Ever Green

 からからとワゴンを押して廊下を歩いていると、後方から同僚に声をかけられた。
「エリス、あなた今日誕生日なんだって?」
「──あ、そう言えば……」
「なに、忘れてたの?」
 呆れた視線を向けられて、エリスは肩をすくめた。背の中程まで伸びた栗色の髪がさら
りと揺れる。
 エリスの耳元に顔を近づけて、ライラはいたずらっぽく囁いた。
「今晩は、レヴィアス様と過ごすの?」
「え、どうして?」
「どうしてって……」
 今度こそ真剣にライラは呆れたようだった。だって、エリスとレヴィアス様が恋仲であ
ることは、この城内では公然の秘密なのだ。そのエリスの誕生日ともなれば、二人で過ご
す予定があるのだと思ってもなんの不思議もない。
「だって私、あの人に誕生日のこと話していないわ」
「そうなの?」
「ええ。──それに、今日もどこかへ出かけているようだし……」
 おそらくはまた酒場だろう。そして、そこで毎度くり返される光景を思い起こして、エ
リスの翡翠の瞳に影がよぎった。
「そっか……。じゃあ、今日はジューンと3人で食事でもしようか?」
「うん、そうね。……ありがとう」
「じゃ、またあとでね!」
 そう言ってぱたぱたと走り去るライラの後ろ姿を見送って、エリスは小さくため息をつ
いた。
「レヴィアス……」


 夕刻、仕事に一段落がついたのでメイド達の控え室に戻ったエリスは、待ちかまえてい
たジューンの口から出た言葉に耳を疑った。
「あ、エリス、遅いよ〜! あのね、さっきレヴィアス様にお会いして、これを預かった
のよ」
 差し出された紙片を受け取り、そこに並ぶ流麗な文字を見つめる。
 ──中庭の東屋にいる。
 たったそれだけ。けれど、もしかして彼がこのように他人を介して会う約束を取り付け
てきたのは初めてではないだろうか。いつもは、廊下などで会ったときにさりげなく声を
かけられるか、なんとなく会いたくて……いつもの場所に行ってみると彼がいたり、また
はやってきたり。
「レヴィアス様って、私達のことなんてちらっとも見ていないのかと思ってたのに、ちゃ
んと私がエリスの友達だってご存じだったみたい」
 そう言ってはしゃぐジューンの気持ちも無理はない。自分だって、初めて彼に会ったと
きに咄嗟に声をかけてしまい、それが運良く彼の心に触れたから、今こうして彼と少しの
                                 アマタ
時間を共有することができるのだ。もしあの時声をかけていなかったら、数多いるメイド
達の一人として、顔も名前も知られぬままだったかも知れない。
「ジューン、これ、いつどこで……?」
「う〜ん、30分くらい前かしら。ちょうどレヴィアス様のお部屋の近くを通りかかった
の。そしたら呼び止められて、あなたにこれを渡してくれって」
 エリスのお誕生会はまた今度ね、早く行きなさい。
 同僚達の笑顔とからかいの言葉に後押しされて、エリスは部屋をあとにした。


