『クラヴィス、今度はお前がジュリアスを支えてやるんだぞ』 優しく髪を撫でる手のひらが思い出される。うっそりと重い瞼を持ち上げて、クラヴィ スは窓の外、夕闇に沈もうとしている景色に目をやった。 いつも暗い色のカーテンが引かれている部屋は、今日は珍しく開け放たれている。だが 黄昏色の空気のせいだけではなく、部屋中がどこかどんよりと暗い。物憂げに目を伏せ、 クラヴィスは闇色の長い髪を掻き上げた。 「──夢…………か、」 ぼそりと呟かれた声は、寝起きのためかわずかに掠れている。壁の向こう、隣の部屋に 目を向けゆっくり立ち上がると、長い髪が滝のように滑り落ちた。 そのままクラヴィスは、執務机の上に置かれている水晶球へと歩み寄る。聖地に召され るときに母親から譲り受けたその水晶は、これまで何度となくクラヴィスを助けてきた。 安らぎを司る闇の守護聖は、同時にその安らぎを脅かそうとする魔物の類にも敏感になる。 もともとそういったものに聡い質であったクラヴィスは、幼い頃は聖地の外に出るたび彼 らの悪戯に悩まされたものだった。いつからか、水晶球を抱いて寝なくとも煩わされるこ となく眠れるようになったのだが、今また、クラヴィスはなにものかに夜の眠りを妨げら れている。 それは、闇の狭間に消えゆく、星々の悲鳴だ。 滅びの予感におびえる、生き物たちの目に見えぬ不安が、クラヴィスの心を揺らし、夜 の湖のように凪いだ心にさざ波を立てる。 クラヴィスは、細長い手を水晶球にかざした。 冷ややかな球面がわずかに熱を持ち、透明な球体がその中に映像を映し出す。 現れたのは、金色の、──まばゆい輝きを放つ黄金の塊。太陽か、それともどこか別の 星か、目を凝らすと、それは風になびいて揺れた。川のように流れる、金の、髪。 人の手により美しく加工された紫水晶のように深い色の双眼が、ゆっくりと瞠られる。 と、そのとき、鋭いノックの音がクラヴィスの意識を水晶球の中から引き戻した。 「クラヴィス、入るぞ」 返事を待たずに入ってきたのは、光の守護聖ジュリアスだった。豊かに波打つ金の髪、 最高級の宝石のひとつ、碧瑠璃の色をした鋭い瞳。気品と威厳とを兼ね備えたその姿は、 誇りを司る光の守護聖に、そして守護聖たちを束ねる立場に、まさしくふさわしい。 「──何か、視えたのか?」 水晶球に手をかざしている姿に気づき、ジュリアスは一抹の期待を押し隠して問う。滅 びの予感は、人々の心をかすかに撫でるだけではなく、実際に、目に見える数値として、 ジュリアスの元にも日々報告が舞い込んできている。微塵も疲れを窺わせず、常と変わら ぬ様子のジュリアスであるが、心身の疲労が増しているだろうことは、長年を共にするク ラヴィスには容易に察せられた。 「いや、何も」 短く答え、名残を惜しむように手を離す。何事もなかったかのように沈黙を守る水晶の 球面をじっと見つめ、ジュリアスは疑うのではなく純粋に訝しむ視線を向けた。 「何かが視えたからそこにいるのではないのか?」 「別に、そういうわけではない。……ただ、気が向いただけだ」 やる気のない返事にジュリアスの眉がぴくりと揺れる。息を吸い込んだジュリアスは、 説教をするのかと思いきや、そのまま息を吐き出した。 「──クラヴィス、……そなたに頼みがあるのだ」 「頼み……? お前が、私にか?」 意外な言葉に思わず聞き返すと、ジュリアスは言葉に詰まり、だがやがて頷いた。 「ああ。あることを、占って欲しい」 「占い? 火龍族の占い師はどうした」 「内密に事を進めたいのだ。──そなたにしか、頼めない」 ジュリアスが自分に頼み事をするとは、しかも土下座でも何でもしそうな勢いに、クラ ヴィスは驚くを通り越して困惑する。だが、そこまでして、いったい何を占えと言うのか。 