エイリアン
          エイリアン(1979/米)
          ALIEN

    製作総指揮 ロナルド・シャセット
       製作 ゴードン・キャロル/デビッド・ガイラー/ウォルター・ヒル
       監督 リドリー・スコット
       脚本 ダン・オバノン
       原案 ダン・オバノン/ロナルド・シャセット
       音楽 ジェリー・ゴールド・スミス
       撮影 デレク・バンリント
   特殊効果監修 ブライアン・ジョンソン/ニック・アルダー
エイリアンデザイン H・R・ギーガー
  コンセプト作画 ロン・コッブ
       出演 シガニー・ウイーバー(リプリー)/トム・スケリット(ダラス)/ベロニカ・カートライト(ランバート)
          ハリー・ディーン・スタントン(ブレット)/ジョン・ハート(ケイン)/ヤフェット・コットー(パーカー)
          イアン・ホルム(アッシュ)
映画「エイリアン」に登場する異星生物、いわゆる"エイリアン"はとっても怖かった。
SFとホラーが合体して生まれたこの映画はヒットし、奇怪で禍々しいイメージを一身に背負ったキャラクター"エイリアン"は観客の心に刻みつけられ、いまなおその人気は衰えない。
とりもなおさず映画「エイリアン」の恐怖のインパクトの大きさを示すワケだが、何故あんなに怖かったかわかるだろうか?
「怪物(モンスター)とは、はっきり見えないからこそ怪しいのである」との理論に基づき、劇中徹底してその姿をはっきりと見せなかったから?
生理的な嫌悪感を催すヌラヌラした質感がことさら強調されていたせい?
はたまたH・R・ギーガーのとてもユニークで奇怪な悪夢的造形のなせる技?
答えはNO。
それだけでは「エイリアン」はちょっと良くできたSFホラー映画で終わっていただろう。

映画の舞台となる宇宙貨物船(というか曳航船?)ノストロモ号の二等航海士エレン・リプリーを演じるシガニー・ウィーバーはこれが大作映画としては初主演の新人だったが舞台演劇等で確かな演技力を発揮していた人物だ。
ストーリーは、はるか深宇宙を航行するノストロモ号が正体不明の異星生物"エイリアン"に遭遇するという話なので、映画の登場人物はノストロモ号乗組員のわずか7名のみ。(ジョーンズを入れれば7人と1匹)
すなわち人物描写が作品の完成度を大きく左右するタイプの映画だったわけだ。


さてこの7名の中でただひとり生き残るリプリーには生き残るだけの資質があった。
二等航海士であるリプリーはノストロモ号の中で3番目の職位にあるのだが、7人のクルーの中では新参者であり、最も若く、しかも女性であるために他の誰からもあまり信頼されていない。
さらに持ち前の気の強さと正義感から規則に厳しいことが災いして、いくらか馴れ合いの感もある他のクルーから「うざったい姐ちゃん」と反感さえ買っている。

ノストロモ号は長い長い道のりの地球への帰還途上、辺境惑星から発信される救難信号をキャッチする。
会社規約により救難信号を傍受すればその捜索に向かうことが定められていたため、船長ダラス、一等航海士ケイン、パイロットのランバートの三人がその辺境惑星に捜索に向かう。
しかし救難信号は地球のものではない異様な宇宙船から発信されていた。
しかも船内を捜索中のケインが未知の生物に襲われ、宇宙服のフェイスプレートを破って侵入した奇怪な生き物に寄生されてしまう。
ノストロモ号に残っていた科学主任アッシュは、一刻も早くケインを自動医療器にかけるため船内に運び入れようとする。
しかしただひとりリプリーは未知の生物の「脅威の可能性」を予見して規則に基づく検疫手順を踏むことを主張し、クルーたちと対立する。

映画の中の状況では、この時点でのリプリーの判断は必ずしも正しいとは言い切れない。
しかし、映画が描こうとするのは、未知なるもの"エイリアン"の脅威を理解できず、しようともしない他のクルー達の危機管理能力の欠如だ。
こうした対立は劇中何度か描かれるが、これはしかし、リプリーの「正しさ」故に起こる衝突であり、我々が社会の中で必ず何らかの組織に属し、そのなかで正しいことを貫こうとして組織の矛盾に阻まれる姿にそのまま重なり合う。
やがて未知の危険な"エイリアン"は閉ざされた宇宙船内に放たれ、クルーは"エイリアン"の脅威に直面せざるを得なくなる。

リプリー以外のクルー6人(いやケインは最初の被害者だから5人、いやアッシュはアレだから4人か)が、自らの不注意、無理解、愚かさ、恐怖による判断ミスで次々に命を落とすなか、ただひとりリプリーは"エイリアン"の恐怖に耐えて理性を保ち、正しく判断し、正しく行動することにより、人間の能力を遙かに超えた脅威に対して立ち向かい、生き延びていくことができる。
この終始一貫した「正しさ」によるリプリーの闘いは、(場所が宇宙で時代が未来とはいえ)ごく普通の人間がその「正しさ」のみによってヒーロー(ヒロイン)になり得ることを示すものであり、そのまま我々観客の姿に重ねて共感を呼び、勇気を与える。


さて"エイリアン"が何故怖いのかって話に戻ろう。
「正しさ」によってヒーローとなり得たリプリー(もはや観客はリプリーが助かって欲しいという気持ちでいっぱいだ)だが、他のクルーは全滅、ノストロモ号と曳航する石油精製プラントの自爆装置が作動して一刻も早く脱出しなければならない状況だ。
しかし脱出艇ナルキッソスの狭い船内に隠れ潜んでいた"エイリアン"と1対1の対決になり、リプリーは"エイリアン"を船外にはじき飛ばすタイミングを待ってエアロックのボタンに手を掛ける。
そのとき、我らがリプリーは(いくぶん逞しいその容姿からは場違いなほどに)まるで脅えきった少女のようにこうつぶやく。
「幸運のお星様、私を助けて、助けて、助けて・・・」
観客が最も手に汗握る瞬間はココだ!
リプリーが、すなわち一介の人間が出来うる限り「正しく」生き延びる手だてを尽くしてもなお、"エイリアン"はお星様に命乞いをするしかないほどの絶望的、絶対的恐怖の対象なのだということが差分として強調される。
つまりリプリーが終始勇敢に、そして理性的に行動する唯一の主人公として描かれることにより、映画「エイリアン」の"エイリアン"は、SF及びホラー映画史上に残る最凶の存在として我々の心に焼き付けられるのである。

映画「エイリアン」は人物の関係性やその生き方をなかなか真摯に描いて人間ドラマとしても秀逸であるが、実質的デビュー作にしてそれを支えたシガニー・ウィーバーの確かな演技力に負うところは大きい。

1979年度アカデミー賞視覚効果賞受賞
1980年度ヒューゴー賞最優秀映像作品賞受賞
2002 09/15
BACK