スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐
スター・ウォーズ エピソードIII/シスの復讐(2005/米)
STAR WARS: EPISODE III - REVENGE OF THE SITH

監督 ジョージ・ルーカス
製作 リック・マッカラム
脚本 ジョージ・ルーカス
音楽 ジョン・ウィリアムズ
出演 ユアン・マクレガー/ナタリー・ポートマン/ヘイデン・クリステンセン/イアン・マクダーミッド
"フォースにバランスをもたらす"ハズだったジェダイの騎士・アナキン・スカイウォーカーが、フォースの暗黒面に墜ちてダースヴェイダーになるまでを描いたプリクェル三部作の最終章。20年以上前から噂されてた「火山の惑星でのオビ=ワンとアナキンの決闘!敗れたアナキンは溶岩に落ち、ヴェイダーとして復活する!」がホントに映像化!「スターウォーズ エピソード4/新たなる希望」(78)から始まった"スターウォーズ・サーガ"がぐるってまわって繋がってこれで完結。

いろいろ想うことあれど、祭のあとの寂しさというより得体の知れない喪失感みたいなものを強く感じる。「あぁ終わっちゃったよ、あしたからどうやって生きていこう…」みたいなね。

さてだけどジョージ・ルーカスのことはずっと贔屓目でみてきたから、ここはいっかい心を鬼にして評価すると「シスの復讐」は僕としては60点くらいだ(辛いね!) 結局ルーカスはドラマをつくることに興味がなかったというより才能が無かったと言うしかない。世間では高いドラマ性を評価されているらしき「シスの復讐」だけど、僕はこのドラマに次第点はあげられない。世間の評価って「スターウォーズにしてはドラマ性が高い」ってことじゃないのか?

演技はいい。愛する者への想いの深さゆえに苦悩し悪に染まっていくアナキンを渾身の芝居で演じたヘイデン・クリステンセン。それを受けるユアン・マクレガーもいい。師として、また兄弟として、アナキンを冷静に見守り導いたオビ=ワンが、最後に彼と対決しなくてはならなくなったときの感情の爆発。演技派を揃えたプリクェル三部作俳優陣の真価が発揮されている。なかにはパルパティーン役のイアン・マクダーミッドみたく、舞台劇メソッドはいいんだけど芝居に力が入り過ぎてなんか歌舞伎みたいになってるひともいますが(笑)まぁいいでしょう。
ともかく俳優はみんないい演技してるんだけど脚本がなぁ…

要所の演出はわりといいんだけどそこに至る顛末がお粗末過ぎる。アナキンはなんであんなじじぃの口車に乗せられちゃうんでしょうか? 嫌な夢見ただけじゃん(ホントは「クローンの攻撃」で母の死を予見した夢のエピソードが伏線になるはずだけど関連づけが弱過ぎる) 中学二年くらいの判断力に思えるけど「恋は盲目」ってことで済んじゃうのか?やっぱアナキンの脳ミソはドキュンレベルってことなのか?さんざんアナキンの未熟さを懸念してた割にヨーダオビ=ワンも何やってんだか。「師として見守り導いた…」って書いたけどぜんぜん見守れてねぇよ!(笑)

いろんな登場人物の行動理由が簡単すぎ。芝居に感情がこもればこもるほどに「そうなる前に何とかしようよ。おまえら全員バカなのか?」と思えてくる。これで「ドラマ性が〜」とか言われてもな…

パドメの悲劇の末路を演じたナタリー・ポートマンなんかは完全に貧乏クジで「いったいコイツの眉毛はどうなってるんだ?」というくらいすごい表情で熱演すんだけど、役柄が「いわゆる可哀想な嫁」以上でも以下でもないので「直角に折れ曲がった眉毛」以外に何の印象も残らない(笑) 抗しがたい圧制への流れに屈せずに信念を貫く人物だったアミダラが、結婚して身籠るとこの体たらくという安易な役回りなのは下手すりゃ女性蔑視的に見えて不愉快ですらあるな。

なんだかどの登場人物も、もう決まってしまってる結末に繋げるために経路上に適当に配置されたコマみたいじゃない?まぁスターウォーズにドラマ性の期待値はもともと低いから、むしろ思わぬ健闘に得点プラスでもいいんだけどなー。なんだかなー。

