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13号は眠る
toku
 初めて目にしたのは、いくつもの泡だった。
 それが、自分から発していることと自分がいる場所が、特殊溶液に浸された水槽であると理解するのに、さほど時間は必要としなかった。
 「13号は賢いもんね。」水槽の向こうで岡部さんは、そう言って微笑んだ。そして、その言葉で自分の呼称が「13号」というものであることも理解した。
 岡部さんというのは、13号の生みの親らしい。
 「13号は、いままでの改造人間と違って、遺伝子レベルから改造しただけでなくて、無機物と有機物とのハイブリッド組織を持たせることに成功した戦闘生命体なの。」
 どういうことなのか、と聞くと、岡部さんは胸を張り「どんな機械とも融合できる能力を持っているわ。」と教えてくれた。
 それは凄いことなのか、と聞くと、今度は岡部さんは少々神妙な顔になり「いま前線に出ている兵士は、みなもともと人間だったのを無理やり外科手術や条件付けで戦わせているの。でもあなたのケースが成功したら、そういった非人道的な手法をとらなくても良くなるわ。」
 それは、人の為になることなの?
 「そうよ、あなたが成功したら、もう無関係な人を拉致監禁する必要もなくなるわ。それに、わたしの実績として認めてもらえるしね。」
 人の役に立って、しかも岡部さんに喜んでもらえるのなら、自分も嬉しい。
 「13号は優しいのね。」
 そうして、岡部さんと交流を重ねるうちに、13号は自分と岡部さんが違う生き物であることを理解し、岡部さんを含めた生き物たちが「人間」という生き物であることも理解した。しかも、この「人間」という生き物には性別なるものがあることも知った。岡部さんは、雌にあたるらしい。彼女自身によると、人間の場合は「女性」というのだそうだ。だから、ある時、13号は自分に性別があるのか、あるとしたら雄雌どちらにあたるのか、という疑問にも行き当たった。
 「あえて言うなら、あなたは雌ということになるかしら。」
 なら、対になる雄はどこにいるのだろう。
 「あえて、と言ったのは、あなたがいまのところは唯一無二の存在だからよ。基本的に生物は雌しかいないの。雄なんて、遺伝子をシャッフルさせる容器、多様性を獲得する為の手段に過ぎないの。そうよ、男なんて、男なんて、男なんて……。」
 言いつつ、岡部さんはわなわなと震えだしたので、この種の話題はあまり出さない方がいいのだということも13号は学んだ。そして、13号は自分が「彼女」であることにこの時気がついたのだった。

 ある時、岡部さんは随分と取り乱した態で、姿を現したことがある。
 聞くと「お酒」というものを飲んだのだという。お酒を飲むと、いい気分になることもあるが、時折たまらなく気分が沈みこともあるのだという。自分もその「お酒」というものを飲んでみたいと13号は岡部さんに言ってみた。
 「だめよ、あなたの場合は、あと19年と3ヶ月経たないと飲んではいけないの。」
 それは長い時間なの。
 「そうね、わたしがおばあちゃんになるくらいのね。」
 おばあちゃんというのは、人間の女性が年を経てやっと名乗る権利を持つ身分なのだ、と岡部さんは教えてくれた。
 どうして、そのお酒なんていうものを飲んだりしたの。
 「飲まなきゃやってられないわよ。今日私の同僚の子が、自分の改造したコブラ男に焼き殺されたの。そりゃ、ちょっとくらい失敗したことは許されないかもしれないけど、これじゃただの恐怖政治じゃない。」
 コブラ男って、そんなに偉いの。
 「ただの改造人間よ。しかも、そんなことしといてあいつ、あっさり負けてるのよ。」
 コブラ男って弱かったの。
 「弱くはないけど、あなたが完全になったら全然相手にならないでしょうね。」
 じゃあ、私が大きくなったら、岡部さんを守ってあげる。
 「ありがとう、わたしもがんばってこの組織を変革してみせるわ。」
 力強く言い放った岡部さんは、それ以来、休み時間になると「プレジデント」や「ビッグトゥモロー」とかいう雑誌をよく読みふけるようになった。

