Lover's Perfume

written by 相川 ひろな


 穏やかな風が瞼を撫でる。自然とほころぶ口元を感じ、ランディはさらに微笑みを深く
した。
 木の葉とじゃれ合う光の雫が、風が吹くたび位置を変え強さを変え、日に焼けた頬に口
づけを落とす。世界に満ちる愛情を感じるのはこんな時だ。ゆっくりと風を吸い込んで吐
き出すことを繰り返すと、自分がその中にいる幸せを実感することができる。
 そんな風に目を閉じたまま微睡みの海に漂っていると、風の色が、そして香りが、ふっ
と変わった。
 かすかに花の香りを纏う、優しい唇がそっと重ねられる。
 触れるだけのキスが離れる感触を味わってから、ランディはそっと目を開いた。
「ずいぶん気持ちよさそうに寝てたね」
 やわらかな微笑みを浮かべ、逆さまのオリヴィエが囁いた。
「オリヴィエ様……。ええ、気持ちいいですよ、オリヴィエ様もどうですか?」
「ん〜、気持ちはいいだろうけど、日焼けしちゃいそうだよね。──でも、まぁいっか、
ちょっとくらい」
 そう言って、オリヴィエはランディの隣に移動するとうつぶせの形に寝そべり肘をつく。
隣に目を向けると、一連の動きを追っていたらしいランディと目が合った。
「どうしたの?」
「え? ええと……、────オリヴィエ様だなぁって思って」
「ヤダ、何それ」
 肩を揺らして笑うオリヴィエを見つめ、ランディが言葉を探しながら口を開く。
「さっき、半分寝てたんですけど……、風が、ふわって香って、『あ、オリヴィエ様だ』
って思って」
「風が?」
「ええ。オリヴィエ様っていいにおいしますよね」
「香水つけてるからね」
「香水のにおいじゃなくて……なんかこう……なんて言うんだろう、よくわかんないんで
すけど」
 うまい言葉が見つからず、ランディはかすかに眉を寄せた。
「そう? じゃあとりあえずお礼言っとこうかな」
 目を細めて笑い、ついばむキスを唇に落とす。顔を離してもう一度笑うと、ランディの
頬が赤くなった。
「キスでお目覚めなんて、眠り姫みたいだね」
「俺が姫なんですか?」
「あんたは姫より王子様だな」
「王子、って柄でもないんですけど……」
 返答に窮してランディが眉を寄せると、笑うオリヴィエの動きに合わせて金の髪がこぼ
れ落ちる。
「そう? ──まあ、私の王子様でいてくれれば、それで充分だけどね」
 夜空のような濃青の瞳に見つめられ、ランディはさらに顔を赤くした。額の汗を拭うよ
うに前髪を掻き上げると、オリヴィエの手が上から重ねられ、現れた額にキスが触れる。
 遠ざかるオリヴィエを追って、木洩れ陽色の髪の先がランディの頬をすべっていった。
「あ。──ほら、やっぱりいいにおい」
 ふわり漂った香りに気づき、ランディが声を上げる。瞬きをして、オリヴィエは自分の
身体を見回したが、ランディの言う「いいにおい」の元になりそうなものには思い至らな
かった。
「なんだろう、気になるなぁ」
「オリヴィエ様、わかんないんですか?」
「ん〜、悔しいけどそうみたいだね」
「俺にだけわかるのかな? ──だったら嬉しいな」
 そう言って、ランディは心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「オリヴィエ様自身も気づかないのに俺だけ気づいてるって、あなたのこと独り占めでき
てるみたいで、なんだか嬉しいです」
 覗き込んだ笑顔のあまりの眩しさに、オリヴィエは一瞬息を飲み、やがて苦笑交じりに
吐き出した。少し頬が火照るのを感じたが、それはきっと逆光になってランディにはわか
らないくらいのものだろう。
「独り占め、したいんだ?」
「したいって言うか……、できたらいいなとは思います。でも、独り占めなんかできっこ
なさそうなところがオリヴィエ様の良さだとも思うし」
 言いかけて、ランディはふいに口を噤んだ。我に返ったように目元を染め、困惑を浮か
べた眼差しがオリヴィエを見上げる。
