浸潤蔓延することになるのである。

ライルは「表現は誰にでも理解されうるということ自体が、表現の意味がただ一人の人間のみが知りうるような出来事であると述べたり、そうした出来事に属するものであると述べたりすべきものではないということを示している。『かくかくの表現が意味している事柄』という言い方は事物や出来事を記述するものではなく、ましてや隠れた事物や出来事を記述するものでもない」(『心の概念』)と言う。彼もテクストと作者の複雑微妙な関係や仮面的テクストをあまり認識していなかったように思われる。

仮面的テクストのような「表現は誰にでも理解されうる」というようなものではない。なるほど「私は猫が好きだ」という単なる字面の「表現は誰にでも理解されうる」が、しかし、その表現自体が仮面か否かが重要な問題になる場合は、現実の作者についてその問題部分を知る一部の者にしか仮面か否かを看破しえないのである。仮面的表現に隠された意味合いは決して「誰にでも理解されうる」ものではなく、一部の者にしか理解しえないという場合があるのである。とはいえ、その問題部分を探り出すことによってそうした仮面的テクストを解読すれば、その「表現は誰にでも理解されうる」ものとなるのである。

 

「文字にして固定された生の表出の技術的理解を解釈と名づける。解釈は個人的技術による仕事であり、解釈を最も完全に成し遂げるには解釈者の天才によらねばならない。しかも解釈は作者の生に立ち入って絶えず研究することによって高められる親和力に基づいている」(ディルタイ『解釈学の成立』)

 

ところが、ヴァレリーは生について妙な誤解をしたため(彼の言う「生(vie)」には、少なくとも当初は、テクストの構想や作成という作者の精神活動すなわち生の活動がまったく含まれていなかったことは確実である)、テクストを作者の「生の表出」として認識しえず、テクストの解釈が作者(の生)の解明には一向につながらなかったのである。

ヴァレリー直伝の「テクスト論」では、「ただ仮想においてのみ捨象されるところの現実的な前提」である作者が捨象され、テクストと作者の生との関係が切り離されて、テクストを唯一絶対の前提とするという非現実的な空想的な前提に基づいてしまったため、必然的にテクストはいわば虚無から生じたことになってしまい、作者によって異なりうるテクスト解読の道を切り開くことができず、テクストが仮面的か否かは必然的に認識不能になり、まったく不問に付され、かくしてテクストに現前しないことをまったく解明しえなくなってしまったのである。

別言すれば、ヴァレリー直伝の「作者の死」を説く「テクスト論」では(とはいえ、ヴァレリーとバルトでは作者ないし作者の生に関する考え方は別である。前者はそれをほとんど不可知な謎として退けたが、後者はそれをあたかも初めから自明で既知のように安易安直にみなして、「テクストに作者をあてがうのはテクストに歯止めをかけることだ」として退けた。この他我認識の安易さやお粗末さは驚くべきものである。まずは謎であり、未知であるはずの作者の一体何をテクストに「あてがう」というのか。バルトは作者というものをテクストなしですでに認識されているものとみなしているのである。つまり、テクストなしで作者に対する他我認識がすでになされているものとみなしているのである。作者はその生の活動によって認識されるしかないが、そのためにはその最大最重要の痕跡たる作者作成のテクストを利用しないわけにはいくまい。作者はテクストに「あてがう」などというようなものではなく、テクストによって新たに形成されるのであり、そうしたものとしてテクストは解読されるのであり、作者は解明されるのである)、作者(の生)が捨象されてしまったため、テクスト解読が作者の内的生や内的行為の解明として捉えられなかったのである。いわばテクストを発する真の光源としての作者(の生)が浅見によって捨象され、映像にすぎないテクストが光源とみなされてしまったのであり、それゆえ映像がいかなる内的生の屈折を経てきたものかがまったく無視され、テクストが仮面的か否かをまったく認識しえなくなったのである。

バルトのように「作者の死」を説いて、「テクストに作者をあてがうのはテクストに歯止めをかけることだ」としてテクスト認識から作者を排除し、テクストと作者を完全に切り離してしまえば、テクストと作者はまったく別々に認識するしかないものとならざるをえなくなってしまうのである。また、だからこそバルトは「テクストに作者をあてがう」などというあたかも作者を何らテクストを介さずに既知の自明のものであるかのようなことを言えるわけだが、こうした考え方がいかに誤ったものであるかは、たとえばテクストを措いて作家論(これは作者認識以外の何ものでもない)など決して成り立つものでないことを考えれば、如実に分かることであろう。

作者を解明するためにこそテクストが絶対的に必要なのであり、テクストなくして作者を決して解明しえないのである。バルトが妄想していたように、作者(の生)がテクストと関係ないところで安易に既知ないし自明とみなされてしまえば、テクストは作者をさらに解明するためのものでなくなってしまうのは当然である。

テクストから作者を捨象してしまえば、テクストを生み出す存在はなくなり、畢竟テクストは無から創造されたことになってしまうのだ。「無からの創造が自然な哲学にとっては、空虚であればあるほど、無からの創造の《思弁的》意義はそれだけ一層深くなる。なぜなら、無からの創造はまさに何らの理論的支えを持たないゆえに、思弁に恣意的で無根拠なこじつけや詭弁を無限に活躍させる余地を与えるからである」(フォイエルバッハ『キリスト教の本質』)。作者捨象の「テクスト論」やそれに準拠した思弁がかくも饒舌であるのは決して故なしとしないのである。

嘘のテクストのみから嘘を見破ることはできない(無論、容易に嘘と見破れるテクストもありうるし、また、ここで問題にしている嘘のテクストとは一般的なフィクションのジャンルのテクストを指すのでないことは言うまでもない)。もしそんなことが可能なら、誰も決して嘘などつけないことになる。つまり、仮面的テクストのみから仮面を看破しえないのである。他者に示す仮面のみから他者に仮面と見破られてしまうとしたら、誰も決して仮面をかぶるわけにはいかないであろう。仮面や仮面的テクストは必ずしも仮面や仮面的テクストとして当の言動やテクストに現前しているわけではないのである。

作者を捨象しているかぎり、仮面的テクストを仮面的テクストとして認識できないのであり、そして仮面的テクストを仮面的テクストと看破しえないかぎり、いつまでも作者の仮面に誑かされることになり、テクストから作者の精神活動や生の活動を窺うことはできず、誤解を誤解とも認識しえなくなり、「必然的に架空の人物を築き上げる」ことになってしまうのである。

もはや付言するまでもないであろうが、前掲の試験について述べた三島のテクストは作者が三島由紀夫だからこそ仮面的テクストなのであり、作者が別人なら必ずしも仮面的テクストとは限らないのであるから、作者を別にしてテクストのみからテクストの虚実や仮面的か否か(つまり作者がどういうテクストを作成しているか、作者がテクスト作成で何をしているか、要するに作者がそこで何をしているかという精神活動、生の活動、実在)を認識することはできず、したがってテクストの解読も作者の解明も不可能なのである。つまり、そこで「作者の死」を唱えて作者を捨象しているかぎり、必然的にテクストの虚実や真偽の区別をしえなくなってしまうのであり、テクストの虚実を問うこと自体が無意味になってしまうため、虚実は最早問われなくなってしまうのである。作者を別にしてテクストのみから作者を無理やり引き出そうとすれば、擬似機械論の神話にすぎない「架空の人物」しか決して得られないのである。

かように言葉を発する主体によって言葉の意味は異なりうるのであるが、これは主体を捨象するかぎり認識不可能であることは最早明らかであろう。発言主体を切り捨てれば、発言がたとえば仮面的か否かといったことなどはまったく認識しえなくなるのであり、そして畢竟、必然的に「虚構と真実の境はない」というような妄想が強弁され、確信されてしまうことになるのである。

前掲の三島の仮面的テクストは「作者が三島由紀夫であるテクスト」と認めることによって初めてテクストの虚実や仮面的か否かなど、テクスト自体に現前しないことを解明する道が開けるのであって、「作者が三島由紀夫であるようなテクストはない」というテーゼ(つまり存在しない「テクスト」についてのテーゼ)による作者捨象の考え(これは「作者が三島由紀夫であるテクストがある」ことを等閑したまったくの謬見である)を真に受けて、このテクストの作者が三島由紀夫であろうとなかろうと、このテクストの解読に何ら関係ないとみなすのはまったくの誤謬なのである。

要するに、仮面的テクストに関するかぎり、作者を別にしてテクストのみをいくら解釈しようと努めても、畢竟テクストの表層を上滑りしてむなしく空回りするしかないのであり、それをあたかも究極のテクスト認識であるかのように妄想したり、強弁するしかないのである。テクストと作者の統合により、たとえばテクストの虚実や真偽(こうしたことのみではないが)を認識する道が開かれるのであって、両者を切り離しているかぎり虚実や真偽の認識は永遠に宙吊りにならざるをえないのである。そして、この宙吊りの認識を不可避なものとして、「虚構と真実の境はない」と確信するようになるのだが、これでは他我認識や歴史認識のとば口にさえ達することはできないのである。

作者を捨象してしまえば、テクストに及ぼす作者の作用は認識しようがないのだ。仮面的であろうとなかろうと、テクスト自体は外見上まったく同一不変であり、匿名的だからである。「作者が三島由紀夫であるようなテクストはない」からといって、作者を捨象して差し支えないということには決してならないのである。なぜなら、「作者が三島由紀夫であるテクストはある」からである。前者の「テクスト」は存在しないが、後者の「テクスト」は存在するからである。これが意味するところを認識することがテクスト解読上決定的に意味あるものになりうるのである。

テクストに現前しないことを認識不可能とみなしてはならない。前掲の三島のテクストについては、そのテクストで事実を偽り隠す仮面的テクストを作成していることは三島本人が認識しており、また彼に身近な少数の人々も認識しうるはずである。だから彼らの証言も重要な脚注の役割を果たしうるのである。エリオットは「シェイクスピアの洗濯勘定書」すらそうした役割を果たさないともかぎらないということを比喩的に言っているのであって、こうした脚注を利用することによって、テクスト自体に現前しないことをまさに当のテクストにおいて解明する道が開けうるのである。

つまり、こうした嘘のテクストや仮面的テクストの場合は、数学や自然科学のテクストの場合とは違って、テクストの匿名性を突破しないかぎり解読しえないのであり、テクストの匿名性を保持したままでも解読に差し支えないとするわけには断じていかないのである。つまり「作者が三島由紀夫であるテクスト」として解読しなければならないのであり、そうしないかぎりほとんど無意味なのである。作者が三島由紀夫でも他の誰でも構わないようなテクストとみなして作者(の生)を捨象しているかぎり、テクストの解読も作者(の生)の解明も決してありえないのである。(また、この場合、テクスト作者の「三島由紀夫」という「署名」だけではどうにもならぬ。テクストと関連している作者の生に関する何らかの洞察がないかぎり、このテクストに及ぼす作者の作用は秘められたままである。単なる「署名」だけでは誰の「署名」だろうとまったく同じことで、テクスト解釈に何らの違いも生じない。現実の作者という唯一無二の生を有する存在が問題なのである。同姓同名でも各人の生は異なるのだから、「署名」では唯一無二の実在の作者を問題にしえないのである。たとえば前掲の三島の仮面的テクストの場合、「三島由紀夫」という同姓同名の「署名」を有する別人が問題ではないのであるが、「署名」では本人と別人の区別がつかないのである。あくまでも唯一無二の実在の作者に関して仮面的なテクストであるか否かが決定的に重要な問題だからである)

現実の作者という「第一の前提」を捨象し、テクストを唯一の前提にしてしまえば、作者によってテクストに違いが生じることはまったく認識しようがないため(無論、外的にはテクスト自体に何らの違いも生じようがないのは言うまでもない。違いが生じるのはテクスト自体に現前しない秘められた内的部分のみである)、テクストは絶対的に不変であり、匿名的とみなされてしまうのである。つまり、作者が誰だろうとテクストが絶対的に不変なら(外的にはまさにそうであるが)、テクストは匿名的である。そしてテクストが匿名のままでもテクスト解釈に何ら差し支えないなら、テクストを解読するために作者を関与させることはないと盲信されてしまうのである。

一般に当初は読者にとって作者は謎であり、作者について何も知らないから、作者に関する何事もテクストに関与させるわけにはいかず、作者の精神作用がテクストにどう及んでいるか知りようがないから、テクストが仮面的か否かを認識できないのである。作者はまずは謎である以上、テクストのみからは作者のテクストに及ぼす作用をまったく認識できないのであり、したがって作者が誰だろうとテクストに何ら変化は生じないと確信してしまうから、たとえば「作者が三島由紀夫であるようなテクストはない」として作者を捨象する(実はこれは全然論理的ではないのだが、それを認識できない者がテクスト一神教の盲信者になるのだ)ような考えが一般的に正当化されてしまうのである。しかし、作者に対する他我認識が深まるにつれ、テクストの匿名性を突破する解読が可能になるのである。こうした他我認識をしえないうちは、あるいは「架空の人物」を「本当の作者」と信じ込んでいるうちは、作者捨象やテクストが匿名的だという呪文から決して解き放たれることはないのである。

テクストを作者から切り離して独立させてしまえば(分かり切ったことを何度も言うようだが、理数的テクストやまったくのフィクションのテクストなら一般にテクストのみで解読に何ら差し支えない)、テクストの(作者に関しての)真偽や仮面的か否かは認識不能になるから、それをテクストの決定的限界(実は偽の限界だが)とみなしてテクストからそれ以上の解読をなしえないヴァレリー直伝の作者捨象や「作者の死」を説く「テクスト論」に従うかぎり、必然的に「虚構と真実の境はない」とみなされてしまうことになるのである。かくして真の可能性も偽の可能性もまったく等しい正当性をもって主張され、多様な解釈の戯れが意味ありげに論じられたりするのである。かかる偽の限界を絶対視しているかぎり、永遠に他我認識など不可能であり、過去の実在や真実の発掘解明などできるわけがないのである。

オースティンやストローソンやサールらの言語行為論をまつまでもなく、言語表現やテクスト作成は人間の行為であり、生の活動である。作者が仮面的テクストを作成しているなら、作者はまさにそうしたことをしているのであり、まさにそうした行為をしているわけであるが、そのテクストがたとえば特に作者自身に関する事柄を記したものなら(実はこうしたテクストのみに限らないのだが)、作者を関与させないかぎり、そのテクストが仮面的か否かを判断することはできない。それを判断できなければ、そのテクスト作成において作者が実は何をしているか、いかなる行為をしているか、いかなる精神活動ないし生の活動をしているか、それをさらに深く突き詰めて解明していくことがまったく不可能になる。要するに作者に対する他我認識がまったく不可能になるのだ。仮面的テクストを仮面的テクストと見破ることこそ他我認識への一つの決定的な突破口である。

三島は前掲のテクストで嘘をついているのであり、己に関する事実や真実を隠し偽って取り繕った仮面的テクストを作成しているのである。つまり彼はそのテクストにおいてそうしたことを行なっているのであり、そうした生の活動をしているのである。かかる彼の内的行為や精神活動こそを看破し、剔抉しなければならないのだ。それを彼が己に関する事実を正直に語るテクストを作成しているとみなすのはまったくの誤解であり、無邪気な盲信にすぎないのである。なぜなら彼はそのテクストの作成においてそんなこと(行為、活動)を全然していないからである。作者はそんなこと(行為、活動)をまったくしていないのに、そんなこと(行為、活動)をしているとみなしたうえでテクストをいくら解釈しようと、テクストの誤読と作者の誤解への道をひたすら突き進むだけであり、必然的に架空の人物を築き上げる」ことにならざるをえないのであり、しかもそのことを毫も自覚できずに、「架空の人物」を「本当の作者」と頑迷に信じ込むに至るのである。

したがって、この場合、テクストを作者から切り離して独立させてしまえば、件の行為ないし活動をしている三島の姿を捉えることができなくなるのだ。それでは他我認識はまったくできなくなる。作者認識としての作家論は不可能になる。作者をまったく認識できない作家論とは馬鹿げたことではないか。テクスト作者の生の活動を捉えることで作者の伝記が成り立つのであり、それはまさにテクスト解読によって可能になるのだが、かかる解読は「人間が語り、想像し、表象するもの」たるテクストを「第一の前提」としているかぎり絶対的に不可能なのである。

たとえば、神を信じていない者でも「私は神を信じています」と言いうるし、猫嫌いの者でも「私は猫が好きです」という言葉や猫好きのテクストをいくらでも作成しうる以上、その言葉やテクストから発言者や作者が神を信じているとか猫好きだとか判断するのは、言葉を安易に真に受けて実体化してしまう幼児的認識能力しか持ち合わせぬ盲信者の判断にすぎないのであるが、巧妙な仮面的テクストには多くの人々が手もなく誑かされてしまうのである。(たとえば福音を説くテクストは「幼子のごとくならねば天国に入ることあたわじ」と説くが、ここには聖書作者の言語戦略がある。まだ現実に起こりうることをあまりよく知らない子供は、テクストの記述を、要するに言葉を、無邪気に真に受けてしまうため、事実であるように見せかけた仮面的テクストの架空の物語をも実際の出来事と信じてしまうのである。その点では、支配者や指導者のでっち上げたさまざまの神話を信じ込む古代人や実在の認識能力のあまりない人々も子供のようなものである)

かように、外的な言語表現にせよ身体表現にせよ、それが主体にとっていかなる行為であるかは必ずしも当の表現自体に現前しているわけではないのである。同じような表現にせよ、主体によって異なる行為でありうるのだから、表現主体を捨象してしまえば、その表現における主体の行為が認識不能になってしまうことがかくして明らかになったであろう。

人間は嘘の言葉を吐きうるのであるから、その言葉だけから発言者が神を信じているとか猫好きだとかみなすのは、当人が完全に正直で嘘偽りのない言葉を発している(つまり、そうした行為をしている)ものと天から盲信していることになる。こうした無邪気な読者を誑かすくらい三島には容易なことはないのである。

三十五歳のとき三島は作家としての己の過去を振り返って、「嘘八百を並べて人をたぶらかしてきた小説家稼業」(『社会料理三島亭』)と言っている。

また、そろそろ生の倦怠感や老いへの恐怖と嫌悪を募らせ、かつて憧れた神風特攻隊のような「英雄的な死」の方法(具体的には昭和三十五年作『憂国』の主人公の模倣である)を密かに模索しつつあったと思われる昭和三十八年末にはこう書いている。

 

もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行ったら、(もちろんそれには、完全な肉体的条件が伴わねばならぬが)、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」(『芸術断想』)

 

すでに「英雄たらんと」する夢以外は少年時の夢を「全部成就してしまった」という三島は、おそらくこの頃から「ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行」くための周到な準備をしつつあったと思われる。生に倦み疲れ、老醜への嫌悪や恐怖を募らせた晩年近くになって、まず死が、自殺が、最後の自己美化や雪辱としての「壮烈」な自決が、射程に入れられたのであり、しかる後に「天下泰平」の平時に「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えて、彼なりの「英雄的」な自裁のための「思想的」な粉飾が企てられることになったのである。「かつては戦争がそれを可能にした・・・・・・壮烈な死が決して滑稽ではないような事態」を戦後の平時において招来させるために戦時に喧伝されたような「思想」を標榜することにしたのである。

 

 

大抵の人々は見ているものが見えず、見させられるものを見てしまう。語っている当の人間を判断しえず、語られていることを真に受けてしまうのだ。(作家が語っていることをすべて真に受けて、それで成り立っているような作家論もあるが、そうして差し支えないようなテクストばかりをすべての作家がいつでも書くわけではない。特に三島のように、小説にせよエッセイにせよ、己の恥辱の取り繕いや自己美化や自己正当化のためのまやかしの仮面的テクストを数多く作成した作家の場合には、そのテクストが仮面的か否かを認識しえずに、すべて真に受けている以上、寝言みたいな作家論がいつまでも後を絶たないことになる。仮面などいくら撫でたところで、ありもしない空中楼閣を築くだけである)

たとえば中傷屋が他人を中傷している場合、中傷された相手を中傷屋の言葉どおりの人間とみなすのは、中傷屋の悪口を安易に真に受けて実体化しているだけにすぎず、その場合における現実がまったく見えていないのである。この場合の現実とは中傷屋が相手を悪く言って何とか貶めようとしているということであって、中傷屋の言葉が現前的に指示することではないのであり、なぜ中傷屋がその相手を貶めようとするのか背後の事情を知らないかぎり絶対に真相をつかめないのだ。そうした事情を踏まえたうえで中傷屋の中傷的言行を見聞きすることで、たとえば保身に汲々として目の上の瘤である相手を陥れようと嘘をつく中傷屋の卑小愚劣な魂胆が見透かされるのであって(中傷屋に対する他我認識)、中傷された相手が何ら認識されるわけではない。

発言者(作者)を別にして、発言(テクスト)のみから発言(テクスト)が解読されるわけではない。発言(テクスト)を別にして、発言者(作者)のみから発言者(作者)が認識されるわけではない。両者を統合して初めて両者が解明されるのであり、両者を統合しないかぎり、いずれか一方の解明もままならぬのである。中傷屋は相手の言動を悪く解釈させるよう誘導するのであるが、それは外的な言動は背後の真相を知らぬかぎりいくらでも多様に解釈されうるからにほかならない。

仮面的表現(仮面的テクスト)に隠された意味合いは背後の事情を知る者のみが理解しうるのであり、またそうした者のみがある表現を仮面的表現(仮面的テクスト)と看破しうるのである。

あらゆる分野で詐欺師や中傷屋たちの虚言が真に受けられていること呆れるばかりである。彼らは嘘を真に受けさせるためには労を惜しまない。たとえば彼らは口裏を合わせるために己の息のかかった証人などもわざわざ用意したりする。こうした証人をわざわざ用意せねばならぬこと自体胡散臭いと思わねばならぬのだが、彼らの必死の周到な努力はしばしば報われるのである。言葉の無批判な盲信は、嘘を真実と信じ込み、非現実を現実と信じ込む道であり、あらゆるオカルト信仰へと通じる道である。(無論、真実を嘘と信じ込み、現実を非現実と信じ込むのも、その迷妄の妄想という点でオカルト信仰とまったく同断である)

三島の死後には、彼と同性愛関係にあったようなことを言う詐欺師たちが何人か出没し、三島自身が書いたという同性愛関係の日記を有名作家に売りつけようとした詐欺師もいたらしい。彼ら詐欺師たちも大多数の読者と同様に主として『仮面の告白』の記述を真に受けて(つまり三島がそこで己の過去の事実を正直に語っているものと単純に信じ込んで)、三島を同性愛者と信じていればこそ、主として金目当てにでっち上げの手記や日記を売り込もうとするわけだが、彼らのうちの一人の手記はどうもかなり信用されているらしい。なんとも無邪気なことである。

彼らは『仮面の告白』の同性愛者「私」(実はこんな奇妙奇天烈な同性愛者は決して現実にはありえないのだが。特に後半の「私」の心理は実在の心理では決してありえない自己矛盾した荒唐無稽な架空の部分が多々ある)を作者三島由紀夫と同一人物とみなして、三島を同性愛者と信じ込み、同性愛の三島が同じく同性愛の男を愛するものと当然のように信じ込んでいるわけだが(それゆえに詐欺師たちも皆どうも同性愛者であるらしい)、それはまったくの幼稚で滑稽な誤解である。三島は勿論のこと、作中の同性愛者「私」にしても、なにも同性愛の男を無差別に愛しているわけでは全然ないのである。

たとえば、もしも三島が『仮面の告白』の「私」とまったく同じ同性愛者であるとすれば、彼が愛する男性は類まれな美しい肉体を持つ若者にきわめて厳しく限定されているはずである。

私がerectioを起すような対象、(それははじめから倒錯愛の特質によって奇妙にきびしい選択を経ていたが)、イオニヤ型の青年の裸像」のような肉体を持った美青年に厳しく限定されているのであるが、はたして同性愛の詐欺師たちはそんな「奇妙にきびしい選択を経」た美青年であったのだろうか。

はたして同性愛の詐欺師たちはグイド・レーニの「聖セバスチャン」のような「非常に美しい青年」で、「白い比いない裸体」、「張り出した胸」、「引き緊った腹部」を有し、「他の聖者たちに見るような布教の辛苦や老朽のあとはなくて、ただ青春・ただ光・ただ逸楽があるだけ」の端正優美な若者であったのだろうか。

はたして彼ら詐欺師たちは中学生の「私」が「肉の欲望にきずなをつないだ恋」をしたと「告白」する近江という年上の同級生(無論、作中の近江は現実の近江より理想化されているはずである)のような筋骨逞しい肉体の所有者であったのか。あるいは彼ら詐欺師たちは同性愛者「私」が「授業時間中に悪習を犯した」際に思い浮かべた「幻のヘラクレスの裸像」のような肉体を有していたとでも言うのか。

あるいはまた、彼ら詐欺師たちは同性愛者「私」の「告白」の最後の場面で「私の視線」を釘づけにした「二十二三の、粗野な、しかし浅黒い整った顔立ちの若者・・・・・・露わな胸は充実した引締った筋肉の隆起を示して、深い立体的な筋肉の溝が胸の中央から腹のほうへ下り・・・・・・脇腹には太い縄目のような肉の連鎖が左右から窄まりわだかまって」いる「粗野で野蛮な、しかし比いまれな美しい肉体」を持つ者たちであったのか。

しかも、ここで是非とも注意すべきことは、こうした「私がerectioを起すような対象」となる美青年たちはいずれも断じて同性愛者ではないということである。

同性愛者の「私」は「比いまれな美しい肉体」を持った美青年のみを愛しているのであって(三島自身もそうした美青年に憧れたが、それは自分もそうした美しい者になって賛美されたいという自己愛や自己美化の欲求からであって、決して同性愛的欲望からではない。三島は『仮面の告白』では告白者「私」を同性愛者に仕立てるために、これら二つの異なる欲望をいたるところで結びつけたり、すり替えたりしているのである)、決して同性愛者を愛しているわけでは毛頭ないのである。同性愛者「私」の愛の対象は「奇妙にきびしい選択を経て」いるのであって(美にきわめてうるさい三島が憧れる対象も同様である)、どんな同性でも「私」の愛の対象になるわけではまったくないのである。その点では一般の異性愛者の場合もまったく同様で、その愛の対象になるような異性はほんの一部にすぎないことを考えれば、三島の死後に彼と同性愛関係にあったなどと言い出す自称同性愛の詐欺師たちは、彼らが固く信じ込んだ「同性愛者三島」がどんな同性でも無差別に愛するものだとまったくの勘違いをしていることが分かるであろう。現実には滅多にお目にかかれないような美しい顔貌と肉体をそなえた同性でないかぎり、同性愛者私がerectioを起すような対象」には決してなりえないのである。

また、同性愛者でない現実の三島が最も賛美し、憧憬する男性とは、雄々しくも悲劇的な英雄であり、具体的には「これが本当の男というもの」(『おわりの美学』)だとみなす死を賭す特攻隊員、「超エロティックに美と認められる」(『太陽と鉄』)とする壮絶な死を遂げる特攻隊員なのであって、彼が空想するそうした勇壮で悲劇的な「勇者」や「英雄」以外の男など三島が愛でる対象には到底なりえないのである。

三島がそうした男性を賛美し、憧憬するのは、自分も彼らのような雄々しくも悲劇的な美的存在になって賛美され、憧憬され、哀惜されたいという自己愛や自己美化の欲求からであって(この点については『仮面の告白』は正直な「告白」になっている。たとえば幼時の「私」が「汚穢屋になりたい」と思ったり、「殺される王子たち」や「死の運命にある王子たち」を愛したのは、彼らのような悲劇的存在に自己投影して、そのような悲劇的な自己を愛し愛されたいという甘えや自己愛なのである)、決して同性愛的欲望からではない(同性愛については『仮面の告白』は後知恵によるまやかしと詐術に満ちた偽の「告白」つまり「仮面の告白」になっている。夭折する悲劇的な若者への憧憬に満ちた自己投影を強引に同性愛と結びつけようとするこじつけが随所でなされている)。だからこそ後年の三島は必死に心身の鍛錬に励んで己の理想とする男性像に自らが近づこうとしたのである。(ここで留意すべきは、三島の理想とする美的男性像が戦後になってから、より「行動的」で武張った「男らしい」ものへと変化したことである。そこには戦時の恥辱体験による強烈な慙愧や自己嫌悪が作用している。戦前の少年期の三島はもっぱらロマンティックな甘美な自己美化の空想を紡いで自足していた非「行動的」で「女性的」な夢想家だったのであり、戦後の彼が志向した「行動的」で「男らしい」理想的男性像とは対極の存在であった)

詐欺師たちは(また彼らに誑かされる人々も)こうしたことをまったく認識せず、『仮面の告白』や『禁色』や三島の思わせぶりの同性愛者めいた言動などから三島を同性愛者とひたすら信じ込んで、同性愛者の三島は当然のように同性愛の男を愛するものと頭から思い込んでいるのである(こうした勘違いが蔓延していればこそ、詐欺師たちの虚言が真に受けられるのであろう)。『仮面の告白』や『禁色』に登場する同性愛者たちはいずれも若干「女性的」な柔弱な感じに描かれているため、これらの作品を読んだであろう詐欺師たちの思い描く同性愛者としての三島像も「女性的」な柔弱な感じになるのではないかと思われる。

戦後の三島は過去の深甚な恥辱体験(実はこれを看破していないかぎり三島由紀夫を解明することは決してできない)から必死に「強者たらん」「勇者たらん」と心がけ、「雄々しく」も「英雄的」な男たらんとすることを最高の自己美化や自己栄化と位置付けたのであるから、他者に柔弱な女々しい態度を見せることなど最も恥辱的な唾棄すべきこととみなしたはずであり、したがってそんな態度を他者に意地でも見せるはずがないのである。

戦後の三島はこう言っている。

 

「私の理想とした徳は剛毅であった。それ以外の徳は私には価値のないものに思われた」(『アポロの杯』)

 

「人から、『あいつは男らしくない』と言われるのは大の不面目」(『私の中の゛男らしさの告白』)

 

「文体の私に於ける変遷は、感性的なものから知的なものへ、女性的なものから男性的なものへの変化を物語っている。私は今では、愛惜の念を以てしか、女性的な作家を愛さない。そして男性的特徴とは、知性と行動である・・・・・・文体そのものが、私の意志や憧れや、自己改造の試みから出ている」(『自己改造の試み』)

 

「戦争が終ったと同時に、私の思春期は終ったのです。浅子ともそれ以上には進まず、やがて浅子は結婚しました。そして私のいよいよほんとうの人生が始まり、今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくなりました。・・・・・・そして思春期のような、いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地というものは、だんだん薄れていきました。もっとなまみの人生に接することにしか喜びが感じられなくなりました」(『わが思春期』)

 

戦後のこうした三島の言葉には、彼の憧れの対象や美意識が「感性的なもの」や「女性的なもの」から「知的なもの」や「剛毅」で「男性的なもの」へと変化したこと、かつては「いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地」だけで自足していた非「行動的」で「夢見がち」だった己から「剛毅」で「男性的」で「行動的」な「強者」へと意志的に「自己改造」を企てたことが示されているが、こうした意志的な内的な「自己改造」にはかつての「夢見がちな」己の生き方と関連する深甚な挫折体験や恥辱体験に対する深い自戒の念や自己嫌悪が強烈な動機として潜んでいるのである。

三島が恋人(『わが思春期』では「浅子」、『仮面の告白』では「園子」とされている)の結婚を契機として「いよいよほんとうの人生が始まり、今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくな」ったということは、恋愛の挫折、深甚なハートブレイクを体験したことにより己の真の根源的欲望に決定的に目覚め、己の「今までの夢見がちな人生」を深く悔いたということである。思春期の三島の恋愛は「いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地」に浸っていただけで、それ以上には彼の夢想癖や優柔さもあって(また、恋人の家族に対する複雑なわだかまりもあるが、これには彼の入隊検査時における仮病を使った兵役逃れの行動に関わる恥辱体験が複雑微妙にからんでいる)ほとんど進展しなかったのであるが、ついに恋人の結婚がもたらした激甚のハートブレイク(実は正確には彼女の結婚よりむしろ婚約を知ったときにハートブレイクを体験したのである。その時点で真の現実的なエロス的対象の喪失が決定的に自覚されたからである)による根源的欲求の深甚な挫折体験の衝撃によって三島は己の真の根源的欲望に決定的に目覚めたのであり、それゆえ以後の三島は「もっとなまみの人生に接することにしか喜びが感じられなくな」ったのである。

こうした恋愛における深刻な挫折体験、ハートブレイクによる根源的欲求の激甚の挫折体験を経ていればこそ、以後の三島は次のような確信を抱くことになったのである。

 

「青年が精神的と考えるあらゆる問題が、より深い意味では、純粋に肉体的な問題にすぎぬという考えは、私が自分の青年時代を経て到達した頑固な確信であって、昨今の心中事件を見ても、この確信を変えることはできない」(『心中論』)

 

「初恋というものが、全く精神的なものだというのはおかしな議論でして、もし、エロチックなもの――性欲というよりもっと広い意味で言うのですが、何かエロチックなものが、深い動機として潜んでいないならば、こういう心理が生まれるわけはないのであります」(『新恋愛講座』)

 

要するに、三島は青年時代のハートブレイク体験を経て、恋愛には「精神的」なものより「肉体的」なものが「より深い意味」としてあるということ、「精神的なもの」より「エロチックなもの」が「深い動機として潜んで」いるということを心底確信するに至ったのである。つまり、ここでは「精神」は表層で「肉体」のほうが根源的な深層と考えられているのであり、恋愛の破局によって三島が最も深甚な衝撃や挫折や苦痛を被った部分が「精神的」(夢想的、観念的)部分よりむしろ「肉体的」(根源的、エロス的)部分であったということ、つまり恋愛における自分の真の欲求が「精神的」(夢想的、観念的)なものというより実はより深くは「肉体的」(根源的、エロス的)なものだということを、三島は激甚のハートブレイクによって心底思い知らされたのである。

ハートブレイクの激甚の実存的挫折体験によりこうした決定的認識をすでに得た昭和二十二年には三島は、「軽皇子が父天皇の寵妃衣通郎女と通ずるあたりの簡潔な叙述に、古代のまばゆい肉体の純粋さがあふれている。恋愛を全く肉体的な衝動としてとらえて、肉体の力一つで見事に浄化し切っている。精神の助力をたのんでいない。これに比べると、わが国中世の隠者文学や、西洋のアベラアルとエロイーズの精神愛などは肉体から精神へのいたましい堕落と思われる」(『精神の不純』)と書いている。

恋人の結婚式は昭和二十一年五月五日のことだが、当日に三島は生まれて初めて泥酔したことが知られている。しかし、三島の決定的ハートブレイクはそれ以前の昭和二十年十一月から十二月頃に彼女の婚約を知ったときである。このことはハートブレイクの挫折体験に基づいて書かれたと思われる『盗賊』が昭和二十一年一月一日に起筆されていることからも明らかである。

三島は『盗賊』創作ノートにこう書き付けている。

 

「死の動機は・・・・・・人から三宅が美子嬢と婚約せしことをきかされしによる」

 

『盗賊』の主人公明秀は恋する美子を他の男に奪われたと知ったとき、衝撃に耐えながら、恋愛の挫折の苦しみをこう意識する。

 

「彼は苦しみに耐えている人間がしているあのくすぐったいような喜劇的な顔を、自分の顔の上に丹念に思いえがいてみるほどの心の裕りをもっていた。それでいて苦しみというものを一つの物質のようにはっきりと意識していた。射たれた人が、自分の肉体のなかの弾丸を意識するように」

 

そしてハートブレイクに懊悩する主人公の心中はこう表現されている。

 

「そこには、『他人の結婚という自殺の動機は滑稽である』とか、『他人の結婚を直接動機とする自殺は人間の最も崇高な献身の一つである』とかいう、たわいもない相矛盾した観念がちらばっていた」

 

こうした主人公のハートブレイクの心理は三島自身が実際に経験したものであることは明らかである。当時の三島がハートブレイクの痛手と絶望から、根源的実存的欲求の挫折体験から、自殺を考えたことは確実と思われる。「私自身も自殺を考えた経験があり、自殺を敢行しなかったのは単に私の怯懦からだとは思っている」(『芥川龍之介について』)と昭和三十一年に回想している。

三島は『盗賊』については後年こう言っている。

 

「私は、作家としての目ざめと、人生における目ざめとの、不透明にからみあった状態で、しゃにむに小説を書きはじめた。これは半ば意識的、半ば無意識的な小説で、あいまいな表現に充ちている」(『十八歳と三十四歳の肖像画』)

 

つまり、『盗賊』はハートブレイクの痛手と絶望からほとんど直ちに書き出されたのであり、失意の混乱状態のまま書き進められたのである。三島は昭和二十年末頃に恋人の婚約を知ったことで激甚のハートブレイクを体験し、それまでの夢想的恋愛から真の根源的なエロス的欲望に決定的に目覚めたのであり、この深甚な実存的体験によって「作家としての目ざめと、人生における目ざめ」をなしたのである。

それまでの三島は「いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地」に浸っていたのだが、そうした甘美な夢想的恋愛が恋の破局によって一挙に崩れ去り、それまで夢想的恋愛の甘美なヴェールに覆われていた真の根源的欲望が挫折した形ながらむき出しの姿を現わし、その激甚の根源的挫折によって若い三島の肉体を実存の深部から震撼させたのである。つまり、激甚のハートブレイクを喫するまでは、三島の「肉体的」(根源的、エロス的)欲望は無傷のまま「精神的」(夢想的、観念的)恋愛の甘美なヴェールに覆われて密かに実現の機会を窺っていたのだが、恋の破局によって夢想的、ロマン主義的な甘美な覆いが木っ端微塵に砕け散り、挫折した「肉体的」(根源的、エロス的)な真の欲望が満身創痍の血みどろの姿でむき出しになったのである。後年この点については三島はきわめて曖昧模糊たる表現で次のように言っていると思われる。

 

「私は男の肉体が決して『存在』として現われることがないということを知らなかった。私の考えでは、それはいかにも『存在』として現われるべきだったのである。従ってそれが、存在に対するおそるべき逆説、存在することを拒否するところの存在形態として、あからさまな姿を現わしたとき、私は怪物にでも出会ったように狼狽し、それを私一人の例外のごとく思い做した」(『太陽と鉄』)

 

ここで三島が言う「肉体」が身体という意味でないことは明らかである。もしこの「肉体」が身体という意味なら、「男の肉体が決して『存在』として現われることがない」などということはありえまいし、それが「あからさまな姿を現わしたとき、私は怪物にでも出会ったように狼狽し」たなどとはまったく意味が通じまい。この「肉体」はエロス的欲望の意だと思われる。「それが、存在に対するおそるべき逆説、存在することを拒否するところの存在形態として、あからさまな姿を現わした」とは、挫折した「肉体」すなわちエロス的欲望が夢想的な甘美な覆いを突き破ってむき出しになったということであり、その満身創痍の血みどろの姿の出現に三島は「怪物にでも出会ったように狼狽し」たのである。無理やり挫折を強いられたエロスの憤怒と絶望の瀕死の姿を目の当たりにして三島は心底震撼したのである。つまり、それまで実存の深部に無傷のままでいたエロスが己の意に反する満身創痍の血みどろの姿で露出したからである。これこそ深甚なる真の実存的危機である。

かかる意に反するエロスの満身創痍の血みどろの姿こそ「存在することを拒否するところの(エロスの)存在形態」であろうと思われる。「私の考えでは、それはいかにも『存在』として現われるべきだった」とは、彼の考えでは己のエロスが雄々しかるべき男性的な「存在」として発現して欲しかったということであり、ところがそれが激甚のハートブレイクによりずたずたに引き裂かれた血達磨の無残な姿となって観念的夢想的な甘美なヴェールを突き破ってむき出しになったということ、これが「男の肉体(すなわちエロス)が・・・・・・存在に対するおそるべき逆説、存在することを拒否するところの存在形態として、あからさまな姿を現わした」ということであろうと思われる。(だが三島は当初は内的なものであったこの「男の肉体」を次第に外的なものにすり替えて、自分が雄々しく男性的な「あるべき肉体」を求めて「隆々たる筋肉」を身につける鍛錬に励むに至った経緯をいかにも意味ありげに論理的に必然的なものであるかのように説くのである。『太陽と鉄』は表面的にはいかにも論理的に見せかけたり、無理やり難解めかしたりしているが、実は単に曖昧模糊たる婉曲表現を工夫しているにすぎず、さまざまの虚実の辻褄合わせや欺瞞的な自己正当化に満ちている。つまり、この第二の「仮面の告白」でも、最初の『仮面の告白』と同じく、「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」(『完本獄中記』)という仮面的テクストを作成しているのだ。無論それはまやかしの辻褄合わせの「論理」にすぎない。このことはむしろ第一の『仮面の告白』においてこそ確実に見破るべきことなのである)

こうした激甚のハートブレイクの深甚な挫折体験を経ていればこそ、後年の三島は「昨今の心中事件を見」るにつけても、「青年が精神的と考える」ものが「より深い意味では、純粋に肉体的」なものだと確信するのであり、「初恋というものが、全く精神的なもの」では断じてありえず、「何かエロチックなものが、深い動機として潜んで」いることを心底確信するに至ったのである。このような失恋体験を決定的契機として三島は「作家としての目ざめと、人生における目ざめ」をなし、「今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくな」ったのである。

したがって、もしも三島が異性の恋人に対する「肉体的」(根源的、エロス的)欲望を持っていなかったとしたら、異性に対するハートブレイクによるこのような「肉体的」(根源的、エロス的)欲望の挫折体験をすることなど絶対にありえないはずである。三島の現実の恋愛においては、「精神的」(夢想的、観念的)なものの背後というか深部に「肉体的」(根源的、エロス的)なものが一層「深い動機として潜んで」いたからこそ、恋愛の破局によって異性の恋人に対する自分の真の欲求が「精神的」(夢想的、観念的)なものというより実はより深くは「肉体的」(根源的、エロス的)なものであることを心底思い知らされたのであり、それゆえにこそ、「昨今の心中事件を見」るにつけても、「青年が精神的と考えるあらゆる問題が、より深い意味では、純粋に肉体的な問題にすぎぬという考えは、私が自分の青年時代を経て到達した頑固な確信」だと断言するのである。

ところが、『仮面の告白』の「私」は恋人「園子」に対し「霊」の愛のみで「肉」の愛は感じないと「告白」しているが、こんな恋愛が決してありえないことは、すでに如上の確信を得た時点から『仮面の告白』を書いている三島には初めから分かり切ったことなのである。だから三島は後半部で主として己の恋愛体験を語った『仮面の告白』について「後半は世にも不可思議な『アルマンス』的恋愛(『アルマンス』より更に不可思議)の告白」(『作者の言葉』)と言うのである。つまり、己の過去を「告白」するのに、「私」を同性愛者と設定したため(なぜそうしたか、そうしなければならなかったか、その解明が三島論の最重要の鍵である)、特に異性との恋愛の記述が「世にも不可思議な」もの、「『アルマンス』より更に不可思議」な非現実的で空想的なものにならざるをえないことを、三島は初めから完全に自覚していたのである。

「園子」との恋の顛末についてはほとんど事実を語りながら、「私」を同性愛者に仕立てたために異性との恋愛に「肉」や「エロス」の愛はないとせざるをえなかったわけだが、三島自身は己の青年時代の激甚のハートブレイク体験から恋愛においては「精神的」なもの(「性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地というもの」)より「肉体的」なもの(根源的なエロス的なもの)が一層「深い動機として潜んで」いるという「頑固な確信」に到達し、「初恋というものが、全く精神的なものだというのはおかしな議論」だとすでに確信しているために、「園子」に対し「霊」の愛のみで「肉」の愛がない恋愛について、まさにそうした恋愛をしているものとして描いているはずの同性愛者「私」自身にすら疑わせてしまうのである。

 

「そもそも肉の欲望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか? それは明々白々な背理ではなかろうか? しかしまた思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい、と」(『仮面の告白』)

 

三島自身は「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえ」ないという「頑固な確信」をすでに抱いているため、そんな同性愛者「私」の恋愛を絶対にありえないこと、「おかしな議論」だとすでに確信しているから、「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋」を何とか弁明したがるわけだが、しかし同性愛者「私」は「園子」に対し「霊」の愛しかなく、それを強く感じているように描かれているのだから、「そもそも肉の欲望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか? それは明々白々な背理ではなかろうか?」などという疑念など、「霊」の愛のみで「園子」を愛しているはずの同性愛者「私」が決して起こすわけがないのである。

つまり、作中において同性愛者「私」は「園子」に対し「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋」をまさにしているはずなのだから、そうした恋愛がありうることは「私」にはまったく疑う余地なく自明のことであるはずであり、そんな恋愛がありうるかどうかなどという疑念など決して「私」が起こすはずがないのであって、もしそんな疑念を起こすようなら、「園子」に対し「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋」としての「霊」の愛などほとんど感じていないことになる。「園子」に対する「私」の「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋」としての「霊」の愛が「私」の内より生ずる真の恋情なら、「私」が己の真の恋情について「それは明々白々な背理ではなかろうか?」などと決して思うわけがないのである。

「人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい」とは、まったくナンセンスな苦し紛れの言い訳にすぎない。そもそも「人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば」という仮定自体が現実的なものではなく、単なる言葉の上だけの空想的な誑かしの仮定にすぎず、況してや「人間の情熱が・・・・・・情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい」とは、人を食った支離滅裂な詭弁であり、何ら言い訳にもなっていない無意味な言葉の羅列にすぎない。「情熱が・・・・・・情熱それ自身の背理の上に・・・・・・立つ」などということがどうしてありえようか。単なる言い訳のための言い訳であり、空疎な言葉の戯れである。「私」の「霊的」な恋愛は「私」にとっては内より生ずる「情熱それ自身」以外の何ものでもないはずなのであるから、別に「情熱それ自身の背理の上」になど少しも立っていやしないし、また立てるわけもないのである。

つまり、「肉の欲望にまったく根ざさぬ恋」について、こうした疑惑を抱いたり、ナンセンスな言い訳や馬鹿げた屁理屈を弄しているのは、まさにそうした恋をしているように描かれている同性愛者「私」では決してありえず、恋愛においては「精神的」なものより「肉体的」で「エロチック」なものが一層「深い動機として潜んで」いることを心底確信している異性愛者三島由紀夫自身にほかならないのである。

『仮面の告白』における同性愛の論理や心理は、個々の場面だけを見れば一見辻褄が合っているように思えるかもしれないが、全体的には矛盾だらけで支離滅裂であり、決して現実に成り立つものではない。

たとえば同性愛者「私」の恋愛においては、Ephebeに対する「肉」の愛と恋人「園子」に対する「霊」の愛とに二極分裂しており、「私にあってはこの二つのものの分裂は単純で直截だった」とされているが、こんな心理ないし生理はありうるものではないし、三島自身もありえぬと考えていることは、先に引用した『心中論』や『新恋愛講座』の文句からも明白である。

『仮面の告白』では「霊」と「肉」とがまったく恣意的に区別されており、これは単なる言葉の上だけの詐術的区別であって、決して現実的な区別ではない。同性愛者「私」は異性に対しては「肉感」を極力否定し、同性に対してのみ「肉感」があることをしきりに強調しているが、これは随所でその不自然さを露呈している。たとえば近江に「雪に濡れた革手袋」を頬に押し当てられたとき、「私」は「頬になまなましい肉感がもえ上り、烙印のように残った」と「告白」するが、ならば「園子」と目が合って「私もまた頬がもえ立つのを感じた」のもどうして「肉感」でないわけがあろうか。

要するに、言葉のみによって何とかして「仮面の告白者」たる「私」を同性愛者に見せかけるためにあらかじめ周到に仕組まれた「告白」だから、「肉」や「肉感」という言葉を同性に対してのみこれ見よがしに適用し、異性に対してはその言葉の適用を避けているだけのことにすぎず、そこに現実的かつ本質的な区別など何もないのである。

また、「私」が十四、五歳のときのエピソードとして、又従姉が「私の腿の上にずしりと顔を落した」ことを語るが、彼女の頭の感触について、「肉感ではなく、何かただきわめて贅沢な喜びだった。勲章の重みに似たものだった」としている。これも「肉」的な柔らかい有機的なものと対照的な「勲章」という硬い無機物を持ち出して何とか異性には「肉感」を感じていないことを示そうとしているわけだが、わざとらしい見え透いた詐術である。

「園子」への恋情を表現するのに、「園子はいつにもましてみずみずしく見えた」とか、「私の胸は高鳴り、私は潔らかな気持になった」とか、「息のとまりそうな清冽な動悸に襲われた」とか、いかにも「清潔」そうな感じの言葉を連ねるのだが、これが「霊」の愛で「肉」の愛ではないなどと言うのは、まったくの強弁であり、詭弁にすぎない。「胸の高鳴り」も「清冽な動悸」も「肉感」でないはずがあろうか。何を以て「霊」とか「霊的」としているのかもきわめて曖昧不明なのだが、ともかく「園子」への恋情を「霊的」とするなら、「私」が精通のさいに「聖セバスチャン殉教図」の「絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた」のも「霊的」なことではないのか。この「或る異教的な歓喜」(これもまったく曖昧模糊たるものだが)も「霊的」としてなぜいけないのか。

たとえば湧き立つ激しい恋情を「魂をおののかせる」とも「肉体をおののかせる」とも表現して何ら差し支えない以上、そこに言葉のあや以上の違いはないのであるが、この単なる言葉上の違いの周到かつ徹底的な強調によってあたかも現実の違いと思わせようとする作者の詐術に読者は誑かされやすいのである。同じ恋情を「魂の底から湧き起こる」と表現すれば「霊」の愛で、「肉の底から湧き起こる」と表現すれば「肉」の愛だ、などと言い張るのは言葉の詐術以外の何ものでもないのだが、いわばこうした言葉の詐術を三島は『仮面の告白』で徹底的に利用しているのである。「私」は同性の近江や「聖セバスチャン」に対する己の情動については「肉」という言葉をしきりに強調し、異性の「園子」たちに対する己の情動については「肉」という言葉を意図的に使用禁止にしているのであり、こうした言葉の詐術によって三島は「私」を何とか、異性に「肉」欲を覚えず、同性には「肉」欲しか覚えない奇態な同性愛者に仕立てようとしているのである。

同性愛者「私」はこんなことを言う。

 

およそ何らの欲求ももたずに女を愛せるものと私は思っていた。これはおそらく、人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企てだった。私は自らそれと知らずに、(こんな大袈裟な言い方は私の持ち前だからお許しねがうが、)愛の教義のコペルニクスであろうと企てたのである。そのためには勿論私はしらずしらずプラトニックの観念を信じていた。前に述べたところと矛盾するようにみえるかもしれないが、私は真正直に額面通りに純粋にそれを信じていたのである。ともすると私が信じていたのは、この対象ではなく、純粋さそのものではなかったろうか? 私が忠誠を誓ったのは純粋さにではなかったろうか?」

 

ここで「およそ何らの欲求ももたずに女を愛せる」とは無論「およそ何らの(肉の)欲求ももたずに女を(霊的に)愛せる」の意味であるが、「私」は「園子」をそのように愛することを「人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企てだった」と言うのである。すると「私」は己のそんな恋愛が人類史上かつてなかった恋愛だとみなしているわけであるから、恋愛はすべて「肉」の欲望をもったものだと認識しているわけである。

恋愛における「霊」とか「肉」、「精神」とか「肉体」という言葉自体かなり曖昧なのだが、三島自身「青年が精神的と考えるあらゆる問題が、より深い意味では、純粋に肉体的な問題にすぎぬ」と確信し、「初恋というものが、全く精神的なものだというのはおかしな議論」だと考え、もしそこに「何かエロチックなものが、深い動機として潜んでいないならば、こういう心理が生まれるわけはない」と認識しているのだから(つまり三島は「霊」と「肉」、「精神」と「肉体」が結びついていることをある程度は認識しているわけだが、『仮面の告白』では荒唐無稽な「霊肉二元論」が語られているのである)、「およそ何らの欲求ももたずに女を愛せる」など到底ありえぬと確信しているのである。「これはおそらく、人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企て」だとは、そんな恋愛が到底ありえぬと確信している者の言葉にほかならない。

「愛の教義のコペルニクスであろうと企て」ながら、そのために「しらずしらず」に「プラトニックの観念を信じていた」というのも奇妙奇天烈である。「しらずしらず」に「信じていた」ことが、どうして「真正直に額面通りに純粋にそれを信じていた」ことになるのか。「しらずしらず」に「信じていた」のに、どうして信じることの「純粋さ」にせよ何にせよ「忠誠を誓った」などと言うことができようか。「しらずしらず」に「信じてい」ることに「忠誠を誓」うことなどどうしてできようか。

「園子」は「私」が「少年時代から無理矢理にえがいてきた肉の属性としての女ではなかった」から、「私」は彼女に「肉」でなく「霊」の愛(すでにここにまやかしがあるのだが)を感じているのである。「私にあってはこの二つのものの分裂は単純で直截だった」のは、「私」にあっては、同性への愛は「肉」の愛のみ、異性への愛は「霊」の愛のみとされ、同性に対する「肉」の愛の場合にのみerectioが起こり、異性に対する「霊」の愛の場合にはerectioは決して起こらぬからである。つまり、同性愛者「私」がerectioを起こす対象は「肉」の愛を感じる男性に限定され、女性には決してerectioを起こすことはないのである。(こんな馬鹿げた「霊肉」の分裂した心理や生理の機構は現実には絶対にありえぬことであり、むろん三島の現実の心理や生理でもありえない。三島は結婚以前に数人の女性と性的な交際があったことが知られており、そのうちの一人には「妊娠した」と告げられたことがあるのだ)

ところが「私」は「園子」とホテルでの密会をこんなふうに空想するのだ。

 

「ホテル。密室。鍵。窓のカーテン。やさしい抵抗。戦闘開始の合意。・・・・・・その時こそ、その時こそ、私は可能である筈だった。天来の霊感のように、私に正常さがもえ上る筈であった。まるで憑きものがしたように、私は別人に、まともな男に、生れかわる筈であった。その時こそ、私は憚りなく園子を抱き、私の全能力をあげて彼女を愛することもできる筈であった。疑惑と不安は隈なく拭われ、私は心から『君が好きだ』と言い得る筈だった」

 

つまり「私」は「正常」な異性愛の男のように「園子」を愛したがっているわけで、この「可能である」とは無論erectioが「可能である」の意であることは言うまでもない。こんな同性愛者や同性愛心理は絶対にありえぬものである。なぜなら、erectioは「肉」の愛に限定されているのだから、「園子」に対しerectioが可能なら、「肉の属性としての女ではなかった」はずの彼女が「肉の属性としての女」ということになるからだ。「私」は彼女に対しerectioが可能な「別人に、まともな男に、生れかわ」りたがっているのだから、彼女を「肉の属性としての女」にしたがっていることになるからだ。彼女に「霊」の愛しか感じていないはずなのに、それと相容れないはずの「肉」の愛も彼女に対して可能だと思い、「肉」の愛で彼女を愛したがっていることになるからだ。

およそ何らの欲求ももたずに女を愛」すことを「人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企て」として、「愛の教義のコペルニクスであろうと企てた」と言い、そして「そのためには勿論私はしらずしらずプラトニックの観念を信じていた。・・・・・・私は真正直に額面通りに純粋にそれを信じていた」はずの同性愛者「私」が、「正常」な異性愛の男のように「肉」の愛で「園子」を愛したがっているとは馬鹿げた話である。

同性愛者「私」は「正常」な異性愛の男のように「肉」の愛で「園子」を愛することができず、彼女に対しerectioが起こらぬために、「私が園子に値いしない」とか「自分がその美しい魂を抱きしめる資格のない人間である」と考えているのだから、「私」は「肉の属性としての女ではなかった」はずの彼女を完全に「肉の属性としての女」とみなしているにすぎないのだ。「霊的」な愛は「私」の一方的な主張にすぎず、「園子」が「私」に「霊的」な愛を感じているとはみなしておらず、「園子」にerectioを起こして「肉」の愛で愛することが彼女に「値い」し、彼女を「抱きしめる資格」のある男だと認めてしまっているのである。こんな支離滅裂な恋愛は無論事実ではありえないし、虚構としても出鱈目である。

「園子」は「私」が「少年時代から無理矢理にえがいてきた肉の属性としての女ではなかった」とか、「霊はなお園子の所有に属していた。・・・・・・園子は私の正常さへの愛、霊的なものへの愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた」として、あたかも「園子」を「肉の属性としての女」ではない「霊的」存在とみなして聖化しながら、「園子に値し」、「その美しい魂を抱きしめる資格」がある人間とは、彼女にerectioを起こして「肉」の愛で愛する男だけだなどとは、彼女に「霊的」な愛を捧げて聖化している者の考え方では決してありえないのであり、フィクションとしても根本的に矛盾破綻しているのである。

『仮面の告白』ではほとんどerectioの有無を以て「肉」の愛と「霊」の愛が区別されている趣があるが、もしそんな区別が妥当だとすれば、不能の異性愛の男の女への愛はすべて「霊」の愛ということになってしまうであろうが、無論そんな馬鹿げた話はありえない。いずれにせよ同性愛者「私」の恋愛心理は決して現実にありえぬ荒唐無稽なものであり(部分的にはロマンティックな夢想家だった三島の実際の恋愛心理を述べているが、それを同性愛と無理やり結びつけようとしたために荒唐無稽な心理になったことは明白である)、三島自身も言うように「世にも不可思議な『アルマンス』的恋愛」であり、「『アルマンス』より更に不可思議」であって、それを自覚していた三島は、この「告白」の根本的な矛盾や破綻を認識していたはずである。

同性愛者「私」は「およそ何らの欲求ももたずに女を愛せる」と思い、「これはおそらく、人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企てだ」とし、「愛の教義のコペルニクスであろうと企てた」はずなのに、その後この「愛の教義のコペルニクス」たらんとする「企て」は一向に試みられず、しきりに異性愛的欲求をもつ「まともな男に、生れかわ」りたがっているのは完全に矛盾したことである。つまり、「園子」に対する自分の愛は「何らの(肉の)欲求ももたずに女を愛」すという「人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企て」だとし、その「もっとも無謀な企て」を遂行するのだとしながら、彼女に対し異性愛的な「肉」の欲求をもつ「まともな男に、生れかわ」りたがっているのであるから、奇妙奇天烈であり、支離滅裂であり、まったく以て「世にも不可思議な『アルマンス』的恋愛」であり、「『アルマンス』より更に不可思議」極まりないものであり、まったく出鱈目な恋愛心理である。

同性愛者「私」は「真正直に額面通りに純粋に」「プラトニックの観念を信じ」、その「純粋さ」に「忠誠を誓」い、「何らの欲求ももたずに女を愛」すことを「人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企てだ」として、「愛の教義のコペルニクスであろうと企てた」はずなのに、「園子」との「接吻の中に私の正常さが、私の偽りのない愛が出現するかもしれない」として、「園子」との接吻に「正常」な異性愛者として「肉」の「快感」を求め、「肉」の「快感」が生ずることを「私の偽りのない愛」の証拠とみなし(これでは「私」は異性愛者の「肉」の愛のみを「偽りのない愛」とみなしていることになる)、「園子」との接吻に「肉」の「何の快感もない」と知ると、「逃げなければならぬ。一刻も早く逃げなければならぬ」と、たちまち別れる決意をするとは馬鹿げた話である。

何らの欲求ももたずに女を愛」すという「人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企て」をし、「愛の教義のコペルニクスであろうと企てた」者が、ホテルの密室における「園子」との「肉」の交わりをあれこれ空想したり、彼女との接吻に「肉」の「快感」がないと分かって、恋人と別れる決意をするなどとは、笑止千万な荒唐無稽な話であり、まったく矛盾撞着した支離滅裂な話である。

「園子は私の正常さへの愛、霊的なものへの愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた」とする同性愛者「私」が、「園子」にerectioを起こして「肉」の愛で愛する異性愛の男だけが彼女に「値い」し、彼女を「抱きしめる資格」があるとして、実のところ彼女をまったく「肉」の愛の対象としかみなしていないとは馬鹿馬鹿しくも矛盾した出鱈目な心理であり、如上のような「愛の教義のコペルニクスであろう」と「無謀な企て」をする者の心理では決してありえないのであり、また異性に「霊的愛」を捧げようと企てる同性愛者の「告白」という単なるフィクションとしても根本的に破綻しているのである。

もし三島が「園子」との実際の恋愛の顛末を正直に語っているなら、こんな奇妙奇天烈でまったく不自然な矛盾や詭弁が生ずるはずがない。また、全面的なフィクションとして同性愛者の「告白」を書いているなら(無論そんな作品でもないことは明白だが)、もっと自然で論理的に首尾一貫したものになるよういくらでも工夫できる以上、やはりこうした矛盾や詭弁が生ずるわけがない。こうした矛盾や詭弁は三島が一方で己の過去の事実を語りながらそれらを無理やり「一知半解」(というより、ほとんど何も理解していないに等しいが)の同性愛者の論理や心理で強引に説明しようとしたために生じているのである。

つまり、三島は一方で自分にとって主要で切実な過去の事実をかなり忠実に綴りながら、それらを架空の偽の論理や心理で無理やり弁明し、辻褄を合わせようとしたために、こうした根本的な矛盾や詭弁が生じているのである。三島はこの「自伝的」テクストで己の過去の事実をかなり忠実に書いたからこそ、そしてそれらを強引な自己正当化や自己美化のために架空の虚偽の論理や心理で無理やり統一しようとしたからこそ、こうした無理な弁明や不自然な矛盾が生ずるのであり、また、もし一方で己の過去の事実を忠実に書かなければ決してこんな事態にはならなかったはずである。

三島は後年『仮面の告白』について、「あの小説では、感覚的真実と一知半解とが、いたるところで結びついている」(『私の遍歴時代』)と言っているが、むろん三島自身が意図的に己に関する「真実」の部分と「一知半解」の後知恵の虚構の部分を「いたるところで強引に結びつ」けているのである。

では、なぜ三島はこんな奇妙なテクストを書いたのか。これははたしていかなるテクストなのか。三島はこのテクストの作成で何をしているのであろうか。

 

W

 

『仮面の告白』はフィクションなのだから(すでにこれが間違った思い込みにすぎぬ)フィクションとして読むべきだ、などというのはテクスト(要するに言葉)というものに対する根本的誤解であり、誤った通念や先入観に凝り固まった考えである。なぜなら『仮面の告白』はフィクションのテクストではないからであり、三島は全面的なフィクションのテクストを作成しているわけではないからである。あるテクスト(言葉)がフィクションかそうでないかは必ずしも容易に判断できることではない。

作者がそんなテクストを作成してもいないのに、そんなテクストが作成されているものと勝手に安易にみなしたうえで、いくらテクスト解読や作者解明に努めようとまったく無駄なことである。作者がしてもいないことを勝手にそうしているものとみなしたうえで、どう解釈しようと作者を認識しうるわけがない。誤解を前提にしたうえでは、せいぜい「架空の人物」をでっち上げるのが関の山である。作者が全然してもいないことをしているものと勝手にみなして、ありもしないものをあるものと思い込み、亡霊や怪物をでっち上げるのは、テクストのオカルト的(あるいは御伽噺的)解釈以外の何ものでもないのである。

では、『仮面の告白』はノンフィクションなのか。すでに簡単に示したように、同性愛者としての「私」の心理や生理が現実には決してありえぬ矛盾撞着した不自然極まりない出鱈目なものである以上、無論ノンフィクションでもありえないし、三島は全面的なノンフィクションのテクストを作成しているわけではない。

つまり、三島は全面的なフィクションのテクストも全面的なノンフィクションのテクストも作成しているわけではないのであり、どちらのこともしていないのであるから、どちらかのことをしているものとみなしてこのテクストを解読するわけにはいかないのであり、作者を解明するわけにはいかないのである。

『仮面の告白』は完全な小説でもなければ正直な自伝でもないのであるから、いずれかのテクストとみなしていくら読み込もうと解読解明できるわけがないということ、つまりテクストは表面的なジャンル分けによってあらかじめ決め付けたテクストとみなして常に扱ってよいわけでは必ずしもないということである。

『仮面の告白』が三島の「現実にあるところ」を知らない一般読者にも容易に調べがつくような彼の前半生の明示的な外的断続的事実をなぞっているために彼のこの「告白」を真に受ける者が多いのだが、外部には現われにくいもっと微妙で持続的な彼の生の事実を知っている身内の者には、『仮面の告白』には「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります。僕は小説というものはフィクションもフィクション、こんな出鱈目を書いていいものかしらと考えました」(平岡梓『伜・三島由紀夫』)と父親が言うように、この「告白」には「およそ事実に反すること、ないことがたくさん」書かれていることが容易に分かってしまうのである。

父親には嘘八百の「出鱈目を書いて」いると容易に分かる彼の「告白」を多くの読者はなぜ嘘と認識しえずに事実と信じてしまうのか。それは要するに、一般読者にも容易に調べがつくような部分(主として三島の外的生の部分)はほとんど事実であるため、それ以外の調べのつかぬ部分(主として三島の内的生の部分や内輪の部分)も、三島の辻褄合わせの強引な論理に誑かされて、事実だと思い込んでしまうからである(実は『仮面の告白』はいたるところで微妙に内的な論理や心理が破綻しており、全体的には決して辻褄が合っていない矛盾だらけの「告白」であることはすでに示したとおりである)。

つまり、『仮面の告白』には三島の前半生の事実が書かれていると同時に、「およそ事実に反すること、ないことがたくさん」書かれているテクストなのである。三島はそういうテクストを書いているのであり、まったく意図的にそうしたことをしているのである。無論、単に闇雲に事実と虚構を結びつけているわけでは毛頭なく、三島としては明確かつ周到な目論見のもとにそうしているのである。

 

 

三島は『仮面の告白』については重要な脚注となるような文章を自らいろいろと書き残している。

『仮面の告白』執筆中の昭和二十四年一月には『作者の言葉』としてこう書いている。

 

「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」

 

「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」

 

また、初版に付した『「仮面の告白」ノート』ではこう言っている。

 

「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる。すると嘘たちは満腹し、『真実』の野菜畑を荒さないようになる」

 

「同じ意味で、肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」

 

「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」

 

「この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても、芸術家としての生活が書かれていない以上、すべては完全な仮構であり、存在しえないものである。私は完全な告白のフィクションを創ろうと考えた」

 

三島が「人は決して告白をなしうるものではない」とか「告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」と言うのは、彼がもっぱら恥辱の告白を考えているからである。彼にとってきわめて深甚な恥辱の告白について考えているからである。猫好きの者が「私は猫が好きだ」と他者に「告白」するのは容易であり、何ら「告白は不可能」ではない。猫好きが一般に恥辱的なことではないからであり(猫好きが恥辱や犯罪になるような社会なら別だが)、それを他人に知られたところで恥辱や罰を被ることはないからである。他人に知られたら自分の恥になるような事柄だからこそ、正直にストレートには「告白をなしうるものではない」のであって、他人に知られたところで自分の恥や罪にならないような事柄なら全然「告白は不可能」ではないのである。

況してや三島のような、自己美化や自己栄化の強烈な欲望を持ち、恥辱意識の強烈な者にとり、自分自身の恥辱になるようなことを告白するくらい困難なことはあるまい。だからこそ三島は仮面をかぶって己の過去の恥辱的事実を「告白」したのである。己の深甚な恥辱はストレートには「告白をなしうるものではない」ため、仮面をかぶって、仮面という「『嘘』を放し飼にし」て、仮面ないし嘘の「論理」と「心理」で懸命に取り繕いつつ、己の真の恥を、「自分の痛いこと」(『仮面の告白』エピグラフ)を、何とか「告白」したのである。仮面ないし嘘の「論理」と「心理」で取り繕われ、正当化され、緩和された恥辱なら何とか「告白」しうるのである。

仮面を利用したまやかしの論理や心理は恥辱的真実を隠蔽糊塗するヴェールになるのだ。とはいえ、恥辱の「真実」は秘匿されているわけではなく、それどころか、恥辱の「真実」を示したうえで、その上からヴェールをかぶせて恥辱を曖昧にぼやかし、糊塗し、取り繕っているだけなのであり、これが要するに『仮面の告白』の方法論なのである。

つまり、三島は己の過去の本当の恥辱的事実を「告白」しながら、その「自分の痛いこと」を仮面を利用したまやかしの「論理」と「心理」で懸命に糊塗し、取り繕っているわけだが、これを裏から言うなら、仮面の「論理」と「心理」でまやかしの取り繕いをしないかぎり「告白をなしうるものではない」ような深甚な恥辱的事柄が三島の過去にあったということなのである。したがって、恥の取り繕いに利用されている「論理」と「心理」がいかなるものであるかを考えれば、三島のかぶった仮面が何であるかが(また同時に彼の真の恥辱がいかなるものかも)自ずと析出されてくるのである。

三島由紀夫以外の「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書」くのは、かつてあったところの己を示さんとするためだが、三島が「この小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」とは、すなわち、三島はかつてあったところの己を隠蔽糊塗し抹殺したいという欲求から『仮面の告白』を書こうとしたということなのである。『仮面の告白』はそれまで隠していた同性愛を思い切って自ら暴露した赤裸な正直な「告白」では毛頭ないのである。ところが、同性愛とは別の「恥部」については同性愛者の仮面をかぶりつつある程度思い切った「告白」をしているのである。

己の真の恥辱や「自分の痛いこと」については、「人は決して告白をなしうるものではない」し、「告白は不可能だ」ということになるにせよ、「ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」のであり、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」のだから、そうした「仮面」をかぶりつつ実は三島は己の真の恥辱や「自分の痛いこと」を『仮面の告白』でかなり踏み込んで「告白」しているのである。だからこそ彼は「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない」と言うのである。自身の深甚な恥辱の「真実」を「告白」するには、それを取り繕うための「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」を要するのであり、そんな恥辱の「告白」をしない場合には、それを取り繕うための「仮面」もまた要しないのである。

では、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」とは何か。

それは三島由紀夫が己の「内部」にかぶった仮面にほかならない。過去の己の「外部」はすでに現実の他者に見られ、知られていると思われる以上、その過去の己の恥辱的「外部」を取り繕うためには、まだ他者に知られていないはずの己の「内部」に新たに仮面をでっち上げ、この「内部」の仮面を利用したまやかしの「論理」と「心理」によって取り繕うしかない、そう三島は考えたのだ。かくして以後はこの「内部」の仮面を三島は現実においてもかぶり続けることになったのである。

 

 

三島は『仮面の告白』発表後まもない昭和二十四年七月十九日付の式場隆三郎宛の手紙でこう書いている。

 

「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます」

 

この手紙にも自分を同性愛者と信じ込ませようとするような惑わしが感じられるが(同性愛が他人にばれるのを真に恥じ恐れる者が他人に己を同性愛者に見せかけようとするとは奇妙であろう)、この引用部分のみに関しては三島はかなり本当のことを述べているのである。

つまり、『仮面の告白』はほとんど「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」(この点は三島の過去の実在を知るうえで重要である)なのだが、但し、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合」(この点は『仮面の告白』の執筆公表とともに三島がかぶった仮面を看破するうえで重要である)という作為や虚構を施したということを正直に打ち明けているのである。

「モデルの修正」とは特に「園子」の造形について言っているはずであり、彼女がそれほど「霊的」な「精神性」を感じさせる存在でなかったことは三島が複数の知人への手紙で打ち明けている。「私はあらゆる作家と作品に、肉慾以外のもので結びつくことを肯んじない」(『オスカア・ワイルド論』)というような何よりも「エロス的人間」だった三島の好みからいっても、実在の「園子」はもっと肉感的に溌剌とした女性だったと思われるが、「私」を同性愛者に仕立てる都合上、「私」の恋愛では異性の相手に対し「肉」の愛はないものとし、もっぱら「霊」の愛しかないとせざるをえなかったのである。

「二人の人物の一人物への融合」を行なったこと、つまりその部分の記述は事実でなく虚構だと打ち明けることによって、三島は『仮面の告白』の最重要の秘密をそれとなく匂わせている。「二人の人物」を「融合」している「一人物」とは同性愛者「私」以外の他のどの登場人物でもありないことは明々白々である。つまり、三島はかつての実際の己自身ともう一人別の「人物」(虚構の人物すなわち仮面)を「融合」して同性愛者「私」という「一人物」を創造しているのである。要するに、かつての己の「素面」と後知恵の「仮面」を「融合」して同性愛者「私」をでっち上げているのである。己「自身の体験」と架空の人物の架空の体験や心理を「融合」しているのである。「二人の人物の一人物への融合」とはこれ以外のものでは決してありえない。これを除いてはすべて三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」なのである。

つまり、三島は異性愛者たる己自身(の特に「内部」)に架空の人物たる同性愛者を「融合」させて同性愛者「私」という「一人物」を創作したのである。したがって同性愛者「私」は決して現実の存在ではないのである。だからこそ三島は「この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても・・・・・・すべては完全な仮構であり、存在しえないものである。私は完全な告白のフィクションを創ろうと考えた」(『「仮面の告白」ノート』)と言うのである。

とはいえ、「完全な・・・・・・フィクション」の部分はもっぱら同性愛の部分であり、したがって、「二人の人物の一人物への融合」によって創造された同性愛者「私」から同性愛者の部分を抜き取れば、三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」が浮き出てくるのである。つまり、『仮面の告白』から同性愛の部分を除去すれば三島の「真実」の「告白」が出現するのである。

また、三島が「あの小説では、感覚的真実と一知半解とが、いたるところで結びついている」と言うのは、自分自身の経験した「感覚的真実」を書きながら、それに自分のものでない架空の「人物」の「感覚」などを後知恵の知識を用いて「いたるところで結びつ」けようとしたが、結局それはさらに後年の認識から見れば「一知半解」のものにすぎなかったと言うのである。異性愛の三島にとって同性愛は未知のものであり、せいぜい読書で知りうるだけの「一知半解」のものであり(あとは想像力による類推である)、だから彼は『仮面の告白』の執筆期間中に心理学者の望月衛に同性愛について何度か尋ねに行ったのである。

三島は『仮面の告白』でほとんど彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、それに「二人の人物の一人物への融合」というフィクションを強引に割り込ませたため、自伝とも小説ともつかぬ「感覚的真実と一知半解とが、いたるところで結びつい」た奇怪なアマルガムの心理を連ねたテクストをでっち上げてしまったのである。

もはや言わずもがなのことであろうが、「二人の人物の一人物への融合」とは三島が現実の己の「内部」に虚構の己を混入融合させたということであり、かかる「融合」によってでっち上げられたのが同性愛者「私」であればこそ、この同性愛者「私」は「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」ということになるのであり、そしてこの「仮面」の口を借りて三島が己の過去の真の恥辱を取り繕いつつ「告白」したればこそ、彼は「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。

 

 

自己愛、自己美化、自己栄化の欲求の強い者ほど、それだけ恥辱意識も深甚なものになる。

 

「人間は何か卑しいことを考えるのを恥じない。だが、そういう考えを抱いていると人にみられていると思うとどうも恥ずかしがるらしい」(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』)

 

心のなかでどんな妄想を抱こうと、他人に知られないかぎり恥じる者などまずいまい。それを他人に知られたと思えばこそ恥になるのだ。他人に知られないうちは恥にはならない。他人に知られたら恥ずかしいと思うことはあっても。つまり、他人に知られたら恥ずかしいと思うことは他人に知られた場合に現実に恥辱を被り、現実的な恥になるのであって、他人に知られないかぎり現実に恥辱を被ることはないのである。

 

「他人に知られずに済んだ恋の失敗は、たいした恥さらしではないだろう。何ら明秀の権威の瑕瑾にはならぬだろう」(『盗賊』)

 

己が不面目とみなす事柄は「他人に知られずに済ん」でいれば「たいした恥さらしではない」のであり、己の体面や「権威の瑕瑾にはならぬ」のである。他人に知られることで己の体面や権威を傷つけられるのが現実の恥辱なのである。

 

「私の恥の立会人が、消え去ってくれることをねがった。証人さえいなかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみんな証人だ。それなのに、他人がいなければ、恥というものは生れて来ない。・・・・・・他人がみんな滅びなければならぬ。私が本当に太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬ」(『金閣寺』)

 

『金閣寺』の主人公が「私の恥の立会人が、消え去ってくれることをねがった」のは、他者に己のぶざまな振る舞いを見られ、さらにそれを告げ口されたからである。「恥の立会人」や「証人」が一人いれば、その恥を知る者は一人にとどまらないのだ。人の口に戸は立てられないからである。実は戦後の三島が何より恐れたのはその点である。

「恥の立会人」や「証人」たる他人がいるかぎり、恥は消えない。他人が滅びないなら、他人を滅ぼすわけにはいかないなら、己の被った恥辱をいかにして解消しえようか。他人に見られたり、知られたりすることによって生じた恥辱、あるいは「恥の立会人」や「証人」たる他人がいるかぎりなくならない「恥部」を、自らの手で消し去らんとすること、あるいは少なくとも糊塗し、正当化し、取り繕わんとすること、これこそ三島が『仮面の告白』において企てたことである。だからこそ彼は「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」と言うのである。(当時未発表だった別の序文では、「この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ」とも書いている)

 

たとえば『仮面の告白』の同性愛者「私」はこんなことを言う。

 

「私のここまでの叙述があまりに概念的にすぎ抽象的に失していると責める人があるならば、私は正常な人たちの思春期の肖像と外目にはまったくかわらない表象を、くどくどと描写する気になれなかったからだと答える他はない。私の心の恥部を除いたなら、以上は正常な人たちのその一時期と、心の内部までそっくりそのままであり、私はここでは完全に彼らと同じなのである。好奇心も人並であり、人生に対する欲望も人並であり、ただ内省を貪りすぎるせいか引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ、しかも女にちやほやされるほどの容貌の自信がなく、いきおい書物にばかりかじりついている、多少成績もよい二十前の学生を想像してもらえればよい。そしてその学生がどんな風に女にあこがれ、どんな風に胸をこがし、どんな風に空しく煩悶するかを想像してもらえばよい。これくらい容易な、そして魅力のない想像はあるまい。私がこんな想像をそっくりなぞるような退屈な描写を省いたのは当然である。内気な学生のその甚だ生彩のない一時期、私は全くそれと同じであり、私は絶対に演出家に忠誠を誓ったのである」

 

ここで三島は過去の己に関する事実(恥辱的事実)を語っていると同時に、同性愛を利用してそれを糊塗し、正当化し、取り繕っているのである。多少の揶揄と誇張はあるが、この「正常な人たちのその一時期」の姿、「内気な学生のその甚だ生彩のない一時期」の姿こそ、現実の三島の一時期の姿を髣髴させるものである。つまり、三島は実際に他人の目に映じた屈辱的な己の姿を取り繕うために、他人には見えないと想定される己の「内部」の「心の恥部」を利用しているのである。この「告白」まではまったく他者には知られていなかった「心の恥部」をわざわざ持ち出して(「告白」して)己の実際の「甚だ生彩のない一時期」の姿を取り繕っているのである。

三島は『わが思春期』では正直にこう語っている。

 

「私は別に美少年ではありませんでしたから、異性からの誘惑もなし、自分で自動的に働きかける以外には、そういう思春期というものは、はなばなしく展開しそうもなかったし、またそういう勇気は、自分には一向なかったのであります」

 

思春期の三島はこのような「内気な学生」だったのであり、「私は別に美少年ではありませんでした」と自覚していた彼は、「女にちやほやされるほどの容貌の自信がなく」、そして「学校から帰るとすぐ勉強部屋にとじこもり、寝るまでただ机にかじりついていた。机の前がむしょうに居心地がよくて、そこから動きたいと思わなかった」(『十八歳と三十四歳の肖像画』)のである。こうした彼が、「いきおい書物にばかりかじりついてい」て、もっぱら夢想を膨らませていたことは確実である。

こうしたかつての己の生き方や姿も、恋の挫折と兵役忌避に関する深甚な挫折体験や恥辱体験をするまでは、さほど深刻な自己否定や自己嫌悪をもたらすほどのものではなかったのであるが、すでにそうした深甚な体験を経たことで過去の己に対する嫌悪感が極限にまで募ったことから『仮面の告白』を書いている彼は、過去の己のこうした生き方や姿も同性愛の「心理」と「論理」を利用して取り繕おうとするのである。

思春期の三島は「異性からの誘惑もなし、自分で自動的に働きかける」という「そういう勇気は、自分には一向なかった」のであり、つまり彼は異性愛の「内気な学生」だったのであって、そんな「正常な人たちの思春期の肖像」と大差なかった自分が「どんな風に女にあこがれ、どんな風に胸をこがし、どんな風に空しく煩悶するかを想像」されること、他者に「これくらい容易な、そして魅力のない想像」のされ方はないとして、自己美化や自己栄化を希求する三島は、「正常な人たちの思春期の肖像と外目にはまったくかわらな」かった己の不面目な過去を、他者には可視的になっていないはずの己の「内部」に同性愛をでっち上げ、その仮面の「論理」と「心理」を利用して(そのためには同性愛を読者たる現実の他者に示さねばならぬ)、もっともらしく取り繕おうとするのである(そのためには現実においても同性愛者の仮面をかぶらなければならぬ)。

つまり、「内気な学生のその甚だ生彩のない一時期」の姿と自分はかつて他者の目には見えたかもしれないが、それは自分を「正常な人たち」に属していると他者が思い込んでいるための誤解であって、実は自分は「正常な人たち」には属さぬ同性愛者であるがゆえに、「私の心の恥部」である同性愛を見破られまいと「正常者」を装って、「正常な人たちのその一時期」の姿、「内気な学生のその甚だ生彩のない一時期」の姿を「全くそれと同じ」ように演じたのだ、「私は絶対に演出家に忠誠を誓った」のだとするのである。己の「甚だ生彩のない」みじめな姿を自分の本当の姿ではなく、あらかじめ自ら演出した偽りの仮装の姿だとすることで、そう「告白」することで、他者による「容易な、そして魅力のない想像」を覆し、かくして屈辱を免れるのである。

つまり、ここでもしも同性愛という「心の恥部を除いたなら」ば、「正常な人たち」に属する「内気な学生のその甚だ生彩のない」みじめな姿になるところを、己の「内部」に同性愛という「心の恥部」を導入すること(これが「二人の人物の一人物への融合」である)によって、かつて他者の目に「甚だ生彩のない」「内気な学生」に見えたであろう己の屈辱的な姿を何とか取り繕い、救済しているのである。これが一種の自己正当化、自己美化、自己栄化であることは明らかであろう。

ここで、もし「私」が同性愛者でなく、「正常な人」であったなら、つまり異性愛者であったなら(むろん三島はそうであったわけだが)、他者の目に「甚だ生彩のない」ものとして映る「私」の「外部」から「私」の相応の「内部」は容易に想像されるのである。すなわち「内気な学生」が「どんな風に女にあこがれ、どんな風に胸をこがし、どんな風に空しく煩悶するか」はその「甚だ生彩のない」「外部」からほとんど透けて見えるのである。己の「外部」から己の「内部」を他者にそのように屈辱的に見透かされ、「容易な、そして魅力のない想像」をされてしまうのを充分に自覚していればこそ、自己美化や自己栄化を強烈に欲する者の屈辱感や恥辱意識は深まるのである。

そこで、すでに他者の目に映じた己の「外部」は変えるわけにはいかないから、まだ他者に知られていないと想定される己の「内部」のみを変えることで(つまり己の「内部」に仮面の「恥部」をでっち上げることで)、己が「正常な人」であった場合には他者に「容易な、そして魅力のない想像」をされてしまうところを、己を同性愛者とすることで他者のそうした「容易な、そして魅力のない想像」を覆し、己の屈辱や恥辱を払拭しようとするのである。

己の「外部」から「内部」を他者によってそのように「容易な、そして魅力のない想像」をされてしまうこと、他者に己の「内部」を当然そのように卑小に見られてしまうことが屈辱なのであり、恥辱なのである。そうした他者による当然の屈辱的な見立てを、己の「内部」を変えることで覆して何とか屈辱や恥辱を跳ね返そうとするのである。

同性愛が「心の恥部」だと言うのは、言うまでもなくそれが他人にひた隠しにして己の心の内に深く秘めている「恥部」だからである。しかし、ここで同性愛が「恥部」とされているとはいえ、他人に知られていない以上まだ現実に恥辱を被った「恥部」にはなっていないのである。他人に「恥部」をさらけ出したり、知られることで初めて現実に恥辱を被るのであり、それを何よりも恐れるからこそ「私」は同性愛をひた隠しにするのである。他人に知られないかぎり己の体面や権威を傷つけられずに保てると思えばこそ、他人に知られまいとして必死に隠し通そうとするのである。

ところで、もし三島由紀夫が同性愛者「私」と同一人物で、彼が本当に同性愛者であるとしたら、この「告白」は彼にとってまったくナンセンスなものになるのである。なぜか。

いかにも「私」は同性愛の「心理」と「論理」を利用して過去の己のみじめな屈辱的な姿を正当化し、救済しているが、まさにそこにこそこの「告白」の決定的な非現実性や虚構性が潜んでいることを看破しえなければどうにもならない。

 

 

同性愛者「私」にとり同性愛は最大最深の「恥部」であり、「私」は己の同性愛が他者に露見するのを何よりも深甚に恥じ恐れてひた隠しにして、作中の「他人」に対して最後まで必死に隠し通しているのである。

ところが、もし三島由紀夫が同性愛者「私」と同一人物であるとしたら、彼はそれまで誰にも(家族にすらも)知られていなかった己の最大最深の「恥部」をこの「告白」によって堂々と作外の現実の世間に知らせ、その「恥部」の「論理」と「心理」を利用することによって別の屈辱的事柄ないし「恥部」を懸命に取り繕っていることになるわけだが、それはまったくナンセンスで非現実的な奇怪千万なことなのである。

なぜなら、同性愛という「恥部」が他人に知られるのを何よりも恥じ恐れている同性愛者が三島自身であるとすれば、彼がそれまで誰にも隠し通してきた同性愛をこの「告白」によって世間の目にさらし、己自身のこの最大の「恥部」を利用して己の過去の別の恥辱(これが三島の現実に被った恥辱であるということが重要である)をいくら弁明し、正当化して取り繕おうと、同性愛という最大最深の「恥部」(同性愛者「私」にとってはそういうものになっている)を他者に知られてしまうことの深甚な恥辱と恐怖に比べれば全然引き合わないからであり、まったく無意味なことだからである。

他者に露見するのを何よりも深甚に恥じ恐れて徹底的に隠し通してきたはずの最大最深の「恥部」たる同性愛を「いたるところで」あるいは「好きなところで」告白しつつ、この今まで他者に完全に隠されていた「恥部」を利用して、すでに他者の目に映じた己の過去の別の「恥部」をしきりに弁明しようと努めているのだ。同性愛という「恥部」を利用した「論理」と「心理」で別の恥を取り繕っているのであるから、同性愛という「恥部」をどうしても他者に示さざるをえないわけであるが、これは同性愛の露見を本当に深甚に恥じ恐れている者のやり方では絶対にありえないのである。

もし三島自身がこの同性愛者「私」と同一人物であるとすれば、つまり己の同性愛が他者にばれるのを何よりも恥じ恐れている同性愛者だとすれば、この「告白」を公表することによって三島はそれまで他者に知られるのを深甚に恥じ恐れて必死に隠し通してきた同性愛を自ら世間全体に知らせてしまうことで己の体面や権威を深甚に傷つけて現実的な恥辱を被ることになるから、己を今まで以上に恥辱的な存在に見せてしまうことになるはずだが、自己美化や自己栄化を強烈に求める虚栄心の強い三島がそんな馬鹿正直な屈辱的「告白」をするはずがあろうか。

三島は毛頭そんなことをしているわけではないのである。作者がそこで何をしているかを解明しなければならないのである。それがテクストの解読なのであり、作者という他我の認識なのである。

「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた」が、三島が「この小説を書こうとしたのは、その反対の欲求から」なのであり、「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」からこそ、己の深甚な恥辱の「真実」を「告白」した『仮面の告白』では、「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした」のであり、そうせざるをえなかったのである。

要するに、『仮面の告白』は表面上は同性愛という「恥部」の「告白」のように見せかけながら、実は同性愛は別の「恥部」(三島の現実の真の「恥部」)を弁明し、取り繕うために要請され、利用されているにすぎないのである。同性愛という「心の恥部を除いたなら」ば、「私」は「正常な人」たる異性愛者になるわけだが、そうなると己の過去の恥辱をこのように弁明したり、取り繕ったりするわけにはいかなくなるのだ。「二人の人物の一人物への融合」を行なわないかぎり、このような自己正当化や自己弁護は決して成り立たないのである。

三島は己自身の過去の深甚な恥辱の「真実」を「告白」し、そして己の「真実」の恥辱をもっともらしく取り繕うためにこそ、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」を要したのであり、己の「真実」の恥辱を「告白」しない場合には、そんな「仮面」もまた全然要しなかったはずなのである。だからここで「仮面」が利用されているということは、ここで三島の「真実」の恥辱が「告白」されているということなのである。それゆえ『仮面の告白』は単なるフィクションとも単なる自伝ともみなすわけにはいかないのであり、いずれか一方のテクストとみなしているかぎり決して解読できないのである。彼が仮面をかぶりつつ「告白」している彼自身の「真実」を認識しえずにこのテクストの解読も三島由紀夫の解明も決してありえないのである。三島はそこで自身の「真実」を「告白」しているのであるから、それを読み取らねばならぬのであり、彼がそこでしていることを解明しなければならぬのである。

しかし、前掲の引用文に示された程度の「内気な学生の・・・・・・一時期」のみじめさや屈辱なら、どこにでもあるような並の恥辱であり、この程度の恥辱を「告白」し、取り繕うために後年の三島がかくも手の込んだ仮面をかぶる必要など全然なかったはずであり、また最期にあのような形で自決するわけもなかったのである。三島が仮面をかぶらずには到底「告白」しえなかった恥辱はもっとはるかに深甚なものであり、そしてその恥辱の「真実」はまさに『仮面の告白』で「告白」されているのである。

三島は昭和三十二年に自身の思春期を回想した『わが思春期』を口述しているが、そこでは何ら己の過去の深甚な恥辱を「告白」していないから、そこでは「仮面」をかぶる必要はまったくなかったのである。換言すれば、「仮面」をかぶらなかったから、自身の深甚な恥辱を「告白」するわけにはいかなかったのである。

では、『仮面の告白』では恥辱的「真実」を「告白」するために仮面をかぶらざるをえなかったほどの三島の深甚な恥辱で、『わが思春期』では仮面をかぶっていないために恥辱的「真実」を「告白」するわけにはいかなかったほどの彼の深甚な恥辱とは何か。

 

 

三島由紀夫が『仮面の告白』で実際に「告白」している彼の「真実」すなわち彼の真の恥辱とは同性愛のことではない。同性愛はそれまで誰にも知られていない以上、まだ彼は同性愛が他人にばれることによる恥辱を現実には全然被っていないからである。もし今まで誰にも知られていない「恥部」たる同性愛を「告白」すれば、ただ単に己を今まで以上に恥辱的にするだけにすぎない。それこそ三島が絶対にやるはずのないことである。三島にとって同性愛はそんな単純な「恥部」でも深甚な「恥部」でもないのであり、『仮面の告白』は彼がそれまで誰にも知られていなかった己の同性愛の「恥部」を公然と世間に告白した馬鹿正直なテクストでは断じてないのである。

三島が『仮面の告白』で本当に「告白」しているのは、すでに他人に見られ、知られることにより被った現実的な恥辱であり、実際に「恥の立会人」や「証人」のいる恥辱にほかならない。現実に「恥の立会人」や「証人」がいたからこそ彼の恥になったのであり、だから読者という現実の他人に向かってその恥を取り繕ったり、誤魔化したり、言い訳しようとするのである。つまり、取り繕われたり、言い訳されている恥辱こそ彼の「真実」の恥辱なのであり、取り繕いや言い訳のために利用されているものこそ後知恵により工夫され、でっち上げられたものであり、三島が現実にかぶった仮面なのである。

何より自己美化や自己栄化を欲する三島が、それまでまったく誰にも知られていなかった「恥部」をわざわざ自ら衆目にさらすことなど絶対にありえぬことである。だが、すでに他者の目にさらしてしまった恥なら、それを弁明し、取り繕うために、その恥を巧妙に隠蔽糊塗しつつ示すことはありうることである。とにかくその恥を示さぬかぎりはその恥を取り繕うわけにはいかないからだ。つまり、取り繕われ、正当化され、無答責化された恥辱なら、もはやそれはよそ目には大した恥辱とは映らぬ以上、どうにか他者に示すことができるわけである。だから、己が真に「醜かった」と深甚に慙愧する「過去」の恥(三島の恥は飽くまで「過去」のある時期に体験した現実的な恥なのであり、しかも生涯「醜かった」と「喚起」せざるをえない宿痾の恥なのである)を取り繕い、無答責にするための仮面をかぶれば(何の工夫もせずに取り繕えば、偽の取り繕いだとたちまちばれてしまうであろう)、「過去」の己の深甚な恥もどうにか「告白」できるのであり、それゆえ三島は「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。

人は真に恥辱を感じていること、「自分の痛いこと」を、決してじかに告白することはできないのであるから、もしそれを告白しようとするなら、きわめて婉曲かつ複雑な工夫をしなければならないはずである。己が心底から恥辱と感じていることについては、「人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」のである。

そこでどうするか。まだ誰にも見破られていないはずの己の「内部」において仮面をかぶり、この「内部」の仮面(これが「心の恥部」であり、「内部」にでっち上げた仮面の「恥部」である)を利用した「論理」と「心理」で、己が過去に実際に被った「真実」の恥辱を、己の真の「恥部」を、弁明し、取り繕うのだ。それと同時にこの仮面を現実においても演技的に他者に見せつけることにより、「告白」のテクストの架空の文脈と己の現実の文脈とを他者に同一視させ、かくしてテクスト内の文脈における架空の虚偽の弁解をもっともらしくも正当な弁明と見せかけることができるのだ。

恥辱を取り繕うための仮面をかぶらなければ恥辱の「真実」を告白することはできないが、仮面をかぶれば何とかかろうじてそれを告白することができるのである。したがって、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」ということは、作者がそこで仮面を工夫し、かぶっているなら、そこに恥辱の「真実」が告白されているということであり、それゆえ「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説」が充分に成り立つのである。

 

 

三島由紀夫が『仮面の告白』で「告白」している彼の「真実」すなわち彼の真の恥辱は主として二つある。ひとつは昭和二十年二月の入隊検査時に仮病を使った必死の兵役逃れの「恥辱的」な己の振る舞いを他者の目にさらすことによって被った恥辱であり、もうひとつは恋人の目に己の「男らしくない」「恥辱的」な振る舞いをさらすことによって被った恥辱(これはハートブレイクの痛みや後悔と共にある)である。つまり、死の忌避と恋の挫折にかかわる恥辱である。これら二つの恥辱こそ戦後の三島が己の過去から最も消し去りたかったものであり、己の人生から何としても抹殺したかった最大の「恥部」なのである。

三島が『仮面の告白』執筆前の「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」(『終末感からの出発』)と激しく慙愧し、深甚な自己嫌悪や挫折感に打ち沈んでいたのは、以上二つの恥辱体験ゆえなのであり、それこそが『仮面の告白』執筆前の三島が「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する彼の「過去」の「恥辱」なのである。だからこそ三島は「私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」(同前)のであり、そうして書かれたのが『仮面の告白』なのである。三島にとり『仮面の告白』の創作は、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する過去の己に対する己自身による第一審判決の不満を解消するための上訴であり、まやかしの仮面的上訴であり、アリバイの巧妙な(必ずしもそうとは言えない部分もあるが)でっち上げである。

それゆえにこそ三島は『仮面の告白』について、「この本は私が今までそこに住んでいた死の領域へ遺そうとする遺書だ。・・・・・・この本を書くことによって私が試みたのは・・・・・・生の回復術である」(『「仮面の告白」ノート』)と言うのである。三島が「今までそこに住んでいた死の領域」とは言うまでもなく彼が「最も死の近くにいた」と言う「昭和二十一年から二、三年の間」のことであり、「生の回復術」とは「すべて醜かった」と慙愧する己の過去の「まるごと肯定」を指すことは明らかである。

三島は己の少年時代を振り返って、「『詩を書く少年』は、いわば私小説である。自分が贋物の詩人である、或いは詩人として贋物であるという意識に目ざめるまで、私ほど幸福だった少年はあるまい」(角川小説新書『詩を書く少年』おくがき)と言っている。つまり彼は少なくとも少年時代までは大した挫折や恥辱を経験することもなく、自己美化の夢想にふけりながらきわめて幸福に過ごしていたのである。そんな「幸福だった少年」の彼が後年、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する背景には、いずれも昭和二十年における以上二つの恥辱体験が深くかかわっているのである。

要するに、『仮面の告白』は彼にとって「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しようと企てたテクストであり、「すべて醜かった」と慙愧する己の「過去」(の恥辱)を隠蔽糊塗して取り繕わんと企てた仮面的テクストであって(だからこそ彼は「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」と言うのである)、同性愛という「恥部」を正直に「告白」したテクストではさらさらないのであり、そんな単純な馬鹿正直な同性愛者の「告白」(表向きの形式がたとえフィクションにせよノンフィクションにせよだ)では毛頭ないのである。

三島は職業作家としての処女作として『仮面の告白』を書いたのであり、だからこそ彼は後年、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」(『太陽と鉄』)と言うのであり、そのテクストで彼が「自己をいかに隠」しているかを読み取らなければならないのである。『仮面の告白』は「醜かった」過去の己を「いかに隠すか、という方法によって」書かれた仮面的テクストなのであり、そこで三島は「嘘」を「放し飼にし」て、つまり後知恵によりでっち上げた仮面を「放し飼にし」て、その仮面の欺瞞的論理と架空の心理をそこら中に解き放って、恥辱的な「醜かった」過去の実際の己を隠蔽糊塗しようと試みたのである。

したがって、特に『仮面の告白』のテクストの場合には事実と虚構の見極めが決定的に重要になるのである。三島はそこに確かに己の過去の事実を書いており、特に「喚起」するだに「すべて醜かった」と深甚に慙愧する己の恥辱的な「過去」、「自分の痛いこと」の「真実」を書いているのであり、そしてそれを虚構の仮面の「論理」と「心理」で欺瞞的に弁明し、正当化し、取り繕うことによって、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しようとしているのであるから、それを見極めずに、このテクストの解読も三島由紀夫の解明も決してありえないのである。

単に小説中に作者とは何の関係もない事実を取り入れたような作品ならいくらでもあり、そんなテクストなら必ずしも虚実の詮索など必要ではないし、ほとんど無意味であろうが、『仮面の告白』には三島自身の人生最大最深の恥辱の「真実」が、彼の最大最深の「自分の痛いこと」の「真実」が、「告白」されており、しかも虚構の「仮面」をかぶって「告白」されているのであるから(さらにまた三島はその「仮面」をテクスト外の現実においてもかぶったのであるから)、その「真実」を認識し、その「仮面」を見破ることがテクスト解読と作者解明に決定的に重要なのである。

三島由紀夫が「すべて醜かった」と「喚起」する彼の「過去」とは何か、そして彼は「すべて醜かった」と「喚起」する己の「過去」を、「自分の痛いこと」を、どのようにして「まるごと肯定」しようとしているか、それを看破しえずに『仮面の告白』や三島由紀夫をいくら論じようとほとんど戯言にすぎないのであり、彼の仮面に誑かされているだけの無邪気な独り善がりの妄想的解釈がいつまでも後を絶たないことになるのである。

 

 

人が現実に恥辱を被るのは他人に己のぶざまな振る舞いや恥辱的な姿を見られた場合であり、誰にも見られず、他者に知られないかぎりは、己の体面や権威が傷つけられることはないのだから、決して現実に恥辱を被ることはないのである。だから、「恥の立会人」や「証人」たる他人という存在「さえいなかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみんな証人だ。それなのに、他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」のである。

『仮面の告白』の同性愛者「私」が己の同性愛を誰にも知られまいとして必死に隠すのは、他人に知られることによって現実的な恥辱を被り、己の体面や権威が傷つけられるのを何より恐れるからである。誰にも知られないかぎりは現実に恥辱を被ることはないのだから、この同性愛者「私」は己の同性愛を「恥部」としてひどく恥じているにせよ、「他人」には同性愛を必死に隠し通しているのだから(作中の「他人」には隠し通しているが、『仮面の告白』の読者という現実の他者には堂々と公表しているのだ)、まだ現実的な恥辱を全然被っていないのである。つまり、他人に知られるのを恥じ恐れているからといって、現実に恥辱を被っているわけでは決してないのである。他人に知られたら恥ずかしいと思うことと現実に恥辱を被ることとは決定的に違うのである。この決定的違いを認識せずして、『仮面の告白』の絡繰を見破り難いであろう。

同性愛者「私」の同性愛は「心の恥部」として内に秘められており、誰にも知られていない以上、他人に知られることによって現実的な恥辱を被り、己の体面や権威が傷つけられるという意味での現実的な「恥部」には全然なっていないのである。しかし、やがて見るように三島が同性愛の「恥部」を利用して取り繕っているのは、実際に「恥の立会人」や「証人」たる他人が厳として存在するために、彼が現実に恥辱を被り、己の自尊心や虚栄心が傷つけられたという意味での現実的な「恥部」なのである。

もしも三島由紀夫が同性愛者「私」であるとしたら(万が一にもそんなことはありえないが)、彼は他人に知られるのを何より恥じ恐れて今まで必死に隠し通してきたはずの己の最大最深の「恥部」たる同性愛(同性愛者「私」にとって同性愛はそういう「恥部」となっているようだが、実は無論三島にとっては全然そういうものではないのであるが)をこの「告白」の公表で他人に知られることにより初めて現実に深甚な恥辱を被ってしまうことになる。それまで己の体面や権威を傷つけられるのを恥じ恐れて必死に隠してきたはずの己の「恥部」を公表することにより己自身を単に今まで以上に恥辱的に見せてしまうだけのことになるが、何よりも自己美化や自己栄化を求める三島がそんな恥辱的で屈辱的な「告白」など金輪際するわけがあろうか。

『仮面の告白』が己自身を今まで以上に恥辱的に思わせるだけにすぎない「告白」だとしたら、どうして「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」とか「この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ」などと言うことができようか。わざわざ己を今まで以上に恥辱的に見せるにすぎないような「告白」を「自尊心」や「見栄坊な心」から骨折ってする者がいようか。

しかしまた、たとえ『仮面の告白』がまったくのフィクションだとしても、同性愛者「私」をほとんど三島自身と思わせようとしている以上、彼は同性愛者ではないかと疑われかねないわけであり、痛くもない腹を探られかねないわけである。

つまり、この「告白」がフィクションとみなされようとノンフィクションとみなされようと、どのみち同性愛という「恥部」が新たに作者三島の身に陰に陽に付きまとうことになるわけであるから、いずれにせよこの「告白」の公表で三島は以前より恥辱的な存在になってしまうはずである。

では、はたして三島は『仮面の告白』を発表したことによって現実に以前より恥辱的な存在になったであろうか。否、むしろその逆であろう。彼に対する世間的評価はむしろより一層高まったであろう。これは一体どういうことであろうか。

言うまでもなく、それは日本では西欧ほど同性愛は大して問題視されないということにほかならない。そんなことより文学的価値のほうがはるかに重視されるからにほかならない。伝統的に若衆道が文化的、文学的、美的洗練を経てきた日本社会では、歴史的に同性愛を禁忌してきた西欧キリスト教社会とはまったく異なり、同性愛はほとんど罪悪視や害悪視されることはないのである。

それにまた、同性愛者「私」は己の同性愛を表面上はひどく恥じているように言いながら、実は同性愛をむしろ美化し、栄化しているからであり、「私」自身の美化に大いに利用しているからである。

たとえば「私の最初のejaculatio」を「告白」する場面では、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の画像を契機として精通することで「私の最初のejaculatio」を大いに荘厳化し、美化しているのである。この精通場面がもし普通の異性愛者のように女体の写真や画像を見ながら「私の最初のejaculatio」を行なったと「告白」した場合には、いかに平々凡々たる陳腐な経験の「告白」になるか、ありきたりの中学生の精通体験の「告白」になってしまうかを考えてみればよい。無論、三島の「真実」の経験はむしろ後者に近かったことは確実である。かように「私の最初のejaculatio」は異性愛者よりむしろ同性愛者であることによって荘厳化され、美化されているのである。

さらに、同性愛者「私」は「独乙人の間では私のような衝動は珍らしからぬこととされている。プラァテン伯の日記はもっとも顕示的な一例であろう。ヴィンケルマンもそうであった。文芸復興期の伊太利では、ミケランジェロが明らかに私と同系列の衝動の持主であったのである」として、同性愛者たる己を貴族や偉人になぞらえて美化し、栄化しているのである。

かように、同性愛者「私」は己の同性愛を「心の恥部」として表面上は甚だしく恥じているように言いながら(そうすることで『仮面の告白』があたかも同性愛の「恥部」の「告白」であるかのように見せかけているのだ。しかし実は同性愛の「告白」の背後で三島自身の真の「恥部」の「告白」がなされているのである。この陽動作戦を見抜けぬようではどうにもならぬ)、実は同性愛を利用して目いっぱい己自身を荘厳化し、美化しているのである。

己の思春期における主として件の二つの恥辱体験を語っていないために、三島が同性愛者の仮面を外して正直に思い出を述べている回想記『わが思春期』には、「聖セバスチャン」の画像の思い出など無論あるわけもなく、代わりに「ディアナ・ダービン」や「崔承喜」の写真の思い出が語られている。三島は少年時に朝鮮の舞踊家「崔承喜のポートレート」を買って持っていたのである。

 

「それは半裸のポートレートで、仏像の踊りの写真でした。私にはなぜかその写真が非常にエロチックに思われて、彼女の半裸のからだが、わずかな宝石で飾られた布でおおわれているのを、飽かず眺めたものです。その写真はいつも机の奥深くしまってありました」(『わが思春期』)

 

女の「半裸のポートレート」が「非常にエロチックに思われ」た三島少年が、同性愛者「私」のように「女の裸体を見たいという何らの欲求も知らなかった」はずがなく、バスの「女車掌から・・・・・・肉感的な魅惑をうけたことはさらさらなかった」わけもなく、「いたましい秘密な練習を私ははじめた。裸婦の写真をじっと見つめて自分の欲望をためすこと。――わかり切ったことだが、私の欲望はうんともすんとも答えない」などということは決してありえないのである。この部分を書きながら、異性愛者の三島は面白がっていたのではないか。

三島の父親は特に『仮面の告白』の「私の最初のejaculatio」を「告白」する部分を読んで、「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」あると思ったはずである。特に父親についても書かれているのはその部分だからである。同性愛者「私」は「父の外国土産の画集」に載っていたというグイド・レーニの「聖セバスチャン」の画像を見て「私の最初のejaculatio」を経験したと「告白」するのである。父親だからといって自分の目の届かぬところで息子がやっていることや彼の内面まですべて把握しているわけではないことは勿論であるが、父親自身について書かれた部分については父親は直ちに確実に真偽や虚実は分かるのであり、「およそ事実に反すること、ないこと」が「シャーシャーと並べ立てて」あるといとも容易に分かるのであって、「私の最初のejaculatio」を「告白」する部分こそその最たる個所なのである。(無論、「その思い切ったハッタリ振りにびっくり仰天しました」と父親が言う冒頭の「私」の生誕時の記憶の部分もその最たる個所であることは言うまでもない。三島は学習院初等科に入学した頃、級友に「お医者さんに、お日さんに当たると溶けちゃうっていわれたんだ」と言って、外で遊ぼうとしなかったり、「僕は自分の生まれた時のことを覚えている」と実際に言ったとかいうような話も伝わっているが、むろん当時の彼の嘘は単純幼稚なもので、『仮面の告白』に書かれているほど手の込んだ詳細な嘘ではなかったはずである。かように冒頭部分でも三島は「外的」事実に「内的」虚構を継ぎ足して、適当に辻褄を合わせ、虚構を事実らしく見せかけようと工夫しているのである。だから、三島についていろいろ調べて、こうした彼に関する部分的な表面的「事実」を知る者ほど、『仮面の告白』の嘘に誑かされる、というようなことにもなりうるわけである)

グイド・レーニの「聖セバスチャン」の画像など三島が後知恵により利用したものであることは確実である。「父が官命をうけて外遊し、ヨーロッパ諸国をまわってかえった」というのは事実であり、三島の父親は昭和十一年三月に確かに欧米諸国を一か月ほど外遊しているが、「父の外国土産の画集」などなかったはずである。況してや「吝嗇な父は子供の手がそれに触れて汚すのをいやがって戸棚の奥ふかく隠していた」ということもなければ、息子が「名画の裸女に魅せられるのを怖れた」などというのも「およそ事実に反すること、ないこと」だったはずである。そんな父親ではあるまい。たとえば「画集」が「戸棚の奥ふかく」に置いてあるということから、父親の心中をこんなに明確に透視できるというのも大いに疑わしいであろう。そもそも「名画の裸女」など図書館や本屋で誰でも自由に見ることができるのだから、一家庭内で隠したところで何の意味もないことであり、そんな無意味なことをする父親がいようか。父親は『仮面の告白』の特にこの部分を読んで、三島が「出鱈目」を、「およそ事実に反すること、ないこと」を、「シャーシャーと並べ立てて」いると感じたはずである。

つまり、『仮面の告白』のこの部分では作中の「私」は作中の他者の心中まですべて見通す神のごとき視点を有するまったくのフィクションの作者になっているのである。ここでは「私」はフィクション外部の作者になっているのだ(ここでの「私」はフィクション作者としての三島である)。そんな「私」が後に自分の仮病を使った兵役逃れを「告白」する段になると、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? ・・・・・・何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」などと、しきりに己の兵役逃れの振る舞いを「告白」しつつ疑問を呈し、何であんな真似をしたのか、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」と、自分自身の心中さえ「わかりかねた」ととぼけるのである。つまり、そこでは「私」はフィクションの中の人物になっているのだ(ここでの「私」はフィクション内部の登場人物であって、現実の三島ではない。三島が兵役逃れにおける自分自身のそんな心中が「わかりかねた」などということは絶対にありえないことである)。つまり、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと持って回った言い方で、そんな「生が、行手にそびえていない」同性愛者たる「私」が何で必死に仮病を使ってまで「軍隊の意味する『死』からのがれ」ようとしたのか、「生が、行手にそびえていない」先行き惨めな人生しか待ち受けていない社会的弱者の同性愛者たる「私にはわかりかねた」としきりにとぼけるのである。つまり、こちらでは「私」は「私」自身の心中さえ「わかりかねた」というフィクション内部の人物になっているのだ。実はこの部分はフィクションとしてもおかしいのだが、この強引な「告白」を読者がすんなり受け入れてしまうとすれば、それは三島の真の「恥部」が仮面の「恥部」の「告白」で蔽い隠されているからであり、彼の仮面の「恥部」の「告白」に目を奪われているからであり、彼の陽動作戦に誑かされているからである。(仮病を使った兵役逃れは三島にとって厳然たる事実であり、その「喚起」するだに「醜かった」振る舞いを無理やり「私にはわかりかねた」ととぼけて、己自身を何とか無答責にするために、同性愛者であるがゆえ「私の生が、行手にそびえていない」という同性愛者の強引かつ希薄な「論理」と「心理」で無理やり取り繕った「仮面の告白」をしているのである)

中学生の「私」の精通の「告白」は「聖セバスチャン」の画像を見て精通したとして己を同性愛者に仕立てるために工夫した創作であることは確実である。そうすることによって己の中学時代のありきたりの異性愛者の平凡陳腐な精通体験を「聖セバスチャン」の画像をダシにして精一杯荘厳に粉飾美化しているのである。三島自身の実際の「最初のejaculatio」は、「ディアナ・ダービン」や「崔承喜」の写真など、とにかく異性のエロチックな画像を見たり、頭の中で異性の姿態をいろいろ妄想したりして行なったものであるはずである。

三島は日本における同性愛の意味合いを事前に充分心得ていたのである。西欧キリスト教社会と違って、日本社会においては同性愛に対する意識が希薄であり、同性愛が体面や権威を決定的に傷つけるほどの「恥部」ではないことを、大した実害を被るような恥や罪には決してならないことを。もし同性愛が日本社会でそんな恥や罪になるほど深刻にタブー視されているとしたら、そして三島自身も同性愛者「私」のように深甚なタブー意識や恥辱意識を同性愛に対して持っているとしたら、『作者の言葉』として「この小説は、私の『ヰタ・セクスアリス』であり、能うかぎり正確さを期した性的自伝である」などとわざわざ公言することなど決してできるわけがあるまい。そう公言したところで日本社会においては別にどうということはないからこそ、そしてそのことを充分に心得ているからこそ、三島はそう公言したのであり、そして『仮面の告白』が出版されても、実際別にどうということはなかったのである。

三島は『仮面の告白』ではわざと「私」の同性愛に対する恥辱意識や他者への露見に対する恐怖心を大袈裟に誇大に描いているのであり、そうすることによって彼にとり偽のこの「恥部」を前面に押し出してこれ見よがしに見せつけて、彼にとり真の別の「恥部」から読者の目を逸らさせようとしているのである。こうした彼の陽動作戦を見抜かなければならない。

こうした陽動作戦や方法論については、すでに三島は『仮面の告白』執筆前の昭和二十三年三月に、「私がまた、人に誤解されることが妙に好きで、誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」(『私の文学』)と言っている。「誤解された自分」とは要するに彼が他人に誤解させるためにかぶり、見せつけた仮面にほかならず、『仮面の告白』ではこの仮面(これが同性愛であることを看破しえない三島論はほとんど何も解明しえないであろう)をしきりに前面に「押し立ててその裏で」己の深甚な真の「恥部」を告白しているのである。

同じ時期にはまたこうも書いている。

 

「人が自分を語ろうとして嘘の泥沼に踏込んでゆき、人の噂や悪口をいうはずみに却って赤裸々な自己を露呈することのあるあの精神の逆作用を逆用して、自我を語らんがために他者としての芸術の名を呼びつづけるのだ。これは、西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣でもある」(『重症者の兇器』)

 

だから、己の「体に矢を射込」まれないようにするには、己の正体を見破られないようにするには、己の急所や「自分の痛いこと」を突かれないようにするには、他人にはまだ知られていないはずの己の「内部」に偽の「自分の痛いこと」をでっち上げて、これをいかにも本当らしく見せつけて(そのためには甚だしく痛がっているように見せつけなければなるまい)、この幻影の「恥部」に他者の鋒先が向かうように仕向けてやればよいのだ。三島は『仮面の告白』ではかかる「魔法使」の変身術、自己韜晦術、陽動作戦を全編にわたって行使しているのである。三島にとって偽の「自分の痛いこと」に目を晦まされている読者は、三島にとって真の「痛いこと」を看破しそこなうであろう。

要するに、同性愛に対する恥辱意識やタブー意識が作者たる三島由紀夫と創作された同性愛者「私」とではまったく異なるのである。こうした意識や態度も含めたコノテーションの差異、つまり三島と同性愛者「私」における同性愛のコノテーションの差異を認識することが、他者の仮面や虚言を看破するために決定的に重要なのである。かかる認識なくして他我認識はありえないのであり、いつまでも他者の仮面や嘘に誑かされ、欺かれることになるのである。

 

 

三島自身が言うように、日本社会においては『仮面の告白』の出版は何ら社会的物議をかもすこともなかったが、その英訳の出版がアメリカでは「どこの社も、この出版が社自身と作者の社会的醜聞になることを怖れて拒絶して来た。日本では平気で読まれているこの小説が、米国ではおそるべき背徳の書とうけとられたのである」(『裸体と衣裳』)。

三島は「日本では平気で読まれ」ると事前に充分心得ていたからこそ『仮面の告白』を執筆公表したのである。それにより「作者の社会的醜聞」になど日本では決してなりはしないこと、己の体面や権威に別に傷などつきはしないことを、三島は事前に充分計量していたのである。己の真の「恥部」や「自分の痛いこと」に比べれば同性愛など日本社会に生きる彼にとっては大した「恥部」ではないのであり、彼の「自尊心」や「見栄坊な心」を傷つけるような「恥部」では全然ないのであり(『仮面の告白』では同性愛は、たとえば三島の精通体験の大いに荘厳に粉飾した「告白」でも明らかなように、むしろ彼自身の自己美化や自己栄化に資しているのである。むしろ同性愛は彼の「自尊心」や「見栄坊な心」を傷つけるような恥辱的屈辱的な体験を同性愛という「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」として無答責に取り繕っているのである)、だからこそ彼は同性愛という「恥部」の仮面を現実に面白半分にかぶれるのである(三島が何人かの知人や編集者らに己を同性愛者と思わせるときの嬉々とした様子が何ゆえなのかを篤と考えてみるがよい)。

日本社会においては、たとえば仏教ではむしろ女犯が罪とされたことなどもあって、僧侶や貴族、武士、町人のあいだに男色が普及し、洗練されたという歴史的背景もあり、また三島が思春期を生きた戦時中にはむしろ男女交際が咎められるような風潮もあって、男同士が二人連れで歩いていても少しも怪しまれることなどなかったのであり、男同士で歩いているかぎり何ら特異の目で見られることもなかったわけである。日本社会は異性愛がまったく当たり前とみなされている社会で、少なくとも表面上は同性愛はほとんど意識されてこなかったのである(最近は必ずしもそうとも言えなくなっているのかもしれないが)。

 

「男色者は男色者という命名の相関関係を認めない。炭焼き、化学者、裁判官は、それぞれ誰かが他の同業者の名を眼前で口にすると、自分が何であるかについて直覚する。しかし、男色者は、眼前で誰かが男色者という烙印を押されるとき、絶対に自分のことを考えない。彼と他の男色者たちとの関係は包括的である。彼は恐怖におののいて男色者という名前を受け取るものなのである。男色者とは種々の性質のなかの一性質というようなものではなく、宿命であり、彼という存在の独異の悪徳である。さらにまた、彼が〈普通人〉とともに嘲りの対象とする怪しげで滑稽な人間の範疇がある。それがオカマだ。いうまでもなく彼の性的嗜好がかかる怪しげな人間どもと関係を結ばせるのであるが、彼は彼らと同化せず彼らを利用しているのだと主張する。ここにもまた、社会がある種の人間に押しつけた禁令が、彼ら相互の相関関係のあらゆる機会を打ち破る例がある。恥辱は人を孤立させる。そして恥辱の反対である傲慢もそうだ」(サルトル『聖ジュネ』)

 

同性愛者にとってこれほど苛烈過酷な状況は西欧社会に特有のものであって、日本社会には無縁のものである。無論いずれの社会や文化にあっても時代によって同性愛に対する通念は微妙にそのニュアンスが異なるわけだが、とにかく日本の同性愛者は西欧のそれほど「恐怖におののいて男色者という名前を受け取る」ものではなく、「彼という存在の独異の悪徳」とみなされることもなく、社会からそれほど迫害的な「禁令」を押しつけられるわけでもない。

また三島は同性愛についてこうも言っている。

 

「いわゆる少女歌劇のファンとか、女学校におけるお姉様と妹との関係とか、エスとか、男の間での稚児さんのこととか、そういう話は、日本では割に公然と平気で言われていることであります。少女歌劇の男役に対する熱中などはちょっと理解しがたいほどの強烈なものですが、ヨーロッパやアメリカでは、そういうことはグロテスクなこととして、頭から排撃されるが、日本ではそういう思春期の同性愛には、非常に寛大であります。そしてむしろそういう方が、異性との恋愛よりも安心だという考えが、親たちにも強い。(中略)男の間では、九州の方に古くからある美少年をかわいがる風習のように、異性愛は軟弱である、かえって同性愛の方が武士道的な男らしい愛情だと考えられてきたのです」(『新恋愛講座』)

 

これは日本社会におけるほぼ通念としての同性愛の考え方であるが(特に三島が思春期を生きた戦時には「異性愛は軟弱である」とする風潮があったはずである)、日本社会において同性愛をこのようにとらえている三島が、同性愛について『仮面の告白』の同性愛者「私」のような甚だしい恥辱意識や世間への露見の恐怖を感じているはずがないのである。

つまり三島は同性愛の話が「日本では割に公然と平気で言われていること」や「日本ではそういう思春期の同性愛には、非常に寛大」であり、「むしろそういう方が、異性との恋愛よりも安心だという考えが、親たちにも強い」ことや、「異性愛は軟弱である、かえって同性愛の方が武士道的な男らしい愛情だと考えられてきた」ことを心得たうえで、同性愛者「私」の同性愛に対する深甚な恥辱意識や露見の恐怖心を大いに強調することによって、いかにも自分が深甚に恥じ、露見を恐れている「恥部」が同性愛であるかのようにしきりに見せかけ(つまり「誤解された自分を押し立てて」いるのだ)、『仮面の告白』があたかも同性愛という「恥部」の真実の「告白」の書であるかのように見せかけているのである。

かくして、そうした同性愛者「私」が作者三島自身であると信じ込むような読者には、あたかも三島自身が深甚に恥じている己の「恥部」たる同性愛を『仮面の告白』において清水の舞台から飛び降りるような悲壮な決意で自ら暴露したかのように思われてしまうのである。

無論そんな考えはまったくの誤解、妄想であって、同性愛の話が「日本では割に公然と平気で言われて」いたり、「日本ではそういう思春期の同性愛には、非常に寛大」であると認識している三島が、同性愛者「私」のような同性愛に対する深甚ないし大袈裟な恥辱意識などまったく持っているはずがない以上、彼がたとえ同性愛者であったとしても、それを「告白」するのに清水の舞台から飛び降りるような決意など必要とするはずがないのである。

日本と西欧の伝統的な社会的、文化的文脈における同性愛に対する通念や意味合いには甚大な差があるのであり、三島がたとえば同性愛をひどくタブー視したひところの西欧社会の人間だったら、彼は決して同性愛者の仮面を現実にかぶるわけにはいかなかったであろう。たとえば、かつてイギリスではオスカー・ワイルドが同性愛行為の発覚により投獄されたが、そんな社会では三島は同性愛を仮面として利用することは決してできなかったであろう。

三島由紀夫と同性愛者「私」とでは同性愛に対する恥辱意識がまるで違っているのである。「私」の同性愛に対する恥辱感は過度に強調されている(つまり「シャーシャーと」吐露されているのだ)。「私」は幼時から自分の同性愛に後ろめたさを感じ、己の同性愛が「他人」に露見するのをひどく恥じ恐れており、結局最後までこの「恥部」を完全に「世間」や「他者」(作中の世間や他者にすぎない)に隠し通しているのである。ところが三島のほうは同性愛に対し「私」ほど大袈裟な恥辱意識を持っていないのであり、むしろ『仮面の告白』以後に同性愛を現実の世間や他者にわざと見せつけたような趣があるのだ。そもそも『仮面の告白』を公表すること自体が現実の世間や他者に同性愛をおおっぴらに見せつけることなのである。

同性愛者「私」は己の同性愛が作中の「世間」や「他者」に知られるのをひどく恥じ恐れて必死に隠そうとしているが、この同性愛者「私」が三島由紀夫なのではなく、そういう同性愛者「私」の「告白」を創作して現実の世間や他者に公表しているのが三島由紀夫なのである。

現実の三島は同性愛の露見を恥じ恐れて隠すどころか、むしろ嬉々とした様子で他者に同性愛を吹聴しているのである。彼のこうした振る舞いは『仮面の告白』の執筆公表と完全に符節を合わせているのであり、彼は『仮面の告白』を公表せずして現実に同性愛者の振りをすることは決してできないのである。

なぜなら、もし『仮面の告白』を執筆公表せずに、ただ単に同性愛者の仮面をかぶって、現実の世間や他者に己を同性愛者と思わせるだけだとしたら、日本社会の通念でも同性愛は多少は「恥部」とされている以上(そうでなければ同性愛を「恥部」として「世間」や「他者」に隠そうとする同性愛者「私」の「告白小説」たる『仮面の告白』は最初から成り立たない)、単に己を今まで以上に恥辱的にするだけにすぎないが、三島は『仮面の告白』では同性愛を利用することによって己のより根源的な真の「恥部」を取り繕い、「醜かった」過去の己を「まるごと肯定」しているからこそ、同性愛を利用した己の恥辱的過去に対する取り繕いや「まるごと肯定」という架空の虚偽の弁明を正当な現実的な真実の弁明と見せかけるためにこそ、現実の場においても同性愛者の仮面を陰に陽にかぶったからである。

要するに、三島は『仮面の告白』で同性愛を利用することにより「すべて醜かった」と慙愧する己の恥辱的な「過去」を「まるごと肯定」したと思ったからこそ、己の恥辱的な「過去」を同性愛の「論理」と「心理」によって改竄捏造した「告白」を現実の他者に真に受けさせるために、現実においても同性愛者の仮面をかぶったのである。だからこそ三島は『仮面の告白』の執筆公表とともに身をもって同性愛者の演技を開始したのである。同性愛こそ彼の「肉づきの仮面」なのである。

ジョン・ネイサンが伝えているところでは(『三島由紀夫――ある評伝』)、三島は昭和二十六年末から翌年にかけて数か月間海外旅行をしたさい、リオ・デ・ジャネイロでわざわざ案内役の朝日新聞特派員の目につくように「おおっぴらな同性愛」を見せつけたという。ネイサンは三島がこの「最初の海外旅行の前から、積極的な同性愛者になっていたという証拠はない」とし、そしてこの特派員の言葉を真に受けて、というよりこの特派員に三島がわざと見せつけた同性愛者めいた振る舞い――昼間にホテルの自室に現地の少年を連れ込んだというだけの行為――を真に受けて、この「最初の海外旅行」をきっかけとして三島が「積極的な同性愛者」になったかのように考えている。三島が同性愛者の仮面をかぶったのは『仮面の告白』以後である以上、それ以前に彼が「積極的な同性愛者になっていたという証拠はない」のは当たり前のことである。

さらに、『仮面の告白』執筆最中の昭和二十四年一月には、三島は編集者木村徳三宅を訪れ、近所の心理学者を訪ねた帰りだと言って、自分の倒錯性向を打ち明け、「満足そうに」帰って行ったという(木村徳三『文芸編集者その蛩音』)。そして同年十二月には木村に手紙で、ゲイ・バーのボオイの姿が忘れられない、などとわざわざ知らせているのだ。書簡だからといって真実を書いているなどと盲信してはならないのである。

また、『禁色』など同性愛物を書いているころ、三島は何人かの編集者たちに、「これは絶対口外してくれるな」と言って、自分はホモだと耳打ちしたという(野平健一『矢来町半世紀』)。ほとんど新聞の連載コラムで「ここだけの話だが」と書くようなものである。もしも自分がホモだということが「絶対口外して」欲しくないと思うほど他人に知られるのを深甚に恥じ恐れるような「恥部」だとしたら、編集者にせよ誰にせよ三島がそんな己の「恥部」を何人にも「絶対口外」するはずがあるまい。日本社会で同性愛が本当にタブーになっていたとしたら、三島がそんなことを決してするわけがないのであり、『仮面の告白』を嬉々として執筆公表することなど絶対にできるわけがないのである。

 『仮面の告白』では同性愛者「私」は己の同性愛を深甚に、むしろ大袈裟に、恥じているように「告白」しているが、現実の三島はむしろ他人に己を同性愛者と思わせたがっているのである。同性愛についての羞恥心が『仮面の告白』の「私」と作者三島とではまったく裏腹なのである。要するに、『仮面の告白』の「私」の羞恥心はフィクションの中の虚の羞恥心にすぎないのであり、それは三島の実の羞恥心ではないのである。かように言葉だけでは虚実の区別はできないのである。無論、『仮面の告白』が単なるフィクションならこのような虚実の区別などする必要はなく、ただ純然たるフィクションの告白小説として読めばよいわけだが、『仮面の告白』は決してそうしたテクストではないのであり、作者三島が己の過去の「恥部」を同性愛者「私」の口を借りて欺瞞的に取り繕った仮面的テクストであるからこそ、こうした虚実の区別をすることによってテクストの解読が可能になるのであり、作者の仮面をを見破ることが可能になるのである。

三島は特に『禁色』執筆のころまでは編集者たちにしきりに自分を同性愛者と思わせようとした形跡が窺える。三島がそうしたことをするのは、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧し嫌悪する己の「醜かった」過去を同性愛を利用して改竄捏造することにより「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」せんと試みた『仮面の告白』を真に受けさせたいからにほかならない。より具体的には、自分が必死に仮病を使って兵役逃れした行為について、なぜあんなことをしたのか「私にはわかりかねた」と何とかして無答責にしたいからこそ、己のその現実の「醜かった」振る舞いの取り繕いに利用した特異な同性愛の「論理」と「心理」を現実に真に受けさせるためにこそ、三島は現実の場でも嬉々として己を同性愛者と思わせるような嘘をついたのである。現実の深甚な「恥部」があったからこそ、それを欺瞞的に取り繕うために利用した偽の曖昧軽微な「恥部」を、「私のせいでない」同性愛という「恥部」を、同性愛者「私」の責任ではない「恥部」を、現実の場でも真に受けさせようとしたのである。

また、昭和四十四年には、雑誌の対談で丸山明宏に「非常に困るのは、先生と私がまるで何かあるように言われることですよ」と言われて、三島は「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば、お互いに商売上、得だから」と応じている(『小説セブン』九月号)。

このように三島は世間に同性愛者とみなされるのを大して気にせず、むしろ面白がっているのである。三島にとって世間に同性愛者と思わせることは『仮面の告白』以後は一部には「商売」のためでもあったことは確実である。

彼は己を謎めいた人間と思わせたいのである。自己美化や自己栄化を願う彼は他人に己の心底を見透かされたくないのであり、己を完全に見透かされたら作家として魅力がなくなり、読者に飽きられてしまうと感じていたのである。

三島は「人に誤解されることが妙に好きで、誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ような自己韜晦癖があり、そして『仮面の告白』によって「誤解された自分」すなわち己の「仮面」を真面目半分からかい半分に生涯引きずったのである。己の「醜かった」過去の恥辱の「真実」を「告白」するのに、彼にとっては偽の「恥部」である「仮面」を前面に「押し立ててその裏で告白」した彼は、他人に「仮面」を見せつけ、「仮面」を真に受けさせたいのである。「誤解された自分を押し立てて」、他人に自分を誤解させたいのである。

だからこそ、「誤解という麻薬は、一度味わったら忘れられないふしぎな秘密の甘味がある」(『私の文学』)と彼は感じるのだ。「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ということこそ、まさに『仮面の告白』の詐術的方法論なのである。

同性愛者「私」は異性愛者の仮面をかぶって己の同性愛を必死に作中の「世間」や「他者」から隠そうとしているが、それは『仮面の告白』という言語作品の内部での話であり、このテクスト内の話であって、それはこのテクストそのものの現実態ではないのである。このテクスト内では、同性愛者「私」は異性愛者の仮面をかぶって己の同性愛を必死に「世間」や「他者」に隠しているが、このテクストを作成し、公表するテクスト外の実在の作者たる三島由紀夫は、そういう同性愛者「私」を現実の世間や他者に堂々と見せつけているのであり、それがこのテクストの現実態の概要なのである。

己の同性愛が「世間」や「他者」に露見するのを深甚に恥じ恐れる同性愛者「私」の姿は、同性愛を現実の世間や他者に面白半分に陰に陽に見せつけようとする三島の姿とはまったく矛盾しているのである。一方は言葉で構成された虚構の人物だが、他方は実在の人物である。実在の三島は『仮面の告白』という同性愛者の内面の告白を書いて現実の世間や他者に公表しているのであり、無論こうした三島の姿は、現実の世間や他者に向かって同性愛者めいた振る舞いを「おおっぴら」に、あるいは表面上秘密めかして、見せつけようとする三島の姿と何ら矛盾するものではない。

現実の世間や他者に見せつけるものこそ真の仮面なのであり、己が真に恥じていること、己の真の「恥部」こそ、何としても現実の世間や他者に対して慎重に隠したり、取り繕ったりしなければならないものなのである。そして、たとえ少数にせよ他者に見られてしまったことで恥辱となるようなことを、そのままほっておかずに(ほっておけば口づてに恥辱的な噂が尾鰭をつけて広がるであろう)何とか取り繕うためには、とにかくその恥辱的事柄のすでに他者に可視的となった部分を示したうえで、他者には不可視と想定される己の内部において仮面をでっち上げ、この虚構の「内部」を「告白」しているように見せかけたテクストにおいて、この仮面の「論理」と「心理」によって己の恥辱的事柄の外的な可視的部分の意味合いを己に都合よく変えてしまうこと、これが「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と深甚な慙愧に苛まれていた三島が「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て編み出した『仮面の告白』の方法論なのである。

三島は昭和二十六年に、

「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」(『完本獄中記』)

と書いている。

言い訳せねばならぬのは外部に表われた己の行動であり、己が恥辱や屈辱とみなす言動や振る舞いであり、そのさい他者の目に映ったであろうと自覚する己の恥辱的姿であって、『仮面の告白』では同性愛はそうした恥辱的言動の言い訳や取り繕いに利用されているにすぎないのである。

 

X

 

「戦後にもう一つ、私の個人的事件があった。

戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった。

妹の死と、この女性の結婚と、二つの事件が、私の以後の文学的情熱を推進する力になったように思われる。種々の事情からして、私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。年齢的に最も溌剌としている筈の、昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」(『終末感からの出発』)

 

三島が三十歳のときに書いたエッセーのこの引用部分は、三島由紀夫を解明するための、特に『仮面の告白』を解読するための、最重要の脚注となるものである。この部分はまさに『仮面の告白』の創作動機について語っているものだからである。

「昭和二十一年から二、三年の間」の三年間とは、要するに昭和二十年十一月末か十二月初めの(園子の婚約を知ったことによる)ハートブレイクから昭和二十三年十一月二十五日とされる『仮面の告白』起筆までの期間である。

この十一月二十五日という日付は暗示的である。

この日付が『仮面の告白』起筆とされるのは、昭和二十三年十一月二日付の坂本一亀宛書簡で三島自身が「さて書下ろしは十一月二十五日を起筆と予定し、題は『仮面の告白』というのです」と書いているからである。この日付が実際に『仮面の告白』起筆の日であるかどうかは不明だが、問題はなぜ彼が「十一月二十五日を起筆と予定し」たのかということだ。

「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」ことが彼には「個人的事件」として体験され、これを契機として三島は己の「人生に見切りをつけ」、そして「その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない」ものとなり、そしてついに「未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て『仮面の告白』を制作したことを勘案すると、恋愛の深甚な挫折体験を喫した「個人的事件」という己の人生における最大の衝撃体験たるハートブレイクの日付と恋の破局をもたらした彼の態度や行動にかかわる恥辱(これは「私の逡巡から」という言葉が暗示しているものである)を仮面を利用して取り繕った『仮面の告白』の起筆の日付を合致させて、己の人生の重要な転機を画する記念の日付にしようとしたのではないかと思われる。

つまり、『仮面の告白』を書くまでの三年間は彼が思い出すだに「ゾッとせずにはいられない」ほどの「生活の荒涼たる空白感」を味わっていた「最も死の近くにいた」慙愧と悔恨の期間だったのであって、それはハートブレイクの「個人的事件」を最大の契機としてもたらされたのであり(また兵役忌避にかかわる恥辱も一方の深甚な契機をなしていたが、これについての慙愧と悔恨などの恥辱意識は特に戦後になってから時とともに深まっていく性質のものであって、兵役逃れはハートブレイクのような衝撃体験が当初にあったわけではない。それどころか彼は兵役を免れたときは大喜びしたのである)、そこで彼はこの自己嫌悪と自己否定の「死の領域」から抜け出すために、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て、「すべて醜かった」と「喚起」する己の恥辱的過去を仮面を利用して取り繕い、正当化(無答責化)することにより、「生の回復術」を試みた『仮面の告白』を書いたのであるから、彼の仮面の工夫とハートブレイクおよび兵役逃れは深く結びついているのであり、これら二つの事実にかかわる恥辱意識からこそ彼の仮面が工夫されたのである。

若い三島がまず己の「人生に見切りをつけた」のはハートブレイクの「個人的事件」を最大の契機としていたことは明らかである。晩年の彼が最後に決定的に己の「人生に見切りをつけ」て自殺するのが昭和四十五年十一月二十五日である。三島はすでに同年九月には十一月二十五日に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んで死ぬ決意を一部の者に打ち明けている。こちらは兵役忌避にかかわる恥辱意識(これは戦後の彼が宿痾のように生涯抱えていたものである)が極限にまで深まって、最後の自己美化としての雪辱を果たそうとする意味合いがある。

つまり、三島はいずれの場合もかなり事前に十一月二十五日という日付を意図的に選んでいるのである。一方は同性愛者の仮面をかぶって戦後社会にいよいよ生きんとするときであり、他方は「思想や信仰」の仮面をかぶってついに死なんとするときである。いずれも彼のかぶった仮面を暗示している日付であることは確実である。この日付は三島がわざとらしくも残していった暗号解読の一つの鍵のようであり、己のかぶった仮面や己の演じた仮面劇を暴き解読してみよと挑戦しているかのようである。

 

 

三島は己の少年時の性意識をこう回想している。

 

「今になって考えると、私は当時の中学生の方が羞恥心が非常に強かったと思います。みなはそういうわい談をしましたが、自分の羞恥心といつも戦わねばなりませんでした。そしてわれわれは新婚旅行のときを想像し、人から聞いた初夜の話を想像しました。ある朗らかな少年が『自分のパンツが突っ張っていたら恥ずかしいだろうな』と言って、顔を赤くしたことがあります。そしてみなもそれを想像して、すっかり赤くなってしまいました」(『わが思春期』)

 

こうした性的なことが三島も含めた「当時の中学生」には非常に恥ずかしかったのである。つまり、他者を前にした己の気恥ずかしい欲望のこうしたあからさまな露呈が恥ずかしいのであって、同じ表われでも自分だけに表われているかぎりは別に恥ずかしくはないのである。己の気恥ずかしい欲望が他者に露呈することが恥ずかしいのであって、どんなに気恥ずかしい欲望だろうと他者に露呈しないかぎりは恥ずかしくないのであり、己の抱えている欲望が異性愛的だから恥ずかしくないとか、同性愛的だから恥ずかしいというわけではないのである。むろん当時の三島少年は他の少年たちと同じく己の異性愛的欲望が他者にあのようにあからさまに露呈することを恥ずかしがったのである。

思春期の三島はむろん異性愛的欲望を持っていたからこそ、そしてその欲望を他者に露呈することに羞恥を感じていたからこそ、異性に対し積極的に働きかけることができなかったのである。「私は別に美少年ではありませんでしたから、異性からの誘惑もなし、自分で自動的に働きかける以外には、そういう思春期というものは、はなばなしく展開しそうもなかったし、またそういう勇気は、自分には一向なかったのであります」(『わが思春期』)。つまり、若き日の三島が異性に働きかけるには時代的な束縛や己の羞恥心と戦ったり、「自分の欲望がさせる引込思案とたたかう」(『仮面の告白』)というような「勇気」を要したわけだが、「そういう勇気」は当時の彼には「一向なかった」のである。ところが『仮面の告白』では自分が異性に積極的に働きかけられず、ぐずぐずと煮え切らないで優柔不断なのは、「勇気」のなさのためではなく、同性愛のためだとしているのである。

このことは何を意味するか。

つまり、当時の三島が実際に「園子」に示した煮え切らない態度(これを「男らしさ」や「英雄」に大いに憧れた三島は後年「喚起」するだに「醜かった」と大いに恥じたのである)が、『仮面の告白』では「私のせいではない」同性愛を理由に持ち出すことで無答責にされ、その恥辱的意味合いが解消されているのである。(「園子」に結婚を申し込むべきところで三島は曖昧な「男らしくない」態度をとったのであり、それを後年悔恨とともに大いに慙愧したからこそ、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」三島は、己の「内部」に同性愛者「私」を「融合」して、「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった」と自己無答責化の「告白」を同性愛者の「私」にさせているのである)

たとえ同性愛的欲望だろうと他者に露呈しなければ別に恥ずかしくはないのだが、それなのに『仮面の告白』では「私」は単に同性愛的欲望を抱えているというだけで「他者」にそれを知られていないのにしきりに恥ずかしがっているのであり、事実上そう「おおっぴら」に「告白」しているのである。

三島としては『仮面の告白』執筆公表までは己を同性愛者と見せかけるつもりは全然なかった以上、それ以前に彼が「積極的な同性愛者になっていたという証拠はない」のだから、まず手始めに『仮面の告白』において単に己の同性愛的欲望を己の「心の恥部」として己の「内部」に抱えていること自体を大いに恥ずかしがることで前々から同性愛者であったかのように思わせるしかないわけである。

ところで、三島は「人に誤解されることが妙に好きで、誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ような自己韜晦癖や諧謔趣味があるのであり、だから彼のような人間は「自分の存在が裏返しになるということが、ぼくには、たまらなく面白い」(『ぼくはオブジェになりたい』)のである。

彼は己を他者に簡単に見透かされたくないのであり、己を謎めいた深遠奇怪な人間とみなされたいのである。「見栄坊」で「自尊心」の強い彼にとって、己を底の知れた浅薄な者とみなされるのは屈辱なのであり、だから己の真の欲望も他人に見透かされたくないのである。だから己の真の欲望ではなく、偽の同性愛的欲望を「押し立てて」いれば、『仮面の告白』におけるように「私の最初のejaculatio」や「悪習」を臆面もなく「告白」できるのである。大多数の中学生と同じ平凡陳腐な自慰体験をした己自身が見透かされたことにはならないからであり、己の偽の欲望を、己の仮面を、他人が真に受け、他人の裏をかくことが「たまらなく面白い」からである。これがもし三島が本当に同性愛者であったとしたら、そんな馬鹿正直な「告白」は彼には恥辱意識や矜持から決してできなかったであろう。自身を他人に簡単に見透かされてしまうことになるからだ。

三島は「誤解された自分」の姿を見せつけて他人をはぐらかすのが「たまらなく面白い」のである。「誤解された自分を押し立てて」いればこそ恥辱的なことも「その裏で告白をする」ことができるのである。他人が自分を誤解し、「自分の存在が裏返しにな」っているのをまともに受け取ったり、半信半疑でいずれとも判断しかねて戸惑ったりしているのが、彼には「たまらなく面白い」のである。

だからこそ、三島は編集者や記者など一部の人々に己を同性愛者と見せかける際に何ら恥ずかしがることもなく、むしろからかい半分の嬉々とした様子だったのである。

無論、何度も言うように、三島がそうした態度をとれるのも、「すべて醜かった」と慙愧する己の恥辱的な「過去」をまず『仮面の告白』で同性愛者の仮面を利用することにより「まるごと肯定」したと思ったからこそにほかならない。

それゆえにこそ、彼は「この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。この告白を書くことによって私の死が完成する・その瞬間に生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」(『作者の言葉』)と言うのである。つまり、三島にとり『仮面の告白』の作成は「すべて醜かった」と「喚起」する「過去」の己を抹殺することによる「生の回復」の企てなのであり、ハートブレイク後の三年間にわたる「死骸の生活」や「死の領域」からの脱出の試みなのである。

『仮面の告白』を公表したうえで、現実に同性愛者の振りをすることにより、己の過去を捏造した「告白」が真に受けられると思えばこそ、三島はその「告白的」テクストにおいて同性愛を利用した「論理」と「心理」を駆使して、つまり、そうした「『嘘』を放し飼にし」、「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」て、己の恥辱的過去を取り繕った虚構の部分を真実らしく見せかけるために、『仮面の告白』の公表に合わせて現実の場においても同性愛者の仮面をかぶったのである。『仮面の告白』を書かなければ、三島は同性愛者を装う必要はなく、また装うことは決してできない以上、それ以前の三島の人生に同性愛の実行の証拠などまったく見つからないのは当然のことである。そしてまたそれ以後の彼の人生の節々に楽しげに同性愛者を装う証拠がいろいろと見つかるのも当然のことである。それらしい証拠や「証人」は三島自身が意図的に作り出していたのである。

三島由紀夫が同性愛者だという情報の発信源は実は三島自身なのであり、それは何ゆえであるかに思い至らなければどうにもならぬ。

三島は『仮面の告白』で己の真の「恥部」(これは同性愛では決してありえない)を同性愛者の仮面をかぶって「告白」しているのであり(『仮面の告白』のこの基本的構造は彼の真の「恥部」を見抜けないかぎり剔抉しえない)、同性愛者の仮面(つまり虚構)の「論理」と「心理」で己の過去の真の「恥部」を取り繕い、正当化して、己の過去の恥辱の解消や軽減をしているからこそ、仮面(虚構)の「論理」と「心理」によって己の過去の恥辱を解消ないし軽減した記述を真に受けさせるために、『仮面の告白』を公表すると同時に現実においても同性愛者の仮面をかぶったのである。したがって、彼の過去の真の「恥部」(彼が真に恥辱的とみなす己の過去の事柄)を看破しえない者に、同性愛が彼の仮面であることを決定的に見破ることは不可能なのである。

三島は『仮面の告白』において、同性愛という社会通念上の明示的な一般的な(だから仮面として利用しやすいのだ)「恥部」を利用して、それよりはるかに深甚で根源的な恥辱である己自身の個人的な真の「恥部」を取り繕っているのである。

だから、彼の真の「恥部」、彼の「自尊心」や「見栄坊な心」をめちゃめちゃにするような深甚な恥辱的事柄、彼にとって本当の「自分の痛いこと」、そうした彼の個人的「恥部」を見抜けないかぎり、同性愛がより深甚な彼の真の「恥部」を隠蔽糊塗するための仮面とは決して分からぬため、同性愛の「告白」は(たとえ虚構めかした「告白」にせよだ)単に彼自身を今まで以上に恥辱的に見せるだけとしか思えないから、あたかも彼が清水の舞台から飛び降りるような悲壮な覚悟で己の同性愛を「告白」したかのように思われてしまうのである。

一般に隠すべきとされているもの、通念で「恥部」とされているものを、人は仮面とは思えないのだ。そういうものを覆い隠すものこそ仮面だと信じ込む。それゆえ、より根源的な真の個人的「恥部」を隠すには、より根源的でない一般的「恥部」を仮面にすれば、人はまさかその明示的な一般的「恥部」を仮面としてかぶるとは思えないから、況してや「恥部」の仮面を自己美化や自己栄化(己の「醜かった」過去の「まるごと肯定」)のためにかぶるとは到底思えないから、より根源的な真の個人的「恥部」は仮面の一般的「恥部」に誑かされた人々の目から完全に隠されることになる。

三島由紀夫の同性愛の仮面が隠蔽糊塗している彼のもっとはるかに恥辱的で屈辱的な真の「恥部」を認識しえない者には、彼の同性愛の仮面が一層恥辱的な何かを隠蔽糊塗している仮面であるとは決して思えないのである。同性愛によって隠蔽糊塗されている一層恥辱的なものを看破しえない以上、同性愛という「恥部」は何らそれ以上の「恥部」を隠蔽糊塗しているとは思われないから、今まで誰にも知られなかった同性愛の「告白」は単に今まで隠していた「恥部」を他者に自ら打ち明けるだけの行為(自己美化や自己栄化を何より欲する三島、「自尊心」や「見栄坊な心」の強い三島が、そんなことを決してするわけがないのだが)としか思われないのである。

ところが、そう思われる行為こそ、あたかも清水の舞台から飛び降りるような悲壮な覚悟で己の同性愛を「告白」したかのように思われる行為こそ、実は三島にとっては己の「醜かった」過去の「まるごと肯定」のための行為なのであり、己の過去の真の「恥部」を偽の「恥部」を利用して欺瞞的に取り繕っている行為にほかならないのである。この絡繰を見抜くことが三島論ないし三島伝の最大の要諦なのであり、『仮面の告白』のテクスト解読および作者三島由紀夫の解明のための決定的に重要な洞察なのである。

では、『仮面の告白』において三島は、「二人の人物の一人物への融合」によって、つまり己自身の心と同性愛者の心を「融合」して、同性愛という「『嘘』を放し飼にし」、「好きなところで、そいつらに草を喰わせる」ことによって、つまり「一知半解」の同性愛の「論理」と「心理」を大いに利用して、己の「醜かった」過去を、彼にとり何よりも「自分の痛いこと」を、どのようにして「まるごと肯定」しているか。

 

 

何度も言うように、三島の真の「恥部」、隠蔽糊塗したい深甚な恥辱、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する恥辱的事柄とは、入隊検査時に己の「恥辱的」な振る舞いを他者の目にさらすことによって被った恥辱であり(この恥辱意識は戦後になってから深まったのである)、もうひとつは恋人の目に己の「恥辱的」な振る舞いをさらすことによって被った恥辱である。これらの恥辱(特に前者の恥辱)が三島にとりどれほど深甚なものであったかは『仮面の告白』のテクストのみからでは充分に認識しえないのであり、しかも、それを認識しえないかぎり『仮面の告白』のテクストを十全に解読しえないのである。

 

「私の恥の立会人が、消え去ってくれることをねがった。証人さえいなかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみんな証人だ。それなのに、他人がいなければ、恥というものは生れて来ない。・・・・・・他人がみんな滅びなければならぬ。私が本当に太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬ」(『金閣寺』)

 

三島の場合も、「恥の立会人」や「証人」たる他者が現実にいたからこそ恥になったのである。「恥の立会人」や「証人」たる「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」からである。だが、彼にとって同性愛はそういう現実的な恥では全然ないのであり、その「恥の立会人」や「証人」は『仮面の告白』の執筆公表までは誰一人いなかったのだから、現実に「恥というものは生れて来ない」はずなのである。ところが、同性愛について、その「恥の立会人」や「証人」たる他人は誰一人いないはずなのに、『仮面の告白』ではしきりに恥だ恥だと「告白」されているのである。つまり、そう三島は公言しているということなのである。

三島の現実の言動から明らかなように、彼は同性愛という「恥部」に関して己の「恥の立会人」や「証人」を自ら積極的に作り出そうとしているのであって、これは同性愛を自分の本当の「恥部」と思わせようとするための仮面的行為以外の何ものでもないのである。嘘を本当と信じ込ませ、仮面を素面と信じ込ませるためには、その嘘や仮面を本当のように証言してくれる証人を自ら積極的に作り出さねばならないのである。己の真の「恥部」を隠蔽糊塗してくれる偽の「恥部」を真に受けさせるには、偽の「恥部」についての「恥の立会人」や「証人」を必要とするのである。

それゆえにこそ、三島は何人もの編集者に「これは絶対口外してくれるな」といかにも秘密めかしたように前置きして、自分はホモだとわざわざ知らせたのであって、これがもし三島が『仮面の告白』に「告白」されているような同性愛者だとしたら、己が同性愛者であることを他人に知られるのを何よりも恥じ恐れるのだから、自分はホモだなどと他人に知らせることなど、況してや楽しげにそうすることなど、絶対にありえないはずである。

同性愛者「私」は作中で「他人」や「世間」に己の同性愛を必死に隠そうとしているが、三島は現実の他人や世間に己を同性愛者と思わせたがっているのである。三島は『仮面の告白』において、同性愛者であるかのように「誤解された自分を押し立ててその裏で」己の真の深甚な恥辱を「告白」しつつ、「一知半解」の同性愛の特異な「論理」と「心理」を利用して、己の真の「恥部」を取り繕い、糊塗し、はぐらかし、正当化し、無答責化して、己の「醜かった」過去を「まるごと肯定」せんとしているのである。同性愛者として「誤解された自分を押し立ててその裏で告白」されているものこそ彼の真の「恥部」なのである。

「私が本当に太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬ」、「他人がみんな滅びなければならぬ」。しかし、「世界が滅び」ることも「他人がみんな滅び」ることも当分はない以上、「私が本当に太陽へ顔を向けられるためには」、世界に対し、他人に対し、己の被った恥をなんとかして取り繕い、隠蔽糊塗しなければならぬ。そうしなければ己の恥が尾鰭をつけて口づてに広まるであろう。これは作家として世に出、世間周知の人物になろうとしていた三島には耐えがたいことだったはずである。そこで三島は作家として世に出るにあたって『仮面の告白』を書いたのである。もし彼が作家にならなかったら、作家になろうとしなかったなら、彼は決して同性愛者の仮面などかぶらなかったはずであり、またその場合には、仮面を利用して己の真の恥を取り繕う「仮面」の「告白」を世間に公表しえない以上そんな仮面はかぶれなかったはずである。

彼の晩年の戯曲『朱雀家の滅亡』には戦後の彼の恐れの一端が示されている。ある手段を使って戦死を免れようとすることの「汚名」の広がりに対する恐れである。

同曲のなかで三島は、海軍予備学生を志願した息子経広の危険な任地を安全な場所に変えてもらうよう海軍大臣に頼みに行こうとする者に対して、父親にこう言わせている。

 

「私からお願いする。どうか大臣のところへは行かないでくれ。そんなことをしたら、すべてはおしまいになる。私ばかりか、経広の矜りも、朱雀家そのものの矜りもおしまいになる。お前は秘密は保たれるというだろう。なるほど世間に秘密は保たれるかもしれない。しかし私が知っている。お前が知っている。海軍大臣が知っている。その知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出すのだ。そういうことに比べれば、経広の命も物の数ではない」(『朱雀家の滅亡』)

 

三島自身は入隊検査時に仮病を使った兵役逃れの振る舞いを知る「恥の立会人」や「証人」を恐れたのである(「美しい死」を希求していた三島が土壇場で死の恐怖から己の美意識や矜持に最も反する振る舞いをしてしまったのだ)。自分の最大最深の「恥部」を彼らが「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」のを彼は特に戦後になってからますます恐れたのである。なぜなら、戦時の非常時には誰も自分のことに手一杯で、他人のことにかまけている余裕はないが(また戦時には「一億玉砕」により己も己の「恥の立会人」や「証人」もみな諸共に死滅するという「死の希み」もあったが)、平時になって世の中が安定してくると他人のことを気にし、詮索しだすからである。また、戦後には生き残った「恥の立会人」や「証人」も復員して来るからである。そして、小説家として世間に知られるようになれば、入隊検査時のあの肺病だったはずの男だと知る者も出てくることを三島は当然意識したはずである。

かくして三島由紀夫はプロ作家としてのデビュー作として同性愛を利用した「論理」と「心理」で己の真の「恥部」を取り繕った『仮面の告白』を書き、その虚偽の取り繕いを真に受けさせるためにこそ現実の世間に対しても同性愛を匂わせるような言動を陰に陽に見せつけるようになったのである。少年時から「美しい死」に憧れ、戦時には神風特攻隊の「英雄的」で「悲劇的」な「壮烈な死」を賛美憧憬していた彼にとり、「弱虫の卑怯者」の「汚名」が広まる恥辱や恐れに比べれば、日本社会において同性愛者ではないかと疑われるくらい別にどうということはないのだ。特に戦後の三島は「人から、『あいつは男らしくない』と言われるのは大の不面目」だと感じていたのである。

三島は昭和四十三年に己の作家としての出発時を振り返ってこう書いている。

 

「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために!

