ヴィドック
HD-24Pデジカムの威力を見よ!
ヴィドック (2001/仏)
Vidocq

製作総指揮 オリビエ・グラニエ
製作 ドミニク・ファルジア
監督 ピトフ
脚本 ピトフ / ジャン・クリストフ・グランジェ
撮影 ジャン・ピエール・ソベール / ジャン・クロード・ティボー
美術 ジャン・ラバス
音楽 ブリュノ・クーレ
出演 ジェラール・ドパルデュー / ギョーム・カネ / イネス・サストル / アンドレ・デュソリエ / エディット・スコブ
この映画観て怒ってる人が多いみたいだね。
劇場公開時の宣伝コピーが「真実を知りたければ、死ね!」ってのも凄かったが、まあ内容も結構凄かったので無理もないと言えば確かになぁ。
フランス人特有の変なアート感覚炸裂!だし、謎解き物のハズなのに論理無きストーリー展開!だし。
でもそこがフランス映画ですからね、見慣れたハリウッドの映画とは違ってあたりまえでもある。
そこを楽しめなければ、死ね!ってことか?

ヴィドックとは19世紀フランスで活躍した実在の人物で、犯罪者から警察特務班のトップへのぼりつめ、その後世界で初めて「私立探偵」という職業を成立させた人物らしい。
フランス人なら誰でも知ってるキャラクターなのだそうね、日本では聞いたこともなかったなぁ。
映画は、鏡の仮面を付けた正体不明の連続殺人犯アルシミスト(錬金術師)を地下のガラス工房に追い詰めたヴィドックが、闘いの末に燃えさかる釜の中に追い落とされる所から始まる。
革命の気配近づく19世紀パリにヴィドック死亡の報が走るなか、ヴィドックの伝記を書くため彼の捜査の道筋を辿っていく記者エチエンヌの視点で物語は進んでいく。
エチエンヌが順を追って関係者の証言を集めていくと、死の直前にヴィドックが辿り着いたアルシミストの正体、そして「映った者は死ぬ」という鏡の仮面の秘密が明らかになっていく・・・
ハズだったのですが、全てを超越したような衝撃のラストはあなたにはどう映るでしょう?

タイトルロールのヴィドックを演じるのはジェラール・ドパルデュー
フランスを代表的する名優のひとりでいかにも重鎮といった風格の俳優・・・のハズなのですが、宿敵アルシミストとの戦いの場面ではあの巨体から想像もできないような動きで、まるでアクションスターばりに戦います!しかも「フウフウ」言いながら!
対するアルシミストはCGIからワイヤーアクションまで駆使して、舞い踊り流れるような魔術的超人的アクションを見せます。
鼻息荒いオッサンvsワイヤースタントの魔法使い!!
いったい自分はいま何の映画を見てるんだ?という不安が渦巻くわけですが、こうしたどこに行き着くのかわからないハラハラ感こそがフランス製エンターテインメント映画の楽しみの本道なのではないかな?
こうした破天荒な物語やイメージの展開は他にも豊富に用意され、観ているこちらは映画に振り回されるように「ヴィドック」的世界を彷徨うわけ。
人によっては苦痛かも?
だってハリウッドの文法で言えば、それはつまりデタラメってことだから。

さて「ヴィドック」の見どころのメインはもちろんその映像である。
「デリカテッセン」「ロストチルドレン」等のジュネ&キャロ作品、「エイリアン4」「ジャンヌ・ダルク」でVFXスーパーバイザーを努めてきたピトフ(ジャン=クリストフ・コマー)の監督デビュー作である「ヴィドック」では、舞台である19世紀のパリをまるで古典絵画のようなビジュアルで映像化することに精力が注ぎ込まれている。
ピトフ監督はギュスターブ・モローのイメージを狙ったということであるが、デジタルで徹底的に加工されたビジュアルはルネ・マグリットポール・デルヴォーあたりのシュルレアリスム絵画の悪夢的イメージをも彷彿させ、その目論見は非常にうまくいっていると言ってよい。
それに一役買っているのがソニー製「HD-24Pカムコーダー」
「スターウォーズ エピソード2」でも全面的に導入された映画撮影用デジタルカメラである。
「ヴィドック」は世界初のデジカムで撮影された劇映画となったのだが、これは「エピソード2」での運用に際してのリハーサル的な意味合いもあったようだ。
しかしピトフ監督は、そのような意味合いとは全く関係なく、自分のイメージを最適に表現できるツールとしてHD-24Pデジカムを採用した。
その秘密はHD-24Pデジカムの特性にある。
このデジカムのCCDはサイズが2/3インチで35mmフィルムよりも小さいため、焦点深度が非常に深くなってしまう。
これはデジカムの欠点とされていたがピトフはこれに着目し、手前の人物から奥の建物まですべてにピントが合う(パンフォーカス)極めて絵画的な映像を創り出したのだ。
その結果、どこまでもピントが合った風景からは奥行き感が失われ、空は常にデジタルペイントで絵画調に塗りつぶされ、調整された色調は彩度を抑えながらも鈍く輝く金色となり、登場人物は画面に顔が入りきらないほどにクローズで撮られ、画面のどこにも抜けたところがないこの圧迫感、閉塞感!見たこともない映像世界がここにはある。
僕には、この映画がいわゆるCG映像が目指したひとつのヴィジュアル的理想像、すなわちフォトリアリスティックなパースペクティブを持つ絵画的映像を軽々と実現してしまったのでは無かろうか?と思える。

非現実的現実感とでも言おうか。
公開当時、僕は「ヴィドック」と「ファイナル・ファンタジー」の比較を強く意識した。
「ファイナル・ファンタジー」が成そうとして成し得なかったものが「ヴィドック」において、全く違う手法によって達成されていると感じた。

とはいうものの、そこはやっぱりフランス気質。
フランス式映像美学は決して映像的快感と同一ではない。
なにかフランス人には、特にフランス映画には、人間の生理に挑みかけるような押しつけがましさ、挑発的なアート嗜好があるようだ。
「ヴィドック」にはその重く閉ざされた映像とともに、細かいカット割り、ぎらついた質感、騒々しいサウンドデザイン、そして暑苦しいかむさ苦しいオッサン中心のキャスティングといった生理的にヘヴィーな感覚が満ち満ちている。
それに加えて論理的整合性にユルイ脚本ときては嫌いな人も多かろう。
その点に気を付けながらも、確実に一見の価値はあると思えるこの一本。
壮絶に美しいカットも結構あり、カズ山的にはなかなかどうしてお薦めだったりする。
2002 06/05
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