鷲谷七菜子作品集(句集より抄出)

 黄炎

昭和38年刊

   十六夜やちひさくなりし琴の爪         秋晴や瞼をかるく合はせても

   人の手がしづかに肩へ秋日和          曾根崎やむかしの路地に月冴えて

   愕然とわが面生れぬ蝌蚪散りて         手の熱き女と生まれ萩白し

   野にて裂く封書一片曼珠沙華          牡丹散るはるかより闇来つつあり

 

銃身

昭和44年刊

   白くかろき柩を容れて森芽吹く         ひらききる百合はまつしろ海炎えゐむ

   秋深し身をつらぬきて滝こだま         冬濤のとどろく底の無音界

   かざしみる刃先うるはし油照り         山国に墓ひとつ増え天の川

   むく桃のしたたり闇の海鳴れる         優曇華や磁針はつねに北を指し

 

花寂び

昭和52年刊

   能舞台朽ちて朧のものの影           蟇の夜や身のどこよりか釦落つ

   葬送る炎暑の蹠ぴつたり立ち          行き過ぎて胸の地蔵会明りかな

   天空も水もまぼろし残り鴨           白毫寺坂なる露の跫音かな

   老僧の眉がうごきて遠ざくら          山河けふはればれとある氷かな

 

游影

昭和58年刊

  杉挽く香はしりて吉野氷りけり          すさまじき真闇となりぬ紅葉山

  西行の道みな細し落し文             まぶしめばもの遠ざかる秋の風

  伊勢みちの伊勢にちかづく笹子かな        たかぶりの水を見せずに春の山

  みづうみを朝日がすべる更衣           霞む山見てゐて乾く硯かな

 

天鼓

平成3年刊

  喉ふかきところよりこゑ桜守           鹿の子のひとりあるきに草の雨

  きさらぎの人に死なれし顔洗ふ          灯を消してよりありありと初昔

  ほとけ恋ひゐて臘梅の一二りん          手を置いて髪のぬくしや祭の子

  夏の灯にひらくや浪花名所図会          山の日のしみじみさせば吾亦紅

 

一戔

平成10年刊

  仏間はまた熟寝の間にて冬の月          形代を流せし指の濡れしまま

  天平の塔見て暮らす頬被             見のかぎり立つ白波や鳥つるむ

  赤子泣く家の大きな鏡餅             水音のしづかな町の春日傘

  明滅の滅長かりし秋蛍              遷化てふすずしきことば泉鳴る

 

晨鐘

平成16年刊

  声出さぬひと日の果の大嚔            真みどりの林に入りて衰へむ

  鳥雲に入りたるあとも手を組めり         道二つ出会ひてゐたる青野かな

  雁来ると心に風の立ちし日や           寒明の月が大きく顔にあり

  ひとすぢの涼気の文の来りけり          行く年の見まはしてみな水の景