マイノリティ・リポート
マイノリティ・リポート(2002/米)
MINORITY REPORT

監督 スティーヴン・スピルバーグ
原作 フィリップ・K・ディック
脚本 スコット・フランク / ジョン・コーエン
撮影 ヤヌス・カミンスキー,ASC
音楽 ジョン・ウィリアムズ
出演 トム・クルーズ / コリン・ファレル / サマンサ・モートン / マックス・フォン・シドー
原作の「少数報告」はSF作家フィリップ・K・ディック(以下PKD)の短編小説。
PKDといえば「にせもの」「ほんもの」というテーマ、それについての哲学的なアプローチといった鬱なスタイルのSF作家だが、初期に大量に書かれた小説の中には魅力的なSFのプロットが盛りだくさん。
そのためか、映画化されたものもけっこう多いのだ。
まず「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を映画化した「ブレードランナー」
フィルムノワールの探偵モノを意識したリドリー・スコットがそっち優先でキャラクターをいじったので、SFとしてみるとおかしなことだらけだが、あらゆる面でSF映画のマイルストーンである傑作。
PKDの世界観を一番よく再現しているといわれる「スクリーマーズ」は短編「変種第二号」が原作。
膠着した未来戦争の最中、地中に潜み、自ら進化する軍用ロボットを送り込んだら、それが人間そっくりに進化して敵味方共々を不安と混乱のなかに陥れるというプロットで、これについては「ターミネイター」での盗作疑惑なんてのもある。
とんでもない邦題がついちゃった「クローン」(クローン人間もクローン技術も出てこない!)は、異星人が送り込んだ人間そっくりの自爆ロボットと疑われて追われる科学者の話、原作はこれも短編「にせもの」。
映画は低予算で「スターシップトゥルーパーズ」「ガタカ」などのフッテージを拝借しちゃってるところが哀しいけれど緊張感のある展開がけっこう面白い。
なかには、「テクノロジーによって創り出される夢=ヴァーチャル体験」と「現実」は果たして区別できるのか?という極めて魅力的なプロットがありながら、いつものポール・バーホーベン節が唸ってムチャクチャになってしまった「トータルリコール」なんてのもあるが(笑)あれはあれでPKDのアイデアが無ければ純粋な大暴れ&大笑いSF大作になるところだったのだ。

しかしながら、実はなかなか映画化が難しくもあるPKDの小説。
スピルバーグ&トム・クルーズときては、あの暗く抑圧された世界、虚構と現実の狭間を見失うようなテーマが、納得のいくような形で脚色されるとは夢にも思わなかった。
ところが観てみるとコレがなかなか良かったのである。

とはいうものの、「マイノリティ・リポート」がPKDらしい作品なのか?というとそれはまあ違うのだろう。
PKDらしい作品・・・陰鬱な世界、謎と不安、信じていた価値観の崩壊。
PKDの小説にはいつも重苦しい閉塞感がつきまとう、そこが魅力なのだが・・・
「マイノリティ・リポート」でスピルバーグは、映画全体を青く冷たい抑えたトーンで統一してハードな印象を狙ってはいるが重苦しいというほどではない。
すばやい展開の語り口も手際が良すぎて緊迫感というよりもアクション映画的な高揚感を誘う。
どちらかというと全体に漂う印象はやはりスピルバーグらしい軽さだ。
主人公のアンダートン刑事を演じるのがトム・クルーズであるということがそもそも、PKD的世界観とは全然逆のベクトルを持っている。
PKDの世界の主人公は、くたびれていて不安と混乱にさいなまれていて無力感がつきまとっているものだ。
映画「マイノリティ・リポート」のアンダートンは、息子を失った暗い過去、刑事と麻薬常習者という二面性、自分が信じたものへの疑念など、設定こそPKD的世界を踏襲しているわけだが、演じるトム・クルーズはどう見ても状況を打破するインテリジェンスとバイタリティに満ちていて無力感とは無縁のヒーローではある。
もともとトム・クルーズが持ちかけた企画なんだからしょうがない・・・なんて話はともかく、スピルバーグ&トム・クルーズではどう転んだってPKD的にはならないというところを了解の上で、この作品には近未来SFとしての世界観を際だたせる仕掛けが施してあると僕は見た。

