ファイトクラブ ルールその1「ファイトクラブのことを誰にも口外してはならない。特にビン・ラディンには」 |
ファイト・クラブ (1999/米) Fight Club 製作総指揮 アーノン・ミルチャン 製作 アート・リンソン / ショーン・チャフィン / ロス・ベル 監督 デビッド・フィンチャー 脚本 ジム・ウールス 原作 チャック・ポーラニック 撮影 ジェフ・クローネンウェス 美術 アレックス・マクドウェル 音楽 ザ・ダスト・ブラザーズ 出演 ブラッド・ピット / エドワード・ノートン / ミート・ローフ / ジャレッド・レト / ヘレナ・ボナム・カーター |
家に帰ってテレビをつけた途端それが映った。 ロングショットのマンハッタン、画面のなかで世界貿易センタービルの片方が黒煙を吐いていた。 それは最近流行りの実景にCGIをデジタル合成した特殊効果ショットに見えた。 「何の映画だろ?」と思った。 それが映画のワンシーンなんかではなく、現実のニューヨークのライブ映像だと理解するまで数十秒かかった。 「なにかとんでもないことが起こっているぞ!!」と考える頭のスミで、妙に醒めた思考がくすぶっていた。 「これはなにかで見たぞ?」 「ダイハード」?「アルマゲドン」?もしかして「ガメラ2レギオン襲来」? いやいやもっと最近でもっとなにか本質的に近いモノ・・・ やがて世界貿易センタービルの南棟が、まるで力尽きたように崩れ落ちる異様な光景を目の当たりにしたとき答えが出た。 「あ、ファイトクラブだ・・・」 |
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男として闘うことを封じられ、現代社会のとりすましたシステムに従うことを余儀なくされ、生きる実感を失った男達がベアナックルファイトで血を流すことで生の実感を取り戻すという奇妙な秘密クラブ。 それがいつしか近代社会システムの破壊をもくろむテロリズム集団に変貌し、石鹸から作った自家製爆弾で金融ビルディング群を爆破して債務データを壊滅させることにより、世界をリセットするという無茶苦茶な結末をみせる「ファイトクラブ」 主人公と恋人が寄り添いながら、窓の外で次々と崩れ落ちていく高層ビルディング群を眺めるラストは、静かで幻想的に撮られている。 それは「この結末はファンタジーに過ぎないんだ」と暗示するもっとも強烈な皮肉だった。 |
はじめのうち、自分とはまるで正反対の男=タイラーに惹きつけられ、ファイトクラブを結成して夜毎のファイトに興じるものの、タイラーが始めた「メイハム作戦」の最終目的が「金融ビルの破壊とそれによる社会システムの壊滅」であると知ると、今度はそれを阻止しようと右往左往する主人公。 そもそも主人公の退屈な日常に割り込んで彼の生活を一変させるタイラー・ダーデンなる男が、主人公が眠っている間に覚醒するもう一つの人格だったというプロットからしてそうなのだが・・・ 「ファイトクラブ」は「こんなくだらない世界はぶち壊してやり直したい」とする男達のファンタジーと、「そんなことをするのは得策ではないし、できるわけもない」とする理性的現実的結論が、物語の枠をも越えて映画という仕組みそのものを巻き込みながら葛藤する「メタ映画」だった。 それでもラストでビルは爆破された。 「できるわけもない」のは百も承知で、映画は原作の結末を変更して「それでも俺達は世界をぶち壊したいのだ」と改めてはっきりと宣言したのだ。 「ファイトクラブ」は一部で「テロ煽動装置」であると批判されたが、監督デビッド・フィンチャーはそれも充分に自覚していたはずだ。 |
しかし2001年9月11日、「できるわけもない」と思われた高層ビルディングの破壊は「ハイジャックした旅客機を突入させる」という極めて単純な計画(掟破りなことが盲点だっただけの)によって実行されてしまったのだ。 いや、そもそもルールなどはじめから無かったのかも知れない。 それはアメリカを筆頭にしたいわゆる先進諸国の幻想、こんなことをやるやつは映画の中にしか居ないという幻想に過ぎなかったのかも。 事件の後、ロバート・アルトマン監督はハリウッドアクション映画を指してこう言った。 「ビルに飛行機を突っ込ませるなんて馬鹿なことを誰が考える?そんなのはハリウッドのプロデューサーだけだ!ハリウッドがやつらに手口を教えてやったようなモノだ!」 |
「世界をぶち壊したい!」 そんな男達のファンタジーをオサマ・ビン・ラディンという外部者が実行してしまった9・11を通過して、デビッド・フィンチャーは何処へ向かうのだろうか? |
2002 01/15 |
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