これは全てホントのオハナシです。念のため。
この二日間で、Bさんと私は十分すぎるほどに斑尾を満喫していた。私も「オランダ語で話しかける」という目標を達成でき、もう思い残すことはないと、完全に満足しきっていた。
しかし、斑尾の夏は更に追い討ちをかけるかのごとく、Bさんと私に大きなハプニングを仕掛けてきた。
出演者を含めたスタッフは全て「斑尾高原ホテル」で宿泊している。関係者だけでほぼ貸切状態になるのか、宿泊していると思しき一般人はほとんど見られない。普通なら「関係者以外立入禁止」なんて断り書きが玄関にでも張っていそうなものだが、一般客でもホテル内へ気軽に入って行けてしまうのが斑尾ジャズのスゴいところ。限りなくアーティストとの距離を感じさせないのが斑尾ジャズ流といったところか。
このホテルの温泉は、宿泊客以外の者でも料金を払えば利用できる。せっかく長野にまで来たんだから、どうせ入るなら温泉だろうという事で、私達もこの温泉を利用していた。この日の晩も、汗でベタベタになった体を温泉でさっぱりさせ、そろそろペンションへ戻ろうかと玄関に向かって歩いていた時だった。ホテルのフロントで、フェスティバルの司会者、ギラ・ジルカさんを目撃した。
「ギラさーん!!」
お友達でもないのに、このなれなれしさは一体何だろう(笑)
二日連続で最前列中央の目立つポジションに陣地を広げて狂ったように踊っていれば、さすがに顔も覚えられるってなもんで、ギラさんは「あー、最前列で踊ってた人達!!」と、ニッコリしてくださった。
イスラエルと日本のハーフだというユニークなルーツを持つギラさんの素顔は、関西出身のとても明るくて楽しいお方。梅田のライブハウスなどでも、たまにお名前はお見かけしていたので、「今度、関西でライブなさる時は聞きに行きます!!」と、お約束。失礼ながら歌を聴いた事がないので、また楽しみが一つ増えた。
と、その時、私の背後を誰かが通り過ぎていった。
「あ、トーマス!!」
Bさんの声につられて振り向いたが、彼は既に角を曲がって姿を消していた。
「追いかけてみたら?」というギラさんの言葉に勇気付けられ、私達は彼の後を追った。さすがに長身男は足が長い、彼はあっちゅー間に私達の遥か先を歩いていた。
「トーマスーーーー!!」
私達の声に反応して、トーマスさんが振り返った。著名なアーティストを大声で呼び止める私達って、一体どれだけエラい身分なんだろう?
「私らの事、覚えてる?」(←ファンが使う陳腐な常套文句とも言う・苦笑)
「あー、『バブルズ』!!(笑)」
「バブル、どうやった?」
「うん、なかなかイケてた」
「よっしゃー!!」
そこでトーマスさんは、信じられないセリフを発した。
「今さ、そこのバーでみんな飲んでんだけど、良かったら来る?」
え、みんな??
それって、誘ってくれてんの!?
ウソのようなありがたいお言葉だったが、既に11時を回りそうな時間。これ以上遅くなるとペンションにご迷惑をおかけする事になるので、「せっかくなんだけど」と、丁寧にお断りした。そこに私達の背後から、ドラムのシリルさんがやって来た。
「あーっ!!」
と、なぜか私はシリルさんに向かって「ゲッツ」のような格好で身構えてしまった(なんでこんな奇行に出たのかは全くのナゾ) すると、彼も同じように私を指差して身構えた(笑)
「こんばんは、バブル飛ばしてた者です」
「あー、ハイハイ。『バブル・ガール』」
「今日、スティック折れちゃったねー。たまたま見えたんだけど」
(↑あまりの熱演ぶりに、ドラムのスティックが折れるというハプニングがあった)
「うん、予想外のハプニングだったなあ」
そこで突然、私は彼に尋ねた。
「ねえ、オランダ語話せる?」(←彼がオランダ人かどうか知らなかったもので....)
「△↓○*☆?#$!」(確かにオランダ語だったが理解不能・苦笑)
「ひゃー!! アタシね、今オランダ語勉強してるんだよ〜」
「えー、マジで!?」
あの驚きっぷりから察するに、オランダ語をたしなむ日本人はよっぽど珍しいようだ。ちょっぴり優越感に浸りつつ、簡単にお話をして「Bye!!」と別れた私達。しばしその場で満足感をかみ締めていた私だったが、横で立っていたBさんの表情はしごくマジメだった。
「ねえAmandaちゃん、バーに行ってみよう」
「え、ホンマに?」
「ボク、ペンションに『遅くなる』って電話する」
っつってもさ....みんないてるんでしょ?(←当たり前だろ)
しかもさっき、お誘い断っちゃったし
なんかこれってやり過ぎじゃない?