"プリコグ"と呼ばれる3人の予知能力者によって近い将来起こる殺人事件がすべて予知され、予定犯罪者を犯行の前に逮捕する。
殺人予知システム自体の在り方にテーマを置いた原作の「少数報告」と違って、映画の「マイノリティ・リポート」で、予定犯罪というアイデアを通して描こうとするテーマは管理された未来社会の有り様だ。
この映画で描かれる未来世界のリアリティはSF映画史の流れにおいてひとつ新しいレベルに達していると僕は思う。

未来世界のリアリティといえば「ブレードランナー」における未来のロサンゼルスの描写は衝撃的だった。
常に暗くガスのかかった空からは酸性雨が降り注ぎ、前世紀の建築の上に積み重ねられた建造物もまた古びていて輝かしい未来を感じさせるものは皆無、人々の暮らしや社会にはアジアの文化が流れ込んで席巻し、むしろ退行したように見える。
リドリー・スコットらしいビジュアルインパクトは映画を越えてあらゆる文化に影響を与えた。
しかしである、この未来世界像は物語で語られるほどに深刻には感じられないのではないか?
むしろちょっと住んでみたい気がしないか?
それは何故か?
ようするにビジュアルがかっこよすぎ、面白すぎて、ちょっと憧れてしまうからなんだと思うのだが・・・

対して「マイノリティ・リポート」の未来世界ははっきりいって冴えない(笑)
マグレヴシステムジェットパック以外に夢を感じるところが薄いからだと思うのだが、よくよく考えてみれば暗い未来を描くのに夢があったらダメだよね。
映画の背景設定を考えるにあたって、各界のスペシャリストを招いて未来予測を行ったという「マイノリティ・リポート」では、未来を描くのに「ドリーム」のかわりに「リアリズム」を使っている。
米ソの冷戦構造が消滅した現在、核戦争とかの大規模な破壊のリアリティは薄れた。
正直なところ「世界が一瞬にして消滅してしまい、状況がリセットされる」という未来観には一種のロマンがあったのだが、21世紀を迎えて我々は「この世界はそう簡単に滅亡したりはしないようだ」ということも知ってしまった。
近未来を描くのに荒廃した都市と荒んだ生活環境では既にウソくさい。
「マイノリティ・リポート」の50年後の世界は大変動の後の世界ではなく、現在からの単純な延長線上にある世界だ。
誰もが想像すること以上のものはあまりない、だからたいして面白くはない(笑)

「マイノリティ・リポート」の世界では、進んだ技術により安全で快適な社会空間が実現している。
都市の中心部では内燃機関に代わってクリーンな磁気浮揚の移動システムが発達し、しかも磁気ハイウェイ上の全てのマグレヴビークルは統括制御されて渋滞はおろか運転の必要もない。
街中の至るところに網膜スキャナが配され個人の身元を確認、個人レベルのダイレクトな情報のやりとりが可能なうえ、治安の維持にも役立つ。
さらには犯罪予防局の殺人予知システムのおかげで殺人事件はゼロ。
これはとても便利で安全な世界になっていることを意味する。
現在の社会がそのまま発展すれば、技術の発達が大量消費と個人管理の大規模なシステムを完成させるだろうという、誰もがリアリティを感じる設定である。
なかでもヴァーチャル広告のアイデアは秀逸だ。
ショッピングモールを歩けば、網膜スキャンにより個人IDが識別され、壁のアニメスクリーン広告のなかの人物が直接あなたに語りかけてくる。
これはなんだか滑稽なシーンでもあるが、同時に観客はなにか薄ら寒いイヤな感覚を抱くと思う。
それはつまりこういうことである。
科学とテクノロジーの発達はさらに進む。
それは社会組織、企業、政府の目指す合理主義的なシステムの追求という圧倒的な追い風を受けて、我々個人の感覚がなにげなく抱く不安や畏れを押しのけながら組み上げられていく。