 広い城内には、大小取り混ぜていくつかの中庭がある。特にレヴィアスが好んだのは、
ことさらに小さな、花壇に囲まれた場所だった。円形に花壇が周りを囲み、ぽつんと東屋
がひとつあるだけの場所。そこが二人の会う場所でもあった。
 そしてそこに、レヴィアスはいた。東屋の柱に背を預け、腕を組んで立っている。闇色
に移りゆく空の向こうを見つめる眼差しは、いつも、どこか淋しげで。左右の瞳の色が違
うからか、他の人よりも表情の読みとりにくいレヴィアスを、いつしかエリスは誰よりも
愛するようになっていたのだった。そして、レヴィアスもまた……。
「──エリス」
 気配に気づいてレヴィアスが振り返った。確かめるようにエリスを見つめ、微かな笑み
を浮かべる。他の誰にも向けられることのない微笑み。もっと笑っていた方が良い、そう
言ったのは確かに自分だ、けれどいつしか自分にだけ微笑んで欲しいと思うようになった。
その思いが届いたのか否か、やはりレヴィアスは自分以外の前では笑わない。複雑な気持
ちだ。彼には幸せになって欲しい、いつでも幸せな微笑みを浮かべていて欲しいのに。そ
の幸せを、微笑みを、一人占めしたいだなんて。
「エリス? どうかしたのか?」
「ううん、なんでもないの。──でも、どうしたの? ジューンに伝言を持たせたって聞
いて、私驚いてしまって」
「息を切らして走ってきたのか」
 苦笑するレヴィアスの眼差しに、自分の格好に初めて気づく。慌てて走ってきたから、
髪も服も乱れてぐしゃぐしゃだ。
「あっ……」
 かあっと頬を染めて、ぱたぱたと身繕いをする。そんなエリスに歩み寄ると、レヴィア
スは夕闇の中で濃さを増してゆく栗色の髪をそっと撫でた。
「レヴィアス……?」
 見上げると、金と緑の瞳が自分を見つめていた。深い森の緑、差し込む陽光。鬱屈した
絶望と、輝かしい栄光。この人の瞳は、この城の、この人の持つ二面性を表したかのよう
な瞳をしている。強くて弱い、弱くて強い、いとしくて、かなしい……。
「今日はおまえの誕生日だと聞いた。だから、これを……」
「えっ……?」
 大きく目を見開いたまま、エリスはレヴィアスから目が離せなかった。瞬きすらも忘れ
て、ただじっとレヴィアスの顔を見つめ続ける。やがて、決まり悪そうにレヴィアスが視
線を逸らした。
「そんなに驚くことはないだろう。俺がこういうことをするのは似合わないか?」
「あっ……、ううん、そうじゃないの。でも、とても、……びっくりしたわ」
 正直な感想にレヴィアスが小さく笑う。優しい微笑み、愛しい表情。
「でも、どうして? 私、あなたに言っていなかったわ。今日が誕生日だって」
「おまえが良く一緒にいるやつらが話しているのを、昨日聞いたんだ。今日も、ちょうど
見かけたから伝言を頼んだ」
 赤毛の小さいのと、長い金髪の。ライラとジューンだわ、エリスは思った。
 ようやくエリスはレヴィアスの手に視線を向けた。両手で覆って隠せるほどの小さな箱
が乗っている。
「これを、私に……?」
「ああ、──してやるよ」
 そう言ってレヴィアスが中から取りだしたのは、翡翠色の小さな宝石をあしらった、細
い金の指輪だった。
「えっ、これ……!?」
 驚いて顔を上げると手を握って引き寄せられた。左手の薬指。唇が触れて、指輪がはめ
られる。あつらえたようにぴったりとおさまったその指輪にもう一度口づけて、レヴィア
スがゆっくりと顔を上げた。
「あ……」
 目が合った、と思った途端に目を閉じていた。口づけをされると思ったのだ。そしてや
わらかな唇が触れた。背に回った腕に優しく抱きしめられて。肩にすがるように手を添え
ると、服に触れて動いた指輪の感触が伝わってくる。あたたかく力強い鼓動に包まれる。
 口づけをやめた後も、二人はじっと寄り添っていた。今腕の中にある温もりを、いつま
でも味わっていたかった。
「ありがとう、嬉しい……。──レヴィアス、愛してるわ……」
 呟くと、抱きしめる腕に力がこもる。低い声で名を呼ばれ、胸の奥が熱くなった。そっ
と、慈しむように背を撫でて、そのたびに指輪の存在を感じる。その意味を、実感する。
 そっと顔を上げると、夜の闇の中でレヴィアスの瞳が光るような気がした。