小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。

客観性の保証とは何か? それは言葉である」(『小説とは何か』)

 

ここで三島が『仮面の告白』を念頭に置いて語っていることは明白である。「告白型の小説家」とはまさしく『仮面の告白』の作者としての自分自身を指していることは言うまでもあるまい。

三島が彼自身をあたかも同性愛者と思わせるような『仮面の告白』を書き、同性愛の仮面の「論理」と「心理」を利用して取り繕ったとはいえ、己の真の「恥部」(特に仮病を使った兵役逃れの言動)を自ら公表したことは、さながら「印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせる」ようなことであるが、それは「とりもなおさず身の安全のため」なのである。なぜなら、「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取し」、自ら手心を加えて「唇や頬」の刺し傷程度の「加害」にとどめて、他人から「致命傷」を加えられないように工夫したからである。その工夫が功を奏したかどうかは疑問であるが。

つまり、己の真の「恥部」を自ら暴露したことで「印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせ」はしたが、その傷口から直接急所を突かれないように、仮面の「恥部」を盾として用い、「他人の加害」の鋒先を仮面の「恥部」に向けさせ、「他人の加害」がそれ以上己の真の「恥部」に及ばないようにしたからである。仮面の「恥部」で真の「恥部」を覆ったからであり、要するに仮面で己の傷口をふさいだからである。他人に最も触れられたくない己の真の急所(つまり「自分の痛いこと」)を突かれないようにするために偽の急所、仮面の急所(日本社会では実は大した急所でもないのだが、『仮面の告白』では大層な急所のように大袈裟に「告白」している)をでっち上げて、この仮面の急所の方を他人に突かせることにより、己の真の急所を突くおそれのある他者の穿鑿の鋒先をかわして「致命傷」を免れんとしたのである。

彼の真の「恥部」は元来はほんの少数の者にしか露呈していなかったにせよ、もしそのまま放っておいたら、「恥の立会人」や「証人」が「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」であろうし、「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」ので、そうなる前に、「小説家になろうとし、又なった人間」である三島は「人生に対する一種の先取特権を確保し」て、言葉による「武装」、最も「自分の痛い」ところを言葉によって「武装」することを考え、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」『仮面の告白』を書いたのである。

同性愛は、彼の過去の「自己」を、「恥辱的」な「自己」を、「醜かった」「自己」を、「いかに隠すか、という方法」のために必要不可欠なものとして要請された仮面なのであり、これこそ『仮面の告白』で「放し飼」にされている「嘘」なのであり、三島は「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。

「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書い」て、かつてあったところの己を示さんとしたが、三島が「この小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からであ」って、彼はかつてあったところの恥辱的な「醜かった」己を隠蔽糊塗し、抹殺したいという欲求から『仮面の告白』を書いたのである。

したがって、『仮面の告白』は三島がそれまで隠していた同性愛という「恥部」を自ら赤裸々に暴露したフィクションめかした告白的テクストではさらさらないのであり、それどころか、実は、同性愛という偽の「恥部」、仮面の「恥部」を利用して、己の真の「恥部」を隠蔽糊塗し、取り繕った仮面的テクストなのであり、しかも仮面をかぶった真の「恥部」の「告白」でもあって、まさに『仮面(をかぶりつつ真の「恥部」を示した真実)の告白』なのであり、『仮面(によって真の「恥部」を取り繕った虚偽)の告白』なのである。

 

 

三島由紀夫は「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところ」であったのに、彼女と結婚しえなかったのは「私の逡巡から」と言う彼の言葉が示している理由によるものである。彼のハートブレイクが彼自身の「逡巡」に起因するものであったればこそ、彼は深く後悔し、慙愧したのである。

当時、彼がなぜ「園子」との結婚に「逡巡」したかについては、彼がまだひどく「夢見がち」であったことも理由の一つであろう。自分が「夢見がち」だったことが恋の破局の原因だと自覚していればこそ、その後悔と慙愧から「今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくなりました。・・・・・・そして思春期のような、いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地というものは、だんだん薄れていきました。もっとなまみの人生に接することにしか喜びが感じられなくなりました」と言うのである。要するに、ひどく「夢見がち」に生きていた思春期の三島は「いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地」に浸っていたのである。

また、将来は何としても小説家になりたいと夢見ていた三島、終戦のときには「新しい、未知の、感覚世界の冒険を思って、私の心はあせっていた」(『八月十五日前後』)と言う三島は、戦後社会に向けていろいろな夢を抱いていたのであり、まだ当分は結婚する気にはなれなかったのだと思われる。

つまり、三島が「園子」との結婚に「逡巡」したのは、『仮面の告白』で「告白」されているような同性愛が原因ということでは無論さらさらないのである。もし三島が同性愛者であるために彼女との結婚に「逡巡」したとすれば、後年彼が別の女性と結婚しうるわけがあるまい。この点の認識が三島の仮面を看破するために重要なのである。

しかし、また、当時まだ大学一年生で別に収入もなかった三島に彼女がなぜ結婚申し込みを急がせたのかという問題もある。これについては三島と「草野」家とのあいだの微妙なわだかまり、特に彼女の祖母に三島が気に入られていなかったことが大きく関与しているように思われる。

「草野」家では三島と「園子」の交際を知りながら、彼女には「敗戦直後のころから、べつの縁談がもちこまれていた」(村松剛『三島由紀夫の世界』)のである。そこで危機を感じた彼女は三島に早く結婚を申し込んでくれるよう何度となく求めたのだが、三島ははっきりした返事をせず「逡巡」したのである。

彼女に「べつの縁談がもちこまれていた」からといって、あわてて結婚を申し込むというのも三島の矜持や美意識に反したのかもしれないし、あるいは、彼女が自分以外の男と結婚などしやすまいと高を括っていた部分もあったのかもしれないが、いずれにせよ、彼自身の「逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」こと、そこに彼の深甚な悔恨と慙愧があったことは確実である。『盗賊』創作ノートには「他所の花は赤い」という書き込みが見られる。

昭和二十年十一月末頃に「園子」の婚約を知って、三島が「個人的事件」と言うようなハートブレイクの衝撃的挫折体験をし、翌年五月五日の彼女の結婚式当日に生まれて初めて泥酔したのであるから、三島が彼女との結婚を欲していたことは確実である。だからこそ彼女の結婚によって「私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない」ものとなったのである。

昭和二十年二月十日に本籍地の兵庫県で入隊検査を受け、軍医に肺浸潤と診断され、即日帰郷となった三島であったが、帰京した三島は友人の「草野」には当時互いに「土曜通信」と称した毎週の葉書のやり取りで肺浸潤のため即日帰郷になったことを打ち明けている。小学生のころからずっと付き合ってきた親友の「草野」は三島が肺浸潤でないことは承知していたであろうから、軍医の誤診で兵役を免れたことを「草野」には知らせないわけにはいかなかったであろう。それまで三島は「美しい死」や「悲劇的な死」に憧れ、特攻隊を賛美憧憬し、「草野」には威勢のいい勇ましいことを言っていたのだから、即日帰郷になったことを打ち明けるのは少々後ろめたかったはずである。況してや三島は、前年十月十七日に「草野」が入隊するとき上野駅に見送りに行った際、出来上がったばかりの処女作品集『花ざかりの森』を献呈していたのだからなおさらである。というのは、同書の「跋に代えて」と題された後書きに、たとえば「蓮田善明氏は再び太刀を執られて現に戦の場に立っておられ・・・・・・遥かに御武運の長久を祈りつゝ懐しさに堪えない」とか、「伊東氏は、上官の部屋へ食事を捧げて、『はいります!』と云って入ってゆく兵卒のよさを云われた。私は草莽の臣という言葉が伊東氏や保田与重郎氏の浪曼主義をとおしてのみきょうの文学に新たにされた所以を思った」などと、「太刀を執られて現に戦の場に立っておられる」者の「御武運の長久を祈」るとか、「草莽の臣」を称えるようなことを書きながら、自分は四か月後の翌年二月に入隊検査で仮病を使って兵役逃れをしたからである。

三島は「跋に代えて」について後年こう言っている。

 

「十九歳の私は純情どころではなく、文学的野心については、かなり時局便乗的でもあったことを自認する。『花ざかりの森』初版本の序文などを今読んでみてイヤなのは、その中の自分が全部そうだとはいわないが、何割かの自分に、小さな小さなオポチュニストの影を発見するからである。(中略)しかし、よくまあ、『花ざかりの森』のごとき不急不用の小説集が、すでに空襲のはじまっていた東京で出たものである。どうしても用紙割り当てを確保しなければならないので、私はその申請書に《皇国の文学伝統を護持して》とか何とか、大へんな文句を並べたのをおぼえている」(『私の遍歴時代』)

 

ここで三島が「序文」と言っているのが実は「跋に代えて」と題された後書きなのである。彼がなぜ跋文を「序文」と言うのか、単なる勘違いなのか、ある種のはぐらかしなのか、それはともかく、この「跋に代えて」は戦後に生き延びた彼には恥辱的なものであった。そこに彼は「時局便乗的」な己の姿を見、「小さな小さなオポチュニストの影を発見するから」であり、さらにそうした「時局便乗的」な文章を公表しながら、その後入隊検査で必死に仮病を使って兵役逃れしたからである。三島の「卑怯者」意識や「裏切り者」意識はここに生じるのである。

無論、当時の三島は「皇国の文学伝統を護持し」たいがために『花ざかりの森』を出版したわけでも、「跋に代えて」のような文章を書いたわけでも毛頭ない。自著出版のための単なる手段として「申請書の出版目的という項に、私はいろいろと時勢に迎合した大ハッタリを並べた」(『「花ざかりの森」出版のころ』)にすぎないのである。思春期の三島は薄命の泰西浪漫派詩人に憧れ、とりわけ『ドルジェル伯の舞踏会』を書いて二十歳で夭折したラディゲに憧れ、「私も何とか二十歳前にこんな傑作を書き、二十歳で死んだら、どんなにステキだろうと思っていた」(『一冊の本「ドルジェル伯の舞踏会」』)のであり、それゆえ「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたいという思い」(『私の遍歴時代』)から『花ざかりの森』を何としても出版したかったので、「時局便乗的」な「大へんな文句を並べた」のであり、「いろいろと時勢に迎合した大ハッタリを並べた」にすぎないのである。

また、戦時の彼が神風特攻隊を賛美憧憬したのも、夭折した泰西浪漫派詩人を賛美憧憬するのとまったく同じ気持ちからであり、自分も彼らのように悲劇的な夭折をして、人々に哀惜され、賛美憧憬されたいという自己愛と自己美化の欲求からであって、彼が晩年に標榜したような「思想や信仰」から特攻隊を賛美憧憬したわけでは毛頭ないのである。

戦時の三島のこうした文章に彼が晩年に掲げたような「神」を奉じる「思想や信仰」(これは三島にとっては単なる見せかけの仮面である)の原点が見られるとか、かつて彼が胸底深く秘めていた「思想や信仰」が晩年に噴出したなどと考えるのはまったくの妄想であり、誤解である。そんな御伽噺みたいな「精神」など現実には決してありえないのだ。三島にとって戦時のそうした文章は単に当局から自著の出版許可を得るため時局に便乗して書いたものにすぎないのである。

晩年の三島にしても、「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えて、自己愛や自己美化や自己栄化の欲求から「壮烈な死が決して滑稽ではない」「英雄的な死」に見せかけるために天皇主義的な「思想や信仰」を利用することにしたのであって、そんな「思想や信仰」のために自決したわけでは毛頭ないのである。まず自決が決まっているのであり、その自決を粉飾するために「思想や信仰」が要請されたにすぎないのである。

ところが晩年の三島は平時の自死をなんとか「英雄的な死」に見せかけるための「思想や信仰」を前々から心底奉じているように見せかけようとして、単に「時勢に迎合した大ハッタリを並べた」にすぎなかった戦時の己の文章も己の「思想や信仰」から書いたかのように読み替えさせようと画策するのである。無論それは三島自身が「ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行」かさんとするための欺瞞的な工作の一つなのである。

昭和四十三年に彼は『花ざかりの森』についてこう書いている。

 

「何故あんな統制のきびしい時代に、あんな妙な本の出版が許可になったのかわからない。しかし、少くともその一斑は、私の《思想》にあったことは明白である。『花ざかりの森』は、横から見ても縦から見ても、《左翼の本》でなかったことだけはたしかだからである」(『「花ざかりの森」出版のころ』)

 

「左翼の本」でなかったからといって、「右翼の本」ということになるわけでもないのだが、「英雄たらんがため」に「思想」を欲しがった晩年の三島は無理やり己を、そして自死を、「左翼」でない「思想」、戦時に特攻隊を「英雄」と賛美したような「思想」と結びつけようとするのである。『花ざかりの森』は左翼「思想」の本でないのとまったく同様に右翼「思想」の本でもないのである。

昭和四十一年には、「たしかに二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた」(『二・二六事件と私』)と書いているが、これも「神」を奉じる「思想や信仰」と己が前々から結びついていたかのように、少年時代からそんな「思想や信仰」を抱いていたかのように、見せかけようとする必死の仮面的試みによる無理やりのこじつけ以外の何ものでもないのである。

昭和三十八年末に、「もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに《見える》というところまで行ったら、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」と書いた三島は、以後「思想と信仰」を標榜した見せかけの言葉と行動による徹底的な自己演出を企てたのである。だが、この問題については詳しく後述しよう。

 

三島が戦後社会に作家として出発するために『仮面の告白』を書いたのは、己の戦時の「恥部」を「告白」しつつそれを仮面を利用して取り繕うためなのである。つまり「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取して」自ら「恥部」を鼻をつまみつつ打ち明けたのだ。正にかかる「告白」を『仮面の告白』は仮面を利用して取り繕いつつ行なっているのである。「とりもなおさず身の安全のために!」

とにかく、いろいろな事態を予測し、先回りして手を打つのが三島のやり方なのであり、「行動のあとから辻褄をあわせた論理」をでっち上げて言い訳するのが彼のやり方なのである。

小説家としていよいよ戦後社会に胸張って生きていこうと決意した三島は、己の過去の「恥部」をそのまま放っておいて、「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」と思い、それではこれから胸張って生きていけないため、仮面を利用して己の「恥部」を粉飾糊塗した『仮面の告白』を執筆公表することで「他人の加害を巧く先取し」たのである。「小説家になろうとし、又なった人間」である三島は「人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ」。

 

Y

 

昭和十九年十月に三島は『花ざかりの森』を入隊する「草野」に献呈し、「草野」は軍隊に私物を持っていくわけにはいかないので、その本を見送りに来た家人に預けたのであるから、「草野」家の人々はその本を読んだであろうし、三島も当然そう思ったであろう。ここまでのところには三島が恥辱を覚えるようなことは特にない。同書の「跋に代えて」に「時局便乗的」な己や「小さな小さなオポチュニストの影を発見」して「イヤ」がるのは、すでに仮病を使った兵役逃れを体験した後の戦後の三島であって、問題の入隊検査をまだ受けていない時点では、それを「草野」家の人々に読まれたところで三島は何ら恥辱的には思わなかったはずである。そうした「時局便乗的」な文章は当時の一般的な風潮だったし、また当時の三島は政治的社会的意識や批判精神もまだ大して発達していなかったから、支配的な風潮に唯々諾々として従うことの卑小さに対する意識も希薄だったからである。

昭和二十年二月二十三日に「草野」の母親から電話があって、そのとき三島は入隊検査で即日帰郷になったことを知らせているから、この時点で「草野」家の人々は三島の兵役不合格を知ったのである。このあたりから三島は「草野」家の人々に対して後ろめたさやわだかまりを感じるようになったと思われる。

昭和二十年六月に三島は「草野」家の疎開先の軽井沢に「園子」に会いに行った。三島は『わが思春期』で当時のエピソードを次のように語っている。

 

「私は女ばかりの家族に迎えられた一人の青年として歓迎されました。ただ私の顔色の悪いことが、彼女のおばあさんの注意を引きました。

『どこかおからだでも悪いんじゃないの?』

と、そのおばあさんはいつもの透き通った、かわいらしい声で言いました。それが無邪気に言われただけに、私はどきりとしました。私が胸膜炎でないことはよくわかっていたにもかかわらず、その言葉は私がおばあさんの試験をパスしなかった一つの証明のように思われるのでした」

 

三島が「園子」の「おばあさんの試験をパスしなかった」ため、彼が「園子」への結婚申し込みに「逡巡」しているあいだに「草野」家では「園子」の縁談が別に進められていたように思われる。少なくとも三島はそう考えているようである。

三島が「胸膜炎でないことはよくわかっていたにもかかわらず」、彼が「園子」の「おばあさんの試験をパスしなかった」ことは、「どこかおからだでも悪いんじゃないの?」という「おばあさん」の言葉が証明しているように彼には思われたのである。そう言われたとき三島はなぜ「どきりとし」たのか。「それが無邪気に言われた」と三島は本当に思っていただろうか。軍医の誤診で運よく兵役を免れた自分に対する皮肉のように聞こえたのではないか。最も「自分の痛いこと」に婉曲ながら触れられたからこそ「どきりとし」たのではないか。「園子」の「おばあさん」は三島が兵役を免れたことを当然すでに知っていたはずであり、彼が「胸膜炎でないことはよくわかっていたにもかかわらず」、「どこかおからだでも悪いんじゃないの?」と言ったのである。それがはたして嫌味な皮肉に三島には聞こえなかったであろうか。とすれば、ここは三島が「彼女のおばあさん」をあまり底意地悪く描かぬよう「草野」家に配慮して語っているように思われる。いずれにせよ当時の三島が己の最も触れられたくないことに間接的に触れられ、己の最も「喚起」したくないことを「喚起」させられたことは疑いを容れまい。

当時のことは『仮面の告白』ではこう書かれている。

 

「園子が私を伯母に紹介した。私は気取っていた。私は一生懸命だった。皆が暗黙のうちにこう言い合っているように思われた。『園子は何だってこんな男を好きになったんだろう。なんて生っ白い大学生だろう。こんな男の一体どこが好いのかしら』」

 

当時の三島も「草野」家の人々のこうした「暗黙」の声を薄々は感じていたかもしれないが、自分が彼らにそう思われていることに対する彼の恥辱意識も当時はそれに応じて希薄だったであろう。戦後に「草野」家では「園子」の縁談が別に進められ、結局彼の「逡巡から」彼女が別の男と婚約し、結婚してしまったことで、やはり自分は「草野」家の人々にそう思われていたのだと強く確信するようになってから彼の恥辱意識もハートブレイクの苦しみと相俟って強まるのである。

後知恵の認識によって過去の己が一層恥ずかしく思われるということは誰しもが多少は覚えがあろうが、自己美化を何より欲する三島のような人間はそうした反省的認識による恥辱意識や自己嫌悪も深甚なのである。

兵役忌避に関する恥辱意識が戦後に深まり、さらに昭和二十年末のハートブレイクによって苦悩や慙愧とともに過去の己に対する嫌悪が深まっていったからこそ、三島は「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と言うのであり、『仮面の告白』を書くまでのその三年間が彼にとり「死の領域」や「死骸の生活」だったのであって、それゆえ「自尊心」や「見栄坊な心」の強い三島は「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思」い、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」『仮面の告白』を書くことで「生の回復」を図ったのである。

つまり、『仮面の告白』は仮面を利用して過去の「恥辱的」な「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しようと図ったテクストなのであり、この仮面の「恥部」を彼の真の「恥部」とみなしているようでは、彼の仮面を見破ることは到底できないのである。

当時の三島は青白い顔色をし、見るからに虚弱で、「生っ白い大学生」だったから、「草野」家では「園子」の相手としてもっと健康な若者を望んでいたのかもしれない。三島もそれは薄々感じていたかもしれないが(当時の体験に基づいた昭和二十二年作の短編小説『夜の仕度』に、「彼は烈しい嫉妬なしには、戦争が済むと共にかえって来る大勢の健康な血色のよい若者たちを思い浮べることができなかった」と書いている)、当時の彼は薄命の浪漫派詩人に憧れていたから、己の虚弱な体躯に対してさしたる恥辱意識もなかったであろう。むしろ三島は己の虚弱さを利用して兵役を免れようとしたのである。

昭和十九年五月十六日に彼は本籍地の兵庫県で徴兵検査を受けたが、それは「私のようなひよわな体格は都会ではめずらしくないところから、本籍地の田舎の隊で検査をうけた方がひよわさが目立って採られないですむかもしれないという父の入知恵」(『仮面の告白』)を受け入れたからである。「美しい死」として浪漫派詩人のような夭折に憧れていた三島であったが、畢竟それは自己愛と自己美化の甘美で安穏な夢想にすぎず、本心から死にたいと欲していたわけではない。

 

「彼は詩人の薄命に興味を抱いた。詩人は早く死ななくてはならない。夭折するにしても、十五歳の彼はまだ先が長かったから、こんな数学的な安心感から、少年は幸福な気持で夭折について考えた」(『詩を書く少年』)

 

だが、いざ現実的な死が間近に迫ってくれば、「こんな数学的な安心感」など吹っ飛んでしまうから、自己愛と自己美化の甘美な夢想のなかだけで夭折に憧れていたにすぎない三島は、最早「幸福な気持で夭折について考え」ることはできず、昭和十九年五月には徴兵検査で不合格になるよう「本籍地の田舎の隊で検査をうけた」のであり、そして昭和二十年二月には入隊検査で必死に仮病を使って兵役逃れをしたのである。

十八歳当時の三島は、友人に「君はsterben(死)する覚悟はあるかい?」と訊かれ、「私は目の前が暗くなるような気がし、人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のであり、「どうせ兵隊にとられて、近いうちに死んでしまうのである。それを想像すると時々快さで身がうずく。でも、よく考えると死は怖いし、辛いことは性に合わず、教練だって小隊長にもなれない器だから、何とか兵役を免れないものかと空想」していたのである(『十八歳と三十四歳の肖像画』)。

要するに、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」三島、「よく考えると死は怖い」から「何とか兵役を免れ」たかった三島が、徴兵検査を受けるにあたって「父の入知恵」を受け入れたのは当然至極のことであり、また、翌年二月の入隊検査で、軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われて、「サッと手を挙げ」て肺を患っている振りをしたのも、その理由は明々白々なのである。

つまり、三島が入隊検査で仮病を使って兵役逃れした理由は、言うまでもなく「死は怖いし、辛いことは性に合わ」なかったからであり、そのことは彼自身には無論明々白々だったのであるから、『仮面の告白』で「告白」されているように「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? ・・・・・・何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」などと彼が疑問に思うことなど決してありえないのであり、そうした己の兵役逃れの行為の理由が「私にはわかりかねた」はずが断じてないのである。この点の認識が三島の仮面を看破するために決定的に重要なのである。

『仮面の告白』の作者は三島由紀夫なのであり、彼は「死は怖いし、辛いことは性に合わ」ないから「何とか兵役を免れ」たいと思っていたのである。そういう作者が『仮面の告白』を書いたのであり、入隊検査で軍医に肺浸潤と誤診され、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」(『わが思春期』)だった三島が『仮面の告白』の作者なのである。

『仮面の告白』の作者は同性愛者ではないのである。

つまり、自分が同性愛という「心の恥部」を抱えた同性愛者であるため、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」(『仮面の告白』)として、あたかも自分は「生が、行手にそびえていない」同性愛者である以上「軍隊の意味する『死』からのがれ」ようとする積極的な理由などないかのように「告白」し、そんな自分がどうしてあんなに必死になって軍隊を忌避し、兵役を、「死」を、逃れようとしたのか、その理由が「私にはわかりかねた」などというような同性愛者が『仮面の告白』の作者では断じてないのである。

三島由紀夫は己の兵役逃れの行為の理由が「わかりかねた」ような同性愛者では決してありえないのである。同性愛は兵役逃れをした理由を「わかりかねた」と無答責にする「論理」と「心理」をもっともらしく見せかけるためにでっち上げられたのである。

作者が三島由紀夫であるテクストと認識することによって彼のテクストを解読できるのであり、作者を解明できるのである。あるいは少なくともそうした解読や解明の可能性が開けるのである。テクスト(の解読)は作者が誰であるかに関わりない(無論、そうしたテクストもありうるが)と盲信しているかぎり、単なるオカルト的解釈(あるいは御伽噺的解釈)がいつまでもまかり通ることになるのだ。テクストのみから必ずしもテクストを解読できず、作者のみ(これはどんな「作者」なのであろう。何の精神活動もせず、その痕跡も示さぬ「作者」など決してありえないのだが)から作者を解明できない。双方の統合によって双方が解き明かされるのである。あるいは少なくともその可能性が開けるのである。

『仮面の告白』は、あるいは『仮面の告白』のこれこれの部分は、作者が三島由紀夫だからこそ仮面的テクストだと看破しうるのである。無論、この場合、「三島由紀夫」という「署名」だけではどうにもならない。テクストと関連した部分でいかなる「作者」であるかが問題なのである。「作者」の精神、経験、心情、足跡、等々が問題なのである。要するに「作者」の唯一無二の「生」が問題なのである。

三島のテクストは「作者が三島であるテクスト」と認識して解読しうる可能性が開けるのだが、こうした解読は圧倒的に困難なのである。それは要するに他我認識が圧倒的に困難だからである。Individuum est ineffabile(個は語り難し)だからである。だからといって、他我を、「個」を、絶対的に認識不可能とみなすのも誤りなのである。

あるテクストが作者が誰であるかによって仮面的テクストである場合とそうでない場合があるということ、この点(これはテクスト解読上および他我認識上決定的に重要である)を確実に認識しえないかぎり、テクストの固有性を絶対的に把握不可能だとするテクストの見せかけに誑かされた「テクスト論」に幻惑されてしまうこと請け合いである。作者を捨象し、テクストを「第一の前提」にするかぎり、まさにテクストはそうしたものとしてしか決して現象しえないからである。テクストは「公」たる言葉で構成されている以上、テクストのみからテクストの固有性を決して捉えられないのであり、「個」たる作者との関係においてしかテクストの固有性は把握しえないからである。

三島が戦争末期に入隊検査で仮病を使って必死に兵役逃れをしたこと、戦後は彼の「逡巡から」恋に破れたこと、これら二つの事実にはいずれも彼にとって、特に後年の彼にとって、深甚に慙愧せざるをえないきわめて恥辱的な振る舞いとして心中にわだかまっており、そして、いずれの恥辱的振る舞いも『仮面の告白』で「告白」されているが、そうした彼の過去の「恥部」がいずれも同性愛という別の「恥部」を利用した強引な「論理」と「心理」によって欺瞞的に取り繕われているのである。かくして三島は「すべて醜かった」と慙愧する過去の恥辱的な「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しようとしているのである。

軍隊ないし死の忌避と恋の挫折に関わる以上二つの恥辱的体験こそ、後年の三島が「喚起」するだに「醜かった」と慙愧せざるをえないものであり、戦後社会に胸張って生きてゆくためには何とかして隠蔽糊塗し、取り繕いたい「恥部」なのである。だからこそ三島は『仮面の告白』について、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」と言うのである。

『仮面の告白』は仮面を利用することにより己の過去を欺瞞的に塗り替えて、いわば過去の己を抹殺して、戦後社会における己の新生に向けて出発せんとして書かれたテクストであればこそ、三島は「この作品を書くことは私という存在の明らかな死であるにもかかわらず、書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつつあるような思いがしている。これは何ごとなのか? この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。この告白を書くことによって私の死が完成する・その瞬間に生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」(『作者の言葉』)と言うのであり、また、「この本は私が今までそこに住んでいた死の領域へ遺そうとする遺書だ。この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとってフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上って生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である」(『「仮面の告白」ノート』)と言うのである。

つまり、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」という三島は、その戦後三年間に及ぶ「死の領域」で「メランコリーの発作」に呻吟していたのであり、その不毛の「死骸の生活」からの懸命な徹底的訣別を決意して、死の淵から何とか這い上がろうとして案出した同性愛の仮面の設定によって己の過去の文脈を仮面を遡行させて逆転させ、「醜かった」と「喚起」する過去の恥辱的屈辱的な己(の振る舞い)を仮面の「論理」と「心理」で取り繕った『仮面の告白』を「死の領域へ遺そうとする遺書」として書くことにより、「裏返しの自殺」「生の回復」を図ったのである。

かかる仮面の「論理」と「心理」さらには「生理」を己の過去の人生の文脈に遡行させ、己の真の過去を仮面の文脈の背後に葬り去って、「喚起」するだに「醜かった」過去の己を抹殺することになるという意味で、「この作品を書くことは私という存在の明らかな死であ」り、「裏返しの自殺」となり、同時に「生の回復術」となるのである。

己の新生のため、「死の領域」から、死の淵から、生きる決意をした三島は、仮面を利用することにより、あたかも映画フィルムを逆回転させるようにして、己の「内部」の前半生に後知恵の仮面の「論理」と「心理」と「生理」を強引に遡行させて、「すべて醜かった」と「喚起」する己の過去の文脈を逆転させて、死への墜落の途中から断崖の上へ飛び上がったのである。

ところで、己の過去の恥辱的行動を取り繕うためには、取り繕うべき恥辱的行動をとにかく示さざるをえない。他者に目撃されたからこそ恥辱になったのであり、他者の目に可視的になった己の恥辱的振る舞いを言い訳し、取り繕うのが目的なのだから、他者の目に可視的になった己の恥辱的振る舞いについて事実に反することを言うわけにはいかず、もしそれについて嘘をつけば、己の目的を果たすことができなくなるからである。したがって、取り繕い、言い訳するために用いる「論理」は仮面の論理、嘘の論理にしても、その虚構の「論理」を用いて取り繕われ、言い訳されている己の恥辱的振る舞いについては事実を示さざるをえないのである。他者の目に可視的になった己の恥辱的振る舞いを「告白」したうえでそれを取り繕わねばならないのである。そこで、己の過去の「恥部」を取り繕い、言い訳するために用いる仮面の論理、偽の論理を他者に真に受けさせる必要があるのだ。要するに、後知恵によりでっち上げた仮面や嘘を他者に真に受けさせねばならぬのである。

かくして、でっち上げた仮面を前面に押し立てて、この仮面の「論理」と「心理」で己の過去を統一的に塗り替えて、己の真の「恥部」を取り繕いつつ「告白」することになるのだ。己の仮面を見せつけて、その裏で己の本当の「恥」を「告白」するのである。すなわち「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」のである。

己が真に恥辱を感じていることは決して直には「告白」できないのであり、仮面の「論理」で取り繕ったうえでしか「告白」しえないのであり、それゆえ仮面の裏でしか「告白」しえないのである。したがって、三島が己の真の「恥部」を「告白」するには、「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」という形にならざるをえないのである。「誤解された自分」すなわち己を他者に誤解させるための仮面を前面に「押し立ててその裏で告白をする」という形にならざるをえないのである。

したがって、もし同性愛が三島の本当の「恥部」だとしたら、彼は同性愛を決して直に「告白」せずに、「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」はずであるから、『仮面の告白』のように同性愛を前面に押し立てて直に「告白」することなど彼には決してできないはずであり、そんな馬鹿正直な「告白」を彼が金輪際するわけがないのである。前面に押し立てられているものは「誤解された自分」すなわち彼が他者に「誤解させた自分」なのであり、彼がでっち上げた仮面なのである。同性愛は三島の仮面なのである。仮面の「恥部」なのである。他者の注意を引きつけるための囮の「恥部」なのである。

つまり、三島は『仮面の告白』で同性愛という仮面の「恥部」を「押し立ててその裏で告白」をしているのである。己が心底恥辱を感じている己の本当の「恥部」は決して直には「告白」できないため、己が大して恥辱を感じていない仮面の「恥部」を「告白」しているかのように見せかけて(そのためには仮面の「恥部」を心底大いに恥じているように見せかけねばならぬ)、その仮面の裏で己の本当の「恥部」を仮面の「論理」と「心理」で糊塗しつつ「告白」しているのが『仮面の告白』なのである。

作者はテクスト内に存在しているわけではなく、テクスト外の現実世界に存在しているのである。テクスト外の現実の作者にとっては、『仮面の告白』の執筆公表自体が実は「おおっぴら」な同性愛の見せつけ以外の何ものでもないのである。同性愛を大いに恥じているのは『仮面の告白』のテクスト内における同性愛者「私」なのであって、決してテクスト外の実在の三島ではないのであり、三島の仮面なのである。テクスト外の現実の三島は編集者や記者らにほとんど面白半分に「おおっぴら」に同性愛者めいた振る舞いを見せつけているのである。

テクスト内の文脈とテクスト外の現実の文脈を同一視してはならない。両者を同一視することはテクストのオカルト的解釈や御伽噺的解釈に通じる道である。だからといって、テクストとテクスト外の現実が無関係だというわけではない。それどころか、実はテクスト自体がテクスト外の現実(作者を含む)に属しているのであり(すべてのテクストは一つの証拠ないし痕跡として現実に残されている)、かかる現実との関係においてテクストを解読しなければならないのである。テクストのみではテクストの正否や虚実や仮面的か否かを認識しえないのである。テクストの作成は作者の精神活動であるから、それは作者を形成するものなのであり、したがってテクストなくして作者を充分に構成しえないのであり、認識しえないのである。だから、テクストを別にして作者の伝記は成り立たないのであり、このことを確実に認識することが決定的に重要なのである。

 

「現実をテクストとして研究せよという現在流行の指令は、いかなるテクストもテクスト外的な現実への参照なくしては理解されえないという自覚によって補完されるのでなくてはならない」(ギンズブルグ『証拠をチェックする』)

 

ところが、こうした「自覚」を「現在流行の指令」がどこまで把持しているかが問題なのである。「現実をテクストとして研究せよという現在流行の指令」では、テクスト外の現実も「テクスト」と称されるため、テクストとテクスト外の現実との関係が曖昧になり、一向に鮮明化されないのである。テクストは言葉のみで構成されているが、現実は全然そういうものではないのである。また、「現実をテクストとして研究せよという現在流行の指令」を発する者が、かつてはテクスト外の現実(たとえば作者)を捨象していた場合、自説の欺瞞的な整合化をしようとすれば、事態の混乱紛糾や知的混迷はますます深まっていくことになろう。

要するに、テクスト以外のものまで「テクスト」と称されてしまえば、つまりテクストでないものまで「テクスト」と称されてしまえば、テクストとテクスト外のものとの関係を認識し難くなるため、そうした「テクスト論」は問題を徒に混乱紛糾させ、錯雑曖昧な議論にならざるをえないのである。かつてはテクストのみで足れりとしていた自説が、そのままでは持たなくなってきたことにひそかに気づいて、テクスト以外のものまで「テクスト」と称することで、かつての自説を欺瞞的に読み替えさせることによって延命を図ろうとしたとすれば、それはまさに「知の欺瞞」以外の何ものでもないであろう。

すでに簡単に指摘したように、一般に自然科学のテクストは万人に開かれた外的な自然現象(テクスト外の現実)に照らして真偽や正否が判断され、また数学のテクストは普遍的な数学的合理性に照らして真偽や正否が判断されるから、こうした分野のテクストの真偽や正否を判断するために作者を関与させるには及ばないのであるが、作者自身の事柄に関するテクスト(あるテクストが作者自身の事柄に関するテクストであるか否かは必ずしも容易に認識しうることではない。かかる認識が解読に決定的に重要であるようなテクストもあるのだが、作者捨象を前提にしているかぎり、そのようなテクストを解読しえないのであり、テクスト解読上何が問題になるかも認識しえないのである)は作者(テクスト自体も作者を部分的に形成しているのであり、テクスト作成とともに作者は生成しつつある存在なのであって、こうしたことの認識がテクスト解読上きわめて重要なのである)を知らないかぎりテクストの真偽や正否を容易に判断しえないのである。

一般的には前者の分野のテクストの場合には、テクストの真偽や正否が作者個人には関わらないところで判断できるから、テクストの真偽や正否を判断するのに作者個人を関与させるには及ばないが、後者の分野のテクストの場合には、作者個人を関与させないかぎり、その真偽や正否を判断することはできないのである。

したがって、テクストとテクスト外の現実の関わり方や、テクスト外の現実のいかなる部分がテクストにいかなる仕方で関わっているかを認識することが、テクスト解読上不可欠なのであるから、テクスト外の現実も「テクスト」と称してしまっては、議論が混乱紛糾してしまうのであり、問題の所在がいつまでも明らかにならないのである。

 

さて、三島は特に『英霊の声』を書いてから「神」を奉じる「思想や信仰」を盛んに標榜しはじめ、「楯の会」を組織し、最後に「天皇陛下万歳」を叫んで自決したことから、あたかもそうした「思想や信仰」に殉じて自殺したかのように思われがちだが、それは彼がそう思わせるように晩年の言動を数年がかりで周到に仕組んだためなのであって(これについては徐々に立証を試みよう)、他者の生の外的表出をその内部の洞察なくして勝手に解釈するわけにはいかないのである。同じ外的表出でも、内部が異なれば、その意味合いは同じではないのである。したがって、外的表出にとらわれ、それのみを問題にするかぎり、認識しうることはせいぜいその限界だけであろうし、また、その場合、外的表出はいくらでも勝手な解釈が可能なのである。

ところで、一般に他者の内部は不可視であるとみなされている。だからこそ、人は己の内部について告白するのであり、「仮面の告白」をなしうるのである。

三島が「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」と言うのは、『仮面の告白』を書いたからこそであるが、彼が言い訳したいのは己の外的表出としての「行動」についてであり、すでに他人に目撃された己の恥辱的振る舞いについてなのである。自分が美的とみなす「行動」については何ら言い訳する必要はなく、また、己のどんな振る舞いも他者に目撃されないかぎり大した恥辱にはならないからである。「恥の立会人」や「証人」たる他者がいるからこそ恥辱になるのであり、そこで他者に向かって何とか自己正当化して己の恥辱を隠蔽糊塗し、取り繕おうとするのであり、そのために「仮面の告白」をするのである。『仮面の告白』は三島の過去の恥辱的な「行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」のである。

外部に表われて他者に目撃された己の恥辱的で屈辱的な振る舞いについて欺瞞的な言い訳により自己正当化(つまり「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」)するためには、すでに他者に目撃された部分については事実を「告白」せざるをえないから(その部分についてこそ誤魔化しの弁明により自己正当化したいのだ)、他者に目撃された恥辱的で屈辱的な部分について正直に「告白」したうえで、その部分の恥辱的な意味合いを、まだ他者には不可視で未知であろうと想定される己の「内部」にでっち上げた仮面(つまり「心の恥部」)の「論理」で強引に変えてしまうことである。外的表出の恥辱的意味合いを独自の内部の「論理」(これが「行動のあとから辻褄をあわせた論理」であり、『仮面の告白』において「放し飼」にされた「嘘」の論理である)によってその意味合いを無理やり変えてしまうのである。

では、三島はかつて他者の目に可視的になった己の恥辱的「行動」を、つまり己が恥辱的で屈辱的とみなす他者に可視的になった己の振る舞いや態度(これは現実に「恥の立会人」や「証人」の存在する三島の現実的な「恥」である)を、『仮面の告白』において「心の恥部」という他者に不可視と想定される己の「内部」にでっち上げた「恥部」(これは当人が「告白」するまでは「恥の立会人」や「証人」のまったく存在しなかった「恥」だが、「恥の立会人」や「証人」がいるからこそ恥になるのであり、特に三島のような他者に対して自己美化や自己栄化の姿を示したい者にとって恥とはまさにそういうものなのだから、かつて「恥の立会人」や「証人」の誰一人いなかった同性愛は、架空の「恥」、仮面の「恥部」以外のものでは決してありえないのである)の「論理」と「心理」を利用することによって、どのように取り繕い、糊塗しているであろうか。

 

 

三島は『わが思春期』で正直に述懐しているように、「私は別に美少年ではありませんでしたから、異性からの誘惑もなし、自分で自動的に働きかける以外には、そういう思春期というものは、はなばなしく展開しそうもなかったし、またそういう勇気は、自分には一向なかったのであります」という理由から、思春期の彼は異性と積極的に交際しえなかったのであって、それは決して同性愛が理由ではないのである。

ところが、『仮面の告白』では「私の心の恥部」たる同性愛を持ち出して、「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ、しかも女にちやほやされるほどの容貌の自信がなく・・・・・・内気な学生のその甚だ生彩のない一時期、私は全くそれと同じであり、私は絶対に演出家に忠誠を誓ったのである」と「告白」するのである。

つまり、三島は「別に美少年ではありませんでしたから、異性からの誘惑もな」かったのであり、異性に対し「自分で自動的に働きかける」などという「そういう勇気は、自分には一向なかった」のであるが、『仮面の告白』では、「そういう勇気は、自分には一向なかった」という本当の理由の代わりに、「告白」までは誰にも知られていなかった「私の心の恥部」たる同性愛を理由に持ち出して、「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ、しかも女にちやほやされるほどの容貌の自信がなく・・・・・・内気な学生のその甚だ生彩のない一時期」の姿、かつて他者の目にそのように映ったであろう過去の己の「甚だ生彩のない」姿は、同性愛者と思われまいとして、努めて普通の異性愛の「内気な学生」を自ら演出演技した結果であり、「絶対に演出家に忠誠を誓った」結果だと「告白」するのである。

他者の目に映じたであろう己の「甚だ生彩のない」姿、己の卑小で屈辱的な姿は、自分の本当の姿ではなく、同性愛者たる自分が内気な「正常者」を装うための演技にすぎず、偽りの仮装の姿にすぎないと主張し、かくして「そういう勇気は、自分には一向なかった」という彼自身の姿は掻き消されるのである。これは同性愛をダシにした一種の自己弁明、自己美化、自己正当化であることは明らかであろう。彼にあっては、同性愛の「告白」が恥辱的屈辱的な己自身の隠蔽糊塗に資しているのである。

当時の三島は『わが思春期』で語るように「別に美少年ではありませんでしたから、異性からの誘惑もな」く、しかも「自分で自動的に働きかける・・・・・・勇気は、自分には一向なかった」のであるから、『仮面の告白』でも自嘲気味に「告白」されているように「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ、しかも女にちやほやされるほどの容貌の自信がなく・・・・・・内気な学生のその甚だ生彩のない」姿と他者に見えたであろうと確実に自覚していたのであり、したがって、異性に対し「自分で自動的に働きかける・・・・・・勇気」もなく、「引込思案で・・・・・・内気な学生」だった当時の三島の「甚だ生彩のない一時期」の姿は、『仮面の告白』で弁明するように三島が「絶対に演出家に忠誠を誓った」結果では絶対にありえないのである。

つまり、三島は『仮面の告白』で己の過去の恥辱的で屈辱的な姿を正直に「告白」しながら、それを同性愛というそれまで誰にも知られているはずもない「内的」な「心の恥部」を持ち出して、しきりに取り繕っているのである。

もし三島が本当に同性愛者で、同性愛者「私」のようにそれが他者に発覚するのを何よりも深甚に恥じ恐れているとしたら、同性愛をダシにしたこんな弁明はまったくナンセンスなのである。このことを確実に認識しえないかぎり、三島由紀夫に対する他我認識など到底不可能なのである。

なぜなら、すでに指摘したように、他者に知られるのを何よりも恥じ恐れて必死に隠し通してきたはずの同性愛という「恥部」を、この「告白」によって世間全体にさらけ出しながら(この「告白的」テクストは三島がぜひとも執筆公表したかったものであることを忘れてはならない)、己の過去の別の恥辱(こちらが三島の真の現実的な恥辱なのである)を同性愛という「恥部」を利用して、いくら弁明し、取り繕おうと、最大最深の「恥部」であるはずの同性愛を他者に知られてしまうことの深甚な恥辱や恐怖に比べれば全然引き合わないからであり、まったく無意味なことだからである。

つまり、『仮面の告白』のテクスト内では、同性愛者「私」は己が同性愛者であることを「他者」(作中の「他者」にすぎぬ)に知られるのをいかにも深甚に恥じ恐れているように書かれているが、この「告白的」テクストを現実の他者に公表する作者三島にとっては、「私」が同性愛者であって、それが「他者」に発覚することを深甚に恥じ恐れていることを現実の他者に「おおっぴら」に公表していることなのである。この行為は三島が海外旅行した折にリオ・デ・ジャネイロでわざわざ新聞社特派員の目につくように「おおっぴらな同性愛」を見せつけた行為と同じことである。また無論、彼が何人かの編集者たちに、「これは絶対口外してくれるな」と言いつつ、わざわざ自分はホモだと耳打ちして知らせたという行為と同断である。

三島にそう耳打ちされて、彼が「己自身について語るところのものを言葉どおりに信じて」、彼が本当にホモで、それを他人に絶対知られたくないのだ、などと考えるような無邪気な編集者が果たしていたであろうか。三島が他人に絶対知られたくない己の秘密(もし三島にとって同性愛がそんな秘密だとしたら、彼が『仮面の告白』を執筆公表するわけがあるまい)を他人である自分が決して口外しないものと全幅に信頼して自分だけにそんなことを打ち明けてくれたのだ、などと考えるような無邪気な編集者が果たしていたであろうか。

とはいえ、そう考えることと、『仮面の告白』のテクストから作者三島が本当にホモだと解釈することとは、その無邪気さ加減に大差はないのである。

『仮面の告白』では、もしも「他人」に知られたら恥辱だ恐怖だとして、必死に己の同性愛を隠し通そうとする同性愛者「私」の姿が大いに見せつけられているが、現実の作者たる三島はこの「告白」以後に現実に己の「恥の立会人」や「証人」を楽しげに自らわざわざ求めようとしているのである。

たとえ同性愛者だろうと、そういう欲望を抱えて己ひとりの秘密にしているかぎり何ら恥にも罪にもなりはしない。ワイルドがかつて英国社会で投獄されたのは、彼がその欲望を他者に行使して発覚したからであって、単に同性愛的欲望を内に秘めているだけなら投獄されることはなかったであろう。

ところが、『仮面の告白』の同性愛者「私」は同性愛的欲望を己の内に秘めているだけで、その欲望を他者にまったく行使せず、他者に全然発覚していないのに、しきりに恥だ恥だと「告白」しているのである。あまつさえ、己の同性愛がかつて他人に全然発覚しなかったことの言い訳までしているのだ。

 

「私の異常な欲望を、よしんばずっと穏当な形ででも、充たしてくれるような機会はこの国にはなかった」(『仮面の告白』

 

つまり、己の同性愛的欲望を「充たしてくれるような機会はこの国にはなかった」ので、充たしたくても充たすべく同性愛の現実的な実行に及ばなかったのだとしているのである。もし己の「異常な欲望」を「充たしてくれるような機会」があったなら、当然それを充たしたはずだと言うのである。そんな「機会」はその気になればないわけはないのだから、この言い訳は現実的に成り立つものではなく、強引なものであり、言い訳のための言い訳にすぎない。

ところが、もっと後段ではこう言うのだ。

 

「倒錯が現実のものとなりにくいのも、私の場合はただそれが肉の衝動、徒らに叫び・喘ぐ暗い衝動にとどまっていたせいだった。私は好もしいEphebeからも、ただ肉慾をそそられるに止まった」

 

ここでは己の同性愛が単に「肉の衝動、徒らに叫び・喘ぐ暗い衝動にとどま」り、「好もしいEphebeからも、ただ肉慾をそそられるに止まっ」ていただけなので、それ以上の同性愛的行為の実行には及ばなかったのだとして、「倒錯が現実のものとな」らず、「かつて一度もpedicatioへは向わ」なかったことの理由を説明している。

つまり、己の同性愛が「かつて一度もpedicatioへは向わず」、対他的な同性愛行為という「現実のものとな」らなかったため、今までまったく人目につかず、他人に発覚しなかったことの理由を二度にわたり説明しているのであるが、その理由が前段と後段ではまったく違っているのである。

一方では、己の同性愛的欲望を充たしたくても「充たしてくれるような機会」が日本社会になかったためだとし、他方では、己の同性愛が単なる「肉の衝動・・・・・・にとどまっていたせい」で、「好もしいEphebeからも、ただ肉慾をそそられるに止まった」ので「倒錯が現実のものとなりにく」かったためだとしているのだ。

己の同性愛が他者に露見するのを深甚に恥じ恐れる同性愛者が、己の同性愛がまったく外部に現われないため今まで誰にも知られなかったことの言い訳をあれこれするわけがなく、ましてや本当の同性愛者ならこんな理由の食い違った矛盾した言い訳など決してするわけがない。この点においても、同性愛者の告白という単なるフィクションとしても妙なものなのであり、微妙に破綻しているのである。

『仮面の告白』は同性愛者の異性に対する「霊的」な愛を描いたフィクションとしても本質的に根本的に破綻しているのである。「園子」は「私」が「少年時代から無理矢理にえがいてきた肉の属性としての女ではなかった」とか、「霊はなお園子の所有に属していた。私は霊肉相剋という中世風な図式を単純に信じるわけにはゆかないが・・・・・・私にあってはこの二つのものの分裂は単純で直截だった。園子は私の正常さへの愛、霊的なものへの愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた」とか言って、あたかも「園子」を「肉の属性としての女」ではない「霊的」な存在とみなして賛美し、同性愛者「私」は彼女に「霊的」な愛を捧げているはずなのに、彼女に対し「肉」の愛のない同性愛者たる「私が園子に値しない」とか、「自分がその美しい魂を抱きしめる資格のない人間」だなどとは、まったくの支離滅裂な戯言にすぎない。これでは「園子」を完全に「肉の属性としての女」としかみなしていないことになるからだ。「園子に値」するのは異性に対し「肉」の愛を有する異性愛の男のみということになるからだ。「園子は私の・・・・・・霊的なものへの愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた」としながら、彼女との接吻に「何の快感もない」と知ると、「逃げなければならぬ。一刻も早く逃げなければならぬ」とは奇妙奇天烈な心理である。「その美しい魂を抱きしめる」という言い方も欺瞞的で詐術的であり、「魂」だけ抱きしめて、「肉体」を抱きしめないわけにはいくまい。要するに「肉」という言葉を避けて「魂」と表現することで「霊的」な愛があたかも成立しているかのように見せかけているだけなのである。かようにフィクションとしてはほとんど与太話なのであるが(与太話という点では『金閣寺』がその最たるものである)、無論三島はまったくのフィクションを書いたわけでは決してない。彼はそんなことをしたわけでは決してないのである)

なぜこんな矛盾が生じたかといえば(三島が後半を急かされて書いたためもあろうが)、彼が己の同性愛を真に受けさせようとして、かつて己の同性愛が他者にまったく発覚しなかったことの弁明を何度かしているうちに、前後の弁明の矛盾に気づかなかったためである。

こうした言い訳は三島自身が自分が前々から同性愛者であったかのように何とかして思わせようとするためにほかならないのである。己を本当の同性愛者に見せかけようとしている三島が、己の同性愛的欲望が「告白」以前にまったく外部に現われなかったことの不自然さを気にして、こうした言い訳をしているのである。三島はかつて己の同性愛が他人にまったく露見しなかったことをこの「告白」で何とか弁明し、虚構を事実に結びつけ、かつて実際に他者の目に映じたであろう己の「外部」の姿を虚構の「内部」と関連づけつつ何とか辻褄を合わせようとしているのである。

三島は己の「内部」に元々ない同性愛(これこそ三島にとって「一知半解」のものであり、彼が己の内部に無理やり強引に「融合」させたものである)をあるかのように見せかけようとしているのであるが、では、なぜ彼は己を同性愛者に見せかけようとしたのか。この解明こそ三島論ないし三島伝の決定的ポイントなのである。

無論、それはすでに何度も暗示したように、三島が『仮面の告白』で同性愛というありもしない己の「内部」の仮面の「論理」と「心理」を用いて、「すべて醜かった」と「喚起」する己の過去の実際の恥辱や屈辱を取り繕い、軽減し、無答責にしようと企てたからにほかならない。

 

 

三島が同性愛という一般的な明示的な「恥部」の仮面をかぶってでも取り繕いたい彼の「過去」の真の「恥部」の一つは、恋の破局に関わるものである。

「戦後にもう一つ、私の個人的事件があった。戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」こと、ここにこそ三島のハートブレイクに関わる深甚な悔恨と慙愧の念が潜んでいるのである。

この「個人的事件」を最大の契機として、三島は「その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。年齢的に最も溌剌としている筈の、昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた」というような暗鬱の地獄の季節を過ごすことになるのだが、それは主として彼の「逡巡」によってもたらされたものである。「園子」に結婚を申し込むべきところで「男らしいはっきりした態度」を示さず、「煮え切らない」、「男らしくない」、「逡巡」をしてしまったことの後悔と屈辱に苛まれたのである。それゆえにこそ彼は己の過去の恥辱や屈辱を仮面の「論理」と「心理」を利用して取り繕って「まるごと肯定してしま」おうと企てた『仮面の告白』を「書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」と言うのである。

言うまでもなく、この「逡巡」は他家との縁談が持ち上がった「園子」が、三島に早く結婚を申し込んでくれるようせがんだのに、彼がぐずぐずと煮え切らない曖昧な態度をとったことを意味するが、彼の「逡巡」の原因についてはすでに示したようにいろいろな要因があり、決して『仮面の告白』で「告白」されているような同性愛が原因だったわけではない(「私」の同性愛心理は「一知半解」どころか、ほとんど出鱈目である)。もし三島がかつて本当に同性愛が原因で最愛の異性との結婚に「逡巡」したとしたら、どうして後年別の異性と結婚しえようか。また、もし三島が同性愛者であるがゆえにかつて「園子」に結婚を申し込むべきところで「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった」ことが本当だとすれば、どうして彼が後年別の女性に結婚を申し込むことなどできようか。

「園子」には「敗戦直後のころから、べつの縁談がもちこまれていた」のであり、そのため彼女は三島に早く結婚を申し込んでくれるよう何度となく求めたのだが、三島がいつまでもはっきりした返事をせず「逡巡」しているうちに、昭和二十年十一月末頃に彼女の婚約が決まってしまうのである。

三島としては、「園子」や「草野」家の人々に優柔不断な煮え切らない自分に見切りをつけられたと思ったであろう。ここにおける彼の屈辱や恥辱はハートブレイクの苦悩と相俟って深甚なのである。

かように三島の「逡巡」には深い慙愧と悔恨が秘められているのであり、そこで彼はハートブレイク後の三年間にわたる「死骸の生活」や「死の領域」からの脱出を試みようと図り、「喚起」するだに「醜かった」と慙愧する己の「過去」の主要な恥辱的事実の一つであるこの「逡巡」を己の優柔不断な「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない」「性格」によるものではない、要するに自分の「せいではない」とするための「論理」と「心理」を案出することによって、それまでの屈辱や恥辱を払拭し、「喚起」するだに「醜かった」と思う己の恥辱的屈辱的過去の「まるごと肯定」を果たさんとしたのである。

三島は「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところ」であったのに、己自身の「逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」ことで、「園子」や「草野」家の人々に態度のはっきりしない優柔不断な煮え切らない男とみなされて見限られたと思ったのであり(また『仮面の告白』で「告白」されているように、彼らに「園子は何だってこんな男を好きになったんだろう。なんて生っ白い大学生だろう。こんな男の一体どこが好いのかしら」と思われていたに違いないことを、「園子」の他家との縁談や婚約そして結婚によって一層強く確信したはずである。ここにおける三島の深甚な恥辱意識や自己嫌悪は後年の彼の必死の肉体的鍛錬に結び付くのである)、そこで己の「逡巡」が他者にそう見えたに違いない己の恥辱的で屈辱的な姿を「何とかして」取り繕い、「醜かった」と思う過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうと企てたのである。

三島が『わが思春期』では正直に語っているように、「戦争が終ったと同時に、私の思春期は終ったのです。浅子ともそれ以上には進まず、やがて浅子は結婚しました。そして私のいよいよほんとうの人生が始まり、今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくなりました。・・・・・・そして思春期のような、いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地というものは、だんだん薄れていきました。もっとなまみの人生に接することにしか喜びが感じられなくなりました」と言うのも、このハートブレイクが決定的かつ直接的に関わっているのである。「やがて浅子は結婚し」たことで、要するにこのハートブレイクによって、彼は「今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくな」ったのであり、「捨て去」りたいと思ったのである。

つまり、三島は当時の彼の夢想癖や矜持や「草野」家に対するわだかまりや依怙地さなどから「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところ」であったのに結婚申し込みに際して「逡巡」したのであり、その結果、彼女が家人の勧めるままに婚約結婚してしまったことによって、「園子」を失った悔恨や苦悩のみならず、彼女や「草野」家の人々の目に自分がどう映じたかを確信したのであり、それゆえ彼の「逡巡」の「喚起」には深い慙愧と悔恨が伴うことになったのである。

激甚のハートブレイクとともに深甚な慙愧や悔恨をもたらしたこの「逡巡」こそ、後年の彼が「喚起」するだに「醜かった」と思う己の恥辱的屈辱的過去の「恥部」の一つなのである。なぜこの「逡巡」の「喚起」が三島にとって「醜かった」かといえば、「園子」が家人の勧めるままに別の男と結婚してしまったことで、「園子」や「草野」家の人々にいつまでもはっきりした態度をとらない優柔不断な煮え切らない男とみなされて見限られたことを確信したからであり、要するに「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」(『仮面の告白』)とみなされたと思ったからである。少なくともそうみなされても仕方がないと思ったからであり、また自らもそう自覚し、自認し、慙愧したからである。

他者に対して自己美化や自己栄化をせんと欲する三島のような人間は、他者の目に己の姿がどう映じるかが何よりも気になるのである。「他人の目に光って見えることなど模造宝石をもらうようなものだ」(ヴァレリー)とは三島は決して思うことはできないのだ。

「もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行ったら、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」という三島にとっては、たとえ「模造宝石」だろうと「他人の目に光って見えること」のほうが重要なのである。したがって、「他人の目に光って見える」どころか、他人の目に「煮え切らない人間、男らしくない人間」や「弱虫の卑怯者」と映じたとみなした己の姿は彼にとっては「屈辱的恥辱的」なもの以外の何ものでもないのであって、何より「醜かった」と彼は生涯にわたって「喚起」し、深甚に慙愧せざるをえないのである。

かように「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを」三島が相手にはっきりした返事をせず曖昧な態度をとりつづけるという「逡巡から」ハートブレイクを喫したのであって、そこには彼の深甚な悔恨や苦悩のみならず深甚な恥辱意識があるのである。

こうした彼のハートブレイクに関わる恥辱意識は、『終末感からの出発』では「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」と単に「私の逡巡から」としか表現されていないため、彼の恥辱意識は隠されているが、『仮面の告白』ではこの「逡巡」は「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」の態度として明らかな恥辱意識や嫌悪感をもって正直に「告白」されているのである。

三島は自分の「逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」ことで、自分が彼女や「草野」家の人々から「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされたと思ったはずであり、そうみなされても仕方がないと思ったはずである。(「園子」に別の縁談があることを耳にした三島は、彼女が本当に自分を愛してくれているなら結局はそんな縁談を断わるはずだと考え、彼女の気持ちを試そうとしてはっきりした態度をとらずにずるずると返事を先延ばしにしていたのかもしれない。そうした甘えた夢想癖も彼の「逡巡」の一要因のように思われる)。こうした他者の目に映じたと思われる己の恥辱的で屈辱的な姿が「醜かった」と「喚起」されるのであり、それゆえこの「醜かった」過去の己の姿を他者の目に対して何とか取り繕おうとするのである。

三島が「園子」に結婚申し込みをすべきときに「逡巡」したことは『仮面の告白』ではこう「告白」されている。

 

「自分に『うん多分ね』などという煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではないとはっきりわかっているだけに、多少とも私のせいである部分に対しては、滑稽なほど健全な常識的な訓戒を以て臨むのが常だった。少年時代からの自己鍛練のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた。それはなるほど私のせいである部分に対しては可能な訓誡であったが、私のせいでない部分に対しては、はじめから不可能な要求だった。今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった。すると、今、園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった。私は自分の意志をも、性格をも信じないようになり、少くとも意志の拘わる部分は贋物だと思わざるをえなかった」

 

ここで三島は「園子」と「許婚の間柄になるべきところ」で、あるいは結婚申し込みをすべきところで、「園子にむかって男らしいはっきりした態度をとること」ができず、いつまでも曖昧な態度をとりつづけて「逡巡」したことにおける恥辱、つまり「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」と「園子」にみなされたと自覚することによって生じた恥辱や屈辱を、「私のせいでない部分」たる同性愛の「論理」と「心理」を利用して何とか言い訳しようとしているのである。己の恥辱的な「逡巡」は「私のせいである部分」や「意志の拘わる部分」に属するものではないとし、同性愛という「私のせいでない」「意志の拘わらない」もののせいだとすることで、己の「煮え切らない・・・・・・男らしくない」恥辱的屈辱的な振る舞いについて己を無答責にし、自己責任を回避しようとしているのである。

つまり、ここでは同性愛が、「私」が「死んでもなりたくないと考えていた」人間と自他の目に映る己の恥辱的屈辱的姿を、「内側」から取り繕い、正当化する役割を果たしているのだ。「私」は己の「煮え切らない態度」の責任を同性愛という「私のせいでない部分」に帰すのであるが、これは三島にとっては同性愛という仮面を媒介とした責任転嫁であり、一種の自己肯定、自己美化、自己正当化なのである。

己の「恥の立会人」や「証人」が実際にいればこそ現実的な恥辱になるのだ。「他人はみんな証人」なのであり、「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」のである。己の「恥の立会人」や「証人」が一人もいないのに、わざわざ自分から他者に己の恥をさらして新たに「恥の立会人」を作り出し、己を今まで以上に恥辱的に見せようとする者がいようか。少なくとも三島は断じてそんな人間ではないのである。

『仮面の告白』の同性愛者「私」にとって、同性愛という「恥部」は今まで誰にも知られておらず、その「恥の立会人」や「証人」が一人もいない以上、「告白」以前には(無論作中では最後まで誰にも「告白」していない)何ら現実的な恥辱にはなっていなかったのである。他人に己の「恥部」を知られた場合に初めて現実的な恥辱になるのであり、「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」のであるから、もし三島が『仮面の告白』の同性愛者「私」であるとすれば、彼はそれまで誰にも知られていなかった同性愛という己の「恥部」を「告白」することで他者に己の「恥部」をさらして「恥の立会人」を自ら作り出して、現実的な恥辱を被ることになってしまうが、三島がそんな単なる自己貶下にすぎない真似をわざわざするはずがあろうか。

三島の自己「嫌悪をそそり立て」るもの、彼の「存在全体を値打のないものに思わせて」、彼の「自負心をめちゃめちゃにする」ものは、ここでは「園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像」であり、要するに他者の目に映じたはずだと確信する己の恥辱的で屈辱的な姿なのであって、それこそがハートブレイク後の三島にとって真に「醜かった」と「喚起」されるのである。

恋人に対し「煮え切らない態度」をとったことで「私」は「私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった」と言いながら、それが決して「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」、つまり同性愛のためだと暗示的な「告白」をすることで己の「煮え切らない態度」について自分自身を無答責にしているのである。つまり同性愛は恥辱の取り繕いに利用されているのである。

さらに同性愛は『仮面の告白』では「私の最初のejaculatio」の「告白」でも明らかなように大いに荘厳化され、美化されており、プラァテン伯やヴィンケルマンやミケランジェロなどの偉人や貴族が「明らかに私と同系列の衝動の持主だった」とされているのである。また、三島の在籍当時の学習院では淡い同性愛めいた雰囲気も漂っていたのだから、それを『仮面の告白』の同性愛者「私」のように深刻に恥じる雰囲気もなかった以上、三島が同性愛を同性愛者「私」のように深甚に恥じ、他者への露見を深甚に恐れたはずもないのである。そのことは三島の現実の行動を見ても明々白々たることである。

三島の「嫌悪をそそり立て」、彼の「存在全体を値打のないものに思わせ」、彼の「自負心をめちゃめちゃにする」こと、つまり三島が何よりも恥辱や屈辱と感じることは、「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」と他者にみなされることであり、そう本質規定されることなのである。特に「園子」や「草野」家の人々など身近な他者にそうみなされることは慙愧に堪えなかったのである。そうした恥辱的で屈辱的な本質規定をもたらした己の行動や態度を「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」とすること、つまり同性愛という「私のせいでない部分」の仕業だとすることによって、己の恥辱的で屈辱的な本質規定を帳消しにしようとしているのであり、そのためにこそ三島はありもしない同性愛をでっち上げたのであり、持ち出したのであり、「(仮面の)告白」をしたのであり、『仮面の告白』を書いたのである。

三島にとっては「人から、『あいつは男らしくない』と言われるのは大の不面目」なのであり、「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされること、そういう「性格」の人間とみなされること、とりわけ「園子」にそうみなされることほど、彼の「嫌悪をそそり立て」、彼の「存在全体を値打のないものに思わせ」、彼の「自負心をめちゃめちゃにする」ことはないのである。

同性愛は「私のせいでない」以上、単に同性愛者だからといって「大の不面目」にも、「私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」ことにもならないことは、単に異性愛者だからといって何ら名誉にも栄光にもならないのと同断である。ミケランジェロと同じことが、どうして三島の「嫌悪をそそり立て」、彼の「存在全体を値打のないものに思わせ」、彼の「自負心をめちゃめちゃにする」ものでありえようか。

三島は『仮面の告白』をいかにも同性愛の「告白」と思わせるために同性愛の他者への露見に対する同性愛者「私」の羞恥心や恐怖心をわざと大仰に描いているにすぎないのである。意図的に同性愛をいかにも深刻な「恥部」のように「告白」しているのである。そうすることで彼にとっては偽であり仮面である同性愛という「恥部」に読者の注意を引きつけ、その仮面の「恥部」の背後で「告白」している己の真の「恥部」から読者の関心を偽の「恥部」に逸らさせるという陽動作戦を行なっているのである。

三島は『仮面の告白』執筆前の昭和二十三年十一月二日付の坂本一亀宛の手紙で、「今度の小説、生れてはじめての私小説で、もちろん文壇的私小説ではなく、今まで仮想の人物に対して研いだ心理分析の刃を自分に向けて、自分で自分の生体解剖をしようという試みで、出来うる限り科学的正確さを期し、ボオドレエルのいわゆる『死刑囚にして死刑執行人』たらんとするものです。相当の決心を要しますが、鼻をつまんで書きます」と書いている。

つまり、三島は同性愛という「恥部」の「告白」と見せかけながら、その背後で己の真実の「恥部」を「告白」しているのである。自分が「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところ」でいつまでも「逡巡」したこと、つまり彼女に結婚申し込みをすべきところで「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない・・・・・・愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている」ような不面目な恥辱的な態度や振る舞いをしたことを鼻をつまみながら「告白」しているのである(だが、むろん彼が心底鼻をつまみつつ「告白」したのは、仮病を使った兵役逃れに関する「恥部」のほうである。こちらにはさらに「弱虫の卑怯者」意識が加わっているのだ。何より死と兵役を恐れたため、仮病を使って兵役逃れした当時の己の「醜かった」言動の実態を「鼻をつまんで書き」ながら、「何だって」あんな振る舞いをしたのか「私にはわかりかねた」と「仮面の告白」をしているのである)。

三島は「園子」に結婚申し込みをすべきときに「園子にむかって男らしいはっきりした態度をとる」ことをせず、いつまでもぐずぐずと「逡巡」したことから、彼女や「草野」家の人々から「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間」とみなされたと自覚し(彼自身もそう自認していることは確実である。彼自身「私のせい」だと自認したからこそ「醜かった」と慙愧せざるをえないのであり、その恥辱意識や自己嫌悪から後年「剛毅」で「男性的なもの」へと自己改造を企てたのである。無論、そこには死の恐怖から必死に仮病を使って兵役逃れした「弱虫の卑怯者」という恥辱も大きく関与している)、そして結局彼が「園子」の「おばあさんの試験をパスしなかった」こともあって彼女が「他家の妻になった」ことから、一層確実にそうした「不面目」な人間として見限られたと確信し、深く恥じ入ったのである。

そこで、当時の己の「逡巡」を、つまり「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない・・・・・・愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている」ような態度や行動を、「私の性格の罪」や「私のせい」とされまいとして、それは「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」とするために(これこそ三島が「私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」と言うことの具体的内容である)、後知恵によりでっち上げた同性愛の仮面を利用し、その「一知半解」の仮面の「論理」と「心理」を強引に駆使したのであり、要するに同性愛(の「論理」と「心理」)という「嘘」を「放し飼」にし、「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」たのである。

だから、仮面の背後でとはいえ、仮面の「論理」と「心理」で大いに糊塗されているとはいえ、彼の真実の「恥部」は丸見えなのである。

つまり、三島は己の過去の「醜かった」真の「恥部」を「告白」したうえで、別の偽の「恥部」を「告白」しているように見せかけながらその欺瞞の「論理」と「心理」で己の真の「恥部」を隠蔽糊塗し、取り繕っているのである。己の不面目な恥辱的な振る舞いや行動は「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり」、「私のせいではない」として、己の不面目な恥辱的な振る舞いや行動を無答責にしようとするのである。要するに己の真の「恥部」を「告白」したうえでそれを偽の「恥部」の「論理」と「心理」を利用して懸命に取り繕っているのである。

三島にとっては「喚起」するだに「醜かった」と言う彼の真の「恥部」のほうが同性愛という偽の「恥部」よりずっと恥辱的であり、屈辱的だからこそ、同性愛の「論理」と「心理」を利用したこうした彼自身の現実の「恥部」の取り繕いが充分に意味あることなのであり、自己正当化や自己美化につながるのである。

同性愛者「私」は「園子」に結婚申し込みをすべき場面で「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった」わけだが、もし三島が同性愛者「私」と同一人物で、己の同性愛を「園子」にひた隠しにし、そのため彼女に結婚申し込みをすべきところで「男らしいはっきりした態度をとること」ができずに「煮え切らない・・・・・・男らしくない」ような「逡巡」をしたのだとすれば、後年彼が別の女と結婚することも「サムソンの力といえども及ばぬ筈」である。

そもそも三島が本当に同性愛者で、『仮面の告白』が同性愛に関して真実の告白であるとしたら、「園子」に絶対打ち明けられなかった己の同性愛を、どうして『仮面の告白』の執筆公表によって万人に知らせることができようか。そんな荒唐無稽な馬鹿げた行為がありえようか。「園子」には同性愛を絶対に「告白」できなかったが、現実の万人にはそれを「告白」できるなどという、そんな同性愛の「告白」を真に受けているようではどうにもなるまい。

 

 

役所を辞めて職業作家としての第一作として『仮面の告白』を執筆公表した三島は、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」のである。つまり『仮面の告白』は「自己を・・・・・・いかに隠すか、という方法によって」書かれた仮面的テクストなのである。それゆえにこそ彼は、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」と言うのである。三島にとっては『仮面の告白』において本当の「自己を・・・・・・いかに隠すか」が最重要の問題なのである。彼には何としても隠したい本当の「自己」があったのである。「私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」ような本当の恥辱的で屈辱的な「自己」があったのである。

では、三島は『仮面の告白』でいかなる真実の「自己を・・・・・・いかに隠」しているであろうか。

無論、彼の真実の「自己」とは決して同性愛ではありえない。同性愛者としての「自己」では決してありえない。同性愛は隠すどころか、いたるところで表わされ、これみよがしに見せつけられているからである。同性愛はそれまで誰にも知られていなかったのに、このテクストで初めて知らされ、露出されているのだから、「自己を・・・・・・いかに隠すか」は同性愛者たる「自己を・・・・・・いかに隠すか」では決してありえないことは明白である。

では、「自己を・・・・・・いかに隠すか、という方法」とはどういうことであろうか。

それは最早言うまでもあるまい。同性愛を見せつけることによって真実の「自己」を、真実の己の恥辱的部分を、同性愛の「論理」と「心理」で取り繕い、糊塗して「隠す」方法である。同性愛者という偽の「自己」すなわち仮面を前面に押し立てることによって「醜かった」恥辱的な過去の己を「隠す」方法である。これはまた同時に、別言すれば、「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」という方法でもあるのだ。これが『仮面の告白』の方法論なのである。

 

「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる」

 

つまり、「告白とはいいながら」、『仮面の告白』のなかで三島は「嘘」を「放し飼にし」、「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。同性愛(の「論理」と「心理」)という「嘘」を「放し飼にし」、「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。「好きなところで」とは、とりわけ「喚起」するだに「醜かった」と慙愧する己の「過去」を「告白」するところであり、「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない」態度や「弱虫の卑怯者」の振る舞いなど三島が「大の不面目」とみなす彼の「醜かった」「過去」(の行動)を「告白」するところである。

要するに、三島は『仮面の告白』で「醜かった」と「喚起」する己の過去を、己の「痛いこと」を、己の真の「恥部」を「告白」しているのであり、そしてそれを後知恵の仮面の「論理」と「心理」で、すなわち虚構の「内部」の「論理」と「心理」で、取り繕い、糊塗し、無答責にし、正当化して、何とかして「まるごと肯定」しようとしているのである。

三島が式場隆三郎宛の書簡で書いているように、彼が『仮面の告白』に書いたことは、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除」いては、すべて彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」なのである。瑣末にすぎぬ「モデルの修正」の部分はともかく、肝腎の「二人の人物の一人物への融合」が作為的になされたまったくのフィクションであるということが、そのテクストを解読し、作者を解明するための最大の鍵なのである。「二人の人物の一人物への融合」が何を意味するかは今更言うまでもあるまい。

三島は『仮面の告白』で己に関する重要な事実を「告白」しているのであるから、それを認識することが重要なのである。そして己に関する重要な恥辱的事実を虚構の「論理」と「心理」で取り繕い、隠蔽糊塗しているのであるから、それを認識することが同じく重要なのである。つまり、このテクストにおいて虚実や真偽を区別することは完全に可能なのであり(無論、どうでもいい瑣末な部分については別である)、事実と虚構を区別することは完全に可能なのである。

かようにテクストにおける虚実や真偽の区別は必ずしも不可能ではないのである。但し、作者捨象や「作者の死」を前提とした「テクスト論」に基づくかぎりは論理的に必然的に「虚構と真実の境はない」と帰結されてしまうのであり、それがあたかも絶対的に正しい考えのように思い込まれてしまうのである。こうしたテクストの見せかけに完全に誑かされた「テクスト論」(畢竟は認識不足の浅見、謬見、誤解を前提とした空想的理論だが)が盲信されているかぎり、他我認識も歴史認識も絶対的になしえないのである。あるいは、まったくの愚にもつかぬ妄想が他我認識や歴史認識とみなされかねないのである。

作者捨象や「作者の死」を唱えて作者を葬り去ってしまえば、たとえば作者について記したテクスト(実は無論こうしたテクストのみではない)の虚実や真偽を当然のことながら認識しえなくなるのであり、なのになおもテクストから作者を論じうるなどと思うのは妄想以外の何ものでもないのである。

三島は『仮面の告白』において己の前半生における彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をなし、「すべて醜かった」と「喚起」する「自分の痛いこと」を、己自身の恥辱的屈辱的体験を、恥を忍んで「告白」しているのであり、しかもそれを同性愛(これをあたかも己の最大の「恥部」として「告白」しているように見せかけているが)の仮面をかぶって糊塗し、取り繕っているのである。つまり、三島はそのテクストでそういうことをしているのであり、そういうテクストを作成しているのである。

彼は決して同性愛者の告白というまったくの小説的フィクションを書いているわけでもなければ、彼がそれまで誰にも隠していた自身の同性愛を正直に告白するというまったくの自伝的ノンフィクションを書いているわけでもないのである。彼はそんなテクストを作成しているわけでは毛頭なく、そんなことをしているわけではさらさらないのであるから、そんなことをしているものと決めつけて、いくらテクスト解読や作者解明に努めようと、誤解と妄想の屋上に屋を架すのみである。

 

 

テクストにおける虚実や真偽の区別についてはいま少し説明を要しよう。

 

『仮面の告白』の場合には、三島は「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしていると同時に「『嘘』を放し飼にし、好きなところでそいつらに草を喰わせ」ているのである。彼はそういうテクストを書いているのであり、そういうことをしているのである。

三島は己の恥辱にならぬようなことについてなら無論「事実の忠実な縷述」をなしうるわけだが、己が恥辱とみなすことについてもある程度「事実の忠実な縷述」ないし「告白」をしているのであり(とはいえ、入隊検査場で軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われてサッと手を挙げたことは『仮面の告白』でも「告白」されていない。この行為はいくら「嘘」を利用してもうまく誤魔化せないからである)、その場合には「嘘」を目いっぱい利用して恥辱的事実を取り繕い、糊塗して、恥辱の軽減や解消をし、自己美化、自己栄化、自己正当化しうるよう工夫しているのである。

己の恥辱にならぬようなことについては「事実の忠実な縷述」をなしうるにせよ、まさか恥辱的事実を「告白」し、取り繕う場合にだけ同性愛という「嘘」を突如持ち出して、その仮面の「論理」や「心理」によって恥辱的事実を弁明糊塗するわけにはいかないから、初めから同性愛者であるように見せかけねばならないのであり、同性愛の「論理」と「心理」で全体を覆わなければならないのである。

だから、己の恥辱にならぬような「事実の忠実な縷述」をしている場合にも、同性愛という「嘘」を真に受けさせるような潤色をしているのである。つまり、三島は異性愛者たる彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしつつ、同性愛者という「嘘」を「放し飼にし」「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。これが「二人の人物の一人物への融合」ということであり、その部分は虚構であって事実ではないと(むろん同性愛ないし同性愛者を「融合」していない部分は事実なのである)三島は式場隆三郎宛の手紙でさりげなく明かしているのである(そう明かしたところで式場には何のことか分かるまいと三島は思っていたろう)。この書簡テクストの最大のポイントはその点に存するのであって、それを看破しえずにこの書簡テクストをいくら論ったところで、的外れの妄想、誤解にならざるをえないことは必定である。

三島は『仮面の告白』で「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしつつ、それを同性愛の「論理」と「心理」や「生理」で潤色したからこそ、「あの小説では、感覚的真実と一知半解とが、いたるところで結びついている」と言うのである。つまり、異性愛者としての己の「感覚的真実」を「縷述」しながら、それに「一知半解」の同性愛の「論理」と「心理」や「生理」を「いたるところで結びつ」けているのであり、それらの「嘘」を「放し飼にし」「好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。

こうした「いたるところで結びつ」けられた同性愛による偽装や粉飾があるからこそ、父親は「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります。僕は小説というものはフィクションもフィクション、こんな出鱈目を書いていいものかしらと考えました」と言うのである。

たとえば三島が「最初のejaculatio」を「告白」する場合でも、そこで異性愛者としての彼「自身の体験した」「感覚的真実」を「縷述」しながら、そこに同性愛の偽装や粉飾を大いに施しているのであり、たとえば崔承喜の半裸のポートレートなどの彼にとって「非常にエロチックに思われ」た異性の写真や画像の代わりに、後知恵により知った「聖セバスチャン」の画像を持ち出して、精一杯同性愛者に見せかけようと工夫しているのである。(このように己の精通を語る場合、同性愛的粉飾を施して「告白」する場合と、正直に異性愛者として告白する場合と、日本社会においてはいずれが気恥ずかしいものか考えてみればよい。三島は恥ずかしいことや不面目なことは仮面をかぶって「告白」しているのであり、仮面をかぶればそうしたことも他人事のように語れるのである)

三島の父にとって「出鱈目を書いて」いると確実に分かる部分は、いうまでもなく父自身について書かれている部分である。すなわち、「父の外国土産の画集」について、「吝嗇な父は子供の手がそれに触れて汚すのをいやがって戸棚の奥ふかく隠していた」とか、それは「半分は私が名画の裸女に魅せられるのを怖れたからだ」という部分である。この部分は「聖セバスチャン」の画像を持ち出すために、ありもしない「父の外国土産の画集」をでっち上げて、「およそ事実に反すること、ないこと」を「シャーシャーと並べ立てて」いることは確実であり、父親は特にこの部分を読んで、「およそ事実に反すること、ないこと」を「シャーシャーと並べ立て」、「出鱈目を書いて」いると思ったはずである。

 

三島は異性愛者たる己「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしたうえで、それに同性愛者の仮面による偽装と潤色を施しているのである(これが「二人の人物の一人物への融合」である)。要するに、三島は異性愛者たる自身の恥辱体験を「告白」しながら、それを同性愛者の仮面の口を借りて取り繕った「仮面の告白」をしているのである。換言すれば、同性愛者の仮面をしきりに見せつけながら、その背後で自身の恥辱体験を仮面の「論理」と「心理」で取り繕いつつ「告白」しているのであり、すなわち同性愛者という「誤解された自分を押し立ててその裏で告白」をしているのである。

 

三島が「園子」に結婚申し込みをすべきところで「逡巡」したことについては、『仮面の告白』では事実と虚構を交えて象徴的に書かれており、明らかに嘘や虚構と分かる個所もある。

三島が「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった」こと、すなわち彼が「園子」に結婚申し込みをすべきところを、彼がいつまでもぐずぐずと「逡巡」した結果、「彼女は間もなく他家の妻になった」こと、これは紛れもない事実である。

そして、そのことから三島が「園子」や「草野」家の人々にいつまでもはっきりした態度をとらない優柔不断な煮え切らない男だと見限られたと思って深く恥じ入ったこと、すなわち『仮面の告白』で「告白」されているように「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされたと思って慙愧に堪えなかったことも確実である。

そしてまた、彼が己のそのような態度や振る舞いから「園子」や「草野」家の人々の目に映じたであろう「私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃに」したこともほぼ疑いえないことである。

 

「己のうちに秘めているものを隠蔽するためにこそ書物が書かれるのではないか? およそ哲学者は《究極的かつ本来的》な意見を持ちうるか? 彼においてはあらゆる洞窟の背後にさらに深い洞窟が存在しているのではないか? 皮相なものを超えて、より広大な未知の豊かな世界があり、あらゆる根拠の背後に、あらゆる《根拠づけ》の背後に、一つの深遠があるのではないか? 哲学者がここで立ち止まり、後ろを振り返り、あたりを見回したということ、ここでさらにいっそう深く掘り下げず、鋤を捨てたということには、何かしら恣意的なものがある。何となく不審なものさえある。あらゆる哲学はさらに一つの哲学を隠している。あらゆる思想もまた一つの隠れ場であり、あらゆる言葉もまた一つの仮面である」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

ある表現が何かを隠している行為であることを看破しえないようでは、他我認識はできないのである。当の表現のみからでは、かかる認識は不可能なのである。

「己のうちに秘めているものを隠蔽するため」の一つの方法としては、己の「内部」にこそ仮面をかぶり、この「内的仮面」をあたかも「己のうちに秘めているもの」であるかのように見せかけて、これを自ら「告白」することである。そして実際に存在する「己のうちに秘めているもの」(三島の場合は、それが真の恥辱なのであり、真に「自分の痛いこと」なのである)を実際には存在しない「内的仮面」の「論理」と「心理」で取り繕い、隠蔽糊塗してしまうことである。かように、元来自分にはないものをあったように思わせて、それを利用して自己美化や自己正当化の取り繕いをするのが特に『仮面の告白』以後の三島の常套手段なのである。

これが『仮面の告白』の基本的方法論であり、同性愛こそ彼の仮面であることはもはや明らかであろう。『仮面の告白』で三島は「告白とはいいながら・・・・・・『嘘』を放し飼にし・・・・・・好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ているのである。つまり、「嘘」の、仮面の、同性愛の、欺瞞的な「論理」と「心理」で、「己のうちに秘めている」真の恥辱を取り繕い、隠蔽糊塗しているのである。

仮面の「論理」によって己の恥辱的行動を欺瞞的に「根拠づけ」し、それは「私の性格の罪ではなく」、同性愛という「性格以前のものの仕業であり」、「私のせいではない」とか、「生が、行手にそびえていない」同性愛者の自分が「軍隊の意味する『死』からのがれ」ようとした理由が「私にはわかりかねた」として、「醜かった」過去の己を無答責にし、正当化しているのである。他者の目に映じた己の恥辱的「外部」を「性格以前のものの仕業であり」、「私のせいではない」とし、その他者に見せてしまった己の恥辱的振る舞いを「私のせいである部分」や「意志の拘わる部分」に属するものではないとすることで、己の「醜かった」とみなす恥辱的行動に対して己を無答責にせんとするのである。

 

「過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」(『終末感からの出発』)

 

これが『仮面の告白』執筆の最大の動機であることを忘れてはならない。『仮面の告白』は三島が「すべて醜かった」と「喚起」する過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」せんと企てたテクストなのであり、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」書かれたテクストなのである。

三島の場合は、「己のうちに秘めているもの」が恥辱なのであるが、無論それはまったく誰にも知られていないものではない。そうなら恥辱にはならない。たとえ少数にせよ「恥の立会人」や「証人」がいたからこそ恥辱になったのである。「恥の立会人」や「証人」たる「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」からである。そうした他人がいればこそ彼らに対して己の深甚な恥辱を何とか取り繕おうとするのである。まったく誰にも知られていないことなら、何ら現実的な恥辱を被っていない以上、わざわざ恥辱を持ち出して誰に対しても取り繕う要などありはしない。

例の「逡巡」に関わる恥辱の場合には、「園子」とその家族が彼の「恥の立会人」や「証人」になっているのであり、兵役逃れに関わる恥辱の場合には、入隊検査場にいた同じ若者たちや軍医らが彼の「恥の立会人」や「証人」になっているのである。

『仮面の告白』で「心の恥部」とされている同性愛こそ、三島が己の「内部」にかぶった仮面なのであり、この「内的仮面」をかぶって取り繕いつつ己の真の「恥部」を「告白」したからこそ、彼は「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。己の真の「恥部」は仮面を利用して取り繕ったうえでなければ「告白」しにくいからである。

それゆえにこそまた三島は、「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と言うのである。

三島は『仮面の告白』では仮面をかぶっているからこそ、彼の真の「恥部」は「告白」されているのであり、『わが思春期』では仮面をかぶっていないからこそ、彼の真の「恥部」は「告白」されていないのである。そして、一方のテクストでは「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」をかぶっているために「告白」されている「恥部」、他方のテクストではそうした仮面をかぶっていないために「告白」されていない「恥部」こそ、正に彼のハートブレイクをもたらした「逡巡」に関わる「恥部」と仮病を使った兵役逃れに関わる「恥部」にほかならないのである。

つまり、『仮面の告白』という仮面的テクストにおいてこそ三島は己の「恥部」(彼の「恥部」はあくまで「すべて醜かった」と「喚起」する「過去」のものである)について「真実な告白」をしているのであり、『わが思春期』という仮面的でない正直なテクストにおいては彼の「恥部」は省かれているのである。

己の深甚な恥辱について「真実な告白」をするには、「肉づきの仮面」をかぶって欺瞞的に取り繕ったうえでなければ「成就」し難いのである。特に三島のような「自尊心」や「見栄坊な心」の強い者には。『仮面の告白』について彼が「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」とか「この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ」と言う理由はすでに明々白々であろう。

三島が同性愛という「心の恥部」たる「内的仮面」をかぶったのは、己の恥辱的「内部」を隠蔽糊塗するためなのである。すでに他者の目に映じたはずの己の恥辱的「外部」は変えようがないので、その恥辱的「外部」と表裏一体をなす己の恥辱的「内部」を誤魔化すために同性愛という「内的仮面」をかぶったのである。己の恥辱的「内部」を同性愛という「性格以前のもの」にすり替えて、己の恥辱的「外部」をその「性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」とすることで、己自身を無答責にし、己の恥辱的「外部」に対する己の一切の責任や関与を帳消しにしてしまうのである。

己の恥辱的「内部」を同性愛にすり替えることにより、己の恥辱的「内部」は同性愛という「内的仮面」を楯としてそれ以上他者の穿鑿や攻撃や非難を受け付けず、「致命傷を与えられ」ずに済むのである。他者の目に映じた己の外的な恥辱的言動を「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」ので、「他人の加害を巧く先取して」、自ら同性愛という「内的仮面」を「告白」するという挙に打って出たのである。

これが「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」三島が「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」を懸命に模索して編み出した方法なのである。

「自分、及び、自分の人生」の「過去の喚起はすべて醜かった」からこそ、それを「まるごと肯定」するためには、かつてあった「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか」が、「最も死の近くにいた」三年間の「死骸の生活」や「死の領域」から何とか脱して戦後社会に作家として胸張って「太陽へ顔を向け」て生きてゆこうと決意した三島にとり喫緊の課題になったのである。(このことは特に戦後の三島の宿痾の「恥部」となった仮病を使った兵役逃れに関する恥辱を解明することにより明らかになるであろう。その「恥部」こそ彼が何としても取り繕いたかったものであり、そのことは彼の第二の「仮面の告白」とも言うべき『太陽と鉄』においても同「恥部」を別の方法で懸命に無理やり取り繕っていることからも明白である)

さて、三島が「戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところ」であったのに「逡巡」したこと、それはより具体的には『仮面の告白』で「告白」されているように(しかし「逡巡」が長期にわたったことは隠されている)、「園子にむかって男らしいはっきりした態度をとること」ができなかったことであり、「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない・・・・・・愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている」ような態度や振る舞いをしたことを意味しているのである。

つまり、三島は『仮面の告白』でそうした己の実際の恥辱を「告白」しながら、それを仮面の「論理」と「心理」で欺瞞的に取り繕っているのである。

しかし、三島が実際にそうした恥辱を感じたのは、自分がいつまでもぐずぐずと「逡巡」していたため「園子」が別の男と婚約したことで彼女とその家族に「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされて見限られたと確信したからこそであって、決して『仮面の告白』で「告白」されているように、「園子」に「またきっとおいでになるわね」と言われて「うん、多分ね。僕が生きていたら」と少々曖昧な返事をしただけのことによるものではありえない。それだけのことなら、「私はそう言っている自分に嘔吐を催おした」などということは到底ありえぬことである。

当時は戦争末期で互いにいつ空襲に襲われないともかぎらない状況なのだから、そうした返答は当然のものであろうし、何ら相手に疑念や軽蔑を起こさせるものではなく、「園子」も別にそれだけのことで相手を「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなすことなど決してありえぬことである。

ところが三島は今度「園子」に会うとき(それは『仮面の告白』では「結婚申込」の「お土産」を持って行くときだとされている)を考慮したその少々曖昧な返答のみを以て「結婚申込」に対する「逡巡」を充分に仄めかしたうえで、「自分に『うん多分ね』などという煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」とか「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だ」として、己の「逡巡」が「園子にむかって男らしいはっきりした態度」をとらず、「煮え切らない態度」をとったことであることを密かに「告白」しつつ、そうした己の「煮え切らない」「男らしくない」恥辱的な態度を「一知半解」の奇妙な同性愛の「論理」と「心理」でしきりに取り繕っているのである。

 

「今、園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった」

 

ここで三島は「逡巡」に関わる己の実際の恥辱や屈辱を密かに「告白」しているのであるが、『仮面の告白』の文脈内では不自然な矛盾したものになっている。すでに本土は空襲に襲われ、「一億玉砕」が叫ばれていた戦争末期に「うん、多分ね。僕が生きていたら」という返事をしたくらいで「園子」が「私」を「煮え切らない人間、男らしくない人間」などと思うわけがないし、また彼女が「私」をそんな風に思っているようにも全然書かれていないからである。

たとえば、「うん、多分ね。僕が生きていたら」という返事に対する「園子」の反応はこう書かれている。

 

――園子がしずかな口調で言い出した。

「大丈夫よ。あなたはお怪我ひとつなさりはしないわ。あたくし毎晩(エス)さまにお祈りしていることよ。あたくしのお祈り、今までだってとても利いたのよ」

「信心深いんだね。そのせいか、君って、とても安心しているように見えるんだ。こわいくらいだ」

「どうして?」

彼女は黒い聡明な瞳をあげた。露ほどの疑惑もないこの無垢な問いかけの視線に出会うと、私の心は乱れ、答えを失った。私は安心の中に眠っているように見える彼女をゆすぶり起したい衝動にかられ ていたのだが、却って園子の瞳が、私の内に眠っているものをゆすぶり起すのだった。

 

かように「園子」は「私」に対し「露ほどの疑惑もない・・・・・・無垢な問いかけの視線」を投げ、「私」を全幅に信頼して「安心の中に眠っているように見える」のだから、つまり「私」の目には「園子」の様子はそう見えているのだから、「今、園子の目に見えている私の性格らしきもの」は「煮え切らない一人の男の影像」では決してありえないのであり、「私」がそう思うのはおかしいのである。「園子」は「私」を全幅に信頼して「安心の中に眠っているように見える」と考えている「私」が、どうして「今、園子の目に見えている私の性格らしきもの」は「煮え切らない一人の男の影像」だなどと思うわけがあるまい。

ところが「私」は「園子」の目にそう見えているものと断定し(無論、実は三島が同性愛者「私」にそう断定させているにすぎないわけだが)、「今、園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった」と、己の単なる曖昧な返答のみを以て強引に「結婚申込」に「逡巡」したことに対する己の深甚な恥辱を仄めかそうとするのである。己の「『うん多分ね』などという煮え切らない」返答のみから無理やり「逡巡」に関する恥辱を引き出そうとするのである。

無論、三島の自己「嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」のは、他者の「目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像」であり、より具体的には「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」と他人にみなされることであることは言うまでもない。(同性愛は「私の性格の罪ではなく、性格以前のもの」であり、「私のせいではない」以上、「私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」ものでは決してありえないのであり、これは三島にとっても同様で、だから彼は面白半分に同性愛者の仮面をかぶれるのである。現実の三島は他人に同性愛者と思われようとさして気にせず、「自負心をめちゃめちゃ」にされることなどないのであり、「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑って」いられるのである)

しかし、実際に三島がそうした深甚な恥辱や屈辱を経験したのは「園子」の婚約によってである。それによって「園子」や彼女の家族に見切りをつけられたと思ったからこそ、彼らの「目に見えている私の性格らしきもの」が「煮え切らない一人の男の影像」であり、さらに「男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない・・・・・・愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている」ような「一人の男の影像」だと確信して、恥辱や屈辱を味わったのである。「園子」が別の男と婚約しないかぎりは、自分が彼女やその家族にそんな風にみなされて見限られたとは決して確信しえないのであり、そしてこの確信がないかぎりは三島が深甚な恥辱を経験するはずがないからである。

「園子」が別の男と婚約したことで自分は「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない」奴として見限られたのだと確信したからこそ、そこで初めて彼女やその家族が三島の「恥の立会人」や「証人」になったのであり、そこから彼の深甚な恥辱や屈辱が生じたのである。けだし、「恥の立会人」や「証人」としての「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」からである。

三島はこうした実際の「逡巡」の経緯を『仮面の告白』では正直に「告白」せず、ただ「逡巡」に関わる己の恥辱や屈辱や自己嫌悪だけを正直に「告白」して、それを仮面の「論理」と「心理」を「放し飼」にして強引に取り繕っているにすぎないのである。

『仮面の告白』では「園子」は「私」に「露ほどの疑惑もない・・・・・・無垢な問いかけの視線」を投げ、「安心の中に眠っているように見える」のだから、彼女はあの状況では全然「恥の立会人」や「証人」になっていないのである。そういう「他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」はずなのだから、あの状況で「私」にあのように深甚な恥辱は生じるはずがないのである。

いずれ三島は現実の「園子」がこんな奇妙奇天烈な同性愛者の「告白」に誤魔化されやしないことを充分承知していたはずである。三島が同性愛者か否か現実の「園子」に分からなかったはずがない。自分に対する三島の真の情欲がいずれのものか彼女に分からなかったはずがない。

この点については実在の「園子」の語った言葉が得られている。

 

「園子のモデルとなった女性に、『仮面の告白』を読んでどう思ったのか、訊いてみた。彼女は『三島さんはとっても素直なまじめな方で、゛性的倒錯″を装ってみただけじゃないのかしら』といまも信じている」(猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』)

 

無論、三島が「゛性的倒錯″を装っ」たのは『仮面の告白』執筆公表後のことであって(実は三島にすれば『仮面の告白』の執筆公表自体が「゛性的倒錯″を装って」いる行為そのものでもあるわけだが、実在の「園子」はまさにその点を指摘しているのである)、まさか「園子」と交際しているときに「゛性的倒錯″を装っ」たわけでないことは言うまでもあるまい。わざわざ説明するにも及ばぬだろうが、実在の「園子」は『仮面の告白』を読んだ感想として「゛性的倒錯″を装って」いると感じたのであって、付き合っていた当時の三島は「とっても素直なまじめな」若者だったのである。当時の現実の三島と『仮面の告白』に書かれた三島と思しき同性愛者「私」がまるで違っていると彼女は感知したのであり、もっぱら同性愛という点に関してまったく異なっていることに気づいたのである。

現実の「園子」は『仮面の告白』に示された三島を「゛性的倒錯″を装って」いると感じているのであって、これがもしも三島が本当に同性愛者で、『仮面の告白』が同性愛に関して彼の真実の「告白」だとすれば、実在の「園子」はこの「告白」を読んで、付き合っていた当時の彼の逐一の言動がそういうことだったのかと思い当たるはずである。当時の現実の彼の姿と「告白」中の彼の姿がまるでそぐわぬと感知していればこそ、「園子」は三島が『仮面の告白』では「゛性的倒錯″を装ってみただけ」にすぎないと見抜いているのである。

そしてまた、日本社会では同性愛者でもない者がわざわざ同性愛者を装っても別段どうということがないとほとんど無意識裡にみなしているからこそ、実在の「園子」は『仮面の告白』を読んで三島は「゛性的倒錯″を装ってみただけ」だと言うのである。日本社会では同性愛に対する扱いや態度はその程度のものにすぎないからこそ、したがって同性愛に対してほとんどタブー意識など抱いていないからこそ、彼女はそう言うのであり、また、だからこそ三島も「日本では平気で読まれ」ると充分知ったうえで自分を同性愛者に見せかけた『仮面の告白』を執筆公表したのであり、現実にも編集者らに「自分はホモだ」と面白半分に囁いたのである。これがたとえば同性愛に対する犯罪的タブー意識の深刻なワイルドの時代の英国社会なら、同性愛者でもない者が同性愛者を「おおっぴら」に装うなどということはまず考えもつかぬであろう。三島にしても日本社会に生きている以上、同性愛に対する見方や意識は実在の「園子」と同じなのであり、『仮面の告白』ではわざと同性愛に対する「私」の恥辱意識を大袈裟に深甚にして、なんとかこの「恥部」を「告白」しているかのように見せかけ、読者の注目や関心をこの偽の「恥部」に引きつけて、己の真の「恥部」から逸らさせようとしているのである。

『仮面の告白』のテクストにおける同性愛の他者(作中の「他者」)への露呈に対する「私」の深甚な恥辱意識や恐怖心は三島にとっては偽物なのであり(だが、実は『仮面の告白』は同性愛を現実の他者に大いに吹聴しているテクストなのである。作中の「私」が「他者」に同性愛が発覚するのを大袈裟に恥じ恐れる態度と、現実の三島が同性愛を他者に知らしめるときの嬉々とした様子の決定的な懸隔を見よ。それが何ゆえなのかを看破しえないかぎり、三島由紀夫の解明も彼のテクストの解読もありえないのである)、三島の真の恥辱はそれではないのであり、そして彼のその真の「恥部」は正に「告白」されているのである。三島は己の真の「恥部」を「告白」しつつ取り繕うためにこそ仮面を要したのであり、仮面の「恥部」を要したのであり、「恥部」の仮面をかぶったのである。

それに、実は三島は現実の「園子」には明らかに嘘の「告白」と分かるように書いてもいるのだ。

たとえば『仮面の告白』では「草野」や「園子」の「母は未亡人であった」とか「園子の良人がつとめている外務省」などとしているが、実際は「草野」や「園子」の父親は戦時中は滞欧の外交官であり、戦後は侍従長を務めたりしていたし、「園子」は実際には銀行員と結婚したのである。

また、「とっても素直なまじめな」若者だった当時の三島は、「私はそれまで、多くの小説で女を誘惑する手段をいろいろ読んでいました。そして、もうそのころは、街には出ていなかったが、古本屋では見つけることのできた、フランスのエロチックな小説を、たくさん読んでいました。その私が、いざ彼女の前へ出ると、やはり口もきけず、なすすべもわからなくなっていました」(『わが思春期』)と彼が正直に語るようなものであって、彼と「園子」の実際の付き合いは終始おずおずとしたぎごちないものだったのであるから、『仮面の告白』に書かれている次のような「園子」の疎開先の家でのエピソードはまったくの出鱈目であり、現実の「園子」が読めばすぐに嘘と分かってしまうはずである。

 

「私は祖母や母の前で、幾度となく彼女と大胆な目くばせを交わした。食事の時にはテエブルの下で足を触れ合った。彼女もだんだんこの遊びに夢中になって、私が祖母の長話に退屈していると、梅雨曇りの青葉の窓に身を凭せ、祖母のうしろから、私にだけ見えるように、胸のメダイヨンを指さきでつまみ上げて揺らしてみせたりした」

 

現実の「園子」の目から見て思春期の「とっても素直なまじめな」三島、「いざ彼女の前へ出ると、やはり口もきけず、なすすべもわからなくなって」しまう当時の三島が、こんな「大胆な・・・・・・遊び」をできたわけがあるまい。その後の高原での接吻は事実だが(但し、彼らは自転車でそこへ行ったわけではない)、二人とも緊張と戦きの極みだったのであるから、『仮面の告白』に書かれているようなあんな荒唐無稽な奇怪異様な接吻シーンの「告白」は現実の「園子」には決して通用しないことは三島も充分に自覚していたはずである。

現実の「園子」は三島の長期に及ぶ「逡巡」のいきさつを知っているのだから、彼がいつまでもはっきりした返事をくれないため自分が家人の勧めに従って婚約したことで、そこで初めて三島が「今、園子の目に見えている私の性格らしきもの」は「煮え切らない一人の男の影像」だと確信したため、「私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった」という彼の恥辱や屈辱を彼女は察していたと思われる。

『仮面の告白』を読んで「゛性的倒錯″を装ってみただけ」と見抜いている現実の「園子」は、三島の「性的倒錯」が彼の「逡巡」に関わるそうした恥辱を取り繕い、糊塗するための仮面であることに気づいているように思われる。三島の真の恥辱を知る者にとって、『仮面の告白』において同性愛が彼の真の恥辱を糊塗し取り繕う役割を果たしていることは恐らく明瞭であろうからである。

あることについて何が現実であるかを認識しえないかぎり、何が虚構であるかを看破しえないのである。真実が何であるかを剔抉しえないかぎり、虚偽が何であるかを見破れないのである。

自分が結婚申し込みに「逡巡」したことによって「園子」(や彼女の家族)に「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされること、それこそが真に三島の「嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃに」したのである。

そこで自分はそういう恥辱的な「性格」の人間ではないとするために、まだ誰にも見破られていないはずの同性愛という「心の恥部」をわざわざ「告白」して(無論、三島はそれを己の「内部」から持ち出したわけではなく、外部から持ってきて自身の「内部」に無理やり「融合」させたのである。無論、見せかけの言葉の上だけでだが)、「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だ」とし、自分に「煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」として、己の恥辱的振る舞いについて己自身を無答責にしようとするのである。

恋人「園子」に「煮え切らない人間、男らしくない人間・・・・・・」とみなされるのは、三島の「自負心をめちゃめちゃにする」ことだが、同性愛は自分の「性格以前のもの」であり、自分の「せい」ではない以上、同性愛者とみなされようと、彼の「自負心をめちゃめちゃにする」ことなどないのである。

こうした恥辱体験を経た三島にとっては、そして「人から、『あいつは男らしくない』と言われるのは大の不面目」だとみなすに至った三島にとっては、たとえ同性愛者とみなされるよりも、「煮え切らない人間、男らしくない人間・・・・・・」とみなされるほうが、はるかに彼の自負心や自尊心を傷つけるのである。だからこそ彼は同性愛の「(仮面の)告白」によって己の実際の恥辱を隠蔽糊塗したこのテクストについて、「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」とか「この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ」と言うのであり、また現実に嬉々としてからかい半分に同性愛者の仮面をかぶれたのである。

ところで、己の「逡巡」に関わる恥辱を取り繕う場合には、他者の目に映じた己の「煮え切らない・・・・・・男らしくない」姿は同性愛という己の意志では如何ともしがたい「性格以前のものの仕業であり」、「私のせいではない」として、そうした恥辱的な姿は自分の本当の姿ではないとしているわけだが、先の「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ」「内気な学生のその甚だ生彩のない」姿を取り繕う場合には、同性愛者たる自分が「正常者」を装うために意志的に演技し、「絶対に演出家に忠誠を誓った」結果だとして、そうした「甚だ生彩のない」姿は偽りの仮装の姿であり、自分の本当の姿ではないとしているわけである。

つまり、一方では意志の力では如何ともしがたい(「サムソンの力といえども及ばぬ」)同性愛という「性格以前のものの仕業」とし、他方では同性愛の自分が意志的に「正常者」を装ったのだとして、かつて他者の目に映じた「男らしくない」「大の不面目」な己の姿を本当の自分ではないと「告白」しているのである。

要するに、いずれの場合も、他者の目に映った「男らしくない」己の姿に恥辱や嫌悪を覚えて、そうした屈辱的な己の姿を、同性愛の奇妙な「論理」と「心理」を多様に用いて、己の本当の姿ではないと強弁し、取り繕っているのである。

この同性愛者「私」は奇妙なことに、己の同性愛が他者に発覚するのを深甚に恥じ恐れているように言いながら、己の同性愛を「告白」してでも、かつて他者の目に映った「男らしくない」己の姿を同性愛の「論理」と「心理」で取り繕いたいのである。したがって、実は「私」(と言うより、この場合は作者三島自身だが)が本当に恥辱を感じているのは同性愛よりむしろ他者の目に映った「男らしくない」己の姿のほうなのである。

かように『仮面の告白』はフィクションとしては矛盾だらけなのである。

たとえば、「少年時代からの自己鍛練のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた」のだから、この同性愛者「私」は「少年時代からの自己鍛練のつづきとして」「男らしいはっきりした態度をとること」を自身に課していたわけである。

では、そんな「男らしいはっきりした態度」を見せたがっているはずの同性愛者「私」が、どうして「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ」るような「内気な学生のその甚だ生彩のない」「正常者」をわざわざ装って見せようとするのか。どうして「男らしいはっきりした態度」の「正常者」を装って見せないのか。「絶対に演出家に忠誠を誓った」のなら、どうして「男らしい」「正常者」という演出にしなかったのか。

三島の場合にはそうするわけにはいかなかったのである。そうしては彼にとって意味がないからである。このことこそ『仮面の告白』が決して単なるフィクションとして扱うわけにはいかないことを示しているのである。

三島がかつて実際に他人に見せた姿は「男らしいはっきりした態度」ではなかったのであり、「引込思案で、何かというとすぐ顔を赤らめ」るような「男らしくない」「内気な学生」だったのであって、かつて実際に他人の目に映じたそうした「男らしくない」己の姿(その決定的に恥辱的屈辱的な他者への露呈が「逡巡」と兵役逃れのときである)を取り繕うのが彼の真の狙いだからである。実際の己の恥辱的姿を取り繕うのでなければ、彼にとっては意味がないのである。

かつて実際に他人の目に映じた「煮え切らない」「男らしくない」己の姿、「弱虫の卑怯者」の己の姿、それこそが真に三島の「嫌悪をそそり立て」、彼の「自負心をめちゃめちゃに」したのであり、そうした己の「過去の喚起はすべて醜かった」からこそ、彼は「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」のであり、そのために「すべて醜かった」と「喚起」する過去の己の姿を同性愛の欺瞞的な「論理」と「心理」を「放し飼にし」て隠蔽糊塗し、「まるごと肯定してしま」おうと企てたのである。それが彼の『仮面の告白』執筆動機なのである。

つまり、三島は実際に彼の「嫌悪をそそり立て」、彼の「存在全体を値打のないものに思わせ」、彼の「自負心をめちゃめちゃに」した自身の過去の恥を示しながら(つまり真実の「告白」をしながら)、それを同性愛を「おおっぴら」に見せつけつつ(つまり仮面の「告白」をしつつ、同性愛という仮面を「告白」しつつ)その架空の「論理」と「心理」で取り繕っているのである。別言すれば、「仮面の告白」をしつつ、仮面の「論理」と「心理」で取り繕いながら、己の過去の真の「恥部」を「告白」しているのである。「誤解された自分を押し立ててその裏で告白」をしているのである。仮面を押し立ててその裏で己の真の恥を告白しているのである。三島は正にそういうテクストを作成しているのである。『仮面の告白』はそういうテクストなのであり、それ以外のいかなるテクストでもないのである。

こうした虚実を見極めえずにこのテクストの解読も三島の解明も決してありえないのだ。

三島には実際に彼の「嫌悪をそそり立て」、彼の「存在全体を値打のないものに思わせ」、彼の「自負心をめちゃめちゃに」したような現実の「恥部」があればこそ、彼はあえて仮面の希薄な「恥部」を「告白」して(つまり「仮面の告白」をして)現実の深甚な「恥部」を取り繕ったのである。偽の「恥部」の「告白」とともに真の「恥部」の「告白」をしつつ、偽の「恥部」の「論理」と「心理」で真の「恥部」を取り繕ったのである。

現実の深甚な「恥部」がないかぎりは、無論わざわざ虚構や仮面の「恥部」を持ち出すはずがない。わざわざ「恥部」の仮面をかぶるはずがない。何ら現実の「恥部」がないのに、「恥部」の仮面をかぶるとしたら、単に己をよりいっそう恥辱的にするだけにすぎない。それこそ三島が絶対にやらないことである。

現実の真の深刻な「恥部」があればこそ、それを隠蔽糊塗するための偽の希薄な「恥部」の仮面をあえてかぶったのである。現実の「恥部」があればこそ、それを虚構の特異な「論理」と「心理」で取り繕うための偽の「恥部」をあえて「告白」したのである。あえて同性愛という「仮面」を「告白」したのである。この仮面を仮面と見破られまいとするためにこそ、「告白」のテクスト内ではこの仮面の「恥部」をしきりに大いに恥じているように見せかけているのであり、ところがテクスト外の現実の三島はそれとはまったく裏腹なのである。

三島は『仮面の告白』では己の真の「恥部」を糊塗しているつもりの仮面をかぶっているからこそ、己の真の「恥部」を「告白」しているのである。『わが思春期』では己の真の「恥部」を糊塗するための仮面をかぶっていないからこそ、己の真の「恥部」を語っていないのであり、語りえないのである。

三島は『わが思春期』では軽井沢の高原での接吻までしか語っておらず、その後の「逡巡」にはまったく触れず、「彼女があまりふるえているので、私たちの歯はぶつかり合いました」と語ったあと、唐突に、「私の思春期はこれで終ります。戦争が終ったと同時に、私の思春期は終ったのです。浅子ともそれ以上には進まず、やがて浅子は結婚しました。そして私のいよいよほんとうの人生が始まり、今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくなりました」と語るにとどめている。

そして何よりも彼の生涯の宿痾となった「恥部」すなわち仮病を使った兵役逃れに関わる「恥部」については、『わが思春期』では無論まったく語っておらず、ただ普通に入隊検査を受けて、自分の風邪気味の症状が軍医に肺浸潤と誤診された結果、兵役を免れたと語っているのみである。仮病を使って兵役逃れした際の言動(これこそ戦後の三島の人生を決定した「恥部」である)については語っていないが、軍隊に入りたくない気持ちについては正直に語っている。

 

「その赤紙の電報は、たちまち家中をシーンとさせました。もう二日のうちに、私は兵庫の本籍地の軍隊へ入らなければなりませんでした。ところが、何が幸いになるか分りません。私はその晩から、どうもかぜ気味であったのが、だんだん熱が上ってきて、いよいよ入隊という日には、大変な高熱になってしまいました。(中略)・・・・・・ところが、私の症状が、新米の軍医によって誤診されてしまいました。彼は、私のことを肺浸潤だと言うのです。いわゆる軍隊用語の胸膜炎です。私はラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした」(『わが思春期』)

 

こちらのテクストでは仮病を使って兵役逃れしたことを「告白」していないから、「何が幸いになるか分りません。・・・・・・いよいよ入隊という日には、大変な高熱になってしまいました」とか、新米の軍医に肺浸潤と誤診されて、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした」と正直に語れるのである。普通に入隊検査を受けて、単に「大変な高熱になっ」たのを軍医が誤診したため入隊を免れたなら、そこに何らの恥辱も疚しさもないからであり、また戦死を忌避する気持ちは誰だって同じだからである。

つまり、『仮面の告白』という仮面的テクストにおいては、三島は仮面をかぶりつつ己の真の「恥部」を「告白」しているのであるが、それを仮面を利用して粉飾糊塗しているのであり、一方、『わが思春期』という仮面的でない正直なテクストにおいては、三島は仮面を外しているため己の真の「恥部」を「告白」していないのであるが、それ以外のことは正直に語っているのである。

仮面的でない正直なテクストである『わが思春期』においては、すべてを正直に語っているが、己の真の「恥部」には触れていないのであり、仮面的テクストである『仮面の告白』においては、でっち上げた仮面をかぶり、「『嘘』を放し飼にし」ているが、己の真の「恥部」を「告白」しているのである。

三島が「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである」と言うのは、己の真の「恥部」の「告白」について言っていることはいうまでもあるまい。したがって、三島は『仮面の告白』で己の真の「恥部」について「真実な告白」をしているのであり、そしてそれを「肉つきの仮面の告白」によって隠蔽糊塗し、取り繕っているのである。「肉つきの仮面」が何を意味するか、もはや言うに及ばぬことであろう。

 

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三島の真の「恥部」とは「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する彼の過去の恥辱体験のことである。無論、それはまったく誰にも知られていないことではない。そうなら彼が「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧するはずがない。たとえ一握りにせよ彼の「恥の立会人」や「証人」がいたからこそ彼の体面や自尊心をめちゃめちゃにするような恥辱になったのである。

自分の恥を知っている「恥の立会人」や「証人」がたとえ一握りにせよいるなら、人の口に戸は立てられぬ以上、その恥は尾鰭をつけて広まるおそれがある。少数の「恥の立会人」が「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出すのだ」。戦後、職業作家になるに当たって三島が何より恐れたのはこの点である。だから彼は職業作家としての第一作として『仮面の告白』を書いたのであり、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」と言うのである。

いうまでもなく、それは「すべて醜かった」と「喚起」する過去の己を隠したいからであり、恥辱的な過去の己を抹殺したいという欲求からであって、それゆえにこそ彼は『仮面の告白』について、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」と言うのである。彼が『仮面の告白』を書こうとしたのは、「若き日」の(「醜かった」)「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか」という欲求からであることは寸毫の疑いも容れないのである。

『仮面の告白』という仮面的テクストにおいては、表面上は他人に知られるのを恥じ恐れて必死に隠そうと見せかけているものこそ実は彼の仮面の「恥部」なのであり、仮面の背後で仮面によって取り繕われ糊塗されているものこそ実は彼の過去の真の「恥部」なのである。つまり、その仮面的テクストにおいては、表面上「恥部」として「告白」されているものこそ実は彼の偽の「恥部」、仮面の「恥部」なのである。これが職業作家として「文学生活をはじめ」るに当たって彼が工夫した「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」なのである。

最も「自分の痛いこと」、己の美意識からわれながら「醜かった」と思うこと、己の矜持や自尊心からして面目丸潰れと感じたこと、そうした己の最大最深の「恥部」を他人が「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」のを恐れた戦後の三島は、そうなる前に事前に手を打って『仮面の告白』を書いたのであり、己の真の「恥部」を仮面の「恥部」を利用して取り繕った仮面的テクストを作成したのである。

 

「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために!」(『小説とは何か』)

 

己が最も恥辱を感じている己の過去の最大最深の「恥部」を、その「恥の立会人」の吹聴するままにして、「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」ので、先手を打って「致命傷」にならぬよう手心を加えて取り繕いながら己の「恥部」を自ら「告白」することで「自己防衛」するのである。三島の「告白」は「自己防衛」のためなのである。己の真の「恥部」を密かに「告白」しつつ、それを偽の「恥部」、仮面の「恥部」の「告白」(すなわち「仮面の告白」)で隠蔽糊塗して「自己防衛」しているのである。

要するに、仮面を利用した「論理」と「心理」で己の真の「恥部」を弁明し、その架空の欺瞞的仮面的弁明を公表して己の真の「恥部」に対する「他人の加害」に歯止めをかけることで「自己防衛」したわけだが、仮面を使って己の真の「恥部」を取り繕うためには、弁明に利用する仮面自体も一般的に一種の「恥部」とみなされているようなものでなければならないのである。そうしないと、その仮面は己の真の「恥部」を取り繕うための単なる仮面にすぎないことが容易に見破られてしまうからである。要するに「恥部」を以て「恥部」を制しなければならないのである。

通念で漠然と「恥部」とみなされながら、「私のせいではない」ような「恥部」、「私の性格の罪ではなく、性格以前のもの」であるような「恥部」、「私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」ようなものではない「恥部」、要するに一般的には曖昧ながら「恥部」とみなされながら、己自身の責任は一切問われないような「恥部」、こうしたものがこの場合仮面として格好なのである。

だから、 三島は同性愛という日本社会において実に微妙な「恥部」を仮面として利用したのであり、この仮面の「恥部」を大いに恥じ、それの他者への露見を大いに恐れているように見せかけて、あたかもこの仮面の「恥部」を己の真の「恥部」であるかのように読者に思わせながら、この仮面の「恥部」を盛んに見せつけつつ、つまり「『嘘』を放し飼」にしつつ、仮面の背後で己の真の「恥部」を取り繕った「告白」を執筆公表したのである。

三島に関して同性愛はその「告白」まで誰にも知られていなかった以上(彼は同性愛者でなかったのだから当たり前のことである)、自ら吹聴しないかぎり、その「恥部」を他人が「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」おそれなどありえず、「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」と心配するには全然及ばないのだから、もし同性愛が彼が他人に知られるのを深甚に恥じ恐れる彼の真の「恥部」だとしたら、どんな形にせよ彼がわざわざ自らそれを「おおっぴら」に「告白」して自らの「傷口」を広げるような真似をすることなど金輪際ありえぬことである。

もし同性愛が他人に知られたくない三島の真の「恥部」だとしたら、何人もの編集者たちに、「これは絶対口外してくれるな」と言いながら、わざわざ自分はホモだと耳打ちすることなどどうしてできようか。彼のそうした言動は実は「三島はホモだと言い触らしてくれ」と言っていることにほかならないのである。すでに彼は人の口に戸は立てられないことを充分心得ているからである。そんなことも分からぬほどの頓珍漢でもあるまい。むしろ、何より人の口を気にする彼だからこそ『仮面の告白』を書いたのであり、人の口に戸は立てられぬと知っているからこそ編集者たちの耳にわざわざ自分はホモだと囁いたのであることは寸毫の疑いも容れぬのである。

三島は『仮面の告白』ではわざと同性愛を深刻ぶって恥じているように見せかけているにすぎないのである。読者に同性愛を深刻な「恥部」のような印象を与えようとしているだけなのであり、そんな「印象」に誑かされているようでは到底他我認識はできないのである。

作者自身が己の同性愛を告白しているかのような小説が「平気で読まれている」ような日本社会において、況してや同性愛は「私のせいではない」うえ、何ら「私の自負心をめちゃめちゃにする」ような「恥部」ではない以上、「私」のように深甚に恥じること自体がそもそも少々おかしいのである。もし同性愛が三島の真の「恥部」で、それを『仮面の告白』で自ら告白したのだとしたら、「肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」などと彼は決して言うわけがあるまい。なぜなら『仮面の告白』において同性愛の「告白は不可能」では全然なく、まったく「可能」だからであり、「肉づきの仮面」をかぶる要もなく告白は充分に「可能」になっているからである。もし同性愛が彼の真の「恥部」だとしたら、それを「告白することができる」ようにするためには必ずかぶらねばならぬはずの「肉づきの仮面」とは一体何なのか、そんな「仮面」は『仮面の告白』で全然かぶられていないことになるではないか。

同性愛は戦後の三島が心底「醜かった」と慙愧する彼の真の「恥部」から読者の注意を逸らすための陽動作戦にも利用されているのである。「私のせいではない」偽の「恥部」を穿鑿させて、「自負心をめちゃめちゃに」された己の真の「恥部」への穿鑿を免れんとしているのであり、その「恥部」に対する「他人の加害」による「致命傷」を免れんとしているのである。

つまり実は三島は(無論それは戦後の三島であり、より厳密には『仮面の告白』執筆公表後の三島である)ある意味で己を同性愛者と思わせたいのである。なぜか。もはや言うに及ばぬことだが、それは「告白」で同性愛をダシにして己の真の深甚な「恥部」を取り繕ったからであり、その欺瞞的な仮面的取り繕いを正当な真実の弁明と思わせたいからである。

したがって、三島の同性愛を真に受ける者は彼の真の「恥部」の欺瞞的な仮面的取り繕いも正当な真実の弁明として真に受けてしまうであろう。それこそ三島の狙いにほかならない。だからこそ彼は現実にも同性愛者を陰に陽に演じつづけたのである。

三島の同性愛を真に受けてしまう者には、その仮面の「恥部」を利用して彼が己の真の「恥部」を取り繕った欺瞞的な仮面的弁解や自己正当化ももっともらしく思えてしまうのである。彼の仮面を真に受ける者は仮面による彼の真の恥辱の取り繕いや自己正当化も真に受けてしまうからこそ、彼が仮面による己の真の恥辱の取り繕いや自己正当化を他者に真に受けさせるには、彼は何はともあれ己の仮面を他者に真に受けさせねばならないのである。

これが「醜かった」と思う過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうとする三島の方法であり、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」なのである。このことはやがて解明する彼の兵役逃れに関わる恥辱の深甚さを示すことにより、そしてその恥辱を同性愛をダシにして仮面的欺瞞的に取り繕っていることを示すことにより決定的に証明されるであろう。

 

 

三島は『仮面の告白』では仮面をかぶって己の真の「恥部」を「告白」しているからこそ、(己が心底深甚な恥辱を感じている己の真の「恥部」については)「人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と言うのである。つまり、仮面をかぶり、仮面を利用して取り繕ったうえでなら、仮面なしでは「決して告白をなしうるものではない」ような己の真の「恥部」も「告白」できるのである。それゆえ、その仮面的テクストにおいては、何が彼の「仮面」か、何が彼の真の「恥部」かを看破しないかぎり、テクスト解読はないのであり、作者解明はないのである。まさに三島はそのテクストにおいて仮面をかぶって己の真の「恥部」を「告白」しているからである。

つまり、三島が『仮面の告白』について「肉に深く喰い入った仮面だけがそれ(告白)を成就する」とか「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言っていることから、彼がそのテクストでいかなる「仮面」をかぶっていかなることを「告白」しているか、その「虚」と「実」を解明することがそのテクスト解読の最大のポイントなのである。

『仮面の告白』について、三島が「二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」と言い、また「この小説の中の凡てが事実にもとづいている」としつつも「この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした」と言うように、そのテクストは一面において「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」であり、「凡てが事実にもとづいている」(だから三島の体験した主要な事実が書かれている)のであるが、同時にまた「二人の人物の一人物への融合」という虚構が施され、「嘘」が「放し飼に」され、「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」ある(だから三島自身に関して冒頭部分にかぎらず真っ赤な嘘が書かれていると同時に事実と虚構の辻褄合わせがなされている)のである。

これは要するにそのテクストで彼は「仮面」をかぶりつつ己の真の「恥部」を「告白」しているということである。ある「仮面」をかぶってある言いにくい自身の真実を「告白」しているということである。仮面の「恥部」を利用して、あたかもこの「恥部」を「告白」しているかのように見せかけながら、実はこれ見よがしに見せつけている仮面の「恥部」の裏で己の真の「恥部」を取り繕いつつ「告白」しているのである。同性愛を「告白」しているわけでは毛頭ない。そんな単純な馬鹿正直な「告白」をしているわけでは全然ないのである。「二人の人物の一人物への融合」という虚構が施された同性愛者「私」が三島ではない。三島は「二人の人物の一人物への融合」を行なった作者なのであり、同性愛者「私」の創作者なのであり、「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」ある仮面的テクストの作成者なのである。

三島は職業作家になるための第一作として『仮面の告白』を執筆公表することにより、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた」と言うような戦後三年間(これは特に園子の婚約によるハートブレイク後の三年間である)の「死の領域」や「死骸の生活」から抜け出さんと企てたのであり、そしてその言語作品によって、深甚に慙愧する己の過去の「醜かった」こと、最も「自分の痛いこと」に対する「他人の加害を巧く先取して」「自己防衛」せんと企てたのである。

 

「小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。/客観性の保証とは何か?それは言葉である」

 

ここで三島は「小説家」という己の言葉やテクストを広く公表しうる立場にある者の「特権」を述べているのであるが、それが「人生に対する一種の先取特権」だというのは三島個人の場合であって、他のほとんどの小説家の場合には決して当て嵌まるものではない。

三島が少年時から小説家になることを夢見ていたことは確かであるが、当時は単なる無邪気で甘美な憧れとして夢見ていたにすぎない。しかし、戦後の三島は、己の過去の「醜かった」こと、「自分の痛いこと」を「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」ので、「身の安全のために」「他人の加害を巧く先取」するという「人生に対する一種の先取特権」を「確保」せねばならぬという必死の実存的欲求から「小説家になろうとし、又なった人間」でもあるのだ。彼が戦後社会に胸張って「太陽へ顔を向け」て生きてゆくためには「そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだった」のであり、「彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ」。

役所を辞めて『仮面の告白』を書くことで「小説家になろうとし、又なった人間」である三島は、その半自伝的な「告白小説」(とはいえ、小説としては支離滅裂で、自伝としては嘘が多すぎ、要するに彼自身認めるように「感覚的真実と一知半解」の「嘘」ないし「仮面」を「いたるところで結びつ」けた、つまり「虚」と「実」の辻褄合わせをした仮面的テクストであるが)によって「人生に対する一種の先取特権を確保した」つもりでいたのである。

『仮面の告白』が作者三島自身の前半生について記述した「自伝的」テクストであればこそ、彼の父は「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります」と言うのであり、父親にはそのテクストの嘘の部分と本当の部分の区別が大部分つくのであるが、作者三島について何も知らない一般読者にはそのテクストの虚実の区別がほとんどつかないのである。そのため、一般読者にも容易に調べがつくような三島に関する形骸的な外的事実が一致していることから、すべて事実を記した正直な「告白的」テクストだと信じ込む者も出て来るし、また、虚実の区別など問題ではなく、あくまでフィクションとして読むべきだと言い張る者も出て来るのである。どちらもテクストの真実や真相というものをまったく認識していない点において何ら変わりはないのである。

フィクションとしてはほとんど支離滅裂な与太話であり、正直な自伝としては現実には決してありえぬまやかしの架空の心理が書かれているのであるから、いずれのテクストでもないことは明々白々なのであり、いずれのテクストとしても決して解読しえないのである。

三島は『仮面の告白』において「醜かった」と慙愧する己の過去の恥辱体験を、「自分の痛いこと」を、己の真の「恥部」を、架空の同性愛者の特異な「心理」と「論理」によって取り繕い、糊塗することで、自己正当化し、自己無答責化して、過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうと企てたのであり、そこで同性愛という仮面を利用した己の恥の取り繕いや自己正当化を読者に真に受けさせるためにこそ同性愛を己の真の「恥部」と見せかけねばならぬ必要から、わざと同性愛者「私」に同性愛を大袈裟に恥じさせ、その他者への露見を大袈裟に恐れさせているのである。

そのテクスト内における同性愛者「私」の同性愛に関する対他的意識とテクスト外における作者三島の同性愛に関する実際の対他的意識はまったく裏腹なのである。

『仮面の告白』で同性愛が深甚な恥辱とされ、その他者への露見が大いに恐れられているように「告白」されているからといって、あたかも現実に日本社会で同性愛がそういうものとみなされ、三島自身も同性愛に対しかくも深甚な恥辱意識やその他者への露見にかくも深甚な恐怖心を抱いているものと考えてはならない。そう考えること自体がすでに三島の言葉の詐術に完全に引っかかっていることを意味する。三島は件の目的のために同性愛をわざと深甚深刻な「恥部」のように誇張して表現しているのであって、それは同性愛に対する日本社会の通念や三島自身の態度や意識ともまったく懸け離れているのである。

もしも日本社会で同性愛がそんな深刻深甚な「恥部」とみなされ、三島自身もそうみなしているとしたら、三島も出版社も『仮面の告白』の出版を大いに危ぶんだであろうし、そもそもそんな深甚な恥辱と恐怖をもたらすことになるはずの単なる自己貶下の「告白」を三島が執筆公表するわけもないのであり、複数の編集者たちにわざわざ自分はホモだと耳打ちするわけもないのである。

その英訳の出版がアメリカでは「どこの社も、この出版が社自身と作者の社会的醜聞になることを怖れて拒絶して来た。日本では平気で読まれているこの小説が、米国ではおそるべき背徳の書とうけとられたのである」と三島が言うように、同性愛に対する妙なタブー意識を植え付けられた一頃のキリスト教的西欧社会とは違って(西欧でも、たとえばキリスト教以前の古代ギリシャ・ローマ時代には同性愛に対するそんなタブー意識はなかった)、日本社会では「この出版が社自身と作者の社会的醜聞になる」などという懸念は作者にも出版社にもほとんど皆無だったのであり、両者とも「日本では平気で読まれ」るとほとんど無意識裡に了解していたのである。そして実際、出版後も、「社自身と作者の社会的醜聞になる」ことなどまったくなかったのである。そもそも日本社会では同性愛に対する意識や関心は希薄だからである。

つまり、『仮面の告白』のテクスト内の同性愛への意識とテクスト外の現実の日本社会や作者三島における意識の間には決定的な差異や齟齬があるのだ。このテクスト内における同性愛者「私」の同性愛についての深甚な恥辱意識と恐怖心はテクスト外の現実の日本社会や三島の意識や態度とまったく食い違っているのである。

『仮面の告白』では同性愛者「私」は己の同性愛者たることを他人に知られるのを大いに恥じ恐れているため、己の同性愛者たることを他者に絶対知られまいと必死に隠そうとしているわけである。たとえば、同性愛者「私」はマルセル・プルゥストが男色家だと話す友人に対し、同性愛者「私」は「プルゥストがそうだとは初耳だな」と知らないふりをして言うが、その際「私は声がふるえるのを感じた」と「告白」しているように、己の同性愛が他者にばれるのを極度に恐れているわけである。

ところが、同性愛について同性愛者「私」のような深甚な恥辱意識や恐怖心を全然持っていないテクスト外の現実の三島は、たとえ同性愛者とみなされようと、「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑って」られるのである。だからこそ三島は『仮面の告白』執筆期間中に編集者宅を訪れ、心理学者を訪ねた帰りだと言って、自分の倒錯性向を打ち明け、「満足そうに」帰って行ったり、リオ・デ・ジャネイロではわざわざ案内役の新聞記者の目につくように昼間に現地の少年をホテルに連れ込んだりし、編集者には自分はホモだと耳打ちしたりして面白がっていられるのである。無論、それは彼が偽の同性愛者だからであり、他人を誑かしているという意識があればこそである。また無論、同性愛が日本社会では西欧キリスト教社会のように深刻にタブー視しされることはないからである。

そもそも、もし同性愛が日本でそれほど深刻にタブー視されているとしたら、『仮面の告白』は「作者と出版社の醜聞になることを恐れて」出版しえない可能性もあっただろうが、三島も出版社もそんな懸念など毛頭していなかったのである。出版社側では後半を早く書くよう促しているし、三島にしても役所を辞めてこの作で売り出し、生活していこうとしていたのだから、両者とも出版を危ぶむ気配すらなく、大いに売り出そうとしていたのだから、「日本では平気で読まれ」ることは両者とも日本社会に生きる日本人として無意識裡に当然とみなしていたのである。

同性愛について三島は、「エスとか、男の間での稚児さんのこととか、そういう話は、日本では割に公然と平気で言われていることであります。・・・・・・日本ではそういう思春期の同性愛には、非常に寛大であります。そしてむしろそういう方が、異性との恋愛よりも安心だという考えが、親たちにも強い。・・・・・・九州の方に古くからある美少年をかわいがる風習のように、異性愛は軟弱である、かえって同性愛の方が武士道的な男らしい愛情だと考えられてきたのです」(『新恋愛講座』)と言っているが、こちらの方が同性愛に対する彼や日本社会の意識や態度を正確に示しているのであり(三島の世代については特にそう言える)、『仮面の告白』の「私」の同性愛に対する恥辱意識は不自然なほど誇張されているのであり、実は大いに誇示されているのである。こうした絡繰を看破しなければならない。

三島自身『仮面の告白』が「日本では平気で読まれ」ると当然のようにみなしている『裸体と衣裳』や『新恋愛講座』のテクストのほうが彼や日本社会にとっての同性愛の意味合いやコノテーションを正確に反映しているのである。三島自身はフフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば、お互いに商売上、得だから」と言っているのだから、日本社会では同性愛者ではないかと疑われたところで、大した実害を被りはしないとみなしているのであり、それどころか「商売上、得だから」とすら考えているのである。

むしろ『仮面の告白』を読んで、同性愛者「私」の恥辱意識や恐怖心を誇大に表現した言葉を真に受けて、同性愛はそんなふうにみなされているのか、それほど恥辱的なものなのか、などと思う読者が出て来るとすれば、同作は余計な偏見をもたらすことに「貢献」していないともかぎらないということになろう。その仮面的テクストから日本人や日本社会の同性愛意識を容易に探れるものではないのである。その恥辱意識や恐怖心をわざと誇張した言語表現を真に受ければ、まったくの誤解による研究が綴られかねないであろう。

歴史資料を解読する場合にも、個人の作成したテクストから当時の社会状況や意識状況を直接把握しうるわけではないことを銘記すべきである。歴史文献の解読にも他我認識が重要なのだ。特に人文系のテクスト解読にはきわめて慎重かつ深遠な考慮を要するのである。この分野においてはほとんど出鱈目な方法論が罷り通っているのである。

三島が同性愛について同性愛者「私」のような深甚な恥辱意識や恐怖心を持っていないことは、『仮面の告白』のテクスト外の現実の彼の言動や『裸体と衣裳』や『新恋愛講座』などのエッセーなどから明らかである。それらには互いに何の矛盾もないからである。無論、『仮面の告白』の出版のいきさつや出版後の社会的反応も考慮したうえでそのことは明らかなのである。

同性愛者「私」は己の同性愛者たることを「他人」(何度も言うように作中の「他人」、虚構の「他人」にすぎぬ)に知られるのを随所でしきりに恥じ恐れているが、そういうテクストを作成し、現実の他人に公表する作者三島は、その甚だしい恥辱意識や恐怖心を現実の他者に見せつけているのであり、実は深刻ぶった恥辱意識や恐怖心を誇示して密かに北叟笑んでいるのである。

『仮面の告白』のこうした絡繰が見破れないかぎり、あたかも同性愛が三島の本当の深甚深刻な「恥部」であるかのように信じ込んで、三島が「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いたに違いない」(奥野健男『三島由紀夫伝説』)などというとんでもない勘違いをしてしまうのである。言葉を安易に真に受けることの当然の結果である。

三島は役所を辞めて職業作家としてやっていくための第一作として『仮面の告白』を書いたのであり、この作によって作家として立つ決意をしたのであって、「この出版が社自身と作者の社会的醜聞になる」とは作者も出版社もほとんど念頭にすらなく、両者とも大いに意気込んで売り出そうとしていたのであり、事実、出版後も「社自身と作者の社会的醜聞になる」ことなど無論絶無だったのである。「日本では平気で読まれているこの小説」の作者が「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺」など被るはずがなく、「日本では平気で読まれているこの小説」を書くのに「自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟」など何らする必要はないのである。

「作者の社会的醜聞」や「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺」を招くどころか、むしろ三島はこの作によって名を揚げ、作家として認可されたことを思えば、そして何よりも「他人の加害を巧く先取して・・・・・・とりもなおさず身の安全のため」を図って「醜かった」と「喚起」する過去の「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」この「告白小説」を書いたことを見破るならば、奥野の説がまったくありえぬ誤解であることが分かるであろう。三島にとって同性愛の「仮面」の「告白」は「身の安全のため」なのであり、「フフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば・・・・・・商売上、得」なことなのであるから、「自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟」など同性愛の「告白」に関しては毛頭ありえないのである

言葉やテクストのみからは、それが発言者や作者にとってどういうものであるか、いかなる意味があるかは、必ずしも容易に分からないのである。しかし、それが分からぬかぎり言葉やテクストから発言者や作者を論じることはできないのであり、彼ら他者を認識することはできないのである。

言葉の語義のみが問題ではないのだ。たとえば同性愛という言葉の語義ではなく、同性愛というものに対する三島の意識や態度なども問題になりうるのである。そうしたものを含む作者にとっての同性愛の意味合い、作者の「主観的」なコノテーションが重要深遠な問題になりうるのである。それを問題にしないかぎり、たとえば同性愛者「私」の同性愛に関する深甚な恥辱意識や恐怖心が三島のものでないことを見破れないのであり、彼がある意図を持ってそれを大袈裟に誇大に表現したことを看破しえないのである。作者が三島由紀夫だからこそ同性愛者「私」の深甚深刻な恥辱意識や恐怖心は(彼にとって、彼の場合に)嘘なのであり、まやかしなのである。つまり、言語表現された「私」から、言語表現された「告白」から、言語表現主体の三島由紀夫が直接引き出せるわけではないのである。

中学や高校の入試に失敗した三島が、「私は今まで受けた資格試験と言っては、小学校へ入ったときのメンタルテストを別にすれば、高等文官試験だけしか知らないのである」とか、「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」と言うからこそ、こうした言葉やテクストは彼にとって嘘や仮面を意味しているのであり、別人が言う場合は必ずしも嘘や仮面とはかぎらないのである。ここで言葉やテクストから発言者や作者を切り離したり捨象してしまえば、言葉の虚実やテクストの仮面的か否かは認識不能になってしまうのである。

三島の書いたテクストを作者が三島でも誰でも構わぬものとみなして読んではならないのであり、そんな読み方をしているかぎり、彼の嘘や仮面を看破できなくなるのである。余人は知らず、三島にとってこそ嘘や仮面なのであり、三島の「主観的」意味合いこそが嘘や仮面なのであるから、彼を切り離したり捨象しているかぎり、彼の嘘や仮面を認識しえなくなるのである。テクスト自体に現前していないことをテクストのみから看破するわけにはいかないのであり、テクストと作者を統合しないかぎり、テクスト自体に現前しないことを解明する道は開かれないのである。

たとえば前掲のテクストの場合、そこで三島が嘘をついたり仮面をかぶったりしていることは当のテクスト自体にはまったく現前していないわけである。だが、そのテクストから(テクストのみから、ではない)彼が嘘をついたり仮面をかぶったりしていることを看破しないかぎり、一体どこから彼のそうした行為や活動を捉えることができようか。彼は正にそのテクストにおいてこそ嘘をついたり仮面をかぶったりしているからである。そのテクストを作者が三島であるテクストと認めて作者三島を考慮しないかぎり、かかる嘘や仮面を看破することはできないのである。

 

では、『仮面の告白』のテクストの場合はどうであろうか。

 

三島の世代は、彼自ら「私の十代は、戦争にはじまり、戦争におわった。一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さというものは、今の十代にはわかるまい」(『私の十代』)と言うように、戦時が思春期だったのであり、当時の彼は「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」(『私の遍歴時代』)かったから、いつ赤紙が来るかとびくびくしていたのである。

こうした当時の三島が友人に死ぬ覚悟はあるかと訊かれて、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のは当然であり、「どうせ兵隊にとられて、近いうちに死んでしまうのである。それを想像すると時々快さで身がうずく。でも、よく考えると死は怖いし、辛いことは性に合わず、教練だって小隊長にもなれない器だから、何とか兵役を免れないものか」と思っていたのも当然のことである。

そしてついに昭和二十年二月四日に、「急に玄関のベルが鳴って、赤紙の電報がやってきました。・・・・・・もう二日のうちに、私は兵庫の本籍地の軍隊へ入らなければなりませんでした。ところが、何が幸いになるか分りません。私はその晩から、どうもかぜ気味であったのが、だんだん熱が上ってきて、いよいよ入隊という日には、大変な高熱になってしまいました。・・・・・・私は立っているうちに、また寒気がし、せきが出て、目まいがしてきました。ところが、私の症状が、新米の軍医によって誤診されてしまいました。彼は、私のことを肺浸潤だと言うのです。いわゆる軍隊用語の胸膜炎です。私はラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした」(『わが思春期』)。

こうした彼の言葉は正直なものであるが、ここには仮病を使って必死に兵役を免れようとした言動については一切「告白」されていない(また、このテクストでは例の「煮え切らない・・・・・・男らしくない」「逡巡」についても一切語っていないから、それらの「恥部」を取り繕い糊塗するための同性愛の仮面をかぶる必要がないのであり、「仮面の告白」をする必要がないのである。だから、この正直なテクストでは無論「聖セバスチャン殉教図」など持ち出す必要はなく、代わりに崔承喜の「半裸のポートレート」を「いつも机の奥深くしまってありました」と率直に語れるのである)。ただ単に風邪のため「大変な高熱になって・・・・・・寒気がし、せきが出て、目まいがし」たという「症状が、新米の軍医によって誤診され」たため自分は兵役を免れたとしているだけである。仮病を使った兵役逃れの振る舞いを「告白」しないかぎりは、その「恥辱的」な行為を、三島にとり人生最大最深のその「恥部」を、別に取り繕う必要はないため、このように何ら仮面をかぶらなくとも正直に語れるのである。その「恥部」を、その「恥辱的」な「醜かった」振る舞いを「告白」する場合には、それを取り繕い、それにたいし己を無答責にするためにこそ、三島は「一知半解」の仮面をでっち上げて、仮面的な「論理」と「心理」を連ねて自己正当化を図ったのである。

「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島が、入隊検査で軍医に「ラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした」というのは正に彼の「そのときの正直な気持」であったことは確実である。

このように三島は当然ながら死を(したがって兵役を)恐れていたのであり、また、いろいろなことに未経験だった十八歳の夢多き彼は「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない」と痛切に感じ、己の前途をいろいろ夢見て大いに期待していたのであるが、こうしたことについては『仮面の告白』でも、「私は自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った。そのくせ、死の恐怖は人一倍つよかった」とか、「私はまだ希望をもち、明日はいつも未知の青空の下に眺められた。旅の空想、冒険の夢想、私がいつかなるであろう一人前の私の肖像、それと私のまだ見ぬ美しい花嫁の肖像、私の名声の期待」というように正直に「告白」しているのである。その文脈においては、「死の恐怖は人一倍つよかった」とか己の前途の人生に希望や期待を抱いていることを示しても、別に何ら恥辱的ではないからである。

ところが、『仮面の告白』では、兵役を免れたいきさつを「告白」する段になると、こうした死の恐怖や生への未練がないかのように、己の前途に希望や期待を抱いていないかのように見せかけ、「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った」とか、同性愛者の自分の「生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと、あたかも自分が死を願い、生への未練がないかのように「告白」して、こんな自分が何で「あのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出た(当り前だ。アスピリンを嚥んだのだもの)と言ったりしたのか?」などと己の仮病を使った兵役逃れの言動(三島の実際の言動が正にそこで「正直」に「告白」されていることに注意せよ)にいちいち自ら疑問を呈し、何であんな真似をしたのかその理由が分からないなどととぼける(これは仮面の口である)のである。

軍医に肺浸潤と誤診され、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」だった三島が、同性愛者「私」のように「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」(『仮面の告白』)などと寸毫も訝しく思うはずがないのである。

死を恐れ、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない」と痛切に感じた三島、徴兵検査の近づくのを不気味な気持ちで恐れ、「何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島は、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と当然思っていたのであるから、入隊検査で軍医に肺浸潤と誤診されて「助かったような気持」だったのは当り前で、心底嬉しかったのだから、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」のは当然のことであり、そうした己の感情が何故なのかは彼自身にはまったく疑う余地などないはずなのである。

幼時から「死の恐怖は人一倍つよかった」三島は「何とか兵役を免れ」ようとして、当時ひいていた風邪を利用して肺病を装い、「むきになって軍医に嘘をつい」て、「微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりした」のも当然と思われるのである。

つまり、三島はただただ死ぬのが怖かったから、死ぬのが嫌だったから、生きていたかったから、生に未練があったから、兵役を免れようとしたのであり、そうした明確な意志や意図を初めから持って(『仮面の告白』はこの点を誤魔化そうとしている。仮面の「論理」と「心理」の強引な適用によって)、軍医に嘘をついたのであり、必死に仮病を使って兵役逃れを試みたのである。

 

「入隊検査で獣のように丸裸かにされてうろうろしているうちに、私は何度もくしゃみをした。青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ、あまつさえこの誤診が私の出たらめの病状報告で確認されたので、血沈がはからされた。風邪の高熱が高い血沈を示した。私は肺浸潤の名で即日帰郷を命ぜられた」(『仮面の告白』)

 

ここで三島は仮病を使って兵役を免れたいきさつを彼としては精一杯正直に「告白」しているようだが、肝腎なことを隠している。この「告白」では、あたかも、まず「青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ」、その誤診を確認させるように「私の出たらめの病状報告」がなされたようになっている。つまり、まず軍医が誤診し、然る後に「私の出たらめの病状報告」という兵役逃れのための嘘が始まったようになっているが、実際には軍医の診察の前から三島の仮病を使った嘘は始まっているのである。

入隊検査場で軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われて、三島はサッと手を挙げたのであり、まずはここから仮病を使った三島の兵役逃れのための嘘は始まっているのであり、それから三島は「肺の既往症がある者」として軍医の診察を受けたのである。

なぜこの事実を『仮面の告白』で隠したかといえば、これを「告白」したら、初めから死の恐怖と生への未練から意志的に意図的に仮病を使って兵役を免れようとしたことが露呈してしまうからであり、そうなればいくら仮面の口を借りても「何であんなことをしたのか、私にはわかりかねた」などととぼけて、仮病を使った兵役逃れの振る舞いについて責任逃れし、己を無答責にするわけには絶対にいかなくなるからである。要するに、例の「逡巡」の場合と同様に、兵役逃れについても、その「恥辱的」な行為(これこそ戦後の三島が最も「醜かった」と「喚起」する彼の人生最大最深の「恥部」である)は「私のせいではない」として、何とか己を無答責にしようとしているのであり、この場合もそうするために同性愛者の「論理」と「心理」を強引に適用しているのである。

つまり、三島は「醜かった」と「喚起」する己の過去を、「自分の痛いこと」を、要するに己の「恥部」(同性愛ではない)を、鼻をつまみつつある程度「告白」しながら、それを仮面の「論理」と「心理」を利用して取り繕っているのである。つまり、「私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、「二人の人物の一人物への融合」による「嘘」(これが仮面の「論理」と「心理」である)を「放し飼」にして、己の真の「恥部」を取り繕っているのである。

自分が心底「醜かった」と思う己の恥辱的な過去は仮面をかぶって取り繕ったうえでなければ「告白」しえないからこそ、三島は「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのであり、「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と言うのである。つまり、『仮面の告白』において三島は仮面を利用して取り繕いつつも己の恥辱的な「醜かった」過去について「真実な告白」をしているということなのである。

思春期の三島は自己愛と自己美化の欲求から「美しい死」を憧憬し、戦時には壮烈な悲劇的死を遂げる神風特攻隊を憧憬賛美して、自分も彼らのような「英雄たらんと夢みた」からこそ、入隊検査での己の振る舞いが決定的な恥辱になったのであり、彼の美意識や自尊心や矜持を決定的に傷つけてしまったのである。

入隊検査での仮病を使った兵役逃れの振る舞いこそ戦後の三島が最も「醜かった」と「喚起」し慙愧する彼の最大最深の「恥部」なのであり、彼にとり最も恥辱的なこの振る舞いこそを彼は何とかして「私のせいではない」とし、何としてでも己を無答責にしたいのである。そのために、兵役逃れを「告白」する段になると、死の恐怖や生への執着を隠して、「私は何か甘い期待で死を待ちかねてもいた」とか「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った」などと、あたかも死を欲しているかのように見せかけたり、また自分が同性愛者であるために「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」とか「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと持って回った表現で、あたかも生に執着していないかのように見せかけ、死や兵役を恐れ忌避する理由などないかのように思わせて、こんな「未来が重荷」で「生が、行手にそびえていない」同性愛者の自分がなぜ仮病を使ってまで兵役逃れをしたのか分からない、「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?・・・・・・あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などととぼけるのである。

ここで、己の前途が暗く、人生が辛いために、生に未練がないかのように見せかけて、己の必死の兵役逃れの振る舞いの理由を「わかりかねた」とし、己の恥辱的行動を無答責にするために、「私のせいではない」同性愛をダシにしていることを見破らねばならない。

死の恐怖と生への未練を示せば、彼の兵役逃れの振る舞いの「力の源」すなわち動機や本心など(たとえば「弱虫の卑怯者」の「心」や「内部」など)が明々白々になって、意識的意図的に仮病を使って兵役逃れしようとしたことが露呈してしまうわけだが、そうなると戦後に彼が仮病を使ったことを知った彼の「恥の立会人」たちからどんな噂を立てられるか知れたものではなく、「弱虫の卑怯者」という非難はもとより、さらにずっと屈辱的で恥辱的な口汚い言葉を投げつけられるか知れたものではないであろう。彼らが「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出すのだ」。己の「恥の立会人」たる「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」のである。それこそ戦後の三島が何よりも恥じ恐れたことである。

そこで、己の「恥の立会人」に「致命傷を与えられ」る前に、「大きな腐った傷口が歌い出す」前に、三島は己の真の「恥部」をある程度「告白」しながら、つまり「印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせ」ながら、それを偽の「恥部」を利用して取り繕い、「私のせいではない」とか「私にはわかりかねた」として己を無答責にすることで「自己防衛」したのである。「他人の加害を巧く先取」することで「身の安全」を図ったのである。