そうした未来のビジョンを我々はリアリティを持って感じるはずだ。なぜならそれはもう既に始まっているからだ。
社会としての合理性、利便性、すなわち快適さと引き替えに、個人の自由やプライバシーが知らず知らず奪われていくこと。
「マイノリティ・リポート」の未来社会の描写に込められたテーマはまさにこれ。
劇中の描写としてはあくまでも状況としてさりげなく軽妙に描きながら、なんとなく「こんなところに住みたくないなぁ」という印象を創り出すことに成功している。
PKDのプロットを出発点に、忍び寄るような管理社会の恐怖をテーマとして決して声高に語るのではなく、むしろ快適で安全で、しかも当たり前でつまらない未来の描写でもってその違和感を際立たせるというやりくちはなかなかに巧妙だと思った。
殺人を未然に防ぐという大義名分のもとに、人間の運命すら管理するという犯罪予防局の殺人予知システムは、この映画のテーマの極端な象徴であるともいえる。

既に社会は、情報のパワーを持ってシステムで管理する時代へとパワーシフトしている。
権力のふるう暴力(警察や軍隊の力)によって管理される社会は既に時代遅れになった。
だから犯罪予防局の空中警官隊はけっこうマヌケで、アンダートンは彼らから逃げ切ることが出来る。
エアポリスを強力な部隊として描けば、暴力による管理・支配のほうに印象が逃げてしまうのがおわかりか?
皮肉にもアンダートンは警官隊や調査官からは逃げられても、網膜IDという便利なシステムから簡単に逃げ切ることはできないわけだ。

PKDの小説に度々登場する"プリコグ"だが、平たく言えばこれは超能力者・予言者のことである。
(他にも占いだとか。まぁそういう妙なアイデアが出てくるのがPKDの面白いところ)
「マイノリティ・リポート」のそもそものプロットも、予言者のお告げで殺される人を救うというような話で、そう考えると「こういうのってSFなのか?」という気もしてくる。
これが例えばスーパーコンピュータの分析による未来予測でも理屈は同じなのだが、プレコグニション(予知能力)による予知とすることでその絶対性を構築できる。
SF設定の「お約束」として、超能力は神秘的なもので、なんらかの人為的・機械的なミスが差しはさまる余地がないのが前提だからだ。
未来予知の絶対性を前提とすることで、このプロットから導かれる普遍的な命題が浮かび上がる。
「未来は絶対であるとしても、実行していない犯罪は裁かれるべきなのか?」
SF的には離れ業を使いつつもPKDのプロットが優れているのは、こうした普遍的なテーマに迫っているところなのだろう。
だから時代を経ても色褪せない。

とはいえ、先にも書いたように映画「マイノリティ・リポート」のテーマはそこではないように思う。
殺人予知システムにまつわる謎解きはどうにも曖昧だったように思える。
結局、予知された未来は変えることができたのか?
そもそも少数報告って何だったのか?
プロットがタイムマシンものの変形なので当然タイムパラドックスは含まれるわけだが、それにしても劇中のトリックの矛盾にあまり注意が払われていないのは物語を追っていく上でツッコミどころではある。
(いや、矛盾しているのかどうかもはっきりしないわけだけど、そこのところはなるべく回避されて曖昧にしてあるというのは、まぁ逆説的に注意が払われた結果なのだが・・・)
しかしながらシステムやトリック自体の謎解きよりも、人間の自由意志の在り方に優先をおき「運命は変えられる」とした結末はスピルバーグらしいと思うし、僕の中では納得なのだ。
2003 02/26
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