[2.事実と現実]
ひと目で同一視してしまいそうな「事実」と「現実」だが、これは大違いである。
まず「事実」とは、誰にとっても同じ客観的なもの、と定義される。こういうものが
存在するのか、また、存在しても一意的であるかどうかは、実はわからないのだが、
ここでは「一意的に存在する」と仮定しておく。
(よく「一つだけ存在する」などと言われるが、その構成要素が異なれば一つだけでは
ないことが自明であるので「一意的」という言葉を使わせていただく)
なお「事実」の構成要素は無限にある。
では「現実」とは何か?
「現実」とは、人間が「事実」を感覚器で「観測」し、それを脳の働きにより「再構成」
したものである。
「現実」は「事実」とは異なる。
1.「事実」の構成要素は無限だが、人間は無限の要素を処理できない。
2.感覚器の機能には個人差があり、脳の働きにも個人差がある。
3.人間は情報をあるがままに受け取ることができない。
したがって、人間は「事実」を把握することができない。それどころか異なる人間が
まったく同じ「現実」をもつことなど、まずありえないし、同じ人間でも時と場合により、
同じ「事実」を観測していても異なった「現実」を把握してしまうことがある。
それでも人間は「現実」を「事実」とみなして行動しており、実際にそれで困ったことに
なることはあまりない(実は「困った」ことになる場合も案外多いのだが、大多数の人は
あまり不具合を感じない)。それは、大多数の人にとっての「現実」は、多少異なるとしても
類似点が多く、異なる部分は考えなくても実際の生活にはあまり影響しなかったからだ。
(そのかわり、極少数の人にとっては不具合が多かったが・・)
だが、最近は事情が少し変わってきた感じがする。
現在では各個人にとっての「現実」が異なることを無視して通ることはできなくなりつつ
ある。(たとえば他人と「話が通じない」ことがよく起こるようになってきていませんか?)
最近「仮想現実」をよく問題にされている自称知識人の方が居られる。いわく「ネットの
世界は「仮想現実」であり、そのようなものよりも「現実」の重要さを教えるべきだ」とか。
この主張は2つの意味で誤っている。
・ ネット内の世界といえども「現実」である点に違いはない。
コミニュケートする手段が「ネット」というだけのことである。
・ 自称知識人にとっての「現実」はそれ以外の人間にとって「仮想現実」にすぎない。
それなのにどうして自称知識人のいう「現実」を優先するべきなのか理解できない。
「あまり「仮想現実」にのめりこむと「現実」との区別がつかなくなって危険だ」ともよく
言われているが、実はこれも誤りである。
・ 「現実」も「仮想現実」も各個人の脳が再構成したものであることにかわりがなく、
その点では両者に何の違いもない。
ゆえにすべての「現実」は、実は各個人の「仮想現実」に他ならないから、のめりこも
うとこむまいと、「現実」との区別がついていない事にかわりがない。
・ 「現実」と「仮想現実」の区別がつかないから「危険」なのではない。その区別は
「自分にとってなじみがあるかないか」程度のことでなされるのだから。
自分の「現実」が他の人にも同様の「現実」だと思い込むことが「危険」なのだ。
少なくとも「現実」が各個人で異なることを知っていれば、こういう自称知識人にだまされ
ずにすむであろう。