仮病を使った兵役逃れについて、三島が「むきになって軍医に嘘をつい」て、「微熱がここ半年つづいている」とか、「肩が凝って仕方がない」とか、「血痰が出る」とか、「現にゆうべも寝汗がびっしょり出た」などと「出たらめの病状報告」をし、そして「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じ」、「営門をあとにすると私は駈け出した」(実はこのとき三島は父親に手を取られて一目散に駈け出したのだが、それはこの「告白」では隠されている。二十歳の大学生としてはあまりに腑甲斐ないと思ったのであろう)ことを自ら「告白」することで、彼はさながら「印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせ」ているわけだが、そうした己の兵役逃れの振る舞いを、奇矯な同性愛者の「論理」と「心理」で、たとえば「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」とか、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などとして、あたかも死や兵役を恐れたり、生に執着したための振る舞いではないように見せかけ、何であんな振る舞いをしたのか「私にはわかりかねた」として己を無答責にすることで「自己防衛」しているのである。

すでに他人に示してしまった己の恥辱的言動、すでに外部に表われてしまった己の恥辱的振る舞いは変えようがないから、また、すでに他人に目撃された己の恥辱的言動を取り繕うことこそが目的なのだから、それはそのまま示しつつ、まだ「恥の立会人」に見破られていないと想定される己の「内部」に仮面をかぶり、この仮面の「恥部」を「告白」すると見せかけて、この仮面の「論理」と「心理」を強引に駆使して、すでに他人にさらしてしまった己の恥辱的振る舞いを取り繕うのである。

要するに、己を無答責にするために「内部」にかぶった仮面を盾として、それ以上「他人の加害」を己の兵役逃れの振る舞いの「力の源」や動機や本心といった己の「内部」に踏み込ませないようにして、「恥の立会人」たる「他人に委せておいたら・・・・・・与えられかねない」「致命傷」を免れようとするのである。

死の恐怖と生への未練から意志的に意図的に仮病を使って兵役逃れをしたのではないようにしたいのであり、そうすることで「美を裏切る」ような「卑怯未練」な振る舞いをした「醜かった」己を何とか無答責にしようとするのである。

こうした詐術的な仮面的方法によって、死を恐れ、生に執着したために「美を裏切」ってしまった己を無答責にすることこそ、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」によって、「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」することにほかならないのである。

戦時の若い三島は、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のだから、自分の人生はこれからだと未来に大いに期待していたはずである以上、「私には未来が重荷なのであった・・・・・・こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」はずがなく、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと感じたわけがなく、これらは生への未練がないかのように見せかけて、己の兵役逃れが死や兵役を恐れたためではないとするための詐術にすぎないのである。

「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」かった三島、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島が、「こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」だとか、「私が万一『名誉の戦死』でもしたら、実に皮肉に生涯を閉じたことになり、墓の下での私の微笑のたねは尽きまいと思われるのであった」(『仮面の告白』)などと「告白」するのは、真っ赤な嘘であり、「仮面の告白」以外の何ものでもないのである。

「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思った三島は、「軍隊の意味する『死』」を何より恐れていた以上、自ら軍隊に志願するわけがなく、彼はただ「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じつつ、赤紙がいつ来るかとびくびくしていたにすぎないのである。

三島は昭和十九年九月に学習院高等科を卒業したが、彼と同期の学習院高等科文科卒業生全二十四名中の大半(十六名)が特別幹部候補生や予備学生として陸軍や海軍に志願入隊するなか彼はいずれにも志願しなかった。死を意味する軍隊や兵役を何とかして忌避したかった彼は、ただ赤紙が来るのを恐れおののきつつ坐して待つほかなかったのである。赤紙が来てしまったら仕方ないが、それまではただ死の恐怖と生への執着から軍隊から遠ざかっているほうを選んだのである。

こんな彼が、「特別幹部候補生の志願をせずにただの兵卒として応召するつもりでいる決心」を学習院院長の老海軍大将から咎められ、彼の「体では列兵の生活にはとても耐えられまいと力説」する院長に対し、「でも僕は覚悟しています」と返答するのである(『仮面の告白』)。「死は怖いし、辛いことは性に合わず・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた当時の三島に、もとよりそんな「覚悟」などあるはずがなく、それは単なる見せかけの言葉、取り繕った建前上の返答にすぎないのである。(ちなみに、このエピソードは昭和十九年九月の出来事であり、戦時の学業短縮措置による学習院高等科の繰り上げ卒業式で、三島は同期の文科卒業生全二十四人中の総代(同期の理科卒業生は全二十七名で二人が総代)として恩賜の銀時計を拝受し、そのあと院長に伴われて宮内省へ御礼に赴く車中での会話である)

また、仮病を使って必死に兵役逃れを試み、首尾よく即日帰郷となって戦後に生き残った彼であるのに、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思っていた彼であるのに、母親には「合格して出征し、特攻隊に入りたかった」と言うのである。もし彼が本当に特攻隊に入るつもりだったら、赤紙が来るまで坐して待っているはずがあるまい。赤紙で召集されて、「ただの兵卒として」出征したところで、特攻隊員になれる可能性などまずないからである。彼が即日帰郷にならなかったら入隊するはずだった隊については後年彼自身「あとで聞くと、その隊は、みなフィリッピンへ連れていかれて、数多くの戦死者を出したそうであります」と語っているのである。

三島は『仮面の告白』以外のテクストでは、「死は怖いし、辛いことは性に合わず・・・・・・何とか兵役を免れないものか」とか、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」とか、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」とか、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」とか、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜しく」とか、要するに戦時の自分が死や軍隊や兵役を何よりも恐れ、生に未練があったことを正直に語れるのは、これらのテクストでは仮病を使った兵役逃れについて一切「告白」していないからである。死の恐怖や生への未練はほとんど誰にでもある以上、死を恐れ、そして特に戦時には死を意味する軍隊や兵役を恐れ、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」いと思うのは、三島と同世代のほとんどの若者たちの当然の気持ちであって、それを戦後には正直に表明しても別に恥辱的なことではないからである。

しかし、仮病を使った兵役逃れについて「告白」する場合には、このように死や軍隊や兵役を何よりも恐れ、生に未練があったことを正直に明かしてしまったら、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?」「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」「私にはわかりかねた」などと空とぼけて、仮病を使った兵役逃れの「醜かった」振る舞いについて己を無理やり無答責にするわけには絶対にいかなくなるのである。(こうした強引な自己無答責化のための不自然な空とぼけの心理を何とかありうる現実的なものと思わせるためにこそ、三島は「私」を同性愛者に仕立てて、己の同性愛の「他者」への露見を「私」に大袈裟に恥じ恐れさせ、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」とすることによって、同性愛者の「私」には生への未練や死の恐れがないかのような心理に仕立てているのである。無論、現実の三島は現実の他者に対し同性愛者を装うことについて恥じ恐れる気持ちなど少しもなかったのである)

また、『仮面の告白』では例の「逡巡」について「告白」しつつ、「少年時代からの自己鍛錬のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた」としているが、「逡巡」について何ら「告白」していないテクストでは、「私は大体、尊敬する人に畏敬の念をもって近づくことよりも、人に愛されていることのほうを喜ぶ甘ったれの坊ちゃん気質が抜け切れず、保田与重郎氏も、佐藤春夫氏も、萩原朔太郎氏も、伊東静雄氏も、一回ずつしか訪問したことがなかったように記憶する」(『私の遍歴時代』)と述べ、自分が「人に愛されている方を喜ぶ、甘ったれ」であったことを率直に認めているのである。

しかし、「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・好悪のはっきりしない・・・・・・愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている」ような性格ゆえの「逡巡」であったはずなのに、その「逡巡」について「告白」する場合には、自分が人を「愛することを知らないで」「人に愛されている方を喜ぶ、甘ったれ」であったことを正直に明かしてしまったら、「少年時代からの自己鍛錬のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた」などと決して言うわけにはいかず、そうなれば自分に「煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」などと絶対に弁明するわけにはいかなくなるのである。

つまり、戦時には最高の自己美化として神風特攻隊のような「英雄たらんと夢み」ながら、入隊検査でそれとはまったく反する「弱虫の卑怯者」とみなされるような仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いを他者に見せてしまったからこそ、また「園子」に対しては「男らしいはっきりした」人間でありたかったのに、彼女と「許婚の間柄になるべきところを」例の「逡巡」で「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」とみなされるような振る舞いをしてしまったからこそ、これら二つの体験が三島の深甚な恥辱や屈辱になったのであり、そこでそうした己の恥辱的な「醜かった」振る舞いを「告白」する場合には、同性愛者の仮面をかぶり、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」として、あたかも生への未練がなく、死や軍隊を恐れ忌避する理由がないかのようなことを言ってとぼけたり、また、「少年時代からの自己鍛錬のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた」として、あたかも自分はそういう性格の人間ではないようなことを言って、自分に「煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」と同性愛に責任転嫁したりして、己の恥辱的な「醜かった」行動について何とか己を無答責にしようとするのである。

かくして三島は奇矯な同性愛者の「論理」と「心理」を「放し飼」にして、自分の仮病を使った兵役逃れは自分が「弱虫の卑怯者」であることを意味するものではない、また「園子」と「許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡」で見せた「煮え切らない態度」は、自分が「煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間」であることを意味するものではないと必死に弁明しているのである。

「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?」「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」「何だって私はあのように」仮病を使って兵役逃れするような「弱虫の卑怯者」みたいな振る舞いをしたのか、「私にはわかりかねた」と同性愛者「私」は言うのである。「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに」、「何だって」自分は仮病を使ってまで必死に兵役逃れをし、兵役を免れると分かったとき、込み上げてくる嬉しさを「隠すのに骨が折れるほど」喜んだのか、「私にはわかりかねた」と自己無答責化の弁明をするのである。

こんな馬鹿げた心理は現実には決してありえない。自分が仮病を使って必死に兵役逃れした理由が「わかりかねた」などということは決してありえないのである。同性愛者「私」が主張するように、たとえ「私の生が、行手にそびえていない」としても(また、たとえ「美しい死」に憧れているとしても)、死や死を意味する兵役への恐怖がないということには決してならないのだから、自分の必死の兵役逃れの振る舞いが何ゆえなのか「私にはわかりかねた」などということは決してありえないのである。ところが、ここで死の恐怖を隠し、「生が、行手にそびえていない」こと(あるいは死への憧憬)だけを強調されると、表面上は隠されているものを看破しえない読者は、表現された字面上だけで説得されてしまいがちなのである。

現実の三島は「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、そして入隊検査では軍医に兵役免除となる病気と診断されて、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」だったのだから、『仮面の告白』におけるような「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか?」という疑問など絶対に生じるわけがないのであり、そんなことが「私にはわかりかねた」はずなど断じてありえないのである。

要するに三島は、「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。・・・・・・それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか?」などと、あたかも死や軍隊を希求しているような印象をまず読者に刻印してから、「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?」と、兵役免除になって営門から一目散に逃げ去った自分の振る舞いに疑問を呈し、そして「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」として、己の兵役逃れの一連の振る舞いについて自分を何とかして無答責にしようとしているのである。そうした己の一連の行動が死や軍隊を恐れたあまりの「弱虫の卑怯者」の見苦しい振る舞いでなかったように思わせたいからである。

こうして兵役逃れの振る舞いについて強引に己を無答責にしてから、然る後に突然まるでオカルト現象のように今度は死の希求をもともと抱いていなかったようなことを言い出すのである。

 

「すると突然、私の別の声が、私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった筈だと言い出すのだった。この言葉が羞恥の縄目をほどいてみせた。言うもつらいことだが、私は理会した。私が軍隊に希ったものが死だけだというのは偽りだと。私は軍隊生活に何か官能的な期待を抱いていたのだと。そしてこの期待を持続させている力というのも、人だれしもがもつ原始的な呪術の確信、私だけは決して死ぬまいという確信にすぎないのだと」

 

先には「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った」と言いながら、今度は「私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった」と言い出すのである。こんな馬鹿げた矛盾した心理は現実には決してありえないのだが、兵役逃れの一連の振る舞いについて「私にはわかりかねた」と己を無答責にするためには、まず死や軍隊を希求していることを示す必要があり、こうして兵役逃れの振る舞いについて一旦己を無答責にした後なら、死を希求していなかったようなことも言い出せるのである。無論まったく辻褄は合っていないわけだが、とにかく仮病を使った兵役逃れについて己を無答責にするためには、その「醜かった」振る舞いを「告白」する場面で一時的に死の恐怖を隠しておき、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていない」同性愛者の自分が「何だって」あんな真似をしたのか「私にはわかりかねた」と白を切ることで己を無答責にしておいてから、然る後に安心して死の恐怖を思い出したように明かすのである。

ここで三島が工夫した詐術を見抜けずに、いくら彼を論じようと、彼の手の平で踊らされているだけのことにならざるをえまい。

戦時の三島は「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」とか、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」とか、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」とか、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」いと思っていたのであり、要するに死を何より恐れ、戦時には死を意味する軍隊や兵役を何より恐れていたのであるから、こうした三島が『仮面の告白』の同性愛者のように「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った」わけがなく、「それをしも私は軍隊に希っていた」わけもなく、即日帰郷となって死や兵役を免れて「私は希望を裏切られた」と思ったわけがないのである。

死を何より恐れ、戦時には死を意味する軍隊や兵役を何より恐れた三島は、何とかして死や軍隊や兵役を免れたかったのであるから、入隊検査で死や軍隊を恐れるあまり必死に仮病を使って兵役を免れようとしたのであり、即日帰郷と宣告されて大喜びしたのであることは明々白々なのである。

だが、死や軍隊や兵役を恐れたことを正直に「告白」しては、「何だって」あんなふうに兵役逃れなどしたのか「私にはわかりかねた」と己を無答責にするわけにはいかないから、まったく逆に、むしろ死や軍隊を希求しているようなことをまずしきりに強調してから、このように死や軍隊を希求している自分が「何だって」死や軍隊を忌避するような兵役逃れなどしたのか「私にはわかりかねた」とするのである。こうして兵役逃れの振る舞いについて己を無答責にしてから、然る後にさながらオカルト現象のように「私の別の声が、私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった筈だと言い出すのだった」と死にたくない気持ちを明かすのである。

こんな不自然な荒唐無稽な「心理」は現実には決してありえないのである。死の恐怖は前々から絶えずあるのであり(だからこそ仮病を使って兵役逃れしようとしたのだ)、後から思い出したように気づくなどということは絶対にありえないのである。「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じ、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」とか「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思っていた現実の三島は、前々から絶えず死や軍隊を恐れていたのであり、何とかして忌避したかったからこそ、必死に仮病を使って兵役逃れをしたのであり、そんなことは三島には無論分かりすぎるほど分かっているのである。もし彼が本当に死や軍隊を希求していたなら、兵役逃れをするわけがないのである。

(ところで、戦時や戦後『仮面の告白』執筆当時の三島は単に死を意味する軍隊が念頭にあったにすぎなかったのだが、晩年近くからは無理やり「思想」を掲げる必要から、単なる軍隊ではなく、しきりに「皇」軍を問題にしているようなことを言い出し、あたかも二・二六事件当時の少年時から「神」が念頭にあったかのように見せかけるのである。実は三島には元来そうした「思想」的な問題など何もないのであり、「ニヒリスト」の彼は一切の「思想」を信じていないのであって、後知恵の「思想」の「論理」と「心理」を己の過去に遡行させて、己の過去を捏造しているにすぎないのである。ちょうど『仮面の告白』で後知恵の同性愛という「心の恥部」すなわち「仮面の恥部」のまやかしの「論理」と「心理」を己の過去に遡行させて、己の真の「恥部」を取り繕い、己の過去をでっち上げたように。まだ自殺を目論んでおらず、したがって自死を「英雄的」な「美しい死」に見せかけるために「思想や信仰」を掲げる必要も感じていなかった三十代前半までの彼は、「時々、自衛隊にでも入ってしまいたいと思うことがある。病気で死んだり、原爆で死んだりするのはいやだが、鉄砲で殺されるならいい」(『十八歳と三十四歳の肖像画』)と思っていたのである。つまり「皇」軍ならざる自衛隊に入って「鉄砲で殺され」てもいいと思っていたのである。戦後の三島のこだわりやわだかまりは実は戦時に恐れ忌避して必死に免れようとした軍隊に関わることであって、別に「皇」軍に関わることではなかったのであり、その軍隊が「皇」軍か否かなど元来まったく問題ではなかったのである。晩年に「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考え、妙に極端な「思想」を唱えるようになってから初めて自衛隊の「皇」軍化などというようなことを言い出したに過ぎないのである。晩年の三島は何とかして己を「英雄的」に「美的」に見せかけるために自死を「思想的」な意味があるかのように解釈させようと企てたのであって、元来は彼の死の志向と「皇国思想」など何らの関係もなかったのである。後知恵の取り繕いの言によって不都合な前言や過去の「醜かった」言動を別様に解釈させようとする欺瞞的詐術に誑かされているようではどうにもならぬ。屁理屈はいくらでも可能なのである)

自分が何で必死に仮病まで使って兵役逃れしたのか「私にはわかりかねた」などというのは、フィクションとしても不自然極まりないまやかしの心理なのである。『仮面の告白』でも兵役逃れの「告白」とは関係のないところでは、「死の恐怖は人一倍つよかった」とか、「私がいつかなるであろう一人前の私の肖像、それと私のまだ見ぬ美しい花嫁の肖像、私の名声の期待」とか、要するに死を何より恐れたことや己の前途の人生に希望や期待を抱いていたことを語っていたのに、ところがいよいよ兵役逃れを「告白」する段になると、まず死や軍隊を恐れたことを隠し、逆にあたかもそれらを求めているようなことをしきりに言い出したり(たとえば「私は軍隊生活に何か官能的な期待を抱いていた」という「告白」はそれとなく同性愛を匂わせていようが、これは少年時に自己愛と自己美化の欲求から特攻兵士のような「英雄たらんと夢みた」三島自身の願望と重なっているのである。三島は『仮面の告白』ではそうした己自身の自己美化や自己栄化の欲求と己の仮面の同性愛的欲望をすり替えたり、混同させたりしているわけだが、読者はそれらをすべて同性愛に結びつけて読んでしまいがちである)、同性愛者の自分には己の「生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと妙な「告白」をして(己の「生が、行手にそびえていない」と感じる者などいくらでもいるであろうし、また、だからといって死の恐怖がなくなるものでもないのだ)、同性愛者たる己の前途の人生に希望や期待を抱けないことを強調して、こんな私が何だって死や軍隊を忌避するような振る舞いをしたのか「わかりかねた」とするのである。これは己の「恥の立会人」に目撃された己の恥辱的行動について仮面の「恥部」の「論理」と「心理」により何とか己を無答責にするための詐術にほかならないのである。

このようにして三島は『仮面の告白』で己の実際の恥辱的行動を後知恵の同性愛の虚構の「論理」と「心理」で取り繕い、事実と辻褄を合わせて言い訳をしたからこそ、彼にとり「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」と言うのである。

三島は戦後三年間の「死骸の生活」から脱して、いよいよ戦後社会に生きんと決意したときに、自己美化のために己の「醜かった」過去を、「自分の痛いこと」を、同性愛の仮面の「論理」と「心理」で取り繕いつつ己の半生を無答責に統一しようと企て、そして「天下泰平」の平時についに自殺を目論んだときに、自死の美化のために平時において「英雄たらんがため」の仮面的「思想」の「論理」と「心理」で己の人生を仮面的に統一しようと企てたのであり、そしてこれらいずれの企てにも彼の兵役逃れに対する深甚な恥辱意識や汚名払拭意識が根深くわだかまっているのである。

 

 

入隊検査で仮病を使って兵役逃れした己の一連の振る舞いを、戦後の三島がいかに「醜かった」と「喚起」し慙愧したか、そしてそれが彼の生涯の宿痾の「恥部」となったか、この点を看破しえずに三島由紀夫に対する他我認識はまったくありえないのである。

晩年の三島が「私には文学者イコール弱虫の卑怯者という考えは、やはりどうしてもイヤなのである」などと妙なことを言うのも、この仮病を使った兵役逃れの体験ゆえに己自身を「弱虫の卑怯者」とみなし、また当時現場にいた「恥の立会人」たる他者にそうみなされたと確信していればこそであり、臆病風に吹かれて見苦しい醜態を他者の目にさらしてしまったと自覚していればこそなのである。強烈な自己美化の願望を抱き、戦時には神風特攻隊のような「英雄たらんと夢みた」三島にとり、昭和二十年二月十日の体験こそ彼の生涯の宿痾の「恥部」となった最大最深の恥辱体験なのである。

とはいえ、三島の恥辱意識が深まったのは戦後になってからであって、彼が兵役を免れたときは、これで戦死を免れたと思って大いに喜んだのであり、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」のである。その後も戦時中には、むろん後ろめたい思いはしていたにせよ、戦後になってからほど恥辱意識は深まらなかったはずである。動乱の戦時には誰も他人のことにかまけている暇はなく、また「一億玉砕」が叫ばれていた戦争末期には「醜かった」己も己の「恥の立会人」も皆諸共に死滅してしまうだろうという「期待」も一面であったからである。

 

「S湾にやがては敵が上陸してこのあたりは席巻されるだろうという噂もあって、死の希みも亦、以前にまして私の身近に濃くなっていた。かかる状態にあって、私は正しく、『人生に希望をもって』いた!」(『仮面の告白』)

 

ここには己の「生が、行手にそびえていない」と「告白」する同性愛者「私」のフィクションの文脈内の「死の希み」とともに、己自身も己の「恥の立会人」も皆諸共に死滅してしまうことを一面で期待する三島自身の現実の文脈内の「死の希み」が二重写しになっているが、無論これらいずれの「死の希み」も、かつて兵役逃れ以前に神風特攻隊のような「英雄たらんと夢みた」ときの三島の美的な「死の希み」とは最早まったく違っていることはいうまでもあるまい。

すでに近いうちに自死することを目論んでいた昭和四十五年三月に三島は、蓮田善明の「予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思う。・・・・・・然うして死ぬことが今日の自分の文化だと知っている」という言葉を引用して、こう書いている。

 

「死ぬことが文化だ、という考えの、或る時代の青年の心を襲った稲妻のような美しさから、今日なお私がのがれることができないのは、多分、自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかったという千年の憾みによる」(小高根二郎著『蓮田善明とその死』序文)

 

ここで三島は要するに、自分が戦時に死ななかったこと、つまり戦死しなかったことが、自分の「千年の憾み」だと言っているわけである。自分が戦時に死ななかったため、戦死しなかったため、「自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかった」ことが「千年の憾み」だと言うのである。しかし、三島は戦時に兵役を免れて「助かった」と思ったのであり、これで戦死せずに済んだと大いに喜んだのだから、単に戦時に死ななかったこと、戦死しなかったことが、後年の彼の「千年の憾み」になるはずがないのである。

後年の彼が「千年の憾み」を抱くに至ったのは戦死を免れたことに彼の深甚な恥辱が絡んでいればこそであって、もしそこに何らの恥辱も絡んでおらず、ただ単に戦死を免れただけのことなら、それが後年「千年の憾み」になど決してなるわけがないのである。なぜなら、彼は戦時に軍医に肺浸潤と誤診されたとき、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」になったからであり、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」からであり、要するに戦死を免れたと思って当然のことながら心底喜んだことは確実だからである。

たとえば、もしも彼が仮病を使った兵役逃れなどせずに、他の若者たちと同じく普通に入隊検査を受けて、その結果軍医の単なる誤診によって兵役を免れ、戦後社会に生き残ったなら、晩年の彼が戦時に死ななかったことに「千年の憾み」など決して抱くはずがないのである。また、もしも彼が普通に入隊検査を受けた結果、検査に合格して出征し、そして運良く戦死を免れ、戦後社会に生き残った場合にも、後年の彼が戦時に死ななかったことに「千年の憾み」など決して抱くはずがないのである。こうしたいずれの場合にも、戦時に死ななかったことで、そして戦後社会に生き残ったことで、彼の自尊心や美意識をめちゃめちゃに傷つけるようなことは何もないからである。これらの場合には、仮面を利用して取り繕うべき深甚な恥辱は何もない以上、『仮面の告白』は決して書かれなかったはずである。(無論、例の「逡巡」に関する恥辱はあるが、これだけならば「過去の喚起はすべて醜かった」と思うほどではない以上、また晩年に「千年の憾み」と言うほど深甚な恥辱ではない以上、『仮面の告白』は決して書かれなかったはずである)

晩年の三島が戦時に死ななかったことに「千年の憾み」を抱いたのは、そこに彼の宿痾の「恥部」が潜んでいればこそなのである。戦時には最高の自己美化として神風特攻隊のような「英雄たらんと夢み」ながら、入隊検査で仮病を使って必死に兵役逃れして「弱虫の卑怯者」とみなされるような見苦しい醜態を他者の前に露呈してしまい、かくして即日帰郷となって戦死を免れたと自覚していればこそなのである。それこそが彼の美意識と自尊心を根底からめちゃめちゃにしたからである。だからこそ戦後の彼は『仮面の告白』を書いたのである。

自分が戦時に死ななかったこと、戦死しなかったことを、「死ぬことが文化だ、という・・・・・・自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかった」ことと言い換えて、それが自分の「千年の憾み」だと言うのは、己の「恥部」を隠した体裁ぶった言い方にすぎない。彼の「千年の憾み」とは戦死を免れた個人的な事情にあるのであり、その恥辱的な屈辱的な事情にあるのである。だからこそ、なぜ「自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかった」のかという背後の個人的な事情については何ら明らかにしていないのである。

同様に、三島は三十歳のときに、「大体において、私は少年時代に夢みたことをみんなやってしまった。少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった。唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて。ほかに人生にやることが何があるか」と書いているが、ここでも、なぜ「少年時代に・・・・・・英雄たらんと夢みた」のにその夢を成就できなかったのかという背後の個人的な事情については何ら明らかにしていない。そこに彼の人生最大最深の恥辱意識がわだかまっているからである。

つまり、三島の場合には、戦時に死ななかったこと、戦死しなかったこと、「死ぬことが文化だ、という・・・・・・自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかった」こと、「少年時代に・・・・・・英雄たらんと夢みた」のに果たせなかったこと、これらはすべて仮病を使って兵役逃れして戦後に生き残ったことの裏返しの言い方にほかならないのであり、その表向きの取り繕った言い換えにすぎないのである。

つまり、これらの言葉には、三島の場合には同一の裏の意味があるのであり、背後に同じ恥辱的な意味合いがあるのであり、かかる背後のコノテーションを看破せずに、これらの言葉のみを、作者から切り離して、どんなに論評しようとまったくナンセンスなのである。なぜなら、これらの言葉は三島の発した言葉だからであり、発言者が三島である言葉だからである。

あるテクストにおける作者独自のコノテーションは、そのテクスト自体には現前していないとしても、別のテクストや作者に関する何らかの事実と照合することによって解明されることがあるのだ。「シェイクスピアの洗濯勘定書」を問題にしたエリオットはその点に薄々気づいていたと思われる。「シェイクスピアの洗濯勘定書」について「後に誰か天才が現われて、それを利用する方法を示すかもしれない」という言葉には「それを利用する方法」に圧倒的困難さが潜んでいることを暗示していよう。要するにそれは他者の秘められた内的コードを看破することの困難さである。テクストにおける作者独自のコノテーションはテクストを作者から絶対的に独立したものとみなして単独に扱っているかぎり決して解明できないのである。

シェイクスピアの作成したテクストと「シェイクスピアの洗濯勘定書」はシェイクスピアという人間において結びついているのであって、別人においては何ら結びついていないのであるから、ここで一頃のヴァレリーやバルト一派のように作者捨象や「作者の死」を唱えてシェイクスピアという存在を葬り去るかぎり、当然こうした結びつきはまったく認識しようがなくなるわけである。作者という「ただ仮想においてのみ捨象されるところの現実的な前提」を捨象したことの当然の帰結である。かくして認識しようがなくなった結びつきはないものとみなされてしまったのである。

シュッツが言うように、「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」(『社会的世界の意味構成』)。したがって、「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているもの」、つまり、「魔的(dämonischという言葉」の「ゲーテにとって」の「意味」、つまり、その言葉のゲーテの「主観的」な意味を解明しなければならないのだ。この場合はゲーテ個人には関係のない「客観的」な意味が問題ではないのであり、万人にとって同一の一般的意味が問題ではないのである。

この点が人文系のテクストの解読方法が自然科学や数学のテクストのそれと決定的に異なるのである。人文系のテクストの場合には、こうした作者によって異なりうるコノテーションが決定的に重要な問題になりうるのである。たとえば「魔的(dämonischという言葉」は一般に自然科学テクストや数学テクストの主たる言葉のように厳密に定義されたデノテーションとして明示されているわけではなく、個々の作者で異なりうるコノテーションを秘めているのである。だからこそ最晩年のヴァレリーは、言葉を発する者が「誰か」、つまりテクストの作者が「誰か」が、「決定的に重要」だと考えるに至ったのであり、いうまでもなく彼は文学テクスト、人文系テクストについてそう認識するに至ったのである。

無論、「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているもの」を解明するのに、その言葉の語源など調べたところでまったくナンセンスである。それではゲーテだろうと誰だろうと関係のない同一の匿名的な意味しか出て来やしない。人文系テクストの中核となるある言葉の意味を解明するのに、その言葉の語源を調べて解明したつもりになっているような学問めかした書もあり(もしそんな安易な馬鹿げた「方法」が正しいとしたら、あらゆる人文系テクストの解読は枢要な言葉の語源を調べるだけで容易に解決してしまうことになろう)、そんな方法が認可され、評価されているところをみると、人文系の分野においてはテクスト解読の方法論さえ分かっている者がほとんどおらず、まったくの妄想が支配しているように思われる。また、だからこそ作者捨象や「作者の死」を唱える「テクスト論」が一世を風靡するに至ったのであろう。

「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」ということは、ゲーテの書いたテクストはゲーテのテクストとして読まねばならぬということである。しかし、もしもテクストの匿名性や独立性を絶対視して、ゲーテの個々のテクストをゲーテ以外の誰のものであろうと読解に何ら差し支えない(無論そういうテクストもあるが)とすれば、この方法論は決して成り立たず、まったく必要ないということになる。

つまり、もしテクストが完全に匿名的で作者から独立したものなら、ゲーテのテクストは他の誰の個人全集に入れても完全に不変であるはずであり(そもそもその場合は個人全集というものがまったく意味のないものになるであろうが)、テクストの解釈に何ら変わりはないことになる。

だが、それではゲーテの「魔的(dämonisch)」も他の誰の「魔的(dämonisch)」も区別しえなくなってしまうことになり、作者が誰であるかに関係のない匿名的な「客観的」な意味しか得られず、ゲーテ独自のコノテーションを捉えられないことになる。

つまり、作者が誰であろうとテクスト自体は外的にはまったく不変であることは当然至極であるが、だからといって「作者がゲーテであるようなテクストはない」(実際そんな「テクスト」はないわけだが)として作者捨象を正当化する(ここには現実に存在しない「テクスト」と現実に存在する「テクスト」の混同がある)のは、テクスト自体には現前しないが作者によって異なるコノテーションが秘められていることがあることを完全に看過しているのであり、まったく認識していないのである。そうした考えは、すでに簡単に説明したように、たとえば前に引用した三島の虚言の仮面的テクストの場合、もし作者が別人なら必ずしも虚言でも仮面的でもないテクストになりうるのであるから、作者が異なればテクストは変容しうる(無論変容しないテクストもある)という認識を決定的に欠いているのである。

シュッツはここでは「魔的(dämonisch)という言葉」の主に語義としてのコノテーションを問題にしているにすぎないが、言葉やテクストの内容の真偽についてのコノテーション、それらが作者や発言者にとって仮面的であるか否かについてのコノテーションもありうるのであり、そうしたコノテーションも解明しうるし、また解明しなければならない場合もあるのである。無論、これは作者を捨象しているかぎり不可能である。

三島のテクストはその背後にしばしば彼の個人的な「主観的」な恥辱的コノテーションが秘められており、彼はそうした仮面的テクストについては「主観的」なコノテーションを見破られたくないのであり、真偽を看破されたくないのである。また読者にそれは見破られまいと思っているために、言葉を「客観性の保証」として利用しようとするのであり、「客観性の保証」としての言葉に期待しようとするのである。

 

「小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。/客観性の保証とは何か?それは言葉である」

 

三島は言葉によって己を同性愛者に見せかけた仮面的テクスト『仮面の告白』をまず執筆公表し、然る後に同性愛者めいた仮面的行動を現実に演じることによって、「醜かった」過去の己を取り繕い正当化したテクスト内の「私」とテクスト外の己自身を同一視させようと企てたからこそ、「小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保した」と言うのである。

つまり、まず自己美化や自己栄化や自己正当化を図った仮面的テクストを事前に作成公表することで「先取」しておいてから、然る後にその仮面的テクストをなぞるような行動を現実にすることにより、己自身を仮面的テクスト内の人物(「二人の人物」を「融合」した「一人物」)と同一視させようとするのである。

三島は戦後社会に作家としていよいよ生きんとするときに、同性愛者の仮面の「論理」と「心理」で「醜かった」過去の己を取り繕い無答責化した『仮面の告白』を執筆公表し、然る後にその仮面的テクストを読者に真に受けさせるために現実に同性愛者を演じたのであり(無論、大多数の人々は彼の同性愛については半信半疑であり、彼自身も面白半分だが)、そして「天下泰平」の平時についに死なんと目論んだときに、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えて、自死を「英雄的な死」に見せかけるための「思想や信仰」を奉じているような仮面的テクストを事前にいろいろ作成してから、然る後に実際にその仮面的テクストをなぞるような形で自裁することで己の死を「思想や信仰」に殉じた「悲劇的」で「英雄的」な「美しい死」たらしめんとしたのである。

 

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三島が『仮面の告白』に書いたことは、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除」いては、すべて彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」であり、彼はそのテクストでそれまでの己の人生にとって重要で最も関心のある事実や切実な体験を確かに書いているのである。つまり、『仮面の告白』の同性愛の告白者「私」は、「二人の人物の一人物への融合」を施した虚構の人物なのだが、その「私」から虚構の同性愛者の部分を除けば、三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」になっているのである。

 

まず幼時の「私」は、坂を下りて来る「汚穢屋」の若者の姿に「悲劇的なもの」を感じた。

 

「彼の職業に対して、私は何か鋭い悲哀、身を撚るような悲哀への憧れのようなものを感じたのである。きわめて感覚的な意味での『悲劇的なもの』を、私は彼の職業から感じた」

 

「私はこの世にひりつくような或る種の欲望があるのを予感した。汚れた若者の姿を見上げながら、『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求が私をしめつけた」

 

ここにこそ三島の「悲劇の美学」の原点ないし基盤があるのだ。こうした「悲劇的なもの」への憧れは自己愛ないし一種の甘えである。悲劇的な人間に憧れて、自らその人になりたいと思うのは、己も悲劇の人として深い思いをかけてもらいたいからである。悲劇の人に対する自分の深甚な思いと同様の深甚な思いを自分にもかけてもらいたいのだ。「『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求」とは、悲劇的な「彼」をいとおしむ「私」が悲劇的な「彼」になることによって悲劇的な「私」がいとおしまれる存在になりたいという欲求である。いとおしまれる「彼」になった「私」を自らいとおしむのであり、その「私」を他者にいとおしんでもらいたいのである。悲劇的人間になった自分は他者に深くいとおしまれると思うからこそ、自分を悲劇的人間と空想することに幼時の三島は甘美な深い喜びを覚えるのである。

 

「私は自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った。そのくせ、死の恐怖は人一倍つよかった」

 

自分が最も恐怖や苦痛と感じていることこそ最も悲劇的なのであり、だからむしろ「死の恐怖は人一倍つよかった」からこそ、「自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った」のである。こうした幼時の「私」の心理の記述は、それが同性愛を仄めかそうとしている部分を除けば、つまり同性愛の「人物」を「融合」している部分を除けば(「二人の人物の一人物への融合、などを除きましては」)、三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」なのである。

かくして「死」が三島の「悲劇の美学」の最大の関心事になったのである。「子供に手のとどくかぎりのお伽噺を渉猟しながら、私は王女たちを愛さなかった。王子だけを愛した。殺される王子たち、死の運命にある王子たちは一層愛した。殺される若者たちを凡て愛した」。ここで「私は王女たちを愛さなかった。王子だけを愛した」のは、自分が男性であるため、「王女」では、つまり女性では、わが身を同性の悲劇的人物になぞらえてしっくりと空想しえないからである。「殺される王子たち」「死の運命にある王子たち」「殺される若者たち」を愛することの裏には、自分もそうした美しくも悲劇的な者として愛してもらいたいという甘えや自己愛や自己美化の欲求が潜んでいるのだ。美しくもいとおしい彼らに己自身をなぞらえ、彼らになぞらえた己自身を愛し、そのように愛される己自身の美しくも悲劇的な姿を甘美に空想することに、甘えや自己愛や自己美化の欲求から深い喜びを感じるのである。絵本のジャンヌ・ダルクを死へと赴く男と思って感動しながら、看護婦に女だと教えられてがっかりするのも、同じ理由による。

ところが、甘えや自己愛や自己美化の欲求からこうした悲劇的な同性に憧れる気持ちを、同性を愛するという言葉の部分を強調することによって、同性愛の欲求に結びつけたり、すり替えられることに三島は思い至ったのである。うまい手を思いついたと彼は思ったことであろう。ここでまず「二人の人物の一人物への融合」がなされているのであり、「感覚的真実」と後知恵の「一知半解」の知識とを「結びつ」けているのである。とはいえ、ここでそれが見破られては、同性愛について偽の「告白」だと容易に気づかれてしまうから、三島はこの最初の「融合」ないし「結びつけ」の部分は慎重に綿密に書いているのである。この初めの部分をうまく「融合」し、「結びつ」ければ、読者を誑かすことができ、そうなれば半分は成功したようなものだからである。

かように死の宿命を帯びた悲劇への憧れと夢想こそ三島の本来の美意識の基盤なのであり、死なない幸福者や勝利者では彼を魅了しえないのである。

 

「しかし私にはまだわからなかった。何だって数あるアンデルセン童話のなかから、あの『薔薇の妖精』の、恋人が記念にくれた薔薇に接吻しているところを大きなナイフで悪党に刺し殺され首を斬られる美しい若者だけが、心に深く影を落すのかを。なぜ多くのワイルドの童話のなかで、『漁夫と人魚』の、人魚を抱き緊めたまま浜辺に打ち上げられる若い漁夫の亡骸だけが私を魅するのかを」

 

「執拗に、『殺される王子』の幻影は私を追った。・・・・・・もしこの王子が竜退治の勝利者としての運命を荷っているのだとしたら、いかほど私に及ぼす蠱惑は薄らいだことであろう」

 

勝利者には「何か鋭い悲哀、身を撚るような悲哀への憧れのようなものを感じ」るわけにはいかず、また自らを「悪党に刺し殺され首を斬られる美しい若者」のような美しくも悲劇的な人物になぞらえて、そうした哀惜の念をもって深くいとおしんでもらうわけにもいかないのだ。

とはいえ、悲劇的な死を空想することが喜びなのであって、それを実際に成就してしまったら、空想や夢想の甘美な喜びを味わうわけにはいかない。

幼時の「私」は従妹たちと戦争ごっこをし、戦死の真似をして座敷で倒れる。

 

「繁みのかげから杉子がタンタンと機関銃の音を口で真似たりした。ここらで結論をつけねばならぬと私は思った。そして家の中へ逃げて入って、タンタンタンと連呼しながら追いかけてくる女兵を見ると、胸のあたりを押えて座敷のまんなかにぐったりと倒れた。

『どうしたの、公ちゃん』

――女兵たちが真顔で寄って来た。目もひらかず手も動かさずに私は答えた。

『僕戦死してるんだってば』

私はねじれた恰好をして倒れている自分の姿を想像することに喜びをおぼえた。自分が撃たれて死んでゆくという状態にえもいわれぬ快さがあった。たとい本当に弾丸が中っても、私なら痛くはあるまいと思われた」

 

死に憧れ、死の夢想に喜びを感じても、それは死んだ己の悲劇的な姿が何よりいとおしいという自己愛やいとおしんでもらいたいという甘えゆえなのであって(「公ちゃん」は「戦死」した自分に「女兵たちが真顔で寄って来」て、「どうしたの、公ちゃん」と心配げに声をかけてくれるその気遣いが嬉しいのである。自分の死や悲劇には他者の気遣いや哀惜の情が寄せられることが、ほとんど無意識裡に当然のものとなっているからこそ、己の死や悲劇の空想に「えもいわれぬ快さがあった」のである)、現実の死の苦痛は忌避したいのである。かように三島の美意識は当初から死への憧れと恐怖を孕んでいるのであり、死の悲劇が自己愛や自己美化の欲求からの甘美な夢想であって現実の苦痛や行動に結びつかないかぎりは快いのである。

かくして三島は少年期には夭折の美しい泰西浪漫派詩人に憧れ、ラディゲのような「夭折の天才」を目指し、戦時には少年の虚勢や矜持を含んだヒロイズムが加わって、神風特攻隊のような「壮烈な死」を遂げる「悲劇的な英雄」に魅了されたのである。当時の彼が「自分に対する長い悼辞だの、死後の名誉だのについて考えるのは快かった」(『詩を書く少年』)のは、彼の死や悲劇への憧れが甘えや自己愛や自己美化の欲求によるものであればこそなのである。

したがって、三島の「英雄的な死」や「壮烈な死」への憧れや希求は、「人間に内在する自己否定の根源的欲求」(磯田光一『殉教の美学』)などという辻褄合わせに想定されたありもしない「自己否定の根源的欲求」などでは決してないのであり、それは三島にとっては甘えや自己愛や自己美化の欲求にほかならないのである。

磯田は前掲書で、「終末観に支えられた死の饗宴を夢みた三島氏が、同時に『名誉の戦死』をいかに侮蔑していたかは、『仮面の告白』の中に語られている。・・・・・・『仮面の告白』のなかに、いわゆる『名誉の戦死』を軽蔑している個所があるのも、戦争という現世的な制約をもった死よりも、現実を超えた極限的な生死のあり方に、三島氏の美的共感があったからにほかならない。このような『美しい死』への憧憬を心にいだいていた三島氏にとって、敗戦が次のようなものとして意識されたとしても不思議ではない。戦後とは、少なくとも三島氏にとっては、『美しい死』が不可能になった空白の時代として、氏の前にあらわれたのである」と言うが、ここには微妙ながら根本的な誤解と矛盾がある。

もし磯田の言うように、「戦争という現世的な制約をもった死よりも、現実を超えた極限的な生死のあり方に、三島氏の美的共感があった」とするなら、戦後の平時にだって三島は「美しい死」を可能と考えたはずであろう。なのになぜ三島にとって「戦後とは・・・・・・『美しい死』が不可能になった空白の時代として、氏の前にあらわれた」のか。三島にとって「美しい死」が戦時には可能で、戦後の平時には不可能なら、彼の「美しい死」は何ら「戦争という現世的な制約」や「現実を超えた」ものではないことになる。

実際、戦後の「天下泰平」の平時の三島は「死が一つの狂おしい祝福であり祭典であるような事態」や「壮烈な死が決して滑稽ではないような事態」は「かつては戦争がそれを可能にしたが、今の身のまわりにはこのような死の可能性は片鱗だに見当らぬ」と考えているのだから、彼の求める「美しい死」としての「英雄的な壮烈な死」は「戦争という現世的な制約」を少しも超えてはいないのである。

三島の「美的共感があった」のは「超エロティックに美と認め」る神風特攻隊のような「戦場における名誉の戦死」(『二・二六事件と私』)であり(戦後の三島がそうした「死」にこだわるのは例の恥辱体験ゆえである)、それは「戦争という現世的な制約をもった死」であって、何ら「現実を超えた」ものではないのである。だからこそ晩年の三島は平時において「美しい死」を遂げるために(無論もはや中年の彼は実はそんなことが本当に可能だと考えるほど無邪気な夢想家ではなかったが)「思想か信仰を持たねばならない」と考え、あれほど奇怪にも周到な「思想的」演出を凝らさねばならなかったのである。

戦争で死んだ特攻隊を賛美憧憬し、「悲劇のうちに包括された」彼らを「幸いにも死んだ人たち」として羨み、彼らの「悲劇」を可能にした戦争のような「明日というもののない、大破局」の「状況」が平時の現在にないのをしきりに嘆く晩年の三島にとって、「戦後とは・・・・・・『美しい死』が不可能になった空白の時代として、氏の前にあらわれた」として差し支えない面もあるであろうが(とはいえ、そう言いうるのは、三島が戦後十年を閲して「大体において、私は少年時代に夢みたことをみんなやってしまった。少年時代の空想を、何ものかの恵みと劫罰とによって、全部成就してしまった。唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて。ほかに人生にやることが何があるか」と思い、平穏無事で無味乾燥な平時の生に次第に飽き、「美しい死」を求めているかぎりのことにすぎないが)、しかし、そうしながら、「戦争という現世的な制約をもった死よりも、現実を超えた極限的な生死のあり方に、三島氏の美的共感があった」とするのは、まったく矛盾しているのである。

少年時から自己愛や自己美化のため「美しい死」を夢想していた三島であったが、無論そんな安穏な「美しい死」の夢想より生きていたいという気持ちや死への恐怖心のほうがはるかに根源的で強かったからこそ、入隊検査では当時ひいていた風邪を利用して必死の兵役逃れを試みたのである。

彼は戦時には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思い、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のであり、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」かったのであるから、兵役や空襲で死ぬかもしれぬ戦争が終わって心底喜んだことは明らかなのである。(但し、戦後の三島は例の「恥の立会人」により己の宿痾の「恥部」を蒸し返される恐れを抱えているのである。この点は戦後の三島に関して決して忘れてはならぬことである)

三島は「戦争中・・・・・・私は文弱と云われても仕方がなかったが・・・・・・『今に見ろ、文弱の時代が来るから』と心の中で呟きました」(『不道徳教育講座』)と言うように、彼は戦時には「文弱の時代」つまり戦後の平和な時代を待ち望んでいたのである。それは戦時中は「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じ、将来は小説家になりたいと思っていた彼の当然の気持ちであったはずである。

また、晩年には、「戦後の文化人は・・・・・・浅墓な新生へ向って雀躍したのである。残念ながら、私もその一人であったと云わねばならない」(『「戦塵録」について』)と書いているように、彼もまた戦後の「新生へ向って雀躍したのである」から、「戦後とは・・・・・・『美しい死』が不可能になった空白の時代として、氏の前にあらわれた」と言いうるのは、戦後の三島の生のきわめて限定された部分についてにすぎないのである。つまり「戦後・・・・・・『美しい死』が不可能になった」からといって、彼がいつも戦後時代を「空白の時代」と感じていたわけもないのである。彼も人並みには戦後の平時の生を謳歌していたことは確実なのだ。

戦後数年間の時代については、「あの破壊のあとの頽廃、死ととなり合せになったグロテスクな生、あれはまさに夏であった。かがやかしい腐敗と新生の季節、夏であった。昭和二十年から二十二、三年にかけて、私にはいつも真夏が続いていたような気がする。あれは兇暴きわまる抒情の一時期だったのである」(『終末感からの出発』)と書いている。三島にとって戦後の「兇暴きわまる抒情の一時期」がそのまま「空白の時代として、氏の前にあらわれた」わけもあるまい。

磯田が「終末観に支えられた死の饗宴を夢みた三島氏が、同時に『名誉の戦死』をいかに侮蔑していたかは、『仮面の告白』の中に語られている」と言うのは、「私が万一『名誉の戦死』でもしたら、実に皮肉に生涯を閉じたことになり、墓の下での私の微笑のたねは尽きまいと思われるのであった」と同性愛者「私」が「告白」している個所を捉えて言っているわけだが、これは事実と虚構、テクスト外の現実とテクスト内の「現実」を手もなく同一視したまったくの誤解である。とはいえ、ここにはテクスト解読上および他我認識(作者認識)上決定的に重要できわめて困難な問題が横たわっている。

 

 

思春期の三島は特攻隊のような「勇壮」で「悲劇的」な死(それは戦時には一般に「名誉の戦死」とされていた)を「英雄的な死」として賛美憧憬していたが、それはただ単に自己愛や自己美化のための甘美で安穏な夢想のうちでのことであって(そこには晩年に標榜したような「神」を奉じる「思想」の意味合いは皆無である。だから晩年に「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」などという奇妙な考えをする前までは、「皇」軍ならざる「自衛隊にでも入って・・・・・・鉄砲で殺され」てもいいと三島は思っていたのである。戦時には神風特攻隊のような「英雄的な死」を最高の「美しい死」として賛美憧憬しながら仮病を使って「軍隊の意味する『死』からのがれ」たことに戦後の彼の最大最深の恥辱があるのであって、その軍隊が「皇」軍か否かなど元来彼にとり、彼の死への志向にとり、まったく問題ではなかったからこそそう言うのである)、現実的には戦時の彼は「よく考えると死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」かったのであり、だからこそ入隊検査で軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われてサッと手を挙げ、「軍隊の意味する『死』からのがれ」ようとして仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いをしたのである。三島が自衛隊の「皇軍」化を言い出すのは、晩年近くから奇妙な「皇国思想」を標榜するようになってからのことである。無論、彼はそんなものを本気で信じているわけでは毛頭ない。

つまり、三島自身は戦時に「名誉の戦死」を別に「侮蔑」していたわけではなく、それが特攻隊のような「勇壮」で「悲劇的」な若者の「美しい死」や「英雄的な死」を意味するかぎりは自己愛や自己美化の欲求からむしろ大いに賛美憧憬していたのである。「自分に対する長い悼辞だの、死後の名誉だのについて考えるのは快かった」彼が「名誉の戦死」を「侮蔑」するわけもないのである。だが、現実には戦時の彼は「死は怖いし」「命は惜し」かったから、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」をひしひしと感じつつ、「何とか兵役を免れないものか」と思っていたのである。

そんな「軍隊の意味する」死を何より恐れ忌避した現実の三島が、同性愛者「私」のように、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」はずがなく、そして必死に仮病を使った兵役逃れの振る舞いをしながら兵役を免れて心底喜んだのは何故なのか「私にはわかりかねた」と「告白」したあとになって、「私はやはり生きたいのではなかろうか?」とか「すると突然、私の別の声が、私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった筈だと言い出すのだった」などと爾後になって初めて自分が必死に兵役逃れの振る舞いをしたのは「生きたい」からだ、「死にた」くないからだと気がつくというのである。こんな行動と心理の関係の出鱈目なふざけた馬鹿げた「告白」など真っ赤な嘘であり、偽の「告白」であり、「仮面の告白」であることは明々白々なのである。こうした現実には決してありえぬ荒唐無稽な「論理」と「心理」を真に受けさせるためにいかなる仮面を前面に押し立てて仮面の口から奇妙な「論理」と「心理」を連綿と並べ立てさせて読者を誑かそうとしているかを見破らなければならぬ。

『仮面の告白』のなかで、「私が万一『名誉の戦死』でもしたら、実に皮肉に生涯を閉じたことになり、墓の下での私の微笑のたねは尽きまいと思われるのであった」と、あたかも「名誉の戦死」を皮肉り、侮蔑しているように「告白」するのは、軍隊や死を恐れ忌避していないかのように見せかけて、そんな「私」が必死に仮病まで使って兵役逃れをしたのは何故なのか、そして即日帰郷となって兵役を免れて「隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」のは何故なのか、「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか」、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」として、己の兵役逃れの一連の振る舞いをあたかも己の意志や意図によるものではないかのように(つまり兵役と死を恐れたあまり仮病を使って兵役を免れようとした「弱虫の卑怯者」の振る舞いではないかのように)「告白」することで、何とか己を無答責にし、正当化し、取り繕うためなのである。

同性愛者「私」が侮蔑している「名誉の戦死」とは、別に特攻隊のような「勇壮」で「悲劇的」な若者の「美しい死」や「英雄的な死」を意味しているわけではなく、戦時には戦死は軍国支配者による喧伝によってとにかく「名誉の戦死」とされていたから、そんな戦死一般を嘲り倒し、恐れていないように「告白」して、そんな軍隊や戦死を恐れずに嘲笑している同性愛者の自分が何で兵役逃れをしたのか「わかりかねた」とするのであり、そうするためにこそ「名誉の戦死」一般を侮蔑しているのである。

三島自身としては、「名誉の戦死」が軍国支配者側の喧伝によるものであるかぎりはそれを侮蔑していたかもしれないが、神風特攻隊のような「英雄的な死」を意味するかぎりは賛美憧憬していたのである。

三島は神風特攻隊のような「英雄的な死」や「美しい死」としての「名誉の戦死」には憧れていたが、当時は兵役や戦死を何より恐れ忌避していたのであって、そんな彼が入隊検査で必死に仮病を使って兵役逃れした理由は誰の目にも明々白々なのであるが(だからこそ無理やり仮面をでっち上げて、その仮面の欺瞞的な奇妙な「論理」と「心理」で強引に取り繕うしかないのだ)、そうした他者の目を何とか誤魔化し、己の真の深甚な恥を取り繕うために、偽の薄弱な恥すなわち仮面の「恥部」を利用した「仮面の告白」をしているのである。

同性愛者「私」は自分が同性愛であるために「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」とか「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと持って回った表現で、あたかも同性愛者たる己の生や未来に未練がないかのように見せかけ、同性愛の自分には死や兵役を恐れ忌避する理由などないかのように思わせて、こんな「未来が重荷」で「生が、行手にそびえていない」同性愛者の自分がなぜ「軍隊の意味する『死』からのがれ」ようとし(三島にとっては「軍隊の意味する『死』」から「卑怯未練」な振る舞いで逃れたことが問題なのであって、その軍隊が「皇」軍か否かなど元来まったく問題ではなかったのである。この点を決して見誤ってはならない)、仮病を使ってまで必死に兵役逃れをしたのか、「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?・・・・・・あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などととぼけた「告白」をするのである。「未来が重荷」で「生が、行手にそびえていない」同性愛者の「私」には兵役逃れした理由が「わかりかねた」わけだが、決してそんな同性愛者ではない「正常者」の三島には、つまり「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思い、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にし」、「いずれは死ぬと思いながら、命は惜し」かった現実の三島には、「何だって」あんな必死の兵役逃れの振る舞いをしたのかが絶対に「わかりかねた」わけがないのである。

三島は『仮面の告白』で仮病を使った兵役逃れの振る舞いを恥を忍びつつある程度「告白」しているのであるが、それを同性愛者の仮面を利用して取り繕いつつ「告白」しているのである。「未来が重荷」で「生が、行手にそびえていない」同性愛者では決してありえない三島は、戦時に「死ぬ覚悟はあるかい?」と友人に訊かれて、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のであり、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、生に未練があり、己の未来の人生に大いに希望を抱いていた「正常者」だったのである。

だが、そんな普通の「正常者」では、入隊検査で仮病を使って兵役逃れした行為を「何だって」あんな真似をしたのか「私にはわかりかねた」などと白を切るわけにはいかず、そうなれば当時検査場にいて三島の振る舞いを目撃していた人たちに彼が「肺の既往症」などわずらっていなかったことが知れれば、彼のその行為が土壇場で臆病風に吹かれた「弱虫の卑怯者」の振る舞いと当然みなされてしまうのである。戦後の三島が「過去の喚起はすべて醜かった」と何よりも慙愧するのはその点なのであり、入隊検査場における「弱虫の卑怯者」の振る舞いなのであり、「卑怯未練」な振る舞いなのであり、その場にいた人々に当然そうみなされることなのであり、さらにそうした「恥の立会人」や「証人」たちにいっそう恥辱的屈辱的な尾鰭をつけて触れまわられることなのである。自分の過去の最大最深の「恥部」を彼らが「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」のを三島は特に戦後になってからますます恐れたのである。

だからこそ、「昭和二十一年から二、三年の間というもの・・・・・・過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧と屈辱に打ちひしがれていた三島は、その戦後三年間の「死骸の生活」や「死の領域」から脱していよいよ作家として戦後社会に胸張って「太陽へ顔を向け」て生きてゆこうと決意するにあたり、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て、己の宿痾の恥辱を隠蔽糊塗する方法を懸命に模索し、そしてついに仮面を利用する方法を案出して己の「醜かった」過去を取り繕った『仮面の告白』を執筆公表したのであり、それゆえにこそ職業作家としてのその処女作について「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」と言うのである。

もし三島が『仮面の告白』に書かれているような「未来が重荷」で「生が、行手にそびえていない」同性愛者であるとしたら、どうして彼が戦後の「新生へ向って雀躍した」などということがありえようか。戦時には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にし」、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思った三島が、「私には未来が重荷なのであった。・・・・・・こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」などというような戦死も辞さぬような同性愛者では決してありえないのである。

 

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『仮面の告白』は三島が己の真の「恥部」(これを同性愛だと思い込まされてはならない)を仮面を利用して取り繕った仮面的テクストであり、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」書かれた自己(「醜かった」自己)の隠蔽糊塗のための仮面的テクストであって、彼がそれまで隠していた同性愛を恥を忍んで「清水の舞台から飛び降りるような覚悟で」書いた馬鹿正直な自己暴露のテクストでは毛頭ないのである。「喚起」するだに「醜かった」と慙愧する過去の「自己を・・・・・・いかに隠すか、という方法によって」書かれた恥辱的な自己の隠蔽糊塗や自己正当化を狙った仮面的テクストなのである。

自分が同性愛者であるかのように他者に見せかけるときに三島が生き生きと嬉しげになるのは何ゆえなのかを考えよ。『仮面の告白』執筆最中には、三島は編集者宅を訪れ、自分の倒錯性向を打ち明けて「満足そうに」帰って行ったり、何人かの編集者たちに「口外してくれるな」と言いながら自分はホモだと耳打ちしてからかったり、リオ・デ・ジャネイロではわざわざ同行の特派員の目につくように昼間にホテルの自室に現地の少年を連れ込むところを「おおっぴら」に見せつけたりし、「この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった」三島が、「この告白を書くことによって私の・・・・・・生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」とか「この本を書くことによって私が試みたのは・・・・・・生の回復術である」と言う。かように、自分があたかも同性愛者であるかのように現実の他者に見せかけることが、三島にとっては「メランコリーの発作が絶え」て「生の回復」になるような喜びになっているのである。

ところが、こうした現実の三島とはまったく裏腹に、『仮面の告白』のテクスト内では同性愛者「私」は己の同性愛が「他者」に発覚するのを極度に恥じ恐れているのであり、そのようにおおっぴらに「告白」しているのである。

作中の同性愛者「私」が己の同性愛が「他者」(何度も言うように、これは実は作中の「他者」であり、虚構の「他者」にすぎない)に発覚するのを深甚に恥じ恐れているように「告白」していることから、作者三島と作中の「私」を同一視してしまう読者には、三島自身も同様に己の同性愛が現実の他者に発覚するのを深甚に恥じ恐れている(現実の三島はそれとはまったく裏腹だが)ものと単純にみなしてしまうため、『仮面の告白』を三島がそれまで隠していた己の同性愛を悲壮な覚悟で告白した赤裸々な自己暴露の真正直なテクストだと思い込んでしまうのである。

テクスト内で同性愛者「私」は己の同性愛の発覚を恥じ恐れて必死に「他者」から隠そうとしているが、このテクストを作成し、読者という現実の他者に公表するテクスト外の実在の作者たる三島由紀夫は、そういう同性愛者「私」を現実の他者たる読者に見せつけて嬉々としているのである。己の同性愛が「他者」に発覚するのを極度に恥じ恐れている同性愛者「私」を現実の他者たる読者に見せつけて嬉々としているのが現実の三島なのである。

三島は『仮面の告白』を書くことによって「生の回復術」を「試みた」のであり、そのなかで「『嘘』を放し飼にした」のであり、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた」が、彼が「この小説を書こうとしたのは、その反対の欲求から」なのである。つまり、「過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」からこそ、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」、すなわち「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書」くのとは「反対の欲求から」模索して編み出した「自己を・・・・・・いかに隠すか」という自己韜晦の方法によって、同性愛という「嘘」(の「論理」と「心理」)を「放し飼にし」て己の「醜かった」恥辱的過去を取り繕った「若き日の仮面の自画像」たる『仮面の告白』という仮面的テクストを書いたのである。

三島は作中の同性愛者「私」ではなく、現実の彼は己の同性愛の「他者」への発覚を深甚に恥じ恐れているように「告白」している同性愛者「私」を創作し、現実の他者に公表している作者なのである。己の同性愛の「他者」への発覚を深甚に恥じ恐れているように「告白」している同性愛者「私」を三島は現実の他者に「おおっぴら」に見せつけているのである。『仮面の告白』は作者三島が恥を忍んで己の同性愛を打ち明けた馬鹿正直な自己暴露のテクストではなく、自分は同性愛者だ、同性愛は自分の最大最深の「恥部」だと、しきりに現実の他者たる読者に主張し、信じ込ませようとしている仮面的テクストなのであり、その偽の「恥部」の背後で、その仮面の「恥部」をダシにして、己の真の「恥部」を欺瞞的に取り繕いつつさりげなく「告白」しているのである。

三島が『仮面の告白』を構想していたであろう時期に、彼は「西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣」と書いていることを忘れてはならない。かかる魔法使いの幻術すなわち自己韜晦術を三島は『仮面の告白』で随所に使っているのであり、そのテクストでこれ見よがしに同性愛者として明示された「彼自身の姿を狙っては甲斐なく」、必然的に的外れの三島論、『仮面の告白』論にしかならないのである。明示された「恥部」はまやかしの偽の「恥部」なのであり、他者の注意や関心を真の「恥部」から逸らす目くらましのための仮面(の「恥部」)なのである。

三島の真の「恥部」こそ、彼の最大最深の宿痾の「恥部」こそ、仮病を使った兵役逃れの「醜かった」振る舞いなのであり、戦後の三島はその「恥部」を何よりも深甚に恥じ、その「恥の立会人」や「証人」たちに尾鰭をつけて触れまわられることを何より恐れ嫌悪していたから、戦後それが蒸し返されそうになる場合には、己を同性愛者に見せかけるときのようにからかい半分の楽しげな様子など微塵もなくなってしまうのであり、猛烈深甚な不快と嫌悪の感情を露わにしてしまうのである。

そのことを如実に示す決定的なエピソードが二つ伝えられている。

 

 

三島はいつ徴兵されるやも知れぬ昭和十九年十月に『花ざかりの森』を出版したが、無論それは「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたいという思い」からであり、『ドルジェル伯の舞踏会』を書いて夭折したラディゲに倣い、「私も何とか二十歳前にこんな傑作を書き、二十歳で死んだら、どんなにステキだろうと思っていた」からであって、その自著出版のために「用紙割り当て・・・・・・の申請書に《皇国の文学伝統を護持して》とか何とか、大へんな文句を並べた」のである。

当時のことについては、三島は昭和三十八年に、「十九歳の私は純情どころではなく、文学的野心については、かなり時局便乗的でもあったことを自認する。『花ざかりの森』初版本の序文などを今読んでみてイヤなのは、その中の自分が全部そうだとはいわないが、何割かの自分に、小さな小さなオポチュニストの影を発見するからである」と書いている。三島は「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたい」と思って、何としても『花ざかりの森』を出版するために、その「用紙割り当て・・・・・・の申請書に《皇国の文学伝統を護持して》とか何とか、大へんな文句を並べた」のであり、そしてさらに『花ざかりの森』初版本の「序文など」に「かなり時局便乗的」な文章を書いたのである。

ここで三島が「序文」と言っているのが実は「跋に代えて」と題された文章だが、この文については奥野健男がこう述べている。

 

「三島は戦後になっても、いつもこの文章にこだわっていた。ぼくがある時『花ざかりの森』のあとがきのことに触れたとき、三島由紀夫はあきらかに顔色を変え、それ以後しばらく不機嫌になってしまったことを、印象深くおぼえている。颯爽として生きようとした三島にとって、この『跋に代えて』は、見せたくない自分の中の卑屈な像、オポチュニストの一面をはしなくも見せてしまった痛恨の文章であったと思われる」(奥野、前掲書)

 

ここで奥野がまったく認識していないことがある。戦後の三島は何も『花ざかりの森』の跋文で「オポチュニストの一面をはしなくも見せてしまった」ことで「あきらかに顔色を変え」るほど不機嫌になったわけではないということである。「何割かの自分に、小さな小さなオポチュニストの影を発見する」のは「イヤ」かもしれないが、その程度のことで三島が「あきらかに顔色を変え、それ以後しばらく不機嫌になってしまった」わけでは決してない。三島は自ら当時の己について、「かなり時局便乗的でもあったことを自認する」とか「何割かの自分に、小さな小さなオポチュニストの影を発見する」と書いて公表しているのだから、「オポチュニストの一面」を奥野に指摘されたくらいで「顔色を変え、それ以後しばらく不機嫌になってしまった」などとは到底考えられぬことである。

戦後の三島が『花ざかりの森』の跋文について「いつもこの文章にこだわっていた」のは、「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこ」そうとして出版した自著に、「現に戦の場に立っておられる」蓮田善明の「御武運の長久を祈」るとか、「草莽の臣」を称えたり、兵として戦う者を称揚するような「かなり時局便乗的」なことを書きながら、またその用紙割り当ての申請書には「《皇国の文学伝統を護持して》とか何とか、大へんな文句を並べ」ながら、同書の出版四か月後の翌年二月には入隊検査で仮病を使って兵役逃れをしたからであり、そうした「醜かった」と慚愧する当時の記憶が蒸し返されてしまったからである。この深甚な恥辱意識に比べれば「オポチュニスト」呼ばわりなど何ほどのことでもないのだ。

もしも『花ざかりの森』出版四か月後の入隊検査場でのことがなければ、同書に書いた「かなり時局便乗的」な「大へんな文句」も、戦後の三島には別に大して気にするほどのものでもないはずであり、彼が「いつもこの文章にこだわっていた。ぼくがある時『花ざかりの森』のあとがきのことに触れたとき、三島由紀夫はあきらかに顔色を変え、それ以後しばらく不機嫌になってしまった」などということも絶対にありえなかったはずである。

その点を決定的に裏書するように、三島は二十歳までの作品について、「本当に私は、これだけの作品を残して戦死していれば、どんなに楽だったかしれない。・・・・・・もしそのとき死んでいれば、多くの読者は得られなくても、二十歳で死んだ小浪曼派の夢のような作品集として、人々に愛されて、細々と生き長らえたかもしれない」(『三島由紀夫短編全集1』あとがき)と書いている。単に戦死を免れて生き残ったことが問題なのではなく、戦死を免れた背後の個人的な事情に宿痾の深甚な恥辱が潜んでいること、これが戦後の三島にとって決定的な問題なのである。

つまり、『花ざかりの森』の跋文のテクストと仮病を使った兵役逃れの行為は三島の内部において分かちがたく結びついているのであり(なぜなら、そのテクストの作者と兵役逃れの行為者は三島由紀夫という同一人物だからである)、その文章を指摘されれば、仮病を使った兵役逃れの振る舞いも同時に蒸し返されるおそれがあり(その跋文と兵役逃れの行為は三島の内部では後ろめたくも深甚な恥辱の記憶の連鎖をなしているのであり、相互に恥辱を増幅し合っているのである)、己の記憶から消し去りたいほど心底「醜かった」と思う「過去」が「喚起」されるため、その指摘者に対し「三島由紀夫はあきらかに顔色を変え、それ以後しばらく不機嫌になってしまった」のである。

戦後の三島は入隊検査のことについては何としても触れられたくないのであり、何とかして忌避したいのである。なぜなら、そのことこそ三島が己の「過去の喚起」に際して最も「醜かった」と慙愧悔恨するものに他ならないからである。幼時から祖母や母親に溺愛され、自己愛や自己美化のための甘美な夢想に耽って過ごしてきた三島は、「私ほど幸福だった少年はあるまい」と言うほど非常に幸福な幼少年期を送ってきたはずなのに、その彼が戦後には己の「過去の喚起はすべて醜かった」と深刻に慙愧するようになった最大の事情は二十歳のときの件の恥辱体験ゆえなのである。(したがってまた、『仮面の告白』で「人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった」と己の人生を最初から呪っているような「告白」をする「不幸」な同性愛者「私」は、きわめて幸福な幼少年期を送ってきた三島とはまったく裏腹の「人物」であることが分かるであろう。この同性愛の「人物」と現実の三島自身の「二人の人物の一人物への融合」が『仮面の告白』の同性愛者「私」なのである)

『花ざかりの森』を出版したときには、三島は「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこ」すつもりでいたかもしれないが、土壇場で「軍隊の意味する『死』」への恐怖から、仮病を使った兵役逃れを必死に試み、「むきになって軍医に嘘をつ」き、「微熱がここ半年つづいている」とか「肩が凝って仕方がない」とか「血痰が出る」とか「現にゆうべも寝汗がびっしょり出た」などと「出たらめの病状報告」をしたのである。この部分こそ三島の真実の「告白」であり、主としてこれを「告白」しつつ取り繕うためにこそ仮面をかぶったのである。己が真に最も恥とみなすことは仮面をかぶって取り繕わないかぎり「告白」しにくいからである。それゆえにこそ三島は「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」とか「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。

 

「人間の生の本能は、生きるか死ぬかという場合に、生に執着することは当然である。ただ人間が美しく生き、美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということを覚悟しなければならない」(『葉隠入門』)

 

晩年の三島がこう言うのも、戦時にはどうせ死ぬなら「美しく死のうと」していたのに、そして神風特攻隊の「勇士」を最高の「悲劇の英雄」とみなして賛美憧憬していたのに、「生きるか死ぬかという場合」の入隊検査の場で「軍隊の意味する『死』」を恐れ、「生に執着」したために「その美を裏切」ってしまったと慙愧していればこそである。無論そこには「恥の立会人」や「証人」がいたからこそ恥になったのである。けだし、「証人さえいなかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみんな証人だ。それなのに、他人がいなければ、恥というものは生れて来ない」からである。「美しい死」、「悲劇的な死」、「英雄的な死」を最高の自己美化や自己栄化とみなしていたのに、土壇場で死の恐怖や生への執着から己の美意識に最も反する振る舞いを他者の目にさらしてしまったと自覚していればこそ、戦後の三島は「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧するのである。

 

「『詩を書く少年』は、いわば私小説である。自分が贋物の詩人である、或いは詩人として贋物であるという意識に目ざめるまで、私ほど幸福だった少年はあるまい」

 

少年時の三島は「私ほど幸福だった少年はあるまい」と思うほど幸福だったのであるが、そんな彼が戦後には「過去の喚起はすべて醜かった」と思うに至る理由は最早明らかなことであろう。少年時には「私は恩寵を信じていて、むやみと二十歳で死ぬように思い込んでいた」(『小説家の休暇』)のであるが、そんな甘ったるい少年期の自己美化や自己栄化の夢想を完膚なきまでに打ち砕き、彼の美意識や矜持や「見栄坊な心」をめちゃめちゃにしたものこそ、入隊検査時の「醜かった」恥辱体験なのである。

その戦時の恥辱体験を経ていればこそ、戦後の彼は「私には、悲劇的な勇敢さや、挫折をものともせぬ突進の意欲や、幻滅をおそれぬ情熱や、時代と共に生き時代と共に死のうとする心意気や、そういうものがまるきり欠けていることを告白する」と言うのであり、そう正直に「告白」せざるをえないのである。

戦後の三島が戦時に仮病を使った兵役逃れにより「弱虫の卑怯者」の深甚な恥辱意識を生涯引きずったことを洞察しえないかぎり、その「恥部」を隠蔽糊塗し取り繕うために彼がかぶった仮面もまた見破ることはできないのである。本物(の「恥部」)を見抜けないかぎり、偽物(の「恥部」)を看破できないのであり、真に受けさせられている偽物にいつまでも振り回されることになるのである。

 

戦後の三島が同じように「あきらかに顔色を変え・・・・・・不機嫌になってしまった」ような出来事がもう一つ伝えられている。

三島は昭和二十年二月に本籍地のある兵庫県で入隊検査を受けたが(彼の本籍地は現在の兵庫県加古川市志方町)、戦後の彼にとって該地は最も忌まわしい思い出の地になっているため、以後彼は二度と足を踏み入れてはいないようである。

 

「昭和二十七年の話になるが、三島は春先に大阪方面に出かけたとき、茨木市にある作家富士正晴宅を訪問した。(中略)三島が富士と談笑しているところへたまたまある文学青年が訪ねてきた。富士が『三島君、君と同郷の男が来たよ』と青年を紹介すると、三島は嫌なものを見たかのように眉をひそめてさっと立ち上がり、一言も発することなく帰ってしまった。かつての文学青年、いま志方町で家業のメリヤス工場を継いでいる松本光明は、『まるで私の存在が厭わしいかのようでした』と憮然と振り返るのである」(猪瀬、前掲書)

 

自分と「同郷の男」なら例の入隊検査の「醜かった」振る舞いを聞き知っている可能性があるため、また自分と同世代の者なら単に聞き知っているのみならず、同じ入隊検査場での「恥の立会人」の可能性すらあるかも知れぬため、三島はとっさに「嫌なものを見たかのように眉をひそめてさっと立ち上がり、一言も発することなく帰ってしまった」のである。つまり、戦後の三島にとって自分と同年代の「同郷の男」に遭遇することは「喚起」するだに「醜かった」あの忌まわしい己の最大最深の「恥部」を突きつけられるようなものなのであり、彼にとり何よりも悍ましくも忌避したいものに出くわすようなものなのであって、それゆえの心底からの猛烈な拒絶と嫌忌の反応であることは明らかである。(このエピソードには時期に関する若干の問題がある。昭和二十七年の「春先」とは正確にいつ頃なのであろうか。というのは、三島は昭和二十六年十二月二十五日から翌二十七年五月初めまで海外旅行に出かけていたからである。一時的に帰国していたのであろうか。いずれにせよ多少の時期のずれなどさして問題ではない。それより件のエピソードが戦後の三島にとって最も蒸し返されたくない過去の出来事が何であったかを如実に語っているということ、それが彼の生涯のトラウマめいたものになっていることに注意すべきである)

 

「死ぬことが文化だ、という考えの、或る時代の青年の心を襲った稲妻のような美しさから、今日なお私がのがれることができないのは、多分、自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかったという千年の憾みによる」

 

最晩年の三島の言う「千年の憾み」が仮病を使った兵役逃れの「恥部」にあることは今更言うまでもあるまい。「死ぬことが文化だ、という考えの、或る時代」とは言うまでもなく三島が青春期を送った戦時であり、「恩寵を信じていて、むやみと二十歳で死ぬように思い込んでいた」夢想的な若者だった当時の彼は、「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたいという思い」から『花ざかりの森』を出版したのだが、その四か月後には死の恐怖と生への未練から己の美意識や自尊心や虚栄心に最も反する醜態を人目にさらしてしまったのである。戦後の三島はかかる深甚な「恥部」を抱えていればこそ、「美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切る」と言うのであり、戦時に「超エロティックに美」とみなした特攻隊のような「美しい死」「英雄的な死」を遂げる「人間になり得なかった」ことが「千年の憾み」だと言うのである。単に「美しい死」「英雄的な死」を遂げる「人間になり得なかった」ことではなく、そこに「醜かった」と「喚起」する深甚な「恥部」が潜んでいればこそ「千年の憾み」だと言うのである。

この「恥部」こそ戦後の三島が生涯抱え、「千年の憾み」だとして最期まで気にしていたものなのである。それまでは「私ほど幸福だった少年はあるまい」と言うほど幸福な幼少年期を過ごしてきた三島が、戦後は一転して「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧するようになったのは主としてこの「恥部」ゆえなのである。この「恥部」こそ彼の宿痾の真の「恥部」なのである。この(三島にとって)真の「恥部」に(三島にとって)仮面の「恥部」を被せて(三島にとって)真の恥辱を糊塗し取り繕ったのが『仮面の告白』という仮面的テクストなのである(その「告白」で仮面をダシにして己の「醜かった」振る舞いを何とか無答責にしようとしている様を見よ。ハートブレイクをもたらした例の「逡巡」に関わる「恥部」についても、自分に「煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」同性愛の「恥部」のせいだとして、「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・」態度をとった己を強引に無答責にしようとしているのである)。

ここで何より重要なことは、兵役逃れの「恥部」と「煮え切らない・・・・・・」「逡巡」の「恥部」がいずれも三島の現実の経験に基づいた現実的な「恥部」だということ(いずれも「恥の立会人」が実在し、まただからこそ恥になったのである)、そして同性愛は戦後三島自身が『仮面の告白』で初めて「恥部」として「告白」し(実は作者三島が同性愛者「私」にそう「告白」させているにすぎないが)、持ち出してきたものであって、それまではその「恥の立会人」が誰一人としていなかったということである。このことが一体何を意味するか。「告白」以後は三島はむしろ自ら同性愛に関する「恥の立会人」を楽しげに求めている(単に思わせぶりの言葉や振る舞いのみによって同性愛者と思わせながら)ことに注意しなければならない。

自己美化や自己栄化を何より欲する三島にとって、自ら「美を裏切るということ」以上に恥辱的なこと、「醜かった」ことはないのである。自己愛や自己美化の欲求から「悲劇的」で「英雄的」な「美しい死」を「超エロティックに美と認め」ていた彼にとり、最も慙愧に堪えない「千年の憾み」となった生涯の恥辱こそ、仮病を使った兵役逃れの「恥部」なのである。戦後の三島が己の過去を振り返って、何よりも「醜かった」と「喚起」するのはその「恥部」以外の何ものでもないのである。

一方、同性愛の「恥部」については、同性愛者「私」はそれが「他者」にばれるのをしきりに恐れているようだが、「私の最初のejaculatio」のシーンでも分かるように、「聖セバスチャン」の画像を持ち出して、ありきたりの中学生の「最初のejaculatio」を大いに荘厳化し、美化しているのである。つまり、同性愛は実は何ら「美を裏切るということ」をしていないのであり、むしろ処々の場面で同性愛者「私」の美化や荘厳化に資し、「私」の「煮え切らない・・・・・・男らしくない・・・・・・」振る舞いや恥辱的な言動などの「恥部」(これが実は三島にとり現実の「恥部」であることを認識することが決定的に重要である)を取り繕い、正当化し、無答責化するのに利用されているのである。三島はでっち上げた仮面の「恥部」をダシにして己の現実の「恥部」を取り繕っているのである。つまり、己の現実の「恥部」(戦後の三島が「醜かった」と「喚起」する「過去」)を取り繕うためにこそ仮面の「恥部」(この「恥部」の「告白」は日本社会では「平気で読まれ」る)をでっち上げたのである。

 

 

戦時には神風特攻隊のような「名誉の戦死」を「英雄的」で「悲劇的」な「美しい死」として賛美憧憬していた三島が、己の仮病を使った兵役逃れを「美を裏切る」「卑怯未練」なものとみなし、己の「弱虫の卑怯者」たることを「恥の立会人」や「証人」に示してしまったと思って大いに恥じ入り、深く慙愧したことは確実であるが、その恥辱、その「卑怯者」意識については『仮面の告白』では隠されている。当然のことである。それが自分の真の「恥部」であることを見破られたくないからであり、知られたくないからである。己の真の「恥部」から読者の注意や関心を逸らせたいからである。ただその「醜かった」振る舞いのみをさりげなく「告白」して、それを別の仮面的「恥部」をダシにして「何だって」あんな振る舞いをしたのか「わかりかねた」と無答責にしているのであり、その振る舞いを「私のせいではない」ようにしているのである。そして仮面の「恥部」を絶えず大いに恥じているように見せかけて、そのでっち上げた偽の「恥部」に絶えず読者の好奇の注視を引きつけようとしているのである。

戦後の三島が兵役逃れの「恥部」に触れられたり蒸し返されそうになるときの心底からの拒絶と嫌忌の反応については、前述の二つのエピソードが如実に示しているとおりである。それこそが彼の「千年の憾み」となった真の「恥部」だからであり、現実の「恥部」だからである。その「恥部」を突かれるのは何より屈辱的で辛く耐えがたいからこそ、「私のせいではない」偽の「恥部」をでっち上げてそれを「告白」しているように見せかけて、この幻影の仮面の「恥部」を突かせようとするのだ。「私のせいではない」「恥部」などいくら突かれてもどうということはないからである。それをいくら突かれようと、それは「私のせいではない」のだから。

仮面の「恥部」は真の「恥部」を取り繕い、「醜かった」己を無答責にするのに利用するためにでっち上げられたものであるからこそ、仮面の「恥部」を現実の他者に示すときには三島は楽しげになるのであり、嬉々として「おおっぴら」にその仮面を現実にかぶって他者に陰に陽にわざとらしく示すことができるのである。この点の真偽や虚実を洞察しえない三島論などまったくナンセンスであり、いつまでも誤解と妄想の屋上に屋を架すのみになってしまうのである。三島が晩年に掲げた「思想や信仰」についてもまったく同じことが言いうる。

戦後の三島が「過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、および、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」のは、何よりも入隊検査での己の「醜かった」振る舞いが原因なのであり、それを何よりも「醜かった」「弱虫の卑怯者」の振る舞いとみなし、「恥の立会人」や「証人」にそうみなされると思ったがゆえにこそ「千年の憾み」となったのである。そして、そんな「醜かった」振る舞いをした「弱虫の卑怯者」の己を「何とかして・・・・・・まるごと肯定」するとは、「何とかし」ないかぎり決して「まるごと肯定」できないからであるが、そこで彼が「醜かった」と「喚起」する己の過去を「まるごと肯定」するために一体「何」をしたかが決定的に重要な問題になるのである。

三島は入隊検査場で「軍隊の意味する『死』」を恐れ、「生に執着」したために仮病を使って必死に兵役逃れしたのであり、その「醜かった」振る舞いで「美を裏切」ってしまい、「弱虫の卑怯者」の「汚名」に生涯悩まされたのである。そこから彼の「千年の憾み」となるような宿痾の深甚な恥辱が生じるのだから、兵役逃れした己を救済し、「何とかして・・・・・・肯定」するためには、それを「弱虫の卑怯者」の振る舞いではないように「何とかして」見せかけたいのである。つまり、「軍隊の意味する『死』」を恐れ、「生に執着」して兵役逃れした「弱虫の卑怯者」の振る舞いではないように見せかけたいため、「軍隊の意味する『死』」を恐れていないかのように、むしろそれを望んでいるかのように見せかけ、「生に執着」していないかのように、むしろ「生が、行手にそびえていない」己の人生を呪うがゆえに生に未練がないかのように見せかけて、こんな生に未練がない自分が「何だって」あんな振る舞いをしたのか「わかりかねた」とすることで、仮病を使った兵役逃れの行為について己自身を無答責にしようと企てたのであり、そのためにこそ「二人の人物の一人物への融合」により己を同性愛者に仕立てた「仮面の告白」をしたのである。

つまり、自分は同性愛者であり、「義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむ」ため、「こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」し、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」のだから、こんな同性愛者の「私」が「何だって」「軍隊の意味する『死』からのがれる」ような振る舞いをしたのか「わかりかねた」というのだ。同性愛の「私」は「生に執着」していないし、「軍隊の意味する『死』からのがれ」たい気持ちもさしてなかったのだから、「私」は決して「軍隊の意味する『死』」を恐れ、「生に執着」したために、仮病を使って兵役逃れした「弱虫の卑怯者」ではない、というわけである。

しかし、同性愛者だからといって、「生に執着」せず、死への恐れも希薄だということも決してないのであるが、三島は強引な「論理」と「心理」で同性愛者であるためにそういう心情や心理を持つのも致し方ないかのように思わせて(そのためにこそ「私」に同性愛の「他者」への発覚を大袈裟に恥じ恐れているように「告白」させているのだ。無論、現実の三島は全然そうではなく、むしろ己を同性愛者に思わせようとしたのである)、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」と、己の仮病を使った兵役逃れの実際の言動を「告白」しながら、「何だって」あんな振る舞いをしたのか「わかりかねた」と白を切ることで、その振る舞い(兵役と死を恐れ、つまり「軍隊の意味する『死』」を恐れ、「生に執着」したために「美を裏切」った振る舞いであることは無論三島自身は心底自覚している)について無理やり己自身を無答責にしようとするのである。

無論、同性愛者「私」の「生に執着」せず、「軍隊の意味する『死』」をも辞さぬような心理や心情は、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものかと」思い、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」当時の三島の心理や真情とはまったく裏腹であることは明々白々である。入隊検査における兵役逃れの経験から「人間の生の本能は、生きるか死ぬかという場合に、生に執着することは当然である」と認めざるをえない三島由紀夫が、まさに当の入隊検査の場で必死に仮病を使って兵役逃れするようなことを何でしたのか「私にはわかりかねた」などと「告白」する奇妙な同性愛者「私」では決してありえないのである。

 

 

三島の父親には『仮面の告白』が「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」ある、「出鱈目を書い」たものだと容易に分かってしまうのである。また、実在の「園子」にしても、そこにしきりに「告白」されている同性愛者「私」としての三島が「゛性的倒錯″を装ってみただけ」であると直ちに見破れるのである。

そして無論、昭和二十年二月の入隊検査の場にいた三島の「恥の立会人」や「証人」たちにも、当時の三島の振る舞い、「むきになって軍医に嘘をつ」き、「微熱がここ半年つづいている」とか「肩が凝って仕方がない」とか「血痰が出る」とか「現にゆうべも寝汗がびっしょり出た」とか言って、「出たらめの病状報告」をしたり、また、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」り、「営門を出るとあんなに駈けた」ことなど、こうした一連の兵役逃れの振る舞いや心の動きについて、その理由が、その「力の源が、私にはわかりかねた」などという「告白」など、言い逃れの真っ赤な嘘だと簡単に分かってしまうはずである。三島も彼らを誤魔化すことはできないことを充分に自覚していたはずである。だからこそ晩年には第二の「仮面の告白」とも言うべき『太陽と鉄』を書いて、自分が戦後に生き残ったことについて、同性愛仮面の代わりに今度は「肉体」や「筋肉」といったやはり「私のせいではない」もの(当時の彼にとっては「私のせい」でも「意志の拘わる」ものでもないもの)を持ち出して、現実に「恥の立会人」や「証人」のいる己の恥辱的屈辱的振る舞いを何とか無答責にするために、また別の奇妙な言い訳を工夫して取り繕おうとするのである。

無論、三島は戦後に生き残ったこと自体に恥辱を感じているわけでは毛頭ない。彼は「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」のであり、これで戦死を免れたと思って大いに喜んだのであり、そして戦後は「浅墓な新生へ向って雀躍したのである」。要するに、死なずに済んで、生き延びて、心底嬉しかったのである。当然のことである。戦時には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思い、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のだから、即日帰郷になって命が助かって大喜びしたことは何ら疑いを容れぬのである。

彼が恥辱を感じているのは、自分が戦後に生き残った個人的な事情に、戦死を免れた個人的な事情にあるのであり、己のその個人的な恥辱的事情は体裁上明かしたくないため、後年はしきりに一部の同世代の人々のように単に戦後社会に生き残ったこと自体に恥辱や屈辱を感じているようなことを言うのである。自分が戦死を免れ、戦後に生き残った個人的な事情や理由については、『仮面の告白』や『太陽と鉄』などの仮面的テクストを書いて何とか誤魔化し、必死に取り繕おうとするのである。

思春期にはキーツなど泰西浪漫派詩人の夭折のような「美しい死」に憧れ、戦時には己を「美の特攻隊」とも夢想していた彼は、「美しく死のうとするときに・・・・・・美を裏切」り、「醜かった」振る舞いを他者の目にさらしてしまったのであり、それゆえにこそ最晩年の彼は「死ぬことが文化だ、という考えの、或る時代の青年の心を襲った稲妻のような美しさから、今日なお私がのがれることができないのは、多分、自分がそのようにして『文化』を創る人間になり得なかったという千年の憾みによる」と言うのである。「そのようにして『文化』を創る人間になり得なかった」どころか、「恥の立会人」や「証人」たちから「弱虫の卑怯者」や「卑怯な臆病者」とみなされざるを得ないような人間になってしまったのである。

三島は入隊検査場での戦時体験から「美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということ」を身をもって知ったのである。

つまり彼が軍隊や死を忌避したのは単に「生に執着」し、兵役や死を何よりも恐れたためにすぎないのに、『仮面の告白』では奇態な同性愛者の心理をでっち上げて、同性愛者であるために「義務不履行の故をもって責めさいなむ」己の人生を呪い、「生が、行手にそびえていない」同性愛者である自分なのに、「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」などと、そうした己の仮病を使った必死の兵役逃れのいちいちの振る舞いを正直に「告白」しながら、「何だって」あんな真似をしたのか「わかりかねた」などととぼけた「仮面」の「告白」をし、そして晩年には、第二の「仮面の告白」と言うべき『太陽と鉄』において、かつて戦時に神風特攻隊のような「英雄的な死」に憧れながら、「私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備のためだったと信じていた。浪曼的な悲壮な死のためには、強い彫刻的な筋肉が必須のものであり、もし柔弱な贅肉が死に直面するならば、そこには滑稽なそぐわなさがあるばかりだと思われた。十八歳のとき、私は夭折にあこがれながら、自分が夭折にふさわしくないことを感じていた。なぜなら私はドラマティックな死にふさわしい筋肉を欠いていたからである」などと寝言のような強引きわまりない言い繕いをなすのである。

三島が己の現実の「恥部」を取り繕い、己を無答責にするために、『仮面の告白』や『太陽と鉄』などの仮面的テクストで「同性愛」や「筋肉」といった「私のせいではない」もの、「性格以前のもの」、さしずめ「意志の拘わ」らぬものを持ち出して、いかに欺瞞的に利用したかの方法論は、すでに説明したとおりである。

 

 

たとえば、野外で一人の男が鋸で木材を切っているとしよう。ときどき彼は手拭いで顔の汗をぬぐったり、何度か休憩しては煙草を吹かしたりしている。そうした彼の動作を外部から目撃する人々の目には、彼の動作は単なる大工作業の行為としか決して見えないであろう。

だが実は、そうした彼の一連の動作にはまったく別の意味があり、鋸を何度ひいて休むか、手拭いで顔のどの部分を何度ぬぐうか、煙草を何度吹かすかなど、そうした彼のいちいちの細かい動作には、仲間内で事前に取り決めた秘密の内的な暗号的意味があり、それを遠方から仲間が双眼鏡で観察して読み取っているとしよう。

この場合、彼の動作は仲間内で取り決めた秘密のコードを知らぬ人々の目には普通の大工仕事の行為としか決して見えないであろう。一般に大工作業と見えるのは彼の仮面的行為であって、実は彼は秘密の情報を仲間に伝達しているのである。彼のそうした仮面的行為を見破ることは秘密のコードを知らぬかぎり不可能なのであり、そして、彼のそうした外的行為の意味は彼の内部に秘められた内的コードによって異なる意味を帯びるのであり、解読されるのである。

つまり、外的な振る舞いは当の行為者によってその意味が異なる場合がありうるのである。無論、前述のような暗号的意味を秘めた大工作業のような仮面的行為は稀にしても、外的振る舞いの真相を認識するには当該行為者個人の関連部分を看破(他我認識)せねばならないのである。この場合には、一般的常識的な大工作業という明示的な外的意味が問題ではなく、当の行為者自身にとってのその内的意味が問題なのである。

かように、外的な振る舞いは行為者自身の内部の事情によって異なる意味を帯びるということがありうるということ、かかる認識を逆手にとった方法論こそ正に三島が『仮面の告白』で工夫し、利用し、実践したものにほかならない。つまり、彼は己の現実の「醜かった」恥辱的な振る舞いを何とかして無答責にするために、元々ありもしない「内部」をでっち上げて、この内的仮面(内的「恥部」すなわち「心の恥部」)を「告白」しているように見せかけながら、この仮面の欺瞞的な「論理」と「心理」の「内的コード」によって「醜かった」と慙愧する己の実際の行為の恥辱的意味合いを変えてしまおうと企てたのである。仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いの恥辱的屈辱的な意味合いを、「私のせいでない」という生まれつきの同性愛者だという仮面の「恥部」を利用して無にし、無答責の意味合いに変えてしまおうと図ったのである。

これが「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」三島の「すべて醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」するための仮面的方法論なのである。

 

「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる。すると嘘たちは満腹し、『真実』の野菜畑を荒さないようになる」

 

つまり、「『嘘』を放し飼にした」とは仮面の「内的コード」を恣意的にでっち上げたということであり、それによって己の実際の行為の恥辱的屈辱的意味合いを希薄化し無にするような仮面的解説を自ら施しているのである。そして、現実に「恥の立会人」や「証人」の目に映じた己の「真実」の「醜かった」と慙愧する「弱虫の卑怯者」の実際の振る舞いは、仮面的コードによって無答責になるように仮面的解読を施されるため、ほとんど事実そのままに示すことができるのであり(とはいえ、言語表現された振る舞いと現実の振る舞いには大いなる径庭があるが)、「『真実』の野菜畑を荒さないようになる」のである。己の「真実」の「醜かった」振る舞いを、「弱虫の卑怯者」の振る舞いを、取り繕うための「『嘘』を放し飼にした」からこそ、その振る舞いをほぼ事実どおりにありのままに示すことができるのであり(とはいえ、無論「相当の決心を要しますが、鼻をつまんで書」いたのである)、「『真実』の野菜畑を荒さないようになる」のである。

三島はまさに『仮面の告白』において「誤解された自分を押し立ててその裏で告白を」しているのである。「誤解された自分」とは言うまでもなく「放し飼にした」「嘘」の「自分」、同性愛者の「自分」、すなわち彼の仮面であり、その「誤解された自分」すなわち仮面をあたかも己の秘密を打ち明けているかのように見せかけながらこれ見よがしに「押し立ててその裏で告白を」しているのである。仮面をこれ見よがしに見せつけながら、その仮面のもっともらしい「論理」と「心理」で欺瞞的に取り繕いつつ、真に「醜かった」と「喚起」する己の「真実」の「恥部」を「告白」しているのである。己の真の恥をともかくも「告白」するには、「誤解された自分」や仮面を「押し立てて」、己の恥を取り繕うための仮面の「内的コード」をでっち上げた「『嘘』を放し飼にし」た「仮面の告白」をしないかぎり、容易にはなしえないからである。己の真の恥をひそかに「裏で告白」するには、「誤解された自分」や仮面を表に「押し立てて」なさねばならぬのである。

かくして、三島が式場隆三郎宛の手紙で『仮面の告白』について「二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」だと言う意味が如実に分かるであろう。三島は一方で彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、主としてそこにさりげなく密かに「告白」した彼「自身の体験から出た」恥辱的事実を取り繕う「仮面の告白」をするためにこそ「二人の人物の一人物への融合」をなしたのである。

三島は『仮面の告白』で「西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣」を実践しているのであり、かような虚実の入れ替えや攪乱を狙った、己の「正体」隠蔽のための陽動作戦(三島が「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」と言うのは『仮面の告白』のかかる方法について言っていることは疑いを容れない)に幻惑されているかぎり、的外れの論評は後を絶つことはないのである。テクストに対する的外れの勝手な解釈は無限に可能だからである。

 

「《淳風美俗》はいわばツベルクリン反応陰性の状態にほかならないから、ここでは個々の農家が共同体秩序をとびこえて《直接》に販売・購買の流通面に進出する傾向、地主の土地からの遊離、青年・婦人層の自主的な動き、投票行動の変化、といった農業危機にたいする経済的、政治的反応はもとよりのこと、およそ都市化の影響一般が――まさに免疫性がないために一層激烈な形をとって――その《健康》を脅かす。いな、本来の部落的行動様式に内在する消極的側面さえ、陽性転化の結果と考えられる。東北の農村にまで広く見られた徴兵忌避の傾向も、連隊区司令官の報告では、《自由主義・個人主義の影響》と言われるのである」(丸山真男『日本の思想』)

 

「淳風美俗」という「ツベルクリン反応陰性」の文脈内の言動が、「陽性転化」の文脈にとらわれた連隊区司令官により誤解され、「東北の農村にまで広く見られた徴兵忌避の傾向」も「自由主義・個人主義の影響」とされるのである。とはいえ、かかる指摘をする丸山にしても、言動が当人の個人的な内部事情によりその意味が異なりうる場合があるという認識が欠落している。この場合で言えば、「東北の農村にまで広く見られた徴兵忌避の傾向」が必ずしも「本来の部落的行動様式に内在する消極的側面」とばかりは断じえない場合がありうるのである。集団的な行動様式の仮面をかぶった個人的な秘密の仮面的行動もありうるし、また、容易に外部から窺い知れぬ個人的事情から他者と類似の行動をなす場合もありうるのだ。かかる認識なくして他我認識は不可能なのである。

 

「ヨーロッパ的伝統への必死の抵抗としてうまれたものが、わが国に移植されると存外古くからの生活感情にすっぽり照応するために本来の社会的意味が変化するということもよくおこる。たとえばニーチェの反語やオスカー・ワイルドの逆説は、キリスト教――これこそヨーロッパの最も頑強な《公式》だ――の長年涵養した生の積極的肯定の考え方が普遍化している社会でこそ、そこに現実とのはげしい緊張感がうまれるが、日本のように生活のなかに無常感や《浮世》観のような形の逃避意識があると、ああしたシニシズムや逆説は、むしろ実生活上の感覚と適合し、ニヒリズムが現実への反逆よりもむしろ順応として機能することが少くない。ここでは逆説が逆説として作用せず、アンチテーゼがテーゼとして受けとられ愛玩される。たとえば世界は不条理だという命題は、世はままならぬもの、という形で庶民の昔からの常識になっている」(丸山、前掲書)

 

これは単なるたとえとしては一見明快妥当なようだが、ニーチェにとっての「ニヒリズム」という観点からすれば、種々の文脈と意味合いの歪曲、逆転、誤解が見られる。ニーチェの「ニヒリズム」は丸山の解するようなものでは全然ないからである。たとえば、西欧の「キリスト教の長年涵養した生の積極的肯定の考え方」は、日本の「無常感や《浮世》観のような形の逃避意識」と対比され、ニーチェの「反語」や「ニヒリズム」が西欧の「生の積極的肯定の考え方が普遍化している社会」や「現実への反逆」であり、日本社会の「無常感や《浮世》観のような形の逃避意識」のような「古くからの生活感情にすっぽり照応するため」、日本社会の現実への「順応として機能する」とされるのであるが、ここには西欧や日本やニーチェなどのさまざまの文脈における「ニヒリズム」や「逃避意識」などの意味合いの歪曲、混乱、誤解が見られるのである。

ニーチェが何よりも一貫して説いたものこそ現世肯定の生への意志であり、かかる生の高揚であって、キリスト教こそ来世の救済を説いて現実の生を窒息させる「ニヒリズム」の宗教として彼の攻撃の対象になったのである。

ニーチェによれば(『アンチクリスト』参照)、キリスト教は、プラトンやショーペンハウアーの哲学と同じく、「地下的な復讐心をもって生に刃向かう退化した本能」であり、「宗教となった生の意志の否定」であり、生を穢し断罪する「藪医者道徳」であり、「下民や婦女子や卑賤階級の宗教」であり、「前代未聞の大法螺」であり、「人間を徹底的に圧殺し、次いでこの全き廃滅感のなかへ一挙に神の慈悲の光輝を照射し、かかる不意打ちを食らって、恩寵により失神した者が狂喜の叫びをあげて、一瞬全天界を己のうちに抱いていると信じた、かかる病的な惑乱に必要な頭脳と心情の深甚な頽廃をもくろむ心理学的発明」(『人間的、あまりに人間的』)であり、「真の生」と「偽の生」という対立を「此岸の生」と「彼岸の生」という誤った対立に置換するものである。

畢竟ニーチェにとりキリスト教は天国での魂の救いを説く現世否定の「デカダン宗教」であり、肉体を否定する禁欲主義的宗教であって、エロスやディオニュソス的生や現世肯定の生からの「逃避意識」を涵養するものである。要するにニーチェのキリスト教攻撃は来世否定・現世肯定の生の高揚のためである。こうした彼の教説や希求は彼の全文脈に一貫したものであり、それは彼のディオニュソス賛美、プラトニズムの逆転、ツァラトゥストラの思想、超人の思想、芸術としての力への意志、認識としての力への意志、永劫回帰説、運命愛というように変遷した形で表現されるのである。超感性的なイデアを真なるものとし、畢竟するに感性的なものを貶下するプラトニズムに対し、感性的感覚的仮象を肯定する「芸術は、生を否定せんとするあらゆる意志に対する唯一の卓抜な対抗力――反キリスト教的、反仏教的、反ニヒリズム的なものの精髄」(『力への意志』)なのである。

かようにニーチェにとっては、「キリスト教の長年涵養した生」こそ現世肯定の創造的生を否定する「没落した生」であり、これこそ「ニヒリズム」の現実なのであるから、彼のかかる「現実への反逆」は「ニヒリズム」に対する反逆なのである。

だがまたニーチェは自ら「ヨーロッパにおける最初の完全なニヒリストであり、しかもすでに己の内部でニヒリズムを究極まで生き抜き、それを己の背後にし、己の足下に見下し、己の外部に突き出してしまったニヒリストである」(『力への意志』)とも言う。ニーチェにとって「ニヒリズム」はヨーロッパの歴史的現実であり、彼はこれをその極限まで思惟し、経験し、ついに突き抜けた、と言うのである。彼によれば、キリスト教自身のうちに「ニヒリズム」の起源が潜んでいるのであって、「キリスト教によって高度に発展させられた誠実の精神が、あらゆるキリスト教的世界観の誤謬と虚偽に対して嘔吐」を催すにいたるのである。

かくて、彼が己を「ニヒリスト」と規定し、己の思想を「ニヒリズム」と考えているにせよ、それは克服さるべきものとしてのダイナミズムを秘めた「ニヒリズム」なのであって、かかる「ニヒリズム」であればこそ、彼が「ニヒリズム」と規定するヨーロッパの伝統的社会の「現実への反逆」になりうるのであり、このより高次の生や理想へのダイナミズムを秘めた「ニヒリズム」が「無常感や《浮世》観のような形の逃避意識」と「適合」したり「順応」するはずがないのである。もしニーチェの「ニヒリズム」がかかるダイナミズムをまったく含まぬとすれば、あるいはくだんの「逃避意識」への「順応として機能する」かもしれないが、その場合は彼が「ニヒリズム」と考えるヨーロッパ社会の「現実への反逆」になるはずがなく、そこでもむしろ「順応として機能する」はずである。

また、たとえニーチェのようにヨーロッパの伝統的社会の現実を特に「ニヒリズム」とは考えず、もっぱらニーチェ自身の思想や態度を「ニヒリズム」と規定するにせよ、伝統的ヨーロッパ社会の「現実への反逆」としての彼の「ニヒリズム」は、結局「反キリスト教的」であって、現世の生や肉体や官能やディオニュソス的生に対し否定的なもの、「本能を生殺し」にするものへの反発であり、したがって現世を無常とみなす仏教的世界観にも反発する以上「反仏教的」また「反ショーペンハウアー的」でもあるがゆえに、「無常感や《浮世》観のような形の逃避意識」にも当然反発するはずであるから、そうした「逃避意識」を日本社会が普遍的に生活のなかに抱えているとすれば、「現実への反逆」としてのニーチェの「ニヒリズム」は、かかる日本的現実に対しても反逆するはずであって、決してそれへの「順応として機能する」ことはないのである。

つまり、たとえニーチェの言説や態度が現実逃避的、ニヒリスティックに見えようと、それは彼がより高次の生の高揚を求めんがため、現実の頽落した生への反発によるためなのであるから、「無常感や《浮世》観のような形の逃避意識」をもつ現実にも当然反逆するはずであり、したがって彼の「ニヒリズム」がかかる現実に「適合」したり「順応」するとは決して考えられぬのである。

 

生涯にわたり現世肯定の生の高揚を希求した彼であったが、それは畢竟希求以上には出なかったのであり、最後に彼は強引な自己肯定の書『この人を見よ』を書いて間もなく、発狂してしまった。

病床に横たわる狂えるニーチェの傍らで泣いている妹を見て、彼は言った。「何を泣いているのだ。私たちはいま幸せではないか」

生涯にわたり強気の精神を堅持したかに見える彼であったが、ニーチェ哲学の全体的なトーンは、さながら引かれ者の小唄といった感があり、その強気の精神も出口なしの絶望の岩の重圧の下についに崩壊してしまった。あるいは狂気は彼の最後の出口だったのであろうか。

人生は地獄よりも地獄的である――とは、芥川龍之介の言葉であるが、ニーチェも同じことが言えたであろう。彼の唯一最大の教訓――私のように生きるな!

 

 

三島は『仮面の告白』において己の過去の「醜かった」振る舞いを取り繕うために仮面の「内的コード」をでっち上げ、そして次第に人生に倦み疲れ、「ニヒリスト」の相貌を深めて死にたくなった晩年近くからは、「ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行ったら、人生にそれ以上のことが何があるだろう」と思っていた彼は、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えて、やがて自裁せんとする己の数年後の自死への振る舞いを「英雄的」に美化し栄化せしめんがために「思想的」な仮面の「内的コード」を無理やりでっち上げた仮面的テクストを盛んに書き立てるようになるのである。

たとえばスパイ仲間の見せかけの行為のような大工作業の場合は、その見せかけの行為の真意をなす暗号的意味を他者に解読されないために仲間内の内的コードを一般の他者には秘密にしているわけであるが、三島の場合はまったく逆に、己の仮面の「内的コード」を他者(あるいは読者)に大いに盛んに知らしめることにより(『仮面の告白』の場合には秘密めかしながら実は仮面の「内的コード」を大いに吹聴しているわけである)、己の過去の「醜かった」振る舞いを取り繕い、その恥辱的意味合いの糊塗や無答責化を図ったり、そして晩年には実際は「思想的」な意味など何もない己の自死への虚しい行動をあたかも「思想的」な意味があるかのように見せかけて、自死を「思想的」な文脈において「英雄的」に栄化させようと企てたのである。

要するに三島は今まで他者に隠していたが今打ち明けるかのように見せかけて、元々己の内部にありもしなかった架空の「内的コード」をでっち上げて、その仮面の「内的コード」を自らわざわざ他者に知らしめ、その架空の「内的コード」によって己の過去の恥辱的振る舞いを取り繕ったり、自死への虚しい行動を他者に「思想的」に「英雄的」に「美的」に読み解かせようと図ったのである。

たとえばスパイは己の見せかけの行為の真意を一般の他者には読み取られないように真意解読の現実の内的コードを他者から隠しておくのだが、三島は己の実際の行為を取り繕うために自己正当化や自己美化の意味合いになるような架空の仮面的「内的コード」を現実の他者に知らしめたのである。まずは職業作家としての処女作たる『仮面の告白』において、「喚起」するだに「醜かった」と慙愧する己の過去の行為、「私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃに」した己の過去の「美を裏切る」「醜かった」行為を取り繕うために、そして晩年には「思想的」な諸テクストにおいて己の虚無的な自死への行為を取り繕うために、自己無答責化や自己栄化の意味合いになるような架空の「内的コード」を、仮面的テクストをでっち上げたのである。

要するに、三島は戦後社会にいよいよ作家として生きていこうと決意したときに『仮面の告白』を書いて、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する己の「醜かった」過去を取り繕い、そして三十歳にして「唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて」は「少年時代に夢みたことをみんなやってしまった」と言う彼が、やがて晩年近くから生に倦み疲れて死にたくなってから、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えるようになり、やがて果たさんとするまったくの個人的な自死を他者に「思想的」に意味づけさせようとする仮面的テクストを作成することによって、自死の「英雄的」な美化をなさしめんと企てたのである。

無論、こうしたことは彼が己の作成したテクストを江湖に公表しうる有名な作家であったからこそなしうるのであり、彼はそうした作家としての「特権」を大いに利用したのである。

 

「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために! /小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。/客観性の保証とは何か?それは言葉である」(『小説とは何か』)

 

これは戦後いよいよ本格的な「小説家になろうとし」て書いた『仮面の告白』を踏まえて語っていることは最早言うまでもあるまい。「過去の喚起はすべて醜かった」という己の過去(の生の行動)を「仮面」をダシにして取り繕うためにこそ、己の「醜かった」過去に対する戦後の「他人の加害を巧く先取」した『仮面の告白』という仮面的テクストを書いたのである。

すでに『憂国』を書き、自死に傾斜しつつあった昭和三十八年末には、「もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに《見える》というところまで行ったら、(もちろんそれには、完全な肉体的条件が伴わねばならぬが)、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」と書いている。

そして晩年に己を「英雄たらん」とするために自死を「思想的」な意味があるかのように見せかけた「思想的」な仮面的テクストを企てるにあたっては、昭和四十一年にこう述べている。

 

「西郷隆盛は十年がかりで書く小説のプランなんか持っていなかった。彼は未来を先取しようとする芸術家の狡猾な企画などは知らなかった。(中略)芸術家が未来を先取するとは・・・・・・完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで! /しかし遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」(『「われら」からの遁走――私の文学』)

 

己の未来(の死への行動)を「思想」をダシにして栄化せしめんがためにこそ、そうした「未来を先取」した仮面的テクストを書いたのである。自死に対する他人の評価を「巧く先取」した「思想的」な仮面的テクストを書いたのである。未来の「現実」(これは三島にとっては自死を意味する)を「先取」して「思想的」に粉飾した仮面的テクストを書き、その「言葉」のように「現実」に自死することによって、あるいはその「言葉」の文脈に沿って自死の「現実」があるかのように見せかけることによって、「言葉と現実はほとんど等価になる」と彼は己の死後の読者の考えを予想しているのであり、かくして彼の死後、彼の「思想的」な仮面的テクストはほとんどの読者に真に受けられ、彼の死は「思想的」な仮面で覆われるのである。

三島の死には晩年に標榜したような「思想的」な意味合いなど実はまったくないのである。そんな「思想」のために彼は死んだわけではさらさらない。まったく逆なのである。彼は「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えたからこそ、晩年近くから「英雄たらんがため」の「思想」を盛んに標榜するようになったのであって、己の死の「英雄的」な粉飾のために「思想」が利用されたのであり、己の死に「思想」の仮面をかぶせたのである。これが自分に対する他者の評価に関して「未来を先取しようとする」三島由紀夫という「芸術家の狡猾な企画」なのである。

 

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三島由紀夫が職業作家としての処女作として作成公表した『仮面の告白』は、彼が己の同性愛を恥を忍びつつ公然と「告白」した自伝的なノンフィクションのテクストでもなければ、また架空の同性愛者「私」にその架空の過去を語らせた告白小説というまったくのフィクションのテクストでもない。これらいずれのテクストとしても決して解読しうるものではないことはすでに簡単に説明したとおりである。

では、いかなるテクストかといえば、これもすでに論証したように、三島が己の過去の人生を、彼にとり関心のある主としてエロス的な面の人生を、同性愛者の仮面をかぶって大いに荘厳化して「告白」し(たとえば「私の最初のejaculatio」の場面など。そこではありきたりの平々凡々たる中学時代の精通体験を同性愛をダシにして大いに荘厳に粉飾して「告白」しているのだ。かように表面上はいかにも同性愛を恥じているように見せかけながら、実は同性愛を利用することによって、異性愛者たる己の気恥ずかしい精通体験や「悪習」を「告白」しながら美的に取り繕ったり、はぐらかしによる恥辱の軽減をしたりして、大いに自己美化や自己栄化をし、まやかしの自己正当化をしているのである)、そしてその仮面があたかも彼の真の「恥部」であるかのように見せかけ、その「恥部」を恥を忍んで「告白」しているかのように見せかけながら、実はその仮面の「恥部」をダシにして彼にとって本当の深甚な「恥部」(これは彼の強烈な虚栄心や「自負心をめちゃめちゃに」した現実の恥辱体験である)を欺瞞的に取り繕いつつ「告白」した仮面的テクストなのであり、それ以外のいかなるテクストでもないのである。

 

三島は戦時には「死は怖いし、辛いことは性に合わず・・・・・・だから、何とか兵役を免れないものか」と思い、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じていたのであり、そんな彼に昭和二十年二月四日に恐れていた召集令状の電報が届き、そして同月十日に本籍地兵庫県における入隊検査で仮病を使った必死の兵役逃れをしたのである。無論、彼は「死は怖い・・・・・・だから、何とか兵役を免れ」ようとして仮病を使った兵役逃れの振る舞いをしたのである。

当時、三島は東京の自宅を出発するときから風邪気味で、その風邪の症状が入隊検査当日にはさらにひどくなったのであり、そのためこれを利用して肺結核を装った仮病による兵役逃れを企てたのである。だから、当時もし彼が風邪をひいていなかったら、仮病を使った兵役逃れをするわけにはいかなかったかもしれない。

当時のことは『わが思春期』で正直に語っている。

 

「赤紙の電報は、たちまち家中をシーンとさせました。もう二日のうちに、私は兵庫の本籍地の軍隊へ入らなければなりませんでした。ところが、何が幸いになるか分りません。私はその晩から、どうもかぜ気味であったのが、だんだん熱が上ってきて、いよいよ入隊という日には、大変な高熱になってしまいました。(中略)・・・・・・ところが、私の症状が、新米の軍医によって誤診されてしまいました。彼は、私のことを肺浸潤だと言うのです。いわゆる軍隊用語の胸膜炎です。私はラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした」

 

これが正直な述懐であることは疑いを容れぬが、とはいえ、三島はこの『わが思春期』では仮病を使って兵役逃れしたことは一切語っておらず(無論、だからこそ『わが思春期』では正直に己の過去を語れるのであり、己の「自負心をめちゃめちゃに」した「醜かった」恥辱体験を取り繕うために同性愛者の仮面をかぶる必要もないのである)、ただ「幸い」にして風邪をひいていたため、その症状を単に軍医が肺浸潤と誤診してくれたおかげで兵役を免れたと語っているのみである。「死は怖いし、辛いことは性に合わず・・・・・・だから、何とか兵役を免れないものか」と思っていた当時の彼が、軍医に「ラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」だったのは言うまでもなく彼の本心である。

だが、『仮面の告白』では軍医に「出たらめの病状報告」などをして仮病を使った兵役逃れの振る舞いを「告白」している代わりに(かかる「告白」こそ三島が真に恥を忍んでしているものである)、「死は怖い・・・・・・だから、何とか兵役を免れないものか」と思っていたことや「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」だったことは完全に隠され、それどころか「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?・・・・・・何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?・・・・・・あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などと空惚けるのである。

そして、このように自分が仮病を使った兵役逃れの振る舞いをしたことや、兵役を免れて心の底から喜びがこみ上げてきたことが、一体何ゆえなのか「わかりかねた」理由として、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」のだからとか、「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。・・・・・・それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていた」のだからなどと強弁し、実際には「死は怖い・・・・・・だから、何とか兵役を免れないものか」と思っていたこと、すなわち「軍隊の意味する『死』からのがれ」たいと思っていたことや、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」になったことを隠し、死と兵役を恐れ、それゆえにこそ兵役免除になって喜んだ己の真の「正直な気持」とはまったく裏腹のことを言うのである。

そしてまた、当時の実際の気持ちとは裏腹のこうした欺瞞的な嘘の「告白」を真実らしく見せかけるために、『仮面の告白』では同性愛をあからさまに匂わせた動機づけをしているのである。無論、それは何ら現実的な動機づけではなく、同性愛をダシにした得手勝手な強引な「論理」と「心理」による欺瞞的な動機づけにすぎないのである。

すでに指摘したように、たとえば「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」とか、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」のは、「私」が同性愛者であるからであり、そして己の同性愛が他者に発覚するのを深甚に恥じ恐れているからなのである。そのように「告白」されているからこそ、そして死と兵役への恐怖心をひとまず完全に隠してしまっているからこそ、仮病を使った兵役逃れの行為が何ゆえなのか「わかりかねた」というようなとぼけた自己無答責化の真っ赤な嘘の「告白」が一見「論理的」にもっともらしく聞こえてしまうのである。

だが、無論、たとえ同性愛者であるにせよ、たとえ同性愛が世間に発覚するのを恥じ恐れているにせよ、たとえそれゆえ「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった」にせよ、たとえ「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」にせよ、死や死を意味する兵役に対する恐怖がないなどということには決してならないのであるから(この点の認識が決定的に重要である)、己の兵役逃れの振る舞いや兵役を免れて喜んだ気持ちが何ゆえなのか「わかりかねた」などということは、決して現実にはありえぬことなのであり、況してや実際には「死は怖い・・・・・・だから、何とか兵役を免れないものか」と思い、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じ、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」になった三島がそれを「わかりかねた」はずなど断じてありえず、また同性愛者の「告白」という単なるフィクションとしてもまやかしの荒唐無稽な不自然極まりない「告白小説」なのである。

死と兵役を恐れたからこそ仮病を使って必死に兵役逃れをし、そして兵役免除になって大喜びしたことは現実的にも「小説的」にも当然の明々白々のことなのに、それが何ゆえなのか「わかりかねた」とすれば、己の必死の行為や心底からの感情の理由も何も分からないまったくの支離滅裂な荒唐無稽な精神(それを「精神」と呼びうるとしてだが)ということになる。何の理由も意図も欲求もないままに必死に仮病を使って兵役逃れをし、そして兵役免除になって大喜びしたということになる。そんなことは絶対にありえぬことである。

かように『仮面の告白』は、三島由紀夫が己の過去を「正直に」綴った自伝的なノンフィクションのテクストでないことは明々白々であるが(彼の父親が言うように「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります」)、また架空の同性愛者「私」にその架空の過去を語らせた告白小説(そんなものでないこともまた明白である)というまったくのフィクションとしてもほとんど与太話の荒唐無稽なまやかしの欺瞞的なテクストなのである。

 

 

父親が言うように『仮面の告白』は三島由紀夫について「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」あるのだが、「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます」と言う三島自身の言葉は別に必ずしも嘘ではないのである。

つまり、そのテクストは一面で「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」なのだが、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合」の部分は事実ではなく虚構だと言うのであり、とりわけ「二人の人物の一人物への融合」の部分は三島に関して真っ赤な嘘なのであり、完全な虚構であると表明しているのである。

 

三島と「園子」の実際の恋愛は終始おずおずとしたぎごちないものであり、それは当時の時代的制約や三島自身の性格にもよるものであったろうが、『仮面の告白』では「私」の「園子」に対する積極性のなさはもっぱら「一知半解」の同性愛的心理によってしきりに説明され、欺瞞的に弁明されている。

当時の三島の心情や「園子」との交際については『わが思春期』で正直に語られている。

 

「私は、そのころ満十九でありました。・・・・・・堀辰雄がラディゲについて言っているように、少年の特徴はあくまで羞恥心です。羞恥心が、彼の全生活の根本にひそんでいます。それが多分、思春期の特徴と言っていいでしょう。われわれの十九歳と、今の十九歳をくらべると、現われはまるで違っているように思いますが、根本的には羞恥心は同じであって、やはり、十九歳という年は、羞恥心を免れてはいないものだと思います。それは、狂人に着せる狭窄衣のように、宿命的に身を締めつけているものです」

 

「園子」との出会いに彼女の弾くピアノの音が重要な契機になっていることは『仮面の告白』ではこう「告白」されている。

 

「・・・・・・下手なピアノの音は私はきいた。(中略)

――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、指先にまだ稚なさの残ったピアノの音である。私はそのおさらいがいつまでもつづけられることをねがった。願事は叶えられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の今日までつづいたのである」

 

当時のことは『わが思春期』で三島はこう語っている。

 

「隣室から響いてくるピアノの音は、私の友だちの妹でした。彼女は、それまでにも、お茶を運んで部屋へ入ってくることがありましたが、顔をまっかにして、こそこそと逃げるように行ってしまうので、私は彼女の存在に、あまり注意しませんでした。(中略)

彼女は、私と友だちとの議論の席には、一切入ってきませんでした。しかし、そのピアノの音を聞いて、私は、彼女が何か、そのピアノの音を私たちに聞かせたがっているのを感じました。かりに彼女の名前を浅子としておきましょう。私は、戦争中の殺伐な空気の中で、そのピアノの音に、いかにも自分の忘れていた、あたたかい、やわらかい、そしてもの静かな女性の世界を感じました。実はそのピアノの音を聞いたときに、私は彼女を愛し始めていたのかもしれません。(中略)

私は前の、友だちの姉に対すると同じように、言葉をかけることはおろか、彼女を誘い出すことも、何もすることができませんでした」

 

以上のことは昭和十九年十月頃の体験である。同月にはまた「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたいという思い」から『花ざかりの森』を出版し、その本を入隊する友人「草野」を上野駅で見送りがてら献呈した。その後、昭和二十年二月に赤紙が来て、兵庫県の入隊検査場に赴き、「軍医の誤診」により即日帰郷となったのである。

三月には「草野」家の誘いで前橋の陸軍予備士官学校にいる友人「草野」に面会しに行った。「草野」の家族はその後軽井沢へ疎開し、六月に三島は「園子」からの手紙による「草野」の家族の招待を受けて軽井沢に赴き、そこの高原で「園子」と接吻した。以上のことは『仮面の告白』で比較的詳しく「告白」されているが、そこに「告白」された同性愛者「私」の心理は奇妙奇天烈で支離滅裂なものである。

当時のことは決定的な恥辱体験を隠した『わが思春期』で三島は正直にこう語っている

 

「私はそれまで、多くの小説で女を誘惑する手段をいろいろ読んでいました。そして、もうそのころは、街には出ていなかったが、古本屋では見つけることのできた、フランスのエロチックな小説を、たくさん読んでいました。その私が、いざ彼女の前へ出ると、やはり口もきけず、なすすべもわからなくなっていました。でも、私は、何とか勇気を持たねばと、自分に言い聞かせるだけのことはできました。・・・・・・皆さんは、スタンダールの『赤と黒』の中の、ジュリアンという人物が、レナール夫人に最初にキスするときに、もう衝動とか愛とかを抜きにして、おそろしい義務観念にかられて、ただ勇気をためすためだけにキスするという心理描写を覚えているでしょう。私は、あれほどに自分のそのころの心理をよく書いたものを知りません。といって私は、その勇気をジュリアンほど大胆に使うことはできませんでした」

 

『仮面の告白』では同性愛者「私」が「園子」に接吻しようという決意を秘めて「草野」家の疎開地に赴く部分は次のように「告白」されている。

 

「私は今度も子供らしいみじめな固着観念にさいなまれて汽車に揺られていた。それは園子に接吻するまでは決して某村を離れないぞと考えることだった。しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心とは別物であった。私は盗みにゆくような気がしていた。親分に強いられて、いやいや強盗にゆく気の弱い子分のような気がしていた」(『仮面の告白』)

 

当時の三島の現実の心理は「スタンダールの『赤と黒』の中の、ジュリアンという人物が、レナール夫人に最初にキスするときに、もう衝動とか愛とかを抜きにして、おそろしい義務観念にかられて、ただ勇気をためすためだけにキスするという心理」とほぼ同じものであり、これが三島の現実に体験した「そのころの心理」なのである。この体験は『仮面の告白』でも「人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」として生かされている。つまり、己に異性愛的欲望があるからこそ、異性の恋人に「最初にキスするときに」そうした「自分の欲望がさせる引込思案」が生じるのであり(たとえば相手に拒否される恐れや不安などもあるからだ)、かくしてその「引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」がなされるわけだが、こうなるとまずは己の「欲望がさせる引込思案とたたか」わねばならず、そこで「最初にキスするときに、もう衝動とか愛とかを抜きにして、おそろしい義務観念にかられて、ただ勇気をためすためだけにキスするという心理」になってくるのであり、この「心理」こそ当時の三島が現実に体験した馴染みのものであればこそ、「私は、あれほどに自分のそのころの心理をよく書いたものを知りません」と彼は言うのである。

ところが『仮面の告白』では「私」は同性愛者であるため、異性愛的欲望がないから、異性の恋人に「最初にキスするときに」そうした「自分の欲望がさせる引込思案」は生じないことになり、そこで同性愛者「私」が「園子」に接吻する場合は異性愛者が異性に接吻する場合のような「自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」とは「別物であった」とするのである。

概略このように考えて三島はこの部分の「告白」を作成しているわけである。

だが、実はここには微妙ながら重要な問題が潜んでいる。

三島が如上のように考えてこうした同性愛者の心理を「告白」をしていること自体が、同性愛者でも何でもない異性愛者三島の思春期の現実の心理を暴露しているのである。

なぜか。

当時の三島は「私はそれまで、多くの小説で女を誘惑する手段をいろいろ読んでいました。そして、もうそのころは、街には出ていなかったが、古本屋では見つけることのできた、フランスのエロチックな小説を、たくさん読んでいました。その私が、いざ彼女の前へ出ると、やはり口もきけず、なすすべもわからなくなっていました」と言うように、現実の「園子」に対し「言葉をかけることはおろか、彼女を誘い出すことも、何もすることができ」なかったのであり、無論それは彼が「園子」を異性として、エロス的対象として強烈に意識していたからにほかならない。だからこそこの場合の同性愛者の心理を単純安易に推測して(当時の三島としては確信をもって推測したであろうが)、「しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心とは別物であった」としているのである。

なぜか。

三島は「自分の欲望がさせる引込思案」をまったく当然のことのようにみなしているが、それは彼が異性愛者としての己の思春期の恋愛体験からして至極当り前のこととしてとらえているからにほかならない。そこで異性愛的欲望のない同性愛者「私」の心理としては、この場合は異性愛的な「欲望がさせる引込思案」は生じないものとまったく安易に想定して、「しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」とは「別物であった」と「告白」させ、そうすることによって「私」を同性愛者に仕立てたつもりなのである。

しかし、このような場合、たとえ異性愛的な欲望があるとしても「自分の欲望がさせる引込思案」が必ずしも生じるものではないのである。そんな「自分の欲望がさせる引込思案」など何ら感じることなく、「自分の欲望」を遂行する異性愛者もありうるのであるから、「自分の欲望がさせる引込思案」が生じるのは異性愛者として決して当然のことではないのであり、この場合そうした「引込思案」が生じるのは、「自分の欲望」を実行に移すことによって、恋人に拒否されやしないか、嫌われやしないか、という不安や恐れがあったり、己のエロス的欲望を他者に露呈することに羞恥などを感じる場合などであって、そうした恐れや不安や羞恥などがないかぎり、「自分の欲望がさせる引込思案」など生じるわけがないのである。

当時の三島は「私は自分の思春期を振り向いてみて、それが戦争中の儒教的な教育のためもありますが、あまりに狭い範囲で、あまりにおそれとおののきに満ちて送らされたことを、残念に思う」(『わが思春期』)と言うように、思春期の彼は「園子」との恋愛でも「あまりにおそれとおののきに満ち」、絶えずそうした恐れや不安や羞恥を抱いていたのであり、だからこそ彼が「園子」に接吻する場合には相手に対する懸念から「引込思案」が生じ、その「引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」を要したのである。

つまり、「人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」を要するのは、「人間」一般ではなく、思春期を「あまりにおそれとおののきに満ちて送」り、「園子」との恋愛でも、「いざ彼女の前へ出ると、やはり口もきけず、なすすべもわからなくなって」しまい、「言葉をかけることはおろか、彼女を誘い出すことも、何もすることができ」なかった若き日の三島のような、そうした「自分の欲望」の実行に際し相手への懸念から絶えず恐れや不安や羞恥を抱いていた「人間」の場合なのであって、同じ異性愛者であっても異性愛的な「自分の欲望」がありながらその実行に何ら恐れや不安や羞恥を感じない者なら「自分の欲望がさせる引込思案」などないであろうし、また異性愛的欲望のない同性愛者でも、相手に何らエロス的欲望のないままただ単に相手に働きかける己のそうした行為の結果を懸念して、相手に拒否されやしないか、嫌われやしないか、という不安や恐れを抱いている同性愛者なら、やはりこの場合「引込思案」は生じるのであり、したがって同性愛者の場合でも己の「引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」がこの場合にもありうるのであるから、それと必ずしも「別物」であるとはかぎらないのである。

つまり、この場合、「自分の欲望」の有無が「引込思案」の有無を決定するわけではなく、「自分の欲望」の有無にかかわらず、己が他者に働きかける行為の結果に対する懸念の有無が「引込思案」の有無を決定するのである。だから、この場合、たとえ同性愛者「私」が異性愛的な「自分の欲望」もなく「園子」に接吻するにしても、彼女に働きかける己のそうした行為の結果に対する懸念があるかぎり「引込思案」は生じうるのである。この場合、エロス的な「自分の欲望」の有無は関係ないのであり、むしろ実は己が他者に働きかける行為自体への欲望や志向があるのであり、他者に働きかけるそうした己の行為の結果に対する不安や恐れがあるかぎり「引込思案」は生じうるし、そうした己の不安や恐れを克服しようとすることで己の「引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」がこの場合もなされうるのである。

同性愛者「私」の場合も「園子に接吻するまでは決して某村を離れないぞと考え」ていたのだから、「園子」に対し異性愛的欲望はないにしても、「園子に接吻する」という行為自体への欲望や志向はあるわけであり、したがって、この同性愛者の場合も相手に対する己のそうした行為の結果に対する不安や恐れがあるかぎり「引込思案」は生じうるのであるから、「しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心とは別物」というわけでは決してないのである。

要するに三島は、「あまりにおそれとおののきに満ちて」いた異性愛者としての己の現実の体験から異性愛の「自分の欲望がさせる引込思案」を当然のものとみなし、「自分の欲望」とその遂行に当たっての「引込思案」を短絡させてしまい、相手から拒絶される恐れや不安などを感じていないかぎり「引込思案」など生じないことを明確に認識していないため、異性愛の「人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」は、同性愛者「私」には当然ないものと至極単純安易に推理して、「しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心」とは「別物であった」と異性愛の己の経験とは裏腹の「告白」をさせているにすぎないのである。

三島はここで「私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、「二人の人物の一人物への融合」という虚構を施しているのである。このように『仮面の告白』は全体にわたって三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」がなされながら、そこに絶えず「二人の人物の一人物への融合」という虚構が施されているからこそ、「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます」と三島は言うのである。

 

 

三島は『仮面の告白』で己に関する事実と虚構を強引に結びつけ、つまり主として異性愛者たる自分自身と同性愛者たる「私」の「二人の人物の一人物への融合」を無理やりなすことによって、同性愛者「私」の「内部」を欺瞞的に恣意的にでっち上げているのであり(無論それは「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する彼が「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうとする企てだが)、そのため決して現実にはありえないような奇怪不自然な「内部」の「告白」が随所に窺えるのである。

 

「園子! 園子! 私は列車の一ト揺れ毎にその名を心に浮かべた。いおうようない神秘の呼び名のようにもそれが思われた。園子! 園子! 私の心はその名の一ト返し毎に打ちひしがれた。鋭い疲労がその名の繰り返されるにつれて懲罰のように深まった。この一種透明な苦しみの性質は、私が自分自身に説明してきかそうにも、類例のない難解なものだった。人間のしかるべき感情の軌道とは、あまりにかけ離れた苦しみなので、私にはそれを苦しみと感じることさえ困難であった」

 

なんとも奇怪な感情、奇天烈な「告白」である。「一種透明な苦しみの性質」という曖昧な表現は「肉の欲望にまったく根ざさぬ」とされる「霊的愛」に対応させた空疎な誑かしの修辞以外の何であろうか。この己の「苦しみの性質」が自分自身にも説明のつかない「類例のない難解なもの」とは何事か。何だか訳も分からずに苦しむのか。というより、そもそも「苦しみ」の「性質」というものが何事か判然でない。しかもその「苦しみ」について、「人間のしかるべき感情の軌道とは、あまりにかけ離れた苦しみなので、私にはそれを苦しみと感じることさえ困難」だとは戯けている。

「人間のしかるべき感情の軌道」とは何か。ある状況においてある人間主体が現在感じている感情以外に、その状況その主体の「しかるべき感情」というものはない。この私が今ここで感じている感情以外に、この私の今ここでの「しかるべき感情」など決してありえないのだ。現に感じている感情以外に「人間のしかるべき感情」があるとすれば、それは要するに別の主体ないし状況における感情であって、かかる「感情の軌道」と己の現在の感情がどれほど離れているか、いかにして知りえようか。たとえ万一知りえたにせよ、かかる「感情の軌道とは、あまりにかけ離れた苦しみ」だと、どうして「それを苦しみと感じることさえ困難」になるのか。いずれにせよ「苦しみと感じることさえ困難」なものは断じて「苦しみ」ではない。これはありえぬ感情である。現に感じている「苦しみ」以外の「しかるべき苦しみ」など決してありえないのである。

けだし、「われわれのうちにはただ一つの精神しかなく、この精神はそのなかにいかなる相異なる部分ももたない」(デカルト『情念論』)のであり、「いかなる種類の意識にせよ、全意識でないものはありえない。無自覚的苦悩などというものは決して存在しない。身体の機制や精神の機制はいつもまさにあるべきようにある」(アラン『デカルト』)ほかないからである。この私の今ここにおける感情や精神状態こそ今ここにおいて「まさにあるべきようにある」感情や精神状態にほかならず、それ以外に今ここにおけるこの私という「人間のしかるべき感情」や精神状態など決してありえないのである。

三島は『仮面の告白』では随所で異性愛者としての己自身の実際の経験や心理に基づいて叙述しつつ、そこに「一知半解」の同性愛者の心理を絶えず推測しながら強引に「融合」しているのであり(だからこそ三島は同作について「二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」だと言うのだ)、そのため想像裡の同性愛者の心理を「告白」する場面では、ときどきこうした現実にはあるまじき奇妙奇天烈な「告白」になるのである。つまり、三島は「人間のしかるべき感情の軌道」というものを異性愛者としての己の実際の経験に基づいて考えているのであり、そこで「園子」と離別するこの場面の同性愛者の心理や感情としては自分には馴染みの異性愛の「人間のしかるべき感情の軌道」とは「別物」であるように「告白」しなければならないため、こうした不得要領な心理の「告白」になってしまうのである。

かように三島は「二人の人物の一人物への融合」を無理やり欺瞞的に推し進めたため、こうしたあたかも意識や心や精神が二つあるかのような奇怪不自然な「内部」をでっち上げてしまったのである。

 

XI

 

戦後社会に作家として生きてゆかんとした三島は、己の過去の「醜かった」振る舞いを取り繕い糊塗せんがために『仮面の告白』という仮面的テクストを書き、そしてやがて人生に倦み疲れ、老いへの嫌悪や「ニヒリズム」に陥った晩年近くからは自殺を考え、最後の自己美化、自己栄化として、「弱虫の卑怯者」ならぬ「英雄たらんがため」の「思想か信仰」を利用した自死を企て、あたかもそうした「思想か信仰」に殉じたような自裁に見せかけるためのさまざまの「思想的」な仮面的テクストを書いたのである。

まずは作家としての人生を始めるに際しては、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧するような恥辱的屈辱的な「過去」のある三島は、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思」い、そのための方法として「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取し」た方法を工夫して、『仮面の告白』という仮面的テクストを書いたのである。だからこそ後年この職業作家としての処女小説の執筆当時を振り返って三島は、「小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。客観性の保証とは何か?それは言葉である」と言うのである。

そして晩年近くからは、「人生に対する一種の先取特権を確保した」小説家たる三島は、今度はこの「先取特権」を己の「未来」を糊塗するために利用するのである。「芸術家が未来を先取するとは・・・・・・完全な計算と企画にもとづいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで! しかし遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」と考えて。

つまり、『仮面の告白』は「過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」三島が、「醜かった」と「喚起」する己の恥辱的屈辱的な「過去」を事後に取り繕わんとして書いた仮面的テクストであり、そして晩年近くから盛んに書いた「思想的」なテクストは、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えた三島が、また「もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行ったら、(もちろんそれには、完全な肉体的条件が伴わねばならぬが)、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」と言う三島が、やがて自裁せんとする己の「未来」を事前に「思想」や「大義」に殉じたものであるかのように取り繕わんとして書いた仮面的テクストなのである。

あるテクストを仮面的テクストと見破るには、またある言動を仮面的言動と看破するには、当のテクストや言動のみからでは不可能な場合が多いのである。当のテクストや言動のみではその明示的な表現に対する認識の限界があるのである。

たとえば、最も簡明な例では、「ある人が自称するところ」のテクストはそのテクストと関係するかぎりの「その人が現実にあるところ」を考慮究明しないかぎり、そのテクストの真偽虚実や仮面か否かを認識しえないのである。この場合にはテクストの作者を捨象するわけにはいかないのである。それぞれの人が、あるいは「それぞれの時代が己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じている」かぎり他我認識も歴史認識も決してありえないのである。

 

 

昭和二十三年八月二十八日に坂本一亀が役所に勤めていた三島に書き下ろし長編小説の執筆依頼をしに行くと、三島は「今ぜひ書きたい長編がある。自分は、これに賭けるつもりだ。その意味でも、今の勤めをやめたい。さっそく辞表を出す」と言ったという(坂本一亀『「仮面の告白」のこと』)。

三島が「今ぜひ書きたい長編」とは無論『仮面の告白』だが、そのころにはすでに『仮面の告白』の構想をかなり練っていたと思われる。その半年ほど前には「自我を語らんがために他者としての芸術の名を呼びつづけるのだ。これは、西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣でもある」と書いているが、これはまさに『仮面の告白』の方法論を思わせるものである。

『「仮面の告白」ノート』では「ここに書かれたような生活は、芸術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のものである」と言っている。三島としては同性愛者「私」の『仮面の告白』に「書かれたような生活」をフィクションによって辛うじて支えているつもりだったのである。

「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」三島は、「すべて醜かった」と慙愧する己の「過去」の「恥部」を何とかして取り繕い、糊塗したかったのである。そこで「他者としての芸術」を利用して、その中で密かに「自我を語らん」としたのである。すなわち『仮面の告白』という「芸術」の隠れ蓑の背後で己を「告白」しているのである。己の「過去」の「恥部」を密かに「告白」しつつ、それを取り繕うような形で同性愛者「私」の「生活」をこれ見よがしに「告白」しているのである。

「西洋中世のお伽噺で、魔法使」は彼自身の姿らしきものをこれ見よがしに見せつけるのであるが、それはまやかしの幻影であって、実はそこに「魔法使」はいないのであり、「彼より二三歩離れた林檎の樹」のほうにいるのである。『仮面の告白』の方法論はかかる「秘伝の模倣」なのである。

三島は当時「今ぜひ書きたい長編」の『仮面の告白』によって職業作家として立つ決意をしていたのであるから、坂本の依頼は「まことに時宜を得た、渡りに舟の申し入れであった」(『私の遍歴時代』)のである。

だが、役所を辞めて職業作家になるためには父親の許可を得る必要があり、これが三島にとって最大の難関なのであった。大学の法科選択も大蔵省入省も父親の厳命により果たしたものであり、役所勤めをしながら創作活動をしていた三島は、父親に役所を辞めて小説家として一本立ちしたいと懇願していたのだが、そのつど父親に頑強に反対されていたのである。三島は父にぶたれることもあったという。

ところが、坂本の来訪から五日後の九月二日には三島は辞表を出して、人事課長から「僕らは何の才能もないため役人などしているが、君は文才に恵まれているのだから文壇で大いに活躍してくれ」という贐の言葉を受けて役所をすんなり辞めている。

この間のいきさつについては一つのエピソードが伝えられている。坂本来訪数日後の八月末のことである。

 

「ある日伜が帰宅しての話に、

『今朝渋谷駅で気持がフラフラしていたが、雨の日にゴム長靴だったので、すべってホームから線路に落ちてしまった。幸い電車が来なかったので急いでホームに這い上ったけどほんとに危なかった』と言うのです。

命あっての物種、僕は事ここに至ってはもはや詮なし、とついに百年の大計を打捨て、

『役所をやめてもよい、さあ作家一本槍で行け、その代り日本一の作家になるのが絶対条件だぞ』と言い渡しました」(平岡梓、前掲書)

 

こうして晴れて父親の許可を得て、三島は九月二日に役所に辞表を提出し、同月二十二日に依願退職したのである。

だが、はたして三島が朝の渋谷駅のプラットホームから線路に落ちて這い上がったときの目撃者はいたのであろうか(当時の三島の肉体的非力を考えると、自力で這い上がるのは相当難儀であったろう。まず不可能であったと思われる。朝の出勤時の渋谷駅のプラットホームなら目撃者は相当数いたはずであるが)。まずこれは三島の狂言ではないかと思われる。三島としては坂本の小説執筆依頼は「渡りに舟の申し入れ」だとばかりに『仮面の告白』の執筆に専念したかったのであり、そのため早速役所を辞める決意をしたのであるから、すぐにでも父親の許可を何としても得ねばならなかったのである。

坂本の依頼は「まことに時宜を得た、渡りに舟の申し入れであ」り、職業作家になるための絶好のタイミングと三島はみなしたのであり、そのため直ちに役所を辞める決意を固めたわけだが、その時点で三島がそんな決意を固めたことなど父親は知らなかったであろう。一方、父親のほうは三島が役所勤めをしながら徹夜で原稿執筆をしているため彼の健康状態を心配し、徐々に譲歩する気になりかけていたようでもあるが、息子にはそんな面は見せまいから、三島は父親のそんな気持ちの変化を見通せなかったであろう。

三島としては今すぐにでも父親の許可を得る必要に迫られていたのであり、そのためには余程の事情を理由に訴えねば許可されまいと考えたであろう。そして件のエピソードが伝えるような事情で同日中に父親の許可を得たわけだが、まずそれは三島が難関突破のために仕組んだ狂言のように思われる。

三島は八月二十八日に「今の勤めをやめたい。さっそく辞表を出す」と坂本にきっぱり伝えたのであるから、このときにはすでに父親をどう納得させるべきかは充分に考えていたはずである。そして数日後の八月末日の雨の日を早速にか急遽にか利用したのではないか。恐らくは通勤途中のどこかのぬかるみでわざと転んで、そのまま家に逆戻りして父親にはあのように訴えたのではないか。どうもそんなところではないかと思われる。

三島がほんの二、三日前に出版社の編集者に役所を辞めると請合ったことを、もし彼の父親が知っていたとしたら、はたして父親は息子が涙ながらに話す渋谷駅での一件をすんなりと真に受けたであろうか。同性愛の「告白」(編集者への耳打ちもそうだ)の場合と同じく、渋谷駅の一件もまったく三島の自己申告の話なのである。そしていずれの場合も実はその背後に彼の強烈な動機があるのだ。

他者の言動はその背後の動機や意図を認識しないかぎり正当に判断しえない場合があるのだ。大抵の場合は動機や意図など相手の言動から容易に透けて見えるから問題ではないわけだが、なかには当人の秘密の動機や意図を見破らないかぎり言動の意味を誤解するような仮面的言動もあるのである。「行為の動機の考察は重要で厄介であり、私はここでこうした動機の問題を扱う倫理学や文芸批評をやっていなくて幸いに思う」(アンスコム『インテンション』)。一切のテクストも表現行為の痕跡であるから、その作者の動機や意図は大抵の場合は自明であるから問題ないにしても、なかには隠された動機や意図が決定的に重要であるようなテクストもあるのだ(『仮面の告白』はまさにそのようなテクストであるが、無論これは作者を捨象するかぎり絶対的に認識不可能である)。偽の動機や意図を見せつけるような仮面的言動もあるのである。こうした場合は表現者が異なればその動機や意図も異なりうるのであり、動機や意図が異なれば外的にはまったく同じ表現の意味も異なりうるのである。恐らくこうしたことに思い至ったからこそ最晩年のヴァレリーは「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている。このことは決定的に重要な点だが、言語学者たちによって取り上げられておらず、したがって展開を与えられてもいない」と書いたのである。

いずれにせよ三島は目的遂行のためにはある種の背後の努力を惜しまない男である。

 

 

『仮面の告白』は作者三島にとって「ぜひ書きたい長編」だったわけだが(その理由については最早言うまでもあるまい)、作中の同性愛者「私」にとってはまったくそんなものではありえない。この点においても三島由紀夫と同性愛者「私」とはまったく別の人物であることが分かるであろう。

普通の「正常者」の青年なら「男らしいはっきりした態度」で恋人に結婚を仄めかすようなことを言うべきとされる場面で、「今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった」と「告白」する同性愛者「私」が、また「園子」のみならず一切の「他者」(あくまでも作中の「他者」にすぎないことを一瞬たりとも忘れてはならぬ)に己の同性愛がばれることを何よりも恥じ恐れているはずの同性愛者「私」が、それをわざわざ自ら不特定多数の他者に公表するような「告白」を「ぜひ書きたい」わけがあるまい。

作者三島と作中人物の同性愛者「私」を同一視すれば、かように現実的にあらゆる根本的な矛盾撞着が生じるのである。この仮面的テクストの場合は作者と作品の関係はそんな単純なものではないのである。そんな無邪気な同一視をしているかぎり、他我認識もテクスト解読も決してなしえないのである。そうした同一視は作者によって異なりうる作品との関係をまったく認識しそこなっているためであり、この場合にはヴァレリーの言うように「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」わけだが、余人はそうして再現された「作者」が「架空の人物」だとは容易に認識しえないのである。

三島由紀夫は己の同性愛が「他者」にばれることを何よりも恥じ恐れている同性愛者「私」の「告白」を「ぜひ書きたい」のであり、その同性愛者「私」をあたかも彼自身と思わせるような「告白」を「ぜひ書きたい」のであり、それを現実の他者に大いに公表して、戦後社会に職業作家として生きていきたいのである。三島は己の同性愛が「他者」にばれることを何よりも恥じ恐れている同性愛者を彼自身と思わせたいのであり、『仮面の告白』で大いに恥を忍んで「告白」しているかのように見せかけている同性愛を己の真の「恥部」だと思わせたがっているのである。同性愛の「恥部」を悲壮な覚悟で「告白」しているように思わせたいのである。かくして戦後の他者の穿鑿攻撃の矢をその仮面の「恥部」に集中させて、彼自身の真の深甚な「恥部」から何とかして逸らせておこうとしたのである。こうして三島は戦後社会に職業作家としての第一歩を踏み出そうとしたのである。

戦後、職業作家になろうとしていた三島が何より恐れたことは、自分が作家として世に知られるようになれば、かつて入隊検査で仮病を使って兵役逃れしたあの男だ(あの「弱虫の卑怯者」だ)とやがて陰に陽に噂になり、当時の「恥の立会人」や「証人」たちが「知っているという小さな傷口が日ましにひろがって、やがて大きな腐った傷口が歌い出す」のではないかということなのである。その己の最大最深の「恥部」を他者の穿鑿攻撃の矢面に立てたまま自由に作家活動をしていくことはできないと感じていたのである。だからこそ三島は戦後職業作家になるに当たってまず『仮面の告白』を執筆公表したのであり、そして同作を以て本格的に作家生活を開始したからこそ「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」と言うのである。

 

「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために! /小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。/客観性の保証とは何か?それは言葉である」

 

無論、ここで言われているような「小説家」は小説家一般ではなく、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する己の「過去」の「恥部」を取り繕い、糊塗して、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思」う三島由紀夫のような「小説家」に限られることは言うまでもない。

三島は『仮面の告白』で己の仮病を使った兵役逃れの「恥部」を「告白」しながら、それを他人に「致命傷を与えられ」ないように微妙な形で欺瞞的に取り繕い糊塗することで「自己防衛」しているのである。彼が『仮面の告白』で、「すべて醜かった」と「喚起」する己の「過去」を、「過去」の「恥部」を、とにかくある程度自ら「告白」したのは、「他人の加害を巧く先取」するためであり、己の「恥部」の本体に「致命傷を与えられ」ないように、他人の穿鑿攻撃の矢を受けようと痛くも痒くもない「フフフ・・・・・・と意味深に笑って」られるような幻影の「恥部」、偽の「恥部」、仮面の「恥部」をこれ見よがしに見せつけて、この仮面の方に「他人の加害」の矢を逸らせ、この仮面の強引な「論理」と「心理」(いずれも決して現実的なものではない)で己の本体を無答責にしつつ「自己防衛」するためなのである。

三島ははまず『仮面の告白』冒頭のエピグラフからして、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」(「西洋中世のお伽噺」の「魔法使」の変身術)に基づく陽動作戦によって読者の目を晦まそうとしているのである。

「一体悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?」とか「しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ」という言葉から、読者は思わせぶりな「悪行(ソドム)」とともに同性愛の告白者「私」の「自分の痛いこと」である同性愛に注意を向けるよう促される。「私」は「自分の痛いこと」を敢えて「告白」しているのだ。「私」がしきりに「痛い」と表明しているものこそがこのテクストの最重要の「告白」なのだと。それ以外の「告白」は第二義的なものにすぎない。そう読者は思い込まされるのだ。しかしまた、三島は彼自身の本当の「自分の痛いこと」もある程度「告白」しているのである。ある意味で三島は生涯「自分の痛いことばかり話したが」っていたように思われる。

同性愛者「私」の「痛いこと」である同性愛という「恥部」は絶えず前面に押し出されてこれ見よがしに見せつけられる。そして読者は作者三島の前半生の外的事実の断片を知るほどにそれらが同性愛者「私」の「恥部」と一致しているように思われることから、同性愛者「私」の「内部」もすべて三島のものと思い込む。そして「私」がしきりに他者にばれるのを恥じ恐れている同性愛こそ三島の「痛いこと」なのだと、彼の本当の「恥部」なのだと、それを彼はフィクションめかした形式の「仮面」をかぶって清水の舞台から飛び降りるような悲壮な決意で自ら暴露したのだと、そうほとんどの読者は思い込まされる。

しかし、『仮面の告白』の同性愛者「私」と同じように、もしも同性愛が三島にとって他者に知られることを何よりも恥じ恐れる深甚な「恥部」で、彼にとって本当の「自分の痛いこと」であるとしたら、いかなる種類の形式の「仮面」をかぶろうと、三島にとって『仮面の告白』はどのみち同性愛という「恥部」に関しては単なる馬鹿正直な告白にすぎまい。他人に知られることを何よりも恥じ恐れることをいかなる形にせよ無数の他人に公開すれば恥辱と恐怖に苛まれてしまうことになろう。では、『仮面の告白』公表後に三島は深甚な恥辱と恐怖を味わったであろうか。

同性愛は日本社会ではそんな深刻な「恥部」では決してないのである(いずれこうしたタブー視は人々の意識や関心や時世に応じて変化する面もあるが)。『仮面の告白』は「日本では平気で読まれ」ること、「作者の社会的醜聞」になど決してなりはしないこと、それを三島は事前に充分承知していたからこそ執筆公表したのであり、事実その公表後の日本社会の反応はそのとおりだったのである。日本社会に生きる三島にとって同性愛の疑惑や噂が生じようと、「フフフ・・・・・・と意味深に笑って」いられるのである。それは何ら当人の「せいではない」以上、たとえ一部の他者から好奇の穿鑿をされるとしても、決してそれ以上は何ら指弾攻撃されやしないからである。他者のそうした疑惑や誤解を招こうと、それだけのことにすぎず、況して彼らを誑かしてやったという三島の思いからしても、彼の自尊心がさして傷つくことはないからである。その点について他者をまんまと誑かしおおせているとすれば、『仮面の告白』における己の最大最深の「恥部」の欺瞞的取り繕いも見破られていないことになるのだから、三島としては心底「フフフ・・・・・・と意味深に笑って」いられるわけである。「自分の存在が裏返しになるということが、ぼくには、たまらなく面白い」という三島なればなおさらのことである。

つまり、三島は『仮面の告白』で同性愛を深甚な「恥部」のようにわざと大袈裟に見せかけているのである。三島にとってその偽の「恥部」、幻影の「恥部」、仮面の「恥部」を前面に押し立てて、己の真の「恥部」を、彼にとって真の「自分の痛いこと」を仮面の「論理」と「心理」で欺瞞的に取り繕いつつさりげなく、とはいえ「鼻をつまんで」、「告白」しているのである。これが「人に誤解されることが妙に好きで、誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」彼のやり方なのであり、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか」を工夫した『仮面の告白』の方法論なのである。この絡繰を見破れないかぎり、この仮面的テクストの解読はありえず、三島のかぶった仮面を看破することはできないのである。

かくして三島にとり「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っている」のであって、彼にとり「恥部」の「告白」は「自己防衛」のためにほかならないのである。「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために!」

三島は他者に穿鑿されようと痛くも痒くもない仮面の「恥部」、さながら「魔法使」が変身術によって出現させた己の幻影の「恥部」を、表面上秘密めかした「告白」という形でさかんに見せびらかして、彼にとって真の「自分の痛いこと」をさながら「林檎の樹」のように比較的目立たぬように示し、仮面の欺瞞的な「論理」と「心理」で過去の己の「醜かった」振る舞いについて己を無答責に取り繕った形でさりげなく「告白」しているのである。