「宇宙の各地で次元の綻びが現れ、星々が飲み込まれていることは知っているな。──そ の、消えた星々の行方を、占って欲しい」 「消えた星の行方……? 残念だが、期待には添えないぞ。手がかりが全くない上に、… …お前も知っているだろう、私の水晶球は、望むことを何でも教えてくれるほどには親切 でない。気まぐれを待つしか術がないのだ」 「それでもいい。どんなに些細なことでも構わない、何かわかったなら必ず報告してくれ」 「──ジュリアス、そこまでして…………いったい何を知りたいのだ?」 問いかけると、ジュリアスは迷うように瞳を揺らし、何度か言いよどんだ後に、ついに 口を開いた。 「夢を、見たのだ。──私たちが幼い頃の夢と、誰か迷い子が泣いている夢。幼い頃の私 でもお前でもない、だが確かにどこかで聞いたことのある、知っている気がする声だった。 ──クラヴィス、日蝕の言い伝えを、お前は覚えているか?」 頷くと、ジュリアスは頷きを返して言を継ぐ。 「あれは、夢で聞いたあの声は、星の声ではないかと思ったのだ。闇に惑う、消えた星々 の。──この宇宙は、急速に滅びへの道を辿り始めている。陛下のお力は未だ強く淀みな く宇宙に満ちている。だが、その陛下のお力を持ってしても、宇宙の寿命を、これ以上引 き延ばすのは難しいのだ。早急に手を打たねば、この宇宙に生きる、すべてのものが命を 落とすことになる」 引き受けてくれるな、強く念を押すジュリアスに、クラヴィスはため息交じりに頷いた。 「わかった。努力はしよう。だが期待はするな」 「──ああ、」 これで用は済んだとばかりに踵を返すジュリアスに、クラヴィスは声をかけた。 「ジュリアス、──張り切るのは良いが、時には身体をいとえ。万が一お前に倒れられる と、私が動かざるを得なくなる」 「──っ、お前にそのようなことを言われる筋合いはない!」 こめかみをぴきりと引きつらせて怒鳴り、ジュリアスは足音も荒く部屋を出ていった。 その様子をくつくつと笑いを漏らして見送って、扉の閉じた音を聞いて息をつく。 「さて…………。やっかいなことになったものだ。──だが、星の砕ける様を見たとして も、何も……いや、あの者なら己の責任のように感じて胸を痛めるのであろうな……」 クラヴィスの呟きに呼応するように、水晶球が再び輝きを増した。現れる、金の髪。 金の髪の持ち主として、クラヴィスが思い浮かべる人物は二人いる。一人は先ほどまで この部屋にいたジュリアス、そしてもう一人は、この滅び行く宇宙を細腕で支える女王陛 下だ。他の守護聖にも金髪はいるが、言われてみればそうだと思う程度で、金の髪と言わ れてすぐに出てくるのは二人だけである。太陽の光を宿した髪、強い意志を秘めた瞳、ク ラヴィスの中で、二人に抱く印象は非常に近い。 「水晶球よ、その金の髪は何の暗示だ……? 闇の狭間に迷う星の道標か?」 問うても応えのないことを知りつつ、クラヴィスは低く問いかける。 すでに窓の外は夜の色に染まり、離れ離れになるのを恐れるように、星々が必死に瞬い ているように見えた。 fin. こめんと(byひろな) 2001.8.16 ジュリアス様BD企画話(2周目)……ってほどではないのですが。ず〜〜っと昔から温めてきたお話、の、プロローグです(^^;) マジで書き下ろし。本日会社から帰ってきて夕飯食べて、その後書きました。ふふ、行き当たりばったりでスリリングだぜ。 アンジェ世界の時間軸で行くと、ゲームの1の直前のお話になります。そして、光闇の、いわば馴れ初め編です。──そう、光闇なのです。闇光ではなく。でもプロローグだけでは何がなにやらちっともわかりませんね(^^;)。なるべく早めに続き(本編)を書き上げるようにいたしますので、もう少々お待ちくださいませ。 |