もともとルーカスの興味がビジュアルイメージや世界設定主体、すなわち"スターウォーズ世界"の構築にあったのは間違いない。まず究極のSF世界を映像にすることが第一で、ストーリーは世界観を描き出すための手段みたいなものだったんだろう。だから最初の「スターウォーズ エピソード4/新たなる希望」のストーリーはすごく素朴なものだった(当時それが逆に新鮮だった)ルーカスは後に「神話を下敷きにした」と言ってるがホントのところはSF映画、冒険映画、戦争映画の定石をミックスしただけだろう。

続編の「エピソード5/帝国の逆襲」からは、脚本にベテランのリー・ブラケットと新進気鋭のローレンス・カスダンがつくけど、ルーカスの設定へのこだわりが自由な脚色に制限をかけたろうことは想像に難くない。んなわけでリー・ブラケットは「ルークとヴェイダーの意外な関係」をはじめ、ルーカスの設定に抵触しない「人物の関係」に物語を落とし込んで本質的な意味でドラマを駆動させた。けどそのかわりに「大宇宙の命運を賭けた戦い」「個人の絆の物語」にスケールダウンした…とまぁ僕は思っているんだけど、他の追随を許さぬ斬新なイメージと革新的な特撮技術こそが第一の見どころだった旧三部作(エピソード4〜6)においてはそれでも充分だったわけ。

しかし現在ではデジタルエフェクトが当たり前になり、いかに"スターウォーズ"といえどもビジュアルイメージにかつてのような優位性があるわけではなくなった。だからこそプリクェル三部作(エピソード1〜3)ではドラマが重視され、俳優陣も実力派を揃えたわけだ。

ところがルーカスがプリクェル三部作をあらためて始動した原動力はやはり「サーガのループを完璧に閉じること」だったんだろな。いつしか"スターウォーズ"の世界は小説やコミックはもとより、ファンの妄想も含めて大きく広がってたので、そんなの全部回収してたら収拾つかない。真説スターウォーズ世界ってのはルーカスにしか決定できないので、ルーカスはもう他人には任せず自分だけで脚本を書いた。そうするともう何年も前に噂できいたようなエピソードが本当にはまってたりして「スゲー!やっぱりちゃんと考えてあったんだ」なんて思ったものだ。

裏設定的なところにこだわるルーカスはやはりオタク気質だよな。オタクというのは設定に凝っている時がいちばん幸せな生き物だから(笑)またファンもそういうコダワリを"スターウォーズ"に望んだのも確か。

けどもそれだけでドラマが面白くなるわけじゃない。ルーカスが思い描いていたエピソード1〜3の構想というのは、あくまで旧三部作の時代に至るまでの前置きに過ぎない。要はただ歴史年表みたいなもんがあるだけのことだから、これだけでストーリーと呼ぶのはちと乱暴だ。どんだけ思い入れても設定は設定。思い入れる当人はそこに巻き起こるいろんなドラマを妄想するけど、それを脚本という形にしたときの良し悪しってのはまた別の話(これはオタクが陥りがちな典型的なパターンだよな〜同人誌かよ!まぁ自戒もこめて/笑)

そんなわけでプリクェル三部作には、旧三部作とのつじつま合わせに終始する窮屈さみたいなものがどうしてもつきまとっている。一貫した設定の完璧さはともかく、残念ながらドラマとしての完成度は目指した程には高くない。

でもぶっちゃけ、エピソード1と2ではさして気になったわけじゃないドラマの弱さ。ここへきてそれがすごく気になったのは単純に時間配分のミスだよね。ドラマに決着をつけなくちゃいけない「シスの復讐」はあまりにせわしなさ過ぎた。前作「クローンの攻撃」はそうとう詰め込んだ展開だったが、まだまだこなすべき要素が大量に消化できてなかったし、サーガの中でもっとも大規模なイベントであるはずの「クローン大戦」をアニメ版に託すという離れ業に出てもなお、回収すべき伏線がいっぱい残ってた。こんなことなら「エピソード1/ファントムメナス」なんか無しにして「クローンの攻撃」からはじめればよかったのに。あんなの無くても話は成り立つよ。