三島が「園子」との結婚に「逡巡」したこと、そして神風特攻隊の戦死を最高の「英雄的な死」として賛美憧憬しながら、入隊検査場で仮病を使った必死の兵役逃れをしたこと、これらはいずれも彼に関して事実であり、いずれも彼にとって慙愧に堪えない「醜かった」思い出としての「恥部」なのであって、特に後者の「恥部」は戦後の彼が何よりも他者の穿鑿攻撃を恐れ、生涯気にした「過去」の「恥部」なのである。これらの彼にとって真の「恥部」こそ正に『仮面の告白』において顕示的な同性愛の「恥部」の非現実的な不自然な「論理」と「心理」で欺瞞的に取り繕われて「告白」されていることを見破らなければならない。まさに『仮面の告白』というテクストにおいてこそ三島は同性愛を利用した己の真の「恥部」のかかる欺瞞的な取り繕いをしているのであり、このテクストを別にして彼のそうした行為や精神活動は決して構成しえないのである。かようにテクストを通じて作者を認識するのであり、と同時に作者を通じてテクストを解明するのであって、かくして作者の行為や精神活動を含む伝記は成り立つのである。

無論、これはテクストから作者が「還元」されるということではないし、また作者からテクストが「還元」されるということでもない。そんな御伽噺みたいな「還元」は不可能であることは初めから分かり切ったことである。そもそも一方から他方が「還元」されるとか「還元」されないという言葉遣い自体が、双方を最初からまったく別々のものとして切り離して考えているからこそであって、「作者の死」を唱え、作者と作品を切り離して考えようとする「ポストモダン」流の「テクスト論」(実はマルクス以前の天上から地上に下りるドイツ哲学」流の「テクスト論」にすぎぬ)がそうした「還元」を批判したところでナンセンスなのである。問題は双方の統合であって、件の解明や解読はかかる統合なくして不可能だということなのである。

つまり、『仮面の告白』のテクストにおいて、作者三島由紀夫をテクストから切り離し、このテクストを単独に扱っているかぎり、たとえば作中の兵役逃れが事実か否かは絶対的に認識不可能になり、そうした真偽や虚実などまったく不問に付されてしまうであろうし、剰えそうした「読み」(一体何が読めるというのか)方が強弁されてしまうことになるわけである。そうなればもう三島がこのテクストでいかなる仮面をかぶって己の「醜かった」と慙愧する「過去」の「恥部」をどのように隠蔽糊塗し取り繕っているかなど永遠に絶対に認識不可能になってしまうのである。「作者の死」を唱える作者捨象の「テクスト論」はかようにテクスト解読や作者解明に重大な支障をきたすのである。

テクストから作者を完全に切り離すなら、テクストとは全然別のところで作者を認識することになる。だが、もしテクストと切り離して作者認識が成り立つなら、作者認識そのものにほかならぬ作家論が作家の全テクストとは別のところで成り立つということになるが、そんな馬鹿げた話がありえようか。テクスト(作成)は作者を形成するものであり、テクストの作成活動にかぎらず個人のすべての精神活動、生の活動がその人を形成しているのである。そうした活動を示す証拠や手掛かりの重要な部分たるテクストを措いて人間を認識しようなどとは、史料を別にして歴史を認識しようとするようなものである。

要するに、作者捨象、作者切り離しの「テクスト論」は、作者が異なればテクスト(の意味)も変わりうるということ、そういうテクストがありうるということをまったく認識していないため、テクスト(の意味)は作者が誰であれ絶対不変だと確信してしまうことによるものであろう。件のテクストがありうるという認識に達したからこそ、最晩年のヴァレリーは「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている。このことは決定的に重要な点だ」と言ったのである。

 

 

作品から作者ないし作者の伝記や伝記的事実を切り離すという考え方については、バルトにせよ一時期の小林秀雄にせよヴァレリーの往年の考え方を踏襲しているのである。特にバルトは「作者の死」を唱えて作者排除をその「テクスト論」の方法論的前提のようなものにしてしまったため、以後はあらゆるテクストから作者を排除する風潮が蔓延してしまったようである。

そこに決定的に欠落しているのは作品の構想や制作自体が作者の伝記的事実以外の何ものでもないという認識だが(特に作家の場合はそれが生活の大半を占めていようから、それを無視して作家の生活など成り立つまいし、また描けまい)、それはともかく、その「テクスト論」にはテクストの分類学がなく(恐らくは主として文学テクスト、人文系テクストを念頭においているのだろうが、とすれば作者排除はなおさら問題なのであるが)、テクスト全般について作者捨象を方法論的前提にして論じているのであり、だからこそ歴史学のような分野のテクストにもその「理論」を適用して、「虚構と真実の境はない」というような考えも出てくるのである。

たとえば、三島の単純な仮面的テクスト、「私は法科大学へ試験を受けて入ったのではなかった。その年に限り内申制度によって、各高等学校の推薦で入ったのである。そこで私は今まで受けた資格試験と言っては、小学校へ入ったときのメンタルテストを別にすれば、高等文官試験だけしか知らないのである」とか、「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」といったテクストの場合、そのテクストの虚実や真偽は彼の両親などには明白であり、また三島に関する資料から一般読者にも明らかになることもあろうが、もしこのテクストの作者三島をテクストから切り離したり、作者を匿名にしてしまえば、そのテクストの「虚構と真実の境」は消失してしまうのであり、あるいはテクストの虚実などどうでもよいものとなってしまうのである。

かように、テクストから作者を切り離せば、テクストから認識しうるものも認識不可能になってしまうのであり、テクストの認識や解読の限界を極端にまで狭めてしまうのである。

この簡明な一事を以てしてもバルト以降の流行の作者捨象の「テクスト論」には致命的な欠陥があることが分かるであろう。テクスト一般について「作者の死」を宣告する作者捨象の全称的理論たる「テクスト論」は、その妥当性を粉砕打破するような単称言明、あるいはその無益無効を証するような単称言明、すなわち作者を考慮することによる作者の解明とテクストの解読の可能性を少なくとも示唆するような単称言明によって反証されうるのである。

かかる反証は主として仮面的テクストについてこれまで本稿で論じてきたことですでに充分になされている。要するに、すべてのテクストが作者を捨象ないし匿名のままにしておいて差し支えのないテクストというわけではないのである。最も簡明な反証となるテクストは作者が己自身のことについて嘘を綴る仮面的テクストの場合である。作者が自分自身のことについて記しているテクストは作者を捨象するかぎりそのテクストの仮面性を容易に看破しえない。「人が自称するところ」のテクストのみからは「その人が現実にあるところ」との区別をなしえないからである。

無論、作者を考慮し関与させたからといって自動的に仮面的テクストの看破が可能になるわけでもない。「人が現実にあるところ」を知るのは必ずしも容易ではないからである。況してや作者が己の「内部」について記しているようなテクスト(たとえば『仮面の告白』)の場合はいっそう看破が困難になるが、とにかく現実の作者というものを捨象したり匿名のままにしておくことを前提としているかぎりはどうにもならぬのであり、テクストの解読や解明の可能性を初めからまったく無にしてしまうわけである。そんな前提を据えたうえでテクストの解読の限界をいくら説いたところで虚しいかぎりであり、それは誤った前提が強いる偽の限界、幻の限界、妄想の限界、まやかしの限界である。真の限界はもっと別のところにある。

 

『仮面の告白』は三島自身が「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」と言い、「この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても」と言うように、ノンフィクションのテクストという一面があると同時に、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、など」を行なっている点ではフィクションのテクストという面もあるわけである。特に「二人の人物の一人物への融合」は「仮面の告白者」たる同性愛者「私」に対して行なっていることは確実であり、だからこそ同性愛の部分を除いては明らかに作者三島自身を髣髴させる同性愛者「私」の「告白」というテクストについて三島は「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした」と言うのである。つまり、三島自身の過去に関して「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をし、「凡てが事実にもとづいている」テクストを作成している一方で、「二人の人物の一人物への融合」を施し、「『嘘』を放し飼にした」テクストを作成しているのである。かかる二重のテクストを作成しているのである。

以上の点を確実に認識しなくてはならない。

三島は『仮面の告白』で彼「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、「二人の人物の一人物への融合」を施したうえで、「『嘘』を放し飼にした」「告白」をしているのである。前者の「告白」部分に関してはノンフィクションだが、後者の「告白」部分についてはまったくのフィクションであり、真っ赤な「嘘」なのである。

三島は主として己の過去の恥辱的屈辱的な「体験から出た事実の忠実な縷述」をしながら、「二人の人物の一人物への融合」を施した同性愛者「私」に「私」自身の明示的な「恥部」を「告白」させることによって、三島自身についてはそこで「『嘘』を放し飼にし」ているのである。より具体的には、三島自身の過去の「恥部」を「告白」しながら、その部分を糊塗し取り繕うような形で偽の「恥部」、仮面の「恥部」を「告白」し、その仮面の「論理」と「心理」を強引に駆使した「『嘘』を放し飼に」することによって己の過去の真の「恥部」を欺瞞的に正当化し、無答責にしようとしているのである。三島は己の真の「恥部」を無答責にするためにこそ、「私の性格の罪ではなく、性格以前のもの・・・・・・私のせいではない」という偽の「恥部」を「告白」したのであり、「私のせいではない」「恥部」の仮面をかぶったのである。

『仮面の告白』をもっぱらフィクションのテクストとして扱っても、ノンフィクションのテクストとして扱っても決して解読しうるものではない。まったくのフィクションとみなすこともできないし、ノンフィクションとして真に受けるわけにもいかないのである。「二人の人物の一人物への融合」を施し、「『嘘』を放し飼にし」ている部分を真に受けているかぎり、作者を認識することはできないのであり、三島のかぶった仮面を見破ることはできないのである。

いつまでも頑迷にフィクションのテクストとして読むべきだとか、あるいは、実はノンフィクションのテクストなのだ、などとみなしているかぎり何も解明できない。どちらのテクストでもないからである。いずれかのテクストとみなしているかぎり、妄想的解釈はいくらでも可能であり、屁理屈はいくらでもつくのである。

あるテクストがいかなるテクストであるかということこそテクストの解読、解明にほかならない。そしてこれは必ずしも容易なことではないのである。

 

 

三島は『仮面の告白』で己に関する虚と実を明確に意識しつつ両者の辻褄合わせを欺瞞的な自己正当化や自己無答責化のためにしているのであるが、そこには決定的な齟齬や矛盾が散見される。そしてその最大の問題点、きわめて胡散臭くも欺瞞的な言い訳、矛盾に満ちたまやかしの取り繕いこそ、仮病を使った兵役逃れを「告白」している部分であることを見破らなければならない。

三島は『仮面の告白』で己の「内部」を誤魔化すことにより「すべて醜かった」と「喚起」する己の過去の現実の「恥部」を無答責にせんとしたのであり、そのためにこそ、その過去の「恥部」を「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」とするためにこそ、偽の「恥部」、仮面の「恥部」を「告白」したのであり、「仮面の告白」をしたのであり、『仮面の告白』を執筆公表したのである。

かように、三島由紀夫が『仮面の告白』のテクストの作者だからこそ、作者たる三島由紀夫を考慮することによって、この奇妙な自伝的テクストの虚実や真偽を判断する可能性が開かれるのであって、ここで作者が誰だろうとテクスト解釈上構わぬものだとして「作者の死」など唱えたりして作者を捨象してしまえば、テクストの虚実や真偽の認識はまったく不可能になり、何ら問題にすらされなくなってしまうのであり、このテクストが如上の仮面的テクストであることを看破できなくなってしまうのである。この場合は作者に関する虚実や真偽こそが決定的に重要な問題になるからなおさらである。

 

三島はすでに人目に触れた己の過去の恥辱的振る舞いを取り繕うためにこそ、まだ人目には触れていないはずの己の「内部」をでっち上げ、偽の「内部」、仮面の「内部」、仮面の「恥部」、「私のせいでない」という同性愛の「恥部」を「告白」したのであり、「仮面の告白」をしたのである。仮面の「恥部」が自分にとっていかにも深甚な恥であるかのように、それがあたかも自分の真の恥であるかのように「告白」したのであり、その仮面の口を借りて己の「醜かった」過去を取り繕ったのである。

他者の「内部」は容易に見えないからこそ、人は他者の「内部」の告白に誑かされやすい。また、人間「内部」というものが未だ充分に解明されていないため、己の「内部」を告白する者自身が己の「内部」を誤解するこそすらありうる。とはいえ、心や脳の研究によってその働きや機制はある程度は明らかになっている部分もあるし、これらの成果や己独自の「内部」の洞察によって「内部」を語るまやかしの言葉を暴くことはある程度までは可能なのである。

 

 

三島には一風変わった奇癖があったことが知られている。

彼の父親はこう述べている。

 

「僕は、カニは好物です。伜のカニ嫌いは、だから遺伝ではありますまい。何が原因かきっかけは判りません、伜にとってカニは不倶戴天の敵でありました。カニを見ると、たちまち真青になってブルブル震えて逃げ出すという、実に念の入ったものでした。これは、友人連は誰ひとり知らない者はいないという天下周知のことでした。しかし、面白いことに、カニの肉は、家内などが台所でひそかにむしって皿に盛ってやるとドシドシ食べました。あの異様な原形のままのカニが、御意に召さないだけなのです」(平岡梓、前掲書)

 

三島の蟹嫌い、蟹恐怖については、彼と同席したことのある何人もの人が報告している。

 

「武田泰淳は三島由紀夫の蟹ぎらいのことを書いた。もっともかれがこの話を書いたのは、同氏の死後が最初というわけではなく、生前、たしか、『薔薇と海賊』上演の際の劇団のプログラムにも書いていた。平岡梓氏の書いたものによると、息子の蟹ぎらいは友人の間では周知のことだったというから、他にも書いたひとがあるのかも知れないが、ともかく武田氏の書いた、気をきかして蟹を食べてしまった同席の男というのは僕である。それは甲羅が饅頭形にふくらんだ、一口で食べられる位の小さな蟹で、一皿に二匹ずつ、から揚げにしたのが添え物として載っていた。

僕が食べちゃったのは気を利かしたからではなく、蟹を見るのがいやだとか好きだとか、愚にもつかない煩瑣なことで時間が失われるのを嫌ったまでである。大体蟹という字を見るさえぞっとするという三島氏の蟹ぎらいはどの位深刻なものだったのか。平岡梓氏の書いたものでも、母親が台所で剥いて出すその身はいやがらずにいくらでも食べたとあり、蟹を食った男がそばにいても、蟹がサラダ菜の下に隠れていると分っている皿がそばにあっても、構わなかったのである。父君もいうように、見えなければそれですむ視覚の問題だったのだ。

それにあの晩の三島氏のああいう表情はどう形容したらいいのか。皿の上に蟹を見出した三島氏は打撃を蒙ったようではあった。しかし続いて浮んだ表情は恐怖や、恐怖の混じった嫌悪を語ってはいなかった。言ってみれば用心していたのにまんまと裏を掻かれてげんなりしたと言ったような、自分の弱点をよく知っている旧知のいたずらに出会ってへたへたと戦意を喪失したと言った按配の表情だった。それからは、もっと大袈裟などんな表情でも出て来なくはない、そうも思われる表情だった。

感情的お芝居の嫌いな僕は、そういうとき、原因を亡してしまう方へ手をのばす」(寺田透『豊饒の海』)

 

寺田はどうも三島の蟹嫌いや蟹恐怖を「感情的お芝居」のようにみなしているのかもしれない。三島が己を常人とは異なる特異な人間に見せたがっていたことは確かである。しかし、戦後の彼は己の過去の反省から、「私は弱いものがきらいである。・・・・・・心の弱さだけは、ゆるすことができない」とし、「文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。一体動物の世界で、弱いライオンのほうが強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか。強さは弱さよりも佳く、鞏固な意志は優柔不断よりも佳く、独立不羈は甘えよりも佳く、征服者は道化よりも佳い」(『小説家の休暇』)と考え、「剛毅」で「男性的」な「強者たらん」「勇者たらん」と心がけたのであるから、蟹を、それも調理された蟹を、怖がるなどという軟弱で臆病とみなされかねない「お芝居」をわざわざ人前でするとは到底考えにくいであろう。

子供のころに蟹にはさまれて痛い思いをしたという程度なら、長ずるにつれ蟹に対する恐怖心など容易に克服できるだろうし、況してや調理された蟹を大人になってから怖がるなどということもありえまい。「カニを見ると、たちまち真青になってブルブル震えて逃げ出す」などというのは尋常ではない蟹恐怖症である。三島の場合、蟹は恐怖の対象として象徴化されているように思われる。蟹は強迫観念として象徴化されているのではないか。ここにはどうも無意識的な幼児期の体験が深く関与していると考えられるのである。

三島は生後まもなく二階の両親の許から一階の祖母なつの手許に移された。彼の母親は「生れ落ちるとすぐ産みの親の私と別れて、絶えず痛みを訴える病床の祖母のそばで成長するという、こんな異常な生活が何年も続くことになりました。私はこれで公威の暗い一生の運命はきまってしまったと思いました」(平岡梓、前掲書)と語っている。

 

「父母は二階に住んでいた。二階で赤ん坊を育てるのは危険だという口実の下に、生れて四十九日目に祖母は母の手から私を奪いとった。しじゅう閉て切った・病気と老いの匂いにむせかえる祖母の病室で、その病床に床を並べて私は育てられた」(『仮面の告白』)

 

この部分は別に嘘をつく必要も意味もないので三島は事実を語っているはずである。

この祖母については彼女の息子である三島の父親はこう述べている。「自分の身分、家柄を過信するプライド、父の天衣無縫の行動、坐骨神経痛等々が重なり合って、母は精神肉体両面からの激痛でひどいヒステリーになる。この大型台風はたちまち家中をところせましと吹きまくり、その被害や以て想うべしという惨状でした」(平岡梓、前掲書)

 

「古い家柄の出の祖母は、祖父を憎み蔑んでいた。彼女は狷介不屈な、或る狂おしい詩的な魂だった。痼疾の脳神経痛が、遠まわしに、着実に、彼女の神経を蝕んでいた。同時に無益な明晰さをそれが彼女の理智に増した。死にいたるまでつづいたこの狂燥の発作が、祖父の壮年時代の罪の形見であることを誰が知っていたか?」(『仮面の告白』)

 

この「ひどいヒステリー」の「狂燥の発作」を起こす祖母なつは、「気が昂ぶると刃物をふりまわし、差押えを免れた一振りは、来物と伝えられる古刀の鞘巻、尺に足りぬ懐刀、なつは時に姿勢を正し、刀に見入り、侍る看護婦を恐怖せしめた」(野坂昭如『赫奕たる逆光』)という。

三島はまだほとんど何の意識もないころからこの恐るべき祖母とほぼ起居を共にして幼年時代を過ごしていたのである。祖母は孫の三島を溺愛していたにせよ、「気が昂ぶると刃物をふりまわ」す祖母は、きわめて幼い三島にとってもある時点で恐怖の存在と感じられるようになったはずである。しかし、祖母は絶えず自分の身近にいて自分を庇護してくれる存在である以上、この恐怖の対象は断じて祖母であってはならないのだ。とはいえ、幼い三島の内部でこの恐怖を打ち消すことはできない。恐怖の存在は確かにいるにせよ、自分と起居を共にする祖母であってはならないのだ。かくして祖母への恐怖心は抑圧されて意識下に封印される。いまここにいる祖母は恐ろしくない、恐ろしいものであってはならない、恐ろしいのは祖母ではなく、まったく別の存在なのだ。かくして刃物を振り回す祖母への恐怖心は抑圧されて意識下に閉じ込められ、代わりに恐ろしいはさみを振り回す蟹への恐怖心に置き換わるのだ。幼時の三島は怖い蟹の夢を見なかったろうか。怖い蟹、蟹は怖いという強迫観念が潜在意識になるのだ。かように三島の場合、刃物を振り回す恐怖の存在として蟹への恐怖が祖母への恐怖に無意識裡に置き換わったのではないかと推定されるのである。

こうした無意識的な心的生活における置き換えの機序については、フロイトがさまざまの症例を基に考究している。

 

「強迫神経症の場合、あくまで行動に移さずにおかぬものは、ある力により支えられており、かかる力に匹敵しうるものは私たちの正常な心的生活のなかにはない。患者のなしうることはただ一つ、置き換える、取り換えるということだけである。つまり、ある愚かな観念の代わりに何らかの形で緩和された別の観念をもってくるとか、あるものを警戒ないし禁止したりする代わりに他のものを警戒ないし禁止するとか、またある儀礼の代わりに別の儀礼をもってくるとかするだけである。患者は強迫を置き換えることはできるが、破棄することはできない。すべての症状をその本来の形態から遠く飛び離れたものに置き換えることができるというのが、この病気の主要な性格なのである」(フロイト『精神分析学入門』)

 

XII

 

三島は後年、「自分が贋物の詩人である、或いは詩人として贋物であるという意識に目ざめるまで、私ほど幸福だった少年はあるまい」と回想するように、幼少年期までは自己愛と自己美化の夢想に浸ってきわめて幸福に過ごしていたのである。

戦時中は徴兵と死の恐怖に怯えていたにせよ、これといった恥辱や挫折を味わったこともなく、戦争末期に仮病を使った兵役逃れをし、軍医に即日帰郷と宣告されて、これで何よりも恐れていた兵役と死を免れたと思って心底喜んだのである。そのとき三島は軍医に「ラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」(『わが思春期』)がしたのである。そのとき三島は「むきになって軍医に嘘をついた・・・・・・微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出た(当り前だ。アスピリンを嚥んだのだもの)と言ったりした・・・・・・即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」(『仮面の告白』)のである。これは正直な告白であって、決して「仮面の告白」ではない。こうした仮病を使った兵役逃れの実態を、ある程度正直に、しかし「相当の決心を要しますが、鼻をつまんで書き」つつ、「私のせいでない」という同性愛の「恥部」の仮面の論理と心理を利用して、「何だって」あんなことをしたのか「私にはわかりかねた」と無答責に取り繕おうとしたのが『仮面の告白』なのである。

かくして兵役を免れた後も、戦争末期の戦時中は「一億玉砕は必至のような気がして」(『私の遍歴時代』)、皆諸共に死んでしまうと思っていたから、己の兵役逃れの振る舞いは、多少は後ろめたかったにせよ、さして恥辱とは感じていなかったのである。それよりも当時の彼は死を免れて「助かったような気持」がして心底喜んだのである。

こうした己の戦争末期の頃を三島はこう回想している。

 

「戦争末期の時代(中略)私は当時の現実を捨象することに一生けんめいで、もはや文学的交際も身辺に絶え、できるだけ小さな、孤独な美的趣味に熱中していたものと思われる。いずれは死ぬと思いながら、命は惜しく、警報が鳴るたびにそのまま寝てすごす豪胆な友だちもいるのに、いつも書きかけの原稿を抱えて、じめじめした防空ごうの中へ逃げ込んだ。その穴から首をもたげてながめる、遠い大都市の空襲は美しかった。炎はさまざまな色に照り映え、高座郡の夜の平野の彼方、それはぜいたくな死と破滅の大宴会の、遠い篝のあかりを望み見るかのようであった。

こういう日々に、私が幸福だったことは多分確かである。就職の心配もなければ、試験の心配さえなく、わずかながら食物も与えられ、未来に関して自分の責任の及ぶ範囲が皆無であるから、生活的に幸福であったことはもちろん、文学的にも幸福であった。批評家もいなければ競争者もいない、自分一人だけの文学的快楽。・・・・・・こんな状態をいまになって幸福だというのは、過去の美化のそしりを免かれまいが、それでもできるだけ正確に思い出してみても、あれだけ私が自分というものを負担に感じなかった時期は他にない。私はいわば無重力状態にあり、私の教養は古本屋の教養であり、(事実、戦争末期には、金で素直に買えるものは古本しかなかった)、私の住んでいたのは、小さな堅固な城であった。――そして不幸は、終戦と共に、突然私を襲ってきた」(『私の遍歴時代』)

 

三島が「不幸は、終戦と共に、突然私を襲ってきた」と言うのは、終戦の年の年末頃に深甚なハートブレイクを体験したからこそであって、まさか終戦日の八月十五日に突然不幸が彼を襲ったわけではない。仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いについては多少の後ろめたさはあったにせよ、それが戦後に深甚な恥辱になるのは、昭和二十年末頃の彼の「逡巡」によるハートブレイク体験と相俟って、過去の己の不甲斐なさに対する不満や恥辱意識が一層深まったためと考えられる。主としてこれら二つの体験ゆえに、彼は「過去の喚起はすべて醜かった」と断じるのである。

戦争終結時のことについて彼はこう言っている。

 

「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヶ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である。

(中略)

戦後にもう一つ、私の個人的事件があった。

戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった。

妹の死と、この女性の結婚と、二つの事件が、私の以後の文学的情熱を推進する力になったように思われる。種々の事情からして、私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。年齢的に最も溌剌としている筈の、昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」(『終末感からの出発』)

 

また、

 

「終戦のとき、妹は友だちと宮城前へ泣きにいったそうだが、涙は当時の私の心境と遠かった。新らしい、未知の、感覚世界の冒険を思って、私の心はあせっていた」(『八月十五日前後』)

 

また、

 

「二十歳の私は、何となくぼやぼやした心境で終戦を迎えたのであって、悲憤慷慨もしなければ、欣喜雀躍もしなかった。その点われながら、まことにふがいなく思っている」(『八月二十一日のアリバイ』)

 

要するに、昭和二十年頃までの三島は自己愛と自己美化の夢想やロマン主義的情念の私的な世界に浸っていたのであり、「戦争末期の(中略)私は当時の現実を捨象することに一生けんめいで、もはや文学的交際も身辺に絶え、できるだけ小さな、孤独な美的趣味に熱中していた」と言うように、とりわけ戦争末期には外部を遮断して、己の内部の美的な夢想と抒情の世界に浸っていたのである。

三島は戦後まもなく書いた「戦後語録」と名付けた断想ノートについて、「こういう文章を読むと、調子はいかにも国士調である。終戦のときにぼんやりした抒情詩人だったものが、一ヶ月でたちまち国士になるわけもないが、つまり甘い抒情的逃避と国士的居直りとは、私にとって一つのもの、一つの銅貨の裏表だったのだろうと思われる」(『八月二十一日のアリバイ』)と言っている。

つまり、「私は当時の現実を捨象することに一生けんめいで、もはや文学的交際も身辺に絶え、できるだけ小さな、孤独な美的趣味に熱中していた」と三島が言う戦時には、彼はもっぱら内向きに「甘い抒情的逃避」の生活に耽溺し、またそれが可能だったわけだが、戦争終結とともに外部と関わる生活の比重が増してくると、他者が強く意識されるようになり、外向けの自己美化や自己栄化として「英雄たらんと夢みた」三島は対他的態度としては「国士的居直り」をすることになるのであって、正にそれは彼にとり「一つのもの、一つの銅貨の裏表だった」のである。

終戦後もしばらくは「園子」とのほとんど夢想的な恋愛は曖昧ながら続いていたが、結局三島の「逡巡」から彼女は他家に嫁ぐことが決まってしまい、それを三島が知ったのが十一月から十二月にかけてである。かくして三島は「私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。年齢的に最も溌剌としている筈の、昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧するにいたるのである。

つまり、ここに至って三島はようやくそれまでの己の夢想癖からの脱却を決意するのである。後年『わが思春期』(これは三島がほとんど戦時下にあった己の思春期の心情をきわめて正直に率直に語ったものである)でこの間の事情を回想して、「浅子ともそれ以上には進まず、やがて浅子は結婚しました。そして私のいよいよほんとうの人生が始まり、今までの夢見がちな人生は捨て去らなければならなくなりました。・・・・・・そして思春期のような、いろいろな性的な事柄や愛の問題に関する観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地というものは、だんだん薄れていきました。もっとなまみの人生に接することにしか喜びが感じられなくなりました」と言うように、このハートブレイクの激甚のエロス的挫折体験ゆえにこそ「過去の喚起はすべて醜かった」とそれまで「観念的な陶酔、頭の中だけでの酔い心地」に浸っていた己の「今までの夢見がちな人生」と訣別し、夢想にとらわれて生きてきた己の過去を「すべて醜かった」と全否定するような次第にもなったのである。

己の夢想癖ゆえに恋の成就もならず、また「英雄たらん」とか「美しい死」を夢見ながら土壇場で「美を裏切る」ような「卑怯未練」な振る舞いを人目にさらしてしまい、自分が自己愛と自己美化の欲求からただ夢見るばかりで何ひとつ憧れた美を成就しえず、ただ深甚な恥辱や屈辱や後悔の思いが戦後の彼には付きまとうことになったのである。それまでは「私ほど幸福だった者はあるまい」と言うほど幼少年期を幸せに生きてきた三島が、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と己の全過去を否定するほど慙愧するにいたるのは、いずれも昭和二十年における死と愛をめぐる二つの恥辱的挫折体験ゆえなのである。

後年、三島が茨木市の富士正晴宅で富士と談笑しているとき、たまたまある文学青年が訪ねてきて、「富士が『三島君、君と同郷の男が来たよ』と青年を紹介すると、三島は嫌なものを見たかのように眉をひそめてさっと立ち上がり、一言も発することなく帰ってしまった」ように、三島は入隊検査時の己の振る舞いを思い出させるようなものや当時の己や己の噂を知っている可能性のある者は一切忌避したいのであり、「すべて醜かった」「過去の喚起」を促すものには猛烈な嫌悪と反発を示すのである。

また、「逡巡」による激甚のハートブレイク体験も、正に『仮面の告白』で「告白」されているように、そこには「園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにする」ような恥辱意識や自己嫌悪がまつわりついているため、他者に触れられたくない心の傷なのであり、他者が話題にすれば忌避するか話をはぐらかすはずであろう。

これら二つの「過去」はいずれも三島が嫌悪し恥とする「弱さ」を自ら露呈してしまったものであればこそ、そうした「過去の喚起はすべて醜かった」と深く慙愧するのである。

 

 

三島は激甚のハートブレイクの衝撃体験からおよそ一か月後の昭和二十一年一月一日に書き始めた『盗賊』について、「私は、作家としての目ざめと、人生における目ざめとの、不透明にからみあった状態で、しゃにむに小説を書きはじめた。これは半ば意識的、半ば無意識的な小説で、あいまいな表現に充ちている」と言っているように、同作はハートブレイクの痛手を引きずったまま失意の混乱状態のさなかで昭和二十三年三月までかかって断続的に書かれたのであり、その執筆期間はまさに「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」という彼の地獄の季節、後年「今思い出しても、ゾッとせずにはいられない」という「生活の荒涼たる空白感」に苛まれていた期間、「死の領域」に住んでいた期間なのである。

三島は『盗賊』の「あとがき」でこう書いている。

 

「一九四五年、戦争がおわる。その年の十月に妹が死ぬ。私は満廿歳。東大法学部の学生である。そのころの私の生活体験から、この小説の構想が生じた」

 

つまり『盗賊』は一九四五年における三島が「満廿歳」の頃の「生活体験から、この小説の構想が生じた」のであり、時代背景は「一九三〇年代に於ける華冑界の一挿話」とされているが、「全く平和な時代に仮託したこの物語で、僕はまざまざと戦争と乱世の心理をえがくことに芸術的な喜びを感じている。戦争時と戦後の心理のそのすべての比喩を読む人はここに読むはずだ」(『盗賊』ノート)と自ら言うように、「戦争時と戦後」における彼の「生活体験」や「心理」、主として当時の彼の恋愛の「体験」や「心理」を基にして書かれたのである。

主人公は「極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主」で、その「自己韜晦的性格を通じて、古い冒険譚めいた異様な恋愛悲劇を現出することになる」とされており、明らかに三島はこの主人公に己自身を「仮託」しているのである。

この主人公も要するに一種の「逡巡」によりハートブレイクを喫するわけだが、「あのように忘れがたい美子に会おうともせず手紙をさえ出さない明秀を現代にありえない型の人物だというならば、作者は少しく弁解しておかねばなるまい」として、主人公に代わって作者自身が空想癖の主人公の「逡巡」や「自己韜晦的性格」をしきりに弁護し、正当化しようとしている。

ハートブレイクの苦悩から自殺を思う主人公の脳裏には惑乱する思いが散立し、「そこには、『他人の結婚という自殺の動機は滑稽である』とか、『他人の結婚を直接動機とする自殺は人間の最も崇高な献身の一つである』とかいう、たわいもない相矛盾した観念がちらばっていた」としているが、また三島自身も『盗賊』執筆中の時期のことを回想して次のように述べている。

 

「一定の年齢に達して、私も通念における青年になった。私も人並に自殺を考えたが、私は自分を一向に青年らしいと考えることはできなかったから、私の自殺は想像するだに滑稽だろうと思われた。もちろん臆病から私は自殺をすることができなかった。しかしこの醜悪な滑稽さを、いつまでも持て余しているのはいやだったから、自殺する代りに小説を書いた」(『空白の役割』)

 

三島は『盗賊』については、「私は、作家としての目ざめと、人生における目ざめとの、不透明にからみあった状態で、しゃにむに小説を書きはじめた」と言い、それは無論のこと激甚のハートブレイク体験を、根源的実存的欲求の挫折体験を契機としているわけだが、当時の彼が「自殺を考えた」契機もそれ以外にはありえない以上、『盗賊』はまた彼が「自殺する代りに」書いた「小説」でもあるのだ。

三島は主人公の「自己韜晦的性格を通じて、古い冒険譚めいた異様な恋愛悲劇を現出」させて主人公の「逡巡」によるハートブレイクの物語を何とか劇的なものに無理やり仕立てようとしたのだが(それはまた主人公に仮託された己自身の「逡巡」の取り繕いでもあり、「自殺する代りに」書くことで深甚なハートブレイクに苦しむ自身を救済慰撫しようとする試みでもあるわけだが)、その企てはまったく成功しておらず、「古い冒険譚めいた異様な恋愛悲劇」などどこにも「現出」せず、「あいまいな表現に充ち」た奇妙に混乱した物語になっている。

だが、『盗賊』はある意味で作家三島由紀夫の誕生を画するような作品でもある。それまではさまざまのロマン主義的な文学作品や国語辞書から気に入りの文句や言葉を組み合わせて美的な空想を紡いだような観念的な作品を仕立てていたにすぎないが、『盗賊』において初めて己の実存の内部から言葉を探り当てようと悪戦苦闘している様が窺えるからである。

三島は『盗賊』でも差し当たりは己の一方の「恥部」、恋の挫折に関わる「恥部」を密かに取り繕っているわけだが、畢竟それは「自己韜晦的性格」を無理やり弁明しているだけのことであって、『仮面の告白』の同性愛者のように自分に「煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」として己の「煮え切らない態度」や「逡巡」を無答責にすることはできないのである。それに何よりも他方の深甚な「恥部」、仮病を使った兵役逃れの「恥部」、「生に執着」して「美を裏切る」ような醜い振る舞いを人目にさらしてしまったという「恥部」はそのまま抱え続けているのであるから、『盗賊』執筆期間中は彼の憂悶は少しも晴れなかったのである。

つまり、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と三島は深甚に慙愧し、三年近くにわたり「死骸の生活」や「死の領域」で呻吟していたのであり、この地獄から何とか抜け出して戦後社会に胸張って生きていかんとするために、「何とかして自分、および自分の人生をまるごと肯定」する方法、すなわち「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」、すなわち「すべて醜かった」と慙愧する己の「過去」を仮面を利用して隠蔽糊塗する方法を暗中模索し、その結果『仮面の告白』の構想にたどり着いたのである。

『盗賊』ではまだ同性愛の仮面を利用して自分を「まるごと肯定」する方法を思いついていなかったから、せいぜい己の「性格」を、「自己韜晦的性格」を無理やり劇化し栄化することで「逡巡」を取り繕うしかなかったのである。異性の恋人に対する「逡巡」や「煮え切らない態度」を「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」として無答責にしてしまうためには、己を同性愛者に仕立ててしまうこと、同性愛者の仮面をかぶればよいことにやがて思い至ったのである。そして、この仮面を利用してもう一方の「恥部」も無答責にする方法を考えたのである。こちらの「恥部」の取り繕いのほうが戦後の三島にとってはずっと重大な懸案だったのだから、「未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧していた彼は己の発見工夫に大いに喜んだはずである。だからこそ、出版社からの執筆依頼に対して「今ぜひ書きたい長編がある。自分はこの長編に作家的生命を賭けるつもりだ。その意味でも、今の勤めをやめたい。さっそく辞表を出す」と返答して(この時点では大枠の構想は出来ていたはずである)、早速役所を辞めて(そのためには何とかして厳父を納得させる必要があったわけだが、三島としてはすぐにでも執筆に専念したかったのであり、かくして「さっそく辞表を出す」と返答してから二、三日後に例の渋谷駅のプラットホームから線路に落ちたというエピソードが伝えられている次第なのである)、嬉々として『仮面の告白』の執筆に励んだのである。

晩年の三島が「告白と自己防衛とはいつも微妙に噛み合っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人間だなどと思いあやまってはならない。彼はなるほど印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせるかもしれないが、他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために」と言うのは、とりわけ兵役逃れの「恥部」について言っているのであり、当時の彼の振る舞いについては『仮面の告白』でまさに「告白」されているのであるが(それはまさに「自ら唇や頬に針を突きとおしてみせる」ことであるが)、仮面の「論理」と「心理」で無答責にしているのである。その「恥部」は「他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねない」ので、『仮面の告白』で先回りして無答責にすることで「他人の加害を巧く先取しているにすぎないのだ。とりもなおさず身の安全のために!」。

かように三島は「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」を行使した『仮面の告白』で己を隠すことにより、つまり仮面をかぶることにより、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する「死骸の生活」「死の領域」から脱出して「生の回復」を図ったのであり、戦後社会に作家として生きていこうとしたのである。だからこそ三島は『仮面の告白』を「書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」と言うのである。

したがって、もし三島が『仮面の告白』の「私」のような同性愛者であったとしたら、同性愛者であるがゆえに「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」と己を無答責にすることで「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しているのに、そんな同性愛者がどうして「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧して「死骸の生活」や「死の領域」で呻吟することがありえようか。三島は自分が異性愛者であるからこそ「私の性格の罪」であり、「私のせい」だとみなし、「美しく死のうとするとき」に「生に執着」して「その美を裏切」ってしまったと自覚したからこそ(同性愛者「私」は「こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろう」とか「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」などと「告白」して同性愛を理由にしきりに「生に執着」していないことを強調している)、「過去の喚起はすべて醜かった」と自己嫌悪と慙愧に陥ったのであり、それゆえにこそ「私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」のである。

作中の同性愛者「私」と作外の作者三島のこうした齟齬を認識することが決定的に重要なのである。

三島は戦時には「死は怖い」から「何とか兵役を免れないものか」と思い、「一年一年徴兵検査に近づく気味の悪さ」を感じ、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のであるが、同性愛者「私」は「私は何か甘い期待で死を待ちかねてもいた」とか、「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った」とか、「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」とか、「私が万一『名誉の戦死』でもしたら、実に皮肉に生涯を閉じたことになり、墓の下での私の微笑のたねは尽きまいと思われるのであった」などと、生に未練がなく、むしろ死を望んでいるかのような「告白」(これは三島にとっては無論「仮面の告白」である)をするのである。こうしたあたかも生を呪い、死を志向しているような「告白」が、仮病を使った兵役逃れの「告白」の直前になされている理由はすでに明らかであろう。

三島は入隊検査で軍医に肺浸潤と誤診され、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」になったのである。ところが同性愛者「私」は入隊検査時に「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?」「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか?」などと、死と軍隊を恐れ忌避したために軍医に仮病の嘘をついたような己の所業や、兵役免除になって思わず喜びがこみ上げてきたような己の気持ちに疑念を呈し、「私にはわかりかねた」ととぼけた「告白」をするのである。兵役を免れて大いに喜んだ己の気持ちが「私にはわかりかねた」はずなど絶対にありえないことである。

兵役免除になって営門から出ると、三島は父親に手を取られながら一目散に走り去ったのであるが、同性愛者「私」は「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?」などと、死と兵役を恐れ忌避するような己の振る舞いに疑問を呈し、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などと夢遊病めいた「告白」をするのである。

「死は怖い」から「何とか兵役を免れないものか」と思い、「軍隊へ入るよりも、病気になった方がいい」と思っていた現実の三島が、「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか?」分からぬはずがなく、「何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」「うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?」知らぬわけなど毛頭ないのである。

三島は『仮面の告白』執筆公表と符節を合わせるように現実の場においても自分が同性愛者だと匂わせるような言動を陰に陽に他者に面白半分に示したが、同性愛者「私」は己の同性愛の「他者」への発覚を何よりも深甚に恥じ恐れているように「告白」し、結局最後まで「他者」に隠し通している。

『仮面の告白』の同性愛者「私」と作者三島のこうしたさまざまの決定的齟齬を看破しえず、両者を同一視する者は、たとえば三島が「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いたに違いない」などと思い込んでしまいがちであるが、三島は『仮面の告白』を「今ぜひ書きたい」と思って書き、「作家的生命を賭けるつもり」で書き、役所を辞めて職業作家として生活していくための第一作として書き、その執筆公表によって慙愧の地獄から脱して「生の回復」を得んと図ったのであるから、嬉々として大いに意気込んで執筆公表したことは寸毫の疑いも容れず、したがって「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いた」わけなどまったくありえないのである。

西欧キリスト教社会と違って、日本社会では同性愛に対するタブー意識などあまりないのであり、だからこそ『仮面の告白』の出版後むしろ三島の評価は高まったのであって、「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺」などまったくありようはずもないのである。

『仮面の告白』で同性愛者「私」が同性愛を深甚に(あるいは大袈裟に)恥じ、その「他者」への発覚を深甚に(あるいは大袈裟に)恐れているように「告白」するのは、そうすることによって同性愛者「私」が己の生を厭い、死と軍隊への志向や期待を抱くのを無理からぬ自然なことと読者に思わせ、かくして特に兵役逃れの振る舞いや兵役免除で喜んだ気持ちを「わかりかねた」と無答責にするためにほかならぬのである。

死と軍隊に対する恐怖心の有無、同性愛に対する恥辱意識の有無、己の同性愛が他者に発覚することの恐怖心の有無、等々、作中の同性愛者「私」と作外の現実の三島由紀夫のこうした齟齬を認識しえずに、『仮面の告白』も三島由紀夫も解明することはできないのである。作者が三島だからこそ『仮面の告白』においてたとえば彼の真の「恥部」(恋愛における「逡巡」や仮病を使った兵役逃れは三島にとって事実である)と偽の「恥部」を区別しうる可能性が開かれるのであり、ここでテクストから作者を捨象してしまえば、こうした解明の可能性は完全に閉ざされてしまうのである。

 

 

三島は戦後社会に職業作家として生きていくための第一作として明らかに己自身に見立てた同性愛者「私」の「告白」を執筆公表した。それと符節を合わせるように現実の場においても同性愛者めいた言動を陰に陽に他者に示した。それはフィクションの「告白」を何とか真に受けさせようとするためにほかならない。

 

実はフィクションと現実とでは互いにその文脈が逆転しているのに、フィクションの文脈を現実のそれに模し、またその逆の模倣をすることによって、フィクション内の仮面と素面の構造が現実のそれと逆転していることが気づかれにくくなる。

 

三島が『仮面の告白』について「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」と言うのは、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧しているからであり、己の「醜かった」過去の「自画像」を示したくないからであり、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた」のとは「反対の欲求から」己自身の「若き日の自画像」を隠し消し去りたいからであり、代わりに「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」うるような「自画像」に改竄したいからである。

かくして『仮面の告白』が「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」書き換えられた無答責の仮面をかぶった「自画像」であるからこそ、そのフィクションの同性愛者の「告白」を真に受けさせようとするために三島は現実においてもフィクションをなぞるような演技をしたのであり、それを見せつけたのである。

 

 

同性愛者「私」は同性愛の「恥部」を隠して異性愛者の仮面を作中の「他者」に示しているが、三島由紀夫はそういう同性愛者の仮面を現実の他者に示しているのである。同性愛者「私」は己の同性愛を作中の「他者」に対しては必死に隠そうとするが、三島はむしろ嬉々として面白半分に現実の他者に対しては示そうとする。両者の同性愛に対する恥辱意識やタブー意識はほとんど裏腹である。作中の「私」のそれは深甚と言うより大仰で日本社会の現実にそぐわないが、三島は(無論出版社も)同書が「日本では平気で読まれ」ることを無意識裡にも充分承知していたし、米国のように「この出版が社自身と作者の社会的醜聞になることを怖れ」ることなど当然まったくなかったのである。(だから同性愛に対するタブーの強く蔓延している文化圏の読者ほど『仮面の告白』の「私」の大袈裟な恥辱意識や恐れを真に受けやすいであろうし、同性愛が三島の仮面とは見破りにくいであろう)

三島は同性愛の噂が立とうと「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑って」いられるが、「同郷の男が来た」ときは嫌なものを見たかのように眉をひそめてさっと立ち上がり、一言も発することなく帰ってしまった」ように、入隊検査時を「喚起」させるようなものに対しては心底からの猛烈な嫌悪や忌避を露わにしてしまうのである。戦後の三島の宿痾の真の「恥部」が那辺にあったかが分かるであろう。

両者のこうした恥辱意識の違いや恥辱や嫌悪の対象の違いをも看破することがそのテクストと作者の解明に決定的に重要なのである。この場合に作者を捨象したり、作者を匿名のままにしてしまえば、テクストの真偽や虚実は解明しえないのであり、他者の仮面や仮面的テクストを見破ることはできないのである。仮面や仮面的テクストはそれ自体としては必ずしもそういうものとして現前しているわけではないからである。たとえば猫嫌いの作者を切り離して、彼の「猫好きのテクスト」のみをいくら眺めても、それが真っ赤な嘘の仮面的テクストであることは見破れまいし、彼がそうした仮面的テクストを書く理由や意味も理解しえないであろう。「人が自称するところ」のテクストは「その人が現実にあるところ」を無視してテクストの虚実や真偽を認識しえないのである。

三島が『仮面の告白』で「西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣」をしていることを見破るには、テクストとの関連部分における三島個人の「現実にあるところ」を考慮究明しなければならぬのであり、作者を捨象しているかぎり当然それは不可能なのである。

三島が『仮面の告白』で「告白」しているいかにも彼自身の「恥部」らしい明示的な「恥部」は目眩ましなのであり、彼の真の「恥部」はさながら「彼より二三歩離れた林檎の樹」のように明示的な幻影の「恥部」からずらした比較的目立たない位相で「告白」されているのである。己の「醜かった」過去の真相を「告白」しながら「内部」の仮面の「論理」と「心理」で無答責になるよう取り繕っているのである。

この「内部」の「恥部」たる同性愛はテクストの文脈内で「内部」とされて作中の「他者」のみから隠されているにすぎず、このテクストを現実の他者たる読者に向けて執筆公表する三島の現実の文脈においては正に現実の他者に示すための仮面なのであり(私の「内部」の「恥部」はこれですよと三島は現実には公然と吹聴しているわけである)、それ以前には仮面としても過去の彼にはなかったものである。

 

「ここに書かれたような生活は、芸術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のものである。従ってこの小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても、芸術家としての生活が書かれていない以上、すべては完全な仮構であり、存在しえないものである」(『「仮面の告白」ノート』)

 

これはややはぐらかした言い方だが、『仮面の告白』の虚構性を打ち明けている。とはいえ無論どの部分が虚構であるかは明かしていない。「芸術家としての生活が書かれていない」からといって「すべては完全な仮構」だというのははぐらかしである。「芸術家としての生活」以外の自身の実際の生活を書けば完全な仮構」ということにはなるまい。「芸術家としての生活」が彼の前半生の全生活などということは到底ありえないからである。要するに「この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても」同性愛者「私」の「ような生活」は虚構の「芸術の支柱」に支えられているだけであり、実際には「存在しえないもの」だということなのである。「芸術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のもの」なのである。つまり、作者三島の現実にはありもしない「内部」の「恥部」を「他者」から必死に隠そうとして生きる同性愛者「私」の「生活」はこの「芸術」作品のなかに「存在」しているのみであるから、「ここに書かれたような生活は、芸術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のもの」なのである。同性愛者「私」の「生活」は単に「ここに書かれた」言葉として在るだけだと言っているのである。

そして、「この小説の中の凡てが事実にもとづいている」のに「すべては完全な仮構であり、存在しえないものである」のは、三島が一方では普通の異性愛者としての己の過去の「生活」を書きつつ、同時に他方ではそこに戦後の後知恵による同性愛者の「完全な仮構」の「生活」を上乗せして何とか両者の辻褄合わせをすることによって、「二人の人物の一人物への融合」を施しているからにほかならない。作中の同性愛者「私」は作者三島由紀夫の虚実や真偽の「融合」体なのである。

三島の父親や実在の「園子」が『仮面の告白』を読めば、このテクストで三島が嘘をつき、仮面をかぶっていることは瞭然なのであるが、テクストのみしか知らない読者にはそういうことはテクストにまったく現前していないのである。父親や実在の「園子」はテクストとの関連部分の三島についての事実や現実を相当程度知っているから彼の虚実や真偽はほとんど彼らにはテクストに現前しているわけである。だから、この場合、作者三島を捨象してしまえば、つまり彼の「生」や「伝記」など作者に関することを一切排除してしまえば、作者を知る一握りの読者にはテクストに瞭然と現前していることも、ほとんどの読者にはまったく現前しえなくなってしまうのである。

当然のことである。「私は猫が好きだ」という言葉や「自称猫好きのテクスト」を猫嫌いの発言者や作者を捨象して真偽や虚実を判断しえないのである。「人が自称するところ」のテクストは、「その人が現実にあるところ」を無視して、要するに作者を捨象して、テクストの虚実や真偽を認識しえないのである。

無論、問題はこうした「人が自称するところ」のテクストや仮面的テクストに限られているわけではない。

一般に人文系のテクストの場合には、作者によって異なりうる秘密のコノテーションが決定的に重要な問題になりうるのであり、もし作者が別人なら別のコノテーションになる場合があるのであるから、たとえば「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」(シュッツ)ということになるのである。「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているもの」、「魔的(dämonischという言葉」の「ゲーテにとって」の「意味」、ゲーテの「主観的」なコノテーションを解読しなければならないのであり、この場合は、ゲーテ個人には関係のない「客観的」な意味、万人にとって同一の意味が問題ではないのである。

また、単に言葉の語義としてのコノテーションのみが問題になるばかりではない。言葉や言葉の指示対象に対する個人の態度や感情も含んだコノテーションも問題にせねばならぬ場合もあるのである。たとえば「同性愛」に対する三島由紀夫の現実の態度や感情と『仮面の告白』のテクスト内の同性愛者「私」のそれとのコノテーションの違いも考慮する必要もあるのである。その点においても三島と同性愛者「私」は決して同一視しえないのであり、かかる齟齬の認識も作者と作品の双方を論じるうえで重要な問題になりうるのである。それゆえ作者に関するささやかな事実もテクスト解読の重要な脚注になる可能性もあるのであり、「シェイクスピアの洗濯勘定書」すらその可能性がないとは言えないのだ。

ヴァレリー(最晩年を除く)やバルトらのように作者の「伝記」や「生」を排除すれば、畢竟はテクストの全称命題として作者捨象を唱えることになるのは必定で、そこに欠落しているのは「個」の問題であり、たとえばゲーテ個人の「主観的」なコノテーションは「ゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」(これはゲーテの作成した全テクストを作者がゲーテであるテクストと認めないかぎり成り立たない)というような問題がまったく無考えに等閑にされているのである。

ヴァレリーは「人間の本当の生活は当人自身にすらついぞはっきりしたものではない」と考え、「生」を畢竟不可知なものとして退け、当然作者の「伝記」も退けたわけだが、どうもそこには「人間の本当の生活」というものをあまりに厳格にあるいは性急に求めるあまり、その究極の実体や実在や本質といったものを畢竟究め難いとみなして一切の「生」を排斥し、いわば産湯と一緒に赤子まで流してしまったような感がある。こうした一種の不可知論的な考え方から作者捨象を唱える者もいれば、バルトのように安易安直に作者をあたかも初めから自明のようにみなして「テクストに作者をあてがうのはテクストに歯止めをかけることだ」として「作者の死」を唱える者もいるわけだが、いずれにせよ作者捨象は人文系テクストの解読に決定的な支障をきたす場合がありうること、言を発する者が「誰か」、作者が「誰か」が「決定的に重要」でありうることを認識すべきなのである。

 

「他者の経験の主観的な面、彼の意識、彼が彼個人として彼の諸記号に意味を与えるときの諸作用は、それらが彼にとって直接的かつ根源的に現前するようには、また私の側のそれらが私にとってそうであるようには、私にとって直接的かつ根源的に現前するということはない。そこには還元できない決定的な限界がある。他者の経験が私に告知されるのは、物質的な一面を含む諸記号によってそれが間接的に指標されるかぎりにおいてでしかない」(デリダ『声と現象』)

 

これも畢竟はヴァレリーやバルトに連なる作者捨象の「テクスト論」に通じる考え方である。他者の経験は「物質的な一面を含む諸記号によってそれが間接的に指標されるかぎりにおいてでしか」読み取れないということで、「諸記号」と「諸記号に意味を与える」主体が分離され、「諸記号」の解釈に主体はまったく考慮されず、「物質的な一面を含む諸記号によって・・・・・・指標されるかぎり」での伝達や読解の可能性だけを問題にして、つまり表明された「諸記号」のみにおける伝達や読解の可能性だけを問題にして、「そこには決定的な限界がある」としているわけであり、畢竟は主体を捨象し抹殺する考え方である。その「限界」が「決定的」だと言うのであるから、「諸記号」を操る主体が誰であるか、何者であるかにかかわらず(ここで、たとえば作者が猫好きか否かを知ることや考慮することなしに、自称猫嫌いを表明する「諸記号」やテクストを読み取る場合について考えてみればよい。その場合には、たとえば発せられた言葉の虚実や真偽の解明はまったく不可能になりうることが容易に分かろう。作者を考慮すれば可能になりうる場合にさえもだ)、その「限界」は「決定的」であり、不変不動であると安易にみなしているわけである。要するに主体と「諸記号」あるいは作者とテクストがそれぞれ別々に考えられているのであり、両者の相互関係の考慮によって単独では解明しえない両者の新たな解明の可能性がまったく無にされているのである。言葉あるいはテクストというものについてのまったくの認識不足であり、誤解であり、迷妄である。

主体や作者が誰であるか、何者であるかによって「諸記号」やテクストのコノテーションは異なりうること、主体や作者を捨象すればかかるコノテーションは解読不能になることが見逃されているのである。主体や作者が誰であるか、何者であるかと言ったところで、何も主体や作者の究極の本体とか実体とか実在とかを形而上学的に穿鑿究明するなどということではない。そういうものは不可知だとして一切排除し、すべて考慮外におくとすれば、それはいわば「究極」のあるいは「十全」の「形而上学」に毒された考え方で、作者とテクストとの関係は雲散霧消してしまうことになる。そもそも確乎不動の究極の実体ないし実在などというものはない。あるものが一瞬たりとも存在するには少なくとも一瞬間の時間を要する。時間の経過がなければ一切の存在はない。存在は時間とともにある。存在とはある時間内での存続に他ならず、持続するものは絶えざる変化変動である。五歳の三島は十五歳の三島ではない。二十歳の三島の欲望、認識、経験、記憶、等々は四十歳の彼と同じではない。といって、無論いずれの彼も別人ではない。いずれも三島という一個の実在する人間の生の内にあるのだ。ここから他我認識がどういうものであるかが分かるであろう。

要するに、テクストとの関連において知ることが重要な作者についての事実や情報がテクスト解読のための有効な脚注になりうるのであり、作者を捨象すればこうした有効な脚注も一切見失われ、無視されてしまうということである。

最晩年のヴァレリーがついに「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている」と言ったとき、彼は無論たとえば数学テクストのような場合について考えていたわけではなく、主として文学テクストなどの人文系テクストについて考えていたはずである。彼がテクストの分類学についてどの程度考えていたかは不明だが、彼の考えの要点は、言葉が「何かを意味する前に」という点であり、表明された言葉のみにおいて確定される意味が問題なのではなく、その言葉が「何かを意味する前に」誰が話しているかによってその言葉の意味がすでに異なりうるということなのである。つまり、言葉のみから確定される意味が必ずしも真に確定されるべき意味とはかぎらぬのであり、誰の言かを考慮せねばならぬ場合がありうるのである。

如上のような認識が欠落している者は、言葉を発する「主体」や「作者」なるものを確信をもって捨象する論を立てようとするのである。作者を捨象するかぎり、たとえば作者にとって仮面的であるようなテクストを仮面的テクストと看破することはできなくなる。作者自身について書かれた自伝的テクストの真偽や虚実も見分けることが不可能になる。作者がそのテクストで何を隠蔽糊塗しているかもまったく看破しえなくなる。そんなことでは他我認識は決してできないのであり、仮面的テクストの仮面を見破ることも不可能になってしまうのである。

デリダは『声と現象』で〈私〉という一人称代名詞をめぐってフッサールが『論理的探究』で展開した所論に異論を呈しているが、両者の問題意識には決定的なずれがある。無論それは両者の認識能力や洞察力に決定的な差があるためであることはいうまでもあるまい。

フッサールは簡明にこう言う。

 

「われわれは、何らかの表現、たとえば〈平方剰余〉の意味を問う場合、ここでいま発せられたその音声形態、すなわちその場かぎりの、二度と同一なままでは繰り返しえない音響のことを考えているのではない。われわれは、その表現をシュペチエスにおいて考えている。〈平方剰余〉という表現一般は、誰がそれを口に出そうと、まさしく同一のものである。・・・・・・

話を分かりやすくするために、われわれは本質上主観的で偶因的な表現と客観的な表現の違いを以下のように定義しよう。・・・・・・

われわれは、ある表現が単にその音声的な現出内実だけでその意味を拘束している場合、ないしは拘束できる場合、したがって発言する者や発言の状況を必ずしも考慮せずに理解できる場合に、この表現を客観的と呼ぶ。・・・・・・

他方、われわれは、概念的に統一的な一群の可能的な意味が機会や話し手や状況に帰属しているため、機会に応じ、話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような表現を、すべて本質上主観的で偶因的な表現あるいは簡単に本質上偶因的な表現と呼ぶ。・・・・・・

客観的表現には、たとえばすべての理論的表現、すなわち〈抽象的〉諸学の公理、定理、証明および理論を構成している諸表現が属している。たとえば数学的表現が意味していることは人がそれを実際に用いる状況によって何ら影響されることはない。われわれはそれを話し手を少しも考慮せずに読み理解することができる。・・・・・・

人称代名詞を含むすべての表現は、すでに客観的意味を欠いている。〈私〉という語は各場合ごとに別の人物を指し、しかも絶えずその意味を変えながらそうする。そのつどの意味がいかなるものであるかは、ただ生きた言表とこれに属する直観的な状況からしか探り出せない。誰が書いたかを知らずにその語を読むとき、その語は意味を欠いているわけではないにしても、少なくともその語の正常な意味から逸れている。・・・・・・

人称代名詞に対して妥当することは、もちろん、指示代名詞に対しても妥当する。・・・・・・

本質上偶因的な表現の領域には、さらに、主語に関係した諸規定、たとえば、〈ここ〉、〈そこ〉、〈上に〉、〈下に〉、さらには〈今〉、〈昨日〉、〈明日〉、〈後に〉などが属する。・・・・・・

機に応じてその意味の方向を定める主観的表現が特定の場合に思念する内容は、確定した表現の内容とまさに同じ意味でイデア的に統一的な意味である。このことは、つぎのような事情が明らかに示している。すなわち理想的に言えば、あらゆる主観的表現は、瞬間的にこれに帰属する意味志向の同一的確保にさいしては、客観的表現によって置き換え可能なのである。

もちろん、その場合、認めざるをえないことだが、このような置き換えは、単に実用上の理由から、たとえばその煩雑さのために行なわれえないばかりでなく、非常に広範囲にわたって事実上実行できないし、それどころか永遠に実行不可能なままでさえあろう」(フッサール『論理的探究』)

 

これに対してデリダは言う。

 

「人称代名詞はどんな現実的言表においても単に指標的な価値をもつにすぎない。・・・・・・

ある言表の主体およびその対象の全面的不在――作者の死あるいは(および)彼の書きえた諸対象の消滅――は〈意味作用〉のテクストを妨げない。逆にむしろ、この可能性が意味作用を意味作用として生じさせるのであり、意味作用を聞かせたり読ませたりするのである。・・・・・・

〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・

〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・

その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である。・・・・・・書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」(『声と現象』)

 

デリダはフッサールの簡明な論旨をまったく頓珍漢に誤解している。驚くべき迷妄である。デリダは「〈私〉という語」のみの「理解」を問題にしているにすぎず、〈私〉という一人称代名詞の語自体の使用法や伝達作用にのみ目を向けているが、これはフッサールの論旨に対するまったく幼稚な誤解である。フッサールが問題にしているのは〈私〉という一人称代名詞の語そのものではなく、またその語自体の使用法や伝達機能のみを問題にしているわけではなく、〈私〉の主体、〈私〉という現実の主体が、発する言葉の意味解釈を問題にしているのであり、また〈私〉などの「人称代名詞を含むすべての表現」の意味解釈を問題にしているのであって、人称代名詞の語自体の機能を問題にしているわけでは全然ないのである。フッサールは主として現実的な問題について考えているのであって、フィクションのテクスト内の〈私〉という語自体の意味などを問題にしているわけではない。そんなことはデリダだって分かっているはずであろうが、彼は頓珍漢な誤解による反論をして、語る主体としての現実の話者や作者を捨象しようと躍起になっているのである。

単なる一人称代名詞としての「〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない」ことなど当り前のことであり、また、誰であろうと自分のことを言うのに〈私〉という一人称代名詞を使いうること、また相手が誰にせよその相手が自分のことを言うのに〈私〉という一人称代名詞を使いうることなどまったく自明のことであり、「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」ことなど赤子にだって分かり切ったことであり、フッサールがそんな誰にでも自明な幼稚なことを問題にしようか。デリダのこうした頓珍漢なフッサール批判が受け入れられているとしたら馬鹿馬鹿しいかぎりであろう。

フッサールが問題にしているのは、「すべての理論的表現、すなわち〈抽象的〉諸学の公理、定理、証明および理論を構成している諸表現・・・・・・たとえば数学的表現」などは「客観的表現」であり、そうした言表が「意味していることは人がそれを実際に用いる状況によって何ら影響されることはない。われわれはそれを話し手を少しも考慮せずに読み理解することができる」が、一方〈私〉という一人称代名詞の主体が語り、「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような」「主観的表現」の場合は、話し手を「考慮せずに読み理解することができる」わけではないということなのである。

語る主体としての〈私〉が別々の人物なら、その置かれた現実的状況もそれぞれ異なるから、それぞれの〈私〉が語る「〈ここ〉、〈そこ〉、〈上に〉、〈下に〉、さらには〈今〉、〈昨日〉、〈明日〉、〈後に〉など」はそれぞれ別のこと(別の日時や場所)を意味しうるのであり、この場合〈私〉が誰でも構わぬとし、〈私〉が誰かを捨象してしまえば、語る〈私〉の違いによる発言の意味の違いが認識不能になってしまうのである。つまり現実的状況においては語る〈私〉が誰であるかによって語られた言葉の意味が異なりうるのである。このまったく簡単明瞭なフッサールの論旨をデリダは馬鹿げた誤解をして、「人称代名詞はどんな現実的言表においても単に指標的な価値をもつにすぎない」などとして、単なる「人称代名詞」自体の「指標的価値」の問題にすり替えているのである。

つまり、デリダはまったくの幼稚な誤読をしてフッサールを批判したつもりになっているのである。こんな中高生並みの読解力もない者がひところ知の最前線のようにもてはやされていたことをもしもフッサールが知ったとしたら、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに驚嘆し、慨嘆したことであろう。

ところで、フッサールは「すべての理論的表現」や「数学的表現」などのテクストは作者を「少しも考慮せずに読み理解することができる」としているわけだが、そうでない場合として、つまり作者の考慮を要する場合として、あるいは作者が異なれば同じテクストでも意味内容が異なりうる場合として、別の分野のテクストを持ち出さずに、〈私〉などの「人称代名詞を含むすべての表現」あるいは「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような表現」を持ち出して論じているため、テクストと作者の関係の議論があやふやなものになり、テクストとの関係において作者が「誰か」「何者か」を考究すべき他我認識の問題から逸れて、単に〈私〉が置かれた外的状況がいかなるものかの問題に議論を矮小化してしまっているのである。これでは作者(の内部)の解明や他者認識は成り立つはずがない。

「すべての理論的表現」や「数学的表現」などのテクストは概して〈私〉という一人称代名詞を含まないであろうが、〈私〉という一人称代名詞を含まないテクストでも作者を考慮すべきテクストはありうるのである。たとえばゲーテの〈私〉という一人称代名詞を含まない文学テクストで「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」ということは作者たるゲーテを考慮するということなのであり、ゲーテのテクストを余人ならぬゲーテ個人のテクストと認めることなのである。別人の「著作全体から」では「ゲーテにとって意味しているもの」は決して解明されないのである。また、〈私〉という一人称代名詞を含むテクストでも作者を考慮しなくてもほとんど差し支えないテクストは無論ありうるのである。

フッサールは話し手や作者を考慮せずとも差し支えないテクストとして「理論的表現」や「数学的表現」を挙げながら、なぜ話し手や作者を考慮することが重要でありうるテクストとして、たとえば文学などの人文系の分野のテクストを持ち出さなかったのかは少々疑問だが、とにかく彼もテクストの種類によって作者の考慮が必要な場合と不必要な場合があることを認識していたわけである。裏返して言えば、こうしたテクスト分類学がないまま、テクスト全般について論じ、あるいはテクストの分野を明示せずにテクストを一律に論じて、「作者の死」や作者捨象を安易に唱えているようであれば、作者が異なればそのテクストの意味も異なりうるような事態をまったく認識していないことを証左しているのである。

たとえば作者についての虚実や真偽が問題であるようなテクスト(たとえば作者が「自称するところ」のテクストなど)は、作者を捨象するかぎり、その真偽や虚実の解明は不可能なのであり、作者にとって仮面的であるようなテクストを仮面的テクストと看破することは不可能なのである。作者の仮面を見破れなければ、その仮面で作者が何を隠しているか、作者の何を隠蔽糊塗するための仮面なのかも到底認識しえず、そうなれば他我認識は決して成り立たないのであり、作者の仮面をなでるだけの作家論が横行し、仮面を仮面と認識しえずに作者の仮面に誑かされているにすぎない作家論ばかりが量産されたりするのである。(三島が『仮面の告白』で同性愛を「告白」することで彼自身の何を隠蔽糊塗しているか、またその「告白」の背後で己自身の真の「恥部」をどう欺瞞的に「告白」しているか(これらを見破れぬ『仮面の告白』論はほとんどナンセンスである)、つまり偽の「告白」と真の「告白」を見破るには作者たる三島由紀夫という特定の個人を考慮せねばならぬのである)

ところで、〈私〉という一人称代名詞に関するフッサールの明快な妥当な論考に対して、なぜデリダがあのような頓珍漢にも強引な誤解誤読をしたのかといえば、それはデリダが「作者の死」を妄信したからである。彼はテクストの背後の作者を考慮せずともテクストのみで何らテクスト解釈に差し支えないと無邪気に信じ込んだからである。

デリダは「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」(『グラマトロジーについて』)と言っているが、この「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」というテーゼから、「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない」と思い込んでしまったようである。だが、そんなテーゼからテクスト作者を捨象して差し支えないと結論することは決してできないのである。

「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」。これは若干トリッキーな表現だが、言語の本質的な匿名性を意味するかぎりでは間違ったテーゼではない。つまり、「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソー《であるような》テクスト」などは実際にまったく存在しないのである。実際に存在するのは「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソー《である》テクスト」だけである。「作者が三島由紀夫であるようなテクストは存在しない」。これは確実であり、真実である。実際に存在するのは「作者が三島由紀夫であるテクスト」だけである。『仮面の告白』は「作者が三島由紀夫であるテクスト」であって、決して「作者が三島由紀夫であるようなテクスト」ではない。

しかしながら、「作者がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」からといって、「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない」とするのは、たとえば「作者がルソーであるようなテクスト」という現実に存在しない「テクスト」についてのテーゼを「作者がルソーであるテクスト」という現実に存在する「テクスト」に手もなく適用しているにすぎない。この点を認識することが肝心なのだが、これをデリダはまったく理解していないのである。「作者が三島由紀夫であるようなテクストはない」からといって、「作者が三島由紀夫であるテクスト」という実際に存在するテクストの解釈に作者を考慮する必要はないということには全然ならないのである。デリダは自ら立てたややトリッキーなテーゼ、つまり「作者がルソーであるようなテクストはない」という現実に存在しないテクストについてのテーゼ、これに誑かされて、ここから実際に存在するすべてのテクストに作者捨象を適用できると思い込んでいるのである。架空のテクストについてのテーゼを実在するテクストに適用しているのである。そのため彼は現実の「作者あるいは主体」の捨象にとらわれ、現実のテクスト作者や発言主体を捨象する考えを盲信し、〈私〉が語る言葉について現実の〈私〉が誰か、発言主体が誰か、その考慮を問題にするフッサールの簡明な論考を正当に読み取れなかったのである。

つまり、「作者がルソー《であるような》テクスト」とはテクスト自体から作者がルソーと分かるようなテクストであって(言語の本質的な匿名性からしてそんなテクストは決してありえない)、もしそんなテクストがあるとしたら、むしろその場合こそ作者ルソーを考慮するには及ばないのだ。テクスト自体から作者が誰か、何者かが分かってしまうわけだから、別に作者を考慮する必要はまったくないことになる。そんなテクストなど決してありえないからこそ、「作者がルソー《である》テクスト」という実在するテクストについては作者ルソーを考慮することに意味がある場合が生じうるのである。もしも猫嫌いの作者の猫好きのテクストから猫嫌いの作者が分かってしまうとしたら、その場合こそ作者を考慮する必要など全然ないことになる。しかし、テクスト自体からは作者が何者かを決して認識できないからこそ、別に作者を考慮することが必要になる場合が生じうるのである。仮面的テクストの仮面を見破るためには作者が誰か何者かを考慮しなければならないのである。明々白々たることであろう。

テクストの外部や背後、言葉や概念の外部、これらには決定的に重要な現実的意味があるのだが(むしろそうした「外部」以外に哲学的問題を含む重要な問題などない)、デリダはそれを認識できないのであり、その点はハイデガーも似たようなもので、両者は同じ穴の狢である。要するにいずれも言葉の陥穽にはまり込んでいるため現実や真実がまったく見えないのである。かくして一方は虚妄のテクスト論を唱え、他方は虚妄の存在論を唱えたのである。

 

 

「言葉を、その外部の志向性を無視し、その言葉そのものの内部で研究することは、心理的経験を、その経験が向かい、その経験を規定する現実から抽象して研究することが無意味であるのと同様に、無意味なことである。・・・・・・他者の言葉の真意の推測にとって、一体誰がどのような状況の下で語っているのかという問題は、決定的な意味を持ちうる」(バフチン『小説の言葉』)

 

このように認識していたバフチンはテクストの種類や分野によって作者が考察対象になるべきか否かを明瞭に認識していた。彼も言葉の「内部」ではなく言葉の「外部」の現実の事象が「決定的な意味を持ちうる」ことを認識していたのである。

 

「数学および自然科学は、指向性の対象としての言葉をまったく知らない。・・・・・・その内容を構成するものとして、話者とその言葉が含まれることは勿論ない。数学および自然科学の方法論的装置のすべては、物質としての物言わぬ客体――それは自己を言葉によって明らかにすることはないし、自己について何も伝えない――の制御を目的としている。認識はここでは、認識される客体そのものから言葉や記号を受け取り、それを解釈するという行為とは関係がない。

人文科学においては、自然科学や数学と異なり、他者の言葉の再建、伝達および解釈という特殊な課題が生じる(たとえば歴史学の方法論における資料の問題)。一方、文献学においては話者とその言葉は認識の基本的対象である。

文献学には、特殊な目的とその対象、すなわち話者とその言葉に対する特殊なアプローチが存在し、他者の言葉の伝達と描写のあらゆる形式を規定している。しかし人文科学の枠内(そして狭義の文献学の枠内)でも、認識の対象としての他者の言葉へ二様のアプローチをすることは可能である」(バフチン、前掲書)

 

作者によってではなく、テクストの分野や種類によって、作者を考慮し、考察対象にすべきか否かが区別されるのであり、たとえばジャン=ジャック・ルソーの作品の場合でも、彼の数学テクストや純粋に論理的なテクストなら作者を考慮するには及ばないが、彼が「自称するところ」のテクスト(たとえば彼の『告白』など)なら作者を考慮することが重要でありうるのである。嘘の言葉や仮面の言葉のみから、嘘を嘘と、仮面を仮面と認識することはできないのであり、テクスト内容の虚実や真偽を区別することはできないのである。明示される仮面のみから仮面を仮面と見破ることはできないのである。神楽の仮面とは違うのである。

行動についても同様で、すでに例示したように、たとえば見せかけの大工作業の外見のみから当人やスパイ仲間にとっての行動の真意を解読することはできないのであり、行動に関する彼らの秘密の「内的コード」を解明しなければならないのである。こうした言動の意味は見えているものだけからは決して捉えることはできないのであり、隠された種々の「内的コード」を解読看破しなければならないのである。外見的には同じ言動でもある種の「内的コード」が表現者によって異なりうるため、その意味合いも表現者により異なりうるのであり、したがって、目に見える言動だけからでは真相を認識しえない場合がありうるのだ。

たとえば『仮面の告白』を作者三島由紀夫を捨象してそのテクストのみでどう読もうと、フィクションかノンフィクションかすら容易に分からないであろうし、況してやどの部分が虚でどの部分が実かなど皆目認識しえず、結局そういうことはどうでもよいものとして(無論、普通のフィクションのようにそれを問題にする必要のないテクストはいくらでもある)、一切考察されなくなってしまいがちであり、またそれを正当化しようとする論のみがのさばりがちである。

三島にとって仮病を使った兵役逃れが事実であることを突き止め、それが戦後の彼にとり最大最深の現実的な「恥部」になっていることを看破し(また彼の自負心を傷つけた「煮え切らない・・・・・・男らしくない」「逡巡」による恋の挫折に関わる現実的な「恥部」もあるが、実はこちらの「恥部」をまず取り繕い無答責にするために同性愛の仮面が工夫されたのである。『盗賊』でも同様の「逡巡」が懸命に取り繕われているが、『盗賊』テクストではまだ己の「性格以前のもの」で「私のせいではない」という同性愛の仮面をかぶっていないため(当時はまだ同性愛仮面を思いついていなかったのである)、無答責になるほど取り繕われていない)、その彼の現実の「恥部」が『仮面の告白』では別の明示的な「内的」な「恥部」の奇妙不自然な「告白」により無答責に取り繕われていることを見破ることによって、そこから彼の自伝ともフィクションともつかぬ虚実の錯綜した奇妙なテクストを解きほぐす可能性が開けるのであるから、この場合に作者を捨象してテクストのみから引き出されるもののみに固執するかぎり、件の可能性を閉ざしてしまうことになり、作者の考慮によって解明しうることも解明しえなくなってしまうのである。現実の「恥部」を認識しえなければ、架空の「恥部」を架空とは見抜けないのである。作者を捨象してしまえば、何が当の作者にとり現実か架空かをまったく認識しえなくなるのである。作者が別人ならテクストの虚実もまた別様でありうるからである。

したがって、「作者の死」を唱えてテクストのみによる読みを頑なに主張するのは、作者に関する一切の手掛かりに対してテクストを遮断し、隔離してしまう閉鎖的な方法であって、決して開かれた方法ではないのであり、作者捨象の「テクスト論」こそ実は「テクストに歯止めをかけ」て真実の解明を窒息させてしまう欺瞞的なものなのである。なぜなら、畢竟、その「理論」はただテクストのみを絶対的な前提とし、もっぱらテクストのみによる読みを主張する以上、かつてマルクスやエンゲルスが批判した往古の「天上から地上に下りるドイツ哲学」とまったく同じく、畢竟「人間が語り、想像し、表象するものから出発」しているにすぎないのであり、したがって作者捨象の「テクスト論」に関するかぎりそれは「ポストモダン」どころかまったくの先祖返りであって、当然いずれにあっても「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」ができず、テクストにおける虚実や真偽の区別の認識や歴史認識を決定的に不可能にしてしまうものだからである。仮面的テクストの仮面を決して見破れないこうしたテクスト一神教的な考え方は、妄想とイカサマとエゴの塊にすぎない教祖の言葉を真に受けてしまう信者とまったく同じ考え方なのである。

 

 

さて、すでに示したように、『仮面の告白』には三つの「恥部」が「告白」されている。一つは言うまでもなく同性愛という「恥部」であり、これはテクストの全体を通じてあからさまに臆面もなく「恥部」として絶えずはっきりと「告白」され、前面に押し出されて表明されている。だが、同性愛はしきりに「恥部」とされながらも、たとえば「私の最初のejaculatio」の場面ではこの「恥部」をダシにして聖セバスチャン」の画像と絡めてこれ見よがしに荘厳に美化されている。己の精通を同性愛をダシにして目いっぱい荘厳化し、美化しているのである。他の二つの「恥部」は、「煮え切らない・・・・・・男らしくない」態度(これは要するに三島の例の「逡巡」を意味しているが、作中では小説風に象徴的に示している)を恋人にさらしてしまい、「私の自負心をめちゃめちゃに」した恥辱的屈辱的言動の「恥部」と、仮病を使った兵役逃れの言動を人目にさらした「恥部」であり、これら二つの「恥部」はいずれも三島においては現実の他者に見せた「醜かった」言動として事実に基づいていることが確認されるのである。

一方、同性愛の「恥部」は何ら「醜かった」言動によるものではなく、ただ同性愛者であること自体が「恥部」であるかのように「告白」されており、しかも何ら(作中の)他者にばれてもいないのにしきりに「恥部」として現実の他者たる読者に公然と「告白」しているのである。そしてさらにこの「恥部」(の「論理」と「心理」)を利用して他の二つの現実の「恥部」すなわち作者三島自身が実際に経験した個人的「恥部」が取り繕われているのである。その取り繕いに用いる同性愛の「恥部」はまだ外部に現われない内に秘めた「内的」なものということもあって、三島の場合に同性愛の「恥部」の虚実は容易に見破りがたいが(とはいえ、三島の「現実にあるところ」をある程度知っている父親や実在の「園子」には三島の嘘ないし仮面と分かっているはずである)、同性愛の「恥部」を利用して取り繕われている二つの「恥部」は作者三島の場合には事実ないし事実に基づいていると確認されるのである(もしも作者が別人であったなら、その二つの「恥部」は作者にとって事実とはかぎらず、このテクストの意味解釈は異なりうる)。

以上の考察から、この奇妙な「告白小説」めいたテクストを解明する糸口がつかめよう。

すでに示したように、もし三島が作中の「私」と同一の同性愛者であるとしたら、己の同性愛が他者に発覚するのを何よりも深甚に恥じ恐れる彼が、己自身のこの最大の「恥部」を利用して己の過去の別の現実の「恥部」をいくら取り繕って無答責にしようと、同性愛という最大最深の「恥部」を現実の人々に知られてしまうことの深甚な恥辱や恐怖に比べれば全然引き合わないのであり、まったく無意味なのである。つまり、もし同性愛の「恥部」が他人に絶対に知られたくないほどの三島の真の深甚な「恥部」だとしたら、その「恥部」をどんな形であれ公に「告白」したうえで別の「恥部」をいくら取り繕おうとまったくナンセンスな馬鹿げたことであり、そんなことはもし三島が「私」と同じような同性愛者であるとしたらいとも容易に分かるはずなのである。

同性愛の「恥部」を利用して取り繕われる別の二つの「恥部」が三島の場合には現実の「恥部」であるからこそ、それらを取り繕うために持ち出される同性愛という「恥部」が誑かしの仮面の「恥部」であることが作者を考慮することによって徐々に解明されてくるのである。(かかる解明のための決定的な認識は、すでに示したように、特に仮病を使った兵役逃れを取り繕う部分で、「何だって」あんな兵役逃れの振る舞いをしたのか「私にはわかりかねた」と「告白」するために同性愛の「恥部」を利用した「論理」と「心理」が欺瞞とまやかしに満ちた荒唐無稽なありえぬものだということである。たとえ同性愛者としての「私の生が、行手にそびえていない」からといって、死や死を意味する兵役に対する恐怖心がないなどということには決してならないのであり、況して彼が戦時に死と兵役を何より恐れていたことは確かだからである)。この場合に作者を捨象しては、作者に関して何が現実かはまったく認識不可能になり、三島がかぶった仮面を看破することも当然できなくなるのである。

『仮面の告白』のテクストの解読や作者三島由紀夫の解明の重要な手掛かりになるような言葉を三島自身が残している。

たとえば、「この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった」と言う三島が、「この告白を書くことによって私の・・・・・・生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」のは何故か。「この本を書くことによって私が試みたのは・・・・・・生の回復術である」とはどういうことか。また、「自分が贋物の詩人である、或いは詩人として贋物であるという意識に目ざめるまで、私ほど幸福だった少年はあるまい」と言うほど幸福な幼少年期を送ったはずの彼が、なぜ「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」のであろうか。そしてまた、「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」とか「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって文学生活をはじめた」とは何を意味するのか。

こうした彼自身の言葉の意味するところについてはすでに解明したとおりであるから、繰り返すまでもないであろう。『仮面の告白』のテクスト作成における彼の意図もこうした考究により分かってくるわけである。数学や自然科学のテクストの場合とは違って(そうしたテクストは最初から作者の意図は自明なのである)、文学テクストにおける作者の意図は容易に分からないのであるが、テクスト解読上重要な意味を持ちうるのである。三島は「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」ようとして、「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」『仮面の告白』を書いたのであり、それゆえ同性愛者「私」を彼自身の過去の人生に重ね合わせた「仮面の告白」をしたのである。陽動作戦として彼にとっては仮面の「恥部」たる同性愛をさも自身の深甚な「恥部」であるかのように「告白」しつつ、その仮面の論理と心理を利用して己の真の「恥部」を取り繕った(つもりだった)のである。そういうテクストを三島は書いたのである。それがそのテクストにおける、その作成における、その構想執筆における、三島の「現実にあるところ」なのである。『仮面の告白』はフィクションでもノンフィクションでもないのであり、いずれか一方のテクストとしては決して解明しえないテクストなのである。

人文系のテクストには作者が異なれば意味解釈も異なる場合がありうること、同じ言表でも発言者によりコノテーションが異なりうること、この点を認識することが決定的に重要なのである。作者を捨象しているかぎり、かかる決定的認識は得られない、というよりむしろ、かかる決定的認識を得ていないからこそ作者捨象の「テクスト論」が喧伝され、蔓延したのである。

最晩年のヴァレリーが、「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている。このことは決定的に重要な点だ」と言い、バフチンが「他者の言葉の真意の推測にとって、一体誰がどのような状況の下で語っているのかという問題は、決定的な意味を持ちうる」と言うのは、数学や自然科学のテクストについてではなく、主として人文系のテクストについての認識であり、この場合には「作者が誰か」の問題が「決定的に重要」であり、「決定的な意味を持ちうる」ということ、かかる「決定的な認識」に彼らは達したのである。

「人間が語り、想像し、表象するもの」たるテクストのみを問題にして、作者を捨象するかぎり、たとえば「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」はできないのであり、無論、作者の考慮を要するのは「人が自称するところ」のテクストばかりではないのである。

以上のことが認識できないかぎり、次のような寝言みたいなふやけた考えも手もなく真に受けられてしまうわけであろう。

 

「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっているのであるから、そのかぎりにおいて、大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」(リクール『現象学と解釈学』)

 

これもまた作者を排除し、テクストのみから「開示」されることだけを問題にしているわけだが(要するにテクストのみにおいては現前していない作者の意図を「失われた意図」とみなして作者と共に排除し、テクストのみに現前しているものだけを問題にしているにすぎない)、こうした作者捨象の無邪気な考え方が主としてフランスを中心に起こったのは、ヴァレリーの呪縛があったはずである。とはいえ、ヴァレリー自身は最晩年にはこうした無邪気な「テクスト一神教」は棄教したのであるが。作者が「誰か」「何者か」であるかに関わりなくテクスト(の意味内容)は絶対不変であると信じ込んでいればこそ、またそうした無邪気な人々が圧倒的多数であればこそ、作者捨象の「テクスト論」が支持され、流行したのである。その流れで、ある種の知的権威が持ち上げられると、彼らの発言のすべてが無検討に盲信され、御託宣のように押し戴かれる。流行というものの愚かしさ、危険さである。

ハイデガーは『ヒューマニズム書簡』で「言葉は存在の住処である。・・・・・・言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く。泉に行くとき、森を通って行くとき、われわれはいつもすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通り抜けているのだ。たとえこれらの語を口にしたり、言葉のことを考えたりしなくても」などととんでもない馬鹿げた戯言をしたりげに言っているが、これでは言葉あっての「もの(存在者)」の「存在」ということになってしまい、言葉や概念を通過しないかぎり誰も現実の「もの(存在者)」に至り着けないことになる。言葉や概念のほうが現実の「もの(存在者)」に先行してしまっているのであり、まったく転倒した考えである。こんな考え方でどんなまともな認識も決して生まれようがないのである。言葉はせいぜい「もの(存在者)」の概念の「住処」であるにすぎない。現実の「もの(存在者)」の「住処」は言葉の外部の現実世界にしか決してありえないのである。言葉の内部には「もの(存在者)」の概念しか住みえないのであり、実体を有する山や海や大木や動物やその他無数のあらゆる現実的な「もの(存在者)」など唯の一つも住めやしないのである。現実の象が「象」という言葉を「住処」にしているわけがあるまい。愚の骨頂のような言語観である。現実の象は「象」という言葉の外部の現実世界にのみ住んでいるのである。

もしも「言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く。泉に行くき、森を通って行くとき、われわれはいつもすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通り抜けているのだ」とすれば、「泉」や「森」という言葉を通過しないかぎり、誰も現実の「泉」や「森」に至り着けないことになる。「卵」という言葉を知らないかぎり、誰も現実の「卵」を手に取り、食べることができないことになる。そんな馬鹿げたことは決してありえないのである。言葉を知らない動物たちも「卵」がどういうものか分かっているのであり、自由に食べたりすることができるのである。「泉」や「森」という言葉を知らない動物たちも自由に泉や森やどこにでも行けるのであり、そこがどういう場所か分かっているのである。言葉の中にいかなる現実の「もの(存在者)」もないのである。

われわれはまず見たり、触れたり、聞いたり、味わったりして、感覚で「もの(存在者)」を感知し、認識するのであって、それが「森」だとか「泉」だとか「饅頭」だとか「ライオン」だとかの言葉は、爾後にわれわれが記憶や記録や伝達の便宜のために命名し、分類するものである。「森」という言葉の中に現実の森の存在などないのである。現実の森は「森」という言葉の外にある(存在する)のである。まったく当たり前のことである。「森」という言葉の中にあるのは森の概念にすぎない。現実の「もの(存在者)」は、言葉の外部の現実世界にしかないのである。御伽噺の架空の「森」や「お城」などを考えてみれば容易に分かることであろう。言葉から存在など決して生じやしないのであり、言葉から「もの(存在者)」に至り着く」ことなど決してないのである。まったく逆で、「もの(存在者)」の認識から言葉が生み出されるのである。フィクションのテクストのあらゆる言葉を実在とみなすくらい愚かなことはあるまい。たとえば「白雪姫」や「河童」や「孫悟空」という言葉、この言葉という「存在の住処を通り抜けることによって存在者に至り着く」としたら、「白雪姫」も「河童」も「孫悟空」も現実に存在することになってしまうであろう。馬鹿げたことである。

要するにハイデガーは最初から単なる言葉としての「ある」や「存在する」しか考えていないのであり、現実の事象としての「もの(存在者)」の「ある」や「存在する」を考えていないのであり、まったく認識していないのである。だから先哲の曖昧多義的な多様な「ある」や「存在する」という言葉だけを相手にし、言葉に誑かされながら、もっともらしい誑かしの哲学的修辞を利用しつつ、空疎ナンセンスな「言葉いじり」の存在論をいかにも子細な意味ありげにでっちあげたのである。

「言葉は存在の住処である」とはまったくの愚考である。「存在の住処」は言葉の内ではなく外にしかないのである。現実の存在は言葉や概念の外部にしか決してありえないのだ。フィクションや御伽噺の言葉の中にあるのは虚構の存在である。そんなことは誰だって分かっていよう。現実の存在は思考の外部の外界にしかない。実在の饅頭の「住処」が「饅頭」という言葉だとしたら、誰も饅頭を食べることはできまい。言葉や概念としての「饅頭」を手にすることも食べることもできないのである。現実の饅頭の「存在の住処」、いや万物の「存在の住処」は、外界にしか絶対にありえないのである。こんなことも分からぬ者が存在論をやっているのだから、百万言を費やしたって決して埒が明くわけがないのである。

ハイデガーは現実の存在に関わる事象を、存在の真実を、まったく認識できないのであり、曖昧多義的な「ある」や「存在(する)」という言葉に誑かされているだけなのであり、またそうした言葉で読者を誑かし、煙に巻いているだけなのである。外界における存在者の事象を見ないで、「現存在」の内界の心的操作から存在を捻り出そうとしているのだ。認識の方法として最初から完全に根本的に間違っているのである。『存在と時間』を精査したフッサールは無論その点を完全に見破ったから、弟子のインガルデンに「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と告げたのである。また、「ハイデガーの言葉の遊戯にはいらいらする」とメモに書き残したヤスパースもハイデガー哲学の本質をある程度見破っていたはずである。彼の哲学の本質は空疎ナンセンスな「言葉の遊戯」や「言葉いじり」にすぎないのである。

 

 「ハイデガーでは事象の洞察の代わりに言葉いじりが現われる。・・・・・・ハイデガーにおける箴言的なもの、無意識的に虚偽的なもの、悪意あるもの、誤ったもの、不誠実なものは、目下のところ、魔術的な効果をもっている」(ヤスパース『ハイデガーとの対決』)

 

これはまさに正鵠を射たハイデガー批判である。ヤスパースはハイデガーには「事象の洞察」などないことを見抜いていた。「事象そのものへ(Zu den Sachen selbst)!」を提唱するフッサールにしてもまったく同じ意見のはずである。だが無論フッサールにとってはハイデガーの言葉など何ら「魔術的な効果」もまったくなかったことは確実である。

「言葉は存在の住処である。・・・・・・言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く。泉に行くとき、森を通って行くとき、われわれはいつもすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通り抜けているのだ」

 

これがどうやらハイデガー存在論の要約のようであり、『存在と時間』という幽霊の正体のような言葉である。この「枯れ尾花」の正体に難解めかした不得要領なイカサマの哲学めかした修辞を施して読者を惑わしているのが『存在と時間』という「幽霊」なのである。

「言葉は存在の住処である」としたら、「饅頭」という言葉は饅頭の「存在の住処」ということになり、饅頭の存在は「饅頭」という言葉の内にあることになってしまうであろう。これほど馬鹿げた考えはあるまい。言葉の内にある「饅頭」は「饅頭」の概念にすぎず、そんな「饅頭」を誰も手に取り、食べることはできないのである。

 

「ある対象に関するわれわれの概念が何を含みまたどれほど多くのものを含むにせよ、その対象が現実に存在するためには、われわれは概念の外に出なければならない」(カント『純粋理性批判』)

 

さらにハイデガーは曖昧な言い方をする。「言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く」などと言う。「言葉は存在の住処である」と言いながら、さらに「この住処を通り抜けることによって存在者に至り着く」と言う。では饅頭という存在者の存在はどこにあるのか。言葉の内なのか、言葉を「通り抜け」た先なのか。こうしたまったくのまやかしの曖昧模糊たる戯言を彼はしたりげに言うわけだが、それが難解めかした思わせぶりの曖昧な言葉に誑かされやすい無邪気な読者には何やら尤もらしく「魔術的な効果をもっている」ように聞こえるのかもしれない。

いずれにせよ存在(無論「もの(存在者)」の存在である)は言葉や概念の外の外界にしかありはしないし、万物の存在に達するのにわざわざ言葉を経由したり、言葉を介する要などまったくありはしない。「存在の住処」が言葉だとしたら、言葉を知らない赤ん坊や動物は決して「もの(存在者)」に至り着けないことになる。動物だろうと虫けらだろうと生物は皆、たえず無数の「もの(存在者)」に囲まれ、難なく接しているのである。かようにハイデガーは言葉の本質も存在者の事象もまったく認識していないのであり、こうした言葉の本質や存在者の事象をまったく認識していない者が存在論を書いているのだから、空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にしかなりえないのは当然であろう。

ハイデガーは「ある、存在する」を意味する先哲の言葉をいろいろ取り上げているが、そんなことをいくらやって論じたところで「もの(存在者)」の存在の現実や真実を認識できるわけがない。「ある、存在する」という言葉は御伽噺の空想的なテクストにも盛んに使われるのだから、単に「ある、存在する」という言葉だけをいくら穿鑿したところで、架空の「ある(存在する)」も現実の「ある(存在する)」もまったく区別できるはずがないからである。彼の存在論が空疎ナンセンスな面白くもない(「面白い」と言う奇特な人もいるかもしれないが)馬鹿げた「御伽噺」にしかなりえないことは最初から分かり切ったことなのである。

フッサール現象学の要諦である「事象そのものへ!」は別にフッサール独自の方法ではない。自然科学者にしても「事象そのもの」を考究し、明らめようとするのである。要するに、ごく簡単に言えば、事実を、現実を、現実の存在を、実在を明らかにしようとするのである。これはまっとうな認識の方法である。無論、この場合の事象とは現実の出来事であって、御伽噺の架空の世界の出来事を事象とは言わぬ。魔法使いの杖の一振りで南瓜が馬車になった、などという架空の出来事を事象とは言わぬ。フッサールは『存在と時間』が何ら事象としての現実の存在を考究せず、ただ「ある(存在する)」という先哲の曖昧多義的な言葉を相手にイカサマの論をでっち上げているだけであることを直ちに見破ったからこそ、「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と言ったのである。ヤスパースのほうはハイデガーの著書を長年研究した結果として、ハイデガーが「事象の洞察の代わりに言葉いじり」をしているだけだと確信してそうした結論に達したようだが、このヤスパースの結論はフッサールの言葉としても何ら違和感はないのであり、まったく同じことを意味しているのである。両者はハイデガー哲学(「哲学」と呼びうるような代物ではないが)の本質を看破しているのである。ハイデガーは認識の方法の基本すら分かっていないのである。

フッサールについて弟子のフィンクはこう述べている。

 

 「フッサールの生涯を支配した純粋な根元的意志は、直観することへの意志、存在するものを明晰にありのままに見ようとする意志であった。彼は、もしも事象自体が〔理論が教えるものとは〕別の様相を呈するならば、これまでに獲得したすべての認識と、すべての定理をいつでも破棄する用意があった。彼は命の続くかぎり、自らを呈示する諸事象を凝視し、諸現象をロゴスの光で照らし明かそうとしたのである」

 

これはフッサールの態度と方法を簡潔に表現している。「存在するものを明晰にありのままに見ようとする意志」こそ認識の基本になければならない。ここで「存在するもの」とは無論現実に実際に(realに)「存在するもの」であることは言うまでもない。御伽噺の架空の「存在」、たとえば「桃から生まれた桃太郎」や「浦島太郎」や「打ち出の小槌」や「筋斗雲」などの「存在」をいくら「明晰にありのままに見よう」としたところでナンセンスであろう。「彼は、もしも事象自体が〔理論が教えるものとは〕別の様相を呈するならば、これまでに獲得したすべての認識と、すべての定理をいつでも破棄する用意があった」。これもまったく正しい態度であって、あくまで「事象そのもの」の凝視と認識が重要なのであり、それが「これまでに獲得した」理論や定理や認識と齟齬するようなら、「これまでに獲得したすべての認識と、すべての定理をいつでも破棄する用意が」なければならない。事象こそが主であって、人間の側の認識や理論は従なのである。天動説から地動説にコペルニクス的転回を遂げたからといって、なんら外界の事象が変化したわけではない。人間の認識や理論が変わったのである。

無論、現象学で言う「事象」とは現実の実際の事象であって、御伽噺のような「魔法の杖の一振りで南瓜が馬車になった」などという架空の出来事を「事象」とは言わぬ。もしそんなことが事象だとしたら、「事象そのものへ!」など一体何の意味があろう。作者の頭の中の空想や思いつきでいくらでも変えられるような架空の出来事は事象ではない。外界という現実世界に起こる出来事こそが事象なのである。

まったく同じ事象を目にしても、人によって認識するものは必ずしも同じではない。たとえば林檎の実が枝から落下するという、要するにあらゆる物が下に落ちるというまったく日常茶飯のありふれた事象でも、ニュートンと他の人々では認識するものは異なるのである。

われわれが日常生活で経験するあらゆる事象は全宇宙の一部を成しているのである。

「ある(存在する)」という言葉はもとより、あらゆる言葉、「森」や「泉」や「家」や「犬」や「男」や「女王」や「落ちる」や「浮かぶ」やその他無数の名詞や動詞など、要するに森羅万象に関する言葉が、フィクションのテクストにおいても自由にいくらでも用いられるのだから、「ある(存在する)」という言葉の虚実(realか否か)を区別せずに、単に「ある(存在する)」という言葉のみをいくら論おうと、それは現実の存在、事象としての存在ではないのだから、愚にもつかぬ空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にしか決してなりえないのである。

御伽噺で「昔々ある国に妖精たちのお城がありました」とあっても、その場合の「ある(存在するsein)」は、実際には、現実には(realには)「ない(存在しない)」のである。その「ある(、存在するsein)」は内界における空想や想像や想定として「ある(存在する)」を意味するにすぎず、外界において実際に現実に(realに)「ある(存在する)」を意味するわけではないのである。その「ある(存在するsein)」は「現実的、実在的(real)な述語(ある、存在する)ではない」のである。つまり、御伽噺などのフィクションのテクストや神の存在論的証明のような分析的命題における「ある、存在する(ザイン)はレアールな(実在的な、実在を意味する)述語(ある、存在する)ではない」のである。(カントが「ザインはレアールな述語ではない」と言うのは神の存在論的証明や御伽噺などフィクションなどの分析的命題の場合であって、外界における経験的判断に基づく総合的命題の場合ではない。この点はカントの若干の説明不足や言葉足らずがある)。こうしてカントは神の存在論的証明の結論「ゆえに神は存在する(Gott ist)」のザイン動詞は「レアールな述語ではない」、つまり「現実に実際に存在するを意味する述語ではない」と看破して、神の存在論的証明の不可能を示したのである。神の存在論的証明の結論「ゆえに神は存在する(Gott ist)」のザイン動詞は大前提における神の主語概念にあらかじめ含まれていること(たとえば「神は最高の実在性(höchsten Realität)を有する」等々)を結論で述語動詞に変えて繰り返しているだけであるから、単なるトートロジーにすぎないのである。畢竟は単なる想定にすぎない大前提から単に論理的に導き出される結論にすぎないからである。

だからカントはこう言うのだ。

 

「概念の論理的可能から事物(Ding)の現実的実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない・・・・・・。論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想(Illusion)ははたからの忠告をほとんど聞き入れようとしない」(『純粋理性批判』)

 

ところがハイデガーの存在論は「ある、存在する」という言葉の虚実(realか否か)の区別もまったく弁えず、ただ「ザイン(Sein)一般の意味の究明」(『存在と時間』)をしようというのであり、「ザイン(Sein)」という言葉一般を、繋辞のザインと「ある、存在する」を意味する述語のザインすらも区別せずに、尤もらしく意味ありげに述べているだけにすぎず、外界における事象としての現実の存在を相手にしているのではないから、まったく空疎ナンセンスな存在論であり、イカサマの存在論なのであり、現象学の方法の根本から間違っているのである。フッサールが「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と言うのはまったく当然のことである。

ハイデガーは「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら、それは誰よりもE・フッサールのおかげである」(『存在と時間』)などと言っているが、繋辞の意味のザインも一緒くたにした「ザイン一般の意味の究明」を標榜する彼の奇天烈な存在論が、どうして「根本的探究」や「《事象そのもの》の開示」になりえようか。まったくのイカサマの自画自賛である。

一方では生命科学や宇宙科学などの自然科学が日進月歩の目覚ましい前進を遂げているのに対し、他方では「事象の洞察の代わりに言葉いじり」をしているだけの空疎ナンセンスな哲学(無論こんなものは哲学でも何でもないが)が未だに「魔術的な効果をもって」古代的および中世的な妄想に終始している。こうした乖離の状況はすでにカントの時代にも深刻に意識されていた。

                                              

「かつては形而上学が諸学の女王と称せられた時代があった。もし意志をそのまま行為とみなすならば、形而上学はその対象がきわめて重要であることから、かかる尊称を受けるにふさわしいものであった。ところが今日では、形而上学にあらゆる軽蔑をあからさまに示すことが、時代の好尚となってしまった。・・・・・・今の時代は浅薄だとか、根本的な学問が衰退しているなどの嘆声をしばしば耳にする。しかし、根柢のしっかりしている学問、たとえば数学や自然科学などについては、そうした批判はまったく当たらないと思う。むしろこれらの学問は根本的であるという昔ながらの名声を維持しているばかりでなく、自然科学の場合は、従来の名声をはるかに凌駕しているほどである」(『純粋理性批判』)

                                                                                  

ハイデガーの存在論が訳も分からず崇められているかぎりは、存在は(彼の評価とともに)十重二十重に妄想に覆われたままであろうし、哲学はいつまでも自然科学に匹敵するものにはなりえまい。自然科学は常に現実の事象に基づいている。ハイデガーの存在論はただ「ある、存在する」という言葉を(しかも繋辞の意味の「ザイン」も「存在」の意味の「ザイン」も一緒くたにして)虚実の区別なく論っているだけであるから(だから彼はカントの言う「realな述語」も「realでない述語」もまったく区別できないのである)、永遠に現実の事象としての存在を認識することなどできるわけがないのである。

 

 

存在にとっては個々の存在者などどうでもよいことである。況してやそのいちいちの名称などまったくどうでもよいことである。存在者はすべてまったく等しく存在している。存在しているからこそ「存在者」なのである。在るものは何ら言葉を俟つまでもなく存在しているし、実はわれわれの認識を俟つまでもなく存在しているのである。だから存在は誰にとっても自明なのであり、万人に共通なのである。犬猫や虫けらにとっても共通なのである。言葉を「住処」にしているのは現実の存在でも存在者でもなく、それらの概念にすぎない。現実の存在も「存在の住処」も言葉や概念の外部の現実世界にしか決してありえないのである。われわれが現実に通って行く森は「森」という概念や言葉や「森」一般ではなく、現実世界のある特定の時空におけるある特定の森である。現実の存在者は言葉や概念の内に存在するものではなく、その外部の現実世界にのみ存在しているのである。

言葉に対して意味があるのではない。意味に対して言葉があるのだ。言葉から意味が生じるのではない。意味から言葉が生じるのである。無論、生じると言っても、まさか自然発生的に生じるわけではなく、人間が意味に対して言葉を付与するのである。まずさまざまの事物に対する認識があるのであり、その認識に対し言葉は後付けされるものにすぎない。だから一般に言葉の意味は最初から自明なのである。

たとえばある種の形態や生態を持った動物に対し「馬」とか「犬」とか「鳩」などの言葉を与えるのであり、だから「馬」とか「犬」などの言葉を聞けば、誰でもそれがどんな動物かを容易に理解するのである。その動物の形態や生態を認識したうえでその動物を示す言葉を後付けするからである。動作を示す言葉(動詞)にしても同様であり、「歩く」とか「走る」とか「座る」などの動作を見知ったうえで「歩く」とか「走る」とか「座る」などの言葉を付与するのであって、決してその逆ではない。言葉は事象や事物を認識したうえで後付けされるものである。だからある言葉がどういう事象や事物を示しているかは最初から自明なのである。

「ある(存在する)」という言葉にしても同様である。見たり、触れたり、感知しうるものに対して、そのものが「ある(存在する)」と言表することにするのであり、共同体内部でそう決めるのである。だから誰でも「・・・・・・がある」と言われれば、それがどんな意味か即座に容易に分かるのである。幼児でも「・・・・・・妖精たちのお城がありました」という童話の言葉の意味を容易に理解するのである。「ある(存在する)」という言葉を知る前からその事象を感知し、認識していればこそである。

言葉は共同体内部での決め事にすぎないから、別の共同体ではまったく異なる言葉が作られ、使われるのであり、世界には最初から異なる言語が各地に多数存在していたのである。聖書では、初め世界には唯一つの言語があったが、神がバベルの塔を破壊して以来、異なる言語が世界中に散らばったように書いているが、それはまったくありえない「御伽噺」にすぎない。世界には最初から多数の異なる言語がいろいろな場所にバラバラに存在していたのである。そうした無数の言語の元になるような唯一無二の祖語を見つけようとしたって、決して見つかるものではない。そんなものは存在しないからである。

 

 

 「赤ん坊はものの名前を覚えるより以前に、すでにものの概念を持っていることが分かった。赤ん坊が単語を口にするのは満一歳前後だが、それよりかなり以前に、私たちが《対象物》と呼ぶものを《もの》と意識しているようで、対象物の一部分がふいに勝手に動きだしたり、《もの》がどこからともなく現われたり消えたり、別の個体を突き抜けたり、支えらしいものが見えないのに宙に浮いたりすると、びっくりする」(ピンカー『言語を生みだす本能』)

                                                                                                     

 つまり、赤ん坊は「もの(存在者)」が「ある」とか「ない」という言葉を知tる以前に、「もの」が「ある」とか「ない」という事象を感知し、認識しているからこそである。ここで「もの」とはすなわち「存在するもの(存在者)」にほかならない。「もの(存在者)」とは別に単独の「存在」自体などというものは決してありえない。何らの「もの(存在者)」もないのに、あるいは「もの(存在者)」とはまったく別に、単独の「存在」自体なるものがあるなどという考えほど荒唐無稽な馬鹿げた考えがあろうか。「存在」とは、何かが「ある、存在する」と認識し、表現する場合の、「ある(存在する)」という動詞を単に名詞形にしたすぎない。つまり単なる言葉にすぎず、何ら実体のあるものではない。「もの(存在者)」が存在するのであって、「存在」が存在するわけではないる。実体は存在する「もの(存在者)」のほうにあるのであって、「ある(存在する)」という動詞を単に名詞化したにすぎない「存在」という言葉に何の実体もないのである。単なる言葉にすぎない「存在」を実体化しているような存在論はすべて虚妄の存在論である。

ところが、こんな考えがある。

 

 「存在とは、いわば存在者を存在者たらしめるものであるから、それ自体は一個の存在者ではありえない。これはきわめて当然の理屈である。したがって、存在を存在者のあいだに探しもとめても見つかるはずはない」(木田元『ハイデガーの思想』)

 

これは一体何を言おうとしているのであろうか。そもそも探し求めれば「存在」がどこかに見つかるなどという考え自体が馬鹿馬鹿しさの極致みたいな考えであるが、「存在」が「存在者を存在者たらしめる」とはどういうことか。「存在」という単なる言葉にすぎないもの(このことがまったく理解されていない)それまで存在していなかった「もの(存在者)」を存在させる力やエネルギーのようなものを有しているとでもみなしているのだろうか。それほど荒唐無稽な馬鹿げた妄想はあるまい。「存在を存在者のあいだに探しもとめても見つかるはずはない」だと? では、「もの(存在者)」とは別のところに「存在」なるものが単独で存在しているとでも言うのか。それは一体どんな「存在」なのか。その単独の「存在」自体なるものはどんなところにどんな状態や様子であるのか。「もの(存在者)」とは別に単独の「存在」自体なるものが存在しているなど決してありえぬことである。「もの(存在者)」は「存在するもの」にほかならないのであり、かかる「もの(存在者)」を離れたところに単独の「存在」自体など決してありえないのだ。「もの(存在者)」とは別に単独の「存在」自体などがあるとしたら、「存在」とは別にされた「もの(存在者)」は存在していないものということになり、まったくの「無」ということになろう。存在していないもの、すなわち「無」と「存在」が結び付いて(どうやって結び付くのか?)「存在者」になるとでも考えているのだろうか。まったく荒唐無稽きわまりない頓珍漢な考え方である。

人類が出現して、「ある(存在する)」とか「存在」という言葉を生み出す前から、「もの(存在者)」は存在しているのである。でなければ誰も「もの(存在者)」を感知し、認識することはできまい。「ある(存在する)」とか「存在」という言葉のおかげで万物は存在しているわけではないのである。

「ある(存在する)」という自動詞の言葉は単独では意味を成さない。「ある(存在する)」は「もの(存在者)」を主語とする述語であって、「もの(存在者)」がなければ一体何が「ある(存在する)」のか不明である。「ある(存在する)」は「もの(存在者)」を主語とする述語自動詞であって、それ自体では意味を成さないのである。「ある(存在する)という動詞を単に名詞化したにすぎない「存在」という言葉についてもまったく同じことが言えるのであり、単に「存在」と言うだけでは何の存在なのか不明である。無論これも「もの(存在者)」の「存在」の意であって、動詞の「ある(存在する)」とまったく同じく、単独では意味を成さないのであり、いずれも「もの(存在者)」を前提にして成り立つ言葉なのである。「もの(存在者)」をすべて捨象し、無視したうえで、別言すれば「もの(存在者)」「もの(存在者)」がまったくない状態において、「ある(存在する)」も「存在」も意味を成さないのである。動詞の「ある(存在する)」も名詞の「存在」という言葉も飽く迄「もの(存在者)」を主語とする述語的な立場の「言葉」にすぎず、「ある(存在する)」のは「もの(存在者)」であり、「存在」とは「もの(存在者)」の「存在」を意味するものに他ならない。

繰り返すようだが、「存在」とは、何らかの「もの(存在者)」を感覚で感知して言表する場合の「ある(存在する)」という動詞を名詞形にした単なる言葉にすぎず、何ら実体のあるものではないのであり、決して存在するもの(存在者)ではないのである。「存在」は単なる言葉にすぎないのであり、何の実体もないただの言葉にすぎない「存在」に何の神秘も謎もまったくないのである。「もの(存在者)」が存在するのであり、「もの(存在者)」に実体があるのであって、「存在」は存在しないのであり、存在しない「存在」に何の実体もないのである。まったく存在せず、何の実体もないものに、いかなる神秘も謎もないのである。

 

 

さて、プラトンはそれまで日常生活で何の疑いもなく、普通に言ったり聞いたりしていた「ある(存在する)」という言葉の意味が「分からない」などと言い出す。

 

 「・・・・・・というのは、《存在する》という言葉を使うときに、自分がいったい何を言おうとしているのかを、君たちならずっと前からよく知っているに違いないのだが、われわれの方では、以前にはそれが分かっているつもりだったのに、いまでは途方に暮れている有様なのだから・・・・・・」(プラトン『ソフィステース』)

 

プラトンは「ある(存在する)」という言葉が「何を言おうとしているのかを・・・・・・以前にはそれが分かっているつもりだったのに、いまでは途方に暮れている有様なのだ」などと言い出すのである。なぜ以前には分かっていたことが分からなくなったのであろうか。

目の前にある花を見て、「そこに花がある(存在する)」と誰でも単純率直に思う。あるいはそう口にする。「ある(存在する)」から見えるのであり、「なければ(存在しなければ)」見えやしないのだから、見えるということはその「もの(存在者)」が存在していることを示しているのである。この場合は視覚によって「花」という「もの(存在者)」を感知し、その場合われわれは「そこに花がある(存在する)」と思ったり、言ったりするのである。場合によっては、触覚や味覚や聴覚や嗅覚などの感覚によって外界にある(存在する)無数の多種多様な「もの(存在者)」を感知することもあろう。遠方に山を見れば、「向こうに山がある(存在する)」と言い、大きな木を見れば、「あそこに大木がある(存在する)」と言ったりし、また聞いたりする場合、「ある(存在する)」という言葉の意味を問い質したり、その言葉の意味が分からないと思う者などまずいないであろう。かつてはプラトンも「ある(存在する)」という言葉の意味など自明と思っていたはずである。

ところがその後、ある日、プラトンは、 「《存在する》という言葉を使うときに、自分がいったい何を言おうとしているのかを・・・・・・以前にはそれが分かっているつもりだったのに、いまでは途方に暮れている有様だ」などと言い出すのである。

外界に「ある(存在する)」無数の「もの(存在者)」に絶えず囲まれ、接している現実の場では、プラトンは「ある(存在する)」という言葉を言ったり聞いたりしても何ら疑うこともなかったはずだが、「ある(存在する)」という言葉の意味を考え始めたときに「途方に暮れて」しまったと言うのである。

以前には自明のように思っていた「ある(存在する)」という言葉の意味がなぜ分からなくなったのであろうか。それは彼がそれまで「ある(存在する)」という言葉の外部の現実の外界において絶えず無数の「もの(存在者)」に囲まれ接して暮らしていたかぎりでは何ら疑問に感じなかったその言葉の意味が、言葉の外部の現実世界に存する無数の「もの(存在者)」を無視して、専ら「ある(存在する)」という言葉のみにとらわれて、外界に存在する無数の「もの(存在者)」をすべて捨象し、無視したうえで、「ある(存在する)」という言葉の意味のみを考えようとしたからである。つまり、まったく「もの(存在者)」のない状態において「ある(存在する)」という言葉の意味のみを求めようとしたからである。「ある(存在する)」という言葉の外部の現実をすべて捨象して考えてしまったからである。

「ある(存在する)」という言葉は「もの(存在者)」を主語とする述語であり、述語自動詞である。「ある(存在する)」のは無論「もの(存在者)」であり、「もの(存在者)」が「ある(存在する)」ということであって、「もの(存在者)」がなければ「ある(存在する)」もなくなる。「ある(存在する)」という言葉を適用すべき対象がないからである。この事情は「ある(存在する)」という述語動詞の名詞形「存在」

意味なのであるが、その主語たるべき「もの(存在者)」をすべて捨象して、単独では意味を成さない「ある(存在する)」という述語自動詞やそれの名詞形「存在」という言葉だけを専ら考察の相手にしているのだから、意味不明になり、「途方に暮れて」しまうのは当たり前である。存在すべき「もの(存在者)」が何もない状態において、一体何が「ある(存在する)」と言えるのか、「ある(存在する)」や「存在」という言葉を適用すべき対象がまったく捨象されているのだから、意味不明になり、「途方に暮れて」しまうのは当然である。まったく何もない状態に自らしておいてプラトンは「途方に暮れて」いるのである。

「ある(存在する)」という言葉は「もの(存在者)」という主語について述べる述語動詞であり、「存在」はこの述語動詞の単なる名詞形にすぎない。見たり、触れたりして、感覚で「もの(存在者)」を感知する時に「ある(存在する)」と言うのであって、「ある(存在する)」という言葉は「もの(存在者)」を主語とする述語動詞なのである。無論、この主語と述語動詞の関係は「ある(存在する)」という述語動詞を単に名詞形にした「存在」の場合も同じであり、主語は「もの(存在者)」であって、「存在」はその述語的な立場にある。「存在」と名詞形にしてしまうと、それっが理解しにくくなるらしい。単独の「存在」なるものが成立するかのように誤解しがちになるらしい。しかし、「存在」は単独では決して意味を成さない。あくまで「もの(存在者)」の「存在」である。「もの(存在者)」の「存在」としてのみ意味を成す。「もの(存在者)」がなければ意味を成さない。何もないのに「存在」という言葉を何にも適用しようがあるまい。

繰り返すようだが、「もの(存在者)」の「存在」とは言うまでもなく「もの(存在者)」が「存在」するということであって、「存在」が存在するわけではない。「存在」はあくまで「もの(存在者)」の「存在」であって、単独の「存在」などというものは決してありえない。「ある(存在する)」は「もの(存在者)」という主語の述語動詞であるが、「存在」は主語「もの(存在者)」のいわば「述語名詞」とでも言いうるもので、「もの(存在者)」の「存在」を意味する。無論これは「もの(存在者)」が「存在」するということであって、「存在」が存在するわけではない。「存在」は存在しない。存在するのは「もの(存在者)」であり、「存在」ではない。「存在」は「もの(存在者)」について「ある(存在する)」と表現する動詞を名詞形にしただけの単なる言葉にすぎない。

「存在(する)」という言葉はそれ自体では意味をなさない言葉なのである。外界における現実的な「もの(存在者)」をすべて捨象して一体何が「ある(存在する)」と言えるのか。言葉の外部を捨象して、「ある(存在する)」や「存在」という言葉だけをいくら考えようと決して埒が明かないのである。いわば「もの(存在者)」がない状態なのに「ある(存在する)」や「存在」という言葉は意味を成さないのであり、成り立たないからである。

主語の「もの(存在者)」がなければ述語の「ある(存在する)」は意味をなさないのであり、虚しく空転してしまうのである。「もの(存在者)」が何もない状態において、あるいはあらゆる「もの(存在者)」を捨象して、いったい何が「ある(存在する)」とか「ない(存在しない)」と言いうるのか。「ある(存在する)」のはあくまで「もの(存在者)」であって、「ある(存在する)」やその単なる名詞形の言葉にすぎない「存在」ではない。この「存在」という言葉も「もの(存在者)」の「存在」を意味する言葉であって、まさか「存在」の存在を意味する言葉ではない。「存在」は存在しない。外界に存在する一切の「もの(存在者)」を捨象したり、考慮の外において、「ある(存在する)」も「ない(存在しない)」もないのである。「ある(存在する)」や「存在」という言葉は「もの(存在者)」について言いうる言葉であり、「もの(存在者)」に付随する言葉であって、単独では意味をなさないのである。「存在(Sein)」は「ある(存在する)」という動詞を名詞形にした単なる言葉にすぎず、何ら実体を有するものではないのである。実体を有するのは「もの(存在者)」なのである。

「ある(存在する)」は「もの(存在者)」という主語に従属する述語であって、「もの(存在者)」が「主」なのであり、「ある(存在する)」は「従」なのである。動詞の「ある(存在する)」の単なる名詞形「存在」の場合もこの言わば「主従関係」はまったく同じであり、「もの(存在者)」が「主」であって、「存在」は「従」なのである。「ある(存在する)」や「存在」という言葉は「もの(存在者)」を前提にした言葉なのである。

存在の事象は外界に現実に存在する無数の「もの(存在者)」にあるのであって、「存在(Sein)」という単なる言葉にはないのであるから、外界に現実にある「もの(存在者)」から離れて、「ある(存在する)」という単なる言葉やその名詞形にすぎない「存在」という単なる言葉のみにかかずらっているかぎり、存在論は決して埒が明くものではない。だから無数の「もの(存在者)」に取り囲まれ接している日常生活では「ある(存在する)」という言葉を自明のものとして使っていたプラトンも、そうした無数の「もの(存在者)」に囲まれ接して暮らしていた現実の生活から離れて、専ら「ある(存在する)」という言葉の意味のみを求めようとすると、「自分がいったい何を言おうとしているのかを・・・・・・以前にはそれが分かっているつもりだったのに、いまでは途方に暮れている有様なのだ」と言い出すことになるのである。

 

「向こうに大きな険しい山がある」とか「あそこに大木がある」とか「そのテーブルの上にバナナがある」と言われれば、誰にもその意味は、その「ある(存在する)」の意味は、一目瞭然であろう。「山」や「大木」や「バナナ」などの「もの(存在者)」が「ある(存在する)」から見えるのであり、なければ、存在しなければ、まったく見えやしない。したがって、そうした「もの(存在者)」が見えるということはそれらが存在していることを意味しているから、誰でも一目瞭然に「あそこに山がある」と何の疑いもなく即座に言えるのであり、誰もがその言葉を当たり前のように受け入れるのである。土竜などの動物は視覚によらず、主として嗅覚や触覚によって、ミミズなどの獲物(の存在)を感知し、認識するのである。かように「もの(存在者)」の存在の認識は専ら感覚に基づいた認識なのである。だからカントはこう言うのだ。

 

「純粋悟性概念における実在(Realität)は感覚一般に対応するものである。だからその概念自体が(時間における)存在(Sein)を示している。・・・・・・感覚に対応するのは実在(Realität)(現象的実在realitas phaenomenon)である」(『純粋理性批判』)

 

「もの(存在者)」を感覚によって感知するか否かで「ある(存在する)」とか「ない(存在しない)」と言うだけのことなのである。見たり、触れたりして、感覚で「もの(存在者)」を感知する場合に、われわれはその「もの(存在者)」が「ある(存在する)」と言うのであり、感知しない場合には、「ない(存在しない)」と言うのである。

眼前に「もの(存在者)」があるから、一目見て「ある(存在する)」と認知し、「ある(存在する)」と言表するのであり、それ以上でもそれ以下でもない。「ある(存在する)」とはそれだけのことにすぎない。「もの(存在者)」がある(存在する)から、見たり触れたり感知し認識できるのであり、「もの(存在者)」がなければ(存在しなければ)、見ることも触れることもできず、何も感知できないのであるから、「もの(存在者)」を感知できるということは、その「もの(存在者)」が存在していることを示しているのである。現実にある(存在する)「もの(存在者)」から切り離して、単に「ある(存在する)」という言葉やその名詞形にすぎない「存在」という言葉だけに拘って、その言葉の外部の現実の状況を一切無視して、その言葉のみを独立させて専ら思弁的に考えようとするから、その言葉が感覚に基づいたものであることを理解できなくなるのである。「もの(存在者)」の存在は専ら感覚に基づいた認識なのであるから、それを一切の現実の「もの(存在者)」を無視し捨象しながら、ただ単に「存在(する)」という言葉の意味を思弁的に求めようとしてもまったく無駄であり、徒労にすぎず、「途方に暮れ」ざるをえないのである。

「ある(存在する)」や「存在」という言葉自体に存在の事象などまったくないのであるから、現実に存在する「もの(存在者)」から離れて、また「もの(存在者)」を無視して、もっぱら「存在(する)」という言葉のみに拘ってその意味をいくら追究しようと決して埒が明くものではない。まったく認識の方法が間違っているからである。現実の「もの(存在者)」がないのに、あるいは「もの(存在者)」を切り離して、一体何について「ある(存在する)」とか「存在」とか言いえようか。「ある(存在する)」のは「もの(存在者)」であって、この自動詞の主語であるが、この主語たる「もの(存在者)」から離れて、ただ単に「ある(存在する)」という動詞やその単なる名詞形「存在」の意味だけを求めようとしても決して埒は明かないのである。まったく「もの(存在者)」がない状態において「ある(存在する)」という言葉は意味を成さないのである。何らの「もの(存在者)」もないのに、つまりまったくの無の状態において一体何が「ある(存在する)」と言うのであるか。「ある(存在する)」という言葉はそれ自体では意味を成さないのであり、「もの(存在者)」があって初めて意味を成すのである。

「ある(存在する)」という動詞を名詞形にした「存在」という言葉についてもまったく同じことが言いうる。この「存在」は言うまでもなく「もの(存在者)」の「存在」を意味しているが、言葉の外部の現実の外界における無数の「もの(存在者)」をすべて捨象しながら、つまりまったく「もの(存在者)」がない無の状態のなかで「存在」という言葉は意味を成さないのである。「ある(存在する)」という自動詞の主語は「もの(存在者)」であり、「もの(存在者)」が「ある(存在する)」ということであるように、その述語自動詞の単なる名詞形「存在」も、「もの(存在者)」の「存在」ということであって、まさか「存在」の存在ではない。「存在」は存在しない。ただの言葉にすぎない。「ある(存在する)」のはあくまで「もの(存在者)」であって、「存在」ではない。存在する「もの(存在者)」には実体があるが、存在しない「存在」にはいかなる実体もなく、いかなる神秘も謎もないのである。

 プラトンは「ある(存在する)」や「存在」という言葉のみに拘って、その言葉の意味を求めようとしたとき、その言葉の外部の現実の外界に存在するすべての「もの(存在者)」を捨象して、「ある(存在する)」や「存在」という言葉のみについて考えようとしたため(ここに彼の最大の間違いがある)、「ある(存在する)」や「存在」という言葉がどういう意味なのか分からなくなって「途方に暮れて」しまったのであり、「もの(存在者)」(の存在)の認識が思弁によるものではなく、感覚に基づくものであることを理解できなかったのである。

たとえば猫という動物を認識するのに現実の猫を無視して「猫/ネコ」という言葉のみに拘っているかぎり猫がどんな動物かを決して認識できまい。言葉の外部の現実に存在する猫に接すれば、猫がどんな動物かは一目瞭然であろう。

 

「言葉を、その外部の志向性を無視し、その言葉そのものの内部で研究することは、心理的経験を、その経験が向かい、その経験を規定する現実から抽象して研究することが無意味であるのと同様に、無意味なことである」(バフチン)

 

バフチンはここでは「心理的経験」について述べているが、「感覚的経験」についてもほぼ同じことが言いうる。「もの(存在者)」や「ある(存在する)」についての認識は「感覚的経験」によるものである。「もの(存在者)」を見たり、「もの(存在者)」に触れたりして、感覚で感知することを以て「ある(存在する)」と言うのである。大木を見れば、「あそこに大木がある(存在する)」と言い、熊を見かければ、「あそこに熊がいる(存在する)」と言ったりするのであり、それだけのことである。これをプラトンは認識できなかった。当然である。「ある(存在する)」や「存在」という言葉のみにとらわれて、その言葉の外部の現実の事象や「もの(存在者)」をすべて捨象して「ある(存在する)」やその動詞を単に名詞化した「存在」という言葉のみにとらわれてしまったからである。「ある(存在する)」やその単なる名詞形にすぎない「存在」という言葉のみにとらわれ拘って、その言葉の外部の現実世界における無数の「もの(存在者)」を捨象し、無視してしまったからである。ここにこそプラトンの根本的な方法上の誤りがあるのである。

「ある(存在する)」という動詞や「存在」という名詞の言葉はいずれも「もの(存在者)」について言いうる言葉である。「もの(存在者)」が「ある(存在する)」のである。「もの(存在者)」の「存在」なのである。の外部の現実、具体的には現実の外界におけるあらゆる「もの(存在者)」を捨象して、いわばまったく「もの(存在者)」がないのと同じ状態において、「ある(存在する)」や「存在」という言葉の意味を求めようとしたため、その言葉がどういうことを言っているのか分からなくなって、「途方に暮れて」しまったのである。まったく「もの(存在者)」がないのに、「ある(存在する)」や「存在」という言葉を一体何に適用すべきなのか分からなくなってしまうからである。

遠方に山を見れば、「あそこに山がある(存在する)」と言い、大木を見れば、「向こうに大木がある(存在する)」と言い、熊を目にすれば、「あそこに熊がいる(存在する)」と言い、暗闇や泥沼で何かに触れれば、「ここに何かある」とか「いる」と言うのである。つまり感覚で「もの(存在者)」を感知した場合に、「ある、いる、存在する」と言うのである。無論、「ある、いる、存在する」のは「山」や「川」や「大木」や「熊」やその他無数の「もの(存在者)」であり、「もの(存在者)」が存在するのであって、「存在」が存在するわけではない。「存在」は「ある(存在する)」という自動詞を名詞形にしたもので、単なる言葉にすぎない。この簡明なことが分からぬ者は「存在」という単なる言葉を何かしら実体を有するかのように妄想しがちになろう。実体を有するのは「山」や「海」や「大木」や「犬」や「熊」やその他無数の「もの(存在者)」であって、「存在」ではないのである。

「ある(存在する)」という言葉は「もの(存在者)」を主語とする述語動詞であり、この述語動詞を単に名詞形にしたのが「存在」という言葉にすぎない。だから「存在」という言葉も「もの(存在者)」を主語とする述語的な意味を有しているのであって、「存在」とは「もの(存在者)」の「存在」に他ならない。、「存在」とは「もの(存在者)」について言われる言葉であり、「もの(存在者)」がなければ「存在」という言葉をどこにも適用することはできない。単独では成り立たない言葉なのである。

外界に属して、絶えず無数の「もの(存在者)」に囲まれ、いろいろな「もの(存在者)」に絶えず接して暮らしているわれわれは、山を見れば、「あそこに山がある」と言い、遠くに大きな木を見れば、「あそこに大木がある」と言ったり、熊を見かければ、「あそこに熊がいる」と言い、暗闇で何かに触れれば、「ここに何かある」とか「何かいる」と言ったりするのである。つまり、見たり、触れたり、感覚で「山」や「川」や「大木」やその他諸々の動植物や無機物など、要するに言葉の外部の現実の外界におけるあらゆる「もの(存在者)」を感覚で感知する場合に、われわれは「ある(存在する)」とか「いる(存在する)」と言うのである。つまり、「ある(存在する)」という言葉はその言葉の外部の現実の外界における「山」や「川」や「大木」や「椅子」など、要するにあらゆる「もの(存在者)」を感覚で感知する場合に言われる言葉であり、「もの(存在者)」を主語とする述語動詞であり、その述語動詞を名詞形にしたのが「存在」という言葉なのである。言葉の外部の現実の外界におけるあらゆる「もの(存在者)」が「ある(存在する)」のであり、「ある(存在する)」のは「存在」は存在しない。であって、「存在」が「ある(存在する)」のではない。「存在」は存在しない。

「存在」は存在しない以上、いかなる実体も有しはしないのであり、実体を有するのは「もの(存在者)」のほうであって、「存在」では決してない。プラトンは「存在」という言葉のほうに拘って言葉の外部の現実世界の「もの(存在者)」を事実上捨象してしまったため「途方に暮れて」しまったのである。どうも彼は「もの(存在者)」に対する意識や関心が非常に低いようである。「もの(存在者)」に対する意識や関心が低いという点ではアリストテレスも同様で、彼にいたっては「存在」が実体を有するようなことを言っている(『形而上学』)。これも「もの(存在者)」に対する意識や関心が低いかほとんどないためではないかと思われる。これはどうも彼らが使っていた古代ギリシャ語の特徴的な「欠陥」のせいではないかと推測されるのである。 

 

「よく言われることだが、古代のギリシア語には、ラテン語のresや英語のthingに当たる名詞、つまり客体的な物を指す名詞がなく、あるのはpragma(プラーグマ、道具)という言葉だけである」(木田『ハイデガー『存在と時間』の構築』)

 

こうした古代ギリシャ語の特徴的かつ重大な「欠陥」のため、プラトンやアリストテレスは「もの(存在者)」に対する意識や関心が希薄であり、現実に存在する「もの(存在者)」よりも「存在」という単なる抽象的な言葉にすぎないものを重視してしまったのであり、特にアリストテレスにいたっては、実体を有する「もの(存在者)」の代わりに、「存在」という単なる言葉にすぎないもののほうに実体を移してしまった感がある。つまり、「もの」がほとんど考えられておらず、代わりに重視される「存在」という言葉のほうに、本来「もの」にあるべき実体が、「存在」という単なる言葉にすぎないものに移されてしまったのではないかと思われる。「もの」が考えられていない分、重視され、関心を持たれている「存在」という言葉のほうに実体があるように思い込んだのかもしれない。くどいようだが、「もの」が存在するのであって、「存在」は存在しないのである。「存在」などどこを探したって見つかるものではない。

「存在」は存在しない。存在せず、何の実体もない「存在」に何らの神秘も謎もありはしないのである。まったくの馬鹿げた妄想にすぎない。

「無」についてもまったく同じことが言いうる。「無」は存在しない。「無が無化する」(ハイデガー)などと言うが、単なる言葉にすぎない「無」があたかも「もの(存在者)」を無にするような力やエネルギーでも有する実体のようにみなしているのである。力やエネルギーをもつ「無」など決してあるものではない。いかに馬鹿げた虚妄の考えであるかが分かるであろう。

「存在(有)」についてもまったく同じことが言いうる。「存在(有)が存在化(有化)する」などと妄想しがちになる。単なる言葉にすぎない「存在(有)」をあたかも力やエネルギーを有する実体のようにみなしてしまうのである。力やエネルギーを秘めているのは現実に存在する「もの(存在者)」であって、単なる言葉にすぎない「存在(有)」ではない。そんなことはアインシュタインの有名な公式を引き合いに出すまでもなく明らかなことであろう。

 

日常生活ではプラトンも目の前にある(存在する)料理を何の疑いもなく食べられるのは、外界に存在する料理と同じくプラトン自身も外界に存在しているからであり、いずれも同じ外界における同じ存在者であるからこそ互いに接触しうるのである。かように外界に存在する万物はわれわれ人間も含めてすべて連続的に繋がっているのである。逆に言えば、われわれが外界に存在するすべてのものに接触できるのはわれわれ自身も同じ外界に存在しているからこそである。この世界に、この宇宙に、存在するすべてのものは連続的に繋がっているのである。

「もの(存在者)」に出会うのに言葉を通過する要などまったくない。われわれは日常生活で絶えずあらゆる「もの(存在者)」に出会い接しているのである。むしろ「もの(存在者)」に出会ってからその「もの(存在者)」を他と区別したり、その存在を伝えるためにこそ言葉を要するのだ。たとえば「宇宙線」という言葉から宇宙線なるものの意味が生じるのではない。宇宙線なるもの、宇宙線を意味するもの、その存在の認識や感知から、それを伝達、記録、記憶するためにこそ「宇宙線」という言葉が生み出されるのである。「宇宙線」という言葉が作り出される以前に、宇宙線なるもの、宇宙線を意味するものはすでに存在しているのであり、その存在を認識してから「宇宙線」という言葉が作られるのである。「宇宙線」という言葉を通過する前にすでに宇宙線を意味するもの、宇宙線なるものに接しているのだ。無論、われわれが宇宙線を認識する前から宇宙線なるものはすでに存在していたのであり、すでに存在していたからこそわれわれに認識され命名されるようになったのである。

「言葉は存在の住処である。・・・・・・言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く」(ハイデガー)などまったくの馬鹿げた戯言であり、「言葉いじり」や「言葉の遊戯」に終始する鈍物イカサマ師の妄想にすぎない。言葉というものの基本的性質すら分かっていないのである。驚くべきことである。「もの(存在者)」に接するのに言葉などまったく要しないのである。言葉に「存在の住処」などまったくありはしないのである。言葉を住処にしているのはわれわれの概念にすぎない。「もの(存在者)」の存在は言葉にはるかに先立っており、言葉や概念の外にしか「もの(存在者)」は存在しないのである。初めに言葉なし。

宇宙線の存在を認識しうるのは人間だけであるにせよ(無論、必ずしもそう断言しうるとはかぎらぬが)、人間がその存在を認識する以前に、宇宙線なるものはすでに存在しているのである。人間(の認識)の有無にかかわらず「もの(存在者)」はすべて存在している。宇宙線が人間による認識を待ってから突如存在するようになるわけがあるまい。人間にとって既知だろうと未知だろうと「もの(存在者)」は存在している。人間が認識して初めて何物かの存在が生じるなどというものではない。

ところがハイデガーはしたりげに「現存在が存在を了解するときにのみ存在はある」とか「現存在が存在するかぎりでのみ存在はある」などと言う。では、「現存在が存在を了解」しなければ「存在はない」のか。これこそ存在認識あっての存在という観念論哲学の転倒した存在論の単なる蒸し返し以外の何ものでもなく、こんな旧態依然の愚かな存在論を未だに崇め奉っているとすれば驚くべき馬鹿馬鹿しさである。「もの(存在者)」の存在は「現存在」の内界の考えに何ら依存するものではない。「ある」や「存在する」という言葉はフィクションや御伽噺においてもいくらでも自由に使われるのだから、そうした言葉の虚実(カントの言うrealか否か)を考えずに「ある」や「存在する」という言葉のみをいくら論おうと、虚構の(realでない)「ある、存在する」も現実の(realな)「ある、存在する」もまったく区別できないのである。

カントはそうした虚実の区別を内界における想定や想像に基づく分析的命題の虚の(realでない、現実的実在的でない)「ある(存在する)」と外界における現実の経験に基づく総合的命題の実在的(real)な「ある(存在する)」という形で示したのだが、驚くべきことにハイデガーはそれをまったく理解できないのである(カントの言うrealRealitätに対してハイデガーが『現象学の根本問題』で示した頓珍漢極まりない曲解愚解を見よ! カントが言ってもいないことやカントの説に反することを「カントによれば」などと己の愚説を正当化するために何度も繰り返し言っている。 まったく呆れた鈍物イカサマ師である。カントが知ったら怒り心頭であろう)。彼の存在論は、言葉の虚実(realであるか否か、外界における現実の経験に基づいているか否か)をまったく弁えず、先哲の曖昧多義的な「ある」や「存在」という言葉に幻惑され、現実的実在的(real)な存在をまったく認識していない者の何やら尤もらしく見せかけた空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にすぎず、事象としての現実の「もの(存在者)」の真相や実相や真実をまったく認識していない虚妄の存在論にすぎない。ハイデガーの言う「存在はある」は「存在という言葉や概念がある」にすぎまい。要するに彼は単なる想定や概念上のものにすぎない「ある、存在する」(つまり分析的命題の「ある、存在する」であり、これは「realな述語ではない」)も現実的な経験判断による「ある、存在する」(つまり総合的命題の「ある、存在する」であり、これは「realな述語」である」)もまったく区別できないのであり、ただ単に「存在(ザイン)」という言葉一般(しかも繋辞のザインも「存在(する)」と同列にみなして論じているのだから話にならぬ)を相手にしているにすぎないのである。

 

「実在の事物があり、その性質はわれわれの考えにまったく依存しない」(パース『論文集』)。

 

まったく当たり前のことである。実在の事物はわれわれの存否に関わりなくあるからである。

同じことをフッサールが言うと、こうなる。

 

「存在するものはすべて、最も広い意味においては、《それ自体において》存在しているのであり、個々の作用において私に対して存在することは、存在するものにとっては偶然的なことである」(フッサール『デカルト的省察』)

 

「実在の事物」は外界に属し、「われわれの考え」はわれわれ人間の内界に属する心的活動にすぎない。現実に存在する事物は人間の思惑に何ら左右されるようなものではない。もし現実に存在するものが人の思惑に左右されるとしたら、思惑は人によってさまざまなのだから、現実に存在するものが人によってあったりなかったりしてしまうことになろう。そんな馬鹿げた荒唐無稽なことは決してありえないのである。そのものは現実に存在している以上、誰にとっても、犬や猫にとっても、昆虫にとっても、石ころや草花にとっても、存在しているのである。その存在に人間やその他の動物が気づこうと気づくまいと外界における存在にとっては何の関係もないのである。たとえば蝶や蜜蜂の認識する世界は人間が認識する世界より狭小にしても、すべての生物はいずれも共通の外界に属し生きているのである。だから昆虫だろうと人間だろうと、さらには生命体ならぬ石ころだろうと、すべて等しく宇宙線を浴びているのであり、広大無辺の世界ないし宇宙の影響を受けているのである。宇宙線の存在を知ろうと知るまいと関係なく、みな等しく宇宙線に貫かれているのである。万物はすべて共通の同じ世界に宇宙に属しているからである。

人間がいなければ外界の事物の存在はないなどというものではない。人間が認識していないかぎり事物の存在はないなどということはない。外界に存在するものが人間による認識を待ってから存在するようになるわけがあるまい。人類出現以前の世界に恐竜が存在していたし、彼らはお互いの存在を認識していたはずであり、人間がいない世界でも恐竜が存在していたことは確実である。無論、そういうことは化石などから、人間には事後的な考究により認識されることであるにせよだ。そんな人間の側の事情などは外界の存在にとっては何ら関知関与するところではないのである。ただ人間の側から言いうることは、恐竜の生態や形態の詳細は不明でも、化石から知りえたことからかつて彼らが地上に存在していたということは事実として確定される、ということにすぎない。無論、恐竜の存在には世界の存在が絶対的前提である。

生命を生み出す世界環境が整って、まず原初的な生命体が生み出され、悠久の進化過程を経て人類が出現するに至ったのであり、世界の存在は人間存在の絶対的前提であり、絶対的条件である。

外界の事物の存在は人間や人間の認識から完全に独立し、先行しているのである。もしそうでないとしたら、われわれが死ねば何も認識できなくなると同時に、われわれの外部のすべての存在者の存在がなくなり、全世界が消え去ることになるが、そうした常識以下の頓珍漢な観念論哲学の存在論は人間の主観的な認識と外界の客観的な存在が常に分かちがたく結び付いていると信じ込んでいるのである。そこで己の認識がなくなれば外界もなくなるものと思い込むわけである。消滅するのは当人の生命やそれに基づく当人の内界の認識や考えや意識のみであって、外界の存在ではない。

頭の中で思う「饅頭」は単なる思いや観念や概念であって、実在の饅頭は外界にしかない。饅頭を思う当人が死ねば、消滅するのは饅頭についての当人の思いや認識や意識であって、外界にある現実の饅頭ではない。かように外界に存在する物は人間の認識の有無にまったく関わりなく存在するのである。要するに個々人のさまざまな思いや考えや認識には何ら関わりなく世界は存在しているのである。外界の存在は人間の認識などまったく要しないのであり、人類出現以前に地球は存在していたのであって、このことを人間はしかと認識しなければならないのである。自分が死ねば世界も消滅するなどということは決してありえないのである。消滅するのは当人の生命とそれに基づく当人の内界における世界認識だけであって、外的世界の存在ではない。もしも人が死ねば外界の事物も消滅するとしたら、誰も死後に己の遺産を相続させる必要などあるまい。

たとえば恐竜の化石は最初に発見されるまでは誰もその存在を知らなかったわけだが、人間に存在を知られる前から存在していたことは確実である。人間のほうでは存在を知らない以上存在しないも同然と思いたがるわけだが、そんな人間の側の勝手な思惑など外界の存在にとっては何ら関知関与することではないのである。外界の存在は人の認識の有無とは何の関係もないのである。人に認識されようとされまいとあるものはあるのであり、ないものはないのであり、あるからあると感知し、認識しうるのであって、決してその逆ではないのである。

こうしたまったく疑う余地のない当たり前のことや確たる現実の事象を考究することにこそ認識のコペルニクス的転回の鍵があるのだ。光速度不変という厳然たる事実に基づく思考実験による熟考から特殊相対性理論が生まれたように。外界の事物の存在は人間の思惑や評価や認識に何ら左右されるものではなく、人間から絶対的に独立しているのである。進化した猿の思惑にはまったく関係なく象やライオンも存在している。地球や銀河も存在している。「地球」とか「銀河」とか「ライオン」という人間が与える名称などはそれらの存在自体にとっては無論どうでもいいことである。人間によるそれらの認識や命名に先立ってそれらはすでに存在しているのである。外界における「もの(存在者)」の存在は内界における存在認識に先立つ。「もの(存在者)」の存在あっての存在認識であって、存在認識あっての存在ではない。存在が主で、存在認識は従なのである。あるから「ある」と感知認識しうるのであって、「ある」と感知認識するからあるのではない。「もの(存在者)」の存在から存在認識が生じるのである。これをまったく逆に考えるのが観念論哲学の存在論なのである。存在を認識するから存在が生ずるのではない。そんな馬鹿げたことなど決してありえない。存在認識が存在に先立つことなどありえない。まだ何ら存在しないうちからどうして存在を認識できようか。存在認識に先立って「もの(存在者)」は存在しているのである。あるから「ある」と赤ん坊でも容易に分かるのであって、「ある」と分かるからあるのではない。

「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」とか、「現存在が世界を生起させる」などというのは、まったく転倒した考えである。「現存在」の内界の心的操作や工夫から存在を捻り出そうというのである。それは御伽噺の魔法使いの存在論にすぎない。ハイデガーの「現存在」は決して人間ではなく、御伽噺の魔法使いであり、彼の存在論は畢竟は御伽噺の魔法使いの存在論にすぎない。赤ん坊は「もの(存在者)」が「ある」という状態を絶えず目にしているから、「ものがどこからともなく現われたり消えたり、別の個体を突き抜けたり、支えらしいものが見えないのに宙に浮いたりすると、びっくりする」(ピンカー)のである。あるから「ある」と認識するのであり、「ある」と認識するからあるのではない。あるは「ある」の認識に先立つ。「ある」の認識があるに先立つわけではない。「ある」の認識があるに先立つとしたら、まだ何らのものもあらぬうちから、どうして「ある」の認識が生じようか。

たとえば寝室にベッドがあることは誰でも容易に確認できるから、人は当然のようにベッドに横たわって眠るのである。眠っている間はまったく無意識無感覚でもベッド自体は依然として存在している。睡眠中も、またたとえ当人が亡くなっても、外界にあるベッドの存在自体はまったく不変であり、その間も無論ベッドは依然として存在し、そこに横たわっている者を生死にかかわらず支えている。このまったく当たり前の厳然たる現実の事象としての存在が意味するところを徹底的に熟考することが決定的に肝心である。要するに外的世界のベッドの存在そのものは人間の内的な思いや感覚や認識から完全に独立しているということである。寝ている間はまったく何らの意識や認識や感覚がなかろうと、外界にあるベッドの存在自体はまったく不変である。だから翌朝目覚めても同じベッドの上にいるわけである。数時間の無意識の睡眠中もベッドが存在していたことはまったく理の当然として誰でも容易に知りうるのである。つまり感官による直観が働いていようといまいとまったく関係なく外的事物が存在していることは誰でも容易に知りうるのである。感官が目覚めている間だけ外界の存在があるわけでは決してないのである。

かように外界の事物の存在は人間の内的などんな思いや認識や感覚からも先立ってまったく独立しているのである。それが誰にも、赤ん坊にも、犬猫にも、虫けらにさえも、まったく自明な現実の存在というものなのである。ひとたび物の存在が確認されれば(無論、誰に確認されようとされまいと存在にとってはまったくどうでもよいことだが)、その物の存在を認識する者がたとえいなくなろうと、その物の存在にとっては何ら関わりないのであり、その物はとにかく一定期間は存続しているからである。だから漱石も空海もプラトンも無数の無名の過去の人々も、さらには人類出現以前の三葉虫や恐竜やその他絶滅した動植物も、かつて一定期間は存在していたことは確実なのである。かように外界は客観的に存在していることが知れるのである。

分かり切ったことを何度も言うようだが、栗鼠だって団栗がしばらくの期間は存在し続けることを知っているから団栗を保存しておくのである。栗鼠が隠した団栗の存在を忘れてしまっても、団栗自体はそんなことにはまったくお構いなく無論変わらずその場に存在している。栗鼠に知られようと知られまいと、そんな栗鼠の内界の状態にはまったく関係なく、外界にある団栗の存在自体はまったく不変である。無論、その団栗は栗鼠に見つかる前から存在していたことは確実である。すでに存在していたからこそ栗鼠は見つけることができたのであって、栗鼠が見つけてからその団栗が存在するようになるわけでは決してない。存在を認識してから存在が生じるわけではない。そんな理不尽な荒唐無稽なことは決してありえない。あらかじめ存在していればこそその存在を認識できるのである。存在は存在認識に先立つ。

あらかじめあるからあると認識できるのであって、あると認識するからあるのではない。つまり、「ある」や「存在(する)」が、存在認識に先立っているからこそ、「ある」や「存在(する)」を認識できるのであって、決してその逆ではない。もし存在認識が存在より先行していたら、誰も存在を認識しようがあるまい。まだ何らの存在もないのにどうして存在認識が生じようか。認識される前から存在していればこそその存在を認識できるのである。まったく当たり前のことであり、理の当然である。人間は「もの(存在者)」の存在を認識するのであって、その存在認識が「もの(存在者)」の存在を生み出すわけではない。人間が生み出すのは「存在」という言葉や概念にすぎない。認識を主とみなし、存在が認識に従属するとか、認識が存在を生み出すようなことをいう存在論は、すべて最も愚かな間違った観念論哲学の存在論にほかならないのである。観念や認識はあらかじめ存在するものを単に認めるだけであって、存在に先立つわけでも、存在を生じさせるわけでもない。存在は認識に影響されることなどない。まったくその逆なのである。何度も言うように、あるから「ある」と感知し、認識するのであって、「ある」と感知し、認識するからあるのではない。あるの事象に対して「ある」の認識が生じ、その事象を表現するために「ある」という言葉が生み出されるのである。

そもそも何かを認識するためには認識する者自身がまずあらかじめ存在していなければならない。認識する者が存在しないで、認識だけが虚空に漂っているなどということは決してありえないのである。そして認識者が存在するためにはそれを支える世界が存在していなければならない。かように世界の存在あっての認識者の存在であり、認識者の存在あっての存在認識なのである。つまり存在あっての存在認識であって、存在認識あっての存在ではない。存在は存在認識に先立つ。もしも認識のほうが存在に先立つとすれば、まだありもしない存在を認識しようがあるまい。

存在あっての存在認識であって、存在認識あっての存在ではない。観念論哲学の存在論はまったく逆であって、存在認識あっての存在という考え方なのである。存在認識が存在に先行するという考えなのである。認識が主で、存在が従なのである。だから認識者が死んで、認識や意識が消滅すれば、一切の存在も消滅すると考えるのである。認識する者がいなくなれば、外界も消滅するとみなすのである。それほど間違った考えはないのである。人が死んで消滅するのは当人とその内界のみであって、外界は何ら影響をこうむることなく存在し続けるのである。

たとえば一匹の栗鼠に見つけられた団栗は、他のすべての栗鼠に見つけられなくてもそこに存在しているのである。さらに言えば、その団栗は最初に発見した栗鼠がたとえいなかったとしてもそこに存在していたのである。誰に知られなくてもその団栗はそこに存在していたのである。存在は認識の影響などまったく受けない。存在は何ら認識に左右されない。認識者が栗鼠だろうと人間だろうとこうした事情に何ら変わりはないのである。栗鼠や人間に記憶または認知されようとされまいと外界の事物の存在はまったく何らの影響も受けやしないのである。生物の内的な思いや感情や認識がどうであろうと、外界の事物の存在は寸毫も変化をこうむることはないのである。存在は存在認識に先行する。存在のほうが先行しているからこそ栗鼠や人間などすべての生物はものの存在を感知し、認識できるのであって、認識してから「もの(存在者)」が存在するようになるわけではない。まったく当たり前のことである。存在は認識に完全に先立っているのである。存在あっての存在認識であって、存在認識あっての存在ではない。

ハイデガーの「現存在が存在を了解するときにのみ存在はある」とか「現存在が存在するかぎりでのみ存在はある」などというしたりげな考えほど転倒した間違った馬鹿げた考えはないのであり、「もの(存在者)」の存在は何ら認識に従属するものではないのである。ハイデガーの考えだと、「現存在が存在を了解」しないかぎり存在はないことになる。「もの(存在者)」の存在は現存在に了解されようとされまいと何ら影響されやしないのである。恐竜の化石を発見したから恐竜の化石が存在するようになったわけでは決してない。人間に発見される前から恐竜の化石が存在していたことは理の当然として容易に分かろう。人間は恐竜の化石の存在を知るようになっただけであって、その存在を外界に生じさせたわけではまったくない。存在認識から存在が生じることなど決してありえないことである。存在認識は存在でも存在創造でもないのである。「もの(存在者)」の存在は認識されたからあるとか、認識されないからない、などというようなものでは決してない。人間の側の御都合で「もの(存在者)」が存在したりしなかったりするものではないのである。

要するに、外界すなわち世界はあらかじめ与えられており、そこになぜか生命体が生じ、繁殖してきたのであって、あらゆる生物は与えられた外界の存在を認識しつつ進化してきたのである。観念論哲学の存在論はまったく逆の考え方であり、認識や観念が存在に先立ち優先するという考えであり、だから人が死んで認識が消滅すればそれに伴って世界の存在も消滅すると思い込んだり、主張するわけである。外界の存在は生物の内的な思いや認識や観念の有無に何ら左右されやしないのであり、そんなものとまったく無関係なのである。これが存在というものの絶対的な性質なのである。

存在は存在認識に先立つ。存在は存在認識に優先する。存在は認識に左右されない。存在は認識に従属しない。存在は認識に依存しない。むしろ認識が存在に依存し、従属しているのである。観念論哲学の存在論はまったくその逆で、人間の認識や観念あっての外界の事物の存在という考えなのである。認識がなくなるのに伴って存在もなくなるという考えなのである。真実はまったくその逆なのである。ハイデガーの「現存在が存在するかぎりでのみ、存在はある」とか、「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」などという考えは、人間が存在に先立ち優越するという人間中心的な観念論哲学の存在論にすぎないのである。ところがこんなことを言う人もいる。

 

 「ハイデガーは人間を本来性に立ちかえらせ、本来的時間性にもとづく新たな存在概念、おそらくは《存在=生成》という存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権することによって、明らかにゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていたのである」(木田元『ハイデガーの思想』)

 

