[3.普通と正常]
最近、一般の人には理解できない、他人の行動というものが増えてきているように
報道されている(特に「犯罪」など)。
一般の人に理解できないものは、よく「普通じゃない」とか「正常じゃない」とか
「異常」と呼ばれ、しばしばこの3つが同一視されているようだ。一般の人にとっては
「犯罪を起こす者はみな異常な人」であるようだが、では、そもそも「普通」や「正常」
とはいったい何だろうか。
まず、ある行為が「普通」とは、その行為をとる者が、属している集団の中で圧倒的
多数である、という意味である。要するに「普通」とは「圧倒的多数派」という意味なのだ。
しかし、それは属している集団内でのことであるから、ある集団では「普通」の人であって
も、異なる集団にいれば「普通でない」人となってしまうことがしばしばある。また、人は
一つの集団だけに属しているわけではないから、同じ行為が「普通」「普通じゃない」の両方
の評価を同時に受けることもある。
次に、ある行為が「正常」とは、その行為が、だれかが適当に決めた規範に従っている
(あるいは、そのように見える)ということである。もちろん、規範を決めるのは一人ではない
から、それこそ人の数だけの「正常」があるが、だいたいはその時主流となっている説に従って
「正常」かどうかが決められる。
したがって「普通」だから必ずしも「正常」であるとは限らないし、「正常」だから必ずしも
「普通」であるとは限らないが、規範は「正常」であるものが多数派になるように決められる事が
多いので、これまでは「普通」と「正常」は近接することが多かった。しかし、最近では「正常」
の範囲が狭くなっており、「正常」だから「普通」とは言えなくなってきた。
人が「普通」であるか「正常」であるかによって4つのパターンが考えられる。
1.「普通」であり「正常」でもある
昔はこれが当たり前だったが、いまではめったにないパターンである。なぜならば、集団
が要求している「正常」のための規範があまりにも狭すぎるからである。
たとえば「犯罪」を「脳の機能異常」のせいにする論調が最近見られるが、実際には脳が
完全に機能している者などごくわずか(存在しないかも?)であるため、論者が指摘するよう
な些細な機能不全を「異常」とするなら、世の中の人間はすべて異常者だということになって
しまう。
2.「普通」であるが「正常」ではない
昔はありえないパターンだが、「正常」の範囲があまりに狭い現在ではこれが当たり前だ。
3.「普通」でないが「正常」である
これも昔は考えられないパターンだが、「正常」は今や少数派に過ぎない。あえて「正常」で
あろうとすれば、「普通」ではなくなることを覚悟しなければならない。
4.「普通」でも「正常」でもない
昔からこのパターンは良くあった。そのためにいわゆる「社会」からは「不適合者」とされや
すいし、今でもそれは変わらない。だが、「普通」でないことをむしろ誇りとしている者にとって
は、その方が好都合である。
ちなみに筆者もこのパターンだと思われる。
最近は「普通じゃない」または「正常じゃない」もののすべてに「異常」のレッテルを貼って排除す
る傾向が強くなってきているようだが、もはや「正常じゃない」方がある意味「普通」なのだ。排除す
る側がすでに「少数派」となり、もはや「普通」とは言えなくなってきていることを、まだ排除する側
にいる人のほとんどは気づいていないが。