「こういうのって、本人目の前にして言うことじゃないですよねぇ……?」
 オリヴィエは堪らず吹き出していた。あたたかい草原に顔を伏せ、全身を震わせて笑い
をこらえる。──が、もちろん、少しもこらえられていない。
「まーったくもう、あんたってば……。続けてくれて良かったのにさ」
「だって……」
「そんなこと、滅多に言ってくれないもんねぇ?」
「だってそんなの、恥ずかしくって言えませんよ……」
 草原のベッドに長々と寝そべったまま、濃青の瞳が笑みを含んでランディを見つめた。
「ねぇランディ、私のこと、独り占めしたい?」
 赤くなったランディがオリヴィエを睨む。
「ね。──言ってくれたら、させてあげるよ、独り占め」
 今だけだけどね、とつけ足して、オリヴィエはランディの返事を待った。
「独り占めなんて……」
「うん?」
「独り占めなんて、いくらしてもしきれませんよ」
 怒ったような声が聞こえた瞬間、オリヴィエの身体は、あたたかな日なたのにおいに抱
き込まれていた。
 ぎゅっと腕に力を込めて、肩口に顔をすり寄せるように抱き締める。一瞬遅れて、陽差
しを吸い込んだ栗色の髪がオリヴィエの頬をくすぐった。
「こんなに……、こんなに好きで、他のことなんか何にもわかんなくなりそうで、──好
きです。オリヴィエ様、好きだ」
 腕の強さと、のしかかる身体の重みと。息苦しいのはそのせいではなくて。噎せるよう
な草のにおいでも太陽のにおいのせいだけでもなくて。
 オリヴィエは目を閉じランディの頭を抱え込んだ。陽差しのせいだけでなく、ランディ
の身体はあたたかい。
「ランディ……」
 声をかけ、顔を上げさせ空色の瞳の奥の烈しさを見届けてから、オリヴィエは微笑むよ
うに目を閉じた。誘われるまま触れた唇も、身体と同じように熱くなっている。真昼の陽
差しの下でするにはいささか濃厚なキスをして離れた唇は、それでもまだ、どこか名残惜
しそうだった。
「オリヴィエ様……。今だけでいいから、独り占めさせてください」
 ランディは返事を待たなかった。深く口づけ、熱く濡れた舌でオリヴィエの奥を探る。
立ち上る香気に何もわからなくなって、ここがどこかさえ意識から抜け落ちた。
 無言のまま、ただ吐息を交わし、熱を交わす。陽差しより先に快感に目が眩む。けれど
そのままキス以上のことをしてこないランディの身体を、オリヴィエは手を伸ばしてそっ
と撫でた。びくりと震える背中を押さえ、身体の脇をなぞって二人の間に差し入れる。
「……っつっ、オリヴィエ様っ」
 咄嗟にオリヴィエの手首を掴み、ランディはもう片方の腕で上体を支えて顔を上げた。
オリヴィエの手が触れようとした部分が、その熱をより明確に伝えてくる。
「ランディ、……私だって、あんたのこと独り占めしたいよ……」
 こうして触れ合っているだけでも、オリヴィエが望んでいることはランディにもわかっ
ていた。外見から連想されるよりもずっと慎重なオリヴィエが、今いつになく昂ぶってい
ることも。
 ランディとしても、咄嗟に遮ってしまいはしたが、このまま熱が収まるのを待つには少
少つらいものがあった。そもそもこの体勢のままでは、いつまで経っても収まるものも収
まらない。
 こんな綺麗な瞳に誘われなかったら嘘だ。
 半ばオリヴィエのせいにして、ランディは芳しい誘惑に落ちることを決めた。表情の変
化に気づき、オリヴィエが微笑を浮かべる。掴んでいた手を放して肘をつき、わずかに身
体を浮かせると、ランディは逆の手をオリヴィエの身体にすべらせた。
 キスをするために寄せられた唇を、軽くついばむだけでかわしてオリヴィエが笑う。
「相変わらずおカタイねぇ……」
「お堅かったら……こんなところで、こんなことしてませんよ……」
 眉をひそめて言いながら、ランディは潜り込ませた手をオリヴィエの熱い素肌に絡ませ
た。目を眇め、オリヴィエもかすかな音をさせてランディの前をくつろがせ、その熱に指
を這わせる。
 再び吐息を交わして、二人は無言になった。


