2003.6〜2015.1
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交通事故における車速と停止距離を考える 1 車速から必要な停止距離を求める 交通事故防止の標語でも,「車は急に止まれない」とよく言われることである。 自動車の運転者が走行中に急ブレーキをかけて自動車を停止させるまでには,一定の距離が必要になる。 運転者が急ブレーキをかけようと判断した地点から自動車が停止した地点までの距離を「停止距離」というが, この停止距離は,空走距離と制動距離とに分けられる。 (1) 空走距離 空走距離というのは,運転者が(1)危険を感じて急ブレーキが必要と判断した時点から,(2)アクセルペダルから足を動かし(反射時間0.4〜0.5秒),(3)ブレーキペダルに足を乗せ(踏替え時間0.2秒),(4)これを踏み込んでブレーキが効き始める(踏込み時間0.1〜0.3秒)時点までの距離である。この間の制動措置を取るまでに要する時間を「反応時間(空走時間)」といい,個人差はあるが,通常人の平均的な反応時間は0.75秒とされている。 この空走距離は,「反応時間(秒) × 車速(m/秒)」で求められる。 (2) 制動距離 制動距離というのは,制動措置によりブレーキが効き始め,車輪の回転が止まり,自動車が滑走(スキッド)した後に停止するまでの距離である。 この制動距離は,制動前の機械的エネルギーと制動力による消費エネルギーが等しいとみることから,高度な算式を経て,結局,制動距離は,「時速(Km/時)の2乗÷(254×摩擦係数)」の算式で求められることが分かる。 制動力はタイヤの路面に対する摩擦によって得られ,タイヤトレッドの摩耗,路面の状況,路面の濡れ程度等によって異なるので,状況に応じた係数の設定が必要になる。一般に,乾燥路面での摩擦係数は,0.7位が設定される。 【参考】 各種路面に対するタイヤの摩擦係数
江守一郎「新版自動車事故工学」(技術書院平成5年5月発行)45頁
(3) 停止距離 結局,停止距離は,次の算式で求められる。
なお,交通警察実務の指導本には,停止距離の概数の算式として, これにより,時速40Km/時の場合の停止距離は16m, 40Km/時を下回る場合は,計算結果に2mを加算, 40Km/時を超す場合は,計算結果に20%を減算 を目安に,正確な交通事故現場の状況把握と当事者からの事情聴取に心掛けるべきことが説かれている。 (4) 停止時間 急制動をかけて停止するまでに要する時間(停止時間)は,次の算式で求められる。
停止距離は23.78m,停止時間は2.72秒となる。
(参考文献)
1 清水勇男・岡本弘共著「新訂交通事故捜査の基礎と要点」(令文社・平成15年3月初版)84頁 2 交通警察実務研究会編「交通捜査実務パーフェクトガイド」(東京法令出版・平成12年10月初版)104頁 上記の算式Aと算式Bを比較してみると,反応時間0.65秒,摩擦係数0.7として,次のような結果が得られる。
概数の算式Bは,覚えやすく迅速な状況把握が可能になるが,人的な個別事情に応じて若干反応時間にも違いがあり,具体的な道路状況に応じた摩擦係数の設定も考慮する必要がある。それらの条件設定如何により微妙に計算結果が異なり過失認定にも大きく影響することがある。したがって,できるだけ物理的な法則に基づいた算式Aの利用を心掛けた方が,正確な事実の把握ができ,関係者の理解と納得も得やすいと考える。 算式Aは,電卓で計算していては対応できないが,携帯パソコンがあり,この「実務の友」のような計算ソフトがあれば,交通事故現場において,きわめて容易かつ迅速に計算結果を得ることができ,正確な事故原因の究明と状況把握の確度も高まる。 例えば,時速60キロメートルで,先行車との車間距離25メートルで追従して進行中,傍らの広告塔に気を取られて,赤信号で急停車した先行車に気付かずに追突した場合,前方不注視の過失が認定できるかという問題があるとする。この場合の過失は,前方不注視か,車間距離不保持か。 この場合には,時速60キロメートルで進行中の自動車が急ブレーキで停止するためには,32メートル程度の距離は必要であり,前記の車間距離では,前方注視を尽くしていても追突は避けられないのであるから,これに前方不注視の過失を問うのは不合理という結論になる。この認定判断には,停止距離の算式の理解と的確な適用が必要になる。
