判例の小窓
 − 世間(よのなか)はかくぞ(ことわり) −
判例の小窓
生命
氏名
名誉
容ぼう
羞恥心
信仰
表現
教育
職業
体制
婚姻
親族
常識
人類の歴史


生命
 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。
大樹と煙突

 死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。
最高裁 昭和23年3月12日 大法廷・判決 昭和22(れ)119 尊属殺、殺人、死体遺棄(民集第2巻3号191頁)






























氏名
 氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、
海辺の1人
人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきである。
最高裁 昭和63年2月16日 第三小法廷・判決 昭和58(オ)1311 謝罪広告等(民集第42巻2号27頁)






























名誉
 人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償(民法710条)又は名誉回復のための処分(同法723条)を求めることができるほか、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。
花一輪
けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。
最高裁 昭和61年6月11日 大法廷・判決 昭和56(オ)609 損害賠償(民集第40巻4号872頁)






























容ぼう
 憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。
樹木

 これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。
最高裁 昭和44年12月24日 大法廷・判決 昭和40(あ)1187 公務執行妨害、傷害(民集第23巻12号1625頁)






























羞恥心
  およそ人間が人種、風土、歴史、文明の程度の差にかかわらず羞恥感情を有することは、人間を動物と区別するところの本質的特徴の一つである。羞恥は同情および畏敬とともに人間の具備する最も本源的な感情である。
 人間は自分と同等なものに対し同情の感情を、人間より崇高なものに対し畏敬の感情をもつごとく、自分の中にある低級なものに対し羞恥の感情をもつ。これらの感情は普遍的な道徳の基礎を形成するものである。
枝振り
 羞恥感情の存在は性欲について顕著である。性欲はそれ自体として悪ではなく、種族の保存すなわち家族および人類社会の存続発展のために人間が備えている本能である。しかしそれは人間が他の動物と共通にもつているところの、人間の自然的面である。従つて人間の中に存する精神的面即ち人間の品位がこれに対し反撥を感ずる。これすなわち羞恥感情である。この感情は動物には認められない。
最高裁 昭和32年3月13日 大法廷・判決 昭和28(あ)1713 猥褻文書販売 (民集第11巻3号997頁)






























信仰
 信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。
祭り
このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。
最高裁 昭和63年6月1日大法廷・判決 昭和57(オ)902 自衛隊らによる合祀手続の取消等(民集第42巻5号277頁)






























表現
 憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知 識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展さ せ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、
祭り
民主主義社会における 思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要で あつて、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理と して当然に導かれるところである。
最高裁 平成元年3月8日大法廷・判決 昭和63(オ)436 メモ採取不許可国家賠償(民集第43巻2号89頁)






























教育
 子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。
公園
この子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的な形態としては、親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもつてしては、近代社会における経済的、技術的、文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は、主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になつている。
最高裁 昭和51年5月21日 大法廷・判決 昭和43(あ)1614 建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件(民集第30巻5号615頁)






























職業
 (一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。
職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。
遠望
そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち 職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活 動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義 における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
 (二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性 質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊に いわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反し ない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えら れる。
最高裁 昭和50年4月30日 大法廷・判決 昭和43(行ツ)120 行政処分取消請求(民集第29巻4号572頁)
































体制
 個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる 諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、 かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはい うまでもない。
眼下
のみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のも とに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権 を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を 要請していることは明らかである。
最高裁 昭和47年11月22日 大法廷・判決 昭和45(あ)23 小売商業調整特別措置法違反被告事件(民集第26巻9号586頁)






























婚姻
 婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもつて共同生活を営むことにあるから、夫婦の一方又は双方が既に右の意思を確定的に喪失するとともに、夫婦としての共同生活の実体を欠くようになり、その回復の見込みが全くない状態に至つた場合には、当該婚姻は、もはや社会生活上の実質的基礎を失つているものというべきであり、かかる状態においてなお戸籍上だけの婚姻を存続させることは、かえつて不自然であるということができよう。
道端の桜花
しかしながら、離婚は社会的・法的秩序としての婚姻を廃絶するものであるから、離婚請求は、正義・公平の観念、社会的倫理観に反するものであつてはならないことは当然であつて、この意味で離婚請求は、身分法をも包含する民法全体の指導理念たる信義誠実の原則に照らしても容認されうるものであることを要するものといわなければならない。
最高裁 昭和62年9月2日 大法廷・判決 昭和61(オ)260 離婚(民集第41巻6号1423頁)






























親族
 およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる。
樹林
 このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然 るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。
(しかし,「尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(略)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。」)
最高裁 昭和48年4月4日 大法廷・判決 昭和45(あ)1310 尊属殺人 (民集第27巻3号265頁)






























常識
   被告人は原審公判に至つて、忽然として「それは交際のきつかけを作るために隠したのである」と主張し出したのである。なるほどかゝる主張のようなことも不完全な人間の住むこの世の中では全然起り得ないことではないであろう。
都会の憩い
 しかし冒頭に述べたような事実があつたとしたら、それが盗んだので はなくて交際のきつかけを作るために隠したに過ぎないということが判明するまでは、普通の人は誰でもそれ は泥棒したのだと考えるであろう。これが、吾々の常識であり又日常生活の経験則の教えるところである。
最高裁 昭和23年8月5日 第一小法廷・判決 昭和23(れ)441 窃盗 (刑集第2巻6号1123頁)






























人類の歴史
  そもそも、人類の歴史において、立憲主義の発達当時に行われた政治思想は、できる限り個人の意思を尊重し、国家をして能う限り個人意思の自由に対し余計な干渉を行わしめまいとすることであつた。すなわち、最も少く政治する政府は、最良の政府であるとする思想である。
国会の見える坂
そこで、諸国で制定された憲法の中には、多かれ少かれ個人の自由権的基本人権の保障が定められた。かくて、国民の経済活動は、放任主義の下に活発に自由競争を盛ならしめ、著しい経済的発展を遂げたのである。ところが、その結果は貧富の懸隔を甚しくし、少数の富者と多数の貧者を生ぜしめ、現代の社会的不公正を引き起すに至つた。そこで、かかる社会の現状は、国家をして他面において積極的に諸種の政策を実行せしめる必要を痛感せしめ、ここに現代国家は、制度として新な積極的干与を試みざるを得ざることになつた。これがいわゆる社会的施設及び社会的立法である、
最高裁 昭和23年9月29日 大法廷・判決 昭和23(れ)205 食糧管理法違反 (民集第2巻6号1235頁)




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世間(よのなか)はかくぞ理(ことわり)
もち鳥(とり)の かからはしめよ
行くへ知らねば
(山上憶良)