一体、「人間を本来性に立ちかえらせ」とはどういうことか。「本来的時間性にもとづく新たな存在概念」とは一体どういうものか。そもそも「本来的時間性」とは一体何なのか。それに「もとづく新たな時間概念」とは? 「《存在=生成》という存在概念を構成し」とは一体何事か。存在は生成なのか。「存在」は「ある、いる、存在する」という動詞を名詞化した単なる言葉ではないか。邪悪なエゴに凝り固まったようなヒトラーやナチズムを賛美したハイデガーが一体どうやって「人間中心主義的文化をくつがえそうと企て」ていると言えるのか。そもそも「現存在が存在するかぎりでのみ、存在はある」とか、「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」などという考え自体が、まったく馬鹿げた人間中心主義の考えそのものではないか。存在は人間の了解を俟って生じるようなものではないのである。ハイデガーは妄想的な観念論(いわば「素朴観念論」)を一歩も出ていないのである。

存在(無論ここで言う「存在」は何らかの「もの」の存在、存在者の存在ということであって、「もの(存在者)」と切り離された単独の「存在そのもの」や「存在自体」などというようなものではない。それは単なる言葉にすぎず、何ら実体のない虚無、虚妄にすぎない)は人間の側の都合であったりなかったりするようなものではない。存在はそんなものとはまったく隔絶しているのである。これが存在というものの絶対的性質なのである。

存在というものはあるからあると認識しうるのであって、認識するからあるわけではない。存在は認識に先立っているからこそその存在を認識できるのであって、認識しないからないなどというようなものではない。認識されなくても存在しているものはいくらでもあるのである。世界には人間にとって未知の存在はいくらでもあるのであり、人間に知られないからないなどというものでは決してないのである。存在は人間を含むあらゆる生物の内的な思いや認識や観念から完全に独立しているのである。これこそ存在というものの真の性質なのである。

たとえば誰かが恐竜の化石を発見すれば、その化石はそこに存在していることは自明であり、確実である。他のすべての人々がその化石の存在を知らなくとも、その化石は確実に存在しているのであり、言葉などで伝達することによって、やがてすべての人々がその化石の存在を認めることになるはずである。しかし、その化石は最初の発見者がたとえいなくとも存在していたわけである。誰にも発見されないうちから存在していたのである。その化石はかつては地中深くに存在していて、何らかの原因で地上に現われて発見されたのかもしれぬが、無論誰にも知られぬまま地中に埋まっていた時にも存在していたことは確実である。地中深くに埋もれていた化石は誰にも未知のまま存在していたが、やがて人間にとって既知の存在になるわけだが、「未知」だとか「既知」だとかは人間の側からの勝手な見方、言い分にすぎず、その化石はそんな人間の御都合や思惑にはまったく関係なく存在しているのである。

かように外界つまり時空世界の存在物は生物にその存在を認識ないし知覚されようとされまいと何ら関係なく存在しているのであり、かかる洞察こそ存在論における決定的に重要なことなのであり、爾余のことは存在論としてはすべて些末なことにすぎない。

初めにビッグバンがあったかどうかはともかく、まず世界(宇宙と言ってもいい)が存在した。その世界にやがて地球と称される星が形成され、そしてさらに生命の素となるような物質を含んだ隕石などが飛来したためか、地球上にまず原初的な生命体が出現し、そして地球上の環境を最適のものと見出した多種多様な無数の生物が繁殖し、その中からやがて人間も進化の過程を経て現在に至ったのである。かように全生物は世界の存在に完全に依存して生きているのであるが、世界の存在はどんな生物にも何ら依存しておらず、世界にとっては生物が存在しようとしまいと何ら関知関与するところではない。生命出現以前にも世界は存在していたのであり、また全生命絶滅以後も世界は存在しているはずである。

観念論哲学の存在論とは要するに人間(の認識や観念)中心の考え方であり、だからわれわれが死ねば何も認識できなくなると同時に、われわれの外部のすべての存在者の存在がなくなり、全世界が消え去るなどという馬鹿げた考え方をするわけであり、つまりわれわれの内的な認識あっての外界の存在であると思い込んでいるのである。真実はまったくその逆なのである。認識のほうが存在に依存しているのであって、存在は認識に何ら従属してはいないのである。認識は存在を見出すにしても、決して存在を生み出すわけではない。「存在」という言葉や概念を生み出すだけにすぎない。この言葉や概念に誑かされるのだ。認識は外界の事物の存在を認識するが、存在認識と存在を混同してはならない。われわれが死んで消え去るのはわれわれの認識や意識のみであって、つまりわれわれの内界における心的活動のみであって、外界の存在が消滅するわけではない。もし外界の存在を認識する者が死ぬたびに外界も消滅するとしたら、世界はいくつあっても足りまい。真実はまったく逆なのである。何度も言うようだが、存在認識あっての存在ではなく、存在あっての存在認識なのである。このまったく当たり前のことこそ存在論における決定的に重要な真理であり、最重要の洞察なのである。存在がなければ何もないのであり、無論何らの認識もありえないのである。存在は認識に先立つ。認識は存在に依存しているのであって、存在は何ら認識に依存してはいないのである。

存在を認識しないかぎり存在はないなどという考えほど愚かな馬鹿げた人間中心的な考えはないのだ。そんな考えはカント以前(とはいえカント自身にもまだ曖昧な不徹底な部分はあるが)の観念論哲学の虚妄の存在論にすぎないのである。一切の存在物は生物に認識される以前から存在しているのである。サルトルは人工物については「本質は存在に先立つ」と言ったが、時計や自動車などのすべての人工物も、すでに外界に存在しているさまざまの物質を加工合成して作られた物にすぎず、かようにどんな人工物も外界の事物の存在に完全に依存しているのである。

サルトルは「存在」と「本質」の関係について次のように言う。

 

「たとえば書物とかペーパーナイフのような、造られた物体を考えてみよう。この場合、この物体は、一つの概念を頭に描いた職人によって造られたものである。職人はペーパーナイフの概念にたより、またこの概念の一部をなす既存の製造技術――結局は一つの製造法――にたよったわけである。したがってペーパーナイフはある仕方で造られる物体であると同時に、一方では一定の用途を有してもいる。この物体が何に役立つかも知らずにペーパーナイフを造る人を考えることはできない。ゆえにペーパーナイフに関しては、本質――ペーパーナイフを製造し、ペーパーナイフを定義しうるための製法や性質の全体――は存在に先立つと言える」(サルトル『実存主義はヒューマニズムである』)

 

ペーパーナイフや自動車などの人工物の「本質は存在に先立つ」といっても、そうした一切の人工物もすでに外界に実際に存在している物質や材料を利用して作られた物にすぎず、いくら人工物の「本質」を考えようと、単に考えるだけではどんな人工物も外界に存在させることはできないのである。それを存在させるには外界にあらかじめ存在している種々の原材料を利用するしかないのである。かように外界に働きかけ、外界に既存している物質を利用しないかぎり、どんな人工物も存在させることはできないのである。いくら「本質」を考え出そうと、そこから「存在」が生じることなど決してありえないのである。外界における原材料の「存在」に基づいて「本質」が考え出されるにすぎないのである。したがって人工物の場合も畢竟は「存在は本質に先立つ」のである。

猿やモモンガも木や枝の存在をまったく自明のものとして即座に認識するから木から木へ飛び移り、枝から枝へと次々に移動できるのである。生物にとって外界の事物の存在はまったく自明なのである。触覚しかない原始的生物だって何かにぶつかればその物の存在を知るのである。その物があるからこそぶつかり、その物の存在を感知するのであって、決してその逆ではない。

認識あっての存在ではない。何らかの「もの」の存在あっての存在感知であり、存在認識なのである。まず「もの」の存在がなければ何もない。まったくの無である。「無である」であって、「無がある」ではない。無はない。無は存在しない。もし無が存在するとしたら、無が存在者ということになってしまうであろう。そんな馬鹿げたことはありえまい。

 

「絶対無すなわち一切の抹消という意味での無の観念は自己崩壊する観念であり、偽の観念であり、単なる言葉にすぎない。・・・・・・〈なぜ何かが存在するか〉という問いは意味を失った問いであり、偽の観念をめぐって提起された偽の問題である」(ベルクソン『創造的進化』)。

 

ところがハイデガーは「無が無化する」などと言う。単なる言葉にすぎない「無」が何かしら「もの(存在者)」を「無化」する能動的な力やエネルギーを有する実体のようにみなしているのである。そんな力やエネルギーを有するものがどうして無でありえようか。単なる言葉にすぎないものがどうして「もの(存在者)」を無化することができようか。詰まらぬナンセンスな「言葉いじり」「言葉の遊戯」以外の何ものでもあるまい。

無が単なる言葉にすぎないと看破していたベルクソンは、当然、有(存在)も単なる言葉にすぎないと認識していたのである。「もの(存在者)」が在る状態や有様を「もの(存在者)」が「ある」とか「存在する」と表現するだけのことである。「有」や「存在」という言葉が「もの(存在者)」を在らしめ、存在させるわけではない。そんな荒唐無稽な馬鹿げたことがありえようか。人間は御伽噺の魔法使いではないのである。

何らかの「もの(存在者)」がなければ何もない。まったくの無である。何の存在もない。存在の認識や感知もない。認識や感知が存在するなら、当然のことながら認識し感知する者自身が前以て存在していなければならぬ。認識し感知する者が存在せずして、認識や感知がただそれ自体だけで存在しうるわけがないからだ。認識や感知は虚空にふわふわと漂っているものではないのである。認識し感知する者が存在するためにはその者を支える無数の事物が前以て存在していなければならぬ。そうした事物やその他の未知のあらゆる事物を包含するものを世界とか宇宙と呼ぶことができよう。世界の存在はまったく自明のことである。

外界を感知ないし認識する生命体が地上に出現する以前にすでに世界は存在していたのである。全生物は世界の存在に完全に依存しているが、世界の存在は生物に何ら依存してはいないのである。無論どんな人間の認識や観念にすら全然依存してはいないのである。

 

 

内界での想像や想定の存在を語る場合にも外界に現実に存在するものを論じるときにも「ある」や「存在する」という言葉を使うことから、またさらにギリシャ語を含む印欧語族に見られるような「存在」を意味する「(が)ある」と何ら「存在」を意味しない繋辞の「(で)ある、です」のいずれをも英語のbe動詞や独語のseinや仏語のêtreなど同一語で表現し、またその動詞の名詞形が「存在」を意味するという言語構造上の特性と相俟って、「ある」や「存在(する)」を意味する多様な言葉がいたずらに錯綜し、不明瞭な錯雑した意味や用法を帯びるに至ったのである。「存在(する)」を意味する完全自動詞の「(が)ある、存在する」と何ら「存在(する)」を意味しない不完全自動詞の繋辞にすぎない「(で)ある、です」を共に存在論の土俵に上げる伝統くらい馬鹿げたものはないのである。言葉が、字面が、同じだから意味も同じだと思い込むのであり、そこで言葉に誑かされる者(たとえばハイデガーなど)がさらにイカサマの言葉で人を煙に巻く(このための言葉の詐術に彼は長けていたようだ)わけでもあるが、主語と述語を結ぶ繋辞「(で)ある、です」を意味するにすぎないseinêtreをも述語の「(が)ある、存在する」とみなして論じる伝統的存在論は、まったく「存在(する)」でも何でもないものを「存在(する)」と思い込んでいるのである。無論、カントは『純粋理性批判』でそんな簡単な区別もできない馬鹿げた過去の伝統的な存在論を根本的に批判したが、そうした愚かな妄想的存在論の頑迷さには彼も手を焼いている。

『純粋理性批判』を読めば分かるように、カントは既存の存在論の問題点を明確に認識していた(但し若干の言葉足らずや説明不足や不備な点はあるが)。既存の存在論の問題点の一つは言うまでもなく繋辞の「(で)ある、です」も存在(する)を意味する述語動詞の「(が)ある」と区別できずに「ある、存在(する)」と思い込んで論じていることである。カントは次のように明確に指摘している。

 

神は全能である(Gott ist allmächtig.)という命題は神(Gottと全能(allmächtigという二つの概念を含み、いずれもその対象を有しているが、この文中の小辞ist(である、です)は述語(ある、存在する)ではなく、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」(『純粋理性批判』)

 

格助詞を有する日本語と違って、多くの西洋語では主語と述語を結ぶ繋辞にすぎない「(で)ある、です」も存在(する)を意味する述語「(が)ある」も、たとえばseinêtreなどのように同じ一語で表現されるとはいえ、繋辞「(で)ある、です」と述語動詞「(が)ある、存在する」の意味の違いを認識しえない信じがたいほど馬鹿げた妄想的な存在論がかつて大真面目に論じられていたのである。ところが驚くべきことに、そんなまったくナンセンスな馬鹿げた妄想的存在論が二十世紀にもなって蒸し返されて、それが絶賛されるという真に異常な事態が生じたのである。これはひとつにはカント以降存在論はほとんど廃れていたため、人々が存在論にまったく不案内だったためもあろう。そのためカント以前の古惚けた伝統的存在論を蒸し返してイカサマの論を意味ありげにでっち上げたにすぎないハイデガーの存在論すらも何か新しい哲学の到来のように勘違いしてしまったのではないかと思われる。

カントが指摘した既存の存在論のもう一つの問題点は、専ら「ある、存在する」という言葉のみを問題にして、「存在(する)」を意味するその言葉が内界における想定や虚構の言葉か、それとも外界ないし現実世界における経験に基づいた現実的実在的(real)な言葉かを区別せずに論じていることである。たとえば御伽噺で、「昔々、ある国に白雪姫という美しい王女がおりました」という文における「ある」や「いる」は虚構であって、現実(real)に「ある、いる、存在する」を意味するものではなく、単に頭の中の想像や想定による架空の「ある、いる、存在する」であるが、一方、外界における経験に基づいて「パリ市内にエッフェル塔がある」というのは言うまでもなく現実(real)に「ある、存在する」を意味しているのである。そうした言葉の虚実(realか否か) を区別せずに(たとえばハイデガーはしきりに「ザイン一般の意味の究明」などと言っているが、そんな考えでは実の(realな)存在も虚の(realでない)存在も区別できず、現実の存在、事象としての存在を認識しようがない。要するに彼の存在論は「ある、存在する」という言葉の虚実の区別も弁えていないのである)、ただ「ある、いる、存在する」という言葉のみをいくら論じたところで、「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にしかなりえないのである。一方の「ある、存在する」はただ作者や読者の頭の中における想定や架空の「ある、存在する」を意味するにすぎず、現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味する述語ではないが、他方の「ある、存在する」は外界という現実世界における経験的判断によるもので、こちらの「ある、存在する」は現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味する述語なのである。カント流に言えば、一方の「ある、存在する」は神の存在論的証明のような分析的命題の述語であり、他方の「ある、存在する」は総合的命題の述語である。こちらの問題点についてのカントの説明は少々複雑で回りくどいが(それは主として彼が「ある、存在する」を意味する動詞のseinexistierenを奇妙にも区別して論じたためであり、また繋辞のseinと述語動詞のseinを別々に論じないで、まとめて一つのseinとして論じたためである)、いずれにせよ彼は「ある、存在する」という言葉の虚実の区別を弁えずに単に「ある、存在する」という言葉一般の意味だけを論じている既存の存在論の無意味さや頑迷さを指摘しているのである。

たとえば中世スコラ哲学の存在論では、繋辞の「(で)ある」は「本質存在」であり、「(が)ある」は「事実存在」である、などという主張もなされたが、これだと主語と述語を結ぶ繋辞のseinに「存在(する)」の意味など全然ないのに「本質存在」とされたり、また、「(が)ある、存在する」を意味する述語のseinについても、御伽噺の「昔々、あるところに妖精たちのお城がありました」の虚構や架空の「(が)ある、存在する」も「事実存在」ということになってしまうのである。つまり実際にはありもしない架空の存在が「事実存在」とされてしまうのである。

外界という現実世界における現実の経験に基づいた判断(これをカントは「総合的判断」と呼ぶ)による「存在(する)」なのか、それとも単に頭の中の思考や想定や想像に基づいた判断(これをカントは「分析的判断」と呼ぶ)による「存在(する)」かによって、realな述語「存在(する)」か否かが区別されるのであって、こうした認識のまったくないのが古代や中世の伝統的存在論なのである。

 

「経験的判断はその性質上すべて総合的である。・・・・・・分析的判断を構成するには私がすでに持っている概念の外に出る必要はなく、したがって分析的判断は経験の証言を要しない・・・・・・。概念は自己矛盾を含まないかぎり常に可能である。・・・・・・それでも概念が空虚なものになる場合がある。それは概念を生み出す総合の客観的実在性(objektive Realität)が証明されない場合である・・・・・・。概念の論理的可能から事物(Ding)の現実的実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない・・・・・・。私が尋ねたいのは、《あれこれの物がある、存在する(dieses oder jenes Ding  existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである。・・・・・・実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である・・・・・・。論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想(Illusion)ははたからの忠告をほとんど聞き入れようとしない」(カント『純粋理性批判』)

 

要するに、簡単に砕いて言えば、外界における主として感覚に基づく経験的判断で、「ある、存在する」と言うのは総合的判断であるが、一方、たとえば神の存在論的証明や御伽噺のように外界における現実的経験でなく単に頭の中の想像や想定によって「ある、存在する」と言うのは現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味するものではない。だから、同じ「ある、存在する」という言葉でも、一方は外界における経験的判断による現実の実際の(realな)存在、実在(Realität)を意味しているが、他方は「経験の証言を要しない」単なる論理的存在ないし想定上の存在にすぎない。一方は現実の経験に基づくレアールな「ある、存在する」であり、他方は現実の経験を要しない概念的な論理上の「ある、存在する」であり、レアールな「ある、存在する」を意味する述語ではない。要するに、一方は現実的実在的(real)な「ある、存在する」であり、他方は単なる想定や概念上の「ある、存在する」であって、レアールな「ある、存在する」ではない。一方の存在は外界における現実の存在であり、他方の存在は頭の中にあるだけの論理的、想定的、概念的な存在である。一方は実の(realな)存在(する)であり、他方は虚の(realでない)存在(する)である。実在の饅頭は実際に目に見え、手に取り、味わい、胃の腑を満たすことができるが、頭の中で思うだけの概念上の「饅頭」は感覚に触れることはできず、現実に存在するものではないから、手に取ることも胃の腑を満たすこともできない。現実の「ある、存在する」は外界という現実世界に属しているが、単に概念的あるいは論理的な「ある、存在する」は内界に観念としてしかないからである。

存在(ある、存在する)を論じるには以上二つの問題点を確実にクリアし、「ある、存在する」を意味する言葉が分析的命題か総合的命題かを区別すべきなのに、ハイデガーの『存在と時間』はこうした問題点をまったくクリアせずに、ただ「ある、存在する」を意味する言葉のみを先哲の言葉をいろいろ引用しながらもっともらしいイカサマの論を展開しているだけであり、まったくナンセンスな「言葉いじり」「言葉の遊戯」にすぎないのである。そもそも彼はカントが明確に指摘した既存の存在論の問題点をまったく理解しておらず、レアールな実の「存在(する)」とレアールでない虚の「存在(する)」の決定的な差異もまったく認識していないのだから当然である。だから彼は畢竟は馬鹿げた観念論哲学の伝統的な存在論を微妙かつ巧妙に形を変えて蒸し返す以外ないのである。

カントが「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである」と言うことの意味をハイデガーがまったく理解できないことは、彼がカントの言うrealRealitätを「実在的」や「実在性」を意味しないなどと愚の骨頂のようなことを言っていることからも明らかである。

繋辞(である)のザインと「ある、存在する」を意味するザインの区別もできずに、「ザイン一般の意味の究明」をしようとするハイデガーの「存在論」がまったくの虚妄の「存在論」にならざるをえないことは最初から分かり切ったことなのである。とはいえ、英語のbe動詞やドイツ語のsein動詞のように「ある、存在する」を意味する言葉と繋辞を意味する言葉が同一語になっている言語を母国語とする読者ほどハイデガーの存在論の方法の馬鹿馬鹿しさに気づきにくいのかもしれない。

要するにハイデガーは、何ら存在(する)を意味しない繋辞の「(で)ある、です」と存在(する)を意味する完全自動詞の述語の「(が)ある、存在する」の区別すらも弁えず、両者をいずれも存在(する)を意味するものとみなし、さらにまた述語の「ある、存在する」という言葉についても、カントが指摘した現実の「ある、存在する」と単に論理上や概念上の「ある、存在する」の違い(レアールな述語か否か)もまったく弁えずに、ただ単に「ある(ザイン)」という極めて曖昧多義的に使われる言葉についてもっともらしい意味ありげなイカサマの空論を展開しているだけなのである。

カントの言う「レアール(real)」が「実在的」を意味することは明々白々であろうが、『存在と時間』刊行後に行なった講義『現象学の根本問題』でハイデガーは、カントの言う「レアール(real)」は「実在的」を意味しない、「事象内容を示す」(これもイカサマ師らしい曖昧模糊たる表現だが)という意味だ、というとんでもない愚説を強弁している。同書を読めば彼の頭の程度は如実に分かるであろう。ところが木田はハイデガーの愚説に感心しているのだからどうしようもないハイデガー盲信者である)

カントが指摘した伝統的存在論の二つの問題点をまったく理解していないハイデガーの存在論は、当然のことながら現実の存在に関わる事象に対する何らの認識も解明もないわけだが、ところが彼は『存在と時間』のなかで、「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら、そ「れは誰よりもE・フッサールのおかげである」などとふざけた戯言を述べている。これにはフッサールも開いた口がふさがるまい。『存在と時間』の一体どこに存在の「根本的探究」や存在の「《事象そのもの》の開示」があるというのか。空疎ナンセンスな「言葉の遊戯」や「言葉いじり」にすぎないではないか。フッサールとしては自分の現象学からこんな空疎で馬鹿げた存在論が書かれたと思われるのは心外であったろう。だから彼は「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と言ったのである。これ以上に簡潔妥当な『存在と時間』評はあるまい。「研究への原動力は哲学説からではなく、事象と諸問題から生じなければならない」というのがフッサールの信念なのである。まったく当たり前のことである。

フッサールは一九二七年に『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の「現象学」の項の執筆を依頼され、ハイデガーを共同執筆者にしたのであるが、結局ハイデガーの原稿をすべて没にし、フッサールは単独で執筆せざるをえなくなったわけだが、その時のハイデガーの原稿の一部を木田が紹介している。ハイデガーは「現象学」についてこう説明している。

 

「プラトンのイデアの露呈も、魂の自己自身との対話(ロゴス)に定位されている。アリストテレスのカテゴリーは、理性の言表的認識作用との関係で生じたものである。デカルトは明らかに、第一哲学を思考するものに基づかしめている。カントの超越論的問題群は意識の領野を動いている。このように存在するものから意識へ視線を転ずるということは、果たして偶然に起こっているのであろうか。こうして意識への還帰の必然性を原理的に解明すること、この還帰の途とその辿り方を根元的かつ明確に規定すること、そして、この還帰において開示される純粋主観性の領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること、これがすなわち現象学である」(木田『ハイデガーの思想』)

 

フッサールが「事象そのものへ!」を掲げ、「研究への原動力は哲学説からではなく、事象と諸問題から生じなければならない」とまったく当たり前のことを言っているのに、ハイデガーは先哲の学説を相手にすることを現象学とみなしているのであり、事象とそこから生じる諸問題などまったく無視されているのである。プラトンからカントまでの哲学史を振り返って、「存在するものから意識へ視線を転ずる」などと単純にみなしているのも問題であるが、「存在するものから意識へ視線を転ずるということは、果たして偶然に起こっているのであろうか」と疑問を呈しながら、次には「こうして意識への還帰の必然性を原理的に解明する」などと今度はそれが必然的なことだと決めつけてしまうのだからいい加減なものである。「そして、この還帰において開示される純粋主観性の領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること、これがすなわち現象学である」と言うが、「存在するものから意識への還帰において開示される」のが「純粋主観性」だとし、そしてこの「純粋主観性」の「領野を原理的に画定し、体系的に踏査すること」などと「原理的」「根元的」「体系的」といった体裁のよい言葉を並べて曖昧だが何となく尤もらしい御託で人を煙に巻こうとする。要するに先哲の言葉を相手にすることを現象学とみなしているにすぎず、こんな現象学などあるものではないフッサールがハイデガーの原稿をすべて没にしたのも当然であろう。ハイデガーの現象学がまったく出鱈目なものであることは『現象学の根本問題』に明々白々に示されている。その点は徹底的に指摘し、暴露すべきであろう。

ところがハイデガー信者の木田はフッサールが没にした彼のブリタニカ草稿についてこんなことを言う。

 

「〈存在一般の意味の究明〉という西洋哲学の根本問題つまり〈存在論〉とフッサールの提唱する〈現象学〉との関係を、これ以上明確に規定することはできないであろう。〈存在〉というものがけっして存在者に属する何かではなく、人間において生起するある働きだということを原理的に説き明かし、その働きを体系的に解明することが現象学の使命だと言っているのである。現象学のこうした理解の仕方は、たしかにフッサール自身の意識にはなかったものであろうが、しかしその発想を解きほぐしてみれば明らかにそこに含意されているのであり、ハイデガーのこの理解はけっして強引でも筋違いでもない」(木田『ハイデガーの思想』)

 

フッサールはハイデガーの「現象学」解説を全否定したからこそ彼の原稿をすべて没にしたのであり、そして彼の『存在と時間』について、「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と言ったのである。それなのに木田は両者の「現象学」についての考えが通底しているようなことを言っている。まったく出鱈目な解説である。

木田はこんなことを言う。

 

「ハイデガーは《存在者の存在は、それ自体、一種の存在者〈である〉のではない》(『存在と時間』)と言う。要するに存在は存在者を存在者たらしめるものであり、それ自体、一個の存在者ではないのだから、それを存在者のあいだに探しもとめても見つかりっこない。言いかえれば、ありとしあらゆるもの、〈あるとされるあらゆるもの〉をそのように〈あるもの〉たらしめているのが〈ある〉ということなのだから、それ自体は〈あるもの〉ではない、というのである。答えを先に言ってしまうことになりそうだが、もっとはっきり言えば、〈存在〉とか〈ある〉というのは一つの働きであり、その働きによって、ありとしあらゆるものが〈あるもの〉として見えてくるのだ、と言ってもよい。『存在と時間』の邦訳者の一人である松尾啓吉氏が、普通〈存在〉と訳されるSein(ザイン)を〈存在作用〉と訳しているが、一見識だと思う」(木田『ハイデガー『存在と時間』の構築』)

 

ここには存在論の陥りがちな典型的な妄想が示されている。「存在は存在者を存在者たらしめるもの」とは一体どういうことか。「存在者を存在者たらしめる」ような力やエネルギーを「存在」なるものが有しているとでも思っているのだろうか。驚くべき馬鹿げた妄想である。

「存在」は決して「存在者」ではないのだから「存在」自体はまったくどこにも存在していないのである。「もの(存在者)」が存在しているのであって、「存在」が存在しているわけではない(このまったく当たり前のことが理解できない者が多いようだ。驚くべきことである。こうした連中がハイデガーの虚妄の存在論にいつまでも誑かされ、しがみついているのである)。つまりその点では「存在」は「無」とまったく同じなのであり、どちらも単なる言葉にすぎないのである。何ら存在していない「存在」なるものがどうして、どうやって「存在者を存在者たらしめる」ことができるのか。「存在」とか「ある」というのは単なる言葉にすぎず、単なる言葉にすぎないものが、あたかも「もの(存在者)」を存在させる力やエネルギーでも有しているかのようにみなしているのである。これほど荒唐無稽な馬鹿げた妄想はあるまい。力やエネルギーを有しているのは存在している「もの(存在者)」であって、「存在」ではない。こんなことはアインシュタインの有名な公式を引き合いに出すまでもなく分かり切ったことであろう。「もの(存在者)」が力やエネルギーを秘めているのである。存在者でない「存在」は決してどこにも存在していないはずなのに、どうして「〈存在〉とか〈ある〉というのは一つの働きであり、その働きによって、ありとしあらゆるものが〈あるもの〉として見えてくる」などという荒唐無稽な馬鹿げたことがありえようか。外界にある万物は「〈存在〉とか〈ある〉という」言葉を知らない赤ん坊や動物たちにも「ありとしあらゆるものが〈あるもの〉として見えて」いるのであり、一目瞭然なのである。「存在」や「ある」という単なる言葉のおかげで星々や万物が存在しているわけではないのである。まったく存在していない「存在」なるものに何の「働き」も「作用」もまったくありえないのである。

 

 

現実に存在するもの、存在者の事象は外界にしかない。たとえ存在(する)を意味する「ある」という言葉にも存在者の事象など全然ないのである。言葉の中にあるのは概念や観念にすぎず、外界の事象ではない。現実に存在する存在者の事象は外界にしかありえない。また、同じ「ある、存在する」を意味する言葉でも、経験的判断に基づく現実的(レアール)な「ある、存在する」と虚構の「ある、存在する」の違いがある。つまり、まったく同じ「ある、存在する」という言葉でも、現実に「ある、存在する」と虚構や想定や論理上の「ある、存在する」の違いがある。御伽噺で、「昔々、ある国に魔女のお城と妖精たちのお城がありました」と言っても、勿論そんな「お城」は実際(レアール)には存在しないのである。その「ある、存在するはrealな(実在的な、現実的な、実在を意味する)述語(ある、存在する)ではない」。かように「ある、存在する(sein)」という言葉は現実にはありえないことについても自由にいくらでも使用できるのだから(でなければ文学など成り立つまい)、それを単に「ある」や「存在する」という言葉のみを虚実(realか否か)も弁えずにいくら論じようと、いくら「ザイン一般の意味の究明」をしようと、現実の存在者の事象の認識や解明に通じるわけがない。

なのにハイデガーは「ザイン一般の意味の究明」を問題にして、ザインという言葉の虚実をまったく弁えず、「もの(存在者)」の事象の解明にはどうでもいいような曖昧多義的な概念をいろいろ多用して、尤もらしく見せかけているにすぎないのだから、彼の存在論は「根本的探究」でも何でもなく、「《事象そのもの》の開示」などまったくありえようはずがないのである。なのに彼は「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら」などと言っているのだから呆れ果てた馬鹿馬鹿しさである。

ハイデガーは己の存在論の結論めいた言葉として、「現存在が存在するかぎりでのみ、存在はある」とか、「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」などと言っているが、まったくの戯言である。人間を「現存在(Dasein)」と言い換えたところで誑かし以外の何の意味もあるまいが、「現存在」がどんな特定の人間を意味するにせよ、現実に存在する「もの」にとってはどうでもよいことであり、何の意味もないのである。外界における「もの(存在者)」の存在は万人に対し、万物に対し、まったく同等のものだからであり、何ら選ぶところではないからである。

たとえば宇宙線の存在を了解していない者にも、物にも、宇宙線は等しく降り注いでいるのである。外界に存在するものは「現存在」(これがどんな認識者であろうとなかろうと)の内界で認識されたからある、認識されないからないなどというようなものでは全然ないのである。外界における「もの(存在者)」の存在は内界の存在認識に先立っているからであり、内界の認識に何ら影響されないからである。あるから「ある」といとも容易に認識できるのであって、「ある」と認識するからあるのではない。実際にあってもあると認識できないものなど外界にいくらでもあるのである。つまり認識はあらかじめ外界にある「もの(存在者)」を次第次第に認識していくにすぎない。毒矢の存在を認識する者にとってのみ毒矢が存在するわけではない。彼のもとにある実在の毒矢は全世界、全宇宙と連続的に繋がっているからである。外界の現実は万人に共通だからである。だから件の毒矢の存在を認識しない者にとってもその毒矢は存在しているのである。もし毒矢の存在を認識しない者にとって毒矢は存在しないとしたら、彼は存在しないはずの毒矢に当たって死ぬことはあるまい。そんな馬鹿げたことは決してありえないのである。その毒矢は外界に現実に存在している以上、その存在を認識していよういまいと、誰にとっても存在しているのであり、誰でも当たれば死ぬのである。内界における単なる観念やイメージとしての「毒矢」ではなく、外界にある実在の毒矢であればこそ誰でも殺傷しうるのである。

認識は単に内界における心的活動にすぎず、一方、現実に存在するものは万人に共通の外界にしかないのである。内界における認識が外界に何らかの存在をあらしめたり、なからしめたりすることなど決してできないのである。誰が内界で「存在」をどう認識しようとしまいと、外界の存在者は何の影響も受けやしない。「現存在が存在を了解」しようとしまいと、外界における現実の存在はまったく不変である。内界の心的活動は内界に留まっているかぎり外界の現実に何らの影響も及ぼすことはできないのである。

ある「もの」が存在しているから「存在者」と命名しているのであり、存在者が存在しているのは理の当然で、まったく当たり前のことにすぎない。そうした存在者の状態を「ある」とか「存在する」という動詞で言語表現し、それを名詞化して「存在」と言表しているわけだが、この抽象的な「存在」という言葉が古代ギリシャ以来さまざまの妄想を掻き立ててきたのである。「存在」という言葉を何か「もの」を存在させる力やエネルギーを有する実体のようにみなそうとするというのが最も典型的な最大の妄想であろう。プラトンやアリストテレスの古代存在論に端を発する最大の根深い妄想である。

「存在」や「ある」は何度も言うように単なる言葉にすぎない。「存在」なるものが「もの」を存在させるわけではないのである。外界に認める「もの」即「存在者」なのである。外界に「もの」を認めること自体がその「存在」を認めることそのものなのである。だから誰でも彼方に大木を認めれば、「あそこに大木がある」と言い、近くに蛇を認めれば、「そこに蛇がいる」と言うのである。それだけのことであり、「ある、存在する」の意味は、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「よく言われることだが、古代のギリシア語には、ラテン語のresや英語のthingに当たる名詞、つまり客体的な物を指す名詞がなく、あるのはpragma(プラーグマ、道具)という言葉だけである」(木田『ハイデガー『存在と時間』の構築』)

 

ここには古代ギリシャの哲人たちの「存在」に対する過大な妄想の原因が示されているように思われる。「ラテン語のresや英語のthingに当たる名詞、つまり客体的な物を指す名詞がない」古代ギリシャ語を使っていたプラトンやアリストテレスは、ラテン語のresや英語のthingに当たる「もの(存在者)」よりも、「存在」や「ある」という言葉のほうが彼らの意識のなかで過大にクローズアップされ、重大視されてしまったのではないかと思われる。

 

 

フッサールは、「研究への原動力は哲学説からではなく、事象と諸問題から生じなければならない」と言っているが、まったく当然のことである。ニュートンが何をきっかけにして万有引力を生み出したかを考えれば明々白々たることであろう。ハイデガーは、「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら」などと言っているが、『存在と時間』の一体どこに存在の「根本的探究」や「事象そのもの」の「開示」やその「前進」があるというのか。まったくの妄想であり、イカサマである。彼はこう言う。

 

「《存在(ザイン)》は自明の概念である。すべての認識や陳述において、また存在者や己自身へのあらゆる関わりにおいて、《存在(ザイン)》は使用されており、またこの言葉はそのつど《直ちに》了解されている。誰でも、《空が青い》とか、《私は嬉しい》とかを了解している」(『存在と時間』)

 

ここで「空は青い」とか「私は嬉しい」には当然ドイツ語ではsein動詞が使われているわけだが、この場合のseinは単に主語と述語を結ぶ繋辞にすぎないのであり、「存在(する)」の意味などまったくないのである。だから、この「ザイン」を「存在」と訳すこと自体が実はまったくの誤訳であり、誤解のもとであって、ハイデガーの言う「ザイン」には繋辞の意味の「ザイン」も含まれているのである。だが、彼はその繋辞の「ザイン」をも「存在(する)」を意味すると思い込んでいるようである。日本語の「存在(する)」に繋辞の意味などまったくなく、また「存在(する)」の意味と繋辞の意味を一語に含む日本語などないのである。

カントが『純粋理性批判』で指摘し、論駁した伝統的存在論の問題点をまったく理解できないハイデガーは、繋辞のseinも「存在(する)」を意味する述語動詞のseinもほとんど区別していないのであり、繋辞のsein(である、です、だ)も述語のsein(ある、存在する)と一緒くたにして論じているのである。

カントが言うように、分析的命題では「述語が主語の概念の内にあらかじめ(密かに)含まれているものとして主語に属している」のであり、総合的命題では「述語は主語と結びついてはいるが、しかしまったく主語の概念の外にある」のである。カントが主語概念を拡張する「レアールな述語」について、「この述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」と言うのも、総合的命題の述語について言っていることは明らかであろう。つまり総合的命題では述語は「まったく主語の概念の外にある」のであり、だからその述語は「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」であって、こうした述語をカントは「レアール(実在的)な述語」と言うのである。

ところが分析的命題では述語は主語概念から単に論理的に引き出されるにすぎず、そうした述語は「レアール(実在的)な述語ではない」のである。かように分析的命題と総合的命題の重要な区別が意味するところを理解せずに『純粋理性批判』の「核心部」を解読することは絶対にできないのである。要するに、述語が「realな述語」であるか否かは命題が総合的か分析的かの区別にかかっているのであり、いずれの命題であるかが分からぬかぎりその述語がrealか否かを判断できないのである。たとえば神の存在論的証明のような分析的命題の「ある、存在する(sein)」は現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味するものではなく、あらかじめ大前提の神の主語概念に含まれていることから論理的に導いたにすぎない結論「ゆえに神は存在する(Gott ist.)」の述語動詞に置き換えただけであるから、その述語「ある、存在する(sein)」は単なるトートロジーにすぎず、「レアールな(実在的な、実在を意味する)述語」ではないのであり、こうしてカントは神の存在の存在論的証明の不可能を示したのである。

神の存在の存在論的証明は、「一切の経験を度外視して、まったくア・プリオリに概念のみから最高原因の実在を推論する」(『純粋理性批判』)ものであり、神の概念からまったくア・プリオリにその存在を推論するものであるから、それは言うまでもなく分析的命題であって、その証明では、大前提として「神は最高の実在性(höchsten Realität)を有する」とか「神は全能である」などと神をあらかじめ概念規定したうえで、「ゆえに神は存在する(Gott ist.)」と結論するわけだが、この結論部のsein動詞「存在する」は大前提の神の概念にあらかじめ含まれていることから単に論理的に引き出したものにすぎず、現実に実際に(realに)「存在する」を意味する述語ではないのであり、この「seinrealな述語ではない」のである。この「ある、存在するは、実在を意味する述語ではない」のである。無論、「ある、存在する」を意味する言葉であるかぎり、seinだろうとexistierenだろうとまったく同じことで、神の存在論的証明のような分析的命題の結論「ゆえに神は存在する(Gott existiert.)」におけるこの「existierenrealな述語ではない」のである。

カントは伝統的な「神の存在の存在論的証明」の不可能を示そうとしているからこそ、その分析的命題のコンテクストにおける結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」の述語のseinも繋辞のseinもひっくるめて「sein(ある)は明らかにreal(実在的、現実的)な述語(ある、存在する)ではない」と言っているのであって、決して総合的命題の述語seinについてそう言っているわけではないのである。この点はカントの若干の説明不足があろう。

カントが言う「realな述語」とは「事物を規定する述語」であり、「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」であり、主語の「概念にあらかじめ含まれていない」述語である。これをハイデガーは『現象学の根本問題』のなかで「事象内容を示す述語」の意だと愚かきわまりない強弁をしているわけである。カントが言う「事物を規定する述語」とハイデガーの言う「事象内容を示す述語」は字面は一見紛らわしいが(ほとんど意味不明の曖昧な言葉遣いで人を煙に巻こうとするイカサマ師の工夫である)、実はまったく似て非なるものである。一方は「現実的、実在的(real)」な述語であり、他方はハイデガー自身が『現象学の根本問題』で説明しているように「現実的、実在的(real)」とはまったく裏腹の単なる概念的な述語である。一方は実在に関わるものであり、他方は既成概念に関わるものである。ハイデガーの言う「事象内容(Sachgehalt)」とは要するに「事物の一般的概念f」にすぎないのであり、もっと具体的に言えば、「犬は四つ足の哺乳動物である」というような辞書や事典に記されているような「事物の一般的概念」にすぎないのである。そんなことなら辞書や事典を見ればよいだけのことで、現実の事象などまったく必要ないということになる。カントの言う「レアール(実在的)」とハイデガーの言う「事象内容を示す」すなわち「一般的概念を示す」くらい相反するものはあるまい。

カントが「realな述語」とは「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」であり、主語の「概念にあらかじめ含まれていない」述語であると言っていることの意味をハイデガーはまったく理解できないのであり、だから辞書事典に記されているような「犬は四つ足の哺乳動物である」という説明文の述語「四つ足の哺乳動物」をハイデガーは「レアールな述語」だと馬鹿げた解釈をしてしまうのである。「四つ足の哺乳動物」は「犬」という主語の「概念にあらかじめ含まれている」述語にすぎず、そんな述語は決して「realな述語」ではないとカントは言っているのである。こんな簡単なことも理解できないから、カントの言うrealは「実在的」という意味ではなく、「事象内容を示す」という意味だとハイデガーは強弁するのである。まったく呆れた鈍物イカサマ師である。

ハイデガー哲学が「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にしかならないのは当然である。

カントがなぜ「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである」と言うことの意味がハイデガーにはまるで分かっていないのである。「もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」とカントは言うのであり、そして「実在的(real)な述語」とは「物を規定する述語」であり、「物の規定とは外から主語概念に付け加えられて主語概念を拡張するような述語である」(「外から」とは「外界の現実の事象から」ということだ)と言うのである。つまり「あれこれの物が存在している」という命題が分析的命題か総合的命題かによって、「ある、存在する」という述語が「実在的(real)な述語」かそうでない述語かが判断されるとカントは言うのである。

述語動詞seinがトートロジーになるのは神の存在論的証明のような分析的命題の場合であり、これは大前提の神の概念に「存在」とか「実在性」などの言葉があらかじめ含まれているから結論の「(神は)存在する」がトートロジーになるのである。しかし総合的命題の場合は述語seinが主語概念の外にあるのであり、これは「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」であって(つまり外界における経験的判断で「ある、存在する」と言うのである)、主語の「概念にあらかじめ含まれていない」述語なのである。同じ「ある、存在する(sein)」という言葉でも虚実(realか否か)の区別があるのである。だから命題や判断が分析的か総合的かを区別せずに「ある、存在する」を意味する述語sein(無論existierenでもまったく同じである)が「realな述語」か否かを判断できない場合があるからこそ、カントは「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである」と命題の区別を問題にするのである。

ところが驚くべきことにハイデガーはこのカントの明々白々たる趣旨をまったく理解できないのであり、そのため『現象学の根本問題』で示したような強引かつ頓珍漢きわまりないreal解釈を強弁するのであり、彼のイカサマの愚論愚考に誑かされ、惑わされているようではどうにもならない。カントの言う「レアール(real)」を「実在的」という意味ではないなどと言う者はカント哲学をまったく理解できない者であることは確実である。

繋辞のseinと存在(する)を意味する述語動詞のseinとを区別せず、さらにまた外界における現実の経験に基づく認識による(つまり総合的命題における)現実の「ある、存在する」(これは「realな述語」である)も、頭の中だけの想定や虚構の「ある、存在する」(これは「realな述語」ではない)も区別せずに、ただseinという言葉のみを論っているだけなのだから、彼の存在論は最初から空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にしかなりえないことは分かり切ったことなのである。要するに字面に誑かされる者が自己正当化のためにまた字面で誑かそうとするわけである。

現実の存在者の事象は外界という現実世界にしかありえないのであって、「ある、存在する(sein)」という言葉自体に現実の存在者の事象など全然ないのだから、「ある、存在する(sein)」という言葉のみをいくら論ったところで、現実の存在者の事象など認識しようがないのであり、認識の方法の根本から間違っているのである。こんなことも分からないから、ハイデガーは「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら、それは誰よりもE・フッサールのおかげである」などと戯けたことを臆面もなく言えるわけだが、こんな頓珍漢な謝辞をもらったところでフッサールが同意するわけがあるまい。

 

                                                     

 

カントは哲学史的にはドイツ観念論哲学の始祖とされているようだが、彼自身はこう言っている。

 

 「観念論は次のような主張で成り立っている。すなわち、思考する存在以外の何ものもなく、われわれが直観において知覚すると信じている他の物は単に思考する存在の内部の表象にすぎず、この表象には実際は思考する存在の外部にあるようないかなる対象も対応しない、という主張である。これに反して、私が言っているのは、物はわれわれの外部にある感官の対象としてわれわれに与えられるが、但し、物がそれ自体としてどんなものかについてわれわれは何も知らず、ただその現象、すなわち物がわれわれの感官を触発するときにわれわれの内に引き起こす表象を知るだけである、ということである。だから、私は勿論われわれの外部に物体があること、つまり、物があることを認める。物自体がどのようなものかについてはわれわれにはまったく知られないが、われわれは物をその感性への影響がわれわれに得させる表象によって知り、この表象に物体という名をつける。したがってこの物体という言葉は、われわれには知られないにもかかわらず現実にある対象の現象を意味するにすぎない。人々はこれを観念論と名づけることができるだろうか。いや、まさしく観念論の反対である」(カント『プロレゴーメナ』)

 

現象学的還元や現象学的エポケーを唱えたフッサールも次のように言う。

 

「存在するものはすべて、最も広い意味においては、《それ自体において》存在しているのであり、個々の作用において私に対して存在することは、存在するものにとっては偶然的なことである」(フッサール『デカルト的省察』)

 

このフッサールの言葉は現実の存在者の事象を洞察したものであり、存在の本質を突いたものであるが、これはハイデガーの存在論の根本的批判になっている。ハイデガーは「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」とか、「現存在が存在するかぎりでのみ存在はある」とか、「現存在が世界を生起させる」などとしたりげに言っているが、これはまったく存在するものの本質を理解していないことを暴露している。「現存在(つまり人間)が世界を生起させる」ことなど決してできやしないのである。「現存在」を魔法使いのように妄想しているのである。人間の認識は存在するものに応じるものであるが、存在するもののほうはどんな人間の認識にも何ら応じるものではないのである。いわば認識がいくら存在するものを恋慕しようと、存在するもののほうは何者の認識をもまたずにただあるだけである。存在するのは何らかの「もの」であって、「もの」とは別に、「もの」と切り離された存在、存在自体などというものはない。「存在(する)」は単なる言葉にすぎない。

ところがハイデガーは『存在と時間』では「現存在の存在構造」などと何度も言っているが、「存在」という何ら存在せず、何の実体もないものに、一体どんな「構造」があると言うのか、何の説明もされていないためまったく意味不明である。『存在と時間』ではこうした何やら意味ありげだが思わせぶりの哲学めかした曖昧な表現(たとえば「時熟」など)が盛んに繰り出されているが、そうした言葉についてはっきりした説明は何もなされていない。「無が無化する」として「無」を実体化しているハイデガーは「存在」も実体化しているように思われる。馬鹿げた妄想である。

カントが『純粋理性批判』の中だけでも何百回となく使う「real(実在的)」という言葉については、ハイデガーは「実在的」を意味しない、「事象内容を示す」という意味だ、などととんでもない愚説を唱えているが(『現象学の根本問題』)、しかし「事象内容(Sachgehalt)」だと何となく「real(実在的)」なものを思わせるが、この自説についてはハイデガー自身が『現象学の根本問題』で比較的詳しく説明しているため、カントの言う「real(実在的)」とはまったく裏腹の単なる「(事物の)一般的概念」の意にすぎないことが分かり、とんでもない愚説曲解だとはっきり分かるわけである。ところが『存在と時間』では多くの思わせぶりの意味ありげな難解めかした哲学風の曖昧な表現が何らはっきりした説明もなく記述されるためいつまでも不得要領なままである。ここには人を煙に巻こうと腐心する鈍物イカサマ師なりの工夫があるわけである。

 

ところでカントは、「私は勿論われわれの外部に物体があること、つまり、物があることを認める」と言いながら、「物はわれわれの外部にある感官の対象としてわれわれに与えられるが、但し、物がそれ自体としてどんなものかについてわれわれは何も知らず、ただその現象、すなわち物がわれわれの感官を触発するときにわれわれの内に引き起こす表象を知るだけである」と言う。こうした言い方にはカントがまだ悪しき観念論を完全には脱していない不徹底さが窺がえよう。

人間の側のどんな思いや感覚からも外界やその事物の存在はまったく独立しているのである。そもそも人類出現以前に外界は存在していたのである。人間はただ感知しえた既存の事物に命名し、さらに事物を詳しく考究するだけである。われわれが岩にぶつかる場合、「岩」と命名した物そのものにぶつかるのであって、「岩」という現象や表象にぶつかるのではない。現象や表象というものが、「物がわれわれの感官を触発するときにわれわれの内に引き起こす」(カント)ものだとするなら、現象や表象は「われわれの内に引き起こされる」ものであって、外界にあるものではないことになろう。「われわれの内に引き起こされる」現象や表象としての「饅頭」など誰も手に取ることも食べることもできまい。では、われわれは不可知の「物自体」を食べるのか。いつ「饅頭」というものを食べることができるのか。永遠に食べることができないことになろう。究極の本体としての「物自体」が不可知にせよ、その物全体を指して「饅頭」と命名しているのだから、「饅頭」と命名された外界にある「もの(存在者)」を手にし、口にすることができるのである。でなければわれわれの日常生活など成り立つまい。

私が頭の中で何を思おうと、私の思いのみから何物も外界に存在させることはできない。私がまず存在しないかぎり、私の思いも何もありはしない。私の存在は私のあらゆる思いや認識に先立っている。認識する主体がまず存在しないかぎり、何らの認識も決してありえない。われわれはまずこの世界に生み出されて存在を与えられ、次いで徐々に認識を発達させるのであって、われわれの存在が認識に先立つのであり、存在(存在自体ではない)あっての認識なのである。まったく明々白々たることである。無論、認識する主体つまり生体を生存させるためには然るべき条件を要する。生存していなければ何らの認識活動もできないのだから、認識主体の生存に必須の水、空気、食料になる動植物、土地、日光、太陽、宇宙の諸力等々が必須である。要するに世界ないし宇宙なるものの存在存続を絶対的な前提とする。まったく簡明な理の当然である。認識より認識主体の存在が先立ち、認識主体の出現より世界の出現のほうがはるかに先行しているのである。まったく当たり前のことである。宇宙や生命の進化についての自然科学の成果に照らしてもまったく疑う余地なく明々白々たることであり、容易に分かることである。頭の中のどんな思いも何らの存在をも外界に生ぜしめることはできない。現実に存在するもの、実在するものはすべて内的な思いの外にある外的世界、現実世界にしかありえない。頭の中で思う「餅」は外界の現実世界に存在する「餅」ではない。前者の「餅」は現実に手に取ることも食べることもできないが、後者の「餅」は現実に手にして食べられ、胃の腑を満たしうるのであり、これを実際に存在する「餅」、実在の「餅」と言うのであり、単に「われわれの内に引き起こされる」現象や表象にすぎない「餅」ではない。

われわれはまず存在し、然る後に己が存在していることを認識するのである。それは気づく前からすでに己が存在しているからこそである。無論、すべての他者も存在している。また、己が存在している以上、己の親や祖先がすでに存在していたことも経験的かつ論理的に疑いを容れぬことである。世界や外界の存在にしても同様である。われわれは外界に存在する食物を摂取しないかぎりわれわれの生存もありえまい。自分が食べる食物の存在を疑う者がいようか。自分が着る衣服の存在を疑う者がいようか。世界の存在はわれわれの存在の前提である。

人間は地球上の生命進化の過程で徐々に外界の認識や感知能力を身につけつつ存在するに至ったものであり、世界の存在は人間の存在の前提であって、世界の存在にとっては人類の出現や思考など何ら関知関与するところではない。人類出現以前に恐竜が存在しており、世界は無論そのはるか以前から存在していたことは確実である。世界がすでに存在しているからこそ人間はそれを徐々に認識するようになるのであり、存在は認識に先立つのである。存在が人間の認識を待ってから突如生じるわけがあるまい。まず「もの」の存在があればこそ、「もの」が存在すればこそ、その存在を認識できるのであって、存在がなければそれが存在しなければ何もないのだから、どんな存在認識も生じるわけがない。「現存在が存在を了解するときにのみ存在はある」という考えほど非論理的な間違った荒唐無稽な考えはないのである。それは現実の存在をまったく認識していない者の考え方である。そんな者が書いた『存在と時間』など単なるナンセンスな「言葉の遊戯」にすぎないのに、「以下の根本的探究が《事象そのもの》の開示において多少なりとも前進しているなら」とはまったくの勘違いの妄想にすぎない。同書のどこに現実の(レアールな)存在に関する事象の「根本的探究」があろうか。存在の「《事象そのもの》の開示」があろうか。まったくの戯言である。

存在は現存在の了解を待ってから生じるものでは決してないのである。「もの」の存在がまずあればこそ、その了解や認識はまったく自明なのである。そこに(つまり外界に)椅子がある(これは誰にもまったく自明の認識である)から坐るのであり、坐れるのである。頭の中に現実の椅子はないのであり、だから誰もそれに坐ることはできないのである。存在はあらゆる認識や了解に先立つ。認識は存在に後立つ。人類絶滅以後も世界は存在している(しばらくの間にせよ)ことも確実である。住宅の住人がいなくなっても住宅は残っているのとまったく同じことである。無論その住宅を「住宅」と認識し命名するのは人間だけにせよ、その「住宅」なるものの存在にとってはそんな名称や人間の認識など何ら関知関与するところではあるまい。「世界」や「存在」という言葉や概念すら同様である。

ハイデガーは存在を「驚異」とみなすプラトンやアリストテレスらの先哲の口真似をして、さらに大仰に「驚異のなかの驚異」だと言う。これは己の『存在と時間』をさも重要な意味ありげなものと思わせようとするためであろうが、要するに彼は「もの」という「存在者」を別にしてただ単に「存在とは何か」「あるとは何か」を問題にするプラトンやアリストテレス流の古代存在論や繋辞の「である」も完全自動詞の「(が)ある」と一緒くたにして「存在(する)」を意味するものとみなす昔の存在論をまったく蒸し返しているのである。では、彼の言うように「現存在が存在を了解するときにのみ存在はある」としたら、そんな人間によって初めて「了解」されるような「存在」が何で「驚異のなかの驚異」なのか。おかしな話である。

ハイデガーは「存在は存在者といったようなものではない」と言う。これはまったく当たり前のことであるが、しかし存在者と存在は決して切り離せるものではない。存在から切り離された存在者、つまり存在のない存在者、存在しない存在者など無論ありえないし、また存在者から切り離された存在、存在者のない存在、存在自体、存在そのもの、などというものも決してありえない。存在者がないのに存在だけがあるなどということは決してありえない。単に「存在」という言葉があるにすぎない。存在者がなければその存在はない、それは存在しない。存在者があればその存在はある、それは存在する。存在者と存在は一体と言うも愚かなほど相即不離のものである。そこに存在していると分かっているから存在者と認めているのであって、存在者が存在しているのはまったく当たり前のことである。

たとえばテーブルの上にスプーンを認める。そこにスプーンがあるから、存在するから、認めることができるのであって、そこになければ、存在しなければ、誰もそこにスプーンを認めることはできない。つまり、そこにスプーンを認めることとその存在を認めることはまったく同じことなのである。「スプーン」即「存在者」なのである。

まず最初に何らかの「もの」の存在を認識しているのであって、たとえそれが何かは分からなくとも、その「もの」が存在していることは誰でも即座に容易に分かるのである。それ以上に確実な存在認識など決してありえない。それはほとんど本能的な直観的認識だからであり、感覚に直接触れるものだからである。ライオンは獲物の存在を認識してから襲いかかるのであり、獲物は襲い来るライオンの存在を認識してから逃げ出すのである。互いに相手の究極の実体など何ら知らなくとも、相手の存在を即座に感知して反応するのである。存在認識は死活問題であり、またきわめて容易でもあるのだ。空疎ナンセンスな思わせぶりの思弁からいかなる実のある認識も生まれない。認識や思弁の結果として存在が生じるなどということは決してありえない。もしそんなことがあるとしたら、その認識や思弁の結果が得られるまでは何ものも存在しないことになろう。抽象的な「存在(する)」や「ある」は単なる言葉にすぎず、現実的(real)な「存在(する)」や「ある」ではない。現実の存在は厳然たるものであり、人間の認識や思弁に何ら左右されるものではない。現実の「存在(する)」も架空の「存在(する)」も区別しえない存在論などまったくのナンセンス以外の何ものでもない。

因みにカントは『純粋理性批判』でその区別を完全自動詞の述語のsein「ある、存在する」について論じ、現実世界(reale Welt)における経験判断による総合的命題の述語sein「ある、存在する」を主語概念を「拡張する」現実的実在的(real)な述語とし、アンセルムス流の神の存在論的証明のような経験に基づかない単なる思弁や想定に基づく分析的命題の述語sein「ある、存在する」は主語概念にあらかじめ含まれている言葉(たとえば「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」など)を結論部で述語動詞の形に言い換えて反復しているだけのトートロジーにすぎず(つまり、神は最高の実在性を具えている、ゆえに神は存在する、と結論しているにすぎない)、したがってその完全自動詞の述語seinは主語概念を何ら「拡張しない」述語であるから、その「seinrealな述語ではない」、つまり「現実に実際に(realに)ある、存在するを意味する述語ではない」として、神の存在論的証明の不可能を示したのである。無論、「seinrealな述語ではない」というのは、神の存在論的証明のような分析的命題や御伽噺などにおけるsein(ある、存在する)の場合であって、総合的命題の場合ではない。『純粋理性批判』は一面で既存の存在論の根本的批判の上に立っているのである。

分かり切ったことであるが、ここで一言注意しておけば、「ある、存在する」を意味する完全自動詞の述語であるかぎり、その述語動詞がseinであろうとexistierenであろうとまったく同じことが言いうるということであって、existierenの場合でもその語を含む命題が総合的命題か分析的命題かが分からぬかぎり、それが実際に現実に(realに)「ある、存在する」を意味するか否かを判断できないということである。だからカントはこう言うのだ。

 

「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している(dieses oder jenes Ding  existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである。もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」(『純粋理性批判』)

 

つまり完全自動詞の述語「ある、存在する、実在する(seinexistierenetc.)」を含む「命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」のであり、主語概念に「何ら新しいことを付け加えたことにはならない」、すなわちその「ある、存在する、実在する(seinexistierenetc.)」という言葉は主語概念を何ら拡張する述語ではない、つまり「realな述語ではない」とカントは言うのである。分析的命題は外界での経験によらない頭の中での思考のみによる命題にすぎないのであるから、たとえば神の存在論的証明のような分析的命題で「神は最高の実在性(höchsten Realität)を有する存在である。ゆえに神は存在する」と言ったところで、その「実在性(Realität)」は単に頭の中で想定するだけの観念や概念にすぎないのであるから、「神は最高の実在性(Realität)を有する」からといって、「ゆえに現実に実際に(realに)存在する」ということにはならないのであり、それは神の主語概念にあらかじめ含まれていることを結論で述語動詞の形で繰り返しているだけのトートロジーにすぎないのである。カントはそうした単なる想定や思念による単なる概念にすぎない分析的命題における「実在性(Realität)」と区別する場合には、経験的直観に基づく総合的命題の「実在性(Realität)」を「客観的実在性(objektive Realität)」と呼ぶのである。

ハイデガーの『存在と時間』を読んで存在がよく分かった、などと言う者がいようか。単なる嘘吐きでもないかぎり。ではそれまで存在が分からなかったのか。そんなことは決してありえまい。存在は誰にもまったく自明なのだから。存在者を認識することはその存在を認識することである。存在者だけを認識してその存在を認識しないなどということがありえようか。また逆に、存在だけを認識してどこにも存在者を認識しないなどということがありえようか。

ハイデガーの『存在と時間』が最初に出版されたとき、どんな宣伝文句が並べられたか知らぬが、同書を持ち上げたのは一部の(と言っても大部分かもしれぬが)の講壇哲学者を含む大衆読者だと思われる。でなければそれほどの大評判にはなりえまい。これは未曽有の大戦争になった第一次世界大戦がもたらした当時のヨーロッパ世界を覆った歴史的時代的な絶望感や不安の状況を考えなければ到底理解しえぬことである。とりわけ敗戦国ドイツ国民の多くは自分たちの存立の歴史的実存的基盤が危うくなっているような深甚な不安や恐怖を感じていたと思われる。当時すでにシュペングラーの『西洋の没落』が大評判になり、数年後に『存在と時間』が出版されて同じくセンセーショナルな評判を呼んだわけだが、そのタイトルから人々は自分たちの存在や国家の存立にとって切実な重大なことが問題にされているように妄想したのではないか。大多数の人々は単にそのタイトルに過剰に反応しただけではないのか。「現存在(ダーザイン)」だとか「世界内存在」だとか「死への存在」(生物はすべて「死への存在」にすぎぬ)だとかいう言葉が勿体らしく意味ありげに頻繁に出てくるため、国家や自分たちの不安な危うい「存在」や「世界」の状況が問題にされ、論究されているように思い込んだのではなかったか。そのため同書は時代を象徴する書のように受け取られたり、人間の生き方を問題にする実存哲学の書のように妄想され、誤解されたのではないか。いずれにせよ同書ほどさまざまの意味で当初から誤解され、妄想され、その評判の盲信が何十年も続いてきた書も稀であろう。これこそ真に「驚異のなかの驚異」と思われる。

当時二十代半ばであった「ボルノウもこれを最初に読んだとき、《今日ここから世界史における新たな時代がはじまったのだ。君はまさしくその開幕に立ち会っていると言ってさしつかえない》という、ヴァルミの戦いのあとでゲーテが言ったあの有名な言葉そのままの感じをもったと述べている」(木田元『ハイデガーの思想』)。これも時代の雰囲気や周囲の妄想的な評判や馬鹿げた宣伝文句に完全に呑み込まれ、幻惑された無邪気な若者の感想にすぎまい。時代的妄想および付和雷同の個人的妄想の一端であろう。ボルノウがその後何十年もそんな無邪気な感想を相変わらず抱いていたとは思えない。やがてそんな世迷い言から醒めたのではないか。しかし、周知のようにフッサールは同書を「方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだ」として全否定した。これほど簡明妥当な『存在と時間』評はあるまい。この両者による評価の決定的な違いは何を意味するか。両者の認識能力や学識の深さの圧倒的な差以外の何ものでもあるまい。かように認識能力が月とスッポンほどに異なれば、まったく同じものに対する評価も月とスッポンほどに異なってしまうのである。フッサールは付和雷同の凡愚の妄想的な評判などには何ら惑わされ誑かされやしなかったのである。

木田自身はすでに評判を耳にしていた『存在と時間』を大学入学後初めて原文で読み、「ほとんど何も分からなかったに等しいが、それでも期待にたがわず面白かった」(木田、前掲書)と言う。「ほとんど何も分からなかった」のに何で「面白かった」のであろうか。おかしなことである。「期待にたがわず」と言うが、一体その「期待」はどこから来たのか。従来の他人の妄想的な評判や評価を真に受けて、幻惑されていただけではないのか。恐らく評判の大したものを読んでいるのだという幻想に酔い痴れていただけではないのか。

ヴィトゲンシュタインは「世界があるということが神秘だ、何かが存在するということは驚きである」と言う。これも『存在と時間』の中の文句や評判に影響された言葉のようだが、ヴィトゲンシュタインは明らかに現実の存在についてそう言っているのであり、世界が存在することをまず完全に認めたうえでそう言っているのである。まず世界の現実的存在を疑う余地なく認めたうえで、何で世界が存在するのか不思議だ、驚異だと言っているのである。『存在と時間』の読者にしても現実の存在が問題にされていると思って読んでいるはずである。でなければ存在論など何の意味もあるまい。架空の存在や空想の存在、御伽噺のなかの事物の存在、すなわちありもしないものの存在、いわば絵に描いた餅の存在、そんな現実には存在しないものについての存在論などナンセンスな戯言にならざるをえまい。では、はたしてハイデガーはそこで現実の存在を論じているのであろうか。

ハイデガーはまずプラトンの『ソフィステス』の引用から『存在と時間』を書き出し、プラトンが同書で問題にする「ある」という言葉の意味を同じように問題にしているのである。こうした「ある」という言葉にこだわるプラトンやアリストテレスらの古代存在論が中世存在論に受け継がれると、アンセルムスらの神の存在の存在論的証明をめぐる論議になり、そこでは大前提として神をいろいろ肯定的な概念で定義し、「神は全能である」とか「神は最高の実在性を有する存在である」などと神の概念をさまざまに想定ないし規定し、そうした神の主語概念から「ゆえに神はある(存在する)」と結論するのである。こうした神の存在論的証明のような分析的命題の「ある、存在する(sein)」は「レアール(現実的、実在的)な述語(ある、存在する)ではない」、「哀れなトートロジーにすぎない」とカントは指摘したのであり、かくして神の存在論的証明の不可能を示したのである。

なぜカント以前のような伝統的存在論が西欧で連綿と受け継がれてきたのか、そこには印欧語族の言語構造上の問題が大きくかかわっていると思われる。日本語の場合には「(で)ある」とか「(が)ある」という言い方があり、「で」および「が」という格助詞が付くため、繋辞を意味する動詞と「存在する」を意味する動詞の区別が容易にできるが、英語や仏語や独語などの印欧語族(ギリシャ語も含まれる)は英語のbe動詞に相当する動詞一語でこれら二つの意味の動詞を表現するため、また、その動詞の名詞形が「存在」を意味するため、これら二つの意味をもつbe動詞相当語が共に西洋の伝統的な存在論に入り込んでいるが、繋辞を意味する場合も存在論に含めれば不得要領なおかしなものにならざるをえまい。主語と述語を結びつける繋辞は何ら「存在(する)」を意味するものでは全然ないからである。これはカントが『純粋理性批判』で言う「ザインは明らかにrealな述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」の一面の意味である。繋辞のseinは主語と述語を結ぶだけのもので、述語ですらないのだから当然である。無論、カントのその言葉は繋辞のseinのみならず述語のsein「(が)ある、存在する」に対する批判でもあり、こちらの批判こそ神の存在論的証明を根本的に論駁するカントの主旨なのである。だが、ここで最も注意すべき肝腎なことは、カントのその言葉は神の存在論的証明のような分析的命題における述語seinについての批判だということであり、そうした分析的命題におけるseinは「realな述語ではない」つまり「現実に実際に《ある、存在する》を意味する述語ではない」と言ったのであって、決して総合的命題のseinについてそう言ったわけではないのである。ここにはカントの説明の仕方に若干の不備ないし言葉足らずがある。これはカントが繋辞のseinと「ある、存在する」を意味するseinを明確に区別して別々に論じないで、これら二種の意味を有するseinをまとめて一つのseinとみなして「seinrealな述語ではない」と言ったための不備であろう。繋辞のseinと「ある、存在する」を意味するseinを別々に分けて論じたほうが、彼の論旨はもっと明快になったはずである。

日本語なら主語と形容詞だけでも文は成立しうる場合でさえも、西欧諸語ではその場合にもbe動詞相当語が絶えず付きまとうのである。日本語では繋辞すら用いずに済む場合にも、西欧諸語では繋辞にすぎないbe動詞相当語でさえも何かしら存在(ある)を意味するように思われたり、存在(ある)が連想されたりしてしまうのである。「繋辞としてのsein」はあるが、「繋辞としての存在」など決してありうるものではない。両者はまったく別ものであり、それを混同している「存在論」などまったくの戯言にならざるをえないのである。繋辞としてのseinは「存在(する)」でも何でもない。存在とは何の関係もない。況してや現実の(realな)存在とは。現実の存在、事象としての存在についての存在論以外に存在論の意味などありはしない。白雪姫や桃太郎の「存在」を論じても馬鹿馬鹿しかろう。絵に描いた「餅」の存在を論じるようなものである。

一方、「・・・・・・がある」の「ある」は当の主語が「ある、存在する」ことを意味する言葉であり、この「ある(sein)」は完全自動詞であり、れっきとした述語であって、決して主語と述語を結びつける単なる繋辞(この意味のseinは不完全自動詞である)ではないのであるから、この「ある(在る)」は日本語の場合でも決して「だ」や「です」や「なり」などで言い換えることはできず、また無論省略することもできないのである。ドイツ語なら、「神はある、存在する(Gott ist)」の場合、このsein動詞istは完全自動詞の述語であって、決して単なる繋辞ではない。無論、ここでは言葉の表現だけを問題にしているのであって、主語の事物が現実に実際に(realに)存在(sein)するか否かを問題にしているわけではない(ちなみにカントは無論それを問題にした。その問題こそアンセルムス流の神の存在論的証明や古代存在論を根底から論駁するために必須だからである)。たとえば、「神は全能である(Gott ist allmächtig)」の場合なら、このsein動詞istは不完全自動詞であり、主語「神」と述語「全能」を結びつける繋辞にすぎず、何ら完全自動詞の述語「ある、存在する」を意味するものではない。繋辞としてのseinは日本語なら「である」のみならず「だ」や「です」や「なり」などで置き換えてもまったく同じことで、繋辞としてのseinは「ある、存在する」を意味するものではまったくないのである。「繋辞としてのsein」や「繋辞としての《である》、《だ》、《です》、《なり》」はあるが、それは無論「繋辞としての《存在》」ではなく、単に「繋辞の役を果たす記号」にすぎない。《だ》、《です》に何ら「存在(する)」の意味などない。中世存在論では繋辞のseinは「本質存在」で述語のseinは「事実存在」とされるが、こんな馬鹿げた区別では何らの解決にも認識にもなりえない。カントは「事実存在」のsein(がある)についても命題の種類によってrealseinとそうでないseinを区別することで神の存在論的証明の不可能を示したのである。主語と述語を結ぶ繋辞のseinは「本質存在」でも何でもない。「神は全能である」という命題において「である」は主語「神」と述語の「全能」という「本質」を結びつけるだけにすぎず、繋辞のsein自体には「本質」の意味も「存在(する)」の意味もありはしない。

日本語では繋辞さえも不要な命題などいくらでも可能である。あるものが何「である」にせよ、それは存在にとってはどうでもいいことである。たとえば恐竜の生態や形態の正確な詳細は不明でも、そうした生物がかつて地球上に存在したことは化石などによって確実に知りうるのである。存在の認識は容易なのであり、まったく自明なのである。

西洋語では繋辞を意味する語も存在を意味する語もいずれもbe動詞に相当する一語で表現されるため、繋辞も存在論に取り込んできた古代ギリシャ哲学以来の西欧の存在論は、まったく存在とは何の関係もない繋辞の言葉に幻惑されてきたのである。つまり特定の言語に固有の文法の形式的な規則上、seinêtreなどの be動詞相当語が、主語と述語を結びつける単なる繋辞の役を果たすにすぎない場合にも、いわば「ある(seinêtre、等々)」一語をイメージさせて絶えず付きまとうわけであるが、別の言語(たとえば日本語など)では「存在」を連想させるような言葉はまったく要しないのであり、繋辞としての言葉なしでもまったく同一の意味を表現しうるのである。要するに、繋辞を意味する語も存在を意味す語とみなして存在を論じるのは、ありもしない空無ないし虚無を相手に存在を論じるようなものであって、プラトンやアリストテレスの古代存在論以来ハイデガーの存在論に至るまで(無論、カントやベルクソンやフッサールらは別である)、西欧人は己の使用する言語に惑わされ、誑かされてきたのである。

何らかの「もの」が存在するのであって、存在する「もの」がなければ何も存在しえない。「もの」あっての存在であって、存在あっての「もの」ではない。プラトンやアリストテレスの古代存在論以来ハイデガーの存在論に至るまで、「もの」を等閑し、あるいは「もの」を別にして、ただ「ある」とか「存在する」という言葉の意味(これはまったく自明であって、定義など要しない)のみを問題にしてあれこれ論っている以上、いつまでたっても埒のあかない空疎ナンセンスな(言葉上は何やら子細な意味ありげだが)愚論空論に陥らざるをえないのである。再度言おう。「もの」あっての存在であって、存在あっての「もの」ではない。「もの」が主で、存在は従なのである、と言うよりむしろ、「もの」即「存在者」なのであり、存在者が存在するのはまったく当たり前のことにすぎない。「もの」とは別に、あるいは「もの」と離れて、「存在」なるものがあるとしたら、その「存在」自体が存在者ということになってしまうであろう。そんな馬鹿げたことはありえまい。「もの」なくしていかなる存在もない。存在は「もの」から独立したものではない。存在は「もの」とは別にあるものではない。「もの」とは別にある「存在」、そんな「存在」はまったくの虚無、空無にすぎない。

 

 

カントは『純粋理性批判』の「神の存在の存在論的証明の不可能について」と題した節のなかで「sein(ある)」についてこう述べている。

 

「(で)ある(sein)は単に事物の措定あるいは事物におけるさまざまの断定の設定にすぎない。論理的使用においては、それ(sein判断の繋辞にすぎない」

 

これは要するに繋辞のseinについて言っているわけだが、しかし、彼はドイツ語を使用しているため、不完全自動詞の繋辞のseinと完全自動詞の述語のseinのいずれもsein動詞一語で表記せねばならぬため、アンセルムス流の「神の存在の存在論的証明の不可能」を示すこの節において二つの意味をもつsein動詞を論じるうえで、彼はやや回りくどい言い方を余儀なくされている。

要するに、カントは繋辞としての不完全自動詞seinが何ら現実的実在的(real)な述語seinではないこと、何ら存在(する)とは関係ないことを無論完全に認識していた。また、こちらの方が決定的に重要なことだが、彼は繋辞でない完全自動詞の述語seinの場合も、それが想定の事物の主語概念に暗に含まれている述語seinであるかぎり、つまり神の存在論的証明のような分析的命題における述語seinであるかぎり、そのseinは何ら現実的実在的(real)に「ある、存在する」を意味するものではなく、主語概念の前提に別の言い方(たとえば「神は最高の実在性を有する」など)で含まれる存在概念を結論において述語動詞の形で繰り返すだけのトートロジーにすぎないと喝破した。つまり、「神は全能である」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」とか、神の本質をいろいろ概念的に規定したうえで、主語概念の分析から「したがって神はある(存在する、実在する)」といくら論理的に結論したところで、それはすでに大前提の神の概念の内に暗に含まれている存在概念を結論の述語で繰り返すだけの単なるトートロジーにすぎないということである。こうした主語概念から論理的に引き出されるトートロジーにすぎない述語をカントは何ら主語概念を「拡張」しない述語(realでない述語)と呼び、そして主語概念に付け加わり拡張する述語を「realな述語」と呼んだ(これは外界における現実的な経験的判断に基づく総合的命題の述語seinの場合である)。

主語概念のトートロジーにすぎない述語のsein、つまり完全自動詞の述語seinが現実的実在的(real)な述語でない場合、これは神の存在論的証明のような分析的命題における完全自動詞の述語のseinの特徴であることをカントは完全に看破していた。繋辞のseinは無論「存在(する)」を意味するものでも何でもなく、主語である「神」と述語である「全能」や「最高の実在性を具有する存在」等々の神の本質概念を単に結び付けるだけのものにすぎず(繋辞のseinは何ら「存在(する)」を意味するものではなく、このseinを「本質存在」とすること自体がまったくの妄想にすぎない)、また完全自動詞の述語のseinも主語概念の分析から論理的に引き出される神の存在論的証明のような分析的命題のseinであるならば、主語概念にあらかじめ含まれていることを結論で繰り返すだけのトートロジーにすぎないから、何ら主語概念を拡張する「realな述語」ではなく、何ら現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味する述語(これをカントは主語概念を拡張する「realな述語」と言うのであり、これは現実世界(reale Welt)における経験に基づく総合的命題の述語seinにほかならない)ではなく、単なる想定や虚構のseinであって、そんなseinは決して「realな述語(ある、存在する)」ではないのであるから、「sein(ある、存在する))」という言葉の虚実(realか否か)の区別も弁えずにただ一律に「sein(ある、存在する)」という言葉一般の意味を論じるだけの「存在論」はまったくの空疎ナンセンスな妄想であることをカントは示したのである。想定や架空の存在と現実の(realな)存在を区別しえない「存在論」(述語のsein「がある、存在する」をおしなべて「事実存在」としているかぎり、分析的命題と総合的命題の述語seinの重要な区別、つまりrealseinか否かの区別をまったくできないことになる)ほど無意味な馬鹿げたものがあろうか。カントは截然とその区別をすることで中世流の「神の存在論的証明の不可能」を示したのである。

カントは「分析的判断・命題」と「総合的判断・命題」の区別については『純粋理性批判』の随所で説明している。この区別は馬鹿げた虚妄の存在論を根本的に暴露粉砕するために決定的に重要なものである。

カントは次のように言う。

 

「主語と述語の関係が考えられるすべての判断において、その関係は二通りの仕方で可能である。述語Bが主語Aの概念の内にあらかじめ(密かに)含まれているものとして主語Aに属しているか、あるいは述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にあるか、これら二通りのいずれかである。私は前者の判断を分析的判断と呼び、後者の判断を総合的判断と呼ぶ。だから判断において述語と主語の結びつきが同一性の原理によって考えられるのが分析的判断である。しかし、この判断が同一性の原理によらずに考えられるのが総合的判断である。前者を解明的判断、後者を拡張的判断と呼んでもよかろう。解明的判断は述語によって主語の概念に何も付け加えない。ただ主語の概念を分析していくつかの部分的概念に分解するだけだからである。そしてこの部分的概念はすでに主語の概念において(漠然とにせよ)考えられていたのである。これに対し、拡張的判断は主語の概念に述語を追加するのであり、そしてこの述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである。・・・・・・

経験判断はその性質上すべて総合的である。・・・・・・分析的判断を構成するには私がすでに持っている概念の外に出る必要はなく、したがって分析的判断は経験の証言を要しない・・・・・・。

概念は自己矛盾を含まないかぎり常に可能である。・・・・・・それでも概念が空虚なものになる場合がある。それは概念を生み出す総合の客観的実在性(objektive Realität)が証明されない場合である・・・・・・。概念の論理的可能から事物(Ding)の現実的実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない・・・・・・。

私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している(dieses oder jenes Ding  existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである。もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない。・・・・・・事物(Ding)の概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる・・・・・・。実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である・・・・・・」(『純粋理性批判』)

 

つまり、カントは「述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にある」ような「判断を総合的判断と呼ぶ」のであり、また「拡張的判断と呼んでもよかろう」と言うのである。そして「拡張的判断は主語の概念に述語を追加するのであり、そしてこの述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析しても引き出せなかったことである」。そしてさらに、「主語の概念に述語を追加する」拡張的判断すなわち総合的な判断や命題について、「経験判断はその性質上すべて総合的である」と言い、「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」と言うのである。つまり、現実の経験判断に基づく総合的命題において「あれこれの物がある(存在する)」と言えば、その物が単なる想定や虚構ではなく実際に現実に(realに)「ある、存在する」を意味しているわけであり、無論それはまったく当たり前のことである。

それに対し、「分析的判断は経験の証言を要しない」のであるから、現実的な経験の裏付けのない分析的命題において、要するに個々人の内界における思考や想定により「あれこれの物がある(存在する)」と言っても、それはその物が外界において実際に現実に(realに)「ある(存在する)」ことを意味しているわけでは無論ないのである。だからカントは「《あれこれの物が存在している》という命題・・・・・・が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」、つまり分析的命題の述語「ある、存在する」は主語概念に「何ら新しいことを付け加えたことにはならない」のであり、主語概念を「拡張」する述語すなわち「realな述語」ではないのである。つまり神の存在論的証明のような分析的命題の結論部の述語「ある、存在する」は「realな述語ではない」のである。つまり述語が「real(現実的、実在的)」か否かは主語概念を「拡張」する(総合的命題の述語)か否(分析的命題の述語)かに完全に対応しているのである。神の存在論的証明は現実的な経験判断に基づかない畢竟は想定や仮定に基づく分析的命題であって、そこでは主語概念にあらかじめ含まれていること(たとえば、「神は全能(allmächtig)である」とか「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々)を概念的分析によって論理的に結論する述語「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」において反復するだけのトートロジーにすぎず、その述語は主語概念に「何ら新しいことを付け加えたことにはならない」のであり、主語概念を何ら「拡張」する述語ではない、つまり「realな述語ではない」、虚構の述語、仮定の述語「ある、存在する」にすぎないとして、カントは神の存在論的証明の不可能を示したのである。

カントが「事物(Ding)の概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」と言うのは、神の存在論的証明の不可能を念頭に置いたものであることは確実である。神の「概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」のである。カントが「概念の論理的可能から事物の現実的、実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない」と言うのも、神の存在論的証明のような分析的命題の述語sein(ある、存在する)から現実的存在(これは総合的命題のrealな述語seinの場合である)を主張したり真に受ける人々に対する重要な忠告警告であることは明々白々たることであろう。

要するに、「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題」であり、「経験判断はその性質上すべて総合的である」のに対し、「分析的判断は経験の証言を要しない」のであるから、分析的判断による命題、たとえば神の存在論的証明のような畢竟は頭の中で想定したにすぎない神の概念をいろいろ並べた分析的命題において「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々といくら神の「実在性(Realität)」を主張したところで、「それは概念を生み出す総合の客観的実在性(objektive Realität)がはっきりと証明されない」かぎり、その「概念が空虚なものになる」のである。

ところで、カントの時代やそれ以前にはRealitätには「実在性、現実性」の意味はなかった(またrealも「実在的、現実的、本当の、真の、実際の」を意味していなかった)などというとんでもない頓珍漢な馬鹿げた考え(言うまでもなくハイデガーが『現象学の根本問題』で主張した珍説、愚説、曲解だが)があるようだが、まったく出鱈目である。Realitätが「実在性、現実性」を意味しないとしたら、アンセルムスたちのように神の存在の存在論的証明を主張する者自身が「ゆえに神はある、実在する」と結論したくともできないことになろうし(大前提に何ら神の「実在」を暗示させる概念がなくなってしまうからだ)、またカント自身も神の存在論的証明の結論「ゆえに神はある(Gott ist.)」の述語「ある、存在する」について主語概念を述語で繰り返すだけのトートロジーにすぎない、つまり主語概念を拡張する「realな述語」ではない、すなわち現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味する述語ではないとして、神の存在論的証明の不可能を示すこともできなくなってしまうであろう。いや、それ以上に、カント哲学全体がほとんど不得要領なナンセンスなおかしなものになってしまうであろう。

『純粋理性批判』(無論その他のカントの全テクストにも)に出てくる「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」に、ハイデガーが『現象学の根本問題』で主張した珍解釈を当てはめてみよ。カントの論旨がほとんどナンセンスなものになってしまうであろう。こんな明々白々なことも分からぬのだろうか。だが、この問題についてはハイデガーの哲学的(?)な仮面的テクストのとんでもないイカサマを暴くときにさらに論じることになろう。ここではただカントの三十代初めの次の言葉を紹介することで、ハイデガーの盲信者たちの反省を促すための最初の暗示を与えておこう。

 

「私は人々が神の概念自体を援用し、神の概念が神の存在を決定すると主張するのをよく知っている。しかし、そうしたことは観念的には起こるかもしれないが、現実的には起こりえないことは明白である。あらゆる実在性(Realität)を含むものの概念を想像してみるがよい。するとそうした概念によってそのものに実在をも与えなければならないことになる。論証はさらに次のように続けられる。もしあるものの中にあらゆる実在性(Realität)が完全な形で具有されていれば、そのものは実在する。しかし、もしその具有が観念に基づくものならそのものの実在もまた観念に基づくものにすぎない」(カント『形而上学的認識の第一原理の新解釈』)

 

神の存在論的証明は現実的な経験判断によらぬ分析的命題であることは明らかであるから、カントは神の存在論的証明を批判し、論駁する際には、現実的な経験判断に基づく総合的命題の述語「ある、存在する」(これは実際に現実にrealに「ある、存在する」を意味する)についてはわざわざ論じていないのである。カントがそこで批判や論駁の対象として俎上に載せているのはもっぱらアンセルムス流の神の存在論的証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」における「ある、存在する(sein)」の虚実(realか否か)の問題であり、そうした分析的命題における「ある、存在する」の問題に限定しているのである。この点を決して誤解してはならない。

神の存在の存在論的証明は神の概念から神の実在(Existenz)を導こうとする分析的命題で構成されたものであり、そこでは大前提において「神」という主語概念について、「神は・・・・・・である」と概念的にいろいろ神の本質を規定したうえで、「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」と結論するわけであるが、その結論は大前提における神の主語概念にすでに「ある、存在する」の意の完全自動詞の述語sein(ある、存在する)が別の形であらかじめ含まれている(たとえば「神は全能(allmächtig)である」とか「神は実在性(Realität)の全体を有する」など)ため、神の存在証明として、「したがって神はある、存在する(Gott ist)」と結論したところで、それは主語概念に異なった言い方ですでに含まれている「ある、存在する」を結論部で述語の形で反復しているだけのトートロジーにすぎず、それは何ら主語概念を「拡張」する述語ではない、つまり「realな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」のである。その述語は単に神の概念を分析することによって論理的に導き出されるにすぎないのであり、その論理は分析的命題の内部で観念的に完結した論理にすぎないのである。分析的判断は「述語Bが主語Aの概念の内にあらかじめ(密かに)含まれているものとして主語Aに属している」(カント)からである。

こうした神の存在論的証明のような分析的命題における主語概念のトートロジーにすぎない述語「ある、存在する(sein)」は、概念の外にある現実世界(reale Welt)における現実的実在的(real)な事物についての経験的認識による現実的実在的(real)な述語「ある、存在する(sein)」を意味するものではないから、その「《ある、存在する》はrealな(実在的な、実在を意味する)述語ではない(Sein ist kein reales Prädikat)」とカントは言うのである。

無論、カントが、「概念は自己矛盾を含まないかぎり常に可能である。・・・・・・それでも概念が空虚なものになる場合がある」と言うのは、神の存在論的証明のような分析的命題を念頭に置いて言っているわけである。だから、「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」として、こうした神のさまざまの本質概念を分析して、「したがって神はある、存在する(Gott ist.)」と論理的に結論したところで、それは神の主語概念にあらかじめ含まれている「神は実在性(Realität)の全体を有する」などの大前提の神の主語概念を結論において述語のsein動詞(ある、存在する)で繰り返すだけのトートロジーにすぎず、したがってこの場合、述語のsein動詞(ある、存在する)は何ら主語概念を拡張する現実的実在的(real)な述語「ある、存在する」ではないのである。だからこそカントは「概念の論理的可能から事物の実在的現実的(real)な可能を直ちに推論してはならない」と警告するのである。

言うまでもないことをここであらかじめ念押ししておくが、Realitätが「実在性、現実性」を意味しているからこそ論理的に「したがって神は存在する、実在する」という結論が正当に導かれると思い込むわけであり、もしもRealitätが「実在性、現実性」を意味しないとしたら(無論そんな馬鹿なことは決してありえないが)そうした結論を論理的に引き出したくとも引き出せないことになるのである。

それに対し、現実世界(reale Welt)における経験判断に基づく総合的命題の場合なら、たとえば現実の事物についての経験判断から「その机の上に本がある(Das Buch ist auf dem Tisch.)」と言えば、その本が実際に現実に(realに)机の上に「ある、存在する」ことを意味していることは誰にもまったく自明のことであろう。その机も本も「机」や「本」という言葉や概念の外の現実の特定の場所に、現実の世界(reale Welt)に、実際に現実に(realに)存在していることは疑う余地がないからである。だから誰かにその本を持ってくるよう頼めば、頼まれた人も当の机の上にその本の存在を容易に確認できるから持ってきてもらえるのである。その本も机も個人の頭の中にあるだけの単なる言葉や概念としてでなく、その言葉や概念の外部の現実世界(reale Welt)に実際に現実に(realに)存在している特定の本や机だから自分以外の人にとっても存在しているからである。眼前に実際に存在する本や机は唯一無二の特定のものであり、それぞれの確たる重量もあり、その本のページ数も書き込みも指紋もその本自体の特定のものであり、その机の素材も疵も何もかもが意識すると否とにかかわらず唯一無二の独特の特定のものであって、個人の内界における単なる一般的概念としての「机」や「本」ではないからである。

現実に存在する物というのはすべてそうしたものであって、その存在の認識は誰にもまったく容易なのである。言葉や概念の外部の現実世界(reale Welt)に現実に実際に(realに)存在し経験する事物はそうしたものなのである。現実に存在する物は別人にとってもその存在を確認できるのである。つまり、ある本がある特定の時と場においてある特定の机の上にある、存在するということは、その本を支える机も、机が置かれた床も、床を支える柱や土台や家も、家を支える大地も、その他すべての現実のそれぞれ特定の存在物も連続的に繋がっていることを意味するのである。だから東京の犬をパリの猫に対面させることも可能なのであり、惑星探査機を飛ばして惑星のサンプルを採集することも可能なのである。現実に本が机の上にあるということはその他すべての現実のあらゆる事物とその本や机が特定の仕方で連続的に繋がっていることを必然的に意味するのである。世界のあらゆる事物の連続性は単に現実的に物理的にそうなっているということであって、個人の内面の思いや感覚とは何の関係もないのである。個人が外的世界に親和を感じていようといまいと外界の事象と物理的に連続しているのである。かように実在する外界は個々人の内面がどうであろうと何ら関知しないのであり、外的世界の現実の在り方は何の変化もないのである。人々の内的な感情や認識がどうであろうと、光速度に何ら変わりはないのであり、地球の自転や公転に何の影響もないのである。現実の外的世界は個々人の内面とはまったく無縁なのである。

ある物についてのこうした「拡張的」な述語による規定はカントの言う「realな(実在的な、実在を意味する)述語」すなわち「事物の規定(Bestimmung eines Dinges)」に通じるものである。

要するに、ある本がある特定の時と場においてある特定の机の上にあるということは、その他のあらゆる実在物とそれぞれ独特の仕方で連続的に繋がっていることを意味するのであって、それは「本」一般という主語概念にあらかじめ含まれていることではまったくなく、主語概念の述語としてまったく新たに付け加わるものであるから、現実的な経験判断に基づく総合的命題の述語は主語概念に対して「拡張的」なのである。だからカントは「経験判断はその性質上すべて総合的である」とか「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」と言うのであり、「総合的判断・・・・・・を拡張的判断と呼んでもよかろう。・・・・・・拡張的判断は主語の概念に述語を追加する」ものだと言うのである。総合的判断では「述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にある」のであり、その述語は主語概念の分析によって単に論理的に引き出されるものではなく、主語概念の外の現実世界(reale Welt)における経験判断によって主語概念に新たに付け加わり、それを拡張する述語なのであり、すなわち現実的実在的(real)な述語なのである。

総合的命題の「述語は主語と結びついてはいるが、しかしまったく主語の概念の外にある」のであり、言葉や概念の外部の現実世界(reale Welt)における経験判断によって主語概念に新たに追加される述語だから、こうした述語をカントは「現実的実在的(real)な述語(すなわち事物の規定)」と言うのである。カントが言う「realな述語」すなわち「事物の規定」 とは「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語である」から、「主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」すなわち「realな述語」とは、外界における現実の経験に基づく総合的命題の述語であることは言うまでもあるまい。

経験判断に基づいて「その机の上に本がある(Das Buch ist auf dem Tisch.)」と言えば、これは総合的命題であって、その述語のsein動詞(ある、存在する)は現実に実際に存在することを意味していることは当然である。だからカントは「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」と言うのである。つまり、「realな(すなわち事物を規定する)述語」とは、「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」であり、これは外界における経験判断に基づく総合的命題のみにおける述語seinの特徴なのである。一方、それに対して、神の存在論的証明のような分析的命題の結論における述語seinは、大前提における「神」という主語概念に含まれるものと畢竟は同じことを結論の述語で反復するだけのトートロジーにすぎないから、決して「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」ではないのであり、そうした述語は「realな述語」ではないのである。

つまり、現実の経験判断に基づいてたとえば「ここに犬がいる(存在する)」という命題は総合的命題であり、この総合的命題における述語「いる、ある、存在する(sein)」は現実に実際に「いる、ある、存在する」を意味する現実的実在的(real)な述語なのであり、主語概念に付け加わる拡張的な(言外のあらゆる実在物と連続的に結びついているから)述語すなわち「realな述語」なのである。現実世界(reale Welt)における経験判断に基づく総合的命題の述語「ある、存在する(sein)」は、決して主語概念の内に別様の表現であらかじめ含まれている「ある、存在する(sein)」の反復や言い換えではなく、主語概念の外部の現実世界(reale Welt)に実際(real)に存在していることを意味するから主語概念を拡張する現実的実在的(real)な述語になるのである。

それに対して、「ここに犬がいる(存在する)」というまったく同じ命題が、小説などのフィクションのなかで作者の想像や思考に基づいて述べられているなら、それは分析的命題である。この場合、「いる、ある、存在する(sein)」は現実的実在的(real)な述語ではない。主語も述語も作者の頭の中だけの観念的な想定であり、概念内のものだからである。その想定の「犬」についていくら言葉を尽くして詳細精密に描写しようと現実の特定の犬の実体には到底及ぶべくもないのである。分析的命題における事物の存在はいわば「絵に描いた餅」の存在と同じであり、そんな「餅」は誰も実際に手にすることも食べることもできないのである。経験判断に基づく総合的命題の述語「いる、ある、存在する」は現実に実際に存在することを意味するが、分析的命題の述語「いる、ある、存在する」は単に作者の思考や想像として、単なる言葉や概念として「いる、ある、存在する」を意味するにすぎず、主語も述語も観念的な仮想のもの、想定内のものであり、その言葉や概念の外部の現実世界(reale Welt)にあるものではなく、虚構の世界のものなのである。

だから、単に「ここに犬がいる」とか「机の上に本がある」という存在(する)を語る言葉や命題のみでは、その命題が分析的命題か総合的命題かは判明しないため、その存在(する)の虚実(現実的存在か概念的存在か、要するにその述語「ある、存在する」が「realな述語」か否か)を判断できないのである。それゆえにこそカントは、「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである」と問うのであり、事物の存在(する)に関する命題が分析的か総合的かいずれであるかを問い尋ねなければならないのである。そして、「もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」(つまり、その「ある、存在する」は主語概念を何ら「拡張」する述語ではない、すなわち「realな述語ではない」)と言うのである。しかし、もしこの命題が総合的命題なら、その「ある、存在する」は「realな述語である」ことは言うまでもあるまい。

要するに、「《あれこれの物が存在している》という命題」が現実的な経験判断に基づく総合的命題ならば、その物が実際に現実に(realに)存在する(sein)ことを当然意味しているのであり、その述語「ある、存在する(sein)」は「現実的実在的(real)な述語」なのである。つまり、ある物が存在する(sein)ことを主張する命題が分析的か総合的かによってその物の存在の虚実(主語概念を「拡張」する「realな述語」であるか否か)が判断されるのである。つまり、事物が存在する(sein)ことを主張する命題については、その事物の存在の虚実(realか否か)を判断するためには分析的命題か総合的命題かの区別が決定的に必要になるのであり、いずれの命題であるかを問い尋ねなければならないのである。カントが「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している(dieses oder jenes Ding  existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである。もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」と言うことの意味が分からなければどうにもならぬ。「《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか」とカントがわざわざ問い尋ねなければならないことの真意が分からなければどうにもならぬ。

神の存在の存在論的証明をめぐる空疎で煩瑣な議論を何とか一掃しようとして(無論それが該節の彼の趣旨であり、目的である)、カントは次のように言う。

 

「私は実在(Existenz)という概念を厳密に規定すればこうした煩わしい議論にさっさと片を付けられると思いたいところだが、論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想(Illusion)ははたからの忠告をほとんど聞き入れようとしないことを経験から承知している。論理的述語なら好きなように設定できよう。主語ですら主語自身の述語になりうる。論理は内容には一切立ち入らないからである。しかし、事物の規定(Bestimmung eines Dinges)とは外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語である。だからこの規定(Bestimmung)はその概念にあらかじめ含まれているものであってはいけないのである」(『純粋理性批判』)

 

カントは「実在(Existenz)という概念を厳密に規定」することによって神の存在論的証明をめぐる「煩わしい議論にさっさと片を付け」ようとしているわけであるが、そのために主としてsein動詞にまつわる根深い「妄想、錯覚(Illusion)」を何とか暴露粉砕しようとしているのである。つまりカントは、不完全自動詞の繋辞のsein「である、です、だ」および完全自動詞の述語のsein「ある、いる、存在する」の「混同から生じる妄想」を暴露粉砕するとともに、さらに一層重要なことだが、神の存在の存在論的証明のような分析的命題の論理的述語seinと総合的命題の実在的(real)な述語seinすなわち「外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」seinの「混同から生じる妄想」を暴き粉砕しようとしているのである。要するに、分析的命題の「論理的述語」のseinと総合的命題の「事物を規定する述語」(主語概念を拡張する「realな述語」)のseinの「混同から生じる妄想」の暴露粉砕である。神の存在論的証明のような分析的命題の結論の論理的述語のseinは「realな述語ではない」(主語概念を反復するだけの述語だから)が、しかし総合的命題の述語seinは「realな述語である」(主語概念に付け加わり拡張する述語だから)ということなのである。無論、繋辞のseinならいずれの命題の場合でも「seinrealな述語ではない」ことは当然である。繋辞は述語ですらないことは言うまでもあるまい。

カントが「ザイン(Sein)はレアール(real)な述語ではない」と言ったとき、そこで彼が論じているのは繋辞のザインと「ある、存在する」を意味するザインについてであって(但し、「ある、存在する」を意味するザインの場合、カントが念頭に置いているのは神の存在論的証明のような分析的命題のザインであって、総合的命題のザインではない。この区別を明示しなかったため、カントの以後の論考がやや明快さを欠くことになった)、それはこの文句についての彼の説明を読めば明々白々であろう。この「ザイン(Sein)」を「存在」と訳したり解釈してはならない。たとえばカントが繋辞のザインについて説明している場合に、このザインを「存在」と解したらまったく意味が通じまいし、また彼が「ある、存在する」を意味する動詞のザインについて説明しているのに名詞の「存在」と解釈したらやはり意味不明になってしまうであろう。こんな分かり切ったことはわざわざ言うまでもないことではあるが。

 

「ザインは明らかに現実的実在的(real)な述語ではなく(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)、事物の概念に付け加わるような何か別の概念ではない。それ(sein)は単に事物の措定あるいは事物におけるさまざまの断定の設定にすぎない。論理的使用においては、それ(sein判断の繋辞にすぎない。神は全能である(Gott ist allmächtig.)という命題は神(Gottと全能(allmächtigという二つの概念を含み、いずれもその対象を有しているが、この文中の小辞《ist(である、です、だ)》は述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない。ところで私がこの主語(神)をそのすべての述語(「全能」も含まれる)とひとまとめにして《神はある、存在する(Gott ist.)》とか《神というものはある》と言っても、私は神の概念に何ら新しい述語を追加したことにはならず、主語自体をすべての述語に関係づけただけ、つまり対象を私の概念に関係づけただけにすぎない。これら両者はいずれも同じ内容であるはずであり、だから単に対象の可能性を表現しているだけの概念にはそれ以上何も付け加えることはできないのであって、私は(《それはある》という言葉によって)対象をもっぱら与えられたものと考えているにすぎないのである」(『純粋理性批判』)

 

この引用の前半はほぼ繋辞のザインについて論じ、後半は「ある、存在する」を意味するザインについて論じていることは明々白々であろう。

カントはここではsein(ある)という「存在(する)」に関わるような言葉(無論コプラのseinなら何ら「存在(する)」とは関係ないが、なのに繋辞のseinからも「ある」や「存在(する)」を連想してしまうような頑固な「妄想、錯覚(Illusion)」があるのだ)を論じていながら、そのsein動詞を含むような命題が総合的か分析的かの区別をしていないが、それはここでは「神の存在の存在論的証明」のような畢竟は概念的な想定に基づく分析的命題の述語sein(ある、存在する)が現実に実際に「ある、存在する」を意味する述語でないことを示すことが彼の趣旨だからである。つまり、ここではカントはザイン動詞一般について「sein(ある)は明らかに現実的実在的(real)な述語ではない」と言っているわけでは決してない。彼は神の存在論的証明における結論「ゆえに神はある、存在するGott ist.)」の述語「ある、存在する(sein)」が「現実に実際に(realに)ある、存在する(sein)」を意味するものではないと言っているのである。大前提で想定された神の概念から単に論理的に「神はある、存在するGott ist.)」という結論を引き出したにすぎないから、この結論の「ある、存在する」は大前提における神の概念のトートロジーにすぎないのであり、したがって神の存在論的証明のような分析的命題の「ザイン」は「レアールな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」のである。ここで、もしカントが「ある、存在する」を意味するザイン動詞一般について、つまり外界における経験判断に基づく総合的命題の「ザイン」についても「ザインはレアールな述語ではない」と言っているとしたら、ここに至るまでの彼自身の論旨に反することになろうし、またそうなれば「神の存在論的証明の不可能」を示すこともまったくできなくなってしまうことは必定である。

無論、この冒頭のseinが繋辞のseinなら命題の区別はまったく必要ないわけであり、実際、冒頭の一文以下ではほとんど繋辞のseinについて論じている。この冒頭の一文についてはフッサールも『論理的探究』で取り上げているが、彼もこのseinを不完全自動詞の繋辞のseinとして論じており、繋辞のsein自体には感取できるような現実的実在的(real)な意味内容など何もないことを論じている。まったく当たり前のことである。繋辞「である、です、だ」は主語と述語を結び付けるだけの「小辞」にすぎず、こうした繋辞を必要としない言語だってあるのである。カントが言うように、「この小辞istは述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」。こうした繋辞のseinすらも「ある、存在する」を意味すると思ってしまうような頑迷な「妄想、錯覚Illusion)」をカントは何とか払拭打破しようとしているのである。

以上の少々煩瑣な説明から明らかであろうが、この冒頭の一文は総合的命題の完全自動詞の述語sein(ある、存在する)について言っているものでは決してない。現実の存在についての経験判断に基づく総合的命題の述語sein(ある、存在する)であるならば、それは主語概念に付け加わる「拡張的な述語」すなわち「realな述語(ある、存在する)」だからである。「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」からである。つまり、ある命題が完全自動詞の述語のsein(ある、存在する)を含む場合、その述語seinが総合的命題の述語seinか分析的命題の述語seinかを判断せずに、「seinは現実的実在的(real)な述語ではない」とは決して断定できないわけである。たとえば「机の上に本がある」とか「黒猫が公園にいる」などのような「《あれこれの物が存在している》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか」をカントがわざわざ問い尋ねなければならぬことの意味が分からなければどうにもならぬ。

人が単に頭の中で(内界で)「机の上に本がある」と言っても、それは現実の特定の「机」や「本」ではなく、一般的概念の「机」や「本」であって、それらは実際に現実に(realに)「ある、存在する」わけではないから、その「ある、存在する」は「レアールな述語ではない」のである。それに対し、人が外界における経験判断によって、「机の上に本がある」と言う場合は、その「机」も「本」も唯一無二の特定のものであって、「机」や「本」という概念の外の現実の場に実際に「ある、存在する」ことを意味しているから、その「ある、存在する」は「レアールな述語」なのである。前者は分析的命題の述語であり、後者は総合的命題の述語なのである。

要するに、冒頭部分の「sein(ある)は明らかに現実的実在的(real)な述語ではない」は繋辞のseinと神の存在論的証明のような分析的命題の述語のseinについてカントは論じているのであって、外界における経験判断に基づく総合的命題の述語のseinについて論じているわけでは決してないのである。

神の存在論的証明の不可能を示すために、カントは無論その分析的命題の述語sein(ある、存在する)を批判し論駁しているのである。「神は全能である(Gott ist allmächtigという命題は神(Gottと全能(allmächtigという二つの概念を含み、いずれもその対象を有しているが、この文中の小辞《ist(である、だ)》は述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」。つまり、「神」は主語、「全能」は述語、「である」は繋辞である。ここでカントは述語と繋辞を截然と分けていることに注意すべきである。繋辞のseinにまつわる「妄想、錯覚(Illusion」を明瞭に示したいのだ。単に主語と述語を結ぶ「小辞」にすぎない繋辞のseinにも「ある」や「存在(する)」を連想してしまうような馬鹿馬鹿しさを指摘しているのである。

かように前半は主として繋辞のseinについて論じているわけであるが、続いてカントはこう言う。

 

「ところで私がこの主語(神)をそのすべての述語(「全能」も含まれる)とひとまとめにして《神はある(存在する)Gott ist.》とか《神というものはある》と言っても、私は神の概念に何ら新しい述語を追加したことにはならず、主語自体をすべての述語に関係づけただけ、つまり対象を私の概念に関係づけただけにすぎない。これら両者はいずれも同じ内容であるはずであり、だから単に対象の可能性を表現しているだけの概念にはそれ以上何も付け加えることはできないのであって、私は(《それはある》という言葉によって)対象をもっぱら与えられたものと考えているにすぎないのである」(『純粋理性批判』)

 

要するに、「神はある、存在する(Gott ist.)」の述語のsein動詞ist(ある、存在する)は神の主語概念(たとえば神は全能(allmächtigである」、「神は実在性(Realität)の全体を有する」等々)に暗に含まれる「ある、存在する」を意味する概念を結論部において述語動詞の形で繰り返しているだけのトートロジーにすぎず、したがってその述語seinは「realな述語(ある、存在する)ではない」のである。神の存在論的証明は「判断において述語と主語の結びつきが同一性の原理によって考えられる」分析的判断であって、その述語は主語概念で考えられていることを述語で反復するだけのトートロジーにすぎないのである。「《神はある(存在する)Gott ist.》・・・・・・と言っても、神の概念に何ら新しい述語を付け加えたことにはならず」とは、神の存在論的証明が分析的命題だからである。しかし、それに対して、実在(Existenz)についての経験判断に基づく総合的命題の述語であれば、主語の概念に「新しい述語を付け加えたことに」なるのであり、したがってその述語seinは「拡張的な述語」であり、すなわち「realな述語」なのである。

要するに、冒頭の「seinは明らかにrealな述語ではない」というのは、このseinが繋辞である場合は、いずれの命題の場合にも妥当するが、それが完全自動詞の述語のsein(ある、存在する)を意味する場合は、神の存在論的証明のような分析的命題の場合にのみ妥当することであって、経験判断に基づいた総合的命題の場合には決して妥当しないのである。総合的命題の述語seinrealな(すなわち事物を規定する)述語」であり、外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語」であり、そして「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」のだから、総合的命題の述語sein(ある、存在する)は主語の概念の分析から論理的に引き出されるものではなく、実際に現実に「ある、存在する」を意味する「realな述語」なのである。

ここで一言付言しておくと、神の存在論的証明のような分析的命題の述語ザイン(ある、存在する)が主語概念のトートロジーになるのであって、すべての分析的命題の述語ザインが必ずしも主語概念のトートロジーになるわけではない。たとえば小説などのフィクションのテクストは想像で書かれた分析的命題で構成されたものだが(しかし『仮面の告白』は虚と実の二種の命題のアマルガムである。分析的な仮面の論理で総合的な作者自身の恥辱的な過去の現実的経験を糊塗した仮面的テクストである)、その述語「ある、存在する」は主語概念のトートロジーになるわけではないが(トートロジーになるのは神の存在論的証明のような三段論法の命題の場合である)、無論現実に「ある、存在する」を意味しているわけではなく、想像上の架空の「ある、存在する」であって、「レアールな述語ではない」のである。無論、その他の主語も述語も作者の想像の産物であって「レアールでない」ことは言うまでもない。小説や御伽噺などの文学的フィクションが「レアール」でないのは作者も読者も了解していることであって(ここでは虚実の区別は問題ではないのだ)、そんなものをカントは「レアールでない」と批判論駁しているわけでは毛頭ない。しかし、神の存在論的証明は結論の「神はある、存在する」を「現実に実際に(レアールに)存在する」ものと信じたり、疑ったりして、その成否の議論が紛糾混乱しているため、カントはその「ある、存在する」は「レアールな述語ではない」と明快に論駁して、「こうした煩わしい議論にさっさと片を付け」たのである。

何度も繰り返すようだが、ここで改めてカントの次の言葉を確実に把握しておくべきである。「述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にある」ような判断を「総合的判断」と呼び、「拡張的判断と呼んでもよかろう」。そして「拡張的判断は主語の概念に述語を追加するのであり、そしてこの述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」。主語概念を拡張する述語(すなわちrealな述語)とは「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を追加する述語であり、これは総合的な判断や命題における述語にほかならない。そして、「経験判断はその性質上すべて総合的である。・・・・・・分析的判断を構成するには私がすでに持っている概念の外に出る必要はなく、したがって分析的判断は経験の証言を要しない」。そして、「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」ということ。以上のことを確実に認識しておくことが肝腎である。

だから、カントが冒頭で「seinは明らかにrealな述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」と言ったとき、彼は決して命題の区別なく完全自動詞の述語のsein(ある、存在する)一般についてそう言ったわけではなく(無論、何度も言うようだが、不完全自動詞の繋辞のseinの場合には命題の区別を要しない)、神の存在論的証明のような分析的命題の述語seinについて言っているのであって、決して「現実的存在に関する命題」である総合的命題の述語sein(これは無論「realな述語」である)について言っているわけではないのである。この点を看破理解せずして、冒頭の一行を決して解き明かすことはできないのである。冒頭の一行は神の存在論的証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」の述語sein動詞を「現実に実際にある、存在する」を意味するものではない、「realな述語ではない」、虚構の述語、虚妄の「ある、存在する」にすぎないとして論駁することによって、「神の存在の存在論的証明の不可能」を示しているのであって、決して総合的命題の述語seinについて「seinrealな述語ではない」と言っているわけではまったくないのである。

カントは神の存在論的証明の結論の「神がある、存在する(Gott ist.)」が畢竟は想定による主語概念を述語のsein動詞で繰り返しているだけのトートロジーにすぎないから、その「seinrealな述語ではない」すなわちその「ある、存在するは現実に実際に(realに)ある、存在するを意味するものではない」と批判し、論駁したのであって、これがもしすべての命題の述語seinについて、つまりsein一般について、「seinrealな述語ではない」としたら、批判の対象として神の存在論的証明をカントが論駁した意味が全然なくなってしまうであろうし、また、カントが「あれこれの物が存在しているという命題は分析的命題なのか総合的命題なのか」をわざわざ問い尋ねる意味もまったくなくなってしまうことになろう。seinは明らかにrealな述語ではない」は神の存在論的証明のような分析的命題のザインについて言っているものであって、決して総合的命題のザインについて言っているものではないのである。このザインをザイン一般だと思い込んでいる者(たとえばハイデガーなど)はカント哲学の「核心部」をまったく理解していないも同然である。

以上、カントは、若干の言葉足らずや説明不足はあるが、神の存在論的証明における主としてsein動詞にまつわる「妄想、錯覚(Illusion)」を天誅の如く根底から木端微塵に粉砕したのである。主語と述語を結び付けるだけの繋辞にすぎないseinをも述語のsein(ある、存在する)の連想から「ある」や「存在(する)」を意味しているかのように思い込むような愚かな「妄想、錯覚(Illusion)」を暴露し、次いでさらに「実在(Existenz)という概念を厳密に規定」することによって、「論理的述語とrealな(すなわち事物を規定する拡張的な)述語)の混同(つまり分析的命題の述語と総合的命題の述語の混同)から生じる妄想、錯覚(Illusion)」を粉砕し、概念の論理的(logisch)な可能から事物の実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない(von der Möglichkeit der Begriffe logische nicht sofort auf die Möglichkeit der Dinge reale zu schließen)」と釘を刺したのである。要するに、「実」の「存在(する)」を意味する「実在(Existenz)という概念を厳密に規定」することによって「虚」の「存在(する)」を暴露し、神の存在論的証明を根本的に論駁、粉砕したのである。分析的命題である神の存在論的証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」の述語「ある、存在する」は、主語概念(神の概念)に含まれていることを結論において述語動詞の形で繰り返しているだけのトートロジーにすぎないから、その命題の述語「ザイン」は「レアールな述語ではない」として神の存在論的証明を明快に論駁したのであって、決して総合的命題の述語ザインをも含めたザイン一般について「ザインはレアールな述語ではない」と言っているわけではないのである。経験的認識による総合的命題の述語ザインは主語概念を拡張する「レアールな述語」であり、また神の存在論的証明とは違って、決して主語概念を反復しているにすぎないトートロジーの述語ではないからである。

つまり、神の存在の存在論的証明に代表されるようなカント以前の存在論(古代や中世の存在論)では、分析的命題と総合的命題の区別(の意味)がほとんど認識されていないため、「神は全能である(Gott ist allmächtig.)」とか「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々の神の概念の分析から論理的に「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」と結論する神の存在論的証明(これは単に内界における想定に基づく証明にすぎない)が現実にも成り立つものと信じ込むわけである。そこでカントはこうした「論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想や錯覚(Illusion)」を何とか暴露粉砕するために、分析的命題と総合的命題の区別の意味を説いてきたのである。それゆえカントは「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している(dieses oder jenes Ding existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか、ということである」と言って、「ある」や「存在(する)」を主張する命題の区別を問い尋ねるわけであり、そして「もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」と言うのである。つまり分析的命題である神の存在論的証明でいくら神の存在を主張したところで、その証明は主語概念にあらかじめ含まれていることを畢竟は述語で反復するだけのトートロジーにすぎず、その述語のsein動詞「ある、存在する」は現実的実在的(real)な述語「ある、存在する」を意味するものではない、すなわち「realな述語ではない」と明快に喝破したのである。かように「実」を認識しえないかぎり「虚」を根本的に暴露、批判、論駁、粉砕できないのである。「実」を認識しえない者は「虚」を「虚」と見破ることはできないのである。

 「ある、存在する」という言葉一般の意味のみをいくら追い求めようと、現実の事象としての存在を認識できるわけがないのである。ハイデガーの存在論は最初から方法的に間違っているのである。

 

 

ハイデガーは『存在と時間』で存在についてのプラトンの「驚異」を後生大事に受け継ぎ、「存在一般の意味の究明」を標榜しつつ、「《存在(Sein)》という概念は定義不可能である。これはこの概念の最高の普遍性から推論された」として、その根拠として次のパスカルの言葉を引用している。

 

「同様の不合理に陥ることなしに、存在(l’être)を定義しようと企てることはできない。なぜなら、《それは・・・・・・である(cest)》という語を言い表わすか、言外に含ませるか、とにかく始めに置くことなしに、一つの語を定義することはできないからである。ゆえに、存在(l’être)を定義するには、《それは・・・・・・である(cest)》と言わなければならず、そうすれば、定義中で定義される語を使用することになるのである」(パスカル『パンセと小品集』)

 

要するにパスカルの文はそれまでの伝統的な存在論(主として中世スコラ哲学の存在論)が単なる繋辞「である、です」にすぎないêtreも「ある、存在する」を問題にする存在論に含めていたことを如実に示しているわけだが、驚くべきことに二十世紀になってもハイデガーは繋辞のseinと述語のseinをまったく混同ないし同一視しているのであり、「である、です、だ」を意味する単なる繋辞にすぎないêtreseinを「ある、存在する」を意味する完全自動詞の述語のêtreseinと同等の存在問題とみなしているのである。繋辞のêtreseinは単に主語と述語を結び付けるだけの役割をする言葉にすぎず、存在(する)を意味するものではまったくないのであるが、印欧語族の言語では繋辞を意味する語と存在(する)を意味する語が同一語になっているため、単なる繋辞にも存在(する)の意味があるように錯覚ないし妄想してしまうのである。これは印欧語族の言語を使用する西欧哲学における最大の妄想、最大の愚考である。

無論、カントはそんな馬鹿げた伝統的存在論の妄想や誤解を批判した。「神は全能であるGott ist allmächtigという・・・・・・文中の小辞ist(である)は述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」(『純粋理性批判』)と簡明に喝破している。『純粋理性批判』は一面で伝統的存在論に対する根本的批判の上に立っているのである。

ハイデガーが「《存在(Sein)》という概念は定義不可能である。これはこの概念の最高の普遍性から推論された」として引用しているパスカルの文自体が、「ある、存在する」を意味する述語のêtreと「である」を意味する繋辞のêtreの意味の違いを区別をせずに一緒くたにして論じているのであり、だから彼は「存在(l’être)を定義するには、《それは・・・・・・である(c’est)》と言わなければならず、そうすれば、定義中で定義される語を使用することになる」として、「不合理に陥ることなしに、存在(l’être)を定義しようと企てることはできない」などと言うわけである。しかし述語のêtre(ある、存在する)と繋辞のêtre(である、です)の意味の違いを区別し明示しながら「存在(l’être)」を定義すれば何ら「不合理に陥る」ことなどないはずである。だから、このパスカルの文を引用して、「《存在(Sein)》という概念は定義不可能である。これはこの概念の最高の普遍性から推論された」と言うハイデガー自身がパスカルと同様に述語のseinと繋辞のseinの意味の違いを区別できていないことを如実に示しているのである。その区別ができていないから、、「《存在(Sein)》という概念」が「最高の普遍性」をもつかのように妄想してしまうのである。

さらにハイデガーは、述語のseinについても、それが現実的実在的(real)な「ある、存在する」(総合的命題の「ある、存在する」)か単なる概念上の論理的な「ある、存在する」(分析的命題の「ある、存在する」)かの重要な区別をしたカントの『純粋理性批判』の中心的論旨(神の存在証明の不可能を論じた節)をまったく理解できず、カ ントの言うrealを「実在的」という意味ではないなどというとんでもない愚説を強弁するに至るのである(『存在と時間』刊行後になされたイカサマと愚考と出鱈目に満ち満ちた講義『現象学の根本問題』を参照せよ)。つまり、ハイデガーはカントの言葉「Seinは明らかにrealな述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」の Seinを「Sein一般」を意味するものと解釈して(これこそ決定的な根本的誤解である。カントは神の存在論的証明という分析的命題の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist)」のザイン動詞について「realな述語ではない」と言っているのである。だが、カントはそこでザイン動詞を含む命題の区別を明示しなかった。ここにはカントの若干の説明不足がある。

ハイデガーは『存在と時間』公刊後の講義(これは『現象学の根本問題』として公刊されたが、同書は「『存在と時間』第一部第三編の新たな仕上げ」であるとハイデガー自ら記している)においてこのザイン動詞やレアール(real)の意味についてとんでもない頓珍漢なまやかしの説を強弁しているのである。カントの言う「レアール(real)」が「実在的」という意味ではない、「事象内容を示す」という意味だと言うのだ。「事象内容を示す」とは曖昧な言い方を工夫したもので、これだけでは意味はよく分かるまいが、その意味についてはハイデガー自身が『現象学の根本問題』のなかでやや詳しく説明している。だが、その説明たるや、まったく呆れるほどの馬鹿馬鹿しさである。「〈ABである〉という命題において、BAに付け加えられるレアールな述語である」などと言っている。これではどんな述語もすべて「レアールな述語」ということになってしまうではないか。「レアール」という言葉などあってもなくてもいいことになってしまうではないか。とにかく彼は特にカントの言う「ザインはレアールな述語ではない」(この言い方にはカントの言葉足らずがあるわけだが、それを看破することが肝心要である)を解釈しようとして「レアール」の意味を「実在的」(無論カントはこの意味で使っている)ではなく単に「概念を示す」という意味だと強弁し、そして己のとんでもない馬鹿げた「レアール」解釈をカントの全テクストに強引に及ぼそうとするのである。

 

カントが言うように、「哲学は不正確な定義だらけである」(『純粋理性批判』)ため、また同じ言葉や概念でも哲学者によって微妙に意味が異なっていたりするため、さまざまの先哲の曖昧多義的な言葉や概念のみをいくら穿鑿したところで、字面上のまやかしの見せかけの辻褄合わせはいくらでもできるため、いかようにも意味ありげに見せかけることができるわけであり、そこでハイデガーのような読者を煙に巻く難解めかした意味ありげなイカサマ哲学が訳も分からずに持ち上げられたりするのである。これに誑かされてはならない。

要するにハイデガーは『純粋理性批判』の「核心部」の論旨をまったく理解しておらず、虚構のseinと現実的実在的(real)なseinの区別もできずに(だから彼は「realな述語」と「realでない述語」の区別がまったくできず、「ザインはレアールな述語ではない」(カントは神の存在証明の結論部のsein動詞を念頭に置いて言っているのだ)というカントのテーゼをまったく理解できなかったのである。

ところが、こんな意見がある。先のカントの引用部分の解釈をめぐるものである。

 

「『現象学の根本問題』の第一部第一章では、同じカントでも、もはや時間論などではなく、〈存在〉に関するテーゼが直接採りあげられている。それは、《存在(在るということ)は事象内容を示す述語ではない》というテーゼであり、これはカントの『神の存在証明の唯一可能な証明根拠』や『純粋理性批判』の弁証論に見られるものである。いま《事象内容を示す》と訳したのは〈real〉という形容詞であり、これを名詞化すると〈Realität〉であり、哲学用語としては通常〈実在的〉〈実在性〉と訳される。しかし、カントのこのテーゼの《事象内容を示す》とした部分を《実在的》とすると、《存在は実在的な述語ではない》となり、まったく意味が分からなくなる。だが、このテーゼは従来こう解され、たとえば日本でもいまだにこうした意味不明な文章に訳されている。〈Realität〉も同様であり、これはたとえば『純粋理性批判』の核心をなす〈カテゴリー表〉のうち〈質〉のカテゴリーの一つとして表われる概念である。これも従来〈実在性〉という意味に解され、そう訳されてきた。・・・・・・

ハイデガーはここで、この〈real〉〈Realität〉を〈実在的〉〈実在性〉と解するのは誤りだと主張する。〈real〉はラテン語の〈res(物)〉に由来し、〈物の事象内容を示す〉という意味に解されねばならない、少なくともカントの時代にはそういう意味でしか使われなかったということを明快に解き明かしてみせる。これだけでも驚くべき発見であった。カントの『純粋理性批判』のように無数の人によって読み継がれ研究しつくされてきた重要な著作の、それも核心部に長いあいだ明確な誤解があったのを、ハイデガーはいかにも快刀乱麻を断つといった感じで訂正してみせるのである」(木田、『ハイデガーの思想』)

 

木田はハイデガーを大尊敬し、彼の言うことをほとんどすべて真に受け、押し頂いているようだが、これはまったく頂けない意見である。すでにくどく説明したことを繰り返すことになるが、カントはアンセルムスを始祖とする中世スコラ哲学流の神の存在の存在論的証明を論駁するためにその証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」の述語「ある、存在する(sein)」が現実的実際的(real)に「ある、存在する(sein)」を意味するものではない、その「ザインはレアールな述語ではない」と言っているのである。なぜなら神の存在の存在論的証明は単に内界で考えられ想定された神の概念に基づく分析的命題にすぎないからである。ここでカントが言うザイン(ある、存在する)は神の存在論的証明のような分析的命題のザインであって、現実の外界における経験的認識による総合的命題のザインではないのである。それを明示しなかったカントの若干の説明不足や混乱はあるが、それを見破らなければならない。いずれにせよカントは神の存在の存在論的証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」のザイン動詞は現実に実際に(realに)「ある、存在する」を意味する述語ではない、「ザインはレアールな述語ではない」として、「神の存在の存在論的証明の不可能」を示したのであって、したがって、このrealを「実在的」とか「現実的」と解するのまったく当然のことであり、またそう解さないかぎりカントの真意を決して理解できないのである。

ところがハイデガー信者の木田は彼の愚説曲解を真に受けて、「ハイデガーはここで、この〈real〉〈Realität〉を〈実在的〉〈実在性〉と解するのは誤りだと主張する。〈real〉は・・・・・・〈物の事象内容を示す〉という意味に解されねばならない、少なくともカントの時代にはそういう意味でしか使われなかったということを明快に解き明かしてみせる。これだけでも驚くべき発見であった」などと大絶賛する。両者ともカントの言う「ザインはレアール(real)な述語ではない」の意味をまったく理解できないのである。「驚くべき発見」どころか、「驚くべき」誤解、曲解、愚解である。カントの言う「レアール」や「レアリテート」の意味がまったく分かっていないのである。無邪気なハイデガー信者はともかく、カント学者がハイデガーのこんな曲解、愚解、出鱈目に服しているとしたら、馬鹿馬鹿しさの極致であろう。

カントが「論理的述語と現実的実在的(real)な述語(すなわち事物の規定)の混同から生じる妄想《die Illusion, in Verwechslung eines logischen Prädikats mit einem realen, d.i. der Bestimmung eines Dinges)》」 と言っていることの意味がまったく分かっていないのである。ここでrealrealen)をハイデガーの主張する「物の事象内容を示す」(これも人を煙に巻く曖昧な意味不明の表現だが、『現象学の根本問題』で彼自身が説明しているところによれば、単に「物の概念を示す」という意味であることは明らかである。これはカントの言う「事物の規定」とはまったく違うものだが、それをハイデガーは「物の事象内容を示す」という曖昧模糊たる言い方をしているのである。人を煙に巻こうとするイカサマ師の工夫である)と解して読んでみればよい。カントの重要な論旨がまったく馬鹿げた無意味なものになってしまうであろう。「〈real〉は・・・・・・〈物の事象内容を示す〉という意味に解されねばならない、少なくともカントの時代にはそういう意味でしか使われなかった」などまったくの出鱈目であり、とんでもない嘘であり、己のカント曲解を強引に正当化するための大嘘である。カントの言うrealに「実在的、現実的」以外の意味などありはしない。

何度もくどく言うようだが、カントは神の存在の存在論的証明における大前提、たとえば「神は全能(allmächtig)である」とか「神は最高の実在性(Realität)を具有する存在である」などの主語(神)概念の分析から、「したがって神はある、存在する(Gott ist.)」と論理的に結論したところで、その論理的結論である述語「(神は)ある、存在する」は可能的な主語概念に別の表現(たとえば「神は実在性を有する」など)であらかじめ含まれていることを単に述語の形で反復しているだけのトートロジーにすぎず、何ら主語概念を拡張するような「現実的実在的(real)な述語」ではない、すなわち「現実に、実際に(レアールに)ある、存在する」を意味するものではないとして、神の存在論的証明を根本的かつ決定的に論駁し、「神の存在の存在論的証明の不可能」を示したのである。

要するに、「ザインは明らかに現実的実在的(real)な述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」は、神の存在論的証明のような分析的命題の結論部「(ゆえに)神はある、存在する。Gott ist」の述語のザイン動詞を現実的実在的(レアール)な存在(する)を意味するものではないと批判し、論駁している言葉であって、経験的判断に基づく総合的命題の「拡張的」で「レアール」な述語のザインについて言っている言葉では決してないのである。つまり、カントはザイン動詞一般について「ザインはレアールな述語ではない」と言っているわけでは決してないのである。神の存在論的証明のような分析的命題の結論部の述語のザインを「レアール(実在的)な述語(ザイン)」とみなす考えを論駁しているのである。なぜなら、カントは、「述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にある」ような判断を「総合的判断」と呼び、「拡張的判断と呼んでもよかろう」と言い、そして「拡張的判断は主語の概念に述語を追加するのであり、そしてこの述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」と言い、そういう述語を主語概念を拡張する「レアール(現実的、実在的)な述語」と言っているからである。

神の存在論的証明は神という主語の概念において考えられていることを結論で述語動詞の形で言っているにすぎず、また神という主語の概念を分析することによって引き出した結論にすぎないからこそ、その結論の「神はある」の「ある(存在する)」というザイン動詞は「レアールな述語ではない」のである。「ザインはレアールな述語ではない」というのは分析的命題の場合について言っているのであって、決して総合的命題の場合について言っているものではないのである。

中世スコラ哲学流の神の存在論的証明は大前提において「神」という主語にあらかじめ含まれている概念を分析して論理的に「ゆえに神はある(Gott ist.)」と結論するだけである。それに対し、主語概念を拡張する述語(すなわちrealな述語)とは「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を追加拡張する述語であり、これは総合的な判断や命題における述語にほかならない。そして、「経験判断はその性質上すべて総合的である。・・・・・・分析的判断を構成するには私がすでに持っている概念の外に出る必要はなく、したがって分析的判断は経験の証言を要しない」。そして、「実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である」。こうしたカントの言葉から、「ザインは明らかに現実的実在的(real)な述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」は、神の存在論的証明のような「経験の証言を要しない」分析的判断による分析的命題の述語ザインについて論じているものであって、経験判断に基づく総合的命題の述語ザインについて論じているものでは決してないことは明々白々であろう。

分かり切ったことを何度も繰り返すようだが、カントの言う「realな述語」とは「事物を規定する述語」であり、そして「事物の規定とは外部から主語の概念に追加されて概念を拡張するような述語である」。だから「この(事物の)規定は主語概念にあらかじめ含まれているものであってはいけない」のである。ここでカントは総合的命題と分析的命題の区別を示しているのであり、「事物の規定」「主語概念を拡張する規定」(総合的命題の述語)と「概念の規定」「主語概念にあらかじめ含まれている規定」(分析的命題の述語)を截然と区別しているのであり(つまりカントの言う「規定」には二種類あるのだ。この二種の「規定」の区別が鈍物イカサマ師ハイデガーにはまったくできなかったはずである)、この重要な区別の意味するところが分からなければ誤解誤読をせざるをえまい。前者は現実世界における経験判断に基づく総合的なものであり(その述語は「realな述語」である)、後者は「経験の証言を要しない」分析的なものである(その述語は「realな述語ではない」のである)。この区別こそカントの存在論の決定的に重要な鍵である。

カントはこう言っているではないか。「概念の論理的(logischな)可能から事物の現実的実在的(realな)可能を直ちに推論してはならない(von der Möglichkeit der Begriffelogische nicht sofort auf die Möglichkeit der Dingereale zu schließen)」(ここでカントの言う「レアール(rea)」を、「実在的」の意ではなく、「事象内容を示す」つまり「物の概念を示す」の意だと曲解強弁するハイデガーの愚説を真に受ける者がいようか)、「ある対象に関するわれわれの概念が何を含みまたどれほど多くのものを含むにせよ、その対象が現実に存在するためには、われわれは概念の外に出なければならない」(『純粋理性批判』)。

現実や実在(つまりrealなもの)は言葉や概念の外部の現実世界にしかないのであり、現実的実在的(real)な存在は言葉や概念の内にはないのである。まったく当たり前のことである。「言葉は存在の住処である」(ハイデガー)などまったくの戯言であり、単なる鈍物イカサマ師の妄想にすぎないのである。ところが、ハイデガーは、カントの言う「ザインはレアールな述語ではない」について、「この〈real〉を〈実在的〉と解するのは誤りだ。〈real〉は〈物の事象内容を示す〉という意味に解されねばならない」と主張し、この冒頭部を「存在は事象内容を示す述語ではない」と解釈するわけだが、このハイデガーの驚くべき馬鹿げた妄説に忠実に従って木田は次のように言う。

 

 「それにしても、《存在は事象内容を示す述語ではない》というテーゼはどういう場面に現われてくるのか。これは『純粋理性批判』では、《超越論的弁証論》のうち《純粋理性の理想》つまり神の理念を論ずるなかで、神の存在の《存在論的証明》を論駁する際に持ち出される。・・・・・・

カントはこの証明を次のような理由で否定する。つまり〈ABである〉(たとえば〈犬は四つ足である〉)という命題において、〈Bである〉(〈四つ足である〉)という述語は、Aという主語概念(犬)のもつ事象内容を示す述語、つまり〈realな述語〉である。このばあい、そのAが実際に存在するかしないかということは問題にならない。一方、〈Aがある〉〈Aが存在する〉(たとえば〈ここに犬がいる〉)という命題における〈がある〉〈存在する〉は、主語概念の事象内容を示す〈realな述語〉ではなく、主語概念に対応する対象について判断主体がおこなう定立作用、つまりその対象と判断主体の認識能力とのあいだにどういう関係が成り立っているかを示しているにすぎない。《存在する(ザイン)というのは事象内容を示す(レアール)述語ではない》のである。したがって、完全な存在者である神はすべての事象内容をそなえていなければならないというその事象内容に〈存在する〉ということまでもふくめて、〈ゆえに神は存在する〉と結論するこの証明は誤りだ、とカントは主張するのである。もっと簡単に言えば、〈・・・・・・ガアル〉という意味での存在を、〈・・・・・・デアル〉という意味での存在に吸収することはできない、ということである」(木田、前掲書)

 

まったくハイデガーに輪を掛けたような馬鹿げた曲解、愚解である。木田は、「〈ABである〉という命題において、〈Bである〉という述語は、Aという主語概念のもつ事象内容を示す述語、つまり〈realな述語〉である」が、「〈Aがある〉〈Aが存在する〉という命題における〈がある〉〈存在する〉は、主語概念の事象内容を示す〈realな述語〉ではない」としているわけだが、無論カントはそんな馬鹿げた戯言を主張しているわけでは毛頭ない。カントは「である」という繋辞のseinについては無論のこと、「ある、存在する」を意味する述語のseinについても、「ザインはrealな述語ではない」と言っているのである。繋辞のsein(である、です)も述語のsein(ある、存在する)も「seinrealな述語ではない」とカントは言っているのである。無論、述語のseinが「realな述語でない」のは神の存在論的証明のような分析的命題の場合のみであって、経験判断に基づく総合的命題の述語seinの場合でないことはすでにくどく説明したとおりである。つまりカントはザイン一般について「ザインはrealな述語ではない」と言っているわけでは決してないのである。この点を誤解しているようではどうにもならぬ。カントが何ゆえに「ある、存在する」を主張する命題については「分析的命題なのか総合的命題なのか」の区別を問い尋ねるのか、その理由や意味が分からぬようではどうにもならぬ。ハイデガーも木田もそれをまったく分かっていないのである。

たとえば『純粋理性批判』に何百回となく出てくるrealRealitätを「実在的」や「実在性」の意ではないとしたら、同書は不得要領な馬鹿げた書になってしまうであろう。ましてやハイデガーはrealを「事物の概念を示す」と解しているのだから呆れた鈍物イカサマ師である。カントの言う「レアール(実在的)」と「概念的」ということくらい相反するものはあるまい。

ところで木田は、「〈ABである〉という命題において、〈Bである〉という述語」と言っているが、これはカントの趣旨ないし用語法とは少々異なる。すでに指摘したことではあるが、カントが言っているのは、「神は全能であるGott ist allmächtigという命題は神(Gottと全能(allmächtigという二つの概念を含み、いずれもその対象を有しているが、この文中の小辞ist(である、です)は述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」ということである。つまり、神は全能である」という命題の主語は無論「神」だが、述語は「全能」であって、「全能である」ではない。「である」は繋辞にすぎない。そして、カントは「神と全能という二つの概念」は「いずれもその対象を有しているが」、繋辞の「《である》は述語ではなく、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」と言っているのである。かようにカントが述語と繋辞を截然と分けているのは、sein動詞には完全自動詞の述語「ある、存在する」と不完全自動詞の繋辞の二つの意味があり、述語のsein「ある、存在する」の連想から繋辞のseinにも「ある、存在する」の意味があるように思い込む根深い錯覚や妄想を明瞭に示そうとするためである。要するに、カントの用語法では、「〈ABである〉という命題において」は、述語は「B」であって、「Bである」ではないのである。

そもそも、「〈ABである〉という命題において、〈Bである〉という述語は、Aという主語概念のもつ事象内容を示す述語、つまり〈realな述語〉である」(木田)というのがカントの論旨をまったく理解していない証拠である。カントはここでは神の存在論的証明を批判論駁しているのであり、そのため神の存在論的証明の論理的結論たる「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」の述語のsein動詞について、「ザインはrealな述語ではない」と言っているのである。つまり、すでにくどく説明したように、カントはまず繋辞のザインについて「ザインはrealな述語ではない」と言い、次いで神の存在論的証明のような分析的命題の述語のザイン「ある、存在する」についても「ザインはrealな述語ではない」と論駁しているのである。このrealをハイデガーは「事象内容を示す」の意だと曲解をして、「〈ABである〉という命題において、〈Bである〉という述語は、Aという主語概念のもつ事象内容を示す述語、つまり〈realな述語〉である」とするわけだが(無論、カントの用語法では、述語は「B」であって、「Bである」ではないが)、カントはまず繋辞のザインについて「ザインはrealな述語ではない」と言っているのであり、つまりsein動詞についてそう言っているのであって、「〈ABである〉という命題において、〈Bである〉という述語は・・・・・・〈realな述語〉である」などと頓珍漢なことを言っているわけでは毛頭ないのである。

要するに、このrealを「事象内容を示す」と曲解するハイデガーは繋辞によって主語Aに結び付けられる述語Bをすべて「〈realな述語〉である」としているわけだが、これほど頓珍漢な馬鹿げた誤読曲解があろうか。だから、ハイデガーが曲解するように、このrealを「現実的、実在的」の意でなく、「事象内容を示す」の意だと解すれば(この曲解は彼が「事象」というものの意味すら理解していないことを示しているのである。「事象」とは架空のものではないのであり、外界において経験的に認識するものなのである)、「(主語)Aが実際に存在するかしないかということは問題にならない」わけであり、たとえば「ペガサスは有翼の馬である」の述語「有翼の馬」が「〈realな述語〉である」ということになってしまうのである。愚の骨頂である。無論、カントはそんな架空の主語についての架空の述語を「〈realな述語〉である」などと頓珍漢極まりない馬鹿げたことを主張しているわけでは毛頭ない。そんな頭の中だけの想定や想像にすぎない主語や述語は、カントの意味するreal(実在的)にまったく反するものである。繋辞「である」によって主語Aに結び付けられる述語Bをすべて「realな述語である」などという愚か極まりない戯言をカントが一体どこで言っているというのか。驚くべき馬鹿げた誤読、誤解、曲解、愚解である。

無論、ペガサスが「有翼の馬」というのが「レアールな述語」でないのとまったく同様に、犬が「四つ足」というのも決して「レアールな述語」ではないのである。カントの言う「レアールな述語」とは主語概念を拡張する述語であり、「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を新たに追加拡張する述語であって、犬が「四つ足」という述語はすでに分かり切った四足獣である「犬」一般の既成概念について述べている分析的判断にすぎず、そのような主語概念を何ら拡張することのない述語はカントの言う「レアールな述語」ではまったくないのである。実在の(realな)犬は唯一無二の独自の存在であって、たとえば毛の本数も種々の能力もその犬固有のものであり、かように経験に基づく総合的判断による述語は「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」をいくらでも追加し、拡張することができるのである。つまり「レアールな述語」を付け加えるには外界における現実的な経験に基づく総合的判断によらなければならないのである。

 

「分析的判断の場合は、与えられた(主語)概念について何事かを言うためには、私はこの概念にとどまっているだけでよい。もしその分析的判断が肯定的判断であれば、私は与えられた概念において既に考えられていたことをこの概念に付け加えるだけであり・・・・・・しかし、総合的判断の場合は、私は与えられた概念の外に出て、この概念で考えられていることとはまったく別のことをこの概念に関係させて考察するのである」(『純粋理性批判』)

 

つまり、主語概念を拡張する「レアールな述語」を付け加えるには、「犬」という「概念で考えられていることとはまったく別のことをその概念に関係させて考察」しなければならないのである。単に辞書や事典に記述されているような「犬」一般について考察して、「犬は四つ足である」とか「馬は哺乳動物である」と言ったところで、その命題(無論これは分析的命題である)の述語「四つ足」や「哺乳動物」は「与えられた概念において既に考えられていたこと」にすぎず、何ら主語概念を拡張するものではないのであり、そうした「四つ足」や「哺乳動物」という述語は決して「レアールな述語」ではないのである。

ハイデガーのreal解釈に従えば、犬が「四つ足」だとかペガサスが「有翼の馬」だとか白雪姫が「架空の人物」などの述語を「realな述語」すなわち「事象内容を示す述語」だとするのだから、要するに彼の言う「事象内容を示す」とは畢竟「概念を示す」と同じことになり、だからたとえ架空の事物について述べる述語でさえ「realな述語」になってしまうわけである。いかに馬鹿げたreal解釈であるかが分かるであろう。しかし、カントはむしろ概念的なものの対極としてrealなものやRealitätを考えているのである。realなものは概念の外の現実世界にしかないからである。カントの言うrealを「事象内容を示す」の意だと強弁するハイデガーの解釈がいかに愚か極まりない曲解であるかが分かるであろう。

さて、木田はハイデガーに倣って次のように言う。「〈Aがある〉〈Aが存在する〉(たとえば〈ここに犬がいる〉)という命題における〈がある〉〈存在する〉は、主語概念の事象内容を示す〈realな述語〉ではなく、主語概念に対応する対象について判断主体がおこなう定立作用、つまりその対象と判断主体の認識能力とのあいだにどういう関係が成り立っているかを示しているにすぎない。《存在する(ザイン)というのは事象内容を示す(レアール)述語ではない》のである。したがって、完全な存在者である神はすべての事象内容をそなえていなければならないというその事象内容に〈存在する〉ということまでもふくめて、〈ゆえに神は存在する〉と結論するこの証明は誤りだ、とカントは主張するのである。もっと簡単に言えば、〈・・・・・・ガアル〉という意味での存在を、〈・・・・・・デアル〉という意味での存在に吸収することはできない、ということである」(木田『ハイデガーの思想』)

一体これは何を言おうとしているのであろうか。物の存在を認識することは直観的なものであり、まずは物の存在を認識することからほとんどあらゆる認識が始まるのである。その物が何であるかは存在の認識後の問題であり、もはや存在の問題ではない。その物が何であろうと存在の問題にとっては最早どうでもよいことである。分かり切ったことを繰り返すようだが、カントは神の存在論的証明における神の概念的分析による論理的な結論「ゆえに神はある(Gott ist.)」の述語「ある、存在する(ザイン)」は大前提における神の主語概念を結論の述語で反復しているだけのトートロジーにすぎず、何ら主語概念を拡張する「realな述語ではない」つまり「現実に実際にある、存在するを意味する述語ではない」として神の存在論的証明の不可能を示したのである。ところが、ハイデガーはこの「realな述語」を「事象内容を示す述語」の意だと呆れるほどの愚かな曲解をし、木田はこの愚解を真に受け、犬が「四つ足(である)」を「〈realな述語〉である」としながら、「《存在する(ザイン)というのは事象内容を示す(レアール)述語ではない》のである」から、「〈・・・・・・ガアル〉という意味での存在を、〈・・・・・・デアル〉という意味での存在に吸収することはできない」などとまったく論理の出鱈目な訳の分からぬことを言う。当初は「四つ足(である)」を「realな述語」としながら、最後は「四つ足」という述語を無視し、「である」という繋辞にすり替えて、「簡単に言えば、〈・・・・・・ガアル〉という意味での存在を、〈・・・・・・デアル〉という意味での存在に吸収することはできない、ということである」などとまったく意味不明の頓珍漢な出鱈目な論理を展開している。繋辞(である)に「存在する」の意味などまったくありはしない。

カントは繋辞(である)のseinも述語(ある、存在する)のseinも含めて「seinrealな述語ではない」と言っているのである。無論、何度もくどく言うようだが、述語のseinについては神の存在論的証明のような分析的命題のseinについてそう言っているのであって、決して外界における現実的な経験に基づく総合的命題のseinについて言っているわけではない。「〈・・・・・・デアル〉という意味での存在」などまったくありえない、単なる「妄想、錯覚(Illusion)」にすぎない、そうカントは明言しているのである。「〈・・・・・・デアル〉という」繋辞は「述語ではなくて、単に主語と述語を関係づけているにすぎない」(カント)のである。「繋辞としてのsein」はあるが、「繋辞としての存在」など決してあるものではないのである。

神の存在論的証明は神について、「全能である」とか「実在性(Realität)の全体を有する」とか「最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々と、畢竟は想定にすぎない概念規定をし、その概念の分析から論理的に「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」と結論するのであるが、その結論の述語「ある、存在する」は神の概念にあらかじめ含まれていることを結論において述語の形で繰り返しているだけのトートロジーにすぎず、何ら主語概念を拡張する「realな述語」ではない、現実に、実際に「ある、存在する」を意味するものではないとして、カントは同証明を根本的かつ決定的に明快に論駁し、粉砕したのである。神の存在論的証明のような分析的命題の述語「ザインは明らかにレアールな述語ではない」のであり、その「ある、存在する」は「realな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」、そうカントは言っているのである。

カントが『純粋理性批判』で述べた以下の言葉を今一度読み返してみるがよかろう。

 

「概念は自己矛盾を含まないかぎり常に可能である。これが可能性の論理的指標であり、これによって概念の対象は無意味なものから区別される。それにもかかわらず、概念が空虚な概念になることがあるが、それは概念を生み出す総合の客観的実在性(objektive Realität)が証明されない場合である。この種の証明は可能的経験の原理に基づかねばならぬのであって、分析の原理(矛盾律)に基づくのではない。このことは概念(Begriff)の論理的(logisch)な可能から事物(Ding)の実在的(real)な可能を直ちに推論してはならないという警告である。・・・・・・

事物(Ding)の概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる・・・・・・。実在(Existenz)に関する命題はすべて総合的命題である・・・・・・

論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想(Illusion)ははたからの忠告をほとんど聞き入れようとしない」(『純粋理性批判』)

 

事物(Ding)の概念に実在性(Realität)が含まれているからといって、その事物が現実にあるというわけにはいかないのである。だからカントは「概念の論理的(logisch)な可能から事物(Ding)の現実的(real)な可能を直ちに推論してはならない」とか「事物(Ding)の 概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」と言うのである。ここでrealRealitätをハイデガーのように事象の虚実(realか否か)を問わぬ「事象内容を示す」だとか「事象性」などという馬鹿げた解釈をすれば、カントの論旨があやふやなおかしなものになってしまうであろうし、カント哲学全体がまったく不得要領なナンセンスなものになってしまうこと請け合いである。要するにハイデガーはrealRealitätを畢竟は「事象の概念を示すもの」のように解しているわけだが、それこそカントの考えるrealRealitätにまったく反するものである。ドイツ語を母国語とする四十歳間近の二十世紀の哲学者(?)がこんな明々白々たるカントの論旨がまったく理解できないとは、驚くべきことである。十八世紀にカントが指摘した「妄想、錯覚(Illusion)」からまったく脱していないのである。だが、ハイデガーは『現象学の根本問題』で馬鹿げた自説の欺瞞的な強引な自己正当化をしており、己の頓珍漢なカント曲解の言葉をあたかもカント自身が言っているかのように見せかけたとんでもないイカサマを臆面もなくやっている。無邪気なハイデガー妄信者はともかくとして、カント学者が同書のカント曲解やイカサマを見破れないとしたら問題であろう。

カントが「ザインはレアールな述語ではない」として、つまり「ザインは《現実にある》、《存在する》を意味する述語ではない」として、神の存在論的証明を根本的に論破粉砕したのを読み取れないハイデガーは、この「ザイン」をザイン一般と思い込み、この「レアール」を「事象内容を示す」(要するに「事物の概念を示す」)の意だと馬鹿げた曲解をしたため、カントが主として同証明の結論「ゆえに神はある、存在する(Gott ist.)」を決定的に論破論駁していることがまったく読み取れないのである。だから彼はこんなことを言うのだ。

 

「神の存在論的証明に対するカントの批判の攻撃点をより明らかにするために同証明を形式的な推論の形で示してみよう。

大前提――神はその概念からして最も完全な存在者である。

 小前提――最も完全な存在者の概念には実在(Existenz)が属している。

    論――したがって神は実在する。

カントは神がその概念からして最も完全な存在者であることに異論を唱えているわけでも、神の実在(Existenz)を論駁しているわけでもない。このことは、三段論法の形式に目を向ければ、カントが同証明の大前提と結論をそのまま認めていることを意味する。それにもかかわらずカントが同証明を攻撃するとすれば、攻撃は最も完全な存在者の概念には実在(Existenz)すなわち現実存在(Dasein)が属しているとする小前提に向けることができるだけである」(ハイデガー『現象学の根本問題』)

 

なんとも馬鹿げた解釈である。カントの論旨をまったく理解していないのである。「したがって神は実在する」という結論を論駁しなければ何ら根本的かつ決定的な論駁にはなりえまい。もしカントが「神の実在(Existenz)を論駁しているわけでもない」としたら、また「したがって神は実在する」という「結論をそのまま認めている」としたら、「神の存在の存在論的証明の不可能」を論じる意味があるまい。そもそも「ザインはレアールな述語ではない」というテーゼ自体が神の存在論的証明の結論「したがって神は実在する」を論駁している言葉なのである。大前提の神についての概念から「神は存在する」という結論は現実的には導けない、そうカントは言っているのである。大前提に含まれる神の概念(たとえば「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々)から、したがって「神は実在する」と結論することは不可能だとカントは言うのだ。無論、「ある、存在する」を意味する結論の述語動詞がsein動詞だろうとexistieren動詞だろうと、単に神の概念から導き出している以上、それは「realな述語ではない」のである。内界において単に想定されただけの神の概念から単に論理的に引き出される結論にすぎないからであり、大前提の神の概念を結論で述語の形に置き換えているだけのトートロジーにすぎないからである。

分かり切ったことを繰り返すようだが、カントは、神の存在論的証明で、「したがって神はある、存在する(Gott ist.)」と主語概念の分析から論理的に結論しても、その述語「ある、存在する」は単なる想定による(だから神に関する大前提、小前提、結論のすべてが分析的命題の言葉なのである)神の可能的概念に含まれていることを述語で反復しているだけのトートロジーであって、「神の概念に何ら新しい述語を追加したことにはならず」、何ら主語概念を拡張する述語(realな述語)ではない、つまり「現実的実在的(real)な述語ではない」として、同証明の結論を論破粉砕したのである。カントがそこで特にsein動詞を問題にするのは、無論Gott ist.という結論の述語のsein動詞を論駁するためであるが、また、seinには「である」という繋辞の機能もあって、繋辞のseinにも「ある」や「存在(する)」を連想てしまうような馬鹿げた「妄想、錯覚(Illusion)」を一掃するためでもあるのだ。無論、sein動詞のみならず、「神は実在する(Gott existiert.)」の述語existiertにしても分析的命題から導き出した述語であるかぎり「realな述語ではない」のである。そのことはカントが「私が尋ねたいのは、《あれこれの物が存在している(dieses oder jenes Ding  existiert)》という命題は分析的命題なのか総合的命題なのか」を問題にしていることからも明々白々であろう。そして「もしこの命題が分析的命題なら、その物が存在することを主張したところで、その物についての考えに何ら新しいことを付け加えたことにはならない」のであり、分析的命題ならばその述語「ある、存在する」は主語概念を拡張する「realな述語ではない」のである。しかし、現実の経験判断に基づく総合的命題の述語なら主語概念を拡張する「realな述語」になるのである。

ハイデガーは「カントが同証明の大前提と結論をそのまま認めている」とまったくの出鱈目を言うが、カントはその証明の大前提にしても必ずしも真に受けているわけでもないことは、神の概念について、「単に対象の可能性を表現しているだけの概念」と言っていることからも明らかであろう。また、神のような絶対に否定できないものが存在するという主張に対しては、「それはひとつの前提であり、その前提が正しいかどうかについて私はずっと疑問を抱いてきた」(『純粋理性批判』)とカントは言っていることからも明白であろう。

ハイデガーが神の存在論的証明を論破するカントの論考の論旨をまったく理解していないことは、「カントが同証明を攻撃するとすれば、攻撃は最も完全な存在者の概念には実在(Existenz)すなわち現実存在(Dasein)が属しているとする小前提に向けることができるだけである」と言う彼の言葉に如実に示されている。カントはなにも「最も完全な存在者の概念には実在(Existenz)が属している」という小前提に異を唱えているわけではない。そうした前提は可能的な概念的前提として一応認めるにせよ、そうした可能的な概念による前提から「したがって神は実在する」と結論することはできない、そうカントは言っているのである。

つまり、カントは神の存在論的証明の大前提も小前提も別に真に受けているわけではないが、そうした前提が概念的には可能であるとして一応認めるにしても、しかし、そうした可能的な概念で構成された前提から、結論として「現実的実在的(real)な述語(存在する)」を導くことはできないと言っているのである。「レアール」が「現実的」や「実在的」を意味しないとしたら、そんな結論に何の意味もあるまい。カントは可能的な前提から現実的実在的(real)な述語を結論として導くことはできないという意味で、「ザイン(ある、存在する)はレアール(現実的実在的)な述語ではない」と言っているのである。カントが「概念の論理的可能から事物の現実的実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない」とか、「事物の概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」というのも、まったく同じ論旨であることは明々白々たることであろう。「事物の概念に含まれる実在性(Realität)」とは神の存在論的証明における「神の概念に含まれる実在性(Realität)」(たとえば「神は実在性(Realität)の全体を有する」とか「神は最高の実在性(höchsten Realität)を具有する存在である」等々)を念頭に置いて言っているのであり、そうした「神の概念に含まれる実在性(Realität)」は「述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」とカントは言うのである。つまり、神の概念は分析的命題であるが、「述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」と言うのは総合的命題の述語を意味しているからである。だからカントは神の存在論的証明を論駁するにあたって、「私は実在(Existenz)という概念を厳密に規定すれば」と前置きをしているのであり、そして「現実的実在的(real)な述語(すなわち事物の規定)」について、「事物の規定(Bestimmung eines Dinges)とは外部から主語概念に追加されて概念を拡張するような述語である。だからこの規定(Bestimmung)はその概念にあらかじめ含まれているものであってはいけないのである」として総合的命題の述語について説明するのである。こうしたことからもカントが神の存在論的証明の前提ではなく結論を論駁していることは明らかであろう。