 それから、少しして岡部さんが何日も姿を見せないことがあった。
 久しぶりに姿を見せた岡部さんに、彼女はどこに行っていたのか聞いた。
 「幹部研修で、ちょっと鹿児島の研修所に行ってきたの。」
 幹部研修?どういうことするの。
 「うーん、なんというか悪の組織として正しい部下の殺し方とか、捨て台詞とか……。」
 岡部さんは、その幹部とか言う人なの。
 「一歩手前というところかしら。だから、研修を受けなくちゃいけないんだけど。」
 じゃあ、岡部さんは幹部になるの。
 「今回は辞退したわ。」
 どうして?
 「だって、幹部になるには改造手術を受けなくてはいけないのよ。もう幹部になっているのには、狼とかイカとかガラガラヘビとかにされているわ。」
 改造手術がいやなの。
 「というより、何でそんなものにならなくてはいけないの。狼はともかく、イカとガラガラヘビは勘弁してほしいわ。」
 そんなものなの。
 「そうよ、しかも計画書を見ると次にひかえているのは、ヒルだのヤモリだの……。」
 岡部さんと13号がそのような会話を交わしていると、壁に設置された呼び出し用のブザーが鳴った。
 「噂をすれば何とやら、イカからのお呼び出しだわ。まぁ、ガラガラヘビに比べるとましなほうなんだけど。」
 言いつつ、いそいそと岡部さんは出かけていった。

 そして、13号が最後に岡部さんを見た日のこと。
 その日の岡部さんは、朝から落ち着きがなかった。
 どうしたの、何か悩み事?
 「あのね、今度組織が他の組織と合併することになったの。」
 どうして?
 「何でも、裏切り者の改造人間に負けっぱなしで、組織自体を強化するためなんだって。組織を大きくしたら、国際競争に勝てるというのはただの幻想なのにね。」
 じゃあ、いまの組織より立派になるの。
 「どうかしら、所帯が大きくなったら、その分余剰人員も出てくるから、大規模な粛清が起こるかもね。」
 粛清が起こると、岡部さんにもるいが及ぶことになるの。
 「そうはならないと思うけど。」
 もしそうなっても、私が岡部さんを守ってあげる。
 「ありがとう。でも、わたしはあなたのことも心配なの。わたしはいまから身を隠すことにするけど、あなたのことも封印して誰にも見つけられないようにするわ。」
 封印?それは痛いの。
 「痛くはないわ。ただ、眠り続けるだけ。わたしが再びこの場所に戻ってくるまで、再び世界を変える為の戦いに身を投じるまでの間、あなたを封印し、この場所も誰にも入れないようにするわ。」

 そう言って、岡部さんは部屋にロックをかけ、彼女にも何かの薬液を投入して姿を消した。

 それ以来、彼女は眠り続けている。
 ただ、これは偶然なのか、岡部さんが仕組んだことなのかは分からないが、情報端末を通じ、彼女は外の世界の趨勢を知ることはできた。勿論、彼女は眠ったままなので、それは夢うつつに見るぼんやりとしたイメージではあるが、それでも彼女と岡部さんがいた組織がどのような変遷を辿っていったのか、知ることは出来た。そう、いかにして野望半ばにして敗れていったのか、という記録を。
 彼女は思う。
 何とだらしないことかと。
 彼女と岡部さんなら、もっとうまくやれる筈だ。
 それに、彼女自身、自分の能力について、徐々に把握しつつあった為、数々の組織が敗れ去った「敵」に対しても、絶対的とも言える勝利の自信があった。

 でも、それを彼女に命令できるのは、この世で岡部さんだけだ。
 一言命令さえもらえば、皆まとめて抹殺してみせるのに。

 まどろみの中、彼女はひたすらに岡部さんを待ち続ける。
 もう「お酒」を飲む許可を岡部さんからもらえるだけの時間、眠り続けていることに彼女自身気がつかないまま……。
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