「ふふっ、──あなたの眼、猫みたいね。キレイ」
 金色の虹彩は皇族の証。それを片眼にしか持たないレヴィアスを蔑む者はあっても、綺
麗だと言う者はエリスしかいない。だからこそエリスはレヴィアスの眼を褒める。あなた
だから、キレイなのよ。
                 イシ
「おまえの眼の方がいい。──この宝石も、おまえの眼の色に似たものを選んだんだ」
 エリスの青緑色の瞳は、光の下では翡翠色、暗がりではトルコ石の緑だ。どちらにしろ
その明るい色彩は、レヴィアスの心に射し込む一条の光。唯一の希望。
「ありがとう、大切にするわ。でも指にしてるとなくしてしまうかもしれないから、鎖に
通して首飾りにしていようかしら」
「ああ、おまえの好きにしていい。ずっと身につけていてくれるのなら」
「ええ、ずっと。そうだ、次のあなたの誕生日には、私から指輪を贈るわ。あまり高価な
ものは買えないけれど、あなたに似合うものを、一生懸命さがすわ!」
 今すぐにでも探しに行きそうな勢いで、エリスは手を握って力説する。
「そうしたら、あなたもずっとその指輪しててね。──ずっと一緒にいるって、約束」
「ああ……」
 目を合わせて微笑みを交わす。幸せを感じるひととき。やわらかな夕闇が、二人を包み
込んでいく。
「────もっと一緒にいたいけど、そろそろ帰らないと……」
 レヴィアスの胸の中で、名残惜しそうにエリスが呟いた。
「ああ、そうだな」
 そう言いながら、レヴィアスは腕をゆるめない。エリスもまた、動こうとはしなかった。
「17、か。──早すぎると言うほどじゃあないが、……まだ早いか」
「え、なに?」
「いや、なんでもない」
 腕をほどいてレヴィアスはエリスの頭にぽんと手を置いた。
「さ、家の人が心配するだろ」
「うん。──今日はありがとう。おやすみなさい、レヴィアス」
「ああ、おやすみ」
   タメラ    キビス
 少し躊躇ってから踵を返し、歩き始めるとエリスは振り返らない。一度でも振り返って
しまうとまたレヴィアスの元に走り寄ってしまいたくなる心を抑えられないから。それを
知っているレヴィアスも、何も言わずにエリスの姿が見えなくなるまで見送るのみだ。
 けれどその日、レヴィアスはなぜかエリスの名を呼んだ。
「エリス!」
 その声にびくりと立ち止まって、エリスが振り返る。驚愕を露わにしたその瞳を見て初
めて、レヴィアスはエリスを呼び止めた自分を知った。
「──いや、なんでもない。おやすみ」
 エリスは何か言いたげに一瞬瞳を揺らめかせ、けれどそれは言葉になることはなかった。
「おやすみなさい!」
 手を振って叫んだエリスは、レヴィアスに背を向けると走り出した。歩いたままだとま
たレヴィアスに呼び止められてしまうかも知れない、そうしたら今度こそ彼に駆け寄って
しまう。
 エリスの姿が見えなくなると、レヴィアスは小さく息をついた。自分でも、なぜ咄嗟に
彼女を呼び止めてしまったのか分からなかった。
 空を見上げると、星が瞬く中に、レヴィアスの右目と同じ色をした月が浮かんでいた。


                                             fin.



こめんと(byひろな)    2000.10.25

この日に彼女の記念話を書く人は、アンジェリーカーの中でもそうそういないのでは……と、思います。レヴィエリが無茶苦茶好きな人くらい? でもこの話は書きたかったのだ。エリスの誕生日に、指輪をあげるレヴィアス。でもこの日がエリスの最後の誕生日。──そう、この後あの悲しい出来事が起きてしまうのですね。
そこまで書こうかどうしようか迷いましたが、でも、皆さんこの二人の悲しい運命はご存じだから、その中の幸せなひとときを味わってもらえたらと思ってこういう形にしました。とか言いつつラストの方で、ちょっと不幸を予感させるっぽいあたり……(笑)。
しかしレヴィアスってどんなふうに喋るんだ!?って感じでしたね。まあ基本的に無口そうな人なのであまり台詞ないんですが。エリスのほうが書きやすかったかな。



Parody Parlor    CONTENTS    TOP

感想、リクエストetc.は こ・ち・ら