私自身、いくら飲み会や遊びと言えども、よっぽど親しい間柄でない限り、オフの時間に仕事絡みの人と関わるのはできれば遠慮したいタイプなのである。週7日働く身にとっては、それだけオフの(一人の)時間が大事なのだ。そんな私にとって、オフ時間中のキャンディさんを追いかけるというのは、あまり気が進まない。
オフの時間にまで入り込みたくないという気持ちと同時に、今からとんでもない場所へ切り込んでいくのかもしれないと想像しただけで、私の足はすくみ、すっかり腰が抜けてしまった。
「ホンマに行くんですか?」
「そーだよ」
「なんか悪いですよ、オフの時間やのに」
「でもトーマスが誘ってくれたんだし、こんなチャンスは二度とないって」
「そーですけど....」
「ボクが先に入るから、あとはAmandaちゃんが喋るんだよ。ボク英語わかんないし」
いや、でもあのそれって....
この人、どんな心臓してんだ!?
怖いもの知らずなBさんの胸をかっさばいて心臓を拝ませてもらおうか、とまで私が考えていた事をBさんは知っていたのだろうか。彼は大胆不敵の態度でバーのドアを開け、とっとと中へ入っていった。あやうく置いてきぼりを食いそうになった私も、慌ててその後に続いた。
御一行は、入り口にあるついたての向こう側に陣取っていた。挙動不審な私とBさんを訝しげな表情で見つめるバーテンの事などお構いなしに、私達はコソコソとトーマスさんに近づいていった。
「あの....」
「ん?あ、さっきの」
「さっきはゴメンナサイ。宿泊先のオーナーさんに『遅くなる』って了解もらったので、来ちゃいました」
「そうなんだ、じゃあまあ座ってよ。飲み物取ってくるし」
Bさんは、ジェスチャーと片言の英語で状況を説明したらしい。「らしい」という推測の表現を使ったのは、その場の状況を正確に語る自信がないほど私が極度に緊張していたからだ。エアロビクスのオーディションでもこんなに緊張する事はないのに、一体どうしたんだろうと自分でも驚くほど、私は精神的に追い詰められていた。
「はいAmandaちゃん、座って!!」
Bさんは、もはやマトモに立つ事さえままならない私を押すようにしてソファに座らせた。うつむいたまま何も話せなくなっている私を見て、トーマスさんも少々心配になったらしい。
「大丈夫?」
「緊張しちゃってダメです」
「ボクもだよ。こんな状況、滅多にないし」
....って、おいおい、アンタが緊張してどーすんだよ!!
最初はアンタが誘ったんぢゃん!!
こんな状況でも、心の中でトーマスさんにツッコミを入れた私って何?(笑)
しかし、このツッコミのおかげで、私も若干の余裕を取り戻す事ができたような気がする。半ば強引に入ってきてその場でジッとしているのも居心地が悪いので、とりあえず話のキッカケをつかむべく、思考回路を働かせ始めた。
「Amandaちゃん、アルバム持ってる?」
「持ってます....あ、そっか!!」
私は、万が一の時に備えて持ち歩いていたアルバムをバッグから取り出した。「もしキャンディさんと再会できたら、その場に写真があったらきっと盛り上がるよ」というBさんのアドバイスに従って作ったアルバムである。そこには、昨年暮れのブルーノート・ライブでダルファー親子やバンドメンバーと一緒に撮ってもらった記念写真や、先日ライブを観に行った会場で撮ったデビッド・サンボーンとの2ショット写真など、いかにもその場が盛り上がりそうな写真ばかりを貼り付けていた。
ちょうどタイミング良く、トーマスさんがミネラルウォーターとウーロン茶を持って戻ってきた。
「ねえねえトーマス、これ見て!!」
この隠しアイテムは、予想以上に功を奏した。
「あー、ブルーノートの写真!! なつかしーなぁ。ヘイ、キャンディ。これ見てみ!!」
トーマスさんは、少し離れた所に座っていたキャンディさんにアルバムを手渡した。
「ブルーノートの写真だって、昨年のヤツ」
「あー、ホント!! 覚えてるよこれー!!」
キャンディさんの隣りに座っていたダルファー・バンドのギタリスト、ウルコ・ベッドも横から覗き込んだ。チャーンス!! とばかりに、私は彼らの傍へ移動した。
トーマス、やっぱりアタシ、あなたダイスキ!! 恩に着るぜ〜〜〜!!(笑)
「これ、昨年パパと一緒にライブやった時の写真なの」と、ウルコさんに説明をしながら、キャンディさんはアルバムをめくっていた。彼女にとっての憧れの存在でもあるデビッド・サンボーンとの記念写真を見ると、「わーお、デビッド!!」と、嬉しそうに顔をほころばせた。
「昨年、パパと一緒にライブしたでしょ? あの時、みんながオランダ語喋ってるのを聞いて、アタシも勉強し始めたの」
興味をそそられたのか、ウルコさんは「へーっ」という表情で私を見た。
「何か話せるようになったの?」
「えっとね....Ik studeer Nederlands」(私はオランダ語を勉強しています)
この一言は彼らにとって、これまでのシャボン玉やアルバムは比べ物にならないぐらいのインパクトだったらしい。
「うわ、スゴいじゃん!!」
「ちゃんと喋れてるよー!!」
「じゃあねえ....」
ちょっと考えてから、キャンディさんはオランダ語で話し始めた....のだが、さすがに「怪オランダ語」しか操れない私とBさんにはチンプンカンプン。ウマの耳に念仏、ネコに小判、ブタに真珠??