2 スリップ痕から車速を求める 走行中の自動車に急ブレーキをかけると,多くの場合,路面にスリップ痕(スキッドマーク)が残される。 このスリップ痕の長さから,逆にスキッド開始時の自動車のスピードを推定することができる。 この算式は,速度から停止距離を求める上記の算式を逆利用して,次のようになる。
3 定数は254か259か 制動距離の算式は, (Vは時速(km/h)を,^2は2乗を,μはタイヤと路面の摩擦係数, gは重力加速度9.8m/s^2) 【参考文献】 1 江守一郎「新版自動車事故工学」(技術書院平成5年5月発行)44頁 2 平成9年度交通事故損害賠償必携・資料編(新日本法規)168頁 しかし,制動距離の算式を紹介する説には, (1)の【参考文献】 1 副島海夫ほか「スキッド・マークの長さからの車速の推定について」(判例タイムズ212号232頁以下による。) 2 高木典雄「自動車による業務上(重)過失致死傷事件における過失の認定について」司法研究報告書第21輯第2号 3 「新任交通警察官から幹部まで徹底解析・交通事故事件捜査」(東京法令出版平成14年改訂版) (2)の【参考文献】 1 安西温「自動車交通犯罪(現代実務法律講座)22頁 2 最高裁判所事務総局刑事局監修「刑事判決書に関する執務資料ー分かりやすい裁判をめざしてー」参考事例(六)(108頁以下,118頁) 両説の違いは,実友の筆者が考えるに, 上記の算式1の分母「2μg」は「2×9.8×μ」=19.6μ この数値で,秒速(m/s)単位の算式1を時速(Km/h)に換算すると, V^2×(1000/(60*60))^2/2gμ=V^2×(100/1296)/19.6μ =V^2/254.016μ=V^2/254μ により算式2を得る。 一方,上記の算式1の分母「2μg」は「2×9.8×μ」=19.6μ, これを小数点以下を四捨五入して20μとし, この数値で,秒速(m/s)単位の算式1を時速(Km/h)に換算すると, V^2×(1000/(60*60))^2/2gμ=V^2×(100/1296)/20μ =V^2/(12.96×20μ)=V^2/259.2μ=V^2/259μ により,算式3を得る。 よって,算式2,算式3の違いは,上記のとおり,小数点以下の四捨五入の仕方にある。 以上の説が正しいとすれば,実友の筆者としては, 算式の算出途上に四捨五入等の操作をするよりは,できるだけそのままの数値で算出するのが望ましいと考え, 定数として「254」の採用を薦めるものである。 上記(2)の参考文献2が定数259を採用している理由は,不明である。 なお,上記参考文献の最高裁判所事務総局刑事局監修「刑事判決書に関する執務資料ー分かりやすい裁判をめざしてー」参考事例には,「スリップ痕から時速を求める公式」として,
(以上2003.6.21/7.7記) (注) 最近自動車に装備されているABS(アンチ・ロック・ブレーキシステム(Anti-lock Brake System))では,タイヤが完全ロック状態になるのを防ぎ,ハンドルの操作が可能になる仕組みになっています。したがって,こうした装備車では,ブレーキが効き,車輪の回転が止まり,自動車が滑走(スキッド)した後に停止することを前提にした上記の計算式は,そのまま適用しても正確な結果は得られないと考えられます。 (以上2005.5.1記) (注) 神戸地判の裁判例を追加(以上2008.8.30記) (注) 「1 車速から必要な停止距離を求める」の算式Bの計算結果を修正(以上2015.2.3記) |