今回、ルーカスは要素をギリギリに絞ってアナキンが暗黒面に墜ちていく本筋以外をかなり省略したという。でも真にドラマを語るには半端に残ってる部分はまだまだ多く、とうてい時間は捻出できてないと思う。結果「シスの復讐」は141分という長尺にもかかわらず個々のエピソードがじっくり描かれず、どっちつかずな印象の映画になった。

たぶんそれでも及第点なんだろう。でも僕はモヤモヤしちゃったな。綺麗にまとまるけど凡庸に終わるなんて僕の中では"スターウォーズ"じゃなかったんだな。
考えてもみよ。スターウォーズという作品は一作ごとに「サプライズ」があったもんだ。最初の「スターウォーズ」の全てが驚きの連続だったことはもちろん、それにつづく作品にも「前作を、そして世にあるあまたの映画を超えて斬新な映画体験を提供しよう」という意気込みとアイデアが満ちていた(「ジェダイの復讐」は凡庸に終わるからアレだけど)

「ファントムメナス」から再開したプリクェル三部作では追求の方向性はずいぶん変わってたけども、それでも旧三部作を踏まえての世界観の再現性の高さ(タトゥーイン!)とか、フルデジタル&俳優陣の強化により、旧作にはなかった高級感さえ感じさせるクオリティの高さにはワクワクさせられた。
すべてのデザインをがらりと変えて共和制時代の優雅な文化を見せてくれた惑星ナブー、「クローンの攻撃」では旧三部作にはない大都市での追跡劇が登場し、大規模な戦力が本格的にぶつかる地上戦をこれでもかと見せつけた。これらはルーカスの狙い通り、旧三部作では到達できなかったビジュアルイメージを展開させて"スターウォーズ世界"の奥の深さを見せてくれたと思うんだ。

だけど今回はどうだろう。はたして僕らの予想をこえるものはあっただろうか?ストーリーはシリーズを繋げるのに必要な最小限の要素を組み合わせた以上のものではなく、既に知っている話のビジュアルを確認しているだけのような作業感があったことは否めない。

ん〜、それにしても結局アナキンって何が気に入らなくてグレるのかちゃんとわかった?オレにはよくわからん。暗黒面への誘惑がパドメの件ではおかしいでしょ。
「オレなら、いやオレこそが事態をうまく解決できる!」という過剰な自信、評議会への不信感がアナキンをフォースと権力への妄執へ駆り立て、そこをシスの暗黒卿に付け入られる…というのをもっと前面に出さないと。
暗黒卿は「パドメを死から救えるのはわしだけじゃぁ」とか言って結局何もしないけど、このあたりアナキンはどう納得してシスにつくんだよ?
ダースヴェイダーになったアナキンが言うよね
「それでパドメはどうなったんスか?」
「ああ、あれは死んだようじゃな…」
「Noooooo!」
…ってあんた首締めるもん、そりゃあかんわ。つまりどうしたかったんだ?
最後にじじぃとふたりで何となしにデススターを眺めているラストは「言いたいことがあるんだけど喧嘩になりそうだから黙ってる」っぽい描写に見える。じじぃのほうも「下手に目線が合うとキレられそうなんでシレッとしてる」みたいに見えるよ。(そんでなんか空気が重いんでそれとなく立ち去るモフ・ターキン/笑)

パドメの死は自決であるべき。妄執に囚われるアナキンに絶望して命を断つ。怒りに任せて戦ったアナキンはオビ=ワンに敗れる。全てを失ってアナキンは一度死に、暗黒卿に蘇生させられて忠誠を誓う。これでいいでしょ。

しかしやっぱり「スターウォーズ」というやつは自分の中で存在が大きすぎる。
ラストでタトゥーインのド田舎のオーウェン叔父さんの家ンとこで、便所の煙突みたいなんがクルクル回ってて二重太陽が地平線近くに傾くところ。J・ウィリアムスの劇伴が盛り上がると、それまでの脈絡と一切関係なしに感動しちゃってムダに涙が出てくるわけです。
どうしたもんかねぇ(笑)
2006 10/15
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