「ダメだー、わかんない!!」
そう言うと、彼女は笑ってこう言った。
「Omdat jij studeert Nederlands, ik studeer Japanse.」
(あなたがオランダ語やってるんだから、私は日本語を勉強するわ)
わー、ホンマに!?
しかもアタシ、オランダ語のヒアリングって全然できないのに
今の言葉が聞き取れたのってスゴイんじゃないの、ねえってばさ!!
今考えてみると、もしオランダ語をまったく勉強してなかったら、ここまで場が持たなかっただろうと思う。私の7ヶ月間の蘭語生活は「報われた」なんてもんじゃなく、「こんな事って、奇跡でも起こらない限り、絶対にあり得ねーだろーよ!!」というぐらいの大ボーナスとなって跳ね返ってきた。「ホンマやって!!」と、どれだけ頑張って話しても、誰も信じてくれなさそうな出来事(と言うか、大事件?)である。
大興奮のうちに、だいぶんと夜も更けてきた。「じゃあ明日もあるし、そろそろ戻ろっか」と、御一行も引き上げ始めた。オフの時間にもかかわらず、イヤな顔ひとつせずに相手をしてくれた彼らに、心を込めてお礼を言った。
「ホントにどうもありがとう」
「こっちこそ、来てくれてありがと」
ようやく落ち着いて話せるようになった私は、握手をしてもらった後、キャンディさんにある事を聞いてみた。
「『おやすみ』って、何て言うの?」
「えっとね、『%#*〜!@』」←なんかミョーに難しい単語だった
「えー、わ、わからへん!!」
「じゃあこっちの言い方もあるよ。『Slaap lekaar』」
「あ、それなら覚えれる」
「イケそう?」
「うん、バッチリ。Slaap lekaar!! また明日ねー!!」
「Slaap lekaar!!」
手を振って別れると、御一行はエレベーターの中に姿を消した。
きゃー、なんてこった!!!!!!
「おいおい、何してんの、こんなトコで?」
呆然と突っ立っている私達の目の前には、なぜかペンションのJさんが立っていた。
「あれ、Jさん。何でこんなトコに?」
「なにって、様子見に来たんだっつの!!」
「えー!! ちょっとちょっと聞いてくださいよ〜〜!! 今ね、キャンディさんとね......」
小鼻を膨らませて興奮しながら話す私とBさんの様子は、Jさんにとって滑稽そのものだったに違いない。まさに夢のような出来事を体験し、体の感覚がすっかりおかしくなっていた。なぜだかよくわからないが、その時の私は、フルマラソンの37km地点あたりを走っている時と同じ感覚を味わっていた。しんどさのあまりに何かが口から飛び出してきそうな感覚―――それだけ緊張してたって事か。
思いがけない体験をした後、私の中には更にたくさんの置き土産が残された。「Dank
u, wel!!(どうもありがとう!!)」という私の言葉に「Alstublieft!!(どういたしまして!!)」と返してくれたウルコさんの爽やかな笑顔。『Slaap
lekaar』というオランダ語の挨拶。みんなの暖かい気配り。
そしてアルバムには、キャンディさんの英蘭二ヶ国語のメッセとサイン、そしてトーマスさんのサインが新たに加わっていた。
もー大感謝デス。
ホンマにありがとーーーーー!!!!
オマケ:
「slaap」は「slapen(眠る)」の活用形。
「lekaar」は「nice」という意味です。
|