[4.ヒトは快楽原則に従う]
突然だが、人はなぜ食事をするのだろう。
「それが本能だから」
もっともな答えだが、そもそもどういう理由でそんな本能があるのだろうか。
「生きるために必要な栄養分を摂取するため」
一見当たり前のようだが、ならばなぜ人は肥満になるのだろう。肥満とは栄養分
をとりすぎた結果であり、しかもそれが生きるためには有害かもしれないとわかって
いても、肥満者は食事をやめないし、セーブもしない。さらに、どうみても栄養など
ないように見えるものでも食事の材料となるし、逆に必要な栄養分をふくむ材料であ
ることを承知していても、嫌いなものは食べるのを躊躇するだろう。
こうしてみると、食事をする理由が「栄養分の摂取のため」という説明はかなり
怪しい。人が食事をするのは、おいしいからであり、おいしいと感じたいから、即ち
「おいしいという快楽を得たいから」である。
愛煙家はどうして煙草を吸うのだろう。しかも、煙草が身体に有害であることは承知
であっても、煙草をやめようとしないのはなぜだろう。
それは煙草が「おいしいから」であり、喫煙することに快楽を感じているからである。
これを何とかしない限り、禁煙しようとしても決してうまくいかない。
(「煙草はドラッグだから」という答えもあるが、ドラッグとは「快楽を与える薬物」で
あるから、結局同じ事を言っていることになる)
人の行動は、そのほとんどが快楽原則に従っているといってよい。というより、人の
本能は「快楽原則に従って行動する」ようにできているのかもしれない。
とはいっても、人は快楽原則に逆らっているように見える行動をすることもある。
例えば、運動部で厳しい練習に耐える部員たちは、目先の快楽を追わないで快楽原則に
逆らっているように見える。しかし、彼らは気づいていないが、彼らにとっては「勝つ」
事こそそれ以上の快楽であり、練習によってその可能性があがると信じてつらい練習に耐え
ているのであって、結局は快楽原則から逃れていないのだ。もし「勝つ」可能性があがると
信じられなくなったり、あるいは「勝つ」こと自体が快楽と感じられなくなるような事態が
生じれば、彼らは厳しい練習をこれ以上続けることはできないだろう。
実は、ここまでは前置きの話だ。
最近、少女を性的目的で連れ去って殺害し、その写真を携帯電話で少女の母親に送った男が
いた。彼は当然のことながら「鬼畜」と呼ばれ、社会からは変質者のように考えられ、例外的な
人物として処理されている。
しかし、筆者の見立てでは、彼は自分の快楽原則に忠実に従っただけのように思われる。
彼の行動が「ロリコン」「サディズム」「自己顕示欲」からきていることは一目瞭然だと思わ
れるが、実は「ロリコン」「サディズム」「自己顕示欲」など、健康な人間なら当たり前(!)
の快楽原則として備えている。誰だって年少の異性を「かわいい」と思うし、自分の周りの事を
自分の意のままにしたいし、自分の名が知られてみたいと思うだろう。
彼とその他の(今のところ犯罪に走らない)人間との違いは、「ロリコン」「サディズム」
「自己顕示欲」が一番の快楽原則であるか否かと、快楽を得るための手段である。たまたまそれが
一番の快楽原則でなかったり、手段として彼と同じ方法を選ばなかったりした結果、われわれは
犯罪者にならずに済んでいる。
だが、今日そうならなかったからといって、明日もそうならないとは限らない。
彼は決して特殊な人間ではない。もちろんあなたも・・・