ところが驚くべきことに、カントの件のテーゼをまったく理解できないハイデガーは、realRealitätの意味を強引に曲解することで件のテーゼを字面上何となく辻褄が合うように解釈し、己の頓珍漢なrealRealität解釈を以てカントのテクストのみならずカントの時代前後の多くの思想的哲学的テクストの馬鹿げた読み替えをし、徹頭徹尾出鱈目の論考を得々と展開しているのである。彼は『現象学の根本問題』で己の愚説を正当化するためにカントが言ってもいないことをあたかもカントの言葉のように見せかけるというとんでもないイカサマをやっている。それを見破らなければいけない。ハイデガーのイカサマは徹底的に発くべきである。

カントが「論理的述語と現実的実在的(real)な(すなわち事物を規定する)述語の混同から生じる妄想(Illusion)」と言うのは、神の存在論的証明のような分析的命題の論理的述語と現実の経験に基づく総合的命題の現実的実在的(real)述語の対比を念頭に置いて言っているのであり、神の存在論的証明のような主語概念の分析から論理的に「神はある(Gott ist.)」と結論するその「論理的述語」の「ある、存在する」を「現実的(real)述語」の「現実(real)にある、存在する」と混同してしまうような「妄想、錯覚(Illusion)」を指摘しているのである。「論理的述語」とは神の存在論的証明のような分析的命題の述語であり、「現実的実在的(real)述語」とは外界における現実の経験に裏付けられた総合的命題の述語であることは明らかであろう。分析的命題の「論理的述語」ザイン(存在する)は「realな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」のである。だからカントが「ザインは明らかに現実的実在的(real)な述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」(この言葉は「神の存在の存在論的証明の不可能について」と題した節にある言葉であることを念頭に置くべきであろう)と言うのは、分析的命題のザインについて言っているのであって、総合的命題のザインについて言っているものでは決してないのである。この点をハイデガーはまったく理解できないため(そもそも彼は現実的実在的realなことを認識できないのである。彼は人を煙に巻く言葉の詐術や誤魔化しや誑かしに長けているだけである)、このザインをザイン一般の意だと思い込み、そしてカントの言うrealRealitätを表面的な字面上なんとか辻褄が合うように工夫して「事象内容を示す、事象内実的」や「事象性、事象内実性」(人を煙に巻くきわめて曖昧な表現だが、彼はこれを「物の概念を示す」や「概念的性質」の意で使っているのである)の意だ、などととんでもない奇天烈な解釈をし、カントの言うrealRealitätから「現実」や「実在」の意味を排除して(これほど馬鹿げた解釈があろうか)、強引な自己正当化の出鱈目を並べたのが『現象学の根本問題』なのである。

さきに引用した木田の言葉はハイデガーの次の言葉に基づいている。

 

「〈ABである〉という命題において、BAに付け加えられるレアールな述語である。それに対して、〈Aは実在する〉という言う場合は、Aが、しかもBCDなどといったレアールな規定のすべてとともに、絶対的に措定される。Aにはこのような措定が付け加わるが、しかし、それはすぐ前に挙げた例のように、BAに付け加わるのではない。このような付け加わる措定とは何であろうか。それは明らかにそれ自身ひとつの関係である。無論、それは事象の、すなわちAのレアールな諸規定の内部における事象の関わりやレアールな関わりではなく、むしろ事象全体がこの物についての私の思考に対して事象(A)全体がもつ関係である。この関係によって、このように措定されたものが、私の自我の状態に関係するようになる」(ハイデガー『現象学の根本問題』)

 

曖昧な哲学的概念や妙な造語を利用して戯言を意味ありげに得々と述べて読者を煙に巻くのがハイデガーの常套手段なのであり、これに誑かされてはならない。

こうしたカントの言う「レアール(real)」についてのハイデガーの解釈の根本的な間違いや馬鹿馬鹿しさについては、すでに指摘し、論駁したとおりである。「〈ABである〉という命題において、BAに付け加えられるレアールな述語である」などというナンセンスな馬鹿げたことをカントが一体どこで言っているというのか。驚くべき頓珍漢な曲解である。「ABである」という命題においてBは単に「述語」であって、「レアールな述語」でも何でもない。「レアール」という形容詞をつける意味があるまい。もしも「〈ABである〉という命題において、BAに付け加えられるレアールな述語である」とするなら、「である(sein)」という繋辞によって主語に結び付けられる述語が虚実を問わずすべて「レアールな述語」ということになってしまうであろう。Bという述語のみならず、CDE・・・・・・などの述語すべてが命題の区別も主語の虚実の区別もなく自動的に「レアールな述語」ということになる。「白雪姫は架空の王女である」の述語「架空の王女」も「レアールな述語」ということになる。「ペガサスは有翼の馬である」の述語「有翼の馬」が「レアールな述語」ということになってしまう。無論、そんなものをカントは「レアール(real)な述語」と言っているわけでは毛頭ない。

カントの「レアール(real)」をハイデガーは「現実的、実在的」を意味しない「事象内容を示す」と解するのだから、「神は全能である」や「ペガサスは有翼の馬である」の述語「全能」や「有翼の馬」が「レアールな述語」になるわけであり、そもそも「ABである」という命題において述語Bは繋辞(である)で結びつけられる述語一般であって、そんな述語一般をハイデガーはおしなべて「レアールな述語」としているわけだが、これでは「レアール」という形容詞があろうとなかろうとどうでもいいことになる。無論カントはそんなナンセンスな低能きわまりない戯言を言っているわけでは毛頭ない。

カントの言う「レアール(実在的)な述語」とは主語概念を拡張する述語であり、「この述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」(『純粋理性批判』)。つまりカントが言う「レアールな述語」とは主語概念を拡張する述語であり、「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を追加する述語であって、これはそのつどの外界のおける現実の事象の経験的認識によって新たに追加するしかない述語なのであり、総合的命題における述語(これがカントの言う「レアールな述語」すなわち「実在的な述語」)なのである。単に主語の概念から考えられ演繹されるような一般的な概念的述語をいくら付け加えようと、そんな述語は決して主語概念を拡張する「レアールな述語」にはならないのである。「レアールな述語」は現実における経験的な認識によってそのつど新たに追加される述語なのである。

くどいようだがもう少し付言して、ハイデガーの愚説を徹底的に粉砕しておこう。

彼はカントの言う「レアール(real)」は「実在的」という意味ではなく、「事象内容(Sachgehalt)を示す」という意味だと主張する。「事象内容(Sachgehalt)」とは一体何なのか、この言葉だけではあまり意味のはっきりしない曖昧模糊たる表現であるが、何やら実在的なものを意味するようにも思われるのだが、「実在的」の意ではないと言う。これもイカサマ師らしい人を煙に巻く言い方であろう。とはいえ、この意味については彼自身が『現象学の根本問題』で説明しているため明らかなのである。

彼は「〈ABである〉という命題において、BAに付け加えられるレアールな述語である」と言うのだから、「〈犬は四つ足である〉という命題において、四つ足は犬に付け加えられるレアールな述語である」ということになる。しかし、「四つ足」などという犬一般の概念を示す述語をカントは「レアールな述語」と言っているわけでは毛頭ない。「四つ足」だとか、「哺乳類」だとか、辞書や事典に書かれているような犬一般の既成概念の述語をいくら並べ立てようと、そんなものはカントの言う「レアールな述語」ではまったくないのである。カントの言う「レアールな述語」とは、「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」(『純粋理性批判』)。

 

 「分析的判断によるのでは、われわれの認識は少しも拡張されない。ただ私がすでに持っている概念が分解されて、私自身に明瞭になるだけである。総合的判断においては、私は主語概念のほかになおそれとは別の何かあるものを持たねばならない。そして悟性はこの何かあるものを拠りどころにして主語概念の内に存しないような述語を主語概念に属するものとして認識するのである」(『純粋理性批判』)

 

このように言うカントの言葉をハイデガーはまったく理解できないのである。驚くべき迷妄である。

カントの言う主語概念を拡張する「レアールな述語」とは「主語概念の内に存しないような述語」なのであって、これはそのつど異なる現実の事象についての経験的認識によって新たに追加するしかない述語なのである。

こうした明白なカントの論旨をハイデガーはまったく理解できないのであり、そのために彼はカントの言う「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」の意味についてとんでもない馬鹿げた曲解をすることで、「ザインは明らかにレアールな述語ではない(Sein ist offenbar kein reales Prädikat)」というカントのテーゼを勝手に強引に解釈しようとするのである。そして彼はこの「レアール」を「事象内容を示す」の意だと強引に曲解し、それですべて辻褄を合わせようとするのである。かくして彼は己の馬鹿げたカント曲解を真に受けさせるためにもっともらしい御託を並べるのである。

 

「レアリテートという表現は、カントにおいても彼がその用語を受け継いだスコラ哲学においても、人が今日、たとえば外界のレアリテート(実在性)について語る場合に、一般にこのレアリテートという概念で理解しているようなことを意味しているのではない。今日の言葉づかいでは、レアリテートは、現実性(Wirklichkeit)、実在(Existenz)、あるいは目の前にあるという意味での現実存在(Dasein)と同じような意味である。しかし、これから見ていくように、カントのレアリテートの概念はそれとはまったく異なるものであり、この概念の理解にこそ、ザインはレアールな述語ではない、というテーゼの理解がかかっているのである」(ハイデガー『現象学の根本問題』)

 

愚の骨頂のようなことを得々と語っているが、これは要するにハイデガーがカントの「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」を本来の「現実的、実在的」や「現実性、実在性」の意味(無論、それ以外の意味など決してありえない。それは『純粋理性批判』を読めば明々白々たることである)では「ザインはレアールな述語ではない」のテーゼをまったく理解できなかったことを如実に示すものである。そこで彼はカントの言うrealRealitätから「現実」や「実在」の意を捨象した「事象内容を示す」などという実はほとんど「概念(的)」を単に言い換えたにすぎない馬鹿げた珍解釈を強引に捻り出して、カントの「ザインはレアールな述語ではない」というテーゼを解釈しようとするのである。

しかし、カントが言うのはこういうことである。「純粋悟性概念における実在(Realität)は感覚一般に対応するものである・・・・・・感覚に対応するものは物自体(事物性Sachheit、実在性Realität)としての一切の対象という先験的質料である」(『純粋理性批判』)。要するにレアリテート(Realität)とは感覚に対応するものなのであり、実在するものでないかぎり感官に触れることはできないのである。言葉や概念としての「饅頭」を誰も手にすることも食べることも決してできないのである。

だが、ハイデガーは執拗に語源的なことにまで遡って己の愚解曲解を何とか正当化しようとする。これは彼の常套手段である。己の愚説を何とか「学的」なものに見せかけて真に受けさせたいのだ。彼がギリシャ語やラテン語や先哲の言葉をよく持ち出すのはそのためである。

 

「カントの《ザインはレアールな述語ではない》というテーゼと同様に、トマスの究明においてもまた述語というようなものが現われる。《或るものがそれ自体において知られ、それ自体から理解可能であるためには、問題となっている在るものについて言い表わされる述語が、主語のラティオから(de ratione subjecti)、つまり主語の概念によって在るということ以外には何も要求されない》。ラティオ(ratio)は本質(essentia)あるいは本性(natura)、またはこれから見ていくように、レアリテート(Realität)というようなことを意味する」(ハイデガー、前掲書)

 

ハイデガーは「ラティオ(ratio)」つまり「概念」や「本質」が「レアリテート(Realität)というようなことを意味する」と言うのである。要するにカントの「レアリテート(Realität)」を「概念」や「本質」と同じようなものとみなしているのだ。これほど馬鹿げた頓珍漢なカント曲解もあるまい。「概念」や「本質」を意味するためにカントがrealRealitätという言葉をわざわざ使う必要があろうか。既成の言葉で充分間に合うはずである。ハイデガーはしたりげに得々として、「ほかならぬレアリテート(Realität)という表現に関して言うなら、スコラ哲学や古代哲学に由来するこの表現の用語的な意味を明確に理解していないかぎり、カントのテーゼと立場を理解することなど覚束ない」として、次のように言う。

 

「この用語の直接の源泉はバウムガルテンであるが、彼はライプニッツとデカルトの影響を受けているだけではなく、直接スコラ哲学の流れを汲んでいる。・・・・・・バウムガルテンは次のように言う。《Aであるとして定立されるか、あるいはAではないとして定立されるものは、規定される》。つまりそのように定立されたAは一つの規定(determinatio)である。カントは或る物の何(Was)に、すなわち物(res)に付け加わる規定について述べている。規定、デテルミナティオ(determinatio)は或るもの(res)を規定するもの、或るレアール(real)な述語を意味する」(ハイデガー、前掲書)

 

かようにハイデガーはカントの言う「規定Bestimmung)」をバウムガルテンの言う「規定(determinatio」とまったく同じものとみなし、したがってバウムガルテンの「規定(determinatio」をカントの「レアールな述語」と同じとみなしているわけである。バウムガルテンの言う「規定(determinatio」とは畢竟は「である(esse)」という繋辞によって主語に関係づけられる述語にすぎず、これをカントの言う「規定Bestimmung)」すなわち主語概念を拡張する「レアールな述語」と同じとみなすくらい馬鹿げた解釈はあるまい。だからハイデガーは「〈ABである〉という命題において、Bは事象内容を示す(レアールな)述語であり、Aに付加されている」などと馬鹿げたたことを言うわけである。つまり、述語Bが何であろうと、すべて「Bは事象内容を示す(レアールな)述語」だと言うのである。まったく愚の骨頂である。彼はカントの言う規定Bestimmung)」すなわち「レアールな述語」をまったく理解していないのである。レアール(実在的)やレアリテート(実在性)というカント哲学の最も基本的な重要な概念をまったく理解しえないとは呆れた果てた愚物である。

カントが言うのはこういうことである。「主語と述語の関係が考えられるすべての判断において・・・・・・述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAの概念の外にある」ような「判断を総合的判断と呼ぶ」、そしてこの総合的判断を「拡張的判断と呼んでもよかろう。・・・・・・拡張的判断は主語の概念に述語を追加するのであり、そしてこの述語は主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったことである」ということ、そして事物を規定する「レアールな述語」とは「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を追加することにより主語概念を拡張する述語であり、こうした述語をカントは「規定Bestimmung)」と言うのである。バウムガルテンの言う「規定(determinatio」は何ら「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと」を追加するような拡張的述語ではなく、また「主語の概念を分析することによっては引き出せなかった」述語でもないのである。

また、ハイデガーはバウムガルテンの言う「レアリタース(realitas)」をカントの「レアリテート(Realität)」と同じとみなし、カントの用語がバウムガルテンの用語をそのまま引き継いでいるように言っているが、そんなことではカントは神の存在論的証明の不可能を示すわけにはいかなくなってしまうであろう。いずれにせよ、カントは命題が総合的か分析的かの区別を問題にすることで述語(特に「ある、存在する」を意味する述語)が「レアール(real)」か否かを判断するのであるが、バウムガルテンにはそんな区別や判断はまったくなく、主語概念を拡張する「レアールな述語」が「まったく主語の概念の外にある」という認識も全然ないのであり、したがって彼にはカントの言う「概念の論理的可能から事物(Ding)の現実的実在的(real)な可能を直ちに推論してはならない」とか、「事物(Ding)の概念に含まれる実在性(Realität)は述語の概念における実在(Existenz)とは異なる」という認識もまったくないのである。ハイデガーはカントのこうした論旨をまったく理解できないからこそ、カントの言う「規定Bestimmung)」や「レアリテート(Realität)」をバウムガルテンの言う「規定(determinatio」や「レアリタース(realitas)」と同じとみなし、字面が似ているから同じ意味だと思い込んでいるのである。ハイデガー自身が「カントのテーゼと立場を理解することなど覚束ない」のである。

ハイデガーはカントの「レアール(real)」を「事象内容を示す」(「事象内容」とは一体何なのか。そんなものは容易に認識できるものではないはずだが、どうやら彼は単に「事物の概念」と言うべきところをイカサマ師らしく人を煙に巻くために難解めかした曖昧な表現にしたようである。「事物の概念」などというものほどカントの言う「レアール」なものに反するものはあるまい)と曲解するからこそ、「各々の述語は根本的にはレアールな述語である」などと馬鹿げたことを言うわけである。つまり述語はすべてレアールな述語だと言うのだから馬鹿馬鹿しさにもほどがある。ハイデガーの言う「事象内容(Sachgehalt)」とは畢竟は単なる一般的な「概念」にほかならないのである。つまり彼は「レアール(real)」を「概念を示す」と解しているにすぎないのである。彼の愚解に従えば、たとえば「神は全能である」、「犬は哺乳動物である」、「ペガサスは有翼の馬である」の「全能」、「哺乳動物」、「有翼の馬」等々の述語はすべて主語の概念にほかならず、要するに繋辞で主語と結び付けられる述語は虚実にかかわらずすべて「レアールな述語」だと言うのである。つまり、彼の解釈では「レアール」か否かに虚実の区別がまったくないことになる。驚くべき馬鹿馬鹿しさである。

しかし、カントの言う「レアールな述語」は「主語の概念においてまったく考えられていなかったこと、また主語の概念を分析することによっては引き出せなかったこと」なのであるから、ハイデガーの言う「各々の述語は根本的にはレアールな述語である」などまったくの馬鹿げた戯言にすぎないことは容易に分かろう。

ハイデガーの頓珍漢な解釈を盲信するかぎり彼の愚かしい妄説も彼の強引かつ巧妙周到なイカサマの自己正当化に誑かされて妄説とは思えなくなってしまうのである。ハイデガーは『純粋理性批判』の「カテゴリー表」に示されている「実在性(Realität)」や「現実存在(Dasein)」についてこんなことを言っている。

 

 「レアリテート(Realität)と現実存在(Dasein)というこれら二つのカテゴリーが異なるということは、それらがカテゴリーのまったく別の部類に属していることから明瞭に見てとれる。レアリテート(Realität)は性質のカテゴリーに属している。それに対し、実在(Existenz)、現実存在(Dasein)、あるいは現実性(Wirklichkeit)は様相のカテゴリーに属する。・・・・・・現実存在(Dasein)、実在(Existenz)、現実性(Wirklichkeit)の対立概念は、レアリテート(Realität)の対立概念である否定性(Negation)ではなく、可能性(Möglichkeit)あるいは必然性(Notwendigkeit)である」(ハイデガー、前掲書)

                                                                        

ハイデガーは「レアリテート(Realität)」と「現実存在(Dasein)」が「(カントの)カテゴリー表のまったく別の部類に属している」ことから、「これら二つのカテゴリーが異なる」ということを際立たせようとしているが、それは彼がカントの言う「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」を「現実的、実在的」や「現実性、実在性」を意味するものではないと愚か極まりない曲解をしているために、己の馬鹿げた珍解釈を何とか正当化しようとするためであることは疑いを容れない。

ハイデガーが主張するには、「レアリテート(Realität)」は「性質のカテゴリーに属している」が、「現実存在(Dasein)」は「様相のカテゴリー」という「まったく別の部類に属している」と強調して、両者の差異を際立たせ、そうすることで「レアリテート(Realität)」から「現実存在(Dasein)」に関連するような「現実性、実在性」の意味の排除を正当化しようとしているのである。しかし、「レアリテート(Realität)」と「現実存在(Dasein)」がカントのカテゴリー表で別の部類に分類されているからといって両者は何ら相反する概念でも無関係な概念でもまったくないのであり、いずれも「レアール(real)」なもの、つまり「現実的、実在的」なものに関わる概念なのである。

カントが言うように、そもそも「カテゴリーは経験の対象にのみ適用しうるのであって、それ以外の事物の認識に適用することはできない」(『純粋理性批判』)のである。「カテゴリーは経験的認識を可能ならしめるためだけのものである。・・・・・・ゆえにカテゴリーが事物の認識に使用されるのは、事物が可能的経験の対象とみなされる場合に限られるのであって、それ以外には事物の認識に用いることはできない」(カント、前掲書)のである。つまり、カテゴリーは経験の対象になるような現実の事物の認識にのみ適用されるものであって、架空の事物などはまったくカテゴリーの適用範囲外なのであり、「ペガサス」や「一寸法師」などの架空の存在などはまったくカテゴリーの適用対象にはならないのである。まったく当たり前のことである。現象学で扱う「事象(Sache)」にしても、言うまでもなく現実の事象であって、御伽噺の架空の出来事を事象とは言わぬ。木の枝から林檎が落下するのは事象だが、魔女の杖の一振りで南瓜が馬車になったなどを事象とは言わぬ。そんな架空の出来事が事象だとしたら、フッサール現象学の要諦たる「事象そのものへ!(Zu den Sachen selbst!)」に何の意味があろう。ハイデガーは事象(Sache)の基本的な意味すら分かっていないのである。驚くべき迷妄である。

カントの言う「レアリテート(Realität)」の適用対象がどういうものか明らかであろうし、無論その意味も言うまでもないことであろう。ハイデガーは「カテゴリー表」の適用対象がどういうものかすら分かっていないのである。カントが言っているのは、「レアリテート(Realität)」も「現実存在(Dasein)」もどちらも経験の対象になるような事物の認識にのみ適用されるものであって、ただ「実在性(Realität)」は「性質のカテゴリー」に属し分類され、「現実存在(Dasein)」は「様相のカテゴリー」に分類されるということなのである。別々のカテゴリーに分類されているからといって、互いに対立した概念でも無関係な概念というわけでも何でもないのである。こんな基本的なことも分からぬ鈍物イカサマ師が「二十世紀最大の哲学者」とみなされているのだから馬鹿馬鹿しいかぎりである。

 

カントが『純粋理性批判』で示している「カテゴリー表」は次のものである。

 

            カ テ ゴ リ ー 表

 1 分量:単一性(Einheit

       多数性(Vielheit

       全体性(Allheit

 2 性質:実在性(Realität

       否定性(Negation

       限界性(Limitation

 3 関係:付属性と自存性(実体と付随性)

       原因性と依存性(原因と結果)

       相互性(能動者と受動者の相互作用)

 4 様相:可能性(Möglichkeit)――不可能性(Unmöglichkeit

       現実存在(Dasein)――非存在(Nichtsein

       必然性(Notwendigkeit)――偶然性(Zufällingkeit

 

ハイデガーは「実在(Existenz)、現実存在(Dasein)、あるいは現実性(Wirklichkeit)は様相のカテゴリーに属する」と言う。しかし、カントは様相のカテゴリーの第二項に「現実存在(Dasein)」を置いているが、そこに「実在(Existenz)」や「現実性(Wirklichkeit)」などの言葉はなく、これらはハイデガーによる勝手な付け足しである。彼は「レアリテート(Realität)」と「現実性(Wirklichkeit)」があたかも別ものであるかのように思わせようとしているのだ。イカサマ師のこんな見え透いた詐術に誑かされてはならない。さらにハイデガーは「現実存在(Dasein)、実在(Existenz)、現実性(Wirklichkeit)の対立概念は、レアリテート(Realität)の対立概念である否定性(Negation)ではなく、可能性(Möglichkeit)あるいは必然性(Notwendigkeit)である」として、つまり要するに、「レアリテート(Realität)」の「対立概念」が「否定性(Negation)」であるのに対し、「現実存在(Dasein)」の「対立概念」は「可能性(Möglichkeit)あるいは必然性(Notwendigkeit)である」として、両者の「対立概念」が異なることから、両者の概念自体も互いにまったく関連性がないかのように思わせようとしているが、ここには己の愚説を真に受けさせるための彼の用意周到なイカサマの詐術がある。「レアリテート(Realität)」の「対立概念」として「否定性(Negation)」を挙げるのも問題だが、「現実存在(Dasein)」の「対立概念」は「可能性(Möglichkeit)あるいは必然性(Notwendigkeit)である」と言うのはまったくの間違いであり、嘘である。カントの「カテゴリー表」を見れば一目瞭然であろうが、「現実存在(Dasein)」の「対立概念」は当然のことながら「非存在(Nichtsein)」であって、「可能性(Möglichkeit)あるいは必然性(Notwendigkeit)」ではなく、「可能性(Möglichkeit)」や「必然性(Notwendigkeit)」の「対立概念」は言うまでもなく「不可能性(Unmöglichkeit)」と「偶然性(Zufällingkeit)」なのである。

かようにハイデガーは「レアリテート(Realität)」と「現実存在(Dasein)」の「対立概念」が異なることを欺瞞的かつ強引に示すことにより、双方の概念がまったく異なるものであるかのように思わせようとし、かくしてカントの言う「レアリテート(Realität)」から何とか「実在的、現実的」な意味を排除しようとしているわけであるが、それは無論「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」についての己の馬鹿げた曲解を正当化するためであることは言うまでもあるまい。

ハイデガーの曲解、愚解がまったく成り立たぬことは、次のカントの言葉からも明々白々であろう。

 

「純粋悟性概念における実在(Realität)は感覚一般に対応するものである。だからその概念自体が(時間における)存在(Sein)を示している。また、その否定は概念に対応する物の(時間における)非存在(Nichtsein)を表わしている。すると実在と否定との対立は同一の時間が充実しているのと空虚であるのとの違いということになる。時間は直観の形式であり、したがってまた現象としての対象の形式にほかならないから、かかる対象において感覚に対応するものは物自体Ding an sich(事象性Sachheitすなわち実在性Realität)としての一切の対象という先験的質料である。・・・・・・

経験は経験的総合として認識の唯一の可能なやり方であり、このやり方は他の一切の総合に実在性(Realität)を与える。・・・・・・

感覚の性質(たとえば色や味など)はまったく経験的なものであり、ア・プリオリには決して表象しえない。しかし、感覚一般に対応する実在的なもの(das Reale)は何か或る物を示すにすぎない・・・・・・

実在(Realität)について言うなら、経験の助けを借りないかぎりそれを具体的に考えることができないのは自明のことである。実在(Realität)は経験の質料としての感覚にのみ関するものであって、思惟における関係の形式には関わりがないからである。関係の形式だけを弄んでいると、われわれはややもすると虚構を事とするようになりがちなものである『純粋理性批判』

 

こうしたカントの言葉を読んでカントの言う「レアリテート(Realität)」が「実在(性)、現実(性)」を意味しないなどと馬鹿げた強弁をするような鈍物イカサマ師に誑かされているようではどうにもならない。カントが言うように、「実在(Realität)・・・・・・の概念自体が(時間における)存在(Sein)を示し・・・・・・その否定は・・・・・・(時間における)非存在(Nichtsein)を表わしている」。つまり要するに「レアリテート(Realität)」の概念は「存在(Sein)」を示し、その否定は「非存在(Nichtsein)」を表わしているのである。「非存在(Nichtsein)」はまた「現実存在(Dasein)」に対立する概念でもある。つまり「レアリテート(Realität)」も「現実存在(Dasein)」もいずれもそれに反する概念は「非存在(Nichtsein)」なのであり、どちらも実在的な現実的なものに関わる概念なのである。ただ、「レアリテート(実在性Realität)」は実在的なものに関する「性質のカテゴリー」に属し、「現実存在(Dasein)」は実在的なものに関する「様相のカテゴリー」に属するということであって、当然のことながら両者は何ら対立する概念ではなく、むしろ互いに関連している概念なのである。

ところがハイデガーはこんなとんでもないふざけたことを言う。

 

「カントは現実存在(Dasein)はレアリテート(Realität)ではないと言う。その意味は、現実存在(Dasein)は物の概念の事象内容上の規定ではないということ、あるいはカントが簡略化して言うように《物そのものの述語ではない》ということである。《現実的な百ターレルは可能的な百ターレルより以上のものを少しも含んでいない》。可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそれらのレアリテート(Realität)においては区別されない。ここでカントの《レアリテート(Realität)》の概念が堅持されずに、たとえば現実性(Wirklichkeit)という意味をもつ現代的な概念へと曲解されてしまうなら、すべては混乱してくるだろうし、そうなると、可能的な百ターレルと現実的な百ターレルは疑う余地なくそれらのレアリテート(Realität)という点で異なっている、と言いたくなるであろう。というのは、現実的な百ターレルはまさしく現実的なものだが、可能的な百ターレルはカント的でない意味におけるレアリテート(Realität)をもたないからである。これに対して、カントは彼の用語法で、可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそのレアリテート(Realität)において区別されない、と言っている」(『現象学の根本問題』)

                                                                                      

驚くべきイカサマと愚劣さに満ちた妄説である。こんなふざけた愚説に誤魔化されてはならない。カントが一体どこで「現実存在(Dasein)はレアリテート(Realität)ではない」などという馬鹿げた戯言を言っているというのか。カントの全テクストを精査したって(無論そんな必要はまったくないが)そんな馬鹿げた言葉は絶対に出てこないことは明々白々たることである。ハイデガーはカントの「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」から「現実的、実在的」な意味を排除して、己のカント曲解を何とか正当化するためにそんなとんでもない大嘘を吐いているのである。とんでもないイカサマ師である。学問的良心というものがまるでないのである。己の愚説を何とかして真に受けさせようと躍起になっているのだ。「現実存在(Dasein)はレアリテート(Realität)ではない」と言っているのは、そう思わせようとしているハイデガー自身であって、無論カントではない。こんな愚劣なイカサマ師の明らかな虚言に誑かされているようではどうにもなるまい。

さらにハイデガーは己の妄説を信じ込ませるために、カントの威光を借りて、「カントは彼の用語法で、可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそのレアリテート(Realität)において区別されない、と言っている」などと明らかな嘘を吐いている。無論カントはそんな戯言をどこにも述べてはいない。もしもそんな馬鹿げた言葉がカントのテクストに出てきたとしたら(無論そんなことは絶対にありえないが)、ライン川に河童やネッシーが出てきたって何ら不思議ではないということになる。「可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそのレアリテート(Realität)において区別されない」などととんでもない戯言を言っているのは、そう思い込ませようとしているハイデガー自身であって、無論カントではまったくないのである。

カントが言っているのは、「百ターレルが私の概念の外に存在することによっても、概念としての百ターレルが少しも増すわけではない」(『純粋理性批判』)ということである。つまり現実の百ターレルも可能的な百ターレルも、「概念として」は、つまり簡単に言えば「百」という数字と「ターレル」という通貨単位を組み合わせた「百ターレル」という「概念としての百ターレル」すなわち単なる金額としては、どちらもまったく同じだと言っているのである。両者は「百ターレル」という金額の「概念として」はまったく同じだが、その「レアリテート(Realität)」(実在性、現実性)についてはまったく異なるのである。つまり、「可能的な百ターレル」は現実には存在しない(内界にしかない)概念としての金額であるが、「現実的な百ターレル」は現実に存在する(外界にある)百ターレルの現金なのである。だから「可能的な百ターレル」では実際には(外界では)何も買えないが(単に内界における「百ターレル」という概念にすぎないからである)、「現実的な百ターレル」は実際に(外界で)商品を買えるのである。両者は「百ターレル」という金額の概念としてはまったく同じであるが、その「レアリテート(Realität)」つまり「実在性、現実性」(無論これがカントの言うレアリテートRealitätの本当の意味である)はまったく異なるのであり、「現実的な百ターレル」には「レアリテート(実在性)」があるが、「可能的な百ターレル」には「レアリテート(実在性)」はまったくないのである。概念自体に何の実在性もないのであって、「ある対象に関するわれわれの概念が何を含みまたどれほど多くのものを含むにせよ、その対象が現実に存在するためには、われわれは概念の外に出なければならない」(カント)からである。そう認識し、そう言っているカントが、どうして「可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそのレアリテート(Realität)において区別されない」などと馬鹿げた頓珍漢なことを言うわけがあろうか。鈍物イカサマ師ハイデガーが己のカント曲解を強引に正当化するための真っ赤な嘘なのである。

ハイデガーが「レアリテート(Realität)」としている個所で、カントは「概念(Begriff)」という言葉を用いているのであって、そもそもカントは「レアリテート(Realität)」という言葉などこの「ターレル問題」を論じている個所ではまったく使っていないのである。要するにカントの「レアリテート(Realität)」(無論「実在性、現実性」以外の意味など決してありえない)をハイデガーは愚かにも「概念(Begriff)」的なもの意味すると曲解しているわけである。己の曲解愚解を何とか真に受けさせるためカント自身がそう言っているものと思わせようとしているのである。それは彼が「ザインはレアールな述語ではない」というカントの言葉についての己のとんでもない馬鹿げた「レアール」解釈を何とか正当化しようとするためであることは疑いを容れない。

もしもカントがこの「ターレル問題」を論じている個所で「レアリテート(Realität)」という言葉を使うとしたら(くどいようだが、カントは「レアリテート(Realität)」という言葉を「ターレル問題」を論じている個所ではまったく使っていない)、次のように言うであろう。「可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそれらの概念においてはまったく同じであるが、そのレアリテート(Realität)においてはまったく異なる」と。可能的な百ターレルにレアリテート(Realität)はないが、現実的な百ターレルにはレアリテート(Realität)があるからである。つまり、現実の百ターレルは現実に存在する現金であり、それは貨幣にせよ紙幣にせよ手に持つことができ、目に見え、聴覚や嗅覚や味覚だって刺激しうるし、また誰にとっても百ターレルという現実的な価値を有するものとして信用されているのである。現実の(レアールrealな)百ターレルは実際にさまざまの商品と交換しうるし、銀行預金で利子を得ることもできる。現実に存在する物、実在する物は感官に触れるものなのであり、そうした物にこそカントは「レアリテート(Realität)」すなわち「実在性、現実性」を認めるのである。まったく当たり前のことである。「可能的な百ターレル」という単に頭の中にあるだけの言葉や概念はまったく感覚には触れえないのである。だからカントは「実在性(Realität)は経験の質料としての感覚にのみ関するものである」と言うのである。空想の百ターレルと現実の百ターレルは「百ターレル」という言葉や概念は同じだが、その実在性や現実性(Realität)という点ではまったく異なるのである。

「カントは彼の用語法で、可能的な百ターレルと現実的な百ターレルはそのレアリテート(Realität)において区別されない、と言っている」などと愚の骨頂のような嘘を言っているのはハイデガー自身にほかならないのである。カントが一体どこでそんな戯けたことを言っているというのか。ハイデガーは自説を何とか正当化するためにそんなとんでもない大嘘を吐いているのだ。呆れたイカサマ師、似非哲学者である。「可能的な百ターレルと現実的な百ターレル」はそのレアリテート(Realität)においてこそ区別されるのである。まったく当たり前のことではないか。

かようにハイデガーが己のカント曲解の言葉をカント自身が言っているかのようにしきりに強引に見せかけようとするのも、カントの虎の威を借りることで己の曲解愚解を何とかして正当化するためであることは言うまでもあるまい。カント哲学の最も基本的な最重要概念たる「レアール(実在的)」や「レアリテート(実在性)」の意味も分からぬ者がカント哲学を理解することなど到底覚束ないのである。

さらにハイデガーはこんなことを言う。

 

 「モノ(res)に属しているものがレアール(real)なのである。カントがレアリタースの総体(omnitudo realitatis)すなわち諸々のレアリテート(Realität)の総体について語るとき、彼が考えているのは、現実に直前にあるものの総体ではなく、反対に、まさに可能的な事象規定性の総体であり、事象内容の、本質の、可能的な諸物の総体である。従って、レアリタース(realitas)は、ライプニッツのポシビリタース(possibilitas)すなわち可能性という表現と同じ意味である。諸々のレアリテート(Realität)とは、可能的な諸物一般が何であるかを示す内容《何内容(Wasgehalt)》である。その際、それら諸物が現実的、すなわち現代的意味での《レアール》であるか否かは問題ではない。レアリテートの概念は、私がソレハ何デアルカ、あるものとは何であるかと問うときに、あるものについて把握されるところのものである。プラトンのイデアの概念と同じものである」(『現象学の根本問題』)

 

ここでハイデガーは己の馬鹿げたレアール(real)解釈を正当化するためにカントの主旨とは真逆のことをあたかもカント自身が言っていることであるかのように強弁している。とんでもない鈍物イカサマ師である。いったい「可能的な事象規定性の総体」とは何なのか。「事象(Sache)」とは現実の出来事や現象であって、あらかじめ「規定」されているものでも「可能的」なものでもないのである。「事象」が「可能的」なもので、「規定」されているものだとしたら、「事象そのものへ!」など一体何の意味があろうか。だからハイデガーにとっては辞書や事典に載っているような一般的概念の「犬」や「猫」や架空の「ペガサス」や「ケンタウロス」の説明文さえ「事象(内容)」になってしまうのである。つまり辞書事典に載っている単なる言葉や一般的概念にすぎないものが事象(内容)になってしまうのである。日々新たな個々の事象に最初から決まった言葉など付いているわけではないのである。日々新たな事象の認識によって新たに言葉を加えるのである。辞書事典は一般的事象についての固定した概念を示すにすぎないのである。彼は現象学の最も基本的な概念である「事象」の意味すら分かっていないのである。

冒頭の、「モノ(res)に属しているものがレアール(real)なのである」という文が正しいと言えるのは、この「レアール(real)」を「実在的、現実的」という本来の意味(実際、それ以外の意味など昔も今も決してありえない)に解する場合だけである。たとえば、われわれが何らかの「モノ(res)」を認識する場合、それが具体的に何であるかは分からないにしても、つまりその「内容」や「本質」は分からないにしても、その「モノ(res)」がそこにあること、存在していることは、直観的に即座に分かるのである。まず最初に認識されることはそこに何らかの「モノ(res)」があるということである。それがそこに現実に、実際に、レアール(real)に、あるからであり、存在しているからである。そうした事象や状態について、たとえばスプーンなどの「もの」が「ある」とか「存在する」と言表するのであり、その「ある」とか「存在する」という動詞の言葉を名詞形にしたのが「存在」という言葉であるにすぎない。「もの」には実体があるが、「存在」にはいかなる実体もないのである。単なる言葉にすぎないからである。

そこに在る「モノ(res)」を認識するのであり、その「モノ(res)」がなければ、存在していなければ、誰もそれを認識することはできない。それはないのだから、まったくの無だからである。つまり、「モノ(res)」を認識するとはその存在を認識することとまったく同じことなのである。その「モノ(res)」が存在しているからこそその「モノ(res)」を認識できるのである。現実に実際に(realに)存在している「モノ(res)」だからこそ、まずは単に「モノ(res)」として確実に容易に感知され、認識されるのである。誰にでも、犬猫にも、虫けらにも認識されるのである。それが何「モノ(res)」であるか、どんな「モノ(res)」であるかは、徐々に分かってくることであり、爾後の問題であって、最早存在の問題ではない。

たとえば、ある未知の物がある場合、その物がそこにあることは誰にも直ちに分かるが、その物が何であるか、具体的にどういうものであるか、その物の本質や内容といったものは容易に分かるわけではない。本質や内容は物の(存在の)認識後にいろいろ調査研究して、やっとたとえば太古の恐竜の化石であるなどと分かったりするわけである。団栗を初めて見つける栗鼠にしても、そのモノがそこにあることは直ちに認識するが、それが食べられるか、味はどうか、毒はないか、などといった、そのモノの内容や本質は経験を重ねることによって徐々に知るのである。

つまり、ある物が何であるかは分からないにしても、物がそこにあること、存在していることは、直ちに分かるのである。その物の正体は分からぬにしても、まず何らかの物があること、存在していることは、誰でも容易に分かるのである。かように、「モノ(res)」という言い方には、こうした現実に存在する諸物一般を指す意味合いがあるのであって、個々の「モノ(res)」の内容とか本質を意味するものではないのであり、そこに存在している物(res)を意味しているのである。「モノ」はすなわち「存在者」であって、「モノ」と「存在」を切り離すことは絶対にできないのである。「モノ」と切り離された「存在」自体などというものは存在しない。そんな「存在」は決して存在しないのである。一方に「モノ」があり、他方に「存在」がある、などということは決してありえない。そんな「存在」がどこにあろうか。虚空にふわふわと漂っているとでも言うのであろうか。また、「存在」と切り離された「モノ」などありえようか。それは存在しない「モノ」であり、「モノ」として認識しようがあるまい。

木田は、「ハイデガーはここで、この〈real〉を〈実在的〉と解するのは誤りだと主張する。〈real〉はラテン語の〈res(物)〉に由来し、〈事象内容を示す〉という意味に解されねばならない、少なくともカントの時代にはそういう意味でしか使われなかったということを明快に解き明かしてみせる。これだけでも驚くべき発見であった」と言うが、ここにこそハイデガーの決定的な誤り、大嘘があるのである。

ハイデガーが「この〈real〉を〈実在的〉と解するのは誤りだと主張する。〈real〉はラテン語の〈res(物)〉に由来し、〈事象内容を示す〉という意味に解されねばならない、少なくともカントの時代にはそういう意味でしか使われなかった」と主張するのは、カントの言うレアール(real)やレアリテート(Realität)についての己の馬鹿げた珍解釈を強引に正当化するためである。こうしたハイデガーの欺瞞的な自己正当化のためのイカサマをハイデガー信者の木田はまったく見破れないために、彼の愚説愚解をうのみにし、押し頂いてしまうのである。

そもそもラテン語の「res(物)」は「実在するもの、現実にあるもの」を意味するのであり、だからこそ、このラテン語の「res(物)」に由来していると思われるレアール(real)やレアリテート(Realität)が「実在的」や「実在性」の意味をもつようになっているのである。

オックスフォード大学出版部刊『ラテン語辞典』の「res」の項にはこうある。「an actual thing, the thing itself, reality, truth, factopposed to appearance, mere talk, the mere name of a thing」(ルイス/ショート『ラテン語辞典』)。これでみると、そもそも「res」自体に「reality」の意味があることが分かろう。要するに「res」は「実在物(actual thing)」を、つまり「存在する物」を意味しているのである。また、「the thing itself」はカントの「物自体(Ding an sich)」を髣髴させよう。「物自体(Ding an sich)」についてカントはこう言っている。「私は勿論われわれの外部に物体があること、つまり、物があることを認める。物自体(Ding an sich)がどのようなものかについてはわれわれにはまったく知られないが、われわれは物をその感性への影響がわれわれに得させる表象によって知り、この表象に物体という名をつける」(『プロレゴーメナ』)。以上から、ラテン語の「res」の意味は明々白々であろう。それをハイデガーは語源となっているラテン語の「res(物)」に「事象内容(Sachgehalt)」(これはほとんど意味不明のハイデガーの造語だが、彼はほとんど「概念」と同じ意味と考えているとみなして差し支えあるまい)の含意があるかのように強弁することによって、カントのレアール(real)やレアリテート(Realität)に対する己の馬鹿げた曲解を正当化しようとするのである。ハイデガーはギリシャ語やラテン語をたびたび引用して、さも己の説が「学的」(この言葉を彼は頻繁に使う)であるかのように思わせようとしているが、そんなことに決して誤魔化されてはならない。そもそも彼が引用するギリシャ語やラテン語についての彼の解釈自体が怪しいのである。

こうしてハイデガーはついには、「レアリタース(realitas)は、ライプニッツのポシビリタース(possibilitas)すなわち可能性という表現と同じ意味である。諸々のレアリテート(Realität)とは、可能的な諸物一般が何であるかを示す内容《何内容(Wasgehalt)》である。その際、それら諸物が現実的、すなわち現代的意味での《レアール》であるか否かは問題ではない。レアリテートの概念は、私がソレハ何デアルカ、あるものとは何であるかと問うときに、あるものについて把握されるところのものである。プラトンのイデアの概念と同じものである」と主張するに至るのである。まったく愚の骨頂である。

一体、「レアリタース(realitas)は、ライプニッツのポシビリタース(possibilitas)すなわち可能性という表現と同じ意味である」とか、「諸々のレアリテート(Realität)とは・・・・・・諸物が現実的、すなわち現代的意味での《レアール(実在的)》であるか否かは問題ではない。レアリテートの概念は・・・・・・プラトンのイデアの概念と同じものである」などという妄説を真に受ける者がいるであろうか(木田は心底感服しているようだが)。カントは己の「レアリテート(Realität)の概念」が「プラトンのイデアの概念と同じものである」などと言われたら、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに驚嘆し、慨嘆し、呆れ果てたことであろうし、己の言う「レアリテート(Realität)」の意味も理解できない者が哲学教授だと知ったら、開いた口がふさがるまい。

カントは「プラトンのイデア」についてはこう言っている。

 

 「身軽な鳩は空中を自由に飛びながらも空気の抵抗を感じるので、真空のなかならもっとずっとうまく飛べるだろうと思うかもしれない。これと同じくプラトンも、感覚界が悟性に窮屈な制限を加えることを厭い、感覚界を見捨ててイデアの翼に身を託し、感覚界の彼方にある純粋悟性という真空のなかへ飛び去ったのである。しかし、彼はそうした努力をいくら続けてみたところで、いささかも進みうるものでないということに気づかなかった。その場合に彼は悟性を動かすための支えになるもの、つまり彼が己の身体を支えるために力を加えるいわば支点を持たなかったからである」『純粋理性批判』)

 

プラトンは「感覚界を見捨ててイデアの翼に身を託し、感覚界の彼方にある純粋悟性という真空のなかへ飛び去ったのである」。カントが言うように、「実在(レアリテート、Realität)は感覚一般に対応するもの」であり、「プラトンのイデア」とはまったく裏腹のものである。「プラトンのイデア」の世界はプラトンにとって「真実在の世界」であり、彼の理想の世界であるかもしれないが、「感覚界の彼方にある純粋悟性という真空」の世界であり、畢竟は仮想の世界にすぎないのであって、感覚に対応した実在的現実的(レアール、real)な世界ではないのである。カントが言うように、「実在(レアリテート、Realität)は感覚一般に対応するもの」であり、このカントの言う「実在(レアリテート、Realität)」を「プラトンのイデアの概念と同じものである」と言い張るハイデガーの主張がいかに馬鹿げた妄説愚説であるかが分かるであろう。プラトニズムの存在論は実在を認識するようなものではないのである。

カントは言う、「実在(レアリテート、Realität)」という「その概念自体が(時間における)存在(Sein)を示している。・・・・・・感覚一般に対応する実在的なもの(das Reale)は何か或る物を示すにすぎない・・・・・・。実在(Realität)について言うなら、経験の助けを借りないかぎりそれを具体的に考えることができないのは自明のことである。実在(Realität)は経験の質料としての感覚にのみ関するものであって、思惟における関係の形式には関わりがないからである。関係の形式だけを弄んでいると、われわれはややもすると虚構を事とするようになりがちなものである」(『純粋理性批判』)と。ここには「プラトンのイデア」に対する批判とともに、彼の存在観や存在論に対する批判もあるように思われる。

つまり、まずは物が、その存在が認識されるのであり、そうした現実に存在する物が具体的にどういうものかといった物の内実(Gehalt)や本質は経験を重ねることによって徐々に分かってくるのである。

カントは「実在(Realität)は経験の質料としての感覚にのみ関するもの」であると言うのであり、そして「(プラトンは)感覚界が悟性に窮屈な制限を加えることを厭い、感覚界を見捨ててイデアの翼に身を託し、感覚界の彼方にある純粋悟性という真空のなかへ飛び去ったのである」とカントは言うのである。こうしたカントの言葉を読めば、「レアリテート(Realität)とは、可能的な諸物一般が何であるかを示す内容《何内容(Wasgehalt)》である」とか「プラトンのイデアの概念と同じものである」などと言うハイデガーの主張がいかに馬鹿げた妄説愚説であるかが分かるであろう。この徹頭徹尾イカサマと出鱈目に満ちた『現象学の根本問題』(そもそもこのタイトル自体が見かけ倒しのイカサマである)について木田は次のように言っている。

 

「『存在と時間』の第二部は結局陽の目を見ないでしまった。その失敗の原因は、のちに見るようにそこで展開されるはずの哲学史観にハイデガーが結びつけようとしていた文化の転回の企てに、ある根本的矛盾がひそんでいたからなのであるが、当時ハイデガーはまだそれには気づかず、その失敗の原因は『存在と時間』の構成にあると考えていたらしい。つまり、実際の発想の順序とは逆に話を組み立てたところに問題があると考えたのであろう。『存在と時間』を公刊した一九二七年夏学期の講義『現象学の根本問題』では、その構成を組み替えてやり直そうとしている。『全集』版のこの講義の第一頁の脚注には、彼の手で〈『存在と時間』第一部第三篇の新たな仕上げ〉と記されているが、この講義はどう見ても『存在と時間』全体の〈新たな仕上げ〉を目指したものとしか思われない」(木田『ハイデガーの思想』)

 

木田はハイデガーに対して妙な幻想を抱いているようなナンセンスな戯言を並べているが、要するに『現象学の根本問題』が「『存在と時間』全体の〈新たな仕上げ〉を目指したもの」だと言うのである。『存在と時間』の「〈新たな仕上げ〉を目指した」結果が『現象学の根本問題』ではどうしようもあるまい。「基礎的存在論」? まさか。「レアール」や「レアリテート」というカント哲学の基本的概念もまったく理解できず、「存在ザイン(する)」に関わる『純粋理性批判』の「核心部」のテーゼも全然分からぬ者に、そんな存在論が書けるわけもあるまい。哲学風に装った空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」で人を煙に巻き、誑かすくらいが関の山であろう。

 

日本の代表的な哲学事典の「実在性(Realität)」の項には以下の説明がなされている。

 

「・・・・・・中世から近代初頭にかけて哲学用語として使われたラテン語realitasやその元となった形容詞realis(およびその近代語形)には「実在性」「実在的」という意味はなかった.realisres(物)に由来し,その物が実在するか否かに関わりなしに,〈物の事象内容に属している〉という意味であり,realitasも可能的な事象内容を意味した.・・・・・・カントがomnitudo realitatisと言うばあいも,それは実在物の総体のことではなく,およそ可能な事象内容の総体のことであった.また彼が神の存在の存在論的証明を論駁しようとして提唱する「〈存在する〉ということはrealな述語ではない」という命題におけるrealも〈事象内容を表わす〉という意味である.そのRealitätが「実在性」という意味をもつようになったのは,カントのobjektive Realität(客観として現実化された事象内容)という概念を介してでありーカントのもとでsubjectivの意味に対応してobjektivの意味も変質したー,次第にRealitätだけで〈現実に存在する事象〉を意味するようになったのである」(『岩波哲学・思想事典』)

 

この項は木田が執筆しているため当然であるが、ハイデガーが『現象学の根本問題』で開陳したイカサマと強弁と欺瞞と曲解に満ちた愚論愚考を真に受けた頓珍漢きわまりない解説がなされている。呆れたものである。カント学者(ならずとも)からクレームがつかなかったのであろうか。ドイツの哲学事典ではどんな解説がなされているのだろうか。ドイツでもいまだにハイデガー盲信者は多いのであろうか。いずれにせよ馬鹿げたことである。

ハイデガーが「二十世紀最大の哲学者」だとか、『存在と時間』が「二十世紀最高の哲学書」などと言われているようだが、まったく馬鹿馬鹿しさの極致である。

 

 

一時期ハイデガーの弟子であったレーヴィットの言葉を木田は紹介している。

 

 「講演のあいだハイデガーは、まるで聴衆などいないかのような孤独な表情で講壇に立ち、思考力を極度に集中していることが外からも見てとれる、額に血管の浮いた緊張した顔つきで、身ぶりも美辞麗句もまじえずに原稿を一枚一枚読みあげていった・・・・・・。聴き手の緊張を予想し、意識して話を無味乾燥に組み立て、厳しく断定する。しかも、自分で一つの思想的構築物を組み立ててみせた上で、次にはこれを自分で取り壊してみせ、固唾を呑んで聴き入っている人たちを謎に直面させ、空虚のなかに置き去りにするという独特のテクニックをもっていた」(木田、前掲書)

 

これは肝腎な決定的なことが何も分かっていない者の遣り口(要するに、はぐらかしである)を示しているように思われるが、さながらハイデガーのテクストを髣髴させるような評言である。彼は曖昧多義的な哲学的概念を大いに利用した言葉による誑かしに長けていたようである。ヤスパースはハイデガーについてこんな感想をメモに書きを残している。彼はハイデガーの山師的性格を見抜いていたと思われる。

 

「ハイデガーにおける形式の名人芸的な巧妙さ・・・・・・本質的に曖昧に美的な種類のもの――一種の強引さ――何か騙されているような感じ――彼は異常に才能ある詐欺師であろうか。別種のヒトラー型人間であろうか。捉えがたく、決して本当の答えをしない男だろうか。古色蒼然たる思弁的形式により開かれたかの空間は、彼の場合、依然として空虚ではないだろうか。――それは偽りの約束によって正体を蔽い隠している事実上のニヒリズムであるのか。――それに加えて途方もない名誉欲と権力欲、それは魔術師にはふさわしくとも、決して思弁的に誠実な哲学者にはふさわしくないのではあるまいか。――極端な反対の極は、カント、スピノザ」(ヤスパース『ハイデガーとの対決』)

 

存在論に関するハイデガーの思わせぶりな意味ありげな空疎ナンセンスな言葉についてはカルナップやクワインらの批判があるが、彼らの批判は至極当然のもので何らおかしなところはない。彼らは主として言語表現面での批判をしたが、フッサールはおそらくもっと根本的に哲学的な批判を抱懐していたはずである。フッサールは当初はなぜかハイデガーを買っていたようだが、一九二七年に『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の「現象学」の項の執筆を依頼され、ハイデガーを共同執筆者にしたのであるが、彼の現象学理解に根本的な疑問を感じ、同年十二月二十六日付のインガルデン宛の手紙で、「私は自分の原理的な歩みをもう一度徹底的に考え抜くことにしたが、ハイデガーは――今や私はこう信ぜざるをえないが――この原理的な歩みを、したがって現象学的還元の方法の意味全体を理解していないのです」と書き送っている。結局最後は、ハイデガーの原稿をすべて却下して、フッサールは単独で「現象学」の項を執筆した。おそらくこの時期あたりからハイデガーはフッサールに恨み心を抱くようになったのではないかと思われる。ハイデガーは師たるフッサールに対しては面従腹背の態度をとっていたようだが、ヤスパースには師を悪しざまに言っていたという。

フッサールは当初は『存在と時間』をほとんど読んでいなかったらしいが、同書が巷間であまりに評判になっていたからであろう、一九二九年の夏季休暇中に『存在と時間』を徹底的に精査吟味したのであり、そして同年十二月二日付のインガルデン宛の手紙で、「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達しました」と書き送っている。彼は『存在と時間』をその方法とともに根本的に全否定したのである。フッサールがこんなものに誑かされるわけもあるまい。

だが、こうした見方に対しては次のような意見がある。

 

「ハイデガーの著作や講義を丹念に読んでいる人たちは、一様にその思想によって震撼され、その崇拝者ないしは信者になり・・・・・・一方、ハイデガーの批判者は、ほとんどその著作を読んでいない。多少は読んだと言うかもしれないが、おそらくそれは、読まないですます理由をさがすために読むといった読み方であろう」(木田、前掲書)

 

これではハイデガーを丹念に読む者は皆その崇拝者になり、その批判者はずさんな読み方しかしていないと言っているようなものだが、では、フッサールはずさんな読者であったろうか。むしろ事態はまったく逆であろう。出版当初からのセンセーショナルな「評判」を真に受けている者が『存在と時間』をいくら一生懸命に「丹念に読」んだところで付和雷同の「崇拝者ないしは信者」にしかなりえまい。『存在と時間』でハイデガーは概念の外にあるべき現実の存在を考えず、「ある、存在する」という言葉の虚実(realか否か)も弁えずに、ただ「ザイン一般の意味の究明」というほとんど意味不明の漠然たる目標を掲げ、先哲の曖昧多義的な存在概念をいじくりまわして、読者を煙に巻いているだけであるから、彼の「存在(する)」は曖昧な言葉や概念の内部に閉じ込められたままなのである。彼はそういう虚実の区別もついていない虚妄の「存在」しか考えていないのである。後年、彼が「言葉は存在の住処である」と言うのも宜なるかなであろう。「饅頭」という言葉が饅頭の「存在の住処」だとしたら、誰も永遠に饅頭を食べることはできまい。「饅頭」という言葉に饅頭の存在などないのである。まったくの戯言である。「存在の住処」は外界という現実世界にしか絶対にありえないのである。言葉や概念の外にしか万物の「存在の住処」は決してありえないのである。

要するにハイデガーの考える「存在」は言葉や概念の内部に閉じ込められたものであり、言葉や概念の外部の現実世界における事象としての存在をまったく考察認識していないのである。要するに、事象としての馬を認識するのに「馬」という言葉を相手にしているようなものなのである。だからこそフッサールはそれを見抜いて、「方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだ」と断を下したのである。「桃太郎」や「白雪姫」や「孫悟空」ならその「存在」(無論それは虚構の存在であって、現実の存在ではない)は言葉を「住処」にしていると言えようが、現実の存在者の存在は言葉や概念の外部の現実世界にしかその「住処」は決してありえないのである。言葉を「住処」にしているのは御伽噺の架空の事物の「存在」や現実の事物の概念にすぎないのである。現実の事物の存在の「住処」は言葉や概念の外部の現実世界にしかないのである。こうした根本的なことが分からないから、「言葉は存在の住処である」などとしたりげに言うのであり、そんな言葉や考えに誑かされる者も出てくるのである。

要するにハイデガーの存在論は現実の存在(する)も架空の「存在(する)」も区別しえない存在論であり、これは彼が件のパスカルの言葉を「《存在(Sein)》という概念の最高の普遍性」だとみなしている以上当然である。しかし、件のパスカルの言葉は何ら存在(する)を意味しない繋辞のêtreも存在(する)を意味するêtreも区別できない当時なされていた存在論を示しているにすぎず、そんな存在論は言語的に自家撞着せざるをえないとパスカルは言っているのである。畢竟ハイデガーの存在論は哲学めかしたナンセンスな「言葉いじり」の存在論なのであり、現実的な存在(実在)についての洞察など全然ない、まったくの妄想の「存在論」なのである。このような彼の「思想によって震撼され」る者など本当にいるのであろうか。彼のどんな「思想」(そもそも彼に「思想」なんてものがあるのか)が人を震撼させるというのか。まやかしの修辞による思わせぶりの言葉に何かしら深淵な意味があるように妄想したがる盲信者が後を絶たぬ。「御伽噺」の事物の「存在」を語る言葉を真に受ければ、誰でも気づかぬまま「裸の王様」になってしまうのである。

木田はしきりにハイデガーを持ち上げ、『存在と時間』に感心しているが、一体そのどこに感心しているのか一向に不明である。「人びとがこの本から大きな衝撃を受けたのだとすれば、それはいったいこの本のどこからきたのであろうか。これが私の疑問である」(木田、前掲書)。これでは駄目である。木田自身が「この本から大きな衝撃を受けた」のでなければ単に「大きな衝撃を受けた」と言う他人の意見や評価を真に受けているだけのことにすぎない。「人びとがこの本から大きな衝撃を受けた」ことが「いったいこの本のどこからきたの」か木田自身には「疑問である」と言うのだから、彼自身は全然「この本から大きな衝撃を受け」てはいないわけであろう。「この本から大きな衝撃を受け」ていない者が「この本から大きな衝撃を受けた」と言う他人の言葉を真に受けて、「人びとがこの本から大きな衝撃を受けた」理由を無理やり探り出そうとしたところで、むなしくも尤もらしい強引なでっち上げにしかなりえまい。

 

「まったく不思議な影響力が『存在と時間』にはそなわっていたようである。いったいそれはどこからきているのであろうか。それは、この本のもつ一種独特の雰囲気と、それを伝えるこれまた独自な言語表現のスタイルからきている、とでも言うしかなさそうである。そして、その雰囲気はまさしく時代の雰囲気でもあったのである。人びとは、第一次大戦敗戦後の時代の雰囲気が『存在と時間』上巻に凝縮されて現われているのを感じとり、それに強い衝撃を受けたのであろう。・・・・・・だが、はたして『存在と時間』のもつ意味はそれだけに尽きるものであろうか。私はそうは思わない。ハイデガーが《下巻》で展開しようとしていた企てまでもふくめて考えてみるなら、やはりこれは哲学史上にも稀有な壮大さをもった思考実験だったのであり、そのお蔭で歴史を見はるかすユニークな視座が獲得されたことは確かなのである。結局は未完成に終わったし、《上巻》で試みられた準備作業も無残な失敗に終わったことになるが、やはり『存在と時間』は偉大な作品、あるいは壮大な断片と見るべきものであろう」(木田、前掲書)

 

何とも雲をつかむような曖昧模糊たる矛盾だらけの文章である。「人びとがこの本から大きな衝撃を受けた」理由を無理やり探り出した結果がこれではどうにもなるまい。「まったく不思議な影響力が『存在と時間』にはそなわっていたようである」、「一種独特の雰囲気」、「独自な言語表現のスタイル」、「その雰囲気はまさしく時代の雰囲気でもあった」、「時代の雰囲気が『存在と時間』上巻に凝縮されて現われているのを感じとり、それに強い衝撃を受けたのであろう」など、要するに漠然たる「時代の雰囲気」や「独自な言語表現のスタイル」がその理由である「とでも言うしかなさそうである」と認めていながら、「だが、はたして『存在と時間』のもつ意味はそれだけに尽きるものであろうか。私はそうは思わない」などと言い出す。「ハイデガーが《下巻》で展開しようとしていた企てまでもふくめて考えてみるなら、やはりこれは哲学史上にも稀有な壮大さをもった思考実験だ」と無理やり持ち上げようとしているが、未刊の「《下巻》で展開しようとしていた企て」など当初は無論その後もほとんど誰も知る由もないのだから、そんな「企てまでもふくめて考え」ないかぎり、「これは哲学史上にも稀有な壮大さをもった思考実験」だと思う者などいないはずでありましてや「この本から大きな衝撃を受けた」と言う人々の言葉などどこまで信用できようか。まったくの根本的な誤解であり、妄想にすぎない。「結局は未完成に終わったし、《上巻》で試みられた準備作業も無残な失敗に終わった」のに、何ゆえに「やはり・・・・・・哲学史上にも稀有な壮大さをもった思考実験だった」のか。大方の「評判」どおり「やはり・・・・・・」と持ち上げねばならぬ、という妄執に囚われているとしか思えない。

だが、こうしたハイデガー盲信者の木田自身もハイデガーの存在論について、「謎めいた、あるいは思わせぶりなヒントが散在するだけである」(木田、前掲書)と認めてはいるのである。「思わせぶり」な言葉に「思わせぶり」な意味以上の意味などまずないのだ。ところが木田は続けて、「しかし、これが分からなければ、彼の言うことはほとんど理解できないことになろうから、なんとかその散在するヒントから無理にでも答えを引き出してくる必要がある」(木田、前掲書)と言う。こうなるともう妄念のようなものであろう。何か大した重要なことでも書かれていると頭から信じ込んでいるのである。驚くべき無邪気さである。

木田はハイデガーの言葉、「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」、「存在は了解のうちにある」、「現存在が存在するかぎりでのみ、存在はある」(これらは存在をまったく認識していない者の考え方である。「存在」という言葉を存在と勘違いしているのだ)を引用しながら、「ハイデガーは人間を本来性に立ちかえらせ、本来的時間性にもとづく新たな存在概念、おそらくは《存在=生成》という存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権することによって、明らかにゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていたのである」などと、ほとんど意味不明な妄想的な賛辞を述べている。

現実の存在者は人間による「了解」など待つまでもなく存在しているはずである。「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」などまったくの戯言である。他のあらゆる動物たちにとって外界に存在するあらゆる物が「現存在」の「了解」を待ってから存在するようになるとでも言うのか。こうした簡明な疑問を投げかけてみれば、「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある」とか「現存在が存在するかぎりでのみ、存在はある」などまったくの虚妄の戯言だと直ちに分かるはずだが、その言葉のみに囚われていると何やら哲学的な深い意味でも秘めているように思い込まされてしまうのであろう。こうした思わせぶりな曖昧無意味な言葉で人を煙に巻くのがハイデガーの最も得意とする御家芸なのである。

人間が存在していなくても存在者はすべて存在している。人類出現以前に恐竜が存在していたことは確実であり、恐竜も外界の事物の存在を本能的に認識していたはずである。ハイデガーの「存在」は人間の言葉の中にしか「住処」のない「存在」であり、人間(の言葉が存在しないかぎりどこにも「住処」のない「存在」である。これこそ「人間中心主義」以外の何ものでもあるまい。こんな頓珍漢な「人間中心主義」の「哲学」がどうして「人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていた」などと言えようか。馬鹿馬鹿しさの極致である。

ハイデガーの「存在」は虚実(カントの言うrealか否か)の区別のない「存在」であり、だからこそ彼は概念のseinrealでないsein)と概念外のseinrealsein)の区別を論じる『純粋理性批判』の「核心部」をまったく理解できなかったのであり、カントの言うreal(実在的、現実的)を虚実の区別のない「事象内容(Sachgehalt)を示す」(これは彼自身が『現象学の根本問題』で説明しているように「概念を示す」という意味である)の意だと馬鹿げた曲解を強弁したのである。彼のこうした空疎ナンセンスな「御伽噺(ミュトス)」にすぎない存在論が、どうして「人間を本来性に立ちかえらせ」ることができるのか、どうして「本来的時間性にもとづく新たな存在概念(これも何を意味しているのかまったく意味不明だが)、おそらくは《存在=生成》(これもまったくの妄想、戯言であるが)という存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権する」ことになるのか。自然は生きて生成しているのが常態ではないか。ハイデガー哲学がそんな「自然観を復権する」などまったくの妄想にすぎない。

ハイデガーは『存在と時間』のなかで、「以下の研究が事象そのものの開示をいくらかでも前進させることができたとしたら、それは何よりもE.フッサールのお蔭である。氏は著者のフライブルク修学時代に、懇切な個人的指導によって、また未発表の諸研究を自由に繙読させてくれることによって、現象学的研究のさまざまな領域に馴染ませてくれた」とフッサールへの謝辞を述べているが(単なる「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にすぎない己の存在論が存在の「事象そのものの開示」を前進させたと勘違いしているのだ)、フッサールとしては自分の現象学から『存在と時間』のような空疎ナンセンスな馬鹿げた「御伽噺」にすぎない虚妄の「存在論」が書かれたと思われるのは不本意だったであろうし、我慢ならなかったはずである。だからこそ彼はインガルデンに、「私は彼の著作を方法上完全にかつ本質的な点で事象的にも斥けるべきだという結論に達した」と書き送ったのである。ハイデガーが本当に「事象そのものの開示」に努めたなら、フッサールはそんなことを言わなかったはずである。「事象そのものへ(Zu den Sachen selbst)!」こそフッサール現象学の要諦だからである。無論フッサールの言う「事象(Sache)」は「現実の事象」にほかならぬ。しかし、ハイデガーは師の現象学の用語を意味も分からず借用したにすぎなかったのであり、先哲たちの曖昧多義的な「存在」や「ある」を意味する多様な言葉に拘り、惑わされ、意味ありげに誤魔化した存在論をでっち上げるしかなかったのである。

 

「われわれが知るということは、われわれの概念の分析(分析的命題)によっては決して起こりえないのである。なぜなら、私が知ろうとするのは、何が物についての私の概念に含まれているかではなく(それは物の論理的本質に属するからである)、物が現実にあるときこの物の概念に何が付け加わるか、そして物そのものが私の概念の外に存在するとき何によって規定されるか、であるからである」(カント『プロレゴーメナ』)

 

  ほぼ同じことをフッサールが言うとこうなる。

 

「スコラ学派の探究は言葉の意味から分析的判断を引き出し、これによって事実の認識を得たという考えに陥っている。これに対して、現象学的に分析する者は、概念から決していかなる判断をも引き出すことをしない。むしろ言葉が当該の語によって言及している現象のなかへと直観を進め、または経験的概念や数学的概念などを完全に直観的に実現している現象のなかへ沈潜するのである」(フッサール『厳密な学としての哲学』)

 

こうした「概念から決していかなる判断をも引き出すことをしない」フッサールの認識や方法が、読者を煙に巻くイカサマの思わせぶりな概念的思弁に終始するハイデガーの認識や方法と根本的に相容れないのは当然である。おそらくフッサールは当初はハイデガーのこうした根本的な難点に気づかなかったからであろう(それは一面では、ある言葉がその概念外の現実の事物について語っているのか、それともその概念内の虚構の事物について語っているのか、その区別を言葉のみから認識することは必ずしも容易なことではなく、不可能な場合さえあるからである)、ハイデガーを買いかぶっていたようだが、次第に互いの認識や方法の決定的な違いを感じるようになり、そして『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の「現象学」の項の共同執筆のさいに、互いの認識の根本的齟齬を確信したのだと思われる。そして『存在と時間』に至ってその確信は決定的なものになったのである。

カントの『純粋理性批判』の「核心部」(神の存在証明の不可能を論じた節)をまったく理解しえなかったハイデガーがフッサール現象学の根幹を理解しえなかったのは当然である。

 

 

ハイデガーの虚妄の存在論を真に受けるとどういうことになるか。

木田は『ハイデガー『存在と時間』の構築』のなかでこう書いている。

                                           

「ハイデガーは《存在者の存在は、それ自体、一種の存在者〈である〉のではない》と言う。要するに存在は存在者を存在者たらしめるものであり、それ自体、一個の存在者ではないのだから、それを存在者のあいだに探しもとめても見つかりっこない。言いかえれば、ありとしあらゆるもの、〈あるとされるあらゆるもの〉をそのように〈あるもの〉たらしめているのが〈ある〉ということなのだから、それ自体は〈あるもの〉ではない、というのである。答えを先に言ってしまうことになりそうだが、もっとはっきり言えば、〈存在〉とか〈ある〉というのは一つの働きであり、その働きによって、ありとしあらゆるものが〈あるもの〉として見えてくるのだ、と言ってもよい」

 

なんとも常軌を逸した驚くべき妄想的な考えである。無論、「存在者の存在は、それ自体、一種の存在者〈である〉のではない」のは当たり前のことである。問題なのは、「存在は存在者を存在者たらしめるもの」だとか、「ありとしあらゆるもの、〈あるとされるあらゆるもの〉をそのように〈あるもの〉たらしめているのが〈ある〉ということ」だとか、「〈存在〉とか〈ある〉というのは一つの働きであり、その働きによって、ありとしあらゆるものが〈あるもの〉として見えてくる」などという考え方である。

「ある」とか「存在する」というのは何らかの「もの(存在者)」の存否に関する肯定的言表、つまり単なる言葉にすぎない。「もの(存在者)」があれば、存在すれば、そう認識すれば、「ある、存在する」と言い、なければ、存在しなければ、そう認識すれば、「ない、存在しない」と言表するだけのことにすぎない。「もの(存在者)」が認められるのは、それがあるから、存在しているからこそであり、それがなければ、存在していなければ、誰もそれを認めることはできない。「もの(存在者)」を認めることとその存在を認めることはまったく同じことなのである。テーブル上のスプーンを認めることはそのスプーンの存在を認めることなのである。「スプーン」即「存在者」なのである。

「存在は存在者を存在者たらしめるものであり、それ自体、一個の存在者ではないのだから、それを存在者のあいだに探しもとめても見つかりっこない」(木田)。こうしたとんでもない妄想的な考えが生じるのも、現実の「もの(存在者)」の事象としての存在をまったく認識せず、馬鹿げた「言葉いじり」に終始するハイデガーの虚妄の存在論に誑かされた結果であろう。「存在は存在者を存在者たらしめるもの」だと本当に信じているのか。スプーンという存在者はスプーンそれ自体が存在者なのであって、「存在」(「有」や「在ること」と言い換えてもまったく同じことである)という言葉によってスプーンが「存在者たらしめ」られているわけではない。スプーン自体がすなわち存在者なのである。それとも木田は、ハイデガーは、と言ってもいいが、「存在」(「有」あるいは「在ること」)という単なる言葉が「もの」を存在させる力やエネルギーのようなものを蔵しているとでも考えているのであろうか。それほど馬鹿げた妄想はあるまい。「存在」(「有」や「在ること」)が単なる言葉にすぎないことが分からないのであろうか。「存在は・・・・・・一個の存在者ではないのだから、それを存在者のあいだに探しもとめても見つかりっこない」。まったく正気の沙汰とも思えぬ考えである。存在は存在者にしかないのである。存在者とは別のところに「存在」(「有」や「在ること」)が単独あるいは単体で見つかるとでも思っているのであろうか。存在者がないところに「存在」なるものがあるとでも思っているのか。スプーンなる「もの」が「存在」と結び付くことによって「スプーン」という存在者になるとでも言うのか。両者はどうやって結合するのか。存在と結び付く前のスプーンとは一体どんなものなのか。存在がない以上、それはスプーンでも何でもなく、まったくの無ということになろう。

こうした荒唐無稽な戯言のような考えも、空疎ナンセンスな「言葉いじり」や「言葉の遊戯」にすぎないハイデガーの虚妄の存在論を真に受けたりすると、何となく字面上は尤もらしく聞こえてしまうのである。「無が無化する」(ハイデガー)などというのもその伝である。「ある」や「存在(する)」という言葉しか見ていないハイデガーは、「実在の事物があり、その性質はわれわれの考えにまったく依存しない」(パース)という簡明な真理すら洞察することができないのである。ハイデガーが「不安の無の明るい夜のなかで、存在者としての存在者の根源的な開示が初めて生起する」(『形而上学とは何か』)などと言うのも、現実の「もの(存在者)」の事象としての存在を考えず、己の主観的な心情や気分や思惑に基づいて考えられる「存在」(それは内界の「存在」であり、畢竟は彼の妄想の「存在」である)を外界における現実の存在と勘違いしているためである。個人あるいは「現存在」がその内界でどんな考えや気分を抱こうと、外界の事物の存在にとっては何の関係も影響もないのである。たとえば宇宙線は誰にも知られていない時代にも存在していたのである。人間が宇宙線の存在を認識したからといって、人間が宇宙線を存在させたわけではまったくない。この点を決して間違ってはならない。人間の内界における認識から外界に「もの」の存在が生じるなどということはまったくありえぬことである。認識は外界に「もの」の存在を確認するだけである。認識されようとされまいと、あるものはある、ないものはない。それだけのことである。

木田はハイデガーを論じるとなると妄想的な戯言を述べてしまうのである。先哲の学説の恣意的な解釈をいかにも「学的」らしく装ったハイデガーの戯言や妄想を真に受けて解説しているのだから当然である。確信をもってはっきり言えることだが、ハイデガーに関する木田の論評は、ほとんどすべて戯言であり、出鱈目である。

 

「言葉は存在の住処である。・・・・・・言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く。泉に行くとき、森を通って行くとき、われわれはいつもすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通り抜けているのだ」(ハイデガー『ヒューマニズム書簡』)

 

馬鹿馬鹿しい。まったくの迷妄である。言葉は事物や事象に対して後付けされるものにすぎない。「言葉が存在の住処」だとしたら、われわれは言葉という「存在の住処」を通り抜けないかぎり「もの(存在者)」に至り着く」ことができないことになる。床をはいはいする赤ん坊は「いつもすでに〈床〉という語を通り抜けている」とでも言うのか。言葉を知らない動物や虫けらは決してあらゆる「もの(存在者)」に至り着く」ことができないことになろう。われわれは絶えず無数の存在する物に囲まれ、接しているのである。現実の存在は言葉や概念の外にしかないのであり、その「住処」は外界にしか決してありえないのである。現実の存在者に至り着くのに言葉や概念を介する要などまったくないのだ。ハイデガーは現実の事象としての存在を認識せず、プラトンやアリストテレスらの先哲の学説(存在論に関するかぎり両者の考えは単なる妄想にすぎない)。に頼った言葉や概念としての「存在」しか頭にないため、その空疎ナンセンスな愚論は言葉に誑かされる読者にはほとんど意味不明ながら何やら子細な意味ありげに思えたりするのである。彼は人を煙に巻く言葉の詐術には非常に長けているのである。イカサマ師としては一流かもしれないが、哲学者としては・・・・・・いや、そもそも哲学者ではないのである。カント哲学の、『純粋理性批判』の、最も基本的な最重要概念である「レアール(real)」や「レアリテート(Realität)」の意味が分からぬような哲学者などいるものではない。それらの言葉の意味が分からぬかぎり、カントのテクストなどほとんど何も理解できまい。

 

現実のあらゆる事物や事象にもともと何らの名称も言葉も付いてはいないのである。言葉や名称は人間が主として記録や伝達のためにいろいろ工夫して付けたものにすぎない。こんな常識的なことも分からないから、「言葉は存在の住処である」とか、「言葉が存在の住処であればこそ、われわれは絶えずこの住処を通り抜けることによって存在者に至り着く。泉に行くとき、森を通って行くとき、われわれはいつもすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通り抜けているのだ」などと愚か極まりないことをさもしたりげに言うのであり、またそんな言葉に誑かされる者がいつまでも後を絶たないのである。「言葉が存在の住処」だとしたら、言葉を知らない赤ん坊や動物はどんな存在者にもまったく出会えないことになろう。「団栗」という言葉を知らない栗鼠は、団栗を見つけることも、食べることも決してできないことになろう。

ヤスパースはハイデガーについて率直明快にこう言っている。

 

 「私はそこから何も学ばなかった。私を感動させたり鼓舞したりする哲学的刺激がそこにはなかった。・・・・・・難しい個所になると、いくら読んでも無駄だった。―その点、ヘーゲルやシェリングやカントの場合とはまったく違っている。彼らの場合には、私が努力すれば、難解な個所も氷解して、新しい洞察が得られた」(『ハイデガーとの対決』)

 

  当然のことである。カントやヘーゲルらは己の認識しえたところを言葉に託して表現しているのであるが、ハイデガーは専ら言葉を論い、哲学めかした曖昧模糊たるイカサマの言葉を意味ありげに見せかけているにすぎないからである。

 

 ハイデガーは「〈AはBである〉という命題において、BはAに付け加えられるレアールな述語である」と言うが、すでに指摘したように、 「AはBである」という命題において、Bは単にAに付け加えられる「述語」にすぎず、別に「レアールな述語」でも何でもない。「AはBである」という命題においては、Bは単に必然的に主語Aの述語になるにすぎず、「レアール」などという形容詞はまったく余計なものである。ハイデガーの説に従えば、「ペガサスは有翼の馬である」の「有翼の馬」が「レアールな述語」ということになる。だから彼の言う「レアール」は虚実の区別などまったくないのである。そもそも彼はカントの言う「レアール」を「事象内容(Sachgehalt)を示す」(『現象学の根本問題』における彼自身の説明によれば「概念を示す」の意である)と解釈するのだから、彼の言う「事象(Sache)」にも虚実の区別がまったくないことになる。「有翼の馬」が「レアールな」述語すなわち「事象内容を示す」述語ということになるからである。だから「魔女の杖の一振りで南瓜が馬車になった」などという架空の出来事も「事象(Sache)」になってしまうわけである。まったく現象学の基本すら分かっていないのである。何度も言うようだが、現象学における「事象(Sache)」とは言うまでもなく現実の「事象」であって、 架空の出来事を「事象」とは言わぬ。架空の出来事も「事象」だとしたら、フッサール現象学の要諦たる「事象そのものへ(Zu den Sachen selbst)!」に一体何の意味があろう。御伽噺の荒唐無稽な架空の出来事も「事象」になってしまうようなハイデガーの「現象学」がいかに馬鹿げた出鱈目なものであるかが分かるであろう。彼が「現象学の根本問題」など到底論じられるわけもないのである。

 

 

ハイデガーは『現象学の根本問題』が『存在と時間』の「新たな仕上げ」だとし、そのなかでカントの言う「レアール」や「レアリテート」について「事象内容を示す」などいうとんでもない馬鹿げた曲解を強弁しつつ、「ほかならぬレアリテート(Realität)という表現に関して言うなら、スコラ哲学や古代哲学に由来するこの表現の用語的な意味を明確に理解していないかぎり、カントのテーゼと立場を理解することなど覚束ない」などと巫山戯たことをしたりげに言っているが、しかし、彼は、以前には、『存在と時間』でこう書いていたのである。

 

「デカルトは実体性への存在論的な問いをただ漫然と回避したわけではなく、彼は実体そのものを、すなわち実体の実体性を、あらかじめそれ自体においてつきとめることは不可能であるとことさらに強調しているのである。《しかしながら実体は、単に存在するものであるからといって、ただちに見出されうるものではない。なぜならそれだけではわれわれを触発することがないからである》(デカルト『哲学原理』)。《存在》そのものはわれわれを《触発》しない。それゆえそれは知覚しえない。これをカントの言明で言い換えると、《存在は実在的な述語ではない》ということになるが、このカントの言明は、実はデカルトの命題の反復にすぎない」(『存在と時間』)

 

まったく出鱈目である。デカルトがそこで問題にしているのは「実体」であって、「存在」ではない。「実体が単に存在するものであるからといって、われわれを触発するものではない」と彼は言っているのであり、つまり「存在」ではなく「実体」が「われわれを触発するものではない」と言っているのである。それをハイデガーは「《存在》そのものはわれわれを《触発》しない。それゆえそれは知覚しえない」と誤読して(「存在」を知覚しえない者がいようか)、「これをカントの言明で言い換えると、《存在は実在的な述語ではない》ということになるが、このカントの言明は、実はデカルトの命題の反復にすぎない」などと言う。彼はカントのテーゼ「ザイン(ハイデガーはこれを動詞ではなく、名詞の「存在」と解しているはずである)はレアールな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」をまったく理解していないのに、あたかも分かっているようなことを言う。デカルトを誤読して、「《存在》そのものはわれわれを《触発》しない。それゆえそれは知覚しえない」という文が、カントを誤解した、「存在は実在的な述語ではない」という文と字面が似ているため、同じような主張だとみなして、「カントの言明は、実はデカルトの命題の反復にすぎない」と、したりげに言っているのである。

ハイデガーは『存在と時間』ではカントの言う「レアール」を、『現象学の根本問題』で示した「事象内容を示す」などというとんでもない馬鹿げた珍解釈を示していない以上、ごく普通に「実在的」という意味に解していたはずである。実際それ以外の意味などありはしないが、しかし、「ザインはレアールな述語ではない(Sein ist kein reales Prädikat)」というカントのテーゼを彼はまったく理解していないという点では、『存在と時間』も『現象学の根本問題』も何らの違いもありはしない。

ハイデガーは「カントの言明」と「デカルトの命題」のどういう点が同じなのかを何ら説明していないため、読者には何のことやら分かるまいが、ハイデガーがデカルトの言葉を言い換えて「カントの言明」と似たような字面にしているため、読者も意味不明ながらハイデガーの言いなりになるのが落ちであろう。デカルトとカントはそれぞれまったく別の問題を論じているのだが、それをハイデガーは双方の字面が似ていることから同じことを言っているものとみなしているのである。

「ザインはレアールな述語ではない」というカントの言葉は、すでにくどく説明したように、神の存在論的証明のような分析的命題における「ザイン(ある、存在する)はレアールな(実在的な、実在を意味する)述語ではない」ということであって、デカルトを含む哲学者や神学者らの神の存在証明を論駁する言葉なのである。「ザインはレアールな述語ではない」という「カントの言明は、実はデカルトの命題の反復にすぎない」どころか、むしろデカルト批判の言葉なのであり、神の現実的存在を概念的に証明しようとするデカルト流の神の存在証明を論駁している言葉なのであって、このことはカントがその言葉の少しあとで次のように言っていることからも明々白々たることであろう。

 

 「最高存在者という概念は、いろいろな点できわめて有益な理念である。しかしこの理念は、もともと単なる理念にすぎないのであるから、これだけによって実在に関するわれわれの認識を拡張することはできない。またこの理念は、物の可能に関してすら、それが可能であるということ以上をわれわれに教えるものではない。可能ということの分析的標徴は、単なる措定(実在性)は矛盾を生ぜしめないというところにあり、この標徴が最高存在者にもあることは確かに否定できない。しかし、あるものにおける一切の実在的(レアールな)性質の結合は総合であるが、かかる総合の可能についてはア・プリオリに判断することができない。これらの実在的性質は、われわれには具体的に与えられていないし、またたとえ与えられているにしても、これに関する判断はまったく不可能だからである。つまり総合的認識が可能であるということの標徴は常に経験に求められねばならないが、これに反して理念の対象は経験には属しえないからである。著名なライプニッツはきわめて崇高な観念的存在者の可能性をア・プリオリに洞察しようとし、またそれができると自負していたものの、ついにこれを成就しえなかったのは、まさにこの故なのである。

こういうわけで最高存在者の現実的存在を概念的に証明しようとする甚だ有名な(デカルトの)存在論的証明は、並々ならぬ努力を費やしたにもかかわらず、ついに失敗に帰したのである」(『純粋理性批判』)

 

かようにカントは神の概念から神の存在証明をしようとする存在論的証明を分析的命題にすぎないと看破し、さらに神の存在の宇宙論的証明や自然神学的証明も、畢竟は存在論的証明の変装したものにすぎないと喝破して、かかる証明の結論「神はある(Gott ist)」のザイン動詞(ある、存在する)はレアールな(実在的な、実在を意味する)述語ではない(Sein ist kein reales Prädikat)として、神の存在証明の不可能を示したのである。こうしたカントの論旨をまったく理解できないハイデガーは、『存在と時間』では「このカントの言明は、実はデカルトの命題の反復にすぎない」としたが、カントが『純粋理性批判』で、「最高存在者の現実的存在を概念的に証明しようとする甚だ有名な(デカルトの)存在論的証明は、並々ならぬ努力を費やしたにもかかわらず、ついに失敗に帰した」と書いているのに気付いて、カントとデカルトが同じことを言っているとしたのは間違いだったと考え直し、『存在と時間』の「新たな仕上げ」を目指した『現象学の根本問題』では、「レアール」の意味を「実在的」ではなく、「事象内容を示す」の意だと、愚の骨頂のような珍解曲解を捻り出すのである。

カントの言う「レアール」の意味が「実在的」でないとしたら、カントのテクストがまったく意味不明の、不得要領な戯言になってしまうであろう。たとえばカントが、「概念の論理的可能から事物の現実的実在的(レアール)な可能を直ちに推論してはならない」(『純粋理性批判』)と言っているのを、ここでこの「レアール」を「事象内容を示す」と解したら、まったく意味不明の不得要領なものになってしまうであろう。ましてやハイデガーの言う「事象」は虚実の区別もなく、架空の出来事さえ「事象」になってしまうのだから、その馬鹿馬鹿しさは驚くべきものである。無論、この一例だけにかぎらない、カントの言うすべての「レアール」についても同じことが言いうるのであり、ハイデガーが『現象学の根本問題』で示したカントの言う「レアール」についての馬鹿げた曲解が妥当するカントの「レアール」など決してありえないのである。

 

 

言葉のみからは事実を語っているのか虚構を語っているのか容易に認識しえないことを利用したのが、三島の『仮面の告白』や晩年近くからの皇国思想をおおっぴらに標榜したテクスト群である。まして三島はテクスト内の事柄をテクスト外の現実の場でもなぞるような振る舞い(仮面的行動)を見せつけているため、そのテクスト内容の虚実が容易に判別しがたいのであり、そのため彼のそうした仮面的テクストや仮面的行動を見破れないかぎり、いつまでも彼を同性愛者とか天皇主義者とみなす「御伽噺」的な見方が後を絶たないのである。『存在と時間』もある意味で哲学めかしたまやかしの仮面的テクストなのであり、仮面的テクストを仮面的テクストと看破せぬかぎり、テクストや作者の「御伽噺」的解釈はいつまでも已むことがないのである。

 

 

たとえばどこかの土地に何やら奇妙な形の塊が見つかるとしよう。その大きな塊がやがて動物の骨だと分かり、その後似たような塊がいくつも発見されて、諸学問の進歩によって大昔の恐竜の骨だと分かってくる。それが何千万年、何億年も前に生きていた恐竜の骨の化石だということも認識されてこよう。そうしたいろいろなことが分かる前に、まずは奇妙な塊の存在が認識されるのである。その塊がすでに存在しているからこそ、その存在が認識されるのであって、それが存在しないかぎりその存在は決して認識されないのである。まずは何かが存在して、事後にその存在の認識が生じるのであって、その逆では決してありえない。存在は存在認識に先立つ。その何かが「恐竜の化石」であると人間によって認識命名されようとされまいと、その存在にとってはどうでもよいことであり、その存在はまったく不変である。人間による認識や命名がどうであれ、そんな人間の認識や命名から何物かが存在するようになるわけではない。そんなことは絶対にありえぬことである。恐竜は何億年も前に存在していたのであり、その存在はようやく人間に確実に認識されるようになったにせよ、恐竜がかつて存在したことは厳然たる事実とみなしうるのである。人類出現以前に恐竜が存在していたことも、またその後たとえ人類が出現しなかったとしても、恐竜なる巨大生物がかつて存在したことは厳然たる事実とみなしうるのである。かかる厳然たる事実は現実の事象であり、現実の事象としての存在がどういうものかを示している。

人間が認識しないかぎり恐竜は存在しなかったということにはならない。人間だけの認識が存在に先立つことなどない。すでに何ものかが存在しているからこそ、その存在に対する認識が生じるのである。それが存在していないかぎり、その存在に対する認識は生じようがない。人類の存在しない恐竜時代にも恐竜やその他の動物たちは互いの存在を認識していたはずである。「ある、存在する」などという言葉を要するまでもなく認識していたのである。言葉は事象に対して人間が後付けするものにすぎない。

一般的には現実に存在する物は即座に認識できる。存在認識は即座のものである。そこに椅子や食器や林檎や自動車があれば、それらは直ちに認識される。そうでなければ日常生活にも甚大な支障をきたすであろう。捕食獣と獲物も互いの存在を直ちに認識できるのである。正体不明の物にせよ、そこにその物があれば、その存在は直ちに認識される。存在認識は即座の認識である。その物の正確で詳細な正体や実体は分からなくとも、その物の存在は直ちに認識される。それが未知の物にせよ、まずはその物の存在の認識があり、それが何であるかは事後の考究や調査で分かってくるのである。その物についての事後の知識や知見は最早存在の問題ではない。

 

 

作者捨象の「テクスト論」を唱える者に共通しているのは、いずれもただ「テクスト」とのみ言うばかりで、テクストの分類学がなく、いかなる種類のテクストを論じているかを明示していないということである。要するにテクストの全称命題として「作者の死」や作者捨象を唱えているのである。「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者がルソーであるようなテクストは存在しない」と言うデリダも無論ルソーの全テクストについてそう言っているわけであり(教育論や政治論や小説や告白録などルソーの多様なジャンルのテクストを分類せずにそう言うのだから、デリダはテクストの全称命題として「作者の死」や作者捨象を主張していることは疑いを容れぬ。この点を確実に認識し銘記しておかないと、その後デリダが主張する欺瞞的な言い逃れや取り繕いの何となく尤もらしくも意味ありげなまやかしの言に誑かされてしまうであろう。デリダは後年「作者」の代わりに作者の「署名」を持ち出すようになるが、作者を捨象した以上、必然的に作者の固有名に関わるものは一切捨象されるはずであり、「署名」を持ち出すことなど決してできないはずである)、テクストはおしなべて作者が誰であるかを無視して差し支えないとみなしているのである。(たとえば『仮面の告白』は作者が三島由紀夫であるテクストと認識しないかぎり、彼に関する虚実の区別は絶対になしえないことになるが、そうなればそのテクストの解読も作者三島の解明もまったく不可能になってしまうことを考えよ。無論、大抵の小説の場合には虚実や真偽の区別など必要ないか大した意味などありはしないが、『仮面の告白』はそうした類の「小説」ではないのである。あるテクストがいかなる類のテクストであるかは当のテクストのみからでは必ずしも自明ではないのである)

これに対して、話し手や作者の考慮を要する場合があること、それが決定的に重要でありうることを認識している者は、テクストの分類学を意識しており、数学のテクストやパラダイムの安定した自然科学のテクストあるいは「すべての理論的表現、すなわち〈抽象的〉諸学の公理、定理、証明および理論を構成している諸表現・・・・・・たとえば数学的表現」(フッサール)については作者の考慮を要しないが、それ以外の主として人文系のテクストについては作者の考慮が決定的に重要でありうると考えているのである。

リクールは作者の意図を取り上げて、意図の無視と同時に作者の捨象を唱えているが、作者の意図についての問題はしばらく措くとしても、これでは彼は作者というものを単に意図だけが問題であるような存在としかみなしていないことになる。たとえ意図を別にするとしても、たとえば「人が自称するところ」のテクストについては、作者を捨象するかぎり「その人が現実にあるところ」との違いをまったく認識しえなくなろう。作者の嘘も仮面もまったく見破れなくなろう。作者の意図を排除すれば作者自体も自動的ないし必然的に捨象できるものと単純に思い込んでいるのである。たとえ「失われた意図をテクストの背後に探求する」要がないとしても、作者を考慮(実はこれ自体が他我認識に直接関わる以上、そこにはさまざまの困難な問題があるわけだが)すべきテクストはありうるのである。テクストを解読するうえで、作者は単にその意図だけが問題になったりならなかったりするような存在では決してないからである。

たとえば三島の父親や実在の「園子」が『仮面の告白』を読めば、そのテクストの虚実は彼らが知っている作者三島の「現実にあるところ」に応じて判別しうるのであるが、作者を知らぬ一般読者にはそれは不可能なのである。作者を知る者にはテクストに見えていることも、作者を知らぬ者にはテクストに見ることができないのである。「現実にあるところ」を捨象するかぎり、テクストの虚実の判別は永遠になしえないのである。

作者を捨象して、ただ単に「テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開」したところで、それは畢竟「人間が語り、想像し、表象するものから出発」することとまったく同じことであり、「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別する」ことはできず、「それぞれの時代が己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じ」るしかないことになる。

テクストのみに現前していることだけでは決定的に不都合あるいは無益あるいは無意味な場合がありうるのである。

 

XV

 

言動など外部に表現されたものの皮相な意味合いについては大方の意見は一致をみるが、内部に深く分け入るに従って、各人の器量や関心や洞察力に応じたさまざまの解釈が生じうる。一切の言動や精神活動は人間の生の活動であり、生活であり、そこから生まれる作品は生の刻印であって、それらの一切がその人間の現実の文脈に積分される。伝記とはかかる積分にほかならない。

では、外部に表現されたものから内部をいかにして捉えるのか。外部の個々の断片をいくら寄せ集め、合算しても、内部が構成されるわけではない。合算ではなく積分によって、脈々たる具体的な内部の文脈を見いださねばならない。

 

「もしわれわれが人格は一つの全体であることを認めるならば、われわれは、われわれがその人格のうちに経験的に発見した諸々の傾向の加算や組み立てによって、その人格を再構成しようと思ってもだめである。むしろ反対に、一つ一つの性向、一つ一つの傾向のうちに、異なった角度においてではあるにせよ、人格は全体的に自己を表現する。いわばスピノザ的な実体がその属性のおのおののうちに全体的に自己を表現するのとやや似ている。と、すれば、われわれは、人間の一つ一つの傾向、一つ一つの素行のうちに、それを超える一つの意味作用を発見しなければならない。・・・・・・私が川でボートを漕いでいるとき、私は、ここにおいても、別の世界においても、ボートを漕ぐというこの具体的な投企以外の何ものでもない。しかし、この企てそのものは、私の存在の全体としてのかぎりにおいて、個々の事情のもとにおける私の根源的な選択を表現している。この企ては、それらの事情のもとにおける全体としての私自身の選択以外の何ものでもない。それゆえ、われわれは、ある特殊な方法によって、この企てのうちに含まれるかかる根本的な意味、この企ての世界内存在の個人的な秘密でしかありえないようなかかる根本的な意味を、引き出すように心がけなければならない」(サルトル『存在と無』)

 

ここでサルトルが言う「ある特殊な方法」とは「実存的精神分析」のことであるが、たとえば人生行路のある時点において密かにある仮面が「選択」され、以後は折にふれてこの仮面を通しての「選択」ということがある。つまり、サルトルのように「実存的精神分析の原理は、人間は一つの全体であって、一つの集合ではない、ということである。したがって、人間は、その最も無意味な、最も皮相な行為のうちにも、そっくりそのまま自己をあらわす。換言すれば、何ものをも顕示しないような、一つの好み、一つの癖、一つの人間的行為があるわけではない」(『存在と無』)と認識したところで、仮面の看破が容易になるわけではない。否、むしろそう認識すればこそ、完璧な仮面の文脈を内部の現実の文脈と誤認する可能性さえ出てくるかもしれぬ。だが、それほど完璧な仮面がありえようか。

こうした「世界内存在の個人的な秘密でしかありえない」ものは当該個人を捨象するかぎり絶対的に認識不可能である。こうした個人の秘密のものや隠されたものや「失われた」ものを無視して、ただ「テクストが開示し」ているものだけを「テクストの前面に展開する」のみでは、「個々の事情のもとにおける私の根源的な選択・・・・・・この企てのうちに含まれるかかる根本的な意味、この企ての世界内存在の個人的な秘密でしかありえないようなかかる根本的な意味」などまったく捉えようがないのである。

たとえば「魔的(dämonischという言葉がゲーテにとって意味しているもの」、「魔的(dämonischという言葉」の「ゲーテにとって」の「意味」、その言葉のゲーテの「主観的」な意味を解明すべき場合に、「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」などとみなして、もっぱら万人に共通の「客観的」な「テクストの意味」だけを擁護強弁しているようでは、「世界内存在の個人的な秘密でしかありえないような・・・・・・根本的な意味」など到底認識しようがなく、またその重要性すら認識していないことを証左しているのである。

 

 

終戦をはさんで前後して三島は死と愛に関わる二つの恥辱的挫折体験を喫したのであり、これら二つの挫折体験が以後彼の生涯にわたって深甚なわだかまりや拘りになっているのである。こうした彼のその後の精神状況を剔抉することが他我認識上決定的に重要なのであり、戦後の(より正確には昭和二十一年以後の)彼の実存が抱えたこうした内部を認識しないかぎり、その後の彼のある種の言動の意味を理解しえまいし、ただ見せかけに誑かされた表面的な誤解をすることになろう。

戦後の彼には仮病を使った兵役逃れが深甚な恥辱意識として宿痾のわだかまりになっているのであるが、兵役を免れた当時の彼は「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」だった以上、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」(『仮面の告白』)のは当然であり、戦時の彼は死を恐れ、決して死にたくはなかったのだから、当時の彼の美的な死の希求は観念的な夢想にすぎず、決して彼自身の実存の深部からの欲求ではなかった(主として他者の目を意識した自己美化の夢想にすぎない)以上、兵役を免れた当座は心底大いに喜んだのである。

一方、昭和二十年末頃のハートブレイクは実存的失墜と苦悩の激甚の衝撃をもたらしたのである。「園子」に対する彼の恋やエロス的欲求は彼自身の実存の深奥からの根源的欲求であればこそ、その挫折の衝撃、苦痛、苦悩は激甚なものになり、彼の実存をその根底から震撼させたのである。その「事件」以後、「私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。年齢的に最も溌剌としている筈の、昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた」のである。

かくして兵役逃れの恥辱意識とハートブレイクの痛手を抱えた三島は「未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思」い、「すべて醜かった」と慙愧する己の「過去」を、「自分、及び、自分の人生」を、「まるごと肯定してしま」おうと決意して、『仮面の告白』を構想執筆したのである。

 

「『仮面の告白』のような、内心の怪物を何とか征服したような小説を書いたあとで、二十四歳の私の心には、二つの相反する志向がはっきりと生まれた。一つは、何としてでも、生きなければならぬ、という思いであり、もう一つは、明確な、理知的な、明るい古典主義への傾斜であった」(『私の遍歴時代』)

 

ここで三島が「内心の怪物」と言っているものは「私の中の化け物のような巨大な感受性」(前掲書)のことであり、要するにかつて己が物事に過度に感じやすく、あまりに情念にのめり込んで生きてきたことへの種々の事情による反省から、この「化け物のような巨大な感受性」(これも大袈裟な言い方だが)を、「内心の怪物」を、言語によって捩じ伏せるように統一的に表現することで「何とか征服」しようとしたのが『仮面の告白』だと言うのである。

かつて己の夢想癖ゆえに物事をもっぱら感受するばかりで、外界に向かって自己実現しようとせず、ただ自己愛と自己美化の夢想に耽って生きてきたことから、ついに現実世界における死と愛に関わる深甚な恥辱的挫折体験を喫することになったのであり、かくして過去の己の生の不毛さへの嫌悪感が極限に達し、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧し、「醜かった」過去の己を断罪して、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て書いたのが『仮面の告白』なればこそ、「私の感受性への憎悪愛(ハース・リーベ)が極端になったのは『仮面の告白』であって」(『自己改造の試み』)と言うのである。

 

 

昭和二十六年十二月、三島は四か月余の海外旅行に出発した。

 

「ハワイへ近づくにつれ、日光は日ましに強烈になり、私はデッキで日光浴をはじめた。以後十二年間の私の日光浴の習慣はこのときにはじまる。私は暗い洞穴から出て、はじめて太陽を発見した思いだった。生まれてはじめて、私は太陽と握手した。いかに永いあいだ、私は太陽に対する親近感を、自分の裡に殺してきたことだろう。

そして日がな一日、日光を浴びながら、私は自分の改造ということを考えはじめた。

私に余分なものは何であり、欠けているものは何であるか、ということを」(『私の遍歴時代』)

 

そして彼は、

 

「あこがれのギリシャに在って、終日ただ酔うがごとき心地がしていた。古代ギリシャには、『精神』などはなく、肉体と知性の均衡だけがあって、『精神』こそキリスト教のいまわしい発明だ、というのが私の考えであった。もちろんこの均衡はすぐ破れかかるが、破れまいとする緊張に美しさがあり、人間意志の傲慢がいつも罰せられることになるギリシャの悲劇は、かかる均衡への教訓だったと思われた。ギリシャの都市国家群はそのまま一種の宗教国家であったが、神々は人間的均衡の破れるのをたえず見張っており、従って、信仰はそこでは、キリスト教のような『人間的問題』ではなかった。人間の問題は、此岸にしかなかったのだ。

こういう考えは、必ずしも、古代ギリシャ思想の正確な解釈とは言えまいが、当時の私の見たギリシャとは正にこのようなものであり、私の必要としたギリシャはそういうものだった」(前掲書)

 

彼のギリシャ観やギリシャへの憧れはニーチェの影響が濃厚だが、「何としてでも、生きなければならぬ」と思う人間にとって、「正確な解釈」などが問題ではない。己の生が要求するものを見、獲得するであろう。「暗い洞穴から出て」来た者こそ、誰よりも太陽の恵みを身にしみて味わうことができる。生を苦しめる「精神」に厭き果てた者が、「精神」の介在しない「肉体と知性の均衡」の世界に憧れる。かつては激しい夢想の対象であった、己の手の届かぬところにあって、隔絶感をもたらす彼岸的なものを嫌悪するにいたった者が、「人間の問題」をひたすら此岸に限定したいと欲するのだ。いかに甘美至福の幼少年期を過ごしたにせよ、深甚な挫折を起点に仮借ない自己分析と内省に明け暮れ、己の過去を「死の領域」と断罪した者、実存の深奥から震撼させられた危機的実存的失墜を体験した者こそ、外界と直接に接触しうる皮膚上の感覚の戯れに、「前景、表面、身近なもの、最も身近なものの享楽、およそ色と皮膚と外面をもつあらゆるものの享楽」(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』)に身を挺する資格があると感じるのである。

このとき三島はニーチェとともに言えたであろう、「真理は、その仮面を剥ぎとられた場合にも、依然として真理であるということを、われわれはもはや信じない。・・・・・・人々は、自然が謎と多彩な曖昧さの陰に身を隠すときのあの控え目なやり方を、もっと尊重すべきである。・・・・・・ああ、これらのギリシャ人よ、彼らは適切に生きる術を知っていた。かく生きんがためには、勇敢に表面、襞、皮膚にとどまり、仮象を崇拝することが必要である。これらのギリシャ人は表面的であった――深淵から!」(『悦ばしき知識』)と。

そしてまた三島は、彼の仮面の自己欺瞞性を非難する者に対しては、ニーチェとともにこう言えたであろう。「自己欺瞞のうちには、どれほどの自己保存の狡智が、どれほどの理性と高次の庇護が隠されているか――また私流の誠実の贅沢を何度も己に叶えてやるためには、どれほどの虚偽が私に是非とも必要であるか、君たちが何を知ろう、何を知ることができよう?」(『人間的、あまりに人間的』)

 

三島が四十代の頃のエピソードとして、あるレストランにおいて知り合いの女性から、「『仮面の告白』のなかで嘘を書いているでしょ。初恋の人にお嫁に行かれて、死ぬほど悲しかったんでしょう?」と言われると、三島はそれまで見せたこともないような沈痛な面持ちで、「三十代から四十代を乗り越える時期というのは、何か恐ろしく、苦しいものだよ。だから、世の中を平面的に物事を語り、平面的に歩くことを自分に課したんだ」と的外れのような返事をしたという(安藤武『三島由紀夫の生涯』)。

その「知り合いの女性」には三島の返事は「的外れのよう」にしか思えなかったのであろうが、この三島の言う「平面的」こそニーチェがギリシャ人を評して言った「表面的(oberflächlich)」に通じるものであることは疑いを容れまい。そしてまた、かかるニーチェの認識もニーチェ自身の深甚な実存的挫折体験、恐らくは激甚のハートブレイク体験によるものであることを思わせるのである。けだし、実存の深部を震駭させるような激甚の挫折体験は、実存の深みからの深甚な思いや欲求たる深い恋愛ないしエロスの挫折体験より以外にはほとんどあるまいからである。実存の根底を震撼させる激甚の衝撃的エロス的挫折体験により実存の深淵が一挙に照破されるのだ。エロス的挫折は実存的認識である。深甚なエロス的挫折は深甚な認識である。暗黒の啓示である。血と苦悩で贖われた実存の開明である。それゆえ、

 

「深い苦悩を味わった人間は――どれほど深く苦しみうるかということが、ほとんどその人間の位階を決定する――誰でも精神的な矜持と嘔吐感をもっている。彼はその苦悩ゆえに、最も怜悧で最も賢明な人々が知りうるよりもより多くを知っているという恐るべき確信をもち、『お前らは何も知らないのだ!』と言いうるような多くのはるかな驚くべき世界について熟知しており、かつてそこに住んでいたという確信を抱いており、しかもこの確信によって心の隅々まで浸潤され彩色されている。苦悩する者のかかる精神的な暗黙の驕慢、選り抜きの認識者、奥義を伝授された者、ほとんど犠牲に供せられた者のかかる誇りは、厚かましい同情的な手で触れられることから身を守り、またおよそ自分と苦痛を同じくしない者から身を守るために、あらゆる形の仮装を必要とする。かかる深い苦悩は高貴にする。それは引き離す。最も手の込んだ仮装形式の一つはエピキュリアニズムであり、以後は苦悩を気楽に受け取って、すべての悲痛で深刻なものから己を守る物々しい趣味の勇敢さを見せかけることになる。快活により誤解されるからといって、快活を利用する『快活な人間』もいる。彼らは誤解されたいのだ。科学が明朗な外見を与え、人間の浅薄なことを結論させるからといって、科学を利用する『科学的な人間』もいる。彼らは誤った結論へ導くことを欲するのだ。己が打ち挫かれ、誇り高く、癒しがたい心情の持ち主であることを隠し否定したがる自由で強靭な精神の人間もいる(たとえば、ハムレットのシニシズム、ガリアニの場合など)。そしてときには、愚鈍すらもが、不幸にもあまりに知りすぎた知識に対する仮面である。かくして、仮面に対して畏敬をもち、心理学や好奇心を誤って用いないようにするには、より洗練された人間性が必要である、ということが明らかになる」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

実存の深淵を震撼させる激甚の実存的挫折により深甚な生の危機に直面した者は自己保存や自己救済の本能から「表面的」に生きんと欲するのだ・・・・・・「表面的であった――(実存の)深淵から!oberflächlich――aus Tiefe! )」。

 

 

「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」(『「仮面の告白」ノート』)

 

すでに説明したように、三島が「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」とか「告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」と言うのは、彼が己自身の深甚な恥辱の「告白」を考えているからである。ただ単に他者にはまだ知られていない己の恥辱的でない真情や信念や嗜好や性癖など内面的な真の姿を「告白」することなら「告白は不可能」ということはない。己が深甚な恥辱とみなす己の恥辱的な真の姿を他者に「告白」することがきわめて屈辱的で、辛く、苦しく、恐ろしいからこそ、そういう「告白は不可能だ」ということなのである。

無論、どんな「告白」にせよ、それは言語表現可能な「告白」にすぎない以上、己を十全に伝える「告白」など誰にとっても不可能であるが、三島が「告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」と言う意味はそういう十全の「告白」ということでは決してないのは、「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言っていることからも明らかである。「肉づきの仮面」すなわち己自身と見紛うばかりの「仮面」をかぶれば「告白をすることができる」のである。深甚な恥辱の「告白は不可能だ」とはいえ、「仮面」をかぶれば深甚な恥辱の「告白」も可能だというのである。その「仮面」のまやかしの「論理」と「心理」で己(作者三島)自身の恥辱的な振る舞いを無答責になるよう取り繕った「告白」ならできるのである。「仮面の告白」ならできるのである。これが「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」ということなのである。

つまり、ここで、あるいはこうしたテクストで、三島が言う「告白」には特に「恥辱の告白」の意味合いがあるのであり、こうしたいわば三島にとっての「主観的」な「告白」の意味合いを読み取ることが重要なのであって、そうしないかぎり彼のこうしたテクストを解読することはできないのである。

すでに解明したように、彼の「恥辱」とは、彼の真の「恥部」とは、「すべて醜かった」と「喚起」する「過去」のことであって、それは『仮面の告白』の作者たる三島由紀夫を考慮しないかぎり絶対的に解明不可能であり、しかもそれを解明しないかぎりその仮面的テクストにおける最重要部の真偽や虚実の区別(これは『仮面の告白』を解読するうえで、また三島由紀夫を解明するうえで決定的に重要である)も不可能になってしまうのである。

三島が「醜かった」と「喚起」する己の「過去」、己の「恥辱」、己の「恥部」を「告白」するためにいかなる「仮面」をかぶり、それをどのように「告白」しているか、それはすでに明らかなことであろう。

かように三島にとっての「告白」には何よりも「恥辱の告白」という意味合いがあるということ、かかる三島の「主観的」な「告白」の意味合いを看取しえないと、たとえば次の解説に見られるような抽象的な一般論をいつまでも展開するしかないことになろう。

 

「『告白は不可能だ』ということで、かれは読者を、さらに自分自身をも突っぱなしているのである。そうすることによって、作者は素面をも仮面となし、その背後に真の素面のための逃げ道をつくってやる。三島由紀夫はやはり『書く人』を『完全に捨象』してのけたのであって、作者の素面をけっして追求し捕捉しようとしてはいない。いや、真相は、現代においては、素面を追求するしぐさによってしか仮面は完成しえず、素面を仮面と見なさずしては素面は成立しないということにある。けだし『肉づきの仮面だけが告白をすることができる』ゆえんであろう。そんなことをこの作品はあかしている」(福田恒存、新潮文庫版『仮面の告白』解説)

 

これでは三島が『仮面の告白』で何を「仮面」とし、その「仮面」をかぶって何を「告白」しているかが決して分からない。無論、単なる告白小説というフィクションとみなせば、作中の「私」は作者三島ではなく、フィクションの存在ということになるから、同性愛者の「私」が「正常者」の「仮面」をかぶって生きてきたことを「告白」しているわけである。この場合は、「私」は作中の「世間」ないし「他者」に対しては「正常者」の「仮面」のみを見せ、同性愛者の「素面」を隠しているわけだが、では、そうして生きてきた「私」自身の本性を誰に「告白」しているのか。それを「告白」されているのは作中の「世間」や「他者」ではなく、『仮面の告白』を読みうる現実の読者であり、他者であり、世間なのである。「私」は作中の「世間」や「他者」には最後まで同性愛の本性を隠し通しており、彼らはこの「告白」を読めないのである。『仮面の告白』は作中の「世間」や「他者」に向けた「告白」ではなく、現実の世間や他者に向けた「告白」なのである。

いずれにせよ、単なるフィクションとみなせば、「私」は作者三島由紀夫ではなく、単なる架空の人物にすぎないが、この場合には、すでに指摘したように、異性に霊的愛を捧げる同性愛者「私」の心理は荒唐無稽で矛盾だらけであって現実には決してありえないものであり、小説としてはほとんど与太話になっているのである。フィクションならこんな無理やりな強引な心理にする必要がないし、それに三島自身の過去の事実がかなり忠実に描かれていることも明らかなのである。

では、作中の「世間」や「他者」も現実の世間や他者との区別がなく、作中の「私」は作者三島なのであろうか(いかにもそう思わせるように書いているが)。その場合には、『仮面の告白』は実はノンフィクションということになり(奇妙奇天烈な「一知半解」の同性愛心理は措くとして)、三島は今まで現実の世間に隠し通してきた己の本性、己の「素面」、己の「恥部」、己の同性愛を、この「告白」で自ら世間におおっぴらに暴露していることになる。

つまり、いずれにせよ「告白」をされている相手は現実の読者なのであるが、三島にとっては「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面」をかぶらないかぎり「告白は不可能」なのである。つまり、現実の読者に対して「告白」している三島は彼らに対しては必ず「仮面」をかぶらなければならないのであり、そうしないかぎり己の本当の「恥部」の「告白は不可能」なのである。もし同性愛が三島の真の「恥部」だとしたら、一体彼はそれを「告白」するためにいかなる「仮面」をかぶっているというのか。『仮面の告白』では三島は冒頭から同性愛が己の真の「恥部」であるかのように何ら「仮面」をかぶらずに「告白」しているのである。同性愛が「告白」すべき彼の真の「恥部」だとしたらこれは決してありえないことである。

三島にとり、己の真の「恥部」は「仮面」をかぶらないかぎり「告白」できないのであるから、現実の他者たる読者に対して己の真の「恥部」を「告白」しているなら、読者に対しては必ず「仮面」をかぶっていなければならないのである。実はこれこそ「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ということなのであり、「誤解された自分」すなわち己自身と見紛うばかりの「仮面」を「押し立ててその裏で告白をする」ことなのであって、これこそが『仮面の告白』の方法論なのである。現実の読者や他者が見せつけられるものは実は彼の「仮面」なのであり、見せつけられる「仮面」の「その裏で告白をする」ものこそ作者三島の真の「恥部」なのである。こうした絡繰や詐術を見破ることが決定的に重要なのである。

三島は『仮面の告白』においては、(彼自身に関しての)真と偽、虚と実、「素面」と「仮面」を自覚的に明確に区別しているのであるから、福田のように、「作者は素面をも仮面となし」だとか、「現代においては、素面を追求するしぐさによってしか仮面は完成しえず、素面を仮面と見なさずしては素面は成立しない」などと曖昧模糊たる不得要領な抽象論を並べているかぎり、「『肉づきの仮面だけが告白をすることができる』ゆえん」など決して分かりようがないのである。

三島にとり「告白」とは何よりも「恥辱の告白」を意味しているからこそ、「仮面」をかぶらずには「告白は不可能」なのであり、「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。すなわち、あたかも己自身に見せかけた「肉づきの仮面」をかぶり、その「仮面」のまやかしの「論理」と「心理」で「醜かった」と「喚起」する己の過去の恥辱を緩和、軽減、無答責にして取り繕うことで何とか「告白」することができるということなのである。これこそが「『肉づきの仮面だけが告白をすることができる』ゆえん」なのであって、そもそも何ゆえに「現代においては、素面を追求するしぐさによってしか仮面は完成しえず、素面を仮面と見なさずしては素面は成立しない」のかが一向に不明なのだが、そんなこととは何の関係もないのである。

福田は三島の「主観的」な「告白」のコノテーションを理解していないためにああした解説の書き方になるわけだが、ここで重要なことは、こうした作者の「主観的」なコノテーションを捉えないかぎりテクストは解明できない場合がありうるということである。つまり、この場合、作者の「主観的」なコノテーションは秘められた一種の「内的コード」であって、作者はそうしたコノテーションを念頭においてテクストを作成しているのであるから、それを読み取らずにはテクストは解明しえないのである。

デノテーションとして明示されている言語で構成された数学や自然科学のテクストの場合なら、作者も読者も同じ意味を考えているわけだが(作者が誰だろうとテクストの意味は不変)、主として日常言語で構成されたテクストの場合は、作者の秘められたコノテーションが重要な解読の鍵になることがありうるのであり(作者が誰かによってテクストは変貌しうる)、作者のそうしたコノテーションの意味作用が及んでいるテクストを、読者の権限のみを主張して読者の自由に読ませているかぎり(テクストによっては、これを必ずしも全否定するわけではないが)、「多様」な解釈にはなりえても、ほとんど何ら実のある解明につながらず、テクストの冒瀆にすらなりかねないであろう。

「作者の死」とか「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」とかいう一見耳新しげな主張の最大の問題点は、作者が捨象され、作者と作品が完全に切り離され、しかもそれがテクストの種類やジャンルを問わずに全称命題として主張されているということである。だからこそヘイドン・ホワイトのように史的文献のテクストについてもこうした考え方に支配されているのであろう。

たとえば史的文献テクストとして秀吉か家康がある武将に書き送った書状があるとしよう。そこに書かれた当の武将やその他の武将たちに対する書状作者の要求や思いの背後には、テクスト自体には表われない作者独自のさまざまの陰謀や策略や思惑などがあって、それは作者によって異なるものでありうるから、そうしたテクストの裏の意味を読み取るには作者と宛先人との信頼関係や勢力関係などがいかなるものであるかを看破していなければ不可能であるから、秀吉と家康ではそうした背後の思惑や策謀や関係は当然異なる以上、作者が誰であるかを知らないかぎり(無論、単に「署名」を知るだけではまったく無意味であり、作者の関連部分の内実を看破せねばならぬ)その書状を解読しえないのである。かようにテクスト自体はまったく唯一不変であったとしても、テクストの最重要部の背後の意味は大いに異なりうるのであって、この場合、「作者の死」や作者捨象を唱えて作者を排除するかぎり、「われわれの歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない」ということになるのである。この場合、テクストのみからその言葉の概念的解釈をしているだけでは不充分極まりなく、ほとんどナンセンスでもありうるわけである。かように「作者の死」や作者捨象のテクスト論は歴史文献テクストに適用できるものではないのである。

こうした史的文献テクストの場合、テクスト自体には表われない作者の隠された意図や思惑はいわば作者の秘密の内的コードの一種であって、これは個々の作者によって異なりうるものであり、これを無視するかぎり、こうしたテクストを読み解くことはできないのである。作者を捨象してしまっては、その隠された意図や秘密の内的コードを探り出す可能性はまったくなくなってしまうのであるから、「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」(リクール)などという浅はかな考えでは史的文献テクストを到底読み解くことはできないのである。作者の隠された意図や内的コードを捨象して、いくら「テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開」しようと、そんな決定的な認識不足(「作者の死」や作者捨象のテクスト論を唱える者はこれに気づきようもない。まただからこそそうした論を得々と唱えるわけだ)のテクストの概念的解釈から一歩も出ることはできないのである。

 

無論、以上はテクスト一般について言いうる論ではない。たとえば数学テクストの場合なら作者の隠された意図や内的コードなどなんら考慮するまでもないし、またその分野のテクストについてはそうした作者の内的なものはないのである。外的な数学的論理だけが問題だからである。作者の内的コードが重要になるのは特に人文系のテクストであるが、無論この分野のテクストでもすべてのテクストに当てはまるわけでもない。前述の史的文献テクストの場合でも作者の内的コードが常に決定的に重要になるわけではない。また、文学分野、小説などのフィクションのテクストの場合は内的コードが重要になる割合はさらに小さくなろうが、しかし皆無ではない。ここが重要である。たとえば『仮面の告白』の場合は決定的に重要である。それは一面ではその小説が作者の「自称するところの」テクストでもあるからである。三島の真の「恥部」を見破らないかぎりそのテクストを解読することはできないし、彼の内部を寸毫も窺うことはできないのだ。戦後の特に『仮面の告白』以後の彼の仮面的言動に誑かされる者が後を絶たないのは主としてその点に存するのだ。彼を同性愛者と信じたり、「皇国思想」信者と真に受けたりする人々が未だにいるのも、ある意味致し方ないのかもしれぬ。作者の秘密の内的コードの解読は圧倒的に困難な場合が多々あるからである。

かようにテクスト一般について「作者の死」や作者捨象を適用することはできないのである。人文系分野のテクストに限っても個々のテクストについて作者考慮の重要性は異なるのであるから、どういうテクストについて論じているかも示さずにテクスト一般について作者考慮の要不要をいくら論じても、決して厳密かつ明晰な具体的な論になりえないのであるから、漠然とテクスト一般について「作者の死」ないし作者捨象について論じても、思わせぶりの意味ありげな曖昧模糊たる不得要領なまやかしの論にならざるをえないのである。如上のことが認識されないかぎり、テクスト一般について「作者の死」や作者捨象を唱えるような「テクスト論」がいつまでも信奉されるのである。

 

ここで概念的解釈とは何か。テクストに関わるかぎりの作者の内部を考慮看破せずに、テクストの文脈内でのみ言葉を解釈すること、いわば外的解釈、明示的な外的コードのみによる解釈である。これは小説など一般の文学的フィクションのテクストの場合には正当であることがほとんどであるが、しかし、たとえば『仮面の告白』のような特異な仮面的テクストの場合には、概念的解釈ではそうしたテクストを解明することは決してできない。そのテクストに関わるかぎりの作者独自の内部を洞察し、その特異な秘密の内的コードによってしか決して解明しえないからである。たとえば『仮面の告白』においては同性愛の告白者「私」の決して「他者」には知られたくない深甚な「恥部」が同性愛であることは明々白々であり(ところが三島はその「恥部」を読者という現実の他者には嬉々として公表しているわけだ。それが何ゆえであるかを、それが何を意味するかを看破しえなければどうにもならぬ)、そして同テクストがあたかも作者三島の半生の外的事実を忠実になぞっているように見えることから、三島自身の深甚な真の「恥部」も同性愛だとみなすのは、テクストの明示的な文脈のみに頼った外的コードによる概念的解釈の結果である。作者独自の内的コードを解読しないかぎり、そうした仮面的テクストを解明することは決してできないのである。三島が晩年近くから書き出した妙な「皇国思想」めいたテクスト群についてもまったく同じことが言いうる。巧妙な仮面的テクストはそのテクストのみから仮面と看破しえないのである。場合によっては実存的な直観的認識を要するのである。認識は概念や言葉から始まるわけではない。初めに概念や言葉があったわけではないからである。「もし感官の対象が問題なら、物の現実的存在を物の単なる概念と混同することなどありえまい。概念によって考えるならば、対象は可能的な経験的認識一般の一般的条件に一致するだけであるが、現実的存在によって考えるなら、対象は経験全体の連関のなかに含まれるからである。・・・・・・ある対象に関するわれわれの概念が何を含みまたどれほど多くのものを含むにせよ、その対象が現実に存在するためには、われわれは概念の外に出なければならない」(カント『純粋理性批判』)。また、一八二〇年ベルリン大学講堂におけるヘーゲルとショーペンハウアーの論戦について、「両者の対立は概念から出発する思考と直観的認識に従う思考との対立である」とアルトゥール・ヒュープシャーは評しているが、簡単に言えばそういうことである。「言葉は存在の住処である」というのは現実の事象ではなく言葉に基づいた概念的思考の最たるものであり、言葉の本質をまったく認識しえない鈍物イカサマ師の戯言にすぎないのである。たとえば宇宙線なるものの存在の住処は「宇宙線」という言葉の外部の現実世界にあるのであって、その言葉を住処にしているのはせいぜい「宇宙線」なるものの概念にすぎないのである。存在者の存在は言葉にはるかに先立っている。

 

テクスト一般について「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」(リクール)と考え(つまりテクストと作者の内的関係を全面的に無視しているわけである)、作者をテクストから切り離し、作者を捨象し、考慮の外に置き、テクストを「自律的に」すなわち独立的に単独に扱うことの決定的に誤りであることを示す最も簡明な例は、「人が自称するところ」のテクストであろう。たとえば猫嫌いの作者の「自称猫好きのテクスト」や、中学、高校と二度の入試に失敗した三島の「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」などのテクストは、「作者の死」を唱えて作者を捨象し、テクストから作者を切り離しているかぎり、その真偽や虚実(テクストによってはこうした違いや区別ばかりではない)も永遠に解明不可能になろうし、作者を考慮すれば容易に(無論これは他我認識の問題が直接に関わるため圧倒的に困難な場合もありうるが)解明可能なことも解明不可能になってしまうのである。テクストのみには現前していないことも、作者が誰であるかを考慮することで初めて現前しうることがいろいろあるのである。

それとも、「作者の死」などを唱えるいわゆる「テクスト論」なるものは、こうした「人が自称するところ」のテクストを別にした議論なのであろうか(無論、作者の考慮を要するのはこうしたテクストのみではない。シュッツやエリオットはゲーテやシェイクスピアのフィクションのテクストについても作者の考慮を示唆しているのである)。それならどういうテクストについて論じているかを示すべきはずだが、それが示されていない以上はテクスト全般についての議論のはずである。そもそも「作者の死」や「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」といった主張は、かつてそう考える根拠は示されてきたのであろうか。すでに指摘したように、これらの主張はヴァレリーがダ・ヴィンチ論で展開した作者の「生」や「伝記」の否定の所論を真に受けたものと思われる。そういうヴァレリー自身は最晩年に死後出版の『カイエ』で「あらゆる言葉の表出は、何であれ何かを意味する前に、誰かが話していることを告げている。このことは決定的に重要な点だ」と考えるに至ったのである。

話し手が誰であろうと話の内容が変わらないわけでは必ずしもないのであり、誰が話しているかによっては同じ話も別の話になりうるのである。無論、話の内容が数学や物理学ならそういうことはまずないのであり、フッサールが言うように、「たとえば数学的表現が意味していることは人がそれを実際に用いる状況によって何ら影響されることはない。われわれはそれを話し手を少しも考慮せずに読み理解することができる」し、「〈平方剰余〉という表現一般は、誰がそれを口に出そうと、まさしく同一のものである」ことは言うまでもない。

バルトの「作者の死」にせよ、デリダの「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない」といった考えにせよ、ヴァレリーの作者の「生(生活)」や「伝記」の否定の考え方の焼き直しにすぎないように思われるが(それ以外に何か論理的な根拠は示されているのか)、いずれにせよ、作者捨象や作者切り離しの「テクスト論」がどんなに形而上学風の空疎な小理屈を捏ねようと、畢竟はマルクスやエンゲルスが疾うの昔にその迷妄を簡明に批判した「天上から地上に下りるドイツ哲学」と何ら変わりはなく、もっぱら「人間が語り、想像し、表象するものから出発」するにすぎない以上、たとえば「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」はまったくできないことにならざるをえないのである。

作者個人にとって仮面的なテクストは作者を切り離しているかぎり仮面的テクストとして決して認識しえないことはすでに明々白々であろう。同じ言葉、同じテクストでも、作者が余人なら、必ずしも仮面的な言葉、仮面的なテクストにならない場合がありうるのだから、仮面的か否かが重要な決定的な問題になるようなテクスト(たとえば三島の『仮面の告白』などのテクスト)を解明するうえで、作者捨象は重大な支障をきたすのである。これが歴史文献のテクストを扱う場合には作者捨象の「テクスト論」がいかに深刻な弊害ををもたらしうるかは計り知れないものとなろう。

 

 

他我認識とは「人が現実にあるところ」の認識である。作者認識とは「作者が現実にあるところ」の認識である。だが、無論、たとえば「人が自称するところとその人が現実にあるところ」は必ずしも同じではなく、まったく裏腹の場合すらありうるから、「人が自称するところ」のみからは「その人が現実にあるところ」を認識しえない以上、テクストから作者を「還元」しえないことなど最初から分かり切ったことである。無論、その逆の「還元」もまったく不可能であることも当然のことである。だからこそヴァレリーは「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」と言ったのである。だが、それは両者を別ものとして切り離したことによるものである。

かくしてヴァレリーは「作者とは人間ではない」などというまったく常識はずれの戯言を吐かざるをえないことになるわけである。では一体人間ではない何者が作品を作ったというのか。間違った前提からはこうした戯言が「論理的」に結論されるのであり、前提の誤りに気づかぬかぎり、どんな謬見も「論理的」に受け入れられてしまい、どんな戯言も戯言と思えなくなってしまうのである。

人間はその存在だけでは大した意味はない。単に人間としてあるという点では万人が同じ存在にすぎず、いわばタブラ・ラサの状態で、誰であれ個々の人間に何らの差異もない。個々の人間に違いが生じるのは各人の生き方や生の活動によるものであり、創作活動はその重要な部分である。だから、たとえば「作品の背後」に「ルソーの生活」が作品とは別に独立してあるというより、作品の創作活動自体が「ルソーの生活」の一部なのであり(この点の認識がないことから、作者が誰だろうとテクスト自体は絶対不変だという頑固な確信と相俟って、作者捨象の「テクスト論」が生じたことは確実である)、ルソーの生を、人生を、歴史を、要するに人間を形成しているのである。

テクスト作成活動自体が作者の生活に属しているからこそ、テクストは作者認識の重要不可欠な手掛かりになりうるのであり、それなのに大前提としてテクストから作者を完全に切り離してしまえば、必然的にテクストとはまったく別のところで作者を認識する以外にないことになるが、それは作品をまったく除外して作家論をするようなものである。

 

「本質とはそれがあったところのものである(Wesen ist was gewesen ist.)」(ヘーゲル)

 

無論、これは単なる存在の意味で「あった」などということではなく、「何であったか」「いかなるものであったか」を問題にしているわけである。この考え方をある程度受け継いだ形だが、サルトルは「存在は本質に先立つ(Lexistence précède lessence.)」と言った。ここには誰にでもまったく自明の「存在」が示されている(実際、物の存在は人間のみならず猿や犬猫にも昆虫にだって自明のものであるはずである)。ところで、この人口に膾炙したフレーズについては、時に頓珍漢な解釈や解説を開陳している文も散見されるが、サルトルの言わんとすることは、その当否はともかく、きわめて単純明快なものである。

 

「本質とは人間存在について《それは・・・・・・である》という言葉で示しうるすべてのものである。本質とは行為を説明する諸性格の全体である」(サルトル『存在と無』)

 

「たとえば書物とかペーパーナイフのような、造られた物体を考えてみよう。この場合、この物体は、一つの概念を頭に描いた職人によって造られたものである。職人はペーパーナイフの概念にたより、またこの概念の一部をなす既存の製造技術――結局は一つの製造法――にたよったわけである。したがってペーパーナイフはある仕方で造られる物体であると同時に、一方では一定の用途を有してもいる。この物体が何に役立つかも知らずにペーパーナイフを造る人を考えることはできない。ゆえにペーパーナイフに関しては、本質――ペーパーナイフを製造し、ペーパーナイフを定義しうるための製法や性質の全体――は存在に先立つと言える。・・・・・・もし神が存在しないとするなら、存在が本質に先立つような存在、何らかの概念によって定義される前に存在している存在が少なくとも一つある。その存在はすなわち人間である。・・・・・・存在が本質に先立つとは、この場合何を意味するのか。それは、人間はまず先に存在し、この世に出現し、その後で定義されるものだということを意味する。実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になって初めて人間になるのである。・・・・・・人間は時々刻々に人間をつくり出す。・・・・・実存主義は人間を行動によって定義するものである」(サルトル『実存主義はヒューマニズムである』)

 

つまり、ペーパーナイフなどの人工的な物体や商品は「本質が存在に先立つ」ような存在だが、それに対して人間は「存在が本質に先立つ」ような存在だということなのである。人間はまず何者でもない者として存在し、爾後にそれぞれの異なる生き方によって各人の異なる本質が生じてくるというのである。まずは人間の「存在」は皆同じなのであり、その「本質」は皆違うということなのである。人間の場合は「存在」が「本質」に先立ち、ペーパーナイフや机や椅子などの人工的な物品は「本質」が「存在」に先行する、という時間的前後関係の違いについてここでは言っているだけのことであり、「存在」と「本質」のあいだの優劣を論じているものでは全然ないのである。しかし、いずれかといえば、人間の場合は、単に「本質」に先立つだけの万人共通の「存在」より各自の主体的な責任で形成してゆくべき「本質」のほうが重視されるはずである。要するに、人間はまず存在して爾後に本質が形成され定義されるのであり、机や椅子や自動車などの人工的な物品はまず本質が定義され爾後に存在が生じる(実はこの言い方ないし認識には若干の問題があるが)ということなのである。人工的な物品の場合はその存在以前に初めから本質が明確に決められるわけだが、人間の場合はその本質は存在してからの各人の主体的な生の活動という絶えざる変化、流動、生成しうるものに基づく以上、容易に明らめがたいのである。

さて、ここではサルトルは存在と本質を対比させて論じているが、その際に問題にしているのは人間と人工物だけであって、その他の自然物については何ら問題にしていないのである。人間でも人工物でもない自然界にある樹木や岩石、山や川、昆虫や恐竜などの存在と本質の問題については何ら論じていないのである。自然物は人工ではなく、すでに外界に存在している物である。

人工物については「本質は存在に先立つ」と言っても、たとえば自動車なる本質をいくら頭の中で考えようとも、ただ考えているだけでは自動車を存在させることは決してできない。考えただけでは何も現実に存在させることはできない。たとえば頭の中で思い描く「饅頭」は現実の存在ではない。単なる思念にすぎない。そんな思念にすぎない「饅頭」は誰も手に持つことも食べることもできない。饅頭を現実に存在させるには、すでに外界に現実に存在する種々の材料を用い、加工し、結合して饅頭を作り上げるしかない。かくして実在する饅頭は実際に手に持て、味わい、腹を満たすことができる。自動車にしてもまったく同じことである。自動車をいくら頭の中で考えようと自動車を存在させることは決してできない。頭で思念するだけの自動車に無論乗り込むことはできず、運転することも、人や物を運ぶこともできない。自動車を現実に存在させるには、あらかじめ外界に現実に存在する種々の材料を用い、加工し、いろいろ工夫して自動車を作り上げるしかない。だから、人工物について「本質は存在に先立つ」と言っても、その人工物はすでに外界に存在する種々の素材を利用、工夫、加工、結合して初めて現実に存在するようになるのであって、人工物を考案する前に、その基となる材料はすべてすでに外界に現実に存在しているわけである。つまり、すでに現実に存在する材料を用いないかぎりいかなる人工物も存在させることは絶対にできないのである。だから、人工物の場合について「本質は存在に先立つ」と言っても、その「本質」なるものはすでに外界に現存すると分かっている材料に基づいているのであって、人工物の材料についてはその存在が人工物の本質に先立つのである。要するに存在はすべての絶対的な前提であり、すべてに先立っているのであって、存在がなければ何もないのである。まったくの無である。

存在は誰にもまったく自明のことである。猿やゴキブリにだってまったく自明である。猿が枝から枝へ飛び移れるのも枝が確実に存在しているからこそであり、もし枝が単なる表象としての現象にすぎず、そこに厳然と存在していないとしたら、たちまち落下してしまうであろうし、そもそも枝をつかむこともできまい。存在は厳然たるものである。生物は存在を感知し認識するだけであって、何らの存在を生ぜしめるわけではない。存在の感知や認識は存在を与えられた生物が進化過程で徐々に身につけてきたものであって、生物はまず存在することから生物なりのいろいろな認識が生じるのであって、決してその逆ではありえない。まず存在していなければ認識も何もまったくありようがない。まったく明々白々たることである。

 

 

ごく単純化して言えば、『仮面の告白』は三島が己が生まれながらの同性愛者であることを懸命に読者に立証しようとしているテクストであって(いかにも同性愛を己の深甚な「恥部」として大いに恥じているように見せかけながら、その虚構の「恥部」の背後で己の真の「恥部」を取り繕いつつ「告白」しているのだ)、決してそれまで他者に知られていなかった己の同性愛の秘密を自ら暴露したノンフィクションの告白的テクストでもなければ、無論、同性愛者の告白小説という単なるフィクションのテクストでもない。

三島が何ゆえにいかにも作者自身を思わせるような告白者「私」の同性愛を終始これ見よがしに見せつけるようなことをしたのかは最早説明するまでもあるまい。とはいえ、己の同性愛をまったく真に受けられて、単なる自己暴露の単純な告白的ノンフィクションとみなされるのも気に染まぬから、また、たとえば将来結婚する場合などにも差し障りがありうるであろうから(なぜなら彼の真の性的欲求はヘテロセクシュアルなのだから)、たとえば冒頭の荒唐無稽な生誕時の記憶という明らかな嘘の「告白」(これを真に受ける向きもあるようだが)などをして読者を煙に巻き、どこまでが真実なのか虚実が容易に分からぬようにも(尤も身内の者には「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立てて」いることは容易に分かってしまうが)工夫しているのである。

無論、こうした解明は同作の作者が三島由紀夫であることを考慮しないかぎりまったく不可能である。戦時に仮病を使って兵役逃れをしたことは三島にとって事実であり、戦後の三島にはほとんど夢寐にも忘れえぬ恥辱となって、生あるかぎり払拭しえぬ深甚なわだかまりや拘りになっているのである。主としてこのことから『仮面の告白』の重要部分の虚実を解明し、このテクストを解読する道が切り開かれうるのであって、ここでもしテクストと作者を切り離し、テクストから作者を捨象してしまえば、こうした虚実の解明(無論、虚実が何ら大した問題にならぬようなテクストなどいくらでもありうるが)やテクスト解読はまったく不可能になってしまうのである。

三島は「草野」家の誘いで昭和二十年三月九日から十日にかけて、前年入隊して前橋陸軍予備士官学校にいた友人「草野」に面会しに行ったが、その一か月ほど前に仮病を使って兵役逃れした彼としては、この面会は後ろめたかったはずである。

 

「『よお、しばらく』

草野と握手した私の手は、伊勢蝦の殻にさわったような感触にたじたじとなった。

『この手・・・・・・どうしたんだ』

『ふふ、おどろいたろう』

彼にはもう新兵特有のうそ寒いいじらしさが身に着いていた。手をそろえて私の前にさし出した。赤ぎれとひびと霜焼けが、塵芥と油に固められて、海老の甲羅のようないたましい手を作り上げているのだ。しかもそれは湿った冷たい手であった。

その手が私をおびやかした仕方は、ちょうど現実が私をおびやかす仕方そのままだった。私はそういう手に本能的な恐怖を感じた。その実私が恐怖を感じているのは、この仮借ない手が私の中に告発し、私の中に訴追する何ものかだった。この手の前にだけは何事も偽れないという怖れであった。(中略)

『風呂の時なんか、この手で擦れば、垢すりが要らないよ』

軽い吐息が彼の母の口から洩れた。私はこの場の自分を、恥しらずな余計者としてしか感じることができなかった」(『仮面の告白』)

 

『仮面の告白』は己の同性愛をしきりに恥じる同性愛者「私」の羞恥を前面に明白に押し出しているが、そうした同性愛者の架空の羞恥の背後で三島はここで己の真の羞恥や後ろめたさをさりげなく「告白」しているのである。陸軍に入隊して「赤ぎれとひびと霜焼けが、塵芥と油に固められて、海老の甲羅のようないたましい手」をした友人をその家族とともに慰問した三島が「この場の自分を、恥しらずな余計者としてしか感じることができなかった」のは当然のことであろう。「私が恐怖を感じているのは、この仮借ない手が私の中に告発し、私の中に訴追する何ものかだった。この手の前にだけは何事も偽れないという怖れであった」。これは少々ぼかした言い方であるが、入隊した友人「草野」の「仮借ない手が私の中に告発し、私の中に訴追する何ものか」を三島が明瞭に自覚していなかったわけがない。

『仮面の告白』は同性愛者「私」の「告白」という体裁をとっているため(無論、三島が意図的にそういう体裁にしているのである)、同性愛を大いに恥じているが、仮病を使って兵役逃れしたことについては、その際の言動についてかなりの程度まで「告白」しているにもかかわらず、それに対する羞恥はほとんど示されていない。だが、作中の同性愛者「私」が同性愛の発覚を恥じ恐れているのは作中の「他者」に対してだけであり、『仮面の告白』を公表する作者三島が現実の他者に対してそれを恥じ恐れているわけではさらさらない。出版社からの執筆依頼に対して「今ぜひ書きたい長編がある」と返答して嬉々として執筆公表した『仮面の告白』が、己の同性愛の他者への発覚を真に恥じ恐れる者の書いた同性愛についての真の「告白」であるわけがあるまい。

同性愛に対する大袈裟な羞恥を目立たせて、兵役逃れに対する羞恥を潜めているため、読者は同性愛の「恥部」に目を奪われ、兵役逃れについては、その言動が具体的に「告白」されているにもかかわらず、その「恥部」にはあまり目がいかないようにされているのである。これが「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」という『仮面の告白』の方法論なのであり、「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」と考える三島の仮面的方法論であることは言うまでもあるまい。

同性愛という仮面の「恥部」の「論理」と「心理」で兵役逃れの恥辱度を強引に軽減緩和し、その言動をほとんど無答責化して、その真の「恥部」をあまり目立たないように工夫しているとはいえ、兵役逃れの言動の実際をある程度具体的に「告白」したことは、さながら「印度の行者のように、自ら唇や頬に針を突きとおしてみせる」ようなことであるが、無論「それは他人に委せておいたら、致命傷を与えられかねないことを知っているから、他人の加害を巧く先取しているにすぎない」のであり、「とりもなおさず身の安全のために」している苦渋の工夫なのである。なぜなら同性愛は何ら「私のせいではない」以上、「私」の意志や性格の罪ではなく、何ら「私」自身の非ではないのだから、この仮面の「恥部」を公表したところで、現実の他者からの多少の興味や穿鑿の対象にはなるとしても、決して真に指弾や非難の対象にはなりえないから、この偽の「恥部」を見せびらかし、他者の非難の鋒先をこの仮面の「恥部」に向けさせ、この仮面の「恥部」を盾にして、その背後に真の「恥部」を目立たぬよう希薄化することで他者の鋒先をかわし、「身の安全」を図っているからである。

したがって、もしも三島が同性愛者「私」自身であり、同性愛者「私」のように己の同性愛の他者への発覚を深甚に恥じ恐れているとすれば、同性愛をどんな形であれ現実の他者に「告白」することが己の「身の安全のために」なるなどとは決して考えられるわけがないのである。同性愛の「恥部」と兵役逃れの「恥部」に対する恥辱意識の程度が『仮面の告白』の虚構の文脈内と三島の現実の文脈内では逆転しているからこそ、彼にとって一方の「恥部」が他方の「恥部」の仮面になりうるのであり、己の「身の安全のために」なりうるのである。『仮面の告白』は、「仮面の告白」は、「仮面」の「告白」は、仮面の「恥部」の「告白」は、作者の「身の安全のため」にほかならないのである。

三島は最晩年に豪華限定版『仮面の告白』出版の打ち合わせのさい、「ガラスの装丁がいいな。仮面の告白だけど、本当は素面なんだから、丸見えに透けて見えるってことがいいんじゃないの」と言っているが(安藤武『三島由紀夫「日録」』)、この言葉は一面で『仮面の告白』のテクストの内的構造を如実に示すものである。

つまり、三島の「素面」は、彼の真の「恥部」は、「丸見えに透けて見え」ているのである。無論、必ずしもまったく直接的に「丸見え」に見えているのでは決してなく、「透けて見える」とは、何ものかを透かして、何ものかの背後に間接的に「丸見え」に見えているということである。要するに、「ガラス」を透かして、透明な「ガラス」の仮面を透かして、その背後に「丸見え」に見えていると言っているのである。「ガラス」の仮面の屈折率によって恥辱の意味合いは変えられ、軽減緩和されているにせよ、彼の「醜かった」過去の恥辱的言動は「ガラス」の仮面を透過して「丸見えに透けて見え」ているのである。

己の真の「恥部」の「告白は不可能」だが、「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」のであり、「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない」のだから、この「肉づきの仮面」は同時に「ガラスの仮面」でもあり、いずれにせよ「仮面」は確実にかぶっているのである。「肉づきの仮面」と言うのは、同性愛が肉体内部の「恥部」の仮面だからであり、この「仮面」の欺瞞的な「論理」と「心理」で取り繕いのための調節をした屈折率をもつ「ガラスの仮面」を透して彼の「真実な告白」が「丸見えに透けて見える」のである。「仮面」をかぶらないかぎり「真実な告白」は不可能だが、「仮面」をかぶればそれが可能なのである。では、彼の「仮面」とは何か、「仮面」をかぶることで「真実な告白」がされているものとは何か、それが決定的に重要な問題なのである。三島の「仮面」が何か、彼の「仮面」の背後に「丸見えに透けて見える」彼の「真実」(の「恥部」)が何か、いまさら説明する要があろうか。

以上が簡略ながら『仮面の告白』のテクストの内的構造なのであるが、かかる内的構造は当のテクスト自体には決して現前していないにせよ、かかる内的構造を看破しえずにこのテクストの解読も作者の解明も決してありえないのである。ただ、テクスト自体には現前していないテクスト背後を解明することによってのみ突破口は開かれうるのである。かかるテクスト背後(これは無論テクストと無関係にあるわけではなく、テクストとの関係においてあるものである)は作者個人に決定的に関わるものであるから、作者を切り離したらかかる突破口は永遠に開かれることはないのである。

 

 

『仮面の告白』のテクストを作者を切り離してテクスト自体に現前するもののみをいくら論じても埒が明くまい。そうした読み方では作者三島の急所を突くことはまったくできまい。何らのテクスト解読も作者解明もなしえまい。誤読誤解の屋上に屋を架すのみであろう。そんな作品論や作家論など作者にとっては「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば」よいと思われるくらいが落ちであろう。

そもそも仮面的テクストを仮面的テクストと認識できないような「テクスト論」は不毛であり、決定的な欠陥がある。人がかぶる仮面や作者が作成する仮面的テクストは、当人や作者本人にとってこそ仮面や仮面的テクストなのであり、それとまったく同じ表現ないし現前でも余人には必ずしも仮面や仮面的テクストとは限らないのだから、テクストから作者を切り離し、作者を捨象したら、仮面的テクストを仮面的テクストと(あるいは仮面を仮面と)看破しえなくなるのは理の当然である。

 

 

たとえば『仮面の告白』のテクストを解明するために、その作者たる三島、その表現主体たる三島由紀夫を考慮すること、彼の存在や生が「いかにあったか」「どのようにあったか」を考慮することが決定的に重要不可欠であることを認識しうるならば、「作者の死」を説き、作者や表現主体(の生)の捨象を主張するような「テクスト論」のまやかしの教説に誑かされることはないであろう。『仮面の告白』は「作者が三島由紀夫であるテクスト」と認識しえないかぎり決して解読しえないのであり、またかかる解読によってはじめて作家論は可能になるのである。

 

ヴァレリーは「犯罪者が犯罪の原因ではなく結果であるように、作者は作品の原因ではなく結果だ」としたが、これは要するに彼が「一人の人間の本当の生活というものは、隣人にも、当の本人にすら、ついぞはっきりしたものではない」(『追記と余談』)と考え、畢竟は人間(の生)を不可知とし、安易に他我認識を断念してしまったことによる。しかし、「作者」が「作品の結果」でしかないなら、「作者」は結局作品から「還元」されるものでしかないことになる。要するに「作者」は作品の作成者ではなく、もっぱら「作品から還元された作者」ということになる。かくしてヴァレリーは「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」と悟らざるをえず、結局「作者とは人間ではない」などと言い出すに至ったわけである。ヴァレリーのように作者と作品の関係に因果関係を探ろうとするから妙なことになる。両者は単純な因果関係にあるわけではない。作者は作品の作成を生きるのであり、作品の作成は作者(の生)を形成するのである。

その後のフランス流の「テクスト論」における「作者の死」の主張や「作者の意図」の否定もまったく同じヴァレリー流の「論理」によるものにすぎまい。他に何か論理的な根拠でも示されてきたであろうか。前提として作者(の生)が否定され、切り捨てられている以上、「作者の意図」も何もかも作者に関する一切が否定され、消去せざるをえないわけである。「意図」は無論「生(の活動)」だからである。テクストを作成する作者が捨象されれば、畢竟テクストのみが「第一の前提」とならざるをえず、それに先立つものは一切消滅せざるをえないことになる。要するにそうした教説の背後にはヴァレリー流の作者(の生)不可知論を暗黙の前提にした考え方があるのだ。

バルトは「作者の死」(ヴァレリーの「作者の生」の否定の二番煎じの言い換えにすぎまい)を唱え、リクールは「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図から自律している」と主張して、テクストから作者を切り離したが、彼らとともにこうした作者捨象を唱える「テクスト論」の流れに乗って、デリダも「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」とか「ある言表の主体の全面的不在――作者の死――は〈意味作用〉のテクストを妨げない。・・・・・・〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」として、「ある言表の主体の全面的不在」や「作者の死」や「私の死」など同様の作者捨象の主張をしていたが、後年はこんなことも言っている。

 

「署名は単にテクストに添えられた一つの語ないし固有名詞ではなく、それは作用の全体、テクストの全体、一つの痕跡や残余を残した能動的解釈の全体に他ならない」(デリダ『他者の耳』)

 

ここでは何となく「作者」らしきものが考慮されているようだが、「署名」の意味内容が何ら説明されていないため、「署名」がテクストにどのように作用しているのか一向に不明である。若干の思わせぶりな暗示らしきものはある。「ニーチェの署名は・・・・・・死後に初めて、つまり、他者が彼とともに署名し、彼と同盟関係を結び、そしてそのために彼を理解しにやって来るときに初めて、彼の署名が行なわれることになる。・・・・・・あらゆるテクストがこうした構造に呼応しており、これはテクスト性一般の構造にほかならない。一つのテクストはずっと遅れてやって来る他者によってしか署名されない」(デリダ、前掲書)と。ここでも「ニーチェの署名」が彼の「死後に初めて・・・・・・行なわれる」として、無理やり「作者(の生)」を否定し「作者の死」を擁護ないし正当化するような言い方になっている。そして相変わらず「あらゆるテクストがこうした構造に呼応しており、これはテクスト性一般の構造にほかならない」などと「テクスト一般」を論じているようなことを言うばかりで、フッサールが表現主体の考慮を要するか否かに関して不完全ながら示唆したようなテクスト分類学が完全に欠落している。

すでに指摘したことだが、フッサールはたとえば数学テクストなどの「客観的表現」の場合なら作者が誰だろうとテクストの意味内容は変化しないため作者を考慮せずともテクスト解読に何ら差し支えないが、たとえば〈私〉という一人称代名詞の主体が語り、「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような」そうした「主観的表現」の場合は、「話し手」によって、つまり「作者が誰か」によって、その表現の意味内容は異なりうるため、表現主体が「誰か」「何者か」の考慮を要するということなのである。

ところがデリダはフッサールの明々白々な論旨を捩じ曲げて(この曲解は不自然である)、フッサールが問題にする〈私〉という一人称代名詞の主体が語る言葉の意味内容ではなく、〈私〉という一人称代名詞の語自体の問題にすり替えて、〈私〉という語そのものの伝達機能のみを問題にし、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」として、ことさら「私の死」や「作者の死」を主張しようとするのである。このデリダの「論理」はむしろ逆なのであり、それは「私の死」や延いては「作者の死」の主張を正当化するためにする欺瞞的な詐術なのである。

デリダは「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」と主張して、しきりに表現主体の「不在」や「死」を強調しているが、これは為にする強引な欺瞞的「論理」である。フッサールの論旨に対するデリダの曲解はしばらく措くとしても、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない」なら、同様に「〈私〉の記号的価値」は話し手の「死」にだって何ら「依存しない」ことになる。要するに「〈私〉の記号的価値」は話し手の生死や在不在にまったく無関係であり、何ら「依存しない」ことになるはずである。「その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」のは当たり前のことであり、同様にたとえば「その人がまったく実在の人物である場合にも、また彼が生きている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」のもまったく当然至極のことであるのに、それをデリダは〈私〉の表現主体の「不在」や「死」のみを強調して、無理やり「私の死」や「作者の死」を正当化するような方向にもっていこうとするのである。

そもそもデリダがここで問題にしているのは単に「〈私〉という語を理解する」場合の問題にすぎず、〈私〉という一人称代名詞の理解や伝達機能のみの問題にすぎないのだから、この〈私〉にはもともと現実の主体などまったく含まれておらず、その生死も有無も何ら関係ないのであり、完全に匿名かつ無名の〈私〉、何の生命もない〈私〉という語にすぎないのである。最初から〈私〉という一人称代名詞の言葉の意味の理解や伝達機能だけを問題にしているのであり、〈私〉という単なる一般的な言語記号だけを問題にしているのであるから、「〈私〉が誰か」とか現実の表現主体などはあらかじめ捨象されてしまっているのである。生命がないという意味では「死」かもしれないが、もともと単なる記号だけの問題なのだから、この〈私〉に生も死もありはしないのであり、「死」などという人を惑わすような大袈裟で曖昧な比喩的な言い方をすべきではないのである。単なる記号としての〈私〉に生も死もないのである。

「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」。これもまた読者を誑かそうとする思わせぶりな言い方である。〈私〉という言葉を音声で発するにせよ、文字で書くにせよ、そうする現実存在としての〈私〉は絶対的に生きていなければならないのだから、「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」における「私の死」とは現実存在としての〈私〉の現実的な「死」では決してありえない。現実存在としての〈私〉が生きていようと、単なる一人称代名詞としての〈私〉という語の意味の理解や伝達機能が損なわれることなど全然ありはしないのだから、現実存在としての〈私〉の現実的な「死」が「〈私〉の宣言に・・・・・・構造的に必然的である」わけがない。つまり、この「私の死」とはせいぜい現実存在としての〈私〉がこの語の意味の理解や伝達に関しては不要だという意味の比喩的表現として「私の死」と表現しているにすぎない。単なる〈私〉という単語の意味の理解や伝達機能しか問題にしていないのだから、その語の発言者は初めから捨象されてしまっているのである。単に「〈私〉という語を理解する」だけのことなら、それを受けとる側にとっては〈私〉の発言者の存否や生死を無視できるのは当たり前のことである。たとえ〈私〉が生きていたって、〈私〉という語の意味の理解や伝達に何ら差し支えないのだから、この議論で「私の死」だけを強調するのは為にすること以外の何であろうか。

そもそも「ある言表の主体の全面的不在――作者の死――は〈意味作用〉のテクストを妨げない。・・・・・・〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない」という文章自体に、デリダが盟友バルトらとともに唱えてきた「作者の死」を「私の死」と絡めて正当化させようとするようなまやかしめいた微妙な混乱が潜んでいるのである。

デリダはここで「私の死」をあたかも「作者の死」と同列の問題、同等の議論であるかのようにみせかけているが、彼がフッサールの論旨を捩じ曲げて論じる「私の死」と「作者の死」はまったく別の問題、異なる議論である。デリダが「私の死」を主張するさいに問題にしているのは、単に〈私〉という単語のみの理解や伝達に関する問題ないし議論にすぎないが、一方、「作者の死」を主張するさいに問題にしているのは、作者が作成するテクスト、つまり表現主体が語る文章としての言葉の理解や意味解釈に関する問題ないし議論である。一方は、〈私〉という一人称代名詞の単語自体に関する議論であり、他方は、たとえば〈私〉などの主体が語る言葉や作成するテクストに関しての議論であって、これら二つの問題はまったく別なのであり、何らの論理的関係もないのに、デリダは〈私〉という一人称代名詞の単語自体の理解に関する議論における「私の死」と〈私〉などの主体が語る文章としての言葉の解釈に関する議論における「作者の死」をあたかも同じ次元の問題であるかのようにみせかけているのである。あるいは、同じ次元の問題であると誤解しているのである。

フッサールの論旨は簡単明瞭である。たとえば〈平方剰余〉など「数学的表現が意味していることは人がそれを実際に用いる状況によって何ら影響されることはない。われわれはそれを話し手を少しも考慮せずに読み理解することができる」が、それに対して、〈私〉という一人称代名詞の主体が語り、「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような」「主観的表現」の場合は、話し手を「考慮せずに読み理解することができる」わけではないということである。これはつまり人が語る言葉やテクストの内容によっては話し手や作者の考慮を要する場合と要さない場合があるということである。話を明瞭にするために対照的な例を示せば、数学テクストなら作者が誰であろうとテクストの意味内容は不変であるから、作者を考慮せずとも理解できるが、それに対し、たとえば「人が自称するところ」のテクストは作者が誰かによってテクストの意味内容は変わりうるから、作者を考慮せずに理解できるわけではないということである。これは当然のことで、理論的ないし数学的テクストなら、作者個人に関わらぬ普遍的な論理やデノテーションの理解が問題であるから、作者を捨象しても差し支えないが、一方、「人が自称するところ」のテクストなら、作者個人に関わる意味内容が人によりその真偽や虚実やコノテーションが各人まちまちであるから、作者を捨象し「考慮dせずに読み理解することができる」わけではないのである。だから、「テクスト一般」について「作者の死」など作者捨象の考えを適用することは決してできないのである。

以上がフッサールの論旨から若干演繹して言いうることである。

こうしたフッサールの簡単明瞭な論旨をデリダは完全に誤解または曲解し、〈私〉が語る言葉の理解の問題を〈私〉という単なる一人称代名詞の単語自体の意味の理解の問題にすり替えて、「私の死」を無理やり引き出し、それと同じ次元の議論であるかのようにして「作者の死」を正当化しようとするのである。

デリダが「署名」なるものを持ち出してきたのも同じような理由からであろうし、やはり欺瞞的な言葉のすり替えが感じられる。「作者の死」を説いたり、作者捨象を主張した以上、「作者」や「作者の生」を持ち出すわけにはいかないから、「作者」の代わりに「署名」というまったくの「死物」の概念を持ち出してくるのだが、「署名」の意味内容も示さず、「署名」をどう利用ないし適用するかの方法論も明示せずに、「署名は・・・・・・能動的解釈の全体に他ならない」などと曖昧模糊たる言い方で煙に巻くのである。しかし、「作者の死」を主張して作者を捨象するなら、テクストは必然的に匿名的ということになるのであり、そこに「作者」の「署名」という固有名を考慮するとすれば、テクストは最早決して匿名的ではないということになる。「作者」や「作者の生」がテクストを作成するのであって、「署名」という「死物」がそうするわけではない。テクストが生み出される現実を無視してテクストの解明がありえようか。

たとえば『仮面の告白』について「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」とか「仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」とか「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」と言う三島の「自尊心」や「恥辱意識」などの「作者の生」が同書を書かせたのであり(無論それのみではない)、彼の秘められた過去の真の恥辱(意識)を看破剔抉しないかぎり同作は決して解読できないのであり、作者を決して解明できないのである。三島が同テクストでいかなる「仮面」をかぶって(つまり「仮面」を「告白」して)、いかなる真実の「告白」をしているか、いかなる偽の「自分を押し立ててその裏で告白」しているものとは何かを看破剔抉しえないかぎり同テクストの解読や作者の解明は決してありえないのである(かかる解読や解明によって三島由紀夫伝ないし三島由紀夫論が決定的な転回を遂げることが分かろう)。『仮面の告白』は作者三島が恥を忍んで同性愛の「告白」をしている(それをしているのは作中の同性愛者「私」であり、三島の仮面である)テクストではさらさらないのであり、三島がそうした見せかけの同性愛の「告白」の「裏で告白」しているものを看破することこそこの場合のテクストの解読解明なのであり、それは正に当のテクストにおいてのみ可能なのである。三島が己の過去の「醜かった」と慙愧する「真実」を「仮面の告白」の「裏で告白」しているのは正に当のテクストにおいてのみだからである。

 

 

かつてバルトの「作者の死」の教義に同調したデリダが「作者」の代わりに捻り出してきた「署名」(作者捨象なら当然その「署名」も「作者」とともに捨象されるはずなのだが)をどう解するにせよ、それはたとえばルソーのテクストにはルソー固有の「署名」なるものを認めるわけで、それはゲーテの「署名」でもヴォルテールの「署名」でもないものを認めるわけである。しかし、呪いめいた「作者の死」を唱え、「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」とする作者捨象の「テクスト論」であるかぎり、テクストはすべて必然的に匿名になるのだから、ルソーの全テクストをまとめてルソー全集というような個人全集を編むことはまったく無意味になり、むしろ決して成り立たないことになる。いずれにせよ、ルソーのテクストにルソー固有の痕跡を見いだすことはできないことになる。つまり、「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」として作者捨象を前提にするかぎり、たとえば「人が自称するところ」のテクストの(作者本人に関する記述内容の)真偽や虚実を認識することも、『仮面の告白』のようなやや特異な文学テクスト(こうしたテクストでは作者がどんな仕掛けを工夫しているか容易に分かるものではないし、またそれが分からなければ決して解読はなしえない)を仮面的テクストと見破ることも決してできないことになる。猫嫌いの作者の「自称猫好きのテクスト」をどう読もうと、何らかの理由や目論見で「自称猫好きのテクスト」を書く猫嫌いの作者某の「署名」を付すことはできないのであり、『仮面の告白』の作者三島を捨象して、そのテクストのみから己の過去の現実の「恥部」を架空の「恥部」たる同性愛をダシにして欺瞞的に取り繕っている『仮面の告白』の作者「三島由紀夫」の「署名」をテクストに付すことは不可能なのである。「署名は・・・・・・能動的解釈の全体に他ならない」とデリダは言うが、作者捨象の「能動的解釈」であるかぎり、ヴァレリーが悟ったように畢竟「架空の人物」のあやふやな「署名」しかなしえないのである。

いずれにせよ「作者の死」を唱え、作者捨象を前提にする以上、テクストは必然的に匿名になるのだから、同じ作者のさまざまのテクストをまとめることは絶対的に不可能になり、それらを互いに関連づけることも絶対にできないことになる。それらを互いに関連づけるとすれば、その場合はテクストは最早決して匿名ではないことになり、したがって「作者の死」や作者捨象を前提にするわけには決していかないのである。つまり「作者の死」を唱えながら同一作者の複数のテクストを関連づけるわけには決していかないのであり、もしそうするとすればそれはまったくの論理的矛盾である。だから同じ作者のさまざまのテクストを関連づけるような「テクスト論」ならば、それは「作者の死」を前提にするものではないのであり、もしそれを前提にする「テクスト論」なら同一作者の種々のテクストを関連づけることは決してできないのである。この点を確実に認識すべきであり、この点を曖昧にするかぎり、「テクスト論」にはさまざまの疑問、矛盾、混乱、錯雑、妄信、曲解、詭弁、まやかしがいつまでもつきまとうことになろう。

作者捨象を前提にしながら、新奇の概念を導入して同じ作者のさまざまのテクストを関連づけようとするのは論理的矛盾であり、欺瞞である。たとえば「署名」がどんなものであれ、それは畢竟は「作者」の一部たらざるをえまいから、作者捨象を前提にしながら「署名」を導入することはできないのである。

かつて作者(の生)を捨象したヴァレリーが「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」と自覚せざるをえなかったように、作者捨象であるかぎり「架空の人物」の「署名」はいろいろできるにしても、作者解明へ通じる道は畢竟途絶してしまうのである。作者が三島由紀夫だからこそ『仮面の告白』は仮面的テクストなのであり、かかる看破によって決定的に重要なテクスト解読への道が開けるのであって、作者を捨象してはこうした決定的に重要な解明は決してなしえないのである。

要するに、あるテクストを仮面的テクストと看破しえずに(作者捨象を前提にするかぎり作者の仮面を見破ることは不可能である)、「仮面的テクストを作成する作者たる某」という「署名」をすることは決してできないわけである。かように「作者の死」を唱える「テクスト論」では畢竟仮面的テクストをそれと看破することは決してできないのであり、かかる一例をとってみても、そこには重大な陥穽があることが分かるであろう。

 

 

「作者の死」を唱える「テクスト論」が「テクスト一般」に通用するかのようにみなされ、作者を排除するようなテクスト解釈があたかも「開かれた多様な解釈」であるかのようにみなされて正当化され、支配的な考え方のようになってしまった感があるが、そんな考えは畢竟は「天上から地上に下りるドイツ哲学」と大同小異なのであり、「テクスト一般」に適用できないことは、「人が自称するところ」のテクストや単純な仮面的テクストの場合を考えれば明々白々なのである。

御伽噺のようなまったくのフィクションの分野にかぎったことなら、それでもさして深刻な問題でもないかもしれないが(しかし、作者捨象して差し支えないのは数学と自然科学のテクストのみであり、フィクションの分野のテクストの場合でも、シュッツが指摘したような作者固有のコノテーションの問題があり、また『仮面の告白』がまったくのフィクションか否かは作者三島由紀夫を考慮しないかぎり決定しえず、彼の現実の「恥部」を虚構の「恥部」で隠蔽糊塗している仮面的テクストであることを解明できない)、そうした支配的な風潮に対しては、史実を追究し、過去を明らかにしようとする歴史家の側から、鋭い批判や反発や危機意識が生じるのは当然である。「能動的解釈、つまり制約や限界のない解釈が推奨されるなかで、真理は清算されてしまいそうになっている」(ギンズブルグ『歴史・レトリック・立証』)。作者排除によってテクストの空想的あるいは妄想的な「多様な」解釈はいろいろできても、真理に通じる道だけは閉ざされてしまうからである。「作者の死」を唱え、作者の生や現実を否定し、無視することで、「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」がまったく不可能になってしまうからであり、虚と実や真と偽の区別ができなくなってしまうからである。

仮面的テクストは主として作者が何事かを隠蔽糊塗するために作成するものであるから、何を隠蔽糊塗しているかを見破るには「作者が誰か」を考慮しなければならない。作者によって隠蔽糊塗しようとするものは異なり、また何事を針小棒大に言うか、何事を正当化しようとするか、いかなる事実を歪曲しようとするかも人によって異なりうるから、表現されたもののみからはそれらを看破することは不可能である。歴史文献テクストの場合には必ずしも記述内容を真に受けられないわけである。

無論、作者を考慮しなくとも、テクストの論理的な誤りを見破るのは論理的能力のある読者には容易であり(だから数学テクストなどは作者捨象でも差し支えないのである)、また現実的な間違いや虚偽や誤魔化しの表現でも事の真相を知っている者には看破可能なわけである(『仮面の告白』の嘘の記述は三島の父親や実在の「園子」には容易に見破れるわけだが、無論この場合は作者自身に関する真偽が問題であるから、彼らも作者三島を考慮しないかぎりは決して見破るというわけにはいかないのであり、ただ彼らには『仮面の告白』で臆面もなく盛んに前面に「押し立てて」いる同性愛の「恥部」が三島の「仮面」であることは既知のことだから特に改めて考慮するまでもないというだけのことである)。また、人類の知見の進歩によっても、かつて真に受けられたテクストが仮面的テクストと判明する場合もある。ニーチェは実存や実在についての「選り抜きの認識者、奥義を伝授された者」として聖書(無論、旧約ではなく新約聖書である)が仮面的テクストであることを看破したのである。なぜあのような幻想的(御伽噺的あるいはオカルト的)なイエス伝が真に受けられたのかといえば、当時の人々の願望によるところもあるが、当時の支配的な空想的世界観や宇宙観の限界もあって、さして現実的な矛盾も感じられず、認識もされなかったためである。こうした解読からまた逆にテクスト作者や編纂者を解明する道が開ける可能性も出てくるのである。

 

 

かつてヴァレリーは「犯罪者が犯罪の原因ではなく結果であるように、作者は作品の原因ではなく結果だ」と考えたが、これは要するに犯罪を犯したから「犯罪者」になるように、作品を書いたから「作者」になるというだけのことにすぎない。つまり犯罪と同時に「犯罪者」が存在するように作品と同時に「作者」が存在するということで、犯罪や作品以前(あるいは以外)の人間存在としての犯罪者や作者をまったく認めていないわけであり、作者捨象の「テクスト論」も畢竟はこれと同工異曲の考え方である。

バルトは「現代の書き手はテクストと同時に誕生する」(『作者の死』)と言う。書き手とテクストの関係が時代によってそれほど本質的に変化するものかがまず疑わしいが、それは措くとして、書く者と書かれたものとが「同時に誕生する」とし、それ以前の書き手の存在を認めていないのだから、両者はいずれも無から生じるということになる。これが現実的な考え方でないことはいうまでもあるまい。ヴァレリーが認めざるをえなかったように「作者とは人間ではない」とか「架空の人物を築き上げる」ということで差し支えない(わけがないのだが)とするなら話は別である。

犯罪者にせよ作者にせよ、犯罪や作品以前に存在しているのであり、そうした存在を無視して犯罪者や作者がいかなる人間かを認識することはできない。『仮面の告白』以前の三島由紀夫を無視して『仮面の告白』を読み解くことも三島を解明することもできないのである。猫嫌いの作者は「自称猫好きのテクスト」と同時に誕生するわけではない。「自称猫好きのテクスト」と同時に誕生する「作者」は「猫好きの作者」という「架空の人物」にすぎまい。「自称猫好きのテクスト」の作成が猫嫌いの作者の生を新たに形成するということがテクストと作者の現実的な関係なのである。

たとえば、すでに示したように『仮面の告白』の解読解明には、そのテクスト内容と関連する作者三島の過去の「生」を考慮究明することが決定的に重要、有意味、有効なことを理解するならば、「作者の死」を唱える「テクスト論」の教説の無意味さ、虚しさ、無効性が、その一事を以てしても明らかなはずである。

作者捨象の教説を真に受け、盲信しているかぎり、「テクストの意味は作者の意図に対して自律的になっている」とか「作者に何の権限もない」などという現実離れした奇妙奇天烈な考えも当然のように信じ込まれ、何らの疑念も生じなくなってしまうのである。頑固な大前提が「作者の死」である以上、作者の側にある「意図」も「権限」も前提として当然捨象されてしまうのだから、そうした考えも自然に必然的に演繹されるわけであり、「作者の死」を唱える教義の強弁に幻惑されているかぎり、どんな奇怪な妄想的な考えも少しも可笑しいとは思われなくなってしまうのである。

テクストは作者の「生」(の活動)によって作成されるのである。作者はテクストの作成者なのであり、作者の作成意図に従ってテクストは作成されるのである。饅頭好きが「饅頭こわい」と言うのと饅頭恐怖症が「饅頭こわい」と言うのとは、両者の意図や真意が異なる以上その意味内容(当人にとり一方は仮面的意味だが他方はそうではないのであるが、それは当人を捨象するかぎり認識不能になる)は異なるのである。無論、表面的な意味は同じであることは言うまでもない。作者の意図を無視すれば(作者捨象なら必然的にそうなる)、意味内容の違いは認識不能になってしまうのだ。そうした背後の意図自体がテクストに現前しているわけではないからである。そうでなければ人を誑かそうと密かに意図する詐欺師やイカサマ師の言葉に騙される者などいまい。

作者を捨象すれば、その言葉の作者にとっての虚実や真偽やニュアンスや意味合いの違いは消失する。「ひとたび〈作者〉が遠ざけられると、テクストを解読するという意図はまったく無用になる」(バルト、前掲書)。作者捨象によってテクストが解読不能になるのであって、テクストの解読が「無用になる」わけではない。解読しうることは解読しなければならない。

「饅頭こわい」の言葉が饅頭好きと饅頭恐怖症とではその意図が別々でも、その言葉自体は同じということから、「テクストの意味は作者の意図に対して自律的になっている」ということになるであろうか。そうではない。この場合でも、その言葉はそれぞれの発言者の別々の意図に操られているのである。「テクストの自律的な意味」は作者の意図の内にあるのであって、その逆ではない。だからこそ人は本当のことも言えれば、嘘も言えるのである。もし言葉(の意味)が話し手の意図から「自律的になっている」とすれば、人は嘘も真実も言えないことになってしまうであろう。己の思想を言葉で伝えることもできなくなってしまうであろう。「饅頭こわい」と言うことで饅頭好きはまんまと己の意図したとおりの言葉を発しているのである。

発言者が「誰か」「何者か」を無視すれば、必然的に発言者の意図も排除され、その言葉のみを「第一の前提」とせざるをえない。饅頭好きやその意図が分からぬかぎり、「饅頭こわい」の言葉に誑かされざるをえない。無論、ここには容易に解決のできぬ問題がある。こんな単純な事例にも(作者が)「誰か」「何者か」という他我認識の難問が横たわっているからである。とはいえ、この難問を回避して認識の突破口は開けないのである。

 

 

人間の精神活動の所産たる作品を主たる手掛かりとして作者を認識するのであり、他我認識をするのである。饅頭好きの「饅頭こわい」のテクストからそのテクスト作者を認識するのである。無論この場合は、そのテクストを単純に真に受けているようでは作者をまったく認識しえず、単に「架空の人物を築き上げることになる」だけにすぎない。それが仮面的テクストであることを看破しえぬかぎり作者認識はまったく成り立たない。この場合、作者は己の「実」を隠し、己の「虚」を示して真に受けさせようと意図しているのであるから、それを見破れないかぎりこうした仮面的テクストには誑かされざるをえない。ところが、作者が己の「実」を隠し、己の「虚」を示していることを当のテクストにおいて(当のテクストのみによって、ではない)こそ認識しなければならないのだ。作者がそうしたことをしているのは正に当のテクストにおいてであり、当のテクストを別にしてそうしたことは決して認識しえないからである。

饅頭好きは「饅頭こわい」のテクストにおいて饅頭恐怖症であるかのように嘘を吐き、騙そうとしているのであるから、そのテクストにおいてそれを見破らないかぎり、テクスト作者に対する他我認識は成り立たない。しかし、同じ「饅頭こわい」のテクストでも作者によって仮面的テクストになる場合とそうでない場合があるのだから、そのテクストのみから仮面的テクストであるか否かは決して認識できないのである。したがって、「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっているのであるから、そのかぎりにおいて、大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」などという空疎安直な考えで、「饅頭こわい」のテクストが饅頭好きの仮面的テクストであることを看破することは絶対的に永遠に不可能である。

饅頭好きは「饅頭こわい」と言うことで饅頭恐怖症と思わせようとしているのである(これは「テクスト作者の主観的な意図」である)。何故そんなことをするかといえば、言うまでもなく己の欲するものを得るためにほかならない。三島が『仮面の告白』でやっていることもそれと同じことである。饅頭好きがただ単に「饅頭こわい」と嘘を吐いているわけではないように、三島もただ単に己の(仮面の)「恥部」を「告白」しているわけではない。そんなものが彼の「今ぜひ書きたい」ものであるわけがあるまい。饅頭好きが「饅頭こわい」のテクストで単に饅頭恐怖症を装っているわけではないように、三島も『仮面の告白』でいかにも作者本人と思われるような「私」に単に同性愛を「告白」させているわけでは決してないのである。

こうしたテクストを読み解くのに、作者を捨象して、「失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開」するなどということをいくらやったところで、それが仮面的テクストであることを看破しようがない。仮面的テクストを仮面的テクストと見破れないかぎり、テクスト作者を認識しうるわけがない。『仮面の告白』を仮面的テクストと看破しえずに、畢竟はそれを無邪気に真に受ければ、たとえば奥野健男のように、三島が「スキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いたに違いない」と考えるくらいが落ちであろう。それどころか、三島は『仮面の告白』を書くことで「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうとしたのであり、それにより「生の回復術」を試みたのであり、かくして「メランコリーの発作が絶え」たのである。つまり、『仮面の告白』は三島が「自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いた」ものではさらさらなく、それとはまったく逆に、「飛込自殺を映画にとってフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上って生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である」というものなのである。三島は『仮面の告白』を書くことで「生の回復術」を試みたのである。

『仮面の告白』はそういう仮面的テクストであればこそ、三島は「今ぜひ書きたい長編がある」と作品依頼者に返答して、嬉々として執筆したのであり、「書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつつあるような思いがしている。これは何ごとなのか? この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。この告白を書くことによって私の死が完成する・その瞬間に生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」と言うのである。「醜かった」過去の己を取り繕うための仮面で隠蔽糊塗して葬り去ることで「私の死が完成する」というわけである。

三島は「自分が贋物の詩人である、或いは詩人として贋物であるという意識に目ざめるまで、私ほど幸福だった少年はあるまい」と言うほど少年期末までずっと至福の幼少年期を生きてきたはずなのに、何ゆえに「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思」うほど深甚な慙愧に苛まれるようになったのか、ここに『仮面の告白』を解明する重要な鍵があるのである。

それまで「私ほど幸福だった少年はあるまい」と言うほど幸福だった彼が、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」と己の過去を全否定するように深く慙愧するに至った背景には、終戦をはさんでいずれも昭和二十年に喫した死と愛の挫折に関わる恥辱体験が潜んでいるのである。これを剔抉しえないかぎり、『仮面の告白』の解読も三島由紀夫の解明も決してありえないのである。

三島は『仮面の告白』で「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」を実践しているのであり、そこで己の「実」を隠し、己の「虚」を示しているのである。ところがまた、式場隆三郎宛の書簡で密かに明かしているように、「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」でもあるのだ。つまり、三島「自身の体験から出た事実の忠実な縷述」という己の「実」を示しながら、その一方で「二人の人物の一人物への融合」という虚構を施し、己の「実」に虚構のヴェールを被せているのであり、この「虚」の部分に「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」が工夫されているわけである。

己自身について「事実の忠実な縷述」をしながら、同時に己自身を「いかに隠すか」を工夫しているのである。何故そのようなことを企図したかといえば、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった」から、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうと決意したからである。

三島は「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」によって『仮面の告白』を執筆したのである。彼はそこで自分自身を「いかに隠」しているか、そして自分自身を「隠す」ために何を表わしているか、いかなる「虚」を、どんな「仮面」を示しているか、それが問題なのであり、これを看破しえないかぎりこの仮面的テクストに誑かされざるをえない。無論それには当のテクストのみを「第一の前提」にしているかぎりテクスト解読も作者解明もまったく不可能である。作者を捨象してしまっては、解明しうることも解明不可能になってしまうのだ。

三島は「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧して、「すべて醜かった」過去の「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか」を意図し、「すべて醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしま」おうと意図して『仮面の告白』を書いたのである。無論、こうした作者の意図がテクスト自体に現前しているわけではない。それでは己の真の「恥部」が露出してしまうし、周到にかぶった仮面が見破られてしまう。ところがそれを看破しないかぎり認識の突破口を開けないのだ。

三島が『仮面の告白』で「いかに隠すか」を目論んだのは「醜かった」と慙愧する過去の自分であり、「まるごと肯定してしま」おうと図ったのも「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生」である。つまり、「醜かった」過去の己は隠したいのだが、それを「まるごと肯定して」取り繕うためにはとにかくそれを示さねばならぬわけである。ここに「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法」が工夫され、「二人の人物の一人物への融合」という工夫がなされることになるのである。己の「実」と己の「虚」を「融合」した「一人物」を造形して、「虚」の偽の「論理」と「心理」で「醜かった」己の「実」の部分を取り繕うという「方法」が工夫されたのである。

三島は「醜かった」と慙愧する己の過去の「恥部」、過去の己の真の「恥部」を取り繕い、無答責にするために、仮面の「恥部」を利用する方法を思いついたのであり、過去の己の真の「恥部」を「私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業であり、いわば私のせいではない」として無答責に取り繕うために仮面の「恥部」を「告白」したのであり、「私のせいではない」仮面の「恥部」を「告白」し、この仮面を現実の場でも陰に陽に面白半分に見せつけたのである。

 

 

あるテクストが仮面的テクストであるか否かの看破が作者認識に関して決定的に重要でありうることを理解しなければならぬ。

饅頭好きの「饅頭こわい」のテクスト、開成中学や第一高等学校の入試を受けて落ちた三島の「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」と表明するテクスト、そしてさらに「人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と考え、肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説」を実践した『仮面の告白』のテクスト、これらがいずれも仮面的テクストであることを看破しえないかぎり作者をまったく認識することはできない。単なる「架空の人物」をでっち上げるだけであり、まったくの「別人」やありもしない「虚像」を作者自身だとひたすら信じ込むだけである。単純な事例が示すように、作者を捨象して、つまり作者が「現実にあるところ」を捨象して、作者が「自称するところ」の言葉のみを前提にするかぎり、そうならざるをえないのである。作者捨象の「テクスト論」を盲信しているかぎり、まったくの誤解にすぎない「架空の人物」や「虚像」も正当化されかねない馬鹿げた強弁も起こりえよう。現実離れした空疎な前提からはいくらでも頓珍漢な妄説が演繹されるのである。

テクストが仮面的か否かは作者(の「生」)を考慮しないかぎり認識不能になってしまうのだから、「作者の死」を説く作者捨象の「テクスト論」ではこうした仮面的テクストをそれと認識しようがなく、まったく無視されてしまうため、作者捨象の「テクスト論」ではテクストが仮面的か否かの区別がなくなり、「テクスト一般」についてその教説が当然妥当するかのように説かれることになるのである。

 

 

三島が「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」という「逆説」めいたことを言うのも、『仮面の告白』が「誤解された自分を押し立ててその裏で告白を」している仮面的テクストであればこそである。

なぜなら、別に仮面などかぶらなくとも、恥も外聞もかなぐり捨ててしまえば、あるいはある種の勇を鼓すか、恥を耐え忍びさえすれば、己の深甚な恥について正直に「真実な告白」をすることもできるのだから、三島がそうした妙な「逆説」を弄しているということは、『仮面の告白』で「誤解された自分」という己の「仮面」を前面に「押し立ててその裏で」己の真の「恥部」について密かに「真実な告白」をしていることを意味しているのである。

彼のそうした「逆説」はまた「西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝」に通ずるものであり、要するに、見せかけの「魔法使・・・・・の姿を狙っては甲斐なく」、彼の「仮面」をつかまされるだけであり、彼の「正体」はそれ「より二三歩離れた林檎の樹」のようにさりげなく「告白」されているのである。「仮面」の「論理」と「心理」の「『嘘』を放し飼にし・・・・・・好きなところで、そいつらに草を喰わせ」ながら「真実な告白」がされているのである。「仮面」をダシにして「醜かった」己の「過去」を無答責にしつつ「仮面の告白」ならぬ「真実な告白」がされているのである。表向きは(仮面の)「恥部」を「押し立てて」その「告白」と見せかけながら(だから一般読者向けには「同性愛者の告白」という告白小説のフィクションとしても読めるように工夫されているのである)、「その裏で」作者個人の真の「恥部」について密かに「真実な告白」がされているのである。

こうして三島は「多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた」のとは「反対の欲求から」すなわち「自己をいかにあらわすか、ということよりも、いかに隠すか、という方法によって」書いた『仮面の告白』によって「メランコリーの発作」から解放され、「生の回復」を得て、戦後社会に作家として出発したのである。

 

XW

 

「結局、今になってつくづくわかるのは、あの小説こそ、私が正に、時代の力、時代のおかげでもって書きえた唯一の小説だということである」(『私の遍歴時代』)

 

三島は戦後の思想的および性的に解放解禁された時代的風潮の追い風を利用して『仮面の告白』を執筆公表しえたのであり、「人々がつつましく口をつぐんで言わずにいたことを、あばき立てた勇気」(前掲書)を持ちえたのである。戦時に兵役逃れの「告白」はたとえフィクションとしてすら不可能だったし、また無論性的な問題もおおっぴらには扱えなかったからだ。つまり、表向きの同性愛の「仮面の告白」とその裏の兵役逃れの「真実な告白」、これら虚実二重の「告白」で構成された『仮面の告白』は「正に、時代の力、時代のおかげでもって書きえた」わけである。

一九二四年一月十四日生まれの三島の世代については、「少年時代になると戦争がはじまり世間は国粋主義に傾いていた。感受性のまだ固まらない時期に左翼思想の洗礼を受ける機会が全くなかったことが、われわれのジェネレーションの特色とされている」(『堂々めぐりの放浪』)と彼自身が書いているような特色がある。三島より数年前の世代(たとえばマチネ・ポエティクの世代)なら「左翼思想の洗礼を受け」た者も多かったであろうし、彼より数年後の世代は軍国主義的「右翼思想」を早くから吹き込まれた世代(たとえば加賀乙彦『帰らざる夏』の主人公の世代)ということになろう。昭和四十二年に福田恒存との対談で三島は「ぼくらが《天ちゃん》なんて言っていたのは戦争中だよ。軍部の抑圧が激しくなればなるほど友だちとこっそり《天ちゃん》などと言ってた。《セミ天》というのは戦後の言葉だが、《天ちゃん》というのは、われわれの時代の言葉だよ」と言っている(『文武両道と死の哲学』)。三島の世代は天皇を「現人神」(これは『帰らざる夏』の主人公の世代が信じ込まされたものである。とはいえ、無論そんな「純粋」「単純」な者ばかりでもありえまいが)とみなしていた世代ではなく、天皇を「友だちとこっそり《天ちゃん》などと言ってた」世代なのである。彼はもともと天皇には何の思い入れもないのであり、これは彼の最期まで何ら変わることはないのである。そんな三島が戦後しばらく作家として活躍し、やがて自殺をもくろむようになってからは、なぜ極端な天皇主義者を標榜するようになっていったのか。その理由を考えるべきである。

三島の世代の十代後半の思春期は戦時と重なっており、学校では軍事教練があり、「お国のため」に戦うよう教育されていたにせよ、三島は現人神の「皇国思想」を何ら真に受けていたわけではない。当時の彼は「死は怖いし、辛いことは性に合わず、教練だって小隊長にもなれない器だから、何とか兵役を免れないものかと空想」していたのであり、「お国のため」に戦う気などまったくなかったが、『花ざかりの森』を出版するための用紙割り当ての申請書には「《皇国の文学伝統を護持して》とか何とか、大へんな文句を並べた」り、「いろいろと時勢に迎合した大ハッタリを並べた」のは、単に「文学的野心については、かなり時局便乗的でもあった・・・・・・小さな小さなオポチュニスト」としてにすぎないのである。当時の彼は『花ざかりの森』を何としても出版したかったため超国家主義の戦時の時局に便乗して、「皇国思想」めいた「大へんな文句を並べた」のであり、「いろいろと時勢に迎合した大ハッタリを並べた」にすぎないのである。ところが晩年には平時に「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と独り善がりに考えて、自分が戦時に「かなり時局便乗的」な「小さな小さなオポチュニスト」として書いたにすぎない「時勢に迎合した大ハッタリ」の「大へんな文句」をあたかも当時からそんな「思想」を信奉していたかのように見せかけた仮面的テクストをいろいろと書き散らし、空疎な「ニヒリスト」の自死に思想的仮面をかぶせようとしたのであり、己の晩年の仮面的言動を思想的に解釈させようと図ったのである。

戦時の三島はラディゲのような「天才」の夭折にあやかって、「兵隊にとられれば生きてかえることは期待できないから、二十年の短生涯の記念をのこしたいという思い」から『花ざかりの森』を出版したのだが、晩年には「今考えても、何故あんな統制のきびしい時代に、あんな妙な本の出版が許可になったのかわからない。しかし、少くともその一斑は、私の『思想』にあったことは明白である。『花ざかりの森』は、横から見ても縦から見ても、『左翼の本』でなかったことだけはたしかだからである」と言う。当局は「思想」的に問題なしと判断して出版許可したであろうが、三島自身は当局の許可するような「思想」を当時奉じていたわけではさらさらない。単に当局から出版許可を得るために「かなり時局便乗的」な「時勢に迎合した大ハッタリ」の「大へんな文句」を並べただけにすぎない。

戦時の三島は反戦的な「左翼思想」などから兵役逃れしたわけでは無論ないし、また特攻死を憧憬賛美したのも何ら「神」を奉じる「右翼思想」からではなく、ロマン主義的な自己愛や自己美化の欲求からにすぎない。当時の彼は日本の王朝文学や保田与重郎を愛読するとともに、キーツやバイロンやワイルドなど泰西浪漫派詩人や耽美派を賛美憧憬していたのであり、ただ己の感受性の赴くところに従って、洋の東西を問わず夭折する悲劇的な美しい若者に美的共感と憧憬を抱いていたのであって、「天ちゃん」に何ら美的心情的な思い入れなど微塵もあったわけではない。ところが壮烈な「英雄的」な自死を目論んだ晩年になると、「私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が横たわっていることを知らねばならなかった。それをいつまでも回避しているわけには行かぬのである」(『二・二六事件と私』)などと勝手なことを言い出すようになるのである。彼の「エステティック・・・・・・の底に天皇制の岩盤が横たわっていること」などありうるわけがないのである。戦時の三島は壮烈な死を遂げる特攻隊の若者に感動したのであって、天皇に何ら美的共感などの思い入れがあったわけでは毛頭ない。「私には文学者イコール弱虫の卑怯者という考えは、やはりどうしてもイヤなのである」、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えて、自死を見据えた晩年近くから自死に思想的な意味があるかのように見せかけるため、「私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が横たわっていることを知らねばならなかった」などとまったくありうるはずのない強引な思想的こじつけをなしたのである。死を恐れた戦時には自己保存から「時局便乗的」な「時勢に迎合した大ハッタリ」の「皇国思想」めいた「大へんな文句」を並べ、そして人生に倦み疲れ、老いへの嫌悪と恐怖を募らせ、自殺をもくろんだ平時の晩年には、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と奇天烈なことを考えて、己の自殺を思想的に粉飾するため再び「皇国思想」めいた「大ハッタリ」の「大へんな文句」を盛んにさらに巧妙に並べ立てるようになったのである。戦時の「時局便乗的」な「時勢に迎合した大ハッタリ」の仮面的テクストと晩年の周到に工夫した仮面的テクストをあたかも内的に「思想的」に一貫しているかのように巧妙に結びつけたのである。自己美化、自己栄化、自己無答責化、自己韜晦のために、ありもしない「内部」をでっち上げて表面的な取り繕いの辻褄合わせをするのは、『仮面の告白』以来の三島の御家芸なのである。

『仮面の告白』は三島の出生から戦後まで二十数歳までの仮面をかぶった告白的内面史であり、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」というものであり、また彼自ら「ニヒリスティックな耽美主義の根拠を、自分の手で徹底的に分析」(『私の遍歴時代』)したと言う作品でもあるが、そうした「耽美主義の根拠を、自分の手で徹底的に分析」したはずの作品にすら「神」としての天皇の影さえなく、また当然のことながら二・二六事件は十一歳の彼に何らの印象も残していないのである。彼の「耽美主義の根拠」に天皇の影さえないのである。

三島が言うように、『仮面の告白』が一面で彼の「耽美主義の根拠を、自分の手で徹底的に分析」したテクストであることは確かである。

まず幼時の「私」は、坂を下りて来る「汚穢屋」の若者の姿に「悲劇的なもの」を感じた。「彼の職業に対して、私は何か鋭い悲哀、身を撚るような悲哀への憧れのようなものを感じたのである。きわめて感覚的な意味での『悲劇的なもの』を、私は彼の職業から感じた」。「私はこの世にひりつくような或る種の欲望があるのを予感した。汚れた若者の姿を見上げながら、『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求が私をしめつけた」。「子供に手のとどくかぎりのお伽噺を渉猟しながら、私は王女たちを愛さなかった。王子だけを愛した。殺される王子たち、死の運命にある王子たちは一層愛した。殺される若者たちを凡て愛した」

こうした記述にこそ三島の「耽美主義の根拠」が示されているのだ。ここにこそ三島の「悲劇の美学」の原点ないし基盤があるのである。要するに夭折する悲劇的な若者への自己愛による自己投影であって、そこに天皇の影など微塵もないのであり、「天ちゃん」に彼の美的思い入れなど絶無なのである。

ところが生に倦み疲れて死にたくなった晩年あたりから、少年時の夢で唯一成就しえなかったという「英雄たらん」とする夢を無理やり果たさんとし、「英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えて、己の美学に戦時に喧伝された「思想」を強引に結びつけ、「私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が横たわっていることを知らねばならなかった」と荒唐無稽なこじつけをしようとするのである。かつては三島美学に天皇の影すらなかったはずなのに、晩年の彼が己の「エステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が横たわっている」などというのはまったくのまやかしにすぎないのである。彼の「エステティック」をどう「掘り下げ」たって、そこにはせいぜい「甘えの美学」しかないのである。

二・二六事件が起こった十一歳当時の三島は登校すると、級友が「総理が殺されたんだって」と囁くのを聞いて、彼は「ソーリって何だ?」と聞き返す程度の無邪気で無知な子供だったのであり、また物語の甘美な空想の世界に耽溺していた当時の彼は外界の現実の出来事などほとんど何の関心もなかったのである。

そんな幼稚な少年だった彼が晩年になると、「たしかに二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた」などと、強引に「神」や「神の死」を持ち出してきて、「神」を奉じる「思想」と己の精神を無理やり結びつけようとするのである。「当時十一歳の少年であった」三島に「二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだ」ことなど「おぼろげに」すら「感じられた」わけがあるまい。

終戦時にも彼は「二十歳の私は、何となくぼやぼやした心境で終戦を迎えたのであって、悲憤慷慨もしなければ、欣喜雀躍もしなかった」のであり、「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヶ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事」だったのであって、そんな彼が「敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感」などという奇怪至極な奇妙奇天烈な感情を抱くことなど金輪際ありえないのである。こうした晩年の彼の「思想的」ないかさまのテクストはすべて、平時において「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と勝手に考えて、やがて果たさんともくろむ自死に後知恵の教科書的な「歴史」の文脈に合わせた出来合いの明示的な「思想」の仮面をかぶせるために作成した仮面的テクストにすぎないのである。

戦時には時局に便乗して「右翼思想」めいた「大ハッタリ」の「大へんな文句を並べ」れば事が運んだのであり、戦後には戦時に英雄視された特攻隊などを一転して戦争加担者や戦争犯罪人扱いする風潮や反戦的な「左翼思想」などの解禁や台頭もあって、仮病を使った兵役逃れを「告白」した『仮面の告白』も同性愛の仮面の「論理」と「心理」で無答責に見せかけることによって何とか執筆公表しえたのである。昭和二十五年には「行為をジャスティファイすることが思想の実用的価値だ」(『慈善』)と書いている。戦時の己の仮病を使った兵役逃れは単に死と軍隊を恐れたためにすぎないのに、そんな己の兵役逃れも戦後は「左翼思想」などによる反戦的行為とみなされて「ジャスティファイ」しうるということを念頭に置いて書いていることは言うまでもあるまい。

かつては己の過去の「醜かった」行動のあとからそれを取り繕う言い訳の「論理の織物」たる『仮面の告白』で作家として出発したが、晩年はやがて果たさんとする自死を思想的に粉飾するような仮面的テクストを前以て盛んに書いてから、彼なりの英雄的な美的な自死で人生を終えようと目論んだのである。無論、それは言行一致とか知行合一といったものでは毛頭ない。彼の場合、その最期の「行」はあらかじめ確定しているのである。過去の「行」は勿論だが、未来の「行」たる自死もあらかじめ決まっているのであり、己の「行」を事後あるいは事前の「辻褄をあわせた論理の織物」たる「言」で隠蔽糊塗しているのである。己の「行」を粉飾糊塗するための「言」なのである。

三島は「ニヒリスト」について、「大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由をもち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起すのはこの地点なのだ」(『新ファッシズム論』)と言う。

映画『憂国』で「武山信二中尉」を自ら主演した際にはこう言っている。「私が影の影、幻の幻としての存在感を持ち得るか否かは、私にとっての人生の究極の夢に関わっていた」(『人生の究極の夢を・・・・・・』)

また、同じ頃(昭和四十一年)には「未来を先取しようとする芸術家の狡猾な企画」についてこう書いている。

 

「未来を現実で埋めようとはせず、未来をあらかじめ非現実で埋め立てしようとする芸術家のもっとも反社会的な企図・・・・・・完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで! しかし遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる。言葉が現実に決定的に負けているようにみえるのは、現実というこの、あるとも見えないとも見えるところの一瞬間だけである。このような芸術家という人種にとっては、危険とは何を意味するか? 私にはそこのところが非常に興味がある。年々その興味が募って、今ではその興味のために発狂しそうだ」(『「われら」からの遁走』)

 

これは己の未来の現実の「行動」を念頭に置いて言っていることは確実である。近い未来に果たすべき己の現実の「行動」、それはやがて果たすべき己の死への「行動」すなわち仮面的言動で粉飾した自殺のための「行動」という「現実」であり、その未来の自裁の「現実」を「あらかじめ非現実で」すなわち虚構の言葉で、仮面的テクストで、「埋め立てしようとする芸術家のもっとも反社会的な企図・・・・・・完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで!」、すなわち「小説家になろうとし、又なった人間」である三島は「人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。客観性の保証とは何か?それは言葉である」と考えたのであり、それは言うまでもなく彼が「影の影、幻の幻としての存在感を持ち得るか否か」が彼に「とっての人生の究極の夢に関わっていた」からに他ならない。

かつては過去の己の現実の「行動のあとから辻褄をあわせた論理」で取り繕った言葉を連ねた仮面的テクストたる『仮面の告白』を書いて作家として戦後社会に出発した三島は、やがて天下泰平の平時に倦み疲れ、そして彼なりの美的な自死(具体的には映画『憂国』で自ら演じたような切腹)を見据えた晩年近くからは、未来の己の現実の死への「行動」を先取りしたまやかしの言葉を連ねた作品を書いてから、然る後にその言葉をなぞるような死への「行動」を見せつけて人生を終えようとするのである。そして己の最期の「行動」を数年がかりの事前の「思想的」な言葉(無論、彼にとっては仮面的テクストにすぎない)に基づいて他者に解釈させようと図ったのである。

こうした作家の「言」と「行」あるいは「言葉」と「現実」ほど惑わしに満ちたものはない。両者の見せかけの辻褄合わせで人々を誑かそうとするのである。三島が「人生に対する一種の先取特権を確保した」作家にならなかったら、ああした形で自殺するわけには決していかなかったことは確実である。

以上のことを確実に認識しないかぎり、晩年の三島の仮面的言動に誑かされる者がいつまでも後を絶たないであろう。

 

 

「『仮面の告白』という題名に迷わされて、作中の事実を仮構がちに考えたがる向きもあるようだが、私の行き届かない調べでも、意外に事実どおりだと思われる。《これほど正直に書いた自伝小説はないと考えた方がよさそうだ。したがって、三島の伝記の材料として使うことさえ許されそうである》というドナルド・キーンの評は、どうやら正鵠を射ているらしい」(小西甚一『三島由紀夫と古典』)

 

「ぼくは伜の作品『仮面の告白』を読んで、その思い切ったハッタリ振りにびっくり仰天しました。その冒頭に、『永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないようなところがあった。産湯を使わされた盥のふちのところである。ふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた』とこんなことを書いています。この他にもおよそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります。僕は小説というものはフィクションもフィクション、こんな出鱈目を書いていいものかしらと考えました」(平岡梓『伜・三島由紀夫』)

 

このように同一のテクストでもテクスト内容に関わる現実を知る者と知らぬ者とでは解釈に決定的な差が出るのである。三島の「現実にあるところ」を経験的によく知っている彼の父親には『仮面の告白』が「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててある」ことが即座に容易に分かるのだが、三島の「現実にあるところ」を経験的にまったく知らず、ただ彼の形骸的な皮相な経歴などの誰でも容易に知りうるような断片的な外的事実しか知らない人々には、三島が己の断片的な外的事実と辻褄を合わせつつ自己正当化や自己無答責化を目論んで偽の内的な心理や論理をでっち上げた『仮面の告白』の仮面を見破れず、小西やキーンのように「意外に事実どおりだと思」ったり、「これほど正直に書いた自伝小説はないと考え」たりしてしまうのである。「人が自称するところ」の仮面的な言葉に誑かされ、「その人が現実にあるところ」をまったく認識できないのである。

 

「あらゆる史料は生きていた人物の蛻の殻に過ぎぬ。一切の蛻の殻を信用しない事も、蛻の殻を集めれば人物が出来上ると信ずる事も同じ様に容易である。立還るところは、やはり、さゝやかな遺品と深い悲しみとさえあれば、死児の顔を描くに事を欠かぬあの母親の技術より他にはない」(小林秀雄『ドストエフスキイの生活――(序)歴史について』)

 

ここでは歴史家や伝記作者と史料の関係を母親と死児の遺品の関係と同一視している。史料という「一切の蛻の殻を信用しない事も、蛻の殻を集めれば人物が出来上ると信ずる事も同じ様に容易である」ことは言うまでもないことであるが、問題はそんなことでは全然ない。史料をいかに解読し、解明するかが重要な問題なのである。現実の我が子を知っている母親は遺品などなくとも「死児の顔を描くに事を欠かぬ」であろうが、歴史家や伝記作者はそうした現実をまったく知らぬところから史料に対さねばならない。歴史家や伝記作者と史料の関係を母親と死児の遺品の関係になぞらえるのは単なる比喩としても決して適切なものではない。小林はセンティメンタリティに訴えようとしているようだが、それと歴史認識を同一視することはできないのである。

 

 

正宗白鳥と小林秀雄のあいだで「思想と実生活」論争が戦われたのは昭和十一年のことである。まず白鳥が同年一月十一日付と十二日付の読売新聞に『トルストイについて』を発表する。その最終部分はこうである。

 

「廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝った時、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるための旅に上ったという表面的事実を、日本の文壇人はそのまゝに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤住独邁の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲壮でもあり、滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けて見る如くである。あゝ、我が敬愛するトルストイ翁!」

 

これに対して、小林秀雄が『作家の顔』と題する文を一月二十四日付と二十五日付の読売新聞に発表し、その後半に、白鳥の前記の文をそっくり引用して、奇妙な反駁を開始するのである。

 

「あゝ、我が敬愛するトルストイ翁! 貴方は果して山の神なんかを怖れたか。僕は信じない。彼は確かに怖れた、日記を読んでみよ。そんな言葉を僕は信じないのである。彼の心が、『人生に対する抽象的煩悶』で燃えていなかったならば、恐らく彼は山の神を怖れる要もなかったであろう。正宗白鳥氏なら、見事に山の神の横面をはり倒していたかも知れないのだ。ドストエフスキイ、貴様が癲癇で泡を噴いているざまはなんだ。あゝ、実に人生の真相、鏡に掛けて見る如くであるか。

あらゆる思想は実生活から生れる。併し生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか。大作家が現実の私生活に於いて死に、仮構された作家の顔に於いて更生するのはその時だ。或る作家の夢見た作家の顔が、どれほど熱烈なものであろうとも、彼が実生活で器用に振舞う保証とはならない。まして山の神のヒステリイを逃れる保証とは。かえって世間智を抜いた熱烈な思想というものは、屢々実生活の瑣事につまづくものである」

 

トルストイが山の神を恐れて家出したということを、かくもヒステリックに拒否するこの奇怪な文の背後には、どうも情婦の許から逃げ出した小林自身の家出体験がからんでいるようでもあるが、この論争当時、小林は、作品と作者の生活を分離したヴァレリーの説に従って、ドストエフスキーの作品論とは別に、『ドストエフスキイの生活』を「文学界」に連載中であったこともあって、「思想」と「実生活」を分離する駁論をせねばならぬ必要があったと考えられる。

小林の言う「実生活」とヴァレリーの「生活(vie)」が同じかどうかが疑問だが、差し当たりそれは措くとして、ヴァレリーの「作品」と「生活」の分離論が、ここでは「思想」と「実生活」の分離論に置き換えられているわけである。ヴァレリーは「一人の人間の本当の生活(La véritable vie dun homme)というものは、隣人にも、当の本人にすら、ついぞはっきりしたものではない」と考えたが、小林は「実生活」を他者の目に明示的なきわめて皮相卑近な外的生活と考えているようである。それゆえ、小林は「実生活」の例としてドストエフスキーが「癲癇で泡を噴いているざま」という他者の目に見える外的な様態をことさら強調するのである。かようにヴァレリーの言う「本当の生活(véritable vie)」と小林の言う「実生活」がかなり異なるものであることは明らかである。いずれにせよ人間はその生の全体以外の何ものでもない。それ以外はすべて幻想にすぎぬ。無論、幻想を抱くことも生(の活動)である。小林の「実生活」がこうした全体的生(活)ではない以上、「実生活」以外の生(活)があることになるが、人間の生(活)をそのように分割しうるのか、分割することに意味があるか、というより分割の意識もなく「実生活」という言葉をきわめて曖昧模糊たる勝手な意味合いで使っていることに問題があるように思われる。

小林の駁論はほとんど論と呼びうるような代物ではない。トルストイの「心が、『人生に対する抽象的煩悶』で燃えていなかったならば、恐らく彼は山の神を怖れる要もなかったであろう」とは奇妙な論理である。トルストイにかぎらず、「山の神を怖れる」のに、「心が、『人生に対する抽象的煩悶』で燃えて」いる要など少しもない。「偉人英雄に、われら月並みなる人間の顔を見付けて喜ぶ趣味が僕にはわからない」(小林、前掲書)。むしろ凡夫に「月並みなる人間の顔を見付けて喜ぶ趣味」のほうがわかりにくいはずだが、それはともかく、白鳥はなにも「山の神を怖れ」て家出したトルストイに「月並みなる人間の顔を見付けて喜」んでいるわけでは決してない。「悲壮でもあり、滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けて見る如くである」と感じ入っているにすぎない。小林のほうが「山の神を怖れ」て家出する人間を勝手に「月並みなる人間」だと思い込んでいるのである。あるいは、「月並みなる人間」だとみなされると思って反発しているのである。

小林の言う「実生活」がヴァレリーの言う「本当の生活(véritable vie)」でも全体としての「生」でもないことは、「或る作家の夢見た作家の顔が、どれほど熱烈なものであろうとも、彼が実生活で器用に振舞う保証とはならない。まして山の神のヒステリイを逃れる保証とは。かえって世間智を抜いた熱烈な思想というものは、屢々実生活の瑣事につまづくものである」という言からも明らかである。つまり、きわめて卑近な振舞いのような外的様態の意味合いで「実生活」と言っているにすぎない。要するに、精神活動などの創作活動や内的心的活動をほとんど捨象した表面的な形骸的生活を「実生活」と言っているのである。こうした「実生活」と「思想」が無関係なのは最初から分かり切ったことである。

さらにのちの反論では小林はこう言う。「熱烈な文学者というものには、生ま身の自分という人間の真相などというものはあまり意味がないのだ。生ま身のうちに生きている文学だけが、思想だけが、重要なのだ。創造の魔神につかれた文学者等にとって、実生活とは架空の国であったに相違ないのだ。実生活を架空の国とするのは、何も実生活を逃避する事を意味しない。逃避しようとしても付纏うものが実生活というものだからだ」(『文学者の思想と実生活』)。

それにしても、「仮構された作家の顔」だとか、「作家の夢見た作家の顔が、どれほど熱烈なものであろうとも」とか、「世間智を抜いた熱烈な思想」とか、「熱烈な文学者」とか、「創造の魔神につかれた」などと、何か熱に浮かされたような妙な空想的なものを想定して、無理やり「実生活」と対比させているようである。ト翁が「実生活」から「逃避しようとして」家出したとしても、「逃避しようとしても付纏うものが実生活というもの」であるなら、彼の「家出」も「実生活」ということになろうし、およそ何をしようと「実生活というもの」が「付纏う」ことになる。「創造の魔神につかれた文学者等にとって、実生活とは架空の国であったに相違ない」とは勝手な奇妙な考えである。「実生活とは架空の国」だと思うのはむしろ小児の幻想であろう。

いずれにせよ、次のような疑問は免れがたい。では、小林がその作品論とは別に書いた『ドストエフスキイの生活』は「逃避しようとしても付纏う」ようなドストエフスキーの「実生活」という「架空の国」を書こうとしたのか。そうではあるまい。その「序(歴史について)」で「ドストエフスキイという歴史的人物を、甦生させようとするに際して」と言っている以上、「逃避しようとしても付纏う」ようなドストエフスキーの「実生活」という「架空の国」ではなく、彼の外的生活とともに内的心的生活も含めた全体的な生活を書こうとしたはずである。そうでなければ「ドストエフスキイという歴史的人物を、甦生させ」ることは到底できないからだ。

こうした小林の言う「実生活」の混乱した意味合いに対しては、白鳥もその反論『思想と新生活』で疑念を呈しているが、「思想と実生活」論争における小林の主張は、すでに「人間は、自然より遥かに見窄らしい、芸術作品は人間より遥かに見窄らしい。・・・・・・どんな傑作でも、ある眸が発げる光に如かぬ。もう少し遠慮して言えば、どんな傑作もそれを拵えた人物に如かぬ。・・・・・・私には親友の作品を読む必要はない。自然の手によって作られた作品に就いて、何もかも心得ている時、その作品が作った作品などというものは、退屈極まる代物である」(『批評家失格U』)と書いていた小林にしては、実に奇妙なものである。

また、「世に芸術家程、直接経験の世界に忠実な人種はありません。たとえ、直接経験の世界から逃れて、理論の世界へ、観念の世界へ、さまようように見えようとも、それは、ただ、外見だけの事でして、彼等は、形を、色を、音をまともに常に感じていないでは、どんな夢も見る事は出来ないのです。或いはどんな夢にも興味を持たないのです、だから、いつも直接経験の世界から一歩も外へは出たがらないのです」(『文芸批評の科学性に関する論争』)と述べていた小林の言とも思われぬのである。また、「この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合だけがあるのだ」(『への手紙』)とか、「小説の筋や情景の面白さに心奪われて、これを書いた作者という人間を決して思い浮べぬ小説読者を無邪気と言うなら、何故進んで、例えばカントを学んで、カントの思想に心を奪われ、カントという人間を決して思い浮べぬ学者を無邪気と呼んではいけないか。読書の技術の拙い為に、書物から亡霊しか得る事が出来ないでいる点で、決して甲乙はないのである」(『読書について』)と考えた小林の認識とは、大きくずれているのである。そこでは「思想」は「亡霊」にすぎないとされているのだ。

この点は白鳥も感じていたらしく、小林の「あらゆる思想は実生活から生れる。併し生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか」とか「実生活を離れて思想はない。併し、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲に外ならぬ」(『思想と実生活』)という小林の主張にたいし、白鳥は「或る人々が自己の実生活を思想の為に犠牲にして、社会の秩序が保たれるのは、本当であるとゝもに、有り触れた考えで、どの内閣の文部大臣でも同意しそうだ。その『社会秩序』なるものは、正真正銘の人間界の実生活のことであり、人を突ついて犠牲者たらしめる力を持ったその思想は、実生活と訣別するどころではない。実生活に喰い入っているのだ。・・・・・・当人はその思想と実生活との密接なる関係を信じていればこそ、思想の犠牲にもなるのであろう」(『思想と新生活』)と反論するのである。それにしても「実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけ」だという「思想」も奇妙な「思想」である。「実生活」を救済したり豊かにする「思想」もありうるからだ。

 

「ドストエフスキイの実生活を調べていて、一番驚くのは、その途轍もない乱脈である。彼の金銭上の浪費なぞは、その生活そのものの浪費に比べれば言うに足りぬ。・・・・・・実生活のあの無統制を支えた彼の精神とはどういうものであったろう。単なる怠惰が、あの乱脈に堪えた筈がない。尋常な意志は何等かの統制を案出した筈である。僕は実生活の無秩序に関する、彼の不可思議な無関心を明瞭に説明する言葉を持たぬ」(小林『思想と実生活』)

 

皮相な外的「実生活」を考えていればこうした疑問も生じよう。「ドストエフスキイの実生活・・・・・・の途轍もない乱脈」とは何か。彼の「実生活」の「乱脈」や「無統制」や「無秩序」など彼の知ったことではない。そんなものは他者が通念や慣習の文脈に従って勝手にドストエフスキーに押しつけたものだ。慣習的通俗的社会的文脈において明示的な彼の外的生活から勝手に判断したものにすぎまい。「実生活」を明示的な外的様態のようなものととらえているかぎり、内的精神生活とのつながりが見えなくなるのは当然である。彼の「実生活」の「途轍もない乱脈」など、通俗的かつ感傷的な通念の見方にすぎないのである。

「思想と実生活」論争の小林の主張は矛盾と詭弁に満ちたものである。「フロオベルは、文学という『唯一の目的』の為に、極度に生活の浪費を惜しんだ。彼の実生活は殆ど零に近付き」(小林、前掲書)と言いながら、「逃避しようとしても付纏うものが実生活というものだからだ。・・・・・・人間はすべて夢だけを信じて生きているのである。人間に信ずる事が出来るのは夢だけだからだ。実生活は信じなくても在るからだ。何んと言おうが僕等に付纏い、追いかけるものだからだ」(『文学者の思想と実生活』)と書いている。

「実生活」が「逃避しようとしても付纏うもの・・・・・・信じなくても在る・・・・・・何んと言おうが僕等に付纏い、追いかけるもの」なら、どうして「実生活」が「零に近付き」えようか。「現在の生活を打破せんとする新思想の保持者は、将来の実生活を夢みるかも知れないが、それは或る種類の思想に過ぎないのであって、思想の、壮大にして且つ無気味なる力の説明とはならない。現在の理論を打破して将来の理論を夢みる思想もあるわけだ。実生活を夢みる思想とその力に於いて何んの相違があるか。而も、将来の実生活に関する夢とは、実生活ではない、純然たる思想である」(同前)。では、「実生活」では人間は何の夢も見ないというのか。「人間はすべて夢だけを信じて生きている」なら、それこそ人間の「実生活」ではないのか。でないとするなら、「実生活」はまったくの蛻の殻みたいなものではないか。

小林のこの最後の駁論『文学者の思想と実生活』では大分トーンダウンしている。要するに己の主張に自己矛盾があることにやっと気づいたからにほかなるまい。だがそれをはっきりとは認めたくないので、お茶を濁したような曖昧な持って回った言い訳をしているのである。

最初の反論では、「あらゆる思想は実生活から生れる。併し生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか」と言っておきながら、最後の反論ではこう言う。

 

「たゞ、僕が正宗氏に理解して戴きたい点は、『思想が遂に実生活に訣別するに至らなければ、思想というものに何んの力があるか』というやゝ奇矯な言を弄した所以のものは、結局喋っているうちに思想と実生活とは切っても切れぬ縁があるという以外の結論に到達し得なかったという事とは自から別だと言う点なのだ。思想を実生活から絶縁させようという様な狂気の沙汰を誰が演ずるか。結論は最初に在ったのである。僕がこの問題で発言の機を捕えたのは、トルストイの家出の原因は、思想的煩悶にはなく、実際は細君のヒステリイにあり、そこに人生の真相を見る云々の正宗氏の文章を読んで、永年リアリズム文学によって錬えられた正宗氏の抜き難いものの見方とか考え方とかが現れていると思い、それに反抗したい気持ちを覚えたからである。・・・・・・『思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか』という僕の言葉は、無論比喩である。比喩だと取れば誤解の余地はない様に思うのだが、思想は実生活から生れる、という言葉にしたって比喩に過ぎない」

 

これではどんな主張も「比喩」ということになってしまいそうだが(とはいえ小林は「(序)歴史について」では芭蕉の「月日は百代の過客にして、行きかう年も亦旅人なり」を「恐らくこれは比喩ではない」と言っている)、これはいかにも持って回った言い逃れである。くだんの「やゝ奇矯な言を弄した所以のものは、結局喋っているうちに思想と実生活とは切っても切れぬ縁があるという以外の結論に到達し得なかったという事とは自から別だ」とはどういうことか。いうまでもなくそれは、「トルストイの家出の原因は、思想的煩悶にはなく、実際は細君のヒステリイにあり、そこに人生の真相を見る云々の正宗氏の文章を読んで、永年リアリズム文学によって鍛えられた正宗氏の抜き難いものの見方とか考え方とかが現れていると思い、それに反抗したい気持ちを覚えた」ということを言おうとしているのであろうが、これはなんとも苦しい言い訳である。「トルストイの家出」という「実生活」上の出来事の背後に「細君のヒステリイ」ではなく「思想的煩悶」を見ようとする小林は自己矛盾に陥っているのである。「思想が遂に実生活に訣別する」ものなら、「人生に対する抽象的煩悶」という「思想」の問題はト翁の家出という「実生活」に無関係なはずである。つまり、ト翁が「実生活」でどんな行動や振る舞いをしようと、彼の「思想」とは別なのだから、「人生に対する抽象的煩悶」と「山の神を怖れ」て家出することを結びつけるのは、まったくの自己矛盾なのである。

当初は「思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか」と息巻いていた小林だが、すでに「この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合だけがあるのだ。・・・・・・凡そ真の思想とは本能に酷似している。これを感得する時は驚く程簡明だが、これを説明しようと思えば忽ち無闇な迷宮と変ずるものではあるまいかと。これを人間の仕事だと考えれば成る程われわれの手に余る不可能事だが、これが人間の一種の想いだとしてみれば断じて架空事ではない。人間の生命の或る現実的な面である」(『への手紙』)と考えていた小林は白鳥との論戦の過程で己の主張に「やゝ奇矯」さを感じたようである。

 

「問題は、トルストイの家出の原因ではない。彼の家出という行為の現実性である。その現実性を正しく眺める為には、『我が懺悔』の思想の存在は必須のものだが、細君のヒステリイなぞはどうでもいゝのだ。どうでもいゝという意味は、思想の方は掛替えのないものだが、ヒステリイの方は何にとでも交換出来るという意味だ。・・・・・・若し細君のヒステリイが、トルストイの偉大を証する上に掛替えのないものとするなら、そんな深い意味を、この単なる事実に付与したものはまさしくトルストイの偉大さではないか。即ち思想ではないか」(『文学者の思想と実生活』)

 

「行為の現実性」を見極めるのにその「原因」を無視できようか。「細君のヒステリイが、トルストイの偉大を証する上に掛替えのないもの」だとは、白鳥にせよ誰にせよ言っていないのであり、またそんな馬鹿げたこともないわけだが、これと続く部分はまったくの言いがかりであり、戯言である。「細君のヒステリイ」というトルストイの「実生活」上の「単なる事実」に「そんな深い意味を付与したもの」がトルストイの「思想」だとは、要するに「実生活」と「思想」をあくまで関連づけようとしているのであり、ここでも小林は自己矛盾に陥っているのである。

この論争における小林の戯言のような主張が、その後多くの評者により真剣に取り沙汰され、擁護されているのは、驚くべきことである。この論争の最も一般的かつ代表的な評価は、河上徹太郎の言う、「正宗氏のわが自然主義以来の伝統で培われた老小説家の生活感情と、小林の十九世紀末以来の西欧近代思想を身につけて育った若い評論家の理想主義の対立」という何とも皮相な図式的見方であろう。これは小林の主張というより語勢に誑かされた見方である。「僕がこの問題で発言の機を捕えたのは・・・・・・永年リアリズム文学によって錬えられた正宗氏の抜き難いものの見方とか考え方とかが現れていると思い、それに反抗したい気持ちを覚えたから」などという小林の言い逃れの弁明の文脈に完全に巻き込まれているのである。

この論争から十二年後の昭和二十三年になされた湯川秀樹との対談で小林はこう言っている。

 

「実生活と仕事というものが実は不連続ではないでしょうか。たとえば文学史を書く人たちが作品を解釈するのに、どうしても合理的な解釈をしようと思うと、作品をいろいろなエレメントに分解しなければならない。いちばん基底のエレメントを実際の生活に持っていく。実際の生活に分解して、そのエレメントを再構成すると作品というものが現れてくる。つまり両方を連続的に考えるわけですね。だからさっき言ったように、たとえば非常に楽しい作品を書いた人は必ず楽しい実生活をしたに違いないと連続的に考える。ところがその人は非常に辛い生活をしたかもしれん。その辛い生活をとうとう征服した。征服した喜びは実生活の中には現われない。実生活は悲惨なのです。けれどもその喜びが作品の中にだけ現われたとすると、その作品と実生活はやはり不連続的なものがある」(『人間の進歩について』)

 

ここで小林が言う「実際の生活」や「実生活」は「仕事」(これは言うまでもなく作家の「仕事」を指している)の精神活動を含む心的生を捨象したまったく皮相な形骸的生活(そんなものを「生活」と呼べようか)であって、ヴァレリーの言う「本当の生活(véritable vie)」でないことは明らかである。「征服した喜びは実生活の中には現われない」と言っている以上、この「実生活」はほとんど内実のないものである。かかる「実生活」と「仕事」が「不連続」なのは当然である。だが、人間(に限らぬが)の生は絶え間ない持続である以上、そんな奇妙な「不連続」や分裂が人間の生にありえようか。

「辛い生活を征服した喜びは実生活の中には現われない。実生活は悲惨だが、その喜びが作品の中にだけ現われたとすると、その作品と実生活はやはり不連続」だとは何とも馬鹿馬鹿しい考えである。これでは、他者の目に明示的な「実生活」にふさわしいような「作品」を書けば、「実生活」と「作品」は「連続的」になるというだけの話ではないか。要するに、「実生活」にせよ「作品」にせよ、他者の目につく外的な部分で辻褄が合えば「連続的」で、辻褄が合わなければ「不連続的」だとしているにすぎないのである。これでは見せかけの辻褄合わせに容易に誑かされてしまうであろう。『仮面の告白』や『太陽と鉄』などの三島のテクストはそうした誤魔化しの辻褄合わせを意図した仮面的テクストなのであり(だから、なまじ三島の外的な伝記的事実を調べ知った者ほど彼の仮面的テクストに誑かされることになる。表面的にはいかにも三島の外的な伝記的事実や「実生活」とテクスト内容が辻褄が合っているように思われるからである。見破るべきは彼の内部なのである。この点を安易に考えるからバルトのように「テクストに作者をあてがうのはテクストに歯止めをかけることだ」などという紋切り型の安直な考えが生じるのである。最初から作者を分かり切った既知の存在だと頓珍漢にも思い込んでいるのである)、こうした見せかけを真に受けているかぎり、他我認識も歴史認識も永遠に不可能になるばかりか、その不可能性を妄信し、頑迷に強弁することにもなるのだ。

 

 

「思想」と「実生活」あるいは「作品」と「作者(の生活)」、これら両者が対立ないし分裂したものでありえようか。そうみなしているかぎり決して他我認識はできまい。その作品を無視して、三島由紀夫を認識できようか。三島が二十三、四歳ころから陰に陽に同性愛者めいた言動を急に他者に面白半分に楽しげに示すようになったのはどうしてか。これを解明するには『仮面の告白』という作品を別にしてはまったく不可能であり、またその作品の解読には彼の過去の生(伝記的事実の背後の生)を解明せずして不可能である。「思想」と「実生活」あるいは「作品」と「作者(の生活)」、これら両者を対立したもの、分離したものとみなすのは、両者をいずれも外的表面的にしか捉えていないからである。あるいは逆に、両者を分離、分裂したものとみなすからこそ、両者を外的表面的にしか捉えることができないのである。これら二様の現象を支えているのは一個の人間であり、一つの「全体的生」なのである。両者はいずれも一個の人間ないし一つの「全体的生」から生じているのである。「実生活とは架空の国」だなどというまったく転倒した荒唐無稽な考えが生じるのも、両者をいずれも外的表面的にしか捉えていないことの証左なのである。

『仮面の告白』が「およそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあり・・・・・・出鱈目を書いて」いることを認識している三島の父親は同性愛が息子の仮面であることは無論認識していたのであって(とはいえ彼は同性愛が息子の真の「恥部」を取り繕うためにかぶられたものであることを認識していたかどうかは不明であるが)、同作が同性愛も含めてすべて「正直な赤裸な告白」だなどという表面的外的な解釈、三島の巧妙な詐術的言語に誑かされた無根拠な無邪気な思い込み的解釈は決してできないのである。

すでに若干指摘したように、『仮面の告白』には現実には決してありえぬような不自然な心理が処々に「告白」されており(特に兵役逃れや同性愛に関わる心理を「告白」している部分)、そうした部分を看破することができるなら、同作がすべて「正直な赤裸な告白」だなどとは決して思えないはずである。無論『仮面の告白』のような「行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」作品のまやかしの「論理」や「心理」を見破ることは必ずしも容易ではないし、ほとんど不可能な場合も多々あるわけだが、いずれにせよ、実在の心理、心理の実在がどういうものでありうるかということは、ある程度は認識していなければ『仮面の告白』のような仮面的テクストにはいくらでも誑かされることになる。読者の認識能力に応じてテクストはいろいろな解釈がなされるわけだが、単なる誤解や誤読(たとえば『仮面の告白』を同性愛も含めてすべて「正直な赤裸な告白」だとするような。無論、『仮面の告白』は二十三歳の三島がそれまで己の培った知識や知力の限りを尽くして作成し、また執筆中に心理学者にも同性愛心理について直接取材して周到綿密に書き上げた仮面的テクストであるから、容易に見破り難いにせよ、処々に突破口はある。たとえば「園子」を失った「私」がしばらくして本屋で「フランスの或る作家の冗舌なエッセイ」を取り出し、「ふとひろげた頁の一行が私の目に灼きついた」と言う。「女が力をもつのは、ただその恋人を罰し得る不幸の度合によってだけである」。このスタンダールの『恋愛論』中の文句が「ふとひろげた頁の一行」だというのはまったくの虚構であることは明白である。この簡明な一事を以てしても『仮面の告白』がすべて「事実どおり」であるわけがなく、虚実の辻褄合わせがなされていることは明らかであろう。現実の認識がなければ虚実の区別はできない)も含めて「テクストの多様な解釈」を擁護主張するとしたら馬鹿馬鹿しいかぎりであろう。

三島はかつては「行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」同性愛者めいた仮面的テクストを書いて作家生活を始め、晩年近くからは「行動のまえから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」天皇主義者めいた仮面的テクストをいろいろ書いて(いずれの場合も、彼にとっては恥辱の取り繕いや自己美化に資していることに注意せよ)、他者の目につくような見せかけの「言」と「行」の辻褄合わせで両者を「連続的」に見せかけることにより己の仮面を真に受けさせようとしたのである。

 

 

実在の認識がなければ幻想や欺瞞のまやかしに誑かされる。

 

「自然法則は自然のなかにあってわれわれが道に迷うことなく、その過程に対処するのに無縁であったり混乱したりしないための人間の心理的な欲求である。このことは、絶えずこの欲求に対応し、またその折々の文化の状態に対応する自然法則のモティーフに明瞭に現われている。神話的、鬼神的、詩的であるのがまず最初の素朴な方向づけの試みである」(マッハ『認識と誤謬』)

 

古代人には天変地異などの自然現象はすべて何かしら鬼神の仕業のように思われたであろう。こうした原初的な「素朴な方向づけ」は人間心理の奥底に根ざしている。

 

    物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる(和泉式部)

 

夕闇の沢に仄かな美しい光を放ちつつ揺曳する蛍が人間に詩的な幻想や情念を自然に抱かせるのである。ゴキブリが出て来たってこんな詩的な情緒はとうてい湧いてこないであろう。もっとも、沢の蛍を単に己の内部の「我が身よりあくがれいづる魂かとぞみ」て幻想的な情緒に浸っているかぎりは差し支えないが、たとえばもしそれを何かしら己の外部の実在めいた人の「魂」そのものだと主張するとしたら、まやかしであり、欺瞞的であろう。単なる迷妄でないとすれば。ともあれ、その蛍を捕獲するか、最後までその行方を追跡してみれば済むことであろうが。

人は現実に起こりうることとそうでないことを徐々に認識していく以外にない。いかな「選り抜きの認識者、奥義を伝授された者」といえども実在についてほんの一端を知りうるにすぎない。また、心理のような内的な実在と自然のような外的な実在の区別もあり、その認識方法も錯綜した区々たるものである。

 

「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。ともかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に馳け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった」(小林秀雄『モオツアルト』)

 

ここには驚くべき奇怪なことが語られている。「突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った・・・・・・それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。・・・・・・僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた」。ここに最大の疑惑がある。自ら意図的に楽曲を頭の中で奏でることはできるし、無論その場合は脳内で現実に音が鳴っているわけではなく、かつて聴いたことのある曲を意図的に思い出したり、新たに曲を意図的に想像して奏でているわけであり、だからいつでも意図的に演奏を中止することができるわけである。ところが、小林の場合は既知のモーツァルトの「ト短調シンフォニイの有名なテエマ」の一小節のみが「自分で想像し」たわけでもなく「突然・・・・・・頭の中で鳴った」、「僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った」というのである。このようなことが果たして現実にありうることであろうか。

外部のどこからかレコードやラジオの演奏が聞こえてきたということなら分かるが、「ト短調シンフォニイの有名なテエマ」のほんの一節のみが「突然・・・・・・頭の中で鳴った」というのだから、そういうことではないわけである。外部から聞こえてくるのではなく、頭の中で曲を聴いているなら、その曲の展開を思い出したり考えながらそうするわけである。だが、小林の場合は曲の一節のみが何ら曲の展開を考えることもなく一節丸ごと「突然・・・・・・頭の中で鳴った」というのである。「僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った」とは、頭の中に極小の楽団がいて演奏しているようなものだが、無論そんな御伽噺みたいなことは決してありえない。

頭の中で奏でる曲を聴く場合は、曲の展開や進行を意図的に思い出したり考えながら耳を傾けるわけで、この場合は聴覚器官を用いて聴いているわけではない。もし脳細胞が現実に音を出しているとするなら、たとえば頭蓋に聴診器でもあてれば他者の耳にも聞こえることになるが、そんな荒唐無稽なことは無論ありえようもない。

 

「聴取可能な範囲内である未知の旋律が演奏されている場合は、われわれはその旋律がどう展開するか知らずに聴いているが、それに対し、頭の中である旋律が奏でられる場合には、われわれはその旋律がどう進行するのか知らないと述べることはできない。・・・・・・人がある旋律を正確に口笛で吹いたり頭の中で奏でたりするにもかかわらず、その旋律がどう展開するのか分からないなどと言うことは許されない。なぜならそうしたことを行なうこと自体そもそもその旋律がどう展開するかを知っていることに他ならないからである」(ライル『心の概念』)

 

ところが、小林の場合は、「道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った・・・・・・僕がその時、何を考えていたか忘れた」が、「人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていた」ときに「ト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」と言うのであり、「それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。・・・・・・僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚」いたと言うのだから、彼のそのときの思惑や思考などの脳活動とは何の脈絡もなく、楽曲がまったく独立して勝手に脳活動に割り込んで演奏されたことになるが、そんなことは現実には決してありえないことである。

小林はかつてレコードかラジオでベルリン・フィルかボストン・フィルかいずれどこかの楽団がモーツァルトの四十番交響曲を演奏しているのを聴いたことがあるわけであろうが、その演奏をどんなに鮮明強烈に記憶していようと、あとで頭の中で思い出して再現するときはそのままそっくり再現できるわけもなく、きわめて不充分、不鮮明なものにならざるをえまい。曲の全体を正確に思い出すこともできまいし、オーケストラのさまざまの楽器の音をそのまま再現することも不可能であろう。自ら意識的に曲の展開を思い出しつつ頭の中で奏でているはずである。ところが小林の言うところによれば、脳細胞が突然楽曲の演奏を勝手に始めて勝手にやんだということになるわけであり、これでは脳細胞の自動演奏ということになろうが、そんな奇怪なことがありえようか。

小林は「道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」と言う。「その時、何を考えていたか忘れた」が、「いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていた」とき、「突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」、「街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った」と言うのである。「やくざな言葉で頭を一杯にして」と言いながら「静まり返った僕の頭の中で」とは矛盾した奇妙な言いぐさであるが、とにかくそうして雑踏の街中をうろついていたときに「ト短調シンフォニイの有名なテエマ」が「僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に」「突然・・・・・・鳴った」というのであるから、彼の思惑や思考活動とは何の関係もなく出し抜けに楽音の一節が脳内に響き渡ったことになる。

外部から聞こえてくる音声なら当人の頭脳活動や思惑とは何ら関係なく当人の聴覚器官をふいに刺激するわけだが、己の頭の内部で己の思惑とは何の関係もなく突如楽曲が鳴り響いたというのだから、さながら脳内で小人の楽団が勝手に演奏したようなものだが、そんなことが現実にありうるわけがあるまい。

似て非なる体験について柘植俊一は次のように書いている。

 

「ベートーヴェン的単純美の最後を飾るものは一八一二年、彼の中期と後期の作風の転移点にあたり、一般的には端境期と思われている時期に突如現れた作品97のピアノ三重奏曲『大公』の第一楽章であろう。学生時代、街の雑踏と騒音の中で、どこかの店頭のラジオから流れて来る、ピアノによる、出だしの数音を初めて聴いたときの電気に打たれたような、総毛立つような感覚をいまだに忘れることができないのである」(『反秀才論』)

 

そして柘植はこの昔の経験を書いた文章を読んだ友人から、「小林秀雄の『モオツアルト』にも似たような場面のことが書いてあるよ、といわれ」て、小林の同作を人から借りて読み、次のように言うのである。

 

「小林秀雄の場合、感受性の中枢に電撃を与えたのはモーツァルトのト短調交響曲(四〇番)であるが、よく読んでみると、『この有名なテエマが頭の中で鳴った』というだけで実際に聞いたのではないのである。いわば、この衝撃は観念の産物なのである(我々の場合、どんな神経過敏の科学者でも観念が衝撃を与えることはあり得ない。衝撃を与えるものは事実、か反事実である。反事実とは絶対正しいと信じていたものがひっくり返るという事実である)。彼は早速どこかへ飛び込んでト短調交響曲をレコードで聞くが、もう先ほどの感激は得られなかった、とある」(柘植、前掲書)

 

柘植の場合は「どこかの店頭のラジオから流れて来る」楽曲を現実に聴覚器官で聴いているわけであるから、たとえそれまで未知の曲で初めて現実に耳にして感動することもありうるわけである。ところが、小林の場合は頭の中で彼の思考活動には何らお構いなく突如楽音が鳴り響くなどということがまずありえぬことであり、たとえ「頭の中で鳴った」と思い込んだにしても、それは要するに頭の中の柘植の言う「観念」の楽音なのであるから、そうした己自身の「観念」に衝撃や感動を覚えるというのも奇怪至極のことであり、しかも「百貨店に馳け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった」というのだから、己が脳内に再現する希薄たらざるをえない「観念」の楽音には感動するが、現実の豊かな楽音には感動しないというのだから、奇妙奇天烈なことである。小林の妄想でなければ、まやかし、誑かしのたぐいであろう。

 

 

フッサールは外的自然を対象とする物理学においてガリレイの登場によって生じたとされる「自然の数学化」について懸念を示している。要するに、数学が真の自然を、実在を、覆い隠す仮面のようにみなして、そこに「学問の危機」の一端を見ようとするのである。

 

「幾何学的空間に理念的に〈存在する〉ものは、そのすべての規定性について、あらかじめ一義的に決定されている。われわれの必当然的な思惟は、概念、命題、推論、証明というように段階的に無限へと進行しつつ、あらかじめ存在しているもの、それ自体すでに真理としてあるものを、ただ〈発見〉するだけである。・・・・・・無限の数学的地平の本来的な獲得と発見は、近世の初頭においてはじめて開始された。こうして代数学、連続体の数学、解析幾何学の端緒が生じる。・・・・・・新しい数学だけでことはとどまらない。やがてその合理主義は自然科学にも及び、自然科学に対しても数学的自然科学というまったく新しい理念を生み出す。すなわち、それ以来正当にも、ガリレイ的自然科学と呼ばれたものがそれである。・・・・・・

プラトン主義にとっては実在的なものは理念的なものに、その完全さの点で程度の差はあっても、あずかるものとされていた。このことが古代の幾何学の実在的なものに対する初歩的な適用を行なうことを可能にした。ところがいまや、ガリレイ的な自然の数学化によって、自然自体が新しい数学の指導のもとで、理念化されるようになる。自然自体が、近代的な表現を使えば、数学的多様体になるのである。このような自然の数学化の意味は何なのであろうか。・・・・・・

われわれはまず、〈純粋幾何学〉を、すなわち空間時間的諸形態一般の純粋数学を考察しよう。この学は古い伝統としてガリレイに与えられているが、絶えず活発な発展を遂げ、しかも一般的に言えば、〈純粋に理念的なもの〉の学として今日でも見られるのであるが、他方、それは感性的経験の世界に絶えず実際的に適用されているのである。アプリオリな理論と経験の入れ替わりは、日常的にもよく知られているため、われわれは普通、幾何学が語る空間や空間的諸形態と、経験的現実の空間や空間的諸形態とは、あたかも同一のものであるかのように分かちがたいものと考えがちである。・・・・・・直観的な環境世界において、われわれは単に時間空間的な形態に目を向けることによって、〈物体〉を経験する。それは幾何学的な理念的物体ではなく、われわれが現実に経験するまさにあの物体であり、現実の経験の内容をなす内容をもった物体である。われわれが想像のなかで物体をどんなに恣意的に変えて思い浮べようとしても、こうして得られるある意味で〈理念的〉な自由な可能性は、決して幾何学的に理念的な可能性ではない。すなわち、〈純粋な〉立体、〈純粋な〉直線、〈純粋な〉平面、〈純粋な〉形象、さらに〈純粋な〉形象のなかで起こる運動や変形といった、理念的な空間に描き込まれる、幾何学的に〈純粋な〉形態ではない。ゆえに、幾何学的空間とは想像された空間ではない。それは一般的に言えば、さまざまに想像しうる世界一般の空間ではない。想像はただ、感性的な形態を再び感性的な形態に変えうるにすぎない。・・・・・・理念的な形態に関心をもち、それを規定し、すでに規定したものから新たな形態を構成しようと努めるのが、われら〈幾何学者〉なのである。そして、時間の次元をも含んださらに広い領域に対しても、同様にわれわれは、〈純粋〉形態の数学者なのであり、その形態の普遍的形式もそれ自体、理念化された空間時間形式なのである。

現実に実践する代わりに――その実践は実際に行為するものであろうと、現実的で実際に可能な経験的物体に関する経験的可能性を考えるものであろうと――、われわれはいまやもっぱら純粋に極限形態の領域にとどまる〈純粋思惟〉の理念的な実践をもつことになる。この極限形態は、長い歴史を通じて形成され、相互主観的な共同作業によって行なわれる理念化と作図の方法によって、習慣的に使用できる成果となり、この成果によって、繰り返し新しいものが獲得される。すなわち、無限ではあるが、それ自体閉じた、理念的対象性の世界が、研究の場となるのである。・・・・・・こうした数学的実践において、われわれは経験的実践ではとうてい得られない〈精密さ〉に到達する。つまり、理念的形態に対しては、それを絶対的同一性において規定し、絶対的に同一的で、方法的に一義的に規定しうる性質の基体として認識する可能性が生じるからである。・・・・・・

ガリレイの時代にはすでに、単に地上の問題についてだけでなく、天文学にまで広く適用され、比較的発達していた幾何学は、ガリレイにとってはすでに伝統として与えられていたのであって、それを彼は経験的なものを数学的な極限理念へ関係させるさいの思考の手引きとして用いたのである。・・・・・・人は幾何学を学び、幾何学的概念や命題を〈理解〉し、はっきり定義された形象を取り扱い、紙に描かれた図形(〈模型〉としての)に応じた操作方法に習熟することになる。幾何学的明証性とその根源の〈いかにして〉とを問題にすることが、存在者の普遍的認識(哲学)の分枝としての幾何学にとり重要であり、むしろ基礎的に重要であるなどということは、ガリレイほどの人にとっても思いも及ばぬことであった。・・・・・・

ここでわれわれが見ようとするのは、あらゆる通例の幾何学的研究を動かしている素朴さのうちに、アプリオリな明証性として受けとられた幾何学が、どのようにしてガリレイの思考を規定して彼の生涯の仕事において初めて生じたような物理学の理念へと彼の思索を導いていったか、ということである。・・・・・・ところで、この純粋数学全体の関わるのは、単なる抽象性における物体と物体の世界、すなわち空間時間性における抽象的な形態であり、しかもそれは、純粋に〈理想的〉な極限形態としての形態なのである。・・・・・・

経験的直観のあらゆる契機はこの世界の何ものかを告知している。たとえば感性的性質のように、空間時間的形式とその可能的特殊形態を取り扱う純粋数学のなかでは捨象されてしまい、直接には数学化されないような契機でも、間接には数学化されるならば、それ自体において存在するこの世界は、われわれの客観的認識にとらえられるものとなろう。そこで問題は、間接的な数学化とは一体何を意味するか、ということである。

われわれはまず、物体の特に感性的性質の側面においては、なぜ直接的な数学化が原理的に不可能であるか、というその深い根拠を考えてみよう。

この性質もまた、程度性を有するものとして現われる。ある意味では、感性的性質やすべての程度性にも、測定――たとえば、冷暖とか、粗滑とか、明暗の〈量〉などの〈評価〉――が可能である。しかし、この場合には、精密な測定があるわけではない。つまり、精密さと測定方法を高めるわけにはいかない。今日われわれが、測定とか、測られる量とか、測定方法とか、あるいは量そのものについて語るときには、常に理念的なものに関係した〈精密なもの〉を考えるのが普通である。そのさい、どうしても必要な内容的充実を抽象して取り出すことがいかに困難にせよ、つまり、普遍的な形態の世界がもたらす普遍的な抽象に匹敵する普遍的抽象性において、物体世界をもっぱら〈特殊な感性的性質〉と呼ばれている性質の〈側面〉に関してだけ観察しようと試みることがいかに困難であるにせよ、前述したような意味の精密性を考えるのが普通である。・・・・・・

ところで、あらゆる物体はそれぞれ特殊な感性的性質をもつ、ということが世界の構造なのである。しかし、純粋にこの感性的性質に基づいている質的な布置は、決して空間時間的形態の類比物ではなく、その形態に固有な世界形式に組み入れるわけにもいかない。その質の極限形態は(空間時間的形態の場合と)類比的な意味で理念化されうるものではなく、その測定は、構成しうる世界すなわち理念的なものへと客観化されてしまった世界に対応する理念的なものへ関係づけるわけにもいかない。かくして、ここでは〈近似的接近〉という概念も、数学化しうる形態の領域の場合と類比的な意味を、すなわち客観化する操作という意味をもつわけではない。・・・・・・

純粋な客観的認識の分野としての数学、これこそガリレイにとって、否、彼以前でさえも、哲学的世界認識と合理的実践に対して〈近代人〉を動かす関心の焦点をなすものであった。幾何学、すなわち形態数学が理念的でまたアプリオリであるとして、そのなかに包括する一切に対して測定方法がなければならない。もしわれわれが前述した個々の経験を追跡し、そこで応用幾何学を適用しうると仮定されるものを実際に測定し、それと対応する測定方法を開発するなら、具体的世界全体は数学化しうる客観的世界であることを示さなければならない。もしわれわれがそれをするなら、特に質的な出来事の側面も間接的にともに数学化されねばならない。・・・・・・

これまでわれわれが到達したかぎりでは、直観的世界においては日常的経験にあらわれているがその無限性においては隠されている普遍的帰納性が支配している、という一般的思想、より厳密に言えば一般的仮説が得られたにすぎない。もちろんガリレイにとってはこうした仮説は仮説として理解されてはいなかった。彼にとっては、物理学はそのままほとんど従来の純粋数学および応用数学とほとんど同程度に確かなものであった。彼にとり、その物理学は同時に実現の方法的手順をもあらかじめ指示するものなのである。・・・・・・

仮説はそれが確証されるにもかかわらず依然として永遠に仮説であるにとどまる。確証(それが仮説にとって考えうる唯一のものであろうと)は多くの確証の無限の歩みなのである。無限へ向かっての仮説であり、無限へ向かっての確証であるというのが自然科学に固有の本質であり、アプリオリに自然科学のあり方なのである。・・・・・・

すでにガリレイにおいて行なわれていたことであるが、数学的に基礎づけられていた理念的なものの世界が、われわれの日常的な生活世界に、すなわち唯一の現実的世界、現実に知覚によって与えられそのつど経験され、また経験しうる世界に、すり替えられていたことに注意することが重要である。このすり替えは、ただちにその後継者たちに、続く数世紀の物理学者たちに受け継がれたのである。純粋幾何学に関してはガリレイ自身も継承者であった。・・・・・・

われわれはこの世界を、既知であると未知であるとを問わず、すべて実在的なものの世界としてとらえている。現実に経験する直観の世界であるこの世界には、そこに編み込まれるべき物的形態を伴った空間時間的形式が帰属し、われわれ自身も、われわれの肉体的、人格的なあり方に従ってその世界のなかに生きている。しかしそこでは、われわれは幾何学的、理念的な何ものも見出すことはない。すなわち、さまざまの形態をもった幾何学的空間とか数学的時間とかを見出すことはない。このことは陳腐なことではあるが、重要な指摘である。ところがこの陳腐な事柄が、精密科学によって、しかもすでに古代の幾何学以来、切り捨てられている。・・・・・・

幾何学的および自然科学的な数学化の場合には、われわれは、無限に開いた可能的経験のうちで、生活世界――われわれの具体的生活のなかで絶えず現実的なものとして与えられている世界――に合わせて、いわゆる客観的科学的真理という、ぴったり合った理念の衣の寸法を取るのである。・・・・・・〈数学および数学的自然科学〉という理念の衣――あるいは記号の衣、記号的、数学的理念の衣と言ってもいいが――は、科学者と教養人にとっては、〈客観的に現実的な真の〉自然として、生活世界の代わりをし、それを覆う一切を包み込む。この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを、真の存在であるとわれわれに思い込ませる」(フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』)

 

要するにフッサールが懸念しているのは、「われわれは普通、幾何学が語る空間や空間的諸形態と、経験的現実の空間や空間的諸形態とは、あたかも同一のものであるかのように分かちがたいものと考えがちである」という点であり、「無限へ向かっての仮説であり、無限へ向かっての確証であるというのが自然科学に固有の本質であり、アプリオリに自然科学のあり方なのである」にもかかわらず、「ガリレイにとってはこうした仮説は仮説として理解されてはいなかった。彼にとっては、物理学はそのままほとんど従来の純粋数学および応用数学とほとんど同程度に確かなものであった」ということ、こうして自然科学、特に物理学の発展とともに、「〈数学および数学的自然科学〉という理念の衣」が現実の世界を、実在の姿を覆い隠し、「この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを、真の存在であるとわれわれに思い込ませる」のではないかということである。純粋幾何学、純粋数学という「理念の衣」が実在を覆い隠すいわば仮面になっているのではないかというのである。

だが、こうしたフッサールの考えに対しては次のような批判がある。

 

「この〈数量化〉とはどういうことなのか。それについて現在なお多くの誤解がある。その中の一つは、数量化とは具体的な現実を数学的に抽象したもの、いわば具体的世界を数学的に理論化することである、という誤解である。またこの誤解に結びついて、数量化とは事物の数量的側面だけに着目し、質的な側面を無視して切り捨てるものである、という誤解である。

はじめの方の誤解はガリレイもよく知っており、『天文対話』の中でシムプリチオにそれを語らせている。〈これらの数学的精妙さも抽象的に真実であるだけであって、感覚的また自然的物質に適用しては対応しないからです。というのは、なるほど数学者はその公理でもって、たとえば球は面と一点で接するという・・・・・・命題を証明するでしょうが、しかし物質になれば事態は異なってきます〉。驚くべきことにこれから三百年の後、二〇世紀最大の哲学者の一人、エドムント・フッセルがこれを繰り返すのである。しかもガリレイを論評する箇所でである。〈われわれが現実に経験する・・・・・・現実の経験の内容をなす内容をもった物体は・・・・・・《純粋な》立体、《純粋な》直線、《純粋な》平面、《純粋な》図形、・・・・・・といった、理念的な空間に描き込まれる、幾何学的に《純粋な》形状ではない〉、と。彼にとっては幾何学は〈経験的実践ではとうてい達しえない《精密さ》に到達〉しているところの《理念的な極限形態》なのであり、ガリレイはその幾何学をただ《経験的なものを数学的な極限理念へ関係させるさいの思考の手引きとして用いた》だけなのである。

しかしガリレイは、そうではない、とシムプリチオに答えているのである。〈君のいわれるのは球でない球、平面でない平面なので〉あり、だから〈じつは完全でない球を完全でない平面にくっつけ、そして一点では接しないといわれるのです。・・・・・・だから具体的に生じることは同じ仕方で抽象的にも生じるのです〉。〈ですから誤りは抽象的なものにも具体的なものにもなく、幾何学にも自然学にもなく、正しい計算をなし得ない計算家にあるのです〉。

つまり、経験世界に完全な球体の物体がないということ――それはおそらく正しい――から、経験世界の物体はすべて幾何学的には〈不正確〉な形状である、というのは全くの大間違いだ、ということなのである。〈大理石の塊から完全な四面体や完全な馬や完全なバッタを作る〉ことはまず誰にもできまい。しかしだからといって、角砂糖や馬やバッタが〈不正確〉な形だということは意味をなさない。それらは〈非常に複雑な〉幾何学的形状なのであり、それを〈正確に〉大理石で模造することはできない、ということなのである。そしてシムプリチオやフッセルがいう〈純粋な〉形状とは実は〈簡単極まる〉形状なのであって、そういう単純な形をしたものはこの複雑な現実世界にはまずない(プロトンや電子の形がどうであるかは知らないが)、というだけのことなのである。・・・・・・

フッセルは、ガリレイやデカルトの〈数学化〉の主要道具であった幾何学を考察の中心に置いたのである。そして彼は幾何学を、日常生活の中の様々な事物の感覚的な形や大きさ、また土地や家屋の測量とは原理的に違った抽象的な体系だと考えた。幾何学の空間と、日常経験の空間とは根本的に違った性格のものだと考えたのである。〈われわれは普通、幾何学が語る空間や空間的諸形態と、経験的現実の空間や空間的諸形態とは、あたかも同一のものであるかのように、分ちがたいものと考えがちである〉。しかし、〈われわれが現に経験する・・・・・・物体は《純粋な》立体、《純粋な》直線、《純粋な》平面、《純粋な》図形、・・・・・・といった理念的な空間に描き込まれる、幾何学的に《純粋な》諸形態ではない〉のである。〈ゆえに幾何学的空間とは、〔視覚的、触覚的、つまり経験的に〕想像された空間などではない〉。この〈純粋幾何学〉が〈かゝわるのは・・・・・・空間時間性における抽象的な形態であり、しかもそれは、純粋に《理想的》な極限形態としての形態なのである〉。

だからガリレイ・デカルトが、自然をこの〈純粋幾何学〉で表現したということは、〈自然自体が・・・・・・理念化され・・・・・・数学的多様体になる〉ことであり、〈数学的宇宙としての自然〉となったことである。このことにフッセルは彼らの知的革命の核心を見たのである。

しかし私はフッセルの見方に賛同できない。第一に、純粋幾何学(ここでは抽象的な公理系ではなく、たとえば中学、高校で習うユークリッド幾何学を考えていい)の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である。暮らしの空間の中にこそ〈純粋〉な図形がある。ただ直線だとか平面だとかいう〈単純な〉図形はまず見当たらないが、〈複雑極まる〉純粋な図形(たとえばあなたの体やあなたの机)に満ちているのである。このことはすでにガリレイが指摘した点であり、またデカルトが強調した点でもある。それはデカルトが空間と物体とを同一視したことから当然であろう。〈延長〔長さ、幅、深さをもつ〕というのは、他から独立な、主体〔その延長をもつ物体〕そのものから離れた、或るもの、を指すのでなく、さような哲学的存在を我等はこの世界に認めない〉(デカルト『精神指導の規則』)。〈物体的実体を延長や量から区別する場合、その人々は実体ということばの意味が何もわかっていないか、それとも、非物体的実体の混乱した観念だけをもっている〉(デカルト『哲学原理』)のである。デカルトは机や椅子とは別な〈幾何学的空間〉などは妄想だというのである。そして私はデカルトが正しいと思う。・・・・・・

これからわかるように、フッセルは〈数学化〉ということに厳密な、しかしまことに奇妙な意味を与えている。具体的で経験的な現実世界から出発するが、しかしそれとひどくかけ離れた抽象的世界、この抽象的な世界の構築を彼は〈数学化〉と呼ぶのである。そしてこの抽象的な〈数学化〉の独り歩きを現代思想の〈危機〉とし、現実生活の世界とのもともとのつながりを回復せよ、というのである。

しかし私には、フッセルは自分で幽霊を作り上げてそれとたたかっているように見える。ガリレイ・デカルトの自然学も現代科学も、フッセルのいう意味で抽象化され、数学化されてはいない、と私には思われる。現代物理学は素人には解らない高度の数学を使うが、しかしそれは道具としての数学であって、現代物理学が描く対象はこの日常世界のテレビ受信機であり溶鉱炉や原子炉であり、投手の投げる球の運動なのである」(大森荘蔵『知の構築とその呪縛』)

 

一体これは妥当なフッサール批判であろうか。

フッサールの言うところにも曖昧な部分があり、大森の反論にも微妙な誤解や誤読があって、事態は少々錯綜しているのだが、ここで何よりも問題なのは大森がユークリッド幾何学などの「純粋幾何学の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」と手もなく考えていることである。だからこそ大森は、「われわれは普通、幾何学が語る空間や空間的諸形態と、経験的現実の空間や空間的諸形態とは、あたかも同一のものであるかのように分かちがたいものと考えがちである」ことに警告を発するフッサールを批判し、彼が「幾何学の空間と、日常経験の空間とは根本的に違った性格のものだと考えた」として異を唱えるのである。

ところが、そうした大森の考え方に対してこそ、フッサールは警告を発しているのである。

幾何学はむろん数学である。純粋幾何学は純粋数学である。ユークリッド幾何学は純粋数学である。したがって幾何学的空間は数学的空間であり、それは理念的な空間であって、現実の実在的な空間ではないのであり、だからこそフッサールは「われわれは普通、幾何学が語る空間や空間的諸形態と、経験的現実の空間や空間的諸形態とは、あたかも同一のものであるかのように分かちがたいものと考えがちである」ということを指摘し、警告しているのであり、「すでにガリレイにおいて行なわれていたことであるが、数学的に基礎づけられていた理念的なものの世界が、われわれの日常的な生活世界に、すなわち唯一の現実的世界、現実に知覚によって与えられそのつど経験され、また経験しうる世界に、すり替えられていたことに注意することが重要である」と言うのである。

 

「空虚な空間を表象することは不可能である。移り変わる物体の姿を除き去った純粋空間を想像しようと努めるならば、われわれの到達する表象は、たとえば極彩色の面が淡彩の線に置き換えられるという程度のものにすぎない。この方向に最後まで押し進めていけば、すべては消え失せて虚無に終わるほかないであろう。解消しがたい空間の相対性が出てくる所以はここにある。誰であろうと、絶対空間について語る者があれば、それは意味のない言を弄するものである。これはこの問題を反省したことのあるすべての人によって以前から言い古された真理であるが、われわれはこれをあまりに忘れがちである」(ポアンカレ『科学と方法』)

 

われわれは実在の空間がどういうものかをよく知らないのである。そこにはどのような未知の力が働いているか、どのような未知の物質が存在しているか、どのような性質や構造をもっているか、よく分からないのである。幾何学空間はそういうものではない。未知にせよ既知にせよどんな物質も力もそこにはないのであり、未知の性質も何もないのである。「われわれの感官がわれわれに示しうる空間は、幾何学でいう空間と絶対に違うものである。・・・・・・幾何学の原理は規約にすぎない」(ポアンカレ『科学と仮説』)。そもそも大森のように「純粋幾何学の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」と簡単にみなしていること自体が、子供の頃から学校教育で幾何学的図形を実在的空間の形態になぞらえて両者の区別なく教え込まれることによる安易な思い込みの誤解なのであり、錯覚なのである。もしも「純粋幾何学の空間」と「日常われわれが生きている暮らしの空間」つまり現実の空間が「同一の空間である」としたら、それは数学的空間と実在的空間を同一視することであり、要するに数学と実在を同一視していることになるのである。

実在と数学の関係についてはアインシュタインの簡潔な言葉がある。

 

As far as the laws of mathematics refer to realitythey are not certainand as far as they are certainthey do not refer to reality.”

 

ユークリッド幾何学のような数学は別に実在に関わる要はないのであるが、しかし、実在に適用したり、実在に関わる物理学に応用することはできるのである。実在は確定したものではないため、物理学の法則は常に仮説であり続けるのであり、したがって「物理法則にはひとつとして厳密なものはない。その限界には常に神秘の影がつきまとい、議論の余地が残っている。・・・・・・数学的厳密性というものは物理学ではそれほど役に立たない」(ファインマン『物理法則の特性』)のである。物理学の記号にはすべて現実的な意味がなければならないが、数学記号にはその必要はないのである。

大森はフッサールを批判しているつもりで、「経験世界に完全な球体の物体がないということから、経験世界の物体はすべて幾何学的には〈不正確〉な形状である、というのは全くの大間違いだ」と言っているが、しかし「経験世界の物体はすべて幾何学的には〈不正確〉な形状である」というのはフッサールの言葉ではない。フッサールはそんなことはどこにも言っていない。大森は恐らく「われわれが現実に経験する・・・・・・現実の経験の内容をなす内容をもった物体は・・・・・・〈純粋な〉立体、〈純粋な〉直線、〈純粋な〉平面、〈純粋な〉形象、さらに〈純粋な〉形象のなかで起こる運動や変形といった、理念的な空間に描き込まれる、幾何学的に〈純粋な〉形態ではない」というフッサールの言葉から、フッサールが現実世界の「物体はすべて幾何学的には〈不正確〉な形状」だと考えているものとみなしているようだが、それは大森のまったくの誤解である。フッサールの言う意味はそういうことではない。フッサールが幾何学的な形態について「純粋な」とか「極限的」とか言うのは、「理念的」ということであって、なにも幾何学的形態が「正確」で「経験世界の物体」が「不正確」だということではないのである。両者はまったく別ものだということなのである。

ユークリッド幾何学は数学であり、数学的幾何学(これはトートロジーめいているが、物理学に応用される幾何学を物理的幾何学として区別するための用法である)であって、それは公理や公準といった規則の上に論理的に構築された「理念的」なものであり、「理念的な形態に関心をもち、それを規定し、すでに規定したものから新たな形態を構成しようと努めるのが、われら〈幾何学者〉なのである。そして、時間の次元をも含んださらに広い領域に対しても、同様にわれわれは、〈純粋〉形態の数学者なのであり、その形態の普遍的形式もそれ自体、理念化された空間時間形式なのである」。それに対して、「われわれが現実に経験する・・・・・・現実の経験の内容をなす内容をもった物体は・・・・・・理念的な空間に描き込まれる、幾何学的に〈純粋な〉形態ではない」のである。

フッサールが言うように、「〈純粋幾何学〉は・・・・・・〈純粋に理念的なもの〉の学」なのである。もし大森の言うように「純粋幾何学(ここでは・・・・・・ユークリッド幾何学を考えていい)の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」としたら、つまりユークリッド幾何学の空間が現実の空間と同一であるとしたら、ユークリッド幾何学において三角形の内角の和が二直角であることは明々白々のことなのに、たとえばガウスが現実空間における三つの山の頂上を頂点とする三角形の内角の和を確かめようとわざわざ実地測量した意味が分かるまい。

 

「ガウスは、空間の経験的研究によってのみ、どんな性質の幾何学が空間を最もよく示すかを明らかにしうる、ということを明瞭に意識した最初の人であった。ひとたび非ユークリッド幾何学が論理的に矛盾なく成立しうるということが分かると、われわれは経験的テストをしないでは、どちらの幾何学が自然界に適合するかということをもはや言うことができないのである」(カルナップ『物理学の哲学的基礎』)

 

大森は「純粋幾何学(ここでは・・・・・・ユークリッド幾何学を考えていい)の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」と言いながら、「現代物理学は素人には解らない高度の数学を使うが、しかしそれは道具としての数学」であると言っているが、これは矛盾している。一方では「純粋幾何学」などの数学を「日常われわれが生きている暮らしの空間」という実在と同一視していながら、他方では数学を実在認識の「道具」だとしているからである。

この点の矛盾に大森が気づいていないところに問題があるのである。

あるいは大森は「純粋幾何学」という言葉で「理念的」なものとしての数学的幾何学つまり純粋数学を意味しておらず(というのは奇妙にも「純粋幾何学」を「ここでは抽象的な公理系ではなく」と言っているからである)、それを「中学、高校で習うユークリッド幾何学」とみなし、つまり「ユークリッド幾何学」を学校教育で幾何学的空間を実在的空間になぞらえて両者の区別なく教え込まれているような「幾何学」とみなしているため、「われわれの感官がわれわれに示しうる空間は、幾何学でいう空間と絶対に違うものである」(ポアンカレ)という認識が欠落してしまい、「純粋幾何学の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」と考えたのかもしれない。だが、その場合には、大森の言う「純粋幾何学」や「ユークリッド幾何学」の空間は現実の空間と重複してしまうことになり、ほとんど同じような幾何学空間を単に別の表現で言い換えているにすぎないことになる。つまり、この場合には、大森の論はほとんど無意味なものになろう。

いずれにせよ、そもそもフッサールが「純粋幾何学」は「〈純粋に理念的なもの〉の学」とか「空間時間的諸形態一般の純粋数学」であると言っているのに、それを大森が「純粋幾何学」を「ここでは抽象的な公理系ではなく、たとえば中学、高校で習うユークリッド幾何学を考えていい」と言うこと自体がおかしいのであり、知ってか知らずか問題点のすり替えなのである。フッサールを曲解して批判しても始まらないのである。畢竟、「純粋幾何学(ここでは抽象的な公理系ではなく、たとえば中学、高校で習うユークリッド幾何学を考えていい)の空間は日常われわれが生きている暮らしの空間と同一の空間である」と思っている大森は、フッサールの言う「諸学の危機」がどういうことなのかまったく分からないのである。

 

XX

 

『仮面の告白』によって職業作家として戦後社会に出発した三島は、以後精力的に作家活動に励むことになる。

戦後数年間の焼け跡と闇市の荒廃した混乱期について三十歳の三島はこう振り返っている。

 

「カッとした夏の日のなかを、日光に顔をさらして歩くのが好きだ。どこまでもこうして歩きたいと思う。そうして歩いていると、戦後の一時期、あの兇暴な抒情的一時期のイメージが、いきいきとよみがえって来る。

夏という観念は、二つの相反した観念へ私をみちびく。一つは生であり活力であり、健康であり、一つは頽廃であり腐敗であり、死である。そしてこの二つのものは奇妙な具合に結びつき、腐敗はきらびやかな心象をともない、活力は血みどろの傷の印象を惹き起す。戦後の一時期は正にそうであった。だから私には、一九四五年から四七、八年にかけて、いつも夏がつづいていたような錯覚がある。

あの時代には、骨の髄まで因習のしみこんだ男にも、お先真暗な解放感がつきまとっていた筈だ。あれは実に官能的な時代だった。倦怠の影もなく、明日は不確定であり、およそ官能がとぎすまされるあらゆる条件がそなわっていたあの時代。

私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、あの時代とまさに『一緒に寝て』いた。どんな反時代的なポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていたのだ。

それに比べると、一九五五年という時代、一九五四年という時代、こういう時代と、私は一緒に寝るまでにいたらない。いわゆる反動期が来てから、私は時代とベッドを共にしたおぼえがない」(『小説家の休暇』)

 

戦後の混乱状態の一時期は、さまざまの煩わしい既成の枠が取っ払われていたから、先の見通しは立たなかったにせよ、人々はただ生きることが最優先にされて内的外的な閉塞感からは免れていたため、「お先真暗な解放感」がみなぎっていたわけである。とはいえ三島は「あのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、あの時代とまさに『一緒に寝て』いた。どんな反時代的なポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていた」のである。「外の社会はアラシのようで、文壇はまた、疾風怒濤の時代を迎えていた。・・・・・・戦後の社会は、たちまち荒々しい思想と芸術理念の自由市場が再開し、社会が自らの体質に合わないものは片っ端から捨ててかえりみない時代になったのである」(『私の遍歴時代』)。このようないつ何が起こるか分からない一種不穏なカオス的状況に三島の夢想的ロマン主義的心情は共鳴し、「心の内には悪徳への共感と期待がうずま」いていたのであるが、それはしかしただドラマティックな幻想を紡いで喜ぶだけの夢想的な傍観者としてであって、現実に己の身に危険が及ぶことは御免被りたかったのである。戦時に「美しい夭折」や「英雄的な死」に憧れて、「どうせ兵隊にとられて、近いうちに死んでしまうのである。それを想像すると時々快さで身がうずく」と自己愛や自己美化の夢想に耽っていながら、「でも、よく考えると死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と実際には思っていたのと同じことである。

三島は中学生の頃に『凶ごと』と題した詩を書いている。

 

わたくしは夕な夕な

窓に立ち椿事を待つた、

凶変のだう悪な砂塵が

夜の虹のやうに町並みの

むかうからおしよせてくるのを

 

こうした胸をわくわくさせるような椿事の空想が楽しいのであり、またそうした意味を表わす言葉を紡ぎ出して言表するのが喜びなのであって、実際に「凶変のだう悪な砂塵が・・・・・・町並みのむかうからおしよせて」きたら、単に夢想を楽しんでいたにすぎなかった彼は逃げ出したことであろう。現実の三島は「悲劇的な勇敢さや、挫折をものともせぬ突進の意欲や、幻滅をおそれぬ情熱や、時代と共に生き時代と共に死のうとする心意気や、そういうものがまるきり欠けてい」たのであり、特に戦後の彼は戦時に「英雄的」な「美しい死」を憧憬賛美しながら土壇場で「その美を裏切る」ような真似をしてしまったことからそう自覚せざるをえないのである。

 

「今になって考えると、当時は創作にみのりの多い時代というよりも、わが近代文学史上未曾有の『批評時代』で、まだ批評的頭脳ができあがらないヒヨコの私が、感覚で物を言い、感覚で判断していたのでは、すべてがチンプンカンプンだったのは当然である。そしていわゆる戦後文学時代は、各派相互の対立は兆していたとはいえ、何らかの意味で『我世の春』を信じた人たちの時代であった。

そういう各派の中では、はじめ私が比較的親近感を持ったのはマチネ・ポエティックの流派であった。戦争中に大事に守ってきた美的教養が、敗戦でオジャンになり、新円切り替えで財産を凍結されたような気分になっていた私は、今時通用するとも思われなかったそういう『季節はずれ』の美的および詩的教養を堂々とふりかざして、踊り出てきたこの人たちに、拍手を吝しまない気持ちであった。・・・・・・

しかし見ているうちに、この人たちの動きはなかなか政治的になり、みんな堀辰雄氏の弟子ときいていた私は内心おやおやと思った。・・・・・・マチネ・ポエティックの人たちの詩的な衣装と、文壇的な動きとの間に、ある不調和が感じられたことは否めない。加藤周一氏と中村真一郎氏にはじめて会ったのは、たしか『光』という雑誌の座談会で、読者代表みたいな女性も何人かいて、大して文学的な座談会ではなかった。私は加藤氏の検事のごとき眼玉に怖れをなし、この人が何か一言言うたびに、教員室で悪戯小僧がしかられているような気がした。・・・・・・

当時の私は、何でも直感的に、断定的に、手続きなしに物事を主張するという、始末に負えない非論理的な習性を固持していた。・・・・・・

マチネ・ポエティックの仕事では、私は特に福永武彦氏や窪田啓作氏の仕事に好意を持ったが、『方舟』という雑誌のあからさまなフランス臭には反感をおぼえた。そういうフランス臭も堀辰雄氏の作品のように自家薬籠中のものになっていればよいが、マチネ・ポエティックは先鋭な批評活動の槍の先に三色旗がひるがえっているので、一そう臭味が強まったように思われる。たとえば、フランスの小説家の政治的関心の強さなどを彼らがいかに賛美しようと、フランスはフランス、日本は日本じゃないか、という考えは私に牢固としてあった。

それでも当時を回想するのに、私はもう少しこの人たちと熟した会話ができるまで、自分が成長していればよかったのに、と思うことがある。私は折角法学士になりながら、自分の論理的欠陥を承知しており、言説のみならず、小説の制作の上でも、もっと、もっと、もっと、論理的にならなければいけないと自分を叱咤していた。そういう点では、私はあるいは無意識のうちに、これらいけすかないキザな兄貴分から、それなりの影響を受けていたのかもしれない」(『私の遍歴時代』)

 

それまでの三島は主として日本の王朝文学や泰西浪漫派の文学以外の読書はほとんどしていなかったし、自己美化の夢想を紡いでくれるようなもの以外にはさして興味もなかったのであり、また政治や経済の現実的事柄や政治思想など社会科学関係の読書にもほとんど関心を寄せていなかったのであるから、戦後社会の価値混乱期の「疾風怒濤の時代」および「わが近代文学史上未曾有の『批評時代』」において、相変わらずそうした己の抒情的ロマン主義的感受性や嗜好に頼って「何でも直感的に、断定的に、手続きなしに物事を主張するという、始末に負えない非論理的な習性を固持していた」当時の彼が、たとえば「マチネ・ポエティックの人たち」やその他の作家や評論家たちとの座談会などで、「感覚で物を言い、感覚で判断していたのでは、すべてがチンプンカンプンだったのは当然である」わけである。

当時のことについてはまた、自決一週間前の昭和四十五年十一月十八日になされた古林尚との対談で三島は、「ぼくはノンポリというのか、政治的には盲目でしたから、戦後の政治的な潮流がよく理解できなかったんです。政治的な発言をしようとするとシドロモドロで、実にお恥ずかしい次第だったし、それで一種の逃げ道として芸術至上主義者を気どることにしたんです。・・・・・・『近代文学』の人たちは、戦争批判や、政治と文学の問題についての発言などをさかんにやっていました。ぼくは、マチネ・ポエティックにもはいれないし、『近代文学』にもはいれない。というより、バカにされていたわけですよ。そして、バカだと見られているうちにいろんなことがあって、小田切秀雄さんに地下鉄の中で、共産党に入党しないかと誘われたりしました。それで、共産党じゃなしに、『近代文学』のほうへはいったんです」(『三島由紀夫 最後の言葉』)と語っているが、これは正直な述懐であろう。

 

昭和二十四年七月には図書新聞の「談話」で『仮面の告白』について「これはヘドである」と発言している。無論、その発言は「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する三島がその「告白」で己の「醜かった」過去を、己の本当の「恥部」を、吐き出してしまったことを意味しているわけだが、『仮面の告白』のテクストが表面上はいかにも「同性愛者の告白」のようにあからさまに見せかけているため、彼の言う「ヘド」の意味を「同性愛」を告白してしまったことだと勘違いする向きも多かろうが、それはまったくの頓珍漢な誤解というものである。最早ここではくどくど説明するまでもないことであろうが、彼が人目にさらしたくない己の「醜かった」部分を吐き出し公表したものが同性愛者「私」の最も恥じる「同性愛」であるとしたら、何より自己美化や自己栄化を志向する彼が出版社の長編小説執筆依頼に対して「今ぜひ書きたい長編がある」と返答して、堂々と「同性愛者の告白」に見せかけた『仮面の告白』を嬉々として執筆しうるわけがあるまい。己の真の「恥部」を、「醜かった」と慙愧する己の過去の真の「恥部」を、己の人生最大最深の「恥部」を、表面的な仮面の「恥部」すなわち同性愛をダシにして無答責に取り繕うことを企んだ「仮面の告白」だからこそ、『仮面の告白』は彼にとり「今ぜひ書きたい長編」だったのである。

同性愛は彼にとり何ら「恥部」でも「ヘド」でもない。彼が『仮面の告白』について「これはヘドである」と言う意味は、同性愛という仮面の「恥部」を利用して欺瞞的に取り繕っているにせよ、己の「醜かった」過去の真の「恥部」の実態(入隊検査で嘘を吐いて必死に兵役逃れをしたことなど)を「告白」し、公表してしまったからである。同性愛の仮面の背後で「醜かった」と慙愧する己の恥辱的な過去について、己の真の「恥部」について、ある程度「真実な告白」をしてしまったからである。その「恥部」の「真実な告白」をしつつ、それを無答責に取り繕うためにこそ同性愛者の仮面をかぶったのであり、この仮面をかぶらないかぎり「醜かった」過去の「真実な告白」はできないのである。「仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・仮面だけがそれを成就する」わけであるが、仮面の「論理」と「心理」で無答責に取り繕うためには己の恥辱の「真実」をとにかく示さざるをえなかったため、『仮面の告白』について「これはヘドである」と彼は言ったのである。

つまり、戦時に神風特攻隊を「悲劇的」で「英雄的」な「美しい死」を遂げたとして憧憬賛美していた自分が、入隊検査で「むきになって軍医に嘘をつ」き、「微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出た(当り前だ。アスピリンを嚥んだのだもの)と言ったりした」こと、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」ことを「告白」してしまったからである。要するに最高の自己美化として「美しく死のうとするときに・・・・・・生に執着」して「その美を裏切る」ような真似をしてしまったことを公表してしまったからである。戦時に特攻死を「悲劇的」で「英雄的」な最高の「美」、「超エロティックに美」とみなして賛美憧憬しながら、入隊検査で正に『仮面の告白』で無答責めかして「告白」されているような兵役逃れのための仮病の振る舞いを実際にしてしまったからからこそ、後年「人間の生の本能は、生きるか死ぬかという場合に、生に執着することは当然である。ただ人間が・・・・・・美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということを覚悟しなければならない」と言うのであり、彼が兵役逃れしたのは「生に執着」し、死と兵役を恐れたためであって、「何だって」あんな仮病を使って兵役逃れしたのか「私にはわかりかねた」わけがないのである。たとえ同性愛者の「私」には「わかりかねた」にせよ(無論、この部分は現実には決してありえぬ荒唐無稽な「心理」であり、強引な無答責化の言い訳にすぎない「告白」であるが)、当時何よりも死と兵役を恐れていた三島にそれが「わかりかねた」わけが断じてないのである。

それゆえにこそ『仮面の告白』は彼にとり「今ぜひ書きたい長編」として嬉々として執筆したテクストであると同時にまた己の「醜かった」過去を吐き出した「ヘドである」ようなテクストでもあるのである。「同性愛の告白」については「仮面の告白」であるが(つまり、これは作者三島由紀夫にとってであり、この点を看破しないかぎり、『仮面の告白』のテクスト自体の「自律的」な意味をいくら解釈したところで始まるまい。そのテクスト作者が三島由紀夫だからこそ仮面的テクストなのであり、ここで「作者の死」を唱えて作者を捨象したり、作者が匿名でも差し支えないとする教説を前提にすれば、テクスト解読も作者解明も不可能になることが分かろう。「作者の死」を前提にしたテクスト解釈ばかりいつまでもいくらやっていてもどうにもなるまい)、「仮病を使った兵役逃れの告白」については「真実な告白」であればこそ、三島は「肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と言うのである。実にかかる「真実な告白」を「成就する」と同時に仮面(の「恥部」)の欺瞞的な「論理」と「心理」を利用して真の「恥部」を取り繕った「仮面の告白」をするためにこそ、『仮面の告白』のテクストを周到に工夫したのである。

仮面の背後で己の真の「恥部」を、「自分の痛いこと」を、さりげなく目立たぬように告白するには(「私のせいでない」ような仮面の「恥部」はおおっぴらに「告白」しうるが、「私のせいである」ような真の「恥部」はたとえ無答責に取り繕っているにせよ控え目にしか告白しえまい)、仮面を徹底的に前面に押し出して盛んに目立たせ(つまり「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ためである)、この仮面の「恥部」をいかにも深甚に恥じているように見せかけて、それを真の「恥部」のように思わせなければならぬ。テクストがそうした「自律的」な意味になるように作者は意図的にテクストを作成するのであり、読者がテクストのそうした「自律的」な意味を読み取るように作者は意図的にテクストを作成するのである。テクストの「自律的」な意味は作者の意図のうちにあるのである。だからこそ読者は作者が意図した意味をテクストに読み取って、たとえば『仮面の告白』のテクストから作者を同性愛者と解釈したりするのである。それこそ作者の思う壺である。テクスト自体において意味されていることは作者が意図したことであるが、仮面的テクストにおいてはテクスト自体に現前しないさらに背後の意図、作者の裏の意図があるからである。

たとえば落語で饅頭好きが「饅頭こわい」と言うのは、自分が饅頭を恐怖しているという「自律的」な意味になるような言葉を選んで「饅頭こわい」という文章やテクストを作成しているのである。「饅頭こわい」を饅頭好きが言おうと饅頭嫌いが言おうと、どちらも自分が饅頭を恐怖しているという意味を他者に伝えようと意図して発言した言葉であり、テクストであるから、そのテクスト自体の「自律的」な意味はいずれも同じで、テクスト作者が意図したものである。しかし、前者の発言にはさらに裏の意図があり、後者の発言にはそれはないのである。饅頭好きの「饅頭こわい」は虚言であり、その発言には他者を誑かそうとする背後の意図があるのである。かかる背後の意図や裏の意図はテクストには現前しないのであり、またテクストに現前しないからこそ、人は嘘を言えるのであり、仮面的テクストを作成できるのであって、これがもしそうした背後の裏の意図まで発言やテクストに現前するとしたら、誰も嘘をつくことも仮面的テクストを作成することも不可能になろう。嘘の発言や仮面的テクストはその発言やテクスト自体には嘘や仮面が現前しないからこそ嘘や仮面が可能なのであり、発言自体やテクスト自体から嘘や仮面を認識することはできないのである。

 

「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっているのであるから、そのかぎりにおいて、大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」(リクール)

 

テクストの意味がテクスト作者の意図と関わりないとは馬鹿げた可笑しなことであり、作者の意図がテクストの意味に何ら働きかけていないとは奇妙奇天烈な考えである。これは暗黙の前提として作者を捨象し、テクストを「第一の前提」としてしまうことから生ずる考え方である。テクストの見かけの「自律性」に誑かされて、テクストがいかにして作成されるかを考慮せず、テクストが突如世界にひとりでに出現したとみなすのも同然の考え方である。饅頭好きは自分が饅頭を恐怖しているという「自律的」な意味になるような言葉を選んで「饅頭こわい」という文章やテクストを作成するのであり(つまりテクストの「自律的な意味」自体が「テクスト作者の主観的な意図」によるものでありうるのだ)、聞き手はそのテクスト自体が「自律的」に意味する饅頭恐怖の意味を読み取るからこそ、まんまと騙されるのであって、この場合「テクストの意味」は「テクスト作者の意図」したことであって、こうした全体的な意味において「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」などということは決してありえないのである。

つまり、作者(の意図)など考慮せずとも、テクスト自体からでも「テクストの意味」は読み取れる(これは言葉の性質上当然のことである。でなければどんな思想も伝達しえまい)からといって、「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」というものではないのである。落語で饅頭好きが「饅頭こわい」と言うのと饅頭嫌いがそう言うのでは発言者や状況が異なる以上、その意味合いは異なるのであり、前者はその言葉の表面的な「自律的」な意味を意図すればこそそう言うのであり、そして聞き手にそうした意味に取られるのであって、「テクストの意味」の「自律性」はテクスト作者の意図に操られているのであり、饅頭好きはその「自律性」を利用して饅頭恐怖症のテクストを作成するのである。三島が『仮面の告白』のテクストを「同性愛者の告白」の意味が濃厚になるように意図し、構成したからこそ、読者はその「テクストの意味」をそのように読み取るのであり、かくして彼の背後の意図を看破しえない読者は誑かされるのであり、彼の思う壺に嵌まるのである。そしてこの場合に重要な問題になるのは、テクスト自体における「自律的」な「テクストの意味」のみでなくテクストの背後の作者(の意図)の問題なのである。

饅頭好きの「饅頭こわい」のテクストは、テクスト作者を考慮することによって、たとえば彼の過去の生を探ることによって、饅頭好きが明らかになる可能性も出てくるのであり、かくしてそれが仮面的テクストと見破れる可能性も生じるのであって、ここでテクスト背後の作者(の意図)を捨象すれば、そうした可能性は完全に閉ざされてしまうのである。

換言すれば、作者(の意図)がたとえどういうものであれ、テクストには無論それ自体の意味があるのであり(だからこそテクストはそれ自体で読みうるのである)、そこで「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」とみなすことから、テクスト背後の作者(の意図)を捨象し、何ら考慮せずとも差し支えないと考えるのであろうが、しかしテクスト自体に関して「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」からといって、テクスト背後の作者(の意図)を捨象して差し支えないことには必ずしもならないのである。たとえば作者考慮によってあるテクストを仮面的テクストと解明(この重要度はピンからキリまである)しうる可能性も生じうる場合を考えれば明らかなことであろうから、またテクストが部分的に意味が曖昧不明である場合にも作者が「誰か」「何者か」が分かれば氷解するような場合もありうることを考えれば明らかなことであろうから、「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」として、もっぱら「テクストの前面に展開すること」のみを正当化し、テクスト背後の作者の意図を「失われた意図」とみなして「テクストの背後に探求すること」を完全に断念することを主張するのは、件の可能性を完全に閉ざしてしまうことになり、たとえば「シェイクスピアの洗濯勘定書・・・・・・を利用する方法」の可能性を永遠に闇の彼方に葬り去ることになる。

「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」というのは、畢竟は「人間が語り、想像し、表象するものから出発」するしかない方法である(どんなに奇妙な「形而上学的」饒舌で正当化しようと畢竟そうならざるをえない)以上、昔の「天上から地上に下りるドイツ哲学」と同工異曲のものであって、端的には仮面的テクストをまったく看破解読しえないものであり、作者解明を不可能にするものである。作者の意図を「失われた意図」とみなすこと自体がファッショナブルな「作者の死」を前提とした考え方なのである。作者の意図は「失われた意図」というようなものではなく、単にテクスト自体に必ずしも直接的に現前しないだけにすぎない。だからこそ饅頭好きは相手を誑かすことができるのである。「失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開すること」が「大切な問題」だと考えて、テクスト背後の作者(の意図)を捨象するかぎり、永遠に饅頭好きの仮面的言動に誑かされざるをえず、たとえば『仮面の告白』のようなテクストの場合、作者三島由紀夫のハートブレイク体験や仮病を使って兵役逃れしようとした体験などの虚実や真偽はまったく認識不可能になり、またどうでもいいことになってしまうであろうし、そうなれば彼の真の恥辱の事実を剔抉しえず、偽の見せかけの恥辱、仮面の「恥部」に永遠に誑かされることになり、作者解明としての作家論など到底不可能なものになってしまうのであり、要するにテクストの解読解明はなしえないということになるのである。

 

「西郷隆盛は十年がかりで書く小説のプランなんか持っていなかった。彼は未来を先取しようとする芸術家の狡猾な企画などは知らなかった。未来を現実で埋めようとはせず、未来をあらかじめ非現実で埋め立てしようとする芸術家のもっとも反社会的な企図などは。(中略)芸術家が未来を先取するとは・・・・・・人々の輝かしいプラクティカルな未来像を、あらかじめ、周到に、綿密に冒瀆することなのだ。瀆すこと、それも衝動的に本能的に瀆すのではなく、完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで! /しかし遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」(『「われら」からの遁走――私の文学』)

 

単に生に倦み疲れ、老い朽ちていくことへの嫌悪や恐怖から死にたくなって死ぬにすぎない晩年の「ニヒリスト」の三島が、このように言うのも、たとえば饅頭好きの「饅頭こわい」のテクストの意味の「自律性」を当てにしているからであり、その「自律性」にほとんどすべての者が誑かされて真に受ける(とにかく仮面的テクストをなぞるように自死があとでなされる以上そうみなされやすいのだ)ことを承知していればこそであり(そのことは『仮面の告白』に対するほとんどの読者の反応や解釈から三島は確信したはずだ。誑かしの「言」を真に受けさせるためにそれに見合った見せかけの「行」を示すことで両者の「真実味」を補強するのだ)、また時が経つにつれ現実の作者の存在は次第に薄れて言葉のみが残されれば、「歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」と期待するからであって、さればこそ「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」とみなされることから「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」とするような考えは、三島にとってはまったくお誂え向きの考え方であり、己の仮面を補強してくれる有り難い教説であろう。仮面的テクストにおいてはテクストの「自律性」が仮面として機能する(作者は無論これを認識しているはず)以上、その「自律的」な意味(これは実は作者の意図のうちにある)を真に受けてくれるかぎり作者の仮面は見破られる心配はないからだ。無論、それでは単なる虚言を虚言と見破ることすらできない以上、到底作者を認識することはできないのである。

己の空疎な死を、己の未来の自殺を、『憂国』の主人公のような「悲劇的」な「英雄的」な自死に見せかけるため、自死を「思想的」に粉飾するようなまやかしの言葉によって「未来をあらかじめ非現実で埋め立てしようとする」こと、「完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること・・・・・・但し文字の上だけで!」、こうしたことこそ「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない」と考えた晩年の三島が数年がかりで周到に企て、実践したことなのである。「非現実」の言葉を、仮面の言葉を、仮面的テクストを、作者の「意図をテクストの背後に探求すること」なく、読者が読み、解釈してくれれば、「遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」と期待していればこそ、何の「思想」も信じていない「ニヒリスト」の三島は自死を見据えた晩年近くから無理やりでっち上げた「思想」を標榜したテクストを盛んに作成したのである。それは己が「悲劇的な英雄」という「影の影、幻の幻としての存在感を持ち得るか否か」が三島にとって「人生の究極の夢に関わっていた」からにほかならない。無論、彼はその馬鹿馬鹿しさや不可能や虚しさを認識していたにしても、とにかく自らでっち上げた種々の仮面を見せつけて他者を煙に巻くことはやめられなかったのである。

三島の仮面的テクストは歴史家や批評家に対する挑戦であり、広くテクスト解読者一般への挑戦なのである。

 

 

たとえば「饅頭こわい」のテクストは作者が饅頭好きであろうと饅頭恐怖症であろうとテクスト自体は絶対不変だからといって、テクスト解釈も作者が誰であろうと変わらないということになるであろうか。もしそうならテクストから作者を論じ、認識することはできないことになる。テクストと作者の現実の存在との齟齬や矛盾が看破できないことになる。「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」(ヴァレリー)。作者が饅頭好きなら「饅頭こわい」のテクストは仮面的テクストであり、そこで作者はまやかしのテクストを作成しているわけであって、これを見破らないかぎり作者を論じることはできないわけである。

しかし、テクスト内容が嘘か事実かはテクスト自体には必ずしも現前しないのであり、「饅頭こわい」のテクストが仮面的テクストであるかどうかはテクスト自体からは必ずしも判明しないのであるから、あるテクストがフィクションか否かも必ずしも自明ではない以上、一見まったくのフィクションと思われるテクストでも何らかの現実や事実を背後に秘めている場合もありうるし、それを認識することがテクスト解読や作者解明に決定的に重要な意味をもつこともありうるのであるから、件のエリオットのような考えを考慮した方法論の可能性も決して排除さるべきではないのである。

そもそも「テクストの意味はテクスト作者の主観的な意図に対して自律的になっている」どころか、テクストの「自律的」な意味は作者の意図的な手の内にあるのであり、だからこそ饅頭好きは「饅頭こわい」のテクストの「自律的」な意味を充分認識して意図的に言葉を選び、文章を構成して、誑かしのテクストを作成し、そのテクストの「自律的」な意味を他者が捉え、真に受けることで他者を誑かすことができるのである。要するに、作者は己が作成したテクストの「自律的」な意味を充分認識しているのであり、でなければどうして作者は己が意図的に伝えんとする思想や物語を他者に伝えることができようか。「テクストの意味」が常に「作者の意図に対して自律的になっている」ことなど決してありえないのである。必ずしも作者の意図通りの意味になるとはかぎらないからといってすべてが「自律的な意味」だなどとは戯言であろう。「自律的意味」とは実は表面的意味なのであり、場合によっては作者の見せかけの意味にすぎないのである。

たとえば『仮面の告白』は「同性愛者の告白」という単なるフィクションのテクストでもなければ、作者三島由紀夫自身の同性愛の告白という馬鹿正直な赤裸な自伝的テクストでもない。作者三島の戦時の個人的な現実の「恥部」を剔抉看破しないかぎり、『仮面の告白』がどういうテクストであるかということは決して解明できないのである。『仮面の告白』をまったくのフィクションのテクストとして読もうと、三島の赤裸な自伝テクストとして扱おうと、『仮面の告白』を解読解明することは決してできない。そういうテクストでは全然ないからである。あるテクストがいかなるテクストであるかということ、テクスト解読はそれの解明に尽きる。ある作者がいかなる作者ないし人間であるかということ、作者論や作者解明はそれに尽きるのである。「本質とはあったところのものである」(ヘーゲル)。「本質」とは単なる存在という意味で「あったところのもの」ではなく、それがどういう存在か、いかなる存在かということであり、テクストにせよ、作者にせよ、それを解明しなければならないのである。「人が自称するところとその人が現実にあるところ」の存在との齟齬、差異、矛盾を看破しえずに作者を認識することはまったく不可能である。

 

三島は昭和二十九年にこう書いている。

 

「ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由をもち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起すのはこの地点なのだ」(『新ファッシズム論』)

 

ここには偽の行動、まやかしの行動、見せかけの行動が語られている。「ニヒリスト」にとって「大前提が無意味」であるにせよ「彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由をもち、いわば万能の人間になる」わけもあるまいが、周到な準備と非常な努力によって己の欲する「意味をもつかの如く行動する」ことで己をその「意味をもつかの如」き「行動」に見合った「人物像」に見せかけることで己の欲するどんな人間にも「自由」に粉飾しうるという意味で「万能の人間になる」というのである。しかし、無論それは単なる見せかけとしての「万能の人間」に過ぎない。こうした見せかけの「意味をもつ」行動者については、「正常者」を装う同性愛者の形で『仮面の告白』でも示されており、三島にとっては若年期から馴染みのものである。とはいえ、同性愛者と異性愛者の仮面と素面の関係は『仮面の告白』のテクストの文脈内と作者三島の現実の文脈内とでは逆転しているのである。かかる逆転を認識することが決定的に重要である。同性愛者「私」の素面こそ三島の仮面なのであり、「私」の仮面こそ三島の素面なのである。三島が『仮面の告白』でいかなる仮面をかぶって、いかなる「真実な告白」を、己のいかなる真実の「恥部」の告白を、したかが分かるであろう。無論、かかる決定的に重要な認識は『仮面の告白』のテクストなくして当然不可能である以上、かかる看破を正に『仮面の告白』のテクストからなしえないかぎりどうにもならぬ。だが、かつてかかる看破をなしえた『仮面の告白』論や三島由紀夫論はまったくなかったのである。かかる看破をなしえない以上、三島が何ゆえに同性愛者の仮面をかぶったか、かぶらざるをえなかったか、このことを看破しえた三島由紀夫論がかつてまったくなかったのも当然のことである。『仮面の告白』のような仮面的テクストを読み解くためには、「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」などというようなテクストの表面を掻い撫でするようなふやけた考え方では到底不可能であり、そんな方法では単純な仮面的テクストすらも仮面的テクストと認識することができないのである。

 

「現実の失敗や束縛を可能的世界において償うことを目的のすべてとしているような〈芸術や宗教〉があるであろうし、また、最後に、ニーチェが言ったように、生命的無力や〈貧弱な生〉の一形式に過ぎないような〈犠牲の価値への固執〉ということもあろう。だが、こうしたものが〈擬似解決〉であるということは、その人の存在が、その人の言うことや考えること、さらには為すことと決して一致しないということから分かるのである。偽の芸術、偽の敬虔さ、偽の愛などは、ジュリアン・ソレルの神学校の仲間のように、〈意味ある行為をなそう〉と努めるのであって、それらは人生に借りものの意味しか与えず、人生の観念的変形、超越的観念への逃避しか行なっていないのである」(メルロ=ポンティ『行動の構造』)

 

要するに、「その人の存在が、その人の言うことや考えること、さらには為すこと」との齟齬、差異、矛盾を認識することが他我認識(あるいは作家論)のために決定的に重要なのである。かかる「存在」と見せつけられた「言動」は必ずしも一致したものとはかぎらないのであるから、ここでその「存在」を捨象してしまえば(あるいは「作者が誰か」を無視すれば)、こうした認識は決して得られないのである。作者の「存在」が異なれば、その「言動」などの「テクスト」の「意味」は異なりうるのであり、かかる「テクスト」の「作者」の「存在」を捨象すれば、その「存在」と「テクスト」の異同は消失してしまうからである。

晩年の三島は己の自殺を「思想的」な意味があるように見せかける事前の言動を盛んに見せつけるようになるが、これに誑かされる者があとを絶たないのも、彼がその時々に示す自己美化や自己栄化や自己正当化のための強引な「論理」に幻惑されてしまいがちだからである。たとえば、三島は終戦時や戦後期の心境については折にふれて度々述べているが、二十代および三十代初期までと「英雄的」な自死を目論見つつあった晩年近くの三十代後半以降では言うことが截然と違っている。

 

「二十歳の私は、何となくぼやぼやした心境で終戦を迎えたのであって、悲憤慷慨もしなければ、欣喜雀躍もしなかった。その点われながら、まことにふがいなく思っている」(『八月二十一日のアリバイ』)

 

「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヶ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である」(『終末感からの出発』)

 

「戦後の文化人は・・・・・・浅墓な新生へ向って雀躍したのである。残念ながら、私もその一人であったと云わねばならない」(『「戦塵録」について』――これは三島が晩年に書いたものだが、自分が「戦後の文化人」と同じく「浅薄な新生へ向って雀躍した」ことを認めながら、それをなぜか晩年には「残念」がっているのである)

 

「私には、一九四五年から四七、八年にかけて、いつも夏がつづいていたような錯覚がある。あの時代には、骨の髄まで因習のしみこんだ男にも、お先真暗な解放感がつきまとっていた筈だ。あれは実に官能的な時代だった。倦怠の影もなく、明日は不確定であり、およそ官能がとぎすまされるあらゆる条件がそなわっていたあの時代。私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、あの時代とまさに『一緒に寝て』いた。どんな反時代的なポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていたのだ」(『小説家の休暇』)

 

これらの言葉には、開戦直前に東文彦に「自分は兵隊にとられないと思うが、もし戦地に赴かなければならないとしたらどうしたらよいだろう。・・・・・・いっそワーッと戦争があって、一年ぐらいで終わってくれるといい」と書き送り、戦時には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた三島のほぼ一貫した終戦時や戦後期の心境が述べられており、要するに徴兵や死を恐れた当時の若者一般と変わらぬ自然な感情が吐露されているのであって、そこには何ら不自然な矛盾した荒唐無稽な感情は語られていない。

ところが自死を見据えた晩年近くから「神」を奉じる「思想」を標榜したテクストを作成する段になると、「二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた」(『二・二六事件と私』)などと言い出して、無理やり「神の死」などを持ち出して奇怪な「皇国思想」を唱え出すようになるのである。

敗戦時に「悲憤慷慨もしなければ、欣喜雀躍もしなかった」三島、「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった」三島、「神の死」後の戦後の時代に他の文化人と共に「浅墓な新生へ向って雀躍し」た三島、そして戦後の「神の死」の状況下の「あの時代とまさに『一緒に寝て』いた」三島が、晩年近くになって主張するように「敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感」など微塵も感じたわけがあるまい。終戦時にそんな奇怪至極な「神の死の怖ろしい残酷な実感」など味わった青年などまず一人もいまい。無論、全日本人の中にも一人もいまい。況してや「何となくぼやぼやした心境で終戦を迎え・・・・・・悲憤慷慨もしなければ、欣喜雀躍もしなかった」終戦時の三島が「敗戦に際会したとき・・・・・・その折の神の死の怖ろしい残酷な実感」などをどうして感じることができようか。また逆に、もし三島が「敗戦に際会したとき・・・・・・その折の神の死の怖ろしい残酷な実感」を経験したなら、どうして「神の死」の状況下の戦後の「あの時代とまさに『一緒に寝て』いた」り、「浅墓な新生へ向って雀躍」することができようか。「何となくぼやぼやした心境で終戦を迎え」、「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった」はずの終戦時の三島が、晩年に主張するような「敗戦に際会したとき・・・・・・その折の神の死の怖ろしい残酷な実感」などという荒唐無稽な馬鹿げたものを感じたわけがないのである。

こうした「神」を奉じる「思想」を標榜したテクストで近い将来の自死をあたかも「思想的」な意味があるように見せかけて「栄化」しようと試みる一方、それとはまったく別のやり方で自死を事前に「美化」しようとしたのが『太陽と鉄』であることはすでに説明したとおりである。そこでは「神」も「神」を奉じる「思想」もまったく語られず(「神」や「天皇」という言葉は一度たりとも出てこない)、戦後の「神の死」を嘆く言葉も当然なく(三島はそんなものを本気で嘆いたことなど一瞬たりともないはずだ。戦時にも「神」は彼にとってはせいぜい「天ちゃん」にすぎなかったし、「敗戦直後、私は日本に元禄時代の再来を夢みて」(『谷崎純一郎氏を悼む』)いたはずの三島が、どうして「敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感」などという奇怪なものを感じたはずがあろうか)、ただ自分が戦時に神風特攻隊のように「英雄的」に死ねなかったことを悔やみ(戦時の彼は死と兵役を恐れて必死に徴兵忌避したはずなのにだ)、そうした「英雄的」な死を遂げたとする彼らをしきりに羨望し、自分がそうした死を戦時にいかに熱望していたかをしきりに述べているだけである。そして戦時に自分が死ぬことができず、「私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは・・・・・・肉体的条件が不備のためだった」とし、「浪曼的な悲壮な死のためには、強い彫刻的な筋肉が必須のものであり、もし柔弱な贅肉が死に直面するならば、そこには滑稽なそぐわなさがあるばかりだと思われた。・・・・・・私は夭折にあこがれながら、自分が夭折にふさわしくないことを感じていた。なぜなら私はドラマティックな死にふさわしい筋肉を欠いていたからである」などと寝言のようなことをほざくのである。そして「浪曼的な悲壮な死のため」の「強い彫刻的な筋肉」や「ドラマティックな死にふさわしい筋肉」を身につけて「肉体的条件」を備えた晩年の今は、そうした「浪曼的な悲壮な死」としての「美しい死」、「英雄的な死」をなしうると強弁するのである。

つまり、晩年の三島はやがて果たすべき自死を「栄化」「美化」するために二種の仮面的テクストを作成したのであり、その背後にはいずれも戦時の兵役逃れの恥辱意識がわだかまっているのである。「弱虫の卑怯者」意識がわだかまっているのである。要するに、『太陽と鉄』では主として己の過去の「美を裏切」った「行」を取り繕い(これはまず『仮面の告白』において同性愛仮面を利用してなされた)つつ未来の自死への「行」を事前に「浪曼的」に粉飾美化し、それに対して「神」を奉ずる「思想」を標榜したテクストではあたかも少年時からそんな「思想」を奉じていたかのように言いつつ未来の自死への「行」を前以て「思想的」に粉飾しようとしているのである。一方のテクストでは「思想的」な意味ありげに見せかけて、あたかも「憂国の士」としての「英雄」めいた「道義的」な自決をしたかのように思わせようとしているが、もう一方のテクストでは、「私の夢想の果てにあるものは、つねに極端な危機と破局であり、幸福を夢みたことは一度もなかった。私にもっともふさわしい日常生活は日々の世界破滅であり、私がもっとも生きにくく感じ、非日常的に感じるものこそ平和であった」と言っているのであって、そんな「極端な危機と破局」を夢想し、「日々の世界破滅」を求めるような者がどうして国を憂える「憂国の士」などでありえようか。晩年の二種の仮面的テクストを突き合わせればこうした奇天烈な根本的な矛盾が露呈するのである。

『太陽と鉄』では自分には「死に対する燃えるような希求」があることを盛んに表明しており、そこでは「死」自体が自分の最大の欲求であり、願望だとしており、その「死」を栄化するために何ら「神」を奉じる「思想」も標榜しておらず、ただ「超エロティックに美と認められる」特攻死を可能にした「明日というもののない、大破局」の戦時の「状況」(これは「極端な危機と破局」の「状況」であり、「日々の世界破滅」の「状況」であって、「神」の存否には何ら関係のない「状況」である)が平時の現在にないのを嘆いているのみである。つまり『太陽と鉄』では自分の「死」はもう一方の「思想的」テクストで主張するような「神」を奉じる「思想」とは何ら関係ないことを自ら明かしているのである。

かつて『仮面の告白』によって職業作家として出発した三島は、己の過去の現実の「醜かった」行動を粉飾糊塗した作品を書いたことから、「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」(『完本獄中記』)と言うのであり、そして晩年には逆に己の未来の現実の自死への行動を粉飾糊塗するために、兵役忌避の「行動のあと」ではなく自決の「行動のまえ」から「辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」テクストを書くことにしたことから、「西郷隆盛は十年がかりで書く小説のプランなんか持っていなかった。彼は未来を先取しようとする芸術家の狡猾な企画などは知らなかった。(中略)芸術家が未来を先取するとは・・・・・・完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取し、これを瀆し、これを占有すること。・・・・・・但し文字の上だけで! /しかし遠い計画の段階では、言葉だって現実と平等なのだし、歴史においても、言葉と現実はほとんど等価になる」(『「われら」からの遁走――私の文学』)と言うのである。三島の晩年の二種の仮面的テクストは己の自死の「未来を先取」したものであり、特に「思想」を奉じたテクストは「完全な計算と企画に基づいて、冷静に、一分の隙もなく、未来を先取」しようと企てた仮面的テクストなのである。

こうして「自分の存在が裏返しになるということが、ぼくには、たまらなく面白い」三島は己の現実の存在をまやかしの言葉通りの「存在」に見せかけようとしたのである。

 

 

三島は『仮面の告白』執筆中の昭和二十四年一月に心理学者の望月衛に同性愛心理について取材した帰りに木村徳三を訪れ、わざわざ自分の倒錯性向を打ち明けている。「代表作『仮面の告白』を発表する半年ほど前の日曜日の午後、私の家にやってきた。私と同じ町内に住むある心理学者を訪ねた帰りだったという。そのとき、私は初めて三島君の倒錯性向を聞かされたのだった」(木村徳三『文芸編集者その蛩音』)。そして両者のあいだで次のようなやり取りがなされたという。

 

「話はすぐワイルドやヴェルレエヌのことに移った。古今東西の男色文学について三島君がさんざん喋ったあげくの帰りがけに、私が、

『とにかくまあ、鴎外に比肩するくらいの君の《ヴィタ・セクスアリス》を大いに期待するよ』

と言うと、三島君はそのモノメニアックな眸を輝かせて、

『わかりますか』と振り向いた。

『わかりますとも、君、もう職業作家でしょう。度胸がすわったんでしょう。でなくてどうして心理学者のとこへわざわざ出向きます?』

『くやしいーッ』

 例の奇声を上げ、しかし満足そうに両手を振った三島君は玄関を飛び出していった」(木村、前掲書)

 

三島が嬉々として面白半分に同性愛を「告白」しているのを、木村は真に受けているようだが、しかしいずれにしても両者の会話は『仮面の告白』が「日本では平気で読まれている」ような社会でなければ決して成り立たないようなものである。もし三島にとり同性愛が『仮面の告白』の同性愛者「私」が示すような深甚な「恥部」であったなら、そしてそれが深甚な「恥部」や罪とされるような社会で日本があったなら、両者のこのようなやり取りは到底ありえないのである。作者三島のみならず編集者の木村にしたって『仮面の告白』は出版不可能と思ったはずであろう。両者とも『仮面の告白』が「日本では平気で読まれ」ると暗黙のうちに思っているからこそ、また出版について何の懸念も抱いていないからこそ、こうした会話がなされているのである。

三島は『仮面の告白』公表からほぼ半年後の昭和二十四年の十二月十六日付木村徳三宛書簡で「僕、目下、寝てもさめても、ブランスウィックのボオイの姿が忘れられず、溜息ばかり出て、思春期が再発したみたい。恋心っていじらしいものですな。ヤレヤレ。(中略)きょうの夕刊でコクトオが運転手から秘書にした青年を『オルフエ』に抜擢したと出ていた。彼がこの交換に何を要求したか、云わずとしれている。幸福な老人め!」などと面白半分に書き送っている。三島がもし『仮面の告白』の同性愛者「私」のように己の同性愛が他人にばれるのを深甚に恥じ恐れるような同性愛者であったとしたら、このように現実の他者に己の同性愛を愉快そうに吹聴しうるわけがあるまい。三島は相手をからかって面白がっているのである。

 

「男色家の溜り場として知られる喫茶店に三島が顔を出すようになったのは、昭和二十四年の秋ごろからだったらしい。

銀座の松坂屋のうらに当時あったブランスウィックという店に、彼はよく出入りしていた。夜はクラブになるこの店の二階に、親しい編集者などをつれて行ってお茶を飲み、ついでにこれもそちらの方の『専門家』が経営する近くの陶器店に立寄る。『禁色』にルドンという名でえがかれている男色酒場が、このブランスウィックである。(中略、ここで村松は前出の木村徳三宛の三島書簡を引用している)

ブランスウィックのボーイへの『恋』なるものが、本当だったか否かはかなり疑わしい。文章の調子から見ても、はなしを面白く仕立てて悪戯を楽しんでいるという気配が感じられる。このころ三島と頻繁に会っていた桂芳久は、ブランスウィックにも新橋の十仁病院のそばにあったアメリカ兵が大勢あつまる男色酒場にも彼といくどか同行していたけれど、三島ががこういう場処で男色のつきあいに加わったことはなかったと断言している。(三島が一時的にもせよ同性愛にとらわれていたこと自体を、桂氏は信じていない。)」(村松剛『三島由紀夫の世界』)

 

当たり前のことである。ところで村松は三島の同性愛が仮面であることを認識していたにせよ、三島が何ゆえに同性愛仮面をかぶったかを認識していない。無論かかる看破をなしえた三島論はかつて一編たりともなかったわけである。この点の看破が三島由紀夫に対する他我認識の最重要の決定的なポイントなのであって、この点の洞察が欠落しているかぎり三島論はきわめて不充分で不徹底なものになり、大半の三島論のようにまったくの幻想的むしろ妄想的な戯言にならざるをえず、彼が種々雑多なテクストで何ゆえにそのようなことを言うのかが分からなくなる。無論、「大切な問題は失われた意図をテクストの背後に探求することではなく、テクストが開示し発見する〈世界〉をテクストの前面に展開することである」などという凡愚の考え方ではどうにもならぬ。

三島は単に他人を騙すのが面白くて同性愛者を装ったわけではないし、また、「『仮面の告白』では、同性愛という仮面を主人公につけさせることによって男女相互の立場を逆転させる。彼女を拒否したのは、ここでは〈私〉の方だった」(村松、前掲書)としてハートブレイクに関して己の自尊心を保つためにのみそうしたわけでもない。己の「醜かった」過去を何とか取り繕って無答責にする欺瞞的な内的「論理」と「心理」に利用するためにこそ内的仮面をかぶったのであり、とりわけ入隊検査場での仮病を使った必死の兵役逃れの振る舞いによって「美しく死のうとするときに・・・・・・生に執着」して「その美を裏切」ってしまったことの恥辱を無答責に取り繕うためにこそ同性愛者の仮面を要したのである。その点を容易に見破れないように『仮面の告白』のテクストでは「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」という構成にして、「誤解された自分」すなわち己の仮面の「恥部」たる同性愛を徹底的かつ全面的に前面に「押し立てて」、あたかもその仮面の「恥部」を清水の舞台から飛び降りるような悲壮な決意で告白しているかのように言語表現しているのである。テクストの「自律的」な意味がそうしたものになるよう作者は意図的にテクストを作成しているからこそ、読者は容易に「仮面」を見破れないのであり、「仮面」に誑かされるのであり、作者はテクストの「自律的」な意味がそうなるように意図的にテクストを作成しているのであって、テクストの意味が作者の意図に対して「自律的」になっているわけがないのである。

読者はテクスト自体の「自律的」な意味を読み取るにせよ、作者自身がまた自作テクストの読者にほかならないのであり(だから作者はテクストの「自律的」な意味を狙って意図的にテクストを作成できるのであり、そうでなければ作者は小説にせよ思想にせよ己の考えを伝えんとするテクストを作成公表するわけにはいくまい)、そのテクストの最初の読者なのであって、だからもしも「読者論」というものが「読者」として作者自身をも含めて考慮していないとすれば、それはまったく片手落ちの偏頗なものにならざるをえず、したがって作者捨象の「読者論」があるとすればそれは空想的むしろ妄想的なものなのである。

作者は己が作成するテクストの「自律的」な意味を認識しているのであり、たとえば三島は『仮面の告白』が一般読者にどう読まれるか、また父親や実在の「園子」にはどう読まれるかを承知しているのである。一般読者には同作がフィクションとも率直な告白とも判断できないものとして読まれること、かくして彼らを煙に巻くであろうこと、そして父親や実在の「園子」ら(そしてまた入隊検査場で彼の兵役逃れの振る舞いを目撃した者たち)にはどの部分がどう読まれるかを三島は認識していたはずであって(だから彼は一般読者を誑かすことはできても、実状を知る一握りの人々を決して誤魔化しえないことを自覚していたはずである)、それはテクストの「自律的」な意味をあらかじめ彼自身が読み取っているからにほかならない。同じテクストの同じ「自律的」な意味が異なる読者によって別様に捉えられることを作者はあらかじめ認識しているのである。無論、読者の読解力や認識能力や真相認識の程度はまちまちであるから、そのすべてをあらかじめ把握しているわけではないが、この種の読者にはこう読まれることを作者はあらかじめ認識しているのである。作者はテクストの作成者であると同時に最初の読者であり、テクストの「自律的」な意味をあらかじめ読み取っていればこそそれが可能なのである。作者以外の読者はテクスト作成者ではないのであり、テクストの「自律的」な意味は読者が創出しているわけではなく、それはテクストに「自律的」にそなわっているのであって、それは作者の意図のうちにあるのである。でなければしかじかの読者にはしかじかに読まれることを作者は認識しようがあるまい。

たとえば「饅頭こわい」のテクストにはその「自律的」な意味として饅頭恐怖の意味がそなわっているのであり、作者はその意味を「自律的」な意味としてテクストにそなわるように意図してテクストを作成するのである。作者はテクストの「自律的」な意味を考え読み取りつつテクストを作成するのである。テクストの「自律的」な意味はテクスト自体にそなわっているからこそ、「饅頭こわい」のテクストの読者は皆そのテクストに同じ饅頭恐怖の意味を読み取るのであり、しかしそれを真に受ける読者もいれば嘘と看破する読者もいるのである。どちらの読者も同じ「自律的」な意味を読み取っているからこそ、それを信じ込む読者もいれば、それを嘘だと判断したり、認識する読者もいるのである。読者は同じ「自律的」な意味を読み取っても、それをどう判断ないし認識するかは読者によって異なるのである。テクストの「自律的」な意味は読者が創出するわけではなく、テクスト自体に「自律的」にそなわっているものであり、あらかじめそれを読み取っている作者が意図的に仕掛けたものにほかならない。

たとえば三島は『仮面の告白』において「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」ために、すなわち己の真の「恥部」を「告白」しつつ仮面(の「恥部」)を利用して欺瞞的に取り繕って無答責にするためにこそ、その偽の「恥部」を全面的に前面に「押し立てて」、あたかもその偽の「恥部」すなわち「仮面」を己の真の「恥部」であるかのように「告白」して、読者の注意や関心をその「仮面」に引きつけ、己の真の「恥部」を、その「告白」を、できるかぎり目立たぬように、読者の注意や関心が己の真の「恥部」に向かわぬように、意図的に言表し、構成しているのである。テクストの「自律的」な意味や構成がそうなるように作者は意図的にテクストを作成しているのである。

三島は『仮面の告白』の方法論において、「魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙うとき必ず彼の体に矢を射込むことができるという秘伝の模倣」をしているのであり、魔法使いが幻術で出現させた己の幻影の姿を人々に見せつけて、自身は幻影の「彼より二三歩離れた林檎の樹」のようにさりげなく佇んで人目を晦ますように、三島は言葉の詐術で己の仮面を素面であるかのように巧妙に表現して、その仮面に読者の関心や注意を引きつけて、自身は仮面の「彼より二三歩離れた林檎の樹」のように佇んで人々の注視を逸らし、己の本体や急所には矢を射込まれないように工夫しているのである。

己の仮面や幻影(の「恥部」)にいくら非難攻撃の矢を射込まれようと己の急所はまったく攻撃されることもなく安全無事だからこそ、三島にとっては「私のせいでない」同性愛の噂などいくら立てられようと「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば」済ませられるのである。また、同性愛など日本社会では何ら現実的な深甚な「恥部」でも何でもないのであり、「恥部」どころか、三島の場合はむしろ自己美化に資しているのである。たとえばグイド・レーニの「聖セバスチャン」の画像を契機として「私の最初のejaculatio」を「告白」する場面でも顕著なように。

 

「その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。この巨大な・張り裂けるばかりになった私の一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしく息づいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きをはじめた。私の内部から暗い輝かしいものの足早に攻め昇って来る気配が感じられた。と思う間に、それはめくるめく酩酊を伴って迸った」(『仮面の告白』)

 

ここで三島は己の中学生時代のありきたりの精通体験をグイド・レーニの「聖セバスチャン」の画像を利用して大いに荘厳化し、美化しているのである。普通の異性愛の中学生の平々凡々たる陳腐な精通経験の告白など異性愛者の彼には気恥ずかしくてできまいが、同性愛者の仮面をかぶって荘厳に粉飾すればできるのである。さらに、同性愛者「私」は「独乙人の間では私のような衝動は珍らしからぬこととされている。プラァテン伯の日記はもっとも顕示的な一例であろう。ヴィンケルマンもそうであった。文芸復興期の伊太利では、ミケランジェロが明らかに私と同系列の衝動の持主であったのである」(『仮面の告白』)として、同性愛者たる己を貴族や偉人や大芸術家になぞらえて自己美化、自己栄化しているのである。もしも同性愛の仮面が単なる「恥部」にすぎないとしたら、そんな恥辱的な仮面をわざわざかぶって他人に見せたがる者がいようか。況してや自己美化や自己栄化を何より求める三島が。

かように『仮面の告白』全体としては「私」は己の同性愛が「他者」(何度も言うように作中の「他者」や「世間」にすぎぬ)に露呈することを随所でしきりに恥じ恐れ、同性愛が己の最大最深の「恥部」であるかのように盛んに「告白」(これは三島にとっては読者たる現実の他者への公表、吹聴にほかならぬ)しているが、その一方で実は自己美化や自己荘厳化や自己無答責化に同性愛を利用しているのである。同性愛を己の最大最深の「恥部」であるように「告白」することによって、もっぱらこのでっち上げた「恥部」に読者の関心や注意を誘導し、己の人生の前途に希望がないように思わせるのである。こうすることによって三島の最大最深の「恥部」(仮病を使って必死に兵役逃れしようとした振る舞い)について「真実な告白」がなされるわけであるが、この真の「恥部」はあからさまに「恥部」として表われてはまずいから、その己の急所に矢を射込まれないように、作者は慎重に表現方法や構成を工夫しているのである。

まず三島は軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われて、サッと手を挙げたことは「告白」していない。これを「告白」すると最初から意図的、意志的、意識的に仮病を使って兵役逃れしようとしたことがあからさまになってしまうからであり、どんな仮面の「論理」や「心理」をもちいても己の振る舞いを無答責に取り繕いにくいからである。

 

「薬で抑えられていた熱がまた頭をもたげた。入隊検査で獣のように丸裸にされてうろうろしているうちに、私は何度もくしゃみをした。青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ、あまつさえこの誤診が私の出たらめの病状報告で確認されたので、血沈がはからされた。風邪の高熱が高い血沈を示した。私は肺浸潤の名で即日帰郷を命ぜられた」(『仮面の告白』)

 

まずはこのように「軍医の誤診」によって「即日帰郷」になったことがさりげなく簡単に語られる。これは事実である。しかし、実際にはすでにその前に軍医に「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言われて、三島はすぐに手を挙げたのであるから、「軍医の誤診」を何とか勝ち取りたいという気持ちは軍医の診断を受ける前からあったのである。「軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ」、そしてさらに「私の出たらめの病状報告で」誤診が促されたのである。この軍医とのやりとりについてはその場の状況のなかでの実際のやりとりのようには「告白」されず、まず同性愛者「私」が大して人生に未練がないようなことや死への志向があるようなことをくどくどと「告白」してから、爾後にその際の軍医とのやりとりを奇妙な疑わしげな自問自答の回想形式で「告白」している。こうした記述方法と構成には作者の意図した詐術がある。

 

「営門をあとにすると私は駈け出した。荒涼とした冬の坂が村のほうへ降りていた。あの飛行機工場でのように、ともかくも『死』ではないもの、何にまれ『死』ではないもののほうへと、私の足が駈けた」(『仮面の告白』)

 

このとき三島は実際には父親と一緒に営門から「駈け出した」のである。『仮面の告白』では父親と一緒に本籍地の兵庫県に赴いて入隊検査を受けたことも父親に手を取られて営門から「駈け出した」ことも省かれている。父親は「出口の兵隊さんのところに走り寄」って、「もうこれで今すぐまっすぐ東京の家に帰っていいのですか」と念を押すや、息子と一緒に営門から飛び出したのである。

 

「門を一歩踏み出るや伜の手を取るようにして一目散に駈け出しました。早いこと早いこと、実によく駈けました。どのくらいか今は覚えておりませんが、相当の長距離でした。しかもその間絶えず振り向きながらです。これはいつ後から兵隊さんが追い駈けて来て、『さっきのは間違いだった、取消しだ、立派な合格お目出度う』とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかったからです。『遁げ遁げ家康天下を取る』で、あのときの逃げ足の早さはテレビの脱獄囚にもひけをとらなかったと思います」(平岡梓『伜・三島由紀夫』)

 

営門から「一目散に駈け出し」た三島親子は「相当の長距離」を「テレビの脱獄囚にもひけをとら」ぬ「逃げ足の早さ」で「荒涼とした冬の坂が村のほうへ降りて」いる道を「絶えず振り向きながら」懸命に走ったのであり、その遠ざかってゆく親子の姿を営門にいた兵士はじっと見ていたことであろうし、それを三島は背中に感じていたであろう。このとき三島は死と兵役を免れたと思って大いに喜んだはずである。徴兵前には「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていた彼であり、軍医に肺浸潤と誤診された「ときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」(『わが思春期』)になった彼である以上、兵役を免れて大喜びしたことは疑いを容れぬが、一方ではまた多少の恥辱意識や後ろめたさもあったかもしれない。とはいえ当時は死と兵役を免れた喜びのほうがはるかに大きかったのであり、他者のことを気にする余裕などもほとんどなかったであろう。

そんな三島が『仮面の告白』では、「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか?」などと奇妙なことを同性愛者「私」に言わせるのである。その「私」の妙な疑問を読者に自然なことのように思わせるために、まずは「私」が生に大して未練がなく、死への志向らしきものを抱いていることがくどくどと「告白」されるのである。これが三島にとっては(この点が重要である。この洞察がないかぎりテクスト解読も作者解明もありえない)「仮面の告白」であることは確実である。

即日帰郷になって、帰京する夜行列車のなかで「私」は軍医とのやりとりを振り返る。

 

「・・・・・・夜行列車の硝子の破れから入る風を避けながら、私は熱の悪寒と頭痛に悩まされた。どこへ帰るのかと自分に問うた。何事にも踏切りのつかない父のおかげでまだ疎開もせずに不安におびえている東京の家へか? その家をとりかこむ暗い不安にみちた都会へか? 家畜のような目をして、大丈夫でしょうか大丈夫でしょうかとお互いに話しかけたがっているようなあの群衆の中へか? それとも肺病やみの大学生ばかりが抵抗感のない表情で固まり合っているあの飛行機工場の寮へか?

凭りかかった椅子の板張りが、汽車の震動につれて私の背にゆるんだ板の合せ目を動かしていた。たまたま私が家にいるときに空襲で一家が全滅する光景を私は目をとじて思いえがいた。いおうようない嫌悪がこの空想から生れた。日常と死とのかかわり合い、これほど私に奇妙な嫌悪を与えるものはないのだった。猫でさえ人に死様を見せぬために、死が近づくと姿を隠すというではないか。私が家族のむごたらしい死様を見たり、私が家族に見られたりするというこの想像は、それを思っただけで嘔吐を胸もとまでこみ上げさせた。死という同じ条件が一家を見舞い、死にかかった父母や息子や娘が死の共感をたたえて見交わす目つきを考えると、私にはそれが完全な一家愉楽・家族団欒の光景のいやらしい複製としか思えないのだった。私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。明るい天日の下に死にたいと希ったアイアスの希臘的な心情ともそれはちがっていた。私が求めていたものは何か天然自然の自殺であった。まだ狡智長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった。

――それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか? 何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?

軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた。私はやはり生きたいのではなかろうか? それもきわめて無意志的に、あの息せき切って防空壕へ駈けこむ瞬間のような生き方で」(『仮面の告白』)

 

無論、これは戦争末期当時の三島が帰りの列車のなかでその日の己の振る舞いを振り返って実際に思ったことでは決してありえない。この部分は戦後三、四年経った『仮面の告白』執筆時における彼の強烈な自己救済の意図に基づいて作成された仮面的テクストであり、「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」彼が「醜かった」と「喚起」した己の「過去」を「まるごと肯定」しようと取り繕った文章であり、そうした言葉で表現されたまやかしの思いである。三島はこれによって仮病を使った兵役逃れの振る舞いを何とか無答責にしえたと思ったようである。少なくとも一般読者向けには。でなければ、「この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。この告白を書くことによって私の死が完成する・その瞬間に生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」とか、「この本は私が今までそこに住んでいた死の領域へ遺そうとする遺書だ。この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとってフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上って生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である」などとは言わないであろう。三島は「この告白を書くことによって・・・・・・生が恢復しだした」のであり、「少なくともこれを書き出してから・・・・・・メランコリーの発作が絶え」たのであって、それは「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧した彼が『仮面の告白』によって「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」えたと思ったからにほかなるまい。

三島は『仮面の告白』で同性愛者に仕立てた自分すなわち「誤解された自分を押し立ててその裏で告白」をしているのである。仮面をかぶった自分を「押し立ててその裏で告白」をしているのであり、「仮面の告白」をしながら「その裏」で「真実な告白」をしているのである。「生に執着」して「美を裏切る」ような己の「醜かった」振る舞いを「仮面」をかぶりつつ「告白」しているのである。それゆえにこそ「仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・仮面だけがそれを成就する」とか「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。

この入隊検査場での己の振る舞いを帰りの夜行列車のなかで振り返るという形で「告白」したのは、こうした回想の形式でなければいちいち己の「醜かった」振る舞いに疑問を呈するわけにはいかないからである。「何だって」(あんな仮病を使って兵役逃れしたのか)「私にはわかりかねた」とするわけにはいかないからである。まず同性愛者たる己に死への志向があることを示してから己の兵役逃れの振る舞いに疑問を呈するのであるから、これを不自然に感じられてはまずいので、爾後に振り返る回想の形にせざるをえないのである。死への志向を抱き、死を望んでいるような者が、入隊検査場で必死に仮病を使って兵役逃れする振る舞いを、事後の回想でなく現場での一連の言動として示してはいかにも不自然であり、奇妙だと思われかねないからだ。

無論、ここで唐突にあまり明瞭に死への志向のみを示すのもまた不自然であり、読者に疑われかねないから、「たまたま私が家にいるときに空襲で一家が全滅する光景を私は目をとじて思いえがいた。いおうようない嫌悪がこの空想から生れた。日常と死とのかかわり合い、これほど私に奇妙な嫌悪を与えるものはないのだった。猫でさえ人に死様を見せぬために、死が近づくと姿を隠すというではないか。私が家族のむごたらしい死様を見たり、私が家族に見られたりするというこの想像は、それを思っただけで嘔吐を胸もとまでこみ上げさせた。死という同じ条件が一家を見舞い、死にかかった父母や息子や娘が死の共感をたたえて見交わす目つきを考えると、私にはそれが完全な一家愉楽・家族団欒の光景のいやらしい複製としか思えないのだった。私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。明るい天日の下に死にたいと希ったアイアスの希臘的な心情ともそれはちがっていた。私が求めていたものは何か天然自然の自殺であった。まだ狡智長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった」(『仮面の告白』)というように曖昧な漠然たる死の願望らしきものを抱いているような表現を何とか工夫しているのである。

このように持って回った死の願望を「告白」したうえで、「それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか? 何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押し て来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?」と己の一連の兵役逃れの振る舞いに自ら逐一疑問を投げかけ、そしてさらに「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに」と同性愛者「私」の前途に希望がないような、生に大して未練がないようなことを匂わせてから(この点についてはその前にも「私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた」などと何度か死への志向を匂わせている)、「あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」と嘯くのであり、己の兵役逃れの振る舞いを同性愛者「私」のまやかしの「論理」と「心理」で何とか無答責にしようとするのである。

「営門をあとにすると私は駈け出した」のであるが、「あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」のは『仮面の告白』のテクスト内の同性愛者「私」であるにしても、そのテクスト外の作者三島由紀夫では決してありえない。三島は懸命に必死に営門から駈け出したのであり、それはむろん死と兵役を恐れてにほかならぬ。この時の三島の思いにしたって、父親の思いと同じはずであり、「これはいつ後から兵隊さんが追い駈けて来て、『さっきのは間違いだった、取消しだ、立派な合格お目出度う』とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかったから」である。しかし『仮面の告白』では「営門をあとにすると私は駈け出した。・・・・・・ともかくも『死』ではないもの、何にまれ『死』ではないもののほうへと、私の足が駈けた」と「告白」するのみで己の「内部」の記述はここでは省くのである。あとで仮面の「内部」を「告白」導入するために。他者の目に映じた「外部」は誤魔化しえないから、「内部」を誤魔化す以外にないのである。そしてこの「内部」にかぶった仮面を「告白」して仮面の「論理」と「心理」で他者の目に映じた己の「外部」の「醜かった」振る舞いを取り繕った後は、この「内部」の仮面を真に受けさせるような「外部」を現実に演じることで他者に仮面を素面と思わせることができるのだ。こうして仮面をダシにして「醜かった」と慙愧する過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」えたと思ったからこそ、三島は『仮面の告白』公表後、また執筆中にも一人の編集者に対して、面白半分に同性愛者めいた言動を嬉々として陰に陽に示したのである。

三島としては「過去の喚起はすべて醜かった」と慚愧するような「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」えたと思ったかもしれないが、こんな「告白」は決して真実ではありえない。帰りの夜行列車のなかで己の死への志向をあれこれ考え、「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」と爾後に同性愛者「私」に三島が回想させているにすぎないのであって、兵役逃れをするさいには同性愛者「私」もそんなことを何ら思っていないのであるから、何で自分が「むきになって軍医に嘘をつ」き、「微熱がここ半年つづいている・・・・・・肩が凝って仕方がない・・・・・・血痰が出る・・・・・・現にゆうべも寝汗がびっしょり出た」と言ったりしたのか分からぬはずなど決してありえないのである。たとえ同性愛者「私」の場合にせよ、いくら「軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかる」としても、兵役と死にたいする恐怖がないということには決してならないからである。同性愛者「私」がどんなに「人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかって」いようと、死にたいする恐怖がないということには決してならないのである。

実際、同性愛者「私」にしても何度か死や兵役への恐怖や嫌悪をもらしているが、兵役逃れの「告白」の段になるとそうした恐怖はいっさい隠して死への志向のみを盛んに表明し、そうして兵役逃れの振る舞いを「何だって」あんな真似をしたのか「私にはわかりかねた」と無答責にしてから、爾後にようやく「私はやはり生きたいのではなかろうか? それもきわめて無意志的に、あの息せき切って防空壕に駈けこむ瞬間のような生き方で。すると突然、私の別の声が、私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった筈だと言い出すのだった。この言葉が羞恥の縄目をほどいてみせた。言うもつらいことだが、私は理会した。私が軍隊に希ったものが死だけだというのは偽りだと。私は軍隊生活に何か官能的な期待を抱いていたのだと。そしてこの期待を持続させている力というのも、人だれしもがもつ原始的な呪術の確信、私だけは決して死ぬまいという確信にすぎないのだと」という具合に、「やはり生きたい」気持ちや「一度だって死にたいなどと思ったことはなかった・・・・・・私だけは決して死ぬまい」という気持ちや期待を明かすのである。

こうして帰りの列車のなかで振り返るという回想形式によって兵役逃れの「告白」を何とか不自然に思われないように表現や構成を巧妙に工夫して己のその振る舞いを何とか無答責にしようとしているのである。「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じ・・・・・・営門を出るとあんなに駈けた」のが何故なのか自分にも分からないなどということは決してありえないことなのに、生への執着や死への恐怖を隠して、もっぱら死への願望らしきもののみを表明しつつ、仮病を使った兵役逃れの振る舞いに自ら疑問を呈するという形にすることで、「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か? 軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」というまやかしの「告白」も「仮面の告白」と思われぬように意図的にテクストを作成しているのである。

 

 

刊行後しばらくのあいだ『仮面の告白』はまったく評判にもならず、ほとんど売れなかったようで、三島は役所を辞めたことを後悔したらしいが、昭和二十五年一月号の『文藝』に載った花田清輝の『聖セバスチャンの顔』と題する批評がきっかけで次第に注目されるようになったらしい。そこで花田は「三島由紀夫は、少しもひと眼を気にして仮面をつけているわけではない。性的倒錯という内向型の仮面をかぶり、ひたすらかれが、おのれの肉体を模索しているのは、理知的な、あまりに理知的な自分自身に不満をいだき、きびしい自己批判を行なっているせい」だと言っているが、確かに同性愛は三島が「内部」にかぶった仮面であるという意味では彼が「性的倒錯という内向型の仮面をかぶり」と言うことができる(とはいえその「内部」にかぶった仮面の「告白」の公表後は三島はそれを現実に「外部」にかぶるわけである。無論「告白」の公表自体がすでに「外部」に仮面をかぶることにほかならないが。私の「内部」は実はこうなんですと、それまで誰にも知られていなかったはずの己の「内部(の恥部)」を自ら「告白」して現実の外部に知らせているのである)。しかし、『仮面の告白』で三島が「性的倒錯という内向型の仮面をかぶ」って「ひたすらかれが、おのれの肉体を模索しているのは、理知的な、あまりに理知的な自分自身に不満をいだき、きびしい自己批判を行なっているせい」だと花田が言うのは違っていよう。

三島は『仮面の告白』について「あの小説では、感覚的真実と一知半解とが、いたるところで結びついている。人間性について、人々がつつましく口をつぐんで言わずにいたことを、あばき立てた勇気とともに、そういうものすべてに論理的決着をつけようとした焦燥とがまざり合っている」(『私の遍歴時代』)と言うように、それまで彼はもっぱら自己愛や自己美化の夢想やロマン主義的情念や感受性にすがって生きてきたことの反省から「すべてに論理的決着をつけようとし」て『仮面の告白』を書いたのである。当時の彼は「何でも直感的に、断定的に、手続きなしに物事を主張するという、始末に負えない非論理的な習性を固持していた」のであり、「折角法学士になりながら、自分の論理的欠陥を承知しており、言説のみならず、小説の制作の上でも、もっと、もっと、もっと、論理的にならなければいけないと自分を叱咤していた」のであって、それまで「感覚で判断していた」夢想的な己に「論理的決着をつけようとし」て『仮面の告白』を書いたのであり、決して「理知的な、あまりに理知的な自分自身に不満をいだき、きびしい自己批判を行なっている」のではなく、むしろまったくその逆の「自己批判を行なっている」のであり、「人間性について、人々がつつましく口をつぐんで言わずにいたこと・・・・・・そういうものすべてに論理的決着をつけようとした」のであり、同性愛をダシにしてそのまやかしの「論理」と「心理」で己の過去をできるかぎり論理的に統一的に説明しようとしたのである。だからこそ三島は次のように言うのである。

 

「『仮面の告白』のような、内心の怪物を何とか征服したような小説を書いたあとで、二十四歳の私の心には、二つの相反する志向がはっきりと生まれた。一つは、何としてでも、生きなければならぬ、という思いであり、もう一つは、明確な、理知的な、明るい古典主義への傾斜であった。

私はやっと詩の実体がわかったような気がしていた。少年時代にあれほど私をうきうきさせ、そのあとではあれほど私を苦しめてきた詩は、実はニセモノの詩で、抒情の悪酔だったこともわかってきた。私はかくて、認識こそ詩の実体だと考えるにいたった。

それとともに、何となく自分が甘えてきた感覚的才能にも愛想をつかし、感覚からは絶対的に訣別しようと決心した。

そうだ、そのためには、もっともっと鴎外を読もう、鴎外のあの規矩の正しい文体で、冷たい理知で、抑えて抑えて抑えぬいた情熱で、自分をきたえてみよう」(『私の遍歴時代』)

 

ここで三島が言う「内心の怪物」とは「私の中の化物のような巨大な感受性」(前掲書)のことであって、むろん同性愛とは何の関係もない。三島の同性愛仮面に誑かされている者は何でも彼でも同性愛に結びつけようとするため、いかにもそれらしく見えたり思えたりするわけだが、それというのも三島の真の恥辱、真の「恥部」をまったく剔抉看破しえていないからにほかならない。彼の真の「恥部」を洞察しえないかぎり、彼が巧妙に見せつけた仮面の「恥部」にいつまでも騙されざるをえないのである。

三島は明らかに『仮面の告白』を念頭に置いて、「作品というものはみんな言訳であり、行動のあとから辻褄をあわせた論理の織物に他ならない」と言うように、同作で彼は「醜かった」と慙愧する己の過去の「行動のあとから(同性愛仮面の「論理」と「心理」で強引に)辻褄をあわせた論理の織物」を作っているのである。それによって「醜かった」過去の「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定」しようとしたのであり、「醜かった」己の過去を「仮面」(これが何か説明するまでもあるまい)をダシにして「私のせいでない」と無答責にすることによる欺瞞的な自己正当化を図ったのである。だからこそまた後年三島は、「文学の中に、自分の無力と弱さの自己弁護の種子をしか探さないか、ということが、私には経験上よくわかっていた」(『「われら」からの遁走――私の文学』)とか、「いまは、あまりにも文弱の精神が日本中に流れ切っているために、それに対して私自身が自分の青春の心理から、いかに文弱の徒というものがずるい精神構造を持っているかということを思い知らせてやりたい気持が強まるのである。文学というものは、ちょうど蟹が穴の中に身をひそめるように、安全地帯に籠ろうとするには最適の仕事である。なぜなら文学は何とでも言いわけがつくから」(『若きサムライのための精神講話』)と自戒めいたことを言うのである。『仮面の告白』ででっち上げた仮面を利用して「何とでも言いわけがつく」ような欺瞞的な「自己弁護」をしたからこそ後年そう言うのである。

三島は昭和三十年七月十二日にこう書いている。

 

「私は小説『禁色』のなかで、女装の男娼などの擬異性愛的分子を払拭して、わざと簡明な定義に従い、〈男色とは男が男を愛するものだ〉という平凡な主題をつらぬいた。私にはプルウストのやったような、男色家における女性的要素の強調が、論理的歪曲にすぎぬと思われたのである。

もちろんわれわれの目に映る範囲では、女性的特色をもった男色家はたくさんいる。熾烈な女装の欲望を抱いた男もあれば、男の言葉を使うことにゆえしらぬ困難を感ずる男もある。しかし、無智な人間ほど、面白いことには、男色の本質的な特異性がつかめず、世俗的な異性愛の常識に犯されてしまうのである。その結果、どうなるかというと、自分が男のくせに男が好きなのは、自分が女だからだろうと思い込んでしまう。人間は思い込んだとおりに変化するもので、言葉づかいや仕草のはしばしまで、おどろくほど急激に女性化してくる」(『小説家の休暇』)

 

いずれこうした同性愛や同性愛者についての見方は書物からの知識やブランスウィックなどのゲイバーでの観察により形成されたものであろうが(そうしたゲイバーなどで彼の「目に映る範囲では、女性的特色をもった男色家はたくさんいる」のを知ったわけであろう)、これがどれほど妥当な見方であるかはともかく、要するに三島自身はそのような見方をしているということが肝心であり、「無智な人間ほど・・・・・・世俗的な異性愛の常識に犯され・・・・・・その結果・・・・・・自分が男のくせに男が好きなのは、自分が女だからだろうと思い込んで・・・・・・言葉づかいや仕草のはしばしまで、おどろくほど急激に女性化してくる」と考えているわけである。

三島を同性愛者と信じ込んでいる「世俗的な異性愛の常識に犯され」た「無智な人間」は三島が「男のくせに男が好きなのは」、彼が「女だからだろうと思い込んで」、彼の「言葉づかいや仕草のはしばしまで・・・・・・女性化して」描こうとするであろう。たとえばこんな具合に――「三島さんは、身悶えし、小さな声で、私の耳元にささやいた。/『ぼく・・・・・・幸せ・・・・・・』/歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった」(福島次郎『三島由紀夫――剣と寒紅』)。たとえ単なるまやかしのお芝居にしたって三島がこんな三文ドラマ以下の台詞など吐きはすまい。しかし、「世俗的な異性愛の常識に犯され」た「無智な人間」はこんな幼稚な暴露本(暴露どころか、実は三島が張った目眩ましの煙幕を増強するだけの隠蔽糊塗にすぎぬのだが)さえ真に受けてしまうであろう。

『仮面の告白』の解読で決着はついているのである。そこで三島はいかなる「仮面」をかぶっていかなる「真実な告白」をしているか、過去のいかなる「醜かった」と慙愧する「真実」を「告白」するためにいかなる「仮面」をかぶっているか(三島にとり己の「醜かった」過去の「告白」は「仮面だけがそれを成就する」からこそ「仮面の告白にまして真実な告白はありえない」と言うのだ)、何ゆえに「この作品を・・・・・・書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつゝあるような思いがしている。・・・・・・少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」のか、「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる。すると嘘たちは満腹し、『真実』の野菜畑を荒さないようになる」とはどういう意味か、これらを解明しえないかぎり、彼の真の「恥部」も偽の「恥部」も認識しえないのであり、また逆にこれを看破しえないかぎり、彼のそうした脚注めいた言葉の意味も解読できないのである。

三島の真の「恥部」、真の「痛いこと」を見破れないかぎり、彼が『仮面の告白』で明示的に全面的に示した仮面の「恥部」に誑かされ、彼の陽動作戦にまんまと引っかかってしまうのである。三島は「とりもなおさず身の安全のために」仮面をかぶったのであり、仮面の「恥部」を「告白」したのであり、「仮面の告白」をしたのであり、『仮面の告白』を書いたのである。言葉の詐術や幻術で出現させた「私のせいでない」ような仮面の「恥部」などいくら穿鑿されようと彼には痛くも痒くもないのであり、「いいじゃないか、言わせておけば。フフフ・・・・・・と意味深に笑ってれば、お互いに商売上、得だから」と鼻であしらえるのである。「商売上、得だから」というのは、己を謎めいたままにしておくほうが読者の興味や好奇心を繋ぎとめ、読者に飽きられないからでもあり、「自然の手によって作られた作品に就いて、何もかも心得ている時、その作品が作った作品などというものは、退屈極まる代物である」(小林秀雄)という面もあるからである。「私のせいでない」一般的な仮面の「恥部」を穿鑿させておくかぎり、「私のせいである」個人的な真の「恥部」すなわち彼の急所は「矢を射込」まれることもなく、「身の安全」を図れるのである。

以上のことを洞察しえないかぎり、「世評が高いという村松剛氏の『三島由紀夫の世界』を読むと、著者は、なにがなんでも、三島さんにはホモ・セクシュアルの気は一切なかったと弁明しようとしている。親友のよしみでそう言っているのだろうが、私には不自然さが感じられた。そんな形で三島さんの名誉を守ろうとしている感覚自体、私にとって一種の差別意識だと思われた。この文芸評論家として名の通った人でさえ、ホモ・セクシュアルであることは、人格の尊厳に傷をつけると信じていたのであろうか。この本への反発も、私が書きだした一因になっている」(福島、前掲書)などという頓珍漢きわまりない意見も、いかにももっともらしく聞こえてしまうのである。そもそも同性愛者であるか否かが当人の「名誉」だとか「人格の尊厳」の存否に関係する問題だと思っていること自体が頓珍漢なことであるし(特異な宗教的価値観に支配された社会ならまた別であろうが、『仮面の告白』が「平気で読まれ」る日本社会にはそんなものはありはしない。ただし三島は『仮面の告白』では同性愛をわざと深甚な「恥部」のように「告白」する必要があったわけである。その理由は最早説明するまでもあるまい)、また同性愛者でなく異性愛者だからといってその者に別に何らの「名誉」も「人格の尊厳」もあるわけでもない。そんなことは村松にだって分かり切ったことであろう。三島にしたって同じことで、だからこそ彼は同性愛仮面をかぶったのであり、かぶれたのである。

もし同性愛者たることが当人の「名誉」や「人格の尊厳に傷をつける」ようなものだとしたら、そんなものを三島がわざわざ仮面としてかぶるわけがなく、また、たとえフィクションめかした自伝としてすら告白するわけがあるまい。『仮面の告白』の発表が少しでも彼の「名誉」や「人格の尊厳に傷をつける」ことになったかどうかを考えてみれば分かることであろう。事態はむしろ逆なのであり、三島の評価は高まったのである。

かつて「弱者」たることによって深甚な挫折や屈辱を喫したと自覚した三島は、戦後は「強者たらん」、「勇者たらん」と志向したのである。戦時には神風特攻隊を「超エロティックに美」とみなして憧憬賛美し、「美しい死」、「悲劇的な死」、「英雄的な死」を夢想しながら、「生きるか死ぬかという」土壇場で「生に執着すること」で「その美を裏切る」ような「醜かった」振る舞いをしてしまったこと、そこで「弱虫の卑怯者」になってしまったこと、これこそ「美」を志向する三島にとっては決定的に己の「名誉」や「人格の尊厳に傷をつける」ようなものなのであって、この己の真の「恥部」を隠蔽糊塗し取り繕うためにこそ仮面をかぶったのであり、仮面の「恥部」を利用したのであり、その偽の「恥部」に人々の穿鑿の矢を向けさせようと図ったのである。

三島が『仮面の告白』で見せつけた彼の仮面の「恥部」を真に受けて人々があれこれ穿鑿するのはまったく彼の思う壺なのである。

 

 

『仮面の告白』において作者三島由紀夫がいかなる「仮面」をかぶっていかなる「告白」(作者三島にとって「真実な告白」)をしているかについてはすでに完膚なきまでに解明した。だが、かかる解読解明は『仮面の告白』のテクストのみからは決してできないのであり、作者三島自身の「真の恥部」を剔抉看破しえないかぎり不可能なのである。要するに『仮面の告白』を匿名のテクストとして扱うかぎり絶対的に不可能なのである。この点を確実に認識しておく必要がある。

これまで『仮面の告白』の「仮面」や「告白」の意味をめぐってはさまざまな解釈がなされ、たとえば前述の福田恒存の解釈のように妙に抽象的な不得要領な解釈もなされたりするわけだが、作者三島の「真の恥部」を剔抉看破しえないかぎり、『仮面の告白』における「仮面」と「告白」の意味内容や関係を解き明かすことは決してできないのであるから、三島がそこで何を「仮面」とし、何を「告白」としているかについては、さまざまの読者によりさまざまに解釈されざるをえないのである。だが、そうした「多様な」「自由な」解釈はいずれも作者三島の(同性愛者「私」のではない)「真の恥部」を看破しえない以上は単なる誤解、誤読にすぎないのであり、いずれも決定的な解明には程遠いものである。

まずその解明には三島自身によるさまざまの脚注的テクスト、たとえば「この作品を・・・・・・書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつゝあるような思いがしている。・・・・・・この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。・・・・・・少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている。・・・・・・この書物を書かせたものは私の自尊心であった」とか、「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」とか、「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる。すると嘘たちは満腹し、『真実』の野菜畑を荒さないようになる。同じ意味で、肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ。・・・・・・多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである。・・・・・・この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても、芸術家としての生活が書かれていない以上、すべては完全な仮構であり、存在しえないものである。私は完全な告白のフィクションを創ろうと考えた」等々の言葉を勘案しなければならない。

さらにまたもっと後年の「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」とか、「人間が・・・・・・美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということを覚悟しなければならない」という言葉も重要な手掛かりや証拠になる。

無論、「作者の死」を唱えて作者を捨象し、テクストを匿名とみなすかぎり、同一作者のさまざまのテクストを相互関連させることは原理的に不可能かつ不条理であるから、もし一瞬たりとも関連づけるとすればそうした作者捨象の前提は崩れていることになる。この点を決して曖昧に誤魔化してはならない。

三島は『仮面の告白』における「仮面」と「告白」の関係について「私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」とか、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」と言っているが、こうした言葉こそそのテクストがまさに作者三島自身の「仮面」と「告白」を秘めた仮面的テクストであることを示す重要な手掛かりであり、脚注である。

『仮面の告白』がまったくのフィクションの告白小説だとしたら、フィクションの告白などいくらでも可能なのだから、「告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」などとは言うまい。また、その言葉は三島にとってきわめて他者に知られたくない己自身の恥辱的な秘密の「告白」が念頭におかれていることをも示している。他者に知られても大して気にならないようなことの「告白」なら容易にできるのだから、「告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ」と言うはずがない。

三島は『仮面の告白』について「仮面だけが告白をすることができる」と言うのであり、これはつまり他人に己の仮面を見せつけて「その裏で告白をする」という意味であることは明らかであるが、これは単なるフィクションとしての『仮面の告白』について述べている言葉ではありえないのである。こうした三島の脚注的な言葉を考慮するなら、もしも『仮面の告白』が単なるフィクションであるとすると、「仮面」と「告白」の意味や関係が奇妙なものになる。つまり、同性愛者「私」は作中の「世間」や「他人」に対しては異性愛者としての「正常者」の「仮面」を見せて、同性愛という己の「恥部」は最後まで隠し通しているわけだが、では同性愛者「私」は己の「恥部」を誰に「告白」しているかといえば、その相手はフィクション内の誰にでもなく、同作を読む現実の読者であり、現実の世間や他人なのである。つまり作中の「世間」や「他人」に対して「正常者」の「仮面」をかぶって生きている同性愛者「私」の姿を現実の読者に示しているだけであって、フィクションの作中では「他人」に対して「仮面」の背後で何の「告白」もしていないのであり、同性愛の「告白」は現実の読者に向けてなされているのである。つまり「正常者」の「仮面」を見せる相手と同性愛を「告白」する相手が虚実別々なのであり、前者はフィクション内の相手であり、後者はフィクション外の現実の相手である。これは「恥部」が同性愛という同じものだとしたら奇妙なことである。要するに「仮面だけが告白をすることができる」という三島の言葉は単にフィクションとしての『仮面の告白』について述べている言葉ではありえないのである。

「仮面だけが告白をすることができる」とは、他者に向かって己の「恥部」を「告白」するには他者に対して「仮面」をかぶらないかぎりできないということであり、この場合「恥部」を「告白」する相手と「仮面」をかぶる相手は同じでなければならないのであり、またそうでなければ意味がないのである。つまり相手には「仮面」を見せつつ「その裏で」密かに己の「恥部」を取り繕いつつ「告白」するということ、これが「仮面だけが告白をすることができる」と三島が言う意味での「仮面の告白」というものであって、「恥部」が同じものなら「仮面」をかぶる相手と「告白」する相手が別々では意味をなさない。「恥部」の「告白」は直接的には「不可能」なので、相手には「恥部」の「告白」とは気取られぬように婉曲的に密かになされるのであり、そうするためにこそ相手に対して何らかの「仮面」をかぶるのであり、その「仮面」の口を借りて「恥部」を巧妙に糊塗しつつ密かに「告白」するのである。つまり「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」のであり、「告白」する相手に「仮面」を見せつけながら密かにその「裏で告白をする」のである。「告白」する相手と「仮面」を見せつける相手は同じでなければ意味をなさない。『仮面の告白』の場合に、あるいは三島の場合に、これが意味をなすのは、いずれも現実の読者や他者に対して「仮面」を見せ、その背後で己の「恥部」を「告白」している場合だけである。要するに三島は『仮面の告白』で現実の読者に自分は同性愛者だと「告白」しているのであり、これは実際に彼が編集者たちに自分はホモだと耳打ちしたのと同じ伝である。その「告白」自体こそが実は三島にとっての「仮面」なのであり、「仮面の告白」なのである。その「仮面の告白」の「裏で告白をする」ものこそが「仮面の告白」者の「真の恥部」なのである。

同性愛者「私」は作中では何ら積極的に「仮面」をかぶっているわけではない。成長するにつれて己の同性愛を恥じるようになってからそれを作中の「他者」に隠そうと努めているだけであって、「正常者」の「仮面」を「他者」に見せながらその「裏で告白をする」何かがあるわけでもない。要するに作中では同性愛者「私」は己の「恥部」を誰にも「告白」しておらず、その「恥部」を「告白」している相手は現実の読者なのである。現実の他者に対しては同性愛の「恥部」はこれ見よがしに積極的に示されているわけである。

かように三島の件の脚注的言葉を考慮するなら『仮面の告白』をフィクションとして読もうとしても、明示的な「仮面」と「告白」の関係がフィクション内とフィクション外にまたがってしまう(作中の「他者」に対しては「正常者」という「仮面」をかぶっているが、同性愛の「告白」をしている相手は現実の読者なのである)ため無理であろうし、また単なるフィクションとして読む読者もほとんどいないであろう。無論、単なるフィクションのテクストでないことは明らかであり、かといって正直赤裸な自己暴露の自叙伝とも読めないであろう(そう読みたがる者もいるかもしれないが。たとえば奥野健男や多くの読者のように)。

「この小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても」と三島は言っているが、彼の言う意味は「凡てが事実にもとづいている」ということであって、「凡てが事実である」ということでは無論ない。己に関して「凡てが事実にもとづい」たうえで独自の意図(これを見破るべきであり、それはこの場合は可能である。むろん作者を捨象すれば不可能になる)から潤色を施しているということ(たとえば「二人の人物の一人物への融合」など)なのである。つまり異性愛者たる己について「凡てが事実にもとづい」てはいるが、その己の「事実」に同性愛の潤色を施しているということなのである。架空の人物たる同性愛者「私」の口を借りて異性愛者たる作者自身の知られたくない「事実」を微妙に取り繕いつつ「告白」しているのである。現実の読者に対して同性愛者の「告白」と見せかけながら、その裏で異性愛者としての作者自身の「醜かった」と慚愧する「事実」を「告白」しているのであり、要するに現実の他者に向かって同性愛者の「仮面」を見せつけながら、その裏で目立たぬように作者自身の「真の恥部」を「告白」しているのである。これが「誤解された自分を押し立ててその裏で告白をする」と三島が言う真意である。見せつけられるものは「仮面」なのであり、「真の恥部」はさりげなく「その裏で告白」されるのである。「魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙っては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の樹を狙う」のである。作者が「仮面」を見せる相手と「告白」をする相手はいずれも現実の他者たる読者なのである。相手に見せつけるものこそ「仮面」なのであり、見せつける明示的な「告白」こそ「仮面」なのであり、「仮面の告白」なのである。その「仮面の告白」の裏で密かに「真実な告白」がなされるのである。だからこそ三島は『仮面の告白』について、「私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」とか、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言ったのであり、彼のこうした言葉も「仮面」と「告白」を向ける相手は現実の他者たる読者であり、同一の相手であることを示しているのである。

三島は『「仮面の告白」ノート』で、「この小説では、『書く人』としての私が完全に捨象される。作家は作中に登場しない。しかしここに書かれたような生活は、芸術の支柱がなかったら、またたくひまに崩壊する性質のものである。従ってこの小説の中の凡てが事実にもとづいているとしても、芸術家としての生活が書かれていない以上、すべては完全な仮構であり、存在しえないものである。私は完全な告白のフィクションを創ろうと考えた」と勝手な「論理」で煙に巻くようなことを言っているが、彼自身による件の脚注的言葉を勘案するなら、『仮面の告白』は決して「完全な告白のフィクション」ではありえないことが明らかになるのである。つまり三島はこうした脚注的言葉によって『仮面の告白』が決して「完全な告白のフィクション」ではないことを自ら認めているも同然なのである。無論、三島は別の場所では「この小説は、私の『ヰタ・セクスアリス』であり、能うかぎり正確さを期した性的自伝である」(『作者の言葉』)と言っているのだから、「完全な告白のフィクション」でないことは明々白々なわけだが。

以上のことを看破するには三島自身のさまざまの脚注的テクストを要するのであり、さらにまた彼の「真の恥部」を見破るにはそれだけでは足りず、「過去の喚起はすべて醜かった」と慙愧する彼の過去の恥辱体験や恥辱意識を剔抉看破せねばならない。「美しい死」に憧れ、神風特攻隊を賛美憧憬していた戦時の彼の美意識も知らねばならない。また、同性愛というものに対する三島の現実的な態度や恥辱意識と作中の同性愛者「私」の態度や恥辱意識との齟齬を見破らねばならない。また、『仮面の告白』が「平気で読まれ」る日本社会の文化的歴史的背景も考慮すべきである。

かように作者に関するさまざまの事柄がテクストの解明に必要なのであり、役立つのである。したがって「シェイクスピアの洗濯勘定書」だってテクスト解明に役立てる方法はありうるわけである。無論、数学テクストならその必要はないわけだが、日常言語で作成された人文系のテクストの場合には、そこに作者の側のさまざまのコノテーションが含まれているため、そうしたものを看破することが重要なのである。この場合に、テクストから作者を切り捨て、作者を捨象してしまえば、「多様な」「自由な」あるいは頓珍漢な解釈はいろいろできても、テクストや作者の解読解明への道は閉ざされてしまうのである。

 

「たとえば[sʌn]と言うとき、話し手は“sun(太陽)” の意味か、“son(息子)”の意味かを、前もって知っているのに反し、聞き手のほうは、脈絡確率に頼らねばならない。発信者にとっては多義的ではなかったのに、受信者にとっては曖昧な点が、メッセージのなかにたくさんある。地口や詩の曖昧性は、出力に対するこの入力の特性を利用するのである」(ヤーコブソン『一般言語学』)

 

ここでは同音異語/異義の場合が例示されているが、もっと微妙なものとして同語異義の場合にも同じことが言いうる。これは日常言語で作成された人文系テクストの場合に言いうることである。たとえば同じ「仮面」とか「悪魔的」という言葉でも、作者と読者ではその意味するところや抱懐するものは異なりうる。作者のほうは独自の明確なコノテーションやイメージやニュアンスまたは価値観や美意識や好悪感をもってそうした言葉を使っても、読者のほうではそれらを必ずしも容易に捉えられるわけではなく、といって勝手に解釈していいわけでもない。作者がどういう文脈でその言葉を使うかをみるわけだが、そうした文脈は多いほど言葉の意味を捉えるのに資するのであり、一編のテクストだけでは曖昧ないし不可解な場合も、同じ作者のさまざまのテクストの多様な文脈において問題の言葉がどう使われているかを考慮することで次第に作者のそうした主観的な意味やコノテーションが明らかになってくるのである。だからこそシュッツは、「魔的(デモーニッシュ)という言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」と言ったのである。

数学言語の場合なら一般に文脈に左右されることなく確定した意味を捉えられるが、曖昧多義な日常言語の場合は文脈によって意味は変わりうるのである。「言葉の意味はその使用法である」(ヴィトゲンシュタイン)。これは特に日常言語について言っているのである。「魔的(デモーニッシュ)という言葉」の使用法はゲーテと他の作家とでは違うのである。

ところが、こうした読解は作者を捨象し、テクストを匿名とするかぎり、まったく不可能になる。つまり作者捨象とテクスト匿名に基づく「テクスト論」では作家の個人全集は決して編むことはできないのであり、そんなことをすればその前提にまったく反することになる。おしなべて匿名であるはずの無数のテクストから如何にして特定の数編だけを関連させることができようか。まったくナンセンスでかつ不可能なはずである。

テクスト作成は作者の精神活動であり、生の活動なのである。テクストは作者の精神活動という生の活動の所産である。たとえば三島の人生はほとんどテクスト作成に費やされていたようなものであり、テクスト作成活動こそ彼の人生の、彼の生活の主要部なのである。テクスト作成活動という精神活動を別にして彼の伝記を書くなら、それはきわめて偏頗な伝記、ほとんど精神活動を無視した伝記にならざるをえまい。そうした伝記こそが一般に伝記とされているのかもしれないが、三島の人生からテクスト作成活動という精神活動を排除した「実生活」(実はテクスト作成だって作者の生活にほかならないのだが。要するにその人の生の活動のすべてが「実生活」であるはずなのだが)とはどういうものかといえば、そのほとんどは睡眠、起床、洗顔、食事、運動、付き合いなどの行住坐臥に費やされているにすぎず、そうしたこと(その詳細は一握りの身近な人にしか分かるまいが)だけでは他者をあまり認識できないはずである。

 

「自然界には記号は存在しない。しるしだけが存在する。記号は本質的にいって私自身や他人によって措定される記号であり、しかも記号はある意識体験を表現するために措定される。記号は常に人間による措定を参照するがゆえに、記号にはその措定者の意識体験のしるしという性質が備わるのである」(シュッツ『社会的世界の意味構成』)

 

テクストをいくら作者から切り離そうとしたところで、テクストと作者は緊密に結びついているのである。テクストは作成者の「意識体験のしるし」なのであり、精神活動すなわち生の活動の所産であり、痕跡なのである。ただ数学テクストの場合のように作者を考慮しなくとも読解に何ら差し支えないテクストがありうるというだけのことである。無論、数学的思考も数学者の精神活動であり、生の活動にほかならず、数学論文とその作者は結びついているのであり、両者は切り離せないのである。でなければ誰にもフィールズ賞を授与することはできないであろう。

「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」(デリダは「人が自称するところ」の『告白』や恋愛小説『新エロイーズ』や『社会契約論』など多様なジャンルの作品を書いたルソーのテクストについてそう言っているのだから、テクスト全般についてそう考えていることは明らかである)。ここでは「ルソーの生活」からルソーのテクスト作成活動という精神活動すなわち生の活動がまったく抜け落ちているのであり、「生活」というものをきわめて限定された皮相な意味で使っているのである。「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」というのはある意味で当然のことであるが、そこからテクストは匿名的だとして、テクストから作者を切り離し、捨象するわけだが、こうした考え方は、テクストが、テクスト作成が、作者と、作者の生と、生の活動と、精神活動と、決して切り離せない密接な関係にあるという簡明な現実を忘失してしまっているのである。要するにそれは畢竟はテクストの側だけから見た考え方にすぎないのである。

テクストは作者の精神活動という生の活動の所産であり、証左であり、痕跡である。三島由紀夫の父親や実在の「園子」は『仮面の告白』を無論三島が書いたものとして読むから三島がそのテクストで「仮面の告白」をしていることを読み取るのである。彼らはそのテクストを当然「作者が三島である」テクストとして読むのであって、決して「作者が三島であるような」テクストとして読むわけではない。「作者が三島であるような」テクストはないにせよ、「作者が三島である」テクストは確実にあるのである。だから作家の個人全集が編まれるのである。「作者が三島であるようなテクストはない」とすることから、すべてのテクストは匿名的であり、テクストから「作者あるいは主体」は切り離される、作者は捨象されるという考え方からは、個人全集を編むことはできまいし、また編む意味もないはずである。

つまり「作者の死」を唱える作者捨象の「テクスト論」においては、「魔的(デモーニッシュ)という言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」というような解読解明は決してできないのであり、まったく無視されてしまうのである。また、作者や発言者自身の単純な嘘のテクストさえ嘘と見破ることも全然できなくなる。「人が自称するところ」のテクストから作者を切り離したり、「自称するところの」テクストの作者あるいは主体が「誰か」「何者か」を不問に付すならば、「人が自称するところ」のテクストと「その人が現実にあるところ」との齟齬、差異、矛盾を認識することは当然まったく不可能になる。ゲーテ全集は「作者がゲーテであるテクスト」が存在するからこそ成り立つのであり、それゆえシュッツの言うようなゲーテ自身のコノテーション(ゲーテにとっての「主観的な意味」)の解読が可能になるのであって、「作者がゲーテであるようなテクストは存在しない」として「作者あるいは主体」を捨象するかぎりそうした解読は決してできないのであり、仮面的テクストを仮面的テクストと見破ることもまったく不可能になってしまうのである。

かように「作者の死」を唱える作者捨象の「テクスト論」がテクスト一般に到底適用できるものではないことは明らかであろう。

すでに指摘したように、フッサールはたとえば数学テクストなどの「客観的表現」の場合なら作者が誰だろうとテクストの意味内容は変化しないため作者を考慮せずともテクスト解読に差し支えないが、たとえば〈私〉という一人称代名詞の主体が語り、「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような」そうした「主観的表現」の場合は、話し手によって、つまり語る主体や作者が「誰か」「何者か」によって、その表現の意味内容は異なりうるため、話し手や作者が「誰か」「何者か」の考慮を要すると説いたのであるが、ところがデリダはフッサールのこの明々白々な論旨を欺瞞的に捩じ曲げて、フッサールが問題にする〈私〉という一人称代名詞の主体が語る言葉の意味(つまり〈私〉にとっての「主観的意味」)ではなく、単なる〈私〉という一人称代名詞の語自体の意味つまり〈私〉の意味の問題にすり替えてしまった。そしてデリダは、フッサールが「〈私〉の記号的価値」など全然問題にしていないのに(フッサールが問題にしているのは〈私〉の意味ではなく〈私〉が語る言葉の意味の問題である。だから〈私〉が「誰か」「何者か」が決定的に重要な問題になると言うのだ)、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」として、強引かつ意図的に「私の死」を捻り出し、それと同次元の問題であるかの如くに「作者の死」を持ち出して、次元のまったく異なる二つの問題(一方は単に人称代名詞の意味の問題、他方は人称代名詞が語る言葉の意味の問題である)を同じ次元であるかのように見せかけているのである。

デリダはフッサールやシュッツなどが説く(ただしフッサールの場合は「話し手とその状況によってそのつど現実的な意味」としているため「主観的意味」の問題が狭く限定されすぎている嫌いがあるが)語る主体にとっての言葉の「主観的意味」の問題を視界に入れようとしないのである。だが、ひょっとするとデリダのこうしたフッサール曲解は必ずしも意図的なものではなく、彼がハイデガーの言葉に従ってか「主体」や「現前」の「形而上学」の「解体」にとらわれて、〈私〉という一人称代名詞の「主体」の問題の方ばかりが彼の視界でクローズアップされたため、フッサールの論旨を誤読誤解したということなのかもしれないが、たとえ万一そうだとしても語り手にとっての語られた言葉の「主観的意味」の問題を回避したことに変わりはない。

いずれにせよデリダはフッサールが論じる問題を単なる〈私〉という語の意味の問題にすり替えて、「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」などと赤子にも分かり切ったことをくどくどと妙な「形而上学」めいた空疎ナンセンスな饒舌で誑かそうとするのである。そして挙げ句の果てに、「書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」などと、フッサールが問題にしてもいないことを以て彼を批判しているのである。それに「書かれた〈私〉の無名性は・・・・・・〈正常な状態〉なのである」とデリダは言うが、そんな考えなど、「日常生活ではどんな商人でも、ある人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別することをしかと心得ているのに、われわれの歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それぞれの時代が己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じている」(マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)という批判や洞察を前にして到底成り立つまい。この場合、作者を捨象し、作者が「誰か」「何者か」を無視して、テクストのみをいくら考察し、テクストの側からのみ見ているかぎり、畢竟それは「人間が語り、想像し、表象するものから出発し、あるいは、語られ、思考され、想像され、表象される人間から出発して」いるにすぎないことになるのである。解明し認識すべきは何なのか。「ある人が自称するところ」の言葉やテクストなのか、「その人が現実にあるところ」なのか。無論、言うまでもあるまいが、畢竟はまったく同じことである。

 

 

「意味措定者が投企された記号措定に用いる解釈図式は、要するにただ単に措定者の解釈習慣に依拠するだけでなく、解釈者の解釈習慣とも関連している。私が何かを告げ知らせる意図で自分の書いた文章を通読する際、言うまでもなく、私は何よりもまず、他者が書いた別の文章をいつも私自身の解釈習慣に基づいて読むように、これを解釈する。しかしながら私の目的は書いた文章を読者に理解してもらうためであり、しかもその文章の客観的な意味連関、すなわち私の用いた語句の語義や文章自体の構造のみならず、その文章の主観的な意味連関をも同様に理解してもらうためである。読者は、単に私の文章の連関において個々の語が意味しているものを理解しなければならないばかりか、私や私の意識にとって当該文章がどのような意味連関にあるのかをも理解しなければならない」(シュッツ、前掲書)

 

とはいえ仮面的テクストの作者は必ずしも己のテクストの「主観的な意味連関」を理解してもらいたいとはかぎらないのである。三島は『仮面の告白』のテクストの彼にとっての秘密の主観的意味を解読されたくないのであり、そこで自分がかぶった仮面を見破られたくないのである。そのために彼は「客観的な意味連関」を周到綿密に構成したはずであるが、そこにはいろいろな点で微妙な破綻が生じている。無論、それを見破っただけでは大した意味はなく、作者三島の生の関連諸面をあらゆる手掛かりによって考慮考究(ここに「シェイクスピアの洗濯勘定書・・・・・・を利用する方法」の一端があろう)しないかぎり、そのテクストを解読することも彼の仮面を看破することも決してできないのである。作者を捨象して、テクストの表面的な「客観的」意味ばかりを読み取っているだけではどうにもならぬのである。

無論、三島は『仮面の告白』のテクストの主観的意味を解読しうる読者などいるわけがないと確信していればこそ同作を執筆公表したはずである。でなければ同作執筆中に、「書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつつあるような思いがしている。・・・・・・少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」などとは決して言わないであろうし、「小説家になろうとし、又なった人間は、人生に対する一種の先取特権を確保したのであり、それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にとって必要不可欠のものだったということを、裏から暗示している。すなわち、彼は、人生をこの種の《客観性》の武装なしには渡ることができないと、はじめに予感した人間なのだ。客観性の保証とは何か?それは言葉である」などと言葉の客観的意味に期待するようなことを言うわけがあるまい。そして事実、かつて同テクストを仮面的テクスト(同性愛の仮面を利用した作者自身の本当の「恥部」の取り繕いのテクスト)と看破し、作者三島にとってのその主観的意味を解読しえた者はまったくいなかったわけである。それほどこうした仮面的テクストの主観的意味の解読は困難極まりないのであるが、だからといって絶対的に解読不可能と考えてはならないのである。無論、作者を捨象するかぎりは絶対的に不可能である。ここには作者捨象の「テクスト論」の決定的な陥穽がある。

事実や真実を隠蔽糊塗しているテクストのみから何が隠蔽糊塗されているかを見破ることは困難である。『仮面の告白』は作者が己の真の「恥部」を恥辱意識や恥辱感を読者にあまり感じさせないように仮面の「論理」と「心理」(これらの不合理は見破れなければなるまい)で無答責に取り繕いつつ「告白」しているのだが、全編にわたって偽の「恥部」、仮面の「恥部」をあたかも深甚に恥じているように「告白」しているため、その仮面の「恥部」以外の、仮面の「恥部」以上に深甚な、何らかの「恥部」を背後に秘めているとは看破し難くなっているのであり、作者はそのように周到に工夫構成しているのである。

テクスト作成は作者の生の連関のなかの活動であり、作者を捨象してテクスト作成における作者の「現実にあるところ」を認識しえない。テクスト作成以外のところにのみ作者の「現実にあるところ」があるというわけではないのである。

作者(の生、生活)を捨象してテクストの作者にとっての主観的意味を解読しえない。無論、これは作者やその伝記的事実をテクストにあてがうとか当て嵌めるなどということではまったくない。作者(の生、生活)や伝記的事実自体が困難な解読を要するのである。たとえば三島のハートブレイクや兵役逃れの事実を知ったところで、それだけでは『仮面の告白』を何ら解明できないであろう。それらの体験が彼のエロス的実存にどれほどの衝撃を与えたかや彼の美意識や恥辱意識を含む精神にどれほどのわだかまりや拘りになったかを彼の性格とともに看破感得しえなければならないし、場合によっては同じような実存的照破体験を要するかもしれない(こうした深甚な実存的経験は容易に言語表現し難い場合があり、作者によって表現はまったく異なりうるため、読者の側に同様の経験がないかぎりそうした言語表現をそれと認識しえないであろう。ニーチェは精神崩壊の直前に書いた『この人を見よ』で言う。「私のツァラトゥストラをいささかでも理解するためには、人は私と同様の条件下にあらねばなるまい――すなわち片足を生の彼方に踏み出していること」。畢竟言葉は実存の影にすぎないのである)。こうして作者(の生)の関連諸面をあらゆる手掛かりによって考慮考究することでテクストを解読する方法への道を拓く可能性が生じうるのであって、最初から作者を捨象してしまっては一縷の希みすら失われてしまうであろう。

デリダは「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」と言うが、これは彼が未だ、あるいは遂に、作者(の生)の何をどのようにテクスト解読に利用しうるかの方法を見出すに至らなかったことを如実に示すものである。「ルソーの生活を探求する必要はほとんどない」という言い方には微かな留保ないし覚束なさが窺えるが、畢竟彼は「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」と考えて、作者やそれに関わるものを妙な修辞を施して希薄化し、結局は捨象し抹殺するのである。いずれにせよ作者を捨象するかぎり、「魔的(デモーニッシュ)という言葉がゲーテにとって意味しているものはゲーテの著作全体から初めて解き明かされる」というような主観的意味の問題(フッサールもこれを重視した)すらも視界から外れてしまうであろう。

作者が己自身の事柄について嘘を吐いているような「人が自称するところ」の単純な仮面的テクストすら、当のテクストのみでは仮面的テクストと認識しえないことを考えるだけでも、作者捨象の「テクスト論」に根本的な疑念を呈するに充分であろう。たとえば三島の「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。幸いにしてそのどちらも通ったからいいようなものだが、一つは学習院初等科の入学試験であり、一つは最後の高等文官試験であった」というテクストを作者が誰でもいいテクストとしていくら読んでも何の解明にもなるまい。そのテクストは「作者が三島由紀夫である」テクストだと認識することで初めて仮面的テクストと看破しうる可能性が開かれるのであって(作者が別人なら必ずしも仮面的テクストとはかぎらない)、「作者が三島由紀夫であるような」テクストはないから作者を捨象して差し支えない(ここには実は厳密な論理関係はまったくない。ただ字面や表面的意味に誑かされる者は多かろう)とする考え方はかかる可能性を永遠に閉ざすものである。

作者に関するそうした外的、公的、表面的、形骸的な事柄なら容易に真偽を見破れようが、問題が個人的な内面的な事柄ならその看破洞察はきわめて困難なものになりうる。とはいえ、作者の秘められた内部をも剔抉看破しないかぎり解読しえないテクストもありうるのであって、作者捨象を第一の前提にしてしまっては一切の手掛かりを失うことになるのである。

このように、作者が誰だろうとテクストの外見は無論まったく不変であり、その客観的意味は同じであるが、作者が誰であるかによってその主観的意味が異なりうることを認識しうるなら、作者を捨象してひたすらテクストのみをいくら考察しようとどうにもならぬ場合がありうることが分かろう。歴史文献テクストの場合は言うに及ばず、一般に日常言語で作成されたテクストの場合は、作者独自のコノテーション(たとえばゲーテの《魔的》という言葉の主観的意味)を解読するには作者捨象では不可能になってしまうのである。

以上のことを確実に認識しうるなら、作者捨象の「テクスト論」がどんなに妙な修辞を弄して自説の補強保身に努めようと、そんなものに決して誑かされることはないはずである。

 

「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようとすることは、軽率さ以上のものであるだろう。このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ。そのようにして人々が答えているつもりになっている問いは、現前の、固有なものの、主体の、形而上学の外ではいかなる意味ももたぬということに疑いはない。厳密に言えば、作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない。残されているのは、この主要な命題から厳密な諸帰結を引き出すことである」(『グラマトロジ―について』)

 

こうしたデリダの考えはハイデガーの言う「主観性の形而上学の解体」という言葉に準じたような感じだが、ここから彼は「主体」あるいは作者を捨象する「テクスト論」を主張するかのようである。とはいえ彼は、言質を取られまいとする用心深さからか、肝心な点を何ら明示していないためいろいろな論理関係が曖昧模糊たるままである。「厳密に言えば、作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない」と言うが、「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクスト」とは一体どういう「テクスト」なのかについて、「厳密に言えば」と嘯くだけで、何らの説明もしていない。「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するもの」があるような「テクスト」というものを考えているらしいが、ではそれがどういう「テクスト」かについて何らの説明もしていない。そうした「テクスト」の考え方によっては、それが存在するとも存在しないとも断定しえないはずである。「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止め」ることが「困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能」だからといって、「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するもの」がないということには必ずしもならないはずである。

簡単な仮面的テクストの場合を考えれば分かるように、テクストを考えることで必ずしも作者が決まるわけではなく(そのようにして決められた「作者」は単なる「架空の人物」でありうる)、作者(が誰か、何者か)を考慮考究することで、テクストのみでは解読解明できないことも解読解明する可能性が開けるのであり、たとえばテクストが仮面的か否かが分かったりするのであって、ここからまた新たに作者が認識される可能性も生じうるのである。フッサールやシュッツが簡単明瞭な妥当な例で示しているように、言葉を発する「主体」たる話し手やテクストを作成する「主体」たる作者を考慮することによって、話し手や作者にとってのその言葉の意味、つまり話し手や作者にとっての主観的意味やコノテーションが解読解明されうるのであって、この場合に作者を捨象するわけには決していかないのであり、読者の側の主観的ないし恣意的な文脈のみで読み取っていいわけではないのである。作者を考慮考究することの決定的重要性や必要性や有効性については、すでに『仮面の告白』のテクストの解読解明で完膚なきまでに論証し、実証したとおりである。ここで作者たる三島由紀夫を捨象しては、そうしたテクストのそのような解読解明は絶対的に不可能になってしまうのである。

かようにテクストを作成する「固有」の「主体」たる作者を考慮考究することが重要な問題になりうるのであって、それをデリダは「固有」の「主体」や作者を考慮考究することをすべてあたかも「現前の、固有なものの、主体の、形而上学」であるかのように思わせる曖昧な言い方をして、件の問いについて「そのようにして人々が答えているつもりになっている問いは、現前の、固有なものの、主体の、形而上学の外ではいかなる意味ももたぬということに疑いはない」などと一見当たり前のようだがほとんどナンセンスな言辞を弄して「作者の死」や作者捨象を曖昧ながら正当化しようとしているように思われる。作者を考慮することが「現前の、固有なものの、主体の、形而上学」であるなら、そうした「形而上学の外」では件の問いが「いかなる意味ももたぬということに疑いはない」のはある意味で当たり前であろうが、だからどうだと言うのか。では、そうした「形而上学の外」とは一体何なのか、その意味や意義を何ら示さず、何となく作者捨象を正当化するような思わせぶりな曖昧模糊たる言い方で煙に巻いているのである。

デリダが「現前の、固有なものの、主体の、形而上学の外」なるものを意味ありげに持ち出すのはどうもハイデガーの件の「形而上学の解体」という言葉を引き受けたもののようであり、「現前の、固有なものの、主体の、形而上学の外」なるものを持ち出すことで、「現前の、固有なものの、主体」の捨象が充分意味あるかのようにみなし(だからこそ彼は「主観的意味」を説くフッサールの明々白々で正当な論旨を認めようとしなかったのであろうし、むしろ欺瞞的に強引に曲解し、論点をすり替えたのであろう)、「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない。残されているのは、この主要な命題から厳密な諸帰結を引き出すことである」としてデリダ流の「作者の死」や作者捨象の「テクスト論」をあたかも「厳密な諸帰結」の一部として「引き出す」ことができるかのようにみなしているのである。

彼がどうやら「現前の、固有なものの、主体」の捨象や作者捨象の正当性を頑固に確信しているらしいことは、「厳密に言えば、作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクストは存在しない。残されているのは、この主要な命題から厳密な諸帰結を引き出すことである」という言い方からも窺えよう。彼はこの「命題」を「主要な命題」として金科玉条のようにみなしているようだが、この「命題」自体が実は真偽の曖昧な少々トリッキーなものであり、これから引き出される「帰結」もあやふやなものなのである。結論めいたことを言えば、この「命題」が真であろうと偽であろうと、作者捨象では解明しえないテクストやほとんどナンセンスになるようなテクストがあり、作者を考慮考究することが決定的に必要かつ重要になるようなテクストがありうるのだから、この「命題」がたとえ真であるとしても、テクストの解読解明に作者の考慮考究は決定的に重要でありうるのだから、テクストの解読解明において作者を捨象して差し支えないとこの「命題」から「帰結」(すでに示したように、実はこの両者の間に厳密な論理関係はまったくない)していいわけでは決してないのであり、この「命題」を真なるものと確信して、ここから作者捨象が「帰結」されると考えているかぎり、テクスト解明のためにやがては持って回った複雑怪奇な弥縫策を意味ありげにいろいろ講じざるをえなくなろう。けだし、たとえばテクストの作者に関わる記述内容の真偽を解明するためや、作者にとっての主観的意味(いうまでもないことであろうが、フッサールやシュッツが重視するこの「主観的意味」の解明こそテクストの客観的な認識に通じるものである)を解読するためには、作者を考慮せずには不可能である以上、いずれはテクスト解読のために作者を何らかの形で密かに導入したり、あるいは作者を包含するように「テクスト」の概念を拡大したりして(「テクストの外には何もない」などと恰も「テクスト」に作者諸共世界全体を含めるかのような曖昧な言い方をして「テクスト」概念を拡張するとしたらまやかしであろう。「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない・・・・・・作者あるいは主体がルソーであるようなテクストは存在しない」として作者(の生)とテクストを無縁にし切り離した以上、「テクスト」に作者が含まれるはずがないからだ)、やがては作者を何らかの形で考慮せざるをえなくなろうからである。

要するに、発言やテクストの解読解明のためには、「作者あるいは主体がルソーであるようなテクストは存在しない」という「命題」が真であろうと偽であろうと別に何ら重要な問題ではないのであり、また、言を発する「主体」や作者(が誰か、何者か)を考慮考究することが「現前の、固有なものの、主体の、形而上学」の内であろうと外であろうと、そんな穿鑿は別にどうでもよいことなのである。

デリダは「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるようなテクスト」として「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するもの」があるような「テクスト」というものを考えているようだが、しかし、もしもテクスト自体に「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するもの」を突き止めることが可能だとしたら、あるいは作者「固有」のものがテクスト自体に内在しているとしたら、むしろその場合こそ作者を考慮する必要などまったくないのである。「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止め」ることが「困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能」だからこそ、あるいは作者「固有」のものがテクスト自体に内在していないからこそ、作者を考慮する必要が生じてくるのである。

たとえばテクスト作成「主体」や作者にとって仮面的であるテクストを、「主体」や作者を捨象しては仮面的か否かを解明しうるわけがあるまい。無論、この場合「主体」や作者にとって「仮面的」というかかる主観的な意味の解明こそテクストの客観的な認識に他ならないのである。同じ言葉でも発言者や作者によっては虚偽であったり真実であったりするのであり、その言葉の真偽や虚実の看破こそ客観的な認識であって、かかる認識は発言者や作者を捨象しているかぎり不可能なのである。言葉や記号で構成されたテクストを作者の介入を許さぬ不可侵のように祭り上げているようではどうにもならぬ。作者を捨象するとすれば、それだけ認識の世界を決定的に狭めてしまうことになるわけだが、認識の世界を狭めて充分な認識ができようか。あるものを認識するのに、それに決定的に関わるものを捨象して、当のあるものを認識しえようか。

デリダは「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようとすることは、軽率さ以上のものであるだろう。このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ」と言うが、これはまったくの認識不足というものであり、デリダ流の作者捨象の「テクスト論」の決定的な陥穽、欠陥、誤謬を如実に示すものである。なぜなら、たとえばすでに示したように、『仮面の告白』のテクストは作者三島由紀夫(の生)を考慮考究することによってそのテクストに三島に「固有なものとして帰着するものを突き止め」ることがいかに困難にせよ可能(無論これは常に可能というわけではないが、作者を捨象するかぎり常に不可能なのである)なのであるから(たとえば当のテクストにおいて三島「固有」の虚実の解明が可能になり、ここからさらに三島「固有」のさまざまのことの解明が当のテクストにおいて可能になる。かかる決定的に重要な認識が欠落してしまうのは、「作品の背後にあるルソーの生活を探求する必要はほとんどない」として早々に作者捨象を前提にしてしまった以上当然のことである)、「このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ」などとは決して言いえないからであり、必ずしも「このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ」というわけでは決してないからである。したがって、デリダがそのように考えているということは、彼が未だ、あるいは遂に、作者(の生)の何をどのようにテクスト解読に利用しうるかの方法を見出すに至らなかったことを如実に示すものである。

「作者がルソーであるようなテクストは存在しない」かどうかはともかく、無論「作者がルソーであるテクストは存在する」のであり、こちらの厳然たる事実こそが真に重要なのである。「作者がゲーテであるテクストは存在する」からこそ、ゲーテ全集を編むことが可能になり、それゆえゲーテのさまざまなテクストから「魔的(デモーニッシュ)」という言葉の多様な使用法を考慮考究することでその言葉のゲーテにとっての主観的意味を解明する可能性が生じるのであって、テクストを匿名的とみなして作者を捨象してしまえばそうした解明はまったく不可能になる。また、テクストの背後の作者の実存や生の考究によってはじめて解読しうるようなテクストもありうるのである(たとえば『仮面の告白』など)。

作者を捨象してテクストのみから作者固有のものを突き止めることは不可能である。「饅頭こわい」のテクストは饅頭好きでも饅頭恐怖症の作者でも作成しうるのだから、この場合に作者を捨象すればテクストの虚実や真意など消滅せざるをえまい。無論そのテクストが単なるフィクションのテクストなら作者が饅頭好きか否かの穿鑿など無用であろうが、また別の作者認識がテクスト解読に資する場合もありうるのである。「作品を基にして作者を再現しようとする者は、必然的に架空の人物を築き上げることになる」とヴァレリーが言うのは、作品から得られる作者像と実際の作者像の違いを認識したからであって、この時点では彼はまだ「作者が誰か」によってテクストの意味が異なりうることを認識しておらず、作品と作者を別々に考えていたわけである。だが、実は作品と作者のあいだに何らの矛盾もないのである。饅頭好きが「饅頭こわい」と言おうと、饅頭恐怖症がそう言おうと、いずれの場合も発せられた言葉と発言者のあいだに何らの矛盾もないのだ。ただ前者は嘘を吐いており、後者は正直に言っているだけである。それを見破れないかぎりは作者と作品(あるいは言動)は矛盾しており、別ものであるとみなすのである。発言と発言者のあいだに何らの矛盾もないということは、ある発言が発言者にとっていかなる発言行為であるかを認識していればこそのことである。同じ発言でも発言者によって異なる行為でありうる。発言者を捨象すれば発言行為の差異は消滅し、その発言が発言者のいかなる活動であるかを認識しえなくなるのは当然である。

三島由紀夫と『仮面の告白』に何らの矛盾もない。ただ彼が仮面的テクストを書いていることを看破しえなければならない。でなければ、そのテクストから三島を同性愛者とみなしたり、晩年のテクストから彼を天皇主義者とみなすような単に言葉を真に受けているだけにすぎない安直極まりない無邪気な三島論がいつまでもあとを絶つまい。テクスト作成活動自体に作者の「現実にあるところ」があるのであって、作者とその生の活動に矛盾などまったくあるはずがないのである。テクスト作成活動自体が作者(の生)の形成であり、作者(の生)の一部なのである。テクスト作成活動が作者の生の活動であればこそ、テクストは作者認識の手掛かりになりうるのである。

テクストが作者のいかなるテクスト作成活動の下で作成されているかがそのテクストがいかなるテクストなのかを解明する重要な問題になりうるのであって、同じような「饅頭こわい」のテクストでも饅頭好きと饅頭恐怖症ではそのテクスト作成に関わる両者の意識は異なる。意識は感情、感覚、欲望、思考、認識、想起、空想、妄想、予知、反省、期待、希望、絶望、等々、これら内的生や心的生のすべてを含む。「意識は全てのものが織り合わされている全体である」(オルテガ『ヴィルヘルム・ディルタイと生の理念』)。そうした生の連関の内にテクスト作成活動もあるのであり、作者を捨象してしまえば、個々人のそうした意識の差異も消滅せざるをえないどころか、そんな差異があることすらも認識しえないおそれもありえよう。たとえば同じテクストでも作者によって仮面的テクストになることもあれば、ならないこともある。テクスト作成活動における作者の内的志向などの内的生が異なるからである。仮面的テクストを仮面的テクストと認識しえずそのテクストをいくら多様に解釈しようと、言葉に振り回され惑わされているだけのことであり、決してテクストを解読することはできまいし、作者を認識することもできまい。

落語のように、「饅頭こわい」と言表するテクストを作成公表したあとで、「饅頭こわい」と言表する作者が饅頭をうまそうに食らっているのを知れば、それが彼の仮面的テクストであったと容易に分かるわけだが、「作者の死」を唱えて作者を捨象し抹殺する以上、そうした作者の事後の振る舞いの一切(要するに生の連関)も考慮に入れるわけにはいかないのだから、単純な仮面的テクストすら永遠にそれと認識しえなくなるのである。無論、数学テクストの作成活動も作者の形成であるが、そのテクストは作者個人には関わらぬ普遍的な数学的論理で解読しうるため作者個人の生の連関を考慮しなくても差し支えないが、一般に作者個人の問題が微妙に関わる人文系テクストの場合にはそうは参らぬ場合があるのである。

同じ「饅頭こわい」の発言テクストでもそのテクスト作成に関わる意識や思いは作者(発言者)により異なりうる。作者とテクストの関係は恰も実体と影の関係のようなものである。投じられた影は同じでも、その実体は異なりうるし、また別々の異なる形姿の影でも実体は同じということがありうる。影のみから必ずしも実体が認識されるわけではなく、影を投じる主体の意識や思いを考慮看破せねばならぬ場合もあるのである。言葉や言葉で構成されたテクストは実在や現実の影のようなものであり、また実体を隠蔽糊塗する仮面でもありうるのだ。影を投じる主体の意識や思い、テクスト作成に関わる作者の意識や思い、こうした「作者の生(の活動)」を抹殺して、誰が投じたのでもないと想定する(無論これは現実を無視した想定である)影のみを問題にするのが「作者の死」を唱える作者捨象の「テクスト論」なのである。それがなんら「個」を認識するものではないことは明らかであろう。

たとえば『仮面の告白』は三島が己の過去の恥辱(だから彼は「過去の喚起はすべて醜かった」と言うのである)を仮面を利用して隠蔽糊塗し取り繕うため(だから彼は「私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」と言うのだ)に作成したテクストであり、かかるテクスト作成に関わる彼の意識や思いを考慮し剔抉看破(これは時には直観を要しよう)しえぬかぎり、テクスト解読も作者解明も決してなしえないのである。このテクストを作者から切り離して、頑迷に独立したテクストとして読もうといくら努めても、それは恰も影のみからその本体を空想するようなもので、ありもしない奇妙奇天烈な怪物をでっち上げるのが関の山であろう。そのテクストは奇妙奇天烈な影だからである。

 

「たとえば小説のなかである人物についていろいろ語られる場合を考えよう。作者はその人物の性格をいくらでも詳しく述べ、いくらでも彼に喋らせたり行動させたりすることができよう。しかし、作者の費やす一切の言葉も、私がその人物と一瞬でも接触した場合に経験する単純で不可分な意識に匹敵しえまい。・・・・・・その人物について作者が私に語るすべてのことは、その人物に対する視点を提供する。その人物の描写に使われるすべての特徴は、私がすでに知っている人やものとの比較によってしか私に伝えることができないから、多かれ少なかれ象徴的に表わすための記号にすぎない。記号とか視点は私をその人物の外に置き、その人物について、その人が他の人々と共通にしている点しか与えず、その人物に固有なものを与えるものではない。ところがその人物に固有なもの、その本質を成しているものは、定義上内的なものであるから外部から認めることはできないし、ほかのすべてのものと通約しえないから、記号によって表わしようがないであろう。・・・・・・

絶対は直観のうちにしか与えられず、ほかのすべては分析の領域に入ることになる。私がここで直観と呼ぶのは、対象の内部に身を置くための共感のことで、それによってわれわれはそのものの独特な、したがって表現し難いところと合致するのである。・・・・・・分析は無限に続く。しかし、直観は、もし可能だとすれば、単純な業である。・・・・・・

われわれには単なる分析によらず直観によって内から把握する実在が少なくとも一つある。それは時間を貫いて流れるわれわれ自身の人格であり、持続するわれわれの自我である。われわれは他のいかなるものとも、知的に、あるいはむしろ精神的に、共感することはできないにしても、しかし確かに自分自身とは共感する。・・・・・・

無数の色合いをもつスペクトルを思い浮かべれば、私の前に見えるのは出来上がったものであるのに、持続は絶えずなされている。また引き伸ばしたゴム紐や伸縮するバネを考えれば、意識が一つの色調から別の色調へ移る単純な運動しか見えなくなって、経験された持続の特徴である豊かな色彩を忘れてしまう。内的生は同時にこれらすべてであって、多様な性質、持続的進展、統一的方向を含む。これをイメージで表わすことはできない。

しかし、概念、すなわち抽象的で、普遍的で、単純な観念を以てしては、いっそうそれが表わしにくい。もちろんどんなイメージも私が自分自身の持続について有する独特の感覚をすっかり表わしはしない。しかし、それを表わそうとする必要もないのである。自身の存在を構成している持続の直観を得ることのできない人には、概念によってもイメージによっても決してそれを伝えることはできない。・・・・・・イメージには少なくともわれわれを具体的なもののうちに留め置くという利点がある。どんなイメージも持続の直観に取って代わることはできないが、多種多様な事物から得たさまざまなイメージがあれば、それらの作用を集中することによって、意識をある一定の直観が得られる点に正確に向けることができる。できるだけ多様な種類のイメージを選ぶことによって、そのなかのどれか一つが呼び出すべき直観の地位を奪うのを防ぐことになる。もしそのイメージが直観に取って代わろうとしても、直ちにそれと張り合うイメージに追い払われるからである。・・・・・・単純すぎる概念の不都合な点は、それが実は対象に取って代わる記号であって、われわれから少しも努力を要求しないことである。・・・・・・抽象的な観念が分析することに、すなわち対象をほかのあらゆる対象と関係させて科学的に研究することに役立つだけ、それらの観念は直観、すなわち対象の本質的で固有なものの哲学的探求の代わりになることができなくなる。実際、ある意味で、これらの概念を並べてみても対象の人工的再構成しか決して得られず、概念は対象の普遍的な、いわば非個性的な側面を象徴的に示すにすぎない。だから概念を以て実在を把握できると思っても駄目であり、概念はただ実在の影しか示しえないのである」(ベルクソン『形而上学序説』)

 

ベルクソンがこのように言うのも「実在の影しか示しえない」概念を表わす言葉の背後の現実や実在がいかなるものかを把握しているからであり、またニーチェが「哲学者がここで立ち止まり、後ろを振り返り、あたりを見回したということ、ここでさらにいっそう深く掘り下げず、鋤を捨てたということには、何かしら恣意的なものがある。何となく不審なものさえある。あらゆる哲学はさらに一つの哲学を隠している。あらゆる思想もまた一つの隠れ場であり、あらゆる言葉もまた一つの仮面である」と言葉の仮面性を指摘するのもその言葉を吐く人間の内的生を凝視していればこそである。

実在の影また時には仮面にすぎない言葉、そうした言葉を主として他者に示すために用いてテクストを作成する作者を捨象しては、単純な仮面的テクストすら仮面的と看破することは無論できず、場合によっては真実のテクストの真実さも認識しえないこともありうる。

テクストの全称命題としての作者捨象の「テクスト論」であるかぎり、誰が投じたものでもない影、誰が工夫制作しかぶったものでもない仮面としてのテクストを相手にすることにもなりうるのであり、そうした影や仮面の言葉やテクストのみを、それとは知らずいくら論じても、それを投じたりかぶったりする実在の主体を認識しえないのは当然である。誰が投じたかによって影の意味は異なりうるし、誰がかぶるかによって仮面の意味は異なりうるからである。影だけなら、仮面だけなら、どんな奇怪な怪物だろうといくらでも現出させることができるのである。影の言葉や仮面の言葉をそれと知らずにその作者を論じるなら「必然的に架空の人物を築き上げることになる」のは当然である。かくして作者をまったく認識しえない作家論が横行することになる。

 

 

すでに指摘したように、バルトは作者をあたかも最初から自明で既知のように安易にみなして、「テクストに作者をあてがうのはテクストに歯止めをかけることだ」とし、テクストから作者を捨象する「作者の死」を説いた。かくしてテクストから作者は完全に切り離されることになり、両者は別々に扱われることになった。こうなればテクストは何ら作者(の生ないし人生の)認識や作者(の生ないし人生の)解明に資するような解読をされなくなるのは当然である。

バルトの「作者の死」の教説を擁護補強するかのように、デリダは〈私〉という一人称代名詞についてフッサールが『論理的探究』で展開した所論、すなわち、「本質上主観的で偶因的な表現」の場合は、語る主体や作者が「誰か」「何者か」によって、その表現の意味内容は異なりうるため、話し手や作者が「誰か」「何者か」の考慮を要するという明々白々な妥当な論旨を欺瞞的に捩じ曲げて、〈私〉が語る言葉の意味解釈の問題でなく単に〈私〉という単語の意味の理解や伝達の問題にすり替えて、フッサールを批判したつもりの、あるいは批判したように見せかけた詭説を唱えた。

デリダが「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようとすることは、軽率さ以上のものであるだろう。このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ。そのようにして人々が答えているつもりになっている問いは、現前の、固有なものの、主体の、形而上学の外ではいかなる意味ももたぬということに疑いはない」(『グラマトロジ―について』)と言うのは、「固有なものの、主体の、形而上学」をハイデガーの件の惹句に準じてか否定しようとするからであり、そうした「形而上学」の内での論を否定し、「固有なもの」や「主体」を考慮した論を否定するために、「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようと」として「人々が答えているつもりになっている問い」は「固有なものの、主体の、形而上学の外ではいかなる意味ももたぬ」と一見何やら意味ありげだが単なる思わせぶりのナンセンスな修辞を弄して煙に巻くのである。「固有なものの、主体の、形而上学」の内か外かはどうであれ、「本質上主観的で偶因的な表現」の場合など、〈私〉という固有の主体の語る言葉の意味内容によっては、〈私〉が「誰か」「何者か」の考慮を要する、〈私〉の「主観的意味」を理解する必要がある、というフッサールの論の妥当正当なことは寸毫も揺らぐことはないのであり、また「魔的(デモーニッシュ)」という言葉がゲーテにとって意味している「主観的意味」の解読を主張するシュッツの論の妥当正当なことにしても疑う余地などあるまい。

デリダは件のフッサールの所論に対して次のように言った。

 

「人称代名詞はどんな現実的言表においても単に指標的な価値をもつにすぎない。・・・・・・

ある言表の主体およびその対象の全面的不在――作者の死あるいは(および)彼の書きえた諸対象の消滅――は〈意味作用〉のテクストを妨げない。逆にむしろ、この可能性が意味作用を意味作用として生じさせるのであり、意味作用を聞かせたり読ませたりするのである。・・・・・・

〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・

〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・

その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である。・・・・・・書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」(『声と現象』)

 

すでに指摘したことだが、ここでデリダはフッサールを強引に誤解曲解して、〈私〉という一人称代名詞の主体が語る言葉の意味解釈の問題を、単なる〈私〉という一人称代名詞の単語自体の意味の理解や伝達の問題にすり替えて、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」として、無理やり「私の死」を捻り出し、それと同次元の問題であるかの如くに「作者の死」を正当化しようとしているのである。

そして、「〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない」とか、「〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない」とか、「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」とか、馬鹿馬鹿しいほど当たり前の分かり切ったことを並べ、さらにそれと論理的に繋がりがあるかのようなことを意味ありげな思わせぶりな表現で、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」と述べた挙げ句、「書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」などと、フッサールをまったく誤解曲解してフッサールを批判したつもりになっているのである。あるいは批判したように見せかけているのである。

デリダは単に「〈私〉という語の意味を理解する」という誰にでも自明の問題のみを論じているだけであるから、「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」などというようなほとんどどうでもよい当たり前のことをくどくどと言うわけだが、そんな誰にでも自明のことがフッサールに分かっていないなどとデリダが本気で考えているとしたらあまりにも馬鹿げていよう。無論フッサールが問題にしているのはそんな万人に自明のどうでもよいことでないのはすでに明らかであろう。フッサールが問題にしているのは、「〈私〉という語を理解する」などという赤子にも自明のことではなく、あくまで「〈私〉が語る言葉を理解する」問題なのである。こんなことも分からなければいくらでもデリダの詐術的なまやかしの妄言に誑かされてしまうであろう。

〈私〉という一人称代名詞は話し手の固有名の代わりになる人称語であって、それには本来話者自身の固有名が暗黙裏に含まれているのである。ある人が〈私〉と言う場合にはその人個人を指示し意味しているのであって、ドン・キホーテが「私は・・・・・・」と言う場合や「宣言」する場合は、この〈私〉は無論ドン・キホーテ当人を意味し、固有の話し手自身を意味しているのであって、いちいち自分の個人名を言う代わりに〈私〉という一人称代名詞を用いているのであり、それが一人称代名詞というものの「構造」というより機能なのであって、「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」などというものではないのである。聞く側にしたって相手の言う〈私〉が相手自身を指示し意味していることを当然知っていればこそ会話が成り立つのであって、〈私〉が不特定の無名や匿名の誰でもいい人物だと考えているとしたら会話などまったく成り立つまいし、場合によっては会話の内容だって理解しえまい。〈私〉という語を誰でも使用できる、誰でも理解できるからといって、〈私〉が誰でもいい、誰を指すのでもない、誰か特定の人物を意味するのではない、などとはまったくの戯言である。

秀吉が〈私〉と言えば、この〈私〉は秀吉を指示し意味しているのであり、話し手がいちいち己の固有名を言う代わりに〈私〉という人代名詞を用いるのであって、話し手や書き手の言う〈私〉はそれぞれの固有名を機能的に内包しているのであるから、「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である。・・・・・・書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は・・・・・・〈正常な状態〉なのである」わけがないのである。信長が「私の妹」と言えば、それは「信長の妹」を含意しているのであり、秀吉の妹でも家康の妹でもないのであって、このように理解しなければ話の内容など通じまいし、およそ歴史文献テクストなど到底読み解けるわけがあるまい。

デリダがフッサールを意図的にか誤読誤解して、フッサールの論点を単なる〈私〉という一人称代名詞の語自体のみの意味の理解や伝達の問題にすり替えて、「その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」などと馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことをくどくどと言うのは、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」などというような思わせぶりの意味ありげな修辞に満ちた妄説を論理的に帰結できるかのように見せかけて、「私の死」を強引に引き出し、ここからあたかも「作者の死」の教義が正当化されるかのように思わせるためである。「私の死」を無理やり持ち出して、〈私〉という語る主体や固有名を捨象することで「作者の死」の考えが何となく正当化されるような言い方をしているのである。ドン・キホーテが「私は・・・・・・」と「宣言」するなら、それは「〈私〉ドン・キホーテは・・・・・・」を意味していることは疑いを容れぬのであり、〈私〉は固有の「主体」である話し手個人を含意し指示しているのであって、「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」わけがないのである。

無論、単に音声で〈私〉と言うばかりでなく、文字で〈私〉と書く場合でも、その〈私〉は〈私〉と発したり書いたりする固有の主体である当人を指示し意味しているのであり、たとえ小説などのフィクション中の人物の場合でも同じことであって、作中でアリスや桃太郎が「私は・・・・・・」と言ったり書いたりすれば、その言われた〈私〉や書かれた〈私〉はアリスや桃太郎という架空の人物にせよ固有の主体を指示し意味することは論を俟たぬのであり、それを「書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は・・・・・・〈正常な状態〉なのである」などとはまったくの戯言であり、無論フッサールはそんなことを全然問題にしてもいないのである。言われた〈私〉にせよ、書かれた〈私〉にせよ、その〈私〉は固有の当人を指示し意味しているのであり、「書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は・・・・・・〈正常な状態〉なのである」わけがないのであり、そうでなければ会話にせよ文章にせよまったく意味が通じまいし、話の筋すらたどりにくくなろう。

このような馬鹿げたまやかしの妄説を真に受け帰依しているのは、さながら似而非宗教の教祖の荒唐無稽な教説を真に受け帰依するのにも匹敵するほどの驚くべき馬鹿馬鹿しさであろう。ひとたびある者が教祖に祭り上げられると、その教祖の言うことすべてが、片言隻句や断簡零墨にいたるまですべてが、有り難がられ、正しいものと盲信され、教祖が言ったから正しいと手もなく信じ込むような無邪気というか愚かしい事態が生じるのだ。

 

 

デリダは『グラマトロジ―について』のなかで、「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようとすることは、軽率さ以上のものであるだろう。このことは単に困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能なのだ」と言ったが、これはテクストのみからは不可能であるにしても、作者を考慮することによってテクストの表面的意味ないし客観的意味の背後に裏の意味ないし作者の主観的意味を見出すことが可能になる場合があるのである。たとえば戦後の三島由紀夫が「醜かった」と喚起する彼自身の「過去」を、戦時の彼の恥辱的屈辱的体験を、その恥辱意識を、その「恥部」にかかわる戦後の彼のわだかまりや拘りを剔抉看破することによって、『仮面の告白』のテクストの背後の意味(三島が密かに真に意図した意味)を、作者の主観的意味を解読解明する可能性が開かれるのであり、これが作者解明や他我認識につながるのであって、こうした裏の意味や作者の主観的意味こそ作者の「テクストに固有なものとして帰着するもの」にほかならず、これを「突き止めようとすることは」無論「軽率さ」どころではなく重要なことなのであり、むしろそれをあっさり断念してしまうことこそ「軽率さ以上のもの」であり、それはきわめて「困難」ではあるにせよ必ずしも「不可能」ではないのである。

万人共通の公的な言語やその集合のテクスト自体に作者固有のものなどないことは最初から分かり切ったことであり、だからといってテクストの表面的客観的意味のみを問題にすべきであるなどとは戯言である。たとえば歴史文献テクスト(たとえば信長や家康の書状)や「人が自称するところ」のテクストなどは、作者を考慮することによって作者固有の主観的意味が解読される可能性が開かれるのであり、言葉のそうした裏の内的意味こそ作者固有のものなのであって、かかる内的意味の解読は決定的に重要なものでありうるのである。

テクストのみでは解明できないようなテクストがあるからこそ作者を考慮する必要が生じるのであって、もしも「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するもの」を突き止めることが可能だとしたら、あるいは作者「固有」のものがテクスト自体から読み取れるとしたら、むしろその場合こそ作者を考慮する必要などまったくないのであり、テクストのみで足りるのである。したがって、「ルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止め」ることが「困難なだけでなく、そのうえ実際に不可能」だからといって作者や主体を捨象して差し支えないなどというのは馬鹿馬鹿しくも非論理的な考え方なのである。テクストのみではテクストに作者固有のものが突き止められないからこそ、ある種のテクストの場合には作者を考慮する必要が生じるのである。

デリダは「作者の死」を奉じる立場から、「たとえばルソーのテクストに固有なものとして帰着するものを突き止めようとすること」を「現前の、固有なものの、主体の、形而上学」(これも曖昧模糊たるものだが)とみなして否定しているようだが、たとえば「人が自称するところ」のテクストや仮面的テクストなどは、作者を考慮し追究して、「テクストに固有なものとして帰着するものを突き止め」ることによって解読解明しうるのであるから、この場合に件の「固有なものの、主体の、形而上学」を否定してどうしよう。彼が「固有なものの、主体の、形而上学」を否定する背景には、どうもハイデガーの「主観性の形而上学の解体」という流行のフレーズを取り入れて「作者の死」や作者抹殺の教義を何となく正当化しうるかのように思わせようとしているのではないかとも疑われる。いずれにせよ、「現前の、固有なものの、主体の、形而上学」の「内」か「外」かどうであろうと、主として人文系テクストの解読解明に作者考慮が決定的に有意味に重要になりうるのであるから、作者捨象の教義など到底テクスト一般に適用しうるものでないどころか、テクストの解読解明上重大な支障をきたしうるのである。「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーであるような」テクストは存在しないにせよ、「作者あるいは主体がジャン=ジャック・ルソーである」テクストは確実に存在するのであり、この後者の命題こそ真に重要な現実的な手掛かりになりうるのであって、前者の「命題」からいくら「厳密な諸帰結を引き出」そうとしたところで、テクストに作者「固有なものとして帰着するものを突き止め」ることを否定し、作者や「固有なもの」を捨象するかぎり、たとえば「人が自称するところとその人が現実にあるところとを区別すること」すらまったく不可能にならざるをえまい。「われわれの歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それぞれの時代が己自身について語り想像するところのものを言葉どおりに信じている」

 

 

フッサールが、「人称代名詞を含むすべての表現は、すでに客観的意味を欠いている。〈私〉という語は各場合ごとに別の人物を指し、しかも絶えずその意味を変えながらそうする。そのつどの意味がいかなるものであるかは、ただ生きた言表とこれに属する直観的な状況からしか探り出せない。誰が書いたかを知らずにその語を読むとき、その語は意味を欠いているわけではないにしても、少なくともその語の正常な意味から逸れている。・・・・・・人称代名詞に対して妥当することは、もちろん、指示代名詞に対しても妥当する」と言ったとき、彼は無論「人称代名詞を含む」表現や「人称代名詞を含む」文章を念頭に置いて言っているのであって、決して人称代名詞の単語のみについて言っているわけではない。ところが、デリダはフッサールのこの明々白々たる文意を曲解ないし誤解して、人称代名詞たとえば〈私〉という単語のみを俎上に載せて、「人称代名詞を含む」表現や文章を切り捨てた頓珍漢な論を展開しているのである。

デリダは、「〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する。・・・・・・〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である。・・・・・・書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」と言うことで、問題を〈私〉という人称代名詞の単語のみの意味や理解の問題にすり替えて、「私の死」や「書かれた〈私〉の無名性」を引き出し、ここから作者捨象や「作者の死」の教義が正当化されるかのような論を展開しているのである。フッサールが論じているのはあくまで〈私〉などの「人称代名詞を含むすべての表現」についてであって、人称代名詞の単語の意味を問題にしているわけでは毛頭ない。

デリダは〈私〉という一人称代名詞の単語のみを問題にして、その意味の理解のためには話す個人や主体の固有性は何ら関わることがないかのよう論じているが、これは別に〈私〉という一人称代名詞やその他の人称代名詞のみの特性でも何でもない。人称代名詞の如何に関わらずすべての品詞の単語の性質にすぎない。名詞だろうと形容詞だろうと動詞だろうと、どんな品詞であれ、あらゆる単語について言いうることにすぎない。単語のみを問題にするかぎり、その言葉を誰が使おうと使用者個人のことや固有名が問題になることなどないのは分かり切ったことである。〈私〉にかぎらず、〈君〉だろうと〈彼ら〉だろうと〈これ〉だろうと〈それ〉だろうと、さらに〈山〉だろうと〈船〉だろうと〈昨日〉だろうと〈明日〉だろうと、単語であるかぎり誰が言おうと話し手個人やその固有名が問題になることなどないのは当然のことである。ある程度まとまった文章にならないかぎりそうした問題など生じるわけがないのである。たとえば誰かが「私は昨日ハワイから船で帰ってきた」と言えば、その言葉の虚実が問題ならばそこで初めて話者が誰かを考慮する必要が生じるのである。

「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」と、かようにデリダはほとんど取るに足らぬ問題をもったいらしい修辞を工夫してまやかしの論を展開しているのである。

 

 「ドラクロワが注目していることだが、命題こそ文の本当の単位であり、命題から単語が引き抜かれると無差別的で無規定的な原子になる。しかし、こうした一般観念もひとたび文法的関係の絡繰によって互いに交錯し合えば、たちまち一つ残らず正確で特殊な意味を獲得する。知的努力が記号から意味へ進むのではなく、意味から記号へ進むのはそのためである。・・・・・・無媒介的な知覚がそのまま事物についての思考であるのに対し、概念は別の知覚についての思考、作為的に作り上げられた表面的な思考にすぎない。つまり概念は間に介在する媒介を通して捉えられた実在の代用品より以外のものを認識することを金輪際あきらめているのである。・・・・・・意味は記号のなかに隠れていると想定し、記号について省察をめぐらすことは、セノタフ(空っぽの墓)のようにまったく空疎で記号的な省察であり、見かけ倒しの観想であって、偽の深さの典型である」(ジャンケレヴィッチ『アンリ・ベルクソン』)

 

辞書の見出し語の全単語に使用者の固有性などないことは当たり前であり、「〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」のも、馬鹿馬鹿しいほどまったく当たり前のことだが、ここから文章やテクストの問題における「作者の死」を導くことなどできはしない。〈私〉という単語がひとたび文章のなかに入れば〈私〉が誰かを考慮する必要が生じうるのである。かようにデリダは〈私〉の単語としての特性のみを詰まらぬ修辞で粉飾したうえで、それを文章やテクスト内にある場合にも適用してしまっているのである。

繰り返すようだが、フッサールは〈私〉という現実の主体ないし話者ないし作者が語る言葉や命題の意味解釈を問題にしているのである。つまりフッサールが言う〈私〉は現実の話者であり、作者であり、その〈私〉が語る言葉の意味解釈を問題にしているのである。それをデリダは強引に曲解し、単なる〈私〉という言葉(の意味)だけを問題にして、「〈私〉を理解するのに・・・・・・誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」などと、誰にでも分かり切ったどうでもよいことを得々と述べ、そのうえで、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。・・・・・・〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」などと、ナンセンスな詰まらぬ修辞を弄して、語る主体としての〈私〉の捨象や「私の死」を無理やり捻り出し、この「私の死」を「作者の死」に通じるものであるかのように論じているのである。こうしたデリダの頓珍漢なフッサール曲解はテクストが分野に関わらずすべて作者が誰だろうと意味内容や解釈に変わりはないと思い込んでいるためである。

単なる単語としての〈私〉は一般的な〈私〉にすぎず、特定の個人を意味する〈私〉でないことは当たり前であり、そのことをデリダは「特定の個人としての〈私〉の無」という意味で「私の死」と言っているだけにすぎないのだが、その「私の死」をテクストの意味内容を問題にする「作者の死」と結びつけることなどできやしない。両者はまったく別の問題なのである。テクスト分類学のない「テクスト論」は作者や話者の違いによるテクストの意味内容の違いの可能性を認識しえず、また逆に、その認識がないからこそ一部の流行の「テクスト論」にはテクスト分類学がないのである。

デリダの曖昧な言い方をより明瞭に言い換えれば、「(単語としての一般的な)〈私〉(という言葉)を理解するのに・・・・・・(特定の個人としての)誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・(単語としての一般的な)〈私〉という語を理解するのに私は(特定の個人としての)〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない」ということにすぎず、さらに簡明に言い換えれば、「〈私〉(という語)を理解するのに誰が話しているかを知る必要はない。〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」ということにすぎず、ほとんど論ずるまでもない当たり前のことを述べているにすぎない。「〈私〉という語を理解する」ことなど誰にでも容易にできよう。要するにデリダは単なる単語としての〈私〉の一般的意味のみを問題にしているにすぎないのに、そんな一般的な〈私〉の「記号的価値は話し手の生に依存しない」という意味で「私の死」を強引に引き出し、そんなどうでもよい空疎ナンセンスな「私の死」を文章やテクストの意味解釈を問題にする「作者の死」と混同しているのである。つまり、彼の言う「私の死」はまったく論ずるまでもないほど当たり前のことであり、その当たり前の「私の死」を「作者の死」と同等のものとすることで、テクスト解釈の場合にも「作者の死」を当然のこととして正当化しうるかのように思わせているのである。

フッサールは単なる単語としての言葉の意味ではなく、言語表現における現実的な意味を問題にしているのである。

 

「われわれは、何らかの表現、たとえば〈平方剰余〉の意味を問う場合・・・・・・〈平方剰余〉という表現一般は、誰がそれを口に出そうと、まさしく同一のものである。・・・・・・話を分かりやすくするために、われわれは本質上主観的で偶因的な表現と客観的な表現の違いを以下のように定義しよう。・・・・・・われわれは、ある表現が単にその音声的な現出内実だけでその意味を拘束している場合、ないしは拘束できる場合、したがって発言する者や発言の状況を必ずしも考慮せずに理解できる場合に、この表現を客観的と呼ぶ。・・・・・・他方、われわれは、概念的に統一的な一群の可能的な意味が機会や話し手や状況に帰属しているため、機会に応じ、話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような表現を、すべて本質上主観的で偶因的な表現あるいは簡単に本質上偶因的な表現と呼ぶ。・・・・・・客観的表現には、たとえばすべての理論的表現、すなわち〈抽象的〉諸学の公理、定理、証明および理論を構成している諸表現が属している。たとえば数学的表現が意味していることは人がそれを実際に用いる状況によって何ら影響されることはない。われわれはそれを話し手を少しも考慮せずに読み理解することができる」(『論理的探究』)

 

フッサールがこう言うとき、彼は「発言する者や発言の状況」の現実を考慮する必要の有無を問題にしているのであり、そして一方の表現を「主観的表現」と呼び、他方の表現を「客観的表現」と呼ぶのである。すなわち、「発言する者や発言の状況を必ずしも考慮せずに理解できる場合に、この表現を客観的と呼」び、「機会に応じ、話し手とその状況によってそのつど現実的な意味を方向づけることが本質的であるような表現を・・・・・・主観的・・・・・・表現と呼ぶ」のである。

続いてフッサールは次のように言うが、これも彼は現実の個々の「発言する者や発言の状況」を念頭に置いて論じているのであって、人称代名詞や指示代名詞の単語の意味を問題にしているわけでは毛頭ない。そんな単語の意味など誰にでも自明のことで問題にするまでもないことだからである。

 

「人称代名詞を含むすべての表現は、すでに客観的意味を欠いている。〈私〉という語は各場合ごとに別の人物を指し、しかも絶えずその意味を変えながらそうする。そのつどの意味がいかなるものであるかは、ただ生きた言表とこれに属する直観的な状況からしか探り出せない。誰が書いたかを知らずにその語を読むとき、その語は意味を欠いているわけではないにしても、少なくともその語の正常な意味から逸れている。・・・・・・人称代名詞に対して妥当することは、もちろん、指示代名詞に対しても妥当する。・・・・・・本質上偶因的な表現の領域には、さらに、主語に関係した諸規定、たとえば、〈ここ〉、〈そこ〉、〈上に〉、〈下に〉、さらには〈今〉、〈昨日〉、〈明日〉、〈後に〉などが属する」

 

現実の「発言する者や発言の状況」が異なれば、つまり、いつ、誰が、どこで発言するかによって、「主語に関係した諸規定、たとえば、〈ここ〉、〈そこ〉、〈上に〉、〈下に〉、さらには〈今〉、〈昨日〉、〈明日〉、〈後に〉など」はそれぞれ別のことを指示し、意味しうるのである。

ところがデリダは「人称代名詞はどんな現実的言表においても単に指標的な価値をもつにすぎない」として、人称代名詞の言葉の意味(そんなことは誰にでも分かり切ったことにすぎぬ)のみを問題にしているのであり、現実の話者や作者を何とか無き者にしようとしているが、まったくの誤解、曲解、妄言というものである。単なる人称代名詞の言葉の意味のみが問題なら、それが「どんな現実的言表において」使用されようと、またフィクションの言表において使用されようと、「単に指標的な価値をもつにすぎない」のは当たり前であり、そんな分かり切ったどうでもよいことが問題ではない。デリダは例えば〈私〉などの人称代名詞の単語の意味だけを問題にして馬鹿馬鹿しいほど分かり切ったことをしかつめらしく言うのである。

 

「ある言表の主体およびその対象の全面的不在――作者の死あるいは(および)彼の書きえた諸対象の消滅――は〈意味作用〉のテクストを妨げない。逆にむしろ、この可能性が意味作用を意味作用として生じさせるのであり、意味作用を聞かせたり読ませたりするのである。・・・・・・〈私〉を理解するのに、いやそればかりか〈私〉を発語するにも、誰が話しているかを知る必要はない。・・・・・・〈私〉という語を理解するのに私は〈私〉という対象についての直観をもつには及ばない。・・・・・・その本人が知られている場合だけでなく、その人がまったく架空の人物である場合にも、また彼が死んでしまっている場合でも、われわれは〈私〉という語を理解する」

 

ただ単に「〈私〉という語を理解する」のに、「その本人が知られてい」ようといまいと、「その人がまったく架空の人物で」あろうとあるまいと、また「彼が死んでしまって」いようといまいと、「私〉という語を理解する」のに何ら差し支えないことなど誰にとっても当たり前の言わずもがなの分かり切ったことにすぎない。

続いて彼は、「〈私〉の記号的価値は話し手の生に依存しない。知覚陳述に知覚作用が随伴しようとしまいと、〈私〉の陳述に〈自己への現前〉としての生が随伴しようとしまいと、それは意味作用の機能遂行にはまったくどうでもよいことである。〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である。・・・・・・書かれた〈私〉の無名性、〈私は書く〉の非固有性は、フッサールの言に反して〈正常な状態〉なのである」として、フッサールの論旨をまったく誤解曲解して彼を批判したつもりになっているのである。

単なる一人称代名詞の単語としての〈私〉は一般的な〈私〉なのだから、特定の個人の〈私〉を意味するものでないのは当たり前のことであり、それを指して「〈私〉の宣言には私の死が構造的に必然的である」などとは詰まらぬ駄言以外の何ものでもあるまい。〈私〉という言葉自体に何らの個人の「生」もなければ「死」もありはしないのである。ありもしない「私の死」をでっち上げればこそ虚妄の「構造」も生じてくるのである。言葉の詐術、幻術、魔術である。

デリダのこうした空疎ナンセンスな「私の死」や「作者の死」の強弁は、作者の秘密の内的コードの解読がテクスト解明に決定的に重要な意味をもつ場合がありうるということをまったく認識していないことの証左である。作者の隠された内的コードは個々の作者によって異なりうるものであるから、作者を捨象すればその解読は必然的かつ絶対的に不可能になるのだ。こうした秘密の内的コードは外部に表現された言動には容易に表われないため、かかる内的コードを無視して巧妙な仮面的言動を見破ることは決してできないのである。

他者の仮面的言行を解読解明するには、他者独自の秘密の内的コードを、当の仮面的言行に関わるかぎりの隠された内的コードを、剔抉看破しなければならないが、そこには最大の困難がありうる。とはいえ、その個人としての他者を捨象するかぎり、他者の内的コードの解明は絶対的に不可能になる。個々の人間の秘密の内的コードはそれぞれ異なりうるからである。たとえば『仮面の告白』の場合、作者三島由紀夫を捨象してしまえば、そのテクストにおける同性愛がほかならぬ三島にとって如何なる意味を有するかが決して分からなくなる。それが分からないかぎり彼の仮面にいつまでも誑かされることになる。

 

 

昭和三十八年にサイデンステッカーはこう書いている。

 

 「三島の作品をずっと読んでみても、発展、成長の跡を感じることは難しい。初期には確かに新しい領域を切り開こうという熱意を感じとれたのだが、時と共に、過度の折衷主義という印象が強くなっている。・・・・・・改めて年代順に読み直してみて、一体三島に真に語りたいことがあったのかという疑いがわいてきた。・・・・・・が、私は、『仮面の告白』を三島の作品中、第一に――年代順にというばかりでなく、質の点でも第一にあげたいというのは、どの作品にも増して、ここには真に語りたいことがあると感ぜられるからである。・・・・・・その未熟さ、またその思想のいささか型破りな点は一応認めても、『仮面の告白』は三島のどの小説よりも、本質的な意味で真剣な作品という気がするのである。後期の作品では、いわば真剣に見せたいという意志が見えすいているため、かえって逆に真剣さがそこなわれてしまい勝ちだ。・・・・・・表現上の装飾やバイロン風な気取りにもかかわらず、作者にとって真に重大な何物かを感じとらずにいられない。作者自身に切実な何物かが生きていてこそ、小説は真摯さを帯びもするのだ。この意味で、三島は、ほかのどの作品よりも『仮面の告白』において、真に語りたい何かを――真の主題を持っている、と思われる」(『三島由紀夫』)

 

実際、『仮面の告白』は三島が出版社の長編小説執筆依頼に対して「今ぜひ書きたい長編がある」と言って、役所を辞めてまでして嬉々として懸命に努力して書き上げたものであり、サイデンステッカーがいみじくも指摘しているように、「どの作品にも増して、ここには真に語りたいことがある」のであり、「三島のどの小説よりも、本質的な意味で真剣な作品」なのである。「この小説を書いたときの私の意気込みたるや大変で、最長九枚、最短一枚の、十八種類にわたる序文を書き、とどのつまりは、とうとう序文はつけないことにしてしまった」(『私の遍歴時代』)と意気込みのほどを示しているが、何ゆえに三島は『仮面の告白』を職業作家としてのデビュー作として「今ぜひ書きた」かったのか、その理由については最早説明するまでもあるまい。ところが、サイデンステッカーは「作者にとって真に重大な何物かを感じ」てはいるが、それが何か、何ゆえなのかが分からないのである。畢竟は彼も従来のすべての論者と同じく『仮面の告白』を何ら解読解明しえていないため、そのテクストで三島の「真に語りたいこと」「真に語りたい何か」「作者にとって真に重大な何物か」が具体的にどういうものかをまったく認識できないのであり、そこで作者が如何なる仮面をかぶっているかを看破しえないのである。当然のことである。それは『仮面の告白』のテクストのみからは構造上(この構造は解読に作者の隠された内的コードを要するテクストの特徴である)決して認識できない事柄だからである。

三島の真の「恥部」を剔抉看破しないかぎり、『仮面の告白』で彼が如何なる仮面をかぶって如何なる「恥部」を隠蔽糊塗しているかを認識しようがなく、また、かかる認識をしえないかぎり、彼が晩年近くから盛んに見せつけた仮面的言動も看破しようがないのである。

三島の死後十年ほどしてサイデンステッカーは次のように書いている。

 

 「彼はあまりに矛盾の多い人物だったから、口でしゃべったことにしろ書いたことにしろ、いったいどれが本心なのか、なかなか見当がつかなかった。少なくとも、晩年の国粋主義と初期のコスモポリタニズムとは明らかに矛盾している。・・・・・・そのどちらが三島の本音だったのか。コスモポリタンな三島か、それとも国粋主義なのか。私はむしろ後者だと考えたい」(『私のニッポン日記』)

 

『仮面の告白』で三島が巧妙に工夫してかぶった仮面を見破れないかぎり、彼が晩年あたりから自死の粉飾のために盛んに見せつけた仮面的言動にも誑かされざるをえないのである。他者の断続的な外的言動にはいろいろ矛盾はあるにしても、その持続的な内的現実には何らの矛盾もありえないのである。とはいえ他者の内的現実をいかに認識するかはまさに他我認識の問題そのものであり、ここには最大最深の困難があるわけだが、この問題はベルクソンも考えていたはずである。たとえば三島は『仮面の告白』やそれに関わる己の現実については折にふれてさまざまの形で語っている。三島は「今ぜひ書きたい長編がある」と言って『仮面の告白』を書きながら、「これはヘドである」とも発言しているが、ここには何らの矛盾もないのである。

 

「この作品を書くことは私という存在の明らかな死であるにもかかわらず、書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつつあるような思いがしている。これは何ごとなのか? この作品を書く前に私が送っていた生活は死骸の生活だった。この告白を書くことによって私の死が完成する・その瞬間に生が恢復しだした。少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている。・・・・・・この書物を書かせたものは私の自尊心であった

 

「『仮面の告白』という一見矛盾した題名は、私という一人物にとっては仮面は肉つきの面であり、そういう肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」

 

「告白とはいいながら、この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰わせる。すると嘘たちは満腹し、『真実』の野菜畑を荒さないようになる。同じ意味で、肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は『告白は不可能だ』ということだ。・・・・・・多くの作家が、それぞれ彼自身の『若き日の芸術家の自画像』を書いた。私がこの小説を書こうとしたのは、その反対の欲求からである」

 

「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます」

 

「昭和二十一年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」

 

こうした言葉は彼の最大の「恥部」に関わることについて折にふれて語ったものであり、婉曲に表現したり隠蔽糊塗している文章もあり、一見相矛盾しているような言葉もあるが、『仮面の告白』に関わる三島の現実を合理的に究明して解読すれば、どの言葉が正直に語ったものか、ぼかしたり取り繕った言い方をしているかが如実に分かるのである。言葉のほうにはたとえ矛盾している部分があるにしても、現実のほうには矛盾など決してありえないからである。当たり前のことである。現実に矛盾などまったくありえないのである。そもそも「矛盾」という言葉の成り立ちからして、現実的かつ合理的に決して成り立たぬことやありえぬことを矛と盾の例を用いて示していることからもそれは明らかである。「合理的なものは現実的であり、現実的なものは合理的である」(ヘーゲル)。まったく当たり前のことである。

「肉つきの仮面の告白」なのに、なぜ「真実な告白」なのか。「人は決して告白をなしうるものではない」としながら、なぜ「肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する」と言うのか。戦後の彼が「過去の喚起はすべて醜かった」と慚愧しながら、なぜ「醜かった」と言う己の過去を「告白」しているような『仮面の告白』について「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」と言うのか。「この小説のなかで私は『嘘』を放し飼にした」と言いながら、なぜ「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」だと言うのか。「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思っ」て書いたはずの『仮面の告白』であるのに、何ゆえに「これはヘドである」のか。

こうしたことについてはすでに完膚なきまでに解明した。戦後の三島は「過去の喚起はすべて醜かった」と深甚に慚愧したからこそ、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまわなければならぬと思った」のであり、そのために『仮面の告白』を構想していたからこそ、執筆依頼に対して「今ぜひ書きたい長編がある」と言って『仮面の告白』を書いたのである。無論そのためには「すべて醜かった」と慚愧する己の「過去」をそのまま書くわけにはいかないから、「モデルの修正、二人の人物の一人物への融合」などを施して、「何とかして、自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定して」しまうように「仮面」(無論、もはや言うまでもあるまいが、三島にとって「仮面」であって、作中の「私」にとってはそうでない。同性愛者「私」こそ三島の「仮面」であり、この「仮面」の口を借りて三島は「醜かった」と慚愧する己の「過去」を「告白」しているのである。かかる構造の看破こそ『仮面の告白』の解読と作者三島由紀夫の解明のための唯一決定的な要諦である)をかぶった「告白」をしているのである。読者にはおおっぴらに盛んに「仮面」(すなわち偽の「恥部」つまり同性愛)を見せつけながら、その裏で「醜かった」と慚愧する己の「過去」について「真実な告白」をしているのである。「私のせいでない」同性愛という「仮面」のまやかしの「論理」と「心理」を利用して己を無答責にしつつ、「醜かった」と慚愧する己の過去の「恥部」について「真実な告白」をしているのである。

戦後の三島が何より「醜かった」と慚愧する過去の「恥部」は入隊検査時の己の振る舞いであり、これについて『仮面の告白』でなされている「真実な告白」とは以下の部分である。ただし己の兵役逃れの振る舞いについて「何だって」あんな振る舞いをしたのか「私にはわかりかねた」と言う部分は己の「醜かった」行為を無答責にするための真っ赤な嘘であり、それを真に受けさせるために死と軍隊への志向らしきものをいろいろ述べている部分もすべて後知恵のまやかしである。

 

「青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ、あまつさえこの誤診が私の出たらめの病状報告で確認されたので、血沈がはからされた。風邪の高熱が高い血沈を示した。私は肺浸潤の名で即日帰郷を命ぜられた。・・・・・・

・・・・・・夜行列車の硝子の破れから入る風を避けながら、私は熱の悪寒と頭痛に悩まされた。どこへ帰るのかと自分に問うた。何事にも踏切りのつかない父のおかげでまだ疎開もせずに不安におびえている東京の家へか? その家をとりかこむ暗い不安にみちた都会へか? 家畜のような目をして、大丈夫でしょうか大丈夫でしょうかとお互いに話しかけたがっているようなあの群衆の中へか? それとも肺病やみの大学生ばかりが抵抗感のない表情で固まり合っているあの飛行機工場の寮へか?

凭りかかった椅子の板張りが、汽車の震動につれて私の背にゆるんだ板の合せ目を動かしていた。たまたま私が家にいるときに空襲で一家が全滅する光景を私は目をとじて思いえがいた。いおうようない嫌悪がこの空想から生れた。日常と死とのかかわり合い、これほど私に奇妙な嫌悪を与えるものはないのだった。猫でさえ人に死様を見せぬために、死が近づくと姿を隠すというではないか。私が家族のむごたらしい死様を見たり、私が家族に見られたりするというこの想像は、それを思っただけで嘔吐を胸もとまでこみ上げさせた。死という同じ条件が一家を見舞い、死にかかった父母や息子や娘が死の共感をたたえて見交わす目つきを考えると、私にはそれが完全な一家愉楽・家族団欒の光景のいやらしい複製としか思えないのだった。私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。明るい天日の下に死にたいと希ったアイアスの希臘的な心情ともそれはちがっていた。私が求めていたものは何か天然自然の自殺であった。まだ狡智長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった。

――それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか? 何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?

軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた。私はやはり生きたいのではなかろうか? それもきわめて無意志的に、あの息せき切って防空壕へ駈けこむ瞬間のような生き方で」

 

三島は軍医に「出たらめの病状報告」をしたのであり、「むきになって軍医に嘘をつ」き、「微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりした」のであり、「即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じた」のであり、「営門を出るとあんなに駈けた」のである。主として仮病を使った兵役逃れについてこうした真実な告白」を公表したことから、『仮面の告白』について彼は「これはヘドである」と言うのである。

戦時の彼は「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていたのだから、即日帰郷になって死と兵役を免れて喜んだのは当然なのである。なのに「何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か? 軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」はずなど金輪際ありえないのである。

三島が口述した回想記『わが思春期』は同性愛の仮面をかぶっていないこともあって(だから兵役逃れについては触れていない)、彼の最も正直かつ真実な回想であるが、そこで彼は当時のことを次のように回想している。

 

「今でも覚えていますが、そこは実に山の中の、荒涼とした、非常に寒々とした連隊でした。そこで、私は立っているうちに、また寒けがし、せきが出て、目まいがしてきました。ところが、私の症状が、新米の軍医によって誤診されてしまいました。彼は、私のことを肺浸潤だと言うのです。いわゆる軍隊用語の胸膜炎です。私はラッセルが聞こえると言い出されて、ぎょっとしましたが、そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持でした。あとで聞くと、その隊は、みなフィリッピンへ連れていかれて、数多くの戦死者を出したそうであります。私はその誤診の胸膜炎のおかげで、また東京へ帰ってきましたが、帰りの夜汽車の中の寒さと高熱にあえいでいるつらさとは、今でも忘れることができません」

 

戦時の三島は友人に「死ぬ覚悟はあるかい?」と訊かれて、「人生がひとつもはじまっていないのに、今死ぬのはたまらない、という感じが痛切にした」のであり、「死は怖いし・・・・・・何とか兵役を免れないものか」と思っていたのだから、入隊検査で軍医に肺浸潤と誤診され、「そのときの正直な気持は、軍隊へ入るよりも、病気になった方がいいという、助かったような気持」がしたのは至極当然のことであって疑う余地のないことであり、そんな彼が「私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。明るい天日の下に死にたいと希ったアイアスの希臘的な心情ともそれはちがっていた。私が求めていたものは何か天然自然の自殺であった。まだ狡智長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった。――それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か? 軍隊の意味する『死』からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が、私にはわかりかねた」などと言うのは、もっともらしい死と軍隊への志向らしきものをくだくだと並べて入隊検査時の己の振る舞いを無答責にするために「『嘘』を放し飼にした」結果である。こうして「『嘘』を放し飼にし・・・・・・好きなところで、そいつらに草を喰わせ」て己の「恥部」を何とか無答責にしうると思えばこそ、兵役逃れの振る舞いに関わる「『真実』の野菜畑を荒さないようになる」と言うのであり、「仮面の告白にまして真実な告白はありえない・・・・・・仮面だけがそれを成就する」「肉づきの仮面だけが告白をすることができる」と言うのである。

こうして「醜かった」と深甚に慚愧する「恥部」を抱えた「自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定し」た(これは実は成功しているとは言い難いが)つもりの『仮面の告白』であればこそ、「書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつつあるような思いがしている。・・・・・・少なくともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えている」と言うのであり、また「私のせいでない」とする同性愛の「仮面」を利用したまやかしの「論理」で己の「醜かった」過去の人生を「まるごと肯定」しうるように逆転させたからこそ、「この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとってフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上って生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である」と言うのである。

三島は『仮面の告白』で自身の外的な伝記的事実を忠実になぞるように書きながら、そうした自身の外的部分や内的部分と同性愛者「私」の内的部分をできるかぎり辻褄が合うように工夫した「告白」をしているのである(「『仮面の告白』に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます」の意味するところはすでに明らかであろう)。それゆえ『仮面の告白』に関わる三島の内的現実を洞察できないかぎり、いくら彼と現実に親交があろうと、また彼の外的な伝記的事実をいくら調べようと、彼の「仮面」の「告白」に誑かされ、まやかしの言葉を真に受けてしまうのである。

 

「『仮面の告白』は、太宰治の『人間失格』と共通する性格を持っている。どちらもそれまで内奥に深く隠して来た自分の本質を、自己存在の根源そのものを異常な決意のもとに告白している。これを書くことにより、自分はこの社会から抹殺される、人間として否定されることまで覚悟している。・・・・・・近代以後の文学は、ある意味で自己告白の芸術と言ってよい。しかし告白文学の傑作でさえ、主観と偏見と自己弁護ないしは自己虐待にみちている。むしろその主観性、偏見性、自虐性、卑下慢性が、告白文学の魅力と言ってもよいほどだ。ところが『仮面の告白』は、客観的で正確であり、自己弁護にも自虐にも陥ってない。・・・・・・三島由紀夫にとって、最終的に見栄や誇りより、真実の認識が僅かに強かった。実人生より文学の方が大事であった。それが清水の舞台からとび降りるような気持で『仮面の告白』を書かしめたのだ。・・・・・・彼はスキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いたに違いない」(奥野健男、前掲書)

 

「『仮面の告白』という題名に迷わされて、作中の事実を仮構がちに考えたがる向きもあるようだが、私の行き届かない調べでも、意外に事実どおりだと思われる。『これほど正直に書いた自伝小説はないと考えた方がよさそうだ。したがって、三島の伝記の材料として使うことさえ許されそうである』というドナルド・キーンの評は、どうやら正鵠を射ているらしい」(小西甚一、前掲書)

 

『仮面の告白』に関わる三島の内的現実を認識しえないかぎり、こうした考えが当然生じるのであり、またそれと似たり寄ったりの解釈がいつまでも続くのである。無論、三島の現実のもっと微妙な面を知るほんの一握りの人たちには『仮面の告白』の嘘まやかしは明瞭なのである。彼らは三島のまやかしの言葉を介して彼を認知しているわけではなく、彼の言葉を介さずに彼を知っているため、関連する言葉の虚実はほとんど直観的に分かるのである。

 

「ぼくは伜の作品『仮面の告白』を読んで、その思い切ったハッタリ振りにびっくり仰天しました。その冒頭に、『永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないようなところがあった。産湯を使わされた盥のふちのところである。ふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた』とこんなことを書いています。この他にもおよそ事実に反すること、ないことがたくさんシャーシャーと並べ立ててあります。僕は小説というものはフィクションもフィクション、こんな出鱈目を書いていいものかしらと考えました」(平岡梓、前掲書)

 

「園子のモデルとなった女性に、『仮面の告白』を読んでどう思ったのか、訊いてみた。彼女は『三島さんはとっても素直なまじめな方で、゛性的倒錯″を装ってみただけじゃないのかしら』といまも信じている」(猪瀬直樹、前掲書)

 

三島の父親や実在の「園子」がこのように言うのも、けだし「ある人物についていろいろ語られる場合を考えよう。作者はその人物の性格をいくらでも詳しく述べ、いくらでも彼に喋らせたり行動させたりすることができよう。しかし、作者の費やす一切の言葉も、私がその人物と一瞬でも接触した場合に経験する単純で不可分な意識に匹敵しえまい。・・・・・・人物について作者が私に語るすべてのことは、その人物に対する視点を提供する。その人物の描写に使われるすべての特徴は、私がすでに知っている人やものとの比較によってしか私に伝えることができないから、多かれ少なかれ象徴的に表わすための記号にすぎない。記号とか視点は私をその人物の外に置き、その人物について、その人が他の人々と共通にしている点しか与えず、その人物に固有なものを与えるものではない。ところがその人物に固有なもの、その本質を成しているものは、定義上内的なものであるから外部から認めることはできないし、ほかのすべてのものと通約しえないから、記号によって表わしようがないであろう。・・・・・・絶対は直観のうちにしか与えられず、ほかのすべては分析の領域に入ることになる。私がここで直観と呼ぶのは、対象の内部に身を置くための共感のことで、それによってわれわれはそのものの独特な、したがって表現し難いところと合致するのである。・・・・・・分析は無限に続く。しかし、直観は、もし可能だとすれば、単純な業である」(ベルクソン、前掲書)からである。

では、他と共通の一般的なことしか表現しえない言葉を以て如何にして他と異なる独自の「個」なるものを表現しえようか、あるいはまたそうした言葉から如何にして他と異なる独自の「個」なるものを認識しえようか、ここに他者の「内的現実」の認識や他我認識の難問が横たわっていよう。ここに言語における言語表現者や作者の認識の困難さが横たわっていよう。とはいえ、たとえば「シェイクスピアの洗濯勘定書」だってその利用方法によっては何らかの手掛かりにならないともかぎるまい。ある種の直観の端緒にならないともかぎるまい。こうしたささやかな端緒から一瀉千里の洞察だって得られないともかぎるまい。「イメージには少なくともわれわれを具体的なもののうちに留め置くという利点がある。どんなイメージも持続の直観に取って代わることはできないが、多種多様な事物から得たさまざまなイメージがあれば、それらの作用を集中することによって、意識をある一定の直観が得られる点に正確に向けることができる。できるだけ多様な種類のイメージを選ぶことによって、そのなかのどれか一つが呼び出すべき直観の地位を奪うのを防ぐことになる。もしそのイメージが直観に取って代わろうとしても、直ちにそれと張り合うイメージに追い払われるからである」。ここにはある種の直観や洞察を得るためのひとつのヒントが示されている。

 

 

 三島は『仮面の告白』において「同性愛者の告白」というフィクションの文脈のなかで己自身の「醜かった」過去を無答責に取り繕いつつ「告白」しているのであり、これ見よがしの仮面の「恥部」で己の現実の「恥部」を目立たぬように糊塗しているのであって、『仮面の告白』は奥野が言うように「自己弁護に陥ってない」どころか、でっち上げた仮面を利用して自己正当化と自己美化を企てたものであって、実はまやかしの自己弁護に満ちたものであり、また、「三島由紀夫にとって、最終的に見栄や誇りより、真実の認識が僅かに強かった。・・・・・・それが清水の舞台からとび降りるような気持で『仮面の告白』を書かしめたのだ。・・・・・・彼はスキャンダルの中での破滅、社会からの抹殺、さらには自殺まで決意し、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でこの作品を書いたに違いない」というようなものではさらさらなく、彼の「見栄や誇り」こそが「『仮面の告白』を書かしめた」のである、嬉々として。だからこそ三島は「この書物を書かせたものは私の自尊心であった」と言うのである。

 奥野は『仮面の告白』の一節を引いて、「こんな切実な表現が空想の虚構として出来るだろうか。部屋に引きこもり、一夜を明かし啜り泣いた。こんな表現を三島由紀夫がほかに一度でもしたことがあるか。ぼくは三島の隠された内面に接した想いで、目をそむけたいような気持になる」(前掲書)と言うが、幼い頃から物語や小説の登場人物に己をなぞらえて自己美化や自己劇化の夢想を紡いできた三島には、また甘えの心情から己を悲劇的人物になぞらえて空想することが大好きだった三島には、そんな表現はいくらでも可能なのである。そうでなければさまざまの登場人物を描かねばならぬ小説家になどなれまい。どんなに猫嫌いの作者でも猫好きのテクストをいくらでも作成できるのである。

 後年は己を天皇主義者になぞらえて「思想的」テクストをいろいろ作成して、あたかも「思想」に殉じて自裁したかに見せかけたが、三島としてはそうした「思想」を何ら信奉しているわけではなく、『憂国』や『英霊の声』のテクストと同様まったくのフィクションのつもりで書いているのである。

『英霊の声』では神風特攻隊員の「神霊」が霊媒の口を借りてこう語る。

 

 「われらは比島のさる湾に、敵の機動部隊を発見して、われが指揮官たる、爆装機五、直掩機四の編隊全機が、これに突入して、空母一、巡洋艦一、轟沈の戦果をあげた者である」

 

 この「われが指揮官たる」という「神霊」が最初の神風特攻隊とされる敷島隊の隊長関行男をモデルとしていることは明らかである。この「神霊」に三島はこう語らせている。

 

 「われらは最後の神風たらんと望んだ。神風とは誰が名付けたのか。それは人の世の仕組が破局におわり、望みはことごとく絶え、滅亡の兆はすでに軒の燕のように、わがもの顔にひとびとのあいだをすりぬけて飛び交わし、頭上には、ただこの近づく滅尽争を見守るための清麗な青空の目がひろがっているとき、・・・・・・突然、そうだ、考えられるかぎり非合理に、人間の思考や精神、それら人間的なもの一切をさわやかに侮蔑して、吹き起ってくる救済の風なのだ。わかるか。それこそは神風なのだ。(中略)

 しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねばならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝やいていて下さらなくてはならぬ。そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史とをつなぐ唯一条の糸があるからだ。そして陛下は決して、人の情と涙によって、われらの死を救おうとなさったり、われらの死を妨げようとなさってはならぬ。神のみが、このような非合理な死、青春のこのような壮麗な屠殺によって、われらの生粋の悲劇を成就させてくれるであろうからだ。そうでなければ、われらの死は、愚かな犠牲にすぎなくなるだろう。われらは戦士ではなく、闘技場の剣士に成り下るだろう。神の死ではなくて、奴隷の死を死ぬことになるだろう。(中略)

 日本の現代において、もし神風が吹くとすれば、兄神たちのあの蹶起の時と、われらのあの進撃の時と、二つの時しかなかった。その二度の時を措いて、まことに神風が吹き起り、この国が神国であることを、自ら証する時はなかった。そして、二度とも、実に二度とも、神風はついに吹かなかった。 (中略)

 昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。何と云おうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだった。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したもうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。

 一度は兄神たちの蹶起の時。一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。

 歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、あのような虚しい悲劇は防がれ、このような虚しい幸福は防がれたであろう。

 この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を失わせ玉い、二度目は国の魂を失わせ玉うた」

 

 そして最後に、二・二六将校の「神霊」と一緒になって、人間天皇への恨み節を唱えるのである。

 

 「日本の敗れたるはよし

農地の改革せられたるはよし

社会主義的改革も行わるるがよし

わが祖国は敗れたれば

敗れたる負目を悉く肩に荷うはよし

わが国民はよく負荷に耐え

試練をくぐりてなお力あり。

屈辱を嘗めしはよし、

抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、

されど、ただ一つ、ただ一つ、

いかなる強制、いかなる弾圧、

いかなる死の脅迫ありとても、

陛下は人間なりと仰せらるべからざりし。

世のそしり、人の侮りを受けつつ、

ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉い、

そを架空、そをいつわりとはゆめ宣わず、

(たといみ心の裡深く、さなりと思すとも)

祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに

宮中賢所のなお奥深く

皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかずき、

神のおんために死したる者らの霊を祭りて

ただ斎き、ただ祈りてましまさば、

何ほどか尊かりしならん。

などてすめろぎは人間となりしたまいし。

などてすめろぎは人間となりしたまいし。

などてすめろぎは人間となりしたまいし」

 

すでに指摘したように、神風特攻隊の「神霊」に二・二六将校の「神霊」と一緒になって「などてすめろぎは人間となりしたまいし」と悲嘆させるなど馬鹿げたことである。敷島隊隊長の関にしたって何も天皇のために特攻出撃したわけではなく、自分は天皇陛下や日本帝国のために行くのでなく、最愛の妻のため、妻を護るために死ぬんだ、と出撃前に報道班員に語っている。そもそも彼は体当たり攻撃の特攻作戦には反対だった。自分ほどの技量があれば、敵空母に爆弾を投下命中させて帰還できると考えていたのである。こうした特攻兵士の「神霊」に「などてすめろぎは人間となりしたまいし」と天皇の人間宣言を悲嘆させるなど単なるフィクションにしても馬鹿馬鹿しいかぎりである。

「自分は天皇陛下や日本帝国のために行くのでなく、最愛の妻のため、妻を護るために死ぬんだ」と言い残して出撃した関の「神霊」に、また「神」の名の下に軍国支配者に特攻を命じられた特攻兵士の「神霊」に、「われら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねばならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝やいていて下さらなくてはならぬ。そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史とをつなぐ唯一条の糸があるからだ」とか、「われら・・・・・・の死こそ『御馬前の討死』に他ならず、陛下は畏れ多くも、おん悲しみと共にわれらの死を嘉納される。・・・・・・目ざす敵艦の心臓部にありありとわれらを迎えて両手をひろげてまつであろう死、その瞬間に、われらはあの、遠い、小さい、清らかな神のおもかげを、死の顔の上に見るかもしれなかった。そのとき距離は一挙にゼロとなり、われらとあの神と死とは一体になるであろう。そのように、冷静に計算されて、最後の雄々しい勇気をこれに加えて、われらはやすやすと、天皇陛下と一体になるであろう」などと語らせているが、関のみならず他の特攻兵士たちにしてもそんな空想的な作り話にすぎない妄想的な絵空事をゆめ願いはすまい。三島にしたって、「人はあえていうであろう。特攻隊は、いかなる美名におおわれているとはいえ、強いられた死であった。そして学業半ばに青年たちが、国家権力に強いられて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行ったのだと・・・・・・。それはたしかにそうである」と考えていたのだから、そんな「神霊」の言葉などまったくの戯言のフィクションであることは充分に自覚していたはずである。

ではなぜ三島は自ら信じてもいないそんな絵空事を特攻兵士の「神霊」に願わせ、ついに神風が吹かなかったことを悲嘆させるような文を書いたのかといえば、言うまでもなくそれは、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えて、やがて遂げんとする自死にでっち上げの「思想」の仮面をかぶせることを企て、特攻兵士の「神霊」にも戦時に喧伝されたような現人神的な「思想」を奉じさせ、そして自ら同じ「思想」を標榜した後に遂げる自死を「超エロティックに美」とみなす特攻隊の「英雄的な死」「悲劇的な死」になぞらえさせんとするためにほかならない。

戦時には仲間内で密かに天皇を「天ちゃん」と呼んでいた三島に天皇への思い入れなどまったくないのであり、したがって「神」を奉じる「思想」への思い入れも絶無なのであって、あくまで彼の思い入れは「悲劇的な美しい若者」にしかないのであり、その現実的な代表として「超エロティックに美」とみなす神風特攻兵士こそが彼の思い入れの最たるものなのである。それはまた入隊検査時における己の「醜かった」振る舞いの深甚な慚愧の思いの裏返しなのである。

三島が「思想」を利用するためにまず二・二六将校を持ち出すのは、彼らの「思想」は特攻兵士とは違ってとにかく鮮明だからであり、また「壮烈な死」として平時に可能なのはせいぜい切腹であって、特攻隊のように飛行機で突撃するわけにはいかないからである。そこで二・二六将校の「神霊」と特攻兵士の「神霊」をともに「裏切られた霊」として同じ「思想」を奉じていたようにして、ともに「などてすめろぎは人間となりしたまいし」と悲嘆させるのである。

いずれにせよ三島の真の思い入れは「超エロティックに美」とみなす神風特攻隊だけであって、兵役逃れを欺瞞的に取り繕っている点で第二の「仮面の告白」とも言うべき『太陽と鉄』では、彼の真の思い入れが率直に吐露されているのであり、そこでは天皇も二・二六将校もまったく影を潜め(どちらも一言も出てこない)、したがって「神」を奉じる「思想」も「恋闕の情」もまったく消え失せており、ただひたすら特攻隊を「悲劇の英雄」として賛美、憧憬、羨望し、戦時に彼らの「悲劇」に与れなかったことを悔やんでいるだけである。彼が神風特攻兵士を賛美、憧憬、栄化、哀惜するのに、「神」も「思想」も実はまったく関係ないのである。「神」や「神」を奉じる「思想」を何ら介在させなくとも、「超エロティックに美と認め」る特攻隊に対する彼の賛美憧憬は「神」なき戦後社会にあっても何ら変わりはしないのである。三島の真の思い入れは専ら「悲劇的に夭折する若者」にしかないからであり、爾余の「思想」やら「神」やら「恋闕の情」などは単なる目眩ましのまやかしにすぎないからである。

自決の場に赴く三島の最期のいでたちは、何となく二・二六将校を思わせる「楯の会」の制服姿だが、頭には「悲劇の若者」の特攻兵士のつもりらしい「七生報国」と書いた鉢巻をするという、奇妙なアマルガムの姿であった。

三島は特攻兵士の「神霊」に、「われらは最後の神風たらんと望んだ。神風とは誰が名付けたのか。それは人の世の仕組が破局におわり、望みはことごとく絶え、滅亡の兆はすでに軒の燕のように、わがもの顔にひとびとのあいだをすりぬけて飛び交わし、頭上には、ただこの近づく滅尽争を見守るための清麗な青空の目がひろがっているとき、・・・・・・突然、そうだ、考えられるかぎり非合理に、人間の思考や精神、それら人間的なもの一切をさわやかに侮蔑して、吹き起ってくる救済の風なのだ。わかるか。それこそは神風なのだ」と語らせているが、無論、そんな戦時に喧伝された「神風」などという架空の戯言を彼が一瞬たりとも信じていたわけではない。三島はかつて昭和二十二年の初め頃にはこう書いていた。

 

「思いかえせばかえすほど、愚かな戦争でした。僕には日本人の限界があまりありありとみえて怖ろしかったのでした。(中略)戦争中にはまた、せっかちに神風が冀われました。神を信じていた心算だったが、実は可能性を信じていたにすぎなかったのです。可能性崇拝という低次な宗教に溺れていたのです」(『往復書簡 人類の将来と詩人の運命について』)

 

「神風が吹く」などありえぬ馬鹿げた空想であることくらい誰にだって、子供にだって、分かり切ったことであろう。それをフィクションとはいえ特攻兵士の「神霊」に信じ込ませて、「神風はついに吹かなかった」と悲嘆させるなど、むしろ彼らを蔑するものであろう。三島は秋山駿との対談で「あれを書いて僕は救われたのです」と言うが、特攻兵士の「神霊」に「などてすめろぎは人間となりたまいし」と「神の死」を悲嘆させることで彼らの魂を鎮魂慰撫したつもりなのである。むしろ彼らのような「悲劇の英雄」を生み出すような戦争状況をもたらすまいと誓い努めることこそ彼らに報いることであるはずなのに、自己美化や自己栄化を欲する三島は自らが特攻兵士のような「悲劇の英雄」になりたいがために特攻隊を生み出すような悲惨な戦乱状況を欲するのである。だから『太陽と鉄』でしきりに戦時を懐かしみ、戦時のような「明日というもののない、大破局」の状況を渇望し、「天下泰平」の平時にそれを求むべくもないことを悲嘆するのである。彼は単に死にたいがための空疎な自死を子供じみた「三島美学」の下に劇化しようと企てたのである。

「神」も「思想」もまったく信じていなくても、『英霊の声』を書くくらい三島には容易なのであり、彼はまったくのフィクションのつもりで書いているにすぎないのである。

 『英霊の声』は昭和四十一年前半に発表されたものだが、この「などてすめろぎは人間となりしたまいし」と人間天皇への呪詛に満ち満ちた作品の醸し出す怨嗟を真に受ければこそ、次のような疑問も生じてくるわけである。

 

 「それにしても『英霊の声』の天皇に対する恨み、憎しみは異常である。四月にこんな呪詛の作品を発表しながら、同じ年の十一月、天皇主宰の観菊の秋の園遊会に夫妻でよくも出席したものだと不思議になるほどである」(奥野健男、前掲書)

 

そんなことに何の不思議もないのである。三島は単に信じてもいない作り話を書いたにすぎないのだから。如何に言葉で迫真的に見せかけるか、真に受けさせるかが彼の唯一最大の狙いだからであり、関心事だからである。そうした外的には一見矛盾しているような彼の言動も彼の内部では何らの矛盾もないのである。一切の「思想」を信じていない「ニヒリスト」の三島が晩年近くから極端な「思想」を言動で盛んに見せつけるようになったのは、「文学者は、英雄たらんがためには、思想か信仰を持たねばならない。・・・・・・思想や信仰もなしに、英雄たらんとするのはむずかしい」と考えて、やがて遂げんとする自死に「思想」の仮面をかぶせて、あたかも「思想」に殉じて自決したように見せかけたいからである。「もし一人の俳優が、ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って、本当に彼がその役そのものに『見える』というところまで行ったら、人生にそれ以上のことが何があるだろう、とよく俺は考えることがあった」という三島は、「ある英雄なり、あるみごとな典型なりを、完全に演じ切って」、本当に自分が「その役そのものに見える」ようにするために大いに努力したのである。

 

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ナンセンスな形骸的作者履歴:早大一政四年間在籍。「優」二十数科目、「良」十数科目、「可」数科目、計百六十六単位取得。四単位不足(安彦『中国経済論』/「不可」理由不明)でドロップアウト。以下は拙訳の一部:ラヴクラフト作『チャールズ・ウォード怪事件』など小説、評論、詩編、書簡など数十編(『定本ラヴクラフト全集』所収)。トマス・ハウザー『モハメド・アリ――その生と時代』。マイケル・ポーラン『ガーデニングに心満つる日(Second Nature)』。ジョン・ミューア『山の博物誌(The Mountains of California)』。ジョン・サック『Mヴェトナム・ミステリーツアー』(本書については一言言っておく必要があろう。内容にそぐわない妙な邦題が付いているが、私が付けたものではない。訳書を開いて驚いた。馬鹿げた改竄がされている。便器のCMの言葉がオカマ口調に変えられている。どういう連想か不明だが改竄者の頭の中では便器とオカマが結び付いているらしい。オカマ言葉のCMで便器が売れるとメーカーが考えたとでもいうのか。馬鹿馬鹿しい。また「知らざりき」と終止形にした個所が「知らざりし」になっている。日本語も常識以下のレベルのようだ。翻訳を依頼してきた者の仕業であることは分かっているが、彼女が独断でやったわけではあるまい。そんなことはできやしない。かつてそんなふざけた真似をする翻訳斡旋会社の職員はいなかった。彼女の「実力」を認めた同レベルの者の指示で身の程知らずがやらかしたことは明らかである。あまりに馬鹿馬鹿しいのでざっと数十頁見ただけであるが、何カ所こんな馬鹿げた改竄がされているか分からぬが、訳者を差し置いて何で編集者はそんなふざけた勝手な真似を許したのか。書物というものは一箇所でも馬鹿なことを書けば全体の印象が損われてしまうものだ。本書の改竄が数箇所か数百箇所か分からぬが大差はない。そもそも最初からおかしかった。私の訳稿ゲラに一々馬鹿げたコメントが付いて戻ってきたので、背後にふざけたのがいることは気づいていた。彼が改竄女に指示したのだ。出版社は同シリーズの別の訳者の本を送ってきて、本書を送ってこなかった。どうもおかしいと思って本屋で本書を見つけて自腹で買い、馬鹿げた改竄に気づいた次第。自分の訳書を自腹で買うのも初めてだ。改竄女は改竄を謝るどころか、あろうことか逆にこちらを誹謗中傷しているというのだから呆れた性悪である。訳者を無視して、低能な改竄を許したり、別の訳者の訳本を送ってきて、私の訳書を送ってこなかったり、まったく前代未聞のふざけきった理不尽極まりないこの対応は一体何ゆえなのか、担当編集者や出版社に是非とも理由を説明してもらいたい。多大の努力の結晶たる翻訳を低能な改竄で毀損したことの責任をとる者はいないのか。まったく意味不明のふざけきった理不尽極まりない対応であった。なお「訳者あとがき」の最後の二行は私が書いたものではない。改竄女に指示した者が訳者のつもりで勝手に付け足したのだろう。G.ブライトリンク他『原色図録 金の世界』(東洋経済新報社)。デニス・ホイートリ―『悪魔主義者』。『世界伝記大事典』(ほるぷ出版)中のあらゆる分野の歴史的人物百三十三名の伝記を翻訳。なお、『F 1ホンダ勝利への道』は私が訳したのは序文のみで、本文には一切関与していない。