 汗ばんだ身体に風が心地良い。ランディは目を閉じてなお感じる陽差しに頬を緩ませ、
両手を広げて深呼吸をした。
 頭上から降る笑い声に、手で陽差しを避けながらランディが目を開ける。
「ほんっとに気持ち良さそうな顔するよね、あんたって。嫉妬しちゃおうかなぁ……」
「嫉妬? 何にですか?」
「んーこっちの話」
 ひらひらと指をひらめかせて、オリヴィエが肩をすくめる。ランディはわからず首を傾
げたが、口ぶりからして教えてくれる気はなさそうだと追求を諦めた。
「だいたい取れたかな。──ね、ランディ、ちょっと見てくれる?」
 髪や衣服に付いた草を取っていたオリヴィエが、そう言って背中を指差した。
「あ、はい。──ええと……あ、これと、──はい、これで大丈夫です」
 金の髪が流れる背中を見回し、いくつかの草の葉を取って、ランディはにっこり笑って
OKサインを出した。オリヴィエも笑みを返し、長い髪を後ろに払う。──と、ランディ
がじっとこちらを見ているのに気づいて怪訝そうな顔になった。
「どうしたの?」
「え? ──ああ。うん、やっぱりいいにおいするなぁって」
「ああ、さっきの話?」
「ええ」
 こくり頷いたランディに、オリヴィエは綺麗に微笑んだ。日に焼けた頬がうっすらと赤
くなる。
「私のにおいはわからないけど、あんたの言いたいことは何となくわかるよ。さっき、あ
んたもいいにおいした。あんたのにおいだなぁって思った」
「俺のにおい? ええと、それって汗くさいとかでなくてですか」
「いいにおいって言ってるじゃないか。──確かにね、うん、上手くは言えないんだけど
……『ああ、ランディだなぁ』って思う、安心する感じ」
 オリヴィエらしくない表現ではあったがランディには伝わったらしい。共感を示す穏や
かな笑みが返される。
「イイね、こういうの。──何て言うの、恋人の特権?」
 笑うオリヴィエに、ランディが驚いて目を見開いた。
「えっ、そ、そうなんですか?」
「そうじゃない? だってあんたも、自分のや他の人はわからないんでしょう?」
「ええ。──そうか、そうなのか」
 ランディは顎に手をかけてしばし考える素振りを見せ、ふと顔を上げると同時に破顔し
た。
「好きな人だから、特別、ってことですよね」
 折良く吹いた風に乗って、太陽とあたためられた草原のにおいが二人を包む。その中に
かすかに混じる、間違えようのない芳しい香りを、今二人は確かに感じていた。


fin.






「人の記憶に一番強く訴えるのは嗅覚ならしいですよ」
COMMENT by ひろな(02.5.10)

──と、いきなし妙に長いコメントタイトルですが(^^;)。
相川のサイトでのランディBD企画『陽だまりに吹く風』のトリを飾ったのが、このお話、『Lover’s Perfume』でした。使い回しのようですが、ある意味うちの2人の関係を一番良く表している話な気がするので持ってきてしまいました〜。すでに読まれている方、ゴメンナサイ。でもコメントはがらりと変えてますので!(^^;)
タイトル。直訳すると、恋人の香水(笑)。──なに、オリヴィエ様の香水? いえいえ、どちらかというと、オリヴィエ様のにおいと言うよりむしろランディの、です。
読んでないので内容は知らないんですけど、タイトルがすごく印象的な漫画があって。『セックスのあとの男の子の汗ははちみつの匂いがする』っていうの(確か)。…………ランディ、はちみつのにおいか……(萌)。と思ったかどうかはさておき(をい)、なんかそういう、微妙に主観的な、体感的な記憶に訴えるような、そんな話を書いてみたいと思いました。もともと体感的な書き方をする傾向はあるんですけどね。そしてできたのは、例によって中途半端に健全ちっくなこんな話(笑)。うちのランディは良くも悪くもせいぜいがこの程度です。
それから、これはラン誕企画でのコメントにも書いたんですが、今回ちょこっと意識してみた曲があります。チャゲアスの『天気予報の恋人』。彩さんに教えていただいたんですが、とっても風夢ちっくなんですよ〜♪ ぜひぜひ、皆様も聴いてみてくださいませvv





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