[4.過度のR点信仰は百害あって一利なし]

 

 ここまでR点について色々なことを述べてきた。

 筆者の見解では、(将棋倶楽部24の)R点は

  @ 本来別のゲームといえるはずの競技結果を融合したものであり、

  A 本質的に振動を繰り返し、決して収束することはなく、

  B その気になりさえすればある程度操作できる

程度のものであるから、実力の客観的な尺度というには心もとない代物である。

 まあ、400点差あれば上位のほうが実力者である可能性が高いが、

200点差では怪しい(同格かもしれない)し、100点差であれば実力差など

無いのと同じことだろう。

 筆者以外の競技者にもこの認識が共有されているのならば、なんら問題は

無かった。

 

 ところが・・・

 現実はそうではない。

 R点が100上下するごとに一喜一憂し、そのくらいの差で実力差があるような

認識をしているものが大半である。

 

 実は、筆者が所属しているサークルで、以前、再三にわたり、開催されている

棋戦のルール変更を提案したことがあったが、その真の目的は

「R点とは関係のない真剣勝負」

の実現に他ならなかった。順位判定やプレーオフに「現在のR点」が絡んでくるのは

おかしいと考え、なるべくそのような運任せの要素が絡むのを防ぎ、その棋戦の

結果のみで出場資格や順位判定などを行ないたかったのだ。

 その結果は・・・すべて却下だった。

 理由は恐らく、競技者の中に程度の差こそあれ、誰もが持つR点への信仰だろう。

 良心的と評価されているこのサークルでさえこうなのだから、他は推して知るべし

である。

 

 筆者が倒れる寸前、最後の提案が却下されたとき、筆者は確信した。

「過度のR点信仰は、いつかネット将棋自体を滅ぼすことになる」と。

 

 ファンタジーの名作「ロード・オブ・ザ・リング」には「ひとつの指輪」という

アイテムが登場する。「ひとつの指輪」は、それを持つものの心を呪縛し、他の指輪を

支配し、間接的に地上のすべての生き物を支配下に置こうとする。

 もしかすると、R点というのはこれと同じものなのではないだろうか。

 一見有益なものに見えて、頼っているものたちの心を呪縛し、支配し、やがてすべて

を滅ぼしてしまうのではないだろうか。

 そういえば「R」はRingのRでもある・・・

 